東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年6月9日(火曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年6月9日(火曜日)

「春」の「3月「4月」「5月」がおわり。

「6月」になりました。

「初夏」です。

「夏」になりました。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

「昨年」
「9月」がおわわりました。
「10月」も終わりました。
「11月」もおわり。
「12月」で「冬」になりました。
「12月」がおわり。
「昨年」はおわりました。

「冬」も「年」を越しました。
「1月」がおわり。
「晩冬」の「2月」もおわりました。
「3月」「春」です。

「春」の。
「3月」「4月」「5月」はおわり。

「初夏」になりました。
「夏」です。

「6月」はしずかに。
しずかに。しずかに。

能の舞(のうのまい)の。

「おきなのあゆみ」のように。

そそとした「夏舞台」の上を。

さらにふかまりつつゆく

「初夏」の景色の舞台の上を。

あゆみつつあります。

能の舞(のうのまい)の。

「おきなのあゆみ」は

「初夏」の「6月」から。

さらにおくふかい「季節」

ふかい「夏」へと。

むかっています。

暗い朝の早朝に。
南の天に「明けの明星」が
輝いています。
闇夜の天高いかがやく惑星。

「明けの明星」金星に。
毎日「おはよう」のあいさつを
します。

「夏」の「6月」の。

早朝に。

はるか暗い早朝に「こおろぎ」の
かすかな。ひとりぼっちの。
鳴き声がきこえたような気が致しました。

けれどもそれは。

「季節風」の声。

毎朝の暗いうち「季節風」の「音色」は。
毎日違います。

「ろうろう」「こうこう」

耳をすませば。
「季節風」の鳴き声は。

「独唱」から次第に「合唱」に
なってゆきます。

そしてオーケストラの楽器の配列のように。
一風一かぜ(ひとかぜ)の
「季節風」の鳴いている場所も。
わかるように。なってきました。

「季節風」も

「夏」。
あつい「夏」の季節。

 にむけての。

ころもがえやひっこしをしている
ことがわかります。

「なつかぜ」に

「衣替え」して。そして。

また深い「夏」の。

「衣替え」を。

するのでしょう。

「季節風」は。

「鳥」のように。

木々の上から電線のうえにやどるようです。

「季節風」は

「街路樹」にとまって。

「夏」を過ごすのでしょう。

「夏」です。

夏の「季節風」のうたう季節

になりました。

「6月」に「夏至」がおわれば。

これから日々ゆっくりと

日は短くなります。

陽はひくくなります。

夜は長くなりはじめます。

これからは天上の太陽は。

いまは「初夏」。

そして。

「初夏」から「真夏」に向かいます。

あさは曇っていて。
さらに昼間でも「さむい」ことがある。
私がおきるまっくらな早朝は。
とてもとても。
とても寒いです。

雪国うまれの私はさむいのがつらい
です。

早朝「そら」をみあげれば。
晴れているはず。日差しもあるはず。

けれども空には
「雲がいっぱい」で「空はくもりそら」
です。
ふしぎな「初夏」のひざしです。

ふとかんがえれば・・。

そして「初夏」には。

「初夏」の「強い日差し」から。

「若芽」をまもり。

「真夏」の太陽から。さらなる恵みを。

「実る木の芽」にあたえる。

「空」こそは。

「ソフトフイルター」の役目を。

深い「夏」の「おぼろくもりそら」が。

しているようです。

自然とは。

とてもよくできたものです。

変幻自在であり

そして規則も正しい。

なおかつにして。

自由が自在。

春夏秋冬。

大気に漂う霞がごとし。

深い山の奥に住むという

仙人の心境(ここち)が。

とても

よくわかる。

「夏」の街路樹もそうそうたる。
ふかまる冬の羽振りを。
まとう木々に姿になってきました。

街路樹は「落葉樹」がよいです。

街路樹が「松や杉」のような。
「常緑樹」では
冬はうっそうとして
陽の光をえられない。

夏場は枝ぶり葉っぱから陽の光を
さえぎれない。

晩秋も「針葉樹の落葉」では
木枯らしもつりがあわない。
とどのつまり
四季のリズムはつくれません。

ヴイバルデイの
「四季」の「夏」にある
木陰で休む羊飼いの旋律
も。
フランツ・シューベルトの
「菩提樹」の歌曲
も「うまれません」。

落葉の針葉樹で
強いからといって私の「好き」な。
「からまつ」をうえられても
街路樹には叶(かな)わないでしょう。

私の「大好き」な。
北原白秋の「からまつの詩」。

「からまつ」は

街路樹にはそぐはないかもしれません。

播磨の俳人滝野瓢水の句

「手に取るな

やはり野におけ蓮華草」

のように。

「夏」ではあっても。

やはり野におけ蓮華草。

やはり野におけから松木。

「からまつ」も蓮華草と同じくに。

清楚な華やかさとはかなさを

もっています。

やはり野におけ。

蓮華草とからまつ。

「夏」の「からまつ」です。

そしていま。
「夏」をあゆむ「からまつ」の時期になりました。

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北原白秋
 
「水墨集」より

  
 落葉松
-------------------------------

      一
 
 からまつの林を過ぎて、
 
 からまつをしみじみと見き。
 
 からまつはさびしかりけり。
 
 たびゆくはさびしかりけり。

      二
                 
 からまつの林を出でて、
 
 からまつの林に入りぬ。
 
 からまつの林に入りて、
 
 また細く道はつづけり。

      三
 
 からまつの林の奥も
 
 わが通る道はありけり。
  きりさめ
 霧雨のかかる道なり。
 やまかぜ
 山風のかよふ道なり。

      四
 
 からまつの林の道は、
 
 われのみか、ひともかよひぬ。
 
 ほそぼそと通ふ道なり。
 
 さびさびといそぐ道なり。

      五
 
 からまつの林を過ぎて、
 
 ゆゑしらず歩みひそめつ。
 
 からまつはさびしかりけり、
 
 からまつとささやきにけり。

      六

 からまつの林を出でて、
  あさま ね
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。
 
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。
 
 からまつのまたそのうへに。

      七
 
 からまつの林の雨は
 
 さびしけどいよよしづけし。
 
 かんこ鳥鳴けるのみなる。
 
 からまつの濡るるのみなる。

      八
 
 世の中よ、あはれなりけり。
 
 常なれどうれしかりけり。
 
 山川に山がはの音、
 
 からまつにからまつのかぜ。

-------------------------------

木々の青葉の房が
早朝くらい中でも
うかびあがります。
とりわけ私は
くすのき科が。
「大好き」な「木」の
ひとつです。
ポプラも好きです。
イチョウもすきです。
けやきもすきです。
カエデもすきです。
もみじもすきです。
松もすきです。
杉もすきです。
からまつも好きです。

いまは
「夏」「6月」です。

「夏」「6月」になり。
裸木の。
木々の穂先は小さいけれども毛氈(もうせん)
のようにあざやかな萌黄色と緑です。

まるで。
大きな里山の森の冬のうねりのようです。
今年は木々のわかばの冬のめばえがとてもとても
鮮烈です。
「夏」の芽はえも「鮮烈」なことと見守ります、
「季節風」が。
若芽のうえを吹き抜けていきます。

街角の雑草も
夏草に変貌して。

「季節風」になり。

道端のくさばなは。
「遠慮がち」にながら堂々と一本の茎。

雑草も。
夏草へと変貌しつつながらえています。
あたたかかう
ふかまる「夏」をまつ。
「夏」の野原の雑草です。

朝暗いうちは。
とてもはださむいです。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックには。
ふとい孟宗竹のたけやぶ
があります。
竹はせがたかいから。

クリニック館内からはすこし離れた所にある。
はなれていても。
とおくからもみえます。

夏風てらせる夏竹の
笹葉は蒼くふるえたり
みどり葉笹葉にかぜはやみ
夏陽をうつすやうつろひの
竹の葉夏かぜはやいくとせ

夏地にも空にも
夏みどり葉ひらき
夏みどり木冬空
夏天高くひろがりけり
夏ゆたかなりけり
夏いふことのなし
夏いふことがなし
夏いふことはなし
夏ゆたかなりけりはる

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

平成21年1月12日(月曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ限られた時間帯で。
診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年2月11日(水曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ限られた時間帯で。
診療を行います

はおわりました。
-------------------------------

平成21年3月20日(金曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ限られた時間帯で。
診療を行います
はおわりました。

-------------------------------

平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

-------------------------------

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。
インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がきます。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著であろうと推察されます。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」
であることを懸念しています。
そして気候の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表される。
ウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

-------------------------------
麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です。

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「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
季節の変わり目に「反復性上気道感染」に
なられるかたが多いです。

「世情は不安定」であり何かひとつ
生活しづらい日々を感じられる
かたも多いものです。。

人間は「倒れるまではたっています」。
人間は「冬・春」の旅に(度に)齢を重ねる。

昔の「数え年」は「たいした物」だと思います。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝。

「今日は何の日」は。

デンマークではもっとも有名な作曲家
である。

1865年 - カール・ニールセン、作曲家(+ 1931年)
の生誕日です。

++++++++++++++++++++++

カール・ニールセン:Carl August Nielsen
は。
カール・ニールセン:Carl August Nielsen
(またはニルセン、またはカルル・ネルセン、
Carl August Nielsen,
1865年6月9日 - 1931年10月3日)は、
デンマークの作曲家です。

デンマークではもっとも有名な作曲家です。
同国の作曲家に
ルドルフ・ニールセン(
Ludolf Nielsen, 1876年1月29日 - 1939年)がいるが
全くの別人です。

++++++++++++++++++++++
カール・ニールセン:Carl August Nielsen
と。
同年生まれの北欧の作曲家に、
フィンランドのジャン・シベリウスがいます。

(ちなみにグラズノフやデュカス、
マニャールも同年生まれである。)

現在のデンマーク100クローネ紙幣に
カール・ニールセン:Carl August Nielsen
の肖像が描かれています。

++++++++++++++++++++++

カール・ニールセン
:Carl August Nielsen

代表曲に。

6つの交響曲(特に第4番や第5番が有名。)、
3つの協奏曲
(これらの協奏曲は
カール・ニールセン国際音楽コンクールで競われている。)、
数多くの歌曲・合唱曲などがあります。

これらの歌曲・合唱曲は、
今日もデンマークの学校や家庭などに広く普及し。
歌われています。

++++++++++++++++++++++

カール・ニールセン:Carl August Nielsen
は。

1865年 フュン島のノーレ・リュンデルセに生まれました。
アンデルセンの出身地オーデンセから
12kmほどはなれた農村地帯です。

父ニルス・ヨアンセンはペンキ職人で、
兄弟は12人の大世帯で貧しい生活でした。
音楽の趣味がありました。

1871年(6歳) この頃から、父の楽団に入り
ヴァイオリンを弾くようになりました。

1879年(14歳) オーデンセの軍楽隊に欠員が出たため応募し
、わずか1ヶ月の練習で合格致しました。
この時はホルンとトランペットを扱いました。

++++++++++++++++++++++

カール・ニールセン
:Carl August Nielsen
は。

1884年 コペンハーゲンの音楽院を受験したが不合格。
作曲家のニルス・ゲーゼに作品を見せることに
よって合格が許されました。

音楽院時代にはヴァイオリン・ソナタ、
弦楽四重奏曲などの習作を手がけました。

1888年 卒業後に「弦楽四重奏曲第1番」、
「弦楽五重奏曲」などの作品を発表し、
続く「弦楽のための《小組曲》」では好評を得ます。

翌年にかけて交響曲に試みるが挫折。
その第1楽章が「交響的ラプソディ」
となりました。

++++++++++++++++++++++

カール・ニールセン:Carl August Nielsen
は。

1889年 王立劇場オーケストラのヴァイオリン奏者となり。

ヨハン・スヴェンセン(Johan Svendsen, 1840年
- 1911年)のもとで
オーケストラの活動が始まりました。

1891年 パリで。
アンネ・マリー・ブローデルセン(彫刻家)と出会い、結婚。

1892年 交響曲第1番を完成。
批評も良く、海外でも演奏され、
作曲家として順調な活動を開始致しました。

1901年 4幕からなる歌劇『サウルとダヴィデ』を完成。

1902年 交響曲第2番『四つの気質』を発表致しました。

++++++++++++++++++++++
カール・ニールセン:Carl August Nielsen
は。

1903年 ギリシャを旅し、
エーゲ海の日の出に感激して序曲『ヘリオス』を
作曲致しました。

1906年 2作目の歌劇『仮面舞踏会』、
弦楽四重奏曲の頂点である「弦楽四重奏曲第4番」を発表。

1908年 スヴェンセンが王立劇場楽長を引退し、
その後を引き継ぎました。

1911年 交響曲第3番『ひろがりの交響曲』 、
ヴァイオリン協奏曲を完成。

1914年 第一次世界大戦のため王立劇場楽長を辞任。

1915年 王立コペンハーゲン音楽院の理事に就任。
音楽協会で指揮者として活動
致しました。

1916年 交響曲第4番
『不滅(滅ぼし得ざるもの)』を完成。
ピアノ曲の頂点である
「シャコンヌ」、「主題と変奏」を発表。

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カール・ニールセン:Carl August Nielsen
は。

1922年 交響曲第5番、管楽五重奏曲を完成。

このころより作風が変化し、
より難解で内向的なものになっていきました。

管楽五重奏曲は
コペンハーゲン管楽五重奏団のために書かれ、
メンバー全員のために5つの協奏曲を書くことも
計画していました。

フルート協奏曲(1926年)と
クラリネット協奏曲(1928年)の2曲で終わりました。

++++++++++++++++++++++

カール・ニールセン:Carl August Nielsen
は。

1925年 交響曲第6番『素朴な交響曲』を完成。

1931年 オルガン曲「コンモツィオ」完成。
王立コペンハーゲン音楽院の院長に就任。逝去。

++++++++++++++++++++++

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カール・ニールセン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%83%B3

カール・ニールセン:Carl August Nielsen(またはニルセン、またはカルル・ネルセン、 Carl August Nielsen, 1865年6月9日 - 1931年10月3日)は、デンマークの作曲家である。

デンマークではもっとも有名な作曲家である。同国の作曲家にルドルフ・ニールセン( Ludolf Nielsen, 1876年1月29日 - 1939年)がいるが別人である。同年生まれの北欧の作曲家に、フィンランドのジャン・シベリウスがいる。(ちなみにグラズノフやデュカス、マニャールも同年生まれである。)

現在のデンマーク100クローネ紙幣にその肖像が描かれている。

代表曲に、6つの交響曲(特に第4番や第5番が有名。)、3つの協奏曲(これらの協奏曲はカール・ニールセン国際音楽コンクールで競われている。)、数多くの歌曲・合唱曲などがある。これらの歌曲・合唱曲は、今日もデンマークの学校や家庭などに広く普及し、歌われている。

目次
1 生涯
2 主な作品
3 主な録音
3.1 交響曲
3.2 室内楽曲
3.3 ピアノ曲
3.4 オルガン曲
4 関連項目
5 参考文献
6 外部リンク
6.1 日本語
6.2 外国語

生涯
1865年 フュン島のノーレ・リュンデルセに生まれた。アンデルセンの出身地オーデンセから12kmほどはなれた農村地帯である。父ニルス・ヨアンセンはペンキ職人で、兄弟は12人の大世帯で貧しい生活だったが、音楽の趣味があった。
1871年(6歳) この頃から、父の楽団に入りヴァイオリンを弾くようになった。
1879年(14歳) オーデンセの軍楽隊に欠員が出たため応募し、わずか1ヶ月の練習で合格した。この時はホルンとトランペットを扱った。
1884年 コペンハーゲンの音楽院を受験したが不合格。作曲家のニルス・ゲーゼに作品を見せることによって合格が許された。音楽院時代にはヴァイオリン・ソナタ、弦楽四重奏曲などの習作を手がけた。
1888年 卒業後に「弦楽四重奏曲第1番」、「弦楽五重奏曲」などの作品を発表し、続く「弦楽のための《小組曲》」では好評を得る。翌年にかけて交響曲に試みるが挫折。その第1楽章が「交響的ラプソディ」となった。
1889年 王立劇場オーケストラのヴァイオリン奏者となり、ヨハン・スヴェンセン(Johan Svendsen, 1840年 - 1911年)のもとでオーケストラの活動が始まった。
1891年 パリでアンネ・マリー・ブローデルセン(彫刻家)と出会い、結婚。
1892年 交響曲第1番を完成。批評も良く、海外でも演奏され、作曲家として順調な活動を開始した。
1901年 4幕からなる歌劇『サウルとダヴィデ』を完成。
1902年 交響曲第2番『四つの気質』を発表した。
1903年 ギリシャを旅し、エーゲ海の日の出に感激して序曲『ヘリオス』を作曲した。
1906年 2作目の歌劇『仮面舞踏会』、弦楽四重奏曲の頂点である「弦楽四重奏曲第4番」を発表。
1908年 スヴェンセンが王立劇場楽長を引退し、その後を引き継いだ。
1911年 交響曲第3番『ひろがりの交響曲』 、ヴァイオリン協奏曲を完成。
1914年 第一次世界大戦のため王立劇場楽長を辞任。
1915年 王立コペンハーゲン音楽院の理事に就任。音楽協会で指揮者として活動した。
1916年 交響曲第4番『不滅(滅ぼし得ざるもの)』を完成。ピアノ曲の頂点である「シャコンヌ」、「主題と変奏」を発表。
1922年 交響曲第5番、管楽五重奏曲を完成。このころより作風が変化し、より難解で内向的なものになっていく。
管楽五重奏曲はコペンハーゲン管楽五重奏団のために書かれ、メンバー全員のために5つの協奏曲を書くことも計画していたが、フルート協奏曲(1926年)とクラリネット協奏曲(1928年)の2曲で終わった。
1925年 交響曲第6番『素朴な交響曲』を完成。
1931年 オルガン曲「コンモツィオ」完成。王立コペンハーゲン音楽院の院長に就任。逝去。

主な作品
ニールセンは多作な作曲家に分類され、歌劇を含むほとんどすべての分野の作品がある。作品番号のないものが多く、ダン・フォウ(Dan Fog)とトーベン・スコウスボー(Torben Schousboe)が1965年に作成した作品目録“Carl Nielsen kompositioner”によるFS番号が分類番号として用いられる。

作品の詳細についてはカール・ニールセンの楽曲一覧を参照。

主要作品
弦楽四重奏曲第1番 ト短調 (1887~88,op.13,FS.4)
小組曲 イ短調(弦楽のための)(1888年, op.1, FS.6)
交響曲第1番(1892年, op.7, FS.16)
合唱曲『愛の賛歌』 (1896~97,Op.12,FS.21)
歌劇『サウルとダヴィデ』(1901, FS.25, 全4幕)
交響曲第2番「四つの気質」(1901年, op.16, FS.29)
序曲『ヘリオス』(1903年, op.17, FS.32)
合唱曲『眠り』 (1903〜04,Op.18,FS.33)
歌劇『仮面舞踏会』 (1906, FS.39, 全3幕)
交響詩『サガの夢』(1908年, op.39, FS.46)
交響曲第3番「広がり」(1911年, op.27, FS.60)
ヴァイオリン協奏曲 (1911,op.33,FS.61)
交響曲第4番「不滅」(1916年, op.29, FS.76)
『シャコンヌ』 (1916,op.32,FS.79)
『主題と変奏』 (1916,op.40,FS.81)
宗教的合唱と歌曲 (1913-14,作品番号なし,FS.83)
交響詩『パンとシリンクス』(1917年 - 1918年, op.49,FS.87)
劇音楽『アラディン』(アラジンとも)(1918〜19年, op.34,FS.89)
弦楽四重奏曲第4番 ヘ長調 (1919,op.44,FS.36)※『陽気』の改訂版
劇音楽『母』(1920,op.41,FS.94) - 「霧が晴れていく」
交響曲第5番(1922年, op.50, FS.97)
合唱曲『フューンの春』 (1922年,Op.42,FS.96) 「フューン島の春」とも。
木管五重奏曲 ト長調 (管楽五重奏曲)(1922,op.43,FS.100)
交響曲第6番「シンプル」(1925年, FS.116)
フルート協奏曲 (1926/27改訂,FS.119)
狂詩曲風序曲『フェロー諸島への幻視旅行』(1927年, FS.123)
クラリネット協奏曲 (1928,op.57,FS.129)
『3つの小品』 (1928,Op.59,FS.131)
合唱曲『3つのモテト』 (1929,Op.55,FS.139)
『コンモツィオ』(コンモーティオ) (1930〜31,Op.58,FS.155)

主な録音

交響曲
ニールセンの交響曲全集の主なCD
ブロムシュテットとサンフランシスコ響との録音はおそらく、最も高い評価を受けている。

ヘルベルト・ブロムシュテット指揮デンマーク放送交響楽団(参照↑)
テオドレ・クチャル指揮ヤナーチェク・フィルハーモニー管弦楽団(参照↑ 参照↑)
ダグラス・ボストック指揮ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団(参照↑)
ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ交響楽団
ヘルベルト・ブロムシュテット指揮サンフランシスコ交響楽団(参照↑ 参照↑)
オーレ・シュミット指揮ロンドン交響楽団(参照↑)(Regis RRC 3002)
ミヒャエル・シェーンヴァント指揮デンマーク放送交響楽団
ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮ロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団(参照↑)
オスモ・ヴァンスカ指揮BBCスコティッシュ交響楽団(BIS-CD-1079,1289,1209)

また、レナード・バーンスタインは1,6番を除く2〜5番を録音しており(全曲との資料もある)、カラヤンは4番のみを録音している。

室内楽曲
ダイアモンド・アンサンブル、トリオ・オンディーヌ他演奏の全集が発売されている。(参照↑)(Vol 1:NAXOS 8.226064)

ピアノ曲
ピーター・シーヴライトがナクソス・レーベルからピアノ曲全集を出している。(参照↑ 参照↑)(Vol 1:NAXOS 8.553574/Vol 2:NAXOS 8.553653)

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6月9日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/6%E6%9C%889%E6%97%A5

できごと
1534年 - 探検家ジャック・カルティエが、ヨーロッパ人として初めてセントローレンス川を訪問。
1796年(寛政8年5月4日)- 油屋騒動
1815年 - ウィーン議定書締結、ウィーン体制が始まる。
1905年 - 日露戦争で、アメリカ合衆国大統領セオドア・ルーズベルトが日露講和を勧告。
1933年 - イギリスの新聞がネス湖で撮影されたネッシーの写真を掲載(撮影者がトリック写真であったとのちに白状)。
1934年 - ドナルドダックがアニメーション映画「かしこいメンドリ」で初登場。
1944年 - 継続戦争: ソ連軍がフィンランドへの再攻勢を開始。
1946年 - ラーマ9世がタイ国王に即位。
1946年 - ラーマ8世が崩御。
1957年 - マーカス・シュマック率いるオーストリア登山隊がブロード・ピーク初登頂。
1981年 - アニメディア創刊号発売。
1993年 - 皇太子徳仁親王と小和田雅子が結婚。
1993年 - 新潟県長岡市で落雷による停電や被害が多数発生する。
2002年 - サッカー日本代表が、FIFAワールドカップで1-0でロシアに勝ち、ワールドカップ初勝利。
2005年 - 日韓間の歴史共同研究で歴史教科書を研究対象に加える方向で調整に入る。
2005年 - JR只見線で橋桁が列車に接触する事故発生。
2006年 - FIFAワールドカップがドイツで開幕。

誕生日
1526年(大永6年4月29日) - 松平広忠、武将、徳川家康の父(+ 1549年)
1661年 - フョードル3世、モスクワ大公(+ 1682年)
1671年 - ピョートル1世、モスクワ大公(+ 1725年)
1781年 - ジョージ・スチーブンソン、イギリスの技術者
1812年 - ヨハン・ゴットフリート・ガレ、天文学者(+ 1910年)
1843年(天保14年5月12日)- 伊東祐亨、日清戦争時の連合艦隊司令長官(+ 1914年)
1850年 - ウィルヘルム・ルー、発生学者(+ 1924年)
1865年 - カール・ニールセン、作曲家(+ 1931年)
1865年 - アルベリク・マニャール、作曲家(+ 1914年)
1878年 - 日野熊蔵、軍人・パイロット(+ 1946年)
1886年 - 山田耕筰、作曲家(+ 1965年)
1898年 - ルイジ・ファジオーリ、レーシング・ドライバー(+ 1952年)
1906年 - 陸定一、中国の政治家(+ 1996年)
1913年 - 倉本信護、プロ野球選手(+ 1983年)
1915年 - レス・ポール、ギタリスト・レスポール開発者
1917年 - エリック・ホブズボーム、歴史家
1923年 - スーザン・ストレンジ、国際政治経済学者(+ 1998年)
1923年 - 田英夫、参議院議員
1925年 - キース・ローマー、小説家(+ 1993年)
1925年 - ジミー・ニューベリー、プロ野球選手
1930年 - 相沢進、プロ野球選手(+ 2006年)
1936年 - 柳田邦男、ノンフィクション作家
1938年 - 竹下光郎、プロ野球選手
1938年 - 徳武定祐、プロ野球選手
1939年 - イレアナ・コトルバシュ、ソプラノ歌手
1939年 - 内田忠男、国際ジャーナリスト
1941年 - ジョン・ロード、ミュージシャン
1943年 - ジョー・ホールドマン、小説家
1945年 - 青木雄二、漫画家・評論家(+ 2003年)
1945年 - 飯島忠義、政治家
1946年 - 高橋一三、プロ野球選手
1950年 - かしわ哲、歌手(5代目うたのおにいさん)
1951年 - 堂上照、プロ野球選手
1951年 - デーブ・パーカー、メジャーリーガー
1953年 - 柏葉幸子、児童文学作家
1955年 - 安達和平、舞台俳優
1956年 - パトリシア・コーンウェル、推理作家
1961年 - 紫堂恭子、漫画家
1961年 - マイケル・J・フォックス、俳優
1962年 - 佐藤洋、プロ野球選手
1963年 - ジョニー・デップ、俳優
1963年 - 片平保彦、プロ野球選手
1964年 - 薬師丸ひろ子、女優
1964年 - 高田誠、プロ野球選手
1972年 - 半場友恵、声優
1972年 - 有川浩、作家
1973年 - 岡本克道、プロ野球選手
1975年 - 渋谷琴乃、女優
1975年 - 中島啓貴、ミュージシャン
1976年 - 内田恭子、アナウンサー
1976年 - 十文字昭憲、大相撲力士・幕内
1979年 - 国仲涼子、女優
1979年 - RUKA、ミュージシャン(ナイトメア)
1980年 - 植田佳奈、声優
1980年 - 須賀勇介、ミュージシャン(12012ギター、リーダー)
1980年 - くまきりあさ美、タレント・グラビアアイドル
1980年 - 三枝夕夏、歌手
1980年 - 長栄陽一郎、野球選手
1981年 - 麗、ミュージシャン(ガゼット)
1981年 - 周渝民(ヴィック・チョウ)、歌手(台湾のアイドルグループF4)
1981年 - アキラ・レイン、モデル
1981年 - ナタリー・ポートマン、女優
1982年 - 大久保嘉人、サッカー選手
1984年 - ユリエスキ・グリエル、野球選手
1986年 - 前田俊介、サッカー選手
1987年 - 水野祐希、プロ野球選手
1988年 - 若林舞衣子、プロゴルファー
1989年 - 水谷隼、卓球選手
1990年 - 大田泰示、プロ野球選手
1991年 - 船曳健太、ジャニーズJr.
1992年 - ダニエラ・チャクラン(en:Danielle Chuchran)、女優

忌日
68年 - ネロ、ローマ皇帝(* 37年)
373年 - シリアのエフレム、カトリック教会・正教会の聖人(* 306年頃)
597年 - コルンバ、カトリック教会・正教会・聖公会・ルーテル教会の聖人(* 521年)
1200年(正治2年4月26日)- 安達盛長、鎌倉幕府の御家人(* 1135年)
1348年 - アンブロージョ・ロレンツェッティ、画家(* 1290年頃)
1407年(応永14年5月4日)- 島津伊久、南北朝時代の武将(* 1347年)
1493年(明応2年閏4月25日) - 畠山政長、畠山氏の養子(* 1442年)
1572年 - フアナ3世、ナバラ王国女王(* 1528年)
1656年 - トマス・トムキンズ、作曲家(* 1572年)
1717年 - ギュイヨン夫人、神秘家(* 1648年)
1760年(宝暦10年4月26日)- 大岡忠光、江戸幕府側用人(* 1709年)
1820年 - ヴィルヘルミーネ、オラニエ公ヴィレム5世の妃(* 1751年)
1837年(天保8年5月7日)- 徳川斉位、第5代一橋徳川家当主(* 1818年)
1843年(天保14年5月12日)- 小笠原忠固、第6代小倉藩主(* 1770年)
1863年 - ドースト・ムハンマド・ハーン、アフガニスタン王(* 1793年)
1870年 - チャールズ・ディケンズ、小説家(* 1812年)
1879年 - ナポレオン・ウジェーヌ・ルイ・ボナパルト(ナポレオン4世)、フランスの皇太子(* 1856年)
1892年 - 月岡芳年、浮世絵師(* 1839年)
1897年 - アルヴァン・グラハム・クラーク、望遠鏡技術者(* 1832年)
1921年 - ジャネット・ジェローム、ウィンストン・チャーチルの母(* 1854年)
1922年 - ウィリアム・ゴーランド、冶金・化学技術者・考古学者(* 1842年)
1923年 - ヘレナ、イギリスの王族(* 1846年)
1923年 - 有島武郎、小説家(* 1878年)
1923年 - 波多野秋子、「婦人公論」記者(* 1894年)
1931年 - ウィリアム・デニング、天文学者(* 1848年)
1944年 - 光延東洋、日本海軍の少将(* 1897年)
1946年 - ラーマ8世、チャクリー王朝8代目の王(* 1925年)
1950年 - 出羽ヶ嶽文治郎、大相撲の力士(* 1902年)
1951年 - アドルフ・ブッシュ、ヴァイオリン奏者(* 1891年)
1959年 - アドルフ・ヴィンダウス、化学者(* 1876年)
1961年 - 知里真志保、言語学者(* 1909年)
1964年 - ルイス・グルーエンバーグ、作曲家・ピアニスト(* 1884年)
1965年 - 中澤不二雄、野球解説者・パシフィック・リーグ会長(* 1892年)
1967年 - 山下太郎、実業家(* 1889年)
1972年 - 徳岡神泉、日本画家(* 1896年)
1974年 - ミゲル・アンヘル・アストゥリアス、小説家(* 1899年)
1975年 - 松丸東魚、篆刻家(* 1901年)
1976年 - 久板栄二郎、劇作家・脚本家(* 1898年)
1977年 - 小西得郎、プロ野球監督・野球解説者(* 1896年)
1984年 - 吉田精一、国文学者(* 1908年)
1985年 - 川口松太郎、小説家(* 1899年)
1987年 - モニク・アース、ピアニスト(* 1909年)
1989年 - ジョージ・ウェルズ・ビードル、遺伝学者(* 1903年)
1991年 - クラウディオ・アラウ、ピアニスト(* 1903年)
1992年 - 椋尾篁、アニメーション美術監督(* 1938年)
1994年 - ヤン・ティンバーゲン、経済学者(* 1903年)
1995年 - フランク・チャックスフィールド、イージーリスニング作曲家・指揮者(* 1914年)
1995年 - ソイロ・ベルサイエス、プロ野球選手(* 1939年)
2000年 - ジョージ・シーガル、彫刻家(* 1924年)
2003年 - ロンブ・カトー、通訳者(* 1909年)
2004年 - 滝口康彦、小説家(* 1924年)
2005年 - 塚本邦雄、作家(* 1920年)
2007年 - 関口清治、プロ野球選手(* 1925年)
2008年 - アルジス・バドリス、SF作家(* 1931年)
2008年 - 石川隆彦、柔道家(* 1917年)
2008年 - 木下強三、プロ野球選手(* 1936年)

記念日・年中行事
胸キュンの日
映画「ラブ★コン」から申請し、認定を受けている。
ロックの日
日本ロック工業会と日本ロックセキュリティ協同組合が制定。「ロ(6)ック(9)」の語呂合わせ。
語呂合わせで音楽の「ロックの日」と云われてはいるが、正式な記念日ではない。