東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年4月7日(火曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年4月7日(火曜日)

「晩冬」の「2月」はおわりました。

そして。

「春」の「3月」になりした。

「初春」の「3月」がおわり。

「4月」になりました。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

「昨年」
「9月」がおわわりました。
「10月」も終わりました。
「11月」もおわり。
「12月」で「冬」になりました。
「12月」がおわり。
「昨年」はおわりました。

「冬」も「年」を越しました。
「1月」がおわり。
「晩冬」の「2月」もおわりました。
「3月」「春」です。

「初春」の。
「3月」はおわり。
「4月」はしずかに。
しずかに。しずかに。

能の舞(のうのまい)の。

「おきなのあゆみ」のように。

そそとした「春舞台」の上を。

さらにふかまりつつゆく

春の景色の舞台の上を。

あゆみつつあります。

能の舞(のうのまい)の。

「おきなのあゆみ」は

「春」の「4月」から。

さらにおくふかい「春」へと。

むかっています。

暗い朝の早朝に。
南の天に「明けの明星」が
輝いています。
闇夜の天高いかがやく惑星。

「明けの明星」金星に。
毎日「おはよう」のあいさつを
します。

「春」の「4月」の。

早朝に。

はるか暗い早朝に「こおろぎ」の
かすかな。ひとりぼっちの。
鳴き声がきこえたような気が致しました。

けれどもそれは。

「春かぜ」の声。

毎朝の暗いうち「春かぜ」の「音色」は。
毎日違います。

「ろうろう」「こうこう」

耳をすませば。
「春かぜ」の鳴き声は。

「独唱」から次第に「合唱」に
なってきました。

そしてオーケストラの楽器の配列のように。
一風一かぜ(ひとかぜ)の
「春かぜ」の鳴いている場所も。
わかるように。なってきました。

「春かぜ」も
「春」深い季節の「春」
 にむけての。

ころもがえやひっこしをしている
ことがわかります。

もうすぐ「さくらかぜ」に

衣替えするでしょう。

「春吹雪:はるふぶき」は。

「鳥」のように。

木々の上から電線のうえにやどるようです。

「春吹雪:はるふぶき」は

「街路樹」にとまって。

「春」を過ごすのでしょう。

「春」です。

「春かぜ」のうたう季節

になりました。

けれども「昨年」「12月」に。

冬至もおわり。

これから日々ゆっくりと

日は長くなります。

陽はたかくなります。

夜は短くなりはじめます。

これからは天上の太陽は。

いまは「春」。

そして。

「春」から「夏」に向かいます。

けれども「地上」では。

「今」まだ「初春」です。

あさは曇っていて。
さらに昼間でも「さむい」ことがある。
私がおきるまっくらな早朝は。
とてもとても。
とても寒いです。

雪国うまれの私はさむいのがつらい
です。

早朝「そら」をみあげれば。
晴れているはず。日差しもあるはず。

けれども空には
「雲がいっぱい」で「空はくもりそら」
です。
ふしぎな「春」のひざしです。

ふとかんがえれば・・。

そして「春」には。

「春」の「さむさ」から。

「若芽」をまもる。

「春」の太陽から。さらなる恵みを。

「実る木の芽」にあたえる。

「空」こそは。

「ソフトフイルター」の役目を。

深い「春」の「おぼろくもりそら」が。

しているようです。

自然とは。

とてもよくできたものです。

変幻自在であり

そして規則も正しい。

なおかつにして。

自由が自在。

春夏秋冬。

大気に漂う霞がごとし。

深い山の奥に住むという

仙人の心境(ここち)が。

とてもよくわかります。

「春」の街路樹もそうそうたる。
ふかまる冬の羽振りを。
まとう木々に姿になってきました。

そして冬の。
紅葉の冬。
枯れ葉も「春」をむかえています。

木々のまとう枯れ葉は木々の
セーターのようです。
少しでも暖かければ。

街路樹は「落葉樹」がよいです。

街路樹が「松や杉」のような。
「常緑樹」では
冬はうっそうとして
陽の光をえられない。

夏場は枝ぶり葉っぱから陽の光を
さえぎれない。
晩秋も「針葉樹の落葉」では
木枯らしもつりがあわない。
とどのつまり
四季のリズムはつくれません。

ヴイバルデイの
「四季」の「夏」にある
木陰で休む羊飼いの旋律
も。
フランツ・シューベルトの
「菩提樹」の歌曲
も「うまれません」。

落葉の針葉樹で
強いからといって私の「好き」な。
「からまつ」をうえられても
街路樹には叶(かな)わないでしょう。

私の「大好き」な。
北原白秋の「からまつの詩」。

「からまつ」は

街路樹にはそぐはないかもしれません。

播磨の俳人滝野瓢水の句

「手に取るな

やはり野におけ蓮華草」

のように。

やはり野におけ蓮華草。

やはり野におけから松木。

「からまつ」も蓮華草と同じくに。

清楚な華やかさとはかなさを

もっています。

やはり野におけ。

蓮華草とからまつ。

「春」の「からまつ」です。

そしていま。
「春」をあゆむ「からまつ」の時期になりました。

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北原白秋
 
「水墨集」より

  
 落葉松
-------------------------------

      一
 
 からまつの林を過ぎて、
 
 からまつをしみじみと見き。
 
 からまつはさびしかりけり。
 
 たびゆくはさびしかりけり。

      二
                 
 からまつの林を出でて、
 
 からまつの林に入りぬ。
 
 からまつの林に入りて、
 
 また細く道はつづけり。

      三
 
 からまつの林の奥も
 
 わが通る道はありけり。
  きりさめ
 霧雨のかかる道なり。
 やまかぜ
 山風のかよふ道なり。

      四
 
 からまつの林の道は、
 
 われのみか、ひともかよひぬ。
 
 ほそぼそと通ふ道なり。
 
 さびさびといそぐ道なり。

      五
 
 からまつの林を過ぎて、
 
 ゆゑしらず歩みひそめつ。
 
 からまつはさびしかりけり、
 
 からまつとささやきにけり。

      六

 からまつの林を出でて、
  あさま ね
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。
 
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。
 
 からまつのまたそのうへに。

      七
 
 からまつの林の雨は
 
 さびしけどいよよしづけし。
 
 かんこ鳥鳴けるのみなる。
 
 からまつの濡るるのみなる。

      八
 
 世の中よ、あはれなりけり。
 
 常なれどうれしかりけり。
 
 山川に山がはの音、
 
 からまつにからまつのかぜ。

-------------------------------

木々の青葉の房が
早朝くらい中でも
うかびあがります。
とりわけ私は
くすのき科が。
「大好き」な「木」の
ひとつです。
ポプラも好きです。
イチョウもすきです。
けやきもすきです。
カエデもすきです。
もみじもすきです。
松もすきです。
杉もすきです。
からまつも好きです。

いまは
「春」です。

「春」になり。
裸木の。
木々の穂先は小さいけれども毛氈(もうせん)
のようにあざやかな萌黄色と緑です。

まるで。
大きな里山の森の冬のうねりのようです。
今年は木々のわかばの冬のめばえがとてもとても
鮮烈です。
「春」の芽はえも「鮮烈」なことと見守ります。
「春吹雪:はるふぶき」が。
若芽のうえを吹き抜けていきます。

街角の雑草も
春草に変貌して。

「春吹雪:はるふぶき」になり。
道端のくさばなは。
「遠慮がち」にながら堂々と一本の茎。

雑草も。
春草へと変貌しつつながらえています。
あたたかかう
ふかまる「春」をまつ。
「春」の野原の雑草です。

朝暗いうちは。
とてもはださむいです。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックには。
ふとい孟宗竹のたけやぶ
があります。
竹はせがたかいから。

クリニック館内からはすこし離れた所にある。
はなれていても。
とおくからもみえます。

春風いてつく冬竹(ふゆたけ)の
笹葉は蒼くふるえたり
みどり葉笹葉にかぜはやみ
春陽をうつすやうつろひの
竹の葉春かぜはやいくとせ

春地にも空にも
春みどり葉ひらき
春みどり木冬空
春天高くひろがりけり
春ゆたかなりけり
春いふことのなし
春いふことがなし
春いふことはなし
春ゆたかなりけりはる

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

平成21年1月12日(月曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ限られた時間帯で。
診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年2月11日(水曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ限られた時間帯で。
診療を行います

はおわりました。
-------------------------------

平成21年3月20日(金曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ限られた時間帯で。
診療を行います
はおわりました。

-------------------------------

平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

-------------------------------

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

-------------------------------

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。
インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がきます。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著であろうと推察されます。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」
であることを懸念しています。
そして気候の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表される。
ウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

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麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です。

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「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
季節の変わり目に「反復性上気道感染」に
なられるかたが多いです。

「世情は不安定」であり何かひとつ
生活しづらい日々を感じられる
かたも多いものです。。

人間は「倒れるまではたっています」。
人間は「冬・春」の旅に(度に)齢を重ねる。

昔の「数え年」は「たいした物」だと思います。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝。

「今日は何の日」は。
イギリスの「湖水地方」に居を構えた詩人。
詩人ロバート・サウジーの住居のすぐ近くにすむ詩人。

サウジー、コールリッジらと共に
「湖水詩人」として知られる名詩人。

多くの英国ロマン主義詩人が夭折したのに。
長命で、1843年、73歳で桂冠詩人となった
「英国:United Kingdom UK」
の詩人。

1770年 - ウィリアム・ワーズワース、詩人(+ 1850年)
の生誕日です。
++++++++++++++++++++++

ウィリアム・ワーズワース:William Wordsworth,
1770年4月7日−1850年4月23日)は。

イギリスの代表的なロマン派詩人です。

湖水地方をこよなく愛しました。
純朴であると共に
情熱を秘めた自然讃美の詩を書きました。

同じくロマン派の詩人である
サミュエル・テイラー・コールリッジは親友です。

最初の作品集はコールリッジとの共著でした。

多くの英国ロマン主義詩人が夭折したのに対し。
彼は長命で1843年、73歳で桂冠詩人となりました。

++++++++++++++++++++++

ワーズワースは、1770年、
北西イングランドの
「湖水地方」と呼ばれる風光明媚な
コッカマスに。

五人兄弟の第二子として誕生しました。

1778年、母の死去と共に、ワーズワースの父は
彼を学校へと送りました。

法律家であった父もまた1783年に世を去りました。
ワーズワースは孤独な少年時代を送るが。
自然の美しさが彼の心の慰めとなりました。

1787年、ケンブリッジ大学の
セント・ジョンズ・カレッジに入学。
1790年、フランスに渡り、
フランス革命の熱狂のなかで革命を支持したが、
後年は保守的に傾いていきました。

また。
フランス人であるアネット・ヴァロンと恋に落ち、
彼女はワーズワースの娘を1792年に出産致します。

ワーズワースは経済的理由などから
イギリスへと一人で帰国致しました。

++++++++++++++++++++++

ウィリアム・ワーズワース:William Wordsworth
は。

1795年に。
サミュエル・テイラー・コールリッジと出逢いました。

二人は意気投合して親友となります。
1797年、妹ドロシーと共に。
コールリッジの住居のすぐ近くに転居致しました。

1798年、ワーズワースとコールリッジは
『抒情詩集(Lyrical Ballads)』
を共同で著し出版致しました。

英国ロマン主義運動において。
画期となる作品集でありました。

++++++++++++++++++++++

ウィリアム・ワーズワース:William Wordsworth
は。

1798年から1799年にかけての冬、
ワーズワースはドロシーと共にドイツに旅行致します。
孤独と精神の圧迫にもかかわらず。
後に『プレリュード』と題される
自伝的作品を書き始めました。

また『ルーシー詩篇』を含む
多数の代表的な詩を書きました。

イギリスに帰国した
ワーズワースは、湖水地方に居を構えます。

詩人ロバート・サウジーの住居のすぐ近くでした。

ワーズワース、サウジー、コールリッジらは。

「湖水詩人」として知られるようになりました。

しかし、この時期、ワーズワースが書いた詩の主題は、
主に死や別離、忍耐や悲しみに関するものでした。

++++++++++++++++++++++

ウィリアム・ワーズワース:William Wordsworth
は。
1802年、アネットと娘カロリーヌに会うために。

ワーズワースは妹ドロシーと共にフランスに旅行致しました。
この年の後。
幼なじみであった
メアリー・ハチンソンとワーズワースは結婚致しました。

翌年、メアリーは第一子ジョンを出産。
ドロシーは兄とその妻と同居致しました。

++++++++++++++++++++++

ワーズワースのロマン主義

郭公の詩人 (かっこう鳥の詩人)
英国ロマン派の詩人は、
それぞれ愛好し崇拝する鳥を持っていました。

例えば、パーシー・シェリーは「雲雀」の声に魅惑され、
ひばりを主題とした詩を書いています。

またジョン・キーツは、
「夜鶯」の神秘的な声に魅惑され。
夜の闇に響くその歌声を主題に詩を書いています。

ワーズワースにとって、詩の霊感をもたらし、
彼に生きることの喜びを教えてくれる鳥は、
「郭公」でした。

++++++++++++++++++++++

ウィリアム・ワーズワース:
William Wordsworthは。

ワーズワースは、「郭公に献げる辞」
として、次のような詩をうたいました
(全8スタンザのなか、前半4スタンザ)。

TO THE CUCKOO O BLITHE New-comer! I have heard,
I hear thee and rejoice.
O Cuckoo! shall I call thee Bird,
Or but a wandering Voice?

While I am lying on the grass
Thy twofold shout I hear,
From hill to hill it seems to pass,
At once far off, and near.

Though babbling only to the Vale,
Of sunshine and of flowers,
Thou bringest unto me a tale
Of visionary hours.

Thrice welcome, darling of the Spring!
Even yet thou art to me
No bird, but an invisible thing,
A voice, a mystery;

おお、陽気な訪問者よ! 確かに汝だ
汝の歌を聞き、わたしは喜びにみたされる
おお、郭公よ! 汝が鳥であろうはずはない
彷徨える聖なる声ではないのか?

みどりなす草のうえに横たわって
二重のさけび声をわたしは聞く
丘から丘へとその歌は通り過ぎる
ひとたびは遠く、ひとたびは近く

ただ谷間へとあどけなくも呼びかけるが
太陽の光にみち、花々のかおりにみち
汝はわたしに、かの秘密の物語をかたる
地上を離れた想像の時をもたらす

みたび歓迎の言葉を、春の寵児よ!
わたしにとって、汝はまさに
鳥ではなく、不可視の存在である
その霊妙な声は神秘の精髄である

++++++++++++++++++++++

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ウィリアム・ワーズワース
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B9

ウィリアム・ワーズワース:William Wordsworth, 1770年4月7日−1850年4月23日)は、イギリスの代表的なロマン派詩人であり、湖水地方をこよなく愛し、純朴であると共に情熱を秘めた自然讃美の詩を書く。同じくロマン派の詩人であるサミュエル・テイラー・コールリッジは親友で、最初の作品集は、コールリッジとの共著であった。多くの英国ロマン主義詩人が夭折したのに対し、彼は長命で、1843年、73歳で桂冠詩人となった。

目次
1 生涯
2 ワーズワースのロマン主義
2.1 郭公の詩人
2.2 ロマン主義の理想
3 著作
4 外部リンク

生涯
文学

ポータル
各国の文学
記事総覧
出版社・文芸雑誌
文学賞
作家
詩人・小説家
その他作家

ワーズワースは、1770年、北西イングランドの「湖水地方」と呼ばれる風光明媚なコッカマスに、五人兄弟の第二子として誕生した。1778年、母の死去と共に、ワーズワースの父は彼を学校へと送るが、法律家であった父もまた1783年に世を去る。ワーズワースは孤独な少年時代を送るが、自然の美しさが彼の心の慰めとなった。

1787年、ケンブリッジ大学のセント・ジョンズ・カレッジに入学する。1790年、フランスに渡り、フランス革命の熱狂のなかで革命を支持したが、後年は保守的に傾いていった。また、フランス人であるアネット・ヴァロンと恋に落ち、彼女はワーズワースの娘を1792年に出産するが、ワーズワースは経済的理由などからイギリスへと一人で帰国する。

1795年、彼はサミュエル・テイラー・コールリッジと出逢い、二人は意気投合して親友となる。1797年、妹ドロシーと共にコールリッジの住居のすぐ近くに転居する。1798年、ワーズワースとコールリッジは『抒情詩集(Lyrical Ballads)』を共同で著し、出版する。英国ロマン主義運動において、画期となる作品集であった。

1798年から1799年にかけての冬、ワーズワースはドロシーと共にドイツに旅行し、孤独と精神の圧迫にもかかわらず、後に『プレリュード』と題される自伝的作品を書き始め、また『ルーシー詩篇』を含む多数の代表的な詩を書く。

イギリスに帰国したワーズワースは、湖水地方に居を構える。詩人ロバート・サウジーの住居のすぐ近くであった。ワーズワース、サウジー、コールリッジらは「湖水詩人」として知られるようになる。しかし、この時期、ワーズワースが書いた詩の主題は、主に死や別離、忍耐や悲しみに関するものであった。

1802年、アネットと娘カロリーヌに会うため、ワーズワースは妹ドロシーと共にフランスに旅行する。この年の後、幼なじみであったメアリー・ハチンソンとワーズワースは結婚し、翌年、メアリーは第一子ジョンを出産する。ドロシーは兄とその妻と同居する。

ワーズワースのロマン主義

郭公の詩人 [
英国ロマン派の詩人は、
それぞれ愛好し、崇拝する鳥を持っていた。
例えば、パーシー・シェリーは「雲雀」の声に魅惑され、
ひばりを主題とした詩を書いている。
またジョン・キーツは、
「夜鶯」の神秘的な声に魅惑され、夜の闇に響くその歌声を主題に詩を書いている。

ワーズワースにとって、詩の霊感をもたらし、
彼に生きることの喜びを教えてくれる鳥は、
「郭公」であった。ワーズワースは、「郭公に献げる辞」
として、次のような詩をうたった(全8スタンザのなか、前半4スタンザ)。

TO THE CUCKOO O BLITHE New-comer! I have heard,
I hear thee and rejoice.
O Cuckoo! shall I call thee Bird,
Or but a wandering Voice?

While I am lying on the grass
Thy twofold shout I hear,
From hill to hill it seems to pass,
At once far off, and near.

Though babbling only to the Vale,
Of sunshine and of flowers,
Thou bringest unto me a tale
Of visionary hours.

Thrice welcome, darling of the Spring!
Even yet thou art to me
No bird, but an invisible thing,
A voice, a mystery;

おお、陽気な訪問者よ! 確かに汝だ
汝の歌を聞き、わたしは喜びにみたされる
おお、郭公よ! 汝が鳥であろうはずはない
彷徨える聖なる声ではないのか?

みどりなす草のうえに横たわって
二重のさけび声をわたしは聞く
丘から丘へとその歌は通り過ぎる
ひとたびは遠く、ひとたびは近く

ただ谷間へとあどけなくも呼びかけるが
太陽の光にみち、花々のかおりにみち
汝はわたしに、かの秘密の物語をかたる
地上を離れた想像の時をもたらす

みたび歓迎の言葉を、春の寵児よ!
わたしにとって、汝はまさに
鳥ではなく、不可視の存在である
その霊妙な声は神秘の精髄である

ロマン主義の理想
この詩の表現から分かる通り、ワーズワースは実在の郭公の声を聞いて、そこからヴィジョンやイメージやミステリ(神秘)を感応している。郭公という具体的な「鳥」の彼方に、魂に共鳴するヴィジョンを感受し、自然の崇高な奥深さにワーズワースは忘我の境地にある自己をうたうのである。

ロマン主義は、どこにもない、しかしどこかにある理想の世界や、境地を絶えず求めてやまない心情の発露として形象化される。『黄水仙に献げる詩』や『霊魂不滅のうた(Intimation of Immortality)』においても、ワーズワースは具体的な水仙や、森や野をうたいつつ、実はその彼方にある神秘的な心情の陶酔、どこにもないが、まさに「魂の深奥」に存在する「共感の歓喜」を讃美しているのである。

著作
『ワーズワース詩集』 岩波文庫(田部 重治 訳)
『対訳 ワーズワス詩集』 岩波文庫(山内 久明 訳)
『ワーズワース詩集』 彌生書房(前川 俊一 訳)
ワーズワース・コールリッジ『抒情歌謡集—リリカル・バラッズ』 大修館書店(宮下 忠二 訳)

外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、ウィリアム・ワーズワース に関連するマルチメディアがあります。Webロマン主義入門講座 〜 イギリスのロマン主義文学を、映像、研究者による解説、俳優による朗読でたどる
Bartleby.com's complete poetical works by Wordsworth
Selected Poems by W.Wordsworth
A Wordsworth FAQ by Thomas C. Gannon
英国政府観光庁 - ワーズワースゆかりの地
先代:
ロバート・サウジー 桂冠詩人
1843 - 1850 次代:
アルフレッド・テニスン

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B9" より作成
カテゴリ: イギリスの詩人 | 1770年生 | 1850年没

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4月7日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/4%E6%9C%887%E6%97%A5

できごと
1541年 - フランシスコ・ザビエルが東アジア布教の為、リスボンを出発。

1795年 - フランスが長さの単位としてメートルを導入。

1805年 - ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの交響曲第3番『英雄』が初演。

1890年 - 琵琶湖疏水完成。

1906年 - ベスビアス山が噴火し、ナポリに大損害を与える。

1939年 - 第二次世界大戦でイタリアがアルバニアに侵攻。

1945年 - 太平洋戦争で戦艦大和が沖縄への特攻作戦の途上、撃沈される。

1945年 - 鈴木貫太郎内閣発足。

1948年 - 国連により世界保健機関 (WHO) が設立される。

1952年 - 手塚治虫の漫画作品『鉄腕アトム』が、月刊誌「少年」で連載開始。

1956年 - スペインがモロッコにある保護領を放棄。

1963年 - ユーゴスラビアが国名を「ユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国」に改称。

1968年 - 神戸高速鉄道東西線、南北線が開業。阪急電鉄・阪神電気鉄道・山陽電気鉄道が
東西線への乗り入れを通じて相互直通運転開始。神戸電鉄が南北線に乗り入れ開始。

1969年 - 1968年10月11日より発生した連続ピストル射殺事件
(警察庁広域重要指定108号事件)の犯人・永山則夫が逮捕される。

1976年 - カンボジアでポル・ポトが首相に就任。

1979年 - テレビアニメ『機動戦士ガンダム』放送開始。1980年1月まで。

1979年 - 江川卓の入団が巨人から発表。

1980年 - 1979年11月のイランアメリカ大使館人質事件により、
アメリカはイランと国交を断絶、経済制裁を発動。

1981年 - ポピー銀座企画室(現在のプレックス)創業。

1989年 - ソ連のコムソモレッツ級原子力潜水艦が、
ノルウェー沿岸のバレンツ海で火災を起こし、沈没。乗員42名が死亡。

1999年 - 西武ライオンズの大物ルーキー・松坂大輔投手が
日本ハム戦でプロ初登板を果たし、8回2失点の好投でプロ初勝利。

2000年 - 火星探査機マーズ・オデッセイの打ち上げ。

2003年 - 宝塚ファミリーランド閉園。

2006年 - 民主党代表に小沢一郎が就任。

誕生日
30年 - イエス・キリスト、思想家、聖人、新約聖書によると30年4月7日 現在、
最も有力な説の一つ -

1506年 - フランシスコ・ザビエル、イエズス会宣教師(+ 1552年)

1613年 - ヘラルト・ドウ、画家(+ 1675年)

1770年 - ウィリアム・ワーズワース、詩人(+ 1850年)

1786年 - ウィリアム・R・キング、第13代アメリカ合衆国副大統領(+ 1853年)

1836年 - トーマス・ヒル・グリーン、哲学者(+ 1882年)

1847年 - イエンス・ペーター・ヤコブセン、詩人・小説家(+ 1885年)

1873年 - ジョン・マグロー、元メジャーリーガー(+ 1934年)

1874年 - 鈴木梅太郎、化学者(+ 1943年)

1882年 - 小川未明、小説家・児童文学者(+ 1961年)

1883年 - ジーノ・セヴェリーニ、画家(+ 1966年)

1894年 - 宮城道雄、作曲家・筝曲家(+ 1956年)

1914年 - 坪内道典、元プロ野球選手(+ 1997年)

1915年 - ビリー・ホリデイ、ジャズ歌手(+ 1959年)

1924年 - 團伊玖磨、作曲家(+ 2001年)

1924年 - ダニエル・エミルフォーク、俳優(+ 2006年)

1926年 - 麻生美代子、声優

1928年 - アラン・J・パクラ、映画監督(+ 1998年)

1930年 - 竹村健一、政治評論家

1934年 - 伊東一雄(パンチョ伊東)、野球評論家(+ 2002年)

1936年 - 岩崎泰頴、地質学者

1937年 - 長谷邦夫、漫画家

1939年 - フランシス・フォード・コッポラ、映画監督

1940年 - 安部和春、元プロ野球選手

1943年 - 川村龍一、パーソナリティー

1944年 - ゲアハルト・シュレーダー、前ドイツ連邦首相

1944年 - デービッド・ダナ・クラーク、コンピューター学者

1944年 - 中村光毅、アニメーション美術監督

1945年 - ジョエル・ロブション、フランス料理のシェフ

1949年 - ルカ・クマーニ、調教師
1951年 - 小川正行、保健体育学者
1952年 - 山本容子、版画家
1952年 - 池内豊、元プロ野球選手
1953年 - 甲斐よしひろ、ミュージシャン
1953年 - 吉田美奈子、ミュージシャン
1954年 - SYUFO、漫画家
1954年 - ジャッキー・チェン、映画俳優
1954年 - 木本茂美、元プロ野球選手
1955年 - 西野朗、サッカー選手・監督
1956年 - 谷宏明、元プロ野球選手
1958年 - 安達忍、声優
1958年 - 青島健太、元プロ野球選手
1960年 - ジェームス・ダグラス、プロボクサー
1963年 - 横谷彰将、元プロ野球選手
1964年 - 山岡三子、テレビキャスター
1964年 - ラッセル・クロウ、映画俳優
1965年 - 小林靖子、脚本家
1966年 - 木村幹、国際政治学者
1967年 - 宇徳敬子、歌手
1968年 - 本仁戻、漫画家
1968年 - 渡部チェル、作曲家、編曲家
1968年 - 神山雄一郎、競輪選手・自転車競技選手
1969年 - ジャック・ブラック、映画俳優
1970年 - 赤堀元之、元プロ野球選手・コーチ
1971年 - 中川秀樹、お笑いタレント(ペナルティ)
1971年 - 斎藤誠、調教師
1972年 - 葛山信吾、俳優
1972年 - 志賀大士、アナウンサー
1972年 - 高木広子、アナウンサー
1973年 - 小谷和也、音楽家
1975年 - 有坂美裕、シンガーソングライター
1975年 - 小野晋吾、プロ野球選手
1975年 - 河本準一、お笑いタレント(次長課長)
1975年 - ロニー・ベリアード、メジャーリーガー
1978年 - 宮越徹、プロ野球選手
1979年 - 平野恵一、プロ野球選手
1979年 - エイドリアン・ベルトレ、メジャーリーガー
1980年 - ミスターシービー、元競走馬、種牡馬(+ 2000年)
1980年 - 玉山鉄二、俳優
1980年 - 竹財輝之助、俳優
1980年 - 福岡サヤカ、女優、タレント
1981年 - 新垣仁絵(HITOE)、歌手、SPEEDメンバー
1982年 - 西嶋弘之、サッカー選手
1983年 - 鬼崎裕司、野球選手
1984年 - 島袋寛子(hiro)、歌手、SPEEDメンバー
1984年 - レナト・ヤンバエフ、サッカー選手
1985年 - MiChi、歌手
1988年 - 倉貫まりこ、グラビアアイドル、女優
1988年 - 猪狩佑貴、サッカー選手
1988年 - 斎藤陽介、サッカー選手
1988年 - 遠藤康、サッカー選手
1998年 - 松本梨菜、女優
生年不詳 - 井川桜子、声優

忌日
1234年 - サンチョ7世、ナバラ王

1498年 - シャルル8世、ヴァロワ朝第7代フランス王(* 1470年)

1536年(天文5年3月17日)- 今川氏輝、駿河国の戦国大名(* 1513年)

1614年 - エル・グレコ、画家(* 1541年)

1638年(寛永15年2月23日)- 島津忠恒、初代薩摩藩主(* 1576年)

1648年(慶安元年閏1月21日)- 覚深法親王、江戸時代の皇族(* 1588年)

1651年 - レンナート・トルステンソン、スウェーデン陸軍元帥(* 1603年)

1719年 - ジャン=バティスト・ド・ラ・サール、カトリックの聖人(* 1651年)

1761年 - トーマス・ベイズ、数学者(* 1702年)

1782年 - タークシン、タイ王(* 1734年)

1789年 - アブデュルハミト1世、オスマン帝国第27代スルタン(* 1725年)

1803年 - トゥーサン・ルーヴェルチュール、ハイチの独立運動指導者(* 1743年)

1823年 - ジャック・シャルル、物理学者(* 1746年)

1836年 - ウィリアム・ゴドウィン、
無政府主義の先駆者として知られる政治評論家(* 1756年)

1845年 - ジュリー・クラリー、元スペイン王ジョゼフ・ボナパルトの妃(* 1771年)

1850年(嘉永3年2月25日)- 黒住宗忠、黒住教の開祖(* 1780年)

1858年 - アントニオ・ディアベリ、作曲家(* 1781年)

1868年(慶応4年3月15日)- 川路聖謨、元江戸幕府勘定奉行・外国奉行(* 1801年)

1891年 - P・T・バーナム、興行師(* 1810年)

1908年 - 栽仁王、日本の皇族(* 1887年)

1916年 - 松尾臣善、第6代日本銀行総裁(* 1843年)

1926年 - 尾崎放哉、俳人(* 1885年)

1928年 - アレクサンドル・ボグダーノフ、内科医・哲学者(* 1873年)

1929年 - 上杉慎吉、法学者(* 1878年)

1938年 - シュザンヌ・ヴァラドン、画家(* 1865年)

1945年 - 伊藤整一、日本海軍の大将(* 1890年)

1945年 - 有賀幸作、日本海軍の中将(* 1897年)

1945年 - 武内俊子、童謡詩人・童話作家(* 1905年)

1947年 - ヘンリー・フォード、フォード社創設者(* 1863年)

1950年 - ウォルター・ヒューストン、俳優(* 1884年)

1951年 - 金須嘉之進、正教徒・作曲家(* 1867年)

1954年 - 伊東忠太、建築家(* 1867年)

1954年 - 来栖三郎、外交官(* 1886年)

1955年 - セダ・バラ、女優(* 1885年)

1957年 - 羽仁もと子、ジャーナリスト・教育家・自由学園創設者(* 1873年)

1961年 - ヴァネッサ・ベル、画家(* 1879年)

1961年 - ヘスース・グリーディ、作曲家(* 1886年)

1963年 - 岡本天明、宗教家(* 1897年)

1968年 - ジム・クラーク、レーシング・ドライバー(* 1936年)

1985年 - カール・シュミット、法学者(* 1888年)

1986年 - レオニート・カントロヴィチ、経済学者(* 1912年)

1986年 - 萩原光、レーサー(* 1956年)

1988年 - ツェザール・ブレスゲン、作曲家(* 1913年)

1989年 - 松岡政保、実業家・元琉球政府行政主席(* 1897年)

1990年 - 毛利公子、歌手・元シュガー(*1960年)

1997年 - 湯木貞一、板前・吉兆創業者(* 1901年)

1997年 - 田中友幸、映画プロデューサー(* 1910年)

2001年 - 並木路子、歌手(* 1921年)

2001年 - 馬場のぼる、絵本作家・漫画家(* 1927年)

2003年 - 山内雅人、俳優・声優(* 1929年)

2004年 - 芦屋雁之助、俳優・脚本家・演出家(* 1931年)

2005年 - 中山大三郎、作曲家・作詞家(* 1941年)

2007年 - 三島瑞穂、作家・軍人(* 1938年)

記念日・年中行事
世界保健デー
1948年4月7日に世界保健機関 (WHO) が設立されたことを記念し、
同機関が1949年に制定。国際デーの一つ。

生神女福音祭(東方正教会)
十二大祭のひとつ。

世界禁煙デー(1988年)
世界保健機構が1988年4月7日に設立40年をむかえることを記念して、
この日が"a world no-smoking day"(世界禁煙デー)とされた。
1988年5月の決議により、1989年より毎年5月31日が世界禁煙デーと定められた。

スーチーパイの日(2007年)
アイドル雀士スーチーパイシリーズの記念日。
4と7を中国語読みにしたことが由来。