東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年3月10日(火曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年3月10日(火曜日)

「晩冬」の「2月」はおわりました。

そして。

「春」の「3月」になりした。

「初春」

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

「昨年」
「9月」がおわわりました。
「10月」も終わりました。
「11月」もおわり。
「12月」で「冬」になりました。
「12月」がおわり。
「昨年」はおわりました。

「冬」も「年」を越しました。
「1月」がおわり。
「晩冬」の「2月」もおわりました。
「3月」「春」です。

「初春」の。
「3月」はしずかに。
しずかに。しずかに。

能の舞(のうのまい)の。

「おきなのあゆみ」のように。

そそとした「春舞台」の上を。

さらにふかまりつつゆく

春の景色の舞台の上を。

あゆみつつあります。

能の舞(のうのまい)の。

「おきなのあゆみ」は

「春」の「3月」から。

さらにおくふかい「春」に。

むかっています。

暗い朝の早朝に。
南の天に「明けの明星」が
輝いています。
闇夜の天高いかがやく惑星。

「明けの明星」金星に。
毎日「おはよう」のあいさつを
します。

「初春」の「3月」の。

早朝に。

はるか暗い早朝に「こおろぎ」の
かすかな。ひとりぼっちの。
鳴き声がきこえたような気が致しました。

けれどもそれは。

「春かぜ」の声。

毎朝の暗いうち「春かぜ」の「音色」は。
毎日違います。

「ろうろう」「こうこう」

耳をすませば。
「春かぜ」の鳴き声は。

「独唱」から次第に「合唱」に
なってきました。

そしてオーケストラの楽器の配列のように。
一風一かぜ(ひとかぜ)の
「春かぜ」の鳴いている場所も。
わかるように。なってきました。

「春かぜ」も
「春」深い季節の「春」
 にむけての。

ころもがえやひっこしをしている
ことがわかります。

もうすぐ「さくらかぜ」に

衣替えするでしょう。

「春吹雪:はるふぶき」は。

「鳥」のように。

木々の上から電線のうえにやどるようです。

「春吹雪:はるふぶき」は

「街路樹」にとまって。

「春」を過ごすのでしょう。

「春」です。

「春かぜ」のうたう季節

になりました。

けれども「昨年」「12月」に。

冬至もおわり。

これから日々ゆっくりと

日は長くなります。陽はたかくなります。

よるは短くなりはじめます。

これからは天上の太陽は。

「冬」から「春」に向かいます。

けれども「地上」では。

「今」まだ「初春」です。

あさは曇っていて。
さらに昼間でも「さむい」ことがある。
私がおきるまっくらな早朝は。
とてもとても。
とても寒いです。

雪国うまれの私はさむいのがつらい
です。

早朝「そら」をみあげれば。
晴れているはず。日差しもあるはず。

けれども空には
「雲がいっぱい」で「空はくもりそら」
です。
ふしぎな「春」のひざしです。

ふとかんがえれば・・。

そして「春」には。

「春」の「さむさ」から。
「若芽」をまもる
「春」の太陽から。さらなる恵みを
「実る木の芽」にあたえる。

「空」こそは。
「ソフトフイルター」の役目を。
深い「春」の「おぼろくもりそら」が
しているようです。

自然とは。

とてもよくできたものです。

変幻自在であり

そして規則も正しい。

なおかつにして。

自由が自在。

春夏秋冬。

大気に漂う霞がごとし。

深い山の奥に住むという

仙人の心境(こころ)が。

とてもよくわかります。

「春」の街路樹もそうそうたる。
ふかまる冬の羽振りを。
まとう木々に姿になってきました。

そして冬の。
紅葉の冬。
枯れ葉も「春」をむかえています。

木々のまとう枯れ葉は木々の
セーターのようです。
少しでも暖かければ。

街路樹は「落葉樹」がよいです。

街路樹が「松や杉」のような。
「常緑樹」では
冬はうっそうとして
陽の光をえられない。

夏場は枝ぶり葉っぱから陽の光を
さえぎれない。
晩秋も「針葉樹の落葉」では
木枯らしもつりがあわない。
とどのつまり
四季のリズムはつくれません。

ヴイバルデイの
「四季」の「夏」にある
木陰で休む羊飼いの旋律
も。
フランツ・シューベルトの
「菩提樹」の歌曲
も「うまれません」。

落葉の針葉樹で
強いからといって私の「好き」な。
「からまつ」をうえられても
街路樹には叶(かな)わないでしょう。

私の「大好き」な。
北原白秋の「からまつの詩」。

「からまつ」は

街路樹にはそぐはないかもしれません。

播磨の俳人滝野瓢水の句

「手に取るな

やはり野におけ蓮華草」

のように。

やはり野におけ蓮華草。

やはり野におけから松木。

「からまつ」も蓮華草と同じくに。

清楚な華やかさとはかなさを

もっています。

やはり野におけ。

蓮華草とからまつ。

「春」の「からまつ」です。

そしていま。
「春」をあゆむ「からまつ」の時期になりました。

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北原白秋
 
「水墨集」より

  
 落葉松
-------------------------------

      一
 
 からまつの林を過ぎて、
 
 からまつをしみじみと見き。
 
 からまつはさびしかりけり。
 
 たびゆくはさびしかりけり。

      二
                 
 からまつの林を出でて、
 
 からまつの林に入りぬ。
 
 からまつの林に入りて、
 
 また細く道はつづけり。

      三
 
 からまつの林の奥も
 
 わが通る道はありけり。
  きりさめ
 霧雨のかかる道なり。
 やまかぜ
 山風のかよふ道なり。

      四
 
 からまつの林の道は、
 
 われのみか、ひともかよひぬ。
 
 ほそぼそと通ふ道なり。
 
 さびさびといそぐ道なり。

      五
 
 からまつの林を過ぎて、
 
 ゆゑしらず歩みひそめつ。
 
 からまつはさびしかりけり、
 
 からまつとささやきにけり。

      六

 からまつの林を出でて、
  あさま ね
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。
 
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。
 
 からまつのまたそのうへに。

      七
 
 からまつの林の雨は
 
 さびしけどいよよしづけし。
 
 かんこ鳥鳴けるのみなる。
 
 からまつの濡るるのみなる。

      八
 
 世の中よ、あはれなりけり。
 
 常なれどうれしかりけり。
 
 山川に山がはの音、
 
 からまつにからまつのかぜ。

-------------------------------

木々の青葉の房が
早朝くらい中でも
うかびあがります。
とりわけ私は
くすのき科が。
「大好き」な「木」の
ひとつです。
ポプラも好きです。
イチョウもすきです。
けやきもすきです。
カエデもすきです。
もみじもすきです。
松もすきです。
杉もすきです。
からまつも好きです。

いまは
「春」です。

「春」になり。
裸木の。
木々の穂先は小さいけれども毛氈(もうせん)
のようにあざやかな萌黄色と緑です。

まるで。
大きな里山の森の冬のうねりのようです。
今年は木々のわかばの冬のめばえがとてもとても
鮮烈です。
「春」の芽はえも「鮮烈」なことと見守ります。
「春吹雪:はるふぶき」が。
若芽のうえを吹き抜けていきます。

街角の雑草も
春草に変貌して。

「春吹雪:はるふぶき」になり。
道端のくさばなは。
「遠慮がち」にながら堂々と一本の茎。

雑草も。
春草へと変貌しつつながらえています。
あたたかかう
ふかまる「春」をまつ。
「春」の野原の雑草です。

朝暗いうちは。
とてもはださむいです。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックには。
ふとい孟宗竹のたけやぶ
があります。
竹はせがたかいから。

クリニック館内からはすこし離れた所にある。
はなれていても。
とおくからもみえます。

木枯らしいてつく冬竹(ふゆたけ)の
笹葉は蒼くふるえたり
みどり葉笹葉にかぜはやみ
冬陽をうつすやうつろひの
竹の葉木枯らしはやいくとせ

春地にも空にも
春みどり葉ひらき
春みどり木冬空
春天高くひろがりけり
春ゆたかなりけり
春いふことのなし
春いふことがなし
春いふことはなし
春ゆたかなりけりはる

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

平成21年1月12日(月曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ限られた時間帯で。
診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年2月11日(水曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ限られた時間帯で。
診療を行います

はおわりました。
-------------------------------

平成21年3月20日(金曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ限られた時間帯で。
診療を行います

-------------------------------

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

-------------------------------

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。
インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がきます。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著であろうと推察されます。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」
であることを懸念しています。
そして気候の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表される。
ウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

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麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です。

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「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
季節の変わり目に「反復性上気道感染」に
なられるかたが多いです。

「世情は不安定」であり何かひとつ
生活しづらい日々を感じられる
かたも多いものです。。

人間は「倒れるまではたっています」。
人間は「冬・春」の旅に(度に)齢を重ねる。

昔の「数え年」は「たいした物」だと思います。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝。

「今日は何の日」は。

1909年から1922年まで。
セルゲイ・ディアギレフのロシア・バレエ団の
プリマ・バレリーナを務めた。
ニジンスキーとの共演で。
有名な「バレリーナ」。

ストラヴィンスキーの《火の鳥》の
世界初演で。
タイトルロールを演じた「バレリーナ」。
ロンドンに移り同地でバレエを教え指導書も執筆致。
1920年からイギリス王立舞踊アカデミーの設立に協力。

著名な門人たちのバレリーナの
マーゴット・フォンテーン(マーゴット・フォンテイン)ら
の有名な。

プリマ・「バレリーナ」。

1885年 - タマーラ・カルサヴィナ、バレリーナ(+ 1978年)
の生誕日です。

++++++++++++++++++++++

タマーラ・カルサヴィナ:
Тама?ра Плато?новна Карса?вина ,
ラテン文字表記:Tamara Platonova Karsavina Karsavina
1885年3月10日 - 1978年5月26日)は。

ロシアのバレリーナです。

舞踏家プラトン・カルサヴィンの娘です。

++++++++++++++++++++++

タマーラ・カルサヴィナ:
Тама?ра Плато?новна Карса?вина:
Tamara Platonova Karsavina
は。

帝室バレエ学校を卒業後マリインスキー劇場で
デビュー致しました。

1909年から1922年まで
セルゲイ・ディアギレフのロシア・バレエ団の
プリマ・バレリーナを務めました。

ニジンスキーとの共演で有名です。

++++++++++++++++++++++

タマーラ・カルサヴィナ:
Тама?ра Плато?новна Карса?вина:
Tamara Platonova Karsavina
は。

ストラヴィンスキーの《火の鳥》*の
世界初演でタイトルロールを演じました。

(初演は1910年6月25日にパリ・オペラ座にて、
ガブリエル・ピエルネの指揮により行われました。)

++++++++++++++++++++++

タマーラ・カルサヴィナ:
Тама?ра Плато?новна Карса?вина:
Tamara Platonova Karsavina
は。

1917年にイギリスの外交官
ヘンリー・ジェームズ・ブルースと結婚致しました。

ロンドンに移り同地でバレエを教え指導書も執筆致しました。

1920年からイギリス王立舞踊アカデミーの設立に協力致しました。

著名な門人にバレリーナの
マーゴット・フォンテーン
(マーゴット・フォンテイン)らがいます。

++++++++++++++++++++++


火の鳥1
(ひのとり、
仏語: L'Oiseau de Feu、露語: Жар-птица)
はイーゴリ・ストラヴィンスキーが作曲した。

ロシアの民話に基づく1幕2場のバレエ音楽です。

リムスキー=コルサコフに献呈されました。

オリジナルのバレエ音楽と。

3種類の組曲があります。

オーケストレーションが大幅に異なります。

組曲版では一部曲名が異なる部分もあります。

++++++++++++++++++++++

火の鳥2
(ひのとり、
仏語: L'Oiseau de Feu、露語: Жар-птица)

セルゲイ・ディアギレフの依頼によって作曲されました。

ディアギレフは1910年のシーズン向けの新作として。
この題材によるバレエの上演を思いつきました。

アナトーリ・リャードフに作曲を依頼したものの。
リャードフの性格もあって。
作品が出来上がることはありませんでした。

リャードフの態度に業を煮やしたディアギレフは。

一人の若手作曲家。
すなわちストラヴィンスキーのことを思い出しました。

ディアギレフは。
初期作『花火』初演に立ち会って以来の仲だった
ストラヴィンスキーに作曲を依頼した上で。

ミハイル・フォーキンにストラヴィンスキーと
相談しながら台本を作成するよう指示致しました。

フォーキンは指示通りに。
ストラヴィンスキーと相談しつつ台本を仕上げ
ました。

程なく
並行して作曲していたストラヴィンスキーも脱稿致しました。

依頼を受けてから半年あまりでした。

初演は1910年6月25日にパリ・オペラ座にて、
ガブリエル・ピエルネの指揮により行われました。

++++++++++++++++++++++

火の鳥3
(ひのとり、
仏語: L'Oiseau de Feu、露語: Жар-птица)

日本初演は。

舞台上演は1954年に小牧正英率いる
小牧バレエ団とノラ・ケイによります。

全曲の演奏会初演は1971年に
小澤征爾指揮の日本フィルハーモニー交響楽団です。

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タマーラ・カルサヴィナ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%8A

タマーラ・カルサヴィナ(Тама?ра Плато?новна Карса?вина ,ラテン文字表記:Tamara Platonova Karsavina 1885年3月10日 - 1978年5月26日)はロシアのバレリーナ。舞踏家プラトン・カルサヴィンの娘。帝室バレエ学校を卒業後、マリインスキー劇場でデビュー。1909年から1922年までセルゲイ・ディアギレフのロシア・バレエ団のプリマ・バレリーナを務める。ニジンスキーとの共演で有名。ストラヴィンスキーの《火の鳥》の世界初演でタイトルロールを演じた。

1917年にイギリスの外交官ヘンリー・ジェームズ・ブルースと結婚してロンドンに移り、同地でバレエを教え、指導書も執筆した。1920年からイギリス王立舞踊アカデミーの設立に協力した。著名な門人にバレリーナのマーゴット・フォンテーン(マーゴット・フォンテイン)ら。

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%8A" より作成

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++
火の鳥 (ストラヴィンスキー)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E3%81%AE%E9%B3%A5_(%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC)

火の鳥(ひのとり、仏語: L'Oiseau de Feu、露語: Жар-птица) はイーゴリ・ストラヴィンスキーが作曲した、ロシアの民話に基づく1幕2場のバレエ音楽。リムスキー=コルサコフに献呈された。

オリジナルのバレエ音楽と3種類の組曲があり、オーケストレーションが大幅に異なる。組曲版では一部曲名が異なる部分もある。

目次
1 概要
2 編成
3 1910年原典版(全曲版)
3.1 構成
4 組曲(1911年版)
4.1 構成
5 組曲(1919年版)
5.1 構成
6 組曲(1945年版)
6.1 構成
7 作曲者以外による編曲
8 関連項目

概要
セルゲイ・ディアギレフの依頼によって作曲された。ディアギレフは1910年のシーズン向けの新作として、この題材によるバレエの上演を思いつき、アナトーリ・リャードフに作曲を依頼したものの、リャードフの性格もあって作品が出来上がることはなかった。リャードフの態度に業を煮やしたディアギレフは、一人の若手作曲家、すなわちストラヴィンスキーのことを思い出した。ディアギレフは、初期作『花火』初演に立ち会って以来の仲だったストラヴィンスキーに作曲を依頼した上で、ミハイル・フォーキンにストラヴィンスキーと相談しながら台本を作成するよう指示した。フォーキンは指示通りストラヴィンスキーと相談しつつ台本を仕上げ、程なく、並行して作曲していたストラヴィンスキーも脱稿した。依頼を受けてから半年あまりであった。

初演は1910年6月25日にパリ・オペラ座にて、ガブリエル・ピエルネの指揮により行われた。

日本初演は、舞台上演は1954年に小牧正英率いる小牧バレエ団とノラ・ケイによる。全曲の演奏会初演は1971年に小澤征爾指揮の日本フィルハーモニー交響楽団。

編成
全曲版(1910年版)、組曲(1911年版)
基本的には同じだが、組曲では全曲版においてオーケストラピット外で演奏するバンダが省かれている。それでもなおオーケストラの規模はほぼ4管編成とかなり大きい。
組曲(1919年版)
一般的な二管編成になり、打楽器が減らされている。チェレスタは必須ではなく、「子守歌」のピアノパートに「またはチェレスタ」の注釈が添えられている。
組曲(1945年版)
編成は、現在出版されているスコアでは1919年版とほぼ同一である。相違点は、スネアドラムが追加されていることと、コーラングレソロをオーボエに置き換えていること、そしてピアノパートの一部の「またはチェレスタ」の注釈がない点だけである。ストラヴィンスキー自身が1959年にNHK交響楽団を指揮してこの版を演奏した際にはチェレスタを加えていた(この時のチェレスタは特別参加の黛敏郎が演奏した)。
編成は1919年版とほぼ同一とは言え、オーケストレーションが異なる箇所が散見される。特に「凶悪な踊り」は、1919年版の「魔王カスチェイの凶悪な踊り」に比べると金管楽器や打楽器が分厚くなっている部分が多い。

++「続きを読むです3」++++++++++++++++++

3月10日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/3%E6%9C%8810%E6%97%A5

できごと
紀元前241年 - ローマがカルタゴの艦隊を破り、第一次ポエニ戦争が終結。

266年(泰始2年1月17日) - 司馬炎が曹奐から皇位を簒奪し、魏が滅亡する。

1016年(長和5年1月29日) - 三条天皇が譲位し、第68代天皇・後一条天皇が即位。
藤原道長が摂政となる。

1559年(永禄2年2月2日) - 織田信長が上洛し足利義輝に謁見する。

1661年 - フランス国王ルイ14世、親政を宣言する。

1846年(弘化3年2月13日) - 孝明天皇が第121代天皇に即位。

1864年 - エイブラハム・リンカーン大統領、
ユリシーズ・グラント将軍を北軍最高司令官に任命。

1876年 - グラハム・ベルが電話による会話に成功。第一声は
「ワトソン君、ちょっとこっちに来てくれないか」

1902年 - ボーア戦争で、南アフリカのボーア人がイギリス軍に最終的に勝利し、
将軍を捕らえる。

1905年 - 日露戦争の奉天会戦で日本軍が勝利。

1910年 - 箕面有馬電気軌道(現在の阪急電鉄)、
梅田駅〜宝塚駅間と石橋駅〜箕面駅間が開業。

1945年 - 東京大空襲 。第1回平空襲(東京大空襲で余った焼夷弾を落としていった)。

1948年 - 民主・社会・国民協同の連立による芦田内閣成立。

1959年 - チベット蜂起。

1965年 - 気象庁が富士山山頂で気象レーダーを用いた観測を開始。

1974年 - ルバング島で小野田寛郎少尉を救出。

1975年 - 山陽新幹線の岡山駅〜博多駅間が開業。それに伴って大規模ダイヤ改正実施。

1997年 - フジテレビがお台場へ移転し、開業。

2001年 - 東京スタジアム(現・味の素スタジアム)開業

2005年 - 島根県議会は、2月22日を「竹島の日」とする条例案を可決した。

誕生日
1522年(大永2年2月13日) - 三好長慶、戦国大名(+ 1564年)

1452年 - フェルナンド2世、アラゴン国王(+ 1516年)

1844年 - パブロ・デ・サラサーテ、作曲家(+ 1908年)

1858年(安政5年1月25日) - 御木本幸吉、真珠養殖法を開発(+ 1954年)

1870年(明治3年2月9日) - 中馬庚、教育者(+ 1932年)

1885年 - タマーラ・カルサヴィナ、バレリーナ(+ 1978年)

1890年 - 中村岳陵、日本画家(+ 1969年)

1892年 - アルチュール・オネゲル、作曲家・フランス6人組の一人(+ 1955年)

1902年 - 久邇邦久、日本の華族・陸軍軍人(+ 1935年)

1903年 - ビックス・バイダーベック、ジャズコルネット奏者(+ 1931年)

1907年 - 石井桃子、児童文学作家(+ 2008年)

1915年 - チャールズ・グローヴズ、指揮者(+ 1992年)

1920年 - ボリス・ヴィアン、作家・詩人(+ 1959年)

1922年 - 山下清、画家(+ 1971年)

1923年 - ヘイダル・アリエフ、アゼルバイジャン大統領(+ 2003年)

1928年 - 渥美清、俳優(+ 1996年)

1934年 - 藤子不二雄A(安孫子素雄)、漫画家

1934年 - フー・ツォン、ピアニスト

1937年 - ピンヨー・スワンキリ、建築家

1938年 - 古今亭志ん朝(三代目)、落語家・俳優(+2001年)

1938年 - 月亭可朝、落語家・タレント

1940年 - 大空眞弓、女優

1940年 - 足立光宏、元プロ野球選手

1941年 - 徳光和夫、アナウンサー(元日本テレビ)(戸籍上、実際は3月3日)

1943年 - 道上洋三、朝日放送エグゼクティブアナウンサー・ラジオパーソナリティ

1946年 - 高橋博士、元プロ野球選手

1947年 - ツトム・ヤマシタ、打楽器奏者

1948年 - 岡村定矩、天文学者

1948年 - 大原和男、元プロ野球選手
1956年 - 北村晴男、弁護士
1956年 - ランディ・ジョンソン、元プロ野球選手
1957年 - ウサマ・ビンラディン、アルカーイダ指導者
1957年 - 鹿取義隆、元プロ野球選手
1958年 - シャロン・ストーン、女優
1959年 - 桶谷顕、脚本家(+ 2007年)
1960年 - 熊谷真実、女優
1961年 - マイク・バークベック、元プロ野球選手
1962年 - 道蔦岳史、クイズ王・放送作家
1962年 - 松田聖子、歌手
1962年 - 本田恵子、漫画家
1962年 - 多田野曜平、俳優、声優
1963年 - 藤谷美和子、女優
1963年 - 坂口千仙、元プロ野球選手
1966年 - 植草朋樹、テレビ東京アナウンサー
1967年 - 鈴木大地、競泳選手(ソウルオリンピック金メダリスト)、順天堂大学講師
1970年 - 鈴木平、元プロ野球選手
1971年 - 博多大吉、お笑いタレント
1971年 - つぶやきシロー、お笑いタレント
1971年 - 藤崎竜、漫画家
1972年 - 藤井隆、お笑いタレント
1972年 - ロブ・スタニファー、元プロ野球選手
1973年 - エヴァ・ハーツィゴヴァ、スーパーモデル、女優
1974年 - 小林敦、バレーボール選手
1975年 - 山田花子、お笑いタレント
1977年 - アンバーシャダイ、競走馬(+2007年)
1978年 - 内田滋、俳優
1979年 - 魔裟斗、キックボクサー
1980年 - 広瀬仁美、元女優
1981年 - 黒海太、大相撲力士
1981年 - 杉浦太陽、俳優
1982年 - 大坂孝之介、ミュージシャン・作曲家
1982年 - 高橋光臣、俳優
1982年 - 小山田真、ハリウッド俳優
1982年 - ダニイル・バランツェフ、フィギュアスケート選手
1983年 - ソニン、歌手
1983年 - 村岡綾佳、タレント
1983年 - 大河内雅子、声優
1984年 - 小塚つかさ、タレント
1984年 - 川奈栞、グラビアアイドル
1986年 - 野田李沙、ファッションモデル
1988年 - 織田菜月、アイドル
1988年 - イヴァン・ラキティッチ、サッカー選手
1989年 - 冨田真央、ジャニーズJr.
1989年 - ダヤン・ビシエド、野球選手
1990年 - ビワハヤヒデ、元競走馬、種牡馬
1993年 - 篠原愛実、子役タレント
1996年 - チョ・ジョンウン、子役タレント
生年不詳 - 中島千里、声優
生年不詳 - 相橋愛子、声優

忌日
483年 - シンプリキウス、第47代ローマ教皇

1792年 - ビュート伯ジョン・スチュアート、イギリス首相(* 1713年)

1823年 - ジョージ・エルフィンストーン、イギリス海軍の提督(* 1746年)

1826年 - ジョアン6世、ポルトガル王(* 1767年)

1832年 - ムツィオ・クレメンティ、作曲家(* 1752年)

1847年 - チャールズ・ハチェット、化学者(* 1765年)

1855年 - カルロス・マリア・イシドロ・デ・ボルボーン、
スペインの王位請求者(* 1788年)

1861年 - タラス・シェフチェンコ、詩人(* 1814年)

1864年 - マクシミリアン2世、バイエルン王(* 1811年)

1870年 - イグナーツ・モシェレス、作曲家(* 1794年)

1872年 - ジュゼッペ・マッツィーニ、革命家(* 1805年)

1887年 - 井上井月、俳人(* 1822年?)

1898年 - グイド・フルベッキ、キリスト教宣教師(* 1830年)

1903年 - ソフィー・アンダーソン、画家(* 1823年)

1910年 - カルル・ライネッケ、作曲家・指揮者(* 1824年)

1910年 - カール・ルエーガー、ウィーン市長(* 1844年)

1916年 - ウォルター・S・サットン、生物学者・医学者(* 1877年)

1918年 - ジム・マコーミック、メジャーリーグベースボール選手(* 1856年)

1920年 - 岩谷松平、実業家(* 1850年?)

1925年 - マイヤー・プリンスタイン、陸上競技選手(* 1878年)

1930年 - 金子みすゞ、童謡詩人(* 1903年)

1934年 - 武藤山治、実業家(* 1867年)

1937年 - エヴゲーニイ・ザミャーチン、小説家(* 1884年)

1939年 - 山本懸蔵、労働運動家・戦前期の日本共産党党員(* 1895年)

1945年 - 河井?廬、篆刻家(* 1871年)

1945年 - 古屋慶隆、政治家(* 1879年)

1945年 - 太田仲三郎、実業家(* 1887年)

1945年 - 琴ヶ浦善治郎、大相撲の力士(* 1890年)

1945年 - 吉村操、映画監督(* 1905年)

1945年 - 豊嶌雅男、大相撲の力士・関脇(* 1919年)

1945年 - 枩浦潟達也、大相撲の力士・小結(* 1915年)

1948年 - エヴゲニー・スルツキー、経済学者(* 1880年)

1948年 - ヤン・マサリク、チェコスロヴァキア外相(* 1886年)

1951年 - 幣原喜重郎、日本の第44代内閣総理大臣、第40代衆議院議長(* 1872年)

1953年 - 峠三吉、詩人(* 1917年)

1960年 - 石黒忠篤、元農林大臣・農商大臣(* 1884年)

1960年 - 瑛九、画家・版画家・写真家(* 1911年)

1963年 - 清元榮寿郎、清元節三味線方(* 1904年)

1969年 - ジミー・ワイルド、プロボクサー(* 1892年)

1971年 - 土井虎賀寿、哲学者(* 1902年)

1978年 - 長谷川才次、時事通信社初代代表取締役(* 1903年)

1982年 - 代田稔、医学博士、ヤクルト開発者(* 1899年)

1992年 - 赤羽根藤一郎、版画家(* 1922年)

1985年 - イスラエル・リガルディ、魔術師(* 1907年)

1985年 - コンスタンティン・チェルネンコ、ソ連共産党書記長(* 1911年)

1985年 - ボブ・ニーマン、元プロ野球選手(* 1927年)

1995年 - 相沢治夫、俳優(* 1923年)

1997年 - 萬屋錦之介、俳優(* 1932年)

1998年 - ロイド・ブリッジス、俳優(* 1913年)

1998年 - 剣晃敏志、大相撲の力士・元小結(* 1967年)

2005年 - 照屋林助、音楽家(* 1929年)

2005年 - 星ルイス、漫才師(* 1947年)

2005年 - 赤羽根義章、国語学者(* 1958年)

2005年 - ケント・ハドリ、元プロ野球選手(* 1934年)

2006年 - アンナ・モッフォ、ソプラノ歌手

2007年 - 時実新子、川柳作家(* 1929年)

記念日・年中行事

陸軍記念日(日本、1906年 - 1945年)

東京都平和の日(東京大空襲記念日、日本)

水戸の日(日本)

ミントの日(日本)

佐渡の日

砂糖の日

横浜三塔の日

チベット民族蜂起の日