東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年5月30日(土曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年5月30日(土曜日)

「春」。

「5月」です。

「春」の。

「5月」になりました。

「春」がきた。

「春」がきた。

どこにきた。

「山」にきて「里」にきて。

「野」にきたる。

-------------------------------
今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

「晩冬」の「2月」がおわり。
「春」になりました。

「3月」「4月」「5月」がおわり。
「5月」になりました。
「夏」です。

昨年。
「6月」=「夏の始まり」です。
「6月」がおわり「7月」です。
「7月」もおわりました。
最後の夏月「8月」。
夏の「8月」もおわりました。

「9月」の「秋」になり。
「9月」がおわりました。
「10月」もおわりました。
「11月」です。
「秋」「11月」が終わりました。

「12月」です。
「冬」になりました。

昨年の「12月」が終わりました。

「新年」の「初春」になりました。
「1月」がすぎ。

「初春」の「2月」がすぎ。

「3月」「4月」がおわり。

いま「5月」です。

雪国の「春」を。

過ぎれば。

そこは里の「春」。

里の「春」から。

「まち」の「春」。

そして「夏」。

雪国の「冬」から

「里山」の「春」に。

「野」の「春」に。

そして。

街(まち)の「春」に。

「みどり」の「春」に。

なりました。

「ちいさな春」をこえて。

「大きな春」を。

むかえようとしています。

雪国の「春」を過ぎれば。

そこは。

「里山」の「春」

「野」の「春」

「まち」の「春」

「ふゆ」を「むかえよう」。
「新年」そして「初春」。
「くるとしつき」は
「無我のうちにむかえよう」。
「冬」がすぎたら。
そうしたら「春」をむかえよう。

自在に「かんがえてながれてゆく」。

「自然」の「ときの流れ」は。
真(まこと)の幸せ者の「しらべ」。

「新年」の「初春」だけれども。

「1月」は去り「2月」。
「2月」は去り「3月」。
「3月」は去り「4月」。
「4月」は去り「5月」。

「ひたひた」と。

さらに深まりゆき。

とおりすぎていく「春」。

「さくさく」とひびく。

日々の過ぎ去る足音は。

「とほとほ」と。

朝早くまだ暗い街中に

聞こえるようにとおざかり。

さってゆき。

そして「新たな季節」が。

かわりにやってくる。

白く柔らかな春霞の衣をまとう若々しい

「春」の「さほ姫」*

は「冬将軍」をいなして。

「春」を導いて。

そしていま。

「春」の「5月」になりました。

「佐保姫(さほひめ)」は春の神です。

五行説では春は東の方角にあたります。
平城京の東に佐保山があるために。
春の神は佐保姫と呼ぶようになりました。

白く柔らかな春霞の衣をまとう若々しい女性です。

竜田山の神で秋の竜田姫と対を成すことになります。

日本の「春」の女神(めがみ)

「佐保姫(さほひめ)」。

「どなた」がみつけた「姫君」か。

すごき女神と感嘆致します。

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
(Johann Wolfgang von Goethe)
の「魔王:Erlkonig」*は。
「おそい冬の夜」の「嵐のなかを馬駆ける」
「父親」と「子」の情景を描写したものです。

かならずしも「冬の夜」を情景と考えなくても
「魔王」の詩*の
その「魔王」の「おそろしさ」は通じます。


魔王(Erlkonig)が。
どのようなものであるかは様々な議論があります。
その名前は字義的には「ハンノキの王」を意味する。

ゲーテは「ハンノキの王」Erlkonigから。
樹木の精霊の王として。
魔王を設定し想像力を膨らませたものです。

この詩はゲーテによって
1782年の歌劇『漁師の娘』
(Die Fischerin) の一部として作詞されました。

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『魔王』はデンマークで生まれた

「比較的新しい伝承」であると考えられます。

それをヨハン・ゴットフリート・ヘルダーが
ドイツ語に翻訳した『ハンノキの王の娘』
(Erlkonigs Tochter)が
ゲーテの詩の元になっています。

これはヘルダーが1778年に出版し
た『歌の中の人々の声』
(Stimmen der Volker in Liedern)という
民謡を集めた本に収録されています。

魔王(Erlkonig)が。
どのようなものであるかは様々な議論があります。
その名前は字義的には「ハンノキの王」を意味する。
英訳としては。
「妖精の王」(Elf King)がよく用いられます。
それに当たるドイツ語は。
「Elfenkonig」になってしまいます。

よく聞かれる説としては「Erlkonig」は
デンマーク語で妖精の王を意味する
「ellerkonge」または「elverkonge」からの
誤訳だとするものがあります。

しかし。
ゲーテはむしろその「ハンノキの王」から。
樹木の精霊の王として。
魔王を設定し想像力を膨らませたものです。

ドイツおよびデンマークの伝承では
魔王は死の前兆として登場します。
その意味では
「アイルランドのバンシー」
に似ています。

魔王は死に瀕した人物の前に現れます。
魔王の姿かたちや表情がこれから
その人物に訪れる死の内容を表します。

苦しい表情であれば苦しい死であるし
穏やかな表情であれば穏やかな死であるという。
別の解釈としては
妖精の王に触れられた者は必ず死に至るという
伝承が元になったという説もあります。

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「新年」そして「初春」。

今は「5月」の「春」

早いです。

速いものです。

速いのか早いのか。

はやいのか。

けさ暗いうちに。

地をはうような。

「春吹雪:はるふぶき」の

嵐(あらし)がふきました。

「春の花」と「春吹雪:はるふぶき」

は相性が。

よくないようです。

もしかしたら極めて相性が。

よいのかもしれません。

どちらかです。

暗い寒い朝に。

「春の花」の花びらが。

夜の間に「春吹雪:はるふぶき」の。

弓風に射られて。

白鷺の羽が舞いおりているようです。

「春」の。

「春吹雪:はるふぶき」の音は。

宙を舞う前の。

「むささび」の声のような。

「おたけび」。

けれども。

しだいに。

「春吹雪:はるふぶき」は。

歌声のようにかわりました。

そして「5月」の「春」。

「佐保姫(さほひめ)」のワルツ

が聞こえます。

「春吹雪:はるふぶき」。

「「春」いちばん」。

今日の朝暗いうちに。
秋の暗闇の地面のうえから。

「早朝に「春かぜ」の音」
が聞こえました。

不思議な「「春」の「春かぜ」の音」。
「鳴き声」のようです。

いつしか。
「春吹雪:はるふぶき」と。
「「春かぜ」の音」だけになりました。

「春かぜ」と
「春吹雪:はるふぶき」は。
早朝暗いうちにふくものである
ことがわかります。

「絵」にかきたい「音」なのです。

面白いが「おそろしい」情景であるような気も致します。
しいてこわい光景をおもいうかべるのであれば

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
(Johann Wolfgang von Goethe)
の「春」の「魔王」のようになるのでしょう。

「春」の声。
「こうこう」と鳴く。
「春吹雪:はるふぶき」
の風音がくわわっていきます。

その「春吹雪:はるふぶき」の音の。
背景に流れる「通奏低音:Generalbass;ゲネラル・バス」*
「はるのはるかぜ」のこえは。
暗闇の「はるの足音」のように聞こえる。
あかるい「春」の日に。
「陽射しの降るまち」では。
「足音だけが遠ざかっていく」「足音」

「とぼとぼ」
にしだいに重複してきました。
「春」のあさの「あしおと」と。
「さむさ」のさるあしおとの。
そして「春」のあしおとの。
「フーガ」と「カノン」。
「春吹雪:はるふぶき」はトッカータ。
「はるいちばん」は「フーガ」と「カノン」。*
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通奏低音(つうそうていおん)とは
バロック音楽において行われる演奏形態の一つです。
低音部の旋律とともに即興的な和音を付け加えて演奏する形態です。
イタリア語のバッソ・コンティヌオ(Basso continuo)

の訳語です。
伴奏楽器が間断なく演奏し続けるということからこの名があります。
略してコンティヌオと呼ぶことも多いです。
ドイツ語のゲネラルバスも使われることがあります。

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常緑の木々の深冬葉のいろ。
緑がますますあざやかに。
深まる秋におちついて。
考えるが如く
「ロダンの彫塑」の色合いです。

常緑の木々の葉は。
深緑(ふかみどり)になりました。
そして「冬」をむかえて。
「冬緑」のいろあいに
うつろいできました。
もう「緑をうつろいて」
さすがにつかれた黄赤色の葉もみえます。
枯れ葉も樹木のにぎわいです。木々の防寒衣としては
なくてはならないものです。
「春」をむかえます。

「新年」
「春」の夜明(よあけ)の空から。
「春」の陽がのぼり。
「春」の日の「空色」になってきました。

けれども。
朝暗いうちはミルクのはいった
コバルトのような
カフエ・オレ・コバルトの空色です。
そして雲は天高く「春」の雲です。

あさの04:00AMころに。

東の空
さやかににあかるく
まだくらくあおく
しだいに
雲多い空はラピズラズリからトルコ石
のようににうつろうように。
しらんできます。

その上空にさらに。
明らかなる大きな質量のある。
「深まる「春」の気配」を感じます。

夏野路はた見たりビロードのしだ
夏わらべのごときビロードのしだ
夏わらびのごとく輝けりビロードのしだ
夏山奥にひそむビロードのしだ
夏しのぶの羊歯(しだ)ビロードのしだ
夏めずらしき羊歯ビロードのしだ
夏ときわの緑のほのほビロードのしだ
夏山奥のしだのビロードのしだ
夏「まち」にもいきるビロードのしだ
夏けなげなりもあはれなりビロードのしだ
夏生い立ちしらずビロードのしだ
夏されどそのちからこそとほとしビロードのしだ

「春」きたれり。

「春」いざいまこそは

「春」よき季節にあらむ

「春」ふと空をみる

今時にもかかわらず放射冷却で
朝はとても寒いが。
「ぬくもり」はある。

確実に日は長くなりました。
葉木(はき)の樹木は「木」にかわり。
秋の木から「冬の木」にうつろいさらに
「冬の木」から。
「「春」の木」にうつろう時期
です。

外路樹の若葉は
緑濃くオリーブの葉のごとし
つみとりたくなる
ほどにきれいです。
けれどもひそやかに木々の葉にも
「深い冬からさらに「春」」
の気配がうつろいて。
うつります。

そして春の「佐保姫(さほひめ)」
が微笑みをうかべみつめています。

夏まちなみ蒼く(あおく)
夏いろどりて
夏木々の榛葉のかがやけり
夏暑さの夏秋をうつろひて
夏ふかまるみどりの夏木なり
夏しずまるみどりの夏木なり
夏みのりの夏こそありがたし
春みのりの夏こそこひしかり
春虫なきてささやけり
春木々は榛葉にかがやけり

道端の野草もかわいらしい。
冬化粧をして。
春夏秋冬の
前奏曲の旋律が聞こえます。

早朝は異常な寒さです。

気象予報で
「明日は暖かくなる」と聞いても
朝は気温がさがり大気は不安定です。
「寒い」。
寒いと首都高の自動車も暗い中
「辛そうな運転の車」が多いです。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

平成21年1月12日(月曜日)
は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました

-------------------------------

平成21年2月11日(水曜日)
は祝日です。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年3月20日(金曜日)
は祝日です。
「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
-------------------------------
平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
-------------------------------

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

-------------------------------

★★★

今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

入学式。桜の花。
インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。
再び
「寒さ」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬・春は「厳・春」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の冬場や春はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

草木の周りは。
少しずつ「春夏秋冬」の「四季」を
あゆんでいます。
梅咲き・スミレ咲き。桜咲き。
木々の萌黄から。
眼の青葉。山ほととぎす。そして夏・秋・また冬
がやってくる。

「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬は「厳冬」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の春・冬場はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝

「今日は何の日」は。
叔父は作曲家のヒューゴ・アルヴェーンの
スウェーデンの「ノーベル賞受賞者」。
(スウェーデンを代表する国民楽派の作曲家)。
プラズマ物理学の基礎概念の研究で。
「ノーベル物理学賞」を授賞者である
1908年 - ハンス・アルヴェーン、物理学者(+ 1995年)
の生誕日です。

++++++++++++++++++++++

ハンス・アルヴェーン
:Hannes Olof Gosta Alfven,
1908年5月30日 - 1995年4月2日)は。

スウェーデンの地球物理学者・物理学者です。

ウプサラ大学卒。
1970年にノーベル物理学賞を受賞致しました。
ハンス・アルベンともいいます。

++++++++++++++++++++++

ハンス・アルヴェーン
:Hannes Olof Gosta Alfven
は。

磁場中の伝導性流体においては。

通常の流体とは異なり縦波だけでなく横波
(アルヴェーン波、アルベン波ともいう)
も伝播しうることを。
明らかにするなど。

プラズマ物理学の一つの基盤である
「磁気流体力学の基礎」を築きました。

++++++++++++++++++++++

ハンス・アルヴェーン
:Hannes Olof Gosta Alfvenは。

そのほかに。
磁気圏中の荷電粒子の運動の研究など。
磁気圏・電離圏物理学の基礎となる
様々な研究成果を挙げました。

ビッグバン・モデルに基づく
標準的宇宙論に対して。
プラズマ宇宙論を提唱致しました。

++++++++++++++++++++++

ハンス・アルヴェーン
:Hannes Olof Gosta Alfvenの。

叔父に作曲家のヒューゴ・アルヴェーンがいます
(スウェーデンを代表する国民楽派の作曲家)。

++++++++++++++++++++++

「続きを読む」=>*

++「続きを読むです1」++++++++++++++++++

ハンス・アルヴェーン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B3

ハンス・アルヴェーン:Hannes Olof Gosta Alfven, 1908年5月30日 - 1995年4月2日)は、スウェーデンの地球物理学者・物理学者である。ウプサラ大学卒。1970年にノーベル物理学賞を受賞した。ハンス・アルベンともいう。

磁場中の伝導性流体においては、通常の流体とは異なり、縦波だけでなく横波(アルヴェーン波、アルベン波ともいう)も伝播しうることを明らかにするなど、プラズマ物理学の一つの基盤である磁気流体力学の基礎を築いた。

そのほか、磁気圏中の荷電粒子の運動の研究など、磁気圏・電離圏物理学の基礎となる様々な研究成果を挙げた。

ビッグバン・モデルに基づく標準的宇宙論に対して、プラズマ宇宙論を提唱した。

叔父に作曲家のヒューゴ・アルヴェーンがいる(スウェーデンを代表する国民楽派の作曲家)。

関連項目
物理学者の一覧
地球科学者

ハンス・アルヴェーン

誕生 1908年5月30日
スウェーデン
死没 1995年4月2日(満86歳没)

研究分野 地球物理学・物理学
母校 ウプサラ大学
主な受賞歴 ノーベル物理学賞(1970年)
ウィリアム・ボウイ・メダル(1988年)
表・話・編・歴
ノーベル賞受賞者
受賞年: 1970年
受賞部門: ノーベル物理学賞
受賞理由: 電磁流体力学における基礎研究、プラズマ物理学への応用

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++
5月30日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/5%E6%9C%8830%E6%97%A5

できごと [
1431年 - フランス百年戦争の英雄的少女ジャンヌ・ダルクがイギリス軍により火刑。
1885年 - 福岡県令より福岡県立修猷館(現福岡県立修猷館高等学校)の設置が告示される(創立記念日)。
1913年 - バルカン同盟諸国とオスマン帝国との間でロンドン条約が結ばれ、第1次バルカン戦争が終結する。
1925年 - 上海でイギリス警察隊が中国人労働者に発砲する(五・三〇事件)。
1968年 - 消費者保護基本法(現在、「消費者基本法」に改称)が公布される。
1967年 - 東洋工業が、世界初となるロータリーエンジン搭載車のコスモスポーツを発売。
1972年 - 日本赤軍がテルアビブのロッド空港で銃乱射(テルアビブ空港乱射事件)。犯人2人を含む26人死亡。
1993年 - 巨人、球団創設以来初の4000勝達成(対中日戦でサヨナラ勝ち)。
1993年 - 柴田政人が19回目の挑戦で悲願のダービー制覇を達成する。
1999年 - 西村博之が巨大掲示板群「2ちゃんねる」を開設。強風で倒壊したステージを背に、LUNA SEA 10TH ANNIVERSARY GIG [NEVER SOLD OUT]CAPACITY ∞開催。
2001年 - 小林雅英が5月25日よりプロ野球新記録となる6日間連続セーブをあげる。
2008年 - ダブリンにおける国際会議でクラスター弾に関する条約が採択される。

誕生日
1824年(文政7年5月3日) - 大村益次郎、兵学者(+ 1869年)
1885年 - エセル・ミューケルト、フィギュアスケート選手(没年不詳)
1890年 - 杉田久女、俳人(+ 1946年)
1899年 - アーヴィング・G・タールバーグ、映画プロデューサー(+ 1936年)
1908年 - ハンス・アルヴェーン、物理学者(+ 1995年)
1909年 - ベニー・グッドマン、ジャズ(クラリネット)奏者(+ 1986年)
1912年 - ジュリアス・アクセルロッド、薬理学者(+ 2004年)
1913年 - 仮谷忠男、建設大臣(+ 1976年)
1914年 - 安藝ノ海節男、大相撲第37代横綱(+ 1979年)
1915年 - 平田義正、有機化学者(+ 2000年)
1920年 - 安岡章太郎、詩人
1920年 - フランクリン・J・シャフナー、映画監督(+ 1989年)
1922年 - ハル・クレメント、SF作家(+ 2003年)
1925年 - チャーリー・ルイス、プロ野球選手
1937年 - 左とん平、俳優
1938年 - セルジオ・タッキーニ、ファッションデザイナー
1941年 - 大野雄二、作曲家
1943年 - 本田保則、音響監督
1946年 - 高嶋仁、高校野球指導者
1947年 - 大林雅美、タレント
1948年 - ヒロ・ヤマガタ(山形博導)、画家
1948年 - 田尻茂敏、プロ野球選手
1949年 - 火野正平、俳優
1949年 - 道原裕幸、プロ野球選手
1953年 - 庄司智久、プロ野球選手
1953年 - 岩井隆之、プロ野球選手
1954年 - 佐々木正行、プロ野球選手
1955年 - 中村勘三郎 (18代目)、歌舞伎俳優
1955年 - トッパー・ヒードン、ロックドラマー(ザ・クラッシュ)
1955年 - 深沢恵雄、プロ野球選手
1958年 - 宇野勝、プロ野球選手
1959年 - 酒井敏也、俳優
1959年 - 関口伸、声優・アナウンサー
1960年 - 宮嶋茂樹、カメラマン
1961年 - キティ・カルザース、フィギュアスケート選手
1963年-小島章利 、コジマ 代表取締役社長
1963年 - 西沢浩一、プロ野球選手
1966年 - 松本玲二、ミュージシャン、(TUBE)
1966年 - 君島十和子、女優
1967年 - 矢口史靖、映画監督
1969年 - 北村龍平、映画監督
1970年 - 門奈哲寛、プロ野球選手
1971年 - 南勝久、漫画家
1971年 - 松元繁、プロ野球選手
1972年 - 保志総一朗、声優
1972年 - マニー・ラミレス、メジャーリーガー(ボストン・レッドソックス)
1972年 - 中元綾子、アナウンサー
1976年 - 日高万里、漫画家
1977年 - 鶴岡一成、プロ野球選手(横浜ベイスターズ)
1978年 - BOTS、DJ(Dragon Ash)
1979年 - 釘宮理恵、声優
1980年 - 太田哲治、声優
1980年 - スティーブン・ジェラード、サッカー選手(リヴァプールFC)
1983年 - 柳済國、野球選手
1985年 - 尾形幸子、ファッションモデル
1989年 - 井上裕大、サッカー選手(大分トリニータ)

忌日
1252年 - フェルナンド3世、カスティーリャ王(* 1201年)
1431年 - ジャンヌ・ダルク、フランスの国民的英雄・聖女(* 1412年)
1518年(永正15年4月21日)- 上杉朝良、武蔵国の戦国大名
1560年(永禄3年5月6日)- 華陽院、徳川家康の外祖母(* 1492年)
1574年 - シャルル9世、フランス王(* 1550年)
1576年(天正4年5月3日)- 塙直政、戦国武将
1593年 - クリストファー・マーロウ、劇作家(* 1564年)
1594年 - バラッシ・バーリント、詩人(* 1554年)
1640年 - ピーテル・パウル・ルーベンス、画家(* 1577年)
1650年(慶安3年5月1日)- 上田重安、戦国武将・上田宗箇流流祖・造園家(* 1563年)
1717年(享保2年4月20日)- 井伊直興、江戸幕府大老・彦根藩主(* 1656年)
1730年 - アラベラ・チャーチル、イングランド王ジェームズ2世の愛妾(* 1648年)
1744年 - アレキサンダー・ポープ、詩人(* 1688年)
1770年 - フランソワ・ブーシェ、画家(* 1703年)
1776年(安永5年4月13日) - 池大雅、画家(* 1723年)
1778年 - ヴォルテール、哲学者・作家(* 1694年)
1863年(文久3年4月13日) - 清河八郎、壬生浪士隊結成者(* 1830年)
1877年 - 淵辺群平、西南戦争薩摩軍鵬翼隊大隊長(* 1840年)
1907年 - オットマール・アンシュッツ、写真家(* 1846年)
1912年 - ウィルバー・ライト、ライト兄弟の兄(* 1867年)
1918年 - ゲオルギー・プレハーノフ、ロシアの社会主義者(* 1856年)
1934年 - 東郷平八郎、日本海軍の元帥(* 1848年)
1941年 - ラーマ7世、タイ・チャクリー王朝第7代国王(* 1893年)
1947年 - ゲオルク・フォン・トラップ、オーストリア=ハンガリー帝国の海軍軍人(* 1880年)
1950年 - 3代目三遊亭歌笑、落語家(* 1917年)
1951年 - ヘルマン・ブロッホ、小説家(* 1886年)
1954年 - フリッツ・ロンドン、物理学者(* 1900年)
1960年 - ボリス・パステルナーク、小説家・詩人(* 1890年)
1961年 - ラファエル・トルヒーヨ、ドミニカ共和国大統領(* 1891年)
1964年 - レオ・シラード、物理学者(* 1898年)
1967年 - クロード・レインズ、俳優(* 1889年)
1971年 - マルセル・デュプレ、オルガニスト・作曲家(* 1886年)
1972年 - 奥平剛士、日本赤軍の活動家(* 1945年)
1976年 - 渕田美津雄、日本海軍の大佐(* 1902年)
1977年 - ポール・デスモンド、ジャズサックス奏者(* 1924年)
1978年 - 片山哲、日本の第46代内閣総理大臣(* 1887年)
1980年 - 天津乙女、宝塚歌劇団の劇団員(* 1905年)
1981年 - 柳井隆雄、脚本家(* 1902年)
1986年 - ハンク・モブレー、ジャズサックス奏者(* 1930年)
1987年 - 出羽ノ花國市、大相撲の力士(* 1909年)
1992年 - カール・カルステンス、第5代ドイツ連邦大統領(* 1914年)
1992年 - クレイグ・エルウッド、建築家(* 1922年)
1992年 - 井上光晴、小説家(* 1926年)
1994年 - エズラ・タフト・ベンソン、末日聖徒イエス・キリスト教会大管長(* 1899年)
1994年 - フアン・カルロス・オネッティ、小説家(* 1909年)
1994年 - 真田重蔵、プロ野球選手(* 1923年)
2000年 - 井上大輔、ミュージシャン(* 1941年)
2002年 - 竹本孫一、日本の民社党衆議院議員(* 1906年)
2003年 - ミッキー・モスト、音楽プロデューサー(* 1938年)
2005年 - 貴ノ花利彰、大相撲力士・日本相撲協会事業部長・花田勝、貴乃花光司の父(* 1950年)
2006年 - 今村昌平、映画監督(* 1926年)
2007年 - ジャン=クロード・ブリアリ、俳優(* 1933年)
2008年 - ボリス・シャハリン、体操選手(* 1932年)

記念日・年中行事

消費者の日(日本)

ごみゼロの日

東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年5月31日(日曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年5月31日(日曜日)

平成21年の「6月」に。

なります。

平成21年の。

今年の「春」はおわりました。

「春」の「3月」「4月」「5月」が。

おわり。

「夏」の「6月」になりました。

とてもとても。

とても。

早朝「あかるい日々」が。

続いています。

「夏」の「6月」です。

「夏」がきた。

「なつ」がきた。

どこに来た。

「山」にきて。

「里」にきて。

「野」にきて。

「夏」が「まち」にやってきた。

今年の「冬」・から「春」は予期せぬ

インフルエンザ*の

大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。

薬事法の「能書」にあるとおり

「正規の」

「2回法によるインフルエンザワクチン」の

予防接種をおすすめいたします。

常時いつでも接種可能です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

昨年の。
冬間近くの。
さらなる前に。

「晩秋」>のころ。

「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」の。
花の蕾が淡い黄金色にかがやいて。
が見えてから「10日間」で。
花は去りました。
黄金色のじゅうたんが毛氈(もうせん)ように。
地面「金色」に広がりました。

「昨年」の。
「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」に続いて。
「銀木犀:きんもくせい」もプラチナ色の
花が咲き始めました。

「昨年」の。
「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」のあとを追って。
「銀木犀:きんもくせい」の花は去り。
地面に「プラチナ」が一面に広がっていました。

「夏」の「6月」

今は私の「大好き」な。

「夏の花」の

の「蕾(つぼみ)」と。

「わかば」と。

「花」のふくらむ季節。

そして「木々の若葉」の季節。

「夏の花」と「みどりの若葉」

「みどり」「若草いろ」の季節になりました。

私の「大好き」な草の「わかば」。

「すみれ」や「たんぽぽ」の。

若葉の美しい季節になりました。

そしていろいろな。

「夏」の木々の花ひらき咲く季節。

花(はな)と若葉(わかば)と。

若草(わかくさ)の。

ワルツの季節になりました。

発花 発若葉

山本クリニックの庭園は。

大昔は。

雑木林であったのです。

「野生」の。

「やまぶき」や。

「やぶつばき」や。

「季節の花さく木々」が。

とても沢山。

群生してはえています。

日々の毎日にどんどんと。

みるみるうちに。

「夏の花」が。

つぼみや「花」を大きくしています。

けれども「夏の花」は。

蕾が大きくなったそのよるには。

花咲き。

暗い寒い朝にちっていることが。

すくなくありません。

なつ花は

ぬばたまの

暗き闇夜に

なつ嵐の

風に弓射られて

花ぞ舞い散る

なつはなは

ぬばたまの

くらきやみよに

なつかせの

かせにいられて

はなそまいちる

「夏の花」は。
早朝には「白鷺の羽」
のように地面に
舞い降ちています。

昨年の。
「晩秋」
「木犀:もくせい」の花の
「芳香」は蕾のみえるまえから
あります。
花が去ったあとは
「あっというまに芳香が消えます」。

「晩秋」の
「木犀:もくせい」たちのかおりがさり。

「春」がすぎて。

「6月」。

わかばとともに。

つぼみを日々。

大きくしている。

「夏の花」や。

「みかん」と「からたち」

の花咲く季節。

「夏」の「6月」。

そして。

「夏の花」や。

「みかんのはな」

をみまもるのは。

「みかんの木」の。

まだなっやままの。

昨年の

「丸いみかん」の

「丸い群れ」。

「丸いみかん」は。

「丸くたわわに実り」。

まるで。

「ぶどうのふさ」のようです。

お互いに。

「はなことば」で話しをしているに

ちがいありません。

私は山茶花(さざんか)よりは。
「やぶつばき」がずっとすきです。

山本クリニックの庭園には。
いずれも。
野生の「やぶつばき」と
野生の「山茶花(さざんか)」ばかりです。
野生の「すみれ」も珍しい品種がはえています。

堂々たる。

「夏かぜ」と「夏吹雪:なつふぶき」

が吹いています。

「夏」になりました。

「夏」のはじまりです。

「のどか」でよいです。

「夏」がふかまり。

「もっと深い「夏」」の。

トンネルをこえれば。

そこは「里山の「夏」」です。

「夏吹雪:なつふぶき」は

遠くの蒸気機関車の鳴き声のように

聞こえます。

また次に「夏から先」への。

「トンネル」があることも

わかります。

夏樹の妖精の吹くフルート

のよう。

そして。

「夏吹雪:はるふぶき」をなだめるように。

「樹木の穂先」が舞います。

「樹木の穂先」のほうが「役者」は上。

「夏吹雪」は突如(とつじょ)天から舞い降り

ます。

「夏」の陽射しはまばゆいサマーグライト。

ひかりのかがやく「夏」になりました。

きょうは。
とてもとても寒い。

「夏吹雪:なつふぶき」の声は

「夏かぜ」のふく音は。

「夏」の女神たちの。

笛ふく。

なつかぜのワルツ。

わかばのエチュード。

なつは。

いまこそ。

モデラート・マ・ノン・トロッポ。

そしてメゾフオルテです。

最近は
朝くらい早朝には「星がみえます」。
「明けの明星」の金星が南の空に高くみえます。

病院の明かりが灯り暗闇のなか。
朝はやく。

「明けの明星」の金星に「おはよう」を
毎日こえで「御挨拶」を伝えます。
「明けの明星」の金星から「おはよう」と
返事がかえってくる声をききながら。
病院の明かりをともします。
まだ真っ暗なのですが。

夏場の早朝のくらい時には。
明星はみえずらかった。
季節が「冬から「春」へとあゆみ」。
いよいよ。
大気が「澄んできた」ということでしょう。

夏霧雨(なつきりさめ)の。

夏霞(なつかすみ)の大気。

「夏吹雪:なつふぶき」の「音」。

「ろうろう」「こうこう」

「夏かぜ」の鳴き声

「ろうろう」「こうこう」

「夏吹雪:なつふぶき」の。

鳴き声とともに。

「夏一番」の「夏のしらべ」が。

あわせきこえます。

「どれみふあ」「そらしど」

朝暗く寒いいうちの「なつかぜ」の合唱は。

「夏」の「ふうりん」のようです。

あれ沢山の「ふうりん」かな。

「夏」の「ふうりん」の音色です。

「ろうろう」。

さやかにやさくも「あたたかい音」です

「こうこう」

わびわびと。

「蜜蜂をもよんでいる音」です。

「蜜蜂」のはぜる元気な「音」から

「夏」のおとずれが。

わかります。

「わかば」のおとずれが。

わかります。

「ススキの穂先」は
そぞろに「夏」の今年の芽栄え。

そして「夏」の旅愁すら
をも感じさせます。

ススキの茎の「穂先」には。

「「夏」ふくろう」が。

何匹も集ってつどい。

何匹ものふくろうが。

皆で何かを真剣に。

考えているように。

みえます。

「夏」がくれば。
「緑葉いずる「夏すすき」」。

「ススキの穂先」は。

「しあわせと幸福を手招き」

している

何本もの「手」のように。

みえます。

エドヴァルド・ムンク:Edvard Munch

の「夏」の絵画のようです。

私も「日々を旅ゆく人間」です。

奥の細道の序文に松尾芭蕉が。

「月日は百代の過客(ひゃくたいのかかく)
にして行かふ年も又旅人也。」

「つきはひゃくたいのかかくにして
いきかふとしもまたたひひとなり」

とかたり。詠みました。

私は

「日々の月日」に。

道連れをさせていただき。

「時」を旅をする

「旅人(たびびと)」

のひとりです。

「日々月日の旅のつれあい」は。

私には。

「きょう」と。「あす」しか。

いません。

「きょう」と。「あす」しか。

私にはありません。

朝くらいとき。
陽の出の直後は。
いつも一瞬は晴れています。
いまだ かすかにも。
のこる「夏」の気配
であるけれども。

あきらかに。
そしてしっかりと。
しのびよるもっともっと奥の。
深く深まる「夏のおとづれ」からの大気。

もっと。
「あたたかい「夏」」の気配が。
「確かに」。
そして明らかに。
そして輪郭もはっきりと。

感じられるようになりました。

「6月」。

もう「夏」です。

そして「緑の若葉」の「6月」

をむかえました。

はやいものです。
速いものです。
早いものです。

街路樹もそうそうたる
羽振りの木々から
「はじまりゆく「夏」の樹木」にうつろうように
変化しています。

「夏」。
「樹木の若葉の芽生え」があることに
気がつきました。

春の芽吹くときには。
街路樹のポプラも
幹や枝葉の穂先が。
ろうそくのともしびのように。
「炎の様」になっています。
あたかも
ゴッホの描いた「夜の糸杉」のように。
夏の早朝にみえます。

夏になり。
この「穂先」が一気に「ポプラの葉」へと
扇・おおぎのごとく開きました。

フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「夜の糸杉」から。
フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「ひまわり」
のように。
一斉に開きます。
8月にはいってからのことです。

10月そして11月。

今は「晩冬」の「2月」がおわり。

「春」の「3月」「4月」「5月」がおわり。
「夏」の「5月」。

今現在は落ち着いた「夏」の葉木。
「夏」の木々の「葉」
へと。
そしてふかまる「夏」の木々の「幹:みき」へと。

ふかまる「みのりの夏」にむけて。
「あつく」うつろいています。

ポプラも。つばきもくすのきも。
レースのハンカチをふるように
「「夏」のわかば」の「めばえ」がみえます。
窓越しにもみえます。

今は「「夏」のわかば」の「めばえ」は
とても大きくなりました。
「夏」の「めばえ」のひろがりです。

「冬がくると」。
空と木枯らしのかなでる「蛍の光」や
「冬のコンチエルト」にあわせるように。

ポプラの葉や芽葉は。
ハンカチのようにふわふわと。
ふわふわと。
「穂先から葉葉」は「舞い振りまがら」
ハンカチは木を去っていきました。

樹木のハンカチは。
大地を訪ねて飛翔し。
大地にまいおり大地にもどります。
そして大地となります。

そして。
ポプラの葉や芽葉が。
ハンカチのようにふわふわと。
ふわふわと。
「穂先から葉葉」は「舞い振りまがら」
木を去っていく光景は。
あたかも。

「夜の魔法」「夜のガスパール」

のようです。

「花の去った枝」には。
もう「「夏」の若芽のめばえ」
が。
「夏葉」がみえます。

木々の「葉」が「枝や幹」を
「保護する役割をしている」
ことに気づきました。

4月の桜の花の時期とうってかわり
桜の木の公園
の桜の木々が。
夏になりとても獰猛な気配を放つ。
初めて気がつきました。

「晩冬」の「2月」がおわり
「春」になり「3月」「4月「5月」がおわり。
「夏」の「6月」になりました。

「さくら」は春の濃い緑の樹肌になり。
やさしさとおだやかさ
が感じられます。

そしていつしか
幹先に若葉色の葉をもまじえています。
しだいにしだいに。
紅黄色の花が消え若葉にかわりつついくことに
きがつきます。

さくらから。
さくらはのきぬずれのおとが。
きこえるころ
です。

桜の樹木も「丸くなりました」。
桜の樹木も毎年毎年と毎日毎日。
「旅(たび)をしている」のでしょう。

朝陽をあびる落葉樹は
「すべてがあざやかな黄金色」に
かがやきます。
朝陽をしっかりと。
「いうにいわれぬ美しい絵のごとく」
受け止めています。

「「夏」の朝陽」は真東に大変鋭いことに
気づきました。
眩しいです。

今はまぶしい「夏」の「あさひ」です。

するどい「あたたかいろ」がかんじられます。

春は別として。
桜の木は木の下で。
夏は心安らかに。
「休める木ではないなあ」
と思います。
昨年は
秋になり
桜の樹木も安堵の葉色
になりました。
ちょっとばかりびっくり致しました。

枝や幹からは秋の陽の木漏れ日がみえます。

夏桜の木は獰猛なほど葉をおいしげらせ
ていました。
夏には
桜の木の下で木陰で。心安らかにやすもうという
気はおきません。

いまは「春」から「夏」になりました。
そよかぜに揺れる残り葉は
招き誘われるような気すら致します。

「夏」になり幹にはもう「花は散る」。
ちったあと枝の根元には。
「夏のわかば芽栄え(めばえ)」
若葉がみえます。

けれども
やはり夏桜の木は

シューベルトの歌曲の旋律にある「菩提樹」
ではないのです。

冬の桜木(さくらぎ)。

冬になり

人生に果てて(はてて)

なれるが如く桜樹木はかわりました。

良い木になってきました。

素敵(すてき)です。

冬の桜木(さくらぎ)。

「春」の桜木(さくらぎ)。

「夏」の桜木(さくらぎ)。

木々でも。
いちょうや。松や。杉などの針葉樹
は。またソテツなどは。
「古い時代の木」です。

「チャールズ・ダーウィンの進化論」からは
「針葉樹」から。
「常緑樹」「広葉樹」「落葉樹」にと。
「進化」しているはずです。

「原始的」な樹木ほど。
「硬い幹」です。
例外はありません。

硬ければ。
幹は硬ければ動物に
「かじられる」ことはないでしょう。

いにしえの古代の時代にも。

恐竜をはじめめとする
「大型」の草食動物にも。

かたければかじられることは
なかったでしょう。

街並みを彩る街路樹には「落葉植物」が多いです。

ふと。考える。

街路樹が「松や杉」のように。
「冬も葉を持つ針葉の常緑樹」では。

冬はうっそうとして道端では
やさしい暖かな陽射しをかくしてしまう。

夏場は枝ぶり葉っぱぶりからつよすぎる日の光は
さえぎれません。
そして
「秋」の「夕焼け陽」には。
「金色のちいさき鳥の形して」
秋の夕焼けの陽射しに舞うこともできません。

常緑樹の針葉樹では。
は四季のリズムをつたえる

北大路魯山人のかたる

ことば。

「ざっくり感(ざっくりかん)」

が。

ありません。

木々の夏の萌黄が早朝暗い中でも
うかびあがります。
私はくすのきが「大好き」な「木」の
ひとつです。
ポプラも好きです。
イチョウもすきです。
モミジもすきです。
カエデもすきです。
松や杉もすきです。
月桂樹やシナモンもすきです。
オリーブもすきです。
オレンジの木もすきです。
「そてつ」の木もすきです。
ツバキもすきです。
ソテツもすきです。
南天もすきです。
木や植物がすきです。

木々の穂先は毛氈(もうせん)
のようにあざやかな夏の萌黄色です。
まるで大きな深い山の森のうねりのようです。
今年は木々のわかばの秋のめばえが非常に鮮か
です。
木々は「春樹」の役目をおわりました。
「夏木」とかわろうとしています。
「夏木」とかわりました。

街角の雑草も花は咲きはじめ。
「夏の花」の姿となりそして「夏」を迎える。
「ほとけの座」や「はこべ」が
「かたばみ」や「いたどり」が
ますます姿を大きくして。

そして「すすき」もくわわりました。

冬草から春草へ。
そして気がはやく。
夏草へのたたずまいをしている草もある。
そしてもうすっかり夏草へと黄金色に転した
街角には雑草もあります。
こがねいろ。

雑草も。
同じく花をさかせ自ら種をとばし
夏葉がみえる。
そして秋を迎える。
冬が来て。木枯らしに吹かれ。
雪をかむり。そして。
春がくる。
そしてまた夏。

そして今は。

「夏」。

ツツジは潅木。

ツツジの花の葉の優しさには

あらためてびっくりしました。

黄緑・草色のビロードです。

のぞきこむと若葉はまだ沢山ある。

何故か得をしたように思えました。

そして雨にうたれて

そのまま地に落ちた

ツツジの若葉は

幾何学的に裏側を下にむけて

逆さじょうごのように

落下していることに

気がつきました。

まるで。

「若草色」のきのこが。

沢山はえているようです。

木から落ちても。
まだ「若葉」です。ふと。
ヴェルディの「椿姫」「La Traviata」
の「つばき」を思い出しました。

1852年パリに滞在したヴェルディは
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)
の戯曲版『椿姫』の上演を見て感激し
ました。
そのころ新作の作曲依頼を受けていた
ヴェネツィアのフェニーチェ劇場のために。
翌1853年初めに比較的短時間で作曲された
『椿姫 』(La Dame aux camelias、1848年出版)
は。
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)が
実際の体験を基にして書いた長編小説。
主人公のモデルはかつて作者が交際をしていた
マリー・デュプレシという高級娼婦。
恋人アルマンのイニシャルである
『AD』は
小デュマのイニシャルと同じです。

この作品は人々に愛されて幾度も舞台、映画化され
続けてきました。

朝暗いうちは。

とても。

はださむいです。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックには。
孟宗竹のたけやぶ
があります。
竹はせがたかいから。

クリニック館内からはすこし離れた所にある。
はなれていても。
とおくからもみえます。

山本クリニックには。
検見川の落合遺跡の遺跡発掘の際に
みつかった「古代のハスの種子」から。

2000年ぶりに発芽したことで有名な。
「古代蓮(ハス)」があります*。
【大賀ハス:おおがはす】です。
「有名な古代ハス」です。
とても勇壮なハスで。
花のいろはとてもあまりにも美しく。
たとえ様もありません。

ハスの花がさき。
「「蓮(ハス)」の実」になりました。
「はすの実」も「はす」の葉も。
2mくらい水面から高いところに
あります。

睡蓮(すいれん)があります。
睡蓮(すいれん)は「葉」が水に浮び。
はのきれこみは羊の足のようです。
睡蓮(すいれん)を「ひつじぐさ」とは
なるほどと考える。
睡蓮(すいれん)の茎の長さには
おどろかされます。

「姫睡蓮(ひめすいれん)」でさえも。
池はばが長ければ四方八方に「水の中の枝」。

「モネ」の描いた睡蓮(すいれん)の
「水の中の枝」は「どれほど長いのだろう」。

睡蓮(すいれん)も「太古の時代」に
陸の動物に「かじられないように」
水中に「逃げ込んだ」のでしょう。

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大賀ハス(オオガハス、おおがはす)とは。
1951年(昭和26年)、千葉県千葉市検見川
(現・千葉市花見川区朝日ケ丘町)にある
東京大学検見川厚生農場
(現・東京大学検見川総合運動場)の
落合遺跡で発掘された
今から2000年以上前の古代のハスの実から
発芽・開花したハス(古代ハス)のことです。

戦時中に東京都は燃料不足を補うために
花見川下流の湿地帯に豊富な草炭が埋蔵されていた
「草炭」を採掘していました。

採掘は戦後も継続して行われていました。
1947年(昭和22年)7月28日に作業員が採掘現場でたまたま
1隻の丸木舟と6本の櫂を掘り出しました。

その調査によりもう2隻の丸木舟と
ハスの果托などが発掘されました。

「縄文時代の船だまり」であったと
推測され落合遺跡と呼ばれました。

植物学者でハスの権威者でもある大賀一郎博士
(当時・関東学院大学非常勤講師)が
発掘品の中にハスの果托があることを知り。
1951年(昭和26年)3月ボランティアの協力
を得てこの遺跡の発掘調査を行いました。

翌日で打ち切りという
30日の夕刻になって花園中学校の女子生徒により
地下約6mの泥炭層からハスの実1粒が発掘され予定を延長し
4月6日に2粒、計3粒のハスの実が発掘されました。

大賀博士は5月上旬から発掘された
3粒のハスの実の発芽育成を試みるも2粒は失敗に終わりました。
だが1951年3月30日に出土した1粒が育成に成功致しました。

翌年の1952年(昭和27年)7月18日にピンク色の大輪を咲かせました。
このニュースは国内外に報道されて多いな「驚愕」を与えました。
同年11月17日付米国ライフ誌に「世界最古の花・生命の復活」
として掲載され博士の姓を採って「大賀ハス」と命名されました。

シカゴ大学のリピー博士らによって放射性炭素年代測定が行われました。
ハスの実は今から2000年前の弥生時代以前のものであると推定された。

この古代ハスは、
1954年(昭和29年)6月8日に「検見川の大賀蓮」として
千葉県の天然記念物に指定されました。
また1993年(平成5年)4月29日には千葉市の花として制定され、
現在日本各地は元より世界各国へ根分けされ、
友好親善と平和のシンボルとしてその一端を担っています。

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ふと「パンの神」を思い出しました。
(「牧神パン(Pan)」=「Pan」=「パン」=
「飯(はん)」=「全般の般」=「パンアメリカンのパン」=

「パン」「pan」は「すべて」という意味の
古代ギリシャ語そして「サンスクリット」も同じ。

古典ギリシア語 Παν、Pan「パンの神」は。
幼少時からゼウスから他の神々全て*に好かれたので
(古代ギリシャ語でTheophilusテオフイルス/ラテン語では
amadeus アマデウス**)
「パン」と名づけられました。

「頭は人間で胴体は山羊」です。

「テュホン:テューホーン:Τυφών: Typhon」
ギリシア神話に登場する魔神***。
に追いかけられ
あわてて身を守るため川に飛び込み「頭は人間で胴体は人魚」
に変身したために。

「パニック」=「panic:パン的」
という言葉が生まれました。

星座に「山羊座」という星座があります。

山羊座は不思議ですが
「あわてて身を守るため川に飛び込み
「頭は人間で胴体は人魚」」
に変身した「パンの神」を示しています。
山羊ではありません。

むしろ正確には人魚です。

だから。
「山羊座」という「意味」はわかります。
けれども「命名」の観点から。
「山羊座」というのはかなり「妙」な気が致します。
「人魚座」というのが正しい。

 


名称「パンの神」の由来は「ギリシャ神話」でも
非常に多くの「言い伝え」がいくつがあります。
その「言い伝えの数」に正比例して「混乱」があります。

**
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの
「アマデウス」とは「パンの神」のことです。
(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの
ヴォルフガングは「おおかみが行く」という意味です。
よって
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは

「狼のように歩み神に愛されたモーツアルト」
ということになります)

***
「テュホン:テューホーン:Τυφών: Typhon」は
「台風:たいふう」と日本語では名前を変えています。

****
タイフーン級原子力潜水艦は
旧ソ連・ロシアの941型(プロジェクト941)
戦略ミサイル搭載原子力潜水艦のことです。
タイフーンはそれに付けられたNATOコードネームですが
この名称は日本の「台風」とは「直接関係」はありません。

日曜の

朝晴れて

はじめて気づく

にわの小ささ

にちようの

あさはれて

はじめてきづく

にわのちいささ

朝晴れて

にわの小さき

気づかぬときは

病(やまい)なりけり

日曜の朝

あさはれて

にわのちいさき

きづかぬときは

やまひなりけり

にちようのあさ

葉がつきて。

物心もつく

桜かな

はがつきて

ものこころもつく

さくらかな

休診日ですが。
早朝に朝まだ暗いうちから
首都高を走って病院に到着致します。

空はきらきらのラピス・ラズリの
紺碧のジュースから
ミルク色のはいった
トルコ石の「プリン」に変わるように変化
していきます。

遠くにぽかぽか浮ぶ「雲々」は
トルコ石の「プリン」の上の「クリーム」の
ようです。
にわのあじさいは「アイスクリーム」
のようです。

夏きらきらラピス・ラズリの空(そら)
夏紺碧のカクテルいろの空(そら)
夏ミルクをそそそいだ空(そら)
夏トルコいしのプリンの空(そら)
夏はるかにとほくたかい空(そら)
夏ほかほか浮ぶ雲々(くもぐも)そら
夏プリンの上のクリームのような空(そら)
夏睡蓮(すいれん)の水面に空(そら)
夏睡蓮(すいれん)のうえに空(そら)
夏空(そら)の向こうにまた空(そら)
夏空(そら)そのまたむこうにももっと大きな空(そら)

春のうららのこもれびに

緑木いらかをかぜはやみ

青風ひるむやうつろひの

四季のつきひははやいくとせ

夏のうららのこもれびに

緑木いらかのつねなりて

赤き空(そら)にて炎えたたむ

四季のつきひははやいくとせ

秋のうららのこもれびに

緑木いらかにかぜさやか

秋風かたれるやすらきの

四季のつきひははやいくとせ

冬のうららのこもれびに

緑木いらかにかぜつよし

冬風弓(ゆみ)射る木枯らしの

四季のつきひははやいくとせ

日々のうららのこもれびに

祈想い(おもい)のいらかにかぜつよし

生きる力に祈りはせ

四季のつきひははやいくとせ

やまひのとまやのこもれびに

祈願りの(いのり)のいらかにかぜさみし

やみいるこころに力(ちから)はせ

四季のつきひははやいくとせ

いづるわかばのこもれびに

ひかりのいらかにかぜやさし

おもふこころに瞑想(おもひ)のせ

四季のつきひははやいくとせ

やさしくかたるるこもれびに

あさひのいらかにかぜさむし

ゆれるからだに意思(こころ)つみ

四季のつきひははやいくとせ

かわるるつきひのこもれびに

かたりのいらかにあめさみし

うたれしからだに決意(さだめ)おい

四季のつきひははやいくとせ

夏椎木(しいのき)は枝高し
夏そらに吼える若葉の穂束
夏そらに吼える蒼き獅子のごとし
夏天にも地にもみどりはさける
夏のあさふかまりて
夏陽の光ゆたかなりけり
夏いふことのなし
夏いふことがなし
夏いふことはなし
夏いふこともなし
夏ゆたかなるかな夏

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成21年1月12日(月曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

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平成21年2月11日(水曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の御予約の。
患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
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平成21年3月20日(金曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の御予約の。
患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

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平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

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平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

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★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。
インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がきます。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著であろうと推察されます。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」
であることを懸念しています。
そして気候の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表される。
ウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。
「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。

不世出の大天才数学者
彼の創始した「数学理論群論」によって。
後の。
アルベルト・アインシュタインの相対性理論、
ヴェルナー・ハイゼンベルクらの量子力学、距離空間、
ベルンハルト・リーマンのリーマン幾何学などの
現代物理学が初めて可能となった
大天才数学者。

現代数学の扉を開くとともに。
20世紀科学のあらゆる分野に絶大な影響を与えた
20歳で人生をおえた数学者。

1832年 - フランスの
数学者ガロアが、恋愛を巡る決闘で死亡
された日です。没年20歳でした。

++++++++++++++++++++++

エヴァリスト・ガロアエヴァリスト・ガロア
:Evariste Galoisは。
ガロアは1811年、パリ郊外の町ブール・ラ・レーヌ
(「女王の町」の意)に生まれました。

父ニコラ・ガブリエル・ガロアは当時公立学校の校長。
のちに町長に任命されました。

社交的な性格であり、
即興で詩を作ることが得意だったということです。

母アデライド・マリ・ドマントは
親族が法学と古典の教授が多かったこともあり。
教養の深い人物でありました。
また
2歳上の姉ナタリー・テオドール(後のシャントロー夫人)、
3歳年下の弟アルフレッドがいて、
この5人家族は明るい家庭を築いていたようです。

エヴァリストは12歳までは母親の元で教育を受けていました。

1823年からは寄宿制でパリの名門リセである
ルイ・ル・グラン校に入学致しました。

++++++++++++++++++++++

エヴァリスト・ガロアエヴァリスト・ガロア
:Evariste Galois, 1811年10月25日 -
1832年5月31日)は、フランスの数学者および革命家です。

より発音に忠実にガロワと書かれることもあります。

++++++++++++++++++++++

エヴァリスト・ガロアエヴァリスト・ガロア
:Evariste Galois
は。

ガロア理論の構成要素である体論や群論の
先見的な研究を行った数学者です。

彼は。
ガロア理論を使って、ニールス・アーベルによる
「五次以上の方程式には一般的な代数的解の公式がない」
という定理の証明を大幅に簡略化致しました。

また、より一般にどんな場合に。
与えられた
方程式が代数的な解の表示を持つかについての
特徴付けをも与えました。

++++++++++++++++++++++

エヴァリスト・ガロアエヴァリスト・ガロア
:Evariste Galoisの。

ガロア理論に端を発する考え方は。

現在では抽象代数学、疑似乱数列(PN)、
誤り訂正コーディングなど。
数学、物理学、コンピュータなどの
あらゆる分野にあらわれています。

また、
彼の創始した数学理論群論によって。

アルベルト・アインシュタインの相対性理論、
ヴェルナー・ハイゼンベルクらの量子力学、距離空間、
ベルンハルト・リーマンのリーマン幾何学などの
現代物理学が初めて可能とないました。

++++++++++++++++++++++

エヴァリスト・ガロアエヴァリスト・ガロア
:Evariste Galois
の。

このように代数学で重要な役割を果たすガロア理論は。

現代数学の扉を開くとともに。
20世紀科学のあらゆる分野に絶大な影響を与えています。

しかし、ガロアの業績の真実と重要性、先見性は
当時世界最高のレベルにあった
パリ科学アカデミーや数学王と呼ばれた
カール・フリードリヒ・ガウスにさえ
理解できませんでした。

生前に評価されることはなかったのです。

++++++++++++++++++++++

エヴァリスト・ガロアエヴァリスト・ガロア
:Evariste Galoisの。

ガロアの遺書には。

後の数学者達にとって永年の研究対象となる
理論に対する着想が
「僕にはもう時間が無い」
という言葉と共に書き綴られています。

例えば代数的には解けない
五次以上の方程式の解を与える
楕円モジュラー関数による
超越的解の公式の存在を予言致しました。

そのアイデアを記しています。

なおこの手法は彼の死後50年の時を経て
シャルル・エルミートによって確立されました。

++++++++++++++++++++++

エヴァリスト・ガロアエヴァリスト・ガロア
:Evariste Galoisは。
サント・ペラジー刑務所において。

かつてポアソンに送った論文が
「説明不十分で理解できないから、
もっとわかりやすく書き直して欲しい」
というポアソンの返事と共に
ガロアに返却されました。

加えて。
刑務所内でガロアは他の囚人から虐められ。
飲酒を強要されることもあったことなどが。

同時期に獄中にいた
薬学者のフランソア・ヴァンサン・ラスパイユ
の獄中記に記されています。

また、姉ナタリーや弟アルフレッドは何度かガロアの元へ
面会に訪れているが、1
2月付けのナタリーの日記にはガロアがひどく不健康で老
け込んだ様子が記されています。

また、同じ共和主義者のオーギュスト・シュヴァリエも
何度も面会に訪れ、友情を深めていたようです。

++++++++++++++++++++++

エヴァリスト・ガロアエヴァリスト・ガロア
:Evariste Galoisは。

この年の暮れよりパリ市内でコレラが流行し、
ガロアは刑期を1ヶ月残して1832年3月16日、
監獄から数百メートル離れたフォートリエ療養所へ
仮出所致しました。

その後そこで失恋を経験したようで、
5月25日には絶望に打ちひしがれた心境を綴った手紙を
シュヴァリエに送っています。

++++++++++++++++++++++

エヴァリスト・ガロアエヴァリスト・ガロア
:Evariste Galois
は。
そして29日夜から30日未明にかけて、
「つまらない色女」に引っかかって
愛国者に決闘を申し込まれたために別れを告げる旨の
共和主義者への2通の手紙、

およびポアソンから返却された論文の添削や
シュヴァリエにへの数学的な発想(ガロア理論の
「原始的方程式」への応用や楕円関数に関する
モジュラー方程式の考察、
リーマン面理論の超越関数理論への応用)
を断片的に書いた手紙を、

「時間がない」
と走り書きしつつ大急ぎでしたためています。

++++++++++++++++++++++

30日早朝
近くの沼の付近で決闘は行われました。

その結果ガロアは負傷し、その場で放置され、
午前9時になって近くの農夫によって
コシャン病院に運ばれました。

ガロアが牧師の立会いを拒否した後
しばらくして弟アルフレッドが病院に駆けつけました。

弟の涙ぐむ姿をみてガロアはこう言ったという。

Ne pleure pas, j'ai besoin de tout mon courage pour mourir a vingt ans!
泣かないでくれ。
二十歳で死ぬのには、相当の勇気が要るのだから。

それが最後の言葉となり、夕方には腹膜炎を起こし、
31日午前10時に息を引き取りました。彼

の葬儀は6月2日にモンパルナスの共同墓地で行われ、
2000〜3000人の共和主義者が集まり、
「民衆の友の会」の2人の会員が弔辞を読み上げました。

現在その墓地は跡形も残っていません。

++++++++++++++++++++++

エヴァリスト・ガロアエヴァリスト・ガロア
:Evariste Galoisの
死後の動き 。

ガロアの死後、シュヴァリエは遺書に従って
1832年に
「百科評論雑誌」(Revue encyclopedique)に
「死者小伝」(Necrologie)と題したガロアの論文等を掲載し、
彼の弟アルフレッドと共に
カール・フリードリヒ・ガウスや
カール・グスタフ・ヤコブ・ヤコビなどへ
論文の写しを送ったようだが、
当初は誰も理解できるものはいなかったようです。

++++++++++++++++++++++

しかし、何らかのきっかけでその写しが
1843年頃にジョセフ・リューヴィユの手元に渡りました。
リューヴィユはこの論文を理解しようと努め、
ついに1846年に自身が編集する
「純粋・応用数学雑誌」(Journal de mathematique pures et appliquees)
に掲載されました。

その際、ガロアが生前認められなかった理由を、
簡潔にまとめようという意識が過剰であり、
明快さに欠けたためと分析しています。

さらに1870年にカミーユ・ジョルダンが著した
「置換論」
(Traite des substitutions et des equations algebrique)
によって。
ガロアの理論は確立されました。

1897年には、エミール・ピカールの序文付きで
リューヴィユの編集した
「ガロア全集」が刊行されています。

++++++++++++++++++++++

なお、シュヴァリエが1832年に
「百科評論雑誌」に寄せた記述によれば。

ガロアのノートには以下の詩が残されていたという。
ただしレオポルト・インフェルトはこの詩が書かれた
ノートを探し出すことは出来ず、
本当にガロアがこの詩を書いたかは不明である。

L'eternel cypres m'environne:
Plus pale que le pale automne,
Je m'incline vers le tombeau.

果てしない糸杉の列が私を取り囲む
色あせた秋よりもなお青ざめて
私は自らを墓場へと追いやる

++++++++++++++++++++++

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エヴァリスト・ガロア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

エヴァリスト・ガロアエヴァリスト・ガロア:Evariste Galois, 1811年10月25日 - 1832年5月31日)は、フランスの数学者および革命家。より発音に忠実にガロワと書かれることもある。

目次
1 数学的業績
2 生涯
2.1 誕生
2.2 ルイ・ル・グラン在籍時
2.3 師範学校時代
2.4 政治活動の激化
2.5 投獄と死
2.6 死後の動き
3 決闘
3.1 陰謀説
3.2 新資料の発見
4 参考資料
5 リンク

数学的業績 [
ガロア理論の構成要素である体論や群論の先見的な研究を行った数学者。彼はガロア理論を使って、ニールス・アーベルによる「五次以上の方程式には一般的な代数的解の公式がない」という定理の証明を大幅に簡略化し、また、より一般にどんな場合に与えられた方程式が代数的な解の表示を持つかについての特徴付けを与えた。

ガロア理論に端を発する考え方は現在では抽象代数学、疑似乱数列(PN)、誤り訂正コーディングなど、数学、物理学、コンピュータなどのあらゆる分野にあらわれており、また、彼の創始した数学理論群論によってアルベルト・アインシュタインの相対性理論、ヴェルナー・ハイゼンベルクらの量子力学、距離空間、ベルンハルト・リーマンのリーマン幾何学などの現代物理学が初めて可能となる。

このように代数学で重要な役割を果たすガロア理論は、現代数学の扉を開くとともに、20世紀科学のあらゆる分野に絶大な影響を与えている。 しかし、ガロアの業績の真実と重要性、先見性は当時世界最高のレベルにあったパリ科学アカデミーや数学王と呼ばれたカール・フリードリヒ・ガウスにさえ理解されず、生前に評価されることはなかった。

ガロアの遺書には後の数学者達にとって永年の研究対象となる理論に対する着想が「僕にはもう時間が無い」という言葉と共に書き綴られている。 例えば代数的には解けない五次以上の方程式の解を与える楕円モジュラー関数による超越的解の公式の存在を予言し、そのアイデアを記している。 なお、この手法は彼の死後50年の時を経てシャルル・エルミートによって確立される。

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++
5月31日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/5%E6%9C%8831%E6%97%A5

できごと
679年 - 吉野の盟約。
1832年 - フランスの数学者ガロアが、恋愛を巡る決闘で死亡。
1902年 - フェリーニヒング条約が締結される。ブーア戦争が終結し、トランスヴァール共和国・オレンジ自由国がイギリス植民地となる。
1910年 - イギリス自治領として南アフリカ連邦が成立する。
1916年 - 第一次世界大戦中のユトランド沖海戦。6月1日まで。
1918年 - プロコフィエフが米への亡命途上、日本上陸。
1948年 - 国際ペンクラブが日本の復帰を承認。
1956年 - 川上哲治が通算2000本安打を達成。
1959年 - バスク地方の分離独立を目指す急進的な民族組織であるETAが発足。
1961年 - 南アフリカがイギリス連邦を脱退、南アフリカ共和国となる。
1986年 - FIFAワールドカップメキシコ大会開幕。
1986年 - 北陸鉄道小松線がこの日限りで廃止。 
1991年 - ジュリアナ東京がオープン。
1995年 - 青島幸男東京都知事が世界都市博覧会の開催中止を表明。
1996年 - プリンセス・プリンセスが日本武道館ラスト公演で解散。
2001年 - W3CがXHTML1.1の仕様を勧告。
2002年 - FIFAワールドカップ? 韓国・日本大会が韓国・ソウルで開幕。6月30日まで。
2002年 - 京都議定書が日本の国会で承認。

誕生日
1469年 - マヌエル1世、ポルトガル王(+ 1521年)
1773年 - ルートヴィヒ・ティーク、ロマン主義作家(+ 1853年)
1814年(文化11年4月12日)- 鍋島直正(閑叟)、第10代佐賀藩主(+ 1871年)
1819年 - ウォルト・ホイットマン、詩人(+ 1892年)
1835年(天保6年5月5日) - 土方歳三、新撰組副長(+ 1869年)
1838年 - ヘンリー・シジウィック、哲学者・倫理学者(+ 1900年)
1913年 - コンスタンティン・シルヴェストリ、指揮者(+ 1969年)
1914年 - 伊福部昭、作曲家(+ 2006年)
1916年 - バーナード・ルイス、歴史家
1923年 - 井上梅次、映画監督
1923年 - レーニエ3世、モナコ大公(+ 2005年)
1926年 - 土屋義彦、政治家(+ 2008年)
1927年 - 蔵原惟繕、映画監督(+ 2002年)
1930年 - クリント・イーストウッド、俳優・映画監督
1936年 - 東八郎、コメディアン・タレント(+ 1988年)
1947年 - 五王四郎、声優
1948年 - ジョン・ボーナム、ドラマー(+ 1980年)
1955年 - トミー・エマニュエル、ギタリスト
1956年 - 榊原良子、声優
1956年 - 角富士夫、元プロ野球選手
1958年 - 生沢佑一、歌手
1961年 - リー・トンプソン、俳優
1962年 - 日髙のり子、声優
1963年 - 原野優、元野球選手
1965年 - 広岡由里子、女優
1965年 - ブルック・シールズ、女優
1965年 - 大門和彦、元プロ野球選手
1966年 - 白井孝幸、元プロ野球選手
1967年 - 田村明浩、ミュージシャン
1968年 - 鈴木京香、女優
1969年 - 大村巌、元プロ野球選手
1970年 - 村上誠一、元プロ野球選手
1970年 - 岡幸俊、元プロ野球選手
1970年 - 山之内健一、元プロ野球選手
1971年 - ホセ・マラベ、元プロ野球選手
1974年 - 有吉弘行、タレント・元猿岩石
1975年 - マック鈴木、元プロ野球選手
1976年 - コリン・ファレル、俳優
1977年 - 小泉豊、声優
1978年 - そのまんま美川、タレント
1979年 - 松岡洋子、テレビキャスター
1979年 - 内田太郎、ミュージシャン(カオマイルド)
1979年 - おぎたともこ、お笑い芸人
1980年 - 勝村美香、女優
1980年 - 斎藤恵美、ファッションモデル
1980年 - 松本博之、俳優
1981年 - ジェイク・ピービー、メジャーリーガー
1982年 - 加藤領健、プロ野球選手
1983年 - 野間口貴彦、プロ野球選手
1983年 - 宮西亜紗美、大食いタレント
1984年 - 土岐田麗子、ファッションモデル
1984年 - 瀬間仲ノルベルト、元プロ野球選手
1985年 - 杉原洋、元プロ野球選手
1986年 - ブルック・キャスティル、フィギュアスケート選手
1987年 - 春田剛、元プロ野球選手
1988年 - 松岡佑季、俳優
1989年 - 曺永哲、サッカー選手
1990年 - カトリーナ・ハッカー、フィギュアスケート選手
1991年 - 高瀬リエ、モデル
1996年 - 野口真緒、子役

忌日
1246年 - イザベラ、イングランド王ジョンの王妃(* 1188年)
1270年(文永7年5月10日)- 足利泰氏、鎌倉幕府の御家人(* 1216年)
1408年(応永15年5月6日) - 足利義満、室町幕府3代将軍(* 1358年)
1495年 - セシリー・ネヴィル、イングランド王エドワード4世とリチャード3世の母(* 1415年)
1594年 - ティントレット、画家(* 1518年)
1680年 - ヨアヒム・ネアンダー、カルヴァン派牧師・神学者(* 1650年)
1740年 - フリードリヒ・ヴィルヘルム1世、プロイセン王(* 1688年)
1797年(寛政9年5月6日)- 蔦屋重三郎、黄表紙・洒落本・浮世絵出版者(* 1750年)
1799年 - ピエール・シャルル・ルモニエ、天文学者(* 1715年)
1806年 - ジョージ・マカートニー、外交官・植民地行政官(* 1737年)
1809年 - フランツ・ヨセフ・ハイドン、作曲家(* 1732年)
1809年 - ジャン・ランヌ、ナポレオン戦争期のフランス軍元帥(* 1769年)
1832年 - エヴァリスト・ガロア、数学者(* 1811年)
1846年 - フィリップ・マールハイネッケ、神学者・哲学者(* 1780年)
1862年(文久2年5月3日)- 景山粛、医師・儒学者(* 1774年?)
1875年 - エリファス・レヴィ、魔術師(* 1810年)
1902年 - 3代目桂藤兵衛、落語家(* 1849年)
1919年 - 水野仙子、小説家(* 1888年)
1924年 - 2代目三遊亭円遊、落語家(* 1868年)
1927年 - 柳家つばめ (2代目)、落語家(* 1875年)
1933年 - C・K・ドージャー、西南学院創立者(* 1879年)
1945年 - レオニード・パステルナーク、画家(* 1862年)
1951年 - ヘルマン・ブロッホ、小説家・劇作家・評論家(* 1886年)
1953年 - ウラジーミル・タトリン、建築家・画家・彫刻家(* 1885年)
1954年 - ジョニー・キルベーン、プロボクサー(* 1889年)
1960年 - ヴァルター・フンク、ナチス・ドイツ経済相・国立銀行総裁(* 1890年)
1967年 - 佐藤寛次、農学者(* 1879年)
1970年 - テリー・ソーチャック、アイスホッケー選手(* 1929年)
1971年 - 山口蓬春、日本画家(* 1893年)
1974年 - 木村伊兵衛、写真家(* 1901年)
1978年 - ハンナ・ヘッヒ、ダダイスト(* 1889年)
1983年 - ジャック・デンプシー、プロボクサー(* 1895年)
1986年 - 西園寺不二男、元貴族院議員・実業家(* 1910年)
1986年 - レオ・ジェームス・レインウォーター、物理学者(* 1917年)
1988年 - 福永健司、第63代衆議院議長(* 1910年)
1990年 - 吉岡実、詩人(* 1919年)
1993年 - 佐橋滋、元通商産業省事務次官(* 1913年)
1993年 - 西条凡児、漫才師・漫談師(* 1914年)
2000年 - ティト・プエンテ、ラテン音楽のミュージシャン(* 1923年)
2005年 - 牧二郎、物理学者(* 1929年)
2006年 - レイモンド・デイビス、物理学者(* 1914年)
2008年 - ローゼンクロイツ、競走馬(* 2002年)
2008年 - ウガンダ・トラ、タレント・ドラマー、元ビジーフォー(* 1952年)

記念日・年中行事
世界禁煙デー
世界保健機関 (WHO) が1989年に制定。国際デーの一つ。
そばの日
ペンテコステ
キリスト教、2009年