東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年5月14日(木曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年5月14日(木曜日)

「春」です。

「春」の「5月」

になりました。

まばゆいほど。

ことばでは。

いいつくせないほどに。

まぶしくて。

ありがたくくやさしい。

「春」「5月」の。

するどくつよい陽射しです。

しあわせいろの。

とても。

とてもあかるい陽射しです。

「5月」の。

「朝」の陽射しの「あかるさ」は。

なにものにも。

たとえようがありません。

「のどか」です。

春朝陽(はるあさひ)

緑木枝間に

われを見る

まばゆくも鋭く輝く

眼(まなこ)なりけり

はるあさひ

みどりきえたまに

われをみる

まばゆくもするどくかかやく

まなこなりけり

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

「春」になりました。

今年も春がきました。

「春」がきて。

今は「5月」。

「春」はふうせんのように。

ふくらみ。

ひろがってゆく季節です。

「立夏」。

「5月」です。

ひなまつりはおわり。

野には。

たんぽぽが咲き。

すみれが咲き。

よもぎや。

すぎながいっぱいになりました。

むらさきのつつじが。

さきほこっています。

「春」になり「川の水音」が。

やっと。

「せせらぎ」の。

「みずのながれのおと」に。

きこえるようになりました。

「春」の小川。

「さらさら」ながれる。

はるのおがわ。

高さも低さこそ見えないのに。

あゆみたゆまず。

ながれる水の流れ。

とても感銘致します。

春分の日もすぎれば。
「さくら」咲きはじめ
「さくら」がおわり。
「4月」が終われば。
「5月」になり。
「5月」もおわれば。
6月に。「夏」になり。
6月も終われば。
7月 たなばた。
7月 もおわれば。
せみのなく8月。
8月の夏はすぎれば。
9月の秋になり秋の虫が鳴く。
そして9月がおわり。
中秋10月なり紅葉の季節。
そして10月がおわり。
「11月」になり。
晩秋「11月」もおわり12月の「冬」。
「12月」になればまた「年」があけ。
また「初春」がくる。

そして来年も「春」の「3月」がきて。
そして「4月」。
そして「5月」がくる。

もう「はる」の「5月」です。

「晩冬」の冬はおわりました。

「雪国の冬」はおわりました。

そして「12月」の冬至を。

すぎて「陽」はもうすでに

日々とてもたかくなりつつあります。

「春」がきて。

今は「夏」に向かう「春」です。

「春」の「5月」です。

「昨年」12月の冬至は

おわりました。

「夏」の「6月」の。

「夏至」までひと月。

陽は日々たかくなっている。

とてもよくわかります。

朝陽ののぼるのが早くなりました。

夕陽がおりるのは遅くなりました。

朝の「春」の陽射しは窓越しにも「まばゆい」

くらいです。

夕暮れの「春」の陽射しは「きかんぼう」

の「やんちゃぼうず」のようです。

なにかおちつかずくれてゆきます。

まことに。

冬来たりなば春遠からじ。

ふゆきたりなば

はるとおからじ

(出 典は。

 イギリスの詩人シェリー*の

『西風に寄せる歌』の一節。

英 語の原文: 

If winter comes,

can spring be far behind? )

「英国:United Kingdom UK」のロマン派の
詩人は。「御自分」のテーマの「鳥」を
紋章のようにもっています。
英国ロマン派の詩人は、
それぞれ愛好し、崇拝する鳥を持っていました。
パーシー・シェリーは「雲雀」(ひばり)の声に魅惑され、
ひばりを主題とした詩を書いています。

またジョン・キーツは、
「夜鶯」(ほととぎす)の神秘的な声に魅惑され。
夜の闇に響くその歌声を主題に詩を書いています。

ワーズワースにとって、詩の霊感をもたらし、
彼に生きることの喜びを教えてくれる鳥は、
「郭公」(かっこう)でした。

「秋」から「冬」への

移り変わりは

二階から。

「かけあし」の足音のきこえる。

怒涛のごとき「はやさ」でした。

二階から。

「かけあし」の足音のきこえる。

「かけあし」10人分

の「足音」のようでした。

「9月」の初秋がおわり。
「名月中秋10月もおわり」ました。
「11月」。

「11月」もおわりました。
「12月」もおわりました。
「新年」「初春」の「1月」もおわり。
今は
「2月」「晩冬」もおわりました。

「晩秋」から「冬」への移り変わりは

「かけあし」のようにうつろいました。

一方

「春」はゆっくりと。

ゆっくりと。

ゆっくりと。あるいて来ます。

そしてゆっくりと。

あるいて行きます。

だから。

「春」をまつのであれば。

「春」がゆっくりと。

歩いてくるのをまたなければ。

なりません。

「夏」がくるのをまつのであれば。

「春」がゆっくりと。

歩いていくのをまたねば。

なりません。

もう「春」ですね。

「冬」はかけあしでやってくる。

「春」はゆっくりと歩いてやってくる。

さきのことすぎるかもしれないが「来年」。

このように「時」のうつろいを

心はせれば。

考えると「おそろしいもの」です。

考えなければ。
「なおおおそろしい」
ものであるものかもしれない。

「考えずにいるつけ」がまわって
くるからかもしれません。

「来年」のことを考えれば「鬼」が笑う。
「来年」のことを考えずにすむのであれば「鬼」は
笑わないのでしょう。
「鬼」とはなんだろう。

今日の深夜早朝03:15amには。

久方ぶりに。

大きな「春」の「星空」がみえました。

早朝くらいうちは。

空に月。

「お月様」が「「冬」雲のじゅうたん」

天高くにねそべって。

かさををさしている

ようです。

「春」の「夜空」の。

「おぼろ月夜」です。

「赤い月」です。

04:00amころ日があければ。
まだまだくらい朝日を背に。
西のコバルトの空高く明るい。
とても高い成層圏近くの高い高度に。

西のコバルトの空高に。
「刷毛」でひいたように「絹雲(けんうん)」が
何本も何本も。
描かれて。
たなびいていました。

実に見事な筆捌(ふでさばき)です。
ためらいのない「朝焼け」
「春」の「朝焼け色」の線描です。

「春」の朝。

「陽射し」ののぼるころは。

「西」の空

のほうが明るいのです。

朝が明けて午前になれば。

まばゆいほどの。

「春」のひざしが。

陽がのぼる。

東から。

窓のカーテンと。

木々の合間をぬって。

「さあ 外にでて!」

とさそうがごとく。

よびかけてくるようです。

高い成層圏近くの高い高度に。
「刷毛でひいたように」「絹雲(けんうん)」
の端には渦巻きのような「ぬけあな」があり
「さらなる遠方の青空」が透けてみえます。

さながらにして。
東山魁夷画伯の描かれた大きな壁画。
大きな屏風絵の世界。

東山魁夷画伯の描かれた大きな絵画を
彷彿とさせますです。

東山魁夷画伯。
「よくえがかけた画伯です」。

この「あおぞら」をみていると。

陽のひかりをみていると。

とても

信じられないくらいに。

元気がわいてくることに。

気が付きました。

「太陽」の「陽射し」。

「陽」の「めぐみ」は。

なんと。

ありがたいことだろう。

なんと尊いことだろう。

そら一杯の青空の

天井(てんじょう)と。

「太陽のひかりのひざし」は。

「生きとし生けるもの」にとって。

なによりもの。

まことの。

「めぐみ」なのであり。

それを戴けるのは。

「よろこび」ふかきことです。

「太陽のひかりのひざし」は

「いのちへのめぐみ」。

「いのちのよろこび」。

ありとあらゆる「生命」「いのち」をはぐくみ。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をたたえる。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をなぐさめる。

「生きとし生けるもの」の「いのち」に。
さらなる。
「はるかかなた」までの。
「いきるちから」をさずけるものです。
「太陽」。
ありがたいものです。

はやいものです。
ときのたつのは。
はやいものです。

そしてふと考えれば

去年も
「12か月」が
終わりました。

中秋から晩秋にうつろい。
いまや
「寒月」の「12月」がおわり。
新年の「1月」がおわり。
「晩冬」の「2月」がおわり。
「初春」の「3月」「4月」がおわり。

「春「5月」です。

病院の庭園に「何本」もある
「春の花」の大木が。
いずれもが紅白の花を

緑野に見え隠れする蓮華草
のように。

みのらせています。

「春の花」は。
「はつはな」で初々しいです。
けれども。
「春の花」は。

は雨に打たれると。
花は地面に紅白の毛氈(もうせん)
のように落花してしまいます。

くれない色としろ色の雪のようです。

「春の花」の花の花びら。

ひろって。
手のひらにかかげれば。
「春の花」の花のかおりは。
プラチナ色の香りが
致しました。

今は。
「春の花」が。
蕾をふくらませています。
「春の花」の。

はながは鐘(ベル)のように。
ふくらんでいます。

「春」の花の「はなびら」が。

闇夜のあいだに。

朝の早朝まだ。

「花」にもきがつかぬうちに

また地に舞い下りています。

「春の花」の花ひとつさいて。

夜の「春吹雪:はるふぶき」で。

ちったようです。

みつめれば。

「春吹雪:はるふぶき」に。

弓射られた白鷺(しらさぎ)の羽が。

舞っているようでした。

寒い「春」も。

「昆虫」の少ない時期に。

「春の花」は。

は花をさかせ。

どのように授粉して。

「実る」のだろう。

「春の花」の花ひとつさいて。

夜の「春吹雪:はるふぶき」で。

ちる。

「春の花」は。

「花」はすぐに

落下する。

このあたりに。

「春の花」

には。

ひとのよの。

「人生」の。

「解答」があるような

気が致します。

ふと野の花は。

一般的には。

香らない花が。

多いことに気づきました。

伊藤左千夫の「野菊の墓」の「野菊」は。
矢車菊 (やぐるまぎく)
はとても綺麗なむらさきの「のぎく」です。
けれども「のぎく」は香りません。
(Corn lower, Bachelor's-button)です。

因みに
最高級の(今はもうとれない)
インド・カシミール地方で産出されたの
サフアイアの色は

「矢車菊色:やぐるまそう色」といわれます。

「カシミール・ヴァイオレット」。

麦畑やとうもろこし畑の中に 咲いていたことから。
「コーン・フラワー」=「野菊」(Corn lower)
です。

別名 「矢車草(やぐるまそう)」
といわれることがあります。

実は「矢車菊 (やぐるまぎく)」と
「矢車草(やぐるまそう)」まったく違う植物です。
矢車菊 (やぐるまぎく)が「野菊」。
「矢車草(やぐるまそう)」は「高山植物」。

「野菊」は春から夏にかけて咲くむらさきの花です。

古代エジプトのツタンカーメン王の墓 からも
発見された由緒正しき「野菊」。
色は紫。むらさきです。

ツタンカーメン王の。

まだ幼な子王妃が。

「亡きツタンカーメンンに野菊の花束ささげるけなげな姿」
が鮮烈に眼に浮かびます。

この「花」が。

「野菊」です。

「野菊の墓」の「野菊」。

けれども。

「野菊」は

香らない。

毎朝暗い早朝と。

うす暗くなる午後4時ころには。

「春吹雪:はるふぶき」が

ふいている。

「春吹雪:はるふぶき」がかわりばんこに。

あちこちで

「ろうろう」「こうこう」とないています。

「春かぜ」の
「春吹雪:はるふぶき」
の「コーラス」を聞いていると。

ふと。

「この「春」におびえるひと」の気配が
脳裏をはしりました。
はてだれだろう。

うら若き乙女。
貧しさに。
苦労に苦労をかさねて。
苦しんで苦しんだ苦しんだあげくに。
24歳にして世を去った
「樋口一葉」。

樋口一葉の
「うらわかき」「「冬」と「春」の短歌」がきこえるようです。

散たまるふもとの落葉わけて思ふ
埋もれぬべきは雪の山里

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ
うもれぬへきはゆきのやまさと

庭の面につもる紅葉の色見れば
散りての後もにしきなりけり

にわのおもにつもるもみしのいろみれば
ちりてのあともにしきなりけり

世の中の秋にあはじとおくれけん
一もと野ぎく思ひあがりて

よのなかにあきにあはしとおくれけん
ひともとのきくおもひあがりて

折々に散るものどけし春雨の
はれたる軒の山桜ばな

おりおりにちるものどけしはるさめの
はれたるのきのやまさくらばな

わが園のものとおもへば初わかな
はつかなれども嬉しかりけり

わがそののものとおもへばはつわかな
はつかなれどもうれしかりけり

立ち渡る霞をみれば足引きの
山にも野にも春は来にけむ

たちわたるかすみをみれはあしひきの
やまにものにもはるはきにけむ

わたつ海の波のいづこに立ち初て
果なくつゝむ春の霞ぞ

わたつみのなみのいづこにたちそめて
はてなくつつむはるのかすみぞ

さざ波やしがの都のいにしへの
おもかげうすく立つ霞かな

ささなみやしかのみやこのいにしえの
おもかけうすくたつかすみかな

鶯のけさおとづるゝ声聞て
はじめて春の心地こそすれ

うくいすのけさおとつるるこへききて
はしめてはるのここちこそすれ

うれしくもわがものにして聞てけり
このあかつきの鶯の声

うれしきもわかものにしてきこへけり
このあかつきのうくいすのこへ

のどかなるけさの雨にやはるの野の
みどりも色まさるらむ

のとかなるけさのあめにや
はるののの
みとりのいろもまさるらむ

おくれたる友の為にとしをりして
谷間の蕨折り残しけり

おくれたるとものためにとしをりして
たのまのわらひおりのこしけり

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ

うもれぬへきはゆきのやまさと

にわのおもにつもるもみしのいろみれば

ちりてのあともにしきなりけり

よのなかにあきにあはしとおくれけん

ひともとのきくおもひあがりて

-------------------------------

おりおりにちるものどけしはるさめの

はれたるのきのやまさくらばな

わがそののものとおもへばはつわかな

はつかなれともうれしかりけり

たちわたるかすみをみれはあしひきの

やまにものにもはるはきにけむ

わたつみのなみのいづこにたちそめて

はてなくつつむはるのかすみぞ

ささなみやしかのみやこのいにしえの

おもかけうすくたつかすみかな

うくいすのけさおとつるるこへききて

はしめてはるのここちこそすれ

うれしきもわかものにしてきこへけり

このあかつきのうくいすのこへ

のとかなるけさのあめにや

はるののの

みとりのいろもまさるらむ

おくれたるとものためにとしをりして

たのまのわらひおりのこしけり

「24歳」の「とても貧しい乙女」の。

「春」によろこび。

「春」にもおびえおののく。

かなしさの。おもかげと。

光さす。輝きと。

いまだお若い「御婦人」の「知」「智」が。

ほこりたかくも。

「ひしひし」とよみとれます。

「冬至」はすでにすぎました

これからは日は。
陽は次第にながくなる。
日が長くなる。
朝は明けるのは早くなり。
夕に暗くなるのは遅くなる。

しだいに陽がながくなる。
なぜか。
不思議なやさしさ。
やすらぎと。
心やすらかなる
安堵感をかんじます。

心やすらかなる
安堵感をかんじます。

けれども。
「安堵」と「落胆」は。
常に表裏一体。
両羽(もろば)の剣。

「ぬかよろこび」の「ぬか」のような
ものです。

「ながくなる陽」も両羽(もろば)の剣を
持っています。

そして。
季節には「大気の音色(ねいろ)」もあるようです。

朝空は
陽ははるかに天高く。
空色はミルク色です。
クリームのかかった雲空です。

東京都世田谷区山本クリニックの庭園には

「えどむらさき」という「つつじ」
が「何本」もはえています。
野生種に近いものです。
大きな真紅紫の花を咲かせます。

「つつじ」ですから
盆栽の「皐月:さつき」のような
繊細さはみえません。

この「5月」になり。
森山を分け入ると。

木々の根元に隠れ咲く。
だいだい色の花の花のごとくに紅葉したまま
しもがれする
「やまはぜの葉木」が「大好き」です。

「やまうるしの紅葉」もかわいらしく。
「大好き」です。

身の丈以上ほどにもなって群生する。
野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
が。
病院の林の一角に野生のまま
おいしげっています。

野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
のパープルの真珠が群れたように実る
「実りの木の実」の風にそよぐ音色には。
おどろかされます。

あけびつたもうれしい。
あけびの「実」がみつかればなおなおうれしい。

またたびをみつけました。
根元にねこにかじられきずがある。

里山の冬の時期から。
そして初春の里山の季節
になりました。

四季の歩みの春夏秋冬のうつろいは
メトロノームの「あゆみ」を
感じさせます。

この「あゆみ」の「質量」は
とてもとても高いです。
質量があれば。あたかも。
重力のように。
四季のリズムにひきよせられていく。
そのような感じがします。

四季の歩みの春夏秋冬は。
フアジーでいてなお着々。
確実な「リズム」を感じます。

ここに。
「メロディ:旋律」とハーモニー:和声」
がくわわれば「音楽の三要素」。
音楽と同じです。

草花や草木につつまれた自然は。
「音楽」と同じように
ひびきとして聴こえます。

自然は
「しぜん」の
「ヴィルトオーゾ」と
「ヴィルトゥオーサ(virtuosa)」
*です。

この「自然のフイルハーモニウム」の。
指揮者は。
太陽なのか大地なのか人なのか。

或は音色をかもし出す自然はオーケストラ
であるのか。
ソリストなのだろうか。

私の尊敬する「合衆国USA」の
女性で小説家(「ノーベル賞受賞者」)
「パール・サイデンストリッカー・バック
(Pearl Sydenstricker Buck)
中国名、賽珍珠(サィ・チンシュ)」
パールバックの「大地」に
その「こたえ」が示唆されています。

古代より芸術家が
自然を音楽や絵画や彫刻
で表現しようとした気持ちが良く判ります。

*ヴィルトゥオーソ(virtuoso)は、
「博識、達人」を意味するイタリア語の男性名詞である。
複数形の場合はヴィルトゥオーシ(virtuosi)
、女性形はヴィルトゥオーサ(virtuosa)となる。
ラテン語のvirtus(「男らしさ」「美徳」「至高」の意)を語源とし、元来は「有徳の」「誉められるべき」
を意味する形容詞の男性形であった。

実際の楽曲ではこの三要素は。
密接に音楽的に結びつきひとつの楽曲をなします。

但し音楽の「リズム・メロディ・ハーモニー」は
一つだけを明確に取り出せる「成分」というわけ
ではありません。

また「音楽であるため」に。
三要素が絶対必要ということ
でもないでしょう。

邦楽などではリズム・ハーモニーは
存在しないか希薄である事が多いです。
「音楽」として「欠陥」があるわけ
ではありません。

「リズム・メロディ・ハーモニー」
が西洋音楽の常識ではありえないほど
高度な進化を遂げた音楽も存在致します。

邦楽もその一つです。

大和の国 やまとのくにの自然は。
「大和の国の音楽」と同じように思えます。
聴こえます。

「音楽」は「音」「おと」です。
そして「しらべ」=メロディとハーモニーです。
人類が「この音楽」を「楽譜」として
「寸分たがわず」「譜面」という名の「紙」に
「かくことを完成させた」ということは
大変なことです。

人間は。
人類は。
わずか「400年」で。

「音楽の旋律」に対する「楽譜」を。
「あらたな言語」を
完全に「完成」させたことになります。

まさにミューズの神の「神業かみわざ」です。

木々のめぶきの
冬なおも。
ますます力強い息吹を感じます。

「真夏」をすぎ「冬」になると。
再び「若葉」がみられることに。
きづきました。
「ため息」がでるほど木々の「冬若葉」の
「つどい」は「つよく」「うつくしい」。
雪の上のみどり。

木々のてっぺんは萌黄色から
「ふかみどり」
になりました。
そして「しっかりと樹木として
「冬を迎えた葉束」になりました。
これからは
「深まる冬」がすぎさり「春」。
「開花」の炎が。
樹木の上方で。
「雪の到来」を.
くすぶりてまちわびてています。
たえしのぶ冬の樹木です。

「若葉」の「新緑」から「深緑」です。

高い木々の穂先は萌黄から若草色に。
うねるなみのように。
木々の新緑は常緑となり冬のおとずれを
伝えていました。

桜は葉桜から「葉木」
道路沿いの「けやき」の木々も
萌黄から若葉。
そして青葉。
どうもうともいえる青葉。
そして見え隠れする「紅葉葉」。
紅葉葉の10枚20枚がひとつひとつ
の樹木にみえるようになりました。
「黄色調」です。
そして今「樹木」は「葉のいろ」をかえ
「宙」に舞おうとしています。

明らかなる。
「冬から春」とはことなる。
「夏から秋」。
「秋から冬」
そして「冬」の「木枯らし」。

木々の四季の。
大気の「色」のうつろい
に気づきます。

今は里山(さとやま)をさまよい。
今は里山(さとやま)をあるきたい。
今は里山(さとやま)の季節。
今は昔々里山(さとやま)であそび。
今は昔々て里山(さとやま)でおぼえ。
今は昔々里山(さとやま)でまなんだ。
今は昔々のその日々の思い出は。
今は黄金(こがね)か。あるいは。
今は銀か。いぶし銀か。
今はもしかしたらプラチナか。
今は思い出色は鉛のように。
今は重さは鉛のようになり。
今は心の奥深くに埋もれて感じられます。

「幸せ色」=「しあわせいろ」

ならばよいです。

けれども
早朝は非常にあたたかくなりました。

春やま中さまよいて
春やま中をわけいらば
春やま中大樹の根元に隠れたり
春やま中あけぼの色のちひさき炎(ほのほ)
春やま中みつけたりやまの秋の華。
春やま中やまの秋葉木のかくれんぼ
春やま中大樹の根元に隠れたり
春山はぜの葉木。
春やま中やまうるしの葉木。
春やま中あきやまはぜとふるやまうるし。
春こす「はだか木」。
春こす元気な木。たくましき木。

春山萩(やまはぎ)の
春花をかくして燃えたたむ
春に実りの祭りなり
春山はぜの葉炎
春天高く燃ゆ

はるやまはぎの
はるはなをかくしてもえたたむ
はるにみのりのまつりなり
はるやまはせのほのほ
はるてんたかくもゆ

はるひろくなりけり空(そら)たかし
はるさとやまに木々のみどり木
はるこもれびうけて燃えるがごとし
はるみどりの炎(ほのほ)
はるほのほうちけさむかすみはあおし
はるほのほにかすみにただよひて
はるうるわしくかがやきたり
はるあたたかくかおりたり
はるあざやかなりけり 
はるやまさとのやまみどり
はるやまさとのふかみどり

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
は「英国:United Kingdom UK」の
「風景画家」
天才画家ですが「緑」が大嫌い
で「黄色」が「大好き」。
「木」をかくのを非常にいやがったそうです。

多分ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
が「修行時代」に「お金にために
「どこの国も同じですが」
「名所絵」をかかされたときの
「反動」ではないかと
今の私は考えます。

「大きな夏みつけた」

から

「夏がすぎてて真秋間近い」

「小さな秋みつけた・。」

そして

「小さな冬みつけた」

そして

「大きな冬みつけた」。

そして

「小さい春」がみつかって。

しだいにおおきな。

「春」になりました。

「夏」もちかづく「八十八夜」

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成21年01月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
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平成21年2月11日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年3月20日(金曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

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平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
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★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらず
インフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。

「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。
精神科医師として知られ著明な歌人

1882年 - 斎藤茂吉、歌人(+ 1953年)
の生誕日です。

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斎藤 茂吉:さいとう もきち、
1882年5月14日
(戸籍では7月27日) - 1953年2月25日)は。
山形県南村山郡金瓶村(現在の上山市金瓶)出身の歌人です、

精神科医であるのです。
伊藤左千夫門下。

大正から昭和前期にかけてのアララギの中心人物でした。

長男に斎藤茂太、
次男に北杜夫、
孫に斎藤由香がいます。

また。
妻の弟の齋藤西洋の妻の兄は堀内敬三です。

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斎藤 茂吉:さいとう もきちは。

守谷伝右衛門熊次郎の三男でした。
父方の祖父の金沢治右衛門は和歌を嗜んでいました。

守谷家には茂吉が小学校卒業後に進学するだけの
経済面の余裕がありませんでした。

茂吉は。
画家になるか寺に弟子入りしようか
考えたりしたようです。

親戚で浅草の医師の斎藤紀一の家に
養子に入ることとなりました。

だが後に結婚した紀一の長女・
輝子は派手好きな女性でした。

律儀な茂吉とは性格があわず。
輝子の男性問題もあって。

別居していたこともありました。

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斎藤 茂吉:さいとう もきちは。

守谷家は近所の時宗(のち浄土宗)宝泉寺の檀家であり。
茂吉も住職佐原窿応の薫陶を受けました。

第一歌集『赤光』の題名は「阿弥陀経」に因んでいます。

また時宗大本山(のち浄土宗本山)
蓮華寺49世貫主となった晩年の窿応を訪ねています。

養子に入った斎藤家は、皮肉にも、
蓮華寺の一向派を抑圧する側であった
「遊行派の檀林日輪寺」の檀家であったのです。

茂吉の分骨墓が宝泉寺境内に遺されています。

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斎藤 茂吉:さいとう もきちは。

中学時代から短歌の創作を開始致しました。

高校時代に正岡子規の歌集を読んでいたく
感動して。
歌人を志し、左千夫に弟子入り致しました。

精神科医としても活躍致しました。

ドイツ、オーストリア留学や
青山脳病院院長の職に励む傍ら
旺盛な創作活動を行いました。

また、柿本人麻呂、源実朝らの研究書や、
『念珠集』などのすぐれた随筆も残した。

太平洋戦争中は積極的に戦争協力していたために、
戦後になってからは批判にさらされました。

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斎藤 茂吉:さいとう もきちは。
エピソード
かなりの食いしん坊であった。中でも鰻が大好物でした。

戦時中戦後の物不足の時期にも事前に購入して蓄えていた
鰻の缶詰を食べていました。

非常な癇癪持ちであったが、
患者の前では温厚に振舞っていました。

その反動で家族には怒りを露わにすることも多かった。

夜尿症で、中学生くらい迄寝小便をしておりました。
その他、息子の斉藤茂太や、
その孫も寝小便の癖がありました。

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斎藤 茂吉:さいとう もきちは。

生涯に全17冊の歌集を発表し。
全17907首の歌を詠みました。

代表歌
死に近き母に添寢のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる (『赤光』)
のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳根の母は死にたまふなり
(『赤光』)
どんよりと空は曇りて居りしとき二たび空を見ざりけるかも (『赤光』)
あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり (『あらたま』)
あはれあはれここは肥前の長崎か唐寺の甍にふる寒き雨 (『あらたま』)
電信隊浄水池女子大学刑務所射撃場塹壕赤羽の鉄橋隅田川品川湾 (『たかはら』)
陸奥をふたわけざまに聳えたまふ蔵王の山の雲の中に立つ (『白桃』)
ガレージへトラックひとつ入らむとす少しためらひ入りて行きたり (『暁紅』)
このくにの空を飛ぶとき悲しめよ南へむかふ雨夜かりがね (『小園』)
最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも (『白き山』)

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斎藤茂吉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E8%97%A4%E8%8C%82%E5%90%89

斎藤 茂吉(さいとう もきち、1882年5月14日(戸籍では7月27日) - 1953年2月25日)は、山形県南村山郡金瓶村(現在の上山市金瓶)出身の歌人、精神科医である。伊藤左千夫門下。大正から昭和前期にかけてのアララギの中心人物。長男に斎藤茂太、次男に北杜夫、孫に斎藤由香がいる。また、妻の弟齋藤西洋の妻の兄は堀内敬三。

目次
1 概要
2 年譜
3 代表歌
4 著書
4.1 歌集
4.2 歌論・随筆
5 参考文献
6 エピソード
7 関連項目
8 脚注
9 外部リンク

概要
守谷伝右衛門熊次郎の三男。父方の祖父の金沢治右衛門は和歌を嗜んだ。

守谷家には、茂吉が小学校卒業後に進学するだけの経済面の余裕が無く、茂吉は、画家になるか寺に弟子入りしようかと考えたが、親戚で浅草の医師の斎藤紀一の家に養子に入ることとなった。だが、後に結婚した紀一の長女・輝子は派手好きな女性で、律儀な茂吉とは性格があわず、輝子の男性問題もあって、別居していたこともある。

守谷家は近所の時宗(のち浄土宗)宝泉寺の檀家であり、茂吉も住職佐原窿応の薫陶を受けた。第一歌集『赤光』の題名は「阿弥陀経」に因んでいる。また時宗大本山(のち浄土宗本山)蓮華寺49世貫主となった晩年の窿応を訪ねている。養子に入った斎藤家は、皮肉にも、蓮華寺の一向派を抑圧する側であった遊行派の檀林日輪寺の檀家であった。茂吉の分骨墓が宝泉寺境内に遺されている。

中学時代から短歌の創作を開始する。高校時代に正岡子規の歌集を読んでいたく感動、歌人を志し、左千夫に弟子入りした。
精神科医としても活躍し、ドイツ、オーストリア留学や青山脳病院院長の職に励む傍ら旺盛な創作活動を行った。また、柿本人麻呂、源実朝らの研究書や、『念珠集』などのすぐれた随筆も残した。 太平洋戦争中は積極的に戦争協力していたために、戦後になってからは批判にさらされた。

生涯に全17冊の歌集を発表し、全17907首の歌を詠んだ。

年譜
1882年(明治15年):5月14日、山形県南村山郡堀田村大字金瓶に出生(戸籍上は届出遅れにより7月27日)
1896年(明治29年):上山尋常高等小学校高等科卒業。東京府開成中学校(現・開成高校)に編入し卒業
正則英語学校(現・正則学園高校)に入学し卒業
1905年(明治38年):正岡子規『竹の里歌』に出会い、作歌を志す。第一高等学校(現在の東京大学教養学部)第三部卒業
1906年(明治39年):伊藤左千夫の門下となる。
1910年(明治43年):東京帝国大学医科大学(現在の東大医学部)医学科卒業
1911年(明治44年):東大教室と巣鴨病院勤務。「アララギ」の編集を担当
1913年(大正2年):5月、生母いく死去。7月、師・伊藤左千夫死去
1914年(大正3年):4月、養家の長女、13歳年下の齋藤輝子(19歳)と結婚。
1917年(大正6年):官立長崎医学専門学校(現在の長崎大学医学部)精神病科第2代教授(先輩で文学を通じて交流のあった石田昇のあとをうけたもの)
1921年(大正10年):10月、欧州留学に出発(ウィーン大学およびミュンヘン大学に4年間留学)
1924年(大正13年):10月、医学博士の学位を得て帰国の途に就く。12月、青山脳病院全焼
1925年(大正14年):1月、帰国
1926年(大正15年):青山脳病院復興
1927年(昭和2年):青山脳病院院長
1929年(昭和4年):11月、朝日新聞社機コメット号で東京、箱根等の上空を約2時間飛翔
1933年(昭和8年):ダンスホール事件
1937年(昭和12年):帝国芸術院会員
1940年(昭和15年):『柿本人麿』で帝国学士院賞受賞
1945年(昭和20年):太平洋戦争の悪化を理由に院長を辞職(病院は東京都に移管され、現在の都立梅ヶ丘病院に連なる)。4月、山形県上ノ山町金瓶に疎開。5月、青山脳病院および自宅が空襲により全焼
1946年(昭和21年):昭和22年度以降26年度迄歌会始選者
1948年(昭和23年):朝日新聞歌壇選者
1950年(昭和25年):歌集『ともしび』で第1回読売文学賞詩歌賞受賞
1951年(昭和26年):文化勲章受章
1952年(昭和27年):「斎藤茂吉全集」(岩波書店)配本開始
1953年(昭和28年):2月25日死去

代表歌
死に近き母に添寢のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる (『赤光』)
のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳根の母は死にたまふなり (『赤光』)
どんよりと空は曇りて居りしとき二たび空を見ざりけるかも (『赤光』)
あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり (『あらたま』)
あはれあはれここは肥前の長崎か唐寺の甍にふる寒き雨 (『あらたま』)
電信隊浄水池女子大学刑務所射撃場塹壕赤羽の鉄橋隅田川品川湾 (『たかはら』)
陸奥をふたわけざまに聳えたまふ蔵王の山の雲の中に立つ (『白桃』)
ガレージへトラックひとつ入らむとす少しためらひ入りて行きたり (『暁紅』)
このくにの空を飛ぶとき悲しめよ南へむかふ雨夜かりがね (『小園』)
最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも (『白き山』)

著書
ウィキクォートに斎藤茂吉に関する引用句集があります。
歌集 [編集]
『赤光』(東雲堂書店、1913年(大正2年)10月)
『あらたま』(春陽堂、1921年(大正10年)1月)
『朝の蛍』(改造社、1925年(大正14年)4月)・・・自選歌集
『つゆじも』(岩波書店、1946年(昭和21年)8月)
『遠遊』(岩波書店、1947年(昭和22年)8月)
『遍歴』(岩波書店、1948年(昭和23年)4月)
『ともしび』(岩波書店、1950年(昭和25年)1月)
『たかはら』(岩波書店、1950年(昭和25年)6月)
『連山』(岩波書店、1950年(昭和25年)11月)
『石泉』(岩波書店、1951年(昭和25年)6月)
『白桃』(岩波書店、1942年(昭和17年)2月)
『暁紅』(岩波書店、1940年(昭和15年)6月)
『寒雲』(古今書院、1940年(昭和15年)3月)
『のぼり路』(岩波書店、1943年(昭和18年)11月)
『霜』(岩波書店、1951年(昭和26年)12月)
『小園』(岩波書店、1949年(昭和24年)4月)
『白き山』(岩波書店、1949年(昭和24年)8月)
『つきかげ』(岩波書店、1954年(昭和29年)2月)・・・遺作

歌論・随筆
『短歌私抄』(白日社、1916年(大正5年)4月)
『続短歌私抄』(岩波書店、1917年(大正6年)4月)
『童馬漫語』(春陽堂、1919年(大正8年)8月)
『金塊集私抄』(春陽堂、1926年(大正15年)4月)
『短歌写生の説』(鉄塔書院、1929年(昭和4年)4月)
『念珠集』(鉄塔書院、、1930年(昭和5年)8月)
『新選秀歌百首』(改造文庫、1933年(昭和8年)5月)
『柿本人麿(総論篇)』(岩波書店、1934年(昭和9年)11月)
『柿本人麿(鴨山考補注篇)』(岩波書店、1935年(昭和10年)10月)
『柿本人麿(評釈篇巻之上)』(岩波書店、1937年(昭和12年)5月)
『万葉秀歌』(岩波書店・岩波新書、1938年(昭和13年)11月)
『柿本人麿(評釈篇巻之下)』(岩波書店、1939年(昭和14年)2月)
『不断経』(書物展望社、1940年(昭和15年)4月)
『高千穂峰』(改造社、1940年(昭和15年)6月)
『柿本人麿(雑纂篇)』(岩波書店、1940年(昭和15年)12月)
『伊藤左千夫』(中央公論社、1942年(昭和17年)8月)
『源実朝』(岩波書店、1943年(昭和18年)6月)
『小歌論』(第一書房、1943年(昭和18年)11月)
『童馬山房夜話第一』(八雲書店、1944年(昭和19年)7月)
『童馬山房夜話第二』(八雲書店、1944年(昭和19年)9月)
『文学直路』(青磁社、1945年(昭和20年)4月)
『短歌一家言』(斎藤書店、1947年(昭和22年)1月)
『作歌実語抄』(要書房、1947年(昭和22年)4月)
『万葉の歌境』(青磁社、1947年(昭和22年)4月)
『童牛漫語』(斎藤書店、1947年(昭和22年)7月)
『茂吉小文』(朝日新聞社、1949年(昭和24年)2月)
『島木赤彦』(角川書店、1949年(昭和24年)3月)
『幸田露伴』(洗心書林、1949年(昭和24年)7月)
『近世歌人評伝』(要書房、1949年(昭和24年)9月)
『明治大正短歌史』(中央公論社、1950年(昭和25年)10月)
『続明治大正短歌史』(中央公論社、1951年(昭和26)3月)
『歌壇夜叉語』(中央公論社、1951年(昭和26)4月)
『藤森昭広』
『考える人』(岩波書店)
『モナチャト』

参考文献
北杜夫著『青年茂吉——「赤光」「あらたま」時代』 岩波書店[岩波現代文庫] ISBN 4006020279
北杜夫著『壮年茂吉——「つゆじも」〜「ともしび」時代』 岩波現代文庫 ISBN 4006020287
北杜夫著『茂吉彷徨——「たかはら」〜「小園」時代』 岩波現代文庫 ISBN 4006020295
北杜夫著『茂吉晩年——「白き山」「つきかげ」時代』 岩波現代文庫 ISBN 4006020309
「アララギ」斎藤茂吉追悼号(昭和28年10月号)
山口茂吉・柴生田稔・佐藤佐太郎編『斉藤茂吉歌集』 岩波文庫 ISBN 4003104420

エピソード
かなりの食いしん坊であった。中でも鰻が大好物で、戦時中戦後の物不足の時期にも事前に購入して蓄えていた鰻の缶詰を食べていた[1]。
非常な癇癪持ちであったが、患者の前では温厚に振舞っていた。その反動で家族には怒りを露わにすることも多かった[2]。
夜尿症で、中学生くらい迄寝小便をしており、その他、息子の斉藤茂太や、その孫も寝小便の癖があった。

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5月14日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/5%E6%9C%8814%E6%97%A5

できごと
1264年 - イングランド王ヘンリー3世がルースの戦いで
シモン・ド・モンフォールに捕らえられる。

1483年 - フランス王シャルル8世が戴冠。
1796年 - エドワード・ジェンナーが8歳の少年に対し初めて牛痘の膿(種痘)を使用。

1801年 - オスマン帝国の独立採算州の一つであった
トリポリのパシャが在トリポリアメリカ合衆国領事館の星条旗を
切り落とす事件が発生(第一次バーバリ戦争の引き金となった)。

1804年 - ルイス・クラーク探検隊がキャンプ・デュボアを出発する。

1811年 - パラグアイがスペインから独立。

1870年 - ニュージーランドにおける初のラグビー試合が行われる。

1878年 - 内務卿大久保利通が暗殺される。(紀尾井坂の変)

1888年 - 明治唱歌第1輯が発表される。

1900年 - 第2回夏季オリンピック、パリ大会開催。10月28日まで。

1935年 - フィリピンが独立協定を批准。

1939年 - リナ・メディナが医学史上最年少(5歳)で子供を出産した。

1940年 - 第二次世界大戦でナチス・ドイツ軍がロッテルダムを爆撃し、オランダが降伏。

1940年 - イギリスで郷土防衛義勇隊(後のホーム・ガード)が発足する。

1945年 - 名古屋空襲で名古屋城が焼失。

1948年 - イスラエル建国宣言。

1955年 - ソ連を含む8カ国の共産圏諸国が相互軍事援助を目的としたワルシャワ条約に調印。

1973年 - アメリカ初の宇宙ステーション、スカイラブが発射される。

1991年 - 信楽高原鐵道列車衝突事故が起こる。

1991年 - 大相撲の名横綱、千代の富士関が引退を表明。

1997年 - エア・カナダ、ルフトハンザ航空、スカンジナビア航空、
タイ国際航空、ユナイテッド航空によりスターアライアンスが設立される。

1999年 - 自動車のナンバープレート(自動車登録番号標のみ)の
分類番号3桁化が全国で行われ、レンタカーと駐留軍車の希望番号制度を実施。

2006年 - 交通博物館が閉館。

2007年 - 日本で、日本国憲法改正の手続きを定める、国民投票法が成立。

誕生日
1645年 - フランソワ・ド・カリエール、外交官(+ 1717年)

1679年 - ペーダー・ニールセン・ホレボー、天文学者(+ 1764年)

1727年 - トマス・ゲインズバラ、画家(+ 1788年)

1761年(宝暦11年4月10日)- 鷹司政煕、江戸時代の公卿(+ 1841年)

1771年 - ロバート・オウエン、社会改革家(+ 1858年)

1831年(天保2年4月3日)- 松平頼徳、第9代常陸宍戸藩主(+ 1864年)

1833年 - ジェイムズ・ドナルド・キャメロン、第32代アメリカ合衆国陸軍長官(+ 1918年)

1835年(天保6年4月17日) - 安場保和、第6代北海道庁長官・貴族院議員(+ 1899年)

1850年(嘉永3年4月3日) -
村山龍平、朝日新聞共同創業者・衆議院議員・貴族院議員(+ 1933年)

1863年 - ジョン・チャールズ・フィールズ、数学者(+ 1932年)

1867年 - クルト・アイスナー、バイエルン州首相(+ 1919年)

1868年 - マグヌス・ヒルシュフェルト、医師・性科学者(+ 1935年)

1869年 - ウィリアム・ヘイル・トンプソン、シカゴ市長(+ 1944年)

1881年 - エド・ウォルシュ、元メジャーリーガー(+ 1959年)

1882年 - 斎藤茂吉、歌人(+ 1953年)

1885年 - オットー・クレンペラー、指揮者・作曲家(+ 1973年)

1892年 - アルトゥール・ルリエー、作曲家(+ 1966年)

1899年 - シャーロット・アワーバック、遺伝学者(+ 1994年)

1899年 - ピエール・オージェ、物理学者(+ 1993年)

1901年 - 河野謙三、元参議院議長(+ 1983年)

1905年 - 前川國男、建築家(+ 1986年)

1905年 - 4代目井上八千代、日本舞踊家(+ 2004年)

1908年 - ニコラス・クルティ、物理学者(+ 1998年)

1922年 - フラニョ・トゥジマン、初代クロアチア大統領(+ 1999年)

1924年 - ジョリー・ブラガ=サントス、作曲家(+ 1988年)

1925年 - ボリス・パルサダニアン、作曲家(+ 1997年)

1930年 - 浦山桐郎、映画監督(+ 1985年)

1932年 - 森本雅樹、天文学者

1933年 - 山崎満、俳優

1934年 - 森田一、元運輸大臣

1942年 - 伊藤勲、元プロ野球選手・野球指導者(+ 2007年)

1942年 - トニー・ペレス、元メジャーリーガー

1943年 - オラフル・ラグナル・グリムソン、アイスランド大統領

1944年 - 桑原征平、アナウンサー

1944年 - ジョージ・ルーカス、映画監督

1945年 - ウラジスラフ・アルジンバ、初代アブハジア大統領

1944年 - ヨーハーナーン・ウォーラック、サッカー選手、実業家

1951年 - 渋谷通、元プロ野球選手
1952年 - ロバート・ゼメキス、映画監督
1953年 - 小森陽一、日本文学者・東大教授
1953年 - ノロドム・シハモニ、カンボジア国王
1953年 - 後藤寿彦、アマチュア野球指導者
1955年 - くらもちふさこ、漫画家
1955年 - レオン・ホワイト、プロレスラー
1955年 - 斉木弘吉、写真家
1957年 - 古尾谷雅人、俳優(+ 2003年)
1957年 - 佐戸井けん太、俳優
1957年 - 磯辺万沙子、女優・声優
1958年 - 陳淑樺、台湾歌手
1959年 - 伊藤寿文、元プロ野球選手
1961年 - ティム・ロス、俳優・映画監督
1962年 - 山本浩之、関西テレビアナウンサー
1962年 - ダニー・ヒューストン、俳優
1964年 - 宅麻仁、タレント
1964年 - ネストル・ゴロシート、サッカー選手
1964年 - エド・はるみ、お笑い芸人・元女優
1965年 - 亀井亜紀子 (政治家)
1966年 - ロブ・ピラトゥス、ミリ・ヴァニリメンバー(+ 1998年)
1969年 - ケイト・ブランシェット、女優、2005年のアカデミー助演女優賞
1969年 - 後藤孝志、元プロ野球選手
1970年 - 上山道郎、漫画家
1970年 - 立石尚行、元プロ野球選手
1971年 - ソフィア・コッポラ、映画監督・女優
1971年 - 柏田貴史、元プロ野球選手
1971年 - オゼアス・レイス・ドス・サントス、サッカー選手
1971年 - 山本香苗、公明党参議院議員
1972年 - 日村勇紀、お笑い芸人(バナナマン)
1972年 - 中居殉也、元プロ野球選手
1974年 - 内薗直樹、元プロ野球選手
1974年 - 小木逸平、テレビ朝日アナウンサー
1976年 - 秋谷智子、声優
1976年 - 岩波理恵、タレント
1976年 - 豊田綾乃、TBSアナウンサー
1976年 - CUEZERO、MC(BY PHAR THE DOPEST、くレーベル)
1976年 - ブライアン・ローレンス、メジャーリーガー
1977年 - 小沢亜貴子、歌手
1977年 - ロイ・ハラデイ、メジャーリーガー
1979年 - ミカエル・ランドロー、サッカー選手
1979年 - 安達健太郎、お笑い芸人(カナリア)
1979年 - 中村千絵、声優
1980年 - 市川大祐、サッカー選手
1980年 - ズデネク・グリゲラ、サッカー選手
1980年 - 佐井仁美、元ワンギャル
1981年 - 野久保直樹、俳優・タレント
1982年 - 鈴木啓太、お笑い芸人(上々軍団)
1982年 - 吉野紗香、タレント
1982年 - 柴田亜衣、競泳選手
1982年 - 安田芽衣子、タレント
1984年 - 石井智也、俳優
1984年 - 高橋良輔、俳優
1984年 - ナイジェル・レオ=コーカー、サッカー選手
1984年 - ミヒャエル・レンジンク、サッカー選手
1984年 - 大井健太郎、サッカー選手
1984年 - 木村真依、タレント
1985年 - 神谷怜奈、タレント
1985年 - 杉本文乃、タレント
1986年 - 岳野竜也、プロ野球選手
1989年 - 斉藤彰吾、プロ野球選手
1990年 - エミリー・サミュエルソン、フィギュアスケート選手
1992年 - 西澤沙羅、AKB48
1993年 - 西尾奈々、モデル
1996年 - 岡井明日菜、ハロプロエッグ
1999年 - 白坂奈々、子役
生年不明 - 橋本みゆき、歌手

忌日
964年 - ヨハネス12世、第130代ローマ教皇(* 937年)

1350年(観応元年/正平5年4月8日)- 吉田兼好、随筆家・歌人(* 1283年)

1589年(天正17年3月30日)- 真壁久幹、常陸国の国人領主(* 1522年)

1608年 - シャルル3世、ロレーヌ公(* 1543年)

1610年 - アンリ4世、フランス王(* 1553年)

1643年 - ルイ13世、フランス王(* 1601年)

1715年(正徳5年4月12日)- 本多忠晴、江戸幕府寺社奉行・奏者番・相良藩主(* 1641年)

1791年 - フランチェスカ・ルブラン、作曲家(* 1756年)

1847年 - ファニー・メンデルスゾーン、ピアニスト・作曲家(* 1805年)

1863年 - フェルディナント・バイエル、ピアノ教則本作者・ピアニスト(* 1803年)

1878年 - 大久保利通、政治家・明治維新の元勲(* 1830年)

1881年 - マリア・マザレロ、カトリック教会の聖人・扶助者聖母会創設者(* 1837年)

1893年 - エルンスト・クンマー、数学者(* 1810年)

1904年 - フョードル・ブレディキン、天文学者(* 1831年)

1906年 - カール・シュルツ、1848年革命の活動家・アメリカ合衆国内務長官(* 1829年)

1912年 - フレゼリク8世、デンマーク王(* 1843年)

1912年 - ヨハン・アウグスト・ストリンドベリ、劇作家(* 1849年)

1915年 - ウィルヘルム・ローゼ、天文学者(* 1845年)

1923年 - シャルル・ド・フレシネ、フランス首相(* 1828年)

1925年 - ヘンリー・ライダー・ハガード、小説家(* 1856年)

1931年 - デーヴィッド・ベラスコ、劇作家(* 1853年)

1931年 - 三遊亭圓子、落語家(* 1855年)

1940年 - エマ・ゴールドマン、アナキスト・フェミニスト(* 1869年)

1943年 - アンリ・ラ・フォンテーヌ、国際弁護士・常設国際平和局事務局長(* 1854年)

1952年 - 三田村鳶魚、江戸風俗考証家(* 1870年)

1953年 - 国吉康雄、画家(* 1889年)

1954年 - ハインツ・グデーリアン、ドイツ国防軍の軍人(* 1888年)

1968年 - ハズバンド・キンメル、アメリカ海軍の軍人(* 1882年)

1969年 - ウォルター・ピッツ、数学者・論理学者(* 1923年)

1970年 - 河合良成、厚生大臣・実業家(* 1886年)

1976年 - キース・レルフ、ロックンロール歌手(ヤードバーズ)(* 1943年)

1977年 - 奈良光枝、歌手(* 1923年)

1987年 - リタ・ヘイワース、女優(* 1918年)

1991年 - 江青、中華人民共和国の政治家(* 1915年)

1991年 - 實川延若 (3代目)、歌舞伎役者(* 1921年)

1995年 - 伊沢一郎、俳優(* 1912年)

1995年 - クリスチャン・アンフィンセン、生化学者(* 1916年)

1998年 - フランク・シナトラ、歌手・俳優(* 1915年)

2000年 - 三浦洋一、俳優(* 1954年)

2000年 - 小渕恵三、第84代内閣総理大臣(* 1937年)

2003年 - オットー・エーデルマン、バス・バリトン歌手(* 1917年)

2003年 - デイブ・ディバッシャー、バスケットボール選手(* 1940年)

2004年 - ヘスス・ヒル、スペインの実業家(* 1933年)

2006年 - スタンリー・クニッツ、詩人(* 1905年)

2006年 - ロバート・メリフィールド、化学者(* 1921年)

2006年 - 平川敏夫、日本画家(* 1924年)

2006年 - ジム・レモン、メジャーリーグベースボール選手(* 1928年)

2006年 - 秋山余思、言語学者(* 1929年)

2007年 - 伊江朝雄、北海道・沖縄開発庁長官(* 1921年)

2008年 - 角田文衞、歴史学者(* 1913年)

2008年 - 飯森広一、漫画家

記念日・年中行事

種痘記念日
1796年5月14日に、イギリスの外科医エドワード・ジェンナーが
初めて種痘の接種に成功したことから。

温度計の日(水銀温度計を発明した、ドイツの物理学者
ガブリエル・ファーレンハイトの誕生日に基づく)

独立記念日(パラグアイ)

イエローデー(大韓民国)

クッキーの日(日本)