東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年5月21日(木曜日)
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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年5月21日(木曜日)

「春」です。

「春」の「5月」

になりました。

まばゆいほど。

ことばでは。

いいつくせないほどに。

まぶしくて。

ありがたくくやさしい。

「春」「5月」の。

するどくつよい陽射しです。

しあわせいろの。

とても。

とてもあかるい陽射しです。

「5月」の。

「朝」の陽射しの「あかるさ」は。

なにものにも。

たとえようこそありません。

「のどか」です。

けれども「朝陽」は。

「するどい」。

春朝陽(はるあさひ)

緑木枝間に

われを見る

まばゆくも

鋭く輝く

眼(まなこ)なりけり

はるあさひ

みどりきえたまに

われをみる

まばゆくも

するどくかかやく

まなこなりけり

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

「春」になりました。

今年も春がきました。

「春」がきて。

今は「5月」。

「春」はふうせんのように。

ふくらみ。

ひろがってゆく季節です。

「立夏」。

「5月」です。

「夏」まぢかし。

ひなまつりはおわり。

野には。

たんぽぽが咲き。

すみれが咲き。

よもぎや。

すぎながいっぱいになりました。

むらさきのつつじが。

さきほこっています。

「春」になり「川の水音」が。

やっと。

「せせらぎ」の。

「みずのながれのおと」に。

きこえるようになりました。

「春」の小川。

「さらさら」ながれる。

はるのおがわ。

高さも低さこそ見えないのに。

あゆみたゆまず。

ながれる水の流れ。

とても感銘致します。

春分の日もすぎれば。
「さくら」咲きはじめ
「さくら」がおわり。
「4月」が終われば。
「5月」になり。
「5月」もおわれば。
6月に。「夏」になり。
6月も終われば。
7月 たなばた。
7月 もおわれば。
せみのなく8月。
8月の夏はすぎれば。
9月の秋になり秋の虫が鳴く。
そして9月がおわり。
中秋10月なり紅葉の季節。
そして10月がおわり。
「11月」になり。
晩秋「11月」もおわり12月の「冬」。
「12月」になればまた「年」があけ。
また「初春」がくる。

そして来年も「春」の「3月」がきて。
そして「4月」。
そして「5月」がくる。

もう「はる」の「5月」です。

「晩冬」の冬はおわりました。

「雪国の冬」はおわりました。

そして「12月」の冬至を。

すぎて「陽」はもうすでに

日々とてもたかくなりつつあります。

「春」がきて。

今は「夏」に向かう「春」です。

「春」の「5月」です。

「昨年」12月の冬至は

おわりました。

「夏」の「6月」の。

「夏至」までもうすぐ。

陽は日々たかくなっている。

とてもよくわかります。

朝陽ののぼるのが早くなりました。

夕陽がおりるのは遅くなりました。

朝の「春」の陽射しは

窓越しにも「まばゆい」

くらいです。

夕暮れの「春」の陽射しは「きかんぼう」

の「やんちゃぼうず」のようです。

なにかおちつかずくれてゆきます。

まことに。

冬来たりなば春遠からじ。

ふゆきたりなば

はるとおからじ

(出 典は。

 イギリスの詩人シェリー*の

『西風に寄せる歌』の一節。

英 語の原文: 

If winter comes,

can spring be far behind? )

「英国:United Kingdom UK」のロマン派の
詩人は。「御自分」のテーマの「鳥」を
紋章のようにもっています。
英国ロマン派の詩人は、
それぞれ愛好し、崇拝する鳥を持っていました。

ジョン・キーツは、
「夜鶯」(ほととぎす)の神秘的な声に魅惑され。
夜の闇に響くその歌声を主題に詩を書いています。

ワーズワースにとって、詩の霊感をもたらし、
彼に生きることの喜びを教えてくれる鳥は、
「郭公」(かっこう)でした。

パーシー・シェリーは「雲雀」(ひばり)の声に魅惑され。
ひばりを崇拝する鳥として。
主題とした詩を書いています。

「秋」から「冬」への

移り変わりは

二階から。

「かけあし」の足音のきこえる。

怒涛のごとき「はやさ」でした。

二階から。

「かけあし」の足音のきこえる。

「かけあし」10人分

の「足音」のようでした。

「9月」の初秋がおわり。
「名月中秋10月もおわり」ました。
「11月」。

「11月」もおわりました。
「12月」もおわりました。
「新年」「初春」の「1月」もおわり。
今は
「2月」「晩冬」もおわりました。

「晩秋」から「冬」への移り変わりは

「かけあし」のようにうつろいました。

一方

「春」はゆっくりと。

ゆっくりと。

ゆっくりと。あるいて来ます。

そしてゆっくりと。

あるいて行きます。

だから。

「春」をまつのであれば。

「春」がゆっくりと。

歩いてくるのをまたなければ。

なりません。

「夏」がくるのをまつのであれば。

「春」がゆっくりと。

歩いていくのをまたねば。

なりません。

もう「春」ですね。

「冬」はかけあしでやってくる。

「春」はゆっくりと歩いてやってくる。

さきのことすぎるかもしれないが「来年」。

このように「時」のうつろいを

心はせれば。

考えると「おそろしいもの」です。

考えなければ。
「なおおおそろしい」
ものであるものかもしれない。

「考えずにいるつけ」がまわって
くるからかもしれません。

「来年」のことを考えれば「鬼」が笑う。
「来年」のことを考えずにすむのであれば「鬼」は
笑わないのでしょう。
「鬼」とはなんだろう。

今日の深夜早朝03:15amには。

久方ぶりに。

大きな「春」の「星空」がみえました。

早朝くらいうちは。

空に月。

「お月様」が「「冬」雲のじゅうたん」

天高くにねそべって。

かさををさしている

ようです。

「春」の「夜空」の。

「おぼろ月夜」です。

「赤い月」でした。

04:00amころ日があければ。
まだまだくらい朝日を背に。
西のコバルトの空高く明るい。
とても高い成層圏近くの高い高度に。

西のコバルトの空高に。
「刷毛」でひいたように「絹雲(けんうん)」が
何本も何本も。
描かれて。
たなびいていました。

実に見事な筆捌(ふでさばき)です。
ためらいのない「朝焼け」
「春」の「朝焼け色」の線描です。

「春」の朝。

「陽射し」ののぼるころは。

「西」の空

のほうが明るいのです。

朝が明けて午前になれば。

まばゆいほどの。

「春」のひざしが。

陽がのぼる。

東から。

窓のカーテンと。

木々の合間をぬって。

「さあ 外にでて!」

とさそうがごとく。

大きな声で。

よびかけてくるようです。

高い成層圏近くの高い高度に。
「刷毛でひいたように」「絹雲(けんうん)」
の端には渦巻きのような「ぬけあな」があり
「さらなる遠方の青空」が透けてみえます。

さながらにして。
東山魁夷画伯の描かれた大きな壁画。
大きな屏風絵の世界。

東山魁夷画伯の描かれた大きな絵画を
彷彿とさせますです。

東山魁夷画伯。
「よくえがかけた画伯です」。

この「あおぞら」をみていると。

陽のひかりをみていると。

とても

信じられないくらいに。

元気がわいてくることに。

気が付きました。

「太陽」の「陽射し」。

「陽」の「めぐみ」は。

なんと。

ありがたいことだろう。

なんと尊いことだろう。

そら一杯の青空の

天井(てんじょう)と。

「太陽のひかりのひざし」は。

「生きとし生けるもの」にとって。

なによりもの。

まことの。

「めぐみ」なのであり。

それを戴けるのは。

「よろこび」ふかきことです。

「太陽のひかりのひざし」は

「いのちへのめぐみ」。

「いのちのよろこび」。

ありとあらゆる「生命」「いのち」をはぐくみ。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をたたえる。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をなぐさめる。

「生きとし生けるもの」の「いのち」に。
さらなる。
「はるかかなた」までの。
「いきるちから」をさずけるものです。
「太陽」。
ありがたいものです。

はやいものです。
ときのたつのは。
はやいものです。

そしてふと考えれば

去年も
「12か月」が
終わりました。

中秋から晩秋にうつろい。
いまや
「寒月」の「12月」がおわり。
新年の「1月」がおわり。
「晩冬」の「2月」がおわり。
「初春」の「3月」「4月」がおわり。

「春「5月」です。

病院の庭園に「何本」もある
「春の花」の大木が。
いずれもが紅白の花を

緑野に見え隠れする蓮華草
のように。

みのらせています。

「春の花」は。
「はつはな」で初々しいです。
けれども。
「春の花」は。

は雨に打たれると。
花は地面に紅白の毛氈(もうせん)
のように落花してしまいます。

くれない色としろ色の雪のようです。

「春の花」の花の花びら。

ひろって。
手のひらにかかげれば。
「春の花」の花のかおりは。
プラチナ色の香りが
致しました。

今は。
「春の花」が。
蕾をふくらませています。
「春の花」の。

はながは鐘袖(ベル・スリーブ)のように。
ふくらんでいます。

「春」の花の「はなびら」が。

闇夜のあいだに。

朝の早朝まだ。

「花」にもきがつかぬうちに

また地に舞い下りています。

「春の花」の花ひとつさいて。

夜の「春吹雪:はるふぶき」で。

ちったようです。

みつめれば。

「春吹雪:はるふぶき」に。

弓射られた白鷺(しらさぎ)の羽が。

舞っているようでした。

寒い「春」も。

「昆虫」の少ない時期に。

「春の花」は。

は花をさかせ。

どのように授粉して。

「実る」のだろう。

「春の花」の花ひとつさいて。

夜の「春吹雪:はるふぶき」で。

ちる。

「春の花」は。

「花」はすぐに

落下する。

このあたりに。

「春の花」

には。

ひとのよの。

「人生」の。

「解答」でもあるような

気が致します。

ふと野の花は。

一般的には。

香らない花が。

多いことに気づきました。

伊藤左千夫の「野菊の墓」の「野菊」は。
矢車菊 (やぐるまぎく)
はとても綺麗なむらさきの「のぎく」です。
けれども「のぎく」は香りません。
(Corn lower, Bachelor's-button)です。

因みに
最高級の(今はもうとれない)
インド・カシミール地方で産出されたの
サフアイアの色は

「矢車菊色:やぐるまそう色」といわれます。

「カシミール・ヴァイオレット」。

麦畑やとうもろこし畑の中に 咲いていたことから。
「コーン・フラワー」=「野菊」(Corn lower)
です。

別名 「矢車草(やぐるまそう)」
といわれることがあります。

実は「矢車菊 (やぐるまぎく)」と
「矢車草(やぐるまそう)」まったく違う植物です。
矢車菊 (やぐるまぎく)が「野菊」。
「矢車草(やぐるまそう)」は「高山植物」。

「野菊」は春から夏にかけて咲くむらさきの花です。

古代エジプトのツタンカーメン王の墓 からも
発見された由緒正しき「野菊」。
色は紫。むらさきです。

ツタンカーメン王の。

まだ幼な子王妃が。

「亡きツタンカーメンンに野菊の花束ささげるけなげな姿」
が鮮烈に眼に浮かびます。

この「花」が。

「野菊」です。

「野菊の墓」の「野菊」。

けれども。

「野菊」は

香らない。

毎朝暗い早朝と。

うす暗くなる午後4時ころには。

「春吹雪:はるふぶき」が

ふいている。

「春吹雪:はるふぶき」がかわりばんこに。

あちこちで

「ろうろう」「こうこう」とないています。

「春かぜ」の
「春吹雪:はるふぶき」
の「コーラス」を聞いていると。

ふと。

「この「春」におびえるひと」の気配が
脳裏をはしりました。
はてだれだろう。

うら若き乙女。
貧しさに。
苦労に苦労をかさねて。
苦しんで苦しんだ苦しんだあげくに。
24歳にして世を去った
「樋口一葉」。

樋口一葉の
「うらわかき」「「冬」と「春」の短歌」がきこえるようです。

散たまるふもとの落葉わけて思ふ
埋もれぬべきは雪の山里

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ
うもれぬへきはゆきのやまさと

庭の面につもる紅葉の色見れば
散りての後もにしきなりけり

にわのおもにつもるもみしのいろみれば
ちりてのあともにしきなりけり

世の中の秋にあはじとおくれけん
一もと野ぎく思ひあがりて

よのなかにあきにあはしとおくれけん
ひともとのきくおもひあがりて

折々に散るものどけし春雨の
はれたる軒の山桜ばな

おりおりにちるものどけしはるさめの
はれたるのきのやまさくらばな

わが園のものとおもへば初わかな
はつかなれども嬉しかりけり

わがそののものとおもへばはつわかな
はつかなれどもうれしかりけり

立ち渡る霞をみれば足引きの
山にも野にも春は来にけむ

たちわたるかすみをみれはあしひきの
やまにものにもはるはきにけむ

わたつ海の波のいづこに立ち初て
果なくつゝむ春の霞ぞ

わたつみのなみのいづこにたちそめて
はてなくつつむはるのかすみぞ

さざ波やしがの都のいにしへの
おもかげうすく立つ霞かな

ささなみやしかのみやこのいにしえの
おもかけうすくたつかすみかな

鶯のけさおとづるゝ声聞て
はじめて春の心地こそすれ

うくいすのけさおとつるるこへききて
はしめてはるのここちこそすれ

うれしくもわがものにして聞てけり
このあかつきの鶯の声

うれしきもわかものにしてきこへけり
このあかつきのうくいすのこへ

のどかなるけさの雨にやはるの野の
みどりも色まさるらむ

のとかなるけさのあめにや
はるののの
みとりのいろもまさるらむ

おくれたる友の為にとしをりして
谷間の蕨折り残しけり

おくれたるとものためにとしをりして
たのまのわらひおりのこしけり

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ

うもれぬへきはゆきのやまさと

にわのおもにつもるもみしのいろみれば

ちりてのあともにしきなりけり

よのなかにあきにあはしとおくれけん

ひともとのきくおもひあがりて

-------------------------------

おりおりにちるものどけしはるさめの

はれたるのきのやまさくらばな

わがそののものとおもへばはつわかな

はつかなれともうれしかりけり

たちわたるかすみをみれはあしひきの

やまにものにもはるはきにけむ

わたつみのなみのいづこにたちそめて

はてなくつつむはるのかすみぞ

ささなみやしかのみやこのいにしえの

おもかけうすくたつかすみかな

うくいすのけさおとつるるこへききて

はしめてはるのここちこそすれ

うれしきもわかものにしてきこへけり

このあかつきのうくいすのこへ

のとかなるけさのあめにや

はるののの

みとりのいろもまさるらむ

おくれたるとものためにとしをりして

たのまのわらひおりのこしけり

「24歳」の「とても貧しい乙女」の。

「春」によろこび。

「春」にもおびえおののく。

隠したくはない「乙女のほこり」

けれども。

隠さざるを得ぬ「乙女のほこり」

かなしさの。おもかげと。

光さす。輝きと。

いまだお若い「御婦人」の「知」「智」が。

ほこりたかくも。

はかなくも。

「ひしひし」とよみとれます。

「冬至」はすでにすぎました

これからは日は。
陽は次第にながくなる。
日が長くなる。
朝は明けるのは早くなり。
夕に暗くなるのは遅くなる。

しだいに陽がながくなる。
なぜか。
不思議なやさしさ。
やすらぎと。
心やすらかなる
安堵感をかんじます。

心やすらかなる
安堵感をかんじます。

けれども。
「安堵」と「落胆」は。
常に表裏一体。
両羽(もろば)の剣。

「ぬかよろこび」の「ぬか」のような
ものです。

「ながくなる陽」も両羽(もろば)の剣を
持っています。

そして。
季節には「大気の音色(ねいろ)」もあるようです。

朝空は
陽ははるかに天高く。
空色はミルク色です。
クリームのかかった雲空です。

東京都世田谷区山本クリニックの庭園には

「えどむらさき」という「つつじ」
が「何本」もはえています。
野生種に近いものです。
大きな真紅紫の花を咲かせます。

「つつじ」ですから
盆栽の「皐月:さつき」のような
繊細さはみえません。

この「5月」になり。
森山を分け入ると。

木々の根元に隠れ咲く。
だいだい色の花の花のごとくに紅葉したまま
しもがれする
「やまはぜの葉木」が「大好き」です。

「やまうるしの紅葉」もかわいらしく。
「大好き」です。

身の丈以上ほどにもなって群生する。
野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
が。
病院の林の一角に野生のまま
おいしげっています。

野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
のパープルの真珠が群れたように実る
「実りの木の実」の風にそよぐ音色には。
おどろかされます。

あけびつたもうれしい。
あけびの「実」がみつかればなおなおうれしい。

またたびをみつけました。
根元にねこにかじられきずがある。

里山の冬の時期から。
そして初春の里山の季節
になりました。

四季の歩みの春夏秋冬のうつろいは
メトロノームの「あゆみ」を
感じさせます。

この「あゆみ」の「質量」は
とてもとても高いです。
質量があれば。あたかも。
重力のように。
四季のリズムにひきよせられていく。
そのような感じがします。

四季の歩みの春夏秋冬は。
フアジーでいてなお着々。
確実な「リズム」を感じます。

ここに。
「メロディ:旋律」とハーモニー:和声」
がくわわれば「音楽の三要素」。
音楽と同じです。

草花や草木につつまれた自然は。
「音楽」と同じように
ひびきとして聴こえます。

自然は
「しぜん」の
「ヴィルトオーゾ」と
「ヴィルトゥオーサ(virtuosa)」
*です。

この「自然のフイルハーモニウム」の。
指揮者は。
太陽なのか大地なのか人なのか。

或は音色をかもし出す自然はオーケストラ
であるのか。
ソリストなのだろうか。

私の尊敬する「合衆国USA」の
女性で小説家(「ノーベル賞受賞者」)
「パール・サイデンストリッカー・バック
(Pearl Sydenstricker Buck)
中国名、賽珍珠(サィ・チンシュ)」
パールバックの「大地」に
その「こたえ」が示唆されています。

古代より芸術家が
自然を音楽や絵画や彫刻
で表現しようとした気持ちが良く判ります。

*ヴィルトゥオーソ(virtuoso)は、
「博識、達人」を意味するイタリア語の男性名詞である。
複数形の場合はヴィルトゥオーシ(virtuosi)
、女性形はヴィルトゥオーサ(virtuosa)となる。
ラテン語のvirtus(「男らしさ」「美徳」「至高」の意)を語源とし、元来は「有徳の」「誉められるべき」
を意味する形容詞の男性形であった。

実際の楽曲ではこの三要素は。
密接に音楽的に結びつきひとつの楽曲をなします。

但し音楽の「リズム・メロディ・ハーモニー」は
一つだけを明確に取り出せる「成分」というわけ
ではありません。

また「音楽であるため」に。
三要素が絶対必要ということ
でもないでしょう。

邦楽などではリズム・ハーモニーは
存在しないか希薄である事が多いです。
「音楽」として「欠陥」があるわけ
ではありません。

「リズム・メロディ・ハーモニー」
が西洋音楽の常識ではありえないほど
高度な進化を遂げた音楽も存在致します。

邦楽もその一つです。

大和の国 やまとのくにの自然は。
「大和の国の音楽」と同じように思えます。
聴こえます。

「音楽」は「音」「おと」です。
そして「しらべ」=メロディとハーモニーです。
人類が「この音楽」を「楽譜」として
「寸分たがわず」「譜面」という名の「紙」に
「かくことを完成させた」ということは
大変なことです。

人間は。
人類は。
わずか「400年」で。

「音楽の旋律」に対する「楽譜」を。
「あらたな言語」を
完全に「完成」させたことになります。

まさにミューズの神の「神業かみわざ」です。

木々のめぶきの
冬なおも。
ますます力強い息吹を感じます。

「真夏」をすぎ「冬」になると。
再び「若葉」がみられることに。
きづきました。
「ため息」がでるほど木々の「冬若葉」の
「つどい」は「つよく」「うつくしい」。
雪の上のみどり。

木々のてっぺんは萌黄色から
「ふかみどり」
になりました。
そして「しっかりと樹木として
「冬を迎えた葉束」になりました。
これからは
「深まる冬」がすぎさり「春」。
「開花」の炎が。
樹木の上方で。
「雪の到来」を.
くすぶりてまちわびてています。
たえしのぶ冬の樹木です。

「若葉」の「新緑」から「深緑」です。

高い木々の穂先は萌黄から若草色に。
うねるなみのように。
木々の新緑は常緑となり冬のおとずれを
伝えていました。

桜は葉桜から「葉木」
道路沿いの「けやき」の木々も
萌黄から若葉。
そして青葉。
どうもうともいえる青葉。
そして見え隠れする「紅葉葉」。
紅葉葉の10枚20枚がひとつひとつ
の樹木にみえるようになりました。
「黄色調」です。
そして今「樹木」は「葉のいろ」をかえ
「宙」に舞おうとしています。

明らかなる。
「冬から春」とはことなる。
「夏から秋」。
「秋から冬」
そして「冬」の「木枯らし」。

木々の四季の。
大気の「色」のうつろい
に気づきます。

今は里山(さとやま)をさまよい。
今は里山(さとやま)をあるきたい。
今は里山(さとやま)の季節。
今は昔々里山(さとやま)であそび。
今は昔々て里山(さとやま)でおぼえ。
今は昔々里山(さとやま)でまなんだ。
今は昔々のその日々の思い出は。
今は黄金(こがね)か。あるいは。
今は銀か。いぶし銀か。
今はもしかしたらプラチナか。
今は思い出色は鉛のように。
今は重さは鉛のようになり。
今は心の奥深くに埋もれて感じられます。

「幸せ色」=「しあわせいろ」

ならばよいです。

けれども
早朝は非常にあたたかくなりました。

春やま中さまよいて
春やま中をわけいらば
春やま中大樹の根元に隠れたり
春やま中あけぼの色のちひさき炎(ほのほ)
春やま中みつけたりやまの秋の華。
春やま中やまの秋葉木のかくれんぼ
春やま中大樹の根元に隠れたり
春山はぜの葉木。
春やま中やまうるしの葉木。
春やま中あきやまはぜとふるやまうるし。
春こす「はだか木」。
春こす元気な木。たくましき木。

春山萩(やまはぎ)の
春花をかくして燃えたたむ
春に実りの祭りなり
春山はぜの葉炎
春天高く燃ゆ

はるやまはぎの
はるはなをかくしてもえたたむ
はるにみのりのまつりなり
はるやまはせのほのほ
はるてんたかくもゆ

はるひろくなりけり空(そら)たかし
はるさとやまに木々のみどり木
はるこもれびうけて燃えるがごとし
はるみどりの炎(ほのほ)
はるほのほうちけさむかすみはあおし
はるほのほにかすみにただよひて
はるうるわしくかがやきたり
はるあたたかくかおりたり
はるあざやかなりけり 
はるやまさとのやまみどり
はるやまさとのふかみどり

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
は「英国:United Kingdom UK」の
「風景画家」
天才画家ですが「緑」が大嫌い
で「黄色」が「大好き」。
「木」をかくのを非常にいやがったそうです。

多分ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
が「修行時代」に「お金にために
「どこの国も同じですが」
「名所絵」をかかされたときの
「反動」ではないかと
今の私は考えます。

「大きな夏みつけた」

から

「夏がすぎてて真秋間近い」

「小さな秋みつけた・。」

そして

「小さな冬みつけた」

そして

「大きな冬みつけた」。

そして

「小さい春」がみつかって。

しだいにおおきな。

「春」になりました。

「夏」もちかづく「八十八夜」

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成21年01月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年2月11日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年3月20日(金曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらず
インフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。

「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。

家が貧しかったため。
「化石」の異味もわからず。
兄とともに海岸で「化石」をひろい
旅行客のお土産にして。
収入の道にしていた少女が。

12歳のときに
ジグゾーパズルのごとく
こつこつと「売れない破片」を
重ね合わせていくうちに。
イクチオザウルスの「全骨格化石」となり。
世界で始めてのイクチオザウルスの「全骨格化石」
の発見となり。
すぐに王立協会の手に渡り。
さらに。
化石コレクターの有名人の眼にとまり
善意の寄付をうけて経済的に安定
して。
さらに化石をさがしつづけ。

「恐竜が
過去に絶滅があったこと」の証拠とし。

さらにその頃までの
「動物が絶滅するとは信じられてはいなかった」
考えは誤りであり。
「動物は絶滅しうる」とういう「大定理」を導くに至り。
ひいてはカソリック教会からも「賞賛」を受け。

結果。
「古生物学」の「プロフエッショナル」となった
「英国:United Kingdom UK」の「御婦人」

1799年 - メアリー・アニング、古生物学者(+ 1847年)
の生誕日です。

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メアリー・アニング
:Mary Anning、
1799年5月21日 - 1847年3月9日)は。

イギリスの初期の化石採集者であり。
古生物学者です。。

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メアリー・アニング:Mary Anningは。

イギリス南部沿岸ドーセット州の
ライム・リージス村で生まれ
ました。

彼女が生後15か月だった1800年、雷が村を襲い、
4人に直撃致しました。

その内3人が死亡したが。
生き残った1人がメアリーでした。

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メアリー・アニング
:Mary Anningの。

メアリーの父リチャードは家具職人でしたが。
貧しく。
ライム・リージス村沿岸の崖で化石を採集して。
それを観光客に売ることで生計を立てていました。

1810年に父が結核で亡くなると
アニング家の収入は途絶えました。

メアリーと兄のジョセフの「ふたり」
で化石を採集して。
生計を支えなければならなくなりました。

++++++++++++++++++++++

メアリー・アニング
:Mary Anningの子供のころ。

化石採集は
18世紀終わりから19世紀始めにかけて。
ただ「外国の生物だろう」と解釈され。
ブームになっていました。

始めの頃は切手収集と
おなじような余暇であったが。

しだいに地質学や生物学の理解に必要な科学になって
いきました。

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メアリー・アニング:Mary Anningは。
彼女は始めは観光客相手に化石の採集を始めました。

すぐに化石への興味が強く
高い値段で買ってくれるので
「科学界の顧客」へと。

関係を築いていきました。

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メアリー・アニング
:Mary Anningと科学界。

メアリーと科学界との関係が最初にできたのは。
父の死の数ヶ月後の1811年。

彼女がイクチオサウルスの骨格の化石
を見つけた時でした。

ジョセフが一年前に
大きなワニのように見える
頭蓋骨の化石を見つけていたが。

骨格の残りの部分は
始めは見つかっていなかったのです。
しかしメアリーが嵐の後に来てみると、
化石を含んだ崖の一部が削り取られていました。

イクチオサウルスの化石自体は「部分化石」
として。
1699年にウェールズですでに発見されていました。

彼女が発見したのは最初の全身化石であったのです。

++++++++++++++++++++++

メアリー・アニング
:Mary Anningは。

これは重要な発見でした。
化石はすぐに王立協会の手に渡りました。

メアリーはこの時
わずか12歳であったのです。

彼女はその後
2体の別のイクチオサウルスの化石を発見しています。

++++++++++++++++++++++

メアリー・アニング:Mary Anningの。
生家に掛けられている記念盾。

メアリーの評判が高まると。
彼女は裕福な化石収集者である
トーマス・バーチ (Thomas Birch)
の目に留まりました。

アニング家が貧困で困っているのを見て。
彼は自身の化石を売り売り上げの約400ポンドを
アニング家に与えました。

ここ10年で初めて財政的な態勢が整ったことで。

メアリーはジョセフが家具職人として
勤め始めてからも。

メアリー・アニング:Mary Anning
は化石採集を続けました。

++++++++++++++++++++++

メアリー・アニング:Mary Anningの。
彼女の次の大発見は、1821年のプレシオサウルスの
骨格化石の初めての発見でした。

この発見は後に
ウィリアム・コニーベアー (William Conybeare)
によって記載され、
メアリーの発見した化石がその後に。
「タイプ標本」となりました。

その後1828年には新種の魚の化石や。
ドイツ以外では初めてとなる
翼竜(ディモルフォドン)の。
全身の化石などを発見致しました。

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メアリー・アニング:Mary Anningは。

以上の3つの発見によって
メアリーの名前は歴史に残りました。

彼女は生涯を通じて化石の発掘を続け、
初期の古生物学に大きく貢献致しました。

30代後半になると、イギリス学術振興協会から
収入を得ることになりました。

メアリーは乳癌により47歳で世を去ったが、
死の数か月前に
ロンドン地質学会の名誉会員に選ばれました。

++++++++++++++++++++++

メアリー・アニング
:Mary Anningの。

科学に与えた影響

メアリー・アニングの発見は。
「恐竜が
過去に絶滅があったこと」の
証拠となりました。

その頃までは。
「動物が絶滅する」
とは信じられてはいませんでした。

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メアリー・アニング:Mary Anningは。

奇妙な化石が発見されても地球上の
未開の地に棲息している
未発見の動物だと説明されてきました。

アニングの発見した化石はこのような
議論に終止符を打つものであり。

古代の生物への正しい理解を導きました。

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メアリー・アニング:Mary Anningは。

メアリーは死後、一旦は忘れ去られたが
後に再発見されました。

王立地理学会は彼女を追悼して。

教区教会の聖ミカエル教会にステンドグラスを作りました。
銘にはこう書かれています。

「このステンドグラスは、
1847年3月9日に亡くなった
この教区のメアリー・アニングを
追悼するために作られたものである。

これは、
司教代理と王立地質学会の会員有志によって、
彼女の博愛、
高潔と地質学への貢献を記念して作られた。」
++++++++++++++++++++++

メアリー・アニング:Mary Anningは。
メアリーは、She sells sea shells by the sea shore.
(彼女は海岸で貝を売った)という
早口言葉のモデルになった人物であると考えられています。

また、「アーティチョーク」というグループの歌、
Anning, Maryの題材になっています。
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「続きを読む」=>*

++「続きを読むです1」++++++++++++++++++

メアリー・アニング
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0

メアリー・アニング:Mary Anning、1799年5月21日 - 1847年3月9日)は、イギリスの初期の化石採集者で古生物学者。

メアリー・アニングはイギリス南部沿岸ドーセット州のライム・リージス村で生まれた。彼女が生後15か月だった1800年、雷が村を襲い、4人に直撃した。その内3人が死亡したが、生き残った1人がメアリーだった。

メアリーの父リチャードは家具職人だったが、ライム・リージス村沿岸の崖で化石を採集し、それを観光客に売ることで生計を立てていた。1810年に父が結核で亡くなるとアニング家の収入は途絶え、メアリーと兄のジョセフで化石を採集し、生計を支えなければならなくなった。

化石採集は18世紀終わりから19世紀始めにかけてブームになった。始めの頃は切手収集とおなじような余暇であったが、しだいに地質学や生物学の理解に必要な科学になっていった。彼女は始めは観光客相手に化石の採集を始めたが、すぐに化石への興味が強く高い値段で買ってくれる科学界と関係を築いていった。

メアリーと科学界との関係が最初にできたのは、父の死の数ヶ月後の1811年、彼女がイクチオサウルスの骨格の化石を見つけた時であった。ジョセフが一年前に大きなワニのように見える頭蓋骨の化石を見つけていたが、骨格の残りの部分は始めは見つかっていなかった。しかしメアリーが嵐の後に来てみると、化石を含んだ崖の一部が削り取られていた。イクチオサウルスの化石自体は1699年にウェールズですでに発見されていたが、彼女が発見したのは最初の全身化石であった。これは重要な発見で、化石はすぐに王立協会の手に渡ったが、メアリーはこの時わずか12歳であった。彼女はその後2体の別のイクチオサウルスの化石を発見している。

生家に掛けられている記念盾メアリーの評判が高まると、彼女は裕福な化石収集者であるトーマス・バーチ (Thomas Birch) の目に留まった。アニング家が貧困で困っているのを見て、彼は自身の化石を売り、売り上げの約400ポンドをアニング家に与えた。ここ10年で初めて財政的な態勢が整ったことで、メアリーはジョセフが家具職人として勤め始めてからも化石採集を続けた。彼女の次の大発見は、1821年のプレシオサウルスの骨格化石の初めての発見であった。この発見は後にウィリアム・コニーベアー (William Conybeare) によって記載され、メアリーの発見した化石がその後タイプ標本となった。その後1828年には新種の魚の化石や、ドイツ以外では初めてとなる翼竜(ディモルフォドン)の、全身の化石などを発見した。

以上の3つの発見によってメアリーの名前は歴史に残ったが、彼女は生涯を通じて化石の発掘を続け、初期の古生物学に大きく貢献した。30代後半になると、イギリス学術振興協会から収入を得ることになった。メアリーは乳癌により47歳で世を去ったが、死の数か月前にロンドン地質学会の名誉会員に選ばれた。

科学に与えた影響

ロンドン自然史博物館に展示されているプレシオサウルス化石とアニングの解説文メアリー・アニングの発見は、過去に絶滅があったことの証拠となった。その頃までは、動物が絶滅するとは信じられておらず、奇妙な化石が発見されても地球上の未開の地に棲息している未発見の動物だと説明されてきた。アニングの発見した化石はこのような議論に終止符を打つものであり、古代の生物への正しい理解を導いた。

メアリーは死後、一旦は忘れ去られたが、後に再発見され、王立地理学会は彼女を追悼して教区教会の聖ミカエル教会にステンドグラスを作った。銘にはこう書かれている。「このステンドグラスは、1847年3月9日に亡くなったこの教区のメアリー・アニングを追悼するために作られたものである。これは、司教代理と王立地質学会の会員有志によって、彼女の博愛、高潔と地質学への貢献を記念して作られた。」

メアリーは、She sells sea shells by the sea shore.(彼女は海岸で貝を売った)という早口言葉のモデルになった人物であると考えられている。また、「アーティチョーク」というグループの歌、Anning, Maryの題材になっている。

関連項目
ウィキメディア・コモンズには、メアリー・アニング に関連するカテゴリがあります。古生物学関連人物一覧
イクチオサウルス
プレシオサウルス
化石
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0" より作成
カテゴリ: イギリスの生物学者 | 古生物学者 | 1799年生 | 1847年没

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++

5月21日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/5%E6%9C%8821%E6%97%A5

2009年 5月(皐月)
日 月 火 水 木 金 土
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
365日
各月 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12

目次 [
1 できごと
2 誕生日
3 忌日
4 記念日・年中行事
5 フィクションのできごと
5.1 できごと
5.2 誕生日
6 関連項目

できごと
1792年(寛政4年4月1日) -
噴火が続いていた雲仙岳で、山体の一部が崩落。
土砂が島原海に入って津波が発生し、対岸の肥後にも被害(島原大変肥後迷惑)

1869年 - 小学校記念日。日本で最初の小学校が京都で設立された。

1892年 - レオンカヴァッロのオペラ「道化師」が初演される。

1904年 - 国際サッカー連盟(FIFA)創立

1916年 - イギリスで、世界で2番目の夏時間である英国夏時間が実施され始めた。

1927年 - チャールズ・リンドバーグが大西洋単独無着陸飛行に成功。

1938年 - 岡山県苫田郡で夜半、男が祖母を殺害後、
集落内で30人を次々と惨殺し自殺。(津山事件)

1973年 - 山口百恵がシングル『としごろ』で歌手デビュー。

1977年 - 長渕剛がシングル『雨の嵐山』で歌手デビュー。

1978年 - 成田国際空港(新東京国際空港、成田空港)開港、
同時にホテル日航成田と京成電鉄京成成田駅〜成田空港駅(現東成田駅)開業。

1988年 - 京王帝都電鉄相模原線延伸。京王堀之内駅・南大沢駅開業。

1988年 - JUN SKY WALKER(S)が、トイズファクトリーよりメジャーデビュー。

1991年 - インドのラジーヴ・ガンディー元首相がタミル過激派の爆弾テロにより暗殺される。

1991年 - 東急バスが設立。

1998年 - インドネシアのスハルト大統領が辞任。独裁政権が32年で終了。

1999年 - 日本初のトキ人工繁殖に成功

2005年 - 日本政府、中国団体観光客のビザ発給を中国全土に拡大する方針を固める。

2005年 - 都営地下鉄新宿線の新型車両、10-300形がこの日より営業運転を開始する。

2005年 - テレビ朝日がプロ野球・読売ジャイアンツ主催試合を
開局以来初めて中継、日本テレビ放送網以外の民放では初。
(東京ドーム、対北海道日本ハムファイターズ戦)

2005年 - KC-767が初飛行する。

2006年 - モンテネグロで分離独立についての国民投票をした結果、独立が決定した。

2007年 - YouTubeのサーバがダウンする。

2007年 - カティーサークが炎上する。

誕生日
1173年(承安3年4月1日) - 親鸞、浄土真宗の開祖(+ 1262年)

1471年 - アルブレヒト・デューラー、画家(+ 1528年)

1527年 - フェリペ2世、カスティーリャ王国・アラゴン王国の国王(+ 1598年)

1759年 - ジョゼフ・フーシェ、政治家(+ 1820年)

1799年 - メアリー・アニング、古生物学者(+ 1847年)

1837年(天保8年4月17日) - 板垣退助、政治家・自由民権運動指導者(+ 1919年)

1844年 - アンリ・ルソー、画家(+ 1910年)

1860年 - ウィレム・アイントホーフェン、医学者(+ 1927年)

1864年 - ステファニー(en:Princess Stephanie of Belgium)、
オーストリア皇太子妃(+ 1945年)

1886年 - 松旭斎天勝、奇術師(+ 1944年)

1904年 - ファッツ・ウォーラー、歌手・ピアニスト(+ 1943年)

1926年 - 中北千枝子、女優(+ 2005年)

1928年 - 大滝愛子、バレエダンサー(+ 2007年)

1939年 - ハインツ・ホリガー、指揮者・オーボエ奏者・作曲家

1941年 - ボビー・コックス、元メジャーリーガー

1942年 - 山田昭二、俳優

1943年 - 久野剛司、元プロ野球選手
1944年 - 井上弘昭、元プロ野球選手
1944年 - 加藤斌、元プロ野球選手(+ 1965年)

1944年 - メアリー・ロビンソン、アイルランド大統領

1948年 - 柳田真宏、元プロ野球選手、歌手
1951年 - 林立夫、ドラマー
1953年 - 福田富一、栃木県知事
1954年 - 影虎和彦、元大相撲力士
1956年 - アグネス・ラム、アイドル
1956年 - 松井満、元プロ野球選手
1957年 - 善入茂雄、放送作家
1958年 - 芦辺拓、推理作家
1958年 - カーティス・マクマレン、数学者
1959年 - 玖保キリコ、漫画家
1960年 - 石川賢、元プロ野球選手
1961年 - 斉藤富士夫、漫画家
1961年 - 野崎透、アニメのスペシャルコンセプター
1961年 - 竹岡広信、英語教師
1963年 - 三遊亭白鳥、落語家
1963年 - 鈴木慶裕、元プロ野球選手
1965年 - 原田貴和子、女優
1967年 - クリス・ベノワ、プロレスラー
1968年 - 荒川義之、調教師
1969年 - 岡本健一、俳優・元男闘呼組
1969年 - 倉田雅世、声優
1971年 - 米良美一、カウンターテナー歌手
1972年 - ノトーリアス・B.I.G.、MC(+ 1997年)
1973年 - 梨花、モデル・女性タレント
1973年 - 浦口雅広、元野球選手
1975年 - 沢口千恵、声優
1975年 - 大輪教授、お笑いタレント
1975年 - 福留宏紀、元プロ野球選手
1975年 - 安藤正則、元プロ野球選手
1976年 - 武州山隆士、大相撲力士
1978年 - 三浦貴、プロ野球選手(埼玉西武ライオンズ)
1978年 - 吉見祐治、プロ野球選手(横浜ベイスターズ)
1978年 - 広田樹里、タレント
1979年 - 八島広樹、お笑い芸人(EE男)
1980年 - 藤崎紘範、元プロ野球選手
1980年 - 藤沢大悟、俳優
1981年 - ジョシュ・ハミルトン、メジャーリーガー
1981年 - 伊藤サチコ、シンガーソングライター
1982年 - 奥村奈津美、広島ホームテレビアナウンサー
1982年 - 飯伏幸太、プロレスラー
1983年 - 大竹寛、プロ野球選手(広島東洋カープ)
1983年 - 清水香里、女優・声優
1985年 - 真鍋摩緒、女性タレント
1985年 - 長谷部康平、プロ野球選手(東北楽天ゴールデンイーグルス)
1985年 - 木村雄太、プロ野球選手(千葉ロッテマリーンズ)
1985年 - 葵ゆりか、レースクイーン
1985年 - 川崎真実、女性タレント
1985年 - アレクサンダー・ダーレ・オーエン、水泳選手
1985年 - マーク・カヴェンディッシュ、自転車競技選手
1987年 - 大竹佑季、女性タレント・女優
1987年 - モーガン・マシューズ、フィギュアスケート選手
1994年 - トム・デイリー(en:Tom Daley (diver))、飛込み選手
1999年 - イングランディーレ、元競走馬・種牡馬
2000年 - ネオユニヴァース、元競走馬・種牡馬
生年不明 - 金子志津枝、アニメーター
生年不明 - 七瀬光、作曲家

忌日
252年(神鳳元年4月16日) - 孫権、三国時代の群雄(* 182年?)

587年(用明天皇2年4月9日) - 用明天皇、第31代天皇(* 540年)

1471年 - ヘンリー6世、イングランド王(* 1421年)

1650年 - モントローズ侯爵ジェームス・グラハム、スコットランド貴族(* 1612年)

1670年 - ニッコロ・ズッキ、天文学者(* 1586年)

1686年 - オットー・フォン・ゲーリケ、科学者(* 1602年)

1865年 - クリスチャン・トムセン、考古学者(* 1788年)

1891年 - アルフォンソ・タフト、
第31代アメリカ合衆国陸軍長官、第33代アメリカ合衆国司法長官(* 1810年)

1895年 - フランツ・フォン・スッペ、作曲家(* 1819年)

1925年 - 上野英三郎、農業土木学者(* 1872年)

1928年 - 野口英世、医学者・細菌学者(* 1876年)

1949年 - クラウス・マン、小説家(* 1906年)

1952年 - 田中館愛橘、地球物理学者(* 1856年)

1952年 - ジョン・ガーフィールド、俳優(* 1913年)

1964年 - ジェイムス・フランク、物理学者(* 1882年)

1973年 - 松本清、企業家・政治家・マツモトキヨシ創業者(* 1909年)

1980年 - 稲垣浩、映画監督(* 1905年)

1990年 - 藤山寛美、喜劇俳優(* 1929年)

1991年 - ラジーヴ・ガンディー、インド第9代首相(* 1944年)

1992年 - 中谷信夫、元プロ野球選手(* 1920年)

1999年 - SACHIKO(DOUBLE)、R&Bグループ(* 1973年)

2000年 - エーリッヒ・ミールケ、東ドイツ国家保安相(* 1907年)

2000年 - マーク・R・ヒューズ、ハーバライフ創立者(* 1956年)

2002年 - ニキ・ド・サンファル、画家・彫刻家・映像作家(* 1930年)

2003年 - 倉本護、英文学者・詩人(* 1936年?)

2004年 - 加瀬俊一、外交官・日本の初代国連大使(* 1903年)

2006年 - 寺村輝夫、児童文学作家(* 1928年)

2007年 - 野口二郎、元プロ野球選手(* 1919年)

記念日・年中行事

小満(日本、2002年・2003年・2004・2005年)

二十四節気の1つ。太陽の黄経が60度の時で、
万物が次第に成長して、一定の大きさに達して来るころ。
小学校の日