東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年6月7日(日曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年6月7日(日曜日)

平成21年の「6月」に。

なりました。

平成21年の。

「春」の「3月」「4月」「5月」が。

おわり。

「夏」の「6月」になりました。

とてもとても。

とても。

早朝の「強い陽射し」が。

続いています。

「夏」の「6月」です。

「夏」がきた。

「なつ」がきた。

どこに来た。

「山」にきて。

「里」にきて。

「野」にきて。

「夏」は。

「まち」にもやってきました。

今年の「冬」・から「春」は予期せぬ

インフルエンザ*の

大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。

薬事法の「能書」にあるとおり

「正規の」

「2回法によるインフルエンザワクチン」の

予防接種をおすすめいたします。

常時いつでも接種可能です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

昨年の。
冬間近くの。
さらなる前に。

「晩秋」>のころ。

「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」の。
花の蕾が淡い黄金色にかがやいて。
が見えてから「10日間」で。
花は去りました。
黄金色のじゅうたんが毛氈(もうせん)ように。
地面「金色」に広がりました。

「昨年」の。
「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」に続いて。
「銀木犀:きんもくせい」もプラチナ色の
花が咲き始めました。

「昨年」の。
「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」のあとを追って。
「銀木犀:きんもくせい」の花は去り。
地面に「プラチナ」が一面に広がっていました。

「夏」の「6月」

今は私の「大好き」な。

「夏の草花」の

の「蕾(つぼみ)」と。

「わかば」と。

「夏」の樹木の。

「花」のふくらむ季節。

そして「木々の若葉」の季節。

「夏の花」と「みどりの若葉」

「みどり」「若草いろ」の。

季節になりました。

私の「大好き」な萌え出づる「わかば」。

若葉の美しい季節になりました。

そしていろいろな。

「夏」の木々の花ひらき咲く季節。

花(はな)と若葉(わかば)と。

若草(わかくさ)の。

ワルツの季節になりました。

発花 発若葉

山本クリニックの庭園は。

大昔は。

雑木林であったのです。

「野生」の。

「やまぶき」や。

「やぶつばき」や。

「季節の花さく木々」が。

とても沢山。

群生してはえています。

日々の毎日にどんどんと。

みるみるうちに。

「夏の花」が。

つぼみや「花」を大きくしています。

けれども「夏の花」は。

蕾が大きくなったそのよるには。

花咲き。

暗い朝にちっていることが。

すくなくありません。

なつ花は

ぬばたまの

暗き闇夜に

なつ嵐の

風に弓射られて

花ぞ舞い散る

なつはなは

ぬばたまの

くらきやみよに

なつかせの

かせにいられて

はなそまいちる

「夏の花」は。
早朝には「白鷺の羽」
のように地面に
舞い降ちています。

昨年の。
「晩秋」
「木犀:もくせい」の花の
「芳香」は蕾のみえるまえから
あります。
花が去ったあとは
「あっというまに芳香が消えます」。

「晩秋」の
「木犀:もくせい」たちのかおりがさり。

「春」がすぎて。

「6月」。

わかばとともに。

つぼみを日々。

大きくしている。

「夏の花」。

「みかん」と「からたち」

の花咲く季節。

「夏」の「6月」。

そして。

「夏の花」や。

「みかんのはな」

をみまもるのは。

「みかんの木」の。

まだなったままの。

昨年の

「丸いみかん」の

「丸い群れ」。

「丸いみかん」は。

「丸くたわわに実り」。

まるで。

「ぶどうのふさ」のようです。

昨年の果実です。

まだ樹木になりつづけ。

おちません。

お互いに。

「はなことば」で話しをしているに

ちがいありません。

私は山茶花(さざんか)よりは。
「やぶつばき」がずっとすきです。

山本クリニックの庭園には。
いずれも。
野生の「やぶつばき」と
野生の「山茶花(さざんか)」ばかりです。
野生の「すみれ」も珍しい品種がはえています。

堂々たる。

「夏かぜ」と「夏吹雪:なつふぶき」

が吹いています。

「夏」になりました。

「夏」のはじまりです。

「あかるくて」でよいです。

「夏」がふかまり。

「もっと深い「夏」」の。

トンネルをこえれば。

そこは「里山の「夏」」です。

「夏吹雪:なつふぶき」は

遠くの蒸気機関車の鳴き声のように

聞こえます。

また次に「夏から先」への。

「トンネル」があることも

わかります。

夏樹の妖精の吹くフルート

のよう。

そして。

「夏吹雪:はるふぶき」をなだめるように。

「樹木の穂先」が舞います。

「樹木の穂先」のほうが「役者」は上。

「夏吹雪」は突如(とつじょ)天から舞い降り

ます。

「夏」の陽射しはまばゆいサマーライト。

ひかりのかがやく「夏」になりました。

星のかがやく「夏」になりました。

きょうは。
とてもとても寒い。

「夏吹雪:なつふぶき」の声は

「夏かぜ」のふく音は。

「夏」の女神たちの。

笛ふく。

なつかぜのワルツ。

わかばのバラード。

なつは。

いまは。

モデラート・マ・ノン・トロッポ。

そしてメゾフオルテです。

最近は
朝くらい早朝には「星がみえます」。
「明けの明星」の金星が南の空に高くみえます。

病院の明かりが灯り暗闇のなか。
朝はやく。

「明けの明星」の金星に「おはよう」を
毎日こえで「御挨拶」を伝えます。
「明けの明星」の金星から「おはよう」と
返事がかえってくる声をききながら。
病院の明かりをともします。
まだ真っ暗なのですが。

夏場の早朝のくらい時には。
明星はみえずらかった。
季節が「冬から「春」へとあゆみ」。
いよいよ。
大気が「澄んできた」ということでしょう。

夏霧雨(なつきりさめ)の。

夏霞(なつかすみ)の大気。

「夏吹雪:なつふぶき」の「音」。

「ろうろう」「こうこう」

「夏かぜ」の鳴き声

「ろうろう」「こうこう」

「夏吹雪:なつふぶき」の。

鳴き声とともに。

「夏一番」の「夏のしらべ」が。

あわせきこえます。

「どれみふあ」「そらしど」

朝暗いうちの「なつかぜ」の合唱は。

「夏」の「ふうりん」のようです。

あれ沢山の「ふうりん」かな。

「夏」の「ふうりん」の音色です。

「ろうろう」。

さやかにやさくも「あたたかい音」です

「こうこう」

わびわびと。

「蜜蜂をよんでいる音」です。

「蜜蜂」のはぜる元気な「音」から

「夏」のおとずれが。

わかります。

「わかば」のおとずれが。

わかります。

「ススキの穂先」は
そぞろに「夏」の今年の芽栄え。

そして「夏」の旅愁すら
をも感じさせます。

ススキの茎の「穂先」には。

「「夏」ふくろう」が。

何匹も集ってつどい。

何匹ものふくろうが。

皆で何かを真剣に。

考えているように。

みえます。

「夏」がくれば。
「緑葉いずる「夏すすき」」。

「ススキの葉先」は。

「しあわせと幸福を手招き」

している

何本もの「手」のように。

みえます。

エドヴァルド・ムンク:Edvard Munch

の「夏」の絵画のようです。

私も「日々を旅ゆく人間」です。

奥の細道の序文に松尾芭蕉が。

「月日は百代の過客(ひゃくたいのかかく)
にして行かふ年も又旅人也。」

「つきはひゃくたいのかかくにして
いきかふとしもまたたひひとなり」

とかたり。詠みました。

私は

「日々の月日」に。

道連れをさせていただき。

「時」を旅をする

「旅人(たびびと)」

のひとりです。

「日々月日の旅のつれあい」は。

私には。

「きょう」と。「あす」しか。

ありません。

「きょう」と。「あす」しか。

私にはありません。

朝くらいとき。
陽の出の直後は。
いつも一瞬は晴れています。
いまだ かすかにも。
のこる「夏」の気配
であるけれども。

あきらかに。
そしてしっかりと。
しのびよるもっともっと奥の。
深く深まる「夏のおとづれ」からの大気。

もっと。
「あつい「夏」」の気配が。
「確かに」。
そして明らかに。
そして輪郭もはっきりと。

感じられるようになりました。

「6月」。

もう「夏」です。

そして「緑の若葉」の「6月」

をむかえました。

はやいものです。
速いものです。
早いものです。

街路樹もそうそうたる
羽振りの木々から
「はじまりゆく「夏」の樹木」にうつろうように
変化しています。

「夏」。
「樹木の若葉の芽生え」があることに
気がつきました。

春の芽吹くときには。
街路樹のポプラも
幹や枝葉の穂先が。
ろうそくのともしびのように。
「炎の様」になっています。
あたかも
ゴッホの描いた「夜の糸杉」のように。
夏の早朝にみえます。

夏になり。
この「穂先」が一気に「ポプラの葉」へと
扇・おおぎのごとく開きました。

フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「夜の糸杉」から。
フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「ひまわり」
のように。
一斉に開きます。
8月にはいってからのことです。

10月そして11月。

今は「晩冬」の「2月」がおわり。

「春」の「3月」「4月」「5月」がおわり。
「夏」の「5月」。

今現在は落ち着いた「夏」の葉木。
「夏」の木々の「葉」
へと。
そしてふかまる「夏」の木々の「幹:みき」へと。

ふかまる「みのりの夏」にむけて。
「あつく」うつろいています。

ポプラも。つばきもくすのきも。
レースのハンカチをふるように
「「夏」のわかば」の「めばえ」がみえます。
窓越しにもみえます。

今は「「夏」のわかば」の「めばえ」は
とても大きくなりました。
「夏」の「めばえ」のひろがりです。

「冬がくると」。
空と木枯らしのかなでる「蛍の光」や
「冬のコンチエルト」にあわせるように。

ポプラの葉や芽葉は。
ハンカチのようにふわふわと。
ふわふわと。
「穂先から葉葉」は「舞い振りまがら」
ハンカチは木を去っていきました。

樹木のハンカチは。
大地を訪ねて飛翔し。
大地にまいおり大地にもどります。
そして大地となります。

そして。
ポプラの葉や芽葉が。
ハンカチのようにふわふわと。
ふわふわと。
「穂先から葉葉」は「舞い振りまがら」
木を去っていく光景は。
あたかも。

「夜の魔法」「夜のガスパール」

のようです。

「花の去った枝」には。
もう「「夏」の若芽のめばえ」
が。
「夏葉」がみえます。

木々の「葉」が「枝や幹」を
「保護する役割をしている」
ことに気づきました。

桜の花の時期とうってかわり
桜の木の公園
の桜の木々は。
夏になりとても獰猛な気配を放つ。

初めて気がつきました。

「晩冬」の「2月」がおわり
「春」になり「3月」「4月「5月」がおわり。
「夏」の「6月」になりました。

「さくら」は春の濃い緑の樹肌になり。
やさしさとおだやかさ
が感じられます。

そしていつしか
幹先に若葉色の葉をもまじえています。
しだいにしだいに。
紅黄色の花が消え若葉にかわりつついくことに
きがつきます。

さくらから。
さくらはのきぬずれのおとが。
きこえるころ
です。

桜の樹木も「丸くなりました」。
桜の樹木も毎年毎年と毎日毎日。
「旅(たび)をしている」のでしょう。

朝陽をあびる落葉樹は
「すべてがあざやかな黄金色」に
かがやきます。
朝陽をしっかりと。
「いうにいわれぬ美しい絵のごとく」
受け止めています。

「「夏」の朝陽」は真東に大変鋭いことに
気づきました。
眩しいです。

今はまぶしい「夏」の「あさひ」です。

するどい「あたたかいろ」がかんじられます。

春は別として。
桜の木は木の下で。
夏は心安らかに。
「休める木ではないなあ」
と思います。
昨年は
秋になり
桜の樹木も安堵の葉色
になりました。
ちょっとばかりびっくり致しました。

枝や幹からは秋の陽の木漏れ日がみえます。

夏桜の木は獰猛なほど葉をおいしげらせ
ていました。
夏には
桜の木の下で木陰で。心安らかにやすもうという
気はおきません。

いまは「春」から「夏」になりました。
そよかぜに揺れる残り葉は
招き誘われるような気すら致します。

「夏」になり幹にはもう「花は散る」。
ちったあと枝の根元には。
「夏のわかば芽栄え(めばえ)」
若葉がみえます。

けれども
やはり夏桜の木は

シューベルトの歌曲の旋律にある「菩提樹」
ではないのです。

冬の桜木(さくらぎ)。

冬になり

人生に果てて(はてて)

なれるが如く桜樹木はかわりました。

良い木になってきました。

素敵(すてき)です。

冬の桜木(さくらぎ)。

「春」の桜木(さくらぎ)。

「夏」の桜木(さくらぎ)。

木々でも。
いちょうや。松や。杉などの針葉樹
は。またソテツなどは。
「古い時代の木」です。

「チャールズ・ダーウィンの進化論」からは
「針葉樹」から。
「常緑樹」「広葉樹」「落葉樹」にと。
「進化」しているはずです。

「原始的」な樹木ほど。
「硬い幹」です。
例外はありません。

硬ければ。
幹は硬ければ動物に
「かじられる」ことはないでしょう。

いにしえの古代の時代にも。

恐竜をはじめめとする
「大型」の草食動物にも。

かたければかじられることは
なかったでしょう。

街並みを彩る街路樹には「落葉植物」が多いです。

ふと。考える。

街路樹が「松や杉」のように。
「冬も葉を持つ針葉の常緑樹」では。

冬はうっそうとして道端では
やさしい暖かな陽射しをかくしてしまう。

夏場は枝ぶり葉っぱぶりからつよすぎる日の光は
さえぎれません。
そして
「秋」の「夕焼け陽」には。
「金色のちいさき鳥の形して」
秋の夕焼けの陽射しに舞うこともできません。

常緑樹の針葉樹では。
は四季のリズムをつたえる

北大路魯山人のかたる

ことば。

「ざっくり感(ざっくりかん)」

が。

ありません。

木々の夏の萌黄が早朝暗い中でも
うかびあがります。
私はくすのきが「大好き」な「木」の
ひとつです。
ポプラも好きです。
イチョウもすきです。
モミジもすきです。
カエデもすきです。
松や杉もすきです。
月桂樹やシナモンもすきです。
オリーブもすきです。
オレンジの木もすきです。
「そてつ」の木もすきです。
ツバキもすきです。
ソテツもすきです。
南天もすきです。
木や植物がすきです。

木々の穂先は毛氈(もうせん)
のようにあざやかな夏の萌黄色です。
まるで大きな深い山の森のうねりのようです。
今年は木々のわかばの秋のめばえが非常に鮮か
です。
木々は「春樹」の役目をおわりました。
「夏木」とかわろうとしています。
「夏木」とかわりました。

街角の雑草も花は咲きはじめ。
「夏の花」の姿となりそして「夏」を迎える。
「ほとけの座」や「はこべ」が
「かたばみ」や「いたどり」が
ますます姿を大きくして。

そして「すすき」もくわわりました。

冬草から春草へ。
そして気がはやく。
夏草へのたたずまいをしている草もある。
そしてもうすっかり夏草へと黄金色に転した
街角には雑草もあります。
こがねいろ。

雑草も。
同じく花をさかせ自ら種をとばし
夏葉がみえる。
そして秋を迎える。
冬が来て。木枯らしに吹かれ。
雪をかむり。そして。
春がくる。
そしてまた夏。

そして今は。

「夏」。

ツツジは潅木。

ツツジの花の葉の優しさには

あらためてびっくりしました。

黄緑・草色のビロードです。

のぞきこむと若葉はまだ沢山ある。

何故か得をしたように思えました。

そして雨にうたれて

そのまま地に落ちた

ツツジの若葉は

幾何学的に裏側を下にむけて

逆さじょうごのように

落下していることに

気がつきました。

まるで。

「若草色」のきのこが。

沢山はえているようです。

木から落ちても。
まだ「若葉」です。ふと。
ヴェルディの「椿姫」「La Traviata」
の「つばき」を思い出しました。

1852年パリに滞在したヴェルディは
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)
の戯曲版『椿姫』の上演を見て感激し
ました。
そのころ新作の作曲依頼を受けていた
ヴェネツィアのフェニーチェ劇場のために。
翌1853年初めに比較的短時間で作曲された
『椿姫 』(La Dame aux camelias、1848年出版)
は。
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)が
実際の体験を基にして書いた長編小説。
主人公のモデルはかつて作者が交際をしていた
マリー・デュプレシという高級娼婦。
恋人アルマンのイニシャルである
『AD』は
小デュマのイニシャルと同じです。

この作品は人々に愛されて幾度も舞台、映画化され
続けてきました。

朝暗いうちは。

とても。

はださむいです。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックには。
孟宗竹のたけやぶ
があります。
竹はせがたかいから。

クリニック館内からはすこし離れた所にある。
はなれていても。
とおくからもみえます。

山本クリニックには。
検見川の落合遺跡の遺跡発掘の際に
みつかった「古代のハスの種子」から。

2000年ぶりに発芽したことで有名な。
「古代蓮(ハス)」があります*。
【大賀ハス:おおがはす】です。
「有名な古代ハス」です。
とても勇壮なハスで。
花のいろはとてもあまりにも美しく。
たとえ様もありません。

ハスの花がさき。
「「蓮(ハス)」の実」になりました。
「はすの実」も「はす」の葉も。
2mくらい水面から高いところに
あります。

睡蓮(すいれん)があります。
睡蓮(すいれん)は「葉」が水に浮び。
はのきれこみは羊の足のようです。
睡蓮(すいれん)を「ひつじぐさ」とは
なるほどと考える。
睡蓮(すいれん)の茎の長さには
おどろかされます。

「姫睡蓮(ひめすいれん)」でさえも。
池はばが長ければ四方八方に「水の中の枝」。

「モネ」の描いた睡蓮(すいれん)の
「水の中の枝」は「どれほど長いのだろう」。

睡蓮(すいれん)も「太古の時代」に
陸の動物に「かじられないように」
水中に「逃げ込んだ」のでしょう。

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大賀ハス(オオガハス、おおがはす)とは。
1951年(昭和26年)、千葉県千葉市検見川
(現・千葉市花見川区朝日ケ丘町)にある
東京大学検見川厚生農場
(現・東京大学検見川総合運動場)の
落合遺跡で発掘された
今から2000年以上前の古代のハスの実から
発芽・開花したハス(古代ハス)のことです。

戦時中に東京都は燃料不足を補うために
花見川下流の湿地帯に豊富な草炭が埋蔵されていた
「草炭」を採掘していました。

採掘は戦後も継続して行われていました。
1947年(昭和22年)7月28日に作業員が採掘現場でたまたま
1隻の丸木舟と6本の櫂を掘り出しました。

その調査によりもう2隻の丸木舟と
ハスの果托などが発掘されました。

「縄文時代の船だまり」であったと
推測され落合遺跡と呼ばれました。

植物学者でハスの権威者でもある大賀一郎博士
(当時・関東学院大学非常勤講師)が
発掘品の中にハスの果托があることを知り。
1951年(昭和26年)3月ボランティアの協力
を得てこの遺跡の発掘調査を行いました。

翌日で打ち切りという
30日の夕刻になって花園中学校の女子生徒により
地下約6mの泥炭層からハスの実1粒が発掘され予定を延長し
4月6日に2粒、計3粒のハスの実が発掘されました。

大賀博士は5月上旬から発掘された
3粒のハスの実の発芽育成を試みるも2粒は失敗に終わりました。
だが1951年3月30日に出土した1粒が育成に成功致しました。

翌年の1952年(昭和27年)7月18日にピンク色の大輪を咲かせました。
このニュースは国内外に報道されて多いな「驚愕」を与えました。
同年11月17日付米国ライフ誌に「世界最古の花・生命の復活」
として掲載され博士の姓を採って「大賀ハス」と命名されました。

シカゴ大学のリピー博士らによって放射性炭素年代測定が行われました。
ハスの実は今から2000年前の弥生時代以前のものであると推定された。

この古代ハスは、
1954年(昭和29年)6月8日に「検見川の大賀蓮」として
千葉県の天然記念物に指定されました。
また1993年(平成5年)4月29日には千葉市の花として制定され、
現在日本各地は元より世界各国へ根分けされ、
友好親善と平和のシンボルとしてその一端を担っています。

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ふと「パンの神」を思い出しました。
(「牧神パン(Pan)」=「Pan」=「パン」=
「飯(はん)」=「全般の般」=「パンアメリカンのパン」=

「パン」「pan」は「すべて」という意味の
古代ギリシャ語そして「サンスクリット」も同じ。

古典ギリシア語 Παν、Pan「パンの神」は。
幼少時からゼウスから他の神々全て*に好かれたので
(古代ギリシャ語でTheophilusテオフイルス/ラテン語では
amadeus アマデウス**)
「パン」と名づけられました。

「頭は人間で胴体は山羊」です。

「テュホン:テューホーン:Τυφών: Typhon」
ギリシア神話に登場する魔神***。
に追いかけられ
あわてて身を守るため川に飛び込み「頭は人間で胴体は人魚」
に変身したために。

「パニック」=「panic:パン的」
という言葉が生まれました。

星座に「山羊座」という星座があります。

山羊座は不思議ですが
「あわてて身を守るため川に飛び込み
「頭は人間で胴体は人魚」」
に変身した「パンの神」を示しています。
山羊ではありません。

むしろ正確には人魚です。

だから。
「山羊座」という「意味」はわかります。
けれども「命名」の観点から。
「山羊座」というのはかなり「妙」な気が致します。
「人魚座」というのが正しい。

 


名称「パンの神」の由来は「ギリシャ神話」でも
非常に多くの「言い伝え」がいくつがあります。
その「言い伝えの数」に正比例して「混乱」があります。

**
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの
「アマデウス」とは「パンの神」のことです。
(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの
ヴォルフガングは「おおかみが行く」という意味です。
よって
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは

「狼のように歩み神に愛されたモーツアルト」
ということになります)

***
「テュホン:テューホーン:Τυφών: Typhon」は
「台風:たいふう」と日本語では名前を変えています。

****
タイフーン級原子力潜水艦は
旧ソ連・ロシアの941型(プロジェクト941)
戦略ミサイル搭載原子力潜水艦のことです。
タイフーンはそれに付けられたNATOコードネームですが
この名称は日本の「台風」とは「直接関係」はありません。

日曜の

朝晴れて

はじめて気づく

にわの小ささ

にちようの

あさはれて

はじめてきづく

にわのちいささ

朝晴れて

にわの小さき

気づかぬときは

病(やまい)なりけり

日曜の朝

あさはれて

にわのちいさき

きづかぬときは

やまひなりけり

にちようのあさ

葉がつきて。

物心もつく

桜かな

はがつきて

ものこころもつく

さくらかな

休診日ですが。
早朝に朝まだ暗いうちから
首都高を走って病院に到着致します。

空はきらきらのラピス・ラズリの
紺碧のジュースから
ミルク色のはいった
トルコ石の「プリン」に変わるように変化
していきます。

遠くにぽかぽか浮ぶ「雲々」は
トルコ石の「プリン」の上の「クリーム」の
ようです。
にわのあじさいは「アイスクリーム」
のようです。

夏きらきらラピス・ラズリの空(そら)
夏紺碧のカクテルいろの空(そら)
夏ミルクをそそそいだ空(そら)
夏トルコいしのプリンの空(そら)
夏はるかにとほくたかい空(そら)
夏ほかほか浮ぶ雲々(くもぐも)そら
夏プリンの上のクリームのような空(そら)
夏睡蓮(すいれん)の水面に空(そら)
夏睡蓮(すいれん)のうえに空(そら)
夏空(そら)の向こうにまた空(そら)
夏空(そら)そのまたむこうにももっと大きな空(そら)

春のうららのこもれびに

緑木いらかをかぜはやみ

青風ひるむやうつろひの

四季のつきひははやいくとせ

夏のうららのこもれびに

緑木いらかのつねなりて

赤き空(そら)にて炎えたたむ

四季のつきひははやいくとせ

秋のうららのこもれびに

緑木いらかにかぜさやか

秋風かたれるやすらきの

四季のつきひははやいくとせ

冬のうららのこもれびに

緑木いらかにかぜつよし

冬風弓(ゆみ)射る木枯らしの

四季のつきひははやいくとせ

日々のうららのこもれびに

祈想い(おもい)のいらかにかぜつよし

生きる力に祈りはせ

四季のつきひははやいくとせ

やまひのとまやのこもれびに

祈願りの(いのり)のいらかにかぜさみし

やみいるこころに力(ちから)はせ

四季のつきひははやいくとせ

いづるわかばのこもれびに

ひかりのいらかにかぜやさし

おもふこころに瞑想(おもひ)のせ

四季のつきひははやいくとせ

やさしくかたるるこもれびに

あさひのいらかにかぜさむし

ゆれるからだに意思(こころ)つみ

四季のつきひははやいくとせ

かわるるつきひのこもれびに

かたりのいらかにあめさみし

うたれしからだに決意(さだめ)おい

四季のつきひははやいくとせ

夏椎木(しいのき)は枝高し
夏そらに吼える若葉の穂束
夏そらに吼える蒼き獅子のごとし
夏天にも地にもみどりはさける
夏のあさふかまりて
夏陽の光ゆたかなりけり
夏いふことのなし
夏いふことがなし
夏いふことはなし
夏いふこともなし
夏ゆたかなるかな夏

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成21年1月12日(月曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

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平成21年2月11日(水曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の御予約の。
患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
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平成21年3月20日(金曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の御予約の。
患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

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平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

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平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

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★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。
インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がきます。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著であろうと推察されます。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」
であることを懸念しています。
そして気候の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表される。
ウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。
「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。

カラヤンはセルが非常に尊敬していた指揮者。
しかし、実際に顔をあわせると
身長の差(身長が182センチあり、
5センチほど大きい)もあって。

緊張たカラヤンに
意見を求めてもカラヤンは「はい、マエストロ」
と小声で言うのが精一杯であった
カラヤンに強い影響を与えた指揮者。

1897年 - ジョージ・セル、指揮者(+ 1970年)
の生誕日です。

++++++++++++++++++++++

ジョージ・セル:George Szell, Szell Gyorgy,
1897年6月7日 - 1970年7月30日)は。

ハンガリーのブダペストに生まれ、
アメリカ合衆国クリーブランドに没した指揮者です。

++++++++++++++++++++++

ジョージ・セル:George Szell, Szell Gyorgyは。

ハンガリー人の父とスロヴァキア人の母の
間に生まれました。

幼くしてピアノ演奏に才能を示し、
「神童」と呼ばれました。

わずか3歳からウィーン音楽院で
ピアノ、指揮、作曲
(教師はマックス・レーガーなど)を学びました。

11歳で自作を弾いてまずピアニストとしてデビュー。

次いで16歳で
ウィーン交響楽団を指揮して指揮者としてもデビュー
致しました。

さらにベルリン・フィルハーモニー管弦楽団にも
ピアニスト・指揮者・作曲家として。
顔を出すようになりました。

++++++++++++++++++++++

ジョージ・セル:George Szell, Szell Gyorgy
は。

セルは青年期までは
作曲家としての作品も数多く残しました。

最終的には指揮者の道を選び、
リヒャルト・シュトラウスの教えを受けました。

彼のアシスタントを経た後。

1917年ごろからストラスブールの歌劇場をはじめ
ドイツ各地の歌劇場でキャリアを積みました。

1924年には当時ベルリン国立歌劇場に君臨していた
エーリヒ・クライバーの下で第1指揮者を務めました。

その後プラハのドイツ歌劇場音楽総監督に就任致しました。

++++++++++++++++++++++

ジョージ・セル:George Szell, Szell Gyorgy
は。

しかし、ナチの台頭に脅威を感じて
イギリスに移動し活動を続けました。

1939年オーストラリア・アメリカへの
演奏旅行中に第二次世界大戦が勃発したため、
帰国をあきらめそのままアメリカに定住致しました。

++++++++++++++++++++++

ジョージ・セル:George Szell, Szell Gyorgy
は。

トスカニーニの援助で。
彼のNBC交響楽団の客演指揮者として迎えられた後、
メトロポリタン歌劇場でも指揮をとりました。

1946年、ラインスドルフの後任として
クリーブランド管弦楽団の常任指揮者に就任致しました。

これは1945年〜46年のシーズンに客演した際に
大好評だったから招聘されたといわれています。

++++++++++++++++++++++

ジョージ・セル:George Szell, Szell Gyorgy
は。

一旦はアルトゥール・ロジンスキ
(ラインスドルフの前任)が鍛えたものの
決して一流とは言えなかった同楽団を。

さらに
鍛えぬいた結果、
程なく全米の「ビッグ・ファイブ」と呼ばれる
第一級のオーケストラのひとつとして
高い評価を得るに至りました。

ちなみに、他の4楽団は、
ニューヨーク・フィルハーモニック(レナード・バーンスタイン)、
フィラデルフィア管弦楽団(ユージン・オーマンディ)、
ボストン交響楽団(シャルル・ミュンシュおよびエーリッヒ・ラインスドルフ)、
そしてシカゴ交響楽団
(フリッツ・ライナーおよびジャン・マルティノン、ゲオルグ・ショルティ)です。

(括弧内は1960年代の常任指揮者名)。

++++++++++++++++++++++

ジョージ・セル:George Szell, Szell Gyorgy
は。
セルは1960年代には
ウィーン、ベルリン、ロンドンなどでも客演指揮を行いました。

1970年5月13日から5月27日にかけて
クリーブランド管弦楽団とともに日本万国博覧会を
記念した企画の一環として来日公演を行いました。

日本でも極めて高い評価を受けました。

多くの聴衆に感銘を与えました。

帰国後まもなく癌のため惜しくも急逝致しました。

++++++++++++++++++++++

ジョージ・セル:George Szell, Szell Gyorgy
は。

セルは厳しい訓練により、
クリーブランド管弦楽団で世界最高のアンサンブルと
称えられるまで完成度の高い合奏を実現致しました。

その正確な演奏をベースに端正で透明度の高い、
均整の取れた音楽を構築致しました。

主観的な感情移入に頼らず
作品のもつ魅力を引き出しました。

特にハイドンやモーツァルト、ベートーヴェンら
古典派の作品における完成美は評価が高いです。

さらに、優れたオーケストラ合奏により
ロマン派の演奏でもいくつかの傑出した演奏を行ないました。

レコード録音に残る
シューベルト、シューマン、ブラームス、R.シュトラウス、
ドヴォルザークなどの演奏は特に優れたものです。

++++++++++++++++++++++

ジョージ・セル:George Szell, Szell Gyorgy
は。

反面、あまりに精密な演奏と禁欲的で客観的な
演奏はしばしば冷たいと評されることもあり、
マーラーやブルックナーなどの演奏でそうした
批判も聴かれ
ました。

彼は良くも悪くも「完璧主義者」と
評されることがしばしばあるようです。

しかし、晩年の録音では円熟しており。
角がやや取れた演奏も残しています。

突然の病魔に襲われなければ
さらに高い境地に達していたのではないかと惜しむ声も多い
指揮者です。

++++++++++++++++++++++

彼はトスカニーニ同様、
オーケストラにとっては
厳しい注文をつけることで恐れられました。

クリーブランド就任後の1シーズンで
楽員の2/3が入れ替わったということです。

ある者は彼がクビにし、
別の者は自ら去ったのです。

しかし、セルとトスカニーニとでは
注文の仕方が全く異なっていました。

トスカニーニ自身は、セルのリハーサルを
辛気臭いものと考えていたし、
実際にセルのリハーサルに立ち会った際には
あまりの辛気臭さに耐え切れず、た
まらずセルを叱り付けています。

また、トスカニーニの有名な怒りは
一時の嵐のようなものであったが、
セルは執拗であったということです。

++++++++++++++++++++++

しかし、
「セルは執拗に楽員を締め上げている。人格が悪い」
と陰口を叩かれているいう噂を聞きつけたトスカニーニは、
「わしも人格は悪いのだが・・・」
と自身を引き合いに出してセルを擁護しています。

また、演奏会中に大失敗をしてしまい、
ショックで落ち込んでいる楽員を
知り合いの医者に連れて行き、
見事立ち直らせたこともありまし

た。クリーブランド管の楽員曰く、
「セルはハートを持っているが、
いつもはそれを隠しているのです」
(以上、レヴァント『健忘症患者の回想録』)。

++++++++++++++++++++++

ジョージ・セル:George Szell, Szell Gyorgy
の。

来日公演には作曲家の
ピエール・ブーレーズが同行し、
何公演かを受け持ちました。

思えば病状の進行を知っていた(とされる)セルも同意して、
いざとなれば代役も務める積りであったものと推察されます。

ブーレーズはクリーヴランドで
ストラヴィンスキーの春の祭典などの録音を行っています。

馴染みの指揮者であったばかりか。
完璧主義者という点でも価値観をともにしていました。

++++++++++++++++++++++

ジョージ・セル:George Szell, Szell Gyorgy
は。
セルはピアニストの
ルドルフ・ゼルキンと音楽院時代の学友です。
クリーブランド時代も何度か共演を行いました。

レコードでもブラームスの2曲のピアノ協奏曲の録音があります。

しかし、1968年に行われた
ブラームスのピアノ協奏曲第1番
のレコーディングでは意見が合いませんでした。

そのレコーディングが
2人の最後の顔合わせとなってしまいました。

++++++++++++++++++++++

ジョージ・セル:George Szell, Szell Gyorgy
は。
セル自身優れたピアニストでもありました。

ブダペスト弦楽四重奏団員
(ヴァイオリン:ジョゼフ・ロイスマン、
ヴィオラ:ボリス・クロイト、チェロ:ミッシャ・シュナイダー)
とモーツァルトのピアノ四重奏曲2曲
(ピアノ四重奏曲第1番ト単調K.478、ピアノ四重奏曲第2番変ホ長調K.493)
の録音(1946年8月19&20日、ニューヨーク、リーダークランツ・ホールにて録音)
がありました。
その演奏は彼の指揮スタイルを彷彿とさせるものでした。

++++++++++++++++++++++
カラヤンはセルを非常に尊敬していました。

しかし、実際に顔をあわせると
身長の差(セルは身長が182センチあり、
セルの方が5センチほど大きい)もあって緊張し。

セルがカラヤンに
意見を求めてもカラヤンは「はい、マエストロ」
と小声で言うのが精一杯だったということです。

また、1967年のザルツブルク音楽祭に
クリーヴランド管を引き連れて出演した際、
カラヤンにもクリーヴランド管を指揮させています

(この組み合わせは。
同年のルツェルン音楽祭でも公演している)。

++++++++++++++++++++++
ジョージ・セル:George Szell, Széll Györgyは。

相当な美食家でもありました。

特にワインに関する知識については
ウォルトンが舌を巻くほどだたっという。
マンネス音楽大学で教鞭を執ったこともあります。

教え子にはジョージ・ロックバーグなどがいます。

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ジョージ・セル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%AB

ジョージ・セル:George Szell, Szell Gyorgy, 1897年6月7日 - 1970年7月30日)はハンガリーのブダペストに生まれ、アメリカ合衆国クリーブランドに没した指揮者である。

参考文献
三浦淳史「ジョージ・セル 完全主義者であり無用の装飾をかなぐり捨てた古典主義者」『クラシック 不滅の巨匠たち』音楽之友社、1993年
浅里公三「ザルツブルク音楽祭のジョージ・セル」『モーツァルト:交響曲第35番「ハフナー」他 ライナーノーツ』ソニー・ミュージックエンタテインメント、1995年
藤田由之「このディスクによせて」『ブルックナー:交響曲第3番ニ短調 ライナーノーツ』ソニー・ミュージックエンタテインメント、1995年
吉井亜彦「セルのモーツァルトについて」『モーツァルト:交響曲第41番「ジュピター」他 ライナーノーツ』ソニー・ミュージックエンタテインメント、1995年
柴田龍一「このアルバムのこと」『ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」他 ライナーノーツ』ソニー・ミュージックエンタテインメント、1995年
歌崎和彦『証言/日本洋楽レコード史(戦前編)』音楽之友社、1998年。
満津岡信育「海外盤試聴記 比類のないバランス感覚 セルのザルツブルク音楽祭ライヴ」『レコード芸術2007年12月号』音楽之友社、2007年
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%AB" より作成

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++

6月7日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/6%E6%9C%887%E6%97%A5

できごと
1494年 - スペインとポルトガルの間でトルデシリャス条約が締結。
1654年 - フランス王ルイ14世が戴冠。
1692年 - ジャマイカのポート・ロイヤルで大地震。
1776年 - リチャード・ヘンリー・リーが、アメリカ独立を求めるリー決議案を大陸会議に提出。
1863年 - メキシコ出兵:フランスがメキシコシティを占領。
1905年 - ノルウェーがスウェーデンからの独立を宣言。
1913年 - 北米大陸最高峰のマッキンリーに、アメリカの宣教師のスタックらが初登頂。
1921年 - ルーマニア・ユーゴスラビア相互援助条約が締結される。
1936年 - 多摩川スピードウェイにて第1回全国自動車競走大会が開催。
1938年 - DC-4Eが初飛行。
1939年 - 満蒙開拓青少年義勇軍壮行会が明治神宮外苑競技場にて開催。
1941年 - アメリカ海軍の戦艦サウスダコタが進水。
1942年 - 太平洋戦争:日本軍がキスカ島を占領。
1944年 - アイスランドがデンマークから独立。
1951年 - 計量法公布。
1951年 - 日本初のクレジット会社、日本信用販売(現:三菱UFJニコス)が誕生。
1955年 - 東京で第1回日本母親大会が開かれる。
1981年 - イラク原子炉爆撃事件、イスラエル空軍がイラク・タムーズのオシラク原子炉を奇襲攻撃、破壊する。
1982年 - エルヴィス・プレスリーの自宅「グレイスランド」の一般公開が始まる。
1991年 - ピナトゥボ山から高さ7000メートルの噴煙が立ちのぼる。
1995年 - ユナイテッド航空をローンチカスタマーとしてボーイング777が運用開始。

誕生日
1402年(応永9年5月7日) - 一条兼良、公卿・歌人(+ 1481年)
1770年 - リヴァプール伯ロバート・バンクス・ジェンキンソン、イギリス首相(+ 1828年)
1778年 - ジョージ・ブライアン・ブランメル、イギリスのセレブリティ・ダンディスト(+ 1840年)
1825年 - ギュスターヴ・エミール・ボアソナード、法学者(+ 1910年)
1840年 - シャルロッテ・フォン・ベルギエン、メキシコ皇帝マクシミリアンの皇后(+ 1927年)
1848年 - ポール・ゴーギャン、画家(+ 1903年)
1868年 - チャールズ・レニー・マッキントッシュ、建築家・デザイナー・画家(+ 1928年)
1896年 - ナジ・イムレ、ハンガリー首相(+ 1958年)
1897年 - ジョージ・セル、指揮者(+ 1970年)
1907年 - マリオ・フィリッペスキ、テノール歌手(+ 1979年)
1926年 - 木部佳昭、政治家(+ 2001年)
1927年 - 南原宏治、俳優(+ 2001年)
1940年 - トム・ジョーンズ、歌手
1943年 - 中山成彬、政治家
1947年 - ドン・マネー、プロ野球選手
1949年 - 岸部四郎、タレント
1951年 - ボビー・マルカーノ、プロ野球選手(+ 1990年)
1953年 - 若原瞳、女優
1954年 - 木田勇、プロ野球選手
1958年 - プリンス、ミュージシャン
1959年 - 小林武史、音楽家
1960年 - 荒木飛呂彦、漫画家
1960年 - ジム・パチョレック、プロ野球選手
1960年 - 和田秀樹、精神科医・評論家
1961年 - 白井一幸、プロ野球選手
1961年 - 岡崎郁、プロ野球選手
1961年 - 手塚理美、女優
1963年 - 厦門潤、漫画家
1964年 - 徳永善也、ミュージシャン(ドラマー)(+ 2004年)
1964年 - 永井利光、ミュージシャン(ドラマー)
1964年 - 岩野博、車いすバスケットボール選手
1964年 - 相場勤、野球選手
1965年 - ミック・フォーリー、プロレスラー
1966年 - 喜田あゆ美、声優・女優
1967年 - 永島浩之、ミュージシャン
1970年 - 平良幸一、プロ野球選手
1970年 - 大神友明、サッカー選手
1970年 - カフー、サッカー選手
1972年 - 揚田.あき、タレント・実業家
1973年 - 寺本比呂文、プロ野球選手
1973年 - ソン・ユナ、韓国の女優
1973年 - DAISUKE、ミュージシャン(BIGBELL)
1974年 - 穴井夕子、タレント
1977年 - 松田純、タレント
1977年 - 矢部美穂、タレント
1977年 - 朴明桓、野球選手
1978年 - 三浦敦子、女優
1978年 - 佐藤茜、アナウンサー
1978年 - エイドリアン・フランツ、米国の女優
1979年 - 小糸チクワ、お笑い芸人
1979年 - 田中健太郎、プロ野球選手
1979年 - 池端陽介、サッカー選手
1979年 - 手島和希、サッカー選手
1979年 - 山本義幸、アナウンサー
1980年 - 宮崎奈緒美、ローカルタレント
1980年 - 諫山実生、ミュージシャン
1980年 - イバン・マルドナド、野球選手
1980年 - ベルニ・ロドリゲス、バスケットボール選手
1981年 - アンナ・クルニコワ、テニス選手
1982年 - 松岡健一、プロ野球選手
1982年 - 鵜飼宏長、サッカー選手
1982年 - 塩谷瞬、俳優
1982年 - 下小鶴綾、女子サッカー選手
1983年 - 浅見れいな、女優・ファッションモデル・グラビアアイドル
1984年 - 将司昂親、大相撲力士
1984年 - 牧田哲也、俳優(D-BOYS)
1985年 - カレン・ロバート、サッカー選手
1986年 - 高橋勇丞、プロ野球選手
1986年 - 市川卓、プロ野球選手
1987年 - 高麗美菜、グラビアアイドル
1988年 - 吉田早希、グラビアアイドル
1990年 - 高島良介、俳優
1993年 - ジョーダン・フライ、米国の俳優・声優
1994年 - 大崎望絵、女優
1994年 - 島田智之介、俳優
2002年 - 村山蒼也、俳優
生年不明 - 千道万里、漫画家(PEACH-PIT)

忌日
960年(天徳4年5月6日)- 藤原師輔、平安時代の公卿(* 908年)
1329年 - ロバート1世、スコットランド王(* 1274年)
1358年(延文3年/正平13年4月30日) - 足利尊氏、室町幕府初代将軍(* 1305年)
1492年 - カジミェシュ4世、ポーランド王(* 1427年)
1612年(慶長17年5月8日)- 近衛前久、安土桃山時代の公卿(* 1536年)
1821年 - トゥドル・ウラジミレスク、ワラキア農民蜂起の指導者(* 1780年)
1826年 - ヨゼフ・フォン・フラウンホーファー、光学技術者(* 1787年)
1840年 - フリードリヒ・ヴィルヘルム3世、プロイセン王(* 1770年)
1848年 - ヴィッサリオン・ベリンスキー、文芸評論家(* 1811年)
1876年 - ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ、スウェーデン王オスカル1世の妃(* 1807年)
1891年 - 中村正直、啓蒙思想家(* 1832年)
1935年 - イヴァン・ミチューリン、生物学者(* 1855年)
1937年 - ジーン・ハーロウ、女優(* 1911年)
1945年 - 西田幾多郎、哲学者(* 1870年)
1951年 - オットー・オーレンドルフ、ナチス・ドイツの親衛隊中将(* 1907年)
1954年 - アラン・チューリング、数学者(* 1912年)
1964年 - 高群逸枝、民俗学者・詩人(* 1891年)
1965年 - ジュディ・ホリデイ、女優(* 1921年)
1966年 - 安倍能成、教育者・評論家・哲学者(* 1883年)
1966年 - ジャン・アルプ、彫刻家・画家・詩人(* 1886年)
1970年 - E・M・フォースター、小説家(* 1879年)
1971年 - マチルダ・クシェシンスカヤ、バレエダンサー(* 1872年)
1976年 - 嶋田繁太郎、日本の海軍大臣(* 1883年)
1977年 - オットー・カイザー、フィギュアスケート選手(* 1901年)
1978年 - ロナルド・ノーリッシュ、化学者(* 1879年)
1980年 - ヘンリー・ミラー、小説家(* 1891年)
1981年 - 琴ヶ濱貞雄、大相撲の力士(* 1927年)
1987年 - 呉昌征、プロ野球選手(* 1916年)
1995年 - 久松定武、愛媛県知事(* 1899年)
2001年 - ビクトル・パス・エステンソロ、ボリビア大統領(* 1907年)
2004年 - コロムビア・トップ、漫才師・政治家(* 1922年)
2006年 - 大橋節夫、歌手、スチールギター奏者(* 1925年)
2006年 - 岡野加穂留、政治学者・第11代明治大学学長(* 1929年)
2006年 - ジョン・テンタ、プロレスラー(* 1963年)
2006年 - アブー=ムスアブ・アッ=ザルカーウィー、テロリスト(* 1966年?)
2008年 - 寛吉、大相撲の呼出(* 1930年)
2008年 - ホルスト・スコッフ、テニス選手(* 1968年)

記念日・年中行事

(旧)計量記念日 現行記念日は11月1日
通商産業省(現:経済産業省)が1952年(昭和27年)に制定。

1951年(昭和26年)、それまでの「度量衡法」を全面的に改正した
「計量法」が公布された。
翌1952年(昭和27年)3月1日から施行され、
1959年(昭和34年)1月1日からは大部分が尺貫法からメートル法になった。

1993年(平成5年)11月1日の「計量法」の全面改正にともない、11月1日に変更された。

母親大会記念日
1955年、第1回母親大会が東京で開催。
母親たちの社会活動の意欲がこの大会によって高まったと言われている。