東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年4月9日(木曜日)

[ Myマップ ][ 病院の投稿地図 ]
[ Myマップ ][ 病院の投稿地図 ]

「ここをおして」をクリックされてください。

東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci

(申し訳ございません。今現在整備中ですがこの「画面」
を正しくみるためには
「ブラウザ」の「表示」=>「文字の「大きさ」」を「最小」
に設定されてご覧下さい。)

東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年4月9日(木曜日)

「春」です。

「春」の「4月」

になりました。

まばゆいほど。

ことばでは。

いいつくせないほどに。

まぶしくて。

うれしくやさしい。

「春」の陽射しです。

しあわせいろの。

とても。

とてもあかるい陽射しです。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

「春」になりました。

今年も春がきました。

「春」がきて。

今は。

「春」はふうせんのように。

ふくらみ。

ひろがってゆく季節です。

ひなまつりはおわり。

野には。

たんぽぽが咲き。

すみれが咲き。

よもぎや。

すぎながいっぱいになりました。

「春」になり「川の水音」が。

やっと。

「せせらぎ」の。

「みずのながれのおと」

としてきこえるようになりました。

「春」の小川。

「さらさら」ながれる。

はるのおがわ。

高さも低さもないのに。

ながれる水の流れ。

とても感銘致します。

春分の日もすぎれば。
「さくら」咲きはじめ
「さくら」がおわり。
「4月」が終われば。
「5月」になり。
「5月」もおわれば。
6月に。「夏」になり。
6月も終われば。
7月 たなばた。
7月 もおわれば。
せみのなく8月。
8月の夏はすぎれば。
9月の秋になり秋の虫が鳴く。
そして9月がおわり。
中秋10月なり紅葉の季節。
そして10月がおわり。
「11月」になり。
晩秋「11月」もおわり12月の「冬」。
「12月」になればまた「年」があけ。
また「初春」がくる。

そして来年も「春」の「3月」がきて。
そして「4月」がくる。

「はる」の「4月」です。

「晩冬」の冬はおわりました。

「雪国の冬」はおわりました。

そして「12月」の冬至を。

すぎて「陽」はもうすでに

日々とてもたかくなりつつあります。

「春」がきて。

これから「夏」に向かう「春」です。

「春」です。

「昨年」12月の冬至は

おわりました。

陽は日々たかくなっている。

とてもよくわかります。

朝陽ののぼるのが早くなりました。

夕陽がおりるのは遅くなりました。

朝の「春」の陽射しは窓越しにも「まばゆい」

くらいです。

夕暮れの「春」の陽射しは「きかんぼう」

の「やんちゃぼうず」のようです。

おちつきません。

まことに。

冬来たりなば春遠からじ。

ふゆきたりなば

はるとおからじ

(出 典は。

 イギリスの詩人シェリー*の

『西風に寄せる歌』の一節。

英 語の原文: 

If winter comes,

can spring be far behind? )

「英国:United Kingdom UK」のロマン派の
詩人は。「御自分」のテーマの「鳥」を
家紋のようにもっています。
英国ロマン派の詩人は、
それぞれ愛好し、崇拝する鳥を持っていました。
パーシー・シェリーは「雲雀」(ひばり)の声に魅惑され、
ひばりを主題とした詩を書いています。

またジョン・キーツは、
「夜鶯」(ほととぎす)の神秘的な声に魅惑され。
夜の闇に響くその歌声を主題に詩を書いています。

ワーズワースにとって、詩の霊感をもたらし、
彼に生きることの喜びを教えてくれる鳥は、
「郭公」(かっこう)でした。

「秋」から「冬」への

移り変わりは

二階から。

「かけあし」の足音のきこえる。

怒涛のごとき「はやさ」でした。

二階から。

「かけあし」の足音のきこえる。

「かけあし」10人分

のようでした。

「9月」の初秋がおわり。
「名月中秋10月もおわり」ました。
「11月」。

「11月」もおわりました。
「12月」もおわりました。
「新年」「初春」の「1月」もおわり。
今は
「2月」「晩冬」もおわりました。

「晩秋」から「冬」への移り変わりは

「かけあし」のようにうつろいました。

一方

「春」はゆっくりと。

ゆっくりと。

ゆっくりと。あるいて来ます。

そしてゆっくりと。

あるいて行きます。

だから。

「春」をまつのであれば。

「春」がゆっくりと。

歩いてくるのをまたなければ。

なりません。

「夏」がくるのをまつのであれば。

「春」がゆっくりと。

歩いていくのをまたねば。

なりません。

もう「春」ですね。

「冬」はかけあしでやってくる。

「春」はゆっくりと歩いてやってくる。

さきのことすぎるかもしれないが「来年」。

このように「時」のうつろいを

心はせれば。

考えると「おそろしいもの」です。

考えなければ。
「なおおおそろしい」
ものであるものかもしれない。

「考えずにいるつけ」がまわって
くるからかもしれません。

「来年」のことを考えれば「鬼」が笑う。
「来年」のことを考えずにすむのであれば「鬼」は
笑わないのでしょう。
「鬼」とはなんだろう。

今日の深夜早朝03:15amには。

久方ぶりに。

大きな「春」の「星空」がみえました。

早朝くらいうちは。

空に月。

「お月様」が「「冬」雲のじゅうたん」

天高くにねそべって。

かさををさしている

ようです。

「春」の「夜空」の。

「おぼろ月夜」です。

06:00amころ日があければ。
まだまだくらい朝日を背に。
西のコバルトの空高く明るい。
とても高い成層圏近くの高い高度に。

西のコバルトの空高に。
「刷毛」でひいたように「絹雲(けんうん)」が
何本も何本も。
描かれて。
たなびいていました。

実に見事な筆捌(ふでさばき)です。
ためらいのない「朝焼け」
「春」の「朝焼け色」の線描です。

「春」の朝。

「陽射し」ののぼるころは。

「西」の空

のほうが明るいのです。

朝が明けて午前になれば。

まばゆいほどの。

「春」のひざしが。

陽がのぼる。

東から。

窓のカーテンと。

木々の合間をぬって。

「さあ 外にきて!」

とさそうがごとく。

よびかけてくるようです。

高い成層圏近くの高い高度に。
「刷毛でひいたように」「絹雲(けんうん)」
の端には渦巻きのような「ぬけあな」があり
「さらなる遠方の青空」が透けてみえます。

さながらにして。
東山魁夷画伯の描かれた大きな壁画。
大きな屏風絵の世界。

東山魁夷画伯の描かれた大きな絵画を
彷彿とさせますです。

東山魁夷画伯。
「よくえがかけた画伯です」。

この「あおぞら」をみていると。

陽のひかりをみていると。

とても

信じられないくらいに。

元気がわいてくることに。

気が付きました。

「太陽」の「陽射し」。

「陽」の「めぐみ」は。

なんと。

ありがたいことだろう。

尊いことだろう。

そら一杯の青空の

天井(てんじょう)と。

「太陽のひかりのひざし」は。

「生きとし生けるもの」にとって。

なによりもの。

まことの。

「ごほうび」なのであり。

「よろこび」です。

「太陽のひかりのひざし」は

「いのちへのめぐみ」。

「いのちのよろこび」。

ありとあらゆる「生命」「いのち」をはぐくみ。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をたたえる。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をなぐさめる。

「生きとし生けるもの」の「いのち」に。
さらなる。
「はるかかなた」までの。
「いきるちから」をさずけるものです。
「太陽」。
ありがたいものです。

はやいものです。
ときのたつのは。
はやいものです。

そしてふと考えれば

去年も
「12か月」が
終わりました。

中秋から晩秋にうつろい。
いまや
「寒月」の「12月」がおわり。
新年の「1月」がおわり。
「晩冬」の「2月」がおわり。
「初春」の「3月」がおわり。

「春「4月」です。

病院の庭園に「何本」もある
「春の花」の大木が。
いずれもが紅白の花を

緑野に見え隠れする蓮華草
のように。

みのらせています。

「春の花」は。
「はつはな」で初々しいです。
けれども。
「春の花」は。

は雨に打たれると。
花は地面に紅白の毛氈(もうせん)
のように落花してしまいます。

くれない色としろ色の雪のようです。

「春の花」の花の花びら。

ひろって。
手のひらにかかげれば。
「春の花」の花のかおりは。
プラチナ色の香りが
致しました。

今は。
「春の花」が。
蕾をふくらませています。
「春の花」の。

はながは鐘(ベル)のように。
ふくらんでいます。

「春」の花の「はなびら」が。

闇夜のあいだに。

朝の早朝まだ。

「花」にもきがつかぬうちに

また地に舞い下りています。

「春の花」の花ひとつさいて。

夜の「春吹雪:はるふぶき」で。

ちったようです。

みつめれば。

「春吹雪:はるふぶき」に。

弓射られた白鷺(しらさぎ)の羽が。

舞っているようでした。

寒い「春」も。

「昆虫」の少ない時期に。

「春の花」は。

は花をさかせ。

どのように授粉して。

「実る」のだろう。

「春の花」の花ひとつさいて。

夜の「春吹雪:はるふぶき」で。

ちる。

「春の花」は。

「花」はすぐに

落下する。

このあたりに。

「春の花」

には。

ひとのよの。

「人生」の。

「解答」があるような

気が致します。

ふと野の花は。

一般的には。

香らない花が。

多いことに気づきました。

伊藤左千夫の「野菊の墓」の「野菊」は。
矢車菊 (やぐるまぎく)
はとても綺麗なむらさきの「のぎく」です。
けれども「のぎく」は香りません。
(Corn lower, Bachelor's-button)です。

因みに
最高級の(今はもうとれない)
インド・カシミール地方で産出されたの
サフアイアの色は

「矢車菊色:やぐるまそう色」といわれます。

「カシミール・ヴァイオレット」。

麦畑やとうもろこし畑の中に 咲いていたことから。
「コーン・フラワー」=「野菊」(Corn lower)
です。

別名 「矢車草(やぐるまそう)」
といわれることがあります。

実は「矢車菊 (やぐるまぎく)」と
「矢車草(やぐるまそう)」まったく違う植物です。
矢車菊 (やぐるまぎく)が「野菊」。
「矢車草(やぐるまそう)」は「高山植物」。

「野菊」は春から夏にかけて咲くむらさきの花です。

古代エジプトのツタンカーメン王の墓 からも
発見された由緒正しき「野菊」。
色は紫。むらさきです。

ツタンカーメン王の。

まだ幼な子王妃が。

「亡きツタンカーメンンに野菊の花束ささげるけなげな姿」
が鮮烈に眼に浮かびます。

この「花」が。

「野菊」です。

「野菊の墓」の「野菊」。

けれども。

「野菊」は

香らない。

毎朝暗い早朝と。

うす暗くなる午後4時ころには。

「春吹雪:はるふぶき」が

ふいている。

「春吹雪:はるふぶき」がかわりばんこに。

あちこちで

「ろうろう」「こうこう」とないています。

「春かぜ」の
「春吹雪:はるふぶき」
の「コーラス」を聞いていると。

ふと。

「この「春」におびえるひと」の気配が
脳裏をはしりました。
はてだれだろう。

うら若き乙女。
貧しさに。
苦労に苦労をかさねて。
苦しんで苦しんだ苦しんだあげくに。
24歳にして世を去った
「樋口一葉」。

樋口一葉の
「うらわかき」「「冬」と「春」の短歌」がきこえるようです。

散たまるふもとの落葉わけて思ふ
埋もれぬべきは雪の山里

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ
うもれぬへきはゆきのやまさと

庭の面につもる紅葉の色見れば
散りての後もにしきなりけり

にわのおもにつもるもみしのいろみれば
ちりてのあともにしきなりけり

世の中の秋にあはじとおくれけん
一もと野ぎく思ひあがりて

よのなかにあきにあはしとおくれけん
ひともとのきくおもひあがりて

折々に散るものどけし春雨の
はれたる軒の山桜ばな

おりおりにちるものどけしはるさめの
はれたるのきのやまさくらばな

わが園のものとおもへば初わかな
はつかなれども嬉しかりけり

わがそののものとおもへばはつわかな
はつかなれどもうれしかりけり

立ち渡る霞をみれば足引きの
山にも野にも春は来にけむ

たちわたるかすみをみれはあしひきの
やまにものにもはるはきにけむ

わたつ海の波のいづこに立ち初て
果なくつゝむ春の霞ぞ

わたつみのなみのいづこにたちそめて
はてなくつつむはるのかすみぞ

さざ波やしがの都のいにしへの
おもかげうすく立つ霞かな

ささなみやしかのみやこのいにしえの
おもかけうすくたつかすみかな

鶯のけさおとづるゝ声聞て
はじめて春の心地こそすれ

うくいすのけさおとつるるこへききて
はしめてはるのここちこそすれ

うれしくもわがものにして聞てけり
このあかつきの鶯の声

うれしきもわかものにしてきこへけり
このあかつきのうくいすのこへ

のどかなるけさの雨にやはるの野の
みどりも色まさるらむ

のとかなるけさのあめにや
はるののの
みとりのいろもまさるらむ

おくれたる友の為にとしをりして
谷間の蕨折り残しけり

おくれたるとものためにとしをりして
たのまのわらひおりのこしけり

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ

うもれぬへきはゆきのやまさと

にわのおもにつもるもみしのいろみれば

ちりてのあともにしきなりけり

よのなかにあきにあはしとおくれけん

ひともとのきくおもひあがりて

-------------------------------

おりおりにちるものどけしはるさめの

はれたるのきのやまさくらばな

わがそののものとおもへばはつわかな

はつかなれともうれしかりけり

たちわたるかすみをみれはあしひきの

やまにものにもはるはきにけむ

わたつみのなみのいづこにたちそめて

はてなくつつむはるのかすみぞ

ささなみやしかのみやこのいにしえの

おもかけうすくたつかすみかな

うくいすのけさおとつるるこへききて

はしめてはるのここちこそすれ

うれしきもわかものにしてきこへけり

このあかつきのうくいすのこへ

のとかなるけさのあめにや

はるののの

みとりのいろもまさるらむ

おくれたるとものためにとしをりして

たのまのわらひおりのこしけり

「24歳」の「とても貧しい乙女」の。

「春」によろこび。

「春」におびえおののく。

かなしさの。おもかげと。

光さす。輝きと。

いまだお若い「御婦人」の「知」「智」が。

「ひしひし」とよみとれます。

「冬至」はすでにすぎました

これからは日は。
陽は次第にながくなる。
日が長くなる。
朝は明けるのは早くなり。
夕に暗くなるのは遅くなる。

しだいに陽がながくなる。
なぜか。
不思議なやさしさ。
やすらぎと。
心やすらかなる
安堵感をかんじます。

心やすらかなる
安堵感をかんじます。

けれども。
「安堵」と「落胆」は。
常に表裏一体。
両羽(もろば)の剣。

「ぬかよろこび」の「ぬか」のような
ものです。

「ながくなる陽」も両羽(もろば)の剣を
持っています。

そして。
季節には「大気の音色(ねいろ)」もあるようです。

朝空は
陽ははるかに天高く。
空色はミルク色です。
クリームのかかった雲空です。

東京都世田谷区山本クリニックの庭園には

「えどむらさき」という「つつじ」
が「何本」もはえています。
野生種に近いものです。
大きな真紅紫の花を咲かせます。

「つつじ」ですから
盆栽の「皐月:さつき」のような
繊細さはみえません。

この「4月」になり。
森山を分け入ると。

木々の根元に隠れ咲く。
だいだい色の花の花のごとくに紅葉したまま
しもがれする
「やまはぜの葉木」が「大好き」です。

「やまうるしの紅葉」もかわいらしく。
「大好き」です。

身の丈以上ほどにもなって群生する。
野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
が。
病院の林の一角に野生のまま
おいしげっています。

野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
のパープルの真珠が群れたように実る
「実りの木の実」の風にそよぐ音色には。
おどろかされます。

あけびつたもうれしい。
あけびの「実」がみつかればなおなおうれしい。

またたびをみつけました。
根元にねこにかじられきずがある。

里山の冬の時期から。
そして初春の里山の季節
になりました。

四季の歩みの春夏秋冬のうつろいは
メトロノームの「あゆみ」を
感じさせます。

この「あゆみ」の「質量」は
とてもとても高いです。
質量があれば。あたかも。
重力のように。
四季のリズムにひきよせられていく。
そのような感じがします。

四季の歩みの春夏秋冬は。
フアジーでいてなお着々。
確実な「リズム」を感じます。

ここに。
「メロディ:旋律」とハーモニー:和声」
がくわわれば「音楽の三要素」。
音楽と同じです。

草花や草木につつまれた自然は。
「音楽」と同じように
ひびきとして聴こえます。

自然は
「しぜん」の
「ヴィルトオーゾ」と
「ヴィルトゥオーサ(virtuosa)」
*です。

この「自然のフイルハーモニウム」の。
指揮者は。
太陽なのか大地なのか人なのか。

或は音色をかもし出す自然はオーケストラ
であるのか。
ソリストなのだろうか。

私の尊敬する「合衆国USA」の
女性で小説家(「ノーベル賞受賞者」)
「パール・サイデンストリッカー・バック
(Pearl Sydenstricker Buck)
中国名、賽珍珠(サィ・チンシュ)」
パールバックの「大地」に
その「こたえ」が示唆されています。

古代より芸術家が
自然を音楽や絵画や彫刻
で表現しようとした気持ちが良く判ります。

*ヴィルトゥオーソ(virtuoso)は、
「博識、達人」を意味するイタリア語の男性名詞である。
複数形の場合はヴィルトゥオーシ(virtuosi)
、女性形はヴィルトゥオーサ(virtuosa)となる。
ラテン語のvirtus(「男らしさ」「美徳」「至高」の意)を語源とし、元来は「有徳の」「誉められるべき」
を意味する形容詞の男性形であった。

実際の楽曲ではこの三要素は。
密接に音楽的に結びつきひとつの楽曲をなします。

但し音楽の「リズム・メロディ・ハーモニー」は
一つだけを明確に取り出せる「成分」というわけ
ではありません。

また「音楽であるため」に。
三要素が絶対必要ということ
でもないでしょう。

邦楽などではリズム・ハーモニーは
存在しないか希薄である事が多いです。
「音楽」として「欠陥」があるわけ
ではありません。

「リズム・メロディ・ハーモニー」
が西洋音楽の常識ではありえないほど
高度な進化を遂げた音楽も存在致します。

邦楽もその一つです。

大和の国 やまとのくにの自然は。
「大和の国の音楽」と同じように思えます。
聴こえます。

「音楽」は「音」「おと」です。
そして「しらべ」=メロディとハーモニーです。
人類が「この音楽」を「楽譜」として
「寸分たがわず」「譜面」という名の「紙」に
「かくことを完成させた」ということは
大変なことです。

人間は。
人類は。
わずか「400年」で。

「音楽の旋律」に対する「楽譜」を。
「あらたな言語」を
完全に「完成」させたことになります。

まさにミューズの神の「神業かみわざ」です。

木々のめぶきの
冬なおも。
ますます力強い息吹を感じます。

「真夏」をすぎ「冬」になると。
再び「若葉」がみられることに。
きづきました。
「ため息」がでるほど木々の「冬若葉」の
「つどい」は「つよく」「うつくしい」。
雪の上のみどり。

木々のてっぺんは萌黄色から
「ふかみどり」
になりました。
そして「しっかりと樹木として
「冬を迎えた葉束」になりました。
これからは
「深まる冬」がすぎさり「春」。
「開花」の炎が。
樹木の上方で。
「雪の到来」を.
くすぶりてまちわびてています。
たえしのぶ冬の樹木です。

「若葉」の「新緑」から「深緑」です。

高い木々の穂先は萌黄から若草色に。
うねるなみのように。
木々の新緑は常緑となり冬のおとずれを
伝えていました。

桜は葉桜から「葉木」
道路沿いの「けやき」の木々も
萌黄から若葉。
そして青葉。
どうもうともいえる青葉。
そして見え隠れする「紅葉葉」。
紅葉葉の10枚20枚がひとつひとつ
の樹木にみえるようになりました。
「黄色調」です。
そして今「樹木」は「葉のいろ」をかえ
「宙」に舞おうとしています。

明らかなる。
「冬から春」とはことなる。
「夏から秋」。
「秋から冬」
そして「冬」の「木枯らし」。

木々の四季の。
大気の「色」のうつろい
に気づきます。

今は里山(さとやま)をさまよい。
今は里山(さとやま)をあるきたい。
今は里山(さとやま)の季節。
今は昔々里山(さとやま)であそび。
今は昔々て里山(さとやま)でおぼえ。
今は昔々里山(さとやま)でまなんだ。
今は昔々のその日々の思い出は。
今は黄金(こがね)か。あるいは。
今は銀か。いぶし銀か。
今はもしかしたらプラチナか。
今は思い出色は鉛のように。
今は重さは鉛のようになり。
今は心の奥深くに埋もれて感じられます。

「幸せ色」=「しあわせいろ」

ならばよいです。

けれども
早朝は非常にあたたかくなりました。

春やま中さまよいて
春やま中をわけいらば
春やま中大樹の根元に隠れたり
春やま中あけぼの色のちひさき炎(ほのほ)
春やま中みつけたりやまの秋の華。
春やま中やまの秋葉木のかくれんぼ
春やま中大樹の根元に隠れたり
春山はぜの葉木。
春やま中やまうるしの葉木。
春やま中あきやまはぜとふるやまうるし。
春こす「はだか木」。
春こす元気な木。たくましき木。

春山萩(やまはぎ)の
春花をかくして燃えたたむ
春に実りの祭りなり
春山はぜの葉炎
春天高く燃ゆ

はるやまはぎの
はるはなをかくしてもえたたむ
はるにみのりのまつりなり
はるやまはせのほのほ
はるてんたかくもゆ

はるひろくなりけり空(そら)たかし
はるさとやまに木々のみどり木
はるこもれびうけて燃えるがごとし
はるみどりの炎(ほのほ)
はるほのほうちけさむかすみはあおし
はるほのほにかすみにただよひて
はるうるわしくかがやきたり
はるあたたかくかおりたり
はるあざやかなりけり 
はるやまさとのやまみどり
はるやまさとのふかみどり

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
は「英国:United Kingdom UK」の
「風景画家」
天才画家ですが「緑」が大嫌い
で「黄色」が「大好き」。
「木」をかくのを非常にいやがったそうです。

多分ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
が「修行時代」に「お金にために
「どこの国も同じですが」
「名所絵」をかかされたときの
「反動」ではないかと
今の私は考えます。

「大きな夏みつけた」
から
「夏がすぎてて真秋間近い」

「小さな秋みつけた・。」

そして
「小さな冬みつけた」
そして
「大きな冬みつけた」。
そして
「小さい春」がみつかって。

しだいにおおきな。

「春」になりました。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

+++++++++++++++++++++

平成21年01月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年2月11日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年3月20日(金曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

++++++++++++++++++++++

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

++++++++++++++++++++++

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらず
インフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。

「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。

的確な指摘と同時に。
美術批評を介して。
独自の詩学を打ち出すという
「詩人による美術批評」の先鞭をつけ。

「フランス近代詩の父」と呼ばれる詩人。

1821年 - シャルル・ボードレール、詩人(+ 1867年)
の生誕日です。
++++++++++++++++++++++

シャルル・ピエール・ボードレール;
Charles Pierre Baudelaire,
1821年4月9日 - 1867年8月31日)は
フランスの批評家、詩人です。

「フランス近代詩の父」と呼ばれます。

++++++++++++++++++++++

シャルル・ピエール・ボードレール;
Charles Pierre Baudelaire
は。
当初は美術批評家でした。

若くして美術批評家として。
文壇にデビューを果たしました。

特に当時、物議を醸していた。
ロマン主義画家のドラクロワに対して。
熱心な弁護と評価を行いました。

的確な指摘と同時に。
美術批評を介して独自の詩学を打ち出すという。

「詩人による美術批評」の先鞭をつけました。

++++++++++++++++++++++

シャルル・ピエール・ボードレール
;Charles Pierre Baudelaire
の「詩人による美術批評」は。

これはラフォルグやアポリネールへの系譜へと。
連なっていきます。

またエドガー・アラン・ポーの天才を見抜き。
エドガー・アラン・ポーの作品を翻訳して。
フランスに紹介したのも
シャルル・ピエール・ボードレール
;Charles Pierre Baudelaireでした。

++++++++++++++++++++++

シャルル・ピエール・ボードレール
;Charles Pierre Baudelaire
は。

ダンディとして知られました。

亡父の遺産をもとに散財の限りを尽くし
準禁治産者の扱いを受ける
にいたりました。

その後は。
死ぬまで貧窮に苦しむこととなりました。

++++++++++++++++++++++

シャルル・ピエール・ボードレール
;Charles Pierre Baudelaire
は。

ルイ・オーギュスト・ブランキの
中央共和派協会に入会し。
二月革命には赤いネクタイを巻いて参加。

レアリスト画家クールベらと友好を結び。
プルードンと会うようになりました。

++++++++++++++++++++++

シャルル・ピエール・ボードレール
;Charles Pierre Baudelaire
は。

生前発表した唯一の詩集『悪の華』が摘発され。

そのうちの6編が公序良俗に反するとして
罰金刑を受けました。

後に第二版を増補版として出版して。

これにより。
詩人としての地位を確立致しました。

その卑猥的、耽美的、背教的な内容は
彼の後の世代に絶大な影響を与えることとなりました。

特に現実と理想の溝から生じる。
作品に溢れる絶望感とアンニュイは。

一種の退廃的な「時代の病」を。

表徴しているように今の私は考えます。

++++++++++++++++++++++

シャルル・ピエール・ボードレール
;Charles Pierre Baudelaire
は。
韻文詩集発表後に。

彼は「散文詩」と呼ばれるジャンルに。
新たな詩的可能性を目指して。
執筆を続けました。

生前は作品集としては陽の目を見なかったものの。

後に『パリの憂鬱』
(『小散文詩』)として出版されました。

いまなお多くの示唆にあふれる内容となっています。

++++++++++++++++++++++

シャルル・ピエール・ボードレール
;Charles Pierre Baudelaire
は。
ボードレールは詩という文学空間の可能性を。
最も早い時期に提示した詩人であり。

彼の後に続くランボー、ヴェルレーヌ、
そしてマラルメらに決定的な影響を与えました。

「近代詩の父」と称されます。

また、批評活動でも優れた功績を残しています。

特に『現代生活の画家』(Le Peintre de la vie moderne)
の中で展開される「モデルニテ」
(modernite 近代性、現代性)の理論は
19世紀フランスのキータームであり。

彼以降の詩人たちは。
それぞれのモデルニテ(modernite 近代性、現代性)
を探ることを余儀なくされるようになりました。

++++++++++++++++++++++

「続きを読む」=>*

++「続きを読むです1」++++++++++++++++++

シャルル・ボードレール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%AB

シャルル・ピエール・ボードレール;Charles Pierre Baudelaire, 1821年4月9日 - 1867年8月31日)はフランスの批評家、詩人。「フランス近代詩の父」と呼ばれる。

目次
1 生涯
2 評価
3 年譜
4 作品
4.1 詩・散文
4.2 美術批評・音楽批評
4.3 文芸批評
5 邦訳書
6 関連項目
7 外部リンク
8 参考文献

生涯
若くして美術批評家として文壇にデビューを果たし、特に当時、物議を醸していたロマン主義画家のドラクロワに対する熱心な弁護と評価を行った。的確な指摘と同時に、美術批評を介して独自の詩学を打ち出すという「詩人による美術批評」の先鞭をつけた。これはラフォルグ、アポリネールへの系譜と連なってゆく。またエドガー・アラン・ポーを翻訳、フランスに紹介した。

ダンディとして知られ、亡父の遺産をもとに散財の限りを尽くし、準禁治産者の扱いを受ける。その後は、死ぬまで貧窮に苦しむこととなる。

ルイ・オーギュスト・ブランキの中央共和派協会に入会し、二月革命には赤いネクタイを巻いて参加レアリスト画家クールベらと友好を結び、プルードンと会う。

生前発表した唯一の詩集『悪の華』が摘発され、そのうちの6編が公序良俗に反するとして罰金刑を受ける。後に第二版を増補版として出版し、詩人としての地位を確立した。その卑猥的、耽美的、背教的な内容は彼の後の世代に絶大な影響を与えることとなる。特に現実と理想の溝から生じる、作品に溢れる絶望感とアンニュイは、一種の退廃的な時代の病を表徴している。

韻文詩集発表後、彼は散文詩と呼ばれるジャンルに新たな詩的可能性を目指し、執筆を続ける。生前は作品集としては陽の目を見なかったものの、後に『パリの憂鬱』(『小散文詩』)として出版された。いまなお多くの示唆にあふれる内容となっている。

評価
ボードレールは詩という文学空間の可能性を最も早い時期に提示した詩人であり、彼の後に続くランボー、ヴェルレーヌ、そしてマラルメらに決定的な影響を与えたことから、「近代詩の父」と称される。また、批評活動でも優れた功績を残している。特に『現代生活の画家』(Le Peintre de la vie moderne)の中で展開されるモデルニテ(modernite 近代性、現代性)の理論は19世紀フランスのキータームであり、彼以降の詩人たちは、それぞれのモデルニテを探ることとなる。

年譜
1821年4月9日、パリに生まれる。父は、ジョセフ・フランソワ・ボードレール(Joseph Francois Baudelaire)(1759-1827)、母は、カロリーヌ・アルシャンボー=デュフェー(Caroline Archimbaut-Dufays)(1793-1871)。父方は富裕な農家。この年、ナポレオン・ボナパルト死亡。
1827年(6歳)、父フランソワ死亡。
1828年(7歳)、母が陸軍軍人と再婚。シャルルはこの義父を嫌う。3人は間もなくリヨンに移り住み、シャルルはドローム私塾(Pension Delorme)からロワイヤル中学(College Royal)に進む。
1836年(15歳)、一家はパリに戻り、シャルルはリセ・ルイ=ル=グランに転校する。
1839年(18歳)、リセ・ルイ=ル=グランから放校される。大学入学資格試験(baccalaureat)に合格する。
1839年-1841年、パンテオン近くのバイイ私塾(Pension Bailly)に入れられる。オクターヴ・ワイエ(Octave Feuillet)、ネルヴァル(Gerard de Nerval)、ルコント・ド・リール(Leconte de Lisle)らを知る。文芸新聞に寄稿する。バルザックの門をたたく。
1841年4月(20歳)、シャルルの行状を案じた義父により、インド行きの船に乗せられる。
1842年2月(21歳)、モーリシャス島からパリに逃げ戻る。乗船中に詩作する(のち「悪の華」に収める)。4月、成年に達し、亡父の遺産を分与され、転居を繰り返した後、サン・ルイ島のオテル・ピモダン(Hotel Pimodan)に落ち着く。以後二年間に、後に『悪の華』へ収録される詩編の大半を綴る。ヴィクトル・ユーゴー、サント・ブーヴ、テオフィル・ゴーティエを知る。黒人混血女ジャンヌ・デュヴァル(Jeanne Duval)と関係を持つ。
1844年(23歳)、禁治産者として弁護士の監視下に置かれ、売文の必要に迫られる。
1845年(24歳)、この頃自殺未遂を起こす。美術批評、文芸批評の筆を執る。
1846年(25歳)、批評家として名を高める。この頃からエドガー・アラン・ポーに打ち込む。
1847年(26歳)、シャルル・ドゥファイスの筆名で『ラ・ファンファルロ』を発表。
1848年(27歳)、政治熱にかられる。ポーの翻訳を続ける。この年、二月革命が起こり、ナポレオン・ボナパルトの甥シャルル・ルイ=ナポレオンが大統領になる。
1851年(30歳)、政治熱が冷める。
1852年(31歳)、年末以降、サバティエ夫人(Madame Sabatier)の文学サロンに出入りし、彼女に数篇の詩を捧げる。この年、シャルル・ルイ=ナポレオンがナポレオン3世として皇帝に即位する。
1853年(32歳)、「玩具のモラル(Morale du joujou)」、「笑いの本質について(De l'essence du rire)」を書く。後者の論考は、昨今の笑いについての哲学において使われる「有意義的滑稽」と「絶対的滑稽」という言葉を提唱したものである。
1855年(34歳)、ドラクロワ賛美の美術評論を書き、また、詩篇十八を発表して、初めて詩人と認められる。
1857年(36歳)、詩集『悪の華』を出版する。これはゴーティエに捧げられている。治安裁判で六篇を削除され、罰金を科される。散文詩六篇を発表し、サント・ブーヴに激賞される。義父が没し、母カロリーヌとよりが戻る。
1858年(37歳)、『人工天国』(Les paradis artificiels)第一部を公表する。
1859年(38歳)、評論活動を続ける。

墓碑 義父、シャルル、母カロリーヌの順に、生没年月日を刻んでいる。1861年(40歳)、35篇を追加した『悪の華』第二版を出版する。アカデミー・フランセーズの会員になろうとして諦め、世評を損ねる。
1863年(42歳)、梅毒による体の不調に悩み始める。
1864年(43歳)、負債に追われて4月末にパリからブリュッセルへ逃れる。時折母カロリーヌや後見人を訪れ、金を無心する。
1865年(44歳)、ブリュッセルから痛烈な論陣を張る。夏に帰国して母を見舞い、旧友等と款語する。散文詩集『パリの憂鬱』(Petits poemes en prose, Spleen de Paris)を書き進めるが、病勢進む。
1866年(45歳)、3月、ブリュッセル南東のナミュール(Namur)に遊んで倒れる。脳神経の変調が現れ、言葉を失い、ブリュッセルの病院に収容される。7月初、母カロリーヌに付き添われてパリに転院する。
1867年(46歳)、8月31日、死亡。9月2日葬儀、モンパルナス墓地に葬られる。
1869年、散文詩集『パリの憂鬱』が出版される。

作品

詩・散文
『悪の華』
初版(1857年):詩101篇を収録。うち6篇(禁断詩篇)が風紀紊乱の咎で有罪判決を受け、削除を命ぜられる。
第二版(1861年):禁断詩篇6篇を除き、代わりに35篇を増補したほかに配列も変更し、全127篇を収録。現在は主にこの第二版を『悪の華』の底本として取り扱う。
第三版(1869年):死後に刊行された決定版全集の第一巻。第二版以降に発表された詩篇(『漂着物』と題して1866年に刊行)を含め152編を収録。
『パリの憂鬱』(1869年、『小散文詩』とも):決定版全集第四巻に、生前は単行本化されなかった散文詩50篇を収録。
『人工天国』:アヘン体験を記した散文作品。
「ハシッシュの詩」(1858年)
「阿片吸引者」(1860年)
「酒とハシッシュの比較」(1851年):単行本は上記2編を収録したものだが、決定版全集において追加された。
『ラ・ファンファルロ』(1847年):ボードレール唯一の小説。
『火箭』、『赤裸の心』:生前未発表のアフォリズム集。
ほか

美術批評・音楽批評
「1845年のサロン」
「1846年のサロン」
「笑いの本質について」
「1855年の万国博覧会、美術」
「1859年のサロン現代生活の画家」
「ウージェーヌ・ドラクロアの作品と生涯」
「リヒャルト・ヴァーグナーと『タンホイザー』のパリ公演」
ほか

文芸批評
「エドガー・ポー、その生涯と作品」
「エドガー・ポーに関する新たな覚書」
「テオフィル・ゴーティエ」
「わが同時代人の数人についての省察」
「ギュスターヴ・フローベール著『ボヴァリー夫人』書評」
「ヴィクトール・ユゴー著『レ・ミゼラブル』書評」
ほか

邦訳書
『ボードレール全集』(阿部良雄訳、筑摩書房 全6巻)
『ボードレール全詩集』(阿部良雄訳、ちくま文庫 全2巻)
『ボードレール批評』(阿部良雄訳、ちくま学芸文庫 全4巻)
『悪の華』(鈴木信太郎訳、岩波文庫)
『悪の華』(堀口大學訳、白水社、新潮文庫、のち改版)
『悪の華』(齋藤磯雄訳、三笠書房 のち東京創元社)
『悪の華』(安藤元雄訳、集英社 のち集英社文庫)
『悪の華』(佐藤朔訳、第一書房、1941年)
『悪の華』(福永武彦訳、平凡社、のち訳詩集「象牙集」人文書院、1979年)
『パリの憂愁』(福永武彦訳、岩波文庫、1965年 のち改版)
『巴里の憂鬱』(三好達治訳、新潮文庫、1951年 のち改版)
『巴里の憂鬱』(齋藤磯雄訳、三笠書房 のち東京創元社)
『パリの憂鬱』(渡辺邦彦訳、<大人の本棚>みすず書房)
『ボードレール全集』(福永武彦ほか訳、人文書院全4巻、1963年)
『海潮音』(上田敏抜粋訳、本郷書院、1905年/岩波文庫、新潮文庫)
『珊瑚集』 (永井荷風抜粋訳、籾山書店、1913年/岩波文庫)

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++
4月9日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/4%E6%9C%889%E6%97%A5

できごと
193年 - セプティミウス・セウェルス、軍団の支持を得てローマ皇帝に即位

1483年 - イングランド国王エドワード4世の死去に伴い、エドワード5世が即位。

1609年 - スペイン王フェリペ3世モリスコ追放の勅令に署名する。

1858年(安政5年2月26日) - 飛越地震が発生する。

1865年 - アメリカの南北戦争で、南軍のリー将軍が降伏宣言し、戦争終結。

1890年 - 琵琶湖疏水の開通式を挙行。

1922年 - 神戸で日本農民組合結成。

1935年 - 美濃部達吉の著書『憲法概要』など5点が出版法違反で発禁処分に。

1937年 - 朝日新聞社の「神風号」
(九七式司令部偵察機)がロンドンに到着、亜欧連絡飛行を成功させる。

1948年 - エルサレム西部のデイル・ヤシーン村を、ユダヤ人特攻隊が攻撃、
多数の住民が犠牲になる(デイル・ヤシーン事件)

1948年 - コロンビアのボゴタで大暴動が起こる。

1952年 - もく星号墜落事故。搭乗員37人全員死亡。

1959年 - 国民年金法成立

1969年 - 1968年12月10日に発生した三億円事件で犯行に使われたカローラが発見される。

1979年 - 読売ジャイアンツが球団創設以来3000勝達成

1988年 - 瀬戸大橋の開通に伴い宇野〜高松の宇高連絡船が高速艇を除き廃止される。

1991年 - グルジアがソビエト連邦から独立。

2003年 - イラク戦争で首都バグダードが事実上陥落。

2005年 - 中国各地で大規模な反日デモが発生。

2006年 - 阪神の金本知憲が904試合連続イニング出場で
カル・リプケンを抜き、世界新記録を達成。

2008年 - オアシス香港航空が運行を停止。

誕生日
1763年 - ドメニコ・ドラゴネッティ、コントラバス奏者(+ 1846年)

1770年 - トーマス・ゼーベック、物理学者・医師(+ 1831年)

1794年 - テオバルト・ベーム、楽器製作職人(+1881年)

1806年 - イザムバード・キングダム・ブルネル、技術者(+ 1859年)

1821年 - シャルル・ボードレール、詩人(+ 1867年)

1835年 - レオポルド2世、ベルギー国王(+ 1909年)

1846年 - フランチェスコ・パオロ・トスティ、作曲家(+ 1916年)

1863年(文久3年2月22日) - 加藤友三郎、第21代内閣総理大臣(+ 1923年)

1892年 - 佐藤春夫、詩人(+ 1964年)

1910年 - 白川静、漢文学者(+ 2006年)

1911年 - 野間省一、第4代講談社社長(+ 1984年)

1917年 - 大館勲、元プロ野球選手(+ 2000年)

1919年 - ジョン・エッカート、ENIAC開発者(+ 1995年)

1924年 - 村山定男、天文学者

1929年 - 大川橋蔵、俳優(+ 1984年)

1931年 - 広中平祐、数学者

1933年 - ジャン=ポール・ベルモンド、俳優

1934年 - 伊香輝男、元プロ野球選手

1935年 - 清川元夢、声優

1940年 - 小林研一郎、指揮者

1945年 - 成田アキラ、漫画家

1947年 - 杉山佳寿子、声優

1947年 - 永島義男、コントラバス奏者

1947年 - 飯田幸夫、元プロ野球選手
1954年 - デニス・クエイド、俳優
1954年 - 山内としお、俳優
1955年 - 寬仁親王妃信子、皇族
1957年 - セベ・バレステロス、プロゴルファー
1957年 - 本多俊之、サックス奏者
1958年 - 小柳みゆき、女優・歌手
1960年 - 西崎緑(西崎みどり)、歌手・女優
1960年 - 嶋田信敏、元プロ野球選手
1962年 - 天宮良、俳優
1963年 - マーク・ジェイコブス、ファッションデザイナー
1964年 - 永島昭浩、サッカー選手
1966年 - マリオ・ブリトー、元プロ野球選手
1971年 - 伊藤美紀、女優
1971年 - ジャック・ヴィルヌーヴ、F1レーサー
1971年 - 古里泰隆、元プロ野球選手
1971年 - 北岡錦、元AV女優
1972年 - ベルナール・アッカ、格闘家(HERO'S)、お笑いタレント(塩コショー)
1972年 - 山本保司、元プロ野球選手
1974年 - 伊藤さおり、お笑いタレント(北陽)
1974年 - 森中聖雄、元プロ野球選手
1976年 - ERICHI(ZZ)
1976年 - 野沢けいすけ、政治家
1977年 - 藤島じゅん、漫画家
1978年 - 天野浩成、俳優
1983年 - メジロラモーヌ、競走馬(+ 2005年)
1984年 - 江藤直也、野球選手
1985年 - 山下智久、タレント(NEWS/GYM)
1986年 - ムービースター、競走馬
1987年 - 石川エリ、タレント
1988年 - 悠城早矢、女優、アイドル
1988年 - 杏野はるな、グラビアアイドル
1988年 - 岡本賢明、サッカー選手
1992年 - サクラキャンドル、競走馬
1995年 - エアジハード、競走馬
1997年 - エイシンプレストン、競走馬
1998年 - テイエムオーシャン、競走馬

忌日
491年 - ゼノン、東ローマ皇帝(* 426年)

1024年 - ベネディクトゥス8世、第143代ローマ教皇

1483年 - エドワード4世、イングランド国王(* 1442年)

1484年 - エドワード・オブ・ミドルハム、ウェールズ公(* 1473年頃)

1557年 - ミカエル・アグリコラ、フィンランド語最古の文献著者(* 1510年頃)

1626年 - フランシス・ベーコン、哲学者(* 1561年)

1754年 - クリスティアン・ヴォルフ、哲学者(* 1679年)

1780年(安永9年3月5日)- 松平頼真、第6代高松藩主(* 1743年)

1804年 - ジャック・ネッケル、フランス革命期の財政家(* 1732年)

1806年 - ヴィレム5世、オランダ総督(* 1748年)

1825年(文政8年2月21日)- 雷電爲右エ門、江戸時代の大関(* 1767年)

1879年 - アントニオ・パニッツィ、第6代大英博物館館長(* 1797年)

1889年 - ミシェル=ウジェーヌ・シュヴルール、化学者(* 1786年)

1936年 - フェルディナント・テンニース、社会学者(* 1855年)

1945年 - ヴィルヘルム・カナリス、ドイツ海軍の大将(* 1887年)

1945年 - ディートリッヒ・ボンヘッファー、ルター派の牧師・神学者(* 1906年)

1951年 - ヴィルヘルム・ビヤークネス、気象学者・海洋学者(* 1862年)

1952年 - 三鬼隆、八幡製鉄社長(* 1892年)

1952年 - 大辻司郎、漫談家(* 1986年)

1959年 - フランク・ロイド・ライト、建築家(* 1867年)

1959年 - アンリ=ピエール・ロシェ、小説家(* 1879年)

1961年 - ゾグー1世、アルバニア王(* 1895年)

1968年 - 島津忠重、日本海軍の少将(* 1886年)

1971年 - ウィル・ハリッジ、アメリカンリーグ会長(* 1883年)

1972年 - 深見安博、元プロ野球選手(* 1919年)

1976年 - 福島正実、編集者、SF作家(* 1929年)

1976年 - 武者小路実篤、小説家(* 1885年)

1984年 - 雨森雅司、声優・俳優(* 1930年)

1990年 - 成田三樹夫、俳優(* 1935年)

1991年 - モーリス・ビンダー、タイトルデザイナー(* 1925年)

1991年 - ノリス・ボーデン、フィギュアスケート選手(* 1926年)

1999年 - イブライム・バレ・マイナサラ、軍人、政治家(* 1949年)

2001年 - ウィリー・スタージェル、メジャーリーグベースボール選手(* 1940年)

2004年 - ジュリアス・サング、陸上競技選手(* 1948年)

2005年 - 関屋晋、合唱指揮者(* 1928年)

2008年 - 毛利彰、イラストレーター(* 1935年)

記念日・年中行事
大仏の日
天平勝宝4年4月9日
(旧暦。新暦では752年5月26日)に奈良の大仏の開眼供養が行われた事に因む。

左官の日
日本左官業組合連合会が制定。

反核燃の日
青森県労働組合が制定。1985年のこの日、
当時の青森県知事が県議会の全員協議会で
核燃料サイクル施設の推進を表明したことに因む。

受難日(西方教会、2004年)

聖大金曜日(東方教会、2004年)