東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年5月11日(月曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年5月11日(月曜日)祝祭日

平成21年の。

「春」になりました。

「2月」はおわりました。

「春」の「3月」「4月」もおわりました。

「春」「5月」になりました。

ふかまった「春」。

季節にも「ながさ」があり。

その年によって。

「ながさ」がちがう

ようです。

ことしの「春」のながさは

どうだろう。

「5月」になりました。

今年の「冬」・から「春」は予期せぬ

インフルエンザ*の

大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。

薬事法の「能書」にあるとおり

「正規の」

「2回法によるインフルエンザワクチン」の

予防接種を行います。

御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

「新年」「初春」になり。
「1月」がおわり。
「2月」。
「2月」がおわりました。

「春」の「3月」「4月」もおわりました。
「春」の「5月」になったとたん。

また。
きゅうにさむくなりました
とてもとてもさむくなりました。

今は「5月」「春」の最後の「月」です。

そして「立夏」

「昨年」
夏がおわり。
「9月」「初秋」も終わりました。

そして
「10月」がおわり。
「10月」中秋もおわり「11月」。
「中秋」から「晩秋」へとうつろいゆき。
「11月」がおわりました。
昨年の「冬」「12月」が過ぎれば。

いまは。
「1月」「2月」「3月」「4月」がおわり。
「5月」の「春」をむかえています。

そろそろ とぼとぼと。

「春の道」に沿って。

奥深まり行く「春」。

「たしかなる」

「「春」のあゆみ」

季節のかおり。

「あきらかなる」「「春」」の。

あゆみから。

「5月」の。

「春」なかばの気配は。

手応えしっかりと。

感じられます。

「春吹雪:はるふぶき」は。

「春かぜ」に。

おわれながら。

さやかな「春かぜ」になり。

ただよっています。

「春」「5月」。

深まる「春]「5月」の「かおり」。

この

「初春」の

「冬のかおりへの変化(へんげ)」は。

毎年ちがいます。

「冬」から「春」への。

かおりの変化(へんげ)」は。

「毎年」新しい。

「うれしい新品のかおり」

がします。

寒い大気の織り成す(たいきのおりなす)。

冬の季節の風から。

「冬」から。

「新たなる新品のかおり」の。

「春」を恵まれることは。

とても幸せなことなのではないかと考えます。

けれども。

さむいです。

「初春」の「3月」「4月」

はおわり。

「春」「5月」です。

暗い早朝に。
「昨年」「12月」には
「木枯らし」の鳴き声が聞こえました。

陽がのぼるにつれ。
「木枯らし」の声は小さくなってゆきます。
そして「「木枯らし」のつぶやき」になり。

そして。
聞こえなくなりました。

「5月」の「春」の。
「春かぜ」の「ねいろ」「音色」にかわりました。

「春」の「春かぜ」の鳴き声の音色は。

「夏」の「せみ」と異なり

「いわにしみいる」ねいろでは

ありません。

「ふうせん」のような。

「「春かぜ」にとばされる」

「春」の風鈴(ふうりん)を。

おもわせるような音色です。

「春吹雪:はるふぶき」に。

とばされるように。

「春かぜ」の

声楽4声

(ソプラノ・アルト・テノール・バス)が。

混声の合唱で聞こえます。

「ろうろう」。

「春吹雪:はるふぶき」は。

「春かぜ」にかわりました。

まだ真暗い早朝の朝もやから。
「早い「春」のおとずれ」の「大気」が。

かすみのような「香り」で。
しのびよる気配は。
ろうそくの灯(ともしび)
のようにゆらぎながら。

「初春」の。
何かを。行く先をさがしながら。
何かをさがしながら。
照らすかのようにさまよい。
近寄りしのびよることが
わかります。
ゆきさきは。
もっとふかい「春かぜ」の「春」。

「春」。

「春」です。

「5月」の。

「春」です。

はやいものです。

はやいものです。

「3月」「4月」の「初春」から「5月」にかけては。
「さらに」。
「大気」と「自然の気配」に。
「特有の独特の気配と香り」が混じります。
感じられるようです。
不思議な感しが致します。

木々は

「春」をむかえる準備をすませて。

これからの。

「春」の。

「「春」へのあらたな実り」に向けての。

息吹が力強く感じられます。

今早朝は「とても肌寒い」です。

今年はとてもとても「寒い」です。

街路樹はしっかりと。
「初春」の枝木の穂先もたわわにつよく。
「春」に向けての。
萌黄色から若葉の芽吹きをそなえ
「春」の「木」に
かわりました。

そしていま。
「冬」にも若葉を抱いた木々は。
さらに「春」の芽栄え(めばえ)に。

うつろいてかわろうと
しています。

「昨年」はあっというまに
「7月」が終わりました。
「8月」です。
「8月」=せみのしぐれなく夏です
「8月」が終わりました。
「9月」が終わりました。
「10月」=「実りの秋」です。
「11月」収穫の晩秋です。
「12月」木枯らしの冬です。

「12月」がおわり。
「1月」「2月」がおわり。
「初春」の「3月」です。
そして「3月」がおわり。
そして「4月」がおわり。
いまは「5月」です。

木々がへったため。
夏にはせみの声も少なくなりました。
けれども「一昨年」より
「昨年」はは鳴き声は多かった
ようにおもえます。

こおろぎの声も「一昨年」より
「昨年」は多かったように
おもえました。

「せみ」も「こおろぎ」も今年は
どうだろう。

今は。

「春」の「5月」

の「春かぜ」の「こえ」。

「ろうろう」。

みかんの木に「春かぜ」

がとまっているようです。

「鳥」(とり)の様です。

「春かぜ」の声はいつもかわります。

みかんの木は。

とても沢山の実をつけています。

黄金にプラチナのみかんのようです。

「初春」の気配に加えて。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックの
庭の。

山椒(さんしょう)の木の芽が
「初春」の若葉にすくすくとそだち。
若枝も冬天高くすこやかにのび。
ますますに。ますますに。
「冬の陽」をあびて。
「春」の山椒(さんしょう)の葉の。
みどりがとても。
奇麗です。

山椒のことを
「きのめ」=木の芽とはなるほどと
かんがえる。

春さんしょう木
春萌黄(もえぎ)鮮やかに芽葉(めは)
春みどり葉わか葉いずる花のごと
春夏(なつ)こすわか枝は幹ならむ
春なりてたゆまずとまらず
春冬あゆみそだちて
春幹は天たかくそだちたり
春いざいまこそは
春空(そら)にもえたたむ
春金色(こがね)の炎
春さんしょう木春

けれども
早朝は本当にはだ寒いのです。

「小さな「春」みつけた」から

しだいに「大きな「春」みつけた」

「大きな「春」みつけた」から。

そして「大きな大きな「春」」みつけた。

大きな大きな。

「春」がきた。

次は「なつ」「夏」です。

ちょっと「安心する気」が致します。
「春」はもうきました。

「「春」の女神」の。

「佐保姫(さほひめ)」の導く

ワルツのきこえる「春」です。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成21年1月12日(月曜日)
は。
「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ限られた
時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年2月11日(水曜日)
「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。
限られた
時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年3月20日(金曜日)
「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。
限られた
時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
季節の変わり目に「反復性上気道感染」に
なられるかたが多いです。

「世情は不安定」であり何かひとつ
生活しづらい日々を感じられる
かたも多いものです。。

人間は「倒れるまではたっています」。
人間は「冬・春」の旅に(度に)齢を重ねる。

昔の「数え年」は「たいした物」だと思います。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝。

「今日は何の日」は。
プログラミング言語の神様である。
コンピューター科学者。
だけれども「一生涯」「御自分」のコンピューター
をもたなかった。
コンピューター科学者。
1930年 - エドガー・ダイクストラ、コンピュータ科学者(+ 2002年)
の生誕日です。

++++++++++++++++++++++

エドガー・ダイクストラ
:Edsger Wybe Dijkstra,
1930年5月11日 - 2002年8月6日)は。

オランダ人の情報工学者です。

1972年、プログラミング言語の基礎研究に対して
チューリング賞を受賞致しました。

構造化プログラミングの提唱者です。

1984年から2002年に亡くなるまで
テキサス大学オースティン校の
情報工学の
Schlumberger Centennial Chair を務めました。

エズガー・ダイクストラと表記されることもあります。
オランダ語での発音は、
IPA表記で??tsx?r ?wib? ?d??kstraで、
エツハー・ウィベ・デイクストラに近いです。

++++++++++++++++++++++

エドガー・ダイクストラ
:Edsger Wybe Dijkstraは
ロッテルダム生まれでした。

ライデン大学で理論物理学を学びました。

プログラミングの方に興味があることに気が付くのに
時間はかからなかったようです。

++++++++++++++++++++++

エドガー・ダイクストラ:Edsger Wybe Dijkstraは。
最初にアムステルダムの
国立数学研究所(Mathematisch Centrum)
に職を得ました。

オランダのアイントホーヘン工科大学で教授職を得ました。
1970年代初期にはバロースのフェローとしても働きました。

その後、アメリカのテキサス大学オースティン校に移り、
2000年に引退致しました。

++++++++++++++++++++++

エドガー・ダイクストラ
:Edsger Wybe Dijkstra
の。

彼の情報工学に関する貢献としては。
1・
グラフ理論の最短経路問題におけるダイクストラ法、
2・
THEオペレーティングシステム、
3・
セマフォの考案などがあります。

4・
分散コンピューティング分野では
「自己安定化; Self-stabilization」
というシステムの信頼性を保証する手法を提案致しました。
++++++++++++++++++++++

エドガー・ダイクストラ:Edsger Wybe Dijkstraは。
『構造化プログラミング』
("Structured Programming", 1967)
についで。

1968年 "A Case against the GO TO Statement" (EWD215)
を発表してgoto文撲滅運動の端緒とし。

while文などの構造化制御構文への転換を促しました。」
『Go to文は有害だと考えられる』
(Go To Statement Considered Harmful)
という刺激的な題名はダイクストラ本人がつけたものではなく。
Communications of the ACM の編集者が付けたものです。

++++++++++++++++++++++

エドガー・ダイクストラ
:Edsger Wybe Dijkstra
は。

ダイクストラはALGOL 60のファンとしても知られます。
最初のコンパイラを実装したチームにも参加していました。

そのコンパイラ開発に関わった
Jaap Zonneveld とダイクストラはプロジェクトが
完了するまで髭を剃らないという誓いを立てました。

後に Zonneveld は髭を剃ったが、
ダイクストラは亡くなるまで髭を蓄えていました。

++++++++++++++++++++++

エドガー・ダイクストラ
:Edsger Wybe Dijkstra
は。
1970年代になると。
ダイクストラの主要な興味は形式的検証に移っていきました。

当時の一般的手法は、とりあえずプログラムを書いてから
問題ないことを検証するというものであったのです。

ダイクストラはこれに対して。
検証に時間がかかって面倒であるし、
プログラムの開発手法に何ら洞察を与えない点が
問題であると致しました。

一方「検証とプログラミングを同時に行う」
のが「プログラム導出」と呼ばれる別の手法です。

まず
プログラムの動作に関する数学的な「仕様」を記述し。
その仕様に数学的な変換を加えて
最終的にプログラムを導き出します。

このように作成されたプログラムは
「構造上正しい」ことが知られています。
++++++++++++++++++++++

エドガー・ダイクストラ
:Edsger Wybe Dijkstra
の。

ダイクストラの後期の仕事は。
この数学的手法を効率化することに関係しています。

2001年のインタビューで彼は
「優雅さ」への渇望について述べていました。

すなわち、完全さを求めるのではなく、
思考を精神的に処理することが正しいアプローチであると。

彼はたとえ話として
モーツァルトとベートーヴェンの作曲法を
対比させています。

++++++++++++++++++++++

エドガー・ダイクストラ:Edsger Wybe Dijkstraは。

ダイクストラはプログラミングについての
数々の論文でも知られています。

彼は。

プログラミングが本来非常に難しく複雑であり。
プログラマはその複雑性をうまく管理するために
可能な限り技巧と抽象化を利用する必要がある、
という主張をした最初の人物でもあります。
彼はまた、万年筆で慎重に原稿を書く習慣があることでも
知られています。

++++++++++++++++++++++

エドガー・ダイクストラ
:Edsger Wybe Dijkstraの。

ダイクストラは原稿に EWDという記号と番号を付与したため。
彼の原稿は一般に EWD と呼ばれています。

ダイクストラは新たに EWD を書き上げると、
そのコピーを同僚に配布致しました。

それがさらにコピーされて世界中に配布されていき、
情報工学界全体に広がったのです(EWD1000参照)。

主題は情報工学か数学であるが、
一部は旅行記だったり、手紙だったり、
講演記録だったりでした。

1300以上のEWDが電子化され、
テキサス大学のダイクストラのアーカイブで
検索・入手可能です。

++++++++++++++++++++++

エドガー・ダイクストラ
:Edsger Wybe Dijkstraは。

ダイクストラは自分のコンピュータを所有したことが
ありませんでした。
また研究室のコンピューターすら、
めったに使わなかいませんでした。

長年の癌との戦いの末。
2002年8月6日、オランダの Nuenen で亡くなりました。

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エドガー・ダイクストラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9

エドガー・ダイクストラ:Edsger Wybe Dijkstra, 1930年5月11日 - 2002年8月6日)は、オランダ人の情報工学者。1972年、プログラミング言語の基礎研究に対してチューリング賞を受賞。構造化プログラミングの提唱者。1984年から2002年に亡くなるまでテキサス大学オースティン校の情報工学の Schlumberger Centennial Chair を務めた。

エズガー・ダイクストラと表記されることもある。オランダ語での発音は、IPA表記で??tsx?r ?wib? ?d??kstraで、エツハー・ウィベ・デイクストラに近い。

目次
1 生涯
2 関連項目
3 参考文献
3.1 ダイクストラの著作物
3.2 その他
4 外部リンク

生涯
ロッテルダム生まれ。ライデン大学で理論物理学を学んだが、プログラミングの方に興味があることに気が付くのに時間はかからなかった。

最初にアムステルダムの国立数学研究所(Mathematisch Centrum)に職を得たが、オランダのアイントホーヘン工科大学で教授職を得る。1970年代初期にはバロースのフェローとしても働いた。その後、アメリカのテキサス大学オースティン校に移り、2000年に引退した。

彼の情報工学に関する貢献としては、グラフ理論の最短経路問題におけるダイクストラ法、THEオペレーティングシステム、セマフォの考案などがある。分散コンピューティング分野では「自己安定化; Self-stabilization」というシステムの信頼性を保証する手法を提案した。

『構造化プログラミング』("Structured Programming", 1967)についで、1968年 "A Case against the GO TO Statement" (EWD215)を発表してgoto文撲滅運動の端緒とし、while文などの構造化制御構文への転換を促した。『Go to文は有害だと考えられる』(Go To Statement Considered Harmful)という刺激的な題名はダイクストラ本人がつけたものではなく、Communications of the ACM の編集者が付けたものである。ダイクストラはALGOL 60のファンとしても知られ、最初のコンパイラを実装したチームにも参加していた。そのコンパイラ開発に関わった Jaap Zonneveld とダイクストラはプロジェクトが完了するまで髭を剃らないという誓いを立てた。後に Zonneveld は髭を剃ったが、ダイクストラは亡くなるまで髭を蓄えていた。

1970年代になると、ダイクストラの主要な興味は形式的検証に移っていった。当時の一般的手法は、とりあえずプログラムを書いてから問題ないことを検証するというものであった。ダイクストラはこれに対して、検証に時間がかかって面倒であるし、プログラムの開発手法に何ら洞察を与えない点が問題であるとした。一方「検証とプログラミングを同時に行う」のが「プログラム導出」と呼ばれる別の手法である。まず、プログラムの動作に関する数学的な「仕様」を記述し、その仕様に数学的な変換を加えて最終的にプログラムを導き出す。このように作成されたプログラムは「構造上正しい」ことが知られている。ダイクストラの後期の仕事は、この数学的手法を効率化することに関係している。2001年のインタビューで彼は「優雅さ」への渇望について述べていた。すなわち、完全さを求めるのではなく、思考を精神的に処理することが正しいアプローチであると。彼はたとえ話としてモーツァルトとベートーヴェンの作曲法を対比させている。

ダイクストラはプログラミングについての数々の論文でも知られている。彼は、プログラミングが本来非常に難しく複雑であり、プログラマはその複雑性をうまく管理するために可能な限り技巧と抽象化を利用する必要がある、という主張をした最初の人物でもある。彼はまた、万年筆で慎重に原稿を書く習慣があることでも知られている。ダイクストラは原稿に EWDという記号と番号を付与したため、彼の原稿は一般に EWD と呼ばれている。ダイクストラは新たに EWD を書き上げると、そのコピーを同僚に配布した。それがさらにコピーされて世界中に配布されていき、情報工学界全体に広がったのである(EWD1000参照)。主題は情報工学か数学であるが、一部は旅行記だったり、手紙だったり、講演記録だったりする。1300以上のEWDが電子化され、テキサス大学のダイクストラのアーカイブで検索・入手可能である[1]。

ダイクストラは自分のコンピュータを所有したことがなく、めったに使わなかった。

長年の癌との戦いの末、2002年8月6日、オランダの Nuenen で亡くなった。

関連項目
ダイクストラ法
食事する哲学者の問題

参考文献

ダイクストラの著作物
^ E.W. Dijkstra Archive(ダイクストラの業績集)
Go To 文は有害だと考えられる (Go To Statement Considered Harmful), Communications of the ACM, Vol. 11 (1968年) 147?148; オンライン版 (EWD215)
How do we tell truths that might hurt? (EWD498)
From My Life (EWD1166)
A Discipline of Programming, Prentice-Hall Series in Automatic Computation, 1976年, ISBN 0-13-215871-X
Selected Writings on Computing: A Personal Perspective, Texts and Monographs in Computer Science, Springer-Verlag, 1982年, ISBN 0-387-90652-5
A Method of Programming, E.W. Dijkstra, W.H.J. Feijen, J. Sterringa, Addison Wesley 1988年, ISBN 0-201-17536-3

その他
Edsger Wybe Dijkstra (1930?2002): A Portrait of a Genius (PDF) Formal Aspects of Computing の死亡記事(伝記的記述あり)
How can we explain Edsger W. Dijkstra to those who didn't know him? by David Gries
Dijkstra Eulogy by J Strother Moore
In Memoriam Edsger Wybe Dijkstra by Mario Szegedy

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++

5月11日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/5%E6%9C%8811%E6%97%A5

できごと
330年 - コンスタンティノポリス(コンスタンチノープル)が
ローマ帝国の首都になる。以来1453年にオスマン帝国に征服されるまで帝国の首都に。

1745年 - オーストリア継承戦争: フォントノワの戦い

1858年 - ミネソタ州がアメリカ合衆国に加入。32番目の州となる。

1874年 - 東海道本線 大阪駅〜神戸駅間が開業。

1891年 - 大津事件。

1922年 - 毎日新聞社が点字による日刊新聞「点字毎日」を発刊。

1927年 - 映画芸術科学アカデミー発足。

1931年 - 3日前に破綻したオーストリア
最大の銀行クレディット・アンシュタルトが取引停止。
ヨーロッパにおける世界恐慌が本格化する。

1939年 - 満州国とモンゴル人民共和国の間に軍事衝突が起こる(ノモンハン事件)。

1945年 - 連合国軍が京都御所を空襲。

1946年 - 統一マレー国民組織発足。

1949年 - イスラエルが国際連合に加盟。

1949年 - シャムが「タイ王国」に国号を変更。

1955年 - 国鉄宇高連絡船・紫雲丸が第三宇高丸に衝突し沈没、
修学旅行中の児童ら168人が死亡(紫雲丸事故)

1960年 - ブエノスアイレスに潜伏していた
アドルフ・アイヒマンがモサドによって拉致される。

1970年 - 松浦輝男・植村直己がエベレストに日本人初登頂。

1984年 - 地球が火星と日面間を通過する。

1985年 - イギリスのブラッドフォード・サッカー場で火災が発生し
、死者50人以上を出す。

1997年 - IBMのコンピューターディープ・ブルーが史上
はじめてチェス世界チャンピオンのガルリ・カスパロフを破る。

2003年 - リトアニアで欧州連合加盟をめぐる国民投票が実施。
投票者の91.1%が欧州連合加盟を支持。

2005年 - 第一回南米・アラブ首脳会議、
「ブラジリア宣言」を採択して閉幕した。

誕生日
483年 - ユスティニアヌス1世、東ローマ皇帝、帝国領の再征服を果たす(+ 565年)

1817年 - ファニー・チェッリート、バレエダンサー・振付師(+ 1909年)

1824年 - ジャン=レオン・ジェローム、画家・彫刻家(+ 1904年)

1852年 - チャールズ・W・フェアバンクス、第26代アメリカ合衆国副大統領(+ 1918年)

1894年 - 小牧近江、翻訳家(+ 1978年)

1895年 - ジッドゥ・クリシュナムルティ、近代インドの宗教的哲人、教育者(+ 1986年)

1904年 - サルバドール・ダリ、画家(+ 1989年)

1912年 - 林伊佐緒、歌手・作曲家(+ 1995年)

1918年 - リチャード・P・ファインマン、物理学者(+ 1988年)

1930年 - エドガー・ダイクストラ、コンピュータ科学者(+ 2002年)

1936年 - 中嶋嶺雄、国際政治学者

1938年 - カーラ・ブレイ、ピアニスト

1941年 - 神田厚、政治家(+ 2008年)

1941年 - 朝井茂治、プロ野球選手

1941年 - 栽弘義、高校野球指導者(+ 2007年)

1942年 - 山東昭子、政治家・女優

1947年 - 藤原誠、歌手(+ 2002年)

1948年 - 泉谷しげる、ミュージシャン
1948年 - 森忠明、詩人・童話作家
1949年 - 二木てるみ、女優
1950年 - 藤猪省太、柔道家
1950年 - 横尾三郎、俳優・声優
1951年 - 新浦壽夫、プロ野球選手
1954年 - 伊藤文隆、プロ野球選手
1958年 - 久保田早紀、ミュージシャン
1960年 - 松尾貴史、俳優・タレント
1963年 - 浜田雅功、お笑い芸人(ダウンタウン)
1963年 - 相馬勝也、プロ野球選手
1963年 - バカボン鬼塚、ラジオパーソナリティ
1964年 - ひかる一平、アイドル・歌手
1964年 - ビリー・ビーン、プロ野球選手
1964年 - 遠田誠治、プロ野球選手
1966年 - 田辺徳雄、プロ野球選手
1971年 - 岩本勉、プロ野球選手
1973年 - 尾方剛、マラソン選手
1974年 - 山口和男、プロ野球選手(オリックス・バファローズ)
1974年 - 山田貴志、プロ野球選手
1974年 - ジョージ朝倉、漫画家
1974年 - ビリー・キッドマン、プロレスラー(WCW、WWE)
1977年 - ヤンネ・アホネン、スキージャンプ選手
1978年 - 潮丸元康、大相撲力士
1978年 - レティシア・カスタ、スーパーモデル
1978年 - 猪爪義治、プロ野球選手
1980年 - 大野隆治、プロ野球選手
1981年 - 内藤陽子、タレント・フラワーアーティスト
1982年 - 中田賢一、プロ野球選手(中日ドラゴンズ)
1982年 - 鈴木健之、プロ野球選手
1983年 - 都築有美子、バレーボール選手
1983年 - 小林太志、プロ野球選手
1984年 - SHELLY、ファッションモデル、タレント
1984年 - 作田啓一、プロ野球選手
1984年 - アンドレス・イニエスタ、サッカー選手(FCバルセロナ)
1985年 - 藤田志穂、実業家
1985年 - 斉藤拓実、俳優・タレント
1985年 - ウラジミール・ズーエフ、フィギュアスケート選手
1988年 - 中島麻未、歌手(Dream)
1988年 - 織田かおり、歌手
1988年 - 橘くらら、AV女優
1989年 - ジョバニ・ドス・サントス、サッカー選手(トッテナム・ホットスパーFC)
1996年 - トロットスター、競走馬

忌日
753年(天平勝宝5年3月30日)- 巨勢奈弖麻呂、奈良時代の公卿(* 670年)

912年 - レオーン6世、第2代東ローマ皇帝(* 866年)

1068年(熙寧元年4月8日)- 劉敞、儒学者(* 1019年)

1304年 - ガザン・ハン、イルハン朝第7代君主(* 1271年)

1491年(延徳3年4月3日)- 足利政知、初代堀越公方(* 1435年)

1524年(大永4年4月8日)- 相合元綱、戦国武将

1568年(永禄11年4月15日)- 伏見宮貞康親王、戦国時代の皇族(* 1547年)

1610年 - マテオ・リッチ、カトリック教会の司祭(* 1552年)

1610年(慶長15年3月18日)- 生駒一正、高松藩主(* 1555年)

1620年(元和6年4月9日)- 渡辺守綱、戦国武将(* 1542年)

1646年(正保3年3月26日)- 柳生宗矩、剣術家・初代柳生藩主(* 1571年)

1652年(慶安5年4月4日)- 蜂須賀忠英、第2代徳島藩主(* 1611年)

1708年 - ジュール・アルドゥアン=マンサール、建築家(* 1646年)

1778年 - チャタム伯ウィリアム・ピット(大ピット)、イギリス首相(* 1708年)

1798年(寛政10年3月26日)- 上杉重定、第8代米沢藩主(* 1720年)

1812年 - スペンサー・パーシヴァル、イギリス首相(* 1762年)

1849年 - ジュリエット・レカミエ、フランスのセレブリティ(* 1777年)

1849年 - オットー・ニコライ、作曲家・指揮者(* 1810年)

1850年(嘉永3年3月30日)- 徳川斉朝、第10代尾張藩主(* 1793年)

1857年 - フランソワ・ヴィドック、アウトロー・パリ警察の密偵(* 1775年)

1871年 - ジョン・ハーシェル、天文学者(* 1792年)

1881年 - アンリ・フレデリック・アミエル、哲学者・詩人(* 1821年)

1887年 - ジャン・バティスト・ブサンゴー、化学者(* 1802年)

1891年 - アレクサンドル・エドモン・ベクレル、物理学者(* 1820年)

1899年 - 川上操六、日本陸軍の参謀総長(* 1848年)

1916年 - カール・シュヴァルツシルト、天文学者・天体物理学者(* 1873年)

1916年 - マックス・レーガー、作曲家(* 1873年)

1919年 - 渡辺国武、大蔵大臣・逓信大臣(* 1846年)

1922年 - 李晋、王世子李垠の長男(* 1921年)

1927年 - フアン・グリス、画家(* 1887年)

1936年 - 納所弁次郎、作曲家(* 1865年)

1937年 - エレン・ハンセル、テニス選手(* 1869年)

1942年 - 萩原朔太郎、詩人(* 1886年)

1945年 - ジョン・ロジャーズ・コモンズ、経済学者(* 1862年)

1945年 - 石丸進一、プロ野球選手(* 1922年)

1947年 - テューレ・ラングストレム、作曲家(* 1884年)

1956年 - ウォルター・シドニー・アダムズ、天文学者(* 1876年)

1957年 - テオフィル・ド・ドンデ、化学者(* 1872年)

1960年 - ジョン・ロックフェラー2世、実業家(* 1874年)

1961年 - 小川未明、小説家(* 1882年)

1963年 - ハーバート・ガッサー、生理学者(* 1888年)

1966年 - 熊沢寛道(熊沢天皇)、日本の皇位請求者(* 1889年)

1966年 - 小泉信三、経済学者・教育家(* 1888年)

1967年 - 轟夕起子、女優(* 1917年)

1973年 - 美土路昌一、実業家・全日本空輸創業者(* 1886年)

1975年 - 梶山季之、小説家(* 1930年)

1976年 - アルヴァ・アールト、建築家・デザイナー(* 1898年)

1981年 - オッド・ハッセル、化学者(* 1897年)

1981年 - ボブ・マーリー、レゲエ音楽家(* 1945年)

1982年 - 鈴木惣太郎、日米両国間のプロ野球交流斡旋者(* 1890年)

1988年 - キム・フィルビー、
イギリス情報局秘密情報部職員・ソビエト連邦の諜報員(* 1912年)

1989年 - 古谷綱正、ジャーナリスト・ニュースキャスター(* 1912年)

1992年 - 宮本正太郎、天文学者(* 1912年)

1992年 - いずみたく、作曲家(* 1930年)

1996年 - アデミール、サッカー選手(* 1922年)

2001年 - ダグラス・アダムズ、SF作家・脚本家(* 1952年)

2002年 - ジョゼフ・ボナンノ、マフィア(* 1905年)

2003年 - 石田穣二、国文学者(* 1926年)

2003年 - ノエル・レディング、
ベーシスト・ギタリスト(ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス)(* 1945年)

2006年 - ヨシ・バナイ、歌手(* 1932年)

2006年 - フロイド・パターソン、プロボクサー(* 1935年)

2007年 - マリエトア・タヌマフィリ2世、サモア大首長(* 1913年)

2007年 - 岡仁詩、ラグビー選手・指導者(* 1929年)

2007年 - 三好京三、小説家(* 1931年)

2008年 - 関弘子、女優(* 1929年)

記念日・年中行事

ペンテコステ
キリスト教、2008年