東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年7月2日(木曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年7月02日(木曜日)

「夏」です。

「夏」の「7月」

になりました。

まばゆいほど。

ことばでは。

いいつくせないほどに。

まぶしくて。

ありがたくやさしい。

「夏」「7月」の。

するどく。

つよい陽射しです。

しあわせいろの。

とても。

とてもあかるい陽射しです。

「7月」の。

「朝」の陽射しの「あかるさ」は。

なにものにも。

たとえようこそありません。

「しずかなひざし」です。

けれども「朝陽」の光は。

とても「するどい」。

夏朝陽(なつあさひ)

緑木枝間に

われを見る

まばゆくも

夏朝陽(なつあさひ)鋭く輝く

眼(まなこ)なりけり

なつあさひ

みどりきえたまに

われをみる

まばゆくも

なつあさひするどくかかやく

まなこなりけり

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

「夏」になりました。

今年も夏がきました。

「夏」がきて。

今は「7月」。

「夏」がふうせんのように。

ふくらみ。

ひろがってゆく季節です。

「7月」です。

「盛夏」まぢかし。

ひなまつりはおわり。

野には。

たんぽぽが葉草となり。

夏草の花が咲き。

野草は葉草となり。

よもぎや。

すぎながいっぱいになりました。

みどり葉のつつじが。

さえほこっています。

「夏」になり「川の水音」は。

あたかも。

「ゆたかな清流」の。

「みずのながれのおと」に。

きこえるようになりました。

「夏」の小川。

「どんどん」ながれる。

なつのおがわ。

高さも低さこそ見えないのに。

あゆみたゆまず。

ながれる水の流れ。

とても感銘致します。

春分の日もすぎれば。
「さくら」咲きはじめ
「さくら」がおわり。
「4月」が終われば。
「5月」になり。
「5月」もおわれば。
6月に。「夏」になり。
6月も終われば。
7月 たなばた。
7月 もおわれば。
せみのなく8月。
8月の夏はすぎれば。
9月の秋になり秋の虫が鳴く。
そして9月がおわり。
中秋10月なり紅葉の季節。
そして10月がおわり。
「11月」になり。
晩秋「11月」もおわり12月の「冬」。
「12月」になればまた「年」があけ。
また「初春」がくる。

そして来年も「春」の「3月」がきて。
そして「4月」「5月」がおわり。
「6月」がすぎて。
「7月」になる。

「なつ」の「7月」です。

「陽」はすでに

日々とてもたかくなりつつあります。

「夏」がきて。

「ま夏」に向かう「ひざし」の。

「光」の日々です。

「夏」の「7月」です。

「夏」の「7月」の。

「夏至」までは。

陽は日々たかくなっています。

夜になっても明るい。

とてもよくわかります。

けれども「夏至」はもうすぎました。

朝陽ののぼるのが早くなりました。

夕陽がおりるのは遅くなりました。

朝の「夏」の陽射しは

窓越しにも「まばゆい」

くらいです。

夕暮れの「夏」の陽射しは

「はしりおえた」

「陸上競技の選手」のようです。

つかれて。けれども充実して。

くれてゆきます。

空明るい夜になります。

まことに。

冬来たりなば春遠からじ。

ふゆきたりなば

はるとおからじ

(出 典は。

 イギリスの詩人シェリー*の

『西風に寄せる歌』の一節。

英 語の原文: 

If winter comes,

can spring be far behind? )

「英国:United Kingdom UK」のロマン派の
詩人は。「御自分」のテーマの「鳥」を
紋章のようにもっています。
英国ロマン派の詩人は、
それぞれ愛好し、崇拝する鳥を持っていました。

ジョン・キーツは、
「夜鶯」(ほととぎす)の神秘的な声に魅惑され。
夜の闇に響くその歌声を主題に詩を書いています。

ワーズワースにとって、詩の霊感をもたらし、
彼に生きることの喜びを教えてくれる鳥は、
「郭公」(かっこう)でした。

パーシー・シェリーは「雲雀」(ひばり)の声に魅惑され。
ひばりを崇拝する鳥として。
主題とした詩を書いています。

「春」から「夏」への

移り変わりは

二階から。

「かけあし」の足音のとんときこえぬ。

「空き家」のごとき「うつろい」でした。

二階から。

「かけあし」の足音のきこえぬ。

「かげろう」

の「たたずまい」のようでした。

「9月」の初秋がおわり。
「名月中秋10月もおわり」ました。
「11月」。

「11月」もおわりました。
「12月」もおわりました。
「新年」「初春」の「1月」もおわり。
今は
「2月」「晩冬」もおわりました。

「春」から「夏」への移り変わりは

「かげろう」のようにうつろいました。

「夏」はひそやかにと。

こっそりと。ゆっくりと。

ひそかに。あるいて来ます。

そしてゆっくりと。

「秋」になるまで

あるいて行くようです。

だから。

「夏」をまつのであれば。

「夏」がひそやかに。

しのびあしで。

歩いてくるのをまたなければ。

なりません。

「秋」がくるのをまつのであれば。

「夏」がゆっくりと。

しのびあしで。

歩いていくのをまたねば。

なりません。

「かぜのおとに」おどろかされるまで。

またねばなりません。

もう「夏」ですね。

「夏」はゆっくりとあるいてやってくる。

「夏」がひそやかにかくれてやってくる。

さきのことすぎるかもしれないが「来年」。

このように「時」のうつろいを

心はせれば。

考えると「おそろしいもの」です。

考えなければ。
「なおおおそろしい」
ものであるものかもしれない。

「考えずにいるつけ」がまわって
くるからかもしれません。

「来年」のことを考えれば「鬼」が笑う。
「来年」のことを考えずにすむのであれば「鬼」は
笑わないのでしょう。
「鬼」とはなんだろう。

今日の深夜早朝03:15amには。

久方ぶりに。

大きな「夏」の「星空」がみえました。

早朝くらいうちは。

空に月。

「お月様」が「雲のじゅうたん」に。

天高くにねそべって。

かさををさしている。

ようです。

「夏」の「夜空」の。

「おぼろ月夜」です。

「赤い月」でした。

04:00amころ日があければ。
まだまだくらい朝日を背に。
西のコバルトの空高く明るい。
とても高い成層圏近くの高い高度に。

西のコバルトの空高に。
「刷毛」でひいたように「絹雲(けんうん)」が
何本も何本も。
描かれて。
たなびいていました。

実に見事な筆捌(ふでさばき)です。
ためらいのない「朝焼け」
「夏」の「朝焼け色」の線描です。

「夏」の朝。

「陽射し」ののぼるころは。

「西」の空

のほうが明るいのです。

朝が明けて午前になれば。

まばゆいほどの。

「夏」のひざしが。

陽がのぼる。

東から。

窓のカーテンと。

木々の合間をぬって。

「さあ 外においで!」

とさそうがごとく。

大きな声で。

よびかけてくるようです。

ハーメルンの笛吹き男のようです。

高い成層圏近くの高い高度に。
「刷毛でひいたように」「絹雲(けんうん)」
の端には渦巻きのような「ぬけあな」があり
「さらなる遠方の青空」が透けてみえます。

さながらにして。
東山魁夷画伯の描かれた大きな壁画。
大きな屏風絵の世界。

東山魁夷画伯の描かれた大きな絵画を
彷彿とさせますです。

東山魁夷画伯。
「よくえがかけた画伯です」。

この「あおぞら」をみていると。

陽のひかりをみていると。

とても

信じられないくらいに。

元気がわいてくることに。

気が付きました。

「太陽」の「陽射し」。

「陽」の「めぐみ」は。

なんと。

ありがたいことだろう。

なんと尊いことだろう。

そら一杯の青空の

天井(てんじょう)と。

「太陽のひかりのひざし」は。

「生きとし生けるもの」にとって。

なによりもの。

まことの。

「めぐみ」なのであり。

それを戴けるのは。

「よろこび」おほきことです。

「太陽のひかりのひざし」は

「いのちへのめぐみ」。

「いのちのよろこび」。

ありとあらゆる「生命」「いのち」をはぐくみ。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をたたえる。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をなぐさめる。

「生きとし生けるもの」の「いのち」に。
さらなる。
「はるかかなた」までの。
「いきるちから」をさずけるものです。
「太陽」。
ありがたいものです。

はやいものです。
ときのたつのは。
はやいものです。

そしてふと考えれば

去年も
「12か月」が
終わりました。

中秋から晩秋にうつろい。
「寒月」の「12月」がおわり。
新年の「1月」がおわり。
「晩冬」の「2月」がおわり。
「初春」の「3月」「4月」がおわり。

いまは
「夏」「7月」です。

「夏の花」の花の花びら。

ひろって。
手のひらにかかげれば。
「夏の花」の花のかおりは。
プラチナ色の香りが
致します。

今は。
「夏の花」が。
蕾をふくらませています。
「夏の花」の。

はながは鐘袖(ベル・スリーブ)のように。
ふくらんでいます。

「夏」の花の「はなびら」が。

闇夜のあいだに。

朝の早朝まだ。

「花」にもきがつかぬうちに

また地に舞い下りています。

「夏の花」

には。

ひとのよの。

「人のいのち」の。

「こたえ」があるような

気が致します。

ふと野の花は。

一般的には。

香らない花が。

多いことに気づきました。

伊藤左千夫の「野菊の墓」の「野菊」は。
矢車菊 (やぐるまぎく)
はとても綺麗なむらさきの「のぎく」です。
けれども「のぎく」は香りません。
(Corn lower, Bachelor's-button)です。

因みに
最高級の(今はもうとれない)
インド・カシミール地方で産出されたの
サフアイアの色は

「矢車菊色:やぐるまそう色」といわれます。

「カシミール・ヴァイオレット」。

麦畑やとうもろこし畑の中に 咲いていたことから。
「コーン・フラワー」=「野菊」(Corn lower)
です。

別名 「矢車草(やぐるまそう)」
といわれることがあります。

実は「矢車菊 (やぐるまぎく)」と
「矢車草(やぐるまそう)」まったく違う植物です。
矢車菊 (やぐるまぎく)が「野菊」。
「矢車草(やぐるまそう)」は「高山植物」。

「野菊」は春から夏にかけて咲くむらさきの花です。

古代エジプトのツタンカーメン王の墓 からも
発見された由緒正しき「野菊」。
色は紫。むらさきです。

ツタンカーメン王の。

まだ幼な子王妃が。

「亡きツタンカーメンンに野菊の花束ささげるけなげな姿」
が鮮烈に眼に浮かびます。

この「花」が。

「野菊」です。

「野菊の墓」の「野菊」。

けれども。

「野菊」は

香らない。

毎朝暗い早朝と。

うす暗くなる午後6時ころには。

「季節風」が

ふいている。

「季節風」がかわりばんこに。

あちこちで

「ろうろう」「こうこう」とないています。

「夏かぜ」の
「季節風」の
の「コーラス」を聞いていると。

ふと。

「この「夏」におびえるひと」の気配が
脳裏をはしりました。
はてだれだろう。

うら若き乙女。
貧しさに。
苦労に苦労をかさねて。
苦しんで苦しんだ苦しんだあげくに。
24歳にして世を去った
「樋口一葉」。

樋口一葉の
夏ではあるけれども。
「うらわかき」「「冬」と「春」の短歌」がきこえるようです。

散たまるふもとの落葉わけて思ふ
埋もれぬべきは雪の山里

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ
うもれぬへきはゆきのやまさと

庭の面につもる紅葉の色見れば
散りての後もにしきなりけり

にわのおもにつもるもみしのいろみれば
ちりてのあともにしきなりけり

世の中の秋にあはじとおくれけん
一もと野ぎく思ひあがりて

よのなかにあきにあはしとおくれけん
ひともとのきくおもひあがりて

折々に散るものどけし春雨の
はれたる軒の山桜ばな

おりおりにちるものどけしはるさめの
はれたるのきのやまさくらばな

わが園のものとおもへば初わかな
はつかなれども嬉しかりけり

わがそののものとおもへばはつわかな
はつかなれどもうれしかりけり

立ち渡る霞をみれば足引きの
山にも野にも春は来にけむ

たちわたるかすみをみれはあしひきの
やまにものにもはるはきにけむ

わたつ海の波のいづこに立ち初て
果なくつゝむ春の霞ぞ

わたつみのなみのいづこにたちそめて
はてなくつつむはるのかすみぞ

さざ波やしがの都のいにしへの
おもかげうすく立つ霞かな

ささなみやしかのみやこのいにしえの
おもかけうすくたつかすみかな

鶯のけさおとづるゝ声聞て
はじめて春の心地こそすれ

うくいすのけさおとつるるこへききて
はしめてはるのここちこそすれ

うれしくもわがものにして聞てけり
このあかつきの鶯の声

うれしきもわかものにしてきこへけり
このあかつきのうくいすのこへ

のどかなるけさの雨にやはるの野の
みどりも色まさるらむ

のとかなるけさのあめにや
はるののの
みとりのいろもまさるらむ

おくれたる友の為にとしをりして
谷間の蕨折り残しけり

おくれたるとものためにとしをりして
たのまのわらひおりのこしけり

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ

うもれぬへきはゆきのやまさと

にわのおもにつもるもみしのいろみれば

ちりてのあともにしきなりけり

よのなかにあきにあはしとおくれけん

ひともとのきくおもひあがりて

-------------------------------

おりおりにちるものどけしはるさめの

はれたるのきのやまさくらばな

わがそののものとおもへばはつわかな

はつかなれともうれしかりけり

たちわたるかすみをみれはあしひきの

やまにものにもはるはきにけむ

わたつみのなみのいづこにたちそめて

はてなくつつむはるのかすみぞ

ささなみやしかのみやこのいにしえの

おもかけうすくたつかすみかな

うくいすのけさおとつるるこへききて

はしめてはるのここちこそすれ

うれしきもわかものにしてきこへけり

このあかつきのうくいすのこへ

のとかなるけさのあめにや

はるののの

みとりのいろもまさるらむ

おくれたるとものためにとしをりして

たのまのわらひおりのこしけり

「24歳」の「とても貧しい乙女」の。

「夏」によろこび。

「夏」にもおびえおののく。

隠したくはない「乙女のほこり」

けれども。

隠さざるを得ぬ「乙女のほこり」

かなしさの。おもかげと。

光さす。輝きと。

お若い「御婦人」の「知」「智」が。

ほこりたかくも。

そしてはかなくも。

「ひしひし」とよみとれます。

「夏至」はもうすぐすぎました。

これからは日は。
陽は次第にみじかくなる。
日が短くなる。
朝は明けるのは遅くなり。
夕に暗くなるのは早くなる。

しだいに陽がみじかくなる。
なぜか。
不思議なやさしさ。
やすらぎと。
心やすらかなる
安堵感をかんじます。

心やすらかなる
安堵感をかんじます。

けれども。
「安堵」と「落胆」は。
常に表裏一体。
両羽(もろば)の剣。

「ぬかよろこび」の「ぬか」のような
ものです。

「ながくなる陽」も両羽(もろば)の剣を
持っています。

そして。
季節には「大気の音色(ねいろ)」もあるようです。

朝空は
陽ははるかに天高く。
空色はミルク色です。
クリームのかかった雲空です。

東京都世田谷区山本クリニックの庭園には

「えどむらさき」という「つつじ」
が「何本」もはえています。
野生種に近いものです。
大きな真紅紫の花を咲かせます。

「つつじ」ですから
盆栽の「皐月:さつき」のような
繊細さはみえません。

この「6月」になり。
森山を分け入ると。

木々の根元に隠れ咲く。
だいだい色の花の花のごとくに紅葉したまま
しもがれする
「やまはぜの葉木」が「大好き」です。

「やまうるしの紅葉」もかわいらしく。
「大好き」です。

身の丈以上ほどにもなって群生する。
野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
が。
病院の林の一角に野生のまま
おいしげっています。

野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
のパープルの真珠が群れたように実る
「実りの木の実」の風にそよぐ音色には。
おどろかされます。

あけびつたもうれしい。
あけびの「実」がみつかればなおなおうれしい。

またたびをみつけました。
根元にねこにかじられきずがある。

里山の冬の時期から。
そして初春の里山の季節
になりました。

四季の歩みの春夏秋冬のうつろいは
メトロノームの「あゆみ」を
感じさせます。

この「あゆみ」の「質量」は
とてもとても高いです。
質量があれば。あたかも。
重力のように。
四季のリズムにひきよせられていく。
そのような感じがします。

四季の歩みの春夏秋冬は。
フアジーでいてなお着々。
確実な「リズム」を感じます。

ここに。
「メロディ:旋律」とハーモニー:和声」
がくわわれば「音楽の三要素」。
音楽と同じです。

草花や草木につつまれた自然は。
「音楽」と同じように
ひびきとして聴こえます。

自然は
「しぜん」の
「ヴィルトオーゾ」と
「ヴィルトゥオーサ(virtuosa)」
*です。

この「自然のフイルハーモニウム」の。
指揮者は。
太陽なのか大地なのか人なのか。

或は音色をかもし出す自然はオーケストラ
であるのか。
ソリストなのだろうか。

私の尊敬する「合衆国USA」の
女性で小説家(「ノーベル賞受賞者」)
「パール・サイデンストリッカー・バック
(Pearl Sydenstricker Buck)
中国名、賽珍珠(サィ・チンシュ)」
パールバックの「大地」に
その「こたえ」が示唆されています。

古代より芸術家が
自然を音楽や絵画や彫刻
で表現しようとした気持ちが良く判ります。

*ヴィルトゥオーソ(virtuoso)は、
「博識、達人」を意味するイタリア語の男性名詞である。
複数形の場合はヴィルトゥオーシ(virtuosi)
、女性形はヴィルトゥオーサ(virtuosa)となる。
ラテン語のvirtus(「男らしさ」「美徳」「至高」の意)を語源とし、元来は「有徳の」「誉められるべき」
を意味する形容詞の男性形であった。

実際の楽曲ではこの三要素は。
密接に音楽的に結びつきひとつの楽曲をなします。

但し音楽の「リズム・メロディ・ハーモニー」は
一つだけを明確に取り出せる「成分」というわけ
ではありません。

また「音楽であるため」に。
三要素が絶対必要ということ
でもないでしょう。

邦楽などではリズム・ハーモニーは
存在しないか希薄である事が多いです。
「音楽」として「欠陥」があるわけ
ではありません。

「リズム・メロディ・ハーモニー」
が西洋音楽の常識ではありえないほど
高度な進化を遂げた音楽も存在致します。

邦楽もその一つです。

大和の国 やまとのくにの自然は。
「大和の国の音楽」と同じように思えます。
聴こえます。

「音楽」は「音」「おと」です。
そして「しらべ」=メロディとハーモニーです。
人類が「この音楽」を「楽譜」として
「寸分たがわず」「譜面」という名の「紙」に
「かくことを完成させた」ということは
大変なことです。

人間は。
人類は。
わずか「400年」で。

「音楽の旋律」に対する「楽譜」を。
「あらたな言語」を
完全に「完成」させたことになります。

まさにミューズの神の「神業かみわざ」です。

木々のめぶきの
冬なおも。
ますます力強い息吹を感じます。

「真夏」をすぎ「冬」になると。
再び「若葉」がみられることに。
きづきました。
「ため息」がでるほど木々の「冬若葉」の
「つどい」は「つよく」「うつくしい」。
雪の上のみどり。

木々のてっぺんは萌黄色から
「ふかみどり」
になりました。
そして「しっかりと樹木として
「冬を迎えた葉束」になりました。
これからは
「深まる冬」がすぎさり「春」。
「開花」の炎が。
樹木の上方で。
「雪の到来」を.
くすぶりてまちわびてています。
たえしのぶ冬の樹木です。

「若葉」の「新緑」から「深緑」です。

高い木々の穂先は萌黄から若草色に。
うねるなみのように。
木々の新緑は常緑となり冬のおとずれを
伝えていました。

桜は葉桜から「葉木」
道路沿いの「けやき」の木々も
萌黄から若葉。
そして青葉。
どうもうともいえる青葉。
そして見え隠れする「紅葉葉」。
紅葉葉の10枚20枚がひとつひとつ
の樹木にみえるようになりました。
「黄色調」です。
そして今「樹木」は「葉のいろ」をかえ
「宙」に舞おうとしています。

明らかなる。
「冬から春」とはことなる。
「夏から秋」。
「秋から冬」
そして「冬」の「木枯らし」。

木々の四季の。
大気の「色」のうつろい
に気づきます。

今は里山(さとやま)をさまよい。
今は里山(さとやま)をあるきたい。
今は里山(さとやま)の季節。
今は昔々里山(さとやま)であそび。
今は昔々て里山(さとやま)でおぼえ。
今は昔々里山(さとやま)でまなんだ。
今は昔々のその日々の思い出は。
今は黄金(こがね)か。あるいは。
今は銀か。いぶし銀か。
今はもしかしたらプラチナか。
今は思い出色は鉛のように。
今は重さは鉛のようになり。
今は心の奥深くに埋もれて感じられます。

「幸せ色」=「しあわせいろ」

ならばよいです。

けれども
早朝は非常にあたたかくなりました。

夏やま中さまよいて
夏やま中をわけいらば
夏やま中大樹の根元に隠れたり
夏やま中あけぼの色のちひさき炎(ほのほ)
夏やま中みつけたりやまの秋の華。
夏やま中やまの秋葉木のかくれんぼ
夏やま中大樹の根元に隠れたり
夏山はぜの葉木。
夏やま中やまうるしの葉木。
夏やま中あきやまはぜとふるやまうるし。
夏こす「はだか木」。
夏こす元気な木。たくましき木。

夏山萩(やまはぎ)の
夏花をかくして燃えたたむ
夏に実りの祭りなり
夏山はぜの葉炎
夏天高く燃ゆ

なつやまはぎの
なつはなをかくしてもえたたむ
なつにみのりのまつりなり
なつやまはせのほのほ
なつてんたかくもゆ

ひろくなりけり空(そら)たかし
さとやまに木々のみどり木
こもれびうけて燃えるがごとし
みどりの炎(ほのほ)
ほのほうちけさむかすみはあおし
ほのほにかすみにただよひて
うるわしくかがやきたり
あたたかくかおりたり
あざやかなりけり 
やまさとのやまみどり
やまさとのふかみどり

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
は「英国:United Kingdom UK」の
「風景画家」
天才画家ですが「緑」が大嫌い
で「黄色」が「大好き」。
「木」をかくのを非常にいやがったそうです。

多分ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
が「修行時代」に「お金にために
「どこの国も同じですが」
「名所絵」をかかされたときの
「反動」ではないかと
今の私は考えます。

「大きな夏みつけた」

から

「夏がすぎてて真秋間近い」

「小さな秋みつけた・。」

そして

「小さな冬みつけた」

そして

「大きな冬みつけた」。

そして

「小さい春」がみつかって。

しだいにおおきな。

「春」になりました。

「夏」がちかづく「八十八夜」

今は「夏」。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

+++++++++++++++++++++

平成21年01月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年2月11日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年3月20日(金曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年7月20日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

++++++++++++++++++++++

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらず
インフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。

「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は

1946年に『ガラス玉演戯』などの作品で
ノーベル文学賞を受賞した作家。
難解な「作風」でしられ。

「誰もがミッキーマウスを理解する。

ヘルマン・ヘッセをわずかの人が理解する。
ほんのひとにぎりの人が
アルベルト・アインシュタインを理解する。

そしてノートン1世を理解する者は一人もいない。」
というジョークが存在する作家。

1877年 - ヘルマン・ヘッセ、小説家(+ 1962年)
の生誕日です。

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ヘルマン・ヘッセ:Hermann Hesse,
1877年7月2日 - 1962年8月9日)は、ドイツの作家です。

主に詩と小説によって知られる20世紀前半のドイツ文学を
代表する文学者です。
風景や蝶々などの水彩画もよく描き、
南ドイツの風物のなかでの穏やかな人間の生き方を画いた
作品群の他に、ヘッセの絵を添えた詩文集は、
今でも人気があります。

1946年に『ガラス玉演戯』などの作品で
ノーベル文学賞を受賞致しました。

++++++++++++++++++++++

ヘルマン・ヘッセ:Hermann Hesseの生涯

1877年、ドイツ南部バーデン=ヴュルテンベルク州のカルフに生まれました。
家系はエストニア系でした。

7歳の頃、宣教師である父のつてで新島襄に会っています。

難関とも言われるヴュルテンベルク州試験に合格し
14歳のときにマウルブロン神学校に入学するが半年で脱走致しました。

その後両親の知り合いの牧師の悪魔払いを体験するが効果なく自殺未遂。

++++++++++++++++++++++

ヘルマン・ヘッセ:Hermann Hesseは。

その後シュテッテン神経科病院に入院致しました。
カンシュタットのギムナージウムに入学するが続かず
本屋の見習い店員となるが3日で脱走するなど
様々な苦悩を体験致しました。

このころの経験が『車輪の下』原体験となっていると言われます。

++++++++++++++++++++++

ヘルマン・ヘッセ:Hermann Hesseは。

その後様々な職をつきながら作品を発表致しました。
テュービンゲンの本屋で店員をしていた話は有名です。

その店にはのちにヘッセ本コーナーもつくられました。

1904年、27歳でマリア・ベルニリと結婚し3人の子供をもうけました。

この頃のヘッセの作品は、
前期は、ノスタルジックな雰囲気の漂う牧歌的な作品が多いです。

作品の描く世界は。
ある意味、一つの価値観に基づいた予定調和の世界となっています。

++++++++++++++++++++++

ヘルマン・ヘッセ:Hermann Hesseは。

しかし1919年の『デミアン』執筆前後から作風は一変致しました。
この前後、第一次大戦の影響などもあり、
ヘッセは深い精神的危機を経験致しました。

ティチーノ州のモンタニョーラという小さな村に落ち着き、
カール・グスタフ・ユングの弟子たちの助けを借りながら
精神の回復を遂げるなかで。

ヘッセの深い精神世界を描いた作品が
『デミアン』です。

その後の作品には、現代文明への強烈な批判と洞察
および精神的な問題点が多く描かれており、
ヘッセをドイツ文学を代表する作家に押し上げました。

++++++++++++++++++++++

ヘルマン・ヘッセ:Hermann Hesse
は。
1924年、ルート・ヴェンガーと結婚し、
3年後に離婚。
1931年に3度目の妻ニノン・アウスレンダー(旧姓ドルビン)
と結婚致しました。
ニノンとは長年の間、文通関係でした。

祖国ドイツにヒトラー政権が誕生すると
平和主義を唱えていたヘッセは
スイスで執筆活動を行いました。

当時ヘッセの作品はナチス政権から
『時代に好ましくない。』とされ
ドイツ国内で紙の割り当てを禁止されていました。

++++++++++++++++++++++

ヘルマン・ヘッセ:Hermann Hesse
は。

第二次世界大戦終結後の
1946年ノーベル文学賞とゲーテ賞を受賞致しました。
翌年の1947年生まれ故郷のカルプ市の名誉市民となりました。

同年アンドレ・ジッドの訪問を受けました。

1962年、43年間を過ごしたモンタニョーラの自宅で85歳で死去。
聖アボンディオ教会に葬られました。

モンタニョーラにはヘッセの業績を記念して作られた
ヘッセ博物館があります。

++++++++++++++++++++++

ヘルマン・ヘッセ:Hermann Hesseの逸話 

ヘッセの作品は難解であるともされます。

「誰もがミッキーマウスを理解する。
ヘルマン・ヘッセをわずかの人が理解する。
ほんのひとにぎりの人がアルベルト・アインシュタインを理解する。
そしてノートン1世を理解する者は一人もいない。」
というジョークが存在致します。

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ヘルマン・ヘッセ:Hermann Hesseの。
『Das Nachtpfauenauge(クジャクヤママユ)1911年』
を自ら手直しして地方新聞に掲載した
『Jugendgedenken(少年の日の思い出)1931年』が。

今現在では日本でしか読めないという事実は意外と知られていません。
この作品は1947年発行の国定教科書に掲載され、
その後現在に至るまで60年間以上も
日本の中学国語教科書の幾つかに教材として掲載され続けています。

恐らくは日本国民の半数以上が
『少年の日の思い出』を最初の外国文学作品として読んでいるはずです。

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2009年4月、この作品を「昆虫標本」により具現化しようと、
ヘッセと同じく昆虫採集を趣味とする
ヘッセファンが人文科学的昆虫展示会を行いました。
特筆すべきは、この作品に登場する4種
(ワモンキシタバ・キアゲハ・コムラサキ・クジャクヤママユ)
の鱗翅目(チョウ目)を特定し、
それぞれこれらをドイツ・スイスから取り寄せ、
物語に則して展示したことです。

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ヘルマン・ヘッセ:Hermann Hesseの。
主な作品

ガイエンホーフェンの博物館にて再現されたヘッセの書き物机郷愁 (小説) 
Peter Camenzind(1904年)
車輪の下 Unterm Rad(1906年)
春の嵐 Gertrud(1910年)
クジャクヤママユ Das Nachtpfauenauge(1911年)
クヌルプ Knulp(1915年)
青春は美わし Schon ist die Jugend(1916年)
デミアン Demian: Die Geschichte von Emil Sinclains Jugend(1919年)
メルヒェン Marchen(1919年)
シッダールタ Siddhartha(1922年)
荒野のおおかみ Der Steppenwolf(1927年)
知と愛 Narziss und Goldmund(1930年)
少年の日の思い出 Jugendgedenken(1931年)
ガラス玉演戯 Das Glasperlenspiel(1943年)
晩年の散文 Spate Prosa(1951年) 幸福論などを含む随筆集。

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ヘルマン・ヘッセ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%83%E3%82%BB

受賞年: 1946年
受賞部門: ノーベル文学賞

受賞理由: 「古典的な博愛家の理想と上質な文章を例示する、
大胆さと洞察の中で育まれた豊かな筆業に対して」[1]

ヘルマン・ヘッセ:Hermann Hesse, 1877年7月2日 - 1962年8月9日)は、ドイツの作家。主に詩と小説によって知られる20世紀前半のドイツ文学を代表する文学者である。風景や蝶々などの水彩画もよく描き、南ドイツの風物のなかでの穏やかな人間の生き方を画いた作品群の他に、ヘッセの絵を添えた詩文集は、今でも人気がある。1946年に『ガラス玉演戯』などの作品でノーベル文学賞を受賞した。

目次
1 生涯
2 逸話 
3 主な作品
4 外部リンク

生涯
1877年、ドイツ南部バーデン=ヴュルテンベルク州のカルフに生まれる。家系はエストニア系であった。7歳の頃、宣教師である父のつてで新島襄に会っている。難関とも言われるヴュルテンベルク州試験に合格し14歳のときにマウルブロン神学校に入学するが半年で脱走。その後両親の知り合いの牧師の悪魔払いを体験するが効果なく自殺未遂。その後シュテッテン神経科病院に入院する。カンシュタットのギムナージウムに入学するが続かず本屋の見習い店員となるが3日で脱走するなど様々な苦悩を体験する。このころの経験が『車輪の下』原体験となっていると言われる。

その後様々な職をつきながら作品を発表する。テュービンゲンの本屋で店員をしていた話は有名で、その店にはのちにヘッセ本コーナーもつくられた。1904年、27歳でマリア・ベルニリと結婚し3人の子供をもうける。この頃のヘッセの作品は、前期は、ノスタルジックな雰囲気の漂う牧歌的な作品が多い。作品の描く世界は、ある意味、一つの価値観に基づいた予定調和の世界となっている。

しかし1919年の『デミアン』執筆前後から作風は一変する。この前後、第一次大戦の影響などもあり、ヘッセは深い精神的危機を経験する。ティチーノ州のモンタニョーラという小さな村に落ち着き、カール・グスタフ・ユングの弟子たちの助けを借りながら精神の回復を遂げるなかで、ヘッセの深い精神世界を描いた作品が『デミアン』である。その後の作品には、現代文明への強烈な批判と洞察および精神的な問題点が多く描かれており、ヘッセをドイツ文学を代表する作家に押し上げた。

1924年、ルート・ヴェンガーと結婚し、3年後に離婚。1931年に3度目の妻ニノン・アウスレンダー(旧姓ドルビン)と結婚する。ニノンとは長年の間、文通関係だった。

祖国ドイツにヒトラー政権が誕生すると平和主義を唱えていたヘッセはスイスで執筆活動を行う。当時ヘッセの作品はナチス政権から『時代に好ましくない。』とされドイツ国内で紙の割り当てを禁止されていた。

第二次世界大戦終結後の1946年ノーベル文学賞とゲーテ賞を受賞する。翌年の1947年生まれ故郷のカルプ市の名誉市民となる。同年アンドレ・ジッドの訪問を受ける。1962年、43年間を過ごしたモンタニョーラの自宅で85歳で死去。聖アボンディオ教会に葬られる。モンタニョーラにはヘッセの業績を記念して作られたヘッセ博物館がある。

逸話 
ヘッセの作品は難解であるともされ「誰もがミッキーマウスを理解する。ヘルマン・ヘッセをわずかの人が理解する。ほんのひとにぎりの人がアルベルト・アインシュタインを理解する。そしてノートン1世を理解する者は一人もいない。」というジョークが存在する。 『Das Nachtpfauenauge(クジャクヤママユ)1911年』を自ら手直しして地方新聞に掲載した『Jugendgedenken(少年の日の思い出)1931年』が、現在日本でしか読めないという事実は意外と知られていない。この作品は1947年発行の国定教科書に掲載され、その後現在に至るまで60年間以上も日本の中学国語教科書の幾つかに教材として掲載され続けている。恐らくは日本国民の半数以上が『少年の日の思い出』を最初の外国文学作品として読んでいるだろう。2009年4月、この作品を「昆虫標本」により具現化しようと、ヘッセと同じく昆虫採集を趣味とするヘッセファンが人文科学的昆虫展示会を行った。特筆すべきは、この作品に登場する4種(ワモンキシタバ・キアゲハ・コムラサキ・クジャクヤママユ)の鱗翅目(チョウ目)を特定し、それぞれこれらをドイツ・スイスから取り寄せ、物語に則して展示したことである。

主な作品

ガイエンホーフェンの博物館にて再現されたヘッセの書き物机郷愁 (小説) Peter Camenzind(1904年)
車輪の下 Unterm Rad(1906年)
春の嵐 Gertrud(1910年)
クジャクヤママユ Das Nachtpfauenauge(1911年)
クヌルプ Knulp(1915年)
青春は美わし Schon ist die Jugend(1916年)
デミアン Demian: Die Geschichte von Emil Sinclains Jugend(1919年)
メルヒェン Marchen(1919年)
シッダールタ Siddhartha(1922年)
荒野のおおかみ Der Steppenwolf(1927年)
知と愛 Narziss und Goldmund(1930年)
少年の日の思い出 Jugendgedenken(1931年)
ガラス玉演戯 Das Glasperlenspiel(1943年)
晩年の散文 Spate Prosa(1951年) 幸福論などを含む随筆集。

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7月2日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/7%E6%9C%882%E6%97%A5

できごと
1578年 - マーティン・フロビッシャーがバフィン島を発見。
1582年(天正10年6月13日) - 山崎の戦いで羽柴秀吉が明智光秀を破る。光秀は敗走中に雑兵に刺殺される。
1644年 - クロムウェル率いる鉄騎隊がマーストン・ムーアの戦いでルパートの騎兵を潰走させて武名をあげた。
1777年 - バーモント州がアメリカで最初に奴隷制を廃止。
1839年 - アミスタッド号事件。奴隷船に収容されていたアフリカ人奴隷53名がキューバ沖で反乱を起こし、船を乗っ取る。
1881年 - ガーフィールド大統領暗殺事件
1883年 - 官報が創刊される。
1900年 - ドイツのフリードリッヒシャフェンで飛行船ツェッペリン号が初飛行。
1929年(昭和4年) - 日本で濱口雄幸が第27代内閣総理大臣に就任し、濱口内閣が発足。
1937年 - 世界一周飛行の途上、アメリア・イアハートが南太平洋で消息を絶つ。
1941年 - 対ソ戦準備・フランス領インドシナ侵攻を御前会議で決定。
1950年 - 金閣寺放火事件。
1964年 - リンドン・ジョンソン米大統領が公民権法に署名。
1973年 - ジェームズ・シュレジンガーがアメリカ国防長官に就任。
1976年 - 北ベトナムと南ベトナムが統一し、国名をベトナム社会主義共和国に改称。
1985年 - 欧州宇宙機関 (ESA) により、ハレー彗星探査機ジオット打ち上げ。
1995年 - 都営地下鉄浅草線・5000形車両がこの日の運用を最後に現役を引退する。
1997年 - タイ政府によるタイバーツの変動相場制導入を契機としてアジア通貨危機が始まる。
2000年 - 小林雅英がプロ野球史上初の打者0人で勝利投手となる。
2003年 - プラハで開かれた第115回IOC総会で2010年の冬季オリンピックの開催地がバンクーバーに決定。
2005年 - アフリカ救済のチャリティ・コンサート「Live 8」を幕張メッセなど世界10都市で公演。
2008年 - コロンビアでゲリラに誘拐されていたフランス国籍の女性政治家イングリッド・ベタンクールが6年ぶりに救出される。

誕生日
419年 - ウァレンティニアヌス3世、西ローマ皇帝(+ 455年)
1698年 - フランチェスコ3世・デステ、モデナ公(+ 1780年)
1819年 - トーマス・アンダーソン (Thomas Anderson)、化学者(+ 1874年)
1877年 - ヘルマン・ヘッセ、小説家(+ 1962年)
1891年 - 恩地孝四郎、版画家(+ 1955年)
1894年 - ケルテース・アンドル、写真家(+ 1985年)
1898年 - 岡鹿之助、洋画家(+ 1978年)
1903年 - アレック・ダグラス=ヒューム、第66代イギリス首相(+ 1995年)
1904年 - ルネ・ラコステ、テニス選手(+ 1996年)
1905年 - 石川達三、作家(+ 1985年)
1906年 - ハンス・ベーテ、物理学者(+ 2005年)
1916年 - ハンス・ウルリッヒ・ルーデル、軍人
1920年 - 竹内均、地球物理学者(+ 2004年)
1922年 - 藤原彰、歴史学者(+ 2003年)
1923年 - 野崎泰一、プロ野球選手
1930年 - ピーター・バーンサイド、プロ野球選手
1937年 - オレグ・シェーニン、政治家
1940年 - 浅丘ルリ子、女優
1942年 - ビセンテ・フォックス・ケサーダ、第63代メキシコ大統領
1946年 - リチャード・アクセル、科学者・医学博士
1946年 - 西川きよし、お笑いタレント・政治家
1950年 - 鍵谷康司、プロ野球選手
1952年 - 小柳ルミ子、歌手
1953年 - 藤瀬史朗、プロ野球選手
1954年 - 南沙織、歌手
1954年 - タイロン橋本、シンガーソングライター・音楽プロデューサー
1954年 - たつみや章、児童文学作家
1955年 - スティーヴン・ウォルト、大学教授
1964年 - カンケ、ミュージシャン
1964年 - ホセ・カンセコ、メジャーリーガー
1964年 - オジー・カンセコ、野球選手
1965年 - 水江慎一郎、ミュージシャン
1969年 - 田口壮、プロ野球選手
1969年 - 亀山つとむ、プロ野球選手
1969年 - 亀山忍、タレント・俳優
1969年 - 山田勝彦、プロ野球選手
1971年 - 大西崇之、プロ野球選手
1971年 - 高橋功一、プロ野球選手
1972年 - ダレン・シャン、アイルランド人小説家
1973年 - 小坂誠、プロ野球選手
1974年 - 渋川清彦、俳優
1974年 - 片石貴子、タレント、レースクイーン
1978年 - 加藤康介、プロ野球選手
1978年 - 伊藤洋一、ミュージシャン(GOING UNDER GROUND)
1979年 - 三宅健、V6
1979年 - 相川みさお、グラビアアイドル
1980年 - マシュー・ケント、野球選手
1983年 - ミシェル・ブランチ、シンガーソングライター
1984年 - 藤井リナ、モデル
1984年 - ジョニー・ウィアー、フィギュアスケート選手
1984年 - 持田あき、漫画家
1984年 - 長島☆自演乙☆雄一郎、コスプレイヤー、キックボクサー
1985年 - 萩原めぐ、AV女優
1986年 - nangi、シンガーソングライター
1986年 - リンジー・ローハン、女優
1987年 - 山内明日、女優
1988年 - 大抜亮祐、プロ野球選手
1988年 - 曽我部慶太、サッカー選手
1990年 - 松本夏空、ファッションモデル、タレント

忌日
936年 - ハインリヒ1世、東フランク王(* 876年)
1298年 - アドルフ、神聖ローマ皇帝(* 1250年)
1504年 - シュテファン3世、モルドヴァ公(* 1437年頃)
1566年 - ノストラダムス、医師・占星術師(* 1503年)
1580年(天正8年5月21日)- 山名祐豊、但馬国の戦国大名(* 1511年)
1582年(天正10年6月13日) - 明智光秀、戦国武将(* 1528年?)
1591年 - ヴィンチェンツォ・ガリレイ、作曲家(* 1520年頃)
1621年 - トーマス・ハリオット、数学者・天文学者(* 1560年頃)
1700年(元禄13年5月16日)- 鍋島光茂、第2代佐賀藩主(* 1632年)
1733年 - クリスティアン・ペツォールト、作曲家(* 1677年)
1733年(享保18年5月21日)- 松平定英、第5代伊予松山藩主(* 1696年)
1743年 - スペンサー・コンプトン (初代ウィルミントン伯)、イギリスの首相(* 1674年)
1778年 - ジャン=ジャック・ルソー、哲学者・思想家(* 1712年)
1786年(天明6年6月7日) - 中川淳庵、蘭方医・本草学者(* 1739年)
1829年(文政12年6月2日)- 徳川重倫、第8代紀州藩主(* 1746年)
1833年(天保4年5月15日) - 青木木米、絵師・陶工(* 1767年)
1850年 - ロバート・ピール、イギリスの首相(* 1788年)
1850年(嘉永3年5月23日)- 池田慶栄、第11代鳥取藩主(* 1834年)
1903年 - エド・デラハンティ、メジャーリーグベースボール選手(* 1867年)
1914年 - ジョゼフ・チェンバレン、イギリス植民地相(* 1836年)
1915年 - ポルフィリオ・ディアス、第34・36代メキシコ大統領(* 1830年)
1917年 - ウィリアム・ヘンリー・ムーディ、アメリカ合衆国司法長官(* 1853年)
1923年 - 2世曽呂利新左衛門、落語家(* 1842年)
1924年 - 松方正義、日本の第4代・6代内閣総理大臣(* 1835年)
1932年 - マヌエル2世、ポルトガル王(* 1889年)
1934年 - エルンスト・レーム、ナチス突撃隊創始者(* 1887年)
1944年 - 山梨半造、日本の陸軍大臣(* 1864年)
1945年 - 大阪圭吉、推理作家(* 1912年)
1949年 - ゲオルギ・ディミトロフ、ブルガリアの指導者(* 1882年)
1959年 - 深井史郎、作曲家(* 1907年)
1961年 - アーネスト・ヘミングウェイ、作家(* 1899年)
1969年 - 成瀬巳喜男、映画監督(* 1905年)
1973年 - フェルディナント・シェルナー、ドイツ陸軍元帥(* 1892年)
1973年 - チック・ヘイフィー、メジャーリーグベースボール選手(* 1903年)
1973年 - ベティ・グレイブル、女優(* 1916年)
1977年 - ウラジーミル・ナボコフ、作家(* 1899年)
1988年 - 荻昌弘、映画評論家(* 1925年)
1989年 - アンドレイ・グロムイコ、ソビエト連邦外相・最高会議幹部会議長(* 1909年)
1989年 - フランクリン・J・シャフナー、映画監督(* 1920年)
1991年 - リー・レミック、女優(* 1935年)
1994年 - アンドレス・エスコバル、サッカー選手(* 1967年)
1995年 - ズデニェク・コシュラー、指揮者(* 1928年)
1997年 - ジェームズ・ステュアート、俳優(* 1908年)
1999年 - マリオ・プーゾ、小説家・脚本家(* 1920年)
2000年 - 青江三奈、歌手(* 1941年)
2000年 - ジェームズ・グローガン、フィギュアスケート選手(* 1931年)
2002年 - レイ・ブラウン、ジャズベーシスト(* 1926年)
2002年 - アール・ブラウン、作曲家(* 1926年)
2006年 - 趙南哲、囲碁棋士(* 1923年)
2006年 - 原田昇左右、政治家(* 1923年)
2006年 - 七尾伶子、女優・声優(* 1925年)
2007年 - 日比野丈夫、歴史学者(* 1914年)
2007年 - ビヴァリー・シルズ、ソプラノ歌手(* 1929年)

記念日・年中行事

半夏生(はんげしょう、日本、2002年・2005年)
雑節の一つ。