東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年6月2日(火曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年6月2日(火曜日)

「晩冬」の「2月」はおわりました。

そして。

「春」の「3月「4月」「5月」がおわり。

「6月」になりました。

「初夏」です。

「夏」になりました。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

「昨年」
「9月」がおわわりました。
「10月」も終わりました。
「11月」もおわり。
「12月」で「冬」になりました。
「12月」がおわり。
「昨年」はおわりました。

「冬」も「年」を越しました。
「1月」がおわり。
「晩冬」の「2月」もおわりました。
「3月」「春」です。

「春」の。
「3月」「4月」「5月」はおわり。

「初夏」になりました。
「夏」です。

「6月」はしずかに。
しずかに。しずかに。

能の舞(のうのまい)の。

「おきなのあゆみ」のように。

そそとした「夏舞台」の上を。

さらにふかまりつつゆく

「初夏」の景色の舞台の上を。

あゆみつつあります。

能の舞(のうのまい)の。

「おきなのあゆみ」は

「初夏」の「6月」から。

さらにおくふかい「季節」

ふかい「夏」へと。

むかっています。

暗い朝の早朝に。
南の天に「明けの明星」が
輝いています。
闇夜の天高いかがやく惑星。

「明けの明星」金星に。
毎日「おはよう」のあいさつを
します。

「夏」の「6月」の。

早朝に。

はるか暗い早朝に「こおろぎ」の
かすかな。ひとりぼっちの。
鳴き声がきこえたような気が致しました。

けれどもそれは。

「季節風」の声。

毎朝の暗いうち「季節風」の「音色」は。
毎日違います。

「ろうろう」「こうこう」

耳をすませば。
「季節風」の鳴き声は。

「独唱」から次第に「合唱」に
なってゆきます。

そしてオーケストラの楽器の配列のように。
一風一かぜ(ひとかぜ)の
「季節風」の鳴いている場所も。
わかるように。なってきました。

「季節風」も

「夏」。
深い季節の「夏」
 にむけての。

ころもがえやひっこしをしている
ことがわかります。

「まつかぜ」に

「衣替え」して。そして。

また「衣替え」を。

するのでしょう。

「季節風」は。

「鳥」のように。

木々の上から電線のうえにやどるようです。

「季節風」は

「街路樹」にとまって。

「初夏」を過ごすのでしょう。

「夏」です。

夏の「季節風」のうたう季節

になりました。

「6月」に「夏至」がおわれば。

これから日々ゆっくりと

日は短くなります。

陽はひくくなります。

夜は長くなりはじめます。

これからは天上の太陽は。

いまは「初夏」。

そして。

「初夏」から「真夏」に向かいます。

あさは曇っていて。
さらに昼間でも「さむい」ことがある。
私がおきるまっくらな早朝は。
とてもとても。
とても寒いです。

雪国うまれの私はさむいのがつらい
です。

早朝「そら」をみあげれば。
晴れているはず。日差しもあるはず。

けれども空には
「雲がいっぱい」で「空はくもりそら」
です。
ふしぎな「初夏」のひざしです。

ふとかんがえれば・・。

そして「初夏」には。

「初夏」の「強い日差し」から。

「若芽」をまもり。

「真夏」の太陽から。さらなる恵みを。

「実る木の芽」にあたえる。

「空」こそは。

「ソフトフイルター」の役目を。

深い「夏」の「おぼろくもりそら」が。

しているようです。

自然とは。

とてもよくできたものです。

変幻自在であり

そして規則も正しい。

なおかつにして。

自由が自在。

春夏秋冬。

大気に漂う霞がごとし。

深い山の奥に住むという

仙人の心境(ここち)が。

よくわかる。

「夏」の街路樹もそうそうたる。
ふかまる冬の羽振りを。
まとう木々に姿になってきました。

街路樹は「落葉樹」がよいです。

街路樹が「松や杉」のような。
「常緑樹」では
冬はうっそうとして
陽の光をえられない。

夏場は枝ぶり葉っぱから陽の光を
さえぎれない。

晩秋も「針葉樹の落葉」では
木枯らしもつりがあわない。
とどのつまり
四季のリズムはつくれません。

ヴイバルデイの
「四季」の「夏」にある
木陰で休む羊飼いの旋律
も。
フランツ・シューベルトの
「菩提樹」の歌曲
も「うまれません」。

落葉の針葉樹で
強いからといって私の「好き」な。
「からまつ」をうえられても
街路樹には叶(かな)わないでしょう。

私の「大好き」な。
北原白秋の「からまつの詩」。

「からまつ」は

街路樹にはそぐはないかもしれません。

播磨の俳人滝野瓢水の句

「手に取るな

やはり野におけ蓮華草」

のように。

「夏」ではあっても。

やはり野におけ蓮華草。

やはり野におけから松木。

「からまつ」も蓮華草と同じくに。

清楚な華やかさとはかなさを

もっています。

やはり野におけ。

蓮華草とからまつ。

「夏」の「からまつ」です。

そしていま。
「夏」をあゆむ「からまつ」の時期になりました。

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北原白秋
 
「水墨集」より

  
 落葉松
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      一
 
 からまつの林を過ぎて、
 
 からまつをしみじみと見き。
 
 からまつはさびしかりけり。
 
 たびゆくはさびしかりけり。

      二
                 
 からまつの林を出でて、
 
 からまつの林に入りぬ。
 
 からまつの林に入りて、
 
 また細く道はつづけり。

      三
 
 からまつの林の奥も
 
 わが通る道はありけり。
  きりさめ
 霧雨のかかる道なり。
 やまかぜ
 山風のかよふ道なり。

      四
 
 からまつの林の道は、
 
 われのみか、ひともかよひぬ。
 
 ほそぼそと通ふ道なり。
 
 さびさびといそぐ道なり。

      五
 
 からまつの林を過ぎて、
 
 ゆゑしらず歩みひそめつ。
 
 からまつはさびしかりけり、
 
 からまつとささやきにけり。

      六

 からまつの林を出でて、
  あさま ね
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。
 
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。
 
 からまつのまたそのうへに。

      七
 
 からまつの林の雨は
 
 さびしけどいよよしづけし。
 
 かんこ鳥鳴けるのみなる。
 
 からまつの濡るるのみなる。

      八
 
 世の中よ、あはれなりけり。
 
 常なれどうれしかりけり。
 
 山川に山がはの音、
 
 からまつにからまつのかぜ。

-------------------------------

木々の青葉の房が
早朝くらい中でも
うかびあがります。
とりわけ私は
くすのき科が。
「大好き」な「木」の
ひとつです。
ポプラも好きです。
イチョウもすきです。
けやきもすきです。
カエデもすきです。
もみじもすきです。
松もすきです。
杉もすきです。
からまつも好きです。

いまは
「夏」「6月」です。

「夏」「6月」になり。
裸木の。
木々の穂先は小さいけれども毛氈(もうせん)
のようにあざやかな萌黄色と緑です。

まるで。
大きな里山の森の冬のうねりのようです。
今年は木々のわかばの冬のめばえがとてもとても
鮮烈です。
「夏」の芽はえも「鮮烈」なことと見守ります、
「季節風」が。
若芽のうえを吹き抜けていきます。

街角の雑草も
夏草に変貌して。

「季節風」になり。

道端のくさばなは。
「遠慮がち」にながら堂々と一本の茎。

雑草も。
夏草へと変貌しつつながらえています。
あたたかかう
ふかまる「夏」をまつ。
「夏」の野原の雑草です。

朝暗いうちは。
とてもはださむいです。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックには。
ふとい孟宗竹のたけやぶ
があります。
竹はせがたかいから。

クリニック館内からはすこし離れた所にある。
はなれていても。
とおくからもみえます。

夏風てらせる夏竹の
笹葉は蒼くふるえたり
みどり葉笹葉にかぜはやみ
夏陽をうつすやうつろひの
竹の葉夏かぜはやいくとせ

夏地にも空にも
夏みどり葉ひらき
夏みどり木冬空
夏天高くひろがりけり
夏ゆたかなりけり
夏いふことのなし
夏いふことがなし
夏いふことはなし
夏ゆたかなりけりはる

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

平成21年1月12日(月曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ限られた時間帯で。
診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年2月11日(水曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ限られた時間帯で。
診療を行います

はおわりました。
-------------------------------

平成21年3月20日(金曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ限られた時間帯で。
診療を行います
はおわりました。

-------------------------------

平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

-------------------------------

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。
インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がきます。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著であろうと推察されます。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」
であることを懸念しています。
そして気候の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表される。
ウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

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麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です。

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「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
季節の変わり目に「反復性上気道感染」に
なられるかたが多いです。

「世情は不安定」であり何かひとつ
生活しづらい日々を感じられる
かたも多いものです。。

人間は「倒れるまではたっています」。
人間は「冬・春」の旅に(度に)齢を重ねる。

昔の「数え年」は「たいした物」だと思います。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝。

「今日は何の日」は。
1863年 - フェリックス・ワインガルトナー、指揮者(+ 1942年)
の生誕日です。

++++++++++++++++++++++

フェリックス・フォン・ワインガルトナー
:Edler Felix Paul Weingartner von Munzberg,
1863年6月2日:
ザーラ(オーストリア・ハンガリー帝国領ダルマチア。
現・クロアチア)
- 1942年5月7日:ヴィンタートゥール)は。

指揮者、作曲家。
ユダヤ系です。

標準ドイツ語の発音に近い
「フェーリクス・ヴァインガルトナー」
と表記される場合もあります。

++++++++++++++++++++++

フェリックス・フォン・ワインガルトナー
:Edler Felix Paul Weingartner von Munzb
は。

4歳の時に父親の死去により。
一家とともにグラーツに移りました。

グラーツ時代から音楽の勉強を始め、
音楽評論家エドゥアルト・ハンスリックの知己を得て。

1881年にハンスリックの推薦でライプツィヒ大学に入学
到します。

初めは哲学を専攻致しました。

程なく音楽に身を投じました。
グラーツ、ライプツィヒ、ヴァイマルの
各音楽院で学びました。

++++++++++++++++++++++

フェリックス・フォン・ワインガルトナー
:Edler Felix Paul Weingartner von Munzb
は。

ヴァイマルでは。
フランツ・リストの弟子となりました。

1882年にはリストの推挙を受けて。
彼の作品を上演する機会に恵まれたが。

安定した生活を求めて
作曲家から指揮者に転じました。

++++++++++++++++++++++

フェリックス・フォン・ワインガルトナー
:Edler Felix Paul Weingartner von Munzb
は。

1885年にケーニヒスベルク、
次いでダンツィヒ、ハンブルクの各歌劇場の指揮者と
なりました。

1889年にマンハイム国民劇場のホーフカペルマイスター、

1891年にはベルリン宮廷歌劇場(現、ベルリン国立歌劇場)
の首席指揮者となり、
1898年まで務めました。

1908年にはグスタフ・マーラーの
後任としてウィーン宮廷歌劇場
(現、ウィーン国立歌劇場)と
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(当時は常任指揮者制)
の音楽監督に就任到します。

++++++++++++++++++++++

フェリックス・フォン・ワインガルトナー
:Edler Felix Paul Weingartner von Munzb
は。

歌劇場の方は3年で
辞任(後に1934年〜1936年のシーズン音楽監督に復帰している)
致しました。
ウィーン・フィルの常任は1922年まで続きました。

1919年にはウィーン・フォルクスオーパーの
音楽監督も兼ねました。

1934年から1936年には
ザルツブルク音楽祭にも出演到します。

++++++++++++++++++++++

フェリックス・フォン・ワインガルトナー
:Edler Felix Paul Weingartner von Munzb
は。
また、1898年以降イギリスのオーケストラにしばしば客演
致しました。
南北アメリカにも単身渡米での客演や。

ウィーン・フィルとのツアーで訪れています。

1937年に朝日新聞と日墺協会の招聘で、
4度目の夫人(3度目とする書物もある)
で指揮の弟子でもあった
カルメン・テューダーとともに来日致しました。

そして
夫婦で新交響楽団(現在のNHK交響楽団)を指揮致しました。

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フェリックス・フォン・ワインガルトナー
:Edler Felix Paul Weingartner von Munzb
は。

ナチの勢力拡大とともにパリに逃れ。

第二次世界大戦勃発直前にロンドンへ向かい。
最後はウィーン辞任後定住していたスイスに戻り。
1942年5月7日にヴィンタートゥールの病院で亡くなりました。

弟子には。
ヨーゼフ・クリップス、ハンス・スワロフスキー、
クルト・ヴェス、ゲオルク・ティントナー等がいます。

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フェリックス・ワインガルトナー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

フェリックス・フォン・ワインガルトナー:Edler Felix Paul Weingartner von Munzberg, 1863年6月2日:ザーラ(オーストリア・ハンガリー帝国領ダルマチア。現・クロアチア) - 1942年5月7日:ヴィンタートゥール)は指揮者、作曲家。ユダヤ系。標準ドイツ語の発音に近い「フェーリクス・ヴァインガルトナー」と表記される場合もある。

目次
1 生涯
2 レコーディング
3 主な作品
3.1 作曲
3.2 編曲
4 著作
5 参考文献
6 関連項目

生涯 [
4歳の時に父親の死去により、一家とともにグラーツに移る。グラーツ時代から音楽の勉強を始め、音楽評論家エドゥアルト・ハンスリックの知己を得て、1881年にハンスリックの推薦でライプツィヒ大学に入学。初めは哲学を専攻するが、程なく音楽に身を投じグラーツ、ライプツィヒ、ヴァイマルの各音楽院で学んだ。ヴァイマルではフランツ・リストの弟子となった。1882年にはリストの推挙を受け、彼の作品を上演する機会に恵まれたが、安定した生活を求めて作曲家から指揮者に転じた。

1885年にケーニヒスベルク、次いでダンツィヒ、ハンブルクの各歌劇場の指揮者となる。1889年にマンハイム国民劇場のホーフカペルマイスター、1891年にはベルリン宮廷歌劇場(現、ベルリン国立歌劇場)の首席指揮者となり、1898年まで務めた。1908年にはグスタフ・マーラーの後任としてウィーン宮廷歌劇場(現、ウィーン国立歌劇場)とウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(当時は常任指揮者制)の音楽監督に就任した。歌劇場の方は3年で辞任(後に1934年〜1936年のシーズン音楽監督に復帰している)したが、ウィーン・フィルの常任は1922年まで続いた。途中、1919年にはウィーン・フォルクスオーパーの音楽監督も兼ねた。

1934年から1936年にはザルツブルク音楽祭にも出演した。また、1898年以降イギリスのオーケストラにしばしば客演し、南北アメリカにも単身渡米での客演やウィーン・フィルとのツアーで訪れている。1937年に朝日新聞と日墺協会の招聘で、4度目の夫人(3度目とする書物もある)で指揮の弟子でもあったカルメン・テューダーとともに来日、夫婦で新交響楽団(現在のNHK交響楽団)を指揮した。ナチの勢力拡大とともにパリに逃れ、第二次世界大戦勃発直前にロンドンへ向かい、最後はウィーン辞任後定住していたスイスに戻り、1942年5月7日にヴィンタートゥールの病院で亡くなった。

弟子にはヨーゼフ・クリップス、ハンス・スワロフスキー、クルト・ヴェス、ゲオルク・ティントナー等がいる。

レコーディング
ワインガルトナーの初レコーディングは、1910年に自作の歌曲を、3番目の夫人(諸説ある)でもあるソプラノ歌手ルシール・マルセルの共演を得て録音したのが最初である。1923年にはオーケストラを指揮してのレコーディングを開始。以後、ワインガルトナーの残した録音は、米コロムビアに残した若干数を省くとすべてEMI(英コロムビア時代も含める)からのリリースである。

1999年に、新星堂と東芝EMIの企画で、ワインガルトナーのEMI録音をすべて網羅した24枚組のCDセットを販売した他、現在では、代表的な録音がナクソス・ヒストリカルやオーパス蔵から異なる趣向の音質でもリリースされている。

バッハ
管弦楽組曲第3番(1939年)
ヘンデル
合奏協奏曲Op.6-5(1939年、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団)
合奏協奏曲Op.6-6(1939年、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団)
歌劇「アルチーナ」抜粋(1939年)
ボッケリーニ
ボッケリーニのメヌエット(1931年)
ハイドン(当時。レオポルト・モーツァルト説を経て、現在はエトムント・アンゲラーが真の作曲者とされる)
おもちゃの交響曲(1931年4月7日、ブリティッシュ交響楽団)
モーツァルト
交響曲第39番(1923年、1928年、1940年)
「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
ベートーヴェン
交響曲全集
第1番(1937年10月19日、ウィーン・フィル)
第2番(1938年3月2日、ロンドン交響楽団)
第3番(1936年5月22日・23日、ウィーン・フィル)
第4番(1933年11月13日・14日、ロンドン・フィル)
第5番(1932年3月17日・18日、ブリティッシュ交響楽団)
他に1924年、1927年、1930年にもレコーディングをしている
第6番(1927年1月18日・19日、(旧)ロイヤル・フィル)
第7番(1936年2月24日〜26日、ウィーン・フィル)
他に1923年、1927年にもレコーディングをしている
第8番(1936年2月26日、ウィーン・フィル)
他に1923年にもレコーディングをしている
第9番(1935年2月2日〜4日、ウィーン・フィル)
いわゆる「ワインガルトナー版」と呼ばれる校訂版であり、弦をはじめ一部のパートのオクターブを高く移動し、作曲当時の楽器の性能による制限にとらわれず高音部においても動機を自然な形で再現しているが、現在はあまり省みられない。
他に1926年にもレコーディングをしている。1926年盤は歌詞が英語で歌われている。
「ハンマークラヴィーア」管弦楽編曲版(1930年3月26日〜31日、(旧)ロイヤル・フィル)
三重協奏曲(Vn:リカルド・オドノポソフ、Vc:ステファン・オーベル、Pf:アンヘリカ・モラレス、1937年10月20日・21日、ウィーン・フィル)
ピアノ協奏曲第3番(1939年6月10日、Pf:マルグリット・ロン、パリ音楽院管弦楽団)
「プロメテウスの創造物」序曲(1933年11月14日、ロンドン・フィル)
「エグモント」序曲(1937年10月19日、ウィーン・フィル)
「エグモント」間奏曲第2番、"クレールヒェンの死"(1938年10月7日、ロンドン・フィル)
「フィデリオ」序曲(1938年10月7日、ロンドン・フィル)
「献堂式」序曲(1938年10月7日、ロンドン・フィル)
「アテネの廃墟」序曲(1940年2月29日、ロンドン響。ワインガルトナー最後のレコーディング)
11のウィーン舞曲WoO.17(ベートーヴェンの真作かどうか疑わしい)(1938年10月7日・8日。ロンドン・フィル)
ブラームス
交響曲全集
第1番
第2番
第3番
第4番
大学祝典序曲(1940年2月29日、ロンドン響)
ハイドンの主題による変奏曲
シューベルト
「ロザムンデ」間奏曲第3番(1928年5月3日、バーゼル管弦楽団)
ベルリオーズ
幻想交響曲(1925年)
歌劇「トロイ人」トロイ人の行進(1939年)
リスト
ピアノ協奏曲第1番、第2番(1938年、Pf:エミール・フォン・ザウアー、パリ音楽院管)
「前奏曲」
ウェーバー
「魔弾の射手」序曲(1927年。1931年、パリ交響楽団。映像)
メンデルスゾーン
交響曲第3番
ワーグナー
「神々の黄昏」より『ジークフリートのラインの旅』、『ジークフリートの葬送行進曲』(パリ音楽院管)
シュトラウス一家(ヨハン・シュトラウス2世、ヨーゼフ・シュトラウス)
「春の声」(1931年4月8日、ブリティッシュ響)
「千一夜物語」(1931年4月8日、ブリティッシュ響)
「無窮動」(1929年5月3日、バーゼル管)
「ピチカート・ポルカ」(1929年5月3日、バーゼル管)
「酒・女・歌」(1929年5月3日、バーゼル管。1939年7月22日、パリ音楽院管)
「美しく青きドナウ」(1927年1月28日・1月30日、(旧)ロイヤル・フィル)
「天体の音楽」(1930年4月1日、(旧)ロイヤル・フィル)

主な作品

作曲
オペラ
「シャクンタラ」(1884)
「マラウィカ」(1886)
「ジェネシス」(1892)
「カインとアーベル」(1914)
「小人夫人」(1916)
室内楽
ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第1番ニ長調op42-1
ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第2番嬰ヘ短調op42-2
折りふしの綴り〜ピアノのための8つの小さな叙情的描写op4
その他
交響曲第6番「悲劇的、シューベルトを偲んで」ロ短調op74(第2楽章は「未完成」の第3楽章のスケッチを下敷きにしたもの)
「フジヤマ」(山部赤人の和歌による)
歌曲「羊飼いの日曜日の歌」
歌曲「春の幻影」

編曲
ベートーヴェン:「ハンマークラヴィーア」
ベートーヴェン:「大フーガ」Op.133
ウェーバー:「舞踏への招待」
シューベルト:交響曲ホ長調D.729
シューベルト:「夜と夢」

著作
『闘争の一生 ワインガルトナア自伝』(大田黒元雄訳)第一書房、1940年

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6月2日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/6%E6%9C%882%E6%97%A5

できごと
907年(天祐4年4月19日) - 朱全忠が大梁国(後梁)を建国する。
1901年(明治34年) - 日本で桂太郎が第11代内閣総理大臣に就任し、第1次桂内閣が発足。
1909年 - 両国国技館が完成。
1946年 - イタリアが国民投票で王制廃止を決定。10日に共和国宣言。
1952年 - 菅生事件が発生。
1953年 - イギリス女王エリザベス2世の戴冠式挙行。
1954年 - 参議院、「自衛隊の海外出動(≒自衛隊海外派遣)を為さざることに関する決議」を全会一致で可決。
1978年 - JALのボーイング747(機体番号:JA8119)が大阪国際空港で「しりもち事故」を起こす(後の1985年8月12日に起こった史上最悪の単独航空機事故となるJAL123便墜落事故の最大原因である)
1986年 - 衆議院解散(死んだふり解散)
1989年 - 竹下登内閣が総辞職。
1992年 - 関東鉄道常総線列車衝突事故
2003年 - 欧州宇宙機関 (ESA) が火星探査機マーズ・エクスプレスを打ち上げ。知念侑李がジャニーズ事務所に所属。
2006年 - 成田国際空港第一ターミナル南ウイング(第5サテライト)オープン。全日空などスターアライアンス各社一斉に第2ターミナル、または第1ターミナル北ウイングから移動。
2007年 - 道路交通法一部改正、中型自動車区分新設など。

誕生日
1428年(正長元年4月19日) - 朝倉孝景、朝倉氏七代目当主(+ 1481年)
1535年 - レオ11世、第232代ローマ教皇(+ 1605年)
1731年 - マーサ・ワシントン、初代アメリカ合衆国大統領ワシントンの妻(+ 1802年)
1740年 - マルキ・ド・サド、小説家(+ 1814年)
1743年 - カリオストロ、魔術師・錬金術師(+ 1795年)
1798年(寛政10年4月18日) - 中山みき、天理教教祖(+ 1887年)
1815年 - フィリップ・カーニー、アメリカ陸軍の軍人(+ 1862年)
1835年 - ピウス10世、第256代ローマ教皇(+ 1914年)
1838年 - アレクサンドラ・ペトロヴナ、ロシア帝国の皇族(+ 1900年)
1840年 - トーマス・ハーディ、小説家(+ 1928年)
1857年 - エドワード・エルガー、作曲家(+ 1934年)
1857年 - カール・ギェレルプ、詩人・小説家(+ 1919年)
1863年 - フェリックス・ワインガルトナー、指揮者(+ 1942年)
1898年 - 河野一郎、政治家(+ 1965年)
1904年 - ジョニー・ワイズミュラー、競泳選手・俳優(+ 1984年)
1906年 - 橋本龍伍、第81代文部大臣・第24代厚生大臣・第36代厚生大臣(+ 1962年)
1915年 - タピオ・ヴィルカラ、デザイナー・彫刻家(+ 1985年)
1917年 - ハインツ・ジールマン、写真家・ドキュメンタリー映画製作者(+ 2006年)
1920年 - 関沢新一、作詞家・脚本家・写真家(+ 1992年)
1920年 - マルツェル・ライヒ=ラニツキ、文芸評論家
1924年 - 小川善治、プロ野球選手(+ 1987年)
1926年 - 千代の山雅信、大相撲第41代横綱(+ 1977年)
1929年 - ケン・マグレガー、テニス選手(+ 2007年)
1932年 - 小田実、作家(+ 2007年)
1935年 - 金光秀憲、プロ野球選手
1937年 - ロバート・ポール、フィギュアスケート選手
1940年 - コンスタンティノス2世、ギリシャ王
1941年 - ステイシー・キーチ、俳優
1941年 - チャーリー・ワッツ、ロックドラマー(ローリング・ストーンズ)
1944年 - 平泉成、俳優
1944年 - 上田みゆき、声優
1944年 - マーヴィン・ハムリッシュ、作曲家
1945年 - 三沢あけみ、演歌歌手、女優
1946年 - 西村知道、声優
1946年 - 薮野祐三、政治学者
1949年 - 鷲尾真知子、女優・声優
1950年 - 島野修、プロ野球選手
1951年 - 仁科時成、プロ野球選手
1954年 - 川島千代子、声優
1956年 - ヤン・ラマース、F1ドライバー
1960年 - 神保美喜、女優、歌手
1962年 - ダネル・コールズ、プロ野球選手
1963年 - 近藤勝也、キャラクターデザイナー
1964年 - 高柳出己、プロ野球選手
1965年 - 今野緒雪、小説家
1965年 - 富田京子、ミュージシャン
1967年 - 橋口たかし、漫画家
1967年 - 豊田次郎、プロ野球選手
1967年 - ドナルド・レモン、プロ野球選手
1970年 - 西川大輔、体操選手
1970年 - 松山将樹、調教師
1970年 - 吉野弘幸、脚本家
1971年 - ロベルト・ペタジーニ、プロ野球選手
1972年 - ウェントワース・ミラー、プリズンブレイクの主人公マイケル役
1973年 - 岩下修一、プロ野球選手
1974年 - 五月女ケイ子、イラストレーター
1975年 - 桑原和生、俳優
1976年 - アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ、総合格闘家
1976年 - アントニオ・ホジェリオ・ノゲイラ、総合格闘家
1976年 - 政井マヤ、アナウンサー
1976年 - 増田こうすけ、漫画家
1976年 - 原田健二、プロ野球選手
1978年 - 柳沼淳子、フリーアナウンサー
1980年 - 末續慎吾、陸上選手
1980年 - ジョン・ケアー、フィギュアスケート選手
1982年 - 伊藤義弘、プロ野球選手
1983年 - Mocchi、ミュージシャン(ベーシスト・AJISAI)
1984年 - 兼崎健太郎、俳優
1984年 - 尾崎匡哉、プロ野球選手
1985年 - 沢城みゆき、声優
1985年 - 宮西尚生、プロ野球選手
1986年 - 浦えりか、グラビアアイドル、女優、歌手
1987年 - 黒羽根利規、プロ野球選手
1988年 - 齋藤彩夏、声優
1988年 - 乾貴士、サッカー選手
1988年 - 岩沼俊介、サッカー選手
1988年 - セルヒオ・アグエロ、サッカー選手
1989年 - フレディー・アドゥー、サッカー選手
1989年 - 浅田美穂、ファッションモデル、歌手
1993年 - 加藤冠、ジャニーズJr.
2000年 - 工藤優、女優
生年不詳 - 天野有希子、舞台女優、声優
生年不詳 - 木村文、漫画家

忌日
912年 - 朱全忠、後梁の初代皇帝(* 852年)
1397年(応永4年5月7日)- 細川頼元、室町幕府管領(* 1343年)
1602年(慶長7年4月14日)- 里村紹巴、連歌師(* 1525年)
1607年(慶長12年閏4月8日) - 結城秀康(松平秀康)、戦国武将・初代福井藩主・徳川家康の次男(* 1574年)
1615年(元和元年5月6日) - 後藤基次(後藤又兵衛)、戦国武将(* 1560年)
1615年(元和元年5月6日) - 木村重成、豊臣秀頼の小姓(* 1593年)
1615年(元和元年5月6日) - 薄田兼相、戦国武将
1615年(元和元年5月6日) - 増田盛次、戦国武将
1625年(寛永2年4月27日) - 毛利輝元、初代長州藩主(* 1553年)
1761年(宝暦11年4月29日)- 伊藤宗看 (3代)、将棋指し(* 1706年)
1835年 - フランソワ・エティエンヌ・ケレルマン、フランス帝国軍の将軍(* 1770年)
1872年 - ベンジャミン・スタントン、第6代オハイオ州副知事(* 1809年)
1882年 - ジュゼッペ・ガリバルディ、イタリア王国のリソルジメント指導者(* 1807年)
1885年 - カール・アントン、プロイセン王国宰相(* 1811年)
1890年 - 松平春嶽、第14代福井藩主(* 1828年)
1901年 - 大河内正質、大多喜藩主・江戸幕府の老中格(* 1844年)
1901年 - 馬偕、宣教師・教育家(* 1844年)
1903年 - アンドリュー・コンモン、天文学者(* 1841年)
1905年 - 津田出、日本陸軍の少将・貴族院議員(* 1832年)
1933年 - フランク・ジャービス、陸上競技選手(* 1878年)
1936年 - 大槻快尊、心理学者(* 1880年)
1937年 - ルイ・ヴィエルヌ、作曲家(* 1870年)
1939年 - エンリケ・フェルナンデス・アルボス、作曲家・ヴァイオリニスト(* 1863年)
1941年 - ルー・ゲーリッグ、メジャーリーグベースボール選手(* 1903年)
1945年 - アグネス・ベーデン=パウエル、ガールガイド(ガールスカウト)運動創始者(* 1858年)
1945年 - 平山信、天文学者(* 1867年)
1948年 - カール・ブラント、T4作戦を主導した医師(* 1904年)
1951年 - エミール=オーギュスト・シャルティエ、哲学者(* 1868年)
1962年 - ヴィタ・サックヴィル=ウェスト、小説家・詩人・造園家(* 1892年)
1966年 - 宮沢胤勇、日本の運輸大臣(* 1887年)
1969年 - マイク・ベローイズ、プロボクサー(* 1911年)
1970年 - ブルース・マクラーレン、F1レーサー・マクラーレン創始者(* 1937年)
1973年 - 近衛秀麿、指揮者(* 1898年)
1974年 - 鈴木誠一、レーシングドライバー(* 1936年)
1974年 - 風戸裕、レーシングドライバー(* 1949年)
1976年 - 美川陽一郎、俳優(* 1918年)
1977年 - スティーヴン・ボイド、俳優(* 1931年)
1978年 - サンティアゴ・ベルナベウ、サッカー選手・レアル・マドリード会長(* 1895年)
1982年 - ヘルベルト・クヴァント、実業家(* 1910年)
1988年 - ナジーブ・ジガーノフ、作曲家(* 1911年)
1989年 - 渡辺岳夫、作曲家(* 1933年)
1990年 - レックス・ハリソン、俳優(* 1908年)
1994年 - 神保史郎、漫画原作者(* 1948年)
1995年 - 宮内幸平、声優(* 1929年)
1996年 - 川崎祐宣、医師・川崎医科大学創設者(* 1904年)
1996年 - 井出一太郎、日本の内閣官房長官(* 1912年)
1996年 - エイモス・トベルスキー、心理学者(* 1937年)
1997年 - ヘレン・ジェイコブス、テニス選手(* 1908年)
1997年 - 数住岸子、ヴァイオリニスト(* 1952年)
1998年 - 高森文夫、詩人・政治家(* 1910年)
1998年 - 武末悉昌、プロ野球選手(* 1922年)
1999年 - 岡義達、政治学者(* 1921年)
2000年 - 薮内清、天文学者(* 1906年)
2000年 - スヴャトスラフ・フョードロフ、眼科医・政治家(* 1927年)
2003年 - フレッド・ブラッシー、プロレスラー(* 1918年)
2003年 - 小鶴誠、プロ野球選手(* 1922年)
2004年 - ニコライ・ギャウロフ、バス歌手(* 1929年)
2007年 - 黄菊、中華人民共和国国務院第一副総理(* 1938年)
2007年 - 羽田健太郎、作曲家・ピアニスト(* 1949年)
2008年 - メル・ファーラー、俳優(* 1917年)
2008年 - ボ・ディドリー、ロックンロール歌手(* 1928年)
2008年 - 長沼健、サッカー選手・日本サッカー協会会長(* 1930年)
2008年 - 柳沢信、写真家(* 1936年)

記念日・年中行事
横浜港開港記念日・長崎港記念日(日本)

安政6年(1859年)6月2日(西洋暦では7月1日)、
日米修好通商条約の締結により、横浜港・長崎港が開港したことから。

共和国記念日(イタリア)
1946年6月2日、国民投票により王制に代わって共和制を政体とすることを決定した。

カレー記念日