東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年6月18日(木曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年6月18日(木曜日)

「夏」です。

「夏」の「6月」

になりました。

まばゆいほど。

ことばでは。

いいつくせないほどに。

まぶしくて。

ありがたくやさしい。

「夏」「6月」の。

するどく。

つよい陽射しです。

しあわせいろの。

とても。

とてもあかるい陽射しです。

「6月」の。

「朝」の陽射しの「あかるさ」は。

なにものにも。

たとえようこそありません。

「しずかなひざし」です。

けれども「朝陽」の光は。

とても「するどい」。

夏朝陽(なつあさひ)

緑木枝間に

われを見る

まばゆくも

夏朝陽(なつあさひ)鋭く輝く

眼(まなこ)なりけり

なつあさひ

みどりきえたまに

われをみる

まばゆくも

なつあさひするどくかかやく

まなこなりけり

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

「夏」になりました。

今年も夏がきました。

「夏」がきて。

今は「6月」。

「夏」がふうせんのように。

ふくらみ。

ひろがってゆく季節です。

「6月」です。

「盛夏」まぢかし。

ひなまつりはおわり。

野には。

たんぽぽが葉草となり。

夏草の花が咲き。

野草は葉草となり。

よもぎや。

すぎながいっぱいになりました。

みどり葉のつつじが。

さえほこっています。

「夏」になり「川の水音」は。

あたかも。

「ゆたかな清流」の。

「みずのながれのおと」に。

きこえるようになりました。

「夏」の小川。

「どんどん」ながれる。

なつのおがわ。

高さも低さこそ見えないのに。

あゆみたゆまず。

ながれる水の流れ。

とても感銘致します。

春分の日もすぎれば。
「さくら」咲きはじめ
「さくら」がおわり。
「4月」が終われば。
「5月」になり。
「5月」もおわれば。
6月に。「夏」になり。
6月も終われば。
7月 たなばた。
7月 もおわれば。
せみのなく8月。
8月の夏はすぎれば。
9月の秋になり秋の虫が鳴く。
そして9月がおわり。
中秋10月なり紅葉の季節。
そして10月がおわり。
「11月」になり。
晩秋「11月」もおわり12月の「冬」。
「12月」になればまた「年」があけ。
また「初春」がくる。

そして来年も「春」の「3月」がきて。
そして「4月」「5月」がおわり。
そして「6月」がくる。

「なつ」の「6月」です。

「陽」はすでに

日々とてもたかくなりつつあります。

「夏」がきて。

「ま夏」に向かう「ひざし」の。

「光」の日々です。

「夏」の「6月」です。

「夏」の「6月」の。

「夏至」までもうすぐ。

陽は日々たかくなっています。

夜になっても明るい。

とてもよくわかります。

朝陽ののぼるのが早くなりました。

夕陽がおりるのは遅くなりました。

朝の「夏」の陽射しは

窓越しにも「まばゆい」

くらいです。

夕暮れの「夏」の陽射しは

「はしりおえた」

「陸上競技の選手」のようです。

つかれて。けれども充実して。

くれてゆきます。

明るい夜がきます。

まことに。

冬来たりなば春遠からじ。

ふゆきたりなば

はるとおからじ

(出 典は。

 イギリスの詩人シェリー*の

『西風に寄せる歌』の一節。

英 語の原文: 

If winter comes,

can spring be far behind? )

「英国:United Kingdom UK」のロマン派の
詩人は。「御自分」のテーマの「鳥」を
紋章のようにもっています。
英国ロマン派の詩人は、
それぞれ愛好し、崇拝する鳥を持っていました。

ジョン・キーツは、
「夜鶯」(ほととぎす)の神秘的な声に魅惑され。
夜の闇に響くその歌声を主題に詩を書いています。

ワーズワースにとって、詩の霊感をもたらし、
彼に生きることの喜びを教えてくれる鳥は、
「郭公」(かっこう)でした。

パーシー・シェリーは「雲雀」(ひばり)の声に魅惑され。
ひばりを崇拝する鳥として。
主題とした詩を書いています。

「春」から「夏」への

移り変わりは

二階から。

「かけあし」の足音のとんときこえぬ。

「空き家」のごとき「うつろい」でした。

二階から。

「かけあし」の足音のきこえぬ。

「かげろう」

の「たたずまい」のようでした。

「9月」の初秋がおわり。
「名月中秋10月もおわり」ました。
「11月」。

「11月」もおわりました。
「12月」もおわりました。
「新年」「初春」の「1月」もおわり。
今は
「2月」「晩冬」もおわりました。

「春」から「夏」への移り変わりは

「かげろう」のようにうつろいました。

「夏」はひそやかにと。

こっそりと。ゆっくりと。

ひそかに。あるいて来ます。

そしてゆっくりと。

「秋」になるまで

あるいて行きます。

だから。

「夏」をまつのであれば。

「夏」がひそやかに。

しのびあしで。

歩いてくるのをまたなければ。

なりません。

「秋」がくるのをまつのであれば。

「夏」がゆっくりと。

しのびあしで。

歩いていくのをまたねば。

なりません。

もう「夏」ですね。

「夏」はゆっくりとあるいてやってくる。

「夏」がひそやかにかくれてやってくる。

さきのことすぎるかもしれないが「来年」。

このように「時」のうつろいを

心はせれば。

考えると「おそろしいもの」です。

考えなければ。
「なおおおそろしい」
ものであるものかもしれない。

「考えずにいるつけ」がまわって
くるからかもしれません。

「来年」のことを考えれば「鬼」が笑う。
「来年」のことを考えずにすむのであれば「鬼」は
笑わないのでしょう。
「鬼」とはなんだろう。

今日の深夜早朝03:15amには。

久方ぶりに。

大きな「夏」の「星空」がみえました。

早朝くらいうちは。

空に月。

「お月様」が「雲のじゅうたん」に。

天高くにねそべって。

かさををさしている。

ようです。

「夏」の「夜空」の。

「おぼろ月夜」です。

「赤い月」でした。

04:00amころ日があければ。
まだまだくらい朝日を背に。
西のコバルトの空高く明るい。
とても高い成層圏近くの高い高度に。

西のコバルトの空高に。
「刷毛」でひいたように「絹雲(けんうん)」が
何本も何本も。
描かれて。
たなびいていました。

実に見事な筆捌(ふでさばき)です。
ためらいのない「朝焼け」
「夏」の「朝焼け色」の線描です。

「夏」の朝。

「陽射し」ののぼるころは。

「西」の空

のほうが明るいのです。

朝が明けて午前になれば。

まばゆいほどの。

「夏」のひざしが。

陽がのぼる。

東から。

窓のカーテンと。

木々の合間をぬって。

「さあ 外においで!」

とさそうがごとく。

大きな声で。

よびかけてくるようです。

ハーメルンの笛吹き男のようです。

高い成層圏近くの高い高度に。
「刷毛でひいたように」「絹雲(けんうん)」
の端には渦巻きのような「ぬけあな」があり
「さらなる遠方の青空」が透けてみえます。

さながらにして。
東山魁夷画伯の描かれた大きな壁画。
大きな屏風絵の世界。

東山魁夷画伯の描かれた大きな絵画を
彷彿とさせますです。

東山魁夷画伯。
「よくえがかけた画伯です」。

この「あおぞら」をみていると。

陽のひかりをみていると。

とても

信じられないくらいに。

元気がわいてくることに。

気が付きました。

「太陽」の「陽射し」。

「陽」の「めぐみ」は。

なんと。

ありがたいことだろう。

なんと尊いことだろう。

そら一杯の青空の

天井(てんじょう)と。

「太陽のひかりのひざし」は。

「生きとし生けるもの」にとって。

なによりもの。

まことの。

「めぐみ」なのであり。

それを戴けるのは。

「よろこび」おほきことです。

「太陽のひかりのひざし」は

「いのちへのめぐみ」。

「いのちのよろこび」。

ありとあらゆる「生命」「いのち」をはぐくみ。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をたたえる。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をなぐさめる。

「生きとし生けるもの」の「いのち」に。
さらなる。
「はるかかなた」までの。
「いきるちから」をさずけるものです。
「太陽」。
ありがたいものです。

はやいものです。
ときのたつのは。
はやいものです。

そしてふと考えれば

去年も
「12か月」が
終わりました。

中秋から晩秋にうつろい。
いまや
「寒月」の「12月」がおわり。
新年の「1月」がおわり。
「晩冬」の「2月」がおわり。
「初春」の「3月」「4月」がおわり。

「夏」「6月」です。

「夏の花」の花の花びら。

ひろって。
手のひらにかかげれば。
「夏の花」の花のかおりは。
プラチナ色の香りが
致します。

今は。
「夏の花」が。
蕾をふくらませています。
「夏の花」の。

はながは鐘袖(ベル・スリーブ)のように。
ふくらんでいます。

「夏」の花の「はなびら」が。

闇夜のあいだに。

朝の早朝まだ。

「花」にもきがつかぬうちに

また地に舞い下りています。

「夏の花」

には。

ひとのよの。

「人のいのち」の。

「こたえ」があるような

気が致します。

ふと野の花は。

一般的には。

香らない花が。

多いことに気づきました。

伊藤左千夫の「野菊の墓」の「野菊」は。
矢車菊 (やぐるまぎく)
はとても綺麗なむらさきの「のぎく」です。
けれども「のぎく」は香りません。
(Corn lower, Bachelor's-button)です。

因みに
最高級の(今はもうとれない)
インド・カシミール地方で産出されたの
サフアイアの色は

「矢車菊色:やぐるまそう色」といわれます。

「カシミール・ヴァイオレット」。

麦畑やとうもろこし畑の中に 咲いていたことから。
「コーン・フラワー」=「野菊」(Corn lower)
です。

別名 「矢車草(やぐるまそう)」
といわれることがあります。

実は「矢車菊 (やぐるまぎく)」と
「矢車草(やぐるまそう)」まったく違う植物です。
矢車菊 (やぐるまぎく)が「野菊」。
「矢車草(やぐるまそう)」は「高山植物」。

「野菊」は春から夏にかけて咲くむらさきの花です。

古代エジプトのツタンカーメン王の墓 からも
発見された由緒正しき「野菊」。
色は紫。むらさきです。

ツタンカーメン王の。

まだ幼な子王妃が。

「亡きツタンカーメンンに野菊の花束ささげるけなげな姿」
が鮮烈に眼に浮かびます。

この「花」が。

「野菊」です。

「野菊の墓」の「野菊」。

けれども。

「野菊」は

香らない。

毎朝暗い早朝と。

うす暗くなる午後6時ころには。

「季節風」が

ふいている。

「季節風」がかわりばんこに。

あちこちで

「ろうろう」「こうこう」とないています。

「夏かぜ」の
「季節風」の
の「コーラス」を聞いていると。

ふと。

「この「夏」におびえるひと」の気配が
脳裏をはしりました。
はてだれだろう。

うら若き乙女。
貧しさに。
苦労に苦労をかさねて。
苦しんで苦しんだ苦しんだあげくに。
24歳にして世を去った
「樋口一葉」。

樋口一葉の
夏ではあるけれども。
「うらわかき」「「冬」と「春」の短歌」がきこえるようです。

散たまるふもとの落葉わけて思ふ
埋もれぬべきは雪の山里

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ
うもれぬへきはゆきのやまさと

庭の面につもる紅葉の色見れば
散りての後もにしきなりけり

にわのおもにつもるもみしのいろみれば
ちりてのあともにしきなりけり

世の中の秋にあはじとおくれけん
一もと野ぎく思ひあがりて

よのなかにあきにあはしとおくれけん
ひともとのきくおもひあがりて

折々に散るものどけし春雨の
はれたる軒の山桜ばな

おりおりにちるものどけしはるさめの
はれたるのきのやまさくらばな

わが園のものとおもへば初わかな
はつかなれども嬉しかりけり

わがそののものとおもへばはつわかな
はつかなれどもうれしかりけり

立ち渡る霞をみれば足引きの
山にも野にも春は来にけむ

たちわたるかすみをみれはあしひきの
やまにものにもはるはきにけむ

わたつ海の波のいづこに立ち初て
果なくつゝむ春の霞ぞ

わたつみのなみのいづこにたちそめて
はてなくつつむはるのかすみぞ

さざ波やしがの都のいにしへの
おもかげうすく立つ霞かな

ささなみやしかのみやこのいにしえの
おもかけうすくたつかすみかな

鶯のけさおとづるゝ声聞て
はじめて春の心地こそすれ

うくいすのけさおとつるるこへききて
はしめてはるのここちこそすれ

うれしくもわがものにして聞てけり
このあかつきの鶯の声

うれしきもわかものにしてきこへけり
このあかつきのうくいすのこへ

のどかなるけさの雨にやはるの野の
みどりも色まさるらむ

のとかなるけさのあめにや
はるののの
みとりのいろもまさるらむ

おくれたる友の為にとしをりして
谷間の蕨折り残しけり

おくれたるとものためにとしをりして
たのまのわらひおりのこしけり

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ

うもれぬへきはゆきのやまさと

にわのおもにつもるもみしのいろみれば

ちりてのあともにしきなりけり

よのなかにあきにあはしとおくれけん

ひともとのきくおもひあがりて

-------------------------------

おりおりにちるものどけしはるさめの

はれたるのきのやまさくらばな

わがそののものとおもへばはつわかな

はつかなれともうれしかりけり

たちわたるかすみをみれはあしひきの

やまにものにもはるはきにけむ

わたつみのなみのいづこにたちそめて

はてなくつつむはるのかすみぞ

ささなみやしかのみやこのいにしえの

おもかけうすくたつかすみかな

うくいすのけさおとつるるこへききて

はしめてはるのここちこそすれ

うれしきもわかものにしてきこへけり

このあかつきのうくいすのこへ

のとかなるけさのあめにや

はるののの

みとりのいろもまさるらむ

おくれたるとものためにとしをりして

たのまのわらひおりのこしけり

「24歳」の「とても貧しい乙女」の。

「夏」によろこび。

「夏」にもおびえおののく。

隠したくはない「乙女のほこり」

けれども。

隠さざるを得ぬ「乙女のほこり」

かなしさの。おもかげと。

光さす。輝きと。

お若い「御婦人」の「知」「智」が。

ほこりたかくも。

そしてはかなくも。

「ひしひし」とよみとれます。

「夏至」はもうすぐすぎます。

これからは日は。
陽は次第にみじかくなる。
日が短くなる。
朝は明けるのは遅くなり。
夕に暗くなるのは早くなる。

しだいに陽がみじかくなる。
なぜか。
不思議なやさしさ。
やすらぎと。
心やすらかなる
安堵感をかんじます。

心やすらかなる
安堵感をかんじます。

けれども。
「安堵」と「落胆」は。
常に表裏一体。
両羽(もろば)の剣。

「ぬかよろこび」の「ぬか」のような
ものです。

「ながくなる陽」も両羽(もろば)の剣を
持っています。

そして。
季節には「大気の音色(ねいろ)」もあるようです。

朝空は
陽ははるかに天高く。
空色はミルク色です。
クリームのかかった雲空です。

東京都世田谷区山本クリニックの庭園には

「えどむらさき」という「つつじ」
が「何本」もはえています。
野生種に近いものです。
大きな真紅紫の花を咲かせます。

「つつじ」ですから
盆栽の「皐月:さつき」のような
繊細さはみえません。

この「6月」になり。
森山を分け入ると。

木々の根元に隠れ咲く。
だいだい色の花の花のごとくに紅葉したまま
しもがれする
「やまはぜの葉木」が「大好き」です。

「やまうるしの紅葉」もかわいらしく。
「大好き」です。

身の丈以上ほどにもなって群生する。
野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
が。
病院の林の一角に野生のまま
おいしげっています。

野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
のパープルの真珠が群れたように実る
「実りの木の実」の風にそよぐ音色には。
おどろかされます。

あけびつたもうれしい。
あけびの「実」がみつかればなおなおうれしい。

またたびをみつけました。
根元にねこにかじられきずがある。

里山の冬の時期から。
そして初春の里山の季節
になりました。

四季の歩みの春夏秋冬のうつろいは
メトロノームの「あゆみ」を
感じさせます。

この「あゆみ」の「質量」は
とてもとても高いです。
質量があれば。あたかも。
重力のように。
四季のリズムにひきよせられていく。
そのような感じがします。

四季の歩みの春夏秋冬は。
フアジーでいてなお着々。
確実な「リズム」を感じます。

ここに。
「メロディ:旋律」とハーモニー:和声」
がくわわれば「音楽の三要素」。
音楽と同じです。

草花や草木につつまれた自然は。
「音楽」と同じように
ひびきとして聴こえます。

自然は
「しぜん」の
「ヴィルトオーゾ」と
「ヴィルトゥオーサ(virtuosa)」
*です。

この「自然のフイルハーモニウム」の。
指揮者は。
太陽なのか大地なのか人なのか。

或は音色をかもし出す自然はオーケストラ
であるのか。
ソリストなのだろうか。

私の尊敬する「合衆国USA」の
女性で小説家(「ノーベル賞受賞者」)
「パール・サイデンストリッカー・バック
(Pearl Sydenstricker Buck)
中国名、賽珍珠(サィ・チンシュ)」
パールバックの「大地」に
その「こたえ」が示唆されています。

古代より芸術家が
自然を音楽や絵画や彫刻
で表現しようとした気持ちが良く判ります。

*ヴィルトゥオーソ(virtuoso)は、
「博識、達人」を意味するイタリア語の男性名詞である。
複数形の場合はヴィルトゥオーシ(virtuosi)
、女性形はヴィルトゥオーサ(virtuosa)となる。
ラテン語のvirtus(「男らしさ」「美徳」「至高」の意)を語源とし、元来は「有徳の」「誉められるべき」
を意味する形容詞の男性形であった。

実際の楽曲ではこの三要素は。
密接に音楽的に結びつきひとつの楽曲をなします。

但し音楽の「リズム・メロディ・ハーモニー」は
一つだけを明確に取り出せる「成分」というわけ
ではありません。

また「音楽であるため」に。
三要素が絶対必要ということ
でもないでしょう。

邦楽などではリズム・ハーモニーは
存在しないか希薄である事が多いです。
「音楽」として「欠陥」があるわけ
ではありません。

「リズム・メロディ・ハーモニー」
が西洋音楽の常識ではありえないほど
高度な進化を遂げた音楽も存在致します。

邦楽もその一つです。

大和の国 やまとのくにの自然は。
「大和の国の音楽」と同じように思えます。
聴こえます。

「音楽」は「音」「おと」です。
そして「しらべ」=メロディとハーモニーです。
人類が「この音楽」を「楽譜」として
「寸分たがわず」「譜面」という名の「紙」に
「かくことを完成させた」ということは
大変なことです。

人間は。
人類は。
わずか「400年」で。

「音楽の旋律」に対する「楽譜」を。
「あらたな言語」を
完全に「完成」させたことになります。

まさにミューズの神の「神業かみわざ」です。

木々のめぶきの
冬なおも。
ますます力強い息吹を感じます。

「真夏」をすぎ「冬」になると。
再び「若葉」がみられることに。
きづきました。
「ため息」がでるほど木々の「冬若葉」の
「つどい」は「つよく」「うつくしい」。
雪の上のみどり。

木々のてっぺんは萌黄色から
「ふかみどり」
になりました。
そして「しっかりと樹木として
「冬を迎えた葉束」になりました。
これからは
「深まる冬」がすぎさり「春」。
「開花」の炎が。
樹木の上方で。
「雪の到来」を.
くすぶりてまちわびてています。
たえしのぶ冬の樹木です。

「若葉」の「新緑」から「深緑」です。

高い木々の穂先は萌黄から若草色に。
うねるなみのように。
木々の新緑は常緑となり冬のおとずれを
伝えていました。

桜は葉桜から「葉木」
道路沿いの「けやき」の木々も
萌黄から若葉。
そして青葉。
どうもうともいえる青葉。
そして見え隠れする「紅葉葉」。
紅葉葉の10枚20枚がひとつひとつ
の樹木にみえるようになりました。
「黄色調」です。
そして今「樹木」は「葉のいろ」をかえ
「宙」に舞おうとしています。

明らかなる。
「冬から春」とはことなる。
「夏から秋」。
「秋から冬」
そして「冬」の「木枯らし」。

木々の四季の。
大気の「色」のうつろい
に気づきます。

今は里山(さとやま)をさまよい。
今は里山(さとやま)をあるきたい。
今は里山(さとやま)の季節。
今は昔々里山(さとやま)であそび。
今は昔々て里山(さとやま)でおぼえ。
今は昔々里山(さとやま)でまなんだ。
今は昔々のその日々の思い出は。
今は黄金(こがね)か。あるいは。
今は銀か。いぶし銀か。
今はもしかしたらプラチナか。
今は思い出色は鉛のように。
今は重さは鉛のようになり。
今は心の奥深くに埋もれて感じられます。

「幸せ色」=「しあわせいろ」

ならばよいです。

けれども
早朝は非常にあたたかくなりました。

夏やま中さまよいて
夏やま中をわけいらば
夏やま中大樹の根元に隠れたり
夏やま中あけぼの色のちひさき炎(ほのほ)
夏やま中みつけたりやまの秋の華。
夏やま中やまの秋葉木のかくれんぼ
夏やま中大樹の根元に隠れたり
夏山はぜの葉木。
夏やま中やまうるしの葉木。
夏やま中あきやまはぜとふるやまうるし。
夏こす「はだか木」。
夏こす元気な木。たくましき木。

夏山萩(やまはぎ)の
夏花をかくして燃えたたむ
夏に実りの祭りなり
夏山はぜの葉炎
夏天高く燃ゆ

なつやまはぎの
なつはなをかくしてもえたたむ
なつにみのりのまつりなり
なつやまはせのほのほ
なつてんたかくもゆ

ひろくなりけり空(そら)たかし
さとやまに木々のみどり木
こもれびうけて燃えるがごとし
みどりの炎(ほのほ)
ほのほうちけさむかすみはあおし
ほのほにかすみにただよひて
うるわしくかがやきたり
あたたかくかおりたり
あざやかなりけり 
やまさとのやまみどり
やまさとのふかみどり

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
は「英国:United Kingdom UK」の
「風景画家」
天才画家ですが「緑」が大嫌い
で「黄色」が「大好き」。
「木」をかくのを非常にいやがったそうです。

多分ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
が「修行時代」に「お金にために
「どこの国も同じですが」
「名所絵」をかかされたときの
「反動」ではないかと
今の私は考えます。

「大きな夏みつけた」

から

「夏がすぎてて真秋間近い」

「小さな秋みつけた・。」

そして

「小さな冬みつけた」

そして

「大きな冬みつけた」。

そして

「小さい春」がみつかって。

しだいにおおきな。

「春」になりました。

「夏」がちかづく「八十八夜」

今は「夏」。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

+++++++++++++++++++++

平成21年01月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年2月11日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年3月20日(金曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年7月20日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

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★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらず
インフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。

「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。

「ヴオラ・ダ・ガンバ」の。
名演奏家・作曲家として

20世紀後半の古楽器の「ブーム」で。
再発掘された作曲家。

1673年 - アントニオ・リテレス、
(叙勲されて
アントニオ・デ・リテレス:Antonio de Literes)

作曲家(+ 1747年)
の生誕日です。

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アントニオ・リテレス
:Antonio Literes,
*1673年6月18日 マジョルカ島アルタ -
†1747年1月18日 マドリッド
)は。

スペインとポルトガルで活躍した
後期バロック音楽の宮廷作曲家です。

バレアレス諸島出身です。

叙勲されて
アントニオ・デ・リテレス(Antonio de Literes)
と名乗ったほか。

ポルトガルでは
アントニ・リテレス(Antoni Literes)
として知られていました。

本名は
アントニオ・リテレス=カリオーン
(Antonio Literes Carrion)
です。

++++++++++++++++++++++

アントニオ・リテレス:Antonio Literes
は。
1688年にマドリッドの
スペイン宮廷礼拝堂附属学校で教育を受けました。

ヴィオラ・ダ・ガンバを学びました。

1720年に聖ウィンケントゥス伝に基づく
オラトリオをリスボン大聖堂に提出
(後にリスボン大震災により散逸して今現在はない)
致しました。。

1734年のリスボン震災で焼失した楽曲の代わりに。

晩課祷の音楽や3つのミサ曲を。
ポルトガル宮廷に提出しています。

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アントニオ・リテレス
:Antonio Literes
は。

存命中は宗教曲・世俗曲ともに
高い評価を受けていました。

けれども
没後長らく忘れられていました。

20世紀末の国際的な
古楽器演奏ブームの中で再発見されました。

数々のカンタータや
(サルスエラを含む)歌劇が録音されると。

その安定した作曲技法の高さと
創意の豊かさによって、
積極的に再評価されるようになりました。

++++++++++++++++++++++

ヴィオラ・ダ・ガンバ:イタリア語:Viola da gamba
について。

ヴィオラ・ダ・ガンバ:イタリア語
:Viola da gambaは。

16〜18世紀にヨーロッパで用いられた擦弦楽器です。
フランス語では「ヴィオール」(viole)、
英語では「ヴァイオル」(viol)、
ドイツ語では「ガンベ」(Gambe)と呼ばれます。

イタリア語の「ヴィオラ・ダ・ガンバ」は
「脚のヴィオラ」の意味で、
楽器を脚で支えることに由来到します。
(これに対して
「ヴィオラ・ダ・ブラッチョ」
(=腕のヴィオラ)と呼ばれたのがヴァイオリン属)。

この場合の「ヴィオラ」は
一般的に擦弦楽器を意味到します。

ヴィオラ・ダ・ガンバは
ヴァイオリン属(ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ)
よりも歴史がやや古く。

外観がヴァイオリン属に似ていること、
また18世紀後半にいったん
完全に廃れてしまいました。

++++++++++++++++++++++

楽器の宿命ですが。
いかに綺麗な音色で音域がひろくても。

その楽器の音量が小さいと

忘れ去られます。

今現在は電気的に音量の増幅が可能となり
ました。

綺麗な音色の古楽器が再発見されて。

また同時にこれらの過去の
作曲家や演奏家も同時に再発掘されています。

++++++++++++++++++++++

ヴィオラ・ダ・ガンバ
:イタリア語:Viola da gamba
は。

しばしばヴァイオリン属の前身楽器と誤解されるが、
両者は異なる系統の楽器なのです。

ヴァイオリン属に比べると
音量が小さいヴィオラ・ダ・ガンバは。

劇場や野外での演奏には適さず、
もっぱら宮廷や上流市民の家庭における室内楽、
および教会音楽で用いられました。

市民社会の成熟に伴って音楽演奏の場が
大規模な公開演奏会場に移るこよにより。

リコーダー、リュート、チェンバロなどと
同様に使用されなくなってしまいました。
19世紀末以来の古楽復興運動により復活致しました。

++++++++++++++++++++++

ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者
バロック時代のガンビスト

サント=コロンブ
マラン・マレー
アントワーヌ・フォルクレ
20世紀のガンビスト

ヴィーラント・クイケン
ジョルディ・サヴァール
ニコラウス・アーノンクール
パオロ・パンドルフォ
フレットワーク(全員ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者のグループ)

日本人

宇田川貞夫
坂本利文
志水哲雄
中野哲也
福沢宏
品川聖
平尾雅子
神戸愉樹美
上村かおり
石川かおり
安孫子みかほ

++++++++++++++++++++++

「続きを読む」=>*

++「続きを読むです1」++++++++++++++++++

アントニオ・リテレス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%8B%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%86%E3%83%AC%E3%82%B9

アントニオ・リテレス:Antonio Literes, *1673年6月18日 マジョルカ島アルタ - †1747年1月18日 マドリッド)は、スペインとポルトガルで活躍した後期バロック音楽の宮廷作曲家。バレアレス諸島出身。叙勲されてアントニオ・デ・リテレス(Antonio de Literes)と名乗ったほか、ポルトガルではアントニ・リテレス(Antoni Literes)として知られた。本名はアントニオ・リテレス=カリオーン(Antonio Literes Carrion)。

1688年にマドリッドのスペイン宮廷礼拝堂附属学校で教育を受け、ヴィオラ・ダ・ガンバを学ぶ。1720年に聖ウィンケントゥス伝に基づくオラトリオをリスボン大聖堂に提出(後にリスボン大震災により散逸)。1734年のリスボン震災で焼失した楽曲の代わりに、晩課祷の音楽や3つのミサ曲をポルトガル宮廷に提出している。

存命中は宗教曲・世俗曲ともに高い評価を受けていたが、没後長らく忘れられていた。20世紀末の国際的な古楽器演奏ブームの中で再発見され、数々のカンタータや(サルスエラを含む)歌劇が録音されると、その安定した作曲技法の高さと創意の豊かさによって、積極的に再評価されるようになった。

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++

ヴィオラ・ダ・ガンバ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%90

ヴィオラ・ダ・ガンバ:イタリア語:Viola da gambaは、16〜18世紀にヨーロッパで用いられた擦弦楽器。フランス語では「ヴィオール」(viole)、英語では「ヴァイオル」(viol)、ドイツ語では「ガンベ」(Gambe)と呼ばれる。

イタリア語の「ヴィオラ・ダ・ガンバ」は「脚のヴィオラ」の意味で、楽器を脚で支えることに由来する(これに対して「ヴィオラ・ダ・ブラッチョ」(=腕のヴィオラ)と呼ばれたのがヴァイオリン属)。この場合の「ヴィオラ」は一般的に擦弦楽器を意味する。ヴィオラ・ダ・ガンバはヴァイオリン属(ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ)よりも歴史がやや古く、外観がヴァイオリン属に似ていること、また18世紀後半にいったん完全に廃れてしまったことから、しばしばヴァイオリン属の前身楽器と誤解されるが、両者は異なる系統である。

ヴァイオリン属に比べると音量が小さいヴィオラ・ダ・ガンバは、劇場や野外での演奏には適さず、もっぱら宮廷や上流市民の家庭における室内楽、および教会音楽で用いられた。市民社会の成熟に伴って音楽演奏の場が大規模な公開演奏会場に移ると、リコーダー、リュート、チェンバロなどと同様に使用されなくなったが、19世紀末以来の古楽復興運動により復活した。

目次
1 ヴィオラ・ダ・ガンバ属のサイズ
2 構造・調弦法
3 奏法
4 歴史
5 ギャラリー
6 ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者
6.1 日本人
7 関連項目
8 外部リンク

ヴィオラ・ダ・ガンバ属のサイズ [編集]
ヴァイオリン属と同様に音域の異なるいくつかのサイズがあり、一つの属をなす。音域の高いほうからトレブル(フランスではドゥシュ、ドイツではディスカント)、アルト、テノール、バスがあり、その他にドゥシュより高いパルドゥシュ(フランス)、バスより低いグレートバス、コントラバスがある。このうち、コントラバス・ヴィオラ・ダ・ガンバは特別に「ヴィオローネ」と呼ばれる。なお、バスあるいは小型のバスを特殊な用途に使う場合、イタリアで「ヴィオラ・バスタルダ」、イギリスで「リラ・ヴァイオル」、「ディヴィジョン・ヴァイオル」と、それぞれ特別な名前で呼ばれた。

ヴィオラ・ダ・ガンバのみによるアンサンブル(コンソート)には主にトレブル、テノール、バスが用いられた。しかし17世紀半ば以降、一般に同属楽器によるアンサンブルという演奏形態が廃れる中、ヴィオラ・ダ・ガンバも独奏楽器として重用されたバス以外のサイズはほとんど使われなくなったため、単にヴィオラ・ダ・ガンバまたはヴィオールといえばバスを指した。

構造・調弦法
ヴァイオリンのように標準化された形状はないが、ヴァイオリン属との違いとして以下のような特徴がある。

表板はややふくらんでいるが裏板は平らで、どちらもヴァイオリン属に比べると薄い板が使われ、そのため弦の張力はヴァイオリン属よりも弱い。バロック時代のヴィオラ・ダ・ガンバには、ヴァイオリン属と同様に、表板を補強する力木(ちからぎ、バスバー)や、表板と裏板をつなぐ魂柱(こんちゅう)がある。響孔はヴァイオリン属の f 字形に対してC字形のものが多いが、f 字形や、炎形など不定形のものもある。肩の線はなだらかに棹(ネック)とつながり、側板の幅が広い。表板と裏板は側板と突き合わせで接着されている。

指板はヴァイオリン属に比べて平らに近い(曲率が小さい)。フレットがあるが、ギターのような固定式ではなく、ガット弦などを棹に巻き付けただけで、音程の微調整のために動かせるようになっている。フレットは開放弦の5度上の音程まで付いている。駒は指板と同様に天面の曲率が小さく、そのため重音奏法が容易である。

弦の数は6本が基本で、標準的な調弦法は右図のとおり。パルドゥシュは5弦のものもある。ヴァイオリン属はコントラバスを除いて5度調弦だが、ヴィオラ・ダ・ガンバは4度調弦が基本である。17世紀後半にバスの最低弦の4度下に第7弦を追加することが考案された。リラ・ヴァイオルやヴィオラ・バスタルダではしばしば特殊な調弦が行われた。

弓の形状や長さは同時代のヴァイオリン属のそれに近く、木部の先端は鋭角的に曲がらず、なだらかな曲線である。毛を張ると木部は直線になるか、または外側にやや彎曲する。

奏法
楽器を身体の前面で立て、小さなサイズは膝の上に乗せるか両膝で挟み、大きなサイズは両脚のふくらはぎに乗せて保持する。ヴィオローネは脚で支えられないので床に置く。

弓はアンダーハンドで(掌を上に向けて)持つ。弓の中央より毛箱側で木部を親指と人差し指の間で挟んで支え、中指の第一関節で毛を弦に押しつけるようにして奏する。

左手の運指はチェロの運指に近いが、高いポジションでも指板上に親指を置くことはない。フレットのある部分では、ギターのように隣接する2つのフレットの間で弦を押さえるのではなく、フレットの真上あるいは糸巻き側で押さえる。重音奏法ではギターと同様、同じフレットの位置で複数の弦を、一つの指または異なる指で同時に押さえる運指も用いられる。

歴史
ヴィオラ・ダ・ガンバの誕生およびその祖先については不明な点が多い。スペインの15世紀後期の絵画にはそれらしき楽器が描かれているが、これがガンバであるかどうかは意見が分かれる。

16世紀頃には宮廷でかなり愛好されていたことが各種文献に見受けられる。当時はガンバは上流階級の娯楽の一種として、ヴァイオリンは下層階級が生活の手段に用いるものとして認識されていたようであるが、一方でガンバの職業的奏者も存在した。演奏法などもこの頃イタリア人ガナッシなどによって研究が進められた。16世紀終わりのイタリアではヴィオラ・バスタルダと呼ばれる特殊な独奏用楽器も作られ、弦楽器の演奏技術の発展に大きく寄与した。

16〜17世紀にはイギリスにガンバが伝えられ、爆発的な人気を呼んだ。

大陸では主に高音域の楽器はヴィオラ・ダ・ブラッチョ系の楽器に取ってかわられ、17世紀からは主にフランスを中心として、バスおよび独奏用に開発されたパルドゥシュが独奏楽器として活躍し、マラン・マレの他、フランソワ・クープラン、フォルクレ親子などが多くの名曲を生んだ。フランスではフランス革命を区切りに衰退し、ヨーロッパの他の地域でも18世紀中頃には、バスとヴィオローネ以外はあまり見られなくなった。ドイツでもブクステフーデ、テレマン、J.S.バッハなどは、バス・ガンバのために多くの曲を残している。

その後一時は完全に姿を消していたが、19世紀末期に16〜18世紀の音楽・楽器研究が進むとともに、ガンバもアーノルド・ドルメッチらによって再び脚光をあびることになった。第二次世界大戦後は各地にヴィオラ・ダ・ガンバ協会が設立、また当時の演奏法なども研究されて、現在は少ないながら奏者の数は増えている。

ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者
バロック時代のガンビスト

サント=コロンブ
マラン・マレー
アントワーヌ・フォルクレ
20世紀のガンビスト

ヴィーラント・クイケン
ジョルディ・サヴァール
ニコラウス・アーノンクール
パオロ・パンドルフォ
フレットワーク(全員ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者のグループ)

日本人

宇田川貞夫
坂本利文
志水哲雄
中野哲也
福沢宏
品川聖
平尾雅子
神戸愉樹美
上村かおり
石川かおり
安孫子みかほ

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6月18日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/6%E6%9C%8818%E6%97%A5

できごと
1597年(慶長2年5月4日) - 伏見城の天守閣が完成し豊臣秀吉・秀頼らが移る。
1812年 - アメリカ合衆国がイギリスに宣戦布告、米英戦争勃発。
1815年 - ワーテルローの戦い
1897年 - 京都帝国大学創設・神奈川県中学校(現在の神奈川県立希望ヶ丘高等学校)創設
1940年 - イギリスに亡命したシャルル・ド・ゴールがラジオを通じてナチス・ドイツへの徹底抗戦を呼びかける。
1945年 - ひめゆり学徒隊に解散命令。
1953年 - アメリカ空軍のC-124輸送機が東京都小平市に墜落、129名の死者を出す。
1967年 - 山陽電鉄爆破事件。死者2人、重軽傷者29人を出した。
1979年 - アメリカとソ連によりSALT II(第二次戦略兵器制限条約)が調印される。
1985年 - 豊田商事会長の永野一男がマスコミが取り囲む自宅マンションで刺殺される(豊田商事会長刺殺事件)。
1988年 - リクルート事件がこの日に発覚。以後政治問題および当時の最大級の汚職事件へと発展する。
1989年 - ビルマの軍事政権が同国の国号をミャンマーに改称。
1993年 - 衆議院解散(嘘つき解散)
2004年 - 読売ジャイアンツの清原和博の通算2000本安打達成のセレモニーが東京ドームで行われた。

誕生日
1517年(永正14年5月29日) - 正親町天皇、第106代天皇(+ 1593年)
1666年(寛文6年5月16日) - 間部詮房、越後村上藩初代藩主、側用人(+ 1720年)
1673年 - アントニオ・リテレス、作曲家(+ 1747年)
1799年 - ウィリアム・ラッセル、天文学者(+ 1880年)
1838年 - エドワード・モース、動物学者(+ 1925年)
1845年 - シャルル・ルイ・アルフォンス・ラヴラン、病理学者(+ 1922年)
1865年 - フリードリッヒ・ポッケルス、物理学者(+ 1913年)
1868年 - ホルティ・ミクローシュ、軍人・摂政(+ 1957年)
1877年 - 島田俊雄、政治家、元衆議院議長(+ 1947年)
1882年 - ゲオルギ・ディミトロフ、ブルガリアの指導者(+ 1949年)
1886年 - ジョージ・マロリー、登山家(+ 1924年)
1887年 - 岩崎輝弥、実業家・日本の鉄道ファンの先駆者(+ 1956年)
1888年 - S・S・ヴァン=ダイン、推理作家(+ 1939年)
1901年 - アナスタシア・ニコラエヴナ、ロシア帝国最後の皇帝ニコライ2世の第4皇女(+ 1918年?)
1903年 - レイモン・ラディゲ、詩人(+ 1923年)
1924年 - 姫野好治、元プロ野球選手
1929年 - ユルゲン・ハーバーマス、社会学者・哲学者
1932年 - 小鹿番、俳優(+ 2004年)
1934年 - 横山光輝、漫画家(+ 2004年)
1936年 - 大槻義彦、物理学者
1936年 - デニス・ハルム、F1レーサー(+ 1992年)
1938年 - マイケル・シェアード、俳優(+ 2005年)
1938年 - 岡田彬、アマチュア野球指導者
1942年 - ポール・マッカートニー、ミュージシャン(ビートルズ)
1942年 - タボ・ムベキ、南アフリカ共和国大統領
1942年 - 辻恭彦、元プロ野球選手
1943年 - 福澤幸雄、レーサー(+ 1969年)
1944年 - 畠山麦、俳優(+ 1978年)
1946年 - 中沢伸二、元プロ野球選手
1947年 - 中西輝政、国際政治学者
1948年 - 三田誠広、小説家
1949年 - クリス・ヴァン・オールズバーグ、児童文学作家
1954年 - 野中ともよ、ジャーナリスト
1955年 - 藤真利子、女優
1957年 - 野田稔、多摩大学経営情報学部助教授、元野村総合研究所コンサルタント
1961年 - 井筒親方、元関脇逆鉾
1962年 - 三沢光晴、プロレスラー
1963年 - 吉住渉、漫画家
1963年 - 竹下浩二、元プロ野球選手
1964年 - 楊逸、作家
1965年 - 右田雅彦、元プロ野球選手
1966年 - サンディー・アロマー・ジュニア、元メジャーリーガー
1966年 - カート・ブラウニング、フィギュアスケート選手
1967年 - 楠野一郎、放送作家、脚本家
1968年 - 曽田正人、漫画家
1970年 - 神尾純子、アナウンサー
1970年 - あいだもも、元AV女優
1971年 - 仁平馨、元プロ野球選手
1972年 - 岡本貴也、劇作家・演出家・音楽家
1973年 - かかずゆみ、声優
1973年 - 栗本法子、アナウンサー
1974年 - 細川直美、女優
1974年 - 後藤輝基、お笑い芸人(フットボールアワー)
1974年 - 大友進、元プロ野球選手
1974年 - 星野順治、プロ野球選手
1974年 - 長江もみ、タレント
1974年 - 雷人、マジシャン
1974年 - 庄司大介、元プロ野球選手
1974年 - 大山妙子、元バスケットボール選手
1976年 - ジェレミー・パウエル、プロ野球選手
1976年 - 藤井彰人、プロ野球選手
1976年 - 久保竜彦、サッカー選手
1976年 - 西澤明訓、サッカー選手
1976年 - KREVA、歌手 (KICK THE CAN CREW)
1976年 - 高山麻美、女優・タレント
1976年 - 西岩親方、元幕内隆の鶴
1977年 - 琉鵬政吉、大相撲力士
1979年 - 小林由美子、声優
1979年 - 藤原通、プロ野球選手(阪神タイガース)
1979年 - 松田次生、レーシングドライバー
1981年 - ゆりん、声優、元タレント
1981年 - 陳嘉樺(エラ・チェン)、台湾の歌手(S.H.E)
1982年 - 佐田樹理、バレーボール選手
1983年 - 後藤理沙、アイドル
1984年 - 辻あゆみ、声優
1984年 - ケイティー・オーシャー、フィギュアスケート選手
1985年 - 植本梨沙、タレント
1990年 - 谷村美月、女優
1991年 - 岡本玲、モデル
1993年 - 中塚智実、AKB48
1993年 - 松井さやか、ファッションモデル、タレント

忌日
1234年(天福2年5月20日) - 仲恭天皇、日本の第85代天皇(* 1218年)
1291年 - アルフォンソ3世、アラゴン王(* 1265年)
1408年(太宗8年5月24日)- 李成桂、初代李氏朝鮮王(* 1335年)
1464年 - ロヒール・ファン・デル・ウェイデン、画家(* 1400年頃)
1634年(寛永11年5月23日)- 豪姫、宇喜多秀家の正室(* 1574年)
1650年 - クリストフ・シャイナー、天文学者(* 1575年?)
1672年(寛文12年5月23日)- 石川丈山、漢詩人・造園家・書家(* 1583年)
1680年 - サミュエル・バトラー、詩人(* 1612年)
1710年(宝永7年5月22日)- 河合曾良、俳諧師(* 1649年)
1726年 - ミシェル=リシャール・ドラランド、作曲家(* 1657年)
1753年 - クロード・F・ジョフロア、化学者(* 1729年頃)
1794年 - フランソワ・ビュゾー、フランス革命期のジロンド派指導者(* 1760年)
1824年 - フェルディナンド3世、トスカーナ大公(* 1769年)
1865年 - アントワーヌ・ヴィールツ、画家・彫刻家(* 1806年)
1880年 - ジョン・サッター、カリフォルニアの開拓者(* 1803年)
1902年 - サミュエル・バトラー、小説家(* 1835年)
1916年 - ヘルムート・ヨハン・ルートヴィヒ・フォン・モルトケ(小モルトケ)、ドイツ陸軍参謀総長(* 1848年)
1916年 - マックス・インメルマン、エース・パイロット(* 1890年)
1922年 - ヤコブス・カプタイン、天文学者(* 1851年)
1926年 - オルガ、ギリシャ王ゲオルギオス1世の妃(* 1851年)
1928年 - ロアール・アムンセン、探検家(* 1872年)
1931年 - 矢野龍渓、著作家(* 1851年)
1934年 - 古在由直、農学者(* 1864年)
1936年 - マクシム・ゴーリキー、作家(* 1868年)
1942年 - アーサー・プライヤー、トロンボーン奏者、バンドリーダー(* 1870年)
1953年 - 小室達、彫刻家(* 1899年)
1955年 - 豊島与志雄、小説家・翻訳家(* 1890年)
1959年 - エセル・バリモア、女優(* 1879年)
1962年 - フォルクマール・アンドレーエ、指揮者(* 1879年)
1962年 - アレクセイ・アントーノフ、ソ連軍参謀総長(* 1896年)
1971年 - パウル・カラー、化学者(* 1889年)
1972年 - ミルトン・ヒューメイソン、天文学者(* 1891年)
1974年 - ゲオルギー・ジューコフ、ソ連邦元帥(* 1896年)
1980年 - カジミェシュ・クラトフスキ、数学者(* 1896年)
1980年 - テレンス・フィッシャー、映画監督(* 1904年)
1980年 - アンドレ・ルデュック、自転車競技選手(* 1904年)
1982年 - クルト・ユルゲンス、俳優(* 1915年)
1982年 - ジューナ・バーンズ、作家、詩人、脚本家(* 1892年)
1988年 - E・ホフマン・プライス、小説家(* 1898年)
1988年 - 楠瀬常猪、広島県知事(* 1899年)
1988年 - 閑院宮春仁王、日本の皇族(* 1902年)
1989年 - 風早八十二、法学者(* 1899年)
1992年 - 斎藤邦吉、日本の厚生大臣(* 1909年)
1992年 - ピーター・アレン、シンガーソングライター(* 1944年)
1995年 - 香月熊雄、佐賀県知事(* 1916年)
1999年 - 正田英三郎、実業家(* 1903年)
2002年 - 山本直純、作曲家(* 1932年)
2003年 - ラリー・ドビー、元メジャーリーガー(* 1923年)
2004年 - 杉浦幸雄、漫画家(* 1911年)
2005年 - 松村達雄、俳優(* 1914年)
2008年 - ターシャ・テューダー、絵本作家・挿絵画家(* 1915年)
2008年 - 神戸みゆき、タレント(* 1984年)

記念日・年中行事

おにぎりの日

石川県旧鹿西町(ろくせいまち)の
竪穴式住居跡の遺跡から、
日本最古のおにぎりの化石が発見された事で、
鹿西町が「おにぎりの里」としての町興しのために制定した。

鹿西のろく(6)(「ろく」せいまちの「6」)と
、毎月18日の「米食の日」から6月18日が選ばれた。