東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年5月28日(木曜日)
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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年5月28日(木曜日)

「春」です。

「春」の「5月」

になりました。

まばゆいほど。

ことばでは。

いいつくせないほどに。

まぶしくて。

ありがたくやさしい。

「春」「5月」の。

するどくつよい陽射しです。

しあわせいろの。

とても。

とてもあかるい陽射しです。

「5月」の。

「朝」の陽射しの「あかるさ」は。

なにものにも。

たとえようこそありません。

「のどか」です。

けれども「朝陽」は。

「するどい」。

春朝陽(はるあさひ)

緑木枝間に

われを見る

まばゆくも

鋭く輝く

眼(まなこ)なりけり

はるあさひ

みどりきえたまに

われをみる

まばゆくも

するどくかかやく

まなこなりけり

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

「春」になりました。

今年も春がきました。

「春」がきて。

今は「5月」。

「春」はふうせんのように。

ふくらみ。

ひろがってゆく季節です。

「立夏」。

「5月」です。

「夏」まぢかし。

ひなまつりはおわり。

野には。

たんぽぽが咲き。

すみれが咲き。

よもぎや。

すぎながいっぱいになりました。

むらさきのつつじが。

さきほこっています。

「春」になり「川の水音」が。

やっと。

「せせらぎ」の。

「みずのながれのおと」に。

きこえるようになりました。

「春」の小川。

「さらさら」ながれる。

はるのおがわ。

高さも低さこそ見えないのに。

あゆみたゆまず。

ながれる水の流れ。

とても感銘致します。

春分の日もすぎれば。
「さくら」咲きはじめ
「さくら」がおわり。
「4月」が終われば。
「5月」になり。
「5月」もおわれば。
6月に。「夏」になり。
6月も終われば。
7月 たなばた。
7月 もおわれば。
せみのなく8月。
8月の夏はすぎれば。
9月の秋になり秋の虫が鳴く。
そして9月がおわり。
中秋10月なり紅葉の季節。
そして10月がおわり。
「11月」になり。
晩秋「11月」もおわり12月の「冬」。
「12月」になればまた「年」があけ。
また「初春」がくる。

そして来年も「春」の「3月」がきて。
そして「4月」。
そして「5月」がくる。

もう「はる」の「5月」です。

「晩冬」の冬はおわりました。

「雪国の冬」はおわりました。

そして「12月」の冬至を。

すぎて「陽」はもうすでに

日々とてもたかくなりつつあります。

「春」がきて。

今は「夏」に向かう「春」です。

「春」の「5月」です。

「昨年」12月の冬至は

おわりました。

「夏」の「6月」の。

「夏至」までもうすぐ。

陽は日々たかくなっている。

とてもよくわかります。

朝陽ののぼるのが早くなりました。

夕陽がおりるのは遅くなりました。

朝の「春」の陽射しは

窓越しにも「まばゆい」

くらいです。

夕暮れの「春」の陽射しは「きかんぼう」

の「やんちゃぼうず」のようです。

なにかおちつかずくれてゆきます。

まことに。

冬来たりなば春遠からじ。

ふゆきたりなば

はるとおからじ

(出 典は。

 イギリスの詩人シェリー*の

『西風に寄せる歌』の一節。

英 語の原文: 

If winter comes,

can spring be far behind? )

「英国:United Kingdom UK」のロマン派の
詩人は。「御自分」のテーマの「鳥」を
紋章のようにもっています。
英国ロマン派の詩人は、
それぞれ愛好し、崇拝する鳥を持っていました。

ジョン・キーツは、
「夜鶯」(ほととぎす)の神秘的な声に魅惑され。
夜の闇に響くその歌声を主題に詩を書いています。

ワーズワースにとって、詩の霊感をもたらし、
彼に生きることの喜びを教えてくれる鳥は、
「郭公」(かっこう)でした。

パーシー・シェリーは「雲雀」(ひばり)の声に魅惑され。
ひばりを崇拝する鳥として。
主題とした詩を書いています。

「秋」から「冬」への

移り変わりは

二階から。

「かけあし」の足音のきこえる。

怒涛のごとき「はやさ」でした。

二階から。

「かけあし」の足音のきこえる。

「かけあし」10人分

の「足音」のようでした。

「9月」の初秋がおわり。
「名月中秋10月もおわり」ました。
「11月」。

「11月」もおわりました。
「12月」もおわりました。
「新年」「初春」の「1月」もおわり。
今は
「2月」「晩冬」もおわりました。

「晩秋」から「冬」への移り変わりは

「かけあし」のようにうつろいました。

一方

「春」はゆっくりと。

ゆっくりと。

ゆっくりと。あるいて来ます。

そしてゆっくりと。

あるいて行きます。

だから。

「春」をまつのであれば。

「春」がゆっくりと。

歩いてくるのをまたなければ。

なりません。

「夏」がくるのをまつのであれば。

「春」がゆっくりと。

歩いていくのをまたねば。

なりません。

もう「春」ですね。

「冬」はかけあしでやってくる。

「春」はゆっくりと歩いてやってくる。

さきのことすぎるかもしれないが「来年」。

このように「時」のうつろいを

心はせれば。

考えると「おそろしいもの」です。

考えなければ。
「なおおおそろしい」
ものであるものかもしれない。

「考えずにいるつけ」がまわって
くるからかもしれません。

「来年」のことを考えれば「鬼」が笑う。
「来年」のことを考えずにすむのであれば「鬼」は
笑わないのでしょう。
「鬼」とはなんだろう。

今日の深夜早朝03:15amには。

久方ぶりに。

大きな「春」の「星空」がみえました。

早朝くらいうちは。

空に月。

「お月様」が「「冬」雲のじゅうたん」

天高くにねそべって。

かさををさしている

ようです。

「春」の「夜空」の。

「おぼろ月夜」です。

「赤い月」でした。

04:00amころ日があければ。
まだまだくらい朝日を背に。
西のコバルトの空高く明るい。
とても高い成層圏近くの高い高度に。

西のコバルトの空高に。
「刷毛」でひいたように「絹雲(けんうん)」が
何本も何本も。
描かれて。
たなびいていました。

実に見事な筆捌(ふでさばき)です。
ためらいのない「朝焼け」
「春」の「朝焼け色」の線描です。

「春」の朝。

「陽射し」ののぼるころは。

「西」の空

のほうが明るいのです。

朝が明けて午前になれば。

まばゆいほどの。

「春」のひざしが。

陽がのぼる。

東から。

窓のカーテンと。

木々の合間をぬって。

「さあ 外にでて!」

とさそうがごとく。

大きな声で。

よびかけてくるようです。

高い成層圏近くの高い高度に。
「刷毛でひいたように」「絹雲(けんうん)」
の端には渦巻きのような「ぬけあな」があり
「さらなる遠方の青空」が透けてみえます。

さながらにして。
東山魁夷画伯の描かれた大きな壁画。
大きな屏風絵の世界。

東山魁夷画伯の描かれた大きな絵画を
彷彿とさせますです。

東山魁夷画伯。
「よくえがかけた画伯です」。

この「あおぞら」をみていると。

陽のひかりをみていると。

とても

信じられないくらいに。

元気がわいてくることに。

気が付きました。

「太陽」の「陽射し」。

「陽」の「めぐみ」は。

なんと。

ありがたいことだろう。

なんと尊いことだろう。

そら一杯の青空の

天井(てんじょう)と。

「太陽のひかりのひざし」は。

「生きとし生けるもの」にとって。

なによりもの。

まことの。

「めぐみ」なのであり。

それを戴けるのは。

「よろこび」ふかきことです。

「太陽のひかりのひざし」は

「いのちへのめぐみ」。

「いのちのよろこび」。

ありとあらゆる「生命」「いのち」をはぐくみ。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をたたえる。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をなぐさめる。

「生きとし生けるもの」の「いのち」に。
さらなる。
「はるかかなた」までの。
「いきるちから」をさずけるものです。
「太陽」。
ありがたいものです。

はやいものです。
ときのたつのは。
はやいものです。

そしてふと考えれば

去年も
「12か月」が
終わりました。

中秋から晩秋にうつろい。
いまや
「寒月」の「12月」がおわり。
新年の「1月」がおわり。
「晩冬」の「2月」がおわり。
「初春」の「3月」「4月」がおわり。

「春「5月」です。

病院の庭園に「何本」もある
「春の花」の大木が。
いずれもが紅白の花を

緑野に見え隠れする蓮華草
のように。

みのらせています。

「春の花」は。
「はつはな」で初々しいです。
けれども。
「春の花」は。

は雨に打たれると。
花は地面に紅白の毛氈(もうせん)
のように落花してしまいます。

くれない色としろ色の雪のようです。

「春の花」の花の花びら。

ひろって。
手のひらにかかげれば。
「春の花」の花のかおりは。
プラチナ色の香りが
致しました。

今は。
「春の花」が。
蕾をふくらませています。
「春の花」の。

はながは鐘袖(ベル・スリーブ)のように。
ふくらんでいます。

「春」の花の「はなびら」が。

闇夜のあいだに。

朝の早朝まだ。

「花」にもきがつかぬうちに

また地に舞い下りています。

「春の花」の花ひとつさいて。

夜の「春吹雪:はるふぶき」で。

ちったようです。

みつめれば。

「春吹雪:はるふぶき」に。

弓射られた白鷺(しらさぎ)の羽が。

舞っているようでした。

寒い「春」も。

「昆虫」の少ない時期に。

「春の花」は。

は花をさかせ。

どのように授粉して。

「実る」のだろう。

「春の花」の花ひとつさいて。

夜の「春吹雪:はるふぶき」で。

ちる。

「春の花」は。

「花」はすぐに

落下する。

このあたりに。

「春の花」

には。

ひとのよの。

「人生」の。

「解答」でもあるような

気が致します。

ふと野の花は。

一般的には。

香らない花が。

多いことに気づきました。

伊藤左千夫の「野菊の墓」の「野菊」は。
矢車菊 (やぐるまぎく)
はとても綺麗なむらさきの「のぎく」です。
けれども「のぎく」は香りません。
(Corn lower, Bachelor's-button)です。

因みに
最高級の(今はもうとれない)
インド・カシミール地方で産出されたの
サフアイアの色は

「矢車菊色:やぐるまそう色」といわれます。

「カシミール・ヴァイオレット」。

麦畑やとうもろこし畑の中に 咲いていたことから。
「コーン・フラワー」=「野菊」(Corn lower)
です。

別名 「矢車草(やぐるまそう)」
といわれることがあります。

実は「矢車菊 (やぐるまぎく)」と
「矢車草(やぐるまそう)」まったく違う植物です。
矢車菊 (やぐるまぎく)が「野菊」。
「矢車草(やぐるまそう)」は「高山植物」。

「野菊」は春から夏にかけて咲くむらさきの花です。

古代エジプトのツタンカーメン王の墓 からも
発見された由緒正しき「野菊」。
色は紫。むらさきです。

ツタンカーメン王の。

まだ幼な子王妃が。

「亡きツタンカーメンンに野菊の花束ささげるけなげな姿」
が鮮烈に眼に浮かびます。

この「花」が。

「野菊」です。

「野菊の墓」の「野菊」。

けれども。

「野菊」は

香らない。

毎朝暗い早朝と。

うす暗くなる午後4時ころには。

「春吹雪:はるふぶき」が

ふいている。

「春吹雪:はるふぶき」がかわりばんこに。

あちこちで

「ろうろう」「こうこう」とないています。

「春かぜ」の
「春吹雪:はるふぶき」
の「コーラス」を聞いていると。

ふと。

「この「春」におびえるひと」の気配が
脳裏をはしりました。
はてだれだろう。

うら若き乙女。
貧しさに。
苦労に苦労をかさねて。
苦しんで苦しんだ苦しんだあげくに。
24歳にして世を去った
「樋口一葉」。

樋口一葉の
「うらわかき」「「冬」と「春」の短歌」がきこえるようです。

散たまるふもとの落葉わけて思ふ
埋もれぬべきは雪の山里

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ
うもれぬへきはゆきのやまさと

庭の面につもる紅葉の色見れば
散りての後もにしきなりけり

にわのおもにつもるもみしのいろみれば
ちりてのあともにしきなりけり

世の中の秋にあはじとおくれけん
一もと野ぎく思ひあがりて

よのなかにあきにあはしとおくれけん
ひともとのきくおもひあがりて

折々に散るものどけし春雨の
はれたる軒の山桜ばな

おりおりにちるものどけしはるさめの
はれたるのきのやまさくらばな

わが園のものとおもへば初わかな
はつかなれども嬉しかりけり

わがそののものとおもへばはつわかな
はつかなれどもうれしかりけり

立ち渡る霞をみれば足引きの
山にも野にも春は来にけむ

たちわたるかすみをみれはあしひきの
やまにものにもはるはきにけむ

わたつ海の波のいづこに立ち初て
果なくつゝむ春の霞ぞ

わたつみのなみのいづこにたちそめて
はてなくつつむはるのかすみぞ

さざ波やしがの都のいにしへの
おもかげうすく立つ霞かな

ささなみやしかのみやこのいにしえの
おもかけうすくたつかすみかな

鶯のけさおとづるゝ声聞て
はじめて春の心地こそすれ

うくいすのけさおとつるるこへききて
はしめてはるのここちこそすれ

うれしくもわがものにして聞てけり
このあかつきの鶯の声

うれしきもわかものにしてきこへけり
このあかつきのうくいすのこへ

のどかなるけさの雨にやはるの野の
みどりも色まさるらむ

のとかなるけさのあめにや
はるののの
みとりのいろもまさるらむ

おくれたる友の為にとしをりして
谷間の蕨折り残しけり

おくれたるとものためにとしをりして
たのまのわらひおりのこしけり

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ

うもれぬへきはゆきのやまさと

にわのおもにつもるもみしのいろみれば

ちりてのあともにしきなりけり

よのなかにあきにあはしとおくれけん

ひともとのきくおもひあがりて

-------------------------------

おりおりにちるものどけしはるさめの

はれたるのきのやまさくらばな

わがそののものとおもへばはつわかな

はつかなれともうれしかりけり

たちわたるかすみをみれはあしひきの

やまにものにもはるはきにけむ

わたつみのなみのいづこにたちそめて

はてなくつつむはるのかすみぞ

ささなみやしかのみやこのいにしえの

おもかけうすくたつかすみかな

うくいすのけさおとつるるこへききて

はしめてはるのここちこそすれ

うれしきもわかものにしてきこへけり

このあかつきのうくいすのこへ

のとかなるけさのあめにや

はるののの

みとりのいろもまさるらむ

おくれたるとものためにとしをりして

たのまのわらひおりのこしけり

「24歳」の「とても貧しい乙女」の。

「春」によろこび。

「春」にもおびえおののく。

隠したくはない「乙女のほこり」

けれども。

隠さざるを得ぬ「乙女のほこり」

かなしさの。おもかげと。

光さす。輝きと。

いまだお若い「御婦人」の「知」「智」が。

ほこりたかくも。

はかなくも。

「ひしひし」とよみとれます。

「冬至」はすでにすぎました

これからは日は。
陽は次第にながくなる。
日が長くなる。
朝は明けるのは早くなり。
夕に暗くなるのは遅くなる。

しだいに陽がながくなる。
なぜか。
不思議なやさしさ。
やすらぎと。
心やすらかなる
安堵感をかんじます。

心やすらかなる
安堵感をかんじます。

けれども。
「安堵」と「落胆」は。
常に表裏一体。
両羽(もろば)の剣。

「ぬかよろこび」の「ぬか」のような
ものです。

「ながくなる陽」も両羽(もろば)の剣を
持っています。

そして。
季節には「大気の音色(ねいろ)」もあるようです。

朝空は
陽ははるかに天高く。
空色はミルク色です。
クリームのかかった雲空です。

東京都世田谷区山本クリニックの庭園には

「えどむらさき」という「つつじ」
が「何本」もはえています。
野生種に近いものです。
大きな真紅紫の花を咲かせます。

「つつじ」ですから
盆栽の「皐月:さつき」のような
繊細さはみえません。

この「5月」になり。
森山を分け入ると。

木々の根元に隠れ咲く。
だいだい色の花の花のごとくに紅葉したまま
しもがれする
「やまはぜの葉木」が「大好き」です。

「やまうるしの紅葉」もかわいらしく。
「大好き」です。

身の丈以上ほどにもなって群生する。
野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
が。
病院の林の一角に野生のまま
おいしげっています。

野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
のパープルの真珠が群れたように実る
「実りの木の実」の風にそよぐ音色には。
おどろかされます。

あけびつたもうれしい。
あけびの「実」がみつかればなおなおうれしい。

またたびをみつけました。
根元にねこにかじられきずがある。

里山の冬の時期から。
そして初春の里山の季節
になりました。

四季の歩みの春夏秋冬のうつろいは
メトロノームの「あゆみ」を
感じさせます。

この「あゆみ」の「質量」は
とてもとても高いです。
質量があれば。あたかも。
重力のように。
四季のリズムにひきよせられていく。
そのような感じがします。

四季の歩みの春夏秋冬は。
フアジーでいてなお着々。
確実な「リズム」を感じます。

ここに。
「メロディ:旋律」とハーモニー:和声」
がくわわれば「音楽の三要素」。
音楽と同じです。

草花や草木につつまれた自然は。
「音楽」と同じように
ひびきとして聴こえます。

自然は
「しぜん」の
「ヴィルトオーゾ」と
「ヴィルトゥオーサ(virtuosa)」
*です。

この「自然のフイルハーモニウム」の。
指揮者は。
太陽なのか大地なのか人なのか。

或は音色をかもし出す自然はオーケストラ
であるのか。
ソリストなのだろうか。

私の尊敬する「合衆国USA」の
女性で小説家(「ノーベル賞受賞者」)
「パール・サイデンストリッカー・バック
(Pearl Sydenstricker Buck)
中国名、賽珍珠(サィ・チンシュ)」
パールバックの「大地」に
その「こたえ」が示唆されています。

古代より芸術家が
自然を音楽や絵画や彫刻
で表現しようとした気持ちが良く判ります。

*ヴィルトゥオーソ(virtuoso)は、
「博識、達人」を意味するイタリア語の男性名詞である。
複数形の場合はヴィルトゥオーシ(virtuosi)
、女性形はヴィルトゥオーサ(virtuosa)となる。
ラテン語のvirtus(「男らしさ」「美徳」「至高」の意)を語源とし、元来は「有徳の」「誉められるべき」
を意味する形容詞の男性形であった。

実際の楽曲ではこの三要素は。
密接に音楽的に結びつきひとつの楽曲をなします。

但し音楽の「リズム・メロディ・ハーモニー」は
一つだけを明確に取り出せる「成分」というわけ
ではありません。

また「音楽であるため」に。
三要素が絶対必要ということ
でもないでしょう。

邦楽などではリズム・ハーモニーは
存在しないか希薄である事が多いです。
「音楽」として「欠陥」があるわけ
ではありません。

「リズム・メロディ・ハーモニー」
が西洋音楽の常識ではありえないほど
高度な進化を遂げた音楽も存在致します。

邦楽もその一つです。

大和の国 やまとのくにの自然は。
「大和の国の音楽」と同じように思えます。
聴こえます。

「音楽」は「音」「おと」です。
そして「しらべ」=メロディとハーモニーです。
人類が「この音楽」を「楽譜」として
「寸分たがわず」「譜面」という名の「紙」に
「かくことを完成させた」ということは
大変なことです。

人間は。
人類は。
わずか「400年」で。

「音楽の旋律」に対する「楽譜」を。
「あらたな言語」を
完全に「完成」させたことになります。

まさにミューズの神の「神業かみわざ」です。

木々のめぶきの
冬なおも。
ますます力強い息吹を感じます。

「真夏」をすぎ「冬」になると。
再び「若葉」がみられることに。
きづきました。
「ため息」がでるほど木々の「冬若葉」の
「つどい」は「つよく」「うつくしい」。
雪の上のみどり。

木々のてっぺんは萌黄色から
「ふかみどり」
になりました。
そして「しっかりと樹木として
「冬を迎えた葉束」になりました。
これからは
「深まる冬」がすぎさり「春」。
「開花」の炎が。
樹木の上方で。
「雪の到来」を.
くすぶりてまちわびてています。
たえしのぶ冬の樹木です。

「若葉」の「新緑」から「深緑」です。

高い木々の穂先は萌黄から若草色に。
うねるなみのように。
木々の新緑は常緑となり冬のおとずれを
伝えていました。

桜は葉桜から「葉木」
道路沿いの「けやき」の木々も
萌黄から若葉。
そして青葉。
どうもうともいえる青葉。
そして見え隠れする「紅葉葉」。
紅葉葉の10枚20枚がひとつひとつ
の樹木にみえるようになりました。
「黄色調」です。
そして今「樹木」は「葉のいろ」をかえ
「宙」に舞おうとしています。

明らかなる。
「冬から春」とはことなる。
「夏から秋」。
「秋から冬」
そして「冬」の「木枯らし」。

木々の四季の。
大気の「色」のうつろい
に気づきます。

今は里山(さとやま)をさまよい。
今は里山(さとやま)をあるきたい。
今は里山(さとやま)の季節。
今は昔々里山(さとやま)であそび。
今は昔々て里山(さとやま)でおぼえ。
今は昔々里山(さとやま)でまなんだ。
今は昔々のその日々の思い出は。
今は黄金(こがね)か。あるいは。
今は銀か。いぶし銀か。
今はもしかしたらプラチナか。
今は思い出色は鉛のように。
今は重さは鉛のようになり。
今は心の奥深くに埋もれて感じられます。

「幸せ色」=「しあわせいろ」

ならばよいです。

けれども
早朝は非常にあたたかくなりました。

夏やま中さまよいて
夏やま中をわけいらば
夏やま中大樹の根元に隠れたり
夏やま中あけぼの色のちひさき炎(ほのほ)
夏やま中みつけたりやまの秋の華。
夏やま中やまの秋葉木のかくれんぼ
夏やま中大樹の根元に隠れたり
夏山はぜの葉木。
夏やま中やまうるしの葉木。
夏やま中あきやまはぜとふるやまうるし。
夏こす「はだか木」。
夏こす元気な木。たくましき木。

夏山萩(やまはぎ)の
夏花をかくして燃えたたむ
夏に実りの祭りなり
夏山はぜの葉炎
夏天高く燃ゆ

なつやまはぎの
なつはなをかくしてもえたたむ
なつにみのりのまつりなり
なつやまはせのほのほ
なつてんたかくもゆ

ひろくなりけり空(そら)たかし
さとやまに木々のみどり木
こもれびうけて燃えるがごとし
みどりの炎(ほのほ)
ほのほうちけさむかすみはあおし
ほのほにかすみにただよひて
うるわしくかがやきたり
あたたかくかおりたり
あざやかなりけり 
やまさとのやまみどり
やまさとのふかみどり

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
は「英国:United Kingdom UK」の
「風景画家」
天才画家ですが「緑」が大嫌い
で「黄色」が「大好き」。
「木」をかくのを非常にいやがったそうです。

多分ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
が「修行時代」に「お金にために
「どこの国も同じですが」
「名所絵」をかかされたときの
「反動」ではないかと
今の私は考えます。

「大きな夏みつけた」

から

「夏がすぎてて真秋間近い」

「小さな秋みつけた・。」

そして

「小さな冬みつけた」

そして

「大きな冬みつけた」。

そして

「小さい春」がみつかって。

しだいにおおきな。

「春」になりました。

「夏」もちかづく「八十八夜」

今は「夏」。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成21年01月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年2月11日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年3月20日(金曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

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平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
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★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらず
インフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。

「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。

茶人として活躍するに伴い。
松江城下では和菓子の銘品と呼ばれる物が
数多く生まれることとなり。
この為松江地方では煎茶道が発達。

今でもお茶はお猪口状の
湯呑で飲む風習が残るにいたり。

その極めて高額な「茶道の茶器類のコレクション」
ゆえに
「今現在も
「文花度」のたかい地域」
と。
みなされるにいたった「松江藩主」。

1818年(文政元年4月24日) -
松平治郷(不昧)、松江藩藩主、茶人(* 1751年)

の没日です。

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松平 治郷(まつだいら はるさと)は、
出雲松江藩の第7代藩主。直政系越前松平家宗家7代です。

また、江戸時代の代表的茶人の一人で、号
は不昧(ふまい)です。

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松平 治郷(まつだいら はるさと)の生涯

宝暦元年(1751年)2月14日、
松江藩の第6代藩主・松平宗衍の次男として生まれました。

明和4年(1767年)、
父の隠居により家督を継ぎました。

この頃、松江藩は財政が破綻しており。
周囲では
「雲州様(松江藩の藩主)は恐らく滅亡するだろう」
と囁かれるほどでした。

そのため治郷は、
家老の朝日茂保と共に藩政改革に乗り出しました。

++++++++++++++++++++++

松平 治郷(まつだいら はるさと)が。

茂保が財政再建のために行なったのは、
積極的な農業政策でした。

治水工事を行ない木綿や朝鮮人参、楮、櫨
などの商品価値の高い特産品を栽培することで
財政を再建しようとしたのです。

しかしそのため。
厳しい政策が行なわれることとなりました。

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松平 治郷(まつだいら はるさと)は。

これまでの借金を全て棒引きにし。
藩札の使用禁止、厳しい倹約令、村役人などの
特権行使の停止、
年貢の徴収を四公六民から。
七公三民にするなどというものであった
のです。

さらに安永7年(1778年)
井上恵助による防砂林事業の完成。

天明5年(1785年)の清原太兵衛による
佐陀川の治水事業などによる改革事業により、
藩の財政改革は成功到しました。

このため、空になっていた
藩の金蔵に。
多くの金が蓄えられたと言われています。

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松平 治郷(まつだいら はるさと)は。

ところが、この財政改革は
藩主の治郷によって全て無とされてしまいました。

もともと茂保主導による改革だったため、

政治能力の無かった治郷は
ほとんど改革に口出ししなかったのです。

ところが、財政が再建されて潤ったため。

もともと茶人としての才能だけはあった治郷は、
1500両もする天下の名器・「油屋肩衝」をはじめ
300両から2000両もする茶器をたくさん購入したのです。

このため、藩の財政は藩
主の道楽で一気に悪化してしまいました。

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松平 治郷(まつだいら はるさと)は。

文化3年3月11日(1806年4月29日)、
家督を長男・斉恒に譲って隠居し、
文政元年(1818年)に死去到りました。

享年68。

奉斎神社:松江市殿町鎮座の
松江神社に主祭神として祀られています。

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松平 治郷(まつだいら はるさと)の
人物・逸話

政治家としての治郷の評価は低いが、
一説には財政を再建して裕福になったことを
幕府から警戒されることを恐れて、
あえて道楽者を演じていたとも言われています。

(越前松平家系統は親藩の雄として尊重されると共に、
過去の経緯から幕府からは常に警戒されていました)。

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松平 治郷(まつだいら はるさと)の。
治郷は茶人としての才能は一流であり、
石州流を学んだ後に不昧流を建てました。

さらには「古今名物類従」や
「瀬戸陶器濫觴」など、
多くの茶器に関する著書を残しています。

ちなみに治郷によって築かれた茶室は
菅田菴(寛政2年(1790年築、国の重要文化財)や
塩見縄手の明々庵(安永8年(1779年)築)に
現存到します。

この他に、茶の湯につきものの
和菓子についても、
治郷が茶人として活躍するに伴い、
松江城下では銘品と呼ばれるようになる物が
数多く生まれました。

松江地方では煎茶道が発達して、
今でも湯のみがお猪口状の湯呑で飲む風習が残っています。

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松平 治郷(まつだいら はるさと)は。
上記のように治郷の収集した茶器の銘品・銘菓(山川・若草など)
は「不昧公御好み」として
現在にも伝えられ、
松江市が今を以って文化の街として
評される礎となったことは治郷の現代に至る功績です。

武芸にも堪能で、松江藩の御流儀である
不伝流居相(居合)を極め、不伝流に新た
な工夫を加えました。
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++「続きを読むです1」++++++++++++++++++

松平治郷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B9%B3%E6%B2%BB%E9%83%B7

松平 治郷(まつだいら はるさと)は、出雲松江藩の第7代藩主。直政系越前松平家宗家7代。また、江戸時代の代表的茶人の一人で、号は不昧(ふまい)。

生涯
宝暦元年(1751年)2月14日、松江藩の第6代藩主・松平宗衍の次男として生まれる。

明和4年(1767年)、父の隠居により家督を継いだ。この頃、松江藩は財政が破綻しており、周囲では「雲州様(松江藩の藩主)は恐らく滅亡するだろう」と囁かれるほどであった。そのため治郷は、家老の朝日茂保と共に藩政改革に乗り出した。茂保が財政再建のために行なったのは、積極的な農業政策であった。治水工事を行ない、木綿や朝鮮人参、楮、櫨などの商品価値の高い特産品を栽培することで財政を再建しようとしたのである。しかしそのため、厳しい政策が行なわれることとなった。まず、これまでの借金を全て棒引きにし、藩札の使用禁止、厳しい倹約令、村役人などの特権行使の停止、年貢の徴収を四公六民から七公三民にするなどというものであった。さらに安永7年(1778年)、井上恵助による防砂林事業の完成、天明5年(1785年)の清原太兵衛による佐陀川の治水事業などによる改革事業により、藩の財政改革は成功したのである。このため、空になっていた藩の金蔵に多くの金が蓄えられたと言われている。

ところが、この財政改革は藩主の治郷によって全て無とされてしまった。もともと茂保主導による改革だったため、政治能力の無かった治郷はほとんど改革に口出ししなかったのである。ところが、財政が再建されて潤ったため、もともと茶人としての才能だけはあった治郷は、1500両もする天下の名器・「油屋肩衝」をはじめ300両から2000両もする茶器をたくさん購入したのである。このため、藩の財政は藩主の道楽で一気に悪化してしまったのである。

文化3年3月11日(1806年4月29日)、家督を長男・斉恒に譲って隠居し、文政元年(1818年)に死去した。享年68。

奉斎神社:松江市殿町鎮座の松江神社に主祭神として祀られている。

人物・逸話
政治家としての治郷の評価は低いが、一説には財政を再建して裕福になったことを幕府から警戒されることを恐れて、あえて道楽者を演じていたとも言われている(越前松平家系統は親藩の雄として尊重されると共に、過去の経緯から幕府からは常に警戒されていた)。
治郷は茶人としての才能は一流であり、石州流を学んだ後に不昧流を建てた。さらには「古今名物類従」や「瀬戸陶器濫觴」など、多くの茶器に関する著書を残している。ちなみに治郷によって築かれた茶室は菅田菴(寛政2年(1790年築、国の重要文化財)や塩見縄手の明々庵(安永8年(1779年)築)に現存する。この他に、茶の湯につきものの和菓子についても、治郷が茶人として活躍するに伴い、松江城下では銘品と呼ばれるようになる物が数多く生まれた。この為、松江地方では煎茶道が発達して、今でも湯のみがお猪口状の湯呑で飲む風習が残っている。
上記のように治郷の収集した茶器の銘品・銘菓(山川・若草など)は「不昧公御好み」として現在にも伝えられ、松江市が今を以って文化の街として評される礎となったことは、治郷の現代に至る功績である。
武芸にも堪能で、松江藩の御流儀である不伝流居相(居合)を極め、不伝流に新たな工夫を加えた。

官職位階履歴

1764年(明和元) 従四位下侍従兼佐渡守
1767年(明和4) 家督相続し、出羽守に遷任。侍従如元。
1804年(文化元) 左近衛権少将に転任。出羽守如元。
1806年(文化3) 隠居 
先代:
松平宗衍 越前松平氏(松江藩7代)藩主
1767年 - 1806年 次代:
松平斉恒

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B9%B3%E6%B2%BB%E9%83%B7" より作成
カテゴリ: 江戸の大名 | 親藩 | 越前松平氏 | 茶人 | 剣客 | 1751年生 | 1818年没

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++
5月28日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/5%E6%9C%8828%E6%97%A5

2009年 5月(皐月)
日 月 火 水 木 金 土
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

できごと
1830年 - アンドリュー・ジャクソン米大統領がインディアン移住法に署名。

1902年 - 日本で電柱広告が許可される。

1926年 - ポルトガルで1926年5月28日クーデター起こる。

1927年 - 第1回全日本オープンゴルフ選手権大会開催。

1927年 - 中国で北伐軍に対抗して第1次山東出兵が行われる。

1930年 - クライスラービル竣工。

1937年 - ネヴィル・チェンバレンがイギリス首相に就任。

1940年 - 第二次世界大戦: ベルギーがナチス・ドイツに降伏。

1945年 - 大日本帝国海軍が人間魚雷「回天」などを水中特攻兵器として採用決定。

1953年 - ソ連が東ドイツ管理委員会を廃止し民政に移行。

1960年 - トキが国際保護鳥に指定。

1961年 - ピーター・ベネンソンによる
アムネスティ・インターナショナル結成のきっかけとなった新聞投稿が掲載される。

1963年 - 国鉄型通勤電車「103系」の第1編成落成日。

1964年 - パレスチナ解放機構 (PLO) 設立。

1965年 - 経営悪化の山一證券に対し政府が
日本銀行法25条を発動、無制限・無期限の日銀特別融資を実施。

1976年 - 米ソが「地下核実験制限条約」に調印。

1980年 - 張本勲が日本プロ野球史上初の通算3000本安打を達成。

1982年 - ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世がイギリス訪問。
教皇はイングランド国教会首長と会談し、
ローマ・カトリック教会とイングランド国教会との正式な和解が450年ぶりに成立。

1983年 - 映画『戦場のメリークリスマス』公開。

1991年 - NHKの松平定知アナが泥酔してタクシー運転手を足蹴にする事件を起こす。

1992年 - 歌手の藤山一郎に国民栄誉賞が贈られる。

1998年 - パキスタンが初の核実験を行う。

2001年 - スラッシュドット日本語版であるスラッシュドットジャパンが正式オープン。

2002年 - 東アジアサッカー連盟設立。

2002年 - 経済団体連合会(経団連)と
日本経営者団体連盟(日経連)が統合され、
日本経済団体連合会(日本経団連)が発足。

2007年 - 松岡利勝農林水産大臣が自殺。
現職大臣の自殺は阿南惟幾陸軍大臣(1945年8月15日死亡)以来で、現憲法下では初。

2008年 - 高級料亭「船場吉兆」(大阪市中央区)が廃業。

2008年 - ネパールで制憲議会召集、
共和制への移行が宣言されシャー王朝の治世に終止符が打たれる。

誕生日
1759年 - ウィリアム・ピット(小ピット)、イギリスの首相(+ 1806年)

1841年(天保12年4月8日) - 境川浪右衛門、大相撲第14代横綱(+ 1887年)

1879年 - ヴァネッサ・ベル、画家(+ 1961年)

1889年 - 山本宣治、政治家(+ 1929年)

1908年 - イアン・フレミング、小説家(+ 1964年)

1910年 - 沖ツ海福雄、大相撲の力士・関脇(+ 1933年)

1923年 - ジェルジ・リゲティ、作曲家(+ 2006年)

1925年 - ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ、バリトン歌手

1936年 - 石井眞木、作曲家(+ 2003年)

1940年 - 立花隆、ジャーナリスト

1940年 - 筒美京平、作曲家

1940年 - 石弘之、ジャーナリスト、作家

1942年 - Mr.ボールド、お笑い芸人(+ 2003年)

1944年 - ルディ・ジュリアーニ、ニューヨーク市長

1944年 - 後藤和昭、プロ野球選手
1944年 - 枦山智博、高校野球指導者

1950年 - 中沢新一、宗教学者

1952年 - 宮本四郎、プロ野球選手(+ 2006年)
1955年 - 村上ショージ、お笑い芸人
1956年 - 紗ゆり、声優
1960年 - 水沼貴史、サッカー選手
1961年 - 辛島美登里、シンガーソングライター
1962年 - 中尊寺ゆつこ、漫画家(+ 2005年)
1966年 - 河井護、俳優
1968年 - カイリー・ミノーグ、歌手
1969年 - 三田英津子、女子プロレスラー
1969年 - 柳田聖人、プロ野球選手
1974年 - 西田幸治、お笑い芸人(笑い飯)
1975年 - 仲谷かおり、タレント・ヌードモデル
1976年 - 雨宮朋絵、タレント・DJ
1978年 - 山本省吾、プロ野球選手
1979年 - 五十嵐亮太、プロ野球選手
1979年 - 能見篤史、プロ野球選手
1980年 - 佐藤美砂、ストリッパー
1983年 - 早乙女みなき、AV女優
1983年 - オルガ・アキモワ、フィギュアスケート選手
1984年 - ミカ、歌手
1984年 - 若槻千夏、タレント
1985年 - ブライアンズタイム、競走馬
1986年 - シャルル・ヌゾクビア、サッカー選手
1987年 - 石井めぐる、グラビアアイドル
1988年 - 黒木メイサ、女優
1988年 - 山川紗弥、美少女クラブ31
1988年 - 國吉貴博、サッカー選手
1989年 - 林明日香、シンガーソングライター
1990年 - 高井みほ、グラビアアイドル
1992年 - 平嶋夏海、AKB48
生年不明 - 柳沢テツヤ、アニメーター、演出家

忌日
1357年 - アフォンソ4世、ポルトガル王(* 1291年)

1514年(永正11年5月11日)- 伊達尚宗、陸奥国の戦国大名(* 1453年)

1556年(弘治2年4月20日) - 斎藤道三、美濃国の戦国大名(* 1494年?)

1750年(寛延3年4月23日) - 桜町天皇、日本の第115代天皇(* 1720年)

1767年 - マリア・ヨーゼファ・フォン・バイエルン、
神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世の皇后(* 1739年)

1787年 - レオポルト・モーツァルト、作曲家(* 1719年)

1805年 - ルイジ・ボッケリーニ、作曲家(* 1743年)

1810年 - カール・アウグスト、スウェーデン王太子(* 1768年)

1818年(文政元年4月24日) -
松平治郷(不昧)、松江藩藩主、茶人(* 1751年)

1828年(文政11年4月15日) - 大黒屋光太夫、漂流民(* 1751年)

1843年 - ノア・ウェブスター、辞書編纂者(* 1758年)

1849年 - アン・ブロンテ、小説家(* 1820年)

1872年 - ゾフィー、オーストリアの皇族(* 1805年)

1890年 - ヴィクトル・ネスラー、作曲家(* 1841年)

1900年 - ジョージ・グローブ、音楽学者(* 1820年)

1902年 - アドルフ・クスマウル、医学者(* 1822年)

1910年 - エーミール・ツッカーカンドル、医学者(* 1849年)

1912年 - ポール・ボアボードラン、化学者(* 1838年)

1927年 - ボリス・クストーディエフ、画家(* 1878年)

1940年 - フリードリヒ・カール、ヘッセン=カッセル方伯(* 1868年)

1946年 - カーター・グラス、第47代アメリカ合衆国財務長官(* 1858年)

1953年 - 堀辰雄、小説家(* 1904年)

1956年 - 2代目稀音家浄観、長唄三味線奏者(* 1874年)

1962年 - アッサール・ガブリエルソン、実業家・ボルボの共同創業者(* 1891年)

1968年 - フョードル・アフラプコフ、赤軍の狙撃手(* 1908年)

1972年 - エドワード8世(ウィンザー公)、イギリス王(* 1894年)

1972年 - 小汀利得、ジャーナリスト・時事評論家(* 1889年)

1973年 - ハンス・シュミット=イッセルシュテット、指揮者(* 1900年)

1980年 - ロルフ・ネヴァンリンナ、数学者(* 1895年)

1986年 - テイラー・ドゥーシット、野球選手(* 1901年)

1989年 - 高田敏子、詩人(* 1914年)

1990年 - 大野耐一、技術者(* 1912年)

1990年 - 中村竹弥、俳優(* 1918年)

1990年 - 西田昭市、俳優・声優(* 1928年)

1992年 - 藤村富美男、プロ野球選手・監督(* 1916年)

1992年 - 船田和英、プロ野球選手(* 1942年)

1998年 - 平吉毅州、作曲家(* 1936年)

1998年 - 平山菊二、プロ野球選手(* 1918年)

2001年 - フランシスコ・バレーラ、生物学者(* 1946年)

2003年 - イリヤ・プリゴジン、化学者・物理学者(* 1917年)

2003年 - 藤田省三、思想史家(* 1927年)

2004年 - 田中美羽、タレント(* 1963年)

2007年 - 松岡利勝、政治家、農林水産大臣(* 1945年)

2008年 - スベン・デビッドソン、テニス選手(* 1928年)

記念日・年中行事
花火の日
1733年(亨保18年)、隅田川で水神祭りの川開きが行われ、
慰霊を兼ねた花火が打ち上げられた。

ゴルフ記念日
スポーツ用品メーカー・ミズノの直営店・エスポートミズノが
1994年(平成6年)に制定。

1927年(昭和2年)、
第1回全日本オープンゴルフ選手権大会が横浜の保土ヶ谷ゴルフ場で開催された。

国際アムネスティ記念日
1961年(昭和36年)、
政治的権力による人権侵害を守るための国際民間機関
アムネスティ・インターナショナルが発足した。