東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年3月22日(日曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年3月22日(日曜日)

平成21年の「3月」になりました。

平成21年の。

今年の「春」がきました。

「初春」の「3月」の。

「春」「3月」だけれども。

とてもとても。

とても「寒い日々」が続いています。

けれども「春」の「3月」です。

「春」がきた。

「はる」がきた。

どこに来た。

今年の「冬」・から「春」は予期せぬ

インフルエンザ*の

大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。

薬事法の「能書」にあるとおり

「正規の」

「2回法によるインフルエンザワクチン」の

予防接種をおすすめいたします。

常時いつでも接種可能です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

昨年の。
冬間近くの。
さらなる前に。

「晩秋」>のころ。

「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」の。
花の蕾が淡い黄金色にかがやいて。
が見えてから「10日間」で。
花は去りました。
黄金色のじゅうたんが毛氈(もうせん)ように。
地面「金色」に広がりました。

「昨年」の。
「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」に続いて。
「銀木犀:きんもくせい」もプラチナ色の
花が咲き始めました。

「昨年」の。
「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」のあとを追って。
「銀木犀:きんもくせい」の花は去り。
地面に「プラチナ」が一面に広がっていました。

「春」の「3月」

今は私の「大好き」な。

「春の花」の

の「蕾(つぼみ)」と。

「花」のふくらむ季節。

「春の花」の季節になりました。

私の「大好き」な草の「花」。

「すみれ」咲く季節になりました。

そしていろいろな。

「春」の木々の花も咲く季節。

花の開く季節になりました。

発花

山本クリニックの庭園は。

大昔は。

雑木林であったのです。

「野生」の。

「山茶花(さざんか)」や。

「やぶつばき」や。

「季節の花」さく木々が。

とても沢山。

群生してはえています。

日々の毎日にどんどんと。

みるみるうちに。

「春の花」が。

つぼみや「花」を大きくしています。

けれども「春の花」は。

蕾が大きくなったそのよるには。

花咲き。

暗い寒い朝にちっていることが。

すくなくありません。

「種の保存」の理論からすれば
「春」とはいえ昆虫の少ない「寒いの日々」に。

「寒い冬」に「花粉」を運んでくれる
昆虫はとても少ないはずだから。

花期はながければ長いほど「実」「種」
が「たくさん実る確率は高くなる」
はずです。

だから。
昆虫の少ない季節に。
「花期」が「極めて短命」とは。
とても不思議なことです。

「4月」の「桜」もそのような傾向があります。

春花は

ぬばたまの

暗き闇夜に

春嵐の

風に弓射られて

花ぞ舞い散る

はるはなは

ぬばたまの

くらきやみよに

はるかせの

かせにいられて

はなそまいちる

「春の花」は。
早朝には「白鷺の羽」
のように地面に
舞い降ちています。

昨年の。
「晩秋」
「木犀:もくせい」の花の
「芳香」は蕾のみえるまえから
あります。
花が去ったあとは
「あっというまに芳香が消えます」。

「晩秋」の
「木犀:もくせい」たちのかおりがさり。

「初春」の「3月」。

つぼみを日々。

大きくしている。

「春の花」や。

「すみれ」

の花咲く季節。

「春」の「3月」。

そして。

「春の花」や。

「すみれのはな」

をみまもるのは。

「みかんの木」の。

「丸いみかん」の

「丸い群れ」。

「丸いみかん」は。

「丸くたわわに実り」。

まるで。

「ぶどうのふさ」のようです。

お互いに。

「はなことば」で話しをしているに

ちがいありません。

私は山茶花(さざんか)よりは。
「やぶつばき」がずっとすきです。

山本クリニックの庭園には。
いずれも。
野生の「やぶつばき」と
野生の「山茶花(さざんか)」ばかりです。
野生の「すみれ」もさいています。

堂々たる。

「春かぜ」と「春吹雪:はるふぶき」

が吹いています。

本物の「春」になりました。

「春」はじめです。

「春」がふかまり。

「もっと深い「春」」の。

トンネルをこえれば。

そこは「里山の「春」」です。

「春吹雪:はるふぶき」は

遠くの蒸気機関車の鳴き声のように

に聞こえます。

近くに「トンネル」があることも

わかります。

「佐保姫(さほひめ)」の吹くフルート

のよう。

そして。

「春吹雪:はるふぶき」をなだめるように。

「花吹雪」が舞います。

「花吹雪」のほうが「役者」は上です。

「花吹雪」は突如(とつじょ)天から舞い降り

ます。

そして。

春の女神。

「東」の姫君の「佐保姫(さほひめ)」

が春霞のころもをまとい。

舞い降りてきます。

「春」の陽射しがバックライト。

「春」になりました。

きょうは。
とてもとても寒い。

「春吹雪:はるふぶき」の声は。

「春かぜ」のふく音は。

「春」の女神の。

「佐保姫(さほひめ)」の笛ふく。

はるかぜのワルツ。

はるの三拍子です。

最近は
朝くらい早朝には「星がみえます」。
「明けの明星」の金星が南の空に高くみえます。

病院の明かりが灯り暗闇のなか。
朝はやく。

「明けの明星」の金星に「おはよう」を
毎日こえで「御挨拶」を伝えます。
「明けの明星」の金星から「おはよう」と
返事がかえってくる声をききながら。
病院の明かりをともします。
まだ真っ暗なのですが。

夏場の早朝のくらい時には。
明星はみえずらかった。
季節が「冬から「春」へとあゆみ」。
いよいよ。
大気が「澄んできた」ということでしょう。

春霧雨(はるきりさめ)の。

春霞(はるかすみ)の大気。

「春吹雪:はるふぶき」の「音」。

「ろうろう」「こうこう」

「春かぜ」の鳴き声

「ろうろう」「こうこう」

「春吹雪:はるふぶき」の。

鳴き声とともに。

「春一番」の「「春」のしらべ」が。

あわせきこえます。

「どれみふあ」「そそそそ」

朝暗く寒いいうちの「はるかぜ」の合唱は。

「春」の「ふうりん」のごとし。

あれ沢山の「ふうりん」かな。

「春」の「ふうりん」の音色です。

「ろうろう」。

さやかにやさしい「あたたかい音」です。

「こうこう」

わびわびと。

「蜜蜂をもよんでいる音」です。

「蜜蜂」のはぜる元気な「音」から

「春」のおとずれが。

わかります。

「ススキの穂先」は
「そぞろに「初春」の今年の芽栄え。

そして「春」の旅愁すら
をも感じさせます。

「ススキの穂先」には「「春」ふくろう」が
何匹も集ってつどい。

何匹ものふくろうが。

皆で何かを真剣に。

考えているように。

みえます。

「春」がくれば。
「緑葉をのこした「春ススキ」」。

「ススキの穂先」は。

「しあわせと幸福を手招き」

している

何本もの「手」のように。

みえます。

エドヴァルド・ムンク:Edvard Munch

の「春」の絵画のようです。

私も「日々を旅ゆく人間」です。

奥の細道の序文に松尾芭蕉が。

「月日は百代の過客(ひゃくたいのかかく)
にして行かふ年も又旅人也。」

「つきはひゃくたいのかかくにして
いきかふとしもまたたひひとなり」

とかたり。詠みました。

私は

「日々の月日」を道連れにして。

「時」を旅をするひとりの

「旅人(たびびと)」

です。

「日々月日の旅のつれあい」は。

「きょう」と。「あす」しか。

いません。

「きょう」と。「あす」しか。

私にはありません。

朝くらいとき。
陽の出の直後は。
いつも一瞬は晴れています。
いまだ かすかにも。
のこる「初春」の気配
であるけれども。

あきらかに。
そしてしっかりと。
しのびよるもっともっと奥の。
深く深まる「春のおとづれ」からの大気。

もっと。
「あたたかい「春」」の気配が。
「確かに」。
そして明らかに。
そして輪郭もはっきりと。

感じられるようになりました。

「3月」。

もう「春」です。

はやいものです。
速いものです。
早いものです。

街路樹もそうそうたる
羽振りの木々から
「はじまりゆく「春」の樹木」にうつろうように
変化しています。

「春」。
「樹木の若葉の芽生え」があることに
気がつきました。

春の芽吹くときには。
街路樹のポプラも
幹や枝葉の穂先が。
ろうそくのともしびのように。
「炎の様」になっています。
あたかも
ゴッホの描いた「夜の糸杉」のように。
春の早朝にみえます。

夏になり。
この「穂先」が一気に「ポプラの葉」へと
扇・おおぎのごとく開きます。

フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「夜の糸杉」から。
フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「ひまわり」
のように。
一斉に開きます。
8月にはいってからのことです。

10月そして11月。

今は「晩冬」の「2月」がおわり。

「春」の「3月」。

今現在は落ち着いた「春」の葉木。
「春」の木々の「葉」
へと。
そしてふかまる「春」の木々の「幹:みき」へと。

ふかまる「みのりの春」にむけて。
「あつく」うつろいています。

ポプラも。つばきもくすのきも。
「晩秋」には「中秋の若葉」が。
ハンカチをふるように
「「冬」のわかば」の「めばえ」がみえました。
今もみえます。
今は「「冬」のわかば」の「めばえ」は
とても大きくなりました。
「春」の「めばえ」です。

「冬がくると」。
空と木枯らしのかなでる「蛍の光」や
「冬のコンチエルト」にあわせるように。

ポプラの葉や芽葉は。
ハンカチのようにふわふわと。
ふわふわと。
「穂先から葉葉」は「舞い振りまがら」
ハンカチは木を去っていきました。

樹木のハンカチは。
大地を訪ねて飛翔し。
大地にまいおり大地にもどります。
そして大地となります。

そして。
ポプラの葉や芽葉が。
ハンカチのようにふわふわと。
ふわふわと。
「穂先から葉葉」は「舞い振りまがら」
木を去っていく光景は。
あたかも。
「夜の魔法」「夜のガスパール」
のようです。

「葉の去った枝」には。
もう「「春」の若芽のつぼみ」
が。
「若芽」がみえます。

木々の「葉」が「枝や幹」を
「保護する役割をしている」
ことに気づきました。

4月の桜の花の時期とうってかわり
桜の木の公園
の桜の木々が。
夏になりとても獰猛な気配を放つ。
初めて気がついた・。

「新年」「初春」の「晩冬」はおわりました。

「晩冬」の「2月」がおわり

「春」の「3月」になりました。

「さくら」は春の濃い緑の樹肌になり。
やさしさとおだやかさ
が感じられます。

そしていつしか
幹先に若葉色の葉もまじえています。
しだいにしだいに。
紅黄色の葉が消え若葉にかわりつついくことに
きがつきます。

さくらから。
さくらはのきぬずれのおとが。
きこえるころ
です。

桜の樹木も「丸くなりました」。
桜の樹木も毎年毎年と毎日毎日。
「旅(たび)をしている」のでしょう。

朝陽をあびる落葉樹は
「すべてがあざやかな黄金色」に
かがやきます。
朝陽をしっかりと。
「いうにいわれぬ美しい絵のごとく」
受け止めています。

「冬の朝陽」は真東に大変鋭いことに
気づきました。
眩しいです。

今は「春」の朝日です。

「あたたかいろ」がかんじられます。

春は別として。
桜の木は木の下で。
夏は心安らかに。
「休める木ではないなあ」
と思います。
昨年は
秋になり
桜の樹木も安堵の葉色
になりました。
ちょっとばかりびっくり致しました。

枝や幹からは秋の陽の木漏れ日がみえます。

夏桜の木は獰猛なほど葉をおいしげらせ
ていました。
夏には
桜の木の下で木陰で。心安らかにやすもうという
気はおきません。

いまは晩秋から「冬」になりました。
そよかぜに揺れる残り葉は
招き誘われるような気すら致します。

冬になり幹にはもう「枯れ葉散る」。
ちったあと枝の根元には。
「春の芽栄え(めばえ)」
がみえます。

けれども
やはり夏桜の木は

シューベルトの歌曲の旋律にある「菩提樹」
ではないのです。

冬の桜木(さくらぎ)。
冬になり
人生に果てて(はてて)
なれるが如く桜樹木はかわりました。
良い木になってきました。
素敵(すてき)です。
冬の桜木(さくらぎ)。
「春」の桜木(さくらぎ)。

木々でも。
いちょうや。松や。杉などの針葉樹
は。またソテツなどは。
「古い時代の木」です。

「チャールズ・ダーウィンの進化論」からは
「針葉樹」から。
「常緑樹」「広葉樹」「落葉樹」にと。
「進化」しているはずです。

「原始的」な樹木ほど。
「硬い幹」です。
例外はありません。

硬ければ。
幹は硬ければ動物に
「かじられる」ことはないでしょう。

いにしえの古代の時代にも。

恐竜をはじめめとする
「大型」の草食動物にも。

かたければかじられることは
なかったでしょう。

街並みを彩る街路樹には「落葉植物」が多いです。

ふと。考える。

街路樹が「松や杉」のように。
「冬も葉を持つ針葉の常緑樹」では。

冬はうっそうとして道端では
やさしい暖かな陽射しをかくしてしまう。

夏場は枝ぶり葉っぱぶりからつよすぎる日の光は
さえぎれません。
そして
「秋」の「夕焼け陽」には。
「金色のちいさき鳥の形して」
秋の夕焼けの陽射しに舞うこともできません。

常緑樹の針葉樹では。
は四季のリズムをつたえる

北大路魯山人のいう

「ざっくり感(ざっくりかん)」

のリズムや。

ハーモニー或は旋律が。

ありません。

木々の夏の萌黄が早朝暗い中でも
うかびあがります。
私はくすのきが「大好き」な「木」の
ひとつです。
ポプラも好きです。
イチョウもすきです。
モミジもすきです。
カエデもすきです。
松や杉もすきです。
月桂樹やシナモンもすきです。
オリーブもすきです。
オレンジの木もすきです。
「そてつ」の木もすきです。
ツバキもすきです。
ソテツもすきです。
南天もすきです。
木や植物がすきです。

木々の穂先は毛氈(もうせん)
のようにあざやかな秋の萌黄色です。
まるで大きな深い山の森のうねりのようです。
今年は木々のわかばの秋のめばえが非常に鮮か
です。
木々は「夏樹」の役目をおわりました。
「秋木」とかわろうとしています。
「秋木」とかわりました。
そして
さらに
「冬木」へとかわろうとしています。
「冬木」へとかわりました。
「冬木」から春の「春木」にかわりました。

街角の雑草も花は咲きはじめ。
「春の花」の姿となりそして「春」を迎える。
「ほとけの座」や「はこべ」が
「かたばみ」や「いたどり」が
ますます姿を大きくして。

そして「すすき」もくわわりました。

冬草から春草へ。
そして秋草へのたたずまいをしています。
そしてもうすっかり秋冬草へと黄金色に転した
街角には雑草もあります。
こがねいろ。

雑草も。
同じく花をさかせ自ら種をとばし
夏葉がみえる。
そして秋を迎える。
冬が来て。木枯らしに吹かれ。
雪をかむり。そして。
春がくる。

そして今は。

「春」。

ツツジは潅木。

ツツジの花の葉の優しさには

あらためてびっくりしました。

黄緑・草色のビロードです。

のぞきこむと若葉はまだ沢山ある。

何故か得をしたように思えました。

そして雨にうたれて

そのまま地に落ちた

ツツジの若葉は

幾何学的に裏側を下にむけて

逆さじょうごのように

落下していることに

気がつきました。

まるで。

「若草色」のきのこが。

沢山はえているようです。

木から落ちても。
まだ「若葉」です。ふと。
ヴェルディの「椿姫」「La Traviata」
の「つばき」を思い出しました。

1852年パリに滞在したヴェルディは
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)
の戯曲版『椿姫』の上演を見て感激し
ました。
そのころ新作の作曲依頼を受けていた
ヴェネツィアのフェニーチェ劇場のために。
翌1853年初めに比較的短時間で作曲された
『椿姫 』(La Dame aux camelias、1848年出版)
は。
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)が
実際の体験を基にして書いた長編小説。
主人公のモデルはかつて作者が交際をしていた
マリー・デュプレシという高級娼婦。
恋人アルマンのイニシャルである
『AD』は
小デュマのイニシャルと同じです。

この作品は人々に愛されて幾度も舞台、映画化され
続けてきました。

朝暗いうちは。

とても。

はださむいです。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックには。
孟宗竹のたけやぶ
があります。
竹はせがたかいから。

クリニック館内からはすこし離れた所にある。
はなれていても。
とおくからもみえます。

山本クリニックには。
検見川の落合遺跡の遺跡発掘の際に
みつかった「古代のハスの種子」から。

2000年ぶりに発芽したことで有名な。
「古代蓮(ハス)」があります*。
【大賀ハス:おおがはす】です。
「有名な古代ハス」です。
とても勇壮なハスで。
花のいろはとてもあまりにも美しく。
たとえ様もありません。

ハスの花がさき。
「「蓮(ハス)」の実」になりました。
「はすの実」も「はす」の葉も。
2mくらい水面から高いところに
あります。

睡蓮(すいれん)があります。
睡蓮(すいれん)は「葉」が水に浮び。
はのきれこみは羊の足のようです。
睡蓮(すいれん)を「ひつじぐさ」とは
なるほどと考える。
睡蓮(すいれん)の茎の長さには
おどろかされます。

「姫睡蓮(ひめすいれん)」でさえも。
池はばが長ければ四方八方に「水の中の枝」。

「モネ」の描いた睡蓮(すいれん)の
「水の中の枝」は「どれほど長いのだろう」。

睡蓮(すいれん)も「太古の時代」に
陸の動物に「かじられないように」
水中に「逃げ込んだ」のでしょう。

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大賀ハス(オオガハス、おおがはす)とは。
1951年(昭和26年)、千葉県千葉市検見川
(現・千葉市花見川区朝日ケ丘町)にある
東京大学検見川厚生農場
(現・東京大学検見川総合運動場)の
落合遺跡で発掘された
今から2000年以上前の古代のハスの実から
発芽・開花したハス(古代ハス)のことです。

戦時中に東京都は燃料不足を補うために
花見川下流の湿地帯に豊富な草炭が埋蔵されていた
「草炭」を採掘していました。

採掘は戦後も継続して行われていました。
1947年(昭和22年)7月28日に作業員が採掘現場でたまたま
1隻の丸木舟と6本の櫂を掘り出しました。

その調査によりもう2隻の丸木舟と
ハスの果托などが発掘されました。

「縄文時代の船だまり」であったと
推測され落合遺跡と呼ばれました。

植物学者でハスの権威者でもある大賀一郎博士
(当時・関東学院大学非常勤講師)が
発掘品の中にハスの果托があることを知り。
1951年(昭和26年)3月ボランティアの協力
を得てこの遺跡の発掘調査を行いました。

翌日で打ち切りという
30日の夕刻になって花園中学校の女子生徒により
地下約6mの泥炭層からハスの実1粒が発掘され予定を延長し
4月6日に2粒、計3粒のハスの実が発掘されました。

大賀博士は5月上旬から発掘された
3粒のハスの実の発芽育成を試みるも2粒は失敗に終わりました。
だが1951年3月30日に出土した1粒が育成に成功致しました。

翌年の1952年(昭和27年)7月18日にピンク色の大輪を咲かせました。
このニュースは国内外に報道されて多いな「驚愕」を与えました。
同年11月17日付米国ライフ誌に「世界最古の花・生命の復活」
として掲載され博士の姓を採って「大賀ハス」と命名されました。

シカゴ大学のリピー博士らによって放射性炭素年代測定が行われました。
ハスの実は今から2000年前の弥生時代以前のものであると推定された。

この古代ハスは、
1954年(昭和29年)6月8日に「検見川の大賀蓮」として
千葉県の天然記念物に指定されました。
また1993年(平成5年)4月29日には千葉市の花として制定され、
現在日本各地は元より世界各国へ根分けされ、
友好親善と平和のシンボルとしてその一端を担っています。

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ふと「パンの神」を思い出しました。
(「牧神パン(Pan)」=「Pan」=「パン」=
「飯(はん)」=「全般の般」=「パンアメリカンのパン」=

「パン」「pan」は「すべて」という意味の
古代ギリシャ語そして「サンスクリット」も同じ。

古典ギリシア語 Παν、Pan「パンの神」は。
幼少時からゼウスから他の神々全て*に好かれたので
(古代ギリシャ語でTheophilusテオフイルス/ラテン語では
amadeus アマデウス**)
「パン」と名づけられました。

「頭は人間で胴体は山羊」です。

「テュホン:テューホーン:Τυφών: Typhon」
ギリシア神話に登場する魔神***。
に追いかけられ
あわてて身を守るため川に飛び込み「頭は人間で胴体は人魚」
に変身したために。

「パニック」=「panic:パン的」
という言葉が生まれました。

星座に「山羊座」という星座があります。

山羊座は不思議ですが
「あわてて身を守るため川に飛び込み
「頭は人間で胴体は人魚」」
に変身した「パンの神」を示しています。
山羊ではありません。

むしろ正確には人魚です。

だから。
「山羊座」という「意味」はわかります。
けれども「命名」の観点から。
「山羊座」というのはかなり「妙」な気が致します。
「人魚座」というのが正しい。


名称「パンの神」の由来は「ギリシャ神話」でも
非常に多くの「言い伝え」がいくつがあります。
その「言い伝えの数」に正比例して「混乱」があります。

**
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの
「アマデウス」とは「パンの神」のことです。
(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの
ヴォルフガングは「おおかみが行く」という意味です。
よって
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは

「狼のように歩み神に愛されたモーツアルト」
ということになります)

***
「テュホン:テューホーン:Τυφών: Typhon」は
「台風:たいふう」と日本語では名前を変えています。

****
タイフーン級原子力潜水艦は
旧ソ連・ロシアの941型(プロジェクト941)
戦略ミサイル搭載原子力潜水艦のことです。
タイフーンはそれに付けられたNATOコードネームですが
この名称は日本の「台風」とは「直接関係」はありません。

日曜の

朝晴れて

はじめて気づく

にわの小ささ

にちようの

あさはれて

はじめてきづく

にわのちいささ

朝晴れて

にわの小さき

気づかぬときは

病(やまい)なるらむ

日曜の朝

あさはれて

にわのちいさき

きづかぬときは

やまいなるらむ

にちようのあさ

休診日ですが。
早朝に朝まだ暗いうちから
首都高を走って病院に到着致します。

空はきらきらのラピス・ラズリの
紺碧のジュースから
ミルク色のはいった
トルコ石の「プリン」に変わるように変化
していきます。

遠くにぽかぽか浮ぶ「雲々」は
トルコ石の「プリン」の上の「クリーム」の
ようです。
にわのあじさいは「アイスクリーム」
のようです。

春きらきらラピス・ラズリの空(そら)
春紺碧のカクテルいろの空(そら)
春ミルクをそそそいだ空(そら)
春トルコいしのプリンの空(そら)
春はるかにとほくたかい空(そら)
春ほかほか浮ぶ雲々(くもぐも)そら
春プリンの上のクリームのような空(そら)
春睡蓮(すいれん)の水面に空(そら)
春睡蓮(すいれん)のうえに空(そら)
春空(そら)の向こうにまた空(そら)
春空(そら)そのまたむこうにももっと大きな空(そら)

春のうららのこもれびに

緑木いらかをかぜはやみ

青風ひるむやうつろひの

四季のつきひははやいくとせ

夏のうららのこもれびに

緑木いらかのつねなりて

赤き空(そら)にて炎えたたむ

四季のつきひははやいくとせ

秋のうららのこもれびに

緑木いらかにかぜさやか

秋風かたれるやすらきの

四季のつきひははやいくとせ

冬のうららのこもれびに

緑木いらかにかぜつよし

冬風弓(ゆみ)射る木枯らしの

四季のつきひははやいくとせ

日々のうららのこもれびに

祈想い(おもい)のいらかにかぜつよし

生きる力に祈りはせ

四季のつきひははやいくとせ

やまひのとまやのこもれびに

祈願りの(いのり)のいらかにかぜさみし

やみいるこころに力(ちから)はせ

四季のつきひははやいくとせ

春椎木(しいのき)は枝高し
春そらに吼える若葉の穂束
春そらに吼える蒼き獅子のごとし
春天にも地にもみどりはさける
春のあさふかまりて
春陽の光ゆたかなりけり
春いふことのなし
春いふことがなし
春いふことはなし
春いふこともなし
春ゆたかなるかな春

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成21年1月12日(月曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

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平成21年2月11日(水曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の御予約の。
患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
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平成21年3月20日(金曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の御予約の。
患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

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平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

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★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。
インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がきます。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著であろうと推察されます。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」
であることを懸念しています。
そして気候の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表される。
ウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。
「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。

美術の面では長らく不毛の地であったイングランドで。

(生粋のイングランド人による絵画の展開は
18世紀のホガースの登場まで全くみられませんでした。)

それ以前のイングランド絵画史において。
ホルバインと
並びの外国人画家として席巻した宮廷画家。

なかでも華麗な肖像画は。

その後のイングランド絵画にも大きな影響を与えた
画家。

1599年 - ファン・ダイク、画家(+ 1641年)
の生誕日です。

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アンソニー・ヴァン・ダイク(Anthony van Dyck,
1599年3月22日 - 1641年12月9日)は。
バロック時代のフランドル出身の画家です。

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アンソニー・ヴァン・ダイク:Anthony van Dyck
は。

アントウェルペンに生まれました。

1616年から1620年頃までルーベンスの工房で。
助手を務めました。

その後は肖像画家として各地で活躍致します。

1621年にはイタリアに行き。

約7年間の同地滞在の間に。
肖像画家として活躍致しました。

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アンソニー・ヴァン・ダイク:Anthony van Dyck
は。

ヴァン・ダイクの作風には。

師のルーベンスのほかに。

ティツィアーノらヴェネツィア派の画家の
軽妙な筆致と華麗な色彩の影響が見られます。

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アンソニー・ヴァン・ダイク:Anthony van Dyck
は。

ヴァン・ダイクは1627年にいったん帰国後。
1632年にはイングランドに渡りました。

国王チャールズ1世の宮廷画家となりました。

それ以後、ヴァン・ダイクは1641年に没するまで
イングランドで活躍致しました。

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アンソニー・ヴァン・ダイク:Anthony van Dyckは。

イングランドは。
美術の面では長らく不毛の地であったのです。

生粋のイングランド人による絵画の展開は
18世紀のホガースの登場まで全くみられませんでした。
それ以前のイングランド絵画史は
ホルバイン、
ヴァン・ダイクなどの外国人画家が席巻しています。

なかでもヴァン・ダイクの華麗な肖像画は。
その後のイングランド絵画にも
大きな影響を与えることになりました。

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アンソニー・ヴァン・ダイク:Anthony van Dyck

ヴァン・ダイクが描いた
イングランド王チャールズ1世像の数多い肖像画のうち。
最高傑作とされているのが
『狩り場のチャールズ1世像』です。

伝統的な王侯の肖像画と異なり。

この絵のなかの国王チャールズ1世は。

野外の風景のなかで2人の召使とともに描き出されています。

チャールズ1世は乗馬服、つば広帽、
乗馬用ブーツという軽装でくつろいだ様子で描かれています。

こちらを見つめる王の表情には威厳があり。
モデルの身分の高さを無言のうちに語っています。

王の傍らにいる2人の召使は陰のなかに描かれています。

王のみに光が当たっている点も。
王の高貴さを強調する技巧
となっています。

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アンソニー・ヴァン・ダイク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%AF

アンソニー・ヴァン・ダイク(Anthony van Dyck, 1599年3月22日 - 1641年12月9日)は、バロック時代のフランドル出身の画家。

アントウェルペンに生まれる。1616年から1620年頃までルーベンスの工房で助手を務め、その後は肖像画家として各地で活躍した。1621年にはイタリアに行き、約7年間の同地滞在の間、肖像画家として活躍した。

ヴァン・ダイクの作風には、師のルーベンスのほか、ティツィアーノらヴェネツィア派の画家の軽妙な筆致と華麗な色彩の影響が見られる。ヴァン・ダイクは1627年にいったん帰国後、1632年にはイングランドに渡り、国王チャールズ1世の宮廷画家となった。それ以後、ヴァン・ダイクは1641年に没するまでイングランドで活躍した。

イングランドは美術の面では長らく不毛の地であり、生粋のイングランド人による絵画の展開は18世紀のホガースの登場を待たねばならなかった。それ以前のイングランド絵画史はホルバイン、ヴァン・ダイクなどの外国人画家が席巻しており、なかでもヴァン・ダイクの華麗な肖像画は、その後のイングランド絵画にも大きな影響を与えている。

ヴァン・ダイクが描いたイングランド王チャールズ1世像の数多い肖像画のうち、最高傑作とされているのが『狩り場のチャールズ1世像』である。伝統的な王侯の肖像画と異なり、この絵のなかの国王チャールズ1世は、野外の風景のなかで2人の召使とともに描き出されている。チャールズ1世は乗馬服、つば広帽、乗馬用ブーツという軽装でくつろいだ様子であるが、こちらを見つめる王の表情には威厳があり、モデルの身分の高さを無言のうちに語っている。王の傍らにいる2人の召使は陰のなかに描かれ、王のみに光が当たっている点も、王の高貴さを強調している。

代表作
チャールズ1世(1635頃)(ルーヴル美術館)
若き日の自画像(1621頃)(アルテ・ピナコテーク)

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++

3月22日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/3%E6%9C%8822%E6%97%A5

出来事
238年 - ゴルディアヌス1世と彼の息子ゴルディアヌス2世が共同皇帝として
ローマ皇帝への即位を宣言。

1896年 - 日本銀行落成。

1925年 - 社団法人東京放送局(現:NHK放送センター)がラジオ試験放送を開始。

1939年 - ドイツの要求によりリトアニアがメーメルを割譲。

1942年 - 第二次世界大戦: 第2次シルテ湾海戦

1945年 - アラブ連盟創設。

1953年 - 鳩山一郎・三木武吉・河野一郎ら、自由党に分党届を提出。分党派自由党結成。

1958年 - サウジアラビア国王にファイサルが即位。

1964年 - 大阪環状線、環状運転を開始。

1978年 - 電電公社、光ファイバーによる海底ケーブル通信の実験に成功。

1983年 - 福岡市地下鉄空港線延長
(室見駅〜姪浜駅間と中洲川端駅〜博多駅【仮駅舎】間)が開業。

1985年 - 第1回エイズ調査検討委員会、日本初のエイズ患者を認定。

1993年 - インテル社が最初のペンティアムプロセッサ
(64ビット、60MHz)の販売開始。

1995年 - ロシアの宇宙飛行士ヴァレリー・ポリャコフが、
宇宙滞在最長記録である438日を達成したのち地球に帰還。

1995年 - 目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件・地下鉄サリン事件で
警視庁がオウム真理教に対する強制捜査を行う。

1997年 - 東日本旅客鉄道(JR東日本)秋田新幹線盛岡駅〜秋田駅間が開業。

1997年 - 北越急行ほくほく線犀潟駅〜六日町駅間が開業。

2004年 - 東日本旅客鉄道(JR東日本)がSuicaショッピングサービス開始。

2005年 - 大分県で日田市が日田郡前津江村、中津江村、上津江村、大山町、天瀬町を
編入合併。

2006年 - 日野自動車、小型バスの新型日野・ポンチョの製造を開始。

誕生日
1599年 - ファン・ダイク、画家(+ 1641年)

1797年 - ヴィルヘルム1世、ドイツ皇帝・プロイセン王(+ 1888年)

1811年(文化8年2月28日) - 佐久間象山、兵学者(+ 1864年)

1867年 - 山崎朝雲、彫刻家(+ 1954年)

1868年 - ロバート・ミリカン、物理学者(+ 1953年)

1868年 - アルフレッド・ファウラー、天文学者(+ 1940年)

1880年 - 小磯國昭、第41代内閣総理大臣(+ 1950年)

1883年 - 大錦大五郎、大相撲第28代横綱(+ 1943年)

1887年 - チコ・マルクス、俳優(+ 1961年)

1887年 - 中山晋平、作曲家(+ 1952年)

1899年 - エリアナ・パヴロワ、バレリーナ(+ 1941年)

1911年 - 田畑茂二郎、国際法学者(+ 2001年)

1914年 - 丸山眞男、政治学者・評論家(+ 1996年)

1915年 - 濃人渉、元プロ野球選手・監督(+ 1991年)

1929年 - 草間彌生、彫刻家・画家・小説家

1933年 - ジョージ・アルトマン、元プロ野球選手

1934年 - 大橋巨泉、放送作家・タレント・元参議院議員

1941年 - ブルーノ・ガンツ、俳優

1944年 - 大塚博堂、シンガーソングライター(+ 1981年)

1946年 - ルーディ・ラッカー、SF作家

1948年 - アンドリュー・ロイド・ウェッバー、作曲家

1948年 - 山根基世、元NHKアナウンサー

1949年 - ファニー・アルダン、女優

1949年 - 逢川亮子、声優
1950年 - 堀内正美、俳優
1950年 - 高坂真琴、声優
1952年 - 結城哲郎、毎日放送アナウンサー
1953年 - 松井道夫、松井証券社長
1953年 - 笠間雄二、元プロ野球選手
1957年 - 水樹和佳子、漫画家
1957年 - 田村勲、元プロ野球選手(+ 2000年)
1958年 - 古賀潤一郎、元衆議院議員
1959年 - 矢野明仁、タレント
1960年 - 荻原修、元プロ野球選手
1962年 - 北野勇作、SF作家
1962年 - 片岡光宏、元プロ野球選手
1963年 - リッチ・モンテレオーネ、元プロ野球選手
1964年 - 金子隆博、サクソフォーン奏者(米米CLUB)
1964年 - 若山かずさ、演歌歌手
1966年 - 渡辺伸彦、元プロ野球選手
1969年 - 有働由美子、NHKアナウンサー
1972年 - 堀井美香、TBSアナウンサー
1972年 - コーリー・ライドル、元メジャーリーガー(+ 2006年)
1973年 - 黒崎えり子、ネイリスト
1974年 - ジェイソン・フィリップス、元プロ野球選手
1976年 - リーズ・ウィザースプーン、女優
1977年 - 武田テキサス、お笑い芸人(弾丸ジャッキー)
1979年 - 馬場裕之、お笑いタレント(ロバート)
1979年 - 吉岡毅志、俳優
1979年 - 高木りな、女優
1979年 - Sachi、ファッションモデル
1980年 - 柳明日香、タレント
1982年 - 萩原舞、AV女優
1982年 - 諸岡奈央、空手道選手
1985年 - 桃瀬えみる、ヌードモデル・AV女優
1986年 - 小林由佳、空手家
1988年 - 木嶋のりこ、お菓子系アイドル
1988年 - 大石参月、ファッションモデル
1988年 - 嶋村ゆかり、AV女優
1989年 - 坂越由実子、音楽ユニットhy4_4yhのメンバー
生年不明 - 真島茂樹、ダンサーの振付師・俳優・歌手
生年不明 - 林家志弦、漫画家

忌日
570年(欽明天皇32年3月1日)- 蘇我稲目、飛鳥時代の大臣(* 506年頃)

1185年(文治元年2月19日)- 佐藤継信、平安時代の武将(* 1158年)

1615年(慶長20年2月23日)- 池田忠継、岡山藩主(* 1599年)

1687年 - ジャン=バティスト・リュリ、作曲家(* 1632年)

1758年 - ジョナサン・エドワーズ、神学者(* 1703年)

1789年(寛政元年2月26日)- 井伊直幸、江戸幕府大老・第13代彦根藩主(* 1729年)

1801年(享和元年2月8日)- 大典顕常、僧・漢詩人(* 1719年)

1832年 - ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ、作家(* 1749年)

1841年(天保12年閏1月30日) - 徳川家斉、江戸幕府11代将軍(* 1773年)

1852年 - ジェレミア・モロー、第9代オハイオ州知事(* 1771年)

1885年 - ハリー・パークス、外交官(* 1828年)

1913年 - 宋教仁、革命運動家(* 1882年)

1929年 - 井上良馨、日本海軍の元帥(* 1845年)

1942年 - 建畠大夢、彫刻家(* 1880年)

1943年 - 新美南吉、作家(* 1913年)

1945年 - 西竹一(バロン西)、軍人(* 1902年)

1951年 - ウィレム・メンゲルベルク、指揮者(* 1871年)

1963年 - シリー・アウセム、テニス選手(* 1909年)

1972年 - 霧立のぼる、女優(* 1917年)

1973年 - 湯口敏彦、プロ野球選手(* 1952年)

1974年 - 福田平八郎、日本画家(* 1892年)

1976年 - 藤原義江、テノール歌手・藤原歌劇団創始者(* 1898年)

1976年 - 山口政信、プロ野球選手(* 1916年)

1977年 - 村山知義、小説家・劇作家・演出家・画家(* 1901年)

1979年 - ウォルター・レッグ、レコーディング・プロデューサー(* 1906年)

1980年 - 佐伯達夫、日本高等学校野球連盟会長(* 1892年)

1992年 - 桐山襲、小説家(* 1949年)

1994年 - 胡桃沢耕史、小説家(* 1925年)

1994年 - 菅貫太郎、俳優(* 1934年)

1995年 - 新村源雄、政治家(* 1919年)

1995年 - 原田力男、音楽プロデューサー(* 1939年)

1996年 - ヴァーツラフ・ネリベル、作曲家(* 1919年)

1997年 - 登坂重次郎、元自由民主党衆議院議員(* 1913年)

1998年 - 西邑昌一、サッカー選手・元読売サッカークラブ監督(* 1912年?)

2001年 - 奈良本辰也、歴史学者(* 1913年)

2001年 - あすなひろし、漫画家(* 1941年)

2002年 - 奥田靖雄、言語学者(* 1919年)

2004年 - アフマド・ヤースィーン、ハマース創設者(*1936年)

2004年 - ジャネット・アクユズ・マッテイ、天文学者(* 1943年)

2005年 - 阪田寛夫、詩人・小説家・童謡「サッちゃん」の作詞者(* 1925年)

2005年 - 丹下健三、建築家(* 1913年)

2006年 - 3代目三遊亭圓右、落語家(* 1923年)

2006年 - ピーター・オルワ、プロボクサー(* 1949年)

2007年 - 村上弘、第3代日本共産党委員長・元衆議院議員(* 1921年)

2007年 - 城山三郎、小説家(* 1927年)

2007年 - 菅野光夫、プロ野球選手(* 1952年)

記念日・年中行事

放送記念日(日本)

国連水の日(ユネスコ)