東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年5月2日(土曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年5月2日(土曜日)

「春」。

「5月」です。

「春」の。

「5月」になりました。

「春」がきた。

「春」がきた。

どこにきた。

「山」にきて「里」にきて。

「野」にきたる。

-------------------------------
今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

「晩冬」の「2月」がおわり。
「春」になりました。
「3月」です。
「3月」「5月」がおわり。
「5月」になりました。
「春」です。

昨年。
「6月」=「夏の始まり」です。
「6月」がおわり「7月」です。
「7月」もおわりました。
最後の夏月「8月」。
夏の「8月」もおわりました。

「9月」の「秋」になり。
「9月」がおわりました。
「10月」もおわりました。
「11月」です。
「秋」「11月」が終わりました。

「12月」です。
「冬」になりました。

昨年の「12月」が終わりました。

「新年」の「初春」になりました。
「1月」がすぎ。

「初春」の「2月」がすぎ。

「3月」「4月」がおわり。

いま「5月」です。

雪国の「春」を。

過ぎれば。

そこは里の「春」

雪国の「冬」から

「里山」の「春」に。

「野」の「春」に。

そして。

街(まち)の「春」に。

「みどり」の「春」に。

なりました。

「ちいさな春」をこえて。

「大きな春」を。

むかえようとしています。

雪国の「春」を過ぎれば。

そこは。

「里山」の「春」

「野」の「春」

「まち」の「春」

「ふゆ」を「むかえよう」。
「新年」そして「初春」。
「くるとしつき」は
「無我のうちにむかえよう」。
「冬」がすぎたら。
そうしたら「春」をむかえよう。

自在に「かんがえてながれてゆく」。

「自然」の「ときの流れ」は。
真(まこと)の幸せ者の「しらべ」。

「新年」の「初春」だけれども。

「1月」は去り「2月」。
「2月」は去り「3月」。
「3月」は去り「4月」。
「4月」は去り「5月」。

「ひたひた」と。

さらに深まりゆき。

とおりすぎていく「春」。

「さくさく」とひびく。

日々の過ぎ去る足音は。

「とほとほ」と。

朝早くまだ暗い街中に

聞こえるようにとおざかり。

さってゆき。

そして「新たな季節」が。

かわりにやってくる。

白く柔らかな春霞の衣をまとう若々しい

「春」の「さほ姫」*

は「冬将軍」をいなして。

「春」を導いて。

そしていま。

「春」の「5月」になりました。

「佐保姫(さほひめ)」は春の神です。

五行説では春は東の方角にあたります。
平城京の東に佐保山があるために。
春の神は佐保姫と呼ぶようになりました。

白く柔らかな春霞の衣をまとう若々しい女性です。

竜田山の神で秋の竜田姫と対を成すことになります。

日本の「春」の女神(めがみ)

「佐保姫(さほひめ)」。

「どなた」がみつけた「姫君」か。

すごき女神と感嘆致します。

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
(Johann Wolfgang von Goethe)
の「魔王:Erlkonig」*は。
「おそい冬の夜」の「嵐のなかを馬駆ける」
「父親」と「子」の情景を描写したものです。

かならずしも「冬の夜」を情景と考えなくても
「魔王」の詩*の
その「魔王」の「おそろしさ」は通じます。


魔王(Erlkonig)が。
どのようなものであるかは様々な議論があります。
その名前は字義的には「ハンノキの王」を意味する。

ゲーテは「ハンノキの王」Erlkonigから。
樹木の精霊の王として。
魔王を設定し想像力を膨らませたものです。

この詩はゲーテによって
1782年の歌劇『漁師の娘』
(Die Fischerin) の一部として作詞されました。

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『魔王』はデンマークで生まれた

「比較的新しい伝承」であると考えられます。

それをヨハン・ゴットフリート・ヘルダーが
ドイツ語に翻訳した『ハンノキの王の娘』
(Erlkonigs Tochter)が
ゲーテの詩の元になっています。

これはヘルダーが1778年に出版し
た『歌の中の人々の声』
(Stimmen der Volker in Liedern)という
民謡を集めた本に収録されています。

魔王(Erlkonig)が。
どのようなものであるかは様々な議論があります。
その名前は字義的には「ハンノキの王」を意味する。
英訳としては。
「妖精の王」(Elf King)がよく用いられます。
それに当たるドイツ語は。
「Elfenkonig」になってしまいます。

よく聞かれる説としては「Erlkonig」は
デンマーク語で妖精の王を意味する
「ellerkonge」または「elverkonge」からの
誤訳だとするものがあります。

しかし。
ゲーテはむしろその「ハンノキの王」から。
樹木の精霊の王として。
魔王を設定し想像力を膨らませたものです。

ドイツおよびデンマークの伝承では
魔王は死の前兆として登場します。
その意味では
「アイルランドのバンシー」
に似ています。

魔王は死に瀕した人物の前に現れます。
魔王の姿かたちや表情がこれから
その人物に訪れる死の内容を表します。

苦しい表情であれば苦しい死であるし
穏やかな表情であれば穏やかな死であるという。
別の解釈としては
妖精の王に触れられた者は必ず死に至るという
伝承が元になったという説もあります。

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「新年」そして「初春」。

今は「5月」の「春」

早いです。

速いものです。

速いのか早いのか。

はやいのか。

けさ暗いうちに。

地をはうような。

「春吹雪:はるふぶき」の

嵐(あらし)がふきました。

「春の花」と「春吹雪:はるふぶき」

は相性が。

よくないようです。

もしかしたら極めて相性が。

よいのかもしれません。

どちらかです。

暗い寒い朝に。

「春の花」の花びらが。

夜の間に「春吹雪:はるふぶき」の。

弓風に射られて。

白鷺の羽が舞いおりているようです。

「春」の。

「春吹雪:はるふぶき」の音は。

宙を舞う前の。

「むささび」の声のような。

「おたけび」。

けれども。

しだいに。

「春吹雪:はるふぶき」は。

歌声のようにかわりました。

そして「5月」の「春」。

「佐保姫(さほひめ)」のワルツ

が聞こえます。

「春吹雪:はるふぶき」。

「「春」いちばん」。

今日の朝暗いうちに。
秋の暗闇の地面のうえから。

「早朝に「春かぜ」の音」
が聞こえました。

不思議な「「春」の「春かぜ」の音」。
「鳴き声」のようです。

いつしか。
「春吹雪:はるふぶき」と。
「「春かぜ」の音」だけになりました。

「春かぜ」と
「春吹雪:はるふぶき」は。
早朝暗いうちにふくものである
ことがわかります。

「絵」にかきたい「音」なのです。

面白いが「おそろしい」情景であるような気も致します。
しいてこわい光景をおもいうかべるのであれば

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
(Johann Wolfgang von Goethe)
の「春」の「魔王」のようになるのでしょう。

「春」の声。
「こうこう」と鳴く。
「春吹雪:はるふぶき」
の風音がくわわっていきます。

その「春吹雪:はるふぶき」の音の。
背景に流れる「通奏低音:Generalbass;ゲネラル・バス」*
「はるのはるかぜ」のこえは。
暗闇の「はるの足音」のように聞こえる。
あかるい「春」の日に。
「陽射しの降るまち」では。
「足音だけが遠ざかっていく」「足音」

「とぼとぼ」
にしだいに重複してきました。
「春」のあさの「あしおと」と。
「さむさ」のさるあしおとの。
そして「春」のあしおとの。
「フーガ」と「カノン」。
「春吹雪:はるふぶき」はトッカータ。
「はるいちばん」は「フーガ」と「カノン」。*
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通奏低音(つうそうていおん)とは
バロック音楽において行われる演奏形態の一つです。
低音部の旋律とともに即興的な和音を付け加えて演奏する形態です。
イタリア語のバッソ・コンティヌオ(Basso continuo)

の訳語です。
伴奏楽器が間断なく演奏し続けるということからこの名があります。
略してコンティヌオと呼ぶことも多いです。
ドイツ語のゲネラルバスも使われることがあります。

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常緑の木々の深冬葉のいろ。
緑がますますあざやかに。
深まる秋におちついて。
考えるが如く
「ロダンの彫塑」の色合いです。

常緑の木々の葉は。
深緑(ふかみどり)になりました。
そして「冬」をむかえて。
「冬緑」のいろあいに
うつろいできました。
もう「緑をうつろいて」
さすがにつかれた黄赤色の葉もみえます。
枯れ葉も樹木のにぎわいです。木々の防寒衣としては
なくてはならないものです。
「春」をむかえます。

「新年」
「春」の夜明(よあけ)の空から。
「春」の陽がのぼり。
「春」の日の「空色」になってきました。

けれども。
朝暗いうちはミルクのはいった
コバルトのような
カフエ・オレ・コバルトの空色です。
そして雲は天高く「春」の雲です。

あさの04:00AMころに。

東の空
さやかににあかるく
まだくらくあおく
しだいに
雲多い空はラピズラズリからトルコ石
のようににうつろうように。
しらんできます。

その上空にさらに。
明らかなる大きな質量のある。
「深まる「春」の気配」を感じます。

春野路はた見たりビロードのしだ
春わらべのごときビロードのしだ
春わらびのごとく輝けりビロードのしだ
春山奥にひそむビロードのしだ
春しのぶの羊歯(しだ)ビロードのしだ
春めずらしき羊歯ビロードのしだ
春ときわの緑のほのほビロードのしだ
春山奥のしだのビロードのしだ
春「まち」にもいきるビロードのしだ
春けなげなりもあはれなりビロードのしだ
春生い立ちしらずビロードのしだ
春されどそのちからこそとほとしビロードのしだ

「春」きたれり。

「春」いざいまこそは

「春」よき季節にあらむ

「春」ふと空をみる

今時にもかかわらず放射冷却で
朝はとても寒いが。
「ぬくもり」はある。

確実に日は長くなりました。
葉木(はき)の樹木は「木」にかわり。
秋の木から「冬の木」にうつろいさらに
「冬の木」から。
「「春」の木」にうつろう時期
です。

外路樹の若葉は
緑濃くオリーブの葉のごとし
つみとりたくなる
ほどにきれいです。
けれどもひそやかに木々の葉にも
「深い冬からさらに「春」」
の気配がうつろいて。
うつります。

そして春の「佐保姫(さほひめ)」
が微笑みをうかべみつめています。

春まちなみ蒼く(あおく)
春いろどりて
春木々の榛葉のかがやけり
春暑さの夏秋をうつろひて
春ふかまるみどりの冬木なり
春しずまるみどりの冬木なり
春みのりの冬こそありがたし
春みのりの冬こそこひしかり
春虫なきてささやけり
春木々は榛葉にかがやけり

道端の野草もかわいらしい。
冬化粧をして。
春夏秋冬の
前奏曲の旋律が聞こえます。

早朝は異常な寒さです。

気象予報で
「明日は暖かくなる」と聞いても
朝は気温がさがり大気は不安定です。
「寒い」。
寒いと首都高の自動車も暗い中
「辛そうな運転の車」が多いです。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

平成21年1月12日(月曜日)
は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました

-------------------------------

平成21年2月11日(水曜日)
は祝日です。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年3月20日(金曜日)
は祝日です。
「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
-------------------------------
平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
-------------------------------

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
-------------------------------

★★★

今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

入学式。桜の花。
インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。
再び
「寒さ」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬・春は「厳・春」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の冬場や春はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

草木の周りは。
少しずつ「春夏秋冬」の「四季」を
あゆんでいます。
梅咲き・スミレ咲き。桜咲き。
木々の萌黄から。
眼の青葉。山ほととぎす。そして夏・秋・また冬
がやってくる。

「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬は「厳冬」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の春・冬場はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝

「今日は何の日」は。

近代以降では最初の職業女流作家。
日本の文学に。
「御若い「御婦人」の美しさ」を
貧しさと苦しみの中でつたえ金字塔を
たてた。筆名は。

当時困窮していた事(お足が無い)と
一枚の葦の葉の舟に乗って中国へ渡り後に
手足を失った達磨の逸話に引っ掛けた
「筆名」となった「御婦人」の小説家。

1872年(明治5年3月25日) -
樋口一葉、小説家・歌人(+ 1896年)
の生誕日です。
++++++++++++++++++++++

樋口 一葉(ひぐち いちよう)
1872年5月2日(明治5年3月25日) -
1896年(明治29年)11月23日)は。
日本の小説家です。

東京生れ。本名は夏子、戸籍名は奈津。

中島歌子に歌、古典を学びました。
半井桃水に小説を学びました。

生活に苦しみながら、
「たけくらべ」「十三夜」「にごりえ」といった
秀作を発表、文壇から絶賛されました。

わずか1年半でこれらの作品を送ったが、
25歳(数え年、以下同様)で
肺結核により死去致しました。

『一葉日記』も高い評価を受けています。

++++++++++++++++++++++

樋口 一葉(ひぐち いちよう)の作家評

近代以降では最初の職業女流作家です。
24年の生涯の中で。
特に亡くなるまでの1年2ヶ月の期間に
日本の近代文学史に残る作品を残しました。

++++++++++++++++++++++

樋口 一葉(ひぐち いちよう)は。

家が没落していくなかで。
自らが士族の出であるという誇りを。
終生持ち続けました。

商売が失敗したのもそれゆえであると
みるむきもあります。

生活は非常に苦しかったために。
筆を折ることも決意しましたが。
雑貨店を開いた吉原近郊での生活は
その作風に影響を与えました。

井原西鶴風の雅俗折衷の文体で。
明治期の女性の立ち振る舞いや、
それによる悲哀を描写しています。

『たけくらべ』では吉原近くの大音寺前を舞台にして。
思春期頃の少年少女の様子を情緒ある文章で描きました。

ほかに日記も文学的価値が高いです。

++++++++++++++++++++++

樋口 一葉(ひぐち いちよう)の筆名

「一葉」は雅号です。
戸籍名は奈津。

なつ、夏子とも呼ばれます。

「樋口一葉」として知られていますが。

歌人としては夏子、
小説家としては無姓志向の一葉、
新聞小説の戯号は浅香のぬま子、
春日野しか子として筆名を使い分けています。

発表作品においては「樋口夏子」に類する本名系と
「一葉」の雅号系に分類されます。

「樋口一葉」と混合した
署名を用いている例はわずか一つであり。

「たけくらべ」未定稿などにおいて
「一葉」と記された署名に別人の手により
姓が書き加えられているケースがあります。

++++++++++++++++++++++

樋口 一葉(ひぐち いちよう)

明治前半期の女性作家においては。

家への抵抗や姓の変遷などから
同様に姓の忌避や創作世界において。

雅号を用いるといった署名傾向がありました。

一葉にも女戸主としての意識が。
強くあったとも考えられています。

一葉という筆名は。

当時困窮していた事(お足が無い)と
一枚の葦の葉の舟に乗って中国へ渡り後に
手足を失った達磨の逸話に引っ掛けたものです。

++++++++++++++++++++++

樋口 一葉(ひぐち いちよう)と五千円紙幣
一葉の肖像は2004年11月1日から。
新渡戸稲造に代わり日本銀行券の五千円券に
新デザインとして採用されました。

女性としては神功皇后
(大日本帝国政府紙幣;
壱円券は1881年発行開始;肖像は全くの創作)
以来の採用です。

なお、2000年に発行開始された
弐千円券の裏面に紫式部の肖像画があるが。
この肖像画は肖像の扱いではありません。
弐千円券には肖像がないことになっています。

よって写真をもとにした女性の肖像が
日本の紙幣に採用されたのは一葉が最初になります。

偽造防止に利用される髭や顔の皺がすくないため
版を起こすのに手間取り、
製造開始は野口英世の千円券、福澤諭吉の一万円券より遅れました。

++++++++++++++++++++++

聖徳太子の紙幣使用の終わり(1983年)ごろに。
新紙幣の図柄を決める関係者の
「女性を採用してはという意見」の中で。

清少納言、紫式部、樋口一葉、与謝野晶子(出生順)
の4人が候補に上がりました。

当時はいずれも採用にはいたらなかった
という逸話があります。

比較的高額の紙幣に採用されたにしては皮肉なことに。
一葉の短い生涯は、金策に常に不便するという生涯だったのです。

ただし一葉が経済的に窮乏した原因には、
父親が薦めた許婚者を父親の死後に
樋口家側が破棄したこと
(ちなみに許婚者は後に秋田・山梨県知事となる)や。

一葉の労働に対する蔑視意識、
士族や華族を崇拝する思想などの一葉自身の
内面的事情が少なくないため。

一葉を才能に恵まれながら
資金的に不遇な生涯を送った聖人のように考えるのは
一方的な見方であるとの意見もあります。

樋口家は貧しい中方々から借金をしていたが、
士族の誇りからか、
さらに困窮した縁故の人々に。
なけなしの金を貸しもしていました。

++++++++++++++++++++++

樋口 一葉(ひぐち いちよう)その他

夏目漱石の妻・鏡子の著書『漱石の思ひ出』によると。

一葉の父・則義が東京府の官吏を務めていた時の上司が
漱石の父・小兵衛直克であったのです。

その縁で一葉と漱石の長兄・大助(大一)を
結婚させる話が持ち上がりました。

則義が度々直克に借金を申し込むことがありました。

これをよく思わなかった直克が
「上司と部下というだけで、
これだけ何度も借金を申し込んでくるのに、
親戚になったら何を要求されるかわかったものじゃない。」
と言って破談にしたということです。

++++++++++++++++++++++

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++「続きを読むです1」++++++++++++++++++
樋口一葉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%8B%E5%8F%A3%E4%B8%80%E8%91%89

樋口 一葉(ひぐち いちよう)1872年5月2日(明治5年3月25日) - 1896年(明治29年)11月23日)は、日本の小説家。東京生れ。本名は夏子、戸籍名は奈津。

中島歌子に歌、古典を学び、半井桃水に小説を学ぶ。生活に苦しみながら、「たけくらべ」「十三夜」「にごりえ」といった秀作を発表、文壇から絶賛される。わずか1年半でこれらの作品を送ったが、25歳(数え年、以下同様)で肺結核により死去。『一葉日記』も高い評価を受けている。

目次
1 生涯
2 作家評
3 筆名
4 五千円紙幣
5 その他
6 作品一覧
6.1 小説
6.2 随筆
7 関連作品
8 人物伝
9 外部リンク

生涯
1872年5月2日(明治5年3月25日)、東京府第二大区一小区内幸町の東京府庁構内(現在の東京都千代田区)の長屋で生まれる。本名は樋口奈津。父は樋口為之助(則義)、母は古屋家の娘多喜(あやめ)の第五子で、一葉は二女。姉のふじ、兄に泉太郎、虎之助がおり、後に妹くにが生れた。

父親の則義は甲斐国山梨郡中萩原村(現、甲州市塩山)の百姓であったが、祖父は俳諧などの文芸や経書に親しんでいたようで、則義も農業より学問を好み、さらに多喜との結婚を許されなかったため駆け落ち同然に江戸に出たという。則義は蕃書調所の小使いから1867年(慶応3年)には同心株を買い、運良く幕府直参となり、明治維新後には下級役人となり士族の身分を得るが、1876年(明治9年)に免職となる。その後は不動産の斡旋等で生計を立てている。

少女時代までは中流家庭に育ち、幼少時代から読書を好み草双紙の類いを読み、7歳の時に曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』を読破したと伝えられる。1877年、本郷小学校に入るが、幼少のために続かず、吉川富吉が始めた私立吉川学校に入学した。1881年(明治14年)、次兄の虎之助が分家し、陶器絵付師に弟子入りした。同年には下谷区御徒町へ移ったため、11月に上野元黒門町の私立青海学校に転校する。高等科第四級を首席で卒業するも、上級に進まずに退学した。これは母・多喜が、女性に学業は不要だと考えていたからだという。

一方、父・則義は娘の文才を見抜き、知人の和田重雄のもとで和歌を習わせたという。1886年(明治19年)、父の旧幕時代の知人である遠田澄庵の紹介で、中島歌子の歌塾「萩の舎」に入門。ここでは和歌のほか千蔭流の書や古典文学を学んでおり、源氏物語などの王朝文学が一葉の初期作品のモチーフになっている。萩の舎時代に一葉は親友の伊東夏子や田辺龍子と出会い、助教として講義もしている。萩の舎は当時、公家や旧老中・旧藩主などの旧体制、明治政府の特権階級の政治家・軍人の夫人や令嬢らが通う歌塾だった。士族とはいえ元農民出身であったため、一葉は平民組として扱われ、上流階級の姉弟子たちにから「ものつつみの君」と呼ばれるほど内向的になる。入門して初めの正月、新春恒例の発会が近づくと、令嬢たちの晴れ着の話題など、着物の話はとても下級官吏の娘が競える内容ではなかった。それでも劣等感をはねのけ、親が借りてきた古着で出席した。

一葉の家庭は転居が多く、生涯に12回の引っ越しをした。1888年(明治21年)、戸主であった長男の泉太郎が死去し、父を後見に相続戸主となる。1889年(明治22年)、則義は荷車請負業組合設立の事業に失敗し、同年7月に死去。

一葉の許婚であった渋谷三郎との婚約が解消される。則義の死後、樋口家には多額の借金があったのに渋谷三郎から高額の結納金を要求されたことが原因とされる。一葉は17歳にして戸主として一家を担う立場となり、1890年(明治23年)には萩の舎の内弟子として中島家に住む。同年9月には本郷菊坂(東京都文京区)に移り母と妹と三人での針仕事や洗い張りをするなど苦しい生活を強いられる。ただし一葉自身は労働に対する蔑視が強く、針仕事や洗い張りはもっぱら母や妹がこなしていたと言われる。

一葉は近眼のため細かい仕事が不得手であったので、自分にできる他の収入の道を探していたところ、同門の姉弟子である田辺花圃が小説『薮の鶯』で多額の原稿料を得たのを知り、小説を書こうと決意する。20歳で「かれ尾花一もと」を執筆。同年に執筆した随想で「一葉」の筆名を初めて使用した。さらに小説家として生計を立てるため、東京朝日新聞小説記者の半井桃水(なからいとうすい)に師事し、図書館に通い詰めながら処女小説「闇桜」を桃水主宰の雑誌「武蔵野」の創刊号に発表した。その後も、桃水は困窮した生活を送る一葉の面倒を見続ける。次第に、一葉は桃水に恋慕の感情を持つようになる。しかし二人の仲の醜聞が広まった(双方独身であったが、当時は結婚を前提としない男女の付き合いは許されない風潮であった)ため、桃水と縁を切る。桃水とけじめをつけるかのように全く異なる幸田露伴風の理想主義的な小説『うもれ木』を刊行し、一葉の出世作となる。

ヨーロッパ文学に精通した島崎藤村や平田禿木などと知り合い自然主義文学に触れあった一葉は、「雪の日」など複数作品を「文學界」で発表。このころ、検事になったかつての許婚者阪本三郎(前述の渋谷三郎)が求婚してくるが拒否する。生活苦打開のため、吉原遊郭近くの下谷龍泉寺町(現在の台東区竜泉一丁目)で荒物と駄菓子を売る雑貨店を開いたが1894年(明治27年)5月には店を引き払い、本郷区丸山福山町(現在の西片一丁目)に転居する。この時の経験が後に代表作となる小説「たけくらべ」の題材となっている。執筆を継続した。12月に「大つごもり」を「文學界」に、翌1895年(明治28年)には1月から「たけくらべ」を7回にわたり発表し、その合間に「ゆく雲」「にごりえ」「十三夜」などを発表し、「大つごもり」から「裏紫」にかけての期間は「奇跡の14ヶ月」と呼ばれる。

1896年(明治29年)には「文芸倶楽部」に「たけくらべ」が一括掲載されると鴎外や露伴らから絶賛を受け、森鴎外は「めさまし草」で一葉を高く評価し、「文学界」同人も多く訪れるようになる。5月には「われから」、『日用百科全書』に「通俗書簡文」を発表。一葉は結核の症状が進行しており、8月に診断を受けたが絶望と診断された。11月23日に24歳と8ヶ月で死去。一葉の作家生活は14ヶ月あまりで、死後の翌1897年には『一葉全集』『校訂一葉全集』が刊行された。

墓は樋口家の菩提寺である築地本願寺別院で、のち杉並区和泉の西本願寺和田掘廟所へ移された。法名は、知相院釋妙葉。肉筆原稿や関係資料などの文学資料は日本近代文学館や山梨県立文学館に所蔵されている。2004年11月より、日本銀行券のE号五千円札の肖像に採用されている。

作家評
近代以降では最初の職業女流作家である。24年の生涯の中で、特に亡くなるまでの1年2ヶ月の期間に日本の近代文学史に残る作品を残した。

家が没落していくなかで、自らが士族の出であるという誇りを終生持ち続けたが、商売が失敗したのもそれゆえであるとみるむきもある。生活は非常に苦しかったために、筆を折ることも決意したが、雑貨店を開いた吉原近郊での生活はその作風に影響を与えた。井原西鶴風の雅俗折衷の文体で、明治期の女性の立ち振る舞いや、それによる悲哀を描写している。『たけくらべ』では吉原近くの大音寺前を舞台にして、思春期頃の少年少女の様子を情緒ある文章で描いた。ほかに日記も文学的価値が高い。

筆名
「一葉」は雅号で、戸籍名は奈津。なつ、夏子とも呼ばれる。「樋口一葉」として知られるが、歌人としては夏子、小説家としては無姓志向の一葉、新聞小説の戯号は浅香のぬま子、春日野しか子として筆名を使い分けている。発表作品においては「樋口夏子」に類する本名系と「一葉」の雅号系に分類される。「樋口一葉」と混合した署名を用いている例はわずか一つであり、「たけくらべ」未定稿などにおいて「一葉」と記された署名に別人の手により姓が書き加えられているケースがある。明治前半期の女性作家においては家への抵抗や姓の変遷などから同様に姓の忌避や創作世界においては雅号を用いるといった署名傾向があり、一葉にも女戸主としての意識が強くあったとも考えられている。一葉という筆名は、当時困窮していた事(お足が無い)と一枚の葦の葉の舟に乗って中国へ渡り後に手足を失った達磨の逸話に引っ掛けたものである[1]。

五千円紙幣
一葉の肖像は2004年11月1日から新渡戸稲造に代わり日本銀行券の五千円券に新デザインとして採用された。女性としては神功皇后(大日本帝国政府紙幣;壱円券は1881年発行開始;肖像は全くの創作)以来の採用である。なお、2000年に発行開始された弐千円券の裏面に紫式部の肖像画があるが、この肖像画は肖像の扱いではなく、弐千円券には肖像がないことになっている。よって写真をもとにした女性の肖像が日本の紙幣に採用されたのは一葉が最初である。偽造防止に利用される髭や顔の皺がすくないため版を起こすのに手間取り、製造開始は野口英世の千円券、福澤諭吉の一万円券より遅れた。

肖像を女性にしたいがための安易な採用との非難があるが、聖徳太子の紙幣使用の終わり(1983年)ごろ、新紙幣の図柄を決める関係者の女性を採用してはという意見の中で、清少納言、紫式部、樋口一葉、与謝野晶子(出生順)の4人が候補に上がったが、当時はいずれも採用にはいたらなかったという逸話がある。

比較的高額の紙幣に採用されたにしては皮肉なことに、一葉の短い生涯は、金策に常に不便するという生涯だった。ただし一葉が経済的に窮乏した原因には、父親が薦めた許婚者を父親の死後に樋口家側が破棄したこと(ちなみに許婚者は後に秋田・山梨県知事となる)や、一葉の労働に対する蔑視意識、士族や華族を崇拝する思想などの一葉自身の内面的事情が少なくないため、一葉を才能に恵まれながら資金的に不遇な生涯を送った聖人のように考えるのは一方的な見方であるとの意見もある。樋口家は貧しい中方々から借金をしていたが、士族の誇りからか、さらに困窮した縁故の人々になけなしの金を貸しもしていた。

その他
夏目漱石の妻・鏡子の著書『漱石の思ひ出』によると、一葉の父・則義が東京府の官吏を務めていた時の上司が漱石の父・小兵衛直克であった。その縁で一葉と漱石の長兄・大助(大一)を結婚させる話が持ち上がったが、則義が度々直克に借金を申し込むことがあり、これをよく思わなかった直克が「上司と部下というだけで、これだけ何度も借金を申し込んでくるのに、親戚になったら何を要求されるかわかったものじゃない。」と言って、破談にしたという。

作品一覧

小説

闇桜(1892年3月、「武蔵野」)
たま欅(1892年3月、「武蔵野」)
五月雨(1892年7月、「武蔵野」)
経づくえ(1892年9月、「甲陽新報」)
うもれ木(1892年11月、「都の花」)
暁月夜(1893年2月、「都の花」)
雪の日(1893年3月、「文學界」)
琴の音(1893年12月、「文學界」)
やみ夜(1894年7月、「文學界」)
大つごもり(1894年12月、「文學界」)
たけくらべ(1895年1月 - 96年1月、「文學界」)
軒もる月(1895年4月「毎日新聞」)
ゆく雲(1895年5月「太陽」)
うつせみ(1895年8月27日 - 31日「読売新聞」)
にごりえ(1895年9月、「文芸倶楽部」)
雨の夜(1895年9月「読売新聞」)
月の夜(1895年9月「読売新聞」)
十三夜(1895年12月、「文芸倶楽部」)
わかれ道(1896年月、「国民之友」)
われから(1896年5月「文芸倶楽部」)

随筆
雁がね(1895年10月「読売新聞」)
虫の音(1895年10月「読売新聞」)
あきあはせ(1896年5月「うらわか草」)
ほとゝぎす(1896年7月「文芸倶楽部」)

関連作品
映画
『樋口一葉』(1939年東宝 監督 : 並木鏡太郎)
『にごりえ』(1953年松竹 監督 : 今井正)
『たけくらべ』(1955年 監督 : 五所平之助)
TVドラマ
新札発行記念ドラマ『樋口一葉物語』(2004年TBSテレビ 脚本 : 渡辺千穂 主演 : 内山理名、永井大)
演劇
『書く女』(2006年二兎社 作・演出 : 永井愛 出演 : 寺島しのぶ、筒井道隆)
『偽伝、樋口一葉』(2006年アロッタファジャイナ 監修 : 金子修介 作・演出 : 松枝佳紀 主演 : 満島ひかり、俊藤光利)
小説
山田風太郎「からゆき草紙」(『明治波濤歌』収録) - 一葉および『たけくらべ』の登場人物たちが登場。
小谷野敦『美人作家は二度死ぬ』 - 一葉が長生きして「忘れられた作家」となったパラレルワールドを描く。
CD
『一葉恋歌』(2004年に石川さゆりがテイチクレコードよりリリース)

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5月2日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/5%E6%9C%882%E6%97%A5

できごと
73年 - マサダ砦がローマ軍により陥落。

1808年 - スペインのマドリードで暴動、フランス軍が1500人の市民を射殺。

1864年(元治元年3月27日)- 天狗党の乱、筑波山で藤田小四郎ら62名が蜂起。

1875年 - 東京と横浜で郵便貯金業務を開始。

1885年 - ベルギー国王レオポルド2世がコンゴ自由国を設立。

1887年 - 眞崎仁六、
東京・新宿に「眞崎鉛筆製造所」(現在の三菱鉛筆)を創業(日本初の鉛筆製造)

1906年 - 「歯科医師法」施行

1916年 - アメリカ海軍の戦艦オクラホマ就役

1920年 - 上野公園で第1回メーデー開催、5千人参加。

1947年 - 枢密院が廃止される。

1948年 - 講道館で第1回全日本柔道選手権大会開催

1949年 - 「国民金融公庫法」公布

1950年 - 「放送法」「電波法」「電波監理委員会設置法」の電波三法が公布。

1952年 - イギリスで世界初のジェット旅客機「コメット」が就航。

1958年 - 長崎国旗事件

1977年 - 大学入試センターが東京・駒場に設置

1986年 - 東京で第12回先進国首脳会議(サミット)開催。

1986年 - 世界ラリー選手権ツール・ド・コルスにおいて、
ヘンリ・トイボネン/セルジオ・クレスト組が事故死。
これにより同選手権におけるグループB規格が廃止になる。

2007年 - 読売ジャイアンツ、日本プロ野球球団初の通算5000勝達成(対中日戦)。

誕生日
1661年(万治4年4月4日) - 上島鬼貫、俳諧師(+ 1738年)

1708年(宝永5年3月12日) - 湯浅常山、儒学者(+ 1781年)

1729年 - エカチェリーナ2世、第8代ロシア皇帝(+ 1796年)

1772年 - ノヴァーリス、小説家(+ 1801年)

1860年 - テーオドール・ヘルツル、シオニスト(+ 1904年)

1872年(明治5年3月25日) - 樋口一葉、小説家・歌人(+ 1896年)

1890年 - E・E・スミス、SF作家(+ 1965年)

1892年 - マンフレート・フォン・リヒトホーフェン、軍人(+ 1918年)

1896年 - 松浦周太郎、政治家(+ 1980年)

1922年 - 久慈あさみ、女優、歌手(+ 1996年)

1925年 - 松井淳、元プロ野球選手

1928年 - ホルスト・シュタイン、指揮者(+ 2008年)

1930年 - 寺川昭二、元プロ野球選手

1935年 - 拝藤宣雄、元プロ野球選手

1935年 - ルイス・スアレス、サッカー選手

1939年 - 飯島澄男、物理学者・化学者

1939年 - 横地由松、元プロ野球選手(+ 2007年)

1943年 - 祖父江義明、天文学者

1945年 - 佐藤玖光、元プロ野球選手

1947年 - ジェームズ・ダイソン、工学デザイナー・ダイソン社創業者

1947年 - 岸勝之、元プロ野球選手

1948年 - トキノミノル、競走馬(+ 1951年)

1948年 - 鮎川誠、ミュージシャン

1949年 - ズデンコ・ベルデニック、サッカーコーチ・監督

1950年 - 永尾泰憲、元プロ野球選手

1951年 - 麻田マモル、歌手・ミュージカル俳優

1952年 - 夏木マリ、女優・歌手

1952年 - 平原まこと、ミュージシャン

1953年 - ヴァレリー・ゲルギエフ、指揮者

1953年 - 佐々木信行、元プロ野球選手

1955年 - ドナテラ・ヴェルサーチ、ファッションデザイナー

1956年 - 秋元康、放送作家・作詞家

1956年 - 佐々木啓司、高校野球指導者

1961年 - 久木田美弥、歌手

1964年 - 河合克敏、漫画家

1967年 - 大川緋芭、漫画家グループCLAMPのリーダー

1967年 - 小牧雄一、元プロ野球選手

1967年 - 影山正美、レーサー

1967年 - 右門青寿、俳優

1967年 - 鈴木望、元プロ野球選手

1968年 - 笛吹雅子、日本テレビ職員、元アナウンサー

1968年 - 菊田洋之、漫画家
1968年 - 種浦マサオ、歌手
1968年 - 水尾嘉孝、元プロ野球選手
1968年 - 緑川光、声優
1968年 - 松本夏実、漫画家
1968年 - 西川哲、ゴルファー
1970年 - 佐藤直紀、作曲家
1970年 - ジョー・クロフォード、元プロ野球選手
1971年 - 武蔵丸光洋、第67代横綱、振分親方
1971年 - 吉田裕秋、声優
1972年 - 寺前正雄、元プロ野球選手
1972年 - 岩本輝雄、サッカー選手
1972年 - 堀込泰行、ミュージシャン(キリンジ)
1972年 - ザ・ロック、プロレスラー
1975年 - デビッド・ベッカム、サッカー選手
1976年 - 山村宏樹、プロ野球選手
1978年 - 宇野雅美、プロ野球選手
1978年 - 上野由加里、青森放送アナウンサー
1980年 - 押谷芽衣、声優
1980年 - 城山未帆、タレント
1981年 - 斉藤舞子、フジテレビアナウンサー
1981年 - 佐藤利奈、声優
1984年 - サクラスターオー、競走馬(+ 1988年)
1985年 - リリー・アレン、歌手
1985年 - サラ・ヒューズ、ソルトレイクシティオリンピック・フィギュアスケート女子シングル金メダリスト
1986年 - 内山眞人、俳優
1987年 - 北出菜奈、ロック歌手
1987年 - 上原美優、グラビアアイドル、タレント
1988年 - 岡本果奈美、グラビアアイドル
1989年 - いろは、グラビアアイドル
1989年 - 姫乃あや、グラビアアイドル
1991年 - 加藤みづき、女優
1995年 - スペシャルウィーク、元競走馬・種牡馬
2000年 - スティルインラブ、元競走馬・繁殖牝馬(+ 2007年)

忌日
373年 - アレクサンドリアのアタナシオス(聖アタナシウス)、神学者(* 298年)

1162年(応保2年3月17日) - 平基盛、武将(* 1139年)

1519年 - レオナルド・ダ・ヴィンチ、画家・科学者(* 1452年)

1627年 - ロドヴィコ・ヴィアダーナ、作曲家(* 1560年頃)

1634年 - ヤーコプ・バセヴィ、宮廷ユダヤ人(* 1580年)

1813年 - フェルディナント・フォン・プロイセン、プロイセンの王族(* 1730年)

1857年 - アルフレッド・ド・ミュッセ、作家(* 1810年)

1864年 - ジャーコモ・マイアーベーア、作曲家(* 1791年)

1908年 - レオンス・ヴェルニー、建築技術者(* 1837年)

1919年 - イーヴリン・ド・モーガン、画家(* 1855年)

1925年 - ヨハン・パリサ、天文学者(* 1848年)

1936年 - ロベルト・ミヒェルス、社会学者(* 1876年)

1937年 - 岩崎卓爾、民俗学者・気象観測技術者(* 1869年)

1945年 - マルティン・ボルマン、ナチス官房長(* 1900年)

1945年 - ヴァルター・ヘーヴェル、ナチス・ドイツの外交官(* 1904年)

1945年 - ルートヴィヒ・シュトゥンプフエッガー、ナチス親衛隊医師(* 1910年)

1946年 - サイモン・フレクスナー、医学者(* 1863年)

1957年 - ジョセフ・マッカーシー、政治家(* 1908年)

1958年 - アルフレッド・ヴェーバー、経済学者・社会学者(* 1868年)

1969年 - フランツ・フォン・パーペン、政治家(* 1879年)

1972年 - ジョン・エドガー・フーヴァー、米連邦捜査局長官(* 1895年)

1979年 - ジュリオ・ナッタ、化学者(* 1903年)

1980年 - ジョージ・パル、アニメーター・映画製作者(* 1908年)

1981年 - デビッド・ウェクスラー、心理学者(* 1896年)

1986年 - ヘンリ・トイヴォネン、ラリードライバー(* 1957年)

1989年 - 春日一幸、政治家(* 1910年)

1997年 - ジョン・C・エックルス、医学者(* 1903年)

1997年 - パウロ・フレイレ、教育者(* 1921年)

1998年 - hide、ギタリスト・アーティスト(X Japan)(* 1964年)

1999年 - オリヴァー・リード、俳優(* 1938年)

2002年 - 鈴木英夫、映画監督(* 1916年)

2006年 - 坂東文夫、彫刻家(* 1915年)

記念日・年中行事

郵便貯金の日

交通広告の日

エンピツ記念日

歯科医師記念日

トランプの日

八十八夜(日本、2002年・2003年・2005年・2006年)