東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年6月29日(月曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年6月29日(月曜日)

平成21年の。

「夏」になりました。

「春」の「3月」「4月」「5月」はおわりました。

「夏」「6月」になりました。

はじまった「夏」。

季節には「ながさ」があります。

その年によって。

「ながさ」はちがうようです。

ようです。

ことしの「夏」のながさは

どうだろう。

「6月」になりました。

もうすぐ「7月」です。

今年の「冬」・から「春」は予期せぬ

インフルエンザ*の

大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。

薬事法の「能書」にあるとおり

「正規の」

「2回法によるインフルエンザワクチン」の

予防接種を行います。

御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

「新年」「初春」になり。
「1月」がおわり。
「2月」。
「2月」がおわりました。

「春」の「3月」「4月」「5月」もおわりました。
「夏」の「6月」になったとたん。

また。
きゅうにさむくなりました
とてもとてもさむくなりました。

今は「6月」。

「夏」の最初の「月」です。

もう「夏至」の6月21日も。

すぎました。

「昨年」
夏がおわり。
「9月」「初秋」も終わりました。

そして
「10月」がおわり。
「10月」中秋もおわり「11月」。
「中秋」から「晩秋」へとうつろいゆき。
「11月」がおわりました。
昨年の「冬」「12月」が過ぎれば。

いまは。
「1月」「2月」「3月」「4月」「5月」がおわり。
「6月」の「夏」をむかえています。

そろそろ とぼとぼと。

「「夏」の旅道」に沿って。

あゆみゆく「夏」。

「たしかなる」

「「夏」のあゆみ」

そして。

季節のかおり。

あきらかなる「夏」の。

かおりから。

「6月」の。

「夏」はじめの気配は。

手応えも。

しっかりと。

感じられます。

「夏」「6月」。

始まる「夏」「6月」の「かおり」。

この

「初夏」の

「初夏のかおりへの変化(へんげ)」は。

毎年ちがいます。

「春」から「夏」への。

かおりの変化(へんげ)」は。

「毎年」新しい。

「うれしい新品のかおり」

がします。

大気の織り成す(たいきのおりなす)。

「夏」の季節の風から。

「夏」から。

「新たなる新品のかおり」の。

「夏」を恵まれることは。

とても幸せなことなのではないか。

と考えます。

けれども。

さむいです。

「夏」「6月」です。

暗い早朝に。

季節風が吹く。

「6月」の「夏」の。
「「夏」かぜ」の。

「ねいろ」「音色」にかわりました。

「夏」の「夏かぜ」の鳴き声の音色は。

「夏」の「せみ」とおなじ。

「いわにしみいる」ねいろ

のようです。

「ふうせん」のような。

夏かぜにとばされる。

夏の風鈴(ふうりん)を。

おもわせる音色です。

「季節風」に。

とばされるように。

「夏かぜ」の

声楽4声

(ソプラノ・アルト・テノール・バス)が。

混声の合唱で聞こえます。

「ろうろう」。

「季節風」は。

「夏かぜ」にかわりました。

まだ真暗い早朝の朝もやから。
「早い「夏」のおとずれ」の「大気」が。

かすみのような「香り」で。
しのびよる気配は。
ろうそくの灯(ともしび)
のようにゆらぎながら。

「夏」の。
何かを。行く先をさがしながら。
何かをさがしながら。
照らすかのようにさまよい。
近寄りしのびよることが
わかります。

ゆきさきは。
もっとふかい。

「季節風」の「夏」。

「夏」。

「夏」です。

「6月」の。

「夏」です。

はやいものです。

はやいものです。

初夏の「夏」の「6月」は。
「さらに」。
「大気」と「自然の気配」に。
「特有の独特の気配と香り」が混じります。
感じられるようです。
不思議な感しが致します。

木々は

「夏」をむかえる準備をすませて。

これからの。

「夏」の。

「「夏」へのあらたな実り」に向けての。

息吹が力強く感じられます。

街路樹はしっかりと。
「初夏」の枝木の穂先もたわわにつよく。
「夏」に向けての。
萌黄色から若葉の芽吹きをそなえて。

「夏」の「木」に
かわりました。

そしていま。
「夏」にも若葉を抱いた木々は。
さらに「夏」の芽栄え(めばえ)にも。

うつろいてかわろうと
しています。

「昨年」はあっというまに
「7月」が終わりました。
「8月」です。
「8月」=せみのしぐれなく夏です
「8月」が終わりました。
「9月」が終わりました。
「10月」=「実りの秋」です。
「11月」収穫の晩秋です。
「12月」木枯らしの冬です。

「12月」がおわり。
「1月」「2月」がおわり。
「初春」の「3月」です。
そして「3月」がおわり。
そして「4月」「5月」がおわり。
いまは「6月」です。

木々がへったため。
夏にはせみの声も少なくなりました。
けれども「一昨年」より
「昨年」はは鳴き声は多かった
ようにおもえます。

こおろぎの声も「一昨年」より
「昨年」は多かったように
おもえました。

「せみ」も「こおろぎ」も今年は
どうだろう。

今は。

「夏」の「6月」

「季節風」の「こえ」。

「ろうろう」。

みかんの木に「「夏」かぜ」

がとまっているようです。

「鳥」(とり)の様です。

「季節風」の声はいつもかわります。

みかんの木は。

とても沢山の実をつけています。

黄金にプラチナのみかんのようです。

「夏」の気配に加えて。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックの。

庭の。

山椒(さんしょう)の木の芽は。

「なつ」の若葉にすくすくとそだち。

若枝も天高くすこやかにのび。

ますますに。ますますに。

「夏の陽」をあびて。

「夏」の山椒(さんしょう)の葉の。

みどりがとても。

とても奇麗です。

山椒のことを

「きのめ」=木の芽とは。

なるほどと

かんがえる。

夏さんしょう木
夏萌黄(もえぎ)鮮やかに芽葉(めは)
夏みどり葉わか葉いずる花のごと
夏(なつ)こすわか枝は幹ならむ
夏なりてたゆまずとまらず
夏あゆみそだちて
夏幹は天たかくそだちたり
夏いざいまこそは
夏空(そら)にもえたたむ
夏金色(こがね)の炎
夏さんしょう木

けれども
早朝は本当にはだ寒いのです。

「小さな夏みつけた」から

しだいに「大きな「夏」みつけた」

「大きな「夏」みつけた」から。

そして「大きな大きな「夏」」みつけた。

大きな大きな。

「夏」がきた。

「なつ」「夏」です。

ちょっと「安心する気」が致します。
「夏」がきました。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成21年1月12日(月曜日)
は。
「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ限られた
時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年2月11日(水曜日)
「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。
限られた
時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年3月20日(金曜日)
「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。
限られた
時間帯で診療を行います。

はおわりました。

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平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

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平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年7月20日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

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私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
季節の変わり目に「反復性上気道感染」に
なられるかたが多いです。

「世情は不安定」であり何かひとつ
生活しづらい日々を感じられる
かたも多いものです。。

人間は「倒れるまではたっています」。
人間は「冬・春」の旅に(度に)齢を重ねる。

昔の「数え年」は「たいした物」だと思います。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝。

「今日は何の日」は。
指揮者として病気で引退後の翌年に。
1990年の「プラハの春」音楽祭で。
チェコ・フィルを指揮し、
スメタナの『我が祖国』の歴史的名演を行った
ことでも有名な。

1914年 -
ラファエル・クーベリック、指揮者・作曲家(+ 1996年)
の生誕日です。

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ラファエル・イェロニーム・クーベリック
:Rafael Jeronym Kubelik,
1914年6月29日 ボヘミア -
1996年8月11日
スイス・ルツェルン)
は。

チェコの指揮者、作曲家です。

++++++++++++++++++++++

ラファエル・イェロニーム・クーベリック
:Rafael Jeronym Kubelikの
生涯

世界的ヴァイオリニストの
ヤン・クーベリック (1880-1940)
の長男としてチェコのビーホリー (Bychory)
に生まれました。

指揮者として本格的に活動する前には、
この父の伴奏ピアニストとして
各地の演奏旅行に同行到しました。

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
の指揮に感銘を受け、指揮者を志しました。

プラハ音楽院でヴァイオリン、作曲、指揮を学びます。
1934年に卒業すると、
同年チェコ・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してデビュー
到しました。

++++++++++++++++++++++

ラファエル・イェロニーム・クーベリック
:Rafael Jeronym Kubelik
は。

1936年にチェコ・フィルの常任指揮者、
1939年にブルノの国立歌劇場 (Narodni divadlo Brno)
の音楽監督に就任。

そして1942年にはチェコ・フィルの
首席指揮者になりました。

1948年にチェコスロバキアで
チェコスロバキア共産党を中心とした政権が成立すると。

チェコの共産化に反対したクーベリックは。
同年のエディンバラ音楽祭へ参加するために渡英して。
そのままイギリスへと亡命致しました。

++++++++++++++++++++++

ラファエル・イェロニーム・クーベリック
:Rafael Jeronym Kubelik
は。

1950年から1958年までシカゴ交響楽団、
コヴェント・ガーデン王立歌劇場音楽監督を歴任。

1961年には手兵となる
バイエルン放送交響楽団の首席指揮者に就任致しました。

1979年までその任をつとめました。

また、この間の1972年から1974年まで、
メトロポリタン歌劇場の音楽監督を兼任致しました。

++++++++++++++++++++++

ラファエル・イェロニーム・クーベリック
:Rafael Jeronym Kubelik
は。

1973年にはスイス国籍を取得。

1986年に持病の関節炎、痛風の悪化、
また作曲に専念するために指揮者を引退致しました。

しかし、1989年に
チェコで民主化革命が起きたのを契機に、
翌1990年の「プラハの春」音楽祭で。

チェコ・フィルを指揮し、
スメタナの『我が祖国』の歴史的名演を行い復活致しました。

チェコ・フィルより終身名誉指揮者の称号を受けました。

さらに、1991年秋にもチェコ・フィルに再登場し、
ドヴォルザーク交響曲第9番『新世界より』を指揮。
その直後に来日公演も行いました。

++++++++++++++++++++++

ラファエル・イェロニーム・クーベリック
:Rafael Jeronym Kubelik
の録音・活躍

ラファエル・イェロニーム・クーベリック
:Rafael Jeronym Kubelik
は。
20世紀最高クラスの指揮者でした。

スメタナやドヴォルザークなど故郷チェコの音楽のほか、
ドイツ・オーストリア系音楽を得意と致しました。

++++++++++++++++++++++

ラファエル・イェロニーム・クーベリック
:Rafael Jeronym Kubelik
が。

クーベリックは20世紀後半の指揮者としては珍しく
オーケストラの第2ヴァイオリンを指揮台の右側に配置し、
第1と第2のヴァイオリンを左右に分けて配置させていました。

1990年には娘のアニタとともに
ヤン・クーベリック協会を設立。
ラファエル没後も、
SP時代のチェコ人演奏家の貴重な音源を復刻するなどの活動を
つづけています。

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ラファエル・イェロニーム・クーベリック
:Rafael Jeronym Kubelik
は。
1996年8月11日にスイスのルツェルンでこの世を去りました。

父と共に。
ヴィシェフラット民族墓地に埋葬されています

(同じ墓石にはアルフォンス・ミュシャも眠っています[1])。

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ラファエル・クーベリック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF

ラファエル・イェロニーム・クーベリック:Rafael Jeronym Kubelik, 1914年6月29日 ボヘミア - 1996年8月11日 スイス・ルツェルン)は、チェコの指揮者、作曲家。

目次
1 生涯
2 録音・活躍
2.1 主な録音
2.2 作曲活動
3 脚注
4 関連項目
5 参考文献
6 外部リンク

生涯
世界的ヴァイオリニスト、ヤン・クーベリック (1880-1940) の長男としてチェコのビーホリー (Bychory) に生まれた。指揮者として本格的に活動する前には、この父の伴奏ピアニストとして各地の演奏旅行に同行した[1]。

ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの指揮に感銘を受け、指揮者を志す。プラハ音楽院でヴァイオリン、作曲、指揮を学び、1934年に卒業すると、同年チェコ・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してデビュー。

1936年にチェコ・フィルの常任指揮者、1939年にブルノの国立歌劇場 (Narodni divadlo Brno) の音楽監督に就任。そして1942年にはチェコ・フィルの首席指揮者になる。

1948年にチェコスロバキアでチェコスロバキア共産党を中心とした政権が成立すると、チェコの共産化に反対したクーベリックは、同年のエディンバラ音楽祭へ参加するために渡英、そのままイギリスへと亡命した。

1950年から1958年までシカゴ交響楽団、コヴェント・ガーデン王立歌劇場音楽監督を歴任。1961年には手兵となるバイエルン放送交響楽団の首席指揮者に就任。1979年までその任をつとめる。また、この間の1972年から1974年まで、メトロポリタン歌劇場の音楽監督を兼任した。

1973年にはスイス国籍を取得。1986年に持病の関節炎、痛風の悪化、また作曲に専念するために指揮者を引退した。

しかし、1989年にチェコで民主化革命が起きたのを契機に、翌1990年の「プラハの春」音楽祭でチェコ・フィルを指揮し、スメタナの『我が祖国』の歴史的名演を行い復活。チェコ・フィルより終身名誉指揮者の称号を受けた。さらに、1991年秋にもチェコ・フィルに再登場し、ドヴォルザーク交響曲第9番『新世界より』を指揮。その直後に来日公演も行った。

1996年8月11日にスイスのルツェルンでこの世を去った。父と共にヴィシェフラット民族墓地に埋葬されている(同じ墓石にはアルフォンス・ミュシャも眠っている[1])。

録音・活躍
20世紀最高クラスの指揮者で、スメタナやドヴォルザークなど故郷チェコの音楽のほか、ドイツ・オーストリア系音楽を得意とする。

クーベリックは20世紀後半の指揮者としては珍しく、オーケストラの第2ヴァイオリンを指揮台の右側に配置し、第1と第2のヴァイオリンを左右に分けて配置させていた。

1990年には娘のアニタとともにヤン・クーベリック協会を設立。ラファエル没後も、SP時代のチェコ人演奏家の貴重な音源を復刻するなどの活動をつづけている。

主な録音
特に表記がないものは、手兵・バイエルン放送交響楽団との録音である。おもにイギリスデッカ、ドイツグラモフォン、アメリカCBS、ドイツORFEO Internationalに録音を行っている。

モーツァルト後期6大交響曲
ベートーヴェン交響曲全集
9つのオーケストラを振り分けた企画として話題を呼んだ。第1番:ロンドン交響楽団、第2番:アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団、第3番:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、第4番:イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団、第5番:ボストン交響楽団、第6番:パリ管弦楽団、第7番:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、第8番:クリーヴランド管弦楽団員、第9番:バイエルン放送交響楽団
シューマン交響曲全集
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、バイエルン放送交響楽団との2種の録音がある。
ブラームス交響曲全集
ウィーン・フィル、バイエルン放送交響楽団の2種類がある。
マーラー交響曲全集[2]
ドヴォルザーク交響曲全集
手兵バイエルン放送交響楽団ではなく、ヘルベルト・フォン・カラヤンが音楽監督を務めていたベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を起用している。
ブルックナー:交響曲第3番「ワーグナー」、第4番「ロマンティック」
スメタナ『わが祖国』
シカゴ交響楽団(1952年、マーキュリー)、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1958年、Decca)、ボストン交響楽団(1971年、ドイツ・グラモフォン)、バイエルン放送交響楽団(1984年ライヴ、ORFEO)、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団(1990年ライヴ、スプラフォン/DENON。1991年ライヴ、NHKサービスセンター/Altus)との5オーケストラ6種の録音がある。
近年になって、バイエルン時代のライヴ録音が次々にCD化され、スタジオ録音とは違う、熱気に満ちた演奏が再評価されている。

作曲活動
管弦楽曲、声楽曲、オペラ、室内楽曲、ピアノ曲等にわたる幅広い作品を残している。演奏・録音される機会は少なく、全容ははっきりとしないが、現時点で楽譜や録音等から知ることのできる作品には次のものがある。完成年等のデータは特記以外は以下で記載する楽譜、CD付属解説書による。

「川面に書かれた歌(Poems Scribbled on the Surface of the River)」:1944年完成。古今和歌集からの十首(チェコ語訳されたもの)に付けられた歌である。エルンスト・ヘフリガーによる歌唱で日本Meister MusicレーベルからCD化されている。
「リベラ・ノース(Libera nos)」:1956年完成。出版番号UE13661。レクイエムのラテン語典礼文とドイツ語(またはチェコ語)歌詞を用いた管弦楽伴奏付き合唱作品である。
ソナチネ(Sonatina):1957年完成。出版番号EP8064。ピアノ独奏用の短いソナチネで出版されている作品である。
「妻の思い出のために−レクイエム(Pro memoria uxoris - Requiem)」: 1961年完成。出版番号UE13474。
「弦楽のための4つのフォーム(Quattro forme per archi)」:1965年完成。出版番号UE13531。この作品は自らの指揮によりドイツグラモフォンに録音が残されている。
オペラ「コルネリア(Cornelia Faroli)」:1972年にアウグスブルクで初演された[3]。その断片的映像をいくつかのドキュメンタリー作品で見ることができる。
「管弦楽のためのシークエンス(Sequences for Orchestra」:出版番号EP8462。シカゴ交響楽団との演奏が同楽団制作のCDで発売されている。
「オルフィコン−三楽章の交響曲(Orphikon - Sinfonie in drei Satzen)」:バイエルン放送交響楽団との演奏がチェコPantonレーベルおよびドイツMelismaレーベルから発売された。
「言葉のないカンタータ(Kantana ohne Worte)」:これもバイエルン放送交響楽団との演奏がPantonレーベルおよびMelismaレーベルから発売された。
「インヴェンションとインタリュード−児童合唱、4つのオーボエと4つのトランペットのための(Inventions and Interludes for chirdren's chorus, 4 oboes and 4 trumpets)」:これは自らの指揮により録音され上の2曲とともにPantonレーベルのCDに収録されている。
弦楽四重奏曲第2番(2. Streichquartett):出版番号EP5945。マルティヌー弦楽四重奏団が録音したCDがチェコのレーベルから発売されている。
弦楽四重奏曲第6番(6. Streichquartett):1985年にプロ・アルテ弦楽四重奏団により初演。出版番号EP8739a。
一楽章の交響曲(Sinfonie in einem Satz):出版番号EP8341。

脚注
^ CD『シューマン:交響曲第1番≪春≫、交響曲第3番≪ライン≫』(SONY RECORDS、FCCC-30099)のライナーノートを参照。なお、伴奏ピアニストとしてのクーベリックの演奏技術については、1963年に録音されたヤナーチェク『消えた男の日記』のCDで耳にすることができる。ヤナーチェク「消えた男の日記」におけるピアノの達人クーベリック を参照。
^ マーラー作品の演奏評としては、吉田、2008年、314-316頁、を参照。
^ 50 Jahre Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks 1949-1999, Barenreiter Verlag, Kassel, 1999. S.108

関連項目
チェコの音楽
ヤン・クベリーク
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
バイエルン放送交響楽団
塩川悠子

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6月29日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/6%E6%9C%8829%E6%97%A5

できごと
1575年(天正3年5月21日 ) - 長篠の戦い
1613年 - ロンドンのグローブ座焼失。
1797年 - ナポレオン・ボナパルトがチザルピーナ共和国を建国。
1880年 - タヒチ島がフランスの領土となる。
1913年 - セルビア・ギリシャなどとブルガリアの間で第二次バルカン戦争が勃発。
1928年 - 治安維持法改正、反国体の結社行為に死刑・無期刑を追加。
1932年 - 警視庁、特別高等警察(特高)課を部に昇格。
1933年 - イタリアのプロボクサープリモ・カルネラがジャック・シャーキーに6RKO勝ちを果たし、世界ヘビー級王者となる。
1945年 - 岡山空襲で岡山城が焼失。
1950年 - FIFAワールドカップで、アメリカがイングランドに1-0で勝利。
1954年 - 水爆製造に反対したロバート・オッペンハイマーを原子力委員長から解任。
1956年 - アメリカ合衆国で連邦補助高速道路法が施行される。
1958年 - FIFAワールドカップスウェーデン大会の決勝戦でブラジルがスウェーデンを5-2で破り初優勝。
1961年 - 甲子園阪神パークにレオポンが3頭誕生。「ジョニー」「チェリー」「ディジー」と名づけられる。
1962年 - 北海道の十勝岳が噴火。
1966年 - ビートルズが初来日。
1976年 - セーシェルがイギリスから独立。
1981年 - 中国共産党第11期6中総会で文化大革命を全面否定する「歴史決議」を採択。
1982年 - 米ソ首脳が戦略兵器削減交渉 (START) を開始。
1990年 - 礼宮文仁親王が川嶋紀子と結婚、秋篠宮家を創設。
1995年 - 韓国ソウルの三豊百貨店がほぼ全壊し、512人が死亡。
1999年 - 広島県を中心とした中国地方を集中豪雨(6.29豪雨災害)が襲い、各地で起こった土砂崩れ等により34人が死亡。

誕生日
1227年(安貞元年5月14日) - 北条時頼、鎌倉幕府第5代執権(+ 1263年)
1596年(慶長元年6月4日)- 後水尾天皇、第108代天皇(+ 1680年)
1815年(文化12年5月22日) - 浅田宗伯、漢方医(+ 1894年)
1868年(慶応4年5月10日) - 瀬戸口藤吉、音楽家(+ 1941年)
1897年 - 土浦亀城、建築家(+ 1996年)
1900年 - アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ、作家・パイロット(+ 1944年)
1905年 - 入江相政、侍従長・エッセイスト(+ 1985年)
1906年 - 朱牟田夏雄、イギリス文学者(+ 1987年)
1908年 - ルロイ・アンダーソン、作曲家(+ 1975年)
1911年 - バーナード・ハーマン、作曲家(+ 1975年)
1914年 - ラファエル・クーベリック、指揮者・作曲家(+ 1996年)
1915年 - 柳宗理、インダストリアルデザイナー
1916年 - 小山正孝、詩人(+ 2002年)
1922年 - 清岡卓行、詩人・小説家(+ 2006年)
1928年 - 松尾浩也、法学者
1930年 - 左幸子、女優(+ 2001年)
1933年 - 冲永荘一、帝京大学創設者
1935年 - 野村克也、プロ野球選手・監督
1936年 - ハーモン・キルブルー、メジャーリーガー
1936年 - デヴィッド・ジェンキンス、フィギュアスケート選手
1941年 - 倍賞千恵子、女優・歌手
1945年 - 中塚政幸、プロ野球選手
1948年 - イアン・ペイス、ミュージシャン
1948年 - 成田春男、調教師
1949年 - 中田カウス、漫才師
1954年 - 清水アキラ、お笑いタレント・ものまねタレント
1955年 - 森マリア、歌手・女優
1956年 - ニック・フライ、ブラウンGPCEO
1958年 - ロザ・モタ、女子マラソン選手
1959年 - 二代目引田天功(プリンセス・テンコー)、奇術師
1959年 - 後藤雄一、プロ野球選手
1960年 - 清水よし子、お笑いタレント
1963年 - 北野アキト、クリエィティブディレクター、グラフィックデザイナー
1964年 - 御子柴進、プロ野球選手
1965年 - 大森はじめ(東京スカパラダイスオーケストラ)、ミュージシャン
1965年 - 藤原英昭、調教師
1966年 - 神尾葉子、漫画家
1966年 - パパイヤ鈴木、振り付け師・タレント
1966年 - エドツワキ、画家・デザイナー・アートディレクター
1968年 - 中村良二、プロ野球選手
1969年 - 松本志のぶ、アナウンサー
1969年 - 橋下徹、弁護士・大阪府知事
1970年 - 渡邉博幸、プロ野球選手
1971年 - 野田順子、声優
1972年 - 真木ことみ、演歌歌手
1973年 - 塩崎真、プロ野球選手
1973年 - 福嶋晃子、プロゴルファー
1973年 - ペドロ・バルデス、プロ野球選手
1973年 - 朴賛浩、メジャーリーガー
1975年 - 高木郁乃、ミュージシャン・ボーカリスト
1975年 - マシュー・ゲイツ、フィギュアスケート選手
1976年 - 井川遥、女優・タレント
1976年 - 松田直樹、プロボクサー
1976年 - オスマニー・ウルティア、野球選手
1977年 - ウィル・ケンプ、ダンサー・俳優
1978年 - 吉川昌宏、プロ野球選手
1978年 - トレイ・ホッジス、プロ野球選手
1979年 - 谷口邦幸、プロ野球選手
1979年 - 酒井友之、サッカー選手
1979年 - 美元、女優、モデル
1979年 - 平川博晶、俳優
1980年 - キャサリン・ジェンキンス、メッゾ・ソプラノ歌手
1980年 - 川瀬晶子、声優
1981年 - 咲人、ミュージシャン
1982年 - 矢嶋佑、演出家
1983年 - HIROKI、ミュージシャン(ORANGE RANGE)
1983年 - あじゃ、タレント
1983年 - 小川摩起、女優
1984年 - 大引啓次、プロ野球選手
1984年 - 西京舞、グラビアアイドル
1984年 - 清水隆弘、野球選手
1985年 - 西野翔、AV女優
1986年 - 塚田祥雄、騎手
1986年 - 松村未央、アナウンサー
1987年 - 齋藤ヤスカ、俳優
1988年 - エベル・バネガ、サッカー選手
1988年 - 村井良大、俳優
1989年 - 梅田尚通、プロ野球選手
1990年 - 木村昴、声優
誕生年不明 - さいとうちほ、漫画家

忌日
970年(天禄元年5月18日)- 藤原実頼、平安時代の公卿(* 900年)
979年(天元2年6月3日)- 藤原?子、64代円融天皇の皇后・関白藤原兼通の長女(* 947年)
1252年 - アーベル、デンマーク王(* 1218年)
1418年(応永25年5月14日)- 足利満詮、室町時代の武将・権大納言(* 1364年)
1575年(天正3年5月21日) - 内藤昌豊、戦国武将(* 1522年)
1575年(天正3年5月21日) - 馬場信春、戦国武将(* 1515年)
1575年(天正3年5月21日) - 土屋昌次、戦国武将(* 1544年)
1724年(享保9年5月9日)- 前田綱紀、第5代加賀藩主(* 1643年)
1725年(享保10年5月19日) - 新井白石、江戸幕府老中・儒学者(* 1657年)
1744年 - アンドレ・カンプラ、作曲家(* 1660年)
1875年 - フェルディナント1世、オーストリア皇帝(* 1793年)
1895年 - トマス・ヘンリー・ハクスリー、生物学者(* 1825年)
1903年 - 滝廉太郎、作曲家(* 1879年)
1929年 - 内田魯庵、小説家・文芸評論家・翻訳家(* 1868年)
1933年 - ロスコー・アーバックル、俳優(* 1887年)
1935年 - 橘ノ圓 (初代)、落語家(* 1868年)
1935年 - 長谷川海太郎、小説家(* 1900年)
1940年 - パウル・クレー、画家(* 1879年)
1941年 - イグナツィ・パデレフスキ、ピアニスト・作曲家・ポーランド第二共和制第3代首相(* 1860年)
1951年 - 遠藤新、建築家(* 1889年)
1953年 - 幣原坦、歴史学者・教育者・官僚(* 1870年)
1957年 - 橋本欣五郎、日本の軍人・右翼活動家・衆議院議員(* 1890年)
1964年 - エリック・ドルフィー、ジャズミュージシャン(* 1928年)
1965年 - 沢本頼雄、日本海軍軍人(* 1886年)
1967年 - プリモ・カルネラ、プロボクサー(* 1906年)
1967年 - ジェーン・マンスフィールド、女優(* 1933年)
1994年 - クルト・アイヒホルン、指揮者(* 1908年)
1995年 - ラナ・ターナー、女優(* 1921年)
1997年 - 大村雅朗、作曲家・アレンジャー(* 1951年)
2000年 - ヴィットリオ・ガスマン、俳優(* 1922年)
2002年 - オルヨハン・ダール、計算機科学者(* 1931年)
2003年 - キャサリン・ヘプバーン、女優(* 1907年)
2006年 - ロイド・リチャーズ、俳優(* 1919年)
2006年 - 松本きょうじ、俳優(* 1954年)
2006年 - ファビアン・ビーリンスキー、映画監督(* 1959年)
2007年 - フレッド・セイバーヘーゲン、SF作家(* 1930年)
2007年 - エドワード・ヤン、映画監督(* 1947年)

記念日・年中行事

佃煮の日

聖ペテロの祝日

八千代松陰学園創立記念日