東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年3月5日(木曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年3月5日(木曜日)

やっと。

「春」の「3月」

になりました。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

「春」になりました。

今年も春がきました。

これからは。

「春」はふうせんのように

ひろがる季節。

ひなまつりがおわり。

たんぽぽが咲き。すみれが咲き。
おたまじゃくしが泳ぎ。

「春」は「川の水音」が。

「せせらぎのながれのおと」
としてきこえるようになります。

春分の日もすぎれば。
「さくら」咲きはじめ
「さくら」がおわり。
「4月」が終われば。
「5月」になり。
「5月」もおわれば。
6月に。「夏」になり。
6月も終われば。
7月 たなばた。
7月 もおわれば。
せみのなく8月。
8月の夏はすぎれば。
9月の秋になり秋の虫が鳴く。
そして9月がおわり。
中秋10月なり紅葉の季節。
そして10月がおわり。
「11月」になり。
晩秋「11月」もおわり12月の「冬」。
「12月」になればまた「年」があけ。
また「初春」がくる。

そして来年も「春」の「3月」がくる。

「はつはる」の「3月」です。
「晩冬」の冬はおわりました。

「雪国の冬」はおわりました。

そして「12月」の冬至を。
すぎて「陽」はもうすでに
日々たかくなりつつあります。

「春」がきてそして「夏」に向かうのです。

「春」です。

「昨年」12月の冬至は

おわりました。

陽は日々たかくなっているのです。

朝陽ののぼるのが早くなりました。

夕陽がおりるのは遅くなりました。

朝の「春」の陽射しは窓越しにも「まばゆい」

くらいです。

夕暮れの「春」の陽射しは「きかんぼう」

の「やんちゃぼうず」のようです。

おちつきません。

まことに。

冬来たりなば春遠からじ。

ふゆきたりなば

はるとおからじ

(出 典は。

 イギリスの詩人シェリーの

『西風に寄せる歌』の一節。

英 語の原文: 

If winter comes,

can spring be far behind? )

「秋」から「冬」への

移り変わりは

二階から「かけあし」の足音のきこえるような。

怒涛のごとき「はやさ」でした。

「かけあし」10人分

のようでした。

「9月」の初秋がおわり。
「名月中秋10月もおわり」ました。
「11月」。

「11月」もおわりました。
「12月」もおわりました。
「新年」「初春」の「1月」もおわり。
今は
「2月」「晩冬」もおわりました。

「晩秋」から「冬」への移り変わりは
「かけあし」のようにうつろいました。

一方
「春」はゆっくりと。

ゆっくりと。

ゆっくりと。あるいてきます。

だから。

「春」をまつのであれば。

「春」がゆっくりと。

歩いてくるのをまたなければ。

なりません。

もう「春」ですね。

「冬」はかけあしでやってくる。

「春」はゆっくりと歩いてやってくる。

さきのことすぎるかもしれないが「来年」。

このように「時」のうつろいを

心はせれば。

考えると「おそろしいもの」です。

考えなければ。
「なおおおそろしい」
ものであるものかもしれない。

「考えずにいるつけ」がまわって
くるからかもしれません。

「来年」のことを考えれば「鬼」が笑う。
「来年」のことを考えずにすむのであれば「鬼」は
笑わないのでしょう。
「鬼」とはなんだろう。

今日の深夜早朝03:15amには。
久方ぶりに大きな「春」の「星空」がみえました。
早朝くらいうちは。
空に月。
「お月様」が「「冬」雲のじゅうたん」
天高くにねそべっている
ようです。
「冬」よりも「春」の「夜空」は「おぼろ月夜」です。

06:00amころ日があければ。
まだまだくらい朝日を背に。
西のコバルトの空高く明るい。
とても高い成層圏近くの高い高度に。

西のコバルトの空高に。
「刷毛」でひいたように「絹雲(けんうん)」が
何本も何本も。
描かれて。
たなびいていました。

実に見事な筆捌(ふでさばき)です。
ためらいのない「朝焼け」
「春」の「朝焼け色」の線描です。

「春」の朝。

「陽射し」ののぼるころは。

「西」の空

のほうが明るいのです。

朝が明けて午前になれば。

まばゆい「春」のひざしが。

東から窓のカーテンや木々の合間をぬって。

「さそう」がごとく。

「だまってよびかけてきます」。

高い成層圏近くの高い高度に。
「刷毛でひいたように」「絹雲(けんうん)」
の端には渦巻きのような「ぬけあな」があり
「さらなる遠方の青空」が透けてみえます。

さながらにして。
東山魁夷画伯の描かれた大きな壁画。
大きな屏風絵の世界。

東山魁夷画伯の描かれた大きな絵画を
彷彿とさせますです。

東山魁夷画伯。
「よくえがかけた画伯です」。

この「あおぞら」をみていると。

とても

信じられないくらいに。

元気がわいてくることに気が付きました。

「太陽」の「陽射し」。

「陽射し」の「めぐみ」はなんと

ありがたいことだろう。

「そら一杯の青空の天井(てんじょう)」と。

「太陽のひかりのひざし」は。

「生きとし生けるもの」にとって。

なによりもの。

まことの。

「ごほうび」であり。

「よろこび」です。

「太陽のひかりのひざし」は

「いのちへのめぐみ」。

ありとあらゆる「生命」「いのち」をはぐくみ。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をたたえる。
「生きとし生けるもの」の「いのち」に。
さらなる「はるかかなた」までの。
「いきるちから」をさずけるものです。
「太陽」。
ありがたいものです。

はやいものです。
ときのたつのは。
はやいものです。

そしてふと考えれば

去年も
「12か月」が
終わりました。

中秋から晩秋にうつろい。
いまや
「寒月」の「12月」がおわり。
新年の「1月」がおわり。
「晩冬」の「2月」がおわり。

「春」です。

病院の庭園に「何本」もある
山茶花(さざんか)や「やぶつばき」の大木が。
いずれもが紅白の花を

緑野に見え隠れする蓮華草
のように
枝にみのらせています。

「やぶつばき」は。
「はつはな」で初々しいたです。
けれども。
「やぶつばき」や山茶花(さざんか)は。
は雨に打たれると。
花は地面に紅白の毛氈(もうせん)
のように落花してしまいます。

くれない色としろ色の雪のようです。

「山茶花(さざんか)」「やぶつばき」の花の花びら。

ひろって。
手のひらにかかげれば。
「においやぶつばき」の花のかおりは。
プラチナ色の香りが
致しました。

今は。
「やぶつばき」や山茶花(さざんか)が。
蕾をふくらませています。
「やぶつばき」のはながは鐘のように。
ふくらんでいます。

山茶花(さざんか)の「はなびら」が
闇夜のあいだに。
今朝の早朝まだ「花」にもきがつかぬうちに
また地に舞い下りていました。

山茶花(さざんか)の花ひとつさいて
夜の木枯らしでちったようです。

みつめれば。
「春吹雪:はるふぶき」
に弓射られた白鷺(しらさぎ)
のはねが舞っているようでした。

この寒い「春」も。
「昆虫」の少ない時期に。
「山茶花(さざんか)」や「やぶつばき」
は花をさかせ
どのように授粉して「実る」のだろう。

山茶花(さざんか)の花ひとつさいて
夜の「春吹雪:はるふぶき」でちる。
「やぶつばき」も「花」はすぐに
落下する。
このあたりに。

「山茶花(さざんか)」

と「やぶつばき」

に。

「人生」の。

「解答」があるような

気が致します。

ふと野草の花は一般的には。
香らない花が多いことに気づきました。

伊藤左千夫の「野菊の墓」の「野菊」は。
矢車菊 (やぐるまぎく)
はとても綺麗なむらさきの「のぎく」です。
けれども「のぎく」は香りません。
(Corn lower, Bachelor's-button)です。

因みに
最高級の(今はもうとれない)
インド・カシミール地方で産出されたの
サフアイアの色は
「矢車菊色:やぐるまそう色」といわれます。


「カシミール・ヴァイオレット」。

麦畑やとうもろこし畑の中に 咲いていたことから。
「コーン・フラワー」=「野菊」(Corn lower)
です。

別名 「矢車草(やぐるまそう)」
といわれることがあります。

実は「矢車菊 (やぐるまぎく)」と
「矢車草(やぐるまそう)」まったく違う植物です。
矢車菊 (やぐるまぎく)が「野菊」。
「矢車草(やぐるまそう)」は「高山植物」。

「野菊」は春から夏にかけて咲くむらさきの花です。

古代エジプトのツタンカーメン王の墓 からも
発見された由緒正しき「野菊」。
色は紫。むらさきです。

ツタンカーメン王の。

まだ幼な子王妃が。

「亡きツタンカーメンンに野菊の花束ささげるけなげな姿」
が鮮烈に眼に浮かびます。

この「花」が。

「野菊」です。

「野菊の墓」の「野菊」。

けれども。

「野菊」は

香りません

毎朝暗い早朝と暗くなる午後4時ころには。
「春吹雪:はるふぶき」が
ふいている。

「春吹雪:はるふぶき」がかわりばんこに。
あちこちで
「ろうろう」「こうこう」とないています。

「春かぜ」の
「春吹雪:はるふぶき」
の「コーラス」を聞いていると。

ふと。
いにしえの
「寒さにおびえるひと」の気配が
脳裏をはしりました。
はてだれだろう。

うら若き乙女。
苦労に苦労をかさねて。
苦しんで苦しんだあげくに。
24歳にして世を去った
「樋口一葉」。

樋口一葉の
「うらわかき」「「冬」と「春」の短歌」がきこえるようです。

散たまるふもとの落葉わけて思ふ
埋もれぬべきは雪の山里

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ
うもれぬへきはゆきのやまさと

庭の面につもる紅葉の色見れば
散りての後もにしきなりけり

にわのおもにつもるもみしのいろみれば
ちりてのあともにしきなりけり

世の中の秋にあはじとおくれけん
一もと野ぎく思ひあがりて

よのなかにあきにあはしとおくれけん
ひともとのきくおもひあがりて

折々に散るものどけし春雨の
はれたる軒の山桜ばな

おりおりにちるものどけしはるさめの
はれたるのきのやまさくらばな

わが園のものとおもへば初わかな
はつかなれども嬉しかりけり

わがそののものとおもへばはつわかな
はつかなれどもうれしかりけり

立ち渡る霞をみれば足引きの
山にも野にも春は来にけむ

たちわたるかすみをみれはあしひきの
やまにものにもはるはきにけむ

わたつ海の波のいづこに立ち初て
果なくつゝむ春の霞ぞ

わたつみのなみのいづこにたちそめて
はてなくつつむはるのかすみぞ

さざ波やしがの都のいにしへの
おもかげうすく立つ霞かな

ささなみやしかのみやこのいにしえの
おもかけうすくたつかすみかな

鶯のけさおとづるゝ声聞て
はじめて春の心地こそすれ

うくいすのけさおとつるるこへききて
はしめてはるのここちこそすれ

うれしくもわがものにして聞てけり
このあかつきの鶯の声

うれしきもわかものにしてきこへけり
このあかつきのうくいすのこへ

のどかなるけさの雨にやはるの野の
みどりも色まさるらむ

のとかなるけさのあめにやはるののの
みとりのいろもまさるらむ

おくれたる友の為にとしをりして
谷間の蕨折り残しけり

おくれたるとものためにとしをりして
たのまのわらひおりのこしけり

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ

うもれぬへきはゆきのやまさと

にわのおもにつもるもみしのいろみれば

ちりてのあともにしきなりけり

よのなかにあきにあはしとおくれけん

ひともとのきくおもひあがりて

-------------------------------

おりおりにちるものどけしはるさめの

はれたるのきのやまさくらばな

わがそののものとおもへばはつわかな

はつかなれともうれしかりけり

たちわたるかすみをみれはあしひきの

やまにものにもはるはきにけむ

わたつみのなみのいづこにたちそめて

はてなくつつむはるのかすみぞ

ささなみやしかのみやこのいにしえの

おもかけうすくたつかすみかな

うくいすのけさおとつるるこへききて

はしめてはるのここちこそすれ

うれしきもわかものにしてきこへけり

このあかつきのうくいすのこへ

のとかなるけさのあめにやはるののの

みとりのいろもまさるらむ

おくれたるとものためにとしをりして

たのまのわらひおりのこしけり

「24歳」の「とても貧しい乙女」の。

「春」によろこび。

「春」におびえおののく。

かなしさの「おもかげ」と。

光さし輝きはずむ。

いまだお若い「御婦人」の「知」が。

「ひしひし」とよみとれます。

「冬至」はすでにすぎました

これからは日は。
陽は次第にながくなる。
日が長くなる。
朝は明けるのは早くなり。
夕に暗くなるのは遅くなる。

しだいに陽がながくなる。
なぜか。
不思議なやさしさ。
やすらぎと。
心やすらかなる
安堵感をかんじます。

心やすらかなる
安堵感をかんじます。

けれども。
「安堵」と「落胆」は。
常に表裏一体。
両羽(もろば)の剣。

「ぬかよろこび」の「ぬか」のような
ものです。

「ながくなる陽」も両羽(もろば)の剣を
持っています。

そして。
季節には「大気の音色(ねいろ)」もあるようです。

朝空は
陽ははるかに天高く。
空色はミルク色です。
クリームのかかった雲空です。

東京都世田谷区山本クリニックの庭園には

「えどむらさき」という「つつじ」
が「何本」もはえています。
野生種に近いものです。
大きな真紅紫の花を咲かせます。

「つつじ」ですから
盆栽の「皐月:さつき」のような
繊細さはみえません。

「やぶつばき」の大木が4本と山茶花(さざんか)が4本
あります。

「初春」をつたえるがごとく。
「においつばき」の木が
「香り花」が開花致しました。

「山茶花(さざんか)」と「やぶつばき」が
蕾を大きくしています。

山茶花(さざんか)も「やぶつばき」も私は「大好き」
な花木です。

「花」はみえない頃からもう
「においつばき」
は「香っています」。
「やぶつばき」は冬にも若葉をだします。
「やぶつばき」は「荒い木」
です。
けれども「生き様」は。
樹木として
とてもとても麗しいと思います。
ある意味では威風堂々です。

「山茶花(さざんか)」は
のんびりやの気がする。

山茶花(さざんか)の「花」はさいたまま
「花がさいた」を忘れたかのように
ぼんやりと木にのっている。
いつ花が散るのだろう。
ふと考えるまえにちります。

考えれば山茶花(さざんか)の蕾が
思い出せない。
ひらけばちるからかしら。
花の咲く存在感のない植物は
「山茶花(さざんか)」です。
うすぼんやりした花木です。
水墨画の主人公にはなりえない。

この「3月」になり。
森山を分け入ると。

木々の根元に隠れ咲く。
だいだい色の花の花のごとくに紅葉したまま
しもがれする
「やまはぜの葉木」が「大好き」です。

「やまうるしの紅葉」もかわいらしく。
「大好き」です。

身の丈以上ほどにもなって群生する。
野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
が。
病院の林の一角に野生のまま
おいしげっています。

野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
のパープルの真珠が群れたように実る
「実りの木の実」の風にそよぐ音色には。
おどろかされます。

あけびつたもうれしい。
あけびの「実」がみつかればなおなおうれしい。

またたびをみつけました。
根元にねこにかじられきずがある。

里山の冬の時期から。
そして初春の里山の季節
になりました。

四季の歩みの春夏秋冬のうつろいは
メトロノームの「あゆみ」を
感じさせます。

この「あゆみ」の「質量」は
とてもとても高いです。
質量があれば。あたかも。
重力のように。
四季のリズムにひきよせられていく。
そのような感じがします。

四季の歩みの春夏秋冬は。
フアジーでいてなお着々。
確実な「リズム」を感じます。

ここに。
「メロディ:旋律」とハーモニー:和声」
がくわわれば「音楽の三要素」。
音楽と同じです。

草花や草木につつまれた自然は。
「音楽」と同じように
ひびきとして聴こえます。

自然は
「しぜん」の
「ヴィルトオーゾ」と
「ヴィルトゥオーサ(virtuosa)」
*です。

この「自然のフイルハーモニウム」の。
指揮者は。
太陽なのか大地なのか人なのか。

或は音色をかもし出す自然はオーケストラ
であるのか。
ソリストなのだろうか。

私の尊敬する「合衆国USA」の
女性で小説家(「ノーベル賞受賞者」)
「パール・サイデンストリッカー・バック
(Pearl Sydenstricker Buck)
中国名、賽珍珠(サィ・チンシュ)」
パールバックの「大地」に
その「こたえ」が示唆されています。

古代より芸術家が
自然を音楽や絵画や彫刻
で表現しようとした気持ちが良く判ります。

*ヴィルトゥオーソ(virtuoso)は、
「博識、達人」を意味するイタリア語の男性名詞である。
複数形の場合はヴィルトゥオーシ(virtuosi)
、女性形はヴィルトゥオーサ(virtuosa)となる。
ラテン語のvirtus(「男らしさ」「美徳」「至高」の意)を語源とし、元来は「有徳の」「誉められるべき」
を意味する形容詞の男性形であった。

実際の楽曲ではこの三要素は。
密接に音楽的に結びつきひとつの楽曲をなします。

但し音楽の「リズム・メロディ・ハーモニー」は
一つだけを明確に取り出せる「成分」というわけ
ではありません。

また「音楽であるため」に。
三要素が絶対必要ということ
でもないでしょう。

邦楽などではリズム・ハーモニーは
存在しないか希薄である事が多いです。
「音楽」として「欠陥」があるわけ
ではありません。

「リズム・メロディ・ハーモニー」
が西洋音楽の常識ではありえないほど
高度な進化を遂げた音楽も存在致します。

邦楽もその一つです。

大和の国 やまとのくにの自然は。
「大和の国の音楽」と同じように思えます。
聴こえます。

「音楽」は「音」「おと」です。
そして「しらべ」=メロディとハーモニーです。
人類が「この音楽」を「楽譜」として
「寸分たがわず」「譜面」という名の「紙」に
「かくことを完成させた」ということは
大変なことです。

人間は。
人類は。
わずか「400年」で。

「音楽の旋律」に対する「楽譜」を。
「あらたな言語」を
完全に「完成」させたことになります。

まさにミューズの神の「神業かみわざ」です。

木々のめぶきの
冬なおも。
ますます力強い息吹を感じます。

「真夏」をすぎ「冬」になると。
再び「若葉」がみられることに。
きづきました。
「ため息」がでるほど木々の「冬若葉」の
「つどい」は「つよく」「うつくしい」。
雪の上のみどり。

木々のてっぺんは萌黄色から
「ふかみどり」
になりました。
そして「しっかりと樹木として
「冬を迎えた葉束」になりました。
これからは
「深まる冬」がすぎさり「春」。
「開花」の炎が。
樹木の上方で。
「雪の到来」を.
くすぶりてまちわびてています。
たえしのぶ冬の樹木です。

「若葉」の「新緑」から「深緑」です。

高い木々の穂先は萌黄から若草色に。
うねるなみのように。
木々の新緑は常緑となり冬のおとずれを
伝えていました。

桜は葉桜から「葉木」
道路沿いの「けやき」の木々も
萌黄から若葉。
そして青葉。
どうもうともいえる青葉。
そして見え隠れする「紅葉葉」。
紅葉葉の10枚20枚がひとつひとつ
の樹木にみえるようになりました。
「黄色調」です。
そして今「樹木」は「葉のいろ」をかえ
「宙」に舞おうとしています。
今現在は冬。
はだか木です

明らかなる。
「冬から春」とはことなる。
「夏から秋」。
「秋から冬」
そして「冬」の「木枯らし」。

木々の四季の。
大気の「色」のうつろい
に気づきます。

今は里山(さとやま)をさまよい。
今は里山(さとやま)をあるきたい。
今は里山(さとやま)の季節。
今は昔々里山(さとやま)であそび。
今は昔々て里山(さとやま)でおぼえ。
今は昔々里山(さとやま)でまなんだ。
今は昔々のその日々の思い出は。
今は黄金(こがね)か。あるいは。
今は銀か。いぶし銀か。
今はもしかしたらプラチナか。
今は思い出色は鉛のように。
今は重さは鉛のようになり。
今は心の奥深くに埋もれて感じられます。

「幸せ色」=「しあわせいろ」

ならばよいです。

けれども
早朝は非常にあたたかくなりました。

春やま中さまよいて
春やま中をわけいらば
春やま中大樹の根元に隠れたり
春やま中あけぼの色のちひさき炎(ほのほ)
春やま中みつけたりやまの秋の華。
春やま中やまの秋葉木のかくれんぼ
春やま中大樹の根元に隠れたり
春山はぜの葉木。
春やま中やまうるしの葉木。
春やま中あきやまはぜとふるやまうるし。
春こす「はだか木」。
春こす元気な木。たくましき木。

春山萩(やまはぎ)の
春花をかくして燃えたたむ
春に実りの祭りなり
春山はぜの葉炎
春天高く燃ゆ

はるやまはぎの
はるはなをかくしてもえたたむ
はるにみのりのまつりなり
はるやまはせのほのほ
はるてんたかくもゆ

はるひろくなりけり空(そら)たかし
はるさとやまに木々のみどり木
はるこもれびうけて燃えるがごとし
はるみどりの炎(ほのほ)
はるほのほうちけさむかすみはあおし
はるほのほにかすみにただよひて
はるうるわしくかがやきたり
はるあたたかくかおりたり
はるあざやかなりけり 
はるやまさとのやまみどり
はるやまさとのふかみどり

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
は「英国:United Kingdom UK」の
「風景画家」
天才画家ですが「緑」が大嫌い
で「黄色」が「大好き」。
「木」をかくのを非常にいやがったそうです。

多分ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
が「修行時代」に「お金にために
「どこの国も同じですが」
「名所絵」をかかされたときの
「反動」ではないかと
今の私は考えます。

「大きな夏みつけた」
から
「夏がすぎてて真秋間近い」

「小さな秋みつけた・。」

そして
「小さな冬みつけた」
そして
「大きな冬みつけた」。

「小さい春」がみつかって。

「春」になりました。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

+++++++++++++++++++++

平成21年01月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年2月11日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年3月20日(金曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

++++++++++++++++++++++

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

++++++++++++++++++++++

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらず
インフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。

「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。

1827年にカドミウムからの赤色の光の波長によって、
オングストロームの長さの定義を標準化したこと
で高名な物理学者。

光の回折における原理。
すなわち回折をおこさせるスクリーンのパターンが
完全に逆の2つのスクリーンは同じ回折パターンを生じることを
示した物理学者。

光の波長を長さの標準として用いる提案をはじめて行い。
このアイデアは後に長さの標準として実際に用いられるに
いたった物理学者。

「2組の水晶の楔を組合わせることによって
偏光成分の位相差を補償することの光学素子」
を発見した物理学者

「光」の物理学者。

1794年 - ジャック・バビネ、物理学者(+ 1872年)
の生誕日です。

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ジャック・バビネ:
Jacques Babinet、
1794年3月5日 - 1872年10月21日) は。

フランスの物理学者、数学者、天文学者です。
光学の分野などの業績で知られています。

++++++++++++++++++++++

ジャック・バビネ:Jacques Babinetは。

フランス中部ヴィエンヌ県の
リュジニヤン(Lusignan)で生まれました。

初め法律を学んだが、科学に転じました。

ソルボンヌ大学の。

コレージュ・ド・フランスの教授を務めました。

1840年にパリ王立科学アカデミーの会員に選ばれました。

++++++++++++++++++++++

ジャック・バビネ:Jacques Babinetは。
経度局(Bureau des Longitudes)の司書を務めた後に。

天文学者としてパリ天文台に勤務致しました。

バビネの業績には。
1・
1827年にカドミウムからの赤色の光の波長によって、
オングストロームの長さの定義を標準化したこと

2・
光の回折における「バビネーの原理」。
すなわち回折をおこさせるスクリーンのパターンが
完全に逆の2つのスクリーンは同じ回折パターンを生じることを
示した業績。

の「2大業績」があります。

++++++++++++++++++++++

ジャック・バビネ:Jacques Babinet
は。

光の波長を長さの標準として用いる提案をしたのは
バビネーであり、このアイデアは
後に長さの標準として実際に用いられました。

科学博物館には「メートル原器」なるものが
温度そのほかの厳重な管理のもとに保管されていましたが。

今現在では「長さの単位」は
光速度から求められるようになりました。

++++++++++++++++++++++

ジャック・バビネ:Jacques Babinet
は。

多くの実験機器、測定機器を発明致しました。

その中には湿度計、真空ポンプ、ゴニオメーターや
バビネ補償機(コンペンセーター)が含まれます。

バビネ・コンペンセーターとは
「2組の水晶の楔を組合わせることによって
偏光成分の位相差を補償することの光学素子」
用いられます。

++++++++++++++++++++++

ジャック・バビネ:Jacques Babinetは。

地図の図法の分野では。
緯線を水平直線とし経線を楕円とする
正積図法を発見致しました。

この「正積図法」は。
バビネ図法とも呼ばれます。

++++++++++++++++++++++

ジャック・バビネ:Jacques Babinetは
まさしく。
「光」の物理学者です。

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ジャック・バビネ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%8D

ジャック・バビネ(Jacques Babinet、 1794年3月5日 - 1872年10月21日) はフランスの物理学者、数学者、天文学者である。光学の分野などの業績で知られる。

フランス中部ヴィエンヌ県のリュジニヤン(Lusignan)で生まれた。初め法律を学んだが、科学に転じた。ソルボンヌ大学、コレージュ・ド・フランスの教授を務め、1840年にパリ王立科学アカデミーの会員に選ばれた。経度局(Bureau des Longitudes)の司書を務めた後、天文学者としてパリ天文台に勤務した。

バビネの業績には、1827年にカドミウムからの赤色の光の波長によって、オングストロームの長さの定義を標準化したこと、光の回折における、バビネーの原理、すなわち回折をおこさせるスクリーンのパターンが完全に逆の2つのスクリーンは同じ回折パターンを生じることを示した。光の波長を長さの標準として用いる提案をしたのはバビネーであり、このアイデアは後に長さの標準として実際に用いられた。

多くの実験機器、測定機器を発明し、その中には湿度計、真空ポンプ、ゴニオメーターやバビネ補償機(コンペンセーター)が含まれる。バビネ・コンペンセーターは2組の水晶の楔を組合わせることによって偏光成分の位相差を補償するのに用いられる。

地図の図法の分野では緯線を水平直線とし経線を楕円とする正積図法がバビネ図法とも呼ばれる。

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%8D" より作成
カテゴリ: フランスの物理学者 | フランスの数学者 | フランスの天文学者 | 1794年生 | 1872年没

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++

3月5日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/3%E6%9C%885%E6%97%A5

できごと
741年(天平13年2月14日) - 聖武天皇が国分寺・国分尼寺建立の詔を出す。

823年(弘仁14年1月19日) - 空海が教王護国寺を下賜される。

1868年(明治元年2月12日) - 徳川慶喜が江戸城無血開城に伴い、
江戸城を出て上野寛永寺に移る。

1929年 - 「治安維持法」に反対していた山本宣治・元衆議院議員が
右翼団体「七生義団」の黒田保久二により刺殺される。

1932年 - 三井財閥総帥・團琢磨が日本橋の三井本館前で血盟団員により射殺される。

1938年 - 立正佼成会創立

1946年 - ウィンストン・チャーチル英首相が米ミズーリ州で
ソ連を非難する「鉄のカーテン」の演説を行う。冷戦の始まり。

1953年 - ソビエト連邦の最高指導者、
ヨシフ・スターリンが重体(実際は同日死亡)
という情報で世界中の株式市場が暴落し、
東京証券取引所でも史上第3位の10.0%の下落率となるスターリン暴落が発生する。

1959年 - 長沢浄水場通水。

1966年 - 英国海外航空911便(ボーイング707 G-APFE)が
富士山上空で山岳波により空中分解。124名全員死亡(通称BOAC機空中分解事故)

1969年 - 熊本県熊本市に日本で初めてスクランブル交差点が設置される。

1970年 - 核拡散防止条約が発効。

1970年 - 岡崎友紀がシングル『しあわせの涙』で歌手デビュー。

1972年 - アリスがシングル『走っておいで恋人よ』でレコードデビュー。

1975年 - 豪華客船クイーン・エリザベス2号が
神戸港のポートターミナルQ1バースに日本初入港。

1979年 - 日本テレビ『ズームイン!!朝!』が放送を開始。

1981年 - 「窓ぎわのトットちゃん」(黒柳徹子著)が発刊。

1986年 - 青函トンネルで本州と北海道が結合。

1998年 - 長野パラリンピック冬季大会開催。

2006年 - 北海道北見市・端野町・常呂町・留辺蘂町が合併し、新北見市が誕生。

誕生日
1133年 - ヘンリー2世、イングランド国王(+ 1189年)

1512年 - ジェラール・メルカトル、地理学者(+ 1594年)

1794年 - ジャック・バビネ、物理学者(+ 1872年)

1819年(文政2年2月10日) - 毛利敬親、長州藩主(+ 1871年)

1871年 - ローザ・ルクセンブルク、革命家(+ 1919年)

1869年 - 川上眉山、作家(+ 1908年)

1887年 - エイトル・ヴィラ=ロボス、作曲家(+ 1959年)

1897年 - 宋美齢、中華民国の政治家、蒋介石の妻(+ 2003年)

1898年 - 大河内傳次郎、俳優(+ 1962年)

1898年 - 周恩来、中華人民共和国首相(+ 1976年)

1901年 - 橋本登美三郎、政治家(+ 1989年)

1906年 - 田中清玄、政治運動家(+ 1993年)

1910年 - 安藤百福、日清食品創業者(+ 2007年)

1915年 - ローラン・シュワルツ、数学者(+ 2002年)

1916年 - 会田雄次、評論家(+ 1994年)

1916年 - 晝間弘、彫刻家(+ 1984年)

1918年 - 林忠彦、写真家(+ 1990年)

1922年 - ピエル・パオロ・パゾリーニ、映画監督(+ 1975年)

1931年 - 大津守、元プロ野球選手(+ 2007年)

1936年 - 安原達佳、元プロ野球選手

1938年 - 中島誠之助、陶磁器鑑定家

1939年 - 城戸則文、元プロ野球選手

1941年 - 井上堯之、ミュージシャン

1941年 - 谷克二、小説家

1941年 - 森光正吉、元プロ野球選手

1944年 - 松尾佳子、声優

1945年 - 大杉勝男、元プロ野球選手(+ 1992年)

1947年 - 栗原はるみ、料理研究家

1948年 - 花山多佳子、歌人

1951年 - 町田公雄、元プロ野球選手
1951年 - 榊原るみ、女優
1952年 - 山下大輔、元プロ野球選手・監督
1956年 - 山本隆造、元プロ野球選手
1959年 - 北条司、漫画家
1960年 - 成田美名子、漫画家
1961年 - 安藤ありさ、声優
1966年 - 上野ゆい、タレント、フリーアナウンサー
1968年 - 広永益隆、元プロ野球選手
1970年 - 渡瀬悠宇、漫画家
1971年 - ジョン・フルシアンテ、ミュージシャン(レッド・ホット・チリ・ペッパーズ)
1971年 - 原西孝幸、お笑いタレント(FUJIWARA)
1972年 - 菊間千乃、元フジテレビアナウンサー
1972年 - 熊川哲也、バレエダンサー
1972年 - 松島茂、文化放送アナウンサー
1973年 - フェリペ・クレスポ、元プロ野球選手
1974年 - イェンス・イェレミース、サッカー選手
1975年 - サットン、ミュージシャン(大田クルー) 
1975年 - うゆに、ミュージシャン(ピノキヲ)
1976年 - 瓜生正義、競艇選手
1977年 - 吉井慎一、お笑いタレント(チング)
1980年 - 神宮司治、ミュージシャン(レミオロメン)
1980年 - 安井佑輝、ミュージシャン(CHARCOAL FILTER)
1980年 - 山田まりや、女性タレント
1980年 - 逢川まさき、演歌歌手
1981年 - 忍成修吾、俳優
1981年 - MANAMI、格闘家
1982年 - 柩、ミュージシャン(ナイトメア)
1983年 - 佐藤まい、ヌードモデル・グラビアアイドル
1985年 - 松山ケンイチ、俳優
1986年 - 引田香織、歌手
1988年 - ヨバナ・ブラコチェビッチ、バレーボール選手
1989年 - ジェイク・ロイド、俳優
1989年 - ライスシャワー、競走馬(+ 1995年)
1993年 - 姫咲友梨香、ジュニアアイドル
1998年 - マンハッタンカフェ、種牡馬、元競走馬
生年不詳 - あきやまかおる、声優

忌日
1534年 - コレッジョ、画家(* 1489年頃)

1611年(慶長16年1月21日)- 島津義久、戦国大名(* 1533年)

1778年 - トマス・アーン、作曲家(* 1710年)

1802年(享和2年2月2日) - 市野上浅右エ門、力士(* 1767年)

1815年 - フランツ・アントン・メスメル、医学者(* 1734年)

1827年 - ピエール=シモン・ラプラス、数学者(* 1749年)

1827年 - アレッサンドロ・ボルタ、物理学者(* 1745年)

1829年 - ジョン・アダムズ、バウンティ号の反乱メンバーの一員(* 1766年)

1876年 - マリー・ダグー、作家・ジャーナリスト(* 1805年)

1876年 - フランチェスコ・マリア・ピアーヴェ、オペラ台本作家(* 1810年)

1893年 - イポリット・テーヌ、哲学者(* 1828年)

1895年 - ヘンリー・ローリンソン(en:Sir Henry Rawlinson, 1st Baronet)、
楔形文字を解読(* 1810年)

1904年 - アルフレート・フォン・ヴァルダーゼー、ドイツ陸軍参謀総長(* 1832年)

1906年 - 壬生基修、東京府知事・貴族院議員(* 1835年)

1917年 - マヌエル・デ・アリアガ、初代ポルトガル大統領(* 1840年)

1918年 - 藤岡市助、技術者・実業家(* 1857年)

1919年 - 福岡孝悌、元土佐藩家老・文部卿・枢密顧問官(* 1835年)

1929年 - 山本宣治、政治家・生物学者(* 1889年)

1932年 - 團琢磨、実業家(* 1858年)

1937年 - 和田重次郎、探検家(* 1875年)

1940年 - 蔡元培、教育家(* 1868年)

1941年 - ドミトリー・パヴロヴィチ大公、ロシア帝国の皇族(* 1891年)

1947年 - アルフレード・カゼッラ、作曲家(* 1883年)

1953年 - ヨシフ・スターリン、ソビエト指導者(* 1879年)

1953年 - セルゲイ・プロコフィエフ、作曲家(* 1891年)

1954年 - 岸田國士、劇作家・小説家(* 1890年)

1955年 - 金光庸夫、元拓務大臣・厚生大臣(* 1877年)

1955年 - フェルナン・ポワン、フランス料理のシェフ(* 1897年)

1965年 - 若林忠志、プロ野球選手・監督(* 1908年)

1966年 - アンナ・アフマートヴァ、詩人(* 1889年)

1967年 - モハンマド・モサッデク、イラン首相(* 1882年)

1973年 - パウル・クレツキ、指揮者(* 1900年)

1977年 - トム・プライス、F1ドライバー(* 1949年)

1978年 - テンポイント、競走馬(* 1973年)

1978年 - 東久邇聡子、明治天皇第9皇女(* 1896年)

1980年 - ヴィニフレート・ヴァーグナー、元バイロイト音楽祭主宰者(* 1897年)

1982年 - ジョン・ベルーシ、俳優(* 1949年)

1982年 - 平良幸市、元沖縄県知事(* 1909年)

1984年 - ティート・ゴッビ、バリトン歌手(* 1913年)

1988年 - 池田鴻、俳優・アニソン歌手(* 1939年)

1990年 - エドモント・コーネン、サッカー選手(* 1914年)

1990年 - ゲイリー・メリル、俳優(* 1915年)

1990年 - ウィリアム・A・ウィリアムズ、歴史学者(* 1921年)

1993年 - ハンス・クリスチャン・ブレヒ、俳優(* 1915年)

1999年 - リチャード・カイリー、俳優(* 1922年)

1999年 - 石橋一弥、元文部大臣(* 1922年)

2003年 - 徳永康元、ハンガリー文学者(* 1912年)

2005年 - セルジュ・コミッショーナ、指揮者(* 1928年)

2005年 - 和田崇、アニメーター(* 1966年)

2006年 - 岡田正勝、元民社党衆議院議員(* 1922年)

2008年 - ジョセフ・ワイゼンバウム、情報工学者(* 1923年)

記念日・年中行事
啓蟄(日本、2004年・2005年)
二十四節気の1つ。太陽の黄経が345度の時で、
大地が暖まり冬眠をしていた虫が穴から出てくるころ。

ミス・コンテストの日(日本)
1908年のこの日、時事新報で掲載された
「良家の淑女」写真コンテストの入賞者発表を掲載したことが、
日本のミスコンの起源だとされている。