東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年3月23日(月曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年3月23日(月曜日)

平成21年の。

「春」になりました。

「2月」はおわりました。

「春」の「3月」になります。

やっと「春」になりました。

長かった「冬」。

季節にも「ながさ」があり。

その年によって「ながさ」がちがう

ようです。

今年の「冬」・から「春」は予期せぬ

インフルエンザ*の

大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。

薬事法の「能書」にあるとおり

「正規の」

「2回法によるインフルエンザワクチン」の

予防接種を行います。

御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

「新年」「初春」になり。
「1月」がおわり。
「2月」。
「2月」がおわりました。

「春」の「3月」。
「春」になったとたん。

また。
きゅうにさむくなりました
とてもとてもさむくなりました

「昨年」
夏がおわり。
「9月」「初秋」も終わりました。

そして
「10月」がおわり。
「10月」中秋もおわり「11月」。
「中秋」から「晩秋」へとうつろいゆき。
「11月」がおわりました。
昨年の「冬」「12月」が過ぎれば。

いまは。
「1月」「2月」がおわり。
「3月」の「春」をむかえています。

そろそろ とぼとぼと。

「春」にむかって深まり行く。

「たしかなる」

「「春」のふかまる」

季節のかおり。

「あきらかなる」「「春」」の。

あゆみのしらべから。

「3月」の。

「「春」はじめ」の気配が。

手応えはしっかりと。

「春吹雪:はるふぶき」は。

「春かぜ」に。

おわれながら。

さやかな「春かぜ」が。

ただよっています。

「初春」の「冬」からかわり

「春」「3月」。

深まる「春]「3月」の「かおり」。

この

「初春」の

「冬のかおりへの変化(へんげ)」は。

毎年ちがいます。

「冬」から「春」への。

かおりの変化(へんげ)」は。

「毎年」新しい。

「うれしい新品のかおり」

がします。

寒い大気の織り成す(たいきのおりなす)。

冬の季節の風から。

「冬」から。

「新たなる新品のかおり」の。

「春」を恵まれることは。

とても幸せなことなのではないかと考えます。

けれども。

さむいです。

「初春」「新年」「晩冬」の「2月」

はおわり。

もう「春」です。

暗い早朝に。
「昨年」「12月」には
「木枯らし」の鳴き声が聞こえました。

陽がのぼるにつれ。
「木枯らし」の声は小さくなってゆきます。
そして「「木枯らし」のつぶやき」になり。

そして。
聞こえなくなりました。

「初春」の。「3月」の「春」の。
「春かぜ」の「音色」にかわりました。

「春」の「春かぜ」の鳴き声の音色は。

「夏」の「せみ」と異なり

「いわにしみいる」ねいろでは

ありません。

「ふうせん」のような。

「「春かぜ」にとばされる」

「春」の風鈴(ふうりん)をおもわせる音色です。

「春吹雪:はるふぶき」に。

とばされるように。

「春かぜ」の

声楽4声

(ソプラノ・アルト・テノール・バス)が。

混声の合唱で聞こえます。

「ろうろう」。

「春吹雪:はるふぶき」は。

「春かぜ」にかわりました。

まだ真暗い早朝の朝もやから。
「早い「春」のおとずれ」の「大気」が。

かすみのような「香り」で。
しのびよる気配は。
ろうそくの灯(ともしび)
のようにゆらぎながら。

「初春」の。
何かを。行く先をさがしながら。
何かをさがしながら。
照らすかのようにさまよい。
近寄りしのびよることが
わかります。
ゆきさきは。
もっとふかい「春かぜ」の「春」。

「春」です。

「初春」です。

昨年も終わり
「新年」「初春」です。

はやいものです。

はやいものです。

「2月」の「晩冬」から「3月」にかけては。
「さらに」。
「大気」と「自然の気配」に。
「特有の独特の気配と香り」が混じります。
感じられるようです。
不思議な感しが致します。

木々は
「「春かぜ」をむかえる」準備をすませて。

これからの。
「春」の。
「「春」へのあらたな実り」に向けての。
息吹が力強く感じられます。

今早朝は「とても肌寒い」です。

今年はとてもとても「寒い」です。

街路樹はしっかりと。
「初春」の枝木の穂先もたわわにつよく。
「春」に向けての。
萌黄色から若葉の芽吹きをそなえ
「冬」の「木」に
かわりました。

そしていま。
「冬」にも若葉を抱く木々は。
さらに「春」の芽栄え(めばえ)に。

うつろいてかわろうと
しています。

「昨年」はあっというまに
「7月」が終わりました。
「8月」です。
「8月」=せみのしぐれなく夏です
「8月」が終わりました。
「9月」が終わりました。
「10月」=「実りの秋」です。
「11月」収穫の晩秋です。
「12月」木枯らしの冬です。

「12月」がおわり。
「1月」「2月」がおわり。
「初春」の「3月」です。

木々がへったため。
夏にはせみの声も少なくなりました。
けれども「一昨年」より
「昨年」はは鳴き声は多かった
ようにおもえます。

こおろぎの声も「一昨年」より
「昨年」は多かったように
おもえました。

今は。

「初春」の「3月」

の「春かぜ」の「こえ」。

「ろうろう」。

みかんの木に「春かぜ」

がとまっているようです。

「鳥」(とり)の様です。

「春かぜ」の声はいつもかわります。

みかんの木は。

とても沢山の実をつけています。

黄金にプラチナのみかんのようです。

「初春」の気配に加えて。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックの
庭の。

山椒(さんしょう)の木の芽が
「初春」の若葉にすくすくとそだち。
若枝も冬天高くすこやかにのび。
ますますに。ますますに。
「冬の陽」をあびて。
「春」の山椒(さんしょう)の葉の。
みどりがとても。
奇麗です。

山椒のことを
「きのめ」=木の芽とはなるほどと
かんがえる。

春さんしょう木
春萌黄(もえぎ)鮮やかに芽葉(めは)
春みどり葉わか葉いずる花のごと
春夏(なつ)こすわか枝は幹ならむ
春なりてたゆまずとまらず
春冬あゆみそだちて
春幹は天たかくそだちたり
春いざいまこそは
春空(そら)にもえたたむ
春金色(こがね)の炎
春さんしょう木春

けれども
早朝は本当にはだ寒いのです。

「小さな冬みつけた」から

しだいに「大きな冬みつけた」

「大きな冬みつけた」から。

そして「大きな大きな冬」みつけた・は。

おわり。

「春」がきた。

ちょっと「安心する気」が致します。
「春」はもうきました。

「「春」の女神」の。

「佐保姫(さほひめ)」の導く

ワルツのきこえる「春」です。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成21年1月12日(月曜日)
は。
「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ限られた
時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年2月11日(水曜日)
「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。
限られた
時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年3月20日(金曜日)
「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。
限られた
時間帯で診療を行います。

はおわりました。

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平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

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私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
季節の変わり目に「反復性上気道感染」に
なられるかたが多いです。

「世情は不安定」であり何かひとつ
生活しづらい日々を感じられる
かたも多いものです。。

人間は「倒れるまではたっています」。
人間は「冬・春」の旅に(度に)齢を重ねる。

昔の「数え年」は「たいした物」だと思います。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝。

「今日は何の日」は。
世界の大大文豪。
代表作は『チボー家の人々』。
1937年、
『チボー家の人々 第7部 1914年夏』により。
ノーベル文学賞を受けた
フランスの小説家。

1881年 - ロジェ・マルタン・デュ・ガール、小説家
(+ 1958年)
の生誕日です。

++++++++++++++++++++++

ロジェ・マルタン・デュ・ガール:
Roger Martin du Gard、
1881年3月23日 - 1958年8月22日)は。
フランスの小説家です。戯曲も書きました。

代表作は『チボー家の人々』。

1937年、
『チボー家の人々 第7部 1914年夏』により。
ノーベル文学賞を受けました。

++++++++++++++++++++++

ロジェ・マルタン・デュ・ガール:
Roger Martin du Gard
は。

パリ市の西南西に接する
ヌイイ=シュル=セーヌに生まれました。

法曹に携わるブルジョワ家系です。
父は裁判所の代訴人でした。

フェヌロン中学(Lycee Fenelon)、
コンドルセ高等中学校(Lycee Condorcet、
ジャンソン・ド・サイ高等中学
(Lycee Janson de Saillyに学びまし。

コンドルセでは、ジャック・コポー、
ガストン・ガリマールらが同窓でした。

17歳のときに読んだ
レフ・トルストイの戦争と平和で。
文学に開眼致します。

++++++++++++++++++++++

ロジェ・マルタン・デュ・ガール:
Roger Martin du Gard
は。

ソルボンヌの文学部に進んだのですが。
卒業試験に失敗致します。

フランス国立古文書学校に転じて考証学を学び。

『ジェミエージュ僧院(Abbaye de Jumieges)遺跡の
考古学的習作(Etude Arceologique des Ruines)』
を書いて、
1905年に卒業致します。

++++++++++++++++++++++

ロジェ・マルタン・デュ・ガール:
Roger Martin du Gard
は。

1906年(25歳)のとき、
エレーヌ・フーコー(Helene Foucault)と結婚し、
翌年一女を得ました。

この頃から小説を書き始め。
1908年、若者の内心的苦悩を綴った『生成』を自費出版。

1913年、ドレフュス事件を背景に思想的信仰的不安を綴った
『ジャン・バロワ』により。
知られるようになりましたた。

これの上梓は、
『新フランス評論』(N.R.F.)誌
の中心的同人であったアンドレ・ジッドが。

ロジェ・マルタン・デュ・ガール:
Roger Martin du Gardを.
『新フランス評論出版社』に手引きして
以降の親交の機縁になりました。

N.R.F.同人のジャック・コポーが興した
ヴィユ・コロンビエ劇場が1914年春、
喜劇『ルルー爺さんの遺言』を上演致しました。

++++++++++++++++++++++

ロジェ・マルタン・デュ・ガール:
Roger Martin du Gard
は。

1914年夏からの第一次世界大戦期は、
自動車輸送班員として従軍致しました。

1920年(39歳)から1940年(59歳)にかけ。
地方に籠もって『チボー家の人々』を書きました。

出版社は、コンドルセ高等中学の
同窓ガストン・ガリマールが社長を勤める、
『新フランス評論出版社』の後身
『ガリマール書店』でした。

出版は間欠的ではありました。

++++++++++++++++++++++

ロジェ・マルタン・デュ・ガール:
Roger Martin du Gard
は。
1931年には、自動車事故で
2ヶ月入院することがありました。

1937年には『第7部 1914年夏』に
ノーベル文学賞が与えられました。

第一次世界大戦の破局が予感される時代を舞台に、
ブルジョワ社会の精神的風土と、
思想の摩擦とを描いた大河小説でありました。

そして完結後間もなく。
第二次世界大戦が始まりました。

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ロジェ・マルタン・デュ・ガール:
Roger Martin du Gard
の。

『チボー家の人々』の邦訳は。
山内義雄が、原著発行直後に着手し、
1938年に第1部が出版されたのですが。

太平洋戦争の戦中戦後の空白期があって
第8部の刊行を終えたのは1952年のことでした

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ロジェ・マルタン・デュ・ガール:
Roger Martin du Gard
は。

大戦中はおもにニースにいました。
マイエンヌ県テルトル城(Chateau du Tertre)の自宅は
ナチスに占拠されました。

そしてブラックリストに載せられたゆえに、
転々と居を移しながら次の長編『モーモール大佐』を
書き進めました。

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ロジェ・マルタン・デュ・ガール:
Roger Martin du Gard
は。

1955年(74歳)、プレイヤード叢書版の全集に、
回想録を載せました。

1958年、心筋炎の発作により、
オルヌ県ベレーヌ(Belleme)近在、セリニー(Serigny)
の自宅で没しました。

ニース郊外のシミエ修道院(Monastere de Cimiez)
に葬られました。

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ロジェ・マルタン・デュ・ガール:Roger Martin du Gard
は。

没後に、パリ国立図書館に保管されていた
未完の『モーモール大佐』の草稿や、
日記・書簡などが出版されています。

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ロジェ・マルタン・デュ・ガール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%AB

ロジェ・マルタン・デュ・ガール(Roger Martin du Gard、1881年3月23日 - 1958年8月22日)は、フランスの小説家。戯曲も書いた。代表作は『チボー家の人々』。1937年、『チボー家の人々 第7部 1914年夏』により、ノーベル文学賞を受けた。

目次
1 生涯
2 おもな作品
3 おもな訳書
4 映像化
5 出典
6 外部リンク

生涯
パリ市の西南西に接するヌイイ=シュル=セーヌに生まれた。法曹に携わるブルジョワ家系で、父は裁判所の代訴人であった。フェヌロン中学(Lycee Fenelon)、コンドルセ高等中学校(Lycee Condorcet、ジャンソン・ド・サイ高等中学(Lycee Janson de Saillyに学んだ。コンドルセでは、ジャック・コポー、ガストン・ガリマールらが同窓であった。17歳のときに読んだレフ・トルストイの戦争と平和で、文学に開眼した。

ソルボンヌの文学部に進んだが卒業試験に失敗し、フランス国立古文書学校に転じて考証学を学び、『ジェミエージュ僧院(Abbaye de Jumieges)遺跡の考古学的習作(Etude Arceologique des Ruines)』を書いて、1905年に卒業した。

1906年(25歳)のとき、エレーヌ・フーコー(Helene Foucault)と結婚し、翌年一女を得た。この頃から小説を書き始め、1908年、若者の内心的苦悩を綴った『生成』を自費出版し、1913年、ドレフュス事件を背景に思想的信仰的不安を綴った『ジャン・バロワ』により、知られるようになった。

これの上梓は、『新フランス評論』(N.R.F.)誌の中心的同人であったアンドレ・ジッドが、『新フランス評論出版社』に手引きして、以降の親交の機縁になった。N.R.F.同人のジャック・コポーが興したヴィユ・コロンビエ劇場が1914年春、喜劇『ルルー爺さんの遺言』を上演した。

1914年夏からの第一次世界大戦期は、自動車輸送班員として従軍した。

1920年(39歳)から1940年(59歳)にかけ、地方に籠もって『チボー家の人々』を書いた。出版社は、コンドルセ高等中学の同窓ガストン・ガリマールが社長を勤める、『新フランス評論出版社』の後身『ガリマール書店』であった。出版は次項に見る通り、間欠的であった。1931年には、自動車事故で2ヶ月入院することがあった。1937年には『第7部 1914年夏』にノーベル文学賞が与えられた。第一次世界大戦の破局が予感される時代を舞台に、ブルジョワ社会の精神的風土と、思想の摩擦とを描いた大河小説であった。そして完結後間もなく、第二次世界大戦が始まった。

『チボー家の人々』の邦訳は、山内義雄が、原著発行直後に着手し、1938年に第1部が出版されたが、太平洋戦争の戦中戦後の空白期があって、第8部の刊行を終えたのは1952年であった。
大戦中はおもにニースにいたが、マイエンヌ県テルトル城(Chateau du Tertre)の自宅はナチスに占拠された。そしてブラックリストに載せられたゆえに、転々と居を移しながら、次の長編『モーモール大佐』を書き進めた。

1955年(74歳)、プレイヤード叢書版の全集に、回想録を載せた。

1958年、心筋炎の発作により、オルヌ県ベレーヌ(Belleme)近在、セリニー(Serigny)の自宅で没した。ニース郊外のシミエ修道院(Monastere de Cimiez)に葬った。

同性愛の傾向があった。たとえば、1931年にルイ・ジューヴェ一座が上演した『無口な男』は好評だったものの、その面の非難も浴びた。

没後に、パリ国立図書館に保管されていた未完の『モーモール大佐』の草稿や、日記・書簡などが出版されている。

おもな作品
訳書がある作品は太字に書く。

1908年:『生成』(Devenir!)
1909年:『われらのうちの一人の女』(L'Une de Nous)
1913年:『ジャン・バロワ』(Jean Barois)
1913年:『ルルー爺さんの遺言』(Le Testament du pere Leleu)(戯曲)
1922年:『チボー家の人々 第1部灰色のノート』(Les Thibaults : Le Cahier gris)
1922年:『チボー家の人々 第2部 少年園』(Les Thibaults : Le Penitencier)
1923年:『チボー家の人々 第3部 美しい季節』(Les Thibaults : La Belle Saison)
1928年:『チボー家の人々 第4部 診察』(Les Thibaults : La Consultation)
1928年:『チボー家の人々 第5部 ラソレリーナ』(Les Thibaults : La Sorellina)
1928年:『水ぶくれ』(La gonfle)(戯曲)
1929年:『チボー家の人々 第6部 父の死』(Les Thibaults : La Mort du pere)
1930年:『対話』(Dialogue)
1931年:『無口な男』(Un Taciturne)(戯曲)
1931年:『アフリカ秘話』(Confidence Africaine)
1933年:『老いたるフランス』(Vieille France)
1936年:『チボー家の人々 第7部 1914年夏』(Les Thibaults : l'Ete 1914)
1940年:『チボー家の人々 第8部 エピローグ』(Les Thibaults : l'Epilogue)
1951年:『アンドレ・ジッドについての覚え書 1913 - 1951』(Notes sur Andre Gide 1913-1951)
1955年:『文学的回想』(Souvenirs autobiographiques et litteraires)
1955年:『全集』(2巻)(Oeuvres completes)、プレイヤード叢書、(前行の回想記、および、アルベール・カミュの序文を含む)
没後

1968年:『アンドレ・ジッドとの往復書簡』(Correspondance avec Andre Gide)
1980年:『1896 - 1913、書簡集1』(Correspondance generale 1 1896-1913)
1983年:『モーモール大佐』(Le Lieutenant-colonel de Maumort)
1992年:『日記Ⅰ 自伝風テキスト 1892 - 1919 』(Journal 1 Textesautobiographiques 1892-1919)
1993年:『日記Ⅱ 1919 - 1936』(Journal II 1919-1936)
1993年:『日記Ⅲ 1937 - 1949、自伝風テキスト 1950 - 1958』(Journal III 1937-1949 Textes autobiographiques 1950-1958)
2006年:『書簡集Ⅹ 1951 - 1958』(Correspondance generale X 1951-1958)

おもな訳書
再版されている場合は、新版の方を記す。

『生成』、店村新次訳、講談社文庫(1976)
『われらのうちの一人の女』店村新次訳:同志社外国文学研究16(1977)
『ジャン・バロワ』、山内義雄訳、白水社、(1965)
『ジャン・バロワの生涯』、青柳瑞穂訳、本の友社 ノーベル賞文学叢書3(2005)(CD復刻版)
『ルリュ爺さんの遺言』、堀口大学訳、第一書房 近代劇全集18 (1927)
『チボー家の人々』、山内義雄訳、白水社 白水Uブックス38 - 50(1984年改版第1刷)ISBN 9784560070383、ISBN 9784560070390、ISBN 9784560070406、ISBN 9784560070413、ISBN 9784560070420、ISBN 9784560070437、ISBN 9784560070444、ISBN 9784560070451、ISBN 9784560070468、ISBN 9784560070475、ISBN 9784560070482、ISBN 9784560070499、ISBN 9784560070505
『対話』、店村新次訳、同志社外国文学研究17(1977)
『寡黙の人』、店村新次訳、同志社外国文学研究10 - 12(1975)
『アフリカ秘話』、渡辺一民訳、(「集英社ギャラリー 世界の文学8(1990) ISBN 9784081290086」中の一篇)
『アフリカ秘話』、中原好文訳(「新日本出版社世界短篇名作撰 フランス編2(1978)」中の一篇)
『老いたるフランス・水ぶくれ』、店村新次・広田正敏訳、三修社(1973)
『往復書簡1 1913-1927』(アンドレ・ジィドと)、中島昭和・鈴木重生訳、みすず書房(1971)
『往復書簡2 1928‐1933』(アンドレ・ジィドと)、同上(1972)
『往復書簡3 1934‐1941』(アンドレ・ジィドと)、同上(1972)
『往復書簡4 1942‐1951』(アンドレ・ジィドと)、同上(1973)
『アンドレ・ジィド1913−1951』、福永武彦訳、文藝春秋社(1953)
『文学的回想』、店村新次訳、法律文化社(1970)

映像化
『チボー家の人々』映像文学全集シリーズDVD

出典
仏・英版ウィキペディアの当該ページ、および、外部リンクのウェブ情報のほか、

「山内義雄訳:チボー家の人々 灰色のノート」、白水Uブックス38」巻末の、『訳者あとがき』
江上卓ほか編:『新潮世界文学辞典』(1990) ISBN 9784107302090
篠田一士ほか編:『集英社世界文学事典』(2002) ISBN 9784081430079

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3月23日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/3%E6%9C%8823%E6%97%A5

できごと
1274年(文永11年2月14日) - 日蓮が幕府に赦免され、佐渡国から鎌倉へ帰る。

1585年(天正13年2月22日) - 天正遣欧少年使節がローマ教皇グレゴリウス13世に公式謁見。

1633年(寛永10年2月14日) -
江戸幕府が奉書船以外で海外渡航した日本人の帰国を禁止する。

1887年 - 所得税法が公布。

1914年 - アメリカ海軍の戦艦オクラホマが進水。

1919年 - イタリアでベニート・ムッソリーニが
「戦士のファッショ(後のファシスト党)」を結成。

1933年 - ドイツ議会で全権委任法(授権法)、可決。

1934年 - アメリカでフィリピン独立法成立。

1942年 - 第二次世界大戦で日本軍がインド洋のアナダマン島を占領。

1945年 - 太平洋戦争において、米軍の沖縄上陸作戦開始に伴い、ひめゆり学徒隊動員。

1956年 - パキスタンが世界初のイスラム教徒による共和国となる。

1976年 - 児玉誉士夫邸セスナ機特攻事件。

1986年 - 南岸低気圧の通過で、関東地方でこの時期としては季節外れの記録的な大雪。

1986年 - 西武鉄道新宿線田無駅追突事故発生。

1987年 - 北海道の国鉄・士幌線がこの日限りで廃止。62年間の歴史に幕。

1996年 - 中華民国(台湾)初の総統直接選挙で李登輝が当選。

1999年 - パラグアイの副大統領ルイス・マリア・アルガーニャが暗殺される。

1999年 - 能登半島沖不審船事件。
自衛隊に初の実戦命令となった海上警備行動が発令された。

2001年 - 旧ソビエト連邦の宇宙ステーション「ミール」が
南太平洋上の大気圏で廃棄処分される。

2008年 - 日本で初めての、全FM放送局同時参加・一斉放送による、
桑田佳祐の石垣島でのライブ生中継。

2008年 - JR常磐線荒川沖駅の構内で、
殺人容疑で指名手配中の男性被疑者が通行人を刃物で切り付け、
8人が死傷(土浦連続殺傷事件)。

誕生日
1429年 - マーガレット・オブ・アンジュー、ヘンリー6世妃(+ 1482年)

1543年(天文14年2月11日) - 上井覚兼、戦国時代の島津氏家臣(+ 1589年)

1749年 - ピエール=シモン・ラプラス、数学者(+ 1827年)

1823年 - ジョージ・ヘンリー・ウィリアムズ、第32代アメリカ合衆国司法長官(+ 1910年)

1835年(天保6年2月25日)- 松方正義、第4代内閣総理大臣(+ 1924年)

1881年 - ロジェ・マルタン・デュ・ガール、小説家(+ 1958年)

1883年 - 北大路魯山人、芸術家(+ 1959年)

1884年 - 徳川家正、徳川宗家第17代当主、貴族院議長(+ 1963年)

1894年 - 吉田甲子太郎、翻訳家・児童文学者(+ 1957年)

1900年 - エーリヒ・フロム、精神分析学者(+ 1980年)

1901年 - 森澤信夫、モリサワ創業者(+ 2000年)

1910年 - 黒澤明、映画監督(+ 1998年)

1912年 - ヴェルナー・フォン・ブラウン、科学技術者(+ 1977年)

1915年 - ヴァシリ・ザイツェフ、軍人(+ 1991年)

1919年 - 水戸光子、女優(+ 1981年)

1920年 - 川上哲治、元プロ野球選手、元読売ジャイアンツ監督

1921年 - ジェイムズ・ブリッシュ、SF作家(+ 1975年)

1924年 - 高瀬文志郎、天文学者

1925年 - 潮健児、俳優(+1993年)

1929年 - 犬塚弘、ミュージシャン・俳優

1929年 - 村松剛、評論家(+ 1994年)

1929年 - 津本陽、小説家

1930年 - 大脇照夫、元プロ野球選手

1931年 - ヴィクトール・コルチノイ、チェスプレーヤー

1932年 - 辻真先、推理作家・脚本家

1933年 - ヘイス・アラン・ジェンキンス、フィギュアスケート選手

1938年 - 佐藤文隆、宇宙物理学者

1939年 - ボリス・ティシチェンコ、作曲家

1940年 - トミー・ビロッティ、マフィア(+1980年)

1944年 - マイケル・ナイマン、作曲家

1949年 - 江畑謙介、軍事評論家

1952年 - 児島美ゆき、女優
1953年 - チャカ・カーン、歌手
1954年 - 堀秀行、声優
1954年 - 山田耕大、脚本家
1956年 - 山本恭司、ミュージシャン
1957年 - 浅田彰、哲学者
1959年 - 伊倉一恵、声優
1960年 - きゃんひとみ、ラジオパーソナリティ
1960年 - 城谷光俊、俳優
1961年 - 出光ケイ、テレビキャスター・スポーツジャーナリスト
1962年 - 松村和子、歌手
1962年 - 夏まゆみ、振り付け師
1962年 - 山賀博之、アニメーション監督
1964年 - 大木裕之、映像作家・現代美術家
1965年 - トニーニョ、元サッカー選手
1965年 - ペーター・シールゲン、調教師、元騎手
1966年 - 大沢逸美、女優、歌手、タレント
1967年 - 七瀬なつみ、女優
1967年 - ジェリー・ブルックス、元プロ野球選手
1970年 - 松永政行、体操競技選手
1971年 - 天山広吉、プロレスラー
1971年 - ヤスミン・ゴーリ、モデル
1972年 - 亀岡慎一、キャラクターデザイナー
1973年 - ジェイソン・キッド、バスケットボール選手
1973年 - 沢松奈生子、元テニス選手
1974年 - マーク・ハント、格闘家
1974年 - 平松一宏、元プロ野球選手
1975年 - 峰倉かずや、漫画家
1975年 - 辻栄蔵、競艇選手
1978年 - ワルテル・サムエル、サッカー選手
1979年 - マーク・バーリー、メジャーリーガー
1979年 - 姜暢雄、俳優
1981年 - 本田武史、プロスケーター、解説者
1981年 - 梅佳代、写真家
1981年 - 加藤健、プロ野球選手
1982年 - 佐藤友則、騎手
1986年 - 水瀬葵、グラビアアイドル
1986年 - 小田原彩、タレント
1987年 - 一色雅、グラビアアイドル
1988年 - 桜木睦子、元グラビアアイドル
1988年 - 平田良介、プロ野球選手、中日ドラゴンズ所属
1988年 - 灘坂舞、グラビアアイドル
1989年 - 山田弘喜、プロ野球選手
1989年 - 西田麻衣、グラビアアイドル
1991年 - 千賀健永(ジャニーズJr./Kis-My-Ft2)
1994年 - 川口翔平、俳優
1994年 - タイキシャトル、種牡馬、元競走馬、
1997年 - 藤本紗羅、AKB48
2004年 - アサクサキングス、競走馬

忌日
1022年(乾興元年2月19日) - 真宗、北宋の第3代皇帝(* 968年)

1103年 - ウード1世、ブルゴーニュ公(* 1058年)

1190年(文治6年2月16日) - 西行、鎌倉時代の歌人(* 1118年)

1369年 - ペドロ1世、カスティーリャ王(* 1334年)

1548年(天文17年2月14日)- 板垣信方、戦国武将

1548年(天文17年2月14日)- 甘利虎泰、戦国武将(* 1498年?)

1548年(天文17年2月14日)- 若槻清尚、戦国武将

1553年(天文22年2月10日)- 長尾晴景、戦国大名(* 1509年)

1555年 - ユリウス3世、第221代ローマ教皇(* 1481年)

1609年(慶長14年2月18日)- 田中吉政、柳河藩主(* 1548年)

1680年 - ニコラス・フーケ、フランスの大蔵卿(* 1615年)

1701年 - ウィリアム・キッド、海賊船船長(* 1645年)

1730年 - カール、ヘッセン=カッセル方伯(* 1654年)

1748年 - ヨハン・ゴットフリート・ヴァルター、
音楽理論家・オルガン奏者・作曲家(* 1684年)

1801年 - パーヴェル1世、ロマノフ朝第9代ロシア帝国皇帝(* 1754年)

1806年 - ジョージ・フレデリック・ピント、作曲家(* 1785年)

1818年 - ニコラ・イズアール、作曲家(* 1775年)

1842年 - スタンダール、小説家 (* 1783年)

1849年 - アンドレス・マヌエル・デル・リオ、化学者(* 1764年)

1862年 - カール・ロベルト・ネッセルローデ、元ロシア帝国首相(* 1780年)

1864年(文久4年2月16日)- 安岡直行、土佐藩郷士(* 1839年)

1864年(文久4年2月16日)- 田所重道、土佐藩郷士(* 1841年)

1872年(明治5年2月15日)- 玉松真弘、国学者(* 1810年)

1881年 - ニコライ・ルビンシテイン、ピアニスト・作曲家(* 1835年)

1891年 - 松平斉民、第8代津山藩主(* 1814年)

1897年 - ソフィー・ファン・オラニエ=ナッサウ、
オランダ王ヴィレム2世の長女(* 1824年)

1907年 - コンスタンチン・ポベドノスツェフ、法学者・思想家(* 1827年)

1922年 - オットマール・フォン・モール、外交官(* 1846年)

1928年 - 竹内明太郎、立憲政友会衆議院議員(* 1860年)

1948年 - ニコライ・ベルジャーエフ(* 1874年)

1953年 - ラウル・デュフィ、画家(* 1877年)

1958年 - 山川均、社会主義運動家・理論家・評論家(* 1880年)

1963年 - トアルフ・スコーレム、数学者(* 1887年)

1964年 - ピーター・ローレ、俳優(* 1904年)

1964年 - 清水秀雄、元プロ野球選手(* 1918年)

1970年 - 川田芳子、女優(* 1895年)

1970年 - 八谷泰造、石油化学工業技術者・日本触媒創業者(* 1906年)

1972年 - クリストバル・バレンシアガ、ファッションデザイナー(* 1895年)

1979年 - 近藤日出造、漫画家(* 1908年)

1980年 - 亀山龍樹、作家・翻訳家(* 1922年)

1981年 - クルード・オーキンレック、イギリス陸軍の元帥(* 1884年)

1981年 - 平田郷陽、人形作家(* 1903年)

1981年 - マイク・ヘイルウッド、F1レーサー(* 1940年)

1981年 - ベアトリス・ティンズリー、天文学者(* 1941年)

1984年 - ジャン・プルーヴェ、建築家・デザイナー(* 1894年)

1985年 - 小池朝雄、俳優・声優(* 1931年)

1990年 - 藤田進、俳優(* 1912年)

1990年 - 村松栄紀、レーサー(* 1965年)

1992年 - フリードリヒ・ハイエク、経済学者(* 1899年)

1993年 - 芹沢光治良、小説家(* 1896年か1897年)

1993年 - 友竹正則、バリトン歌手・詩人(* 1931年)

1994年 - ジュリエッタ・マシーナ、俳優(* 1921年)

1995年 - ラッセル・マーカー、化学者(* 1902年)

1999年 - 河野鷹思、グラフィックデザイナー・エディトリアルデザイナー(* 1906年)

1999年 - 水島道太郎、俳優(* 1912年)

1999年 - 高橋和枝、声優(* 1929年)

2000年 - カール・シャウプ、経済学者(* 1902年)

2000年 - 鈴木清、写真家(* 1943年)

2003年 - 梶岡忠義、プロ野球選手(* 1920年)

2003年 - 天本英世、俳優(* 1926年)

2004年 - 寺島尚彦、作曲家・作詞家(* 1930年)

2004年 - 又野誠治、俳優(* 1960年)

2006年 - ピオ・レイヴァ、歌手(* 1917年)

2006年 - サラ・コールドウェル、指揮者(* 1924年)

2006年 - 徳田ザウルス、漫画家(* 1958年)

2007年 - 毛岸青、毛沢東の次男(* 1923年)

記念日・年中行事
世界気象デー
1950年3月23日に世界気象機関(WMO)が発足したことから、
発足10周年を記念して1960年に制定。
国際デーの一つ。

復活祭
キリスト教(西方教会)、2008年