東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年5月6日(水曜日)祝祭日

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年5月6日(水曜日)祝祭日

「3月」「春」になりました。

そして「3月」がおわりました。

「4月」になり「4月」はおわり。

今は「5月」になりました。

「春」の「さいご」

の「5月」。

になりました。

「春」は。

まちどおしいもの

であったことが

あらためて。

あらためて。

みにしみて。

感じられます。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。

まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

「春」です。

今は。「5月」。

あたらしい「春」です。

「5月」の「春」になりました。

「昨年」の晩秋には。
晩秋の花木。
「金木犀:きんもくせい」花を咲かせました。
日々ますます花をさかせていました。
「実りの花」。

「金木犀:きんもくせい」は「秋」に「2度」咲きました。
「銀木犀:きんもくせい」も咲きました。
「金木犀:きんもくせい」の花は黄金色です。
「銀木犀:きんもくせい」の花は「プラチナ色」です。

かおりも全く違います。
「金木犀:きんもくせい」より。
「銀木犀:きんもくせい」は10日遅れで咲きました。

今は「春」の「5月」。

「銀木犀:きんもくせい」も

「銀木犀:きんもくせい」も

はるかかなたに。

「花」はおわりました。

そして。

「木犀:もくせい」は。

今「5月」の「春」を迎え。

さらなるあたたかき。

「春」の先にむけて。

もっとゆたかな「春」をまつ。

準備をしています。

「木犀:もくせい」は常緑樹です。

「春」になると。

「葉色」と「葉のあつさ」はかわります。

「「春かぜ」に耐える葉の厚さ」。

になります。

秋のみのりの花まで。

すこやかに育つ「葉」になります。

「春」の「5月」の。

「春の花」の花がみえます。

「春の花」の草花もみえます。

「山茶花(さざんか)」や「やぶつばき」は
不思議な木です。

「山茶花(さざんか)」や。
「やぶつばき」の「花」は。

とりわけ夜の「春吹雪:はるふぶき」に
弓射られて地上に落花致します。

「春」とはいえ。
まだ「はやい」。

さむく。
「花粉」を運ぶ「昆虫」の少ない
時期に「花は咲きます」。
そして。
花がひらくと同時に花はちります。

「山茶花(さざんか)」や「やぶつばき」
の木下には「毛氈(もうせん)花壇」のように。
「紅白の花びら」が。
舞いおりてています。

その地上の。
「山茶花(さざんか)」や「やぶつばき」
の存在を誇示するがごとくです。

「やぶつばき」や「山茶花(さざんか)」
一夜の落花は「謎」のようです。

「春」のこの時期。
昆虫は極めて少ないから。

「種の保存」から。
なんらかの「方法」で。

「山茶花(さざんか)」や「やぶつばき」は。

地上の「紅白」のはなびらで。

昆虫に頭上にその存在を
探知させているのかもしれません。

地面の上の

「春の花」が。

「花びら」で存在を誇示しても。

木々の「花」は天上。

「花」こそみえません。

けれども。

「春の花」。

その「いのちの芳香」は。

とくとくと。

遠くまで。

ただよっているかのごとくです。

「新年」「初春」がすぎ。

「5月」の「春」です。

「立夏」。

常緑の。

「春の花」は元気そうです。

元気な「5月の春」です。

「春の花」の木は

花が落ちて。

「木の下」に「フェルマータ"fermata"」*

が。

楽譜のように記譜されているような。

「春の花」の「木」。

「落花生」のような「春の花」の木です。

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C・

イタリア語におけるフェルマータ"fermata"とは。
英語"stop"に相当する名詞です。
(例えばイタリアのバス停の
標識には"Fermata"の表示があります)。

音楽美学の世界では。

絵画には限られた面積があるのと同じように。
音楽には。
「限られた時間」—つまり「初め」と「終わり」—があることが
宿命とされています。
古い時代の楽譜のときはその終止線の上下や終結音の
上下に現在のフェルマータのマークの基となったデザインが
配されました。

そこで音楽の終わりを意味致しました。

時間の流れを止めることはできません。
けれども曲の終わりでは。
音楽を止めることによってその時空に終わりが
発生することとなります。
「停止」という意味の"fermata"の概念はそのように
発生したと解されます。

付与された音符や休符で音楽の時間の流れを
停止させる意味を持ちます。

「♪」
に付与されれば
「♪」
その音のまま「停止」=「ずっと鳴り続ける」
「休止符」
に付与されれば
「休止符」
その旋律は「停止」=「ずっと鳴らない」
ことになります。
楽譜の節目の
縦線に付与される場合には。
一記譜上に存在しない挿入された休符が空白時間として
求められます。

ただし
前の音から伸ばされたタイ(スラー)が。
縦線の上を横切っている場合と
そこにピアノにおけるペダルなどの
保続効果の指示が見られる場合は。
空白時間として処理されず音を保続させる時間を
別途挿入することとなります。

フェルマータ"fermata"。

そのマークは「一日の終わりである日没」
に由来したデザインとも言われています。
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「春」。

「春」の女神の。

「佐保姫(さほひめ)」が導く。

「春」です。

急速に朝があけます。

とりわけ朝暗いうちは。

かけあしで朝はあけます。

「はだにさむい朝です」。

今朝早朝は。

暗いうち晴れて。

霧雨の合間に。

久方ぶりにたくさんのたくさんの。

星をみました。

そして天井の空高く。

ひさしぶりに「月」の

かがやきをみました。

地上の変化(へんげ)が天高くたちのぼり
月や星に結晶して。
芳香をはなつがごとく光をはなつように
見えます。

空気が澄み。
大気がすんでいるからでしょう。

「天高く」

(てんたかく)とは。

なるほどと考えます。

さわやかな「5月」の。
「春吹雪:はるふぶき」の合唱も。
なかなかすてきです。

ブラスでもない。木管でもない。弦でもない。
グラスハープの。
スラーをかけた。
オーケストラを聴いているようです。

「5月」になり
「春吹雪:はるふぶき」のかぜおとは。
「アリア」として。
次第に出番が多くなりました。

寒い中でも
「極めて大きな声でうたっている」
「春吹雪:はるふぶき」が
「1-2」はいるのが不思議です。

「春の花」の木の上か。
電線にとまったり。
またさらに
上空で「春吹雪:はるふぶき」は。
歌っているようです。

うっすらと「まど」を開けると。

「佐保姫(さほひめ)」の吹く。

「春」のワルツのような。

音色ではいりこもうとします。

「5月の春」は「かおり」がします。

そぞろ そぞろに。
静かながらに。

「5月」の朝焼けと。
夕焼けどきに。

ひそやかながらもあきらかに。
「佐保姫(さほひめ)」の舞う。

気配にあと押しされて。

「確かな「5月の春」」のかおりが。
大気にかげろううや蜃気楼のように
ただよいはじめています。

昼間はあたたかい
陽射しを感じることが
多くなりました。

「5月」。

「春」です。

そして「あたたかい元気な春」です。

5月の「初春」の気配は。
あっというまに。
「春」の「霞(かすみ)」に「霊気(れいき)」
のように。
おぼろに変化して。

次第に「暖かい春」の気配にうつろいていく。
「井戸のつるべ」があがるようです。

「もっと深い「春」」が。

ピアニッシモ。
ppで。
しのびよりました。

朝日と東の朝焼け青空に。
「朝焼け」の。

空にはそらいろとピンクのレースのような

あやにしきの
「くれゆくはるのいろ」
「むかえくるはるのいろ」が感じられます。

春陽射し(ひさし)やさしき春。
春空にも地にも天高くはれ。
春の大気のひそみかくれ。
春そらにみちてあふれれば。
春吐息(ためいき)となり。
春吐息が霧雨か霞になり。
春おりてくるような感じです。
春のふかまりゆく気配
になりました。

冬なお「力強い」の木々のめぶきは
初冬の息吹から春への息吹への。
変化(へんげ)を感じます。

早朝は「とても寒い」です。
今年は「寒い」です。

百姓のうまれなので「冷春」が心配です。

街路樹はしっかりと
冬ながらも枝木の穂先もたわわにつよく
「晩冬」の萌黄色の若芽もち。
「初春」のあおい「木」にかわりました。
「新年」のあおい「木」は。

「実りの「春」」のおとづれを。
そしてさらなる「冬の深まり」を超えて。

そしていま厳しい冬をがんばって。
「あたたかい「春」」を。

むかえようとしています。

「本物の冬」から。

「もともっと寒い冬」

「晩冬」のをのりこえ。

「春」になりました。

そして「立夏」。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックの
庭の。

春山椒(さんしょう)の木の芽が
春にも若葉はそだち。
春若葉は冬の若枝となり。
春若枝は天高くすこやかにのび。
春のふかまりにますますすこやかに。
春山椒(さんしょう)の木のみどり葉。
春空に燃えるが如くの炎葉です

さんしょうを
木の芽(このめ)といふは
なるほどと
かんがえる

春深まりたり
春空たかく
春あやにしき
春みどり木
春さんしょう木
春陽をあびてかがやけり
春いざいまこそは
春金色(かがね)にかわり
春赤き春空に燃えたたむ

春さんしょう木
春もえぎの炎(ほのほ)は芽葉(めは)
春わかば葉はいずるは花ならむ
春(はる)こす枝は幹ならむ
春いざいまこそは
春空(そら)たかくもえたたむ
春金色(こがねいろ)なる
春さんしょう木
春(はる)深まれり

山本クリニックの庭には水槽が
「2つ」あります。
めだかが泳いでいます。

春ふかく草を浮かべる水面(おも)に
春めだかのむれのひかりたり
春むれておよげるひめだかの
春みずのなかなるちいさないのち
春みずのなかなるおおほきないのち
春みのりてあまたにとほときいのちこそ
春いざみずもにうつしはぐくまむ

けれども
早朝は本当にはだ寒いのです。

小さなふはるつけたから
しだいに大きなはるみつけた。

大きなはるみつけたから
さらに大きな大きなはるみつけた

「小さい春みつけた」は。

「こころしずまる気」

がいたします。

「春」になります。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

平成21年1月12日(水曜日)は
「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年2月11日(水曜日)

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。
限られた診療スタッフで。
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
-------------------------------

平成21年3月20日(金曜日)

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
限られた診療スタッフで。
御予約の患者さんのみ。
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

-------------------------------

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
季節の変わり目に「反復性上気道感染」に
なられるかたが多いです。

「世情は不安定」であり何かひとつ
生活しづらい日々を感じられる
かたも多いものです。。

人間は「倒れるまではたっています」。
人間は「冬・春」の旅に(度に)齢を重ねる。

昔の「数え年」は「たいした物」だと思います。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝。

「今日は何の日」は。

フランスの数学者であり。
20世紀を代表する数学者の一人。
思想家のシモーヌ・ヴェイユはその妹。
フランスの数学者。
1906年 - アンドレ・ヴェイユ、数学者(+ 1998年)
の生誕日です。
++++++++++++++++++++++

アンドレ・ヴェイユ
:Andre Weil,
1906年5月6日 - 1998年8月6日)はフランスの数学者です。
20世紀を代表する数学者の一人です。

思想家のシモーヌ・ヴェイユは彼の妹です。

インドの大学で教授となりました。
その際に、インド哲学を学びました。

フランスに戻り、ストラスブール大学の教授
になりました。

++++++++++++++++++++++

アンドレ・ヴェイユ:Andre Weil
は。

学生時代の友人とブルバキを結成致しました。
戦争中の苦い体験から、
アメリカに亡命するに到りました。

「合衆国USA」では。
サンパウロ大学、シカゴ大学、
プリンストン高等研究所などで
研究生活を送りました。

++++++++++++++++++++++

アンドレ・ヴェイユ:Andre Weilは。

数論、代数幾何学に大きな業績を残しました。

「ヴェイユ予想」は
数論と代数幾何学の深いつながりについて
予想したものです

リーマン仮説の類似の一つではあるのですが。

その後のセールやグロタンディークの活躍につながるもの
でもありました。

アンドレ・ヴェイユ:Andre Weilの。

また「ヴェイユ予想」の解決は20世紀の数学の
大きな出来事でもありました。

++++++++++++++++++++++

アンドレ・ヴェイユ:Andre Weilは。
彼はブルバキの中心的なメンバーでした。

ヨーロッパの多くの言語に通じています。
サンスクリットのバガヴァッド・ギーターは
彼の愛読書でした。

空集合の記号 O
(0にみえるが0ではない・うまくあらわせません)
も彼の考え出したものです。
これはノルウェー語のアルファベットの一つです。

++++++++++++++++++++++

アンドレ・ヴェイユ:Andre Weilの。
数学史に関する造詣も非常に深いものでした。

その一端はブルバキの「数学史」からも
うかがい知ることができます
(ブルバキに数学史を載せることは
彼の発案で始まりました)。

++++++++++++++++++++++

アンドレ・ヴェイユ:Andre Weilの。

主著は
『代数幾何学の基礎』、
『アーベル多様体と代数曲線』、
『代数曲線とそれに関する多様体』。

この他に、自伝や数学史の著作もあります。

++++++++++++++++++++++

アンドレ・ヴェイユ:Andre Weilの
エピソード

フェルマーの最終定理を証明した
アンドリュー・ワイルズ(Andrew Wiles)
と名前が似ていることから。

「後世の数学史家は、
私と彼が同一人物なのかをめぐって
激しい議論をすることになるだろう」
と冗談を言っています。

++++++++++++++++++++++

アンドレ・ヴェイユ:André Weilは。
応用数学には興味を持ちませんでした。

例外として友人の人類学者である
レヴィ=ストロースからの。
「オーストラリア北端の
ムルンギン族の婚姻制度の組合せ問題」

の解決依頼
に対して協力しています。

ヴェイユは「易しくはなかった」としながらも。

「この問題が二つの置換とそれが
生成するアーベル群の研究に帰着できる」

見抜き解決致しました。

この件により
「ムルンギン族に対し
ある種の愛情を感じるようになった」
と後に認めています。

++++++++++++++++++++++

アンドレ・ヴェイユ:Andre Weilと日本人数学者

シカゴ大時代、ヴェイユは
小平邦彦、岩澤健吉らの訪問及び手紙のやり取りを通じて
日本人数学者達と次第に親密な関係を結んでいきました。

その中の一人、中山正(元名古屋大教授)に対しては
「中山は1951年に、私の命ではないが名誉を救ってくれた」
と述べています。

それは日本の数学者達の求めに応じて
高木貞治記念号への寄稿予定であった
類体論に関する証明に対してのことです。

++++++++++++++++++++++

アンドレ・ヴェイユ:Andre Weilの誤りの訂正。

当時アーバナにいた中山はヴェイユの証明中に
誤りを見出しました。

既に東京に送られていたヴェイユ原稿の
刊行前での改正に大きく
貢献致しました。

それらもあり、ヴェイユは日本での
数論のシンポジウムへの招待に対して
「とりわけ嬉しく思った」としています。

結果も。
「見事で楽しくまた実り多い会議」と述べています。

その中で。
志村五郎、谷山豊の
虚数乗法理論のアーベル多様体への拡張への
アイデアがヴェイユと共通しておりました。

あたかも「三者で補い合う関係」
にあった為に。

自身の新しいものとばかり信じていたヴェイユを
大いに驚かせることになりました。

++++++++++++++++++++++

谷山豊によるヴェイユ評
谷山−志村定理の発案者でもある日本の数学者、
谷山豊はヴェイユを評して
「歯に衣を着せない」、「その批判は辛辣である」、
「温厚な大先生方には余り評判は宜しくない」
とする一方で。

「それを一概に排斥しないだけの
自由な空気がなかったならば、
数学は窒息してしまったであろう」
としています。

そしてヴェイユの大胆な推測、
ハッタリではないかと思われかねない発言に対
し。
「凡眼を以って、
天才の思想を云々するのは危険であろう」
と記しています。

++++++++++++++++++++++

谷山はヴェイユの才能を
1・
第一はclassicな理論の中から
本質を鋭く見抜き、何が、如何に抽象化され
一般化されるべきかを問う能力、
2・
第二に、それを実行に移す際に山積する障害に対し、
挫折したり迂回路を取ることなく、
障害を一つ一つ強引に捩じ伏せる腕力と
息の長さであると評しました。

「奇麗事が好きで腕力の弱い我が国の多くの数学者」
に対する頂門の一針であると致しました。

++++++++++++++++++++++

「続きを読む」=>*

++「続きを読むです1」++++++++++++++++++

アンドレ・ヴェイユ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%A6

アンドレ・ヴェイユ:Andre Weil, 1906年5月6日 - 1998年8月6日)はフランスの数学者である。20世紀を代表する数学者の一人。思想家のシモーヌ・ヴェイユは彼の妹。インドの大学で教授となり、その際に、インド哲学を学んだ。フランスに戻り、ストラスブール大学の教授。学生時代の友人とブルバキを結成する。戦争中の苦い体験から、アメリカに亡命し、サンパウロ大学、シカゴ大学、プリンストン高等研究所などで研究生活を送った。

数論、代数幾何学に大きな業績を残した。ヴェイユ予想は数論と代数幾何学の深いつながりについて予想したもので、リーマン仮説の類似の一つであるが、その後のセールやグロタンディークの活躍につながるものである。またヴェイユ予想の解決は20世紀の数学の大きな出来事でもあった。

彼はブルバキの中心的なメンバーであった。ヨーロッパの多くの言語に通じていて、サンスクリットのバガヴァッド・ギーターは彼の愛読書だった。空集合の記号 O も彼の考え出したものだが、これはノルウェー語のアルファベットの一つである。数学史に関する造詣も非常に深く、その一端はブルバキの「数学史」からもうかがい知ることができる(ブルバキに数学史を載せることは彼の発案で始まった)。

主著は『代数幾何学の基礎』、『アーベル多様体と代数曲線』、『代数曲線とそれに関する多様体』。この他に、自伝や数学史の著作もある。

目次
1 ヴェイユと日本人数学者
2 谷山豊によるヴェイユ評
3 著作
4 エピソード
5 関連項目

ヴェイユと日本人数学者
シカゴ大時代、ヴェイユは小平邦彦、岩澤健吉らの訪問及び手紙のやり取りを通じて日本人数学者達と次第に親密な関係を結んでいった。その中の一人、中山正(元名古屋大教授)に対しては「中山は1951年に、私の命ではないが名誉を救ってくれた」と述べている。それは日本の数学者達の求めに応じて高木貞治記念号への寄稿予定であった類体論に関する証明に対してのことである。当時アーバナにいた中山はヴェイユの証明中に誤りを見出し、既に東京に送られていたヴェイユ原稿の刊行前での改正に大きく貢献した。それらもあり、ヴェイユは日本での数論のシンポジウムへの招待に対して「とりわけ嬉しく思った」としている。結果も、「見事で楽しくまた実り多い会議」と述べている。その中で、志村五郎、谷山豊の虚数乗法理論のアーベル多様体への拡張へのアイデアがヴェイユと共通しており、かつ三者で補い合う関係にあった為に、自身の新しいものとばかり信じていたヴェイユを大いに驚かせている。

谷山豊によるヴェイユ評
谷山−志村定理の発案者でもある日本の数学者、谷山豊はヴェイユを評して「歯に衣を着せない」、「その批判は辛辣である」、「温厚な大先生方には余り評判は宜しくない」とする一方で「それを一概に排斥しないだけの自由な空気がなかったならば、数学は窒息してしまったであろう」としている。そしてヴェイユの大胆な推測、ハッタリではないかと思われかねない発言に対し「凡眼を以って、天才の思想を云々するのは危険であろう」と記している。谷山はヴェイユの才能を第一はclassicな理論の中から本質を鋭く見抜き、何が、如何に抽象化され一般化されるべきかを問う能力、第二に、それを実行に移す際に山積する障害に対し、挫折したり迂回路を取ることなく、障害を一つ一つ強引に捩じ伏せる腕力と息の長さであると評し、「奇麗事が好きで腕力の弱い我が国の多くの数学者」に対する頂門の一針であるとした。

1979年 ウルフ賞数学部門受賞
1994年 京都賞基礎科学部門受賞

著作
数学の創造 著作集自註 ISBN 4-535-60204-2 日本評論社 1983年7月
数論 歴史からのアプローチ ISBN 4-535-78160-5 日本評論社 1987年12月
アンドレ・ヴェイユ自伝 ある数学者の修業時代 ISBN 4-431-70659-3 シュプリンガー・フェアラーク東京 1994年5月
初学者のための整数論 M.ローゼンリヒトの協力の下に ISBN 4-7687-0309-7 現代数学社 1995年3月
アンドレ・ヴェイユ自伝 上 ある数学者の修業時代 ISBN 4-431-71109-0 シュプリンガー・フェアラーク東京 2004年5月
アンドレ・ヴェイユ自伝 下 ある数学者の修業時代 ISBN 4-431-71110-4 シュプリンガー・フェアラーク東京 2004年5月
アイゼンシュタインとクロネッカーによる楕円関数論 ISBN 4-431-71169-4 シュプリンガー・フェアラーク東京 2005年9月

エピソード
フェルマーの最終定理を証明したアンドリュー・ワイルズ(Andrew Wiles)と名前が似ていることから、「後世の数学史家は、私と彼が同一人物なのかをめぐって激しい議論をすることになるだろう」と冗談を言っている。

応用数学には興味が無いとしたヴェイユであるが、例外として友人の人類学者であるレヴィ=ストロースからのオーストラリア北端のムルンギン族の婚姻制度の組合せ問題の解決依頼に対して協力している。ヴェイユは「易しくはなかった」としながらもこの問題が二つの置換とそれが生成するアーベル群の研究に帰着できると見抜き解決した。この件により「ムルンギン族に対しある種の愛情を感じるようになった」と後に認めている。

関連項目
ブルバキ
シモーヌ・ヴェイユ (哲学者)
代数幾何学
[表示]表・話・編・歴ウルフ賞数学部門

イズライル・ゲルファント/カール・ジーゲル(1978年) ・ ジャン・ルレー/アンドレ・ヴェイユ(1979年) ・ アンリ・カルタン/アンドレイ・コルモゴロフ(1980年) ・ ラース・アールフォース/オスカー・ザリスキ(1981年) ・ ハスラー・ホイットニー/マーク・クライン(1982年) ・ S・S・チャーン/ポール・エルデシュ(1983/4年) ・ 小平邦彦/ハンス・レヴィー(1984/5年) ・ サミュエル・アイレンベルグ/アトル・セルバーグ(1986年) ・ 伊藤清/ピーター・ラックス(1987年) ・ フリードリヒ・ヒルツェブルッフ/ラース・ヘルマンダー(1988年) ・ アルベルト・カルデロン/ジョン・ミルナー(1989年) ・ エンニオ・ドジョルジ/イリヤ・ピアテスキー・シャピロ(1990年) ・ レオナルト・カルレソン/ジョン・トンプソン(1992年) ・ ミハイル・グロモフ/ジャック・ティッツ(1993年) ・ ユルゲン・モーザー(1994/5年) ・ ロバート・ラングランズ/アンドリュー・ワイルズ(1995/6年) ・ ジョセフ・ケラー/ヤコフ・シナイ(1996/7年) ・ ラースロー・ロヴァース/エリアス・ステイン(1999年) ・ ラウル・ボット/ジャン=ピエール・セール(2000年) ・ ウラジーミル・アーノルド/サハロン・シェラハ(2001年) ・ 佐藤幹夫/ジョン・テイト(2002/3年) ・ グレゴリー・マルグリス/セルゲイ・ノヴィコフ(2005年) ・ スティーヴン・スメイル/スティーヴン・スメイル(2006/7年) ・ ピエール・ドリーニュ/フィリップ・グリフィス/デヴィッド・マンフォード(2008年)

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5月6日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/5%E6%9C%886%E6%97%A5

できごと
1527年 - ローマ略奪

1861年 - 南北戦争:アーカンソー州が連邦脱退。

1887年 - 東京綿商社(後のカネボウ)設立

1889年 - パリ万国博覧会開幕。321mのエッフェル塔が公開される。

1891年(明治24年) - 日本で松方正義が第4代内閣総理大臣に就任し、
第1次松方内閣が発足。

1910年 - エドワード7世の崩御によりジョージ5世が英国王に即位。

1935年 - アメリカ合衆国で公共事業促進局が発足。

1937年 - ドイツの飛行船ヒンデンブルク号爆発事故。

1949年 世界初のプログラム内蔵方式のコンピュータEDSACが初稼動。

1951年 - 現行のラジオ体操第一が放送開始。

1962年 - テレビ番組『てなもんや三度笠』放送開始。

1970年 - 改正著作権法公布。著作権保護が死後50年までに。

1974年 - ヴィリー・ブラントがギヨーム事件の責任により西ドイツ首相を辞任。

1976年 - 克美茂愛人絞殺事件。

1994年 - 英仏海峡トンネルが開通。

2002年 - ジャン=ピエール・ラファランがフランス首相に就任。

2004年 - アメリカ合衆国でフレンズ (シットコム)の放送が終了。

2005年 - 日本のプロ野球で初のセ・パ交流戦が開幕。

2008年 - 2005年に改定された祝日法の振替休日に関する規定により、
月曜日以外(火曜日)で初めての振替休日(みどりの日=5月4日の振替)。

2008年 - F1に2006年度から参戦していたスーパーアグリF1チームが、
F1レースからの撤退を発表。

2009年 - 水曜日であるが、前年同様、振替休日となる予定
(但しこの年は憲法記念日の振替)。

誕生日
1501年 - マルケルス2世、ローマ教皇(+ 1555年)

1574年 - インノケンティウス10世、ローマ教皇(+ 1655年)

1758年 - マクシミリアン・ロベスピエール、
フランス革命期のジャコバン派リーダー(+ 1794年)

1758年 - アンドレ・マッセナ、ナポレオン戦争期のフランス軍元帥(+ 1817年)

1824年(文政7年4月8日)- 徳川家定、江戸幕府第13代征夷大将軍(+ 1858年)

1838年(天保9年4月13日) - 中岡慎太郎、幕末の志士(+ 1867年)

1856年(安政3年4月3日)- 鳩山和夫、衆議院議員(+ 1911年)

1856年 - ロバート・ピアリー、探険家(+ 1920年)

1856年 - ジークムント・フロイト、精神分析学創始者(+ 1939年)

1860年 - ジェームズ・セス、哲学者(+ 1924年)

1861年 - ラビンドラナート・タゴール、詩人(+ 1941年)

1868年 - ガストン・ルルー、小説家(+ 1927年)

1872年 - ウィレム・ド・ジッター、天文学者(+ 1934年)

1880年 - エルンスト・ルートヴィッヒ・キルヒナー、画家(+ 1938年)

1897年 - 木々高太郎、推理作家(+ 1969年)

1906年 - アンドレ・ヴェイユ、数学者(+ 1998年)

1907年 - 井上靖、小説家(+ 1991年)

1913年 - カーメン・キャバレロ、ピアニスト(+ 1989年)

1915年 - オーソン・ウェルズ、俳優・演出家・映画監督(+ 1985年)

1915年 - 岩佐直治、軍人(+ 1941年)

1922年 - コロムビア・トップ、漫才師・政治家(+ 2004年)

1923年 - 西江一郎、プロ野球選手

1925年 - 森清、政治家

1929年 - ポール・ラウターバー、科学者

1931年 - ウィリー・メイズ、メジャーリーガー

1933年 - 野沢太三、政治家

1933年 - 穴吹義雄、プロ野球選手

1939年 - 石井茂雄、プロ野球選手

1941年 - イビチャ・オシム、サッカー選手・指導者

1942年 - 林海峰、囲碁棋士

1944年 - 村上雅則、野球選手

1947年 - ロナルド・リベスト、暗号研究家

1948年 - 島香裕、声優
1948年 - 里見櫻風、書家
1952年 - 向井千秋、宇宙飛行士
1953年 - 飯野知彦、歌手
1953年 - グレアム・スーネス、サッカー選手
1953年 - トニー・ブレア、第73代イギリス首相
1957年 - 赤星たみこ、漫画家
1959年 - 浜本龍治、プロ野球選手
1960年 - 高浪敬太郎、ミュージシャン、作曲家、音楽プロデューサー
1960年 - 白武佳久、プロ野球選手
1961年 - ジョージ・クルーニー、俳優
1962年 - 鈴井貴之、タレント・映画監督
1963年 - アレッサンドラ・フェリ、バレリーナ
1963年 - 金崎浩之、弁護士
1964年 - 荒木大輔、プロ野球選手
1964年 - 宮脇“JOE”知史 ミュージシャン(ZIGGY)
1965年 - 吉田美和、DREAMS COME TRUE
1967年 - 東瀬耕太郎、プロ野球選手
1967年 - イワタカヅト、ゲームクリエイター
1968年 - 嶋尾康史、プロ野球選手
1968年 - フィル・クラーク、プロ野球選手
1971年 - 木本武宏、お笑い芸人(TKO)
1971年 - スネオヘアー(渡辺健二)、ミュージシャン
1972年 - 菊池志穂、声優
1972年 - 高橋尚子、マラソン選手
1972年 - 増田未亜、女優
1973年 - マイク・キンケード、野球選手
1976年 - イヴァン・デ・ラ・ペーニャ、サッカー選手
1977年 - 青木勇人、プロ野球選手
1977年 - 広山望、サッカー選手
1978年 - 押尾学、俳優・歌手
1978年 - 小野剛、野球選手
1978年 - 大野均、ラグビー選手
1978年 - 拝郷メイコ、歌手
1979年 - りょーちも、アニメーター
1980年 - 鞘師智也、プロ野球選手
1980年 - 長田秀一郎、プロ野球選手
1980年 - 楠木あや、歌手
1980年 - 張誌家、プロ野球選手
1981年 - 中村公治、プロ野球選手
1982年 - 西谷尚徳、プロ野球選手
1982年 - エルネスト・ペレイラ、プロ野球選手
1982年 - 上里田光正、野球選手
1983年 - 南香織、レースクイーン
1985年 - 渡辺敬介 、お笑い芸人(ぼれろ)
1985年 - 白石知世、女優
1985年 - 鈴木凛、タレント
1985年 - 森辺彩、コンパニオン
1986年 - 田崎りさ、女優・モデル
1987年 - ムン・グニョン、女優
1987年 - 吉川さおり、グラビアアイドル
1988年 - 大島みづき、グラビアアイドル、歌手
1990年 - 徳本佳寿美、ジュニアアイドル
1992年 - 桑江咲菜、子役、タレント
1994年 - メジロドーベル、競走馬

忌日
850年(嘉祥3年3月21日)- 仁明天皇、日本の第54代天皇(* 810年)

1539年(天文8年4月18日) - 陶興房、武将(* 1475年)

1544年(天文13年4月15日) - 田代三喜、医師(* 1465年)

1560年(永禄3年4月11日) - 葛西親信、大名(* 1513年)

1638年 - コルネリウス・ヤンセン、神学者(* 1585年)

1709年(宝永6年3月27日)- 小笠原長胤、中津藩主(* 1668年)

1859年 - アレクサンダー・フォン・フンボルト、博物学者・探検家(* 1769年)

1862年(文久2年4月8日)- 吉田東洋、土佐藩士(* 1816年)

1862年 - ヘンリー・デイヴィッド・ソロー、
作家・思想家・詩人・博物学者(* 1817年)

1904年 - アレキサンダー・ウィリアムソン、化学者(* 1824年)

1909年 - ファニー・チェッリート、バレエダンサー・振付師(* 1817年)

1910年 - エドワード7世、イギリス王(* 1841年)

1919年 - ライマン・フランク・ボーム、童話作家(* 1856年)

1933年 - フランソワ・ポンポン、彫刻家(* 1855年)

1941年 - 九鬼周造、哲学者(* 1888年)

1941年 - エリアナ・パヴロワ、バレリーナ(* 1899年)

1949年 - モーリス・メーテルリンク、劇作家(* 1862年)

1949年 - 橋本國彦、作曲家(* 1904年)

1951年 - エリ・カルタン、数学者(* 1869年)

1963年 - セオドア・カルマン、物理学者・航空学者(* 1881年)

1963年 - 久保田万太郎、作家(* 1889年)

1964年 - 佐藤春夫、小説家・詩人(* 1892年)

1967年 - コダーイ・ゾルターン、
作曲家・民族音楽学者・教育家・言語学者・哲学者(* 1882年)

1967年 - 周作人、随筆家・翻訳家(* 1885年)

1967年 - 木村荘十、小説家(* 1897年)

1973年 - 津島文治、青森県知事・自民党衆議院議員・参議院議員(* 1898年)

1973年 - 五ツ嶋奈良男、大相撲力士(* 1912年)

1976年 - 初代金原亭馬の助、落語家(* 1927年)

1979年 - 蕗谷虹児、画家・詩人(* 1898年)

1981年 - 浜崎真二、プロ野球選手(* 1901年)

1983年 - 橋詰文男、プロ野球選手(* 1983年)

1992年 - マレーネ・ディートリッヒ、女優(* 1901年)

1999年 - 東山魁夷、日本画家(* 1908年)

1999年 - 清水公照、華厳宗の僧(* 1911年)

2003年 - 宜保愛子、自称霊能者(* 1932年)

2005年 - 小林勝彦、俳優・声優(* 1937年)

2006年 - 山本敬三郎、政治家(* 1913年)

2006年 - 萱野茂、アイヌ文化研究者 (* 1926年)

2007年 - 池宮彰一郎、小説家(* 1923年)

2007年 - 西宮一民、国文学者(* 1924年)

2007年 - 北村和夫、俳優(* 1927年)

2008年 - 佐藤静夫、文芸評論家(* 1919年)

2008年 - 佐々木喜久治、秋田県知事(* 1921年)

記念日・年中行事
立夏(日本、2002年・2003年・2006年・2007年)
二十四節気の1つ。太陽の黄経が45度の時で、夏の気配が感じられるころ。