東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年5月23日(土曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年5月23日(土曜日)

「春」。

「5月」です。

「春」の。

「5月」になりました。

「春」がきた。

「春」がきた。

どこにきた。

「山」にきて「里」にきて。

「野」にきたる。

-------------------------------
今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

「晩冬」の「2月」がおわり。
「春」になりました。
「3月」です。
「3月」「5月」がおわり。
「5月」になりました。
「春」です。

昨年。
「6月」=「夏の始まり」です。
「6月」がおわり「7月」です。
「7月」もおわりました。
最後の夏月「8月」。
夏の「8月」もおわりました。

「9月」の「秋」になり。
「9月」がおわりました。
「10月」もおわりました。
「11月」です。
「秋」「11月」が終わりました。

「12月」です。
「冬」になりました。

昨年の「12月」が終わりました。

「新年」の「初春」になりました。
「1月」がすぎ。

「初春」の「2月」がすぎ。

「3月」「4月」がおわり。

いま「5月」です。

雪国の「春」を。

過ぎれば。

そこは里の「春」。

里の「春」から。

「まち」の「春」。

そして「立夏」。

雪国の「冬」から

「里山」の「春」に。

「野」の「春」に。

そして。

街(まち)の「春」に。

「みどり」の「春」に。

なりました。

「ちいさな春」をこえて。

「大きな春」を。

むかえようとしています。

雪国の「春」を過ぎれば。

そこは。

「里山」の「春」

「野」の「春」

「まち」の「春」

「ふゆ」を「むかえよう」。
「新年」そして「初春」。
「くるとしつき」は
「無我のうちにむかえよう」。
「冬」がすぎたら。
そうしたら「春」をむかえよう。

自在に「かんがえてながれてゆく」。

「自然」の「ときの流れ」は。
真(まこと)の幸せ者の「しらべ」。

「新年」の「初春」だけれども。

「1月」は去り「2月」。
「2月」は去り「3月」。
「3月」は去り「4月」。
「4月」は去り「5月」。

「ひたひた」と。

さらに深まりゆき。

とおりすぎていく「春」。

「さくさく」とひびく。

日々の過ぎ去る足音は。

「とほとほ」と。

朝早くまだ暗い街中に

聞こえるようにとおざかり。

さってゆき。

そして「新たな季節」が。

かわりにやってくる。

白く柔らかな春霞の衣をまとう若々しい

「春」の「さほ姫」*

は「冬将軍」をいなして。

「春」を導いて。

そしていま。

「春」の「5月」になりました。

「佐保姫(さほひめ)」は春の神です。

五行説では春は東の方角にあたります。
平城京の東に佐保山があるために。
春の神は佐保姫と呼ぶようになりました。

白く柔らかな春霞の衣をまとう若々しい女性です。

竜田山の神で秋の竜田姫と対を成すことになります。

日本の「春」の女神(めがみ)

「佐保姫(さほひめ)」。

「どなた」がみつけた「姫君」か。

すごき女神と感嘆致します。

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
(Johann Wolfgang von Goethe)
の「魔王:Erlkonig」*は。
「おそい冬の夜」の「嵐のなかを馬駆ける」
「父親」と「子」の情景を描写したものです。

かならずしも「冬の夜」を情景と考えなくても
「魔王」の詩*の
その「魔王」の「おそろしさ」は通じます。


魔王(Erlkonig)が。
どのようなものであるかは様々な議論があります。
その名前は字義的には「ハンノキの王」を意味する。

ゲーテは「ハンノキの王」Erlkonigから。
樹木の精霊の王として。
魔王を設定し想像力を膨らませたものです。

この詩はゲーテによって
1782年の歌劇『漁師の娘』
(Die Fischerin) の一部として作詞されました。

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『魔王』はデンマークで生まれた

「比較的新しい伝承」であると考えられます。

それをヨハン・ゴットフリート・ヘルダーが
ドイツ語に翻訳した『ハンノキの王の娘』
(Erlkonigs Tochter)が
ゲーテの詩の元になっています。

これはヘルダーが1778年に出版し
た『歌の中の人々の声』
(Stimmen der Volker in Liedern)という
民謡を集めた本に収録されています。

魔王(Erlkonig)が。
どのようなものであるかは様々な議論があります。
その名前は字義的には「ハンノキの王」を意味する。
英訳としては。
「妖精の王」(Elf King)がよく用いられます。
それに当たるドイツ語は。
「Elfenkonig」になってしまいます。

よく聞かれる説としては「Erlkonig」は
デンマーク語で妖精の王を意味する
「ellerkonge」または「elverkonge」からの
誤訳だとするものがあります。

しかし。
ゲーテはむしろその「ハンノキの王」から。
樹木の精霊の王として。
魔王を設定し想像力を膨らませたものです。

ドイツおよびデンマークの伝承では
魔王は死の前兆として登場します。
その意味では
「アイルランドのバンシー」
に似ています。

魔王は死に瀕した人物の前に現れます。
魔王の姿かたちや表情がこれから
その人物に訪れる死の内容を表します。

苦しい表情であれば苦しい死であるし
穏やかな表情であれば穏やかな死であるという。
別の解釈としては
妖精の王に触れられた者は必ず死に至るという
伝承が元になったという説もあります。

-------------------------------

「新年」そして「初春」。

今は「5月」の「春」

早いです。

速いものです。

速いのか早いのか。

はやいのか。

けさ暗いうちに。

地をはうような。

「春吹雪:はるふぶき」の

嵐(あらし)がふきました。

「春の花」と「春吹雪:はるふぶき」

は相性が。

よくないようです。

もしかしたら極めて相性が。

よいのかもしれません。

どちらかです。

暗い寒い朝に。

「春の花」の花びらが。

夜の間に「春吹雪:はるふぶき」の。

弓風に射られて。

白鷺の羽が舞いおりているようです。

「春」の。

「春吹雪:はるふぶき」の音は。

宙を舞う前の。

「むささび」の声のような。

「おたけび」。

けれども。

しだいに。

「春吹雪:はるふぶき」は。

歌声のようにかわりました。

そして「5月」の「春」。

「佐保姫(さほひめ)」のワルツ

が聞こえます。

「春吹雪:はるふぶき」。

「「春」いちばん」。

今日の朝暗いうちに。
秋の暗闇の地面のうえから。

「早朝に「春かぜ」の音」
が聞こえました。

不思議な「「春」の「春かぜ」の音」。
「鳴き声」のようです。

いつしか。
「春吹雪:はるふぶき」と。
「「春かぜ」の音」だけになりました。

「春かぜ」と
「春吹雪:はるふぶき」は。
早朝暗いうちにふくものである
ことがわかります。

「絵」にかきたい「音」なのです。

面白いが「おそろしい」情景であるような気も致します。
しいてこわい光景をおもいうかべるのであれば

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
(Johann Wolfgang von Goethe)
の「春」の「魔王」のようになるのでしょう。

「春」の声。
「こうこう」と鳴く。
「春吹雪:はるふぶき」
の風音がくわわっていきます。

その「春吹雪:はるふぶき」の音の。
背景に流れる「通奏低音:Generalbass;ゲネラル・バス」*
「はるのはるかぜ」のこえは。
暗闇の「はるの足音」のように聞こえる。
あかるい「春」の日に。
「陽射しの降るまち」では。
「足音だけが遠ざかっていく」「足音」

「とぼとぼ」
にしだいに重複してきました。
「春」のあさの「あしおと」と。
「さむさ」のさるあしおとの。
そして「春」のあしおとの。
「フーガ」と「カノン」。
「春吹雪:はるふぶき」はトッカータ。
「はるいちばん」は「フーガ」と「カノン」。*
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通奏低音(つうそうていおん)とは
バロック音楽において行われる演奏形態の一つです。
低音部の旋律とともに即興的な和音を付け加えて演奏する形態です。
イタリア語のバッソ・コンティヌオ(Basso continuo)

の訳語です。
伴奏楽器が間断なく演奏し続けるということからこの名があります。
略してコンティヌオと呼ぶことも多いです。
ドイツ語のゲネラルバスも使われることがあります。

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常緑の木々の深冬葉のいろ。
緑がますますあざやかに。
深まる秋におちついて。
考えるが如く
「ロダンの彫塑」の色合いです。

常緑の木々の葉は。
深緑(ふかみどり)になりました。
そして「冬」をむかえて。
「冬緑」のいろあいに
うつろいできました。
もう「緑をうつろいて」
さすがにつかれた黄赤色の葉もみえます。
枯れ葉も樹木のにぎわいです。木々の防寒衣としては
なくてはならないものです。
「春」をむかえます。

「新年」
「春」の夜明(よあけ)の空から。
「春」の陽がのぼり。
「春」の日の「空色」になってきました。

けれども。
朝暗いうちはミルクのはいった
コバルトのような
カフエ・オレ・コバルトの空色です。
そして雲は天高く「春」の雲です。

あさの04:00AMころに。

東の空
さやかににあかるく
まだくらくあおく
しだいに
雲多い空はラピズラズリからトルコ石
のようににうつろうように。
しらんできます。

その上空にさらに。
明らかなる大きな質量のある。
「深まる「春」の気配」を感じます。

春野路はた見たりビロードのしだ
春わらべのごときビロードのしだ
春わらびのごとく輝けりビロードのしだ
春山奥にひそむビロードのしだ
春しのぶの羊歯(しだ)ビロードのしだ
春めずらしき羊歯ビロードのしだ
春ときわの緑のほのほビロードのしだ
春山奥のしだのビロードのしだ
春「まち」にもいきるビロードのしだ
春けなげなりもあはれなりビロードのしだ
春生い立ちしらずビロードのしだ
春されどそのちからこそとほとしビロードのしだ

「春」きたれり。

「春」いざいまこそは

「春」よき季節にあらむ

「春」ふと空をみる

今時にもかかわらず放射冷却で
朝はとても寒いが。
「ぬくもり」はある。

確実に日は長くなりました。
葉木(はき)の樹木は「木」にかわり。
秋の木から「冬の木」にうつろいさらに
「冬の木」から。
「「春」の木」にうつろう時期
です。

外路樹の若葉は
緑濃くオリーブの葉のごとし
つみとりたくなる
ほどにきれいです。
けれどもひそやかに木々の葉にも
「深い冬からさらに「春」」
の気配がうつろいて。
うつります。

そして春の「佐保姫(さほひめ)」
が微笑みをうかべみつめています。

春まちなみ蒼く(あおく)
春いろどりて
春木々の榛葉のかがやけり
春暑さの夏秋をうつろひて
春ふかまるみどりの冬木なり
春しずまるみどりの冬木なり
春みのりの冬こそありがたし
春みのりの冬こそこひしかり
春虫なきてささやけり
春木々は榛葉にかがやけり

道端の野草もかわいらしい。
冬化粧をして。
春夏秋冬の
前奏曲の旋律が聞こえます。

早朝は異常な寒さです。

気象予報で
「明日は暖かくなる」と聞いても
朝は気温がさがり大気は不安定です。
「寒い」。
寒いと首都高の自動車も暗い中
「辛そうな運転の車」が多いです。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

平成21年1月12日(月曜日)
は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました

-------------------------------

平成21年2月11日(水曜日)
は祝日です。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年3月20日(金曜日)
は祝日です。
「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
-------------------------------
平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
-------------------------------

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

-------------------------------

★★★

今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

入学式。桜の花。
インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。
再び
「寒さ」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬・春は「厳・春」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の冬場や春はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

草木の周りは。
少しずつ「春夏秋冬」の「四季」を
あゆんでいます。
梅咲き・スミレ咲き。桜咲き。
木々の萌黄から。
眼の青葉。山ほととぎす。そして夏・秋・また冬
がやってくる。

「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬は「厳冬」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の春・冬場はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝

「今日は何の日」は。

いずれにしても。(ハンググライダーで)
「初めて空を飛んだ」
航空技術者
グライダーの始祖。飛行機の始祖。

1848年 - オットー・リリエンタール、航空技術者(+ 1896年)
の生誕日です。

++++++++++++++++++++++

オットー・リリエンタール
:Otto Lilienthal,
1848年5月23日 - 1896年8月10日)は
ユダヤ系ドイツ人です。

初期航空工学(応用空気力学)発展
に貢献した航空パイオニアの1人です。

ハンググライダーを作り、
小高い丘から飛行する試験を行ったことで
知られています。

約7年間その飛行を研究するも
1896年8月9日、試験飛行中に風にあおられ墜落、
脊椎を折りその翌日48歳の若さで死去致しました。

最期の言葉「犠牲は払われなければならない
(Opfer mussen gebracht werden)」は有名です。

++++++++++++++++++++++

リリエンタールは、初期には回転アーム
(“whirling arm”。風洞とは逆に、静止した
空気中で翼模型を回転運動させる実験装置)を利用して。

また後には自然風中で翼型の実験を行い。

単なる板状の翼型をした平板翼よりも
、翼弦の中央付近がふくらんだキャンバ翼
の方が高性能であることを示しました。

++++++++++++++++++++++

オットー・リリエンタール
:Otto Lilienthaの
ライト兄弟への影響

1889年に発行した研究資料・実験記録
『航空技術の基礎としての鳥の飛行』には。

自然風中での実験により得た
円弧翼のデータが含まれていました。

ライト兄弟は、
オクターヴ・シャヌートの手を経て

一部が英訳されたこの本を入手し、
彼らが「リリエンタールの表」
と呼んだこの翼型データも利用して、
1900年と1901年にグライダーを製作致しました。

しかしながら、いずれも計算通りの十分な
揚力が得られなかったのです。これは、
以下のような点が原因だったと考えられます。

++++++++++++++++++++++

リリエンタールの表は、
中央付近がふくらんだ円弧状の翼型、
かつ、
翼端がとがった翼平面形についてのデータであったのに対して。

グライダーには前縁付近がふくらんだ翼型、
かつ、ほぼ矩形の翼平面形を採用したこと 。

不正確なスミートン係数を使用したこと
アスペクト比が小さすぎた
(これはリリエンタールの表とは直接関係しない)

リリエンタール自身も誤った
スミートン係数を使用しており、
ライト兄弟もそれを根拠として使用したと思われるが、
計算過程でその影響は打ち消されていたため、
「表」の数値そのものは正しかったのです。

ところが、はじめライト兄弟はこれに気づかず、
次第に「表」の数値そのものを疑うようになり、
結局、自分たちで風洞実験を行って正しい
スミートン係数を得ました。

ただし彼らも後には
オットー・リリエンタール:Otto Lilientha
の「表」が適用できる条件を
正しく認識致しました。

++++++++++++++++++++++

オットー・リリエンタール:Otto Lilienthaの。
動力飛行の試み

墜落死の直前期に。
リリエンタールが動力機の開発に取りかかっていたことは
有名です。

しかし彼が飛ばそうとしていたのが固定翼機ではなく
オーニソプターの一種であったことはあまり知られていません。

それは炭酸ガスエンジン
(圧縮空気エンジン)を動力としていました。

特許取得(1893年)の後、
1号機(1894年)と2号機(1896年)が作られました。
前者は2馬力の小型機で、
後者はその大型化版(翼面積20平方メートル)でした。

彼の死の事情を正確に言うと、
有名な墜落が起きたのは2号機で動力飛行を試みる前、
エンジンを外した状態で滑空試験をしている最中のことでした。

++++++++++++++++++++++

「もしも1896年の墜落事故がなければ、
人類初の動力飛行は、ライト兄弟の登場を待つことなく
リリエンタールによって成し遂げられていただろう」
という論調がかつては有力でした。

しかし彼の動力機がオーニソプターであったことから、
今日ではその考えは疑問視されています。

むしろライト兄弟がリリエンタールの死をきっかけとして、
自ら飛行機開発を始めた事から
人類初の動力飛行を早めたと言えるかもしれない。
++++++++++++++++++++++

オットーの弟、
グスタフ・リリエンタール
(彼は主に初期の頃、実験の協力者であった)
は兄の死後、その後をついで。

オーニソプターの研究開発に取り組みました。
グスタフは1933年に病死するまでそれを継続したが、
さしたる成果は得られなかったということでした。

++++++++++++++++++++++

「続きを読む」=>*

++「続きを読むです1」++++++++++++++++++
オットー・リリエンタール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AB

オットー・リリエンタール:Otto Lilienthal, 1848年5月23日 - 1896年8月10日)はユダヤ系ドイツ人の初期航空工学(応用空気力学)発展に貢献した航空パイオニアの1人。

ハンググライダーを作り、小高い丘から飛行する試験を行ったことで知られる。約7年間その飛行を研究するも1896年8月9日、試験飛行中に風にあおられ墜落、脊椎を折りその翌日48歳の若さで死去した。最期の言葉「犠牲は払われなければならない (Opfer mussen gebracht werden)」は有名。

目次
1 実験
1.1 ライト兄弟への影響
1.2 動力飛行の試み
2 関連項目
3 参考文献

リリエンタールは、初期には回転アーム(“whirling arm”。風洞とは逆に、静止した空気中で翼模型を回転運動させる実験装置)を利用して、また後には自然風中で翼型の実験を行い、単なる板状の翼型をした平板翼よりも、翼弦の中央付近がふくらんだキャンバ翼の方が高性能であることを示した。

ライト兄弟への影響
1889年に発行した研究資料・実験記録『航空技術の基礎としての鳥の飛行』には、自然風中での実験により得た円弧翼のデータが含まれていた。ライト兄弟は、オクターヴ・シャヌートの手を経て一部が英訳されたこの本を入手し、彼らが「リリエンタールの表」と呼んだこの翼型データも利用して、1900年と1901年にグライダーを製作した。しかしながら、いずれも計算通りの十分な揚力が得られなかった。これは、以下のような点が原因だったとされる。

リリエンタールの表は、中央付近がふくらんだ円弧状の翼型、かつ、翼端がとがった翼平面形についてのデータであったのに対して、グライダーには前縁付近がふくらんだ翼型、かつ、ほぼ矩形の翼平面形を採用したこと
不正確なスミートン係数を使用したこと
アスペクト比が小さすぎた(これはリリエンタールの表とは直接関係しない)
リリエンタール自身も誤ったスミートン係数を使用しており、ライト兄弟もそれを根拠として使用したと思われるが、計算過程でその影響は打ち消されていたため、「表」の数値そのものは正しかった。ところが、はじめライト兄弟はこれに気づかず、次第に「表」の数値そのものを疑うようになり、結局、自分たちで風洞実験を行って正しいスミートン係数を得た。ただし、彼らも後には「表」が適用できる条件を正しく認識したようである。

動力飛行の試み
墜落死の直前期、リリエンタールが動力機の開発に取りかかっていたことは有名である。しかし彼が飛ばそうとしていたのが固定翼機ではなくオーニソプターの一種であったことはあまり知られていない。それは炭酸ガスエンジン(圧縮空気エンジン)を動力としていた。特許取得(1893年)の後、1号機(1894年)と2号機(1896年)が作られた。前者は2馬力の小型機で、後者はその大型化版(翼面積20平方メートル)であった。彼の死の事情を正確に言うと、有名な墜落が起きたのは2号機で動力飛行を試みる前、エンジンを外した状態で滑空試験をしている最中のことであった。

「もしも1896年の墜落事故がなければ、人類初の動力飛行は、ライト兄弟の登場を待つことなくリリエンタールによって成し遂げられていただろう」という論調がかつては有力だった。しかし彼の動力機がオーニソプターであったことから、今日ではその考えは疑問視されている。むしろライト兄弟がリリエンタールの死をきっかけとして、自ら飛行機開発を始めた事から人類初の動力飛行を早めたと言えるかもしれない。

オットーの弟、グスタフ・リリエンタール(彼は主に初期の頃、実験の協力者であった)は兄の死後、その後をついでオーニソプターの研究開発に取り組んだ。グスタフは1933年に病死するまでそれを継続したが、さしたる成果は得られなかったという。

関連項目
ライト兄弟 - オクターヴ・シャヌート
カール・ヤトー
パーシー・ピルチャー
航空に関する年表

参考文献
オットー・リリエンタール 『鳥の飛翔』 田中豊助 原田幾馬 訳、東海大学出版会、2006年、ISBN 978-4486031765
John D. Anderson, Jr., A History of Aerodynamics and Its Impact on Flying Machines, Cambridge University Press; 1997, ISBN 978-0521454353 (hardcover); 1999, ISBN 978-0521669559 (paperback)
鈴木真二 『ライト・フライヤー号の謎』 技法堂出版、2002年、ISBN 978-4765544313
ロルフ・シュトレール 『航空発達物語』 松谷健二 訳、白水社、1965年
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AB" より作成
カテゴリ: 航空パイオニア | ドイツの技術者 | 1848年生 | 1896年没

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5月23日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2009年 5月(皐月)
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365日
各月 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12

できごと [
1430年 - ジャンヌ・ダルクコンピュエーヌにて捕虜となる。
1788年 - サウスカロライナ州がアメリカ合衆国に加入。
1915年 - 第一次世界大戦で、イタリアがオーストリア・ハンガリーに宣戦布告(三国同盟を破棄して連合国側で参戦)。
1915年 - 山田耕筰の東京フィルハーモニー会管絃楽部が第1回演奏会を開催。
1915年 - 東京駅〜東京鉄道郵便局に郵便物受渡用の地下電車が開通(日本初の地下鉄)。
1919年 - 和辻哲郎の『古寺巡礼』が発刊。
1925年 - 円山川河口を震源に北但馬地震(北但大震災)が発生。死者428人。
1934年 - アメリカで銀行強盗・殺人を繰返していたクライド・バーローとボニー・パーカーが警官隊の待伏せに逢い射殺。(「ボニーとクライド」参照)
1946年 - 佐々木康監督の『はたちの青春』が封切り(日本初のキスシーン)
1951年 - 国鉄労働組合を脱退した機関士を中心に国鉄機関車労働組合が結成(国鉄動力車労働組合の前身)。
1958年 - イギリスのコールダーホールに世界初の商用原子力発電所が完成。
1960年 - チリの太平洋沖でM8.3のチリ地震が発生。環太平洋全域を津波が襲来(日本には翌日津波が到達)
1962年 - 東京・築地の国立がんセンターが診療を開始。
1969年 - 初の「公害白書」が発表(1972年に「環境白書」に改称)
1978年 - 第1回国連軍縮特別総会が開幕。
1980年 - 黒澤明監督の『影武者』がカンヌ国際映画祭でグランプリ獲得。(日本時間では5月24日)
1981年 - 陝西省で日本国外では既に絶滅したと思われていた野生のトキ7羽が発見される。
1995年 - 長良川河口堰が本格運用を開始
1997年 - ザ・リッツ・カールトン大阪?が大阪市北区梅田に開業。

誕生日
1052年 - フィリップ1世、フランス王(+ 1108年)
1707年 - カール・フォン・リンネ、博物学者(+ 1778年)
1741年 - アンドレア・ルケージ、作曲家(+ 1801年)
1742年(寛政8年4月21日)- 伊達重村、第7代仙台藩主(+ 1796年)
1794年 - イグナーツ・モシェレス、作曲家(+ 1870年)
1839年(天保10年4月11日) - 永倉新八、新撰組二番隊組長(+ 1915年)
1848年 - オットー・リリエンタール、航空技術者(+ 1896年)
1876年 - 石川三四郎、社会運動家・作家(+ 1956年)
1883年 - ダグラス・フェアバンクス、俳優(+ 1939年)
1884年 - コッラド・ジニ、統計学者・社会学者(+ 1965年)
1887年 - トアルフ・スコーレム、数学者(+ 1963年)
1902年 - 斎藤秀雄、指揮者(+ 1974年)
1903年 - サトウハチロー、詩人(+ 1973年)
1903年 - チャールズ・W・モリス、哲学者(+ 1979年)
1905年 - 鈴木竹雄、法学者(+ 1995年)
1905年 - 宮本三郎、画家(+ 1974年)
1908年 - ジョン・バーディーン、物理学者(+ 1991年)
1912年 - ジョン・ペイン、俳優(+ 1989年)
1917年 - オスカー・シュムスキー、ヴァイオリニスト(+ 2000年)
1925年 - ジョシュア・レーダーバーグ、遺伝学者(+ 2008年)
1929年 - 高橋治、小説家
1933年 - 滝谷節雄、イラストレーター
1933年 - シービスケット、競走馬(+1947年)
1933年 - ジョーン・コリンズ、女優
1933年 - 飯塚昭三、声優
1940年 - 薮内正幸、動物画家(+ 2000年)
1945年 - 野嶋稔、ピアニスト
1947年 - 上原まり、琵琶奏者
1949年 - 石田章、囲碁棋士
1951年 - アナトリー・カルポフ、チェスプレイヤー
1952年 - 大豪健嗣、元力士・元北陣親方
1954年 - マービン・ハグラー、プロボクサー
1954年 - 金在博、元野球選手
1957年 - 根本要、ミュージシャン(スターダスト・レビュー)
1958年 - 西川峰子、歌手・女優
1959年 - 高橋名人、ファミコン名人
1959年 - 川島隆太、医学者
1960年 - 佐藤秀明、元プロ野球選手(+ 2007年)
1961年 - ダニエレ・マッサーロ、サッカー選手
1962年 - 小川宗直、元プロ野球選手
1963年 - 中藤義雄、元プロ野球選手
1964年 - 黒田治、ラジオパーソナリティー
1964年 - 小島嵩弘、俳優・歌手
1965年 - ウルフルケイスケ、ミュージシャン(ウルフルズ)
1965年 - 山口勝平、声優
1966年 - 大野克郎、NHKアナウンサー
1968年 - 片寄明人、ミュージシャン
1968年 - 中島ヒロト、ディスクジョッキー
1968年 - 杉浦正則、元野球選手
1968年 - 五島高資、俳人
1969年 - 宮崎隆睦、ミュージシャン
1969年 - 浅田葉子、声優
1969年 - 清原雄一、元プロ野球選手
1969年 - 松久保新吾、元プロ野球選手
1969年 - 金杞泰、元野球選手
1972年 - ルーベンス・バリチェロ、F1レーサー
1972年 - 雁須磨子、漫画家
1973年 - 掛川誠、サッカー選手
1973年 - 岡田純子、声優
1974年 - 柴原洋、プロ野球選手
1974年 - 安藤智安、サッカー選手
1975年 - MAZADA、プロレスラー
1975年 - 鈴木郁洋、プロ野球選手
1976年 - 緑川ゆき、漫画家
1977年 - 平瀬智行、サッカー選手
1977年 - クレイグ・ウィリアムズ、騎手
1978年 - 関本恒一、サッカー選手
1978年 - 小澤慶二郎、サッカー選手
1978年 - 北嶋秀朗、サッカー選手
1978年 - 大谷靖夫、ミュージシャン
1980年 - 久保裕也、プロ野球選手
1980年 - 高橋一正、元プロ野球選手
1981年 - 町田忠道、サッカー選手
1982年 - 柴崎貴広、サッカー選手
1982年 - 村上恵梨、タレント(+ 2007年)
1983年 - 河合龍之介、俳優
1984年 - 河村聖子、バレーボール選手
1984年 - タマモクロス、元競走馬・種牡馬(+ 2003年)
1985年 - 山内敬太、プロ野球選手
1986年 - 石原萌、歌手
1986年 - 平岡康裕、サッカー選手
1986年 - ヴァレンティーナ・マルケイ、フィギュアスケート選手
1987年 - アリー・ハン=マッカーディ、フィギュアスケート選手
1988年 - 隅田航、サッカー選手
1988年 - モーガン・プレッセル、ゴルファー
1991年 - オースティン・カナラカン、フィギュアスケート選手
1993年 - 梅本静香、子役
1994年 - 聖菜、プロレスラー
生年不明 - 野中秀哲、声優

忌日
1044年(長久5年4月24日)- 藤原通房、平安時代の公卿(* 1025年)
1125年 - ハインリヒ5世、神聖ローマ帝国皇帝(* 1086年)
1304年 - ジャンノ・ド・レスキュレル、詩人・作曲家
1498年 - ジロラモ・サヴォナローラ、ドミニコ会の修道士(* 1452年)
1523年(大永3年4月9日) - 足利義稙(義材)、室町幕府の第10代征夷大将軍(* 1466年)
1524年 - イスマーイール1世、サファヴィー朝のシャー(* 1487年)
1670年 - フェルディナンド2世・デ・メディチ、第5代トスカーナ大公(* 1610年)
1691年 - アドリアン・オーズー、天文学者(* 1622年)
1701年 - ウィリアム・キッド、私掠船・海賊船の船長(* 1645年)
1730年(享保15年4月7日) - 徳川宗堯、常陸国水戸藩の第4代藩主(* 1705年)
1814年(文化11年4月4日)- 水野忠光、唐津藩主(* 1771年)
1857年 - オーギュスタン=ルイ・コーシー、数学者(* 1789年)
1886年 - レオポルト・フォン・ランケ、歴史家(* 1795年)
1895年 - フランツ・エルンスト・ノイマン、鉱物学者・物理学者・数学者(* 1798年)
1899年 - 安場保和、第6代北海道庁長官・貴族院議員(* 1835年)
1906年 - ヘンリック・イプセン、劇作家(* 1828年)
1927年 - 唐継尭、中華民国雲南省の軍閥指導者(* 1883年)
1931年 - フランク・クラーク、化学者(* 1847年)
1934年 - クライド・バロウ、ボニーとクライドのひとりとして知られる人物(* 1909年)
1934年 - ボニー・パーカー、ボニーとクライドのひとりとして知られる人物(* 1910年)
1937年 - ジョン・D・ロックフェラー、実業家(* 1839年)
1940年 - ポール・ニザン、小説家(* 1905年)
1941年 - ジャック・クレメンツ、メジャーリーグベースボール選手(* 1864年)
1944年 - トーマス・カーティス、陸上競技選手(* 1870年)
1945年 - ハインリヒ・ヒムラー、ナチス・ドイツ親衛隊の指導者(* 1900年)
1948年 - 美濃部達吉、法学者(* 1873年)
1955年 - 安井武雄、建築家(* 1884年)
1963年 - 宮澤裕、政治家(* 1884年)
1966年 - デムチュクドンロブ、モンゴル独立運動の指導者・元蒙古聯合自治政府主席(* 1902年)
1968年 - 熊十力、新儒家思想家(* 1885年)
1976年 - 勝田孝興、アイルランド文学者(* 1886年)
1976年 - 徳網茂、プロ野球選手(* 1924年)
1979年 - 大下弘、元プロ野球選手・監督(* 1922年)
1981年 - 畑福俊英、元プロ野球選手(* 1913年)
1986年 - スターリング・ヘイドン、俳優(* 1916年)
1990年 - 林清一、元プロ野球選手(* 1915年)
1991年 - ヴィルヘルム・ケンプ、ピアニスト(* 1895年)
1992年 - アタウアルパ・ユパンキ、フォルクローレのシンガーソングライター(* 1908年)
1992年 - ジョヴァンニ・ファルコーネ、イタリアの検事(* 1939年)
1999年 - オーエン・ハート、プロレスラー(* 1965年)
2005年 - 石田徹也、画家(* 1973年)
2006年 - ロイド・ベンツェン、第69代アメリカ合衆国財務長官・連邦上院議員(* 1921年)
2007年 - 熊井啓、映画監督(* 1930年)
2007年 - 花柳壽輔 (3世)、日本舞踊家(* 1935年)
2007年 - 2代目玉川福太郎、浪曲師(* 1945年)
2008年 - コーネル・キャパ、写真家(* 1918年)
2008年 - 木庭教、元プロ野球選手(* 1926年)

記念日・年中行事
ペンテコステ
キリスト教、2010年
キスの日
1946年5月23日に、日本で初めてキスシーンが登場する映画である、佐々木康監督の『はたちの青春』が封切りされたことから。
恋文の日/ラブレターの日
5月23日の「523」が「こいぶみ」と読めることから。
ふみの日(毎月)
踏切の日(毎月)
府民の日(毎月)