東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年4月20日(月曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年4月20日(月曜日)

平成21年の。

「春」になりました。

「2月」はおわりました。

「春」の「3月」もおわりました。

「春」「4月」になりました。

長かった「冬」。

季節にも「ながさ」があり。

その年によって。

「ながさ」がちがう

ようです。

ことしの「春」のながさは

どうだろう。

今年の「冬」・から「春」は予期せぬ

インフルエンザ*の

大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。

薬事法の「能書」にあるとおり

「正規の」

「2回法によるインフルエンザワクチン」の

予防接種を行います。

御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

「新年」「初春」になり。
「1月」がおわり。
「2月」。
「2月」がおわりました。

「春」の「3月」もおわりました。
「春」の「4月」になったとたん。

また。
きゅうにさむくなりました
とてもとてもさむくなりました。

今は「4月」「春」です。

「昨年」
夏がおわり。
「9月」「初秋」も終わりました。

そして
「10月」がおわり。
「10月」中秋もおわり「11月」。
「中秋」から「晩秋」へとうつろいゆき。
「11月」がおわりました。
昨年の「冬」「12月」が過ぎれば。

いまは。
「1月」「2月」「3月」がおわり。
「4月」の「春」をむかえています。

そろそろ とぼとぼと。

「春」にむかって奥深まり行く。

「たしかなる」

「「春」のあゆみ」

季節のかおり。

「あきらかなる」「「春」」の。

あゆみのしらべから。

「4月」の。

「春」なかばの気配が。

手応えしっかりと。

感じられます。

「春吹雪:はるふぶき」は。

「春かぜ」に。

おわれながら。

さやかな「春かぜ」になり。

ただよっています。

「春」「4月」。

深まる「春]「4月」の「かおり」。

この

「初春」の

「冬のかおりへの変化(へんげ)」は。

毎年ちがいます。

「冬」から「春」への。

かおりの変化(へんげ)」は。

「毎年」新しい。

「うれしい新品のかおり」

がします。

寒い大気の織り成す(たいきのおりなす)。

冬の季節の風から。

「冬」から。

「新たなる新品のかおり」の。

「春」を恵まれることは。

とても幸せなことなのではないかと考えます。

けれども。

さむいです。

「初春」の「3月」

はおわり。

「春」「4月」です。

暗い早朝に。
「昨年」「12月」には
「木枯らし」の鳴き声が聞こえました。

陽がのぼるにつれ。
「木枯らし」の声は小さくなってゆきます。
そして「「木枯らし」のつぶやき」になり。

そして。
聞こえなくなりました。

「4月」の「春」の。
「春かぜ」の「音色」にかわりました。

「春」の「春かぜ」の鳴き声の音色は。

「夏」の「せみ」と異なり

「いわにしみいる」ねいろでは

ありません。

「ふうせん」のような。

「「春かぜ」にとばされる」

「春」の風鈴(ふうりん)を。

おもわせるような音色です。

「春吹雪:はるふぶき」に。

とばされるように。

「春かぜ」の

声楽4声

(ソプラノ・アルト・テノール・バス)が。

混声の合唱で聞こえます。

「ろうろう」。

「春吹雪:はるふぶき」は。

「春かぜ」にかわりました。

まだ真暗い早朝の朝もやから。
「早い「春」のおとずれ」の「大気」が。

かすみのような「香り」で。
しのびよる気配は。
ろうそくの灯(ともしび)
のようにゆらぎながら。

「初春」の。
何かを。行く先をさがしながら。
何かをさがしながら。
照らすかのようにさまよい。
近寄りしのびよることが
わかります。
ゆきさきは。
もっとふかい「春かぜ」の「春」。

「春」。

「春」です。

「4月」の。

「春」です。

はやいものです。

はやいものです。

「2月」の「晩冬」から「3月」にかけては。
「さらに」。
「大気」と「自然の気配」に。
「特有の独特の気配と香り」が混じります。
感じられるようです。
不思議な感しが致します。

木々は

「春」をむかえる準備をすませて。

これからの。

「春」の。

「「春」へのあらたな実り」に向けての。

息吹が力強く感じられます。

今早朝は「とても肌寒い」です。

今年はとてもとても「寒い」です。

街路樹はしっかりと。
「初春」の枝木の穂先もたわわにつよく。
「春」に向けての。
萌黄色から若葉の芽吹きをそなえ
「春」の「木」に
かわりました。

そしていま。
「冬」にも若葉を抱いた木々は。
さらに「春」の芽栄え(めばえ)に。

うつろいてかわろうと
しています。

「昨年」はあっというまに
「7月」が終わりました。
「8月」です。
「8月」=せみのしぐれなく夏です
「8月」が終わりました。
「9月」が終わりました。
「10月」=「実りの秋」です。
「11月」収穫の晩秋です。
「12月」木枯らしの冬です。

「12月」がおわり。
「1月」「2月」がおわり。
「初春」の「3月」です。
そして「3月」がおわり。
いまは「4月」です。

木々がへったため。
夏にはせみの声も少なくなりました。
けれども「一昨年」より
「昨年」はは鳴き声は多かった
ようにおもえます。

こおろぎの声も「一昨年」より
「昨年」は多かったように
おもえました。

今は。

「春」の「4月」

の「春かぜ」の「こえ」。

「ろうろう」。

みかんの木に「春かぜ」

がとまっているようです。

「鳥」(とり)の様です。

「春かぜ」の声はいつもかわります。

みかんの木は。

とても沢山の実をつけています。

黄金にプラチナのみかんのようです。

「初春」の気配に加えて。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックの
庭の。

山椒(さんしょう)の木の芽が
「初春」の若葉にすくすくとそだち。
若枝も冬天高くすこやかにのび。
ますますに。ますますに。
「冬の陽」をあびて。
「春」の山椒(さんしょう)の葉の。
みどりがとても。
奇麗です。

山椒のことを
「きのめ」=木の芽とはなるほどと
かんがえる。

春さんしょう木
春萌黄(もえぎ)鮮やかに芽葉(めは)
春みどり葉わか葉いずる花のごと
春夏(なつ)こすわか枝は幹ならむ
春なりてたゆまずとまらず
春冬あゆみそだちて
春幹は天たかくそだちたり
春いざいまこそは
春空(そら)にもえたたむ
春金色(こがね)の炎
春さんしょう木春

けれども
早朝は本当にはだ寒いのです。

「小さな「春」みつけた」から

しだいに「大きな「春」みつけた」

「大きな「春」みつけた」から。

そして「大きな大きな「春」」みつけた。

大きな大きな。

「春」がきた。

ちょっと「安心する気」が致します。
「春」はもうきました。

「「春」の女神」の。

「佐保姫(さほひめ)」の導く

ワルツのきこえる「春」です。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成21年1月12日(月曜日)
は。
「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ限られた
時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年2月11日(水曜日)
「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。
限られた
時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年3月20日(金曜日)
「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。
限られた
時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

-------------------------------

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

-------------------------------

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
季節の変わり目に「反復性上気道感染」に
なられるかたが多いです。

「世情は不安定」であり何かひとつ
生活しづらい日々を感じられる
かたも多いものです。。

人間は「倒れるまではたっています」。
人間は「冬・春」の旅に(度に)齢を重ねる。

昔の「数え年」は「たいした物」だと思います。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝。

「今日は何の日」は。

私はジャズはわからない人間ですが。
ヴィブラフォンという楽器は。
「大好き」なのです。

1908年 - ライオネル・ハンプトン、
ジャズ・ヴィブラフォン奏者(+ 2002年)
の生誕日です。

++++++++++++++++++++++

ライオネル・ハンプトン
:Lionel Hampton、Lionel Leo Hampton、
1908年4月20日 - 2002年8月31日)は。

アメリカのジャズ・ミュージシャンです。
ジャズ・ヴィブラフォンの
第一人者として知られています。

++++++++++++++++++++++

ライオネル・ハンプトン:
Lionel Hampton、Lionel Leo Hamptonは。

アラバマ州バーミングハム。
またはケンタッキー州ルイビル生まれです。

ドラマーとしてミュージシャンとしての
キャリアを始めました。

++++++++++++++++++++++

ライオネル・ハンプトン:
Lionel Hampton、Lionel Leo Hampton

ヴィブラフォンとの出会いは。
1930年にルイ・アームストロングの
レコーディングに参加したとき。

スタジオに置いてあった
ヴィブラフォンを弾いてみるように
アームストロングから言われたのがきっかけでした。

++++++++++++++++++++++

ライオネル・ハンプトン:
Lionel Hampton、Lionel Leo Hampton
は。

1936年、ハンプトンはヴィブラフォン奏者として。
ベニー・グッドマンのバンドに参加致しました。

これはジャズ楽器としてのヴィブラフォンの
存在を広く知らしめただけでなく。

人種の壁が厚かった時代に白人の人気バンドに。

黒人のミュージシャンが参加したという点でも
画期的な出来事であったのです。

++++++++++++++++++++++

ライオネル・ハンプトン:
Lionel Hampton、Lionel Leo Hampton
は。

その後もハンプトンは自身の
リーダーバンドを率いて。
精力的に活動致しました。

ジャズ・ヴィブラフォンの第一人者としての
地位を確立致しました。

バンドからは多数の
有名ジャズ・ミュージシャンを輩出致しました。

またボーカリストとしても明るい
エンターテイナーぶりを発揮して人気を博しました。

++++++++++++++++++++++

ヴィブラフォンは、ヴァイブラフォンないし
略してヴァイブともいい、鉄琴の一種の打楽器です。

通常の鉄琴や木琴と同様、
ピアノの鍵盤の順番に並べて置かれた
音板をばち(マレット)で叩いて音を出します。

普通用いられる鉄琴よりも
大きく低い音の出る音板が用いられます。
マリンバ同様に音板の下に共鳴管が並んでいます。

共鳴管の上端に丸いはねを設置して。
このはねを電気モーターによって回転させると
はねが管の上端を閉じたり開いたりして。

振動の共鳴管への伝わり方が増減致します。
それによって共鳴管の共鳴量が変化して。

音量が増減を繰り返し音のふるえ(ヴィブラート)
を起こします。

楽器の名称はここから来ています。

++++++++++++++++++++++

ヴィブラフォンは。

はねの回転の速度は変化させることができます。
また停止して演奏することもあります。

音の余韻をコントロールするダンパーペダルによって
ロングトーンを演奏する事が可能です。

マリンバや木琴と大きく異なる機能です。

ヴィブラフォンがVibraphoneと呼ばれるのは、
このロングトーンによる残響・共振
(ヴァイブレーション)に起因するとも言われています。

ダンパーペダルを踏むと装置が離れ。
離すと装置が音板に触れて
残響を止めるようになっています。

++++++++++++++++++++++

ヴィブラフォンの。
音色の変化ははねの回転速度の他に。
マレットの材質(特に堅さ)や大きさや。
叩く位置などによって得られます。

はねの回転速度を遅くし大きめで
ややソフトなヘッドを持つマレットと、
ハーフダンプリングを多用した
ミルト・ジャクソンの奏法などが知られます。

マレットは主として毛糸巻きのものが使われます。

また近年はダンパーペダルとマレットを使った
ミュートを組み合わせた
ダンプリング(Dampening and/or Pedaling Techniques)
が普及しています。

この奏法は。
ゲイリー・バートンによって世界中に広められました。

++++++++++++++++++++++

ヴィブラフォンの。
ヴィブラートを使った奏者の代表としては、
ライオネル・ハンプトン、ミルト・ジャクソン、
国内では大井貴司等が広く知られています。

ノン・ヴィブラート奏者の代表としては、
ゲイリー・バートン、デイビッド・フリードマン、
国内では赤松敏弘等が広く知られています。

ヴィブラートを使う奏者は左右に
1本ずつのマレットを使う2マレット・スタイルが多く、
ノン・ヴィブラートの奏者は片手に2本ずつの
4マレット・スタイルが多いのも特徴と言えます。

++++++++++++++++++++++

ヴィブラフォンの
音域はF2-f5までの3オクターブです。
c2-c6の4オクターブのタイプもヤマハ、
斉藤楽器、マーコン、ベルジュローが製造しています。

このタイプはオーケストラの中に滅多に現れない
のですが。

それでもハンス・ヴェルナー・ヘンツェのように
4オクターブタイプを指定する作曲家もいます。

++++++++++++++++++++++

「Vibraharpというネーミング」は。

足元のペダルの部分に
ハープの飾りを施した物があったため、
そのように呼ばれた時期があります。
(初期のムッサー社のカタログ等)、

70年代にはビブラートを使わない奏者が
アルバムクレジットに用いた事もあります。

日本語の場合はviの発音表記の違いから、
ヴィブラフォン、ヴァイブラフォン、
ビブラフォン、ヴァイブ、バイブ、
と表記が様々であるが統一はされていません。

一部吹奏楽関係等ではビブラと呼ばれることもあるが
正式な呼び名、印刷物には使われていません。

コントラバスの弓で演奏する特別な奏法もあります。

譜面上の略記
Vib. Vibraph. (Vibes) 等
略記に関しては
ヴィブラスラップ(略記Vibra.)と
類似しているので注意が必要です。

++++++++++++++++++++++

「続きを読む」=>*

++「続きを読むです1」++++++++++++++++++
ライオネル・ハンプトン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%88%E3%83%B3

ライオネル・ハンプトン:Lionel Hampton、Lionel Leo Hampton、1908年4月20日 - 2002年8月31日)は、アメリカのジャズ・ミュージシャン。ジャズ・ヴィブラフォンの第一人者として知られる。

目次 [
1 略歴
2 賞与
3 ディスコグラフィ
4 フィルモグラフィ
5 External links
6 References

略歴
アラバマ州バーミングハム[1][2][3]またはケンタッキー州ルイビル生まれ[4][5][6]。ドラマーとしてミュージシャンとしてのキャリアを始めた。ヴィブラフォンとの出会いは1930年にルイ・アームストロングのレコーディングに参加したとき。スタジオに置いてあったヴィブラフォンを弾いてみるようにアームストロングから言われたのがきっかけという。

1936年、ハンプトンはヴィブラフォン奏者としてベニー・グッドマンのバンドに参加する。これはジャズ楽器としてのヴィブラフォンの存在を広く知らしめただけでなく、人種の壁が厚かった時代に白人の人気バンドに黒人のミュージシャンが参加したという点でも画期的な出来事であった。

その後もハンプトンは自身のリーダーバンドを率いて精力的に活動し、ジャズ・ヴィブラフォンの第一人者としての地位を確立。バンドからは多数の有名ジャズ・ミュージシャンを輩出した。またボーカリストとしても明るいエンターテイナーぶりを発揮して人気を博した。

賞与
2001 - Harlem Jazz and Music Festival's Legend Award
1996 - National Medal of Arts presented by President William Jefferson Clinton
1995 - Honorary Commissioner of Civil Rights by George Pataki
1995 - Honorary Doctorate from the New England Conservatory of Music
1993 - Honorary Doctorate from the University of Maryland Eastern Shore
1992 - "Contributions To The Cultural Life of the Nation" award from the John F. Kennedy Center for the Performing Arts
1988 - The National Endowment for the Arts Jazz Masters Fellowship
1988 - The National Association of Jazz Educators Hall of Fame Award
1987 - Honorary Doctorate of Music from Liege University
1987 - Honorary Doctorate of Humanities from the University of Idaho
1987 - The Roy Wilkins Memorial Award from the NAACP
1986 - The One of a Kind Award from Broadcast Music, Inc.
1984 - Jazz Hall of Fame Award from the Institute of Jazz Studies
1984 - Honorary Doctorate of Music from the University of Southern California
1983 - The International Film and Television Festival of New York City Award
1983 - Honorary Doctorate of Humane Letters from the State University of New York
1982 - Hollywood Walk of Fame Star
1981 - Honorary Doctorate of Humanities from Glassboro State College
1979 - Honorary Doctorate of Music from Howard University
1978 - Bronze Medallion from New York City
1976 - Honorary Doctorate of Humanities from Daniel Hale Williams University
1975 - Honorary Doctorate of Music from Xavier University of Louisiana
1974 - Honorary Doctorate of Fine Arts from Pepperdine University
1968 - Papal Medal from Pope John Paul I
1966 - George Frederick Handel Medal
1957 - American Goodwill Ambassador by President Dwight D. Eisenhower
1954 - Israel's Statehood Award

ディスコグラフィ
Year Album Notes Label
37?39 "Hot Mallets, Vol. 1" - Bluebird Records
37?39 "The Jumpin Five, Vol. 2" - Bluebird Records
38 "Carnegie Hall Jazz Concert" appearance as sideman for Benny Goodman Columbia Records
39?40 "Tempo and Swing" - Bluebird Records
39?56 "Greatest Hits" Selections from above records RCA Victor
42?63 "Hamp!" - GRP/Decca
37?63 "The Lionel Hampton Story" Selections from all records and eras above Proper

フィルモグラフィ
Year Movie Role Director Genre
1933 Girl Without A Room himself Ralph Murphy Comedy
1936 Pennies From Heaven himself Norman Z. McLeod Comedy/Musical
1937 Hollywood Hotel himself Busby Berkeley Musical/Romance
1938 For Auld Lang Syne himself ? Documentary
1948 A Song Is Born himself Howard Hanks Comedy/Musical
1949 Lionel Hampton and His Orchestra himself Will Cowan Music
1955 Musik, Musik and nur Musik himself Ernst Matray Comedy
1955 The Benny Goodman Story himself Valentine Davies Drama
1957 Mister Rock and Roll himself Charles S. Dubin Drama/Musical
1980 But Then She's Betty Carter himself Michelle Parkerson Documentary

External links
Christopher Popa, "Lionel Hampton: Music Was His Fountain of Youth," Big Band Library [1]
Lionel Hampton's Gravesite
Gene Krupa - What's New(s)

References
^ Moritz, Charles (1972). Current Biography Yearbook: 1972. H.W. Wilson Company. ISBN 082420493X.
^ Voce, Steve (2002-09-02). "Obituary: Lionel Hampton". The Independent. 2007-06-03 閲覧。
^ Tippett, Jackson (2002). The Bark of the Dogwood: A Tour of Southern Homes and Gardens. The Enolam Group, Inc.. ISBN 0971553602.
^ Giddins, Gary (2002-09-23). “Lionel Hampton, 1908?2002; After 75 Years Onstage, a Well-Earned Rest”, The Village Voice. 2007-06-10 閲覧。
^ Percussive Arts Society Hall of Fame
^ United States Marine Band Hall of Composers
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%88%E3%83%B3" より作成
カテゴリ: ジャズ・ミュージシャン | アフリカ系アメリカ人のミュージシャン | ビッグ・バンドのバンドリーダー | アメリカ合衆国のドラマー | アメリカ合衆国のピアニスト | アメリカ合衆国の歌手 | アメリカ合衆国の俳優 | アメリカ合衆国の作曲家 | ヴィブラフォン奏者 | 1908年生 | 2002年没

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++
ヴィブラフォン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3

ヴィブラフォンは、ヴァイブラフォンないし略してヴァイブともいい、鉄琴の一種の打楽器である。

独:Vibraphon
仏:Vibraphone
英:Vibraphone, Vibes, Vibraharp,
伊:Vibrafono
目次 [非表示]
1 概要
2 譜面上の略記
3 歴史
4 ヴィブラフォン奏者
5 ヴィブラフォン・コミュニティー

概要
通常の鉄琴や木琴と同様、ピアノの鍵盤の順番に並べて置かれた音板をばち(マレット)で叩いて音を出す。普通用いられる鉄琴よりも大きく低い音の出る音板が用いられる。マリンバ同様に音板の下に共鳴管が並んでいる。共鳴管の上端に丸いはねを設置し、このはねを電気モーターによって回転させるとはねが管の上端を閉じたり開いたりして、振動の共鳴管への伝わり方が増減する。それによって共鳴管の共鳴量が変化し、音量が増減を繰り返し、音のふるえ(ヴィブラート)を起こすのである。楽器の名称はここから来ている。

はねの回転の速度は変化させることができ、また、停止して演奏することもある。 音の余韻をコントロールするダンパーペダルによってロングトーンを演奏する事が可能で、マリンバや木琴と大きく異なる機能である。ヴィブラフォンがVibraphoneと呼ばれるのは、このロングトーンによる残響・共振(ヴァイブレーション)に起因するとも言われている。 ダンパーペダルを踏むと装置が離れ、離すと装置が音板に触れ、残響を止めるのである。

音色の変化ははねの回転速度の他に、マレットの材質(特に堅さ)や大きさ、叩く位置などによって得られる。はねの回転速度を遅くし大きめでややソフトなヘッドを持つマレットと、ハーフダンプリングを多用したミルト・ジャクソンの奏法などが知られる。

マレットは主として毛糸巻きのものが使われる。また、近年はダンパーペダルとマレットを使ったミュートを組み合わせたダンプリング(Dampening and/or Pedaling Techniques)が普及している。この奏法はゲイリー・バートンによって世界中に広められた。

ヴィブラートを使った奏者の代表としては、ライオネル・ハンプトン、ミルト・ジャクソン、国内では大井貴司等が広く知られている。ノン・ヴィブラート奏者の代表としては、ゲイリー・バートン、デイビッド・フリードマン、国内では赤松敏弘等が広く知られている。

ヴィブラートを使う奏者は左右に1本ずつのマレットを使う2マレット・スタイルが多く、ノン・ヴィブラートの奏者は片手に2本ずつの4マレット・スタイルが多いのも特徴と言える。

音域はF2-f5までの3オクターブだが、c2-c6の4オクターブのタイプもヤマハ、斉藤楽器、マーコン、ベルジュローが製造している。このタイプはオーケストラの中に滅多に現れないが、それでもハンス・ヴェルナー・ヘンツェのように4オクターブタイプを指定する作曲家もいる。

Vibraharpというネーミングは足元のペダルの部分にハープの飾りを施した物があったため、そのように呼ばれた時期があり(初期のムッサー社のカタログ等)、70年代にはビブラートを使わない奏者がアルバムクレジットに用いた事もある。 日本語の場合はviの発音表記の違いから、ヴィブラフォン、ヴァイブラフォン、ビブラフォン、ヴァイブ、バイブ、と表記が様々であるが統一はされていない。一部吹奏楽関係等ではビブラと呼ばれることもあるが正式な呼び名、印刷物には使われていない。

コントラバスの弓で演奏する特別な奏法がある。

譜面上の略記
Vib. Vibraph. (Vibes) 等
略記に関してはヴィブラスラップ(略記Vibra.)と類似しているので注意が必要。

歴史
1921年頃にアメリカの楽器メーカー、ディーガン社が開発した楽器がヴィブラフォンの誕生とされ、その直後に後の世界のスタンダード機種となる同じアメリカの楽器メーカー、ムッサー社も製造を始めた。

クラシック音楽では、アルバン・ベルクのオペラ『ルル』(1935年未完)の中で効果的に使用されたのが最初期の例である。

この楽器が最初にポピュラリティーを得たのは1930年代に録音された元ドラマーのライオネル・ハンプトンによる「Memories of You」からで、1947年に録音されたライオネル・ハンプトン・オールスターズの「スターダスト」はスイング・ジャズの傑作として有名。

1948年にアルバムデビューしたミルト・ジャクソンはハンプトンが齎したヴァイブラフォンの知名度を独特の音色(ゆったりしたビブラートを使ったもの)と雰囲気によってジャズのメイン・インストルメンツとして確立させた。1952年に参加したMJQ(モダンジャズクァルテット)での演奏は特に有名で世界中に今も多くのファンを持つ。また彼の演奏スタイルは後のヴィブラフォン奏者に多大な影響を残す。大きなヘッドを持つ独特のマレットを使った音色はジャズヴァイブの代名詞とされている。

1961年にアルバムデビューしたゲイリー・バートンは4本のマレットを使ったジャズヴァイブ奏法の創始者とされる。1967年よりジャズ&ロックの演奏で人気を博し、1970年代からはチック・コリア(p)とのデュエットや当時新人だったパット・メセニー(g)の自己のバンドへの起用など、コンテンポラリーなジャズヴァイブの開拓で知られる。1972年にコリアと録音した「クリスタル・サイレンス」の演奏はジャズに限らず現在でも世界中のマレット奏者に影響を与えている。

1940年代からジャズミュージシャンが中心となってヴィブラフォンの奏法開拓と普及に貢献しているが、近年になってクラシックのマリンバ奏者もヴィブラフォンをメイン・インストルメンツとして演奏の中で使うようになった。

ヴィブラフォン奏者
ロイ・エアーズ [1] ROY AYERS -スタンダードからアシッドジャズまで
ゲイリー・バートン GARY BURTON -世界を代表するヴァイブラフォン奏者
デヴィッド・フリードマン[2] DAVID FRIEDMAN -Double Imageのヴァイビスト
ライオネル・ハンプトン LIONEL HAMPTON -ジャズヴァイブの創始者
カル・ジェイダー CAL TJADER -ラテンジャズヴァイブの先駆者
ボビー・ハッチャーソン BOBBY HUTCHERSON -モーダル・ジャズヴァイブの革新者
ミルト・ジャクソン MILT JACKSON -モダン・ジャズ・カルテットのヴァイヴ奏者
ジョー・ロック[3] JOE LOCKE -NYを拠点に様々なシーンで活躍
マイク・マイニエリ MIKE MAINIERI -ニューヨークを中心に活動するジャズ奏者 
デイヴ・サミュエルズ[4] DAVE SAMUELS -スパイロ・ジャイラのヴァイビスト
平岡精二 -戦後間もない頃からの日本を代表するジャズ・ヴィブラフォン奏者
南部三郎 -「鈴木章治とリズム・エース」で活躍したジャズ・ヴィブラフォン奏者
赤松敏弘 -日本を代表するヴァイブラフォン奏者
臼井麻意子[5] -サクラ・プロジェクトで活躍中のヴィブラフォン奏者
大井貴司[6] -日本が誇る世界的ヴィブラフォン奏者
香取良彦 -ジャズオーケストラを率いるヴァイブ奏者兼作曲家
齊藤易子[7] -北海道札幌市出身のマリンバ/ヴィブラフォン奏者。ドイツを中心に活躍中
宅間善之[8] -若手ヴァイブ奏者 父はさだまさしのサポートで有名な宅間久善
竹田直哉[9] -BeBop中心のヴィブラフォン奏者
出口辰治[10] -ラテン&スイングスタイルのヴァイブ奏者
浜田均[11] -ザ・フォース等の活躍で知られるヴァイブ奏者
藤井寛 -新主流派を代表するベテラン・ヴァイブ奏者
増田一郎 -ミルト・ジャクソンとも親交の深かったベテラン・ヴァイブ奏者
三村奈々恵 -世界的マリンバ/ヴィブラフォン奏者 
渡辺雅美(the fascinations)[12] -東京のクラブを中心に活躍するヴィブラフォン/マリンバ奏者
松本 浩 - 1932年生。1970年代のVib奏者1位の座を3年間スイングジャーナル社で成した。

ヴィブラフォン・コミュニティー [編集]
The Vibe Net[13] -世界各国を代表するヴァイブラフォン奏者の情報等
日本ヴァイブ協会[14] -日本国内のプロ/アマチュア・ヴィブラフォン奏者の情報、自主イベント開催等
[隠す]表・話・編・歴オーケストラの楽器

木管楽器 ピッコロ - フルート(アルト - バス) / オーボエ - コーラングレ(イングリッシュ・ホルン) - オーボエダモーレ - バリトンオーボエ
ソプラニーノクラリネット - クラリネット - バスクラリネット
ファゴット - コントラファゴット / サクソフォーン

金管楽器 ホルン - トランペット(ピッコロ - アルト - バス) - トロンボーン(アルト - テナー - バス)
コルネット - ワグナーチューバ - ユーフォニアム - チューバ

打楽器 ティンパニ / グロッケンシュピール - ヴィブラフォン - アンティークシンバル - シロフォン - マリンバ
バスドラム - スネアドラム - シンバル - タムタム(銅鑼) - トムトム - トライアングル - スレイベル - タンバリン / チューブラーベル

鍵盤楽器 ピアノ - チェレスタ - チェンバロ - アコーディオン - ハーモニウム - オルガン

弦楽器 第1・第2ヴァイオリン - ヴィオラ - チェロ - コントラバス / ハープ

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カテゴリ: 打楽器 | 鐘

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4月20日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/4%E6%9C%8820%E6%97%A5

できごと
1871年(明治4年3月1日) - 東京・京都・大阪に郵便役所を設置し業務を開始(郵政記念日)

1906年 - 鉄道国有法施行

1914年 - 朝日新聞で、夏目漱石の小説『心 先生の遺書』
(後に『こゝろ』に改題)が連載開始。8月11日まで。

1927年(昭和2年) - 日本で田中義一が第26代内閣総理大臣に就任し、田中義一内閣が発足。

1947年 - 第1回参議院議員通常選挙(初の参議院選挙)

1948年 - 第1回中華民国総統選挙

1951年 - 聖教新聞創刊

1954年 - 第1回全日本自動車ショウが開催される

1965年 - 青年海外協力隊の事務局が創設される(青年海外協力隊の日)

1971年 - 常磐線綾瀬 - 我孫子間複々線化完成。
同時に天王台駅開業、北柏駅旅客営業開始、上野 - 取手間の快速線に快速電車を新設、
緩行線(各駅停車)は帝都高速度交通営団千代田線
(営団地下鉄/現・東京地下鉄)と相互直通運転開始
(開始当時は霞ケ関駅まで、程なく代々木公園駅まで。

1974年 - 東京国立博物館でモナ・リザの公開が始まる

1978年 - 大韓航空機銃撃事件

1982年 - 福岡市地下鉄空港線延長部(天神駅 - 中洲川端駅間)開業

1982年 - 福岡市地下鉄箱崎線(中洲川端駅 - 呉服町駅間)開業

1989年 - 朝日新聞で沖縄の珊瑚への落書きが報道される。
のち、報道した記者自身が傷付けたと分かり大きな不祥事に発展、朝日珊瑚事件と呼ばれる。

1992年 - セビリア万博が開幕

1993年 - 米国の4人組ポップ・グループ、バックストリート・ボーイズが結成される。

1999年 - 米、コロラド州ジェファーソン郡のコロンバイン高校で銃乱射事件が起きる。
(コロンバイン高校銃乱射事件)

2000年 - 都営地下鉄12号線(新宿駅 - 国立競技場駅間)開業。
同時に路線名を大江戸線に改称する

2005年 - 福岡県西方沖地震の余震。福岡市で震度5強を観測し、再び被害。

誕生日
1586年 - リマのローザ、カトリック教会の聖人(+ 1617年)

1633年(寛永10年3月12日) - 後光明天皇、第110代天皇(+ 1654年)

1805年 - フランツ・ヴィンターハルター、画家(+ 1873年)

1808年 - ナポレオン3世、フランス皇帝(+ 1873年)

1851年 - トム・モーリス・ジュニア、ゴルファー(+ 1875年)

1860年 - ルートビッヒ・ガッターマン、 化学者(+ 1920年)

1868年 - シャルル・モーラス、アクション・フランセーズ主催者(+ 1952年)

1881年(ユリウス暦4月8日) - ニコライ・ミャスコフスキー、作曲家(+ 1950年)

1889年 - アドルフ・ヒトラー、ナチス・ドイツの総統(+ 1945年)

1893年 - ハロルド・ロイド、俳優(+ 1971年)

1893年 - ジョアン・ミロ(ホアン・ミロ)、画家(+ 1983年)

1908年 - ライオネル・ハンプトン、ジャズ・ヴィブラフォン奏者(+ 2002年)

1921年 - 犬養道子、評論家

1925年 - 八木治郎、アナウンサー(+ 1983年)

1927年 - 塚本三郎、政治家

1927年 - フィル・ヒル、F1レーサー

1928年 - ロバート・バーン、チェスプレーヤー

1930年 - 岩本尭、プロ野球選手

1931年 - 前田愛 (文芸評論家)(+ 1987年)

1931年 - カールトン半田、プロ野球選手

1931年 - 戸塚睦夫、俳優(+ 1973年)

1935年 - 中江真司、声優・ナレーター(+ 2007年)

1940年 - 川嶋辰彦、経済学者、文仁親王妃紀子の父

1941年 - ライアン・オニール、俳優

1944年 - 丹羽雄哉、政治家

1946年 - サンドロ・キア、画家・彫刻家

1948年 - 北岡伸一、政治学者

1948年 - 成重春生、プロ野球選手

1949年 - 松原秀行、小説家・随筆家

1952年 - 神田紅、講談師
1956年 - 森裕子、政治家
1958年 - 江崎洋一郎、政治家
1959年 - 片山まさゆき、漫画家
1959年 - クリストファー・ネメス、ファッションデザイナー
1960年 - 川原由美子、漫画家
1961年 - ドン・マッティングリー、メジャーリーガー
1961年 - 阿部慶二、プロ野球選手
1962年 - 金城博和、プロ野球選手
1964年 - ジミー・ジョーンズ、プロ野球選手
1964年 - ロザリン・サムナーズ、フィギュアスケート選手
1965年 - 吉井理人、プロ野球選手・プロ野球コーチ
1966年 - 乱橋幸仁、プロ野球選手
1967年 - 倉沢淳美、タレント
1968年 - 紀里谷和明、写真家、映画監督
1968年 - 西川忠志、俳優
1969年 - 大沢樹生、俳優
1971年 - 坂本一生、タレント
1971年 - 山田和幸、プロ野球選手
1971年 - 鈴木孝志、調教師
1972年 - 小梅太夫、お笑いタレント
1972年 - イリーナ・ロマノワ、フィギュアスケート選手
1974年 - 大山由里香、プロボウラー
1974年 - 保坂俊彦、彫刻家
1974年 - エリザベータ・ステコルニコワ、フィギュアスケート選手
1976年 - 宇治原史規(ロザン)、お笑いタレント
1976年 - 五島裕二、プロ野球選手
1976年 - シェイ・ギブン、サッカー選手
1976年 - 安永聡太郎、サッカー選手
1976年 - 西本理一、声優
1977年 - 野村浩二、お笑いタレント、江戸むらさき
1977年 - 阿部浩貴、お笑いタレント、アップダウン
1977年 - HIRO、お笑いタレント・大相撲力士
1977年 - 月亭八光、落語家・タレント
1977年 - リサ・アーバイン、フィギュアスケート選手・審判
1978年 - 小尾昌也、俳優
1978年 - 黒田美礼、タレント
1978年 - 梶原康司、プロ野球選手
1979年 - 白田信幸、フードファイター
1979年 - 佐伯亮、野球選手
1981年 - 村山千代、新潟総合テレビアナウンサー
1982年 - 神谷涼、女優・アイドル
1982年 - 石橋尚登、プロ野球選手
1983年 - 後藤美菜子、秋田テレビアナウンサー
1984年 - タイソン・グリフィン、総合格闘家
1985年 - 篠田純平、プロ野球選手
1990年 - 小田ひとみ、グラビアアイドル
1991年 - 野中美郷、AKB48
生年不明 - 島みやえい子、歌手
生年不明 - 吉岡小鼓音、女優

忌日
1284年(弘安7年4月4日) - 北条時宗、鎌倉幕府第8代執権(* 1251年)

1786年 - ジョン・グッドリック、天文学者(* 1764年)

1812年 - ジョージ・クリントン、軍人・政治家(* 1739年)

1885年 - グスタフ・ナハティガル、探検家(* 1823年)

1898年 - 伊集院兼寛、子爵(* 1838年)

1918年 - フェルディナント・ブラウン、物理学者(* 1850年)

1920年 - シュリニヴァーサ・ラマヌジャン、数学者(* 1887年)

1932年 - ジュゼッペ・ペアノ、数学者・ペアノの公理を定義(* 1858年)

1933年 - 馬越恭平、実業家(* 1844年)

1948年 - 米内光政、第37代内閣総理大臣(* 1880年)

1951年 - 前田夕暮、歌人(* 1883年)

1955年 - 下村湖人、小説家(* 1884年)

1965年 - 三島通陽、小説家・劇作家・政治家(* 1897年)

1971年 - 内田百間(内田百閒)、小説家(* 1889年)

1991年 - ドン・シーゲル、映画監督(* 1912年)

1991年 - 海老原博幸、プロボクサー(* 1940年)

1996年 - クリストファー・ロビン・ミルン、
『クマのプーさん』のクリストファー・ロビンのモデルとなった
A・A・ミルンの息子(* 1920年)

1998年 - 稲葉義男、俳優(* 1920年)

2000年 - 東由多加、劇作家(* 1945年)

2001年 - ジュゼッペ・シノーポリ、指揮者(* 1946年)

2003年 - 加藤大治郎、2輪レーサー(* 1976年)

2004年 - 竹内均、地球物理学者(* 1920年)

2004年 - 石川緑、プロ野球選手(* 1934年)

2005年 - 丹羽文雄、小説家(* 1904年)

2005年 - 岡本敏子、作家、岡本太郎の養女(* 1926年)

記念日・年中行事
穀雨(日本、2002年・2003年・2004年・2005年)
二十四節気の1つ。太陽の黄経が30度の時で、田畑の準備が整い、
それに合わせて春の雨の降るころ。

郵政記念日(旧・逓信記念日)
青年海外協力隊の日
1965年のこの日に青年海外協力隊が発足したことに因む。

女子大の日
1901年のこの日、日本初の女子大学である
日本女子大学校(現在の日本女子大学)が開校したことに因む。

古川祭(飛騨古川起し太鼓)
岐阜県飛騨市で行われる例祭。日本三大裸祭りの一つに数えられる。

木蓮忌(百閒忌、百鬼園忌)
内田百閒の忌日。東京都中野区金剛寺にある木蓮を詠んだ句碑から木蓮忌とも呼ばれる。