東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年6月27日(土曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年6月27日(土曜日)

「夏」。

「6月」です。

「夏」の。

「6月」になりました。

「夏」がきた。

「夏」がきた。

どこにきた。

「山」にきて「里」にきて。

「野」にもきた。

-------------------------------
今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

「晩冬」の「2月」がおわり。
「春」になりました。

「3月」「4月」「5月」がおわり。
「6月」になりました。
「夏」です。

昨年。
「6月」=「夏の始まり」です。
「6月」がおわり「7月」です。
「7月」もおわりました。
最後の夏月「8月」。
夏の「8月」もおわりました。

「9月」の「秋」になり。
「9月」がおわりました。
「10月」もおわりました。
「11月」です。
「秋」「11月」が終わりました。

「12月」です。
「冬」になりました。

昨年の「12月」が終わりました。

「新年」の「初春」になりました。
「1月」がすぎ。

「初春」の「2月」がすぎ。

「3月」「4月」「5月」がおわり。

いま「6月」です。

野の「夏」

里の「夏」。

「まち」の「夏」。

そして。

わたくしの「夏」。

みなの「夏」

「野」の「夏」に。

「里山」の「夏」に。

そして。

街(まち)の「夏」に。

「みどり」の「夏」に。

なりました。

「ちいさな夏」をこえて。

「大きな夏」を。

むかえようとしています。

いまは。

「里山」の「夏」

「野」の「夏」

「まち」の「夏」

「ふゆ」を「むかえよう」。
「新年」そして「初春」。
「くるとしつき」は
「無我のうちにむかえよう」。
「冬」がすぎたら。
そうしたら「春」をむかえよう。
「春」がすぎたら「夏」をむかえよう。

自在に「かんがえることなくながれてゆく」。

「自然」の「ときの流れ」は。
真(まこと)の幸せの「しらべ」。

「1月」は去り「2月」。
「2月」は去り「3月」。
「3月」は去り「4月」。
「4月」は去り「5月」。
「5月」は去り「6月」。

「ひたひた」と。

さらに深まりゆき。

とおりすぎていく「夏」。

「さくさく」とひびく。

日々の過ぎ去る足音は。

「とほとほ」と。

朝早くまだ暗い街中に

聞こえるようにとおざかり。

さってゆき。

そしてまた「新たな季節」が。

かわりにやってくる。

白く柔らかな春霞の衣をまとう若々しい

「春」の「さほ姫」*

は「冬将軍」をいなして。

「春」を導いて。

そしていま。

「佐保姫(さほひめ)」は去り。

「夏」の「6月」になりました。

「佐保姫(さほひめ)」は春の神です。

五行説では春は東の方角にあたります。
平城京の東に佐保山があるために。
春の神は佐保姫と呼ぶようになりました。

白く柔らかな春霞の衣をまとう若々しい女性です。

竜田山の神で秋の竜田姫と対を成すことになります。

「夏」がきて。

去り行く。

日本の「春」の女神(めがみ)

「佐保姫(さほひめ)」。

「どなた」がみつけた「姫君」か。

すごき女神と感嘆致します。

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
(Johann Wolfgang von Goethe)
の「魔王:Erlkonig」*は。
「おそい冬の夜」の「嵐のなかを馬駆ける」
「父親」と「子」の情景を描写したものです。

かならずしも「冬の夜」を情景と考えなくても
「魔王」の詩*の
その「魔王」の「おそろしさ」は通じます。


魔王(Erlkonig)が。
どのようなものであるかは様々な議論があります。
その名前は字義的には「ハンノキの王」を意味する。

ゲーテは「ハンノキの王」Erlkonigから。
樹木の精霊の王として。
魔王を設定し想像力を膨らませたものです。

この詩はゲーテによって
1782年の歌劇『漁師の娘』
(Die Fischerin) の一部として作詞されました。

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『魔王』はデンマークで生まれた

「比較的新しい伝承」であると考えられます。

それをヨハン・ゴットフリート・ヘルダーが
ドイツ語に翻訳した『ハンノキの王の娘』
(Erlkonigs Tochter)が
ゲーテの詩の元になっています。

これはヘルダーが1778年に出版し
た『歌の中の人々の声』
(Stimmen der Volker in Liedern)という
民謡を集めた本に収録されています。

魔王(Erlkonig)が。
どのようなものであるかは様々な議論があります。
その名前は字義的には「ハンノキの王」を意味する。
英訳としては。
「妖精の王」(Elf King)がよく用いられます。
それに当たるドイツ語は。
「Elfenkonig」になってしまいます。

よく聞かれる説としては「Erlkonig」は
デンマーク語で妖精の王を意味する
「ellerkonge」または「elverkonge」からの
誤訳だとするものがあります。

しかし。
ゲーテはむしろその「ハンノキの王」から。
樹木の精霊の王として。
魔王を設定し想像力を膨らませたものです。

ドイツおよびデンマークの伝承では
魔王は死の前兆として登場します。
その意味では
「アイルランドのバンシー」
に似ています。

魔王は死に瀕した人物の前に現れます。
魔王の姿かたちや表情がこれから
その人物に訪れる死の内容を表します。

苦しい表情であれば苦しい死であるし
穏やかな表情であれば穏やかな死であるという。
別の解釈としては
妖精の王に触れられた者は必ず死に至るという
伝承が元になったという説もあります。

-------------------------------

今は「6月」の「夏」

早いです。

速いものです。

速いのか早いのか。

はやいのか。

けさ暗いうちに。

地をはうような。

「季節風」の

嵐(あらし)がふきました。

「夏の花」と「季節風」は。

相性が。

よくないようです。

もしかしたら逆に。

相性は。

よいのかもしれません。

どちらかです。

暗い朝に。

「夏の花」の花びらが。

夜の間に「季節風」の。

弓風に射られて。

白鷺の羽が舞いおりているようです。

「夏」の。

「季節風」の音は。

宙を舞う前の。

「むささび」の声のような。

「おたけび」。

けれども。

しだいに。

「季節風」は。

歌声のようにかわりました。

そして「6月」の「夏」。

「季節風」のバラード

が聞こえます。

「季節風」。

「「夏」いちばん」。

今日の朝暗いうちに。
秋の暗闇の地面のうえから。

「早朝に「季節風」の音」
が聞こえました。

不思議な「「夏」の「夏かぜ」の音」。
「鳴き声」のようです。

いつしか。
「季節風」と。
「「夏かぜ」の音」だけになりました。

「夏かぜ」と
「季節風」は。
早朝暗いうちにふくものである
ことがわかります。

「絵」にかきたい「音」なのです。

面白いが「おそろしい」情景であるような気も致します。
しいてこわい光景をおもいうかべるのであれば

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
(Johann Wolfgang von Goethe)
の「夏」の「魔王」のようになるのでしょう。

「夏」の声。
「こうこう」と鳴く。
「季節風」
の風音がくわわっていきます。

その「季節風」の音の。
背景に流れる「通奏低音:Generalbass;ゲネラル・バス」*
「はるのはるかぜ」のこえは。
暗闇の「はるの足音」のように聞こえる。
あかるい「夏」の日に。
「陽射しの降るまち」では。
「足音だけが遠ざかっていく」「足音」

「とぼとぼ」
にしだいに重複してきました。
「夏」のあさの「あしおと」と。
「さむさ」のさるあしおとの。
そして「夏」のあしおとの。
「フーガ」と「カノン」。
「季節風」はトッカータ。
「なついちばん」は「フーガ」と「カノン」。

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通奏低音(つうそうていおん)とは
バロック音楽において行われる演奏形態の一つです。
低音部の旋律とともに即興的な和音を付け加えて演奏する形態です。
イタリア語のバッソ・コンティヌオ(Basso continuo)

の訳語です。
伴奏楽器が間断なく演奏し続けるということからこの名があります。
略してコンティヌオと呼ぶことも多いです。
ドイツ語のゲネラルバスも使われることがあります。

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常緑の木々の深冬葉のいろ。
緑がますますあざやかに。
深まる秋におちついて。
考えるが如く
「ロダンの彫塑」の色合いです。

常緑の木々の葉は。
深緑(ふかみどり)になりました。
そして「夏」をむかえて。
「夏緑」のいろあいに
うつろいできました。
もう「緑をうつろいて」
さすがにつかれた黄赤色の葉もみえます。
枯れ葉も樹木のにぎわいです。木々の防熱衣としては
なくてはならないものです。
「夏」をむかえます。

「夏」の夜明(よあけ)の空から。
「夏」の陽がのぼり。
「夏」の日の「空色」になってきました。

けれども。
朝暗いうちはミルクのはいった
コバルトのような
カフエ・オレ・コバルトの空色です。
そして雲は天高く「夏」の雲です。

あさの04:00AMころに。

東の空
さやかににあかるく
まだくらくあおく
しだいに
雲多い空はラピズラズリからトルコ石
のようににうつろうように。
しらんできます。

その上空にさらに。
明らかなる大きな質量のある。
「深まる「夏」の気配」を感じます。

夏野路はた見たりビロードのしだ
夏わらべのごときビロードのしだ
夏わらびのごとく輝けりビロードのしだ
夏山奥にひそむビロードのしだ
夏しのぶの羊歯(しだ)ビロードのしだ
夏めずらしき羊歯ビロードのしだ
夏ときわの緑のほのほビロードのしだ
夏山奥のしだのビロードのしだ
夏「まち」にもいきるビロードのしだ
夏けなげなりもあはれなりビロードのしだ
夏生い立ちしらずビロードのしだ
夏されどそのちからこそとほとしビロードのしだ

「夏」きたれり。

「夏」いざいまこそは

「夏」よき季節にあらむ

「夏」ふと空をみる

今時にもかかわらず放射冷却で
朝はとても寒いが。
「ぬくもり」はある。

確実に日は長くなりました。
葉木(はき)の樹木は「木」にかわり。
秋の木から「冬の木」にうつろいさらに
「「春」の木」から。
「「夏」の木」にうつろう時期
です。

外路樹の若葉は
緑濃くオリーブの葉のごとし
つみとりたくなる
ほどにきれいです。
けれどもひそやかに木々の葉にも
深い「春」からさらに「夏」。
の気配がうつろいて。
うつります。

そして春の「佐保姫(さほひめ)」
は微笑みをうかべてよそのくにへ
たびだちました。

夏まちなみ蒼く(あおく)
夏いろどりて
夏木々の榛葉のかがやけり
夏暑さの夏秋をうつろひて
夏ふかまるみどりの夏木なり
夏しずまるみどりの夏木なり
夏みのりの夏こそありがたし
春みのりの夏こそこひしかり
春虫なきてささやけり
春木々は榛葉にかがやけり

道端の野草もかわいらしい。
冬化粧をして。
春夏秋冬の
前奏曲の旋律が聞こえます。

早朝は異常な寒さです。

気象予報で
「明日は暖かくなる」と聞いても
朝は気温がさがり大気は不安定です。
「寒い」。
寒いと首都高の自動車も暗い中
「辛そうな運転の車」が多いです。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

平成21年1月12日(月曜日)
は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました

-------------------------------

平成21年2月11日(水曜日)
は祝日です。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年3月20日(金曜日)
は祝日です。
「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
-------------------------------
平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
-------------------------------

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

-------------------------------

平成21年7月20日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

------------------------------

★★★

今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

入学式。桜の花。
インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。
再び
「寒さ」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬・春は「厳・春」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の冬場や春はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

草木の周りは。
少しずつ「春夏秋冬」の「四季」を
あゆんでいます。
梅咲き・スミレ咲き。桜咲き。
木々の萌黄から。
眼の青葉。山ほととぎす。そして夏・秋・また冬
がやってくる。

「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬は「厳冬」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の春・冬場はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝

「今日は何の日」は。

動物の胚において分化を誘導する因子(形成体)
を発見したことにより。
1935年にノーベル生理学・医学賞を受賞された。

1869年 - ハンス・シュペーマン、発生生物学者(+ 1941年)

生誕日です。

++++++++++++++++++++++

ハンス・シュペーマン:Hans Spemann,
1869年6月27日 - 1941年9月9日)は。

ドイツの発生学者です。

動物の胚において分化を誘導する因子(形成体)
を発見したことにより。
1935年にノーベル生理学・医学賞を受賞致しました。

++++++++++++++++++++++

ハンス・シュペーマン:Hans Spemann
は。

実験発生学的方法を大きく進めました。

特にそれまでわずかな例しか行われなかった
緊縛法(「卵:らん」を極細の糸で縛る「テクニック」)
を非常に多くの回数行いましたた。

しかし、直径2mmのイモリの卵を
新生児の髪の毛を用いて縛る
という極度にストレスのたまる実験を
長きにわたって行っていたため。

ハンス・シュペーマン:Hans Spemannは
やがて左手が動かなくなってしまいました。

++++++++++++++++++++++

「実験発生学 :experimental embryology」 とは。

胚に対して特定の処理を行って。
その結果を見ることで発生の機構について研究を行おう、
というものです。

これは現在では当たり前の実験法のように感じられますが。

この分野の初期の時期には革新的なものであり。
時と場合によっては
理解されない向きもあったのです。

しかし、それまでは
ある過程を追跡観察し
それを記載することのみを中心としていた発生学の分野に。

発生学の生物学において。
その機構解明を求める方向への発展を提起致しました。

++++++++++++++++++++++

「実験発生学 :experimental embryology」
分野はウィルヘルム・ルーによって始まりました。

モザイク卵・調節卵などの概念を生み出し。

さらにハンス・シュペーマン:Hans Spemannによって
誘導や形成体の発見が行われました。

これがひとまずの到達点ーゴールとなっています。

そして
その流れは現在に引き継がれています。

現代の科学とりわけ生物学の分野では
実験は当たり前のことです。

++++++++++++++++++++++

「実験発生学 :experimental embryology」の発祥
この分野の最初の提唱者であるルーは、
当初は発生力学 Entwicklungusmechanik の名をつかっています。
これは、因果分析的な手法を発生学に持ち込むことを
目指した彼の意識の表明であったと見られますが。

発生を力学に基づいて考えるものというような
誤解を招くことが多かったようでもある。

現在では普通は「実験発生学 :experimental embryology」
の名称を用います。

++++++++++++++++++++++

なお、発生力学の名は、
生理学者のハイデンハイン(Rudolf Heidenhain 1834-1897)
がルーに提案したものでした。

彼がこのような提唱を行ったのは、
当時の発生学が発生の仕組みそのものを
問題にしない傾に大いなを疑問をもったからでしょう。

当時の発生学は比較発生学が主流でした。

これは、さまざまな動物の
発生過程を比較することでそれらの関係を論じ、
そこから発生の基本的性質を論ずるというものであったが、

特に進化論が出た以降はそれを進化論や系統学と
結び付ける議論が盛んになりました。

発生学は確かにそれらを支えるのに大きな力となったが、
これは極論すれば発生学が
それらの分野のための材料提供の役割にすぎない状態を
作り出していました。

またエルンスト・ヘッケルは
思想的には自然哲学的な傾向が強く
その論は時として実物すらをも否定致しました。

++++++++++++++++++++++

ちなみに当のヘッケルは彼の方向性を理解できず、
その手法について
「何か結果が出るだろうと言って、
手当たり次第に何かを試みたりする実験は無意味である」
と自著で述べています。

なお、こ
のような発生の分野に実験的手法を用いることは
ルーの独創でなく、若干の先行例があrちます。
特に、動物の奇形に関する議論が前成説・後成説の議論とも
関わって18世紀頃から盛んになり、
その中で
エティエンヌ・ジョフロワ・サンティレールは
後成説的な立場から実験操作を加えることで
奇形を生み出す実験を行いました。
後に彼の子のイジドール・ジョフロワ・サンティレールや
その他若干の学者が同様な実験を試みています。
それらは場当たり的で分析的ではなかったが、
実験発生学の先駆ともいえます。

ただし、実験発生学はそれにより奇形を生み出すことではなく、
その結果から自然な発生の機構を知ることを
目的ととした点では大きく異なるものです。

皮肉なことにヘッケル自身も
1869年にクダクラゲの初期胚を針で分割する実験を行っている
(彼自身はこれに重要性を認めなかったらしい)。
しかし実験による解明を真正面に取り上げたのは。

ヘッケルの。
実験発生学が始めてでした。
++++++++++++++++++++++

「続きを読む」=>*

++「続きを読むです1」++++++++++++++++++

ハンス・シュペーマン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3
ノーベル賞受賞者
受賞年: 1935年
受賞部門: ノーベル生理学・医学賞
受賞理由: 胚の成長における誘導作用の発見

ハンス・シュペーマン:Hans Spemann, 1869年6月27日 - 1941年9月9日)はドイツの発生学者。動物の胚において分化を誘導する因子(形成体)を発見したことにより、1935年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。 

彼は、実験発生学的方法を大きく進め、特にそれまでわずかな例しか行われなかった緊縛法を非常に多くの回数行った。しかし、直径2mmのイモリの卵を新生児の髪の毛を用いて縛る、という極度にストレスのたまる実験を長きにわたって行っていたため、やがて左手が動かなくなってしまった。

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++

実験発生学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9F%E9%A8%93%E7%99%BA%E7%94%9F%E5%AD%A6
実験発生学(じっけんはっせいがく)とは、発生の研究を実験的手法を使って行おう、という発生生物学の分野である。19世紀末にウィルヘルム・ルーによって主張され、その後の発生学を大きく動かすことになった。

目次
1 概説
2 発祥
2.1 具体例
2.2 背景
3 発展
3.1 外因の影響
3.2 再生
3.3 外植
3.4 造器官部位
3.5 細胞質配置の問題
4 参考文献

概説
実験発生学 (experimental embryology) は、胚に対して特定の処理を行い、その結果を見ることで発生の機構について研究を行おう、というものである。これは現在では当たり前のことのように感じられるであろうが、この分野の起こった時期においては革新的なものであり、理解されない向きもあった。しかし、それまでその過程を追い、それを記載することを中心としていたこの分野に、その過程を支える機構の存在を求める方向への発展を促した。

この分野はウィルヘルム・ルーによって始まり、モザイク卵・調節卵などの概念を生み出し、さらにハンス・シュペーマンによって誘導や形成体の発見が行われる。これがひとまずの到達点となったが、その流れは現在に引き継がれている。現代の科学では実験は当たり前と思われるので、ここではこの分野の初期の発展について解説する。

発祥
この分野の最初の提唱者であるルーは、当初は発生力学 Entwicklungusmechanik の名をつかっている。これは、因果分析的な手法を発生学に持ち込むことを目指した彼の意識の表明であったと見られるが、発生を力学に基づいて考えるものというような誤解を招くことが多かったようである。現在では普通は上記の名を使う。

なお、発生力学の名は、生理学者のハイデンハイン(Rudolf Heidenhain 1834-1897)がルーに提案したものである。

彼がこのような提唱を行ったのは、当時の発生学が発生の仕組みそのものを問題にしない傾向を疑問視したからとも言われる。当時の発生学は比較発生学が主流であった。これは、さまざまな動物の発生過程を比較することでそれらの関係を論じ、そこから発生の基本的性質を論ずるというものであったが、特に進化論が出た以降はそれを進化論や系統学と結び付ける議論が盛んになった。発生学は確かにそれらを支えるのに大きな力となったが、これは極論すれば発生学がそれらの分野のための材料提供の役割にすぎない状態を作り出していた。またエルンスト・ヘッケルは思想的には自然哲学的な傾向が強く、その論は時として実物をも歪め兼ねなかった。

他方で、物理化学の進歩から、生物の生理作用を研究する分野は大きな発展を始めていたが、それらは当然のように成体のみを対象としており、発生の段階や過程を対象とすることはなかった。そのため、形態学と生理学は非常に乖離した状態となっていた面もある。

ルーの主張はこのような状況下で、発生学自身の課題を研究の対象とすること、具体的には発生の機構を明らかにすることを発生学の目的にすべきであることを主張したものでもあった。

ちなみに当のヘッケルは彼の方向性を理解できず、その手法について「何か結果が出るだろうと言って、手当たり次第に何かを試みたりする実験は無意味である」と自著で述べている。

なお、このような発生の分野に実験的手法を用いることはルーの独創でなく、若干の先行例がある。特に、動物の奇形に関する議論が前成説・後成説の議論とも関わって18世紀頃から盛んになり、その中でエティエンヌ・ジョフロワ・サンティレールは後成説的な立場から実験操作を加えることで奇形を生み出す実験を行った。後に彼の子のイジドール・ジョフロワ・サンティレールやその他若干の学者が同様な実験を試みている。それらは場当たり的で分析的ではなかったが、実験発生学の先駆ともいえる。ただし、実験発生学はそれにより奇形を生み出すことではなく、その結果から自然な発生の機構を知ることを目的ととした点では大きく異なるものである。

皮肉なことにヘッケル自身も1869年にクダクラゲの初期胚を針で分割する実験を行っている(彼自身はこれに重要性を認めなかったらしい)。しかし実験による解明を真正面に取り上げたのは実験発生学が始めてである。

具体例
具体的な例として、ルーによるごく初期の有名なカエルの半胚の実験を挙げてみよう。1884年、彼はカエルの2細胞期に、熱した針を使って片方の細胞を焼き殺す、という実験を行った。そのままでこの卵を育てたところ、神経胚の段階まで育ったものは死亡した卵の半分をその場に置いた、残り半分の形のものであった。つまり体の片半身だけの胚ができた。

この結果から、次のようなことが想像される。

第1卵割は体を左右に区切る方向に行われる。
卵割によって各細胞は体の一部しか作れないようになる。
当時の発生理論の一つにアウグスト・ヴァイスマンによる決定子(Determinaten)の理論があった。彼によると、受精卵の中には将来作られるあらゆる部分の性質を決めるような要素が詰まっていて、それが細胞分裂によって分割されて行き、各部分に配分されるために分化が生じるのだとする。とすれば、第1卵割で作られた細胞はそれぞれが体の半分だけを作るようになっているはずである。上記の実験結果は、この理論を支持するものと考えられた。彼自身、もともとワイスマンの説を実証するためにこの実験を行った意図があり、この結果を当然のようにその説を支持するものと考えた。

ただしこの理解は間違いであった。というのは、その後(1891以降)ドリーシュはウニを用いて初期発生の段階で2分割したものが完全な胚を形成することを報告し、さらに2個の卵を融合して巨大な幼生が得られることも示した。またシュペーマンもイモリの胚を縛って縊ると完全な2つの胚が得られることがあることを報告した。この実験結果は、殺した細胞を取り除かなかったためであり、生きた細胞だけにすれば完全な胚を生じることはマクレンドンが1910年に証明した。また、卵割の方向が体軸と関係無いことも後に示された。しかし、このような実験を積み重ねることで、仮説は検証され、新たな仮説が生み出され、発生研究は大きく発展したのである。

背景
このような議論の成立の背景には、前世紀までの前成説・後成説の議論や、それによる発生過程の知識の蓄積、それに関する理解の進歩がある。

ウォルフによる後成説は、胚発生の初期はまず細胞群が大きな区分として胚葉を形成するという胚葉説を生み、ヒス(W. Hia 1831-1904)はこれを追求して胚葉の折りたたみの過程として発生をとらえようとした。これは予定胚域の考えに近づくものである。ちなみに、ヘッケルはこの説を「つれづれの説」といってまともな対象とは見なさなかった。

さらに、上述のワイスマンの説は、発生の理論に検証可能な仮説が与えられたという面をもっており、ルーをはじめ多くの研究者がそれを実験的に検証する動きを作ることとなった。

発展
このころにこの分野において行われた実験的手法として、以下のようなものが挙げられる。

移植法:胚の一部を切り出し、同じ胚や他の胚の別の場所に植え込む。
外植法:一部を切り出して育てる。
欠損実験:胚の一部を切り捨てて残りの部分を育てる。
条件を変える:育てる温度を通常でないものにしたり、遠心力などで重力のかかり方を変えてみる。
緊縛実験:胚を細い糸で縛る。
特にシュペーマンはそれまでも散発的に行われた緊縛実験の方法を改良し、多数の実験を行い、大きな成果を上げた。第一卵割が体軸の方向とさほど関係ないこともこの実験から示されたものである。

それ以降のこの分野の発展は、むしろ生化学や分子遺伝学に支えられた面が強く、この時期のような悪く言えば思いつきの実験が道を開く方向は少なくなっている。

この時期の発生学に見られた方向性をいくつか挙げておく。

外因の影響 [
卵の周りの諸要因が胚発生にどのような影響を与えるかについての研究は、先行した奇形に関する研究でも行われていたものである。具体的には重力・温度・化学物質などの影響が対象となる。

特に重力の影響は、受精卵を上下反転して固定して育てることで奇形を生じやすく、注目されたが、研究が進むとその再現性に問題があったり、卵の内部での物質の移動による再配置があったりと、むしろ卵内部の機構が判明しなければ扱い難いと考えられるようになり、ひとまずは終息した。

化学物質に関してはロイブ(Jacques Loeb 1859-1924)が人為的単為発生を成功させたこと、ヘルプスト(C. Herbst 1866-)がカルシウムイオン抜きの海水ではウニの割球がバラバラに分離するという発見などが目立つ。いずれもこの当時には発生機構の解明への寄与は少ない。

再生
この分野の努力のかなりの部分が再生の研究に費やされた。当初の目的はどの動物が、どの器官が再生能力が高いか、といった興味に基づく。また、この分野での当初の関心に、「再生能力が何に由来するか」という議論がある。再生能力は生物の持つ第一次的性質であるのか、自然選択によって獲得されたものであるか、といった議論である。この分野からは多くの発見があったが、胚発生機構の解明への寄与はもう少し遅い時期である。

外植
胚の一部を切り出しで別個に培養することである。ルーもこれを行い、ニワトリ杯の神経盤を切り出して塩水中で培養し、神経管の形にに変化することを見ている。これは次第に組織培養の方法へと発展し、より広い分野で利用されることとなった。

造器官部位
胚葉説ではそれぞれの胚葉の決まった部位から決まった器官が形成されると言われる。これにかんしてヒスは造器官部位という考えを提示した。これを子細に考えると、割球にまでさかのぼり、それからどの部位が作られてゆくかをたどる細胞系統図の考えが生まれる。フォークト(W. Vogt 1888-1941)はこの考えにのり、胚の局所生体染色により、それぞれの部位の移動や分化を追跡することを可能とし、予定胚域図を完成させた。

細胞質配置の問題
前成説はすでに否定されていたが、卵そのものの構造が発生に影響を与える可能性は捨てられていなかった。例えばワイズマンの決定子の論はある意味で前成説的であった。これを証明した(と考えられた)ルーによるカエルの半胚の実験は、併せてワイズマン・ルーの前成説といわれた。ルーはここから卵割によって決定子が配分されるので、胞胚ではそれぞれの細胞が一定の予定運命を持っており、全体としてはモザイク構造となっているとする考えを示した。これをルーのモザイク説という。これについてはすぐさま多くの実験から否定されたのは先に述べたとおりである。このような予定運命の変更について、ドリーシュは調和等能系という概念を提唱した。

それらの研究や、それに類する研究は様々な動物群についても行われ、多くの例では前成説を否定するものだった。しかしながら、一部の動物(ホヤ・クシクラゲなど)では条件を変えても分割された割球からは不完全な胚しか生じなかった。このような卵はモザイク卵と呼ばれ、カエルやウニのような分割しても完全な胚を生じ得るものを調節卵というようになったが、これらの差は絶対的なものではなく、相対的なものであることもわかってきた。

参考文献
岡田要・木原均編集、『発生 現代の生物学第2集』、1950、共立出版株式会社
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9F%E9%A8%93%E7%99%BA%E7%94%9F%E5%AD%A6" より作成

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6月27日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/6%E6%9C%8827%E6%97%A5

できごと
602年(推古天皇10年6月3日) - 来目皇子の病により新羅征討が中止。
678年 - 聖アガト、ローマ教皇に即位。
1177年(治承元年6月3日) - 鹿ケ谷事件で藤原成親・俊寛らが流罪になる。
1869年(明治2年5月18日) - 箱館戦争終結(戊辰戦争の終結)
1871年(明治4年5月10日) - 「新貨条例」公布。貨幣の名称を「円・銭・厘」とし十進法を採用。旧1両を1円とする
1905年 - ロシアで戦艦ポチョムキンの水兵が蜂起する。
1931年 - 中村大尉事件が起こる。
1950年 - 朝鮮戦争:国連安保理で北朝鮮弾劾決議案が可決される。
1954年 - モスクワ近郊オブニンスクで世界初の商用原子力発電所が運転を開始。
1967年 - ロンドンのバークレー銀行に世界初のATMが設置。
1968年 - チェコスロヴァキアで二千語宣言が公表される。
1977年 - ジブチがフランスから独立。ハッサン・グレドが大統領に就任。
1980年 - イタリア、シチリア島近海でイタビア航空(現地の国内線航空会社)機が墜落(後に原因はミサイルの衝突と判明)。
1983年 - 練馬一家5人殺害事件。
1990年 - 「スパイクタイヤ粉じんの発生の防止に関する法律」公布・施行。
1991年 - スロベニアのユーゴスラビアからの独立宣言により、十日間戦争勃発。
1993年 - 京成電鉄のAE車(初代スカイライナー)の運転をこの日のさよなら運転を持って終了する。
1994年 - 長野県松本市でサリンガスによる中毒事件、死者7人・重軽症者144人(松本サリン事件)。
2000年 - 大阪市都島区の雪印乳業大阪工場で生産された乳製品(低脂肪乳)による集団食中毒発生(雪印集団食中毒事件)。
2001年 - 国際司法裁判所が1999年に米・アリゾナ州で行なわれたドイツ人の処刑は裁判所の処刑延期判決を無視したものであり不当であるとする判決を下す。
2005年 - 天皇、皇后はサイパン島(米自治領)を訪れた。サイパン島は太平洋戦争の激戦地。
2007年 - トニー・ブレア英首相がエリザベス女王に辞表を提出、後任としてゴードン・ブラウンが英首相に就任。

誕生日
1462年 - ルイ12世、フランス王(+ 1515年)
1550年 - シャルル9世、フランス王(+ 1574年)
1698年(元禄11年5月20日)- 宇野明霞、儒学者(+ 1745年)
1806年 - オーガスタス・ド・モルガン、数学者(+ 1871年)
1850年 - 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)、小説家(+ 1904年)
1869年 - エマ・ゴールドマン、アナキスト・フェミニスト(+ 1940年)
1869年 - ハンス・シュペーマン、発生生物学者(+ 1941年)
1880年 - ヘレン・ケラー、教育家・社会福祉事業家(+ 1968年)
1882年 - エドゥアルト・シュプランガー、哲学者・心理学者(+ 1963年)
1888年 - ルイス・バーンスタイン・ネイミア、歴史学者(+ 1960年)
1892年 - 木内克、彫刻家(+ 1977年)
1918年 - 亀田敏夫、プロ野球選手
1929年 - 谷沢永一、書誌学者
1930年 - ロス・ペロー、実業家
1934年 - ロバート・ローゼン、理論生物学者(+ 1998年)
1935年 - レオナルド熊、コメディアン(+ 1994年)
1936年 - 横尾忠則、美術家
1939年 - 長野祐也、政治家
1941年 - ジェイムズ・P・ホーガン、SF作家
1943年 - 高田斉、気象予報士
1947年 - ハンス・オフト、サッカー監督
1949年 - ヴェラ・ウォン、ファッションデザイナー
1951年 - メアリー・マッカリース、アイルランド大統領
1956年 - 西本聖、プロ野球選手・野球解説者
1959年 - 大高洋夫、俳優
1961年 - 益荒雄広生、大相撲の力士
1962年 - トニー・レオン(梁朝偉)、香港生まれの映画俳優、歌手
1962年 - 佐藤達哉、心理学者
1963年 - 酒井勉、プロ野球選手
1966年 - いちはらゆみ、声優
1966年 - 嶋田章弘、プロ野球選手
1967年 - 渡辺真理、アナウンサー
1967年 - 長野洋、バスケットボール選手
1969年 - 片岡篤史、プロ野球選手
1970年 - 林由美香、AV女優(+ 2005年)
1971年 - 越智静香、女優、タレント
1973年 - 吉田敬、漫才師
1973年 - 内藤輝彦、お笑い芸人
1974年 - kiyo、ミュージシャン
1978年 - 岩倉沙織、女優
1979年 - 丸山ゴウ、ミュージシャン
1979年 - 肥田高志、プロ野球選手
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1980年 - 天野陽子、アナウンサー
1980年 - 二川孝広、サッカー選手
1982年 - 菊地和正、野球選手
1984年 - 澤本華世子、女優
1984年 - クロエ・カーダシアン、ソーシャライト、起業家
1985年 - ニコ・ロズベルグ、F1レーサー
1985年 - スベトラーナ・クズネツォワ、テニス選手
1985年 - 小阪由佳、グラビアアイドル
1985年 - 佐倉真衣、タレント
1985年 - 大場翔太、プロ野球選手
1985年 - 谷口博之、サッカー選手
1985年 - トーマス玲奈、アナウンサー
1986年 - AYANO、Sister Q
1987年 - Tomoya、ONE OK ROCK
1988年 - 金泰ヨン、サッカー選手
1988年 - 福島千里、陸上競技選手(北京五輪代表、短距離)
1989年 - 宮田由佳里、女子バレーボール選手(東レ)
1996年 - 矢口蒼依、女優
生年不明 - 近堂かおり、TBS954情報キャスター

忌日
1458年 - アルフォンソ5世、アラゴン王(* 1396年)
1574年 - ジョルジョ・ヴァザーリ、画家・建築家(* 1511年)
1615年(元和元年6月2日) - 海北友松、絵師(* 1533年)
1636年(寛永13年5月24日) - 伊達政宗、陸奥国の戦国大名・初代仙台藩主(* 1567年)
1655年 - エレオノーラ・ゴンザーガ、神聖ローマ皇帝フェルディナント2世の皇后(* 1598年)
1682年(天和2年5月22日) - 池田光政、初代岡山藩主(* 1609年)
1794年 - ヴェンツェル・アントン・カウニッツ、ハプスブルク君主国宰相(* 1711年)
1831年 - ソフィ・ジェルマン、数学者(* 1776年)
1839年(天保10年5月17日) - 小関三英、蘭学者(* 1787年)
1844年 - ジョセフ・スミス・ジュニア、末日聖徒イエス・キリスト教会設立者(* 1805年)
1910年 - ギュスターヴ・エミール・ボアソナード、法学者(* 1825年)
1922年 - 東伏見宮依仁親王、日本の皇族(* 1867年)
1936年 - 鈴木三重吉、児童文学作家(* 1882年)
1940年 - 呉建、内科学者・画家(* 1883年)
1946年 - 松岡洋右、日本の外務大臣(* 1880年)
1954年 - マクシミリアン・フォン・ヴァイクス、ドイツ陸軍の元帥(* 1881年)
1960年 - ロッティ・ドッド、テニス選手(* 1871年)
1960年 - 久留島武彦、児童文学者(* 1874年)
1962年 - 永利勇吉、プロ野球選手(* 1920年)
1967年 - 清瀬一郎、政治家、第49・50代衆議院議長(* 1884年)
1970年 - ダニエル・キンゼイ、陸上競技選手(* 1902年)
1989年 - アルフレッド・エイヤー、哲学者(* 1910年)
1996年 - アルバート・R・ブロッコリ、映画プロデューサー(* 1909年)
1999年 - ゲオルギオス・パパドプロス、ギリシャの指導者(* 1919年)
2001年 - トーベ・ヤンソン、児童文学作家(* 1914年)
2001年 - ジャック・レモン、俳優(* 1925年)
2002年 - ジョン・エントウィッスル、ミュージシャン(ザ・フー)(* 1944年)
2004年 - 鈴木武、プロ野球選手(* 1932年)
2005年 - 遠井吾郎、プロ野球選手(* 1939年)
2005年 - ドミノ・ハーヴェイ、バウンティハンター(* 1969年)
2008年 - 小口大八、和太鼓奏者(* 1924年)
2008年 - レナード・ペナリオ、ピアニスト(* 1924年)
2008年 - レイモン・ルフェーブル、イージーリスニングの音楽家(* 1929年)

記念日・年中行事
ちらし寿司の日