東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年3月18日(水曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年3月18日(水曜日)

「3月」「春」になりました。

もうすぐ「4月」です。

「春」の「3月」になりました。

「春」は。

まちどおしいもの

であったことが

あらためて。

あらためて。

みにしみて。

感じられます。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。

まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

「初春」です。

今は。「3月」。

最初のあたらしい「春」です。

「春」になりました。

「昨年」の晩秋には。
晩秋の花木。
「金木犀:きんもくせい」花を咲かせました。
日々ますます花をさかせていました。
「実りの花」。

「金木犀:きんもくせい」は「秋」に「2度」咲きました。
「銀木犀:きんもくせい」も咲きました。
「金木犀:きんもくせい」の花は黄金色です。
「銀木犀:きんもくせい」の花は「プラチナ色」です。

かおりも全く違います。
「金木犀:きんもくせい」より。
「銀木犀:きんもくせい」は10日遅れで咲きました。

今は「初春」の「3月」。

「銀木犀:きんもくせい」も

「銀木犀:きんもくせい」も

はるかかなたに。

「花」はおわりました。

そして。

「木犀:もくせい」は。

今「3月」の「春」を迎え。

さらなるあたたかき「春」にむけて。

もっと大きな「春」をまつ。

準備をしています。

「木犀:もくせい」は常緑樹です。

「春」になると。

「葉色」と「葉のあつさ」はかわります。

「「春かぜ」に耐える葉の厚さ」。

になります。

秋のみのりの花まで。

すこやかに育つ「葉」になります。

「初春」の「3月」の。

「春の花」の花がみえます。

「春の花」の草花もみえます。

「山茶花(さざんか)」や「やぶつばき」は
不思議な木です。

「山茶花(さざんか)」や。
「やぶつばき」の「花」は。

とりわけ夜の「春吹雪:はるふぶき」に
弓射られて地上に落花致します。

「春」とはいえ。
まだ「はやい」。

さむく。
「花粉」を運ぶ「昆虫」の少ない
時期に「花は咲きます」。
あおして。
花がひらくと同時に花はちります。

「山茶花(さざんか)」や「やぶつばき」
の木下には「毛氈(もうせん)花壇」のように。
「紅白の花びら」が。
舞いおりてています。

その地上の。
「山茶花(さざんか)」や「やぶつばき」
の存在を誇示するがごとくです。

「やぶつばき」や「山茶花(さざんか)」
一夜の落花は「謎」のようです。

「春」のこの時期。
昆虫は極めて少ないから。

「種の保存」から。
なんらかの「方法」で。

「山茶花(さざんか)」や「やぶつばき」は。

地上の「紅白」のはなびらで。

昆虫に頭上にその存在を
探知させているのかもしれません。

地面の上の

「春の花」が。

「花びら」で存在を誇示しても。

木々の「花」は天上。

「花」こそみえません。

けれども。

「春の花」。

その「いのちの芳香」は。

とくとくと。

遠くまで。

ただよっているかのごとくです。

「新年」「初春」。

「3月」の「春」です。

常緑の。

「春の花」は元気です。

元気な「春」です。

「春の花」の木は

花が落ちて。

「木の下」に「フェルマータ"fermata"」*

が。

楽譜のように記譜されているような。

「春の花」の「木」。

「落花生」のような「春の花」の木です。

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C・

イタリア語におけるフェルマータ"fermata"とは。
英語"stop"に相当する名詞です。
(例えばイタリアのバス停の
標識には"Fermata"の表示があります)。

音楽美学の世界では。

絵画には限られた面積があるのと同じように。
音楽には。
「限られた時間」—つまり「初め」と「終わり」—があることが
宿命とされています。
古い時代の楽譜のときはその終止線の上下や終結音の
上下に現在のフェルマータのマークの基となったデザインが
配されました。

そこで音楽の終わりを意味致しました。

時間の流れを止めることはできません。
けれども曲の終わりでは。
音楽を止めることによってその時空に終わりが
発生することとなります。
「停止」という意味の"fermata"の概念はそのように
発生したと解されます。

付与された音符や休符で音楽の時間の流れを
停止させる意味を持ちます。

「♪」
に付与されれば
「♪」
その音のまま「停止」=「ずっと鳴り続ける」
「休止符」
に付与されれば
「休止符」
その旋律は「停止」=「ずっと鳴らない」
ことになります。
楽譜の節目の
縦線に付与される場合には。
一記譜上に存在しない挿入された休符が空白時間として
求められます。

ただし
前の音から伸ばされたタイ(スラー)が。
縦線の上を横切っている場合と
そこにピアノにおけるペダルなどの
保続効果の指示が見られる場合は。
空白時間として処理されず音を保続させる時間を
別途挿入することとなります。

フェルマータ"fermata"。

そのマークは「一日の終わりである日没」
に由来したデザインとも言われています。
-------------------------------

「春」。

「春」の女神の。

「佐保姫(さほひめ)」が導く。

「春」です。

今朝早朝の真っ暗な時間に

「吐息」が「白く」みえます。

急速に。

とりわけ朝暗いうちは。

かけあしで朝はあけますが。

「とてもとてもさむいです」。

今朝早朝は。

暗いうち晴れて。

霧雨の合間に。

久方ぶりにたくさんのたくさんの。

星をみました。

そして天井の空高く。

ひさしぶりに「月」の

かがやきをみました。

地上の変化(へんげ)が天高くたちのぼり
月や星に結晶して。
芳香をはなつがごとく光をはなつように
見えます。

空気が澄み。
大気がすんでいるからでしょう。

「天高く」

(てんたかく)とは。

なるほどと考えます。

ささやかな
「春吹雪:はるふぶき」の合唱も。
なかなかすてきです。

ブラスでもない。木管でもない。弦でもない。
グラスハープの。
スラーをかけた。
オーケストラを聴いているようです。

「3月」になり
「春吹雪:はるふぶき」のかぜおとは。
「アリア」として。
次第に出番が多くなりました。

寒い中でも
「極めて大きな声でうたっている」
「春吹雪:はるふぶき」が
「1-2」はいるのが不思議です。

「春の花」の木の上か。
電線にとまったり。
またさらに
上空で「春吹雪:はるふぶき」は。
歌っているようです。

うっすらと「まど」を開けると。

「佐保姫(さほひめ)」の吹く。

「春」のワルツのような。

音色ではいりこもうとします。

「春」のかおりがします。

そぞろ そぞろに。
静かながらに。

「3月」の朝焼けと。
夕焼けどきに。

ひそやかながらもあきらかに。
「佐保姫(さほひめ)」の舞う。

気配にあと押しされて。

「確かな「春」」のかおりが。
大気にかげろううや蜃気楼のように
ただよいはじめています。

昼間はあたたかい
陽射しを感じることが
多くなりました。

「初春」「新年」の「3月」。

「春」です。

そして「あたたかい春」です。

3月の「初春」の気配は。
あっというまに。
「春」の「霞(かすみ)」に「霊気(れいき)」
のように。
おぼろに変化して。

次第に「暖かい春」の気配にうつろいていく。
「井戸のつるべ」があがるようです。

「もっと深い「春」」が。

ピアニッシモ。
ppで。
しのびよりました。

朝日と東の朝焼け青空に。
「朝焼け」の。

空にはそらいろとピンクのレースのような

あやにしきの
「くれゆくはるのいろ」
「むかえくるはるのいろ」が感じられます。

春陽射し(ひさし)やさしき春。
春空にも地にも天高くはれ。
春の大気のひそみかくれ。
春そらにみちてあふれれば。
春吐息(ためいき)となり。
春吐息が霧雨か霞になり。
春おりてくるような感じです。
春のふかまりゆく気配
になりました。

冬なお「力強い」の木々のめぶきは
初冬の息吹から春への息吹への。
変化(へんげ)を感じます。

早朝は「とても寒い」です。
今年は「寒い」です。

百姓のうまれなので「冷春」が心配です。

街路樹はしっかりと
冬ながらも枝木の穂先もたわわにつよく
「晩冬」の萌黄色の若芽もち。
「初春」のあおい「木」にかわりました。
「新年」のあおい「木」は。

「実りの「春」」のおとづれを。
そしてさらなる「冬の深まり」を超えて。

そしていま厳しい冬をがんばって。
「あたたかい「春」」を。

むかえようとしています。

「本物の冬」から。

「もともっと寒い冬」

「晩冬」のをのりこえ。

「春」になりました。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックの
庭の。

春山椒(さんしょう)の木の芽が
春にも若葉はそだち。
春若葉は冬の若枝となり。
春若枝は天高くすこやかにのび。
春のふかまりにますますすこやかに。
春山椒(さんしょう)の木のみどり葉。
春空に燃えるが如くの炎葉です

さんしょうを
木の芽(このめ)といふは
なるほどと
かんがえる

春深まりたり
春空たかく
春あやにしき
春みどり木
春さんしょう木
春陽をあびてかがやけり
春いざいまこそは
春金色(かがね)にかわり
春赤き春空に燃えたたむ

春さんしょう木
春もえぎの炎(ほのほ)は芽葉(めは)
春わかば葉はいずるは花ならむ
春(はる)こす枝は幹ならむ
春いざいまこそは
春空(そら)たかくもえたたむ
春金色(こがねいろ)なる
春さんしょう木
春(ふゆ)深まれり

山本クリニックの庭には水槽が
「2つ」あります。
めだかが泳いでいます。

春ふかく草を浮かべる水面(おも)に
春めだかのむれのひかりたり
春むれておよげるひめだかの
春みずのなかなるちいさないのち
春みずのなかなるおおきないのち
春みのりてあまたにとほときいのちこそ
春いざみずもにうつしはぐくまむ

けれども
早朝は本当にはだ寒いのです。

小さなふはるつけたから
しだいに大きなはるみつけた。

大きなはるみつけたから
さらに大きな大きなはるみつけた

「小さい春みつけた」は。

「こころしずまる気」

がいたします。

「春」になります。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

平成21年1月12日(水曜日)は
「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年2月11日(水曜日)

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。
限られた診療スタッフで。
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
-------------------------------

平成21年3月20日(金曜日)

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
限られた診療スタッフで。
御予約の患者さんのみ。
限られた時間帯で診療を行います。

-------------------------------

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

-------------------------------

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
季節の変わり目に「反復性上気道感染」に
なられるかたが多いです。

「世情は不安定」であり何かひとつ
生活しづらい日々を感じられる
かたも多いものです。。

人間は「倒れるまではたっています」。
人間は「冬・春」の旅に(度に)齢を重ねる。

昔の「数え年」は「たいした物」だと思います。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝。

「今日は何の日」は。

第三共和政下パリで。
コンドルセ中学の教師として。

英語を教える傍ら。
生涯にわたって詩の可能性を探り。

難解な詩や批評を書き綴った
フランス・パリの詩人。

1876年『半獣神の午後』の挿絵で。

豪華本のコラボレーション

を行い。

この作品に。

インスピレーションを受けて。

ドビュッシーが。

『牧神の午後への前奏曲』を作曲

した詩人。

1842年 - ステファヌ・マラルメ、詩人(+ 1898年)
の生誕日です。

++++++++++++++++++++++

ステファヌ・マラルメ:Stephane Mallarme,
1842年3月18日 - 1898年9月9日)は。

19世紀フランスの象徴派の系譜に入る。

アルチュール・ランボーと並ぶ代表的詩人です。

代表作に
『半獣神の午後』『パージュ』『詩集』『骰子一擲』
(とうしいってき、『サイコロの一振り』とも)。
評論集『ディヴァガシオン』などがあります。

++++++++++++++++++++++

ステファヌ・マラルメ:
Stephane Mallarme
は。

パリに生まれました。

本名エティエンヌ・マラルメ(Etienne Mallarme)です。

若いうちにユーゴーらのロマン派の影響を受けて
詩作を始めました。

ボードレールの作風やアメリカの詩人・作家の
エドガー・アラン・ポーの『詩の原理』を
もとに創った詩が。

文壇に知られるようになりました。

第三共和政下パリで、コンドルセ中学の教師として
英語を教える傍ら。

生涯にわたって詩の可能性を探り。
難解な詩や批評を書き綴りました。

++++++++++++++++++++++

ステファヌ・マラルメ:
Stephane Mallarme

初期詩篇と呼ばれる1860年代前半までの詩は。

ボードレールの問題系である
「理想と現実の差異への葛藤と苦しみ」が。

その後は「詩が書けないこと」そのものを
主たるテーマにおいています。

マラルメが
ある時期から生涯を通じて目指していたのは。

詩を創作する上で生じる「偶然」を排した
完全・完璧な美しい詩を書くことであったのです。

++++++++++++++++++++++

ステファヌ・マラルメ:
Stephane Mallarme
は。

その並外れた困難さゆえに。
極度の詩作の不毛に悩まされました。

それこそが後に着想される「作品」OEuvreです。

彼の詩集に収められた詩は、幾つかの例外を除いて。
ほとんどがこの「作品」
(更なる後に「書物」Livreに置き換わる)
の制作過程の副産物であったとも考えられます。

++++++++++++++++++++++

ステファヌ・マラルメ:
Stephane Mallarme
は。
1866年、その「作品」の重要な位置を担うはずの
『エロディヤード』(古序曲)を書き進めていくうちに。

「形而上学的危機」
(友人に宛てた手紙の中で
「幸いにも私は完全に死んだ」
との文言を書き記しました。
これがモーリス・ブランショの
思索に強く影響を与えるに到りました。)

と呼ばれる精神状態をもたらしました。

この世の一切が虚無であることに遭遇し。

キリスト教における神の死を悟り。

、ロゴスとコギトが解体され、存在の根拠を失いました。

しかし詩の根源的なあり方へと
その思索と魂の探求を深めていくなかで。

詩人は「美」Beauを発見し。
それを詩と宇宙の中心原理と致しました。

++++++++++++++++++++++

ステファヌ・マラルメ:Stephane Mallarmeの。

このころ執筆された『イジチュール』は。

文法も意味も極限まで拡散された最たるものです。

かなり判別できない文法を辛うじて読み進めると。

書く行為(エクリチュール)が人間存在の根底に
関わっている所作であることの物語として
読めるかもしれません。

++++++++++++++++++++++

ステファヌ・マラルメ:Stephane Mallarme
は。
この体験を契機とし。

マラルメはフランス文学史上(あるいは世界文学史上)。

初めて詩と人間の根源について問いを立て。
それを体系的に提示し(あるいは提示しようとし)
今でも多くの示唆を我々に与えています。

++++++++++++++++++++++

ステファヌ・マラルメ:Stephane Mallarme
は。

1870年代に入ると、地方の中学を転々と
赴任していたマラルメはパリへと赴きました。

英語教師の職を再び得て。
積極的にジャーナリズム活動を始めました。

1873年ごろ、画家のマネと知り合い。
1874年にポーの『大鴉』の散文訳。
1876年『半獣神の午後』の挿絵で
豪華本のコラボレーションを行いました。

この作品にインスピレーションを受けて
ドビュッシーが『牧神の午後への前奏曲』
を作曲致しました。

++++++++++++++++++++++

ステファヌ・マラルメ:Stephane Mallarme

1880年代以降の後期詩篇は。

主に詩にまつわるさまざまな精神的事象を。
詩そのもので説明するメタポエムが多い。

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ステファヌ・マラルメ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%AB%E3%83%A1

ステファヌ・マラルメ(Stephane Mallarme, 1842年3月18日 - 1898年9月9日)は、19世紀フランスの象徴派の系譜に入る、アルチュール・ランボーと並ぶ代表的詩人。代表作に『半獣神の午後』『パージュ』『詩集』『骰子一擲』(とうしいってき、『サイコロの一振り』とも)、評論集『ディヴァガシオン』など。

目次 [非表示]
1 生涯と詩作
2 詩と思索
3 交友関係
4 評価
5 邦訳
6 参考文献

生涯と詩作
パリに生まれる。本名エティエンヌ・マラルメ(Etienne Mallarme)。若いうちにユーゴーらのロマン派の影響を受けて詩作を始め、ボードレールの作風やアメリカの詩人・作家のエドガー・アラン・ポーの『詩の原理』をもとに創った詩が文壇に知られるようになる。第三共和政下パリで、コンドルセ中学の教師として英語を教える傍ら、生涯にわたって詩の可能性を探り、難解な詩や批評を書き綴った。

初期詩篇と呼ばれる1860年代前半までの詩はボードレールの問題系である「理想と現実の差異への葛藤と苦しみ」が、その後は「詩が書けないこと」そのものを主たるテーマにおいている。マラルメがある時期から生涯を通じて目指していたのは、詩を創作する上で生じる「偶然」を排した完全・完璧な美しい詩を書くことであった。その並外れた困難さゆえに、極度の詩作の不毛に悩まされた。それこそが後に着想される「作品」OEuvreである。彼の詩集に収められた詩は、幾つかの例外を除いて、ほとんどがこの「作品」(更なる後に「書物」Livreに置き換わる)の制作過程の副産物であったとも考えられる。

1866年、その「作品」の重要な位置を担うはずの『エロディヤード』(古序曲)を書き進めていくうちに「形而上学的危機」(友人に宛てた手紙の中で「幸いにも私は完全に死んだ」との文言を書き記すが、これがモーリス・ブランショの思索に強く影響を与える)と呼ばれる精神状態をもたらす。この世の一切が虚無であることに遭遇し、キリスト教における神の死を悟り、ロゴスとコギトが解体され、存在の根拠を失う。しかし詩の根源的なあり方へとその思索と魂の探求を深めていくなかで、詩人は「美」Beauを発見し、それを詩と宇宙の中心原理とする。

このころ執筆された『イジチュール』は、文法も意味も極限まで拡散された最たるものであるが、かなり判別できない文法を辛うじて読み進めると、書く行為(エクリチュール)が人間存在の根底に関わっている所作であることの物語として読める。この体験を契機とし、マラルメはフランス文学史上(あるいは世界文学史上)、初めて詩と人間の根源について問いを立て、それを体系的に提示し(あるいは提示しようとし)、今でも多くの示唆を我々に与えている。

1870年代に入ると、地方の中学を転々と赴任していたマラルメはパリへと赴き、英語教師の職を再び得て、積極的にジャーナリズム活動を始める。1873年ごろ、画家のマネと知り合い、1874年にポーの『大鴉』の散文訳、1876年『半獣神の午後』の挿絵で豪華本のコラボレーションを行う。この作品にインスピレーションを受けてドビュッシーが『牧神の午後への前奏曲』を作曲した。

1880年代以降の後期詩篇は、主に詩にまつわるさまざまな精神的事象を、詩そのもので説明するメタポエムが多い。

最晩年、『コスモポリス』誌に『骰子一擲』を発表。これは「詩と偶然」について扱われたものだが、さまざまに異なる書体や文字の大きさを用い、それまでの西洋詩のもつ諸概念を根本的に覆した。「賽(サイコロ)の一振りは決して偶然を排さないだろう」"UN COUP DE DES JAMAIS N'ABOLIRA LE HASARD"という軸になる一文と、それにまつわる複数の挿入節の文章で構成されている。詩の内容のみならず、その視覚的形態はいまなお革新的で斬新である。

その後、マラルメは『エロディヤードの婚礼』の執筆に着手したが、1898年、咽喉痙攣によって窒息し、帰らぬ人となり、「作品」は未完となった。

詩と思索
マラルメの詩と思索は難解さをもって世に知られる。詩作初期からその傾向があったが、前述の危機以降、それはますます強くなる。文法が一般的なフランス語法から乖離していることもその一因である。それは詩に留まらず、後期の散文にも当てはまる。マラルメが好んで難解さを求めたこと、物事を仄めかすことによって何かを伝えることを目的としたこと、文法よりも詩的リズムを重視したことなどが理由として挙げられる。

彼の思索は、その文学中心主義に特徴がある。「世界は一冊の書物に至るために作られている」という彼自身の言葉がそれを表している。後に『ディヴァガシオン』(1897年)に収められるさまざまな分野にまたがる評論・批評(バレエ、音楽、絵画、あるいは政治事件など)は、常に文学の問題へと収斂されていく。例えばバレエを「身体で描くエクリチュール(文字、書く行為)」ととらえて表現した有名なことばなどは、20世紀の舞踊論に大きな影響を与えたが、芸術の表象が記号として機能していることを早くに喝破した。

そしてそのように、文学にまつわるあらゆる事象を読解するその視線は、いまなお多くの可能性を含んでいる。

交友関係

マネ ステファヌ・マラルメの肖像(1876年)マラルメはマネをはじめ、諸芸術家とたいへん親交が深かったことでも有名である。ローマ街にある自宅で開かれた「火曜会」と呼ばれる会合には、数えればキリがないものの、画家のモネ、ルノワール、そしてドガなどの印象派をはじめゴーギャンやドニ、ホイッスラー、詩人のヴェルレーヌ、ヴァレリー、作家のオスカー・ワイルド、アンドレ・ジッド、作曲家のドビュッシーなど、錚々たる芸術家が集まった。

評価
マラルメの、高度に難解な思想の可能性は現代に入ってようやく理解され始めてきた。サルトル、ブランショらはマラルメの文学に関する思索と営為の可能性を示し、特に「書くとは何か」という点でテル・ケル派や現代思想家、とりわけロラン・バルト、ミシェル・フーコー、デリダらにも影響を与えている。文学者クリステヴァらはマラルメを現代詩人のさきがけととらえ、詩人のイヴ・ボヌフォワは幾分かの留保をしつつも、積極的にマラルメの詩学について多くの思索を行っている。

邦訳
『ステファヌ・マラルメ全集』(全5巻、筑摩書房)、1989年−(1巻の「詩集」は未刊)。

渡邊守章、清水徹、阿部良雄、菅野昭正、松室三郎訳

参考文献
『世界文学大事典4』集英社、1997年。
ポール・ヴァレリー『マラルメ論叢 増補版ヴァレリー全集7』筑摩書房、1978年。
アルベール・ティボーデ (田中淳一・立仙順朗訳)『マラルメ論』沖積舎、1991年。
ギィ・ミショー (田中成和訳)『ステファヌ・マラルメ』水声社、1993年。
ジャン=ピエール・リシャール(田中成和訳)『マラルメの想像的宇宙』水声社、2004年。
ジャン=リュック・ステンメッツ(柏倉康夫・永倉千夏子・宮嵜克裕訳)『マラルメ伝 絶対と日々』筑摩書房、2004年。
イヴ・ボヌフォワ(阿部良雄・菅野昭正訳)『マラルメの詩学』筑摩書房、2003年。
柏倉康夫『生成するマラルメ』青土社、2005年。
—『マラルメ探し』青土社、1992年。
—『マラルメの火曜会 世紀末パリの芸術家たち』丸善ブックス、1994年。
『臨時増刊ユリイカ 総特集ステファヌ・マラルメ』1986年9月号、青土社。
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カテゴリ: フランスの詩人 | 象徴派の詩人 | 文芸評論家 | 1842年生 | 1898年没

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3月18日
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できごと
1229年 - 神聖ローマ帝国皇帝フレデリック2世が第六次十字軍の途上、
エルサレム王への即位を宣言。

1438年 - ハプスブルク家のアルベルト2世がドイツ王に即位。

1766年 - アメリカ独立戦争中、イギリス議会が印紙税法を廃止。

1850年 - アメリカン・エキスプレス社がヘンリー・ウェルズと
ウィリアム・ファーゴにより創立される。

1874年 - ハワイがアメリカに独占的な通商権を与える条約を結ぶ。

1909年 - エイナー・デサウが短波無線送信器を使い、
ハム無線通信士として初めて放送を行う。

1913年 - ギリシャ国王ゲオルギオス1世が暗殺される。

1915年 - 第一次世界大戦で連合国によるダーダネルス海峡進攻作戦が失敗。

1921年 - ポーランドとソビエト連邦の間でリガ条約が結ばれる。

1937年 - ニューロンドン学校爆発事故

1938年 - メキシコが国内にある外国所有下の石油資源をすべて国有化。

1940年 - アドルフ・ヒトラーとベニト・ムッソリーニがブレンナー峠で会談し、
フランス・イギリスに対して共同で当たることを確認。

1944年 - ナチス・ドイツ軍がハンガリーを占領。

1962年 - フランスとアルジェリアがエビアン協定に調印し、アルジェリア戦争が終結。

1965年 - ソ連の宇宙飛行士アレクセイ・レオノフが
宇宙船ヴォスホート2号から離れて、初めて船外活動を行う。

1965年 - 愛知県犬山市に博物館明治村が開村。

1970年 - カンボジアでロン・ノル首相のクーデタにより
ノロドム・シアヌーク皇太子が亡命。

1974年 - OPEC諸国が5ヶ月に渡り続けていた、
アメリカ・ヨーロッパ・日本への石油輸出禁止措置を解除。

1984年 江崎グリコ社長が西宮市の自宅から「かい人21面相」に誘拐される。
社長は3日後に自力で脱出。グリコ・森永事件の始まり

1987年 - 神戸市営地下鉄西神・山手線の学園都市駅〜西神中央駅間が開業。

1988年 - 東京ドームオープン。

1988年 - 名古屋妊婦切り裂き殺人事件。2003年公訴時効成立。

1988年 - 近鉄21000系電車デビュー。近鉄の名阪甲特急(ノンストップ特急)は、
大阪〜名古屋間を1時間58分で結び、初めて2時間を切るようになる。

1989年 - エジプトのクフ王のピラミッドで、4,400年前のミイラが発見される。

1989年 - 伊藤みどりがフィギュアスケート世界選手権で、日本人選手として初優勝。

1990年 - 兵庫県尼崎市の長崎屋尼崎店で放火事件が発生。
15人死亡。2005年公訴時効成立。

1993年 - 横浜市営地下鉄ブルーラインの新横浜駅〜あざみ野駅間開業

2000年 - 陳水扁が台湾の総統選挙に勝利。

2000年 - 兵庫県津名郡淡路町と東浦町(現・淡路市)で
淡路花博(ジャパンフローラ2000)開幕。

2005年 - 愛知県名古屋市で愛知万博ささしまサテライト会場デ・ラ・ファンタジアが開幕。

2005年 - 『ドラえもん』(第2作1期)の最後の放送。

2007年 - PASMO運用開始。

2007年 - 仙台空港鉄道の名取駅〜仙台空港駅が開業。

誕生日
1586年(天正14年1月28日)- 浅野長晟、初代広島藩主(+ 1632年)

1782年 - ジョン・カルフーン、第7代アメリカ合衆国副大統領(+ 1850年)

1790年 - キュスティーヌ侯爵、外交官・紀行文作家(+ 1857年)

1837年 - グロバー・クリーブランド、第22・24代アメリカ合衆国大統領(+ 1908年)

1842年 - ステファヌ・マラルメ、詩人(+ 1898年)

1844年 - ニコライ・リムスキー=コルサコフ、作曲家(+ 1908年)

1858年 - ルドルフ・ディーゼル、ディーゼル機関発明(+ 1913年)

1858年(安政5年2月4日) - 井上円了、仏教哲学者・教育家(+ 1919年)

1863年 - エドガー・サイアーズ、フィギュアスケート選手(+ 1946年)

1869年 - ネヴィル・チェンバレン、イギリス首相(+ 1940年)

1877年 - エドガー・ケイシー、「眠れる予言者」(+ 1945年)

1891年 - 柿本権一郎、海軍少将(+ 1977年)

1893年 - ウィルフレッド・オーエン、詩人(+ 1918年)

1902年 - 月形龍之介、俳優(+ 1970年)

1904年 - 吉川幸次郎、中国文学者(+ 1980年)

1906年 - 森茂雄、元プロ野球選手(+ 1977年)

1909年 - アーネスト・ガロ、ワイン醸造家(+ 2007年)

1918年 - 本堂保次、元プロ野球選手(+ 1997年)

1922年 - 野口昇、元プロ野球選手(+ 1945年)

1923年 - 乾国雄、元プロ野球選手

1923年 - 江田孝、元プロ野球選手(+ 1978年)

1926年 - ピーター・グレイブス、俳優

1928年 - 光瀬龍、SF作家(+ 1999年)

1931年 - 宮川泰、作曲家(+ 2006年)

1931年 - 小池朝雄、俳優・声優(+ 1985年)

1932年 - フランク永井、歌手(+ 2008年)

1933年 - 澤田隆治、テレビディレクター・プロデューサー、東阪企画会長

1934年 - 佐藤允、俳優

1936年 - フレデリック・ウィレム・デクラーク、南アフリカ共和国の元大統領

1937年 - 井沢八郎、歌手(+ 2007年)

1937年 - 杉本大一郎、天文学者

1937年 - 富士錦猛光、大相撲力士・先代高砂親方(+ 2003年)

1943年 - 曽我町子、女優・声優(+ 2006年)

1944年 - 横山やすし、漫才師(+ 1996年)
1946年 - 岩木康郎、元プロ野球選手
1949年 - 今宮純、モータージャーナリスト
1950年 - 奥田瑛二、俳優
1950年 - 千坂恭二、評論家、思想史家
1953年 - 吉松隆、作曲家
1954年 - 松浦寿輝、フランス文学者・東大教授・詩人・小説家・映画批評家
1954年 - 因幡晃、シンガーソングライター
1955年 - 島崎俊郎、タレント
1955年 - 田中幹保、バレーボール選手・監督
1955年 - ドウェイン・マーフィー、元プロ野球選手
1956年 - インゲマル・ステンマルク、アルペンスキースキーヤー
1959年 - マキ上田、プロレスラー
1960年 - マット・ウインタース、元プロ野球選手
1960年 - 村田雄浩、俳優
1961年 - 豊川悦司、俳優
1964年 - かないみか、声優
1964年 - 菅野よう子、作曲家
1965年 - 洞口依子、女優
1967年 - 米森麻美、元日本テレビアナウンサー(+ 2001年)
1967年 - 楠大典、声優
1967年 - 堀江毅、ミュージシャン
1968年 - 三木眞一郎、声優
1969年 - 小池秀郎、元プロ野球選手
1969年 - 芳本美代子、女優・タレント
1972年 - 高橋里華、タレント
1975年 - 野村貴志、俳優
1976年 - 大家友和、プロ野球選手
1976年 - スコット・ポドセドニク、メジャーリーガー
1977年 - 黒田俊介(コブクロ)、ミュージシャン
1977年 - ターメル・スレッジ、プロ野球選手
1978年 - 霜鳳典雄、大相撲力士
1978年 - 竹下佳江、バレーボール選手
1980年 - アレクセイ・ヤグディン、フィギュアスケーター
1980年-水谷舞、タレント
1981年 - 鳥居みゆき、お笑いタレント
1982年 - 吉井怜、女優
1982年 - ペドロ・マントラス、サッカー選手
1982年 - 坂田めぐみ、タレント
1983年 - 小高早紀、女優
1985年 - 三輪秀香、NHKアナウンサー
1987年 - Misaty、トランペットプレイヤー(ピストルバルブ)
1988年 - 高岡紗英、AV女優
1988年 - 入船加澄実、グラビアアイドル
1988年 - 石坂結、アイドル
1993年 - 山下風雅、関西ジャニーズJr.
生年不明 - 阪井あかね、声優・ナレーター

忌日
235年 - アレクサンデル・セウェルス、ローマ皇帝(* 208年)

978年 - エドワード殉教王、イングランド王(* 962年頃)

1065年(治暦元年2月9日)- 藤原能信、平安時代の公卿(* 995年)

1108年(嘉承3年2月4日)- 安倍宗任、陸奥国の豪族(* 1032年)

1511年(永正8年2月19日)- 吉田兼倶、神道家(* 1435年)

1662年(寛文2年1月28日)- 古筆了佐、古筆鑑定家(* 1572年)

1745年 - ロバート・ウォルポール、イギリス首相(* 1676年)

1768年 - ローレンス・スターン、小説家(* 1713年)

1781年 - ジャック・テュルゴー、政治家・経済学者(* 1727年)

1871年 - オーガスタス・ド・モルガン、数学者(* 1806年)

1877年 - 佐川官兵衛、元会津藩家老(* 1831年)

1898年 - 近衛忠煕、幕末期の公卿(* 1808年)

1899年 - オスニエル・チャールズ・マーシュ、古生物学者(* 1831年)

1907年 - マルセラン・ベルテロ、化学者(* 1827年)

1913年 - ゲオルギオス1世、ギリシャ王(* 1845年)

1915年 - 香川敬三、枢密顧問官・官僚(* 1841年)

1916年 - 市川右團次 (初代)、歌舞伎役者(* 1843年)

1933年 - ルイージ・アメデーオ・ディ・サヴォイア、登山家・探検家(* 1873年)

1933年 - 吉野作造、政治学者(* 1878年)

1936年 - エレフテリオス・ヴェニゼロス、元ギリシャ首相(* 1864年)

1944年 - ウィリアム・ヘイル・トンプソン、元シカゴ市長(* 1869年)

1947年 - ウィリアム・C・デュラント、
実業家・ゼネラルモーターズ(GM)創業者(* 1861年)

1948年 - 中村梅玉 (3代目)、歌舞伎役者(* 1875年)

1954年 - 前田米蔵、政治家(* 1882年)

1956年 - 織田一磨、版画家(* 1882年)

1964年 - ジークフリード・エドストレーム、
第4代国際オリンピック委員会会長(* 1870年)

1964年 - ノーバート・ウィーナー、数学者(* 1894年)

1965年 - ファールーク1世、元エジプト王(* 1920年)

1977年 - ホセ・カルロス・パーチェ、F1ドライバー(* 1944年)

1978年 - リイ・ブラケット、SF作家(* 1915年)

1980年 - エーリヒ・フロム、精神分析学者・社会学者(* 1900年)

1981年 - 佐伯孝夫、作詞家(* 1902年)

1982年 - ワシーリー・チュイコフ、ソ連邦元帥(* 1900年)

1982年 - 北畠八穂、小説家・児童文学者・詩人(* 1903年)

1983年 - 近藤真柄、社会主義者・婦人運動家・フェミニスト(* 1903年)

1983年 - ウンベルト2世、イタリア王国国王(* 1904年)

1983年 - 渋谷天外 (2代目)、コメディアン・劇作家(* 1906年)

1989年 - ハロルド・ジェフリーズ、
数学者・統計学者・地球物理学者・天文学者(* 1891年)

1989年 - 内田義彦、経済学者(* 1913年)

1993年 - ケネス・E・ボールディング、経済学者(* 1910年)

1993年 - 加藤正之、声優(* 1932年)

1996年 - オデッセアス・エリティス、詩人(* 1911年)

1998年 - 島秀雄、 鉄道技術者・元国鉄技師長・初代宇宙開発事業団理事長(* 1901年)

2000年 - 永井道雄、教育社会学者(* 1923年)

2002年 - R・A・ラファティ、SF作家(* 1914年)

2003年 - アダム・オズボーン、コンピュータデザイナー(* 1939年)

2007年 - 林政治、彫刻家(* 生年不詳)

2008年 - アンソニー・ミンゲラ、映画監督(* 1954年)

記念日・年中行事
精霊の日

柿本人麻呂、和泉式部、小野小町の3人の忌日
がこの日であると伝えられていることから。

「博物館明治村」開村記念日(日本)
1965年3月18日、愛知県犬山市に明治の建築物を保存展示する、
野外博物館となる明治村が開村したことから。

彼岸の入り
春のお彼岸は春分の日の前後3日のため、
閏年で春分の日がずれない限りはこの日から彼岸である。