東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年4月30日(木曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年4月30日(木曜日)

「春」です。

「春」の「4月」と「5月」

になりました。

まばゆいほど。

ことばでは。

いいつくせないほどに。

まぶしくて。

ありがたくくやさしい。

「春」の陽射しです。

しあわせいろの。

とても。

とてもあかるい陽射しです。

「5月まぢか」の。

「朝」の陽射しの「あかるさ」は。

たとえようもありません。

春朝日

緑木枝間に

われを見る

まばゆく輝く

眼(まなこ)なりけり

はるあさひ

みどりきえたまに

われをみる

まばゆくかかやく

まなこなりけり

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

「春」になりました。

今年も春がきました。

「春」がきて。

今は。

「春」はふうせんのように。

ふくらみ。

ひろがってゆく季節です。

「5月」です。

ひなまつりはおわり。

野には。

たんぽぽが咲き。

すみれが咲き。

よもぎや。

すぎながいっぱいになりました。

「春」になり「川の水音」が。

やっと。

「せせらぎ」の。

「みずのながれのおと」に。

きこえるようになりました。

「春」の小川。

「さらさら」ながれる。

はるのおがわ。

高さも低さも見えないのに。

ながれる水の流れ。

とても感銘致します。

春分の日もすぎれば。
「さくら」咲きはじめ
「さくら」がおわり。
「4月」が終われば。
「5月」になり。
「5月」もおわれば。
6月に。「夏」になり。
6月も終われば。
7月 たなばた。
7月 もおわれば。
せみのなく8月。
8月の夏はすぎれば。
9月の秋になり秋の虫が鳴く。
そして9月がおわり。
中秋10月なり紅葉の季節。
そして10月がおわり。
「11月」になり。
晩秋「11月」もおわり12月の「冬」。
「12月」になればまた「年」があけ。
また「初春」がくる。

そして来年も「春」の「3月」がきて。
そして「4月」。
そして「5月」がくる。

もう「はる」の「5月」です。

「晩冬」の冬はおわりました。

「雪国の冬」はおわりました。

そして「12月」の冬至を。

すぎて「陽」はもうすでに

日々とてもたかくなりつつあります。

「春」がきて。

今は「夏」に向かう「春」です。

「春」です。

「昨年」12月の冬至は

おわりました。

「夏」の「6月」までひと月。

陽は日々たかくなっている。

とてもよくわかります。

朝陽ののぼるのが早くなりました。

夕陽がおりるのは遅くなりました。

朝の「春」の陽射しは窓越しにも「まばゆい」

くらいです。

夕暮れの「春」の陽射しは「きかんぼう」

の「やんちゃぼうず」のようです。

なにかおちつきません。

まことに。

冬来たりなば春遠からじ。

ふゆきたりなば

はるとおからじ

(出 典は。

 イギリスの詩人シェリー*の

『西風に寄せる歌』の一節。

英 語の原文: 

If winter comes,

can spring be far behind? )

「英国:United Kingdom UK」のロマン派の
詩人は。「御自分」のテーマの「鳥」を
紋章のようにもっています。
英国ロマン派の詩人は、
それぞれ愛好し、崇拝する鳥を持っていました。
パーシー・シェリーは「雲雀」(ひばり)の声に魅惑され、
ひばりを主題とした詩を書いています。

またジョン・キーツは、
「夜鶯」(ほととぎす)の神秘的な声に魅惑され。
夜の闇に響くその歌声を主題に詩を書いています。

ワーズワースにとって、詩の霊感をもたらし、
彼に生きることの喜びを教えてくれる鳥は、
「郭公」(かっこう)でした。

「秋」から「冬」への

移り変わりは

二階から。

「かけあし」の足音のきこえる。

怒涛のごとき「はやさ」でした。

二階から。

「かけあし」の足音のきこえる。

「かけあし」10人分

の「足音」のようでした。

「9月」の初秋がおわり。
「名月中秋10月もおわり」ました。
「11月」。

「11月」もおわりました。
「12月」もおわりました。
「新年」「初春」の「1月」もおわり。
今は
「2月」「晩冬」もおわりました。

「晩秋」から「冬」への移り変わりは

「かけあし」のようにうつろいました。

一方

「春」はゆっくりと。

ゆっくりと。

ゆっくりと。あるいて来ます。

そしてゆっくりと。

あるいて行きます。

だから。

「春」をまつのであれば。

「春」がゆっくりと。

歩いてくるのをまたなければ。

なりません。

「夏」がくるのをまつのであれば。

「春」がゆっくりと。

歩いていくのをまたねば。

なりません。

もう「春」ですね。

「冬」はかけあしでやってくる。

「春」はゆっくりと歩いてやってくる。

さきのことすぎるかもしれないが「来年」。

このように「時」のうつろいを

心はせれば。

考えると「おそろしいもの」です。

考えなければ。
「なおおおそろしい」
ものであるものかもしれない。

「考えずにいるつけ」がまわって
くるからかもしれません。

「来年」のことを考えれば「鬼」が笑う。
「来年」のことを考えずにすむのであれば「鬼」は
笑わないのでしょう。
「鬼」とはなんだろう。

今日の深夜早朝03:15amには。

久方ぶりに。

大きな「春」の「星空」がみえました。

早朝くらいうちは。

空に月。

「お月様」が「「冬」雲のじゅうたん」

天高くにねそべって。

かさををさしている

ようです。

「春」の「夜空」の。

「おぼろ月夜」です。

04:00amころ日があければ。
まだまだくらい朝日を背に。
西のコバルトの空高く明るい。
とても高い成層圏近くの高い高度に。

西のコバルトの空高に。
「刷毛」でひいたように「絹雲(けんうん)」が
何本も何本も。
描かれて。
たなびいていました。

実に見事な筆捌(ふでさばき)です。
ためらいのない「朝焼け」
「春」の「朝焼け色」の線描です。

「春」の朝。

「陽射し」ののぼるころは。

「西」の空

のほうが明るいのです。

朝が明けて午前になれば。

まばゆいほどの。

「春」のひざしが。

陽がのぼる。

東から。

窓のカーテンと。

木々の合間をぬって。

「さあ 外にでて!」

とさそうがごとく。

よびかけてくるようです。

高い成層圏近くの高い高度に。
「刷毛でひいたように」「絹雲(けんうん)」
の端には渦巻きのような「ぬけあな」があり
「さらなる遠方の青空」が透けてみえます。

さながらにして。
東山魁夷画伯の描かれた大きな壁画。
大きな屏風絵の世界。

東山魁夷画伯の描かれた大きな絵画を
彷彿とさせますです。

東山魁夷画伯。
「よくえがかけた画伯です」。

この「あおぞら」をみていると。

陽のひかりをみていると。

とても

信じられないくらいに。

元気がわいてくることに。

気が付きました。

「太陽」の「陽射し」。

「陽」の「めぐみ」は。

なんと。

ありがたいことだろう。

なんと尊いことだろう。

そら一杯の青空の

天井(てんじょう)と。

「太陽のひかりのひざし」は。

「生きとし生けるもの」にとって。

なによりもの。

まことの。

「めぐみ」なのであり。

それを戴けるのは。

「よろこび」ふかきことです。

「太陽のひかりのひざし」は

「いのちへのめぐみ」。

「いのちのよろこび」。

ありとあらゆる「生命」「いのち」をはぐくみ。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をたたえる。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をなぐさめる。

「生きとし生けるもの」の「いのち」に。
さらなる。
「はるかかなた」までの。
「いきるちから」をさずけるものです。
「太陽」。
ありがたいものです。

はやいものです。
ときのたつのは。
はやいものです。

そしてふと考えれば

去年も
「12か月」が
終わりました。

中秋から晩秋にうつろい。
いまや
「寒月」の「12月」がおわり。
新年の「1月」がおわり。
「晩冬」の「2月」がおわり。
「初春」の「3月」「4月」がおわり。

「春「5月」です。

病院の庭園に「何本」もある
「春の花」の大木が。
いずれもが紅白の花を

緑野に見え隠れする蓮華草
のように。

みのらせています。

「春の花」は。
「はつはな」で初々しいです。
けれども。
「春の花」は。

は雨に打たれると。
花は地面に紅白の毛氈(もうせん)
のように落花してしまいます。

くれない色としろ色の雪のようです。

「春の花」の花の花びら。

ひろって。
手のひらにかかげれば。
「春の花」の花のかおりは。
プラチナ色の香りが
致しました。

今は。
「春の花」が。
蕾をふくらませています。
「春の花」の。

はながは鐘(ベル)のように。
ふくらんでいます。

「春」の花の「はなびら」が。

闇夜のあいだに。

朝の早朝まだ。

「花」にもきがつかぬうちに

また地に舞い下りています。

「春の花」の花ひとつさいて。

夜の「春吹雪:はるふぶき」で。

ちったようです。

みつめれば。

「春吹雪:はるふぶき」に。

弓射られた白鷺(しらさぎ)の羽が。

舞っているようでした。

寒い「春」も。

「昆虫」の少ない時期に。

「春の花」は。

は花をさかせ。

どのように授粉して。

「実る」のだろう。

「春の花」の花ひとつさいて。

夜の「春吹雪:はるふぶき」で。

ちる。

「春の花」は。

「花」はすぐに

落下する。

このあたりに。

「春の花」

には。

ひとのよの。

「人生」の。

「解答」があるような

気が致します。

ふと野の花は。

一般的には。

香らない花が。

多いことに気づきました。

伊藤左千夫の「野菊の墓」の「野菊」は。
矢車菊 (やぐるまぎく)
はとても綺麗なむらさきの「のぎく」です。
けれども「のぎく」は香りません。
(Corn lower, Bachelor's-button)です。

因みに
最高級の(今はもうとれない)
インド・カシミール地方で産出されたの
サフアイアの色は

「矢車菊色:やぐるまそう色」といわれます。

「カシミール・ヴァイオレット」。

麦畑やとうもろこし畑の中に 咲いていたことから。
「コーン・フラワー」=「野菊」(Corn lower)
です。

別名 「矢車草(やぐるまそう)」
といわれることがあります。

実は「矢車菊 (やぐるまぎく)」と
「矢車草(やぐるまそう)」まったく違う植物です。
矢車菊 (やぐるまぎく)が「野菊」。
「矢車草(やぐるまそう)」は「高山植物」。

「野菊」は春から夏にかけて咲くむらさきの花です。

古代エジプトのツタンカーメン王の墓 からも
発見された由緒正しき「野菊」。
色は紫。むらさきです。

ツタンカーメン王の。

まだ幼な子王妃が。

「亡きツタンカーメンンに野菊の花束ささげるけなげな姿」
が鮮烈に眼に浮かびます。

この「花」が。

「野菊」です。

「野菊の墓」の「野菊」。

けれども。

「野菊」は

香らない。

毎朝暗い早朝と。

うす暗くなる午後4時ころには。

「春吹雪:はるふぶき」が

ふいている。

「春吹雪:はるふぶき」がかわりばんこに。

あちこちで

「ろうろう」「こうこう」とないています。

「春かぜ」の
「春吹雪:はるふぶき」
の「コーラス」を聞いていると。

ふと。

「この「春」におびえるひと」の気配が
脳裏をはしりました。
はてだれだろう。

うら若き乙女。
貧しさに。
苦労に苦労をかさねて。
苦しんで苦しんだ苦しんだあげくに。
24歳にして世を去った
「樋口一葉」。

樋口一葉の
「うらわかき」「「冬」と「春」の短歌」がきこえるようです。

散たまるふもとの落葉わけて思ふ
埋もれぬべきは雪の山里<

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ
うもれぬへきはゆきのやまさと

庭の面につもる紅葉の色見れば
散りての後もにしきなりけり

にわのおもにつもるもみしのいろみれば
ちりてのあともにしきなりけり

世の中の秋にあはじとおくれけん
一もと野ぎく思ひあがりて

よのなかにあきにあはしとおくれけん
ひともとのきくおもひあがりて

折々に散るものどけし春雨の
はれたる軒の山桜ばな

おりおりにちるものどけしはるさめの
はれたるのきのやまさくらばな

わが園のものとおもへば初わかな
はつかなれども嬉しかりけり

わがそののものとおもへばはつわかな
はつかなれどもうれしかりけり

立ち渡る霞をみれば足引きの
山にも野にも春は来にけむ

たちわたるかすみをみれはあしひきの
やまにものにもはるはきにけむ

わたつ海の波のいづこに立ち初て
果なくつゝむ春の霞ぞ

わたつみのなみのいづこにたちそめて
はてなくつつむはるのかすみぞ

さざ波やしがの都のいにしへの
おもかげうすく立つ霞かな

ささなみやしかのみやこのいにしえの
おもかけうすくたつかすみかな

鶯のけさおとづるゝ声聞て
はじめて春の心地こそすれ

うくいすのけさおとつるるこへききて
はしめてはるのここちこそすれ

うれしくもわがものにして聞てけり
このあかつきの鶯の声

うれしきもわかものにしてきこへけり
このあかつきのうくいすのこへ

のどかなるけさの雨にやはるの野の
みどりも色まさるらむ

のとかなるけさのあめにや
はるののの
みとりのいろもまさるらむ

おくれたる友の為にとしをりして
谷間の蕨折り残しけり

おくれたるとものためにとしをりして
たのまのわらひおりのこしけり

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ

うもれぬへきはゆきのやまさと

にわのおもにつもるもみしのいろみれば

ちりてのあともにしきなりけり

よのなかにあきにあはしとおくれけん

ひともとのきくおもひあがりて

-------------------------------

おりおりにちるものどけしはるさめの

はれたるのきのやまさくらばな

わがそののものとおもへばはつわかな

はつかなれともうれしかりけり

たちわたるかすみをみれはあしひきの

やまにものにもはるはきにけむ

わたつみのなみのいづこにたちそめて

はてなくつつむはるのかすみぞ

ささなみやしかのみやこのいにしえの

おもかけうすくたつかすみかな

うくいすのけさおとつるるこへききて

はしめてはるのここちこそすれ

うれしきもわかものにしてきこへけり

このあかつきのうくいすのこへ

のとかなるけさのあめにや

はるののの

みとりのいろもまさるらむ

おくれたるとものためにとしをりして

たのまのわらひおりのこしけり

「24歳」の「とても貧しい乙女」の。

「春」によろこび。

「春」にもおびえおののく。

かなしさの。おもかげと。

光さす。輝きと。

いまだお若い「御婦人」の「知」「智」が。

「ひしひし」とよみとれます。

「冬至」はすでにすぎました

これからは日は。
陽は次第にながくなる。
日が長くなる。
朝は明けるのは早くなり。
夕に暗くなるのは遅くなる。

しだいに陽がながくなる。
なぜか。
不思議なやさしさ。
やすらぎと。
心やすらかなる
安堵感をかんじます。

心やすらかなる
安堵感をかんじます。

けれども。
「安堵」と「落胆」は。
常に表裏一体。
両羽(もろば)の剣。

「ぬかよろこび」の「ぬか」のような
ものです。

「ながくなる陽」も両羽(もろば)の剣を
持っています。

そして。
季節には「大気の音色(ねいろ)」もあるようです。

朝空は
陽ははるかに天高く。
空色はミルク色です。
クリームのかかった雲空です。

東京都世田谷区山本クリニックの庭園には

「えどむらさき」という「つつじ」
が「何本」もはえています。
野生種に近いものです。
大きな真紅紫の花を咲かせます。

「つつじ」ですから
盆栽の「皐月:さつき」のような
繊細さはみえません。

この「4月」になり。
森山を分け入ると。

木々の根元に隠れ咲く。
だいだい色の花の花のごとくに紅葉したまま
しもがれする
「やまはぜの葉木」が「大好き」です。

「やまうるしの紅葉」もかわいらしく。
「大好き」です。

身の丈以上ほどにもなって群生する。
野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
が。
病院の林の一角に野生のまま
おいしげっています。

野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
のパープルの真珠が群れたように実る
「実りの木の実」の風にそよぐ音色には。
おどろかされます。

あけびつたもうれしい。
あけびの「実」がみつかればなおなおうれしい。

またたびをみつけました。
根元にねこにかじられきずがある。

里山の冬の時期から。
そして初春の里山の季節
になりました。

四季の歩みの春夏秋冬のうつろいは
メトロノームの「あゆみ」を
感じさせます。

この「あゆみ」の「質量」は
とてもとても高いです。
質量があれば。あたかも。
重力のように。
四季のリズムにひきよせられていく。
そのような感じがします。

四季の歩みの春夏秋冬は。
フアジーでいてなお着々。
確実な「リズム」を感じます。

ここに。
「メロディ:旋律」とハーモニー:和声」
がくわわれば「音楽の三要素」。
音楽と同じです。

草花や草木につつまれた自然は。
「音楽」と同じように
ひびきとして聴こえます。

自然は
「しぜん」の
「ヴィルトオーゾ」と
「ヴィルトゥオーサ(virtuosa)」
*です。

この「自然のフイルハーモニウム」の。
指揮者は。
太陽なのか大地なのか人なのか。

或は音色をかもし出す自然はオーケストラ
であるのか。
ソリストなのだろうか。

私の尊敬する「合衆国USA」の
女性で小説家(「ノーベル賞受賞者」)
「パール・サイデンストリッカー・バック
(Pearl Sydenstricker Buck)
中国名、賽珍珠(サィ・チンシュ)」
パールバックの「大地」に
その「こたえ」が示唆されています。

古代より芸術家が
自然を音楽や絵画や彫刻
で表現しようとした気持ちが良く判ります。

*ヴィルトゥオーソ(virtuoso)は、
「博識、達人」を意味するイタリア語の男性名詞である。
複数形の場合はヴィルトゥオーシ(virtuosi)
、女性形はヴィルトゥオーサ(virtuosa)となる。
ラテン語のvirtus(「男らしさ」「美徳」「至高」の意)を語源とし、元来は「有徳の」「誉められるべき」
を意味する形容詞の男性形であった。

実際の楽曲ではこの三要素は。
密接に音楽的に結びつきひとつの楽曲をなします。

但し音楽の「リズム・メロディ・ハーモニー」は
一つだけを明確に取り出せる「成分」というわけ
ではありません。

また「音楽であるため」に。
三要素が絶対必要ということ
でもないでしょう。

邦楽などではリズム・ハーモニーは
存在しないか希薄である事が多いです。
「音楽」として「欠陥」があるわけ
ではありません。

「リズム・メロディ・ハーモニー」
が西洋音楽の常識ではありえないほど
高度な進化を遂げた音楽も存在致します。

邦楽もその一つです。

大和の国 やまとのくにの自然は。
「大和の国の音楽」と同じように思えます。
聴こえます。

「音楽」は「音」「おと」です。
そして「しらべ」=メロディとハーモニーです。
人類が「この音楽」を「楽譜」として
「寸分たがわず」「譜面」という名の「紙」に
「かくことを完成させた」ということは
大変なことです。

人間は。
人類は。
わずか「400年」で。

「音楽の旋律」に対する「楽譜」を。
「あらたな言語」を
完全に「完成」させたことになります。

まさにミューズの神の「神業かみわざ」です。

木々のめぶきの
冬なおも。
ますます力強い息吹を感じます。

「真夏」をすぎ「冬」になると。
再び「若葉」がみられることに。
きづきました。
「ため息」がでるほど木々の「冬若葉」の
「つどい」は「つよく」「うつくしい」。
雪の上のみどり。

木々のてっぺんは萌黄色から
「ふかみどり」
になりました。
そして「しっかりと樹木として
「冬を迎えた葉束」になりました。
これからは
「深まる冬」がすぎさり「春」。
「開花」の炎が。
樹木の上方で。
「雪の到来」を.
くすぶりてまちわびてています。
たえしのぶ冬の樹木です。

「若葉」の「新緑」から「深緑」です。

高い木々の穂先は萌黄から若草色に。
うねるなみのように。
木々の新緑は常緑となり冬のおとずれを
伝えていました。

桜は葉桜から「葉木」
道路沿いの「けやき」の木々も
萌黄から若葉。
そして青葉。
どうもうともいえる青葉。
そして見え隠れする「紅葉葉」。
紅葉葉の10枚20枚がひとつひとつ
の樹木にみえるようになりました。
「黄色調」です。
そして今「樹木」は「葉のいろ」をかえ
「宙」に舞おうとしています。

明らかなる。
「冬から春」とはことなる。
「夏から秋」。
「秋から冬」
そして「冬」の「木枯らし」。

木々の四季の。
大気の「色」のうつろい
に気づきます。

今は里山(さとやま)をさまよい。
今は里山(さとやま)をあるきたい。
今は里山(さとやま)の季節。
今は昔々里山(さとやま)であそび。
今は昔々て里山(さとやま)でおぼえ。
今は昔々里山(さとやま)でまなんだ。
今は昔々のその日々の思い出は。
今は黄金(こがね)か。あるいは。
今は銀か。いぶし銀か。
今はもしかしたらプラチナか。
今は思い出色は鉛のように。
今は重さは鉛のようになり。
今は心の奥深くに埋もれて感じられます。

「幸せ色」=「しあわせいろ」

ならばよいです。

けれども
早朝は非常にあたたかくなりました。

春やま中さまよいて
春やま中をわけいらば
春やま中大樹の根元に隠れたり
春やま中あけぼの色のちひさき炎(ほのほ)
春やま中みつけたりやまの秋の華。
春やま中やまの秋葉木のかくれんぼ
春やま中大樹の根元に隠れたり
春山はぜの葉木。
春やま中やまうるしの葉木。
春やま中あきやまはぜとふるやまうるし。
春こす「はだか木」。
春こす元気な木。たくましき木。

春山萩(やまはぎ)の
春花をかくして燃えたたむ
春に実りの祭りなり
春山はぜの葉炎
春天高く燃ゆ

はるやまはぎの
はるはなをかくしてもえたたむ
はるにみのりのまつりなり
はるやまはせのほのほ
はるてんたかくもゆ

はるひろくなりけり空(そら)たかし
はるさとやまに木々のみどり木
はるこもれびうけて燃えるがごとし
はるみどりの炎(ほのほ)
はるほのほうちけさむかすみはあおし
はるほのほにかすみにただよひて
はるうるわしくかがやきたり
はるあたたかくかおりたり
はるあざやかなりけり 
はるやまさとのやまみどり
はるやまさとのふかみどり

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
は「英国:United Kingdom UK」の
「風景画家」
天才画家ですが「緑」が大嫌い
で「黄色」が「大好き」。
「木」をかくのを非常にいやがったそうです。

多分ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
が「修行時代」に「お金にために
「どこの国も同じですが」
「名所絵」をかかされたときの
「反動」ではないかと
今の私は考えます。

「大きな夏みつけた」

から

「夏がすぎてて真秋間近い」

「小さな秋みつけた・。」

そして

「小さな冬みつけた」

そして

「大きな冬みつけた」。

そして

「小さい春」がみつかって。

しだいにおおきな。

「春」になりました。

「夏」もちかづく「八十八夜」

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成21年01月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年2月11日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年3月20日(金曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

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平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

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★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらず
インフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。

「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。

どちらかといえば「easy」な楽曲ですが。
有名な「金と銀」の作曲家。

1905年「メリー・ウィドウ」で一躍人気作曲家
となった作曲家。
この「メリー・ウイドウ」がヒトラーが「大好き」
であったため夫人がユダヤ人であったが
ナチスからの迫害はまったくまぬがれた
作曲家。
「メロディ・メーカー」としては
一流で。
今現在でも「オペレッタ」のメロディは
よく演奏される作曲家。

メロディメーカーとしても天分にめぐまれ、
夢見るような旋律美は今なおドイツ語圏のみならず
世界中の歌劇場で愛されている作曲家。

1870年 - フランツ・レハール、作曲家(+ 1948年)
の生誕日です。

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フランツ・レハール:Franz Lehar,
1870年4月30日 - 1948年10月24日)は。

オーストリア=ハンガリー帝国に生まれました。

オーストリア、ドイツを中心に。
オペレッタの作曲により活躍した
作曲家です。

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フランツ・レハール:Franz Lehar
は。

ドイツ人を両親に。
ハンガリーのコマーロムに生まれました。
父フランツは元々スロヴァキアへの植民者
でしたが。

軍楽隊長として
帝国内の転勤族でありました。
母クリスティーネはハンガリーへの植民者でした。

フランツ・レハール:Franz Leharは。

プラハ音楽院でドヴォルザークらに学び。
軍楽隊長を経て。

ウィーンでオペレッタ作曲家としてデビュー致しました。

「銀の時代」とよばれたオペレッタの
第二黄金期を代表する作曲家となりました。

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フランツ・レハール:Franz Leharは。

1905年「メリー・ウィドウ」
で一躍人気作曲家となりました。

1909年発表の代表作
「ルクセンブルク伯爵」
はこれと系統を同じくする喜劇です。

その後徐々に作風を転換。
従来のオペレッタの喜劇一辺倒を脱しました。

ある程度の笑いをおりまぜつつも
基本はシリアスに展開する独自の形を確立していきました。

特に、1925年に初演された「パガニーニ」、
1927年の「ロシア皇太子」、
そして1929年の「微笑みの国」は。

これまでのオペレッタには無かった悲劇であり。
レハール独特のウィンナ・オペレッタ路線を
象徴する傑作です。

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フランツ・レハール:Franz Leharの。
この路線はウィーンでは必ずしも歓迎されませんでした。

上演拠点はベルリンに移されました。

1934年若き総監督クレメンス・クラウスから
依頼された初のウィーン国立歌劇場上演作品
「ジュディッタ」以後は筆を折りました。

これをもってウィンナ・オペレッタの
終焉と位置づける専門家も多いものです。

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フランツ・レハール:Franz Leharは。

夫人がユダヤ人であったにも拘らず
ナチスの庇護を受けました。
けれどもそのもとで新作を発表することはありませんでした。

レハールとナチスの関係
夫人がユダヤ人であるにも関わらず
ナチスの庇護を受けた理由は。
「メリー・ウィドウ」が。
ヒトラーの好きな作品であったためです。

レハールは「メリー・ウィドウ」のスコアを
ヒトラーに贈っておりました。

ここからもレハールとナチスとの関係がうかがえます。

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フランツ・レハール:Franz Leharの。
しかし、このナチスとの関係は。
レハールと彼の周囲の人々に
大きな不幸をもたらす事になりました。

「微笑みの国」の台本を担当し、
同作品中今もスタンダード・ナンバーとして愛され
る「君こそ我が心のすべて」を作詞した
ユダヤ人作家フリッツ・レーナー=ベーダは。

ナチスと親しいレハールを
頼る事で強制収容所送りを免れようとしました。

しかし、レハールはナチスに夫人のことを持ち出されて。
この件に口出しすることを禁じられました。

結果レーナー・ベーダは強制収容所に送られて
1944年死亡したとされています。

この一件以後レハールは
終戦まで沈黙を余儀なくされました。

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フランツ・レハール:Franz Lehar。

レハール自身は政治に関して
ほとんど無関心であったにも関わらず。

戦後レハールはこの一件によって
「ナチスへの協力者」として非難される事となりました。

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フランツ・レハール:Franz Leharの作品の特色

東欧植民ドイツ人の家に生まれ。
自身ハンガリーやチェコに長く住み。
晩年はベルリンを上演の拠点とした
レハールの作品は。

国際性が極めて豊かです。

特にバルカンを含めた東欧情緒は色濃いものです。

メロディメーカーとしても天分にめぐまれ。
夢見るような旋律美は今なおドイツ語圏のみならず
世界中の歌劇場で愛されています。

代表作に上記のほか、
オペレッタ「ルクセンブルク伯爵」、
ワルツ「金と銀」など。

ちなみに。
オペレッタの作品中演奏される歌の数々も。
今日でもヨーロッパのスタンダード・ナンバーとして残っており。
映画音楽として用いられる事もあります。

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例えば、「メリー・ウィドウ」では。
第2幕の「ヴィリアの歌」や
第3幕の二重唱「唇は黙し、ヴァイオリンは囁く」
(メリー・ウィドウ・ワルツ)などは。

ルキノ・ヴィスコンティの映画
「ベニスに死す」で主人公アッシェンバッハが
美少年タージオに出会う場面で使われています。

他にも「君こそ我が心のすべて」(「微笑みの国」)、
「ルクセンブルク伯爵」の「微笑みかける幸福」
なども有名です。
上記作品のほか。
「ウィーンの女たち」「ジプシーの恋」「エヴァ」」
「フリーデリケ」など、もっとも多くの作品が
上演・録音され続けているオペレッタ作家です。

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フランツ・レハール:Franz Leharの。

作品

オペレッタ

「メリー・ウィドウ」
「針金細工師」
「ルクセンブルグ伯爵」
「ジプシーの恋」
「エヴァ」
「天文学者」
「春」
「フリーデリケ」
「この世は美しい」
「パガニーニ」
「ロシアの皇太子」
「微笑みの国」
「ジュディッタ」

管弦楽
ワルツ「金と銀」
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フランツ・レハール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%84%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%AB

フランツ・レハール:Franz Lehar, 1870年4月30日 - 1948年10月24日)はオーストリア=ハンガリー帝国に生まれ、オーストリア、ドイツを中心にオペレッタの作曲により活躍した作曲家。

目次
1 生涯
2 レハールとナチスの関係
3 レハール作品の特色
4 作品
4.1 オペレッタ
4.2 管弦楽
5 注
6 関連項目

生涯
ドイツ人を両親にハンガリーのコマーロムに生まれる。父フランツは元々スロヴァキアへの植民者だが軍楽隊長として帝国内の転勤族、母クリスティーネはハンガリーへの植民者であった。プラハ音楽院でドヴォルザークらに学び、軍楽隊長を経てウィーンでオペレッタ作曲家としてデビュー。「銀の時代」とよばれたオペレッタの第二黄金期を代表する作曲家となる。

1905年「メリー・ウィドウ」で一躍人気作曲家となる。1909年発表の代表作「ルクセンブルク伯爵」はこれと系統を同じくする喜劇だが、その後徐々に作風を転換。従来のオペレッタの喜劇一辺倒を脱し、ある程度の笑いをおりまぜつつも基本はシリアスに展開する独自の形を確立していく。特に、1925年に初演された「パガニーニ」、1927年の「ロシア皇太子」、そして1929年の「微笑みの国」は、これまでのオペレッタには無かった悲劇であり、レハール独特のウィンナ・オペレッタ路線を象徴する傑作である。この路線はウィーンでは必ずしも歓迎されず、上演拠点はベルリンに移された。1934年若き総監督クレメンス・クラウスから依頼された初のウィーン国立歌劇場上演作品「ジュディッタ」以後は筆を折る。これをもってウィンナ・オペレッタの終焉と位置づける専門家も多い。

夫人がユダヤ人であったにも拘らずナチスの庇護を受けたが、そのもとで新作を発表することはなかった。

レハールとナチスの関係 [編集]
夫人がユダヤ人であるにも関わらずナチスの庇護を受けた理由は、「メリー・ウィドウ」がヒトラーの好きな作品であったためである。レハールは「メリー・ウィドウ」のスコアをヒトラーに贈っており[1]、ここからもレハールとナチスとの関係がうかがえる。しかし、このナチスとの関係は、レハールと彼の周囲の人々に大きな不幸をもたらす事になる。

「微笑みの国」の台本を担当し、同作品中今もスタンダード・ナンバーとして愛される「君こそ我が心のすべて」を作詞したユダヤ人作家フリッツ・レーナー=ベーダは、ナチスと親しいレハールを頼る事で強制収容所送りを免れようとした。しかし、レハールはナチスに夫人のことを持ち出されて、この件に口出しすることを禁じられ、結果レーナー・ベーダは強制収容所に送られて1944年死亡したとされている[1]。この一件以後レハールは終戦まで沈黙を余儀なくされた。レハール自身は政治に関してほとんど無関心であったにも関わらず、戦後レハールはこの一件によって「ナチスへの協力者」として非難される事となった。

レハール作品の特色

1912年、仕事場でのレハール東欧植民ドイツ人の家に生まれ、自身ハンガリーやチェコに長く住み、晩年はベルリンを上演の拠点としたレハールの作品は国際性豊かである。特にバルカンを含めた東欧情緒は色濃い。メロディメーカーとしても天分にめぐまれ、夢見るような旋律美は今なおドイツ語圏のみならず世界中の歌劇場で愛されている。代表作に上記のほか、オペレッタ「ルクセンブルク伯爵」、ワルツ「金と銀」など。ちなみに、オペレッタの作品中演奏される歌の数々も、今日でもヨーロッパのスタンダード・ナンバーとして残っており、映画音楽として用いられる事もある。

例えば、「メリー・ウィドウ」では、第2幕の「ヴィリアの歌」や第3幕の二重唱「唇は黙し、ヴァイオリンは囁く」(メリー・ウィドウ・ワルツ)などは、ルキノ・ヴィスコンティの映画「ベニスに死す」で主人公アッシェンバッハが美少年タージオに出会う場面で使われている。他にも「君こそ我が心のすべて」(「微笑みの国」)、「ルクセンブルク伯爵」の「微笑みかける幸福」なども有名である。上記作品のほか、「ウィーンの女たち」「ジプシーの恋」「エヴァ」」「フリーデリケ」など、もっとも多くの作品が上演・録音され続けているオペレッタ作家である。

作品

オペレッタ [編集]
「メリー・ウィドウ」
「針金細工師」
「ルクセンブルグ伯爵」
「ジプシーの恋」
「エヴァ」
「天文学者」
「春」
「フリーデリケ」
「この世は美しい」
「パガニーニ」
「ロシアの皇太子」
「微笑みの国」
「ジュディッタ」

管弦楽
ワルツ「金と銀」

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++
4月30日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/4%E6%9C%8830%E6%97%A5

できごと
313年 - ローマ皇帝リキニウス、ローマ帝国東側を統一

1483年 - 軌道の計算から、この日に、
冥王星が1503年7月23日まで海王星の軌道へいりこんだことが示唆

1789年 - ジョージ・ワシントンが初代アメリカ合衆国大統領に就任。

1803年 - アメリカ合衆国がフランスからルイジアナを買収する。

1863年 - メキシコの軍隊、カマール大農場で、フランス外人部隊を攻撃

1888年(明治21年) - 日本で黒田清隆が第2代内閣総理大臣に就任し、黒田内閣が発足。

1898年 - 函館近くの湯ノ川村に日本初の女子修道院・トラピスチヌ修道院が設立される。

1900年 - アメリカ合衆国がハワイ王国を併合。

1900年 - 神戸の観艦式で初めて『軍艦マーチ』が演奏される。

1916年 - ドイツで、世界で初めて夏時間が実施された。

1919年 - パリ講和会議で旧ドイツ権益の山東省と膠州湾租借地の日本側譲渡を決定。

1927年 - 連邦主義女性工業研究所、
アメリカ合衆国初の女性用連邦刑務所として、オルダースンで開所

1939年 - ニューヨーク・ヤンキースのルー・ゲーリック選手が2130試合連続出場記録を達成。

1939年 - ニューヨーク万国博覧会開幕。

1942年 - 第21回衆議院議員総選挙(翼賛選挙)の投票日

1945年 - 前日結婚したアドルフ・ヒトラーとエヴァ・ブラウンが自殺。

1945年 - ヒトラーの「政治的遺言」により
ドイツ大統領にカール・デーニッツ、首相にヨーゼフ・ゲッベルスがそれぞれ就任。

1946年 - 経済同友会の設立総会

1947年 - 日本で「国会法」公布

1947年 - ネバダ州で、ボールダーダム、フーバーダムと公式に再改名

1948年 - 南北アメリカの21か国がコロンビアの首都ボゴタで米州機構憲章に調印。

1950年 - 日本で「図書館法」公布
1959年 - 高宮行男、予備校の不二学院・文理予備校を代々木ゼミナールに改称。
1960年 - ソニーが世界初のトランジスタテレビを発売。
1975年 - 南ベトナムの首都サイゴンに南ベトナム解放民族戦線が突入、
ズオン・バン・ミン大統領が無条件降伏を発表。ベトナム戦争が終結。

1980年 - オランダでベアトリクス女王が即位。
1980年 - イギリスでイラン大使館占拠事件発生。
1982年 - 国連海洋法会議で「海洋法に関する国際連合条約」
(国連海洋法条約)を採択(領海12海里以内が確立)
1995年 - 日本産トキの最後の雄・ミドリが死去。
1995年 - ビル・クリントン米大統領、現職米大統領として初の北アイルランド訪問。
2002年 - パキスタンでの国民投票、ペルベズ・ムシャラフの国家主席職5年延長を
圧倒的多数で承認

誕生日
1623年 - フラノス・デ・ラヴァル、ニューフランス初の司教(+ 1708年)

1651年 - ジャン=バティスト・ド・ラ・サール、宗教家・教育者(+ 1719年)

1662年 - メアリー2世、イングランド女王(+ 1694年)

1721年 - ロゲル・シャーマン、アメリカ独立宣言の署名者(+ 1793年)

1769年 - ウェリントン公アーサー・ウェルズリー、軍人・政治家(+ 1852年)

1777年 - カール・フリードリヒ・ガウス、数学者・天文学者・物理学者(+ 1855年)

1829年 - ホクステッテル士フェルディナンド(+ 1884年)

1839年(天保10年3月17日) - 月岡芳年、浮世絵師(+ 1892年)

1870年 - フランツ・レハール、作曲家(+ 1948年)

1883年 - ヤロスラフ・ハシェク、小説家(+ 1923年)

1888年 - デビッド・ジェイコブズ、陸上競技選手(+ 1976年)

1893年 - ヨアヒム・フォン・リッベントロップ、ナチス・ドイツ外務相(+ 1946年)

1901年 - 有田喜一、政治家(+ 1986年)

1902年 - セオドア・シュルツ、アメリカの経済学者、ノーベル賞受賞者(+ 1998年)

1904年 - 任弼時、中華人民共和国の政治家(+ 1950年)

1916年 - クロード・シャノン、数学者(+ 2001年)

1916年 - ロバート・ショー、アメリカのコンダクター(+ 1999年)

1923年 - 鏡里喜代治、大相撲第42代横綱(+ 2004年)

1926年 - クロリス・リーチマン、アメリカの女優

1927年 - 綿貫民輔、国民新党代表

1936年 - 亀井善之、政治家(+ 2006年)

1938年 - ラリー・ニーヴン、SF作家

1940年 - ツルネン・マルテイ、政治家

1941年 - ジョニー・ファリーナ、アメリカのギタリスト

1941年 - 織田光正、プロ野球選手

1946年 - カール16世グスタフ、スウェーデン国王

1949年 - 杉本真人、作曲家

1949年 - アントニオ・グテレス、ポルトガル首相

1953年 - Mr.オクレ、タレント
1954年 - ジェーン・カンピオン、映画監督
1954年 - 釘谷肇、プロ野球選手
1956年 - セルゲイ・シャフライ、政治家
1956年 - ラース・フォン・トリアー、映画監督
1957年 - 日向薫、女優
1958年 - 沼澤茂美、天体写真家・天文イラストレーター
1959年 - 久美沙織、小説家
1959年 - 杉田敦、政治学者
1959年 - スティーブン・ハーパー、カナダの首相
1961年 - アイザイア・トーマス、バスケットボール選手
1962年 - 清田益章、超能力者
1962年 - 前原誠司、政治家
1962年 - 山下正人、ボクシングのトレーナー・警察官
1963年 - 石井かおる、アナウンサー
1964年 - 渡辺美佐、声優
1964年 - イアン・ヒーリー、クリケット選手
1968年 - 佐野重樹、プロ野球選手
1968年 - 川邉忠義、プロ野球選手
1969年 - 上田浩明、プロ野球選手
1969年 - 金田政彦、プロ野球選手
1969年 - 城友博、プロ野球選手
1971年 - 北原泰二、プロ野球選手
1971年 - ジョン・ボイン、アイルランドの小説家
1972年 - 川村丈夫、プロ野球選手
1972年 - 常盤貴子、女優
1972年 - 村野日南、フリーアナウンサー
1972年 - 内之倉隆志、プロ野球選手
1972年 - 森島寛晃、サッカー選手
1974年 - 富澤たけし、お笑い芸人サンドウィッチマンのメンバー
1977年 - 江尻慎太郎、プロ野球選手
1978年 - 神田大介、プロ野球選手
1979年 - 鈴木芳彦、アナウンサー
1980年 - ATSUSHI、ミュージシャン(EXILE)
1980年 - navi、ミュージシャン(GReeeeN)
1981年 - 田丸愛、ストリッパー・AV女優
1982年 - キルスティン・ダンスト、女優
1982年 - ロイド・バンクス、アメリカのラッパー
1982年 - 宮下ともみ、女優
1983年 - 虎谷温子、ytvアナウンサー
1983年 - 小斉祐輔、プロ野球選手
1983年 - CLASSY(GOLLBETTY)、ミュージシャン
1986年 - タイナカサチ、シンガーソングライター
1986年 - 中村昌也、俳優D-BOYSメンバー
1987年 - 大嶋和也、レーシングドライバー
1988年 - 渡部瑞貴、女優
1988年 - 佐野克彦、サッカー選手
1990年 - 近田怜王、プロ野球選手
1990年 - 飯沼友里奈、元AKB48
1990年 - 柳英里紗、女優
1991年 - 仙石みなみ、音楽ガッタス・ハロプロエッグ
1992年 - 佐藤聖羅、SKE48
2000年 - アドマイヤグルーヴ、競走馬
生年不明 - 狩姦、ギタリスト(陰陽座)

忌日
65年 - ルカヌス、ローマの詩人(* 39年)

1383年(弘和3年/永徳3年3月27日) - 懐良親王、皇族(* 1329年)

1481年(文明13年4月2日) - 一条兼良、公卿、歌人(* 1402年)

1544年 - 初世ウォールデン男トーマス・オードリー、イングランドの大法官

1548年(天文17年3月22日) - 朝倉孝景、戦国時代の大名(戦国大名)(* 1493年)

1645年(正保2年4月5日) - 前田光高、加賀藩第4代藩主(* 1615年または1624年)

1655年 - ウスタシュ・ル・シュール(Eustache Le Sueur)、フランスの画家(* 1617年)

1792年 - ジョン・モンタギュー、サンドイッチの発明者と想定されている人物(* 1718年)

1806年(文化3年3月12日) - 小野川喜三郎、第5代横綱(* 1758年)

1827年(文政10年4月5日) - 高田屋嘉兵衛、廻船業者(* 1769年)

1855年 - ヘンリー・ローリー・ビショップ、作曲家(* 1786年)

1883年 - エドゥアール・マネ、画家(* 1832年)

1885年 - イエンス・ペーター・ヤコブセン、詩人・小説家(* 1847年)

1927年 - 清水金太郎、声楽家、バリトン歌手(* 1889年)

1933年 - アンナ・ド・ノアイユ、小説家(* 1876年)

1945年 - アドルフ・ヒトラー、ナチス・ドイツの総統(* 1889年)

1945年 - エヴァ・ブラウン、ヒトラー夫人(* 1912年)

1956年 - 宇垣一成、軍人・政治家(* 1868年)

1956年 - アルバン・W・バークリー、第35代アメリカ合衆国副大統領(* 1877年)

1959年 - 永井荷風、小説家(* 1879年)

1961年 - 朝潮太郎 (2代)、大相撲の力士(* 1879年)

1973年 - 大佛次郎、小説家(* 1897年)

1974年 - アグネス・ムーアヘッド、アメリカの女優(* 1900年)

1981年 - 新名丈夫、評論家・毎日新聞記者(* 1906年)

1983年 - ジョージ・バランシン、バレエ振付師(* 1904年)

1985年 - ジョージ・プラウダ、チェコスロバキアの俳優(* 1918年)

1989年 - セルジオ・レオーネ、映画監督(* 1929年)

1989年 - 李方子、皇族(* 1901年)

1989年 - 殿山泰司、俳優、エッセイスト(* 1915年)

1991年 - 務臺光雄、実業家(* 1896年)

1992年 - 大杉勝男、野球選手(* 1945年)

1994年 - ローランド・ラッツェンバーガー、F1ドライバー(* 1960年)

1994年 - リチャード・スカーリー、アメリカの著述家(* 1919年)

1999年 - 根本陸夫、野球選手・監督(* 1926年)

2003年 - ウィム・バン・エスト、オランダのサイクリスト(* 1923年)

2006年 - ジャン=フランソワ・ルヴェル、思想史家・哲学者(* 1924年)

2006年 - プラムディヤ・アナンタ・トゥール、小説家(* 1925年)

2006年 - コリーヌ・レイ=ベレット、アルペンスキー選手(* 1972年)

2008年 - リンリン、上野動物園のジャイアントパンダ(* 1985年)

記念日・年中行事

図書館記念日
1950年4月30日に、「図書館法」が公布されたことから。

葉酸たまごの日
葉酸たまご(ようさんたまご)、
つまり、「よう (4) さん (3) たまご (0) 」の語呂合わせ。
胎児の先天障害のリスクを減らす栄養素「葉酸」を効果的に
摂取できる栄養機能性食品「葉酸たまご」は、
この日を中心にイベントを行っている。

スカンジナビア - 春到来祭

ビールテーヌイブ

典礼の馳走日
聖小スーツベール
福ロオズモンド