東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年3月15日(日曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年3月15日(日曜日)

平成21年の「3月」になりました。

平成21年の。

今年の「春」がきました。

「初春」の「3月」の。

「春」「3月」だけれども。

とてもとても。

とても「寒い日々」が続いています。

けれども「春」の「3月」です。

「春」がきた。

「はる」がきた。

どこに来た。

今年の「冬」・から「春」は予期せぬ

インフルエンザ*の

大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。

薬事法の「能書」にあるとおり

「正規の」

「2回法によるインフルエンザワクチン」の

予防接種をおすすめいたします。

常時いつでも接種可能です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

昨年の。
冬間近くの。
さらなる前に。

「晩秋」>のころ。

「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」の。
花の蕾が淡い黄金色にかがやいて。
が見えてから「10日間」で。
花は去りました。
黄金色のじゅうたんが毛氈(もうせん)ように。
地面「金色」に広がりました。

「昨年」の。
「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」に続いて。
「銀木犀:きんもくせい」もプラチナ色の
花が咲き始めました。

「昨年」の。
「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」のあとを追って。
「銀木犀:きんもくせい」の花は去り。
地面に「プラチナ」が一面に広がっていました。

「春」の「3月」

今は私の「大好き」な。

「春の花」の

の「蕾(つぼみ)」と。

「花」のふくらむ季節。

「春の花」の季節になりました。

私の「大好き」な草の「花」。

「すみれ」咲く季節になりました。

そしていろいろな。

「春」の木々の花も咲く季節。

花の開く季節になりました。

発花

山本クリニックの庭園は。

大昔は。

雑木林であったのです。

「野生」の。

「山茶花(さざんか)」や。

「やぶつばき」や。

「季節の花」さく木々が。

とても沢山。

群生してはえています。

日々の毎日にどんどんと。

みるみるうちに。

「春の花」が。

つぼみや「花」を大きくしています。

けれども「春の花」は。

蕾が大きくなったそのよるには。

花咲き。

暗い寒い朝にちっていることが。

すくなくありません。

「種の保存」の理論からすれば
「春」とはいえ昆虫の少ない「寒いの日々」に。

「寒い冬」に「花粉」を運んでくれる
昆虫はとても少ないはずだから。

花期はながければ長いほど「実」「種」
が「たくさん実る確率は高くなる」
はずです。

だから。
昆虫の少ない季節に。
「花期」が「極めて短命」とは。
とても不思議なことです。

「4月」の「桜」もそのような傾向があります。

春花は

ぬばたまの

暗き闇夜に

春嵐の

風に弓射られて

花ぞ舞い散る

はるはなは

ぬばたまの

くらきやみよに

はるかせの

かせにいられて

はなそまいちる

「春の花」は。
早朝には「白鷺の羽」
のように地面に
舞い降ちています。

昨年の。
「晩秋」
「木犀:もくせい」の花の
「芳香」は蕾のみえるまえから
あります。
花が去ったあとは
「あっというまに芳香が消えます」。

「晩秋」の
「木犀:もくせい」たちのかおりがさり。

「初春」の「3月」。

つぼみを日々。

大きくしている。

「春の花」や。

「すみれ」

の花咲く季節。

「春」の「3月」。

そして。

「春の花」や。

「すみれのはな」

をみまもるのは。

「みかんの木」の。

「丸いみかん」の

「丸い群れ」。

「丸いみかん」は。

「丸くたわわに実り」。

まるで。

「ぶどうのふさ」のようです。

お互いに。

「はなことば」で話しをしているに

ちがいありません。

私は山茶花(さざんか)よりは。
「やぶつばき」がずっとすきです。

山本クリニックの庭園には。
いずれも。
野生の「やぶつばき」と
野生の「山茶花(さざんか)」ばかりです。
野生の「すみれ」もさいています。

堂々たる。

「春かぜ」と「春吹雪:はるふぶき」

が吹いています。

本物の「春」になりました。

「春」はじめです。

「春」がふかまり。

「もっと深い「春」」の。

トンネルをこえれば。

そこは「里山の「春」」です。

「春吹雪:はるふぶき」は

遠くの蒸気機関車の鳴き声のように

に聞こえます。

近くに「トンネル」があることも

わかります。

「佐保姫(さほひめ)」の吹くフルート

のよう。

そして。

「春吹雪:はるふぶき」をなだめるように。

「花吹雪」が舞います。

「花吹雪」のほうが「役者」は上です。

「花吹雪」は突如(とつじょ)天から舞い降り

ます。

そして。

春の女神。

「東」の姫君の「佐保姫(さほひめ)」

が春霞のころもをまとい。

舞い降りてきます。

「春」の陽射しがバックライト。

「春」になりました。

きょうは。
とてもとても寒い。

「木枯らし」の鳴き声は。

「春」の女神の。

「佐保姫(さほひめ)」の笛ふく。

はるかぜのワルツ。

に変わりました。

最近は
朝くらい早朝には「星がみえます」。
「明けの明星」の金星が南の空に高くみえます。

病院の明かりが灯り暗闇のなか。
朝はやく。

「明けの明星」の金星に「おはよう」を
毎日こえで「御挨拶」を伝えます。
「明けの明星」の金星から「おはよう」と
返事がかえってくる声をききながら。
病院の明かりをともします。
まだ真っ暗なのですが。

夏場の早朝のくらい時には。
明星はみえずらかった。
季節が「冬から「春」へとあゆみ」。
いよいよ。
大気が「澄んできた」ということでしょう。

春霧雨(はるきりさめ)の。

春霞(はるかすみ)の大気。

「春吹雪:はるふぶき」の「音」。

「ろうろう」「こうこう」

「春かぜ」の鳴き声

「ろうろう」「こうこう」

「春吹雪:はるふぶき」の。

鳴き声とともに。

「春一番」の「「春」のしらべ」が。

あわせきこえます。

「どれみふあ」「そそそそ」

朝暗く寒いいうちの「はるかぜ」の合唱は。

「春」の「ふうりん」のごとし。

あれ沢山の「ふうりん」かな。

「春」の「ふうりん」の音色です。

「ろうろう」。

さやかにやさしい「あたたかい音」です。

「こうこう」

わびわびと。

「蜜蜂をもよんでいる音」です。

「蜜蜂」のはぜる元気な「音」から

「春」のおとずれが。

わかります。

「ススキの穂先」は
「そぞろに「初春」の今年の芽栄え。

そして「春」の旅愁」すら
をも感じさせます。

「ススキの穂先」には「「春」ふくろう」が
何匹も集ってつどい。

何匹ものふくろうが。

皆で何かを真剣に。

考えているように。

みえます。

「春」がくれば。
「緑葉をのこした「春ススキ」」。

「ススキの穂先」は。

「しあわせと幸福を手招き」

している

何本もの「手」のように。

みえます。

エドヴァルド・ムンク:Edvard Munch

の「春」の絵画のようです。

私も「日々を旅ゆく人間」です。

奥の細道の序文に松尾芭蕉が。

「月日は百代の過客(ひゃくたいのかかく)
にして行かふ年も又旅人也。」

「つきはひゃくたいのかかくにして
いきかふとしもまたたひひとなり」

とかたり。詠みました。

私は

「日々の月日」を道連れにして。

「時」を旅をするひとりの

「旅人(たびびと)」

です。

「日々月日の旅のつれあい」は。

「きょう」と。「あす」しか。

いません。

「きょう」と。「あす」しか。

私にはありません。

朝くらいとき。
陽の出の直後は。
いつも一瞬は晴れています。
いまだ かすかにも。
のこる「初春」の気配
であるけれども。

あきらかに。
そしてしっかりと。
しのびよるもっともっと奥の。
深く深まる「春のおとづれ」からの大気。

もっと。
「あたたかい「春」」の気配が。
「確かに」。
そして明らかに。
そして輪郭もはっきりと。

感じられるようになりました。

「3月」。

もう「春」です。

はやいものです。
速いものです。
早いものです。

街路樹もそうそうたる
羽振りの木々から
「はじまりゆく「春」の樹木」にうつろうように
変化しています。

「春」。
「樹木の若葉の芽生え」があることに
気がつきました。

春の芽吹くときには。
街路樹のポプラも
幹や枝葉の穂先が。
ろうそくのともしびのように。
「炎の様」になっています。
あたかも
ゴッホの描いた「夜の糸杉」のように。
春の早朝にみえます。

夏になり。
この「穂先」が一気に「ポプラの葉」へと
扇・おおぎのごとく開きます。

フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「夜の糸杉」から。
フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「ひまわり」
のように。
一斉に開きます。
8月にはいってからのことです。

10月そして11月。

今は「晩冬」の「2月」がおわり。

「春」の「3月」。

今現在は落ち着いた「春」の葉木。
「春」の木々の「葉」
へと。
そしてふかまる「春」の木々の「幹:みき」へと。

ふかまる「みのりの春」にむけて。
「あつく」うつろいています。

ポプラも。つばきもくすのきも。
「晩秋」には「中秋の若葉」が。
ハンカチをふるように
「「冬」のわかば」の「めばえ」がみえました。
今もみえます。
今は「「冬」のわかば」の「めばえ」は
とても大きくなりました。
「春」の「めばえ」です。

「冬がくると」。
空と木枯らしのかなでる「蛍の光」や
「冬のコンチエルト」にあわせるように。

ポプラの葉や芽葉は。
ハンカチのようにふわふわと。
ふわふわと。
「穂先から葉葉」は「舞い振りまがら」
ハンカチは木を去っていきました。

樹木のハンカチは。
大地を訪ねて飛翔し。
大地にまいおり大地にもどります。
そして大地となります。

そして。
ポプラの葉や芽葉が。
ハンカチのようにふわふわと。
ふわふわと。
「穂先から葉葉」は「舞い振りまがら」
木を去っていく光景は。
あたかも。
「夜の魔法」「夜のガスパール」
のようです。

「葉の去った枝」には。
もう「「春」の若芽のつぼみ」
が。
「若芽」がみえます。

木々の「葉」が「枝や幹」を
「保護する役割をしている」
ことに気づきました。

4月の桜の花の時期とうってかわり
桜の木の公園
の桜の木々が。
夏になりとても獰猛な気配を放つ。
初めて気がついた・。

「新年」「初春」の「晩冬」はおわりました。

「晩冬」の「2月」がおわり

「春」の「3月」になりました。

「さくら」は春の濃い緑の樹肌になり。
やさしさとおだやかさ
が感じられます。

そしていつしか
幹先に若葉色の葉もまじえています。
しだいにしだいに。
紅黄色の葉が消え若葉にかわりつついくことに
きがつきます。

さくらから。
さくらはのきぬずれのおとが。
きこえるころ
です。

桜の樹木も「丸くなりました」。
桜の樹木も毎年毎年と毎日毎日。
「旅(たび)をしている」のでしょう。

朝陽をあびる落葉樹は
「すべてがあざやかな黄金色」に
かがやきます。
朝陽をしっかりと。
「いうにいわれぬ美しい絵のごとく」
受け止めています。

「冬の朝陽」は真東に大変鋭いことに
気づきました。
眩しいです。

今は「春」の朝日です。

「あたたかいろ」がかんじられます。

春は別として。
桜の木は木の下で。
夏は心安らかに。
「休める木ではないなあ」
と思います。
昨年は
秋になり
桜の樹木も安堵の葉色
になりました。
ちょっとばかりびっくり致しました。

枝や幹からは秋の陽の木漏れ日がみえます。

夏桜の木は獰猛なほど葉をおいしげらせ
ていました。
夏には
桜の木の下で木陰で。心安らかにやすもうという
気はおきません。

いまは晩秋から「冬」になりました。
そよかぜに揺れる残り葉は
招き誘われるような気すら致します。

冬になり幹にはもう「枯れ葉散る」。
ちったあと枝の根元には。
「春の芽栄え(めばえ)」
がみえます。

けれども
やはり夏桜の木は

シューベルトの歌曲の旋律にある「菩提樹」
ではないのです。

冬の桜木(さくらぎ)。
冬になり
人生に果てて(はてて)
なれるが如く桜樹木はかわりました。
良い木になってきました。
素敵(すてき)です。
冬の桜木(さくらぎ)。
「春」の桜木(さくらぎ)。

木々でも。
いちょうや。松や。杉などの針葉樹
は。またソテツなどは。
「古い時代の木」です。

「チャールズ・ダーウィンの進化論」からは
「針葉樹」から。
「常緑樹」「広葉樹」「落葉樹」にと。
「進化」しているはずです。

「原始的」な樹木ほど。
「硬い幹」です。
例外はありません。

硬ければ。
幹は硬ければ動物に
「かじられる」ことはないでしょう。

いにしえの古代の時代にも。

恐竜をはじめめとする
「大型」の草食動物にも。

かたければかじられることは
なかったでしょう。

街並みを彩る街路樹には「落葉植物」が多いです。

ふと。考える。

街路樹が「松や杉」のように。
「冬も葉を持つ針葉の常緑樹」では。

冬はうっそうとして道端では
やさしい暖かな陽射しをかくしてしまう。

夏場は枝ぶり葉っぱぶりからつよすぎる日の光は
さえぎれません。
そして
「秋」の「夕焼け陽」には。
「金色のちいさき鳥の形して」
秋の夕焼けの陽射しに舞うこともできません。

常緑樹の針葉樹では。
は四季のリズムをつたえる

北大路魯山人のいう

「ざっくり感(ざっくりかん)」

のリズムヤハーモニー或は旋律が
ありません。

木々の夏の萌黄が早朝暗い中でも
うかびあがります。
私はくすのきが「大好き」な「木」の
ひとつです。
ポプラも好きです。
イチョウもすきです。
モミジもすきです。
カエデもすきです。
松や杉もすきです。
月桂樹やシナモンもすきです。
オリーブもすきです。
オレンジの木もすきです。
「そてつ」の木もすきです。
ツバキもすきです。
ソテツもすきです。
南天もすきです。
木や植物がすきです。

木々の穂先は毛氈(もうせん)
のようにあざやかな秋の萌黄色です。
まるで大きな深い山の森のうねりのようです。
今年は木々のわかばの秋のめばえが非常に鮮か
です。
木々は「夏樹」の役目をおわりました。
「秋木」とかわろうとしています。
「秋木」とかわりました。
そして
さらに
「冬木」へとかわろうとしています。
「冬木」へとかわりました。
「冬木」から春の「春木」にかわりました。

街角の雑草も花は咲きはじめ。
「春の花」の姿となりそして「春」を迎える。
「ほとけの座」や「はこべ」が
「かたばみ」や「いたどり」が
ますます姿を大きくして。

そして「すすき」もくわわりました。

冬草から春草へ。
そして秋草へのたたずまいをしています。
そしてもうすっかり秋冬草へと黄金色に転した
街角には雑草もあります。
こがねいろ。

雑草も。
同じく花をさかせ自ら種をとばし
夏葉がみえる。
そして秋を迎える。
冬が来て。木枯らしに吹かれ。
雪をかむり。そして。
春がくる。

そして今は。

「春」。

ツツジは潅木。

ツツジの花の葉の優しさには

あらためてびっくりしました。

黄緑・草色のビロードです。

のぞきこむと若葉はまだ沢山ある。

何故か得をしたように思えました。

そして雨にうたれて

そのまま地に落ちた

ツツジの若葉は

幾何学的に裏側を下にむけて

逆さじょうごのように

落下していることに

気がつきました。

まるで。

「若草色」のきのこが。

沢山はえているようです。

木から落ちても。
まだ「若葉」です。ふと。
ヴェルディの「椿姫」「La Traviata」
の「つばき」を思い出しました。

1852年パリに滞在したヴェルディは
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)
の戯曲版『椿姫』の上演を見て感激し
ました。
そのころ新作の作曲依頼を受けていた
ヴェネツィアのフェニーチェ劇場のために。
翌1853年初めに比較的短時間で作曲された
『椿姫 』(La Dame aux camelias、1848年出版)
は。
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)が
実際の体験を基にして書いた長編小説。
主人公のモデルはかつて作者が交際をしていた
マリー・デュプレシという高級娼婦。
恋人アルマンのイニシャルである
『AD』は
小デュマのイニシャルと同じです。

この作品は人々に愛されて幾度も舞台、映画化され
続けてきました。

朝暗いうちは。

とても。

はださむいです。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックには。
孟宗竹のたけやぶ
があります。
竹はせがたかいから。

クリニック館内からはすこし離れた所にある。
はなれていても。
とおくからもみえます。

山本クリニックには。
検見川の落合遺跡の遺跡発掘の際に
みつかった「古代のハスの種子」から。

2000年ぶりに発芽したことで有名な。
「古代蓮(ハス)」があります*。
【大賀ハス:おおがはす】です。
「有名な古代ハス」です。
とても勇壮なハスで。
花のいろはとてもあまりにも美しく。
たとえ様もありません。

ハスの花がさき。
「「蓮(ハス)」の実」になりました。
「はすの実」も「はす」の葉も。
2mくらい水面から高いところに
あります。

睡蓮(すいれん)があります。
睡蓮(すいれん)は「葉」が水に浮び。
はのきれこみは羊の足のようです。
睡蓮(すいれん)を「ひつじぐさ」とは
なるほどと考える。
睡蓮(すいれん)の茎の長さには
おどろかされます。

「姫睡蓮(ひめすいれん)」でさえも。
池はばが長ければ四方八方に「水の中の枝」。

「モネ」の描いた睡蓮(すいれん)の
「水の中の枝」は「どれほど長いのだろう」。

睡蓮(すいれん)も「太古の時代」に
陸の動物に「かじられないように」
水中に「逃げ込んだ」のでしょう。

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大賀ハス(オオガハス、おおがはす)とは。
1951年(昭和26年)、千葉県千葉市検見川
(現・千葉市花見川区朝日ケ丘町)にある
東京大学検見川厚生農場
(現・東京大学検見川総合運動場)の
落合遺跡で発掘された
今から2000年以上前の古代のハスの実から
発芽・開花したハス(古代ハス)のことです。

戦時中に東京都は燃料不足を補うために
花見川下流の湿地帯に豊富な草炭が埋蔵されていた
「草炭」を採掘していました。

採掘は戦後も継続して行われていました。
1947年(昭和22年)7月28日に作業員が採掘現場でたまたま
1隻の丸木舟と6本の櫂を掘り出しました。

その調査によりもう2隻の丸木舟と
ハスの果托などが発掘されました。

「縄文時代の船だまり」であったと
推測され落合遺跡と呼ばれました。

植物学者でハスの権威者でもある大賀一郎博士
(当時・関東学院大学非常勤講師)が
発掘品の中にハスの果托があることを知り。
1951年(昭和26年)3月ボランティアの協力
を得てこの遺跡の発掘調査を行いました。

翌日で打ち切りという
30日の夕刻になって花園中学校の女子生徒により
地下約6mの泥炭層からハスの実1粒が発掘され予定を延長し
4月6日に2粒、計3粒のハスの実が発掘されました。

大賀博士は5月上旬から発掘された
3粒のハスの実の発芽育成を試みるも2粒は失敗に終わりました。
だが1951年3月30日に出土した1粒が育成に成功致しました。

翌年の1952年(昭和27年)7月18日にピンク色の大輪を咲かせました。
このニュースは国内外に報道されて多いな「驚愕」を与えました。
同年11月17日付米国ライフ誌に「世界最古の花・生命の復活」
として掲載され博士の姓を採って「大賀ハス」と命名されました。

シカゴ大学のリピー博士らによって放射性炭素年代測定が行われました。
ハスの実は今から2000年前の弥生時代以前のものであると推定された。

この古代ハスは、
1954年(昭和29年)6月8日に「検見川の大賀蓮」として
千葉県の天然記念物に指定されました。
また1993年(平成5年)4月29日には千葉市の花として制定され、
現在日本各地は元より世界各国へ根分けされ、
友好親善と平和のシンボルとしてその一端を担っています。

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ふと「パンの神」を思い出しました。
(「牧神パン(Pan)」=「Pan」=「パン」=
「飯(はん)」=「全般の般」=「パンアメリカンのパン」=

「パン」「pan」は「すべて」という意味の
古代ギリシャ語そして「サンスクリット」も同じ。

古典ギリシア語 Παν、Pan「パンの神」は。
幼少時からゼウスから他の神々全て*に好かれたので
(古代ギリシャ語でTheophilusテオフイルス/ラテン語では
amadeus アマデウス**)
「パン」と名づけられました。

「頭は人間で胴体は山羊」です。

「テュホン:テューホーン:Τυφών: Typhon」
ギリシア神話に登場する魔神***。
に追いかけられ
あわてて身を守るため川に飛び込み「頭は人間で胴体は人魚」
に変身したために。

「パニック」=「panic:パン的」
という言葉が生まれました。

星座に「山羊座」という星座があります。

山羊座は不思議ですが
「あわてて身を守るため川に飛び込み
「頭は人間で胴体は人魚」」
に変身した「パンの神」を示しています。
山羊ではありません。

むしろ正確には人魚です。

だから。
「山羊座」という「意味」はわかります。
けれども「命名」の観点から。
「山羊座」というのはかなり「妙」な気が致します。
「人魚座」というのが正しい。


名称「パンの神」の由来は「ギリシャ神話」でも
非常に多くの「言い伝え」がいくつがあります。
その「言い伝えの数」に正比例して「混乱」があります。

**
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの
「アマデウス」とは「パンの神」のことです。
(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの
ヴォルフガングは「おおかみが行く」という意味です。
よって
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは

「狼のように歩み神に愛されたモーツアルト」
ということになります)

***
「テュホン:テューホーン:Τυφών: Typhon」は
「台風:たいふう」と日本語では名前を変えています。

****
タイフーン級原子力潜水艦は
旧ソ連・ロシアの941型(プロジェクト941)
戦略ミサイル搭載原子力潜水艦のことです。
タイフーンはそれに付けられたNATOコードネームですが
この名称は日本の「台風」とは「直接関係」はありません。

日曜の

朝晴れて

はじめて気づく

にわの小ささ

にちようの

あさはれて

はじめてきづく

にわのちいささ

朝晴れて

にわの小さき

気づかぬときは

病(やまい)なるらむ

日曜の朝

あさはれて

にわのちいさき

きづかぬときは

やまいなるらむ

にちようのあさ

休診日ですが。
早朝に朝まだ暗いうちから
首都高を走って病院に到着致します。

空はきらきらのラピス・ラズリの
紺碧のジュースから
ミルク色のはいった
トルコ石の「プリン」に変わるように変化
していきます。

遠くにぽかぽか浮ぶ「雲々」は
トルコ石の「プリン」の上の「クリーム」の
ようです。
にわのあじさいは「アイスクリーム」
のようです。

春きらきらラピス・ラズリの空(そら)
春紺碧のカクテルいろの空(そら)
春ミルクをそそそいだ空(そら)
春トルコいしのプリンの空(そら)
春はるかにとほくたかい空(そら)
春ほかほか浮ぶ雲々(くもぐも)そら
春プリンの上のクリームのような空(そら)
春睡蓮(すいれん)の水面に空(そら)
春睡蓮(すいれん)のうえに空(そら)
春空(そら)の向こうにまた空(そら)
春空(そら)そのまたむこうにももっと大きな空(そら)

春のうららのこもれびに

緑木いらかをかぜはやみ

青風ひるむやうつろひの

四季のつきひははやいくとせ

夏のうららのこもれびに

緑木いらかのつねなりて

赤き空(そら)にて炎えたたむ

四季のつきひははやいくとせ

秋のうららのこもれびに

緑木いらかにかぜさやか

秋風かたれるやすらきの

四季のつきひははやいくとせ

冬のうららのこもれびに

緑木いらかにかぜつよし

冬風弓(ゆみ)射る木枯らしの

四季のつきひははやいくとせ

日々のうららのこもれびに

祈想い(おもい)のいらかにかぜつよし

生きる力に祈りはせ

四季のつきひははやいくとせ

やまひのとまやのこもれびに

祈願りの(いのり)のいらかにかぜさみし

やみいるこころの力(ちから)はせ

四季のつきひははやいくとせ

春椎木(しいのき)は枝高し
春そらに吼える若葉の穂束
春そらに吼える蒼き獅子のごとし
春天にも地にもみどりはさける
春のあさふかまりて
春陽の光ゆたかなりけり
春いふことのなし
春いふことがなし
春いふことはなし
春いふこともなし
春ゆたかなるかな春

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成21年1月12日(月曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
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平成21年2月11日(水曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の御予約の。
患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
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平成21年3月20日(金曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の御予約の。
患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

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平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

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★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。
インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がきます。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著であろうと推察されます。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」
であることを懸念しています。
そして気候の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表される。
ウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。
「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。

臓器に障害があって医師に
短命を予告され。

それにもかかわらず2歳で神童ぶりを発揮して。
家族によって英才教育をほどこされ。

語学力と並んで楽器の演奏能力。
とりわけ初見演奏に秀で。
ピアノ、ヴァイオリン、チェロ、ハープを
得意とした天才の「御婦人」。

24歳の若さで他界された「御婦人」の天才音楽家で
天才作曲家である。

1918年 - リリ・ブーランジェ、作曲家(* 1893年)
の没日です。

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リリ・ブーランジェ
(Marie-Juliette Olga Lili Boulanger,
1893年8月21日 - 1918年3月15日)は
フランスの天才の女流作曲家です。
++++++++++++++++++++++

リリ・ブーランジェ:
Marie-Juliette Olga Lili Boulanger
は。
音楽一家に生まれました。

祖父フレデリックはチェリストでした。
祖母ジュリエットは歌手でした。

父エルネストはオペラ作曲家でした。
父エルネストは
パリ音楽院でローマ大賞音楽部門に輝いた経歴を持っています。
のち母校で声楽教師を務めました。

母ライサは旧姓ムィシェツカヤといい。
ロシアの公爵令嬢でした。

結婚するまでエルネストとはパリ音楽院で師弟関係にありました。

著名な音楽教師の。
ナディア・ブーランジェはリリの姉です。

++++++++++++++++++++++

リリ・ブーランジェ:
Marie-Juliette Olga Lili Boulanger
の。

ブーランジェ夫妻の子供のうち健康で
長寿を保ったのは第2子ナディアだけでした。

長女は生後まもなく急死。

リリ自身も臓器に障害があって
医師に短命を予告されていました。

それにもかかわらず2歳で神童ぶりを発揮して。
家族によって英才教育をほどこされました。

語学力と並んで楽器の演奏能力。
とりわけ初見演奏に秀でておりました。

ピアノ、ヴァイオリン、チェロ、ハープを
得意と致しました。

++++++++++++++++++++++

リリ・ブーランジェ:
Marie-Juliette Olga Lili Boulanger
は。

4歳の時から姉にくっついて。
パリ音楽院の講座にもぐりみました。
音楽の知識を吸収致しました。

長じてリリ自身も正式の学生となりました。

オルガンをルイ・ヴィエルヌに師事しながら。
音楽理論と作曲を最初は姉ナディアに師事しながら。

次いでポール・ヴィダルやジョルジュ・コサード、
そして。
フォーレに学びました。

++++++++++++++++++++++

リリ・ブーランジェ:
Marie-Juliette Olga Lili Boulanger
の恩師。

フォーレは。
ブーランジェ姉妹の父で同僚のエルネストと親しかったのです。
リリのことを。
幼児期から可愛がりました。

歌曲の楽譜をブーランジェ家に持ち込んでは
リリに演奏させていました。

1899年にエルネストが他界してからは。

フォーレはブーランジェ姉妹にとって。
父親代わりの役目も果たしていたようでした。

++++++++++++++++++++++

リリ・ブーランジェ:
Marie-Juliette Olga Lili Boulanger
は。

1913年にカンタータ
「ファウストとエレーヌFaust et Helene」
でローマ大賞を受賞。

これは、4度の受験の末に断念した。
姉ナディアの苦渋と屈辱をリリが代わって
晴らした面もあり。

一方ナディアも妹の力作を手引きしたともいえます。

++++++++++++++++++++++

リリ・ブーランジェ:
Marie-Juliette Olga Lili Boulangerの。

リリ・ブーランジェの作品は。
色彩的な和声と楽器法、歌詞への。
巧みな曲付けで名高いものです。

また幼くして老齢の父親の死を体験し。

自らも常に死の影に脅かされていたことから。
喪失感や不安、悲哀の感情も彼女の作品を
特徴づけていました。

彼女の作品には。
フォーレやドビュッシーの楽曲への
深い解釈が見受けられます。

彼女の独創的な作品は。
少なくとも
アルテュール・オネゲルに影響を及ぼしました。

++++++++++++++++++++++

リリ・ブーランジェ:
Marie-Juliette Olga Lili Boulanger
は。

免疫系が冒される気管支肺炎を2歳で発症したのに始まり。
ついには腸結核(現在では「クローン病」と呼ばれる)を
併発して。
24歳で若い命を散らすまで。

リリの生活と活動は宿痾の病に苛まれ続けた。

旅行を愛し。
ローマ大賞受賞後に。
イタリアでいくつかの作品を完成させたほどでした。

健康の衰えのために帰国を余儀なくされました。
(一説には、
リリの看護と世話のために付添い人が同行することを、
留学先の施設管理者が理解しなかったためといわれています)。

++++++++++++++++++++++

リリ・ブーランジェ:
Marie-Juliette Olga Lili Boulanger
は。

帰国後は、病身をなげうって。
第一次世界大戦に従軍するフランス人兵士を支援するため。

姉ナディアとともに文字通りに粉骨砕身致しました。

++++++++++++++++++++++

リリ・ブーランジェ:
Marie-Juliette Olga Lili Boulanger
は。
リリは最晩年も未完成の作品を仕上げるのに尽力したため。
音楽的にみのり豊かな時期を迎えることができました。

しかし、一生のうちの大半を費やした。
メーテルランク原作のオペラ「マレーヌ姫」
は完成させることができなかったのです。

リリはアルカションで絶筆の
「ピエ・イェズ」を口伝筆記で完成させた後。
昏倒して永眠致しました。

亡骸はパリのモンマルトル墓地に埋葬されています。

++++++++++++++++++++++

リリ・ブーランジェ:Marie-Juliette Olga Lili Boulanger
の名前は。

作曲家・林光の姉妹の
フルート奏者、林リリ子は彼女の名にちなんでいます。

さらにフラウト・トラヴェルソ奏者の
前田りり子は。
林の名にあやかっていると言われています

++++++++++++++++++++++

主要作品
カンタータ<ファウストとエレーヌ>Faust et Helene(1913年)
交響詩<哀しみの夜にD'un soir triste>(1917年〜18年)
ヴァイオリン(またはフルート)とピアノのための<春の朝にD'un matin de printemps>(1917年〜18年)
(ヴァイオリンと)ピアノのための<夜想曲 ヘ長調><行列 ホ長調>
ピアノ曲<暗い庭から>
詩篇 第24番(1916年)
詩篇 第130番(1910年〜17年)
古い仏陀の祈り

ピエ・イエズ(1918年)
(フランシス・ジャムの「悲しみ」による)
連作歌曲集<空の晴れ間>(1913年)
※この曲名は原題
「Clairieres dans le ciel」にリリ・ブーランジェが
こめた意図をどう理解すべきかが難題です。

訳名づくりにあたっては、さまざまな解釈が試みられています。

オンライン上では
「空のひらけたところ」という
やや天文学めいた訳が流布するようになっているほか。
「雲の切れ目」とする音楽学者もいます。

その他の歌曲・合唱曲
・略・

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++「続きを読むです1」++++++++++++++++++

リリ・ブーランジェ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%A7

リリ・ブーランジェ(Marie-Juliette Olga Lili Boulanger, 1893年8月21日 - 1918年3月15日)はフランスの作曲家。

生涯
音楽一家に生まれる。祖父フレデリックはチェリストで祖母ジュリエットは歌手。父エルネストはオペラ作曲家で、パリ音楽院でローマ大賞音楽部門に輝いた経歴を持つ。のち母校で声楽教師を務めた。母ライサは旧姓ムィシェツカヤといい、ロシアの公爵令嬢だった。結婚するまでエルネストとはパリ音楽院で師弟関係にあった。著名な音楽教師ナディア・ブーランジェはリリの姉である。

ブーランジェ夫妻の子供のうち健康で長寿を保ったのは第2子ナディアだけで、長女は生後まもなく急死、リリ自身も臓器に障害があって医師に短命を予告されていた。にもかかわらず2歳で神童ぶりを発揮し、家族によって英才教育をほどこされた。語学力と並んで楽器の演奏能力、とりわけ初見演奏に秀で、ピアノ、ヴァイオリン、チェロ、ハープを得意とした。

4歳の時から姉にくっつきパリ音楽院の講座にもぐりみ、音楽の知識を吸収。長じてリリ自身も正式の学生となり、オルガンをルイ・ヴィエルヌに師事しながら、音楽理論と作曲を最初は姉ナディアに、次いでポール・ヴィダルやジョルジュ・コサード、フォーレに学ぶ。フォーレはブーランジェ姉妹の父で同僚のエルネストと親しく、リリのことを幼児期から可愛がり、歌曲の楽譜をブーランジェ家に持ち込んでは、リリに演奏させていたという。1899年にエルネストが他界してからは、フォーレはブーランジェ姉妹にとって、父親代わりの役目も果たしていたようだ。

1913年にカンタータ「ファウストとエレーヌFaust et Helene」でローマ大賞を受賞。これは、4度の受験の末に断念した、姉ナディアの苦渋と屈辱をリリが代わって雪いだ面もあり、一方ナディアも妹の力作を手引きしたようである。

リリ・ブーランジェの作品は、色彩的な和声と楽器法、歌詞への巧みな曲付けで名高い。また、幼くして老齢の父親の死を体験し、自らも常に死の影に脅かされていたことから、喪失感や不安、悲哀の感情も彼女の作品を特徴づけている。彼女の作品には、フォーレやドビュッシーへの理解が見受けられ、彼女の独創的な作品は、少なくともアルテュール・オネゲルに影響を及ぼした。

免疫系が冒される気管支肺炎を2歳で発症したのに始まり、ついには腸結核(現在では「クローン病」と呼ばれる)を併発して24歳で若い命を散らすまで、リリの生活と活動は宿痾の病に苛まれ続けた。

旅行を愛し、ローマ大賞受賞後にイタリアでいくつかの作品を完成させたほどだったが、健康の衰えのために帰国を余儀なくされた(一説には、リリの看護と世話のために付添い人が同行することを、留学先の施設管理者が理解しなかったためといわれる)。帰国後は、病身をなげうって、第一次世界大戦に従軍するフランス人兵士を支援するため、姉ナディアとともに文字通りに砕身粉骨した。

リリは最晩年も未完成の作品を仕上げるのに尽力したため、音楽的にみのり豊かな時期を迎えることができた。しかし、一生のうちの大半を費やした、メーテルランク原作のオペラ「マレーヌ姫」は完成させることができなかった。リリはアルカションで絶筆の「ピエ・イェズ」を口伝筆記で完成させた後、昏倒して永眠した。亡骸はパリのモンマルトル墓地に埋葬されている。

作曲家・林光の姉妹のフルート奏者、林リリ子は彼女の名にちなんでおり、さらにフラウト・トラヴェルソ奏者の前田りり子は、林の名にあやかっていると言われる。

主要作品
カンタータ<ファウストとエレーヌ>Faust et Helene(1913年)
交響詩<哀しみの夜にD'un soir triste>(1917年〜18年)
ヴァイオリン(またはフルート)とピアノのための<春の朝にD'un matin de printemps>(1917年〜18年)
(ヴァイオリンと)ピアノのための<夜想曲 ヘ長調><行列 ホ長調>
ピアノ曲<暗い庭から>
詩篇 第24番(1916年)
詩篇 第130番(1910年〜17年)
古い仏陀の祈り
ピエ・イエズ(1918年)
(フランシス・ジャムの「悲しみ」による)連作歌曲集<空の晴れ間>(1913年)
※この曲名は原題「Clairieres dans le ciel」にリリ・ブーランジェがこめた意図をどう理解すべきかが難題で、訳名づくりにあたっては、さまざまな解釈が試みられている。ここでは単行本の訳に従うが、オンライン上では「空のひらけたところ」というやや天文学めいた訳が流布するようになっているほか、「雲の切れ目」とする音楽学者もいる。
その他の歌曲・合唱曲

評伝・外部リンク
The Life and Works of Lili Boulanger (ISBN 0838617964) / Leonie Rosenstiel
『女性作曲家列伝』(平凡社、1999年03月、ISBN 4-582-84189-9)
「空のひらけたところ」訳詞
作曲家リリー・ブーランジェ
IMSLP - International Music Score Library Project 内のリリ・ブーランジェのページ。無料で楽譜が入手可能。
この「リリ・ブーランジェ」は、クラシック音楽に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%A7" より作成
カテゴリ: 近現代の作曲家 | フランスの作曲家 | 障害を持つ人物 | 1893年生 | 1918年没
隠しカテゴリ: クラシック音楽関連のスタブ | 人物関連のスタブ項目

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++
3月15日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/3%E6%9C%8815%E6%97%A5

できごと
紀元前44年 - ガイウス・ユリウス・カエサルがマ
ルクス・ユニウス・ブルートゥスらに暗殺される。(ユリウス暦)

797年(延暦16年2月13日) - 続日本紀全40巻が完成する。

1493年 - クリストファー・コロンブスが、アメリカを発見した航海からスペインに帰還。

1545年 - トリエント公会議が招集される。

1717年(享保2年2月3日) - 徳川吉宗が大岡忠相を江戸南町奉行に登用する。

1820年 - メーン州がアメリカ合衆国の23番目の州となる。

1917年 - ロシア皇帝ニコライ2世が退位。

1922年 - エジプトのファード1世が、
イギリスから条件付きで独立したエジプトの国王に即位。

1928年 - 三・一五事件。

1930年 - 日本最初の臨海公園である横浜の山下公園が開園。

1939年 - ナチス・ドイツがボヘミア、モラビアを占領し、チェコスロバキアが消滅。

1947年 - 東京都の35区が22区に整理統合される。

1947年 - 徳島県撫養町、鳴門町、瀬戸町、里浦村が合併して鳴南市が発足。
しかし、市名が住民に不評のため同年5月に鳴門市に改称。

1951年 - 千葉県佐原町、香取町、東大戸村、香西村が合併、佐原市(現香取市)が誕生。

1951年 - 富山県射水郡新湊町が市制施行で新湊市(現射水市)になる。

1954年 - 茨城県結城町、絹川村、上山川村、山川村、江川村の
1町4村が合併し市制を施行し結城市となる。

1954年 - 茨城県下館町が市制施行、下館市(現・筑西市)となる。

1956年 - ニューヨークでブロードウェイミュージカル「マイフェアレディ」の公演開始。

1961年 - 南アフリカがイギリス連邦から脱退。

1961年 - 三島由紀夫の小説『宴のあと』でプライバシーを侵害されたとし
有田八郎が三島を告訴。日本初のプライバシー侵害訴訟。

1972年 - 山陽新幹線の新大阪駅-岡山駅間が開業。

1988年 - カラオケボックスの演奏にも、著作権が適用されると最高裁判所が判断。

1990年 - ミハイル・ゴルバチョフがソビエト連邦初代大統領に就任。

1992年 - TBS、文化放送、ニッポン放送、毎日放送、朝日放送の
AMラジオ局5局が午前9時から同時に、日本初のAMステレオ放送の本放送を開始。

1994年 - 近鉄23000系電車(伊勢志摩ライナー)が大阪上本町・名古屋〜賢島間で運転開始。

1997年 - ナゴヤドーム開業。

2005年 - 東武伊勢崎線竹ノ塚駅踏切で事故発生、
4人死傷(東武伊勢崎線竹ノ塚駅踏切死傷事故)。

2008年 - 東海道新幹線のすべての「のぞみ」「ひかり」が
品川駅・新横浜駅停車になる。

誕生日
1097年(承徳元年閏1月29日) - 藤原忠通、公卿(+ 1164年)

1615年 - インノケンティウス12世、ローマ教皇(+ 1700年)

1638年 - 順治帝

1713年 - ニコラ・ルイ・ド・ラカーユ、天文学者(+ 1762年)

1767年 - アンドリュー・ジャクソン、第7代米大統領(+ 1845年)

1779年 - メルボルン子爵ウィリアム・ラム

1864年 - ヨハン・ハルヴォルセン、作曲家・指揮者

1889年 - ジョセフ・ジェンキンス・ロバーツ、リベリア共和国初代大統領

1835年 - エドゥアルト・シュトラウス、作曲家(+ 1916年)

1854年 - エミール・ベーリング、細菌学者(+ 1917年)

1856年(安政3年2月9日) - 原敬、第19代内閣総理大臣(+ 1921年)

1862年 - 近藤たま、新撰組局長、近藤勇の一人娘(+ 1886年)

1902年 - 山本嘉次郎、映画監督(+ 1974年)

1911年 - 堀尾文人、元プロ野球選手(+ 1949年)

1916年 - 五味川純平、小説家(+ 1995年)

1920年 - 玉腰忠義、元プロ野球選手

1921年 - 福島菊次郎、写真家

1923年 - 宮川ひろ、児童文学作家

1926年 - 坂本文次郎、元プロ野球選手(+ 1994年)

1927年 - 関根潤三、元プロ野球選手・監督、評論家

1932年 - 平岩弓枝、脚本家・小説家

1933年 - 針すなお、漫画家・イラストレーター

1933年 - フィリップ・ド・ブロカ、映画監督(+ 2004年)

1933年 - 中牟礼貞則、ギタリスト

1939年 - 西部邁、経済学者

1940年 - フィル・レッシュ、ミュージシャン(『グレイトフル・デッド』)

1940年 - クリフジ、競走馬・繁殖牝馬(+ 1964年)

1940年 - 佐々木吉郎、元プロ野球選手

1942年 - 高村正彦、衆議院議員(外務大臣)

1943年 - 森次晃嗣、俳優

1945年 - 竹之内雅史、元プロ野球選手

1946年 - 佐藤正治、声優

1946年 - ボビー・ボンズ、元メジャーリーガー(+ 2003年)

1948年 - 幹本雄之、声優
1948年 - 屋良有作、声優
1948年 - 堀井和人、元プロ野球選手
1949年 - 杉田久雄、元プロ野球選手
1952年 - スティーブ・ストローター、元プロ野球選手
1954年 - 伊東たけし、サキソフォン奏者
1954年 - ロバート・カバス、ウェイトリフティング選手
1955年 - 二又一成、声優
1955年 - 塚田三喜夫、歌手
1956年 - 高橋葉介、漫画家
1959年 - レニー・ハーリン、映画監督・映画プロデューサー
1960年 - 横峯良郎、参議院議員、実業家・ゴルフコーチ
1961年 - 岡本哲司、元プロ野球選手
1962年 - 梶島正樹、アニメーター・キャラクターデザイナー
1962年 - マルクス・メルク、サッカー審判員
1962年 - キーストン、競走馬(+ 1967年)
1963年 - 肥後克広、お笑いタレント(ダチョウ倶楽部)
1963年 - 弥生みつき、声優
1966年 - 武内直子、漫画家
1967年 - ロバート・ローズ、元プロ野球選手
1967年 - 斉藤律、ミュージシャン
1967年 - 菊池淳介、ラジオパーソナリティ・ディレクター
1968年 - カヒミ・カリィ、歌手
1969年 - 武豊、騎手
1969年 - 武藤潤一郎、元プロ野球選手
1970年 - 佳月大人、声優
1971年 - 純名りさ、女優
1971年 - ノーザンテースト、競走馬・種牡馬(+ 2004年)
1972年 - ハワード・バトル、元プロ野球選手
1974年 - 菊地由美、女性タレント
1975年 - ベセリン・トパロフ、チェスプレーヤー
1975年 - ピエール・ヌジャンカ、サッカー選手
1975年 - 坂口拓、俳優
1977年 - 山本"KID"徳郁、総合格闘家
1977年 - 小田幸平、プロ野球選手
1977年 - 赤岡修次、騎手
1977年 - エイドリアン・バーンサイド、プロ野球選手
1978年 - 小林尊、フードファイター
1978年 - ジョシュ・マトス、野球選手
1982年 - 安村昇剛、お笑い芸人(アームストロング)
1982年 - 中村ゆり、女優
1983年 - 塩川達也、プロ野球選手
1983年 - 渋江譲二、俳優
1984年 - 杉田沙緒里、グラビアアイドル
1985年 - 飯田龍一郎、元プロ野球選手
1986年 - 佐藤弥生、タレント
1987年 - 渋谷桃子、アイドル
1989年 - オンドジェイ・マズフ、サッカー選手
1990年 - 森川加奈子、美少女クラブ31
1991年 - 北乃きい、女優
1993年 - 岡田ロビン翔子、THE ポッシボー
2003年 - マツリダゴッホ、競走馬

忌日
紀元前44年 - ガイウス・ユリウス・カエサル、古代ローマの政治家(* 紀元前100年頃)

220年(建安25年1月23日) - 曹操、三国時代の武将(* 155年?)

493年 - オドアケル、イタリア王(* 433年)

1184年(元暦元年2月2日)- 樋口兼光、平安時代の武将

1272年(文永9年2月15日)- 北条時輔、六波羅探題南方(* 1248年)

1416年 - ジャン1世、ベリー公(* 1340年)

1575年 - アンニーバレ・パドヴァーノ、作曲家(* 1527年)

1648年(慶安元年閏1月21日)-
覚深法親王、仁和寺第21世門跡・後陽成天皇第一皇子(* 1588年)

1842年 - ルイジ・ケルビーニ、作曲家(* 1760年)

1866年(慶応2年1月29日)- 松平信義、丹波亀山藩主・江戸幕府老中(* 1824年)

1868年(慶応4年2月22日)- 神保長輝、会津藩軍事奉行添役(* 1834年)

1882年 - トーマス・ヒル・グリーン、哲学者(* 1836年)

1891年 - テオドール・ド・バンヴィル、詩人・劇作家(* 1823年)

1897年 - ジェームス・ジョセフ・シルベスター、数学者(* 1814年)

1917年 - 山路愛山、評論家・歴史家(* 1865年)

1918年 - リリ・ブーランジェ、作曲家(* 1893年)

1937年 - ハワード・フィリップス・ラヴクラフト、小説家(* 1890年)

1938年 - アレクセイ・ルイコフ、ソ連首相(* 1881年)

1938年 - ニコライ・クレスチンスキー、ソ連外交官(* 1883年)

1938年 - ニコライ・ブハーリン、ソ連共産党政治局員(* 1888年)

1938年 - ゲンリフ・ヤゴーダ、元ソ連内務人民委員部長(* 1891年)

1942年 - アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキー、作曲家(* 1871年)

1942年 - 安井仲治、写真家(* 1903年)

1945年 - ピエール・ドリュ=ラ=ロシェル、小説家(* 1893年)

1948年 - 山崎達之輔、政治家(* 1880年)

1957年 - 村田省蔵、元逓信大臣・鉄道大臣(* 1878年)

1959年 - レスター・ヤング、ジャズミュージシャン(* 1909年)

1962年 - アーサー・コンプトン、実験物理学者(* 1892年)

1969年 - 武藏山武、大相撲第33代横綱(* 1909年)

1975年 - アリストテレス・オナシス、実業家(* 1906年)

1977年 - アントニオ・ロッカ、プロレスラー(* 1927年)

1979年 - レオニード・マシーン、バレエダンサー(* 1896年)

1981年 - 堀口大學、詩人(* 1892年)

1981年 - ルネ・クレール、映画監督(* 1898年)

1991年 - 松村勝男、家具デザイナー(* 1923年)

1997年 - 木下勇、元プロ野球選手(* 1920年)

1998年 - ベンジャミン・スポック、小児科医(* 1903年)

1999年 - 佐藤伸治、歌手・ギタリスト(フィッシュマンズ)(* 1966年)

2004年 - ジョン・ポープル、化学者(* 1925年)

2004年 - 神山卓三、声優(* 1931年)

2006年 - ゲオルギオス・ラリス、元ギリシャ首相(* 1918年)

2008年 - 鈴木敏通、陸上幕僚長(* 1924年)

2008年 - 佐々木繁明、実業家(* 1930年)

記念日・年中行事

靴の記念日

世界消費者権利デー