東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年3月12日(木曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年3月12日(木曜日)

やっと。

「春」の「3月」

になりました。

まばゆいほど。

うれしい。

「春」の陽射しです。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

「春」になりました。

今年も春がきました。

「春」がきて。

今は。

「春」はふうせんのように

ひろがる季節です。

ひなまつりがおわり。

たんぽぽが咲き。すみれが咲き。
おたまじゃくしが泳ぎ。

「春」は「川の水音」が。

「せせらぎ」の。

「ながれのおと」

としてきこえるようになりました。

「春」の小川。

なるほどと。

とても感銘致します。

春分の日もすぎれば。
「さくら」咲きはじめ
「さくら」がおわり。
「4月」が終われば。
「5月」になり。
「5月」もおわれば。
6月に。「夏」になり。
6月も終われば。
7月 たなばた。
7月 もおわれば。
せみのなく8月。
8月の夏はすぎれば。
9月の秋になり秋の虫が鳴く。
そして9月がおわり。
中秋10月なり紅葉の季節。
そして10月がおわり。
「11月」になり。
晩秋「11月」もおわり12月の「冬」。
「12月」になればまた「年」があけ。
また「初春」がくる。

そして来年も「春」の「3月」がくる。

「はつはる」の「3月」です。
「晩冬」の冬はおわりました。

「雪国の冬」はおわりました。

そして「12月」の冬至を。

すぎて「陽」はもうすでに

日々たかくなりつつあります。

「春」がきてそして「夏」に向かうのです。

「春」です。

「昨年」12月の冬至は

おわりました。

陽は日々たかくなっている。

とてもよくわかります。

朝陽ののぼるのが早くなりました。

夕陽がおりるのは遅くなりました。

朝の「春」の陽射しは窓越しにも「まばゆい」

くらいです。

夕暮れの「春」の陽射しは「きかんぼう」

の「やんちゃぼうず」のようです。

おちつきません。

まことに。

冬来たりなば春遠からじ。

ふゆきたりなば

はるとおからじ

(出 典は。

 イギリスの詩人シェリーの

『西風に寄せる歌』の一節。

英 語の原文: 

If winter comes,

can spring be far behind? )

「秋」から「冬」への

移り変わりは

二階から「かけあし」の足音のきこえるような。

怒涛のごとき「はやさ」でした。

「かけあし」10人分

のようでした。

「9月」の初秋がおわり。
「名月中秋10月もおわり」ました。
「11月」。

「11月」もおわりました。
「12月」もおわりました。
「新年」「初春」の「1月」もおわり。
今は
「2月」「晩冬」もおわりました。

「晩秋」から「冬」への移り変わりは
「かけあし」のようにうつろいました。

一方
「春」はゆっくりと。

ゆっくりと。

ゆっくりと。あるいてきます。

だから。

「春」をまつのであれば。

「春」がゆっくりと。

歩いてくるのをまたなければ。

なりません。

もう「春」ですね。

「冬」はかけあしでやってくる。

「春」はゆっくりと歩いてやってくる。

さきのことすぎるかもしれないが「来年」。

このように「時」のうつろいを

心はせれば。

考えると「おそろしいもの」です。

考えなければ。
「なおおおそろしい」
ものであるものかもしれない。

「考えずにいるつけ」がまわって
くるからかもしれません。

「来年」のことを考えれば「鬼」が笑う。
「来年」のことを考えずにすむのであれば「鬼」は
笑わないのでしょう。
「鬼」とはなんだろう。

今日の深夜早朝03:15amには。

久方ぶりに。

大きな「春」の「星空」がみえました。

早朝くらいうちは。

空に月。

「お月様」が「「冬」雲のじゅうたん」

天高くにねそべって。

かさををさしている

ようです。

「春」の「夜空」は「おぼろ月夜」です。

06:00amころ日があければ。
まだまだくらい朝日を背に。
西のコバルトの空高く明るい。
とても高い成層圏近くの高い高度に。

西のコバルトの空高に。
「刷毛」でひいたように「絹雲(けんうん)」が
何本も何本も。
描かれて。
たなびいていました。

実に見事な筆捌(ふでさばき)です。
ためらいのない「朝焼け」
「春」の「朝焼け色」の線描です。

「春」の朝。

「陽射し」ののぼるころは。

「西」の空

のほうが明るいのです。

朝が明けて午前になれば。

まばゆいほどの。

「春」のひざしが。

東から窓のカーテンと。

木々の合間をぬって。

「何かをさそう」がごとく。

よびかけてくるようです。

高い成層圏近くの高い高度に。
「刷毛でひいたように」「絹雲(けんうん)」
の端には渦巻きのような「ぬけあな」があり
「さらなる遠方の青空」が透けてみえます。

さながらにして。
東山魁夷画伯の描かれた大きな壁画。
大きな屏風絵の世界。

東山魁夷画伯の描かれた大きな絵画を
彷彿とさせますです。

東山魁夷画伯。
「よくえがかけた画伯です」。

この「あおぞら」をみていると。

とても

信じられないくらいに。

元気がわいてくることに気が付きました。

「太陽」の「陽射し」。

「陽射し」の「めぐみ」はなんと

ありがたいことだろう。

「そら一杯の青空の天井(てんじょう)」と。

「太陽のひかりのひざし」は。

「生きとし生けるもの」にとって。

なによりもの。

まことの。

「ごほうび」であり。

「よろこび」。

「太陽のひかりのひざし」は

「いのちへのめぐみ」。
「いのちのよろこび」。

ありとあらゆる「生命」「いのち」をはぐくみ。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をたたえる。
「生きとし生けるもの」の「いのち」に。
さらなる「はるかかなた」までの。
「いきるちから」をさずけるものです。
「太陽」。
ありがたいものです。

はやいものです。
ときのたつのは。
はやいものです。

そしてふと考えれば

去年も
「12か月」が
終わりました。

中秋から晩秋にうつろい。
いまや
「寒月」の「12月」がおわり。
新年の「1月」がおわり。
「晩冬」の「2月」がおわり。

「春」です。

病院の庭園に「何本」もある
「春の花」の大木が。
いずれもが紅白の花を

緑野に見え隠れする蓮華草
のように
みのらせています。

「春の花」は。
「はつはな」で初々しいたです。
けれども。
「春の花」は。

は雨に打たれると。
花は地面に紅白の毛氈(もうせん)
のように落花してしまいます。

くれない色としろ色の雪のようです。

「春の花」の花の花びら。

ひろって。
手のひらにかかげれば。
「春の花」の花のかおりは。
プラチナ色の香りが
致しました。

今は。
「春の花」が。
蕾をふくらませています。
「春の花」の。

はながは鐘(ベル)のように。
ふくらんでいます。

「春」の花の「はなびら」が
闇夜のあいだに。

今朝の早朝まだ「花」にもきがつかぬうちに
また地に舞い下りていました。

「春の花」の花ひとつさいて
夜の「春吹雪:はるふぶき」でちったようです。

みつめれば。
「春吹雪:はるふぶき」
に弓射られた白鷺(しらさぎ)
のはねが舞っているようでした。

寒い「春」も。
「昆虫」の少ない時期に。
「春の花」は。
は花をさかせ
どのように授粉して「実る」のだろう。

「春の花」の花ひとつさいて
夜の「春吹雪:はるふぶき」でちる。
「春の花」も。

「花」はすぐに
落下する。
このあたりに。

「春の花」

には。

ひとのよの。

「人生」の。

「解答」があるような

気が致します。

ふと野の花は。

一般的には。

香らない花が。

多いことに気づきました。

伊藤左千夫の「野菊の墓」の「野菊」は。
矢車菊 (やぐるまぎく)
はとても綺麗なむらさきの「のぎく」です。
けれども「のぎく」は香りません。
(Corn lower, Bachelor's-button)です。

因みに
最高級の(今はもうとれない)
インド・カシミール地方で産出されたの
サフアイアの色は

「矢車菊色:やぐるまそう色」といわれます。

「カシミール・ヴァイオレット」。

麦畑やとうもろこし畑の中に 咲いていたことから。
「コーン・フラワー」=「野菊」(Corn lower)
です。

別名 「矢車草(やぐるまそう)」
といわれることがあります。

実は「矢車菊 (やぐるまぎく)」と
「矢車草(やぐるまそう)」まったく違う植物です。
矢車菊 (やぐるまぎく)が「野菊」。
「矢車草(やぐるまそう)」は「高山植物」。

「野菊」は春から夏にかけて咲くむらさきの花です。

古代エジプトのツタンカーメン王の墓 からも
発見された由緒正しき「野菊」。
色は紫。むらさきです。

ツタンカーメン王の。

まだ幼な子王妃が。

「亡きツタンカーメンンに野菊の花束ささげるけなげな姿」
が鮮烈に眼に浮かびます。

この「花」が。

「野菊」です。

「野菊の墓」の「野菊」。

けれども。

「野菊」は

香らない。

毎朝暗い早朝と。

うす暗くなる午後4時ころには。

「春吹雪:はるふぶき」が

ふいている。

「春吹雪:はるふぶき」がかわりばんこに。

あちこちで

「ろうろう」「こうこう」とないています。

「春かぜ」の
「春吹雪:はるふぶき」
の「コーラス」を聞いていると。

ふと。

「この「春」におびえるひと」の気配が
脳裏をはしりました。
はてだれだろう。

うら若き乙女。
苦労に苦労をかさねて。
苦しんで苦しんだあげくに。
24歳にして世を去った
「樋口一葉」。

樋口一葉の
「うらわかき」「「冬」と「春」の短歌」がきこえるようです。

散たまるふもとの落葉わけて思ふ
埋もれぬべきは雪の山里

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ
うもれぬへきはゆきのやまさと

庭の面につもる紅葉の色見れば
散りての後もにしきなりけり

にわのおもにつもるもみしのいろみれば
ちりてのあともにしきなりけり

世の中の秋にあはじとおくれけん
一もと野ぎく思ひあがりて

よのなかにあきにあはしとおくれけん
ひともとのきくおもひあがりて

折々に散るものどけし春雨の
はれたる軒の山桜ばな

おりおりにちるものどけしはるさめの
はれたるのきのやまさくらばな

わが園のものとおもへば初わかな
はつかなれども嬉しかりけり

わがそののものとおもへばはつわかな
はつかなれどもうれしかりけり

立ち渡る霞をみれば足引きの
山にも野にも春は来にけむ

たちわたるかすみをみれはあしひきの
やまにものにもはるはきにけむ

わたつ海の波のいづこに立ち初て
果なくつゝむ春の霞ぞ

わたつみのなみのいづこにたちそめて
はてなくつつむはるのかすみぞ

さざ波やしがの都のいにしへの
おもかげうすく立つ霞かな

ささなみやしかのみやこのいにしえの
おもかけうすくたつかすみかな

鶯のけさおとづるゝ声聞て
はじめて春の心地こそすれ

うくいすのけさおとつるるこへききて
はしめてはるのここちこそすれ

うれしくもわがものにして聞てけり
このあかつきの鶯の声

うれしきもわかものにしてきこへけり
このあかつきのうくいすのこへ

のどかなるけさの雨にやはるの野の
みどりも色まさるらむ

のとかなるけさのあめにや
はるののの
みとりのいろもまさるらむ

おくれたる友の為にとしをりして
谷間の蕨折り残しけり

おくれたるとものためにとしをりして
たのまのわらひおりのこしけり

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ

うもれぬへきはゆきのやまさと

にわのおもにつもるもみしのいろみれば

ちりてのあともにしきなりけり

よのなかにあきにあはしとおくれけん

ひともとのきくおもひあがりて

-------------------------------

おりおりにちるものどけしはるさめの

はれたるのきのやまさくらばな

わがそののものとおもへばはつわかな

はつかなれともうれしかりけり

たちわたるかすみをみれはあしひきの

やまにものにもはるはきにけむ

わたつみのなみのいづこにたちそめて

はてなくつつむはるのかすみぞ

ささなみやしかのみやこのいにしえの

おもかけうすくたつかすみかな

うくいすのけさおとつるるこへききて

はしめてはるのここちこそすれ

うれしきもわかものにしてきこへけり

このあかつきのうくいすのこへ

のとかなるけさのあめにや

はるののの

みとりのいろもまさるらむ

おくれたるとものためにとしをりして

たのまのわらひおりのこしけり

「24歳」の「とても貧しい乙女」の。

「春」によろこび。

「春」におびえおののく。

かなしさの「おもかげ」と。

光さし輝きはずむ。

いまだお若い「御婦人」の「知」が。

「ひしひし」とよみとれます。

「冬至」はすでにすぎました

これからは日は。
陽は次第にながくなる。
日が長くなる。
朝は明けるのは早くなり。
夕に暗くなるのは遅くなる。

しだいに陽がながくなる。
なぜか。
不思議なやさしさ。
やすらぎと。
心やすらかなる
安堵感をかんじます。

心やすらかなる
安堵感をかんじます。

けれども。
「安堵」と「落胆」は。
常に表裏一体。
両羽(もろば)の剣。

「ぬかよろこび」の「ぬか」のような
ものです。

「ながくなる陽」も両羽(もろば)の剣を
持っています。

そして。
季節には「大気の音色(ねいろ)」もあるようです。

朝空は
陽ははるかに天高く。
空色はミルク色です。
クリームのかかった雲空です。

東京都世田谷区山本クリニックの庭園には

「えどむらさき」という「つつじ」
が「何本」もはえています。
野生種に近いものです。
大きな真紅紫の花を咲かせます。

「つつじ」ですから
盆栽の「皐月:さつき」のような
繊細さはみえません。

「やぶつばき」の大木が4本と山茶花(さざんか)が4本
あります。

「初春」をつたえるがごとく。
「においつばき」の木が
「香り花」が開花致しました。

「山茶花(さざんか)」と「やぶつばき」が
蕾を大きくしています。

山茶花(さざんか)も「やぶつばき」も私は「大好き」
な花木です。

「花」はみえない頃からもう
「においつばき」
は「香っています」。
「やぶつばき」は冬にも若葉をだします。
「やぶつばき」は「荒い木」
です。
けれども「生き様」は。
樹木として
とてもとても麗しいと思います。
ある意味では威風堂々です。

「山茶花(さざんか)」は
のんびりやの気がする。

山茶花(さざんか)の「花」はさいたまま
「花がさいた」を忘れたかのように
ぼんやりと木にのっている。
いつ花が散るのだろう。
ふと考えるまえにちります。

考えれば山茶花(さざんか)の蕾が
思い出せない。
ひらけばちるからかしら。
花の咲く存在感のない植物は
「山茶花(さざんか)」です。
うすぼんやりした花木です。
水墨画の主人公にはなりえない。

この「3月」になり。
森山を分け入ると。

木々の根元に隠れ咲く。
だいだい色の花の花のごとくに紅葉したまま
しもがれする
「やまはぜの葉木」が「大好き」です。

「やまうるしの紅葉」もかわいらしく。
「大好き」です。

身の丈以上ほどにもなって群生する。
野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
が。
病院の林の一角に野生のまま
おいしげっています。

野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
のパープルの真珠が群れたように実る
「実りの木の実」の風にそよぐ音色には。
おどろかされます。

あけびつたもうれしい。
あけびの「実」がみつかればなおなおうれしい。

またたびをみつけました。
根元にねこにかじられきずがある。

里山の冬の時期から。
そして初春の里山の季節
になりました。

四季の歩みの春夏秋冬のうつろいは
メトロノームの「あゆみ」を
感じさせます。

この「あゆみ」の「質量」は
とてもとても高いです。
質量があれば。あたかも。
重力のように。
四季のリズムにひきよせられていく。
そのような感じがします。

四季の歩みの春夏秋冬は。
フアジーでいてなお着々。
確実な「リズム」を感じます。

ここに。
「メロディ:旋律」とハーモニー:和声」
がくわわれば「音楽の三要素」。
音楽と同じです。

草花や草木につつまれた自然は。
「音楽」と同じように
ひびきとして聴こえます。

自然は
「しぜん」の
「ヴィルトオーゾ」と
「ヴィルトゥオーサ(virtuosa)」
*です。

この「自然のフイルハーモニウム」の。
指揮者は。
太陽なのか大地なのか人なのか。

或は音色をかもし出す自然はオーケストラ
であるのか。
ソリストなのだろうか。

私の尊敬する「合衆国USA」の
女性で小説家(「ノーベル賞受賞者」)
「パール・サイデンストリッカー・バック
(Pearl Sydenstricker Buck)
中国名、賽珍珠(サィ・チンシュ)」
パールバックの「大地」に
その「こたえ」が示唆されています。

古代より芸術家が
自然を音楽や絵画や彫刻
で表現しようとした気持ちが良く判ります。

*ヴィルトゥオーソ(virtuoso)は、
「博識、達人」を意味するイタリア語の男性名詞である。
複数形の場合はヴィルトゥオーシ(virtuosi)
、女性形はヴィルトゥオーサ(virtuosa)となる。
ラテン語のvirtus(「男らしさ」「美徳」「至高」の意)を語源とし、元来は「有徳の」「誉められるべき」
を意味する形容詞の男性形であった。

実際の楽曲ではこの三要素は。
密接に音楽的に結びつきひとつの楽曲をなします。

但し音楽の「リズム・メロディ・ハーモニー」は
一つだけを明確に取り出せる「成分」というわけ
ではありません。

また「音楽であるため」に。
三要素が絶対必要ということ
でもないでしょう。

邦楽などではリズム・ハーモニーは
存在しないか希薄である事が多いです。
「音楽」として「欠陥」があるわけ
ではありません。

「リズム・メロディ・ハーモニー」
が西洋音楽の常識ではありえないほど
高度な進化を遂げた音楽も存在致します。

邦楽もその一つです。

大和の国 やまとのくにの自然は。
「大和の国の音楽」と同じように思えます。
聴こえます。

「音楽」は「音」「おと」です。
そして「しらべ」=メロディとハーモニーです。
人類が「この音楽」を「楽譜」として
「寸分たがわず」「譜面」という名の「紙」に
「かくことを完成させた」ということは
大変なことです。

人間は。
人類は。
わずか「400年」で。

「音楽の旋律」に対する「楽譜」を。
「あらたな言語」を
完全に「完成」させたことになります。

まさにミューズの神の「神業かみわざ」です。

木々のめぶきの
冬なおも。
ますます力強い息吹を感じます。

「真夏」をすぎ「冬」になると。
再び「若葉」がみられることに。
きづきました。
「ため息」がでるほど木々の「冬若葉」の
「つどい」は「つよく」「うつくしい」。
雪の上のみどり。

木々のてっぺんは萌黄色から
「ふかみどり」
になりました。
そして「しっかりと樹木として
「冬を迎えた葉束」になりました。
これからは
「深まる冬」がすぎさり「春」。
「開花」の炎が。
樹木の上方で。
「雪の到来」を.
くすぶりてまちわびてています。
たえしのぶ冬の樹木です。

「若葉」の「新緑」から「深緑」です。

高い木々の穂先は萌黄から若草色に。
うねるなみのように。
木々の新緑は常緑となり冬のおとずれを
伝えていました。

桜は葉桜から「葉木」
道路沿いの「けやき」の木々も
萌黄から若葉。
そして青葉。
どうもうともいえる青葉。
そして見え隠れする「紅葉葉」。
紅葉葉の10枚20枚がひとつひとつ
の樹木にみえるようになりました。
「黄色調」です。
そして今「樹木」は「葉のいろ」をかえ
「宙」に舞おうとしています。
今現在は冬。
はだか木です

明らかなる。
「冬から春」とはことなる。
「夏から秋」。
「秋から冬」
そして「冬」の「木枯らし」。

木々の四季の。
大気の「色」のうつろい
に気づきます。

今は里山(さとやま)をさまよい。
今は里山(さとやま)をあるきたい。
今は里山(さとやま)の季節。
今は昔々里山(さとやま)であそび。
今は昔々て里山(さとやま)でおぼえ。
今は昔々里山(さとやま)でまなんだ。
今は昔々のその日々の思い出は。
今は黄金(こがね)か。あるいは。
今は銀か。いぶし銀か。
今はもしかしたらプラチナか。
今は思い出色は鉛のように。
今は重さは鉛のようになり。
今は心の奥深くに埋もれて感じられます。

「幸せ色」=「しあわせいろ」

ならばよいです。

けれども
早朝は非常にあたたかくなりました。

春やま中さまよいて
春やま中をわけいらば
春やま中大樹の根元に隠れたり
春やま中あけぼの色のちひさき炎(ほのほ)
春やま中みつけたりやまの秋の華。
春やま中やまの秋葉木のかくれんぼ
春やま中大樹の根元に隠れたり
春山はぜの葉木。
春やま中やまうるしの葉木。
春やま中あきやまはぜとふるやまうるし。
春こす「はだか木」。
春こす元気な木。たくましき木。

春山萩(やまはぎ)の
春花をかくして燃えたたむ
春に実りの祭りなり
春山はぜの葉炎
春天高く燃ゆ

はるやまはぎの
はるはなをかくしてもえたたむ
はるにみのりのまつりなり
はるやまはせのほのほ
はるてんたかくもゆ

はるひろくなりけり空(そら)たかし
はるさとやまに木々のみどり木
はるこもれびうけて燃えるがごとし
はるみどりの炎(ほのほ)
はるほのほうちけさむかすみはあおし
はるほのほにかすみにただよひて
はるうるわしくかがやきたり
はるあたたかくかおりたり
はるあざやかなりけり 
はるやまさとのやまみどり
はるやまさとのふかみどり

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
は「英国:United Kingdom UK」の
「風景画家」
天才画家ですが「緑」が大嫌い
で「黄色」が「大好き」。
「木」をかくのを非常にいやがったそうです。

多分ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
が「修行時代」に「お金にために
「どこの国も同じですが」
「名所絵」をかかされたときの
「反動」ではないかと
今の私は考えます。

「大きな夏みつけた」
から
「夏がすぎてて真秋間近い」

「小さな秋みつけた・。」

そして
「小さな冬みつけた」
そして
「大きな冬みつけた」。

「小さい春」がみつかって。

「春」になりました。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

+++++++++++++++++++++

平成21年01月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年2月11日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年3月20日(金曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

++++++++++++++++++++++

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

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★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらず
インフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。

「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。

ヴェルサイユ宮殿の。

「庭」の作者で知られる。

「フランス式庭園」という概念を確立し。

「フランス式庭園」は。

「平面幾何学式庭園」とも呼ばれ。

ひいては

フランス「建築工学」にまで大きな影響を与えるに

到ったフランスの「庭師」

「庭園の帝王」

1613年 - アンドレ・ル・ノートル、造園家(+ 1700年)
の生誕日です。

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アンドレ・ル・ノートルアンドレ・ル・ノートル:
Andre Le Notre、
1613年3月12日 - 1700年9月15日)は
フランスの造園家として極めて有名です。

パリのテュイルリー庭園、
ヴォー=ル=ヴィコント城の庭園、
ヴェルサイユ宮殿の庭園などを設計
致しました。

フランス式庭園の様式を完成させました。

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アンドレ・ル・ノートルアンドレ・ル・ノートル:
Andre Le Notreによる
「フランス式庭園」の成立

「フランス式庭園」は「平面幾何学式庭園」とも
呼称されます。

アンドレ・ル・ノートルアンドレ・ル・ノートル:
Andre Le Notre
の「フランス式庭園」は「イタリア式庭園」
の流れをひいています。

「イタリア式庭園」は。
ヨーロッパ各国に大きな刺激を与え。
そのボキャブラリーがアルプスの北方へと
輸出されました。

やがてそのなかから。

フランスに新しい様式フランス式庭園
への動きがあらわれ始めたのです。

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アンドレ・ル・ノートルアンドレ・ル・ノートル:
Andre Le Notre
と「フランス式庭園」

まず宮廷造園家の家系に生まれたモレは。
16世紀後半に刺斥文様を生垣に写しとったような
刺斥花壇を開発致しました。

そして
さらに17世紀にいたり。

アンドレ・ル・ノートルアンドレ・ル・ノートル:
Andre Le Notre
は。

ブルボン朝の栄華にふさわしい
壮大な様式を完成させ「フランス式庭園」
として開花いたしました。

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アンドレ・ル・ノートルアンドレ・ル・ノートル:
Andre Le Notre
は。

ル・ノートルは
ボスケ(叢林)で庭園の主部を限りとりました。

そこに刺斥花壇、大噴泉などを整然と配して
無限へと延びる見通し線を造りだしました。

とくにこのために彼が活用したのは。

カナール(水路)でした。

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アンドレ・ル・ノートルアンドレ・ル・ノートル:
Andre Le Notre
の。

出世作はマザランのもとで大蔵縁をつとめた
フーケの城館であるヴォー=ル=ヴィコントの庭園でした。
それは南北1.2キロメートル、
東西0.6キロメートルの広さをもっていました。

この庭がルイ14世の目にとまりました。
アンドレ・ル・ノートルアンドレ・ル・ノートル:
Andre Le Notre
は。
有名なヴェルサイユ宮殿の庭を。
デザインすることになりました。

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アンドレ・ル・ノートルアンドレ・ル・ノートル:
Andre Le Notre
の作品

ル・ノートルの関与した作品は。

パリ周辺にたくさん残っています。

シャンティイ、ソー公園、サン・クルーなどがおもなものです。

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アンドレ・ル・ノートルアンドレ・ル・ノートル:
Andre Le Notre
の「フランス式庭園」と「平面幾何学式庭園」

面幾何学式庭園(へいめんきかがくしきていえん)は。

西洋式庭園の作庭技法の一つです。

アンドレ・ル・ノートルアンドレ・ル・ノートル:
Andre Le Notre
により確立されたものです。

イタリア式庭園と異なり。

主として平地に営まれ。
幾何学的構成をもつ庭園に強い軸線を導入していることが。
特徴です。

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「フランス式庭園」と「平面幾何学式庭園」

17世紀末フランスの宮苑造園家
アンドレ・ル・ノートルアンドレ・ル・ノートル:Andre Le Notre
によって確立された「フランス式庭園」。

フランスの宮殿建築と造園に革命をもたらした3人の大家として。

ノートルのほか。
フランソワ・マンサールと。
その甥の息子の。
ジュール・ハルドゥアン・マンサールがあげられます。

アンドレ・ル・ノートルは。
宮廷庭師ジャン・ル・ノートルの息子で、

マリー・ド・メディシスが。
リュクサンブール宮殿の庭を造らせた
造園家の一人であったのです。

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アンドレ・ル・ノートルアンドレ・ル・ノートル:
Andre Le Notre
により確立された「フランス式庭園」「平面幾何学式庭園」
は。

この庭園様式は、
その後ヨーロッパ全土に広がりました。

彼は「王者の庭師」、
「庭園の王」とまで呼ばれるようになりました。

イタリアで生まれたイタリア式庭園(露壇式庭園)の。

用いられている樹木の列植や花壇の幾何学的な構成に、
強い軸線の導入、毛氈花壇やボスケ、トレリスなどが
考案されました。

野菜は姿を消し。
丈の低い花やこれとよき対照をなす
観葉植物がそれに替わりました。

よく用いられる図案は、
方形のなかに仕込まれた4つのアラベスク、
または刺繍文様の組合わせであり。
そして。
その中央には池が配置されました。

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アンドレ・ル・ノートルアンドレ・ル・ノートル:
Andre Le Notre
の「フランス式庭園」・「平面幾何学式庭園」

中でもヴェルサイユ宮殿は
平面幾何学式庭園の代表例です。

300ヘクタールにも及ぶその大庭園は。
建築式造園の一つの到達点でもあります。

ここでは宮殿中央の「鏡の間」の前のテラスから南へと
「王の並木道」が延び。

その先がカナールになって。
それがはるか天と地の境にまで。
延びていっているように見えます。

ヴェルサイユではボスケのなかにもさまざまな
小庭園が造られました。

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これらを舞台に、
モリエールの芝居、リュリの音楽、
ラ・フォンテーヌの詩の朗読などが行われました。

この庭園様式はヨーロッパ中の宮廷庭園に。
模倣されました。

大きな広場やそこに繋がる一直線に伸びた道路は、
18世紀の都市計画にも大きな影響を与えました。

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「続きを読む」=>*

++「続きを読むです1」++++++++++++++++++
アンドレ・ル・ノートル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB

アンドレ・ル・ノートルアンドレ・ル・ノートル(Andre Le Notre、1613年3月12日 - 1700年9月15日)はフランスの造園家。 パリのテュイルリー庭園、ヴォー=ル=ヴィコント城の庭園、ヴェルサイユ宮殿の庭園などを設計し、フランス式庭園の様式を完成させた。

ル・ノートルの手がけた主な庭園

ヴェルサイユ宮殿の庭園
ヴォー=ル=ヴィコント城の庭園
サン=ジェルマン=アン=レー城の庭園
サン=クルー城の庭園(城館は消失、庭園のみが残る)
シャンティイ城の庭園
ソー公園
テュイルリー庭園
フォンテヌブロー宮殿の庭園
イタリア・トリノの王宮の庭園
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB" より作成

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++
庭園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%AD%E5%9C%92#.E3.83.95.E3.83.A9.E3.83.B3.E3.82.B9.E5.BC.8F.E5.BA.AD.E5.9C.92.E3.81.AE.E6.88.90.E7.AB.8B

フランス式庭園の成立
詳細は平面幾何学式庭園を参照

イタリア式庭園はヨーロッパ各国に大きな刺激を与え、
そのボキャブラリーがアルプスの北方へと輸出されたが、
やがてそのなかからフランスに新しい様式フランス式庭園
への動きがあらわれ始める。

まず宮廷造園家の家系に生まれたモレが、
16世紀後半に刺斥文様を生垣に写しとったような刺斥花壇を開発し、
さらに17世紀にいたって
ル・ノートルが、ブルボン朝の栄華にふさわしい
壮大な様式を完成させた。

ル・ノートルはボスケ(叢林)で庭園の主部を限りとり、
そこに刺斥花壇、大噴泉などを整然と配して
無限へと延びる見通し線を造りだした。

とくにこのために彼が活用したのは、
カナール(水路)である。

ル・ノートルの出世作は、
マザランのもとで大蔵縁をつとめたフーケの城館、
ヴォー=ル=ヴィコントの庭園で、
それは南北1.2キロメートル、
東西0.6キロメートルの広さをもっていた。
この庭がルイ14世の目にとまり、
ル・ノートルは有名なヴェルサイユ宮殿の庭をデザインすることになる。

ル・ノートルの関与した作品は、
パリ周辺にたくさん残っており
、シャンティイ、ソー公園、サン・クルーなどがおもなものである。

++「続きを読むです3」++++++++++++++++++

平面幾何学式庭園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E9%9D%A2%E5%B9%BE%E4%BD%95%E5%AD%A6%E5%BC%8F%E5%BA%AD%E5%9C%92

面幾何学式庭園(へいめんきかがくしきていえん)は
西洋式庭園の作庭技法の一つ。
イタリア式庭園と違って、主として平地に営まれ、
幾何学的構成をもつ庭園に強い軸線を導入している。

目次
1 概要
2 庭園の特徴と技法
3 著名な庭園
4 関連項目
5 外部リンク

概要
17世紀末フランスの宮苑造園家ル・ノートルによって確立された。
フランスの宮殿建築と造園に革命をもたらした3人の大家として、
ノートルのほか、フランソワ・マンサールと
その甥の息子、ジュール・ハルドゥアン・マンサールがあげられる。

アンドレ・ル・ノートルは宮廷庭師ジャン・ル・ノートルの息子で、
マリー・ド・メディシスがリュクサンブール宮殿の庭を造らせた
造園家の一人であった。

ノートルはヴォー・ル・ヴィコント、
ヴェルサイユ、シャンティー、
ディジョンの庭を計画、実現した。

フランソワ・マンサールは
ブロワ城、ジュール・ハルドゥアン・マンサールは
ヴェルサイユ宮殿、アンヴァリッドのドーム、ヴァンドーム広場、
ヴィクトワール広場、ダラン・トリアノン、マルリの王宮を造っている。

この庭園様式は、
その後ヨーロッパ全土に広がり、
彼は「王者の庭師」、「庭園の王」とまで呼ばれるようになった。
イタリアで生まれたイタリア式庭園(露壇式庭園)で
用いられている樹木の列植や花壇の幾何学的な構成に、
強い軸線の導入、毛氈花壇やボスケ、トレリスなどが考案された。

野菜は姿を消し、丈の低い花やこれとよき対照をなす観葉植物がそれに替わった。
よく用いられる図案は、
方形のなかに仕込まれた4つのアラベスク、
または刺繍文様の組合わせであり、
その中央には池が配置された。

中でもヴェルサイユ宮殿は平面幾何学式庭園の代表例であり、300ヘクタールにも及ぶその大庭園は建築式造園の一つの到達点である。ここでは宮殿中央の「鏡の間」の前のテラスから南へと「王の並木道」が延び、その先がカナールになって、それがはるか天と地の境にまで延びていっているように見える。ヴェルサイユではボスケのなかにもさまざまな小庭園が造られ、これらを舞台に、モリエールの芝居、リュリの音楽、ラ・フォンテーヌの詩の朗読などが行われたのであった。この庭園様式はヨーロッパ中の宮廷庭園に模倣されたが、大きな広場やそこに繋がる一直線に伸びた道路は、18世紀の都市計画にも大きな影響を与えた。

庭園の特徴と技法
庭園面積
ヴォー・ル・ヴイコント庭園の面積は約70ヘクタールといわれているが、ヴェルサイユ庭園となるとさらに巨大化した。イタリアの庭園と比べるとけたちがいに広い。その他の貴族の庭園の場合もヴォー・ル・ヴイコント庭園と同様に広いのである。
軸構成
構成特徴はまず館を中心あるいは起点として庭園の中央を貫く力強い軸線を通し、遠くまで見通せるヴィスタを形成している。そして特にその軸線沿いは左右対称性を持たせて庭園全体を構成している。また全体を見渡すなら、館に近いほどより細かく緻密なデザインがなされている。ファサードがシンメトリーに構成され軸線をもった庭が付属した宮殿の初の例は、ルメルシェが建てたリシュリューそのひとの城で、そこでははじめて中央の通がポワトーの森を切って伸びる通路として計画されている。
ビスタ(通景線)
イタリア式に比べると庭園の外に広がる風景を楽しむパノラマがなくなった。逆に、たとえ地平線がみえても、そこはまだ庭園の内部である。よって、庭園の中に収まるひとつの空間世界が創られ、さらに庭に新しい要素としてパースペクティブを持ちこまれ、以後、庭の様相を支配することになる。これはきわめて強く支配的な要素で、フランスの庭をバロックの無秩序や夢想から抜け出させ、一気に古典的な秩序へと導いた。かくしてルネサンスの庭園はしだいに消え去る。この形式の庭園から、庭園設計は庭師から庭園建築家とでも呼ぶべきものがそれにとって変わったとされている。
毛氈花壇
植物を使って刺繍のように見える庭はフランス語でパルテール、英語ではパーテアと呼ばれる。幾何学模様を施し、ツゲのボックス・ヘッジを組んでその中に緑色以外の植物を植えて対比を美しく見せる。
高い生垣
トレリス(格子垣)
遊びの庭がツゲに縁取られて幾何学的な形態をみせるパルテールが格子垣に囲まれて、美しい手すりの上に絡み合った菩提樹の枝が差し伸べられる。
カナル(運河)と水面
庭園の要素としてはイタリア式に比べ、水の扱いが異なる。雄大な噴水のほかに水量が不足したためか広い水面を装飾的に見せる役割に成っていった。池とカナルの水面が広くなり、またアレハンブラ庭園のような静的な利用に重点がおかれている。
ボスケ(樹林)と庭園内庭園
フランス式庭園の中にある森は、ボスケと呼ばれる。イタリア式の「ボスコ」では、多くの場合は規則正しく碁盤目状にナラなどの樹木が植えられていた。フランス式ではこの「ボスケ」の中に小さな庭園がまた造られはじめていく。周囲が樹林で囲まれているので静寂な場所と化す。ボスケはこの小庭園の名勝で呼ばれるようになる。

著名な庭園
フランス式庭園を参照

関連項目
イタリア式庭園 - テラス式の幾何学式庭園

++「続きを読むです4」++++++++++++++++++

3月12日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/3%E6%9C%8812%E6%97%A5

できごと
1876年 - 日曜日を休日・土曜日を半休とする太政官布告。

1894年 - 瓶詰コカ・コーラの販売開始。

1912年 - ガールスカウト創立。

1912年 - 外国人観光客向けの旅行案内所としてジャパン・ツーリスト・ビューロー
(現・ジェイティービー)が創立。

1917年 - 第十次イゾンツォの戦いが起こる。

1930年 - ガンディー、塩の行進を開始。

1934年 - 友鶴事件が起こる。

1936年 - 中谷宇吉郎が雪の結晶の作製に成功。

1938年 - ドイツ軍がオーストリア進駐。後日、併合を宣言。

1948年 - 最高裁判所で死刑制度が合憲という判決が出る(死刑制度合憲判決事件)。

1968年 - モーリシャスがイギリスから独立。

1968年 - 富山テレビ放送設立

1972年 - 東武東上線成増駅前にモスバーガーの第一号実験店舗が開店。

1974年 - 小野田寛郎がフィリピン・ルバング島から30年ぶりに日本に帰還。

1996年 - ホテル日航東京が東京都港区お台場に開業。

1999年 - ワルシャワ条約機構の一員であったチェコ、ハンガリー、ポーランドがNATOに加盟。

2001年 - アフガニスタン・バーミヤーンの巨大石仏が、
ターリバーンにより破壊されたことをユネスコが確認。

2002年 - タカラがアスキーアートキャラクターのギコ猫を商標登録出願する。

2003年 - ゾラン・ジンジッチ・セルビア首相が、
スロボダン・ミロシェヴィッチ前ユーゴ大統領配下の秘密警察関係者により暗殺される。

2004年 - 韓国国会、盧武鉉大統領の弾劾を決議。

誕生日
1386年(至徳3年/元中3年2月12日) - 足利義持、室町幕府4代将軍(+ 1428年)

1613年 - アンドレ・ル・ノートル、造園家(+ 1700年)

1685年 - ジョージ・バークリ、哲学者・聖職者(+ 1753年)

1818年(文政元年2月6日) - 松浦武四郎、蝦夷地探検(+ 1888年)

1823年(文政6年1月30日) - 勝海舟、江戸幕府海軍奉行(+ 1899年)

1824年 - グスターブ・キルヒホッフ、物理学者(+ 1887年)

1838年 - ウィリアム・パーキン、化学者(+ 1907年)

1863年 - ガブリエレ・ダヌンツィオ、詩人・小説家・劇作家(+ 1938年)

1881年 - ケマル・アタテュルク、政治家、軍人、トルコ共和国初代大統領(+ 1938年)

1888年 - ハンス・クナッパーツブッシュ、指揮者(+ 1965年)

1890年 - ヴァーツラフ・ニジンスキー、ダンサー(+ 1950年)

1894年 - 葉山嘉樹、小説家(+ 1945年)

1905年 - 志村喬、俳優(+ 1982年)

1917年 - 岡田宗芳、元プロ野球選手(+ 1942年)

1910年 - 大平正芳、第68・69代内閣総理大臣(+ 1980年)

1921年 - ジョヴァンニ・アニェッリ(ジャンニ・アニェッリ)、実業家(+ 2003年)

1922年 - ジャック・ケルアック、作家(+ 1969年)

1925年 - ハリイ・ハリスン、SF作家

1925年 - 江崎玲於奈、物理学者、ノーベル賞受賞者

1925年 - 平松守彦、前大分県知事

1928年 - 花登筐、劇作家・放送作家・演出家(+ 1983年)

1930年 - バーノン・ロー、元メジャーリーガー

1938年 - 青芝フック、漫才師

1942年 - 黒木憲、歌手(+ 2006年)

1943年 - 林家こん平、落語家

1943年 - 松田卓也、天文学者

1944年 - バウミール、元サッカー選手、サッカー指導者

1945年 - 若林ケン、シャンソン歌手

1947年 - 塚原俊平、政治家(+ 1997年)

1948年 - ジェームス・テイラー、シンガーソングライター

1949年 - 江尻良文、夕刊フジ編集委員
1950年 - 吉永みち子、エッセイスト
1952年 - 奥寺康彦、横浜FCゼネラルマネージャー、元サッカー選手
1954年 - 飯合肇、ゴルファー
1955年 - 池波志乃、女優
1955年 - ルパート・ジョーンズ、元プロ野球選手
1956年 - デール・マーフィー、元メジャーリーガー
1959年 - やくみつる、漫画家
1960年 - 銀色夏生、詩人
1960年 - 野宮真貴、ミュージシャン、歌手(元ピチカート・ファイヴ)
1960年 - 二井原実、ミュージシャン
1961年 - 村井一男、元プロ野球選手
1963年 - 上條淳士、漫画家
1964年 - 陣内貴美子、タレント、元バドミントン選手
1965年 - 勝俣州和、タレント
1965年 - ショーン・ギルバート、元プロ野球選手
1968年 - アーロン・エッカート、俳優
1968年 - 川端一彰、元プロ野球選手
1969年 - 岡村明美、声優
1969年 - 肥後かおり、プロゴルファー
1970年 - 鬼塚勝也、元プロボクサー
1971年 - ユースケ・サンタマリア、タレント・俳優
1971年 - トルステン・ムンドリー、騎手
1971年 - グレッグ・ハンセル、元プロ野球選手
1972年 - ジョージ・アリアス、元プロ野球選手
1972年 - ラウル・モンデシー、元メジャーリーガー
1972年 - 藤井宏和、お笑いタレント(飛石連休)
1972年 - 倉橋えりか、漫画家
1973年 - 平井善之、お笑い芸人(アメリカザリガニ)
1973年 - りの、声優
1974年 - 椎名へきる、声優・歌手
1974年 - 礒部公一、プロ野球選手
1974年 - 豊桜俊昭、大相撲力士
1974年 - 岩田康誠、騎手
1975年 - 細江純子、元騎手、ホース・コラボレーター
1977年 - 徳永愛、声優
1978年 - 種村有菜、漫画家
1979年 - 佐藤まい子、タレント
1979年 - デーブ・ウィリアムス、プロ野球選手
1980年 - デレク・トレント、フィギュアスケート選手
1981年 - 小野真弓、タレント
1981年 - 我那覇美奈、歌手
1981年 - 斎藤千和、声優
1981年 - KENTA、プロレスラー
1981年 - 井生崇光、プロ野球選手
1982年 - 三輪明日美、女優
1982年 - 佐藤勇人、サッカー選手
1982年 - 佐藤寿人、サッカー選手
1982年 - えれな、ファッションモデル
1985年 - 藤岡好明、プロ野球選手
1985年 - アンダーソン・ゴメス、元プロ野球選手
1986年 - 大塚ちひろ、女優
1987年 - 鈴木あきえ、タレント
1988年 - 小坂優舞、アキバ系アイドル
1991年 - 井出卓也、タレント
1995年 - 福田花音、ハロプロエッグ
1996年 - アドマイヤベガ、競走馬(+ 2004年)

死去
604年(ユリウス暦) - グレゴリウス1世、ローマ教皇(* 540年)

790年(延暦9年2月18日)- 藤原浜成、奈良時代の公卿・歌人(* 724年)

1065年(康平8年2月3日)- 藤原頼宗、平安時代の公卿(* 992年)

1189年(文治5年2月24日)- 平時忠、平安時代の公卿(* 1130年)

1352年(正平7年2月26日)- 足利直義、武将(* 1306年)

1374年(文中3年/応安7年1月29日)- 後光厳天皇、北朝第4代天皇(* 1338年)

1447年 - シャー・ルフ、ティムール朝君主(* 1377年)

1507年 - チェーザレ・ボルジア、政治家(* 1475年)

1608年(慶長13年1月26日)- 高力清長、戦国武将(* 1530年)

1628年 - ジョン・ブル、作曲家(* 1562年頃)

1647年(正保4年2月6日) - 小堀政一(小堀遠州)、武将、茶人(* 1579年)

1648年 - ティルソ・デ・モリーナ、劇作家(* 1579年)

1662年(寛文2年1月22日)- 松平定頼、第2代伊予松山藩主(* [1607年]])

1699年(元禄12年2月11日)- 松平綱昌、第6代福井藩主(* 1661年)

1828年(文政11年1月27日)- 酒井忠進、江戸幕府老中・小浜藩主(* 1770年)

1832年 - フリードリヒ・クーラウ、作曲家(* 1786年)

1851年(嘉永4年2月10日) - 水野忠邦、浜松藩主、江戸幕府老中(* 1794年)

1872年(同治11年2月4日) - 曽国藩、清の湘軍創設者(* 1811年)

1907年 - 松本良順、日本陸軍の初代軍医総監(* 1832年)

1909年 - ジョゼッペ・ペトロジーノ、マフィア捜査で功績を上げた警察官(* 1860年)

1925年 - 孫文、辛亥革命の指導者(* 1866年)

1927年 - 新海竹太郎、彫刻家(* 1868年)

1930年 - アロイス・イラーセク、小説家(* 1851年)

1937年 - シャルル=マリー・ヴィドール、作曲家(* 1844年)

1937年 - イェネー・フバイ、ヴァイオリニスト(* 1858年)

1942年 - ロバート・ボッシュ、発明家・ロバート・ボッシュGmbH創業者(* 1861年)

1942年 - ヘンリー・ブラッグ、物理学者(* 1862年)

1945年 - アンネ・フランク、「アンネの日記」で知られるユダヤ人の少女(* 1929年)

1946年 - 関根金次郎、将棋棋士(* 1868年)

1946年 - 鈴木文治、労働運動家・友愛会創立者(* 1885年)

1946年 - サーラシ・フェレンツ、ハンガリーの指導者(* 1897年)

1948年 - アルフレッド・ラクロワ、鉱物学者・火山学者(* 1863年)

1950年 - ハインリヒ・マン、小説家(* 1871年)

1953年 - 伊東静雄、詩人(* 1906年)

1955年 - チャーリー・パーカー、ジャズサックス奏者(* 1920年)

1957年 - ジョン・ミドルトン・マリー、小説家(* 1889年)

1968年 - 小杉義男、俳優(* 1903年)

1973年 - フランキー・フリッシュ、メジャーリーグベースボール選手(* 1898年)

1976年 - 天知俊一、元プロ野球監督(* 1903年)

1978年 - ジョン・カザール、俳優(* 1935年)

1978年 - テレサ・ウェルド、フィギュアスケート選手(* 1893年)

1983年 - 上原正吉、政治家・大正製薬社長(* 1897年)

1985年 - ユージン・オーマンディ、指揮者(* 1899年)

1989年 - 武藤清、建築家(* 1903年)

1991年 - ラグナー・グラニト、医学者(* 1900年)

1993年 - 王震、中華人民共和国副主席(* 1908年)

1995年 - 法月惣次郎、望遠鏡製作者(* 1912年)

1995年 - 西村俊一、テレビプロデューサー(* 1928年)

1999年 - ユーディ・メニューイン、ヴァイオリニスト(* 1916年)

2001年 - ロバート・ラドラム、小説家(* 1927年)

2003年 - ゾラン・ジンジッチ、セルビア首相(* 1952年)

2005年 - 桂文枝 (5代目)、落語家(* 1930年)

2005年 - 江間章子、詩人・「夏の思い出」の作詞者(* 1913年)

2006年 - ヨナタン・ヨハンソン、スノーボード選手(* 1980年)

2007年 - アントニオ・オルティス・メナ、
メキシコ大蔵公債長官・米州開発銀行総裁(* 1907年)

2007年 - 山下浩二、元プロ野球選手(* 1955年)

2008年 - ラザール・ポンティセリ、
第一次世界大戦時のフランス軍兵士最後の生存者(* 1897年)

記念日・年中行事
東大寺 - お水取り

菜の花忌
詩人伊藤静雄の1953年の忌日。

これとは別に、2月12日の司馬遼太郎の忌日も「菜の花忌」と呼ばれている。

サイフの日
3月12日の「312」が「さいふ」と読めることから。

独立記念日(モーリシャス)
1968年3月12日にイギリスから独立。

モスの日
1972年、東武東上線・成増駅前にモスバーガーがオープンした事に由来。

スイーツの日
2008年、サイバーエージェントの子会社であるスーパースイーツが制定。
スイーツの魅力をより多くの人に広めるため、数字の読み方の語呂あわせから