東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年5月7日(木曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年5月7日(木曜日)

「春」です。

「春」の「5月」

になりました。

まばゆいほど。

ことばでは。

いいつくせないほどに。

まぶしくて。

ありがたくくやさしい。

「春」「5月」の陽射しです。

しあわせいろの。

とても。

とてもあかるい陽射しです。

「5月」の。

「朝」の陽射しの「あかるさ」は。

なにものにも。

たとえようもありません。

春朝日

緑木枝間に

われを見る

まばゆく輝く

眼(まなこ)なりけり

はるあさひ

みどりきえたまに

われをみる

まばゆくかかやく

まなこなりけり

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

「春」になりました。

今年も春がきました。

「春」がきて。

今は「5月」。

「春」はふうせんのように。

ふくらみ。

ひろがってゆく季節です。

「5月」です。

ひなまつりはおわり。

野には。

たんぽぽが咲き。

すみれが咲き。

よもぎや。

すぎながいっぱいになりました。

「春」になり「川の水音」が。

やっと。

「せせらぎ」の。

「みずのながれのおと」に。

きこえるようになりました。

「春」の小川。

「さらさら」ながれる。

はるのおがわ。

高さも低さこそ見えないのに。

それどもながれる水の流れ。

とても感銘致します。

春分の日もすぎれば。
「さくら」咲きはじめ
「さくら」がおわり。
「4月」が終われば。
「5月」になり。
「5月」もおわれば。
6月に。「夏」になり。
6月も終われば。
7月 たなばた。
7月 もおわれば。
せみのなく8月。
8月の夏はすぎれば。
9月の秋になり秋の虫が鳴く。
そして9月がおわり。
中秋10月なり紅葉の季節。
そして10月がおわり。
「11月」になり。
晩秋「11月」もおわり12月の「冬」。
「12月」になればまた「年」があけ。
また「初春」がくる。

そして来年も「春」の「3月」がきて。
そして「4月」。
そして「5月」がくる。

もう「はる」の「5月」です。

「晩冬」の冬はおわりました。

「雪国の冬」はおわりました。

そして「12月」の冬至を。

すぎて「陽」はもうすでに

日々とてもたかくなりつつあります。

「春」がきて。

今は「夏」に向かう「春」です。

「春」の「5月」です。

「昨年」12月の冬至は

おわりました。

「夏」の「6月」までひと月。

陽は日々たかくなっている。

とてもよくわかります。

朝陽ののぼるのが早くなりました。

夕陽がおりるのは遅くなりました。

朝の「春」の陽射しは窓越しにも「まばゆい」

くらいです。

夕暮れの「春」の陽射しは「きかんぼう」

の「やんちゃぼうず」のようです。

なにかおちつきません。

まことに。

冬来たりなば春遠からじ。

ふゆきたりなば

はるとおからじ

(出 典は。

 イギリスの詩人シェリー*の

『西風に寄せる歌』の一節。

英 語の原文: 

If winter comes,

can spring be far behind? )

「英国:United Kingdom UK」のロマン派の
詩人は。「御自分」のテーマの「鳥」を
紋章のようにもっています。
英国ロマン派の詩人は、
それぞれ愛好し、崇拝する鳥を持っていました。
パーシー・シェリーは「雲雀」(ひばり)の声に魅惑され、
ひばりを主題とした詩を書いています。

またジョン・キーツは、
「夜鶯」(ほととぎす)の神秘的な声に魅惑され。
夜の闇に響くその歌声を主題に詩を書いています。

ワーズワースにとって、詩の霊感をもたらし、
彼に生きることの喜びを教えてくれる鳥は、
「郭公」(かっこう)でした。

「秋」から「冬」への

移り変わりは

二階から。

「かけあし」の足音のきこえる。

怒涛のごとき「はやさ」でした。

二階から。

「かけあし」の足音のきこえる。

「かけあし」10人分

の「足音」のようでした。

「9月」の初秋がおわり。
「名月中秋10月もおわり」ました。
「11月」。

「11月」もおわりました。
「12月」もおわりました。
「新年」「初春」の「1月」もおわり。
今は
「2月」「晩冬」もおわりました。

「晩秋」から「冬」への移り変わりは

「かけあし」のようにうつろいました。

一方

「春」はゆっくりと。

ゆっくりと。

ゆっくりと。あるいて来ます。

そしてゆっくりと。

あるいて行きます。

だから。

「春」をまつのであれば。

「春」がゆっくりと。

歩いてくるのをまたなければ。

なりません。

「夏」がくるのをまつのであれば。

「春」がゆっくりと。

歩いていくのをまたねば。

なりません。

もう「春」ですね。

「冬」はかけあしでやってくる。

「春」はゆっくりと歩いてやってくる。

さきのことすぎるかもしれないが「来年」。

このように「時」のうつろいを

心はせれば。

考えると「おそろしいもの」です。

考えなければ。
「なおおおそろしい」
ものであるものかもしれない。

「考えずにいるつけ」がまわって
くるからかもしれません。

「来年」のことを考えれば「鬼」が笑う。
「来年」のことを考えずにすむのであれば「鬼」は
笑わないのでしょう。
「鬼」とはなんだろう。

今日の深夜早朝03:15amには。

久方ぶりに。

大きな「春」の「星空」がみえました。

早朝くらいうちは。

空に月。

「お月様」が「「冬」雲のじゅうたん」

天高くにねそべって。

かさををさしている

ようです。

「春」の「夜空」の。

「おぼろ月夜」です。

04:00amころ日があければ。
まだまだくらい朝日を背に。
西のコバルトの空高く明るい。
とても高い成層圏近くの高い高度に。

西のコバルトの空高に。
「刷毛」でひいたように「絹雲(けんうん)」が
何本も何本も。
描かれて。
たなびいていました。

実に見事な筆捌(ふでさばき)です。
ためらいのない「朝焼け」
「春」の「朝焼け色」の線描です。

「春」の朝。

「陽射し」ののぼるころは。

「西」の空

のほうが明るいのです。

朝が明けて午前になれば。

まばゆいほどの。

「春」のひざしが。

陽がのぼる。

東から。

窓のカーテンと。

木々の合間をぬって。

「さあ 外にでて!」

とさそうがごとく。

よびかけてくるようです。

高い成層圏近くの高い高度に。
「刷毛でひいたように」「絹雲(けんうん)」
の端には渦巻きのような「ぬけあな」があり
「さらなる遠方の青空」が透けてみえます。

さながらにして。
東山魁夷画伯の描かれた大きな壁画。
大きな屏風絵の世界。

東山魁夷画伯の描かれた大きな絵画を
彷彿とさせますです。

東山魁夷画伯。
「よくえがかけた画伯です」。

この「あおぞら」をみていると。

陽のひかりをみていると。

とても

信じられないくらいに。

元気がわいてくることに。

気が付きました。

「太陽」の「陽射し」。

「陽」の「めぐみ」は。

なんと。

ありがたいことだろう。

なんと尊いことだろう。

そら一杯の青空の

天井(てんじょう)と。

「太陽のひかりのひざし」は。

「生きとし生けるもの」にとって。

なによりもの。

まことの。

「めぐみ」なのであり。

それを戴けるのは。

「よろこび」ふかきことです。

「太陽のひかりのひざし」は

「いのちへのめぐみ」。

「いのちのよろこび」。

ありとあらゆる「生命」「いのち」をはぐくみ。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をたたえる。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をなぐさめる。

「生きとし生けるもの」の「いのち」に。
さらなる。
「はるかかなた」までの。
「いきるちから」をさずけるものです。
「太陽」。
ありがたいものです。

はやいものです。
ときのたつのは。
はやいものです。

そしてふと考えれば

去年も
「12か月」が
終わりました。

中秋から晩秋にうつろい。
いまや
「寒月」の「12月」がおわり。
新年の「1月」がおわり。
「晩冬」の「2月」がおわり。
「初春」の「3月」「4月」がおわり。

「春「5月」です。

病院の庭園に「何本」もある
「春の花」の大木が。
いずれもが紅白の花を

緑野に見え隠れする蓮華草
のように。

みのらせています。

「春の花」は。
「はつはな」で初々しいです。
けれども。
「春の花」は。

は雨に打たれると。
花は地面に紅白の毛氈(もうせん)
のように落花してしまいます。

くれない色としろ色の雪のようです。

「春の花」の花の花びら。

ひろって。
手のひらにかかげれば。
「春の花」の花のかおりは。
プラチナ色の香りが
致しました。

今は。
「春の花」が。
蕾をふくらませています。
「春の花」の。

はながは鐘(ベル)のように。
ふくらんでいます。

「春」の花の「はなびら」が。

闇夜のあいだに。

朝の早朝まだ。

「花」にもきがつかぬうちに

また地に舞い下りています。

「春の花」の花ひとつさいて。

夜の「春吹雪:はるふぶき」で。

ちったようです。

みつめれば。

「春吹雪:はるふぶき」に。

弓射られた白鷺(しらさぎ)の羽が。

舞っているようでした。

寒い「春」も。

「昆虫」の少ない時期に。

「春の花」は。

は花をさかせ。

どのように授粉して。

「実る」のだろう。

「春の花」の花ひとつさいて。

夜の「春吹雪:はるふぶき」で。

ちる。

「春の花」は。

「花」はすぐに

落下する。

このあたりに。

「春の花」

には。

ひとのよの。

「人生」の。

「解答」があるような

気が致します。

ふと野の花は。

一般的には。

香らない花が。

多いことに気づきました。

伊藤左千夫の「野菊の墓」の「野菊」は。
矢車菊 (やぐるまぎく)
はとても綺麗なむらさきの「のぎく」です。
けれども「のぎく」は香りません。
(Corn lower, Bachelor's-button)です。

因みに
最高級の(今はもうとれない)
インド・カシミール地方で産出されたの
サフアイアの色は

「矢車菊色:やぐるまそう色」といわれます。

「カシミール・ヴァイオレット」。

麦畑やとうもろこし畑の中に 咲いていたことから。
「コーン・フラワー」=「野菊」(Corn lower)
です。

別名 「矢車草(やぐるまそう)」
といわれることがあります。

実は「矢車菊 (やぐるまぎく)」と
「矢車草(やぐるまそう)」まったく違う植物です。
矢車菊 (やぐるまぎく)が「野菊」。
「矢車草(やぐるまそう)」は「高山植物」。

「野菊」は春から夏にかけて咲くむらさきの花です。

古代エジプトのツタンカーメン王の墓 からも
発見された由緒正しき「野菊」。
色は紫。むらさきです。

ツタンカーメン王の。

まだ幼な子王妃が。

「亡きツタンカーメンンに野菊の花束ささげるけなげな姿」
が鮮烈に眼に浮かびます。

この「花」が。

「野菊」です。

「野菊の墓」の「野菊」。

けれども。

「野菊」は

香らない。

毎朝暗い早朝と。

うす暗くなる午後4時ころには。

「春吹雪:はるふぶき」が

ふいている。

「春吹雪:はるふぶき」がかわりばんこに。

あちこちで

「ろうろう」「こうこう」とないています。

「春かぜ」の
「春吹雪:はるふぶき」
の「コーラス」を聞いていると。

ふと。

「この「春」におびえるひと」の気配が
脳裏をはしりました。
はてだれだろう。

うら若き乙女。
貧しさに。
苦労に苦労をかさねて。
苦しんで苦しんだ苦しんだあげくに。
24歳にして世を去った
「樋口一葉」。

樋口一葉の
「うらわかき」「「冬」と「春」の短歌」がきこえるようです。

散たまるふもとの落葉わけて思ふ
埋もれぬべきは雪の山里<

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ
うもれぬへきはゆきのやまさと

庭の面につもる紅葉の色見れば
散りての後もにしきなりけり

にわのおもにつもるもみしのいろみれば
ちりてのあともにしきなりけり

世の中の秋にあはじとおくれけん
一もと野ぎく思ひあがりて

よのなかにあきにあはしとおくれけん
ひともとのきくおもひあがりて

折々に散るものどけし春雨の
はれたる軒の山桜ばな

おりおりにちるものどけしはるさめの
はれたるのきのやまさくらばな

わが園のものとおもへば初わかな
はつかなれども嬉しかりけり

わがそののものとおもへばはつわかな
はつかなれどもうれしかりけり

立ち渡る霞をみれば足引きの
山にも野にも春は来にけむ

たちわたるかすみをみれはあしひきの
やまにものにもはるはきにけむ

わたつ海の波のいづこに立ち初て
果なくつゝむ春の霞ぞ

わたつみのなみのいづこにたちそめて
はてなくつつむはるのかすみぞ

さざ波やしがの都のいにしへの
おもかげうすく立つ霞かな

ささなみやしかのみやこのいにしえの
おもかけうすくたつかすみかな

鶯のけさおとづるゝ声聞て
はじめて春の心地こそすれ

うくいすのけさおとつるるこへききて
はしめてはるのここちこそすれ

うれしくもわがものにして聞てけり
このあかつきの鶯の声

うれしきもわかものにしてきこへけり
このあかつきのうくいすのこへ

のどかなるけさの雨にやはるの野の
みどりも色まさるらむ

のとかなるけさのあめにや
はるののの
みとりのいろもまさるらむ

おくれたる友の為にとしをりして
谷間の蕨折り残しけり

おくれたるとものためにとしをりして
たのまのわらひおりのこしけり

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ

うもれぬへきはゆきのやまさと

にわのおもにつもるもみしのいろみれば

ちりてのあともにしきなりけり

よのなかにあきにあはしとおくれけん

ひともとのきくおもひあがりて

-------------------------------

おりおりにちるものどけしはるさめの

はれたるのきのやまさくらばな

わがそののものとおもへばはつわかな

はつかなれともうれしかりけり

たちわたるかすみをみれはあしひきの

やまにものにもはるはきにけむ

わたつみのなみのいづこにたちそめて

はてなくつつむはるのかすみぞ

ささなみやしかのみやこのいにしえの

おもかけうすくたつかすみかな

うくいすのけさおとつるるこへききて

はしめてはるのここちこそすれ

うれしきもわかものにしてきこへけり

このあかつきのうくいすのこへ

のとかなるけさのあめにや

はるののの

みとりのいろもまさるらむ

おくれたるとものためにとしをりして

たのまのわらひおりのこしけり

「24歳」の「とても貧しい乙女」の。

「春」によろこび。

「春」にもおびえおののく。

かなしさの。おもかげと。

光さす。輝きと。

いまだお若い「御婦人」の「知」「智」が。

「ひしひし」とよみとれます。

「冬至」はすでにすぎました

これからは日は。
陽は次第にながくなる。
日が長くなる。
朝は明けるのは早くなり。
夕に暗くなるのは遅くなる。

しだいに陽がながくなる。
なぜか。
不思議なやさしさ。
やすらぎと。
心やすらかなる
安堵感をかんじます。

心やすらかなる
安堵感をかんじます。

けれども。
「安堵」と「落胆」は。
常に表裏一体。
両羽(もろば)の剣。

「ぬかよろこび」の「ぬか」のような
ものです。

「ながくなる陽」も両羽(もろば)の剣を
持っています。

そして。
季節には「大気の音色(ねいろ)」もあるようです。

朝空は
陽ははるかに天高く。
空色はミルク色です。
クリームのかかった雲空です。

東京都世田谷区山本クリニックの庭園には

「えどむらさき」という「つつじ」
が「何本」もはえています。
野生種に近いものです。
大きな真紅紫の花を咲かせます。

「つつじ」ですから
盆栽の「皐月:さつき」のような
繊細さはみえません。

この「4月」になり。
森山を分け入ると。

木々の根元に隠れ咲く。
だいだい色の花の花のごとくに紅葉したまま
しもがれする
「やまはぜの葉木」が「大好き」です。

「やまうるしの紅葉」もかわいらしく。
「大好き」です。

身の丈以上ほどにもなって群生する。
野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
が。
病院の林の一角に野生のまま
おいしげっています。

野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
のパープルの真珠が群れたように実る
「実りの木の実」の風にそよぐ音色には。
おどろかされます。

あけびつたもうれしい。
あけびの「実」がみつかればなおなおうれしい。

またたびをみつけました。
根元にねこにかじられきずがある。

里山の冬の時期から。
そして初春の里山の季節
になりました。

四季の歩みの春夏秋冬のうつろいは
メトロノームの「あゆみ」を
感じさせます。

この「あゆみ」の「質量」は
とてもとても高いです。
質量があれば。あたかも。
重力のように。
四季のリズムにひきよせられていく。
そのような感じがします。

四季の歩みの春夏秋冬は。
フアジーでいてなお着々。
確実な「リズム」を感じます。

ここに。
「メロディ:旋律」とハーモニー:和声」
がくわわれば「音楽の三要素」。
音楽と同じです。

草花や草木につつまれた自然は。
「音楽」と同じように
ひびきとして聴こえます。

自然は
「しぜん」の
「ヴィルトオーゾ」と
「ヴィルトゥオーサ(virtuosa)」
*です。

この「自然のフイルハーモニウム」の。
指揮者は。
太陽なのか大地なのか人なのか。

或は音色をかもし出す自然はオーケストラ
であるのか。
ソリストなのだろうか。

私の尊敬する「合衆国USA」の
女性で小説家(「ノーベル賞受賞者」)
「パール・サイデンストリッカー・バック
(Pearl Sydenstricker Buck)
中国名、賽珍珠(サィ・チンシュ)」
パールバックの「大地」に
その「こたえ」が示唆されています。

古代より芸術家が
自然を音楽や絵画や彫刻
で表現しようとした気持ちが良く判ります。

*ヴィルトゥオーソ(virtuoso)は、
「博識、達人」を意味するイタリア語の男性名詞である。
複数形の場合はヴィルトゥオーシ(virtuosi)
、女性形はヴィルトゥオーサ(virtuosa)となる。
ラテン語のvirtus(「男らしさ」「美徳」「至高」の意)を語源とし、元来は「有徳の」「誉められるべき」
を意味する形容詞の男性形であった。

実際の楽曲ではこの三要素は。
密接に音楽的に結びつきひとつの楽曲をなします。

但し音楽の「リズム・メロディ・ハーモニー」は
一つだけを明確に取り出せる「成分」というわけ
ではありません。

また「音楽であるため」に。
三要素が絶対必要ということ
でもないでしょう。

邦楽などではリズム・ハーモニーは
存在しないか希薄である事が多いです。
「音楽」として「欠陥」があるわけ
ではありません。

「リズム・メロディ・ハーモニー」
が西洋音楽の常識ではありえないほど
高度な進化を遂げた音楽も存在致します。

邦楽もその一つです。

大和の国 やまとのくにの自然は。
「大和の国の音楽」と同じように思えます。
聴こえます。

「音楽」は「音」「おと」です。
そして「しらべ」=メロディとハーモニーです。
人類が「この音楽」を「楽譜」として
「寸分たがわず」「譜面」という名の「紙」に
「かくことを完成させた」ということは
大変なことです。

人間は。
人類は。
わずか「400年」で。

「音楽の旋律」に対する「楽譜」を。
「あらたな言語」を
完全に「完成」させたことになります。

まさにミューズの神の「神業かみわざ」です。

木々のめぶきの
冬なおも。
ますます力強い息吹を感じます。

「真夏」をすぎ「冬」になると。
再び「若葉」がみられることに。
きづきました。
「ため息」がでるほど木々の「冬若葉」の
「つどい」は「つよく」「うつくしい」。
雪の上のみどり。

木々のてっぺんは萌黄色から
「ふかみどり」
になりました。
そして「しっかりと樹木として
「冬を迎えた葉束」になりました。
これからは
「深まる冬」がすぎさり「春」。
「開花」の炎が。
樹木の上方で。
「雪の到来」を.
くすぶりてまちわびてています。
たえしのぶ冬の樹木です。

「若葉」の「新緑」から「深緑」です。

高い木々の穂先は萌黄から若草色に。
うねるなみのように。
木々の新緑は常緑となり冬のおとずれを
伝えていました。

桜は葉桜から「葉木」
道路沿いの「けやき」の木々も
萌黄から若葉。
そして青葉。
どうもうともいえる青葉。
そして見え隠れする「紅葉葉」。
紅葉葉の10枚20枚がひとつひとつ
の樹木にみえるようになりました。
「黄色調」です。
そして今「樹木」は「葉のいろ」をかえ
「宙」に舞おうとしています。

明らかなる。
「冬から春」とはことなる。
「夏から秋」。
「秋から冬」
そして「冬」の「木枯らし」。

木々の四季の。
大気の「色」のうつろい
に気づきます。

今は里山(さとやま)をさまよい。
今は里山(さとやま)をあるきたい。
今は里山(さとやま)の季節。
今は昔々里山(さとやま)であそび。
今は昔々て里山(さとやま)でおぼえ。
今は昔々里山(さとやま)でまなんだ。
今は昔々のその日々の思い出は。
今は黄金(こがね)か。あるいは。
今は銀か。いぶし銀か。
今はもしかしたらプラチナか。
今は思い出色は鉛のように。
今は重さは鉛のようになり。
今は心の奥深くに埋もれて感じられます。

「幸せ色」=「しあわせいろ」

ならばよいです。

けれども
早朝は非常にあたたかくなりました。

春やま中さまよいて
春やま中をわけいらば
春やま中大樹の根元に隠れたり
春やま中あけぼの色のちひさき炎(ほのほ)
春やま中みつけたりやまの秋の華。
春やま中やまの秋葉木のかくれんぼ
春やま中大樹の根元に隠れたり
春山はぜの葉木。
春やま中やまうるしの葉木。
春やま中あきやまはぜとふるやまうるし。
春こす「はだか木」。
春こす元気な木。たくましき木。

春山萩(やまはぎ)の
春花をかくして燃えたたむ
春に実りの祭りなり
春山はぜの葉炎
春天高く燃ゆ

はるやまはぎの
はるはなをかくしてもえたたむ
はるにみのりのまつりなり
はるやまはせのほのほ
はるてんたかくもゆ

はるひろくなりけり空(そら)たかし
はるさとやまに木々のみどり木
はるこもれびうけて燃えるがごとし
はるみどりの炎(ほのほ)
はるほのほうちけさむかすみはあおし
はるほのほにかすみにただよひて
はるうるわしくかがやきたり
はるあたたかくかおりたり
はるあざやかなりけり 
はるやまさとのやまみどり
はるやまさとのふかみどり

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
は「英国:United Kingdom UK」の
「風景画家」
天才画家ですが「緑」が大嫌い
で「黄色」が「大好き」。
「木」をかくのを非常にいやがったそうです。

多分ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
が「修行時代」に「お金にために
「どこの国も同じですが」
「名所絵」をかかされたときの
「反動」ではないかと
今の私は考えます。

「大きな夏みつけた」

から

「夏がすぎてて真秋間近い」

「小さな秋みつけた・。」

そして

「小さな冬みつけた」

そして

「大きな冬みつけた」。

そして

「小さい春」がみつかって。

しだいにおおきな。

「春」になりました。

「夏」もちかづく「八十八夜」

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成21年01月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
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平成21年2月11日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年3月20日(金曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

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平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
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★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらず
インフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。

「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。

私の「大好き」な作曲家の一人。
叙情的で流麗・メランコリックな旋律や。
絢爛豪華なオーケストレーションが人気の
要因となっている押しも押されぬ作曲家。

またリズムの天才と言われる作曲家。

一つのフレーズを発展の連結にしたり。
半音階上昇させたりまたは下降させたりと。
他の作曲家には見られない「テクニック」
をもっていた作曲家。
1840年(ユリウス暦4月25日)-
ピョートル・チャイコフスキー、作曲家(+ 1893年)
の生誕日です。

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ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
:ロシア語:Пётр Ильич Чайковский;
ラテン文字表記の例:Peter Ilyich Tchaikovsky、
1840年5月7日(ユリウス暦では4月25日) -
1893年11月6日(ユリウス暦10月25日))
はロシアの作曲家です。

現在のポルタヴァ州に領地を持っていた
ウクライナ・コサックのチャイカ家に出自を持ちました。

(Чайковский(チャイコフsキー)
の「Чайкa;チャイカ」は「鳥」の「カモメ」
の意味です。

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ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
:ロシア語:Пётр Ильич Чайковский
のメロディは「なつかしく親しみやすい」
ものです。

チャイコフスキーはその親しみやすい作風から。
クラシック入門の企画などで採り上げられることが
大変多い作曲家であると思います。

叙情的で流麗・メランコリックな旋律や。

絢爛豪華なオーケストレーションが人気の
要因となっています。

またリズムの天才と言われています。

一つのフレーズを発展の連結にしたり。
半音階上昇させたりまたは下降させたりと。
他の作曲家には見られないものです。

曲想はメルヘンチックであり、
ロマン濃厚といわれる表情が見えたりするかもしれません。

作品は非常に多岐にわたります。

とりわけ後期の交響曲・バレエ音楽・
協奏曲などが愛好されています。

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チャイコフスキーの繊細な心は
あらゆる「弱いもの」或は「はかないもの」
に向けられていることが
大きな特徴です。

イタリア旅行で発見して気に入った
楽器である「チエレスタ」を用いた。

「くるみ割り人形」の
「金平糖のおどり」などは。

たたけばこわれてしまいそうに
はかなくも美しいメロディです。

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ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
:ロシア語:Пётр Ильич Чайковский
が音楽の題材に関心をむけたのは。

孤児や可哀想な動植物などです。

しかしその弱いものへの深い愛情と共感につい
て日記や手紙において熱烈な表現を使ったために。
様々な憶測を呼びました。

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チャイコフスキー
初期の作品ピアノ協奏曲第1番は。

現在でこそ「冒頭の部分など」は。
どなたでも聞いたことのあるほど
ポピュラーなメロディです。

けれどもこの「ピアノ協奏曲1番」は。
作曲された際に。
曲を献呈されたニコライ・ルビンシテインは。

「演奏不可能」の「駄物」とレッテルを貼られ、
初演さえおぼつかない状態にありました。

(しかし、後にルビンシテインはこの曲を
レパートリーとするに至りました)。

++++++++++++++++++++++

ピアノ協奏曲同様にヤイオリン協奏曲も今現在でこそ
有名。

現在では非常に有名なヴァイオリン協奏曲の場合も。

名ヴァイオリニストの。
レオポルト・アウアーに打診するも。
「演奏不可能」と初演を拒絶されてしまいました。

そのためこの曲は初演は「ヴアイオリニスト」
アドルフ・ブロツキーの
ヴァイオリンにより。
「指揮者」
ハンス・リヒター指揮によって初演されました。

しかし聴衆の反応は芳しくなく、
評論家のエドゥアルト・ハンスリックからは
「悪臭を放つ音楽」と酷評されました。

++++++++++++++++++++++

ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーの
ヴアイオリン協奏曲の初演を行った
アドルフ・ブロツキーは。

この作品の真価を確信していました。

ブロツキーは各地でヴァイオリン協奏曲を演奏し
次第に世評を得るようになりました。

その後最初拒否をした。
アウアーもこの曲を評価し
自身のレパートリーにも取り上げるようになりました。

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ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
:ロシア語:Пётр Ильич Чайковский
の。

最後の交響曲である「悲愴」も。

初演時の聴衆の反応は好ましいもの
でなかったとされています。

しかし不評の理由は。
作品のもつ虚無感と不吉な終結によるものと
思われます。

世評を気にしがちなチャイコフスキーも
「悲愴」だけは初演の不評にもかかわらず
「この曲は、私の全ての作品の中で最高の出来栄えだ」
と周囲に語るほどの自信作であったのです。

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ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
:ロシア語:Пётр Ильич Чайковский
は。

なお数は多くないが、正教会聖歌も作曲しています
(金口イオアンの聖体礼儀)。
これはロシア正教会の事前の許可を得ずに
作曲されたものであったため
、一時は教会を巻き込んだ訴訟沙汰にもなりました。
現在ではロシア正教会・ウクライナ正教会・
日本正教会などで歌われています。

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ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
:ロシア語:Пётр Ильич Чайковский
に対するロシアの作曲家達の評価。

後のロシアの著名な作曲家による
批評であるが、ストラヴィンスキーやプロコフィエフは
作曲家としてのチャイコフスキーを高く評価する一方。

ショスタコーヴィチは全く評価しなかった
との証言があります。

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なお、宗教及びロシア帝国を否定した旧ソ連時代には、
チャイコフスキーの宗教的および愛国的な作品のタイトルが
改竄されたり致しました。

ロシア帝国国歌の引用が削除されるなど致しました。

これらはソ連崩壊後に原典版に修正されました。

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++「続きを読むです1」++++++++++++++++++

ピョートル・チャイコフスキー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC

ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー:ロシア語:Пётр Ильич Чайковский;ラテン文字表記の例:Peter Ilyich Tchaikovsky、1840年5月7日(ユリウス暦では4月25日) - 1893年11月6日(ユリウス暦10月25日))はロシアの作曲家である。現在のポルタヴァ州に領地を持っていたウクライナ・コサックのチャイカ家に出自を持つ。

概略 [
チャイコフスキーはその親しみやすい作風から、クラシック入門の企画などで採り上げられることが大変多い作曲家である。叙情的で流麗・メランコリックな旋律や、絢爛豪華なオーケストレーションが人気の要因となっている。またリズムの天才と言われ、一つのフレーズを発展の連結にしたり、半音階上昇させたり、または下降させたりと他の作曲家には見られないものがある。曲想はメルヘンチックであり、ロマン濃厚といわれる表情が見えたりする。

作品は多岐にわたるが、とりわけ後期の交響曲・バレエ音楽・協奏曲などが愛好されている。

チャイコフスキーの繊細な心はあらゆる弱いものに向けられた。孤児や可哀想な動植物、また同性愛者に理解を寄せて共に時間を過ごす事もあった[1]。しかし、その弱いものへの深い愛情と共感について日記や手紙において熱烈な表現を使ったために、様々な憶測を呼んだ。その手紙により、彼が晩年に男性への愛情を注いだに違いないと邪推された人物は、実際のところ聾唖(ろうあ)の障害がある少年であった。

略歴
1840年、ロシアのウラル地方ヴォトキンスクで鉱山技師の次男として生まれる。幼少のころから音楽的才能を示したが、両親には息子を音楽家にする意志はなく、10歳でサンクトペテルブルクの法律学校に寄宿生として入学させた。
1854年、コレラに罹患した母親が40歳の若さで亡くなり、チャイコフスキーは大きな打撃を受けた。
1859年、法務省に勤務する。
1861年、アントン・ルビンシテインが設立した音楽学校に入学。
1863年、法務省の職を辞して音楽に専念。
1866年、交響曲第1番「冬の日の幻想」の初演、初のオペラ「地方長官」を完成。同年、アントンの弟、ニコライ・ルビンシテインが創設したモスクワ音楽院に講師として招かれる。
1868年、オペラ歌手デジレ・アルトーと恋に落ち、毎晩、彼女の元へ通うようになる。この事が誰の目にも明らかになり、自分の父親に結婚したい旨を手紙で書き送る。婚約にまで至るが翌年破局。
1875年、ピアノ協奏曲第1番を作曲。初演を依頼したニコライ・ルビンシテインの酷評を受け、ハンス・フォン・ビューローに楽譜を送る。ビューローによる初演は大成功し、ヨーロッパの各都市で演奏された。ニコライはチャイコフスキーに謝罪し、自らもこの曲を演奏するようになった。
1876年、富豪の未亡人ナジェジダ・フォン・メックから資金援助を申し出られる。チャイコフスキーとの間には頻繁に手紙が交わされたが、2人が会うことは一度もないまま、この交際は14年間にわたってつづいた。このころ作曲された交響曲第4番はフォン・メック夫人に捧げられた。またトルストイとも知り合う。
1877年、アントニナ・イワノヴナと結婚。この結婚は失敗し、チャイコフスキーはモスクワ川で自殺を図るほど精神的に追い詰められた。バレエ「白鳥の湖」完成、オペラ「エフゲニー・オネーギン」完成。
1878年から約10年間、ヨーロッパ周辺を転々とし、大作から遠ざかる。「弦楽セレナード」(作品48)、大序曲『1812年』(作品49)が書かれる。
1881年、友人ニコライ・ルビンシテインの死。彼の死を悼んでピアノ三重奏曲の作曲を着手する。翌年完成し、ニコライの一周忌に初演。原稿には"a la memorie d'un grand artiste"(ある偉大な芸術家の思い出のために)と書かれていた。
1888年、交響曲第5番(作品64)完成。バレエ「眠れる森の美女」(作品66)完成。この年と翌1889年はヨーロッパ各地で自作の演奏も行う。この際ライプチヒで、かつての恋人デジレ・アルトーと旧交を温める。
1890年、フォン・メック夫人から財政援助を打ち切られる。
1891年、バレエ「くるみ割り人形」(作品71)作曲。アメリカに旅行、カーネギー・ホールのこけら落としに出演。
1893年、交響曲第6番「悲愴」(作品74)初演。それから9日後の11月6日に急死。死因には諸説があるが、後述するように現在ではコレラ及び肺水腫によるものとされている。

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++

5月7日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/5%E6%9C%887%E6%97%A5

できごと
1274年 - 第2リヨン公会議開会。

1824年 - ベートーヴェンの交響曲第9番 ニ短調
「シラー『歓喜に寄す』による合唱終曲付き」初演。

1875年 - 樺太・千島交換条約締結。

1915年 - 第一次世界大戦で、アメリカ人128人が
乗船していたイギリス客船ルシタニア号がドイツ潜水艦の攻撃を受け沈没
(ルシタニア号事件)。アメリカの対独姿勢が硬化。

1919年 - パリ講和会議で赤道以北の旧ドイツ領を日本が委任統治することに決定。

1936年 - 斎藤隆夫が帝国議会で粛軍演説。

1942年 - 太平洋戦争で、珊瑚海海戦。

1945年 - フランス・シャンパーニュ地方のランスで
連合国軍司令長官ドワイト・D・アイゼンハワー将軍と
ドイツ国防軍作戦部長アルフレート・ヨードル将軍が降伏文書に調印

1946年 - 東京通信工業(現在のソニー)が設立

1954年 - ディエンビエンフーの戦い終結。

1955年 - 西欧同盟が正式に発足。

1955年 - 最高裁、帝銀事件の平沢貞通被告の死刑判決に対する異議申立を棄却、
死刑判決が確定。

1968年 - パリで学生デモが激化、凱旋門を占拠(五月革命)

1992年 - スペースシャトルエンデバーが初飛行。

1999年 - 情報公開法が成立。

2000年 - ウラジーミル・プーチンがロシア大統領に就任。

2002年 - 中国北方航空6136便放火墜落事件、
北京発大連行きの中国北方航空6136便マクダネル・ダグラスMD-82型機が
大連空港東の海上に墜落、
乗員乗客112名全員が死亡、
墜落原因の調査の結果乗客のひとりによる保険金目当ての自殺である事が判明。

2006年 - 山形一家3人殺傷事件。

2007年 - 大関・栃東大裕が引退を正式発表。

2007年 - ニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜が日米通算2000本安打を達成。

2008年 - ドミートリー・メドヴェージェフがロシア連邦大統領に就任。

2008年 - イエメンで日本人観光客が誘拐される(イエメン日本人観光客誘拐事件)。

誕生日
1676年 - ピエトロ・ジャンノーネ、歴史家(+ 1748年)

1711年 - デイヴィッド・ヒューム、思想家(+ 1776年)

1763年 - ユーゼフ・ポニャトフスキ、
ポーランド出身のフランスの軍人・元帥(+ 1813年)

1824年 - アレキサンダー・ウィリアムソン、化学者(+ 1904年)

1833年 - ヨハネス・ブラームス、作曲家(+ 1897年)

1840年(ユリウス暦4月25日)- ピョートル・チャイコフスキー、作曲家(+ 1893年)

1873年 - 美濃部達吉、憲法学者(+ 1948年)

1892年 - ヨシップ・ブロズ・チトー、ユーゴスラビア大統領(+ 1980年)

1897年 - 木々高太郎、小説家・生理学者(+ 1969年)

1901年 - ゲイリー・クーパー、俳優(+ 1961年)

1908年 - 髙登渉、大相撲力士(+ 1999年)

1911年 - 本多猪四郎、映画監督(+ 1993年)

1919年 - 仁杉巌、第9代日本国有鉄道総裁

1919年 - エヴァ・ペロン、アルゼンチンのファン・ペロン大統領夫人(+ 1952年)

1921年 - 川崎徳次、元プロ野球選手・監督(+ 2006年)

1930年 - アナトリー・ルキヤノフ、政治家

1933年 - 塚本信夫、俳優(+ 1996年)

1941年 - 萩本欽一、タレント、茨城ゴールデンゴールズ監督

1941年 - 青江三奈、歌手(+ 2000年)

1942年 - ニャホニャホタマクロー、元ガーナサッカー協会会長、政治家、医師

1944年 - 古川俊隆、元内閣総理大臣秘書官

1946年 - 新井満、小説家

1947年 - 佐々木剛、俳優

1948年 - 西岡恭蔵、シンガーソングライター(+ 1999年)

1951年 - 木下富雄、野球選手
1952年 - 松田重治、声優
1954年 - 河内敏光、bjリーグコミッショナー
1956年 - ボブ・サゲット、俳優
1957年 - 佐田玲子、シンガーソングライター
1960年 - 野沢尚、脚本家・小説家(+ 2004年)
1961年 - 中山千彰、TVプロデューサー
1961年 - 田中宇、フリージャーナリスト
1964年 - 鉄炮塚葉子、声優
1965年 - 上川隆也、俳優
1966年 - 中島唱子、女優
1966年 - 佐藤あつし、ミュージシャン(元Darlin's Darlin'・STAGGER・HΛL)
1967年 - 大翔鳳昌巳、大相撲力士(+ 1999年)
1969年 - 佐藤二朗、俳優
1969年 - 小桧山雅仁、元プロ野球選手
1970年 - 上田晋也、お笑い芸人(くりぃむしちゅー)
1970年 - リード・シークリスト、元プロ野球選手
1970年 - マーク・スミス、元プロ野球選手
1973年 - 南部直史、作曲家
1975年 - 笹山洋一、元プロ野球選手
1976年 - 加藤明子、アナウンサー
1976年 - まちゃまちゃ、タレント
1976年 - LITTLE、ミュージシャン(KICK THE CAN CREW)
1978年 - 原田健二、俳優
1978年 - 河野昌人、元プロ野球選手
1979年 - 窪塚洋介、俳優
1980年 - 杉山春樹、野球選手
1980年 - 寺田祐也、元プロ野球選手
1981年 - 長崎元、元プロ野球選手
1982年 - 秋元玲奈、読者モデル
1984年 - 神戸みゆき、タレント(+ 2008年)
1984年 - 岡田茉奈、タレント
1984年 - 松尾光次、歌手・俳優
1984年 - 筧裕次郎、プロ野球選手
1984年 - 芙咲由美恵、シンガーソングライター
1984年 - イナリワン、競走馬
1984年 - 夏樹☆たいよう、女子プロレスラー
1984年 - 末廣潤、プロバスケットボール選手
1985年 - 向ひとみ、ファッションモデル・タレント
1985年 - 後藤ゆきこ、タレント・グラビアアイドル
1985年 - ミハイル・イグナティエフ、自転車競技選手
1986年 - マット・ヘルダース、歌手(アークティック・モンキーズ)
1987年 - 紺野あさ美、元モーニング娘。
1988年 - 森本貴幸、サッカー選手
1988年 - 島崎麻衣、グラビアアイドル
1989年 - 坂本大空也、野球選手
1989年 - マチカネタンホイザ、競走馬
1990年 - 浦浜アリサ、ファッションモデル
1992年 - 山下莉央、ジャニーズJr.
1998年 - ジャングルポケット、競走馬

忌日
260年 - 曹髦、魏の第4代皇帝(* 241年)

970年 - オットー1世、神聖ローマ帝国初代皇帝(* 912年)

1166年 - グリエルモ1世、シチリア王(* 1120年)

1205年 - ラースロー3世、ハンガリー王国国王(* 1199年)

1284年(弘安7年4月21日)- 島津久経、武将(* 1225年)

1615年(慶長20年5月7日)- 真田信繁、武将(* 1567年)

1617年 - ダーヴィト・ファブリツィウス、天文学者(* 1564年)

1657年(明暦3年3月24日) - 鍋島勝茂、大名(* 1580年)

1667年 - ヨハン・ヤーコプ・フローベルガー、作曲家(* 1616年)

1682年 - フョードル3世、モスクワ大公(* 1661年)

1718年 - メアリー、イングランド王ジェームズ2世の王妃(* 1658年)

1795年 - アントワーヌ・フーキエ=タンヴィル、フランスの革命裁判所検事(* 1746年)

1800年 - ニコロ・ピッチンニ、作曲家(* 1728年)

1805年 - 第2代シェルバーン伯ウィリアム・ペティ、元イギリス首相(* 1737年)

1818年 - レオポルト・アントニーン・コジェルフ、作曲家(* 1747年)

1825年 - アントニオ・サリエリ、作曲家(* 1750年)

1836年 - ノルベルト・ブルグミュラー、作曲家(* 1810年)

1840年 - カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ、画家(* 1774年)

1843年(天保14年4月8日)- 高久靄崖、南画家(* 1796年)

1862年(文久2年4月9日)- 大槻俊斎、蘭方医(* 1806年)

1873年 - サーモン・P・チェース、第25代アメリカ合衆国財務長官(* 1808年)

1885年 - 千葉重太郎、剣術家(* 1824年)

1891年 - 桂文三 (2代目)、落語家(* 1859年)

1896年 - 永樂和全、陶芸家(* 1823年)

1925年 - ボリス・サヴィンコフ、エスエル軍事部門の指導者・小説家(* 1879年)

1941年 - ジェームズ・フレイザー、社会人類学者(* 1854年)

1942年 - フェリックス・ワインガルトナー、指揮者・作曲家(* 1863年)

1951年 - ワーナー・バクスター、俳優(* 1889年)

1954年 - アンリ・ミヌール、天文学者(* 1899年)

1956年 - ヨーゼフ・ホフマン、建築家(* 1870年)

1956年 - レオポルト・ウラッハ、クラリネット奏者(* 1902年)

1964年 - ウィリアム・メレル・ヴォーリズ、建築家(* 1880年)

1965年 - チャールズ・シーラー、画家・写真家(* 1883年)

1970年 - 鈴木茂三郎、政治家(* 1893年)

1971年 - ヘレーネ・ヴァイゲル、女優(* 1900年)

1972年 - 原菊太郎、元徳島県知事(* 1889年)

1977年 - 山岸外史、文芸評論家(* 1904年)

1980年 - 野呂邦暢、小説家(* 1937年)

1986年 - ヘルマ・サボー、フィギュアスケート選手(* 1902年)

1991年 - 末永雅雄、考古学者(* 1897年)

1998年 - アラン・コーマック、物理学者(* 1924年)

2000年 - ダグラス・フェアバンクスJr.、俳優(* 1909年)

2002年 - 宮本征勝、サッカー選手・指導者(* 1938年)

2002年 - シアトルスルー、競走馬(* 1974年)

2003年 冬杜花代子、作詞家

2006年 - 並河萬里、写真家(* 1931年)

2006年 - スティーヴ・ベンダー、ジンギスカンのメンバー(* 1946年)

2006年 - 曽我町子、女優・声優(* 1938年)

2006年 - 松山恵子、歌手(* 1937年)

2006年 - 高良茂、ラジオパーソナリティ(* 1960年)

2007年 - 吉村午良、元長野県知事(* 1926年)

2007年 - ディエゴ・コラレス、プロボクサー(* 1977年)

記念日・年中行事

世界エイズ孤児デー
2002年に国連子ども特別総会が開催されたニューヨークで制定。

コナモン(粉物)の日
日本コナモン協会(会長・熊谷真菜)が2003年に制定。

博士の日
日本記念日協会が制定。