東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年5月10日(日曜日)

「ここをおして」をクリックされてください。

「ここをおして」をクリックされてください。は
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci

(申し訳ございません。今現在整備中ですがこの「画面」
を正しくみるためには
「ブラウザ」の「表示」=>「文字の「大きさ」」を「最小」
に設定されてご覧下さい。)

東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年5月10日(日曜日)

平成21年の「5月」に。

なりました。

平成21年の。

今年の「春」がきました。

「初春」の「3月」「4月」が。

おわり。

「春」の「5月」になりました。

とてもとても。

とても。

早朝「あかるい日々」が。

続いています。

「春」の「5月」です。

「春」がきた。

「はる」がきた。

どこに来た。

「山」にきて。

「里」にきて。

「野」にきて。

「春」が「まち」にやってきた。

そして「立夏」。

今年の「冬」・から「春」は予期せぬ

インフルエンザ*の

大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。

薬事法の「能書」にあるとおり

「正規の」

「2回法によるインフルエンザワクチン」の

予防接種をおすすめいたします。

常時いつでも接種可能です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

昨年の。
冬間近くの。
さらなる前に。

「晩秋」>のころ。

「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」の。
花の蕾が淡い黄金色にかがやいて。
が見えてから「10日間」で。
花は去りました。
黄金色のじゅうたんが毛氈(もうせん)ように。
地面「金色」に広がりました。

「昨年」の。
「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」に続いて。
「銀木犀:きんもくせい」もプラチナ色の
花が咲き始めました。

「昨年」の。
「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」のあとを追って。
「銀木犀:きんもくせい」の花は去り。
地面に「プラチナ」が一面に広がっていました。

「春」の「5月」

今は私の「大好き」な。

「春の花」の

の「蕾(つぼみ)」と。

「花」のふくらむ季節。

そして「若葉」の季節。

「春の花」と「みどりの若葉」

「みどり」「若草いろ」の季節になりました。

私の「大好き」な草の「花」。

「すみれ」や「たんぽぽ」の。

美しく咲く季節になりました。

そしていろいろな。

「春」の木々の花ひらき咲く季節。

花(はな)と若葉(わかば)と。

若草(わかくさ)の。

ワルツの季節になりました。

発花 発若葉

山本クリニックの庭園は。

大昔は。

雑木林であったのです。

「野生」の。

「やまぶき」や。

「やぶつばき」や。

「季節の花さく木々」が。

とても沢山。

群生してはえています。

日々の毎日にどんどんと。

みるみるうちに。

「春の花」が。

つぼみや「花」を大きくしています。

けれども「春の花」は。

蕾が大きくなったそのよるには。

花咲き。

暗い寒い朝にちっていることが。

すくなくありません。

「種の保存」の理論からすれば
「春」とはいえ昆虫の少ない日々に。

「寒い日々」に「花粉」を運んでくれる
昆虫はとても少ないはずだから。

花期はながければ長いほど「実」「種」
が「たくさん実る確率は高くなる」
はずです。

だから。
昆虫の少ない季節に。
「花期」が「極めて短命」とは。
とても不思議なことです。

春花は

ぬばたまの

暗き闇夜に

春嵐の

風に弓射られて

花ぞ舞い散る

はるはなは

ぬばたまの

くらきやみよに

はるかせの

かせにいられて

はなそまいちる

「春の花」は。
早朝には「白鷺の羽」
のように地面に
舞い降ちています。

昨年の。
「晩秋」
「木犀:もくせい」の花の
「芳香」は蕾のみえるまえから
あります。
花が去ったあとは
「あっというまに芳香が消えます」。

「晩秋」の
「木犀:もくせい」たちのかおりがさり。

「春」のなかばがすぎて。

「5月」。

わかばとともに。

つぼみを日々。

大きくしている。

「春の花」や。

「すみれ」と「たんぽぽ」

の花咲く季節。

「春」の「5月」。

そして。

「春の花」や。

「すみれのはな」

をみまもるのは。

「みかんの木」の。

「丸いみかん」の

「丸い群れ」。

「丸いみかん」は。

「丸くたわわに実り」。

まるで。

「ぶどうのふさ」のようです。

お互いに。

「はなことば」で話しをしているに

ちがいありません。

私は山茶花(さざんか)よりは。
「やぶつばき」がずっとすきです。

山本クリニックの庭園には。
いずれも。
野生の「やぶつばき」と
野生の「山茶花(さざんか)」ばかりです。
野生の「すみれ」もさいています。

堂々たる。

「春かぜ」と「春吹雪:はるふぶき」

が吹いています。

本物の「春」になりました。

「春」はじめです。

「春」がふかまり。

「もっと深い「春」」の。

トンネルをこえれば。

そこは「里山の「春」」です。

「春吹雪:はるふぶき」は

遠くの蒸気機関車の鳴き声のように

聞こえます。

近くに「春から先」への。

「トンネル」があることも

わかります。

「佐保姫(さほひめ)」の吹くフルート

のよう。

そして。

「春吹雪:はるふぶき」をなだめるように。

「花吹雪」が舞います。

「花吹雪」のほうが「役者」は上。

「花吹雪」は突如(とつじょ)天から舞い降り

ます。

そして。

春の女神。

「東」の姫君の「佐保姫(さほひめ)」

が春霞のころもをまとい。

舞い降りてきます。

「春」の陽射しはまばゆいソフトライト。

ひかりかがやく「春」になりました。

きょうは。
とてもとても寒い。

「春吹雪:はるふぶき」の声は。

「春かぜ」のふく音は。

「春」の女神の。

「佐保姫(さほひめ)」の笛ふく。

はるかぜのワルツ。

わかばのエチュード。

はるは。

いまこそ。

モデラート・マ・ノン・トロッポ。

そしてフオルテです。

最近は
朝くらい早朝には「星がみえます」。
「明けの明星」の金星が南の空に高くみえます。

病院の明かりが灯り暗闇のなか。
朝はやく。

「明けの明星」の金星に「おはよう」を
毎日こえで「御挨拶」を伝えます。
「明けの明星」の金星から「おはよう」と
返事がかえってくる声をききながら。
病院の明かりをともします。
まだ真っ暗なのですが。

夏場の早朝のくらい時には。
明星はみえずらかった。
季節が「冬から「春」へとあゆみ」。
いよいよ。
大気が「澄んできた」ということでしょう。

春霧雨(はるきりさめ)の。

春霞(はるかすみ)の大気。

「春吹雪:はるふぶき」の「音」。

「ろうろう」「こうこう」

「春かぜ」の鳴き声

「ろうろう」「こうこう」

「春吹雪:はるふぶき」の。

鳴き声とともに。

「春一番」の「「春」のしらべ」が。

あわせきこえます。

「どれみふあ」「そそそそ」

朝暗く寒いいうちの「はるかぜ」の合唱は。

「春」の「ふうりん」のようです。

あれ沢山の「ふうりん」かな。

「春」の「ふうりん」の音色です。

「ろうろう」。

さやかにやさしい「あたたかい音」です。

「こうこう」

わびわびと。

「蜜蜂をもよんでいる音」です。

「蜜蜂」のはぜる元気な「音」から

「春」のおとずれが。

わかります。

「わかば」のおとずれが。

わかります。

「ススキの穂先」は
そぞろに「春」の今年の芽栄え。

そして「春」の旅愁すら
をも感じさせます。

ススキの茎の「穂先」には。

「「春」ふくろう」が。

何匹も集ってつどい。

何匹ものふくろうが。

皆で何かを真剣に。

考えているように。

みえます。

「春」がくれば。
「緑葉をのこした「春すすき」」。

「ススキの穂先」は。

「しあわせと幸福を手招き」

している

何本もの「手」のように。

みえます。

エドヴァルド・ムンク:Edvard Munch

の「春」の絵画のようです。

私も「日々を旅ゆく人間」です。

奥の細道の序文に松尾芭蕉が。

「月日は百代の過客(ひゃくたいのかかく)
にして行かふ年も又旅人也。」

「つきはひゃくたいのかかくにして
いきかふとしもまたたひひとなり」

とかたり。詠みました。

私は

「日々の月日」に。

道連れをさせていただき。

「時」を旅をする

「旅人(たびびと)」

のひとりです。

「日々月日の旅のつれあい」は。

私には。

「きょう」と。「あす」しか。

いません。

「きょう」と。「あす」しか。

私にはありません。

朝くらいとき。
陽の出の直後は。
いつも一瞬は晴れています。
いまだ かすかにも。
のこる「初春」の気配
であるけれども。

あきらかに。
そしてしっかりと。
しのびよるもっともっと奥の。
深く深まる「春のおとづれ」からの大気。

もっと。
「あたたかい「春」」の気配が。
「確かに」。
そして明らかに。
そして輪郭もはっきりと。

感じられるようになりました。

「4月」。

もう「春」です。

そして「緑の若葉」の「5月」

をむかえました。

はやいものです。
速いものです。
早いものです。

街路樹もそうそうたる
羽振りの木々から
「はじまりゆく「春」の樹木」にうつろうように
変化しています。

「春」。
「樹木の若葉の芽生え」があることに
気がつきました。

春の芽吹くときには。
街路樹のポプラも
幹や枝葉の穂先が。
ろうそくのともしびのように。
「炎の様」になっています。
あたかも
ゴッホの描いた「夜の糸杉」のように。
春の早朝にみえます。

夏になり。
この「穂先」が一気に「ポプラの葉」へと
扇・おおぎのごとく開きます。

フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「夜の糸杉」から。
フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「ひまわり」
のように。
一斉に開きます。
8月にはいってからのことです。

10月そして11月。

今は「晩冬」の「2月」がおわり。

「春」の「3月」「4月」がおわり。
「春」の「5月」。

今現在は落ち着いた「春」の葉木。
「春」の木々の「葉」
へと。
そしてふかまる「春」の木々の「幹:みき」へと。

ふかまる「みのりの春」にむけて。
「あつく」うつろいています。

ポプラも。つばきもくすのきも。
レースのハンカチをふるように
「「春」のわかば」の「めばえ」がみえます。
窓越しにもみえます。

今は「「春」のわかば」の「めばえ」は
とても大きくなりました。
「春」の「めばえ」のひろがりです。

「冬がくると」。
空と木枯らしのかなでる「蛍の光」や
「冬のコンチエルト」にあわせるように。

ポプラの葉や芽葉は。
ハンカチのようにふわふわと。
ふわふわと。
「穂先から葉葉」は「舞い振りまがら」
ハンカチは木を去っていきました。

樹木のハンカチは。
大地を訪ねて飛翔し。
大地にまいおり大地にもどります。
そして大地となります。

そして。
ポプラの葉や芽葉が。
ハンカチのようにふわふわと。
ふわふわと。
「穂先から葉葉」は「舞い振りまがら」
木を去っていく光景は。
あたかも。

「夜の魔法」「夜のガスパール」

のようです。

「花の去った枝」には。
もう「「春」の若芽のめばえ」
が。
「若葉」がみえます。

木々の「葉」が「枝や幹」を
「保護する役割をしている」
ことに気づきました。

4月の桜の花の時期とうってかわり
桜の木の公園
の桜の木々が。
夏になりとても獰猛な気配を放つ。
初めて気がつきました。

「晩冬」の「2月」がおわり
「春」になり「3月」「4月」がおわり。
「春」の「5月」になりました。

「さくら」は春の濃い緑の樹肌になり。
やさしさとおだやかさ
が感じられます。

そしていつしか
幹先に若葉色の葉をもまじえています。
しだいにしだいに。
紅黄色の花が消え若葉にかわりつついくことに
きがつきます。

さくらから。
さくらはのきぬずれのおとが。
きこえるころ
です。

桜の樹木も「丸くなりました」。
桜の樹木も毎年毎年と毎日毎日。
「旅(たび)をしている」のでしょう。

朝陽をあびる落葉樹は
「すべてがあざやかな黄金色」に
かがやきます。
朝陽をしっかりと。
「いうにいわれぬ美しい絵のごとく」
受け止めています。

「「春」の朝陽」は真東に大変鋭いことに
気づきました。
眩しいです。

今はまぶしい「春」の「あさひ」です。

するどい「あたたかいろ」がかんじられます。

春は別として。
桜の木は木の下で。
夏は心安らかに。
「休める木ではないなあ」
と思います。
昨年は
秋になり
桜の樹木も安堵の葉色
になりました。
ちょっとばかりびっくり致しました。

枝や幹からは秋の陽の木漏れ日がみえます。

夏桜の木は獰猛なほど葉をおいしげらせ
ていました。
夏には
桜の木の下で木陰で。心安らかにやすもうという
気はおきません。

いまは「冬」から「春」になりました。
そよかぜに揺れる残り葉は
招き誘われるような気すら致します。

「春」になり幹にはもう「花は散る」。
ちったあと枝の根元には。
「春の芽栄え(めばえ)」
若葉がみえます。

けれども
やはり夏桜の木は

シューベルトの歌曲の旋律にある「菩提樹」
ではないのです。

冬の桜木(さくらぎ)。

冬になり

人生に果てて(はてて)

なれるが如く桜樹木はかわりました。

良い木になってきました。

素敵(すてき)です。

冬の桜木(さくらぎ)。

「春」の桜木(さくらぎ)。

木々でも。
いちょうや。松や。杉などの針葉樹
は。またソテツなどは。
「古い時代の木」です。

「チャールズ・ダーウィンの進化論」からは
「針葉樹」から。
「常緑樹」「広葉樹」「落葉樹」にと。
「進化」しているはずです。

「原始的」な樹木ほど。
「硬い幹」です。
例外はありません。

硬ければ。
幹は硬ければ動物に
「かじられる」ことはないでしょう。

いにしえの古代の時代にも。

恐竜をはじめめとする
「大型」の草食動物にも。

かたければかじられることは
なかったでしょう。

街並みを彩る街路樹には「落葉植物」が多いです。

ふと。考える。

街路樹が「松や杉」のように。
「冬も葉を持つ針葉の常緑樹」では。

冬はうっそうとして道端では
やさしい暖かな陽射しをかくしてしまう。

夏場は枝ぶり葉っぱぶりからつよすぎる日の光は
さえぎれません。
そして
「秋」の「夕焼け陽」には。
「金色のちいさき鳥の形して」
秋の夕焼けの陽射しに舞うこともできません。

常緑樹の針葉樹では。
は四季のリズムをつたえる

北大路魯山人のつかう

ことば。

「ざっくり感(ざっくりかん)」

のリズムや。

ハーモニー或は旋律が。

ありません。

木々の夏の萌黄が早朝暗い中でも
うかびあがります。
私はくすのきが「大好き」な「木」の
ひとつです。
ポプラも好きです。
イチョウもすきです。
モミジもすきです。
カエデもすきです。
松や杉もすきです。
月桂樹やシナモンもすきです。
オリーブもすきです。
オレンジの木もすきです。
「そてつ」の木もすきです。
ツバキもすきです。
ソテツもすきです。
南天もすきです。
木や植物がすきです。

木々の穂先は毛氈(もうせん)
のようにあざやかな秋の萌黄色です。
まるで大きな深い山の森のうねりのようです。
今年は木々のわかばの秋のめばえが非常に鮮か
です。
木々は「夏樹」の役目をおわりました。
「秋木」とかわろうとしています。
「秋木」とかわりました。
そして
さらに
「冬木」へとかわろうとしています。
「冬木」へとかわりました。
「冬木」から春の「春木」にかわりました。

街角の雑草も花は咲きはじめ。
「春の花」の姿となりそして「春」を迎える。
「ほとけの座」や「はこべ」が
「かたばみ」や「いたどり」が
ますます姿を大きくして。

そして「すすき」もくわわりました。

冬草から春草へ。
そして秋草へのたたずまいをしています。
そしてもうすっかり秋冬草へと黄金色に転した
街角には雑草もあります。
こがねいろ。

雑草も。
同じく花をさかせ自ら種をとばし
夏葉がみえる。
そして秋を迎える。
冬が来て。木枯らしに吹かれ。
雪をかむり。そして。
春がくる。

そして今は。

「春」。

ツツジは潅木。

ツツジの花の葉の優しさには

あらためてびっくりしました。

黄緑・草色のビロードです。

のぞきこむと若葉はまだ沢山ある。

何故か得をしたように思えました。

そして雨にうたれて

そのまま地に落ちた

ツツジの若葉は

幾何学的に裏側を下にむけて

逆さじょうごのように

落下していることに

気がつきました。

まるで。

「若草色」のきのこが。

沢山はえているようです。

木から落ちても。
まだ「若葉」です。ふと。
ヴェルディの「椿姫」「La Traviata」
の「つばき」を思い出しました。

1852年パリに滞在したヴェルディは
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)
の戯曲版『椿姫』の上演を見て感激し
ました。
そのころ新作の作曲依頼を受けていた
ヴェネツィアのフェニーチェ劇場のために。
翌1853年初めに比較的短時間で作曲された
『椿姫 』(La Dame aux camelias、1848年出版)
は。
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)が
実際の体験を基にして書いた長編小説。
主人公のモデルはかつて作者が交際をしていた
マリー・デュプレシという高級娼婦。
恋人アルマンのイニシャルである
『AD』は
小デュマのイニシャルと同じです。

この作品は人々に愛されて幾度も舞台、映画化され
続けてきました。

朝暗いうちは。

とても。

はださむいです。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックには。
孟宗竹のたけやぶ
があります。
竹はせがたかいから。

クリニック館内からはすこし離れた所にある。
はなれていても。
とおくからもみえます。

山本クリニックには。
検見川の落合遺跡の遺跡発掘の際に
みつかった「古代のハスの種子」から。

2000年ぶりに発芽したことで有名な。
「古代蓮(ハス)」があります*。
【大賀ハス:おおがはす】です。
「有名な古代ハス」です。
とても勇壮なハスで。
花のいろはとてもあまりにも美しく。
たとえ様もありません。

ハスの花がさき。
「「蓮(ハス)」の実」になりました。
「はすの実」も「はす」の葉も。
2mくらい水面から高いところに
あります。

睡蓮(すいれん)があります。
睡蓮(すいれん)は「葉」が水に浮び。
はのきれこみは羊の足のようです。
睡蓮(すいれん)を「ひつじぐさ」とは
なるほどと考える。
睡蓮(すいれん)の茎の長さには
おどろかされます。

「姫睡蓮(ひめすいれん)」でさえも。
池はばが長ければ四方八方に「水の中の枝」。

「モネ」の描いた睡蓮(すいれん)の
「水の中の枝」は「どれほど長いのだろう」。

睡蓮(すいれん)も「太古の時代」に
陸の動物に「かじられないように」
水中に「逃げ込んだ」のでしょう。

-------------------------------

大賀ハス(オオガハス、おおがはす)とは。
1951年(昭和26年)、千葉県千葉市検見川
(現・千葉市花見川区朝日ケ丘町)にある
東京大学検見川厚生農場
(現・東京大学検見川総合運動場)の
落合遺跡で発掘された
今から2000年以上前の古代のハスの実から
発芽・開花したハス(古代ハス)のことです。

戦時中に東京都は燃料不足を補うために
花見川下流の湿地帯に豊富な草炭が埋蔵されていた
「草炭」を採掘していました。

採掘は戦後も継続して行われていました。
1947年(昭和22年)7月28日に作業員が採掘現場でたまたま
1隻の丸木舟と6本の櫂を掘り出しました。

その調査によりもう2隻の丸木舟と
ハスの果托などが発掘されました。

「縄文時代の船だまり」であったと
推測され落合遺跡と呼ばれました。

植物学者でハスの権威者でもある大賀一郎博士
(当時・関東学院大学非常勤講師)が
発掘品の中にハスの果托があることを知り。
1951年(昭和26年)3月ボランティアの協力
を得てこの遺跡の発掘調査を行いました。

翌日で打ち切りという
30日の夕刻になって花園中学校の女子生徒により
地下約6mの泥炭層からハスの実1粒が発掘され予定を延長し
4月6日に2粒、計3粒のハスの実が発掘されました。

大賀博士は5月上旬から発掘された
3粒のハスの実の発芽育成を試みるも2粒は失敗に終わりました。
だが1951年3月30日に出土した1粒が育成に成功致しました。

翌年の1952年(昭和27年)7月18日にピンク色の大輪を咲かせました。
このニュースは国内外に報道されて多いな「驚愕」を与えました。
同年11月17日付米国ライフ誌に「世界最古の花・生命の復活」
として掲載され博士の姓を採って「大賀ハス」と命名されました。

シカゴ大学のリピー博士らによって放射性炭素年代測定が行われました。
ハスの実は今から2000年前の弥生時代以前のものであると推定された。

この古代ハスは、
1954年(昭和29年)6月8日に「検見川の大賀蓮」として
千葉県の天然記念物に指定されました。
また1993年(平成5年)4月29日には千葉市の花として制定され、
現在日本各地は元より世界各国へ根分けされ、
友好親善と平和のシンボルとしてその一端を担っています。

-------------------------------

ふと「パンの神」を思い出しました。
(「牧神パン(Pan)」=「Pan」=「パン」=
「飯(はん)」=「全般の般」=「パンアメリカンのパン」=

「パン」「pan」は「すべて」という意味の
古代ギリシャ語そして「サンスクリット」も同じ。

古典ギリシア語 Παν、Pan「パンの神」は。
幼少時からゼウスから他の神々全て*に好かれたので
(古代ギリシャ語でTheophilusテオフイルス/ラテン語では
amadeus アマデウス**)
「パン」と名づけられました。

「頭は人間で胴体は山羊」です。

「テュホン:テューホーン:Τυφών: Typhon」
ギリシア神話に登場する魔神***。
に追いかけられ
あわてて身を守るため川に飛び込み「頭は人間で胴体は人魚」
に変身したために。

「パニック」=「panic:パン的」
という言葉が生まれました。

星座に「山羊座」という星座があります。

山羊座は不思議ですが
「あわてて身を守るため川に飛び込み
「頭は人間で胴体は人魚」」
に変身した「パンの神」を示しています。
山羊ではありません。

むしろ正確には人魚です。

だから。
「山羊座」という「意味」はわかります。
けれども「命名」の観点から。
「山羊座」というのはかなり「妙」な気が致します。
「人魚座」というのが正しい。

 


名称「パンの神」の由来は「ギリシャ神話」でも
非常に多くの「言い伝え」がいくつがあります。
その「言い伝えの数」に正比例して「混乱」があります。

**
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの
「アマデウス」とは「パンの神」のことです。
(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの
ヴォルフガングは「おおかみが行く」という意味です。
よって
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは

「狼のように歩み神に愛されたモーツアルト」
ということになります)

***
「テュホン:テューホーン:Τυφών: Typhon」は
「台風:たいふう」と日本語では名前を変えています。

****
タイフーン級原子力潜水艦は
旧ソ連・ロシアの941型(プロジェクト941)
戦略ミサイル搭載原子力潜水艦のことです。
タイフーンはそれに付けられたNATOコードネームですが
この名称は日本の「台風」とは「直接関係」はありません。

日曜の

朝晴れて

はじめて気づく

にわの小ささ

にちようの

あさはれて

はじめてきづく

にわのちいささ

朝晴れて

にわの小さき

気づかぬときは

病(やまい)なりけり

日曜の朝

あさはれて

にわのちいさき

きづかぬときは

やまひなりけり

にちようのあさ

葉のつきて。

物心もつく

桜かな

はのつきて

ものこころもつく

さくらかな

休診日ですが。
早朝に朝まだ暗いうちから
首都高を走って病院に到着致します。

空はきらきらのラピス・ラズリの
紺碧のジュースから
ミルク色のはいった
トルコ石の「プリン」に変わるように変化
していきます。

遠くにぽかぽか浮ぶ「雲々」は
トルコ石の「プリン」の上の「クリーム」の
ようです。
にわのあじさいは「アイスクリーム」
のようです。

春きらきらラピス・ラズリの空(そら)
春紺碧のカクテルいろの空(そら)
春ミルクをそそそいだ空(そら)
春トルコいしのプリンの空(そら)
春はるかにとほくたかい空(そら)
春ほかほか浮ぶ雲々(くもぐも)そら
春プリンの上のクリームのような空(そら)
春睡蓮(すいれん)の水面に空(そら)
春睡蓮(すいれん)のうえに空(そら)
春空(そら)の向こうにまた空(そら)
春空(そら)そのまたむこうにももっと大きな空(そら)

春のうららのこもれびに

緑木いらかをかぜはやみ

青風ひるむやうつろひの

四季のつきひははやいくとせ

夏のうららのこもれびに

緑木いらかのつねなりて

赤き空(そら)にて炎えたたむ

四季のつきひははやいくとせ

秋のうららのこもれびに

緑木いらかにかぜさやか

秋風かたれるやすらきの

四季のつきひははやいくとせ

冬のうららのこもれびに

緑木いらかにかぜつよし

冬風弓(ゆみ)射る木枯らしの

四季のつきひははやいくとせ

日々のうららのこもれびに

祈想い(おもい)のいらかにかぜつよし

生きる力に祈りはせ

四季のつきひははやいくとせ

やまひのとまやのこもれびに

祈願りの(いのり)のいらかにかぜさみし

やみいるこころに力(ちから)はせ

四季のつきひははやいくとせ

いづるわかばのこもれびに

ひかりのいらかにかぜやさし

おもふこころに瞑想(おもひ)のせ

四季のつきひははやいくとせ

やさしくかたるるこもれびに

あさひのいらかにかぜさむし

ゆれるからだに意思(こころ)つみ

四季のつきひははやいくとせ

春椎木(しいのき)は枝高し
春そらに吼える若葉の穂束
春そらに吼える蒼き獅子のごとし
春天にも地にもみどりはさける
春のあさふかまりて
春陽の光ゆたかなりけり
春いふことのなし
春いふことがなし
春いふことはなし
春いふこともなし
春ゆたかなるかな春

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

-------------------------------

平成21年1月12日(月曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

-------------------------------

平成21年2月11日(水曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の御予約の。
患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
-------------------------------

平成21年3月20日(金曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の御予約の。
患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

-------------------------------

平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。
インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がきます。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著であろうと推察されます。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」
であることを懸念しています。
そして気候の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表される。
ウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。
「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。

1960年 -
潜航状態での世界一周を達成した
アメリカ海軍の原子力潜水艦「トライトン」が。

デラウェア州沖で浮上、潜航時間の世界記録を樹立
した日です。

原潜は機械的には無限に近い動力を持ちます。
人間はそうではありません。

原潜の長期行動の限界を画するのは人間が
どこまで「もつ」かであるとは。
気付かれてはいたものの。
実際にどこに限界があるかは確かめられていなかったのです。
そこで、この航海には海軍の心理学者が同行し。
長期にわたる閉鎖環境に置かれ
トライトン(USS Triton, SSRN/SSN-586)による
世界一周、それも、
潜水艦が一度も浮上することなく全航程を完走することを
マゼラン作戦と命名されました。
乗員体力限界「60日限界」と判明致しました。

++++++++++++++++++++++

トライトン(USS Triton, SSRN/SSN-586)は
アメリカ海軍の原子力潜水艦です。
同型艦はありません。

就役(1959年11月10日)から
1961年2月28日までの約1年4ヶ月弱は
レーダー哨戒潜水艦(SSRN)。

1961年3月1日からは、1969年5月3日の予備役編入を経て。
1986年4月30日の除籍まで。
約25年間は攻撃型潜水艦(SSN)
に分類されていました。

同名の米軍艦(USS Triton)としては
2代目になります。

++++++++++++++++++++

トライトン(USS Triton, SSRN/SSN-586)の
生まれるまで。

第二次世界大戦末期。
日本の特攻攻撃に悩まされた米海軍は。
レーダー哨戒潜水艦(radar picket submarine)
という艦種を。
整備することを決定致しました。

この艦種は強力な対空捜索レーダーを搭載し。
空母機動部隊に先行して
対空警戒を行うことを任務としました。

すなわち水上艦では進出困難な海域まで単独で先行し。
航空機による襲撃を探知して。

空母機動部隊に警報を発すると同時に潜航。
難を逃れ、あるいは、空母機動部隊から出撃した
味方艦載機部隊を誘導するのです。

++++++++++++++++++++++

トライトン(USS Triton, SSRN/SSN-586)の特性

この任務の特性上、トライトンには、
強力な対空レーダーとCIC機器が装備されました。

また空母機動部隊に随伴する必要があることから、
原潜としては他に例を見ない異例の水上高速力が要求されました。
原子炉2基を搭載するという設計が採られました。
この結果、当時としては空前の大型艦となりました。

特にオハイオ級の就役まで、
本艦の全長をしのぐ潜水艦は米海軍にはなかったのです。

++++++++++++++++++++++

トライトン(USS Triton, SSRN/SSN-586)は。

その運用構想は時宜を得ることなく。
1961年3月1日には攻撃型潜水艦に
種別を変更されることとなったものの。

その巨体と時代遅れの水中性能には
もはや生かすべき道がありませんでした。

一時は「核戦争時の最高首脳部の移動指揮所」に
改装する案も検討されました。

結果実現を見ることはなく。
1969年5月3日の予備役編入をもって。
約9年6ヶ月の短い現役生活を終えました。

作戦艦としては
最後まで適所を得られずに終わったのです。

++++++++++++++++++++++

「トライトン(USS Triton, SSRN/SSN-586)」
のマゼラン作戦

このように実役務においては不運に終わった
トライトンの名を記憶にとどめるのは
マゼラン作戦の成功においてです。
「戦艦」にはある種の「ロマン」があります。
本邦の「戦艦大和」などもよい例です。

けれども
[合衆国(USA)」の
「トライトン(USS Triton, SSRN/SSN-586)」
は原潜として「理論的に「エネルギー」は無限大」
です。
けれどもこの原潜を操舵するのは「人間」です。
「原潜」が先なのか「人間」が先なのか。
を考えた作戦が「マゼラン作戦」。

++++++++++++++++++++++

[合衆国(USA)」の原潜
「トライトン(USS Triton, SSRN/SSN-586)」の。

大航海時代の航海者フェルディナンド・マゼランに
ちなんで命名されたこの作戦は。
その名の由来となった人物の業績と同じく、

世界一周。
それも、潜水艦が一度も浮上することなく
全航程を完走することを
目指すものでした。

++++++++++++++++++++++

トライトン(USS Triton, SSRN/SSN-586)

航程
1960年2月15日。
初代艦長エドワード・L・ビーチ・ジュニア中佐
の指揮のもとに。
コネチカット州ニューロンドン基地を出航した本艦は。
同日ニューヨーク州沖合いで潜航して。
歴史的な航海に旅立ちました。

以後。
2月24日にセントピーター・アンド・セントポールズ岩礁付近で
赤道を越え。
かつてマゼランの船団が航過したコースをほぼなぞるように
航海を続けました
(潜水艦が潜航して通過出来ない場所は除く)。

続く3月7日、ホーン岬を回って太平洋に到達。
3月23日には日付変更線を通過、
4月1日にはフィリピン領マクタン島の
マゼラン湾内で潜望鏡でマゼラン記念碑を確認致しました。

4月17日には喜望峰を回ってふたたび大西洋に到達しました。

2ヶ月前と同じ
セント・ピーター・アンド・セント・ポールズ岩礁付近で
赤道をふたたび越えました。

この時点で、26723浬を60日と21時間、
平均速力18ノットで完走致しました。
潜航世界一周を達成致しました。
(この段階でまだ潜航中で航海は続きます。
その後もどんどん原潜の記録は更新されていきました)
++++++++++++++++++++++

トライトン(USS Triton, SSRN/SSN-586)の。

さらに航海は続き。
5月2日にはセイル頭部のみを海面上に露頂して米駆逐艦と会合。
スペイン政府に贈る銘盤を引き渡しました。

(この後、銘盤はスペイン政府に贈られ、
マゼラン船隊の出発地・帰港地である
サンルカル・デ・バラメダ市の
政庁に飾られています)。

5月10日、デラウェア州沖でついに本艦は浮上。
この時点での記録は連続潜航時間83日9時間54分、
航海距離35979浬に及び、
潜航時間の世界記録を樹立致しました。
(これは赤道付近での自己記録の更新でもある)。

5月12日、母港に帰投の時点で、
36335浬、84日19時間8分の
無寄港無補給最長記録をも樹立致しました。

++++++++++++++++++++++

トライトン(USS Triton, SSRN/SSN-586)

長期作戦の
この作戦は以上の成果のみであっても
充分に興味深いですが。
さらに別の目的が含まれてもいました。

すなわち、原潜の「限界」を知ることです。

よく言われるように。
原潜は機械的には無限に近い動力を持ちます。
人間はそうではありません。
原潜の長期行動の限界を画するのは人間が
どこまで「もつ」かであるとは、
気付かれてはいたものの。
実際にどこに限界があるかは確かめられていなかったのです。

そこで、この航海には海軍の心理学者が同行し。
長期にわたる閉鎖環境に置かれ
変化のない日々の中でルーチンワークをこなさなければならない
乗員の士気を調査したのです。

それによれば、60日を境に、
士気は低下の一途をたどり、
向上することはなかったと言うことです。

この数字は、平時における原潜の哨戒期間の
上限の決定において参考にされたものと考えられています

++++++++++++++++++++++

「続きを読む」=>*

++「続きを読むです1」++++++++++++++++++

トライトン (原子力潜水艦)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%B3_(%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E6%BD%9C%E6%B0%B4%E8%89%A6)

トライトン(USS Triton, SSRN/SSN-586)はアメリカ海軍の原子力潜水艦。同型艦はない。

就役(1959年11月10日)から1961年2月28日までの約1年4ヶ月弱はレーダー哨戒潜水艦(SSRN)、1961年3月1日からは、1969年5月3日の予備役編入を経て、1986年4月30日の除籍まで約25年間は攻撃型潜水艦(SSN)に分類されていた。同名の米軍艦(USS Triton)としては2代目。

目次
1 概要
2 マゼラン作戦
2.1 航程
2.2 長期作戦の「限界」
3 注
4 参考文献
5 関連項目
6 外部リンク

概要
第二次世界大戦末期、日本の特攻攻撃に悩まされた米海軍は、
レーダー哨戒潜水艦(radar picket submarine)という艦種を整備することを決定した。
この艦種は、強力な対空捜索レーダーを搭載し、
空母機動部隊に先行して対空警戒を行うことを任務とした。
すなわち、水上艦では進出困難な海域まで単独で先行し、
航空機による襲撃を探知すると、
空母機動部隊に警報を発すると同時に潜航して難を逃れ、
あるいは、空母機動部隊から出撃した味方艦載機部隊を誘導するのである。

この任務の特性上、トライトンには、
強力な対空レーダーとCIC機器が装備された。
また、空母機動部隊に随伴する必要があることから、
原潜としては他に例を見ない異例の水上高速力が要求され、
原子炉2基を搭載するという設計が採られた。
この結果、当時としては空前の大型艦となり、
特にオハイオ級の就役まで、
本艦の全長をしのぐ潜水艦は米海軍にはなかった。
しかしながら、その運用構想は時宜を得ることなく、
1961年3月1日には攻撃型潜水艦に種別を変更されることとなったものの、
その巨体と時代遅れの水中性能にはもはや生かすべき道がなかった。
一時は、核戦争時の最高首脳部の移動指揮所に
改装する案も検討されたが実現を見ることはなく
、1969年5月3日の予備役編入をもって、
約9年6ヶ月の短い現役生活を終えた。
作戦艦としては最後まで適所を得られずに終わったのである。

マゼラン作戦
このように実役務においては不運に終わったトライトンの名を記憶にとどめるのは
マゼラン作戦の成功においてである。
大航海時代の航海者フェルディナンド・マゼランにちなんで命名されたこの作戦は、
その名の由来となった人物の業績と同じく、
世界一周、それも、潜水艦が一度も浮上することなく全航程を完走することを
目指すものだった。

航程
1960年2月15日、初代艦長エドワード・L・ビーチ・ジュニア中佐[2]の指揮のもと、コネチカット州ニューロンドン基地を出航した本艦は、同日ニューヨーク州沖合いで潜入し、歴史的な航海に旅立った。以後、2月24日にセントピーター・アンド・セントポールズ岩礁付近で赤道を越え、かつてマゼランの船団が航過したコースをほぼなぞるように航海を続けた(潜水艦が潜航して通過出来ない場所は除く)。続く3月7日、ホーン岬を回って太平洋に到達、3月23日には日付変更線を通過、4月1日にはフィリピン領マクタン島のマゼラン湾内で潜望鏡でマゼラン記念碑を確認、4月17日には喜望峰を回ってふたたび大西洋に到達し、2ヶ月前と同じセント・ピーター・アンド・セント・ポールズ岩礁付近で赤道をふたたび越えた。この時点で、26723浬を60日と21時間、平均速力18ノットで完走し、潜航世界一周を達成した。

さらに航海は続き、5月2日にはセイル頭部のみを海面上に露頂して米駆逐艦と会合、スペイン政府に贈る銘盤を引き渡した(この後、銘盤はスペイン政府に贈られ、マゼラン船隊の出発地・帰港地であるサンルカル・デ・バラメダ市の政庁に飾られている)。5月10日、デラウェア州沖でついに本艦は浮上、この時点での記録は連続潜航時間83日9時間54分、航海距離35979浬に及び、潜航時間の世界記録を樹立した(これは赤道付近での自己記録の更新でもある)。5月12日、母港に帰投の時点で、36335浬、84日19時間8分の無寄港無補給最長記録をも樹立した。

長期作戦の
この作戦は以上の成果のみであっても充分に興味深いが、さらに別の目的が含まれてもいた。すなわち、原潜の「限界」を知ることである。よく言われるように、原潜は機械的には無限に近い動力を持つが、人間はそうではない。原潜の長期行動の限界を画するのは人間がどこまで「もつ」かであるとは、気付かれてはいたものの、実際にどこに限界があるかは確かめられていなかった。

そこで、この航海には海軍の心理学者が同行し、長期にわたる閉鎖環境に置かれ、変化のない日々の中でルーチンワークをこなさなければならない乗員の士気を調査したのである。それによれば、60日を境に、士気は低下の一途をたどり、向上することはなかったと言う。この数字は、平時における原潜の哨戒期間の上限の決定において参考にされたものと考えられている [鎌田 2004]。


^ この艦種には、第二次世界大戦型の艦隊潜水艦ガトー級改装艦が2隻、戦後新造の通常型潜水艦セイルフィッシュ級潜水艦2隻、そして本艦の計5隻が就いた。しかしながら、水上艦用のレーダーの長足の進歩と空母艦載型の早期警戒機E-1の導入(1954年)により、存在価値がなくなってしまった。
^ ビーチ大佐(最終階級)は、第二次大戦中、ガトー級潜水艦の艦長として日本沿岸を哨戒し、そのときの経験を元に、小説『深く静かに潜航せよ(en:Run Silent, Run Deep)』(同名の映画の原作)を執筆した。また、マゼラン作戦にもとづく航海記を公刊している。Edward L. Beach, 1962, Around the world submerged : The voyage of the Triton, Henry Holt, ISBN 0030310954.

参考文献
鎌田 博、2004、「米原潜「トライトン」の世界一周航海 : その歴史的偉業を振り返る」、『世界の艦船』622(2004年2月)、世界の艦船: pp.146-149
世界の艦船編集部編、2000、『アメリカ潜水艦史』、『世界の艦船』567(増刊第55集)、世界の艦船

関連項目
アメリカ海軍潜水艦一覧
ノーチラス (原子力潜水艦)

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++

5月10日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/5%E6%9C%8810%E6%97%A5

できごと
1534年 - ジャック・カルティエがニューファンドランド島に到着。

1768年 - イギリス王ジョージ3世を批判する記事を書いた廉で
ジョン・ウィルクスが監獄に収監、軍は収監に抗議する群衆に発砲し7名の死者を出す。

1774年 - ルイ16世がフランス王に即位。

1796年 - フランス政府転覆を計画した
フランソワ・ノエル・バブーフらが逮捕される(バブーフの陰謀)。

1796年 - イタリア戦役: ロディの戦いが行われる。

1824年 - ロンドンでナショナルギャラリーが初公開される。

1857年 - インドでインド大反乱(セポイの乱)が起こる。

1871年 - 独仏間で「フランクフルト条約」調印。普仏戦争終結。

1876年 - 日本で最初の広域的な地質図、
200万分の1「日本蝦夷地質要略之図」が
アメリカ人地質学者ライマンらにより作成され、開拓使から発行された。

1900年 - 皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)と九条節子(後の貞明皇后)が結婚。

1908年 - アメリカ・フィラデルフィアの教会で世界初の「母の日」を実施。

1922年 - キングマン・リーフがアメリカ領となる。

1924年 - ジョン・エドガー・フーヴァーが
FBI長官に就任、1972年の死去に至るまで在任し続ける。

1933年 - 検閲:ドイツ各地で、ナチスによる大規模な焚書が公開で行われた。

1936年 - マヌエル・アサーニャがスペイン第二共和政の大統領に就任。1939年4月まで。

1940年 - ウィンストン・チャーチルがイギリス首相に就任。

1940年 - 第二次世界大戦で、ドイツ軍がオランダ・ベルギーに侵入。
ドイツ軍の黄色作戦が始まる。

1940年 - 第二次世界大戦で、イギリス軍がアイスランドに侵攻。

1957年 - 東京都水道局小河内線が運行終了。

1960年 - 潜航状態での世界一周を達成した
アメリカ海軍の原子力潜水艦「トライトン」が
デラウェア州沖で浮上、潜航時間の世界記録を樹立。

1965年 - 国鉄スワローズがフジテレビ・産経新聞社に売却される。

1981年 - フランソワ・ミッテランがフランス大統領に就任。

1987年 - 帝銀事件の死刑囚平沢貞通が獄中で病死。

1994年 - 南アフリカ大統領にネルソン・マンデラが就任。南アフリカで初の黒人政権。

2003年 - リトアニアで欧州連合加盟をめぐる国民投票が実施。翌11日まで。

2004年 - 人格否定発言。

2004年 - Winnyの開発者が京都府警に逮捕。

2006年 - イタリアの戦後第11代の大統領に、
現左翼民主党のジョルジョ・ナポリターノが選出された。

2008年 - ミャンマーで、新憲法制定の為の国民投票(実態は翼賛投票)実施。

誕生日
213年/214年 - クラウディウス・ゴティクス、軍人皇帝時代のローマ皇帝(+ 270年)

850年(嘉祥3年3月25日)- 清和天皇、日本の第56代天皇(+ 881年)

1265年(文永2年4月23日) - 伏見天皇、日本の第92代天皇(+ 1317年)

1512年 - ジェームズ5世、スコットランド王(+ 1542年)

1788年 - オーギュスタン・ジャン・フレネル、物理学者(+ 1827年)

1838年 - ジェームズ・ブライス、法学者・歴史家・政治家(+ 1922年)

1875年 - グスタフ・シュトレーゼマン、政治家(+ 1929年)

1886年 - カール・バルト、神学者(+ 1968年)

1899年 - フレッド・アステア、俳優、ダンサー(+ 1987年)

1906年 - 吉行エイスケ、詩人(+ 1940年)

1916年 - 鈴木英夫、映画監督(+ 2002年)

1918年 - 藤本英雄、元プロ野球選手(+ 1997年)

1919年 - 千葉茂、元プロ野球選手・監督(+ 2002年)

1925年 - 橋田壽賀子、脚本家

1928年 - ローター・シュミット、チェスプレーヤー

1931年 - 永井一郎、声優

1933年 - 扇千景、元女優・第26代参議院議長

1934年 - 高見映(ノッポさん)、俳優・作家

1934年 - 石川緑、元プロ野球選手(+ 2004年)

1935年 - 加藤昌利、元プロ野球選手(+ 1985年)

1937年 - 山口洋子、小説家

1947年 - 山本寛、元プロ野球選手

1949年 - 喜多嶋隆、小説家
1951年 - 藪上敏夫、元プロ野球選手
1954年 - 丸山圭子、シンガーソングライター
1956年 - 森達也、映画監督
1957年 - シド・ヴィシャス、ベーシスト、(セックス・ピストルズ)(+ 1979年)
1958年 - 柴田直人、ベーシスト、作曲家・ANTHEM
1959年 - 小松辰雄、元プロ野球選手
1960年 - ボノ、ミュージシャン(U2)
1960年 - 斉藤浩行、元プロ野球選手
1961年 - 藤あや子、演歌歌手
1962年 - デヴィッド・フィンチャー、映画監督
1962年 - ジョーイ・マイヤー、元プロ野球選手
1963年 - カルロス・ラフォン=パリアス、調教師
1964年 - 山川周一、元プロ野球選手
1965年 - 梁田清之、声優
1965年 - 草刈民代、バレエダンサー、女優
1965年 - リンダ・エヴァンジェリスタ、スーパーモデル
1965年 - 小川浩一、元プロ野球選手
1966年 - 田代尚子、フジテレビアナウンサー
1966年 - 樋口大輔、漫画家  
1966年 - ひうらさとる、漫画家
1967年 - 今久留主成幸、元プロ野球選手
1967年 - 武田修宏、元サッカー選手
1968年 - 高木晃次、プロ野球選手
1968年 - ウィリアム・リーガル、プロレスラー(WWE)
1969年 - デニス・ベルカンプ、サッカー選手
1970年 - 石澤智幸(トモ)、お笑い芸人・テツandトモ
1970年 - 島田珠代、お笑い芸人
1970年 - 喜多川泰、作家
1971年 - 金正男、北朝鮮の金正日国防委員長の長男
1973年 - いでえいじ、4コマ漫画家
1973年 - 天田ヒロミ、キックボクサー
1974年 - 鎌田義、競艇選手
1975年 - 白鳥正樹、元プロ野球選手
1976年 - 藤本博史、元プロ野球選手
1977年 - 神取恭子、名古屋テレビ放送アナウンサー
1977年 - ニック・ハイドフェルド、F1レーサー
1978年 - 山井大介、プロ野球選手
1978年 - トニー・アルバレス、野球選手
1979年 - 遠山大輔、お笑い芸人、グランジ (お笑い)
1979年 - 井坂俊哉、俳優
1979年 - イ・ヒョリ、歌手
1980年 - クレイグ・ブラゼル、プロ野球選手
1981年 - 岸田護、プロ野球選手
1984年 - ブレント・ボメントレ、フィギュアスケート選手
1985年 - 西村健太朗、プロ野球選手
1985年 - 生山裕人、プロ野球選手
1988年 - 西村みずほ、グラビアアイドル
1988年 - 栃下有沙、タレント、女優
1990年 - 片山陽加、AKB48
1993年 - 志田未来、女優
1993年 - 伊藤純平、ジャニーズJr.
1994年 - チアキ・レイシー、子役
1995年 - 中村榛花、ファッションモデル
生年非公表 - レニー・ハート、ナレーター

忌日
1034年 - ミェシュコ2世、ポーランド王(* 990年)

1424年(応永31年4月12日)- 後亀山天皇、日本の第99代天皇(* 1347年)

1482年 - パオロ・ダル・ポッツォ・トスカネッリ、天文学者(* 1397年)

1510年 - カテリーナ・スフォルツァ、ルネサンス期イタリアの女性領主(* 1463年)

1590年(天正18年4月7日)- 伊達政道(小次郎)、戦国武将・伊達政宗の弟(* 1568年?)

1657年 - グスタフ・ホルン、スウェーデンの軍人(* 1592年)

1737年(元文2年4月11日) - 中御門天皇、日本の第114代天皇(* 1701年)

1774年 - ルイ15世、フランス王(* 1710年)

1807年 - ジャン=バティスト・ド・ロシャンボー、フランス軍の元帥(* 1725年)

1818年 - ポール・リビア、アメリカ独立運動家(* 1735年)

1829年 - トマス・ヤング、科学者・考古学者(* 1773年)

1849年(嘉永2年4月18日) - 葛飾北斎、浮世絵師(* 1760年)

1863年 - ストーンウォール・ジャクソン、アメリカ連合国陸軍の少将(* 1824年)

1889年 - ミハイル・サルトィコフ=シチェドリン、小説家(* 1826年)

1897年 - アンドレス・ボニファシオ、フィリピンの独立運動家(* 1863年)

1904年 - ヘンリー・モートン・スタンリー、探検家(* 1841年)

1909年 - 二葉亭四迷、小説家(* 1864年)

1915年 - カール・ゴットハルト・ランプレヒト、歴史家(* 1856年)

1930年 - 下村観山、日本画家(* 1873年)

1955年 - トミー・バーンズ、プロボクサー(* 1881年)

1964年 - ミハイル・ラリオーノフ、画家(* 1881年)

1967年 - ロレンツォ・バンディーニ、F1レーサー(* 1935年)

1971年 - 箕作秋吉、作曲家、化学者(* 1895年)

1977年 - ジョーン・クロフォード、女優(* 1904年)

1882年 - ペーター・ヴァイス、作家(* 1916年)

1989年 - ウディ・ショウ、ジャズトランペット奏者(* 1944年)

1991年 - 岩崎勝太郎、実業家(* 1914年)

1994年 - ジョン・ゲイシー、連続殺人者(* 1942年)

1998年 - ねこぢる、漫画家(* 1967年)

2000年 - 塩沢兼人、声優(* 1954年)

2002年 - デイヴィッド・リースマン、アメリカ合衆国の社会学者(* 1909年)

2004年 - 大石慎三郎、歴史学者(* 1923年)

2005年 - 今久留主功、元プロ野球選手(* 1925年)

2006年 - 松野頼三、政治家(* 1917年)

2006年 - エイブ・ローゼンタール、ジャーナリスト(* 1922年)

2007年 - 山口あかり、作詞家(* 1934年)

記念日・年中行事
地質の日(2007年制定)

愛鳥の日
愛鳥週間(5月16日まで)

街区表示板の日

コットンの日(1995年制定)