東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年4月2日(木曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年4月2日(木曜日)

「春」です。

「春」の「4月」

になりました。

まばゆいほど。

いいつくせないほどに。

うれしくやさしい。

「春」の陽射しです。

しあわせいろの。

とても。

とてもあかるい陽射しです。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

「春」になりました。

今年も春がきました。

「春」がきて。

今は。

「春」はふうせんのように。

ふくらみ。

ひろがってゆく季節です。

ひなまつりはおわり。

野原には。

たんぽぽが咲き。

すみれが咲き。

よもぎや。

すぎながいっぱいになりました。

「春」になり「川の水音」が。

やっと。

「せせらぎ」の。

「ながれのおと」

としてきこえるようになりました。

「春」の小川。

「さらさら」ながれる。

はるのおがわ。

高さも低さもないのに。

ながれる水の流れ。

とても感銘致します。

春分の日もすぎれば。
「さくら」咲きはじめ
「さくら」がおわり。
「4月」が終われば。
「5月」になり。
「5月」もおわれば。
6月に。「夏」になり。
6月も終われば。
7月 たなばた。
7月 もおわれば。
せみのなく8月。
8月の夏はすぎれば。
9月の秋になり秋の虫が鳴く。
そして9月がおわり。
中秋10月なり紅葉の季節。
そして10月がおわり。
「11月」になり。
晩秋「11月」もおわり12月の「冬」。
「12月」になればまた「年」があけ。
また「初春」がくる。

そして来年も「春」の「3月」がきて。
そして「4月」がくる。

「はつはる」の「4月」です。

「晩冬」の冬はおわりました。

「雪国の冬」はおわりました。

そして「12月」の冬至を。

すぎて「陽」はもうすでに

日々とてもたかくなりつつあります。

「春」がきて。

これから「夏」に向かう「春」です。

「春」です。

「昨年」12月の冬至は

おわりました。

陽は日々たかくなっている。

とてもよくわかります。

朝陽ののぼるのが早くなりました。

夕陽がおりるのは遅くなりました。

朝の「春」の陽射しは窓越しにも「まばゆい」

くらいです。

夕暮れの「春」の陽射しは「きかんぼう」

の「やんちゃぼうず」のようです。

おちつきません。

まことに。

冬来たりなば春遠からじ。

ふゆきたりなば

はるとおからじ

(出 典は。

 イギリスの詩人シェリー*の

『西風に寄せる歌』の一節。

英 語の原文: 

If winter comes,

can spring be far behind? )

「英国:United Kingdom UK」のロマン派の
詩人は。「御自分」のテーマの「鳥」を
家紋のようにもっています。
英国ロマン派の詩人は、
それぞれ愛好し、崇拝する鳥を持っていました。
パーシー・シェリーは「雲雀」の声に魅惑され、
ひばりを主題とした詩を書いています。

またジョン・キーツは、
「夜鶯」の神秘的な声に魅惑され。
夜の闇に響くその歌声を主題に詩を書いています。

ワーズワースにとって、詩の霊感をもたらし、
彼に生きることの喜びを教えてくれる鳥は、
「郭公」でした。

「秋」から「冬」への

移り変わりは

二階から。

「かけあし」の足音のきこえる。

怒涛のごとき「はやさ」でした。

二階から。

「かけあし」の足音のきこえる。

「かけあし」10人分

のようでした。

「9月」の初秋がおわり。
「名月中秋10月もおわり」ました。
「11月」。

「11月」もおわりました。
「12月」もおわりました。
「新年」「初春」の「1月」もおわり。
今は
「2月」「晩冬」もおわりました。

「晩秋」から「冬」への移り変わりは

「かけあし」のようにうつろいました。

一方

「春」はゆっくりと。

ゆっくりと。

ゆっくりと。あるいて来ます。

そしてゆっくりと。

あるいて行きます。

だから。

「春」をまつのであれば。

「春」がゆっくりと。

歩いてくるのをまたなければ。

なりません。

「夏」がくるのをまつのであれば。

「春」がゆっくりと。

歩いていくのをまたねば。

なりません。

もう「春」ですね。

「冬」はかけあしでやってくる。

「春」はゆっくりと歩いてやってくる。

さきのことすぎるかもしれないが「来年」。

このように「時」のうつろいを

心はせれば。

考えると「おそろしいもの」です。

考えなければ。
「なおおおそろしい」
ものであるものかもしれない。

「考えずにいるつけ」がまわって
くるからかもしれません。

「来年」のことを考えれば「鬼」が笑う。
「来年」のことを考えずにすむのであれば「鬼」は
笑わないのでしょう。
「鬼」とはなんだろう。

今日の深夜早朝03:15amには。

久方ぶりに。

大きな「春」の「星空」がみえました。

早朝くらいうちは。

空に月。

「お月様」が「「冬」雲のじゅうたん」

天高くにねそべって。

かさををさしている

ようです。

「春」の「夜空」の。

「おぼろ月夜」です。

06:00amころ日があければ。
まだまだくらい朝日を背に。
西のコバルトの空高く明るい。
とても高い成層圏近くの高い高度に。

西のコバルトの空高に。
「刷毛」でひいたように「絹雲(けんうん)」が
何本も何本も。
描かれて。
たなびいていました。

実に見事な筆捌(ふでさばき)です。
ためらいのない「朝焼け」
「春」の「朝焼け色」の線描です。

「春」の朝。

「陽射し」ののぼるころは。

「西」の空

のほうが明るいのです。

朝が明けて午前になれば。

まばゆいほどの。

「春」のひざしが。

陽がのぼる。

東から。

窓のカーテンと。

木々の合間をぬって。

「さあ 外にきて!」

とさそうがごとく。

よびかけてくるようです。

高い成層圏近くの高い高度に。
「刷毛でひいたように」「絹雲(けんうん)」
の端には渦巻きのような「ぬけあな」があり
「さらなる遠方の青空」が透けてみえます。

さながらにして。
東山魁夷画伯の描かれた大きな壁画。
大きな屏風絵の世界。

東山魁夷画伯の描かれた大きな絵画を
彷彿とさせますです。

東山魁夷画伯。
「よくえがかけた画伯です」。

この「あおぞら」をみていると。

陽のひかりをみていると。

とても

信じられないくらいに。

元気がわいてくることに。

気が付きました。

「太陽」の「陽射し」。

「陽」の「めぐみ」は。

なんと。

ありがたいことだろう。

尊いことだろう。

そら一杯の青空の

天井(てんじょう)と。

「太陽のひかりのひざし」は。

「生きとし生けるもの」にとって。

なによりもの。

まことの。

「ごほうび」なのであり。

「よろこび」です。

「太陽のひかりのひざし」は

「いのちへのめぐみ」。

「いのちのよろこび」。

ありとあらゆる「生命」「いのち」をはぐくみ。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をたたえる。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をなぐさめる。

「生きとし生けるもの」の「いのち」に。
さらなる。
「はるかかなた」までの。
「いきるちから」をさずけるものです。
「太陽」。
ありがたいものです。

はやいものです。
ときのたつのは。
はやいものです。

そしてふと考えれば

去年も
「12か月」が
終わりました。

中秋から晩秋にうつろい。
いまや
「寒月」の「12月」がおわり。
新年の「1月」がおわり。
「晩冬」の「2月」がおわり。
「初春」の「3月」がおわり。

「春「4月」です。

病院の庭園に「何本」もある
「春の花」の大木が。
いずれもが紅白の花を

緑野に見え隠れする蓮華草
のように
みのらせています。

「春の花」は。
「はつはな」で初々しいです。
けれども。
「春の花」は。

は雨に打たれると。
花は地面に紅白の毛氈(もうせん)
のように落花してしまいます。

くれない色としろ色の雪のようです。

「春の花」の花の花びら。

ひろって。
手のひらにかかげれば。
「春の花」の花のかおりは。
プラチナ色の香りが
致しました。

今は。
「春の花」が。
蕾をふくらませています。
「春の花」の。

はながは鐘(ベル)のように。
ふくらんでいます。

「春」の花の「はなびら」が。

闇夜のあいだに。

朝の早朝まだ。

「花」にもきがつかぬうちに

また地に舞い下りています。

「春の花」の花ひとつさいて。

夜の「春吹雪:はるふぶき」で。

ちったようです。

みつめれば。

「春吹雪:はるふぶき」に。

弓射られた白鷺(しらさぎ)の羽が。

舞っているようでした。

寒い「春」も。

「昆虫」の少ない時期に。

「春の花」は。

は花をさかせ。

どのように授粉して。

「実る」のだろう。

「春の花」の花ひとつさいて。

夜の「春吹雪:はるふぶき」で。

ちる。

「春の花」は。

「花」はすぐに

落下する。

このあたりに。

「春の花」

には。

ひとのよの。

「人生」の。

「解答」があるような

気が致します。

ふと野の花は。

一般的には。

香らない花が。

多いことに気づきました。

伊藤左千夫の「野菊の墓」の「野菊」は。
矢車菊 (やぐるまぎく)
はとても綺麗なむらさきの「のぎく」です。
けれども「のぎく」は香りません。
(Corn lower, Bachelor's-button)です。

因みに
最高級の(今はもうとれない)
インド・カシミール地方で産出されたの
サフアイアの色は

「矢車菊色:やぐるまそう色」といわれます。

「カシミール・ヴァイオレット」。

麦畑やとうもろこし畑の中に 咲いていたことから。
「コーン・フラワー」=「野菊」(Corn lower)
です。

別名 「矢車草(やぐるまそう)」
といわれることがあります。

実は「矢車菊 (やぐるまぎく)」と
「矢車草(やぐるまそう)」まったく違う植物です。
矢車菊 (やぐるまぎく)が「野菊」。
「矢車草(やぐるまそう)」は「高山植物」。

「野菊」は春から夏にかけて咲くむらさきの花です。

古代エジプトのツタンカーメン王の墓 からも
発見された由緒正しき「野菊」。
色は紫。むらさきです。

ツタンカーメン王の。

まだ幼な子王妃が。

「亡きツタンカーメンンに野菊の花束ささげるけなげな姿」
が鮮烈に眼に浮かびます。

この「花」が。

「野菊」です。

「野菊の墓」の「野菊」。

けれども。

「野菊」は

香らない。

毎朝暗い早朝と。

うす暗くなる午後4時ころには。

「春吹雪:はるふぶき」が

ふいている。

「春吹雪:はるふぶき」がかわりばんこに。

あちこちで

「ろうろう」「こうこう」とないています。

「春かぜ」の
「春吹雪:はるふぶき」
の「コーラス」を聞いていると。

ふと。

「この「春」におびえるひと」の気配が
脳裏をはしりました。
はてだれだろう。

うら若き乙女。
苦労に苦労をかさねて。
苦しんで苦しんだあげくに。
24歳にして世を去った
「樋口一葉」。

樋口一葉の
「うらわかき」「「冬」と「春」の短歌」がきこえるようです。

散たまるふもとの落葉わけて思ふ
埋もれぬべきは雪の山里

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ
うもれぬへきはゆきのやまさと

庭の面につもる紅葉の色見れば
散りての後もにしきなりけり

にわのおもにつもるもみしのいろみれば
ちりてのあともにしきなりけり

世の中の秋にあはじとおくれけん
一もと野ぎく思ひあがりて

よのなかにあきにあはしとおくれけん
ひともとのきくおもひあがりて

折々に散るものどけし春雨の
はれたる軒の山桜ばな

おりおりにちるものどけしはるさめの
はれたるのきのやまさくらばな

わが園のものとおもへば初わかな
はつかなれども嬉しかりけり

わがそののものとおもへばはつわかな
はつかなれどもうれしかりけり

立ち渡る霞をみれば足引きの
山にも野にも春は来にけむ

たちわたるかすみをみれはあしひきの
やまにものにもはるはきにけむ

わたつ海の波のいづこに立ち初て
果なくつゝむ春の霞ぞ

わたつみのなみのいづこにたちそめて
はてなくつつむはるのかすみぞ

さざ波やしがの都のいにしへの
おもかげうすく立つ霞かな

ささなみやしかのみやこのいにしえの
おもかけうすくたつかすみかな

鶯のけさおとづるゝ声聞て
はじめて春の心地こそすれ

うくいすのけさおとつるるこへききて
はしめてはるのここちこそすれ

うれしくもわがものにして聞てけり
このあかつきの鶯の声

うれしきもわかものにしてきこへけり
このあかつきのうくいすのこへ

のどかなるけさの雨にやはるの野の
みどりも色まさるらむ

のとかなるけさのあめにや
はるののの
みとりのいろもまさるらむ

おくれたる友の為にとしをりして
谷間の蕨折り残しけり

おくれたるとものためにとしをりして
たのまのわらひおりのこしけり

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ

うもれぬへきはゆきのやまさと

にわのおもにつもるもみしのいろみれば

ちりてのあともにしきなりけり

よのなかにあきにあはしとおくれけん

ひともとのきくおもひあがりて

-------------------------------

おりおりにちるものどけしはるさめの

はれたるのきのやまさくらばな

わがそののものとおもへばはつわかな

はつかなれともうれしかりけり

たちわたるかすみをみれはあしひきの

やまにものにもはるはきにけむ

わたつみのなみのいづこにたちそめて

はてなくつつむはるのかすみぞ

ささなみやしかのみやこのいにしえの

おもかけうすくたつかすみかな

うくいすのけさおとつるるこへききて

はしめてはるのここちこそすれ

うれしきもわかものにしてきこへけり

このあかつきのうくいすのこへ

のとかなるけさのあめにや

はるののの

みとりのいろもまさるらむ

おくれたるとものためにとしをりして

たのまのわらひおりのこしけり

「24歳」の「とても貧しい乙女」の。

「春」によろこび。

「春」におびえおののく。

かなしさの。おもかげと。

光さす。輝きと。

いまだお若い「御婦人」の「知」「智」が。

「ひしひし」とよみとれます。

「冬至」はすでにすぎました

これからは日は。
陽は次第にながくなる。
日が長くなる。
朝は明けるのは早くなり。
夕に暗くなるのは遅くなる。

しだいに陽がながくなる。
なぜか。
不思議なやさしさ。
やすらぎと。
心やすらかなる
安堵感をかんじます。

心やすらかなる
安堵感をかんじます。

けれども。
「安堵」と「落胆」は。
常に表裏一体。
両羽(もろば)の剣。

「ぬかよろこび」の「ぬか」のような
ものです。

「ながくなる陽」も両羽(もろば)の剣を
持っています。

そして。
季節には「大気の音色(ねいろ)」もあるようです。

朝空は
陽ははるかに天高く。
空色はミルク色です。
クリームのかかった雲空です。

東京都世田谷区山本クリニックの庭園には

「えどむらさき」という「つつじ」
が「何本」もはえています。
野生種に近いものです。
大きな真紅紫の花を咲かせます。

「つつじ」ですから
盆栽の「皐月:さつき」のような
繊細さはみえません。

この「4月」になり。
森山を分け入ると。

木々の根元に隠れ咲く。
だいだい色の花の花のごとくに紅葉したまま
しもがれする
「やまはぜの葉木」が「大好き」です。

「やまうるしの紅葉」もかわいらしく。
「大好き」です。

身の丈以上ほどにもなって群生する。
野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
が。
病院の林の一角に野生のまま
おいしげっています。

野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
のパープルの真珠が群れたように実る
「実りの木の実」の風にそよぐ音色には。
おどろかされます。

あけびつたもうれしい。
あけびの「実」がみつかればなおなおうれしい。

またたびをみつけました。
根元にねこにかじられきずがある。

里山の冬の時期から。
そして初春の里山の季節
になりました。

四季の歩みの春夏秋冬のうつろいは
メトロノームの「あゆみ」を
感じさせます。

この「あゆみ」の「質量」は
とてもとても高いです。
質量があれば。あたかも。
重力のように。
四季のリズムにひきよせられていく。
そのような感じがします。

四季の歩みの春夏秋冬は。
フアジーでいてなお着々。
確実な「リズム」を感じます。

ここに。
「メロディ:旋律」とハーモニー:和声」
がくわわれば「音楽の三要素」。
音楽と同じです。

草花や草木につつまれた自然は。
「音楽」と同じように
ひびきとして聴こえます。

自然は
「しぜん」の
「ヴィルトオーゾ」と
「ヴィルトゥオーサ(virtuosa)」
*です。

この「自然のフイルハーモニウム」の。
指揮者は。
太陽なのか大地なのか人なのか。

或は音色をかもし出す自然はオーケストラ
であるのか。
ソリストなのだろうか。

私の尊敬する「合衆国USA」の
女性で小説家(「ノーベル賞受賞者」)
「パール・サイデンストリッカー・バック
(Pearl Sydenstricker Buck)
中国名、賽珍珠(サィ・チンシュ)」
パールバックの「大地」に
その「こたえ」が示唆されています。

古代より芸術家が
自然を音楽や絵画や彫刻
で表現しようとした気持ちが良く判ります。

*ヴィルトゥオーソ(virtuoso)は、
「博識、達人」を意味するイタリア語の男性名詞である。
複数形の場合はヴィルトゥオーシ(virtuosi)
、女性形はヴィルトゥオーサ(virtuosa)となる。
ラテン語のvirtus(「男らしさ」「美徳」「至高」の意)を語源とし、元来は「有徳の」「誉められるべき」
を意味する形容詞の男性形であった。

実際の楽曲ではこの三要素は。
密接に音楽的に結びつきひとつの楽曲をなします。

但し音楽の「リズム・メロディ・ハーモニー」は
一つだけを明確に取り出せる「成分」というわけ
ではありません。

また「音楽であるため」に。
三要素が絶対必要ということ
でもないでしょう。

邦楽などではリズム・ハーモニーは
存在しないか希薄である事が多いです。
「音楽」として「欠陥」があるわけ
ではありません。

「リズム・メロディ・ハーモニー」
が西洋音楽の常識ではありえないほど
高度な進化を遂げた音楽も存在致します。

邦楽もその一つです。

大和の国 やまとのくにの自然は。
「大和の国の音楽」と同じように思えます。
聴こえます。

「音楽」は「音」「おと」です。
そして「しらべ」=メロディとハーモニーです。
人類が「この音楽」を「楽譜」として
「寸分たがわず」「譜面」という名の「紙」に
「かくことを完成させた」ということは
大変なことです。

人間は。
人類は。
わずか「400年」で。

「音楽の旋律」に対する「楽譜」を。
「あらたな言語」を
完全に「完成」させたことになります。

まさにミューズの神の「神業かみわざ」です。

木々のめぶきの
冬なおも。
ますます力強い息吹を感じます。

「真夏」をすぎ「冬」になると。
再び「若葉」がみられることに。
きづきました。
「ため息」がでるほど木々の「冬若葉」の
「つどい」は「つよく」「うつくしい」。
雪の上のみどり。

木々のてっぺんは萌黄色から
「ふかみどり」
になりました。
そして「しっかりと樹木として
「冬を迎えた葉束」になりました。
これからは
「深まる冬」がすぎさり「春」。
「開花」の炎が。
樹木の上方で。
「雪の到来」を.
くすぶりてまちわびてています。
たえしのぶ冬の樹木です。

「若葉」の「新緑」から「深緑」です。

高い木々の穂先は萌黄から若草色に。
うねるなみのように。
木々の新緑は常緑となり冬のおとずれを
伝えていました。

桜は葉桜から「葉木」
道路沿いの「けやき」の木々も
萌黄から若葉。
そして青葉。
どうもうともいえる青葉。
そして見え隠れする「紅葉葉」。
紅葉葉の10枚20枚がひとつひとつ
の樹木にみえるようになりました。
「黄色調」です。
そして今「樹木」は「葉のいろ」をかえ
「宙」に舞おうとしています。

明らかなる。
「冬から春」とはことなる。
「夏から秋」。
「秋から冬」
そして「冬」の「木枯らし」。

木々の四季の。
大気の「色」のうつろい
に気づきます。

今は里山(さとやま)をさまよい。
今は里山(さとやま)をあるきたい。
今は里山(さとやま)の季節。
今は昔々里山(さとやま)であそび。
今は昔々て里山(さとやま)でおぼえ。
今は昔々里山(さとやま)でまなんだ。
今は昔々のその日々の思い出は。
今は黄金(こがね)か。あるいは。
今は銀か。いぶし銀か。
今はもしかしたらプラチナか。
今は思い出色は鉛のように。
今は重さは鉛のようになり。
今は心の奥深くに埋もれて感じられます。

「幸せ色」=「しあわせいろ」

ならばよいです。

けれども
早朝は非常にあたたかくなりました。

春やま中さまよいて
春やま中をわけいらば
春やま中大樹の根元に隠れたり
春やま中あけぼの色のちひさき炎(ほのほ)
春やま中みつけたりやまの秋の華。
春やま中やまの秋葉木のかくれんぼ
春やま中大樹の根元に隠れたり
春山はぜの葉木。
春やま中やまうるしの葉木。
春やま中あきやまはぜとふるやまうるし。
春こす「はだか木」。
春こす元気な木。たくましき木。

春山萩(やまはぎ)の
春花をかくして燃えたたむ
春に実りの祭りなり
春山はぜの葉炎
春天高く燃ゆ

はるやまはぎの
はるはなをかくしてもえたたむ
はるにみのりのまつりなり
はるやまはせのほのほ
はるてんたかくもゆ

はるひろくなりけり空(そら)たかし
はるさとやまに木々のみどり木
はるこもれびうけて燃えるがごとし
はるみどりの炎(ほのほ)
はるほのほうちけさむかすみはあおし
はるほのほにかすみにただよひて
はるうるわしくかがやきたり
はるあたたかくかおりたり
はるあざやかなりけり 
はるやまさとのやまみどり
はるやまさとのふかみどり

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
は「英国:United Kingdom UK」の
「風景画家」
天才画家ですが「緑」が大嫌い
で「黄色」が「大好き」。
「木」をかくのを非常にいやがったそうです。

多分ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
が「修行時代」に「お金にために
「どこの国も同じですが」
「名所絵」をかかされたときの
「反動」ではないかと
今の私は考えます。

「大きな夏みつけた」
から
「夏がすぎてて真秋間近い」

「小さな秋みつけた・。」

そして
「小さな冬みつけた」
そして
「大きな冬みつけた」。
そして
「小さい春」がみつかって。

しだいにおおきな。

「春」になりました。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

+++++++++++++++++++++

平成21年01月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年2月11日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年3月20日(金曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

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平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

++++++++++++++++++++++

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらず
インフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。

「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。

実証的な自然科学の手法を。
そのまま文学に導入する
「自然主義」を唱えた(「実験小説論」)。
フランスの小説家。

自然科学の手法を
文学にとりいれた小説家。

全20作から成る
≪ルーゴン・マッカール叢書(そうしょ)≫中の
『ジェルミナール(芽月)』、
『居酒屋』、
『ナナ』
の作者で有名な自然主義のフランスの小説家。

1840年 - エミール・ゾラ、小説家(+ 1902年)
の生誕日です。

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エミール・ゾラ:Emile Zola,
1840年4月2日 - 1902年9月29日)は。
フランスの小説家です。

自然主義文学の定義者でありました。
自然主義文学の代表的存在でもありました。

代表作に、全20作から成る
≪ルーゴン・マッカール叢書(そうしょ)≫

中の
『ジェルミナール(芽月)』、
『居酒屋』、
『ナナ』があります。

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エミール・ゾラ:Emile Zolaは。

1866年イタリア人技術者である父とフランス人である
母との1人息子としてパリに生まれました。

ゾラは少年時代を。
南フランスのエクス=アン=プロヴァンスで過ごし
ました。

18歳でパリに戻り
バカロレア(大学入学資格試験)
に挑戦するが失敗致します。

出版社アシェット書店で働きながら
(配送部に入社。後に広報部に移動)
作家を目指してロマン主義的な作品を作りました。

このころから評論を手がけ始め。
マネなどの印象派の画家を擁護する批評
を発表致します。

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エミール・ゾラ:Emile Zolaは。

1867年に『テレーズ・ラカン』を発表し、
小説家としての足場を固めました。

ゾラは実証的な自然科学の手法をそのまま文学に導入する
「自然主義」を唱え(「実験小説論」)ました。

その実践として。
ルーゴン・マッカール叢書を執筆致しました。

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エミール・ゾラ:Emile Zolaは。

当初は全くと言っていいほど売れませんでした。
専門家にしかその名を知られませんでした。

けれども。

第7作『居酒屋』の発表により。
社会現象を起こすほどの大成功を収めました。

以後フランス自然文学の黄金期を築きました。

後にはフランス文芸家会長にも就任致しました。

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エミール・ゾラ:Emile Zolaは。

ゾラがメダンに造った別荘は
多くの文学者が集まるサロンとなりました。

モーパッサンやユイスマンスもゾラの別荘に
出入りするうちに才能を認められた作家です。

少年時代からの友人である画家の
ポール・セザンヌとは
一時同居もしていたが諸説により絶交しています。

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エミール・ゾラ:Emile Zola
は。

晩年は空想的社会主義に傾き。
社会・政治活動に精力的に参加致しました。

ドレフュス事件では、右翼的軍部の陰謀により
スパイ容疑にかけられた
ユダヤ系の参謀本部付砲兵大尉ドレフュスを弁護し。

1898年に『我弾劾す』("J'accuse")に始まる
公開状をオーロール紙に寄稿致しました。

このため罪に問われ。
イギリスに亡命致します。

翌年帰国。
ドレフュスの再審が決定(1906年に無罪確定)。

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エミール・ゾラ:Emile Zola
は。

1902年、パリの自宅で
一酸化炭素中毒のために死亡致しました。

反対派による暗殺説もあります。
遺骸はパンテオンに眠っています。

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エミール・ゾラ:Emile Zolaの。
映像化された作品

居酒屋 L'Assommoir (1933)
女優ナナ Nana
テレーズ・ラカン Thou Shalt Not Therese Raquin (1928)
嘆きのテレーズ Therese Raquin (1952)
娼婦ナナ
ジェルミナルGerminal (1995)

参考
『ゾラの生涯』(The Life of Emile Zola, 1937) アメリカ映画。
「ドレフュス事件」を取り扱った映画。
第10回米国アカデミー賞最優秀作品賞・助演男優賞
(ジョーセフ・シルドクラフ)・脚色賞

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エミール・ゾラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%BE%E3%83%A9

エミール・ゾラ:Emile Zola, 1840年4月2日 - 1902年9月29日)は、フランスの小説家で、自然主義文学の定義者であり、代表的存在でもある。代表作に、全20作から成る≪ルーゴン・マッカール叢書(そうしょ)≫中の『ジェルミナール(芽月)』、『居酒屋』、『ナナ』がある。

エミール・ゾラ目次
1 生涯
2 著作
2.1 《ルーゴン・マッカール叢書》
2.2 《三都市叢書》
2.3 《四福音書叢書》
2.4 その他の作品
3 映像化された作品
4 参考
5 外部リンク

生涯

1866年イタリア人技術者である父とフランス人である母との1人息子として、パリに生まれた。ゾラは少年時代を南フランスのエクス=アン=プロヴァンスで過ごした。

18歳でパリに戻り、バカロレア(大学入学資格試験)に挑戦するが失敗し、出版社アシェット書店で働きながら(配送部に入社。後に広報部に移動)作家を目指してロマン主義的な作品を作った。このころから、評論を手がけ始め、マネなどの印象派の画家を擁護する批評を発表した。

1867年に『テレーズ・ラカン』を発表し、小説家としての足場を固めた。ゾラは実証的な自然科学の手法をそのまま文学に導入する「自然主義」を唱え(「実験小説論」)、その実践としてルーゴン・マッカール叢書を執筆した。当初は全くと言っていいほど売れず、専門家にしかその名を知られなかったが、第7作『居酒屋』で社会現象を起こすほどの大成功を収め、以後フランス自然文学の黄金期を築き、後にはフランス文芸家会長にも就任した。

ゾラがメダンに造った別荘は多くの文学者が集まるサロンとなった。モーパッサンやユイスマンスもゾラの別荘に出入りするうちに才能を認められた作家である。少年時代からの友人である画家のポール・セザンヌとは一時同居もしていたが、諸説により絶交している。

晩年は空想的社会主義に傾き、社会・政治活動に精力的に参加した。ドレフュス事件では、右翼的軍部の陰謀によりスパイ容疑にかけられた、ユダヤ系の参謀本部付砲兵大尉ドレフュスを弁護し、1898年に『我弾劾す』("J'accuse")に始まる公開状をオーロール紙に寄稿した。このため罪に問われ、イギリスに亡命するが、翌年帰国。ドレフュスの再審が決定(1906年に無罪確定)。

1902年、パリの自宅で一酸化炭素中毒のために死亡した。反対派による暗殺説もある。遺骸はパンテオンに眠る。

著作

《ルーゴン・マッカール叢書》
『ルーゴン家の繁栄』から『パスカル博士』まで20巻からなる。第二帝政時代のルーゴン・マッカール家の運命を描こうとしたもの。論創社で日本語訳が刊行されている。

『ルーゴン家の繁栄』"La Fortune des Rougon", 1870年
南仏の架空の町プラッサンを舞台に、ナポレオン派と共和派の争いを、少年シルヴェールの悲恋を絡めて描く。
(作成者註:ルーゴン・マッカール家第三世代までの顔見せ興行的な面がある必読の書)
『獲物の分け前』"La Curee", 1871年
ルーゴン家の三男、アリスティド(サッカール)が、パリの再開発に伴う土地の投機に狂奔する。
『パリの胃袋』"Le Ventre de Paris", 1873年
パリの市場を舞台に、ギニアから脱走してきた青年フロランは監督官として働き者との評判を取るが、やがて周囲に疑われるようになり、フロランの義妹リザ・クニュ(マッカールの娘)の密告で共和主義者として逮捕される。
『プラッサンの征服』"La Conquete de Plassans", 1874年
未訳
『ムーレ神父のあやまち』"La Faute de l'Abbe Mouret", 1875年
息抜きの一作。狂信的な神父セルジュ・ムーレはパラドゥーで野性的な少女アルビーヌと出会い、愛し合うようになるが、セルジュは信仰に悩み、やがてアルビーヌは死んでゆく。
『ウージェーヌ・ルーゴン閣下』"Son Excellence Eugene Rougon ", 1876年
未訳
『居酒屋』"L'Assommoir", 1876年
ゾラの最大の出世作。パリに出てきた洗濯女ジェルヴェーズ・マッカールが死にものぐるいで働き、自分の店を持つまでになるが、やがて酒におぼれ、破滅してゆく様を描き、当時のフランス社会に大反響をもたらした。
『愛の一ページ』"Une page d'amour", 1878年
息抜きの一作。エレーヌ・ムーレは医師と恋に落ちるが、娘のジャンヌはそのために嫉妬に駆られて死んでゆく。パリの情景。
『ナナ』"Nana", 1879年
ジェルヴェーズの娘アンナ(ナナ)が舞台女優から高級娼婦になり、周囲のブルジョワ・貴族を次々に破滅させてゆく。
『ごった煮』"Pot-Bouille", 1882年
プラッサンから出てきたオクターヴ・ムーレが、その周囲のブルジョワ婦人と次々に情交を重ねてゆく。当時のブルジョワの風俗を戯画的に描く。
『ボヌール・デ・ダム百貨店』"Au Bonheur des Dames", 1883年
前作の主人公オクターヴが近代的百貨店ボヌール・デ・ダームの経営者として、周囲の小規模な商店を破滅させながら発展してゆく。ドゥニーズ・ボーデュとの恋。
『生きる歓び』"La Joie de Vivre", 1884年
息抜きの一作。ポーリーヌ(リザの娘)が、海辺のまちで健やかに育ち、ひっそりと暮らしてゆく。当時フランスでも隆盛を誇ったショーペンハウアー哲学に対するゾラの文学的回答。
『ジェルミナール』"Germinal", 1885年
炭坑における労働者の悲惨な生活、その生活苦から労働者が立ち上がりストライキを起こすが、そのストライキが敗北に終わるまでを描いた大作。主人公はジェルヴェーズの息子エチエンヌ・ランティエ。
『制作』"L'?uvre", 1886年
画家クロード・ランティエは、理想の女を描こうと苦闘するが、やがて敗れて自殺する。妻のクリスティーヌは心を病む。
『大地』"La Terre", 1887年
軍隊を退役してきた農民ジャン・マッカールはフーアンの姪フランソワーズと結婚するが、フランソワーズは姉リーズともみ合いになり死に、ジャンは軍隊に戻る。フーアン家の財産争い。
『夢』"Le Reve ", 1888年
息抜きの一作。シドニーの娘アンジェリックが、貴族の息子フェリシアンと恋に落ちる。当初反対していたフェリシアンの父もやがてアンジェリックの結婚を認めるが、彼女は結婚式の最中に息を引き取る。
『獣人』"La Bete Humaine", 1890年
休暇中の機関士ジャック・ランティエは、列車内での殺人を目撃する。ジャックはやがて犯人ルーボーの妻セヴリーヌと情を通じるが、彼女を衝動的に殺害する。
『金(かね)』"L'Argent", 1891年
土地投機に失敗したアリスティドは、「ユニヴァーサル銀行」を開業。バブル経済に乗って当初は破竹の勢いを示すが、やがて破綻する。
『壊滅』"La Debacle", 1892年
無学な農民のジャンは軍隊でインテリ青年モーリスと親友になる。普仏戦争の敗北・第二帝政の崩壊、パリ・コミューンの混乱の中で、ジャンはモーリスを殺害してしまう。
『パスカル博士』"Le Docteur Pascal", 1893年
パスカル・ルーゴンは故郷のプラッサンで一族の記録をとどめ、新しい遺伝理論の構築をはかる。彼は姪クロチルドと愛し合うが、心臓病で急死する。記録はパスカルの母フェリシテが焼き払う。

《三都市叢書》
『ルルド』"Lourdes", 1894年
『ローマ』"Rome", 1896年
『パリ』"Paris", 1898年

《四福音書叢書》
『豊饒』"Fecondite", 1899年
『労働』"Le Travail", 1901年
『真理』"La Verite", 1903年
『正義』"La Justice", 未完

その他の作品
『ニノンへのコント』""Contes a Ninon, 1864年
『クロードの告白』"La confession de Claude", 1865年
『死せる女の願い』"Le v?u d'une morte", 1866年
『マルセイユの秘密』"Les mysteres de Marseille", 1867年
『テレーズ・ラカン』"Therese Raquin", 1867年
『マドレーヌ・フェラ』"Madeleine Ferat", 1868年
『新ニノンへのコント』"Nouveaux contes a Ninon", 1874年
『スルディ夫人』"Madame Sourdis", 1880年
『ビュルル大尉』"Le Capitaine Burle", 1882年
『ナイス・ミクラン』"Nais Micoulin", 1884年

映像化された作品
居酒屋 L'Assommoir (1933)
女優ナナ Nana
テレーズ・ラカン Thou Shalt Not Therese Raquin (1928)
嘆きのテレーズ Therese Raquin (1952)
娼婦ナナ
ジェルミナルGerminal (1995)

参考
『ゾラの生涯』(The Life of Emile Zola, 1937) アメリカ映画。「ドレフュス事件」を取り扱った映画。
第10回米国アカデミー賞最優秀作品賞・助演男優賞(ジョーセフ・シルドクラフ)・脚色賞

外部リンク
伝記。 書誌学 (フランス語)

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4月2日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/4%E6%9C%882%E6%97%A5

できごと [編集]
1453年- メフメト2世によるコンスタンティノープル攻防戦始まる。

1624年(寛永元年2月15日) -
猿若勘三郎(中村勘三郎)が江戸京橋に猿若座(のちの中村座)を開設する。

1890年 - 皇紀2550年を記念して大和橿原宮跡に橿原神宮を創建。

1922年 - 『週刊朝日』『サンデー毎日』が創刊。

1951年 - 岩倉具視の肖像の新500円札が発行される。

1959年 - 2月11日にデビューした歌手、
ザ・ピーナッツがキングレコードとの専属契約を行い、同レコード会社に所属する。

1960年 - マダガスカルが独立。

1979年 - テレビアニメ『ドラえもん』
(テレビ朝日、当初は関東ローカル)放送開始。現在も放送中。

1989年 - 1時間45分の大型政治・討論番組『サンデープロジェクト』
(テレビ朝日・朝日放送共同制作)放送開始。

1982年 - アルゼンチン軍が英領フォークランド諸島(マルビナス諸島)を占領。
フォークランド紛争勃発

2000年 - 小渕恵三首相が体調不良で入院、意識不明に。5月14日に死去。

2005年 - 仙台アーケード街トラック暴走事件

2007年 - ソロモン諸島付近で、マグニチュード8.0の大地震発生。
周辺海域で津波による被害が発生し、20名以上死亡。

誕生日
747年 - カール大帝、カロリング朝フランク王国国王(+ 814年)

1340年(暦応3年/興国元年3月5日) - 足利基氏、室町幕府初代鎌倉公方(+ 1367年)

1511年(永正8年3月5日) - 足利義晴、室町幕府12代将軍(+ 1550年)

1545年 - エリザベート・ド・ヴァロワ、フェリペ2世 (スペイン王)の妃(+ 1568年)

1647年 - マリア・ジビーラ・メーリアン、生物学者、画家(+ 1717年)

1725年 - ジャコモ・カサノヴァ、探検家・作家(+ 1798年)

1770年 - アレクサンドル・ペション、ハイチ大統領(+ 1818年)

1805年 - ハンス・クリスチャン・アンデルセン、作家(+ 1875年)

1807年 - アレクサンダー・ヒュー・ホームズ・スチュアート、
第3代アメリカ合衆国内務長官(+ 1891年)

1827年 - ウィリアム・ホルマン・ハント、画家(+ 1910年)

1840年 - エミール・ゾラ、小説家(+ 1902年)

1862年 - ニコラス・バトラー、教育家・コロンビア大学総長(+ 1947年)

1875年 - ウォルター・クライスラー、クライスラー社創業者(+ 1940年)

1879年 - 西山翠嶂、日本画家(+ 1958年)

1880年 - 熊谷守一、洋画家(+ 1977年)

1891年 - マックス・エルンスト、画家(+ 1976年)

1905年 - セルゲイ・リファール、舞踏家・振付師・バレエ教師(+ 1986年)

1906年 - 弥永昌吉、数学者(+ 2006年)

1907年 - 田中義雄、元プロ野球選手(+ 1985年)

1926年 - ジャック・ブラバム、F1レーサー

1926年 - 田中啓一、前蕨市長

1928年 - セルジュ・ゲンスブール、作曲家(+ 1991年)

1932年 - 手沢庄司、元プロ野球選手
1935年 - 戸川一郎、元プロ野球選手
1940年 - 久保征弘、元プロ野球選手

1942年 - レオン・ラッセル、ミュージシャン

1945年 - 大石久和、官僚

1945年 - レジー・スミス、元プロ野球選手
1945年 - ドン・サットン、元メジャーリーガー
1945年 - マイク・ケキッチ、元プロ野球選手
1947年 - カミール・パーリア、社会学者・社会批評家・作家・フェミニスト
1948年 - 村山明、声優
1949年 - 鷲羽山佳和、大相撲力士・年寄出羽海
1949年 - 富田たかし、心理学者
1951年 - 浅茅陽子、女優
1951年 - 忌野清志郎、ミュージシャン
1951年 - 岡本綾子、プロゴルファー
1951年 - 有澤孝紀、作曲家(+ 2005年)
1952年 - 加藤英美、元プロ野球選手
1953年 - 吹石徳一、元プロ野球選手
1953年 - ヘクター・クルーズ、元プロ野球選手
1954年 - 平沢進、ミュージシャン
1957年 - 井上卓也、元プロ野球選手
1958年 - 松沢成文、政治家
1958年 - 伊藤咲子、歌手
1958年 - 有馬晴海、評論家
1959年 - 近藤和久、漫画家
1959年 - 深雪さなえ、声優
1960年 - 川原由美子、漫画家
1961年 - シンザン(競走馬)、三冠馬(+ 1996年)
1962年 - 日比野正明、AV監督
1962年 - 小川博、元プロ野球選手
1963年 - 伊東昭光、元プロ野球選手
1963年 - 入江雅人、俳優
1965年 - 金月真美、声優
1966年 - 坂本ちゃん、お笑いタレント
1966年 - 山蔭徳法、元プロ野球選手
1968年 - 峠恵子、歌手
1968年 - 森絵都、小説家
1969年 - 堀幸一、プロ野球選手
1970年 - 鮎川義文、元プロ野球選手
1971年 - 竹山隆範、お笑いタレント(カンニング)
1971年 - 長谷川誠、プロバスケットボール選手(新潟アルビレックス)
1971年 - ZEEBRA、ミュージシャン
1971年 - 影島香代子、フリーアナウンサー
1972年 - 大塚ちか、女優
1973年 - 細見和史、元プロ野球選手
1973年 - マーク・クルーン、プロ野球選手
1974年 - 西尾まり、女優
1974年 - 村上ゆみ子、漫画家
1975年 - 高橋尚成、プロ野球選手
1976年 - 尾崎勇気、タレント・元大相撲力士(隆乃若勇紀)
1976年 - 浪川大輔、声優
1976年 - 桃生亜希子、女優
1978年 - 森本英樹、お笑い芸人(ニブンノゴ!)
1980年 - 楠城華子、タレント
1980年 - 友井雄亮、俳優
1980年 - 船本孝宏、作曲家
1982年 - 尾上綾華、ファッションモデル
1982年 - 中村一生、プロ野球選手
1982年 - 渡辺大輝、野球選手
1983年 - カルカヤマコト、ミュージシャン
1983年 - 又吉愛、声優
1984年 - 鈴木茜、グラビアアイドル
1984年 - 今井正人、陸上競技選手
1984年 - 西川明、プロ野球選手
1985年 - ステファン・ランビエール、フィギュアスケート選手
1985年 - 半澤香織、漫画家
1988年 - 大久保翔、サッカー選手
1990年 - 石田法嗣、タレント
1992年 - 矢萩春菜、美少女クラブ31
1996年 - 高良光莉、タレント
生年不明 - 神奈月昇、イラストレーター

忌日
1118年 - ボードゥアン1世、エルサレム王

1272年 - リチャード、コーンウォール伯(* 1209年)

1335年 - ハインリヒ6世、ボヘミア王(* 1265年頃)

1416年 - フェルナンド1世、アラゴン・シチリア王(* 1380年)

1502年 - アーサー・テューダー、ウェールズ公(* 1486年)

1639年(寛永16年2月29日) -
大久保忠教(大久保彦左衛門)、戦国武将、旗本(* 1560年)

1657年 - フェルディナント3世、神聖ローマ皇帝(* 1608年)

1742年(寛保2年2月27日)- 市川團十郎 (3代目)、歌舞伎役者(* 1721年)

1791年 - オノーレ・ミラボー、フランス革命指導者(* 1749年)

1822年(文政5年3月11日)- 上杉鷹山、第9代米沢藩主(* 1751年)

1872年 - サミュエル・モールス、発明家(* 1791年)

1874年 - 初代桂文枝、落語家(* 1819年)

1877年 - 古川節蔵、教育者(* 1837年)

1887年 - 中島登、元新選組隊士(* 1838年)

1908年 - セントサイモン、イギリスの競走馬・大種牡馬(* 1881年)

1914年 - パウル・フォン・ハイゼ、作家(* 1830年)

1922年 - ヘルマン・ロールシャッハ、精神病理学者(* 1884年)

1928年 - 二条基弘、元貴族院議員(* 1859年)

1928年 - セオドア・リチャーズ、物理化学者(* 1868年)

1931年 - 浅川巧、陶芸・工芸評論家(* 1891年)

1937年 - ナータン・ビルンバウム、シオニズム指導者・思想家(* 1864年)

1949年 - 森山松之助、建築家(* 1869年)

1949年 - カルロ・ガレッティ、自転車競技選手(* 1882年)

1950年 - ジャン=ジョルジュ・オリオール、
脚本家・映画プロデューサー・評論家(* 1907年)

1952年 - ベルナール・リヨ、天文学者(* 1897年)

1953年 - アブラハム・レイゼン、イディッシュ語作家(* 1876年)

1953年 - フーゴ・シュペルレ、ドイツ空軍元帥(* 1885年)

1954年 - モード・バーガー=ウォラック、テニス選手(* 1870年)

1954年 - ホイト・ヴァンデンバーグ、第2代アメリカ中央情報局長官(* 1899年)

1956年 - 高村光太郎、芸術家・詩人(* 1883年)

1958年 - 戸田城聖、創価学会創設者(* 1900年)

1966年 - セシル・スコット・フォレスター、小説家(* 1899年)

1972年 - フランツ・ハルダー、ドイツ陸軍総司令部参謀総長(* 1884年)

1972年 - ギル・ホッジス、メジャーリーグのプロ野球選手(* 1924年)

1973年 - ヤッシャ・ホーレンシュタイン、指揮者(* 1898年)

1974年 - ジョルジュ・ポンピドゥ、
フランス第五共和政第2代フランス大統領(* 1911年)

1983年 - 張大千、画家(* 1899年)

1983年 - 高垣眸、作家(* 1898年)

1984年 - 園田直、元内閣官房長官・厚生大臣・外務大臣(* 1913年)

1987年 - 中垣國男、元法務大臣(* 1911年)

1987年 - バディ・リッチ、ジャズドラマー(* 1917年)

1988年 - 菅原明朗、作曲家(* 1897年)

1991年 - 越後正一、実業家(* 1901年)

1992年 - 若山富三郎、映画俳優(* 1929年)

1995年 - ハンス・アルヴェーン、物理学者(* 1908年)

1997年 - 香川綾、女子栄養大学創始者、医学博士(* 1899年)

1998年 - 小堀杏奴、随筆家(* 1909年)

1999年 - 加藤新平、法学者(* 1912年)

1999年 - 矢島輝夫、小説家(* 1939年)

1999年 - 祝一平、テクニカルライター

2002年 - ヘンリー・スレッサー、小説家(* 1927年)

2003年 - 村田敬次郎、日本の政治家(* 1924年)

2004年 - 竹本貴志、騎手(* 1983年)

2005年 - ヨハネ・パウロ2世、ローマ教皇(* 1920年)

2005年 - 浦口鉄男、元衆議院議員(* 1906年)

2007年 - ヘンリー・リー・ギクラス、天文学者(* 1910年)

2008年 - 石井桃子、児童文学作家(* 1907年)

記念日・年中行事
図書記念日(図書館開設記念日)
明治5年4月2日(旧暦。新暦では1872年5月8日)に、
東京・湯島に日本初の官立公共図書館・東京書籍館が開設されたことに由来。

週刊誌の日
1922年のこの日に、日本初の新聞社が発刊した週刊誌である
『週刊朝日』と『サンデー毎日』が創刊されたことに因む。

国際こどもの本の日
アンデルセンの誕生日に因み、日本国際児童図書評議会などが1996年に制定。

歯列矯正の日
「し(4)れ(0)つ(2)」の語呂合わせ。

蓮翹忌(光太郎忌)
高村光太郎の忌日。高村光太郎が、
アトリエの庭に咲く連翹の花を好んでいたことから蓮翹忌と呼ばれる。