東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年7月3日(金曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年7月03日(金曜日)

「夏」=「7月」

になりました。

「あおい夏」です。

今は「夏」の。

「夏」の「7月」です。

もう「夏」です。

★★★

今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3.500円

2回法=7.000円

です。

「夏」「7月」です。

昨年。
「秋」になり「9月」がおわり。
「10月」もおわり。
秋の最後の
「11月」「晩秋月」もおわり。
そして「12月」になり「冬」になった。
「12月」もほとんどが過ぎたかな
とおもったら。
12月31日になり。

あっというまに。
「年があらたまりました」。
「春」をすぎて。

そして今「7月」です。

「春」の「3月」「4月」「5月」を

乗り越えて。

「夏」「7月」です。

あまりにも
月日と。
時間と。そして年月のたつ。

その速さに。
恐怖さえをも感じます。

大気は「夏」。

「夏かぜ」は。

夏の「季節風」。

天には「夏」の。

「夏の花」の「はな」。

地には「夏」の。

「夏の花」の「はなびら」。

「夏の花々」の

「夏」。

「夏」のこの時期には。
樹木の「落ち葉」はおちきり。

「落ち葉」は「ぴたり」ととまります。
落葉ぎりぎりまで。

「夏」をすぎての
「みのり」にそなえて。
しっかりと。

強い「夏」の
太陽の陽射しをえるためであるのしょう。

「夏」には。

「夏の花」の花びらが

「夏の花」の「花」が。

花も見ぬうちに。

暗い夜中のあいだに。

「季節風」に。

弓射られて。

朝暗いうちにも。

地に落下しています。

樹木は

「夏」の

「夏木」としてのたたずまいから。

まさしく。

あかるい「夏」の。

主人公としての。

たたずまいに。

なりました。

「夏の花」に。

夏の「季節風」。

「夏」の気配は。

はっきりと。

「まち」の葉木にも感じられます。

この。

「季節風」は。

これから。

「どのようなの風」に。

変化していくのでしょうか。

「7月」の。

「夏の花」の

若花のつぼみが。

「夏の花」の

若花のはなびらが。

たわわにみえます。

「夏の花」のつぼみは。

いつでも咲きそうな。

つぼみばかりです。

白いどんぐりのような。

つぼみです。

昨年の「晩秋」
「金木犀:きんもくせい」の残り香は
とおくから。
「とぼとぼ」と歩いてくるように。
ほのかに漂い。
また「とぼとぼ」と歩き去っていった
ようにいなくなりました。

「初夏」の。
「夏の花」の花びらは。

少しずつ遠慮がちにしずかにしずかに蕾膨らみ
少しずつ遠慮がちにしずかにしずかに花咲き
少しずつ遠慮がちにしずかにしずかに花びらが舞う。

「夏」の「あけぼの」の。

空の色が。

まさしくも

「夏」の「空色」

になってきました。

ミルクのはいった

コバルトのような

空色です。

「夏至」がおわりました。

次第に陽ののぼるのは。

とてもはやくなり。

陽がくれるのは。

とてもおそくなりました。

今は「夏」。

「7月」です。

「夏至」はもうすぎました。

「春」の。

「3月」「4月」「5月」が去りゆき。

今はみのりの「夏」「7月」です。

あさの04:00AMころは。
くらくあおく
しだいに
そらがラピズラズリから
トルコ石にうつろうように。
そらがしらんできます。

「夏」の季節の気配からは。

まぢかいけれども。
さらに「なにかが深まりゆく」。
そして「夏」の訪れから。

さらにさらに。
深い「夏」に向かい。
そしてさらに。
深い「夏」の向こう側に。
さらなる「秋」の気配の。
あることが。
よくわかります。

川端康成の。

「雪国」の。

トンネルの中から。

「向こう側」は「雪国」。

そして

「雪国」をすぎれば。

そこは「春の国」。

そして。

今は「夏」です。

「夏」から先にもトンネル

はあるのでしょうか。

夏池面(いけも)の水面(みずも)
夏おさなき小さなわかみどり
夏なもしらぬ
夏小さな緑の浮き草
夏若草うきつあつまりて
夏つらなり水面(みずも)
夏水面(みずも)をおおいたり
夏水面(みずおも)にて
夏風にきそいてさまよえり
夏ちひさきわらべのごとし
夏池面の水面(みずおも)の。
夏小さきちひさなわかみどり

夏いざいまこそは

夏よき季節にあらむ

夏水面(みずも)なるそら

夏ふと空をみる

夏早朝(はやあさ)に
夏けふもはだのさむけれど
夏ぬくもりのあさ
夏陽のありがたき
夏われあゆむがごと
夏陽はあたかくなりけり
夏葉木は強き木にかわりたり
夏みちをあかるくてらさむ
夏がいだく木
夏はぐくむ木
夏みどり木あおし
夏実りの木紅し(あかし)
夏来(きた)るらむ

道端の冬野草の花もかわいらしい。
春夏秋冬の
前奏曲の旋律が聞こえます。

たわわなり
みかんのわか実
みかんの「夏」の実

蜜柑のいらかをかぜはやみ
はなつかぜぜひるむや
「季節風」
みかん実つきひ
はやいくとせ

夏地にも木にも

夏みどり葉ひらき

夏みどり木ときわ木

夏ひろがりて

夏いふことのなし

夏いふことがなし

夏いふことはなし

夏ゆたかなりけり

今年の早朝は異常な寒さです。

気象予報で
「明日は暖かくなる」と聞いても
朝は寒いです。
「毎朝寒い」。
寒いと首都高の自動車も
「寒そうな運転の車」が多いです。

それでも「「夏」はきぬ」。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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++++++++++++++++++++++

平成21年1月12日日(月曜日)は。
元来「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年2月11日(水曜日)は。
元来「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年3月20日(金曜日)は。
元来「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年7月20日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

++++++++++++++++++++++

★★★

今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3.500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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入学式。桜の花。
インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。
再び
「寒さ」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬・春は「厳・春」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の冬場や春はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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草木の周りは。
少しずつ「春夏秋冬」の「四季」を
あゆんでいます。

梅咲き・スミレ咲き。桜咲き。
木々の萌黄から。
眼に青葉。山ほととぎす。そして夏・秋・また冬
がやってくる。

「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬は「厳冬」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の春・冬場はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

感謝・感謝です。

「今日は何の日」は。
ちょっとなつかしいですが
1967年 - FM東海(TOKYO FMの前身)で
FM最長番組JETSTREAMが放送開始
をした日です。

JET STREAM (ジェットストリーム)は、
TOKYO FMをキー局にJFN38局で放送されている
イージーリスニングの音楽番組でした。

この番組には。
JALとFM放送とのしがらみがありました。

++++++++++++++++++++++

JET STREAM (ジェットストリーム)は。

1967年7月3日に
東海大学のFM試験放送局のFM東海で。
放送を開始致しました。

1970年4月からはFM東海を
引き継いで同月開局したFM東京(現:TOKYO FM)
に移り放送を続けました。

2004年11月25日に放送1万回、
2007年7月3日に放送40周年を迎えました。

日本の
FM最長寿番組として現在も記録を更新しています。

++++++++++++++++++++++

JET STREAM (ジェットストリーム)は。

開始当初からJAL(日本航空)の
「一社提供番組」であり。

演出面等においてのみならず後述のとお
りJALと深い関わりを持つ番組です。

現在のパーソナリティ
(当番組では機長と称する)は
俳優の大沢たかお。スクリプトは放送作家の堀内茂男。

++++++++++++++++++++++

JET STREAM (ジェットストリーム)は。

オープニング曲に
フランク・プゥルセル・グランド・オーケストラの
『ミスター・ロンリー』
を使用していることでも知られています。

エンディング曲は『夢幻飛行』でしたが。
初代パーソナリティ・城達也の
降板と共に使われなくなりました

現在はオープニング、エンディングとも
溝口肇編曲・演奏の「ミスター・ロンリー」を使用。

ただし初代機長城達也時代末期の
金曜日版「Midnight Odyssey」はテーマ曲が異なり、
スクリプトも原田宗典が担当していました。

++++++++++++++++++++++

JET STREAM (ジェットストリーム)は。
現在のネット局の一つであるFMぐんまと
radio CUBE FM三重では。

開局時から1994年3月まで
FMナイトストリートをネットしていたため未ネット。

さらに、
radio CUBEでは別番組放送のために一時期金曜日のみ
未ネットだった時期がありました。

また、FM FUJIはJFN加盟局時代、
この番組を一度もネットしたことがありません
(ローカル番組→FMナイトストリート)。

++++++++++++++++++++++

JET STREAM (ジェットストリーム)
は。

この他、番組の放送開始が
午前0時(=日付の変わった直後)であることから。

開局もしくはJFN加盟後の最初の番組が
当番組であったこともありました。
(FM沖縄、Kiss-FM KOBE等)。

++++++++++++++++++++++

JET STREAM (ジェットストリーム)と
日本航空との関わり

現在のFM東京会長である後藤亘(わたる)らが、
旅愁を感じさせる番組作りを目指して企画。

企画段階では10分番組の予定であったが、
日本航空が気に入り、スポンサーとなりました。

これは、当時の日本航空宣伝課長がアメリカへ勤務した際に、
航空会社提供の深夜のラジオ番組を聴いて。

日本航空でも同様の番組をやりたいと考えていたことがあり
ました。

両者の意向が一致したことによります。

++++++++++++++++++++++

日本航空はバブル景気崩壊以降経営が悪化した時期と、
日本エアシステムとの経営統合(現在は吸収合併)後に
トラブルが続き乗客数が減少致しました。

同じく経営が悪化した時期に
大胆な広告費歳出削減を行いましたが。

唯一の例外として「JET STREAM」の単独スポンサーだけは
続けました。

++++++++++++++++++++++

JET STREAM (ジェットストリーム)の。

日本航空のこの番組に対する思い入れは深く。

海外旅行が夢だった時代に海外へ思いを馳せる貴重な番組として
位置付けられていました。

そのため、番組中では世界中の国や都市の紹介を行い、
それらの国、都市へジャルパックで行くにはどれだけの費用を要する、
という広告的な紹介が多く。

さらに日本航空が通常流しているラジオ広告を
番組の終了後に流していました。

番組内で広告的な紹介を行なうことは当時として斬新
なことでした。

初代パーソナリティの城達也時代でこの斬新さを懐かしみ、
今でもこの時代の番組編成に対し根強いファンがいます。

++++++++++++++++++++++

JET STREAM (ジェットストリーム)は。

前述のような理由で。
ラジオ・テレビ共に日本航空が「JET STREAM」を除く
全ての番組提供を降板していた2005年12月までは。

日本航空が提供する唯一の番組でした。

2005年12月からは『松任谷由実 For Your Departure』
に新たに日本航空がスポンサーに入ったほか。

2007年10月からは『鈴木敏夫のジブリ汗まみれ』も
日本航空がスポンサーになっています。
(詳細は日本航空インターナショナル#広告・宣伝活動を参照)。

++++++++++++++++++++++

なお、123便墜落事故以降。

8月12日が放送日の場合には日本航空は
事故の反省から番組への提供を自粛するため
番組中に広告は入らないのです。

また、8月11日の放送でも自粛到します。
(日付上では8月12日になるため)ので、
年2回自粛する年もある。

この他、番組開始当初(1960年代終わり頃)
にFM東海が免許の更新について当時の郵政省と対立。

この時日本航空も一時期スポンサーを降板した。

他の番組は局アナで何とか続けられたが。
「JET STREAM」だけは城でなければ駄目だということで、
城は無償で出演していました。

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JET STREAM
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/JETSTREAM

JET STREAM (ジェットストリーム)は、TOKYO FMをキー局にJFN38局で放送されているイージーリスニングの音楽番組である。

目次
1 概要
2 日本航空との関わり
3 機長、もしくはフライトアテンダント
4 ソフト
5 歴代オープニング・エンディング
6 年表
7 ネット局
8 類似番組・パロディ番組等
8.1 類似番組
8.2 パロディ番組
8.3 その他
9 備考
10 脚注
11 外部リンク

概要
1967年7月3日に東海大学のFM試験放送局FM東海放送を開始。1970年4月からはFM東海を引き継いで同月開局したFM東京(現:TOKYO FM)に移り放送を続け、2004年11月25日に放送1万回、2007年7月3日に放送40周年を迎えた。日本のFM最長寿番組として現在も記録を更新している。

開始当初からJAL(日本航空)の一社提供番組であり、演出面等においてのみならず後述のとおりJALと深い関わりを持つ番組である。現在のパーソナリティ(当番組では機長と称する後述も参照)は俳優の大沢たかお。スクリプトは放送作家の堀内茂男。

オープニング曲にフランク・プゥルセル・グランド・オーケストラの『ミスター・ロンリー』を使用していることでも知られる。エンディング曲は『夢幻飛行』だったが、初代パーソナリティ・城達也の降板と共に使われなくなった(現在はオープニング、エンディングとも溝口肇編曲・演奏の「ミスター・ロンリー」を使用)。ただし初代機長城達也時代末期の金曜日版「Midnight Odyssey」はテーマ曲が異なり、スクリプトも原田宗典が担当していた。

現在のネット局の一つであるFMぐんまとradio CUBE FM三重では、開局時から1994年3月までFMナイトストリートをネットしていたため未ネット。さらに、radio CUBEでは別番組放送のために一時期金曜日のみ未ネットだった時期があった。

また、FM FUJIはJFN加盟局時代、この番組を一度もネットしたことが無い(ローカル番組→FMナイトストリート)。

この他、番組の放送開始が午前0時(=日付の変わった直後)であることから、開局もしくはJFN加盟後の最初の番組が当番組であったこともある(FM沖縄、Kiss-FM KOBE等)。

日本航空との関わり
現在のFM東京会長である後藤亘(わたる)らが、旅愁を感じさせる番組作りを目指して企画。企画段階では10分番組の予定であったが、日本航空が気に入り、スポンサーとなった。これは、当時の日本航空宣伝課長がアメリカへ勤務した際に、航空会社提供の深夜のラジオ番組を聴いて、日本航空でも同様の番組をやりたいと考えていたことがあり、両者の意向が一致したことによる。[1]

日本航空はバブル景気崩壊以降経営が悪化した時期と、日本エアシステムとの経営統合(現在は吸収合併)後にトラブルが続き乗客数が減少し、同じく経営が悪化した時期に大胆な広告費歳出削減を行ったが、唯一の例外として「JET STREAM」の単独スポンサーだけは続けた。

日本航空のこの番組に対する思い入れは深く、海外旅行が夢だった時代に海外へ思いを馳せる貴重な番組として位置付けられていた。そのため、番組中では世界中の国や都市の紹介を行い、それらの国、都市へジャルパックで行くにはどれだけの費用を要する、という広告的な紹介が多く、さらに日本航空が通常流しているラジオ広告を番組の終了後に流していた。番組内で広告的な紹介を行なうことは当時として斬新であり、初代パーソナリティの城達也時代でこの斬新さを懐かしみ、今でもこの時代の番組編成に対し根強いファンがいる。

前述のような理由で、ラジオ・テレビ共に日本航空が「JET STREAM」を除く全ての番組提供を降板していた2005年12月までは、日本航空が提供する唯一の番組だった。2005年12月からは『松任谷由実 For Your Departure』に新たに日本航空がスポンサーに入ったほか、2007年10月からは『鈴木敏夫のジブリ汗まみれ』も日本航空がスポンサーになっている(詳細は日本航空インターナショナル#広告・宣伝活動を参照)。

なお、123便墜落事故以降、8月12日が放送日の場合には日本航空は事故の反省から番組への提供を自粛するため番組中に広告は入らない。また、8月11日の放送でも自粛する(日付上では8月12日になるため)ので、年2回自粛する年もある。

この他、番組開始当初(1960年代終わり頃)にFM東海が免許の更新について当時の郵政省と対立。この時日本航空も一時期スポンサーを降板した。他の番組は局アナで何とか続けられたが、「JET STREAM」だけは城でなければ駄目だということで、城は無償で出演していた。[2]

機長、もしくはフライトアテンダント

この番組ではパーソナリティを、機長またはフライトアテンダントと呼んでいる。歴代パーソナリティと在任期間は以下の通りである。

初代 城達也(1967年7月 - 1994年12月)
城はこの番組のパーソナリティを降板した直後の1995年に他界。
番組中のコーナーは「私のレコードアルバム」。
エンディングの挨拶は「ではまた明日、午前零時に(or 来週のこの時間に)お会いしましょう」。
公式記録としては放送開始から降板するまでの7387回の間一度も休んだことがないことになっているが、1000回直前の頃に代打として同局のアナウンサー田中穂蓄が放送を行った。[3]
二代目 小野田英一(1995年1月 - 2000年3月)
城は同じ事務所の先輩。『ラジオライブラリー「新・人間革命」』(文化放送)とともに事務所の先輩から後輩へ引き継がれた形となった。
エンディングの挨拶は「ではまた明日の(or 来週○曜日の)、午前零時に、このラウンジでお会いいたしましょう」。
三才ブックス発行の「ラジオ番組表」の降板した2000年発行の号の読者コーナーにおいて、降板を惜しむ投稿が掲載された。
三代目 森田真奈美(2000年4月 - 2002年9月)
機長ではなく、フライトアテンダントの設定でパーソナリティを担当。また「乗客」としてゲストを迎え、世界中の国や都市をテーマにトークを展開した。
この間は『LOVE SOUNDS ON JET STREAM』(ラブサウンズオンジェットストリーム)というタイトルで放送していた。
この頃にはラジオショッピングもあったことが、上記の「ラジオ番組表」掲載の番組欄で確認することができる。
しかし、当時大幅に変わった番組構成に対して、一部から疑問の声が上がっていたのも事実で、伊武雅刀に交代した際には城達也が担当していた当時のスタイルに戻される事となった。
四代目 伊武雅刀(2002年10月 - 2009年3月)
タイトルが『JET STREAM』(ジェット・ストリーム)に戻される。
当初はCM入り時間の変更や、1週間通しの企画でラジオドラマを放送するなど試行錯誤が行なわれたが、その後は安定した人気を得る。城・初代機長のスタイルを踏襲した語りには、好評を持って迎えられていた。
番組中のコーナーは「サウンド・グラフィティ」。
当番組担当前にスネークマンショーにおいて、「JET STREAM」のパロディ「JET STRIP」のパーソナリティ「欲情達也」を演じた経験がある。
五代目 大沢たかお(2009年4月 - )
番組中のコーナーは引き続き「サウンド・グラフィティ」。

ソフト
初代機長の城達也時代のものを中心にLPレコード、
CD化されたものや映像化(DVD化)されたものが残されている。
なお、LPについてはCD版の有無不明のものあり。

歴代オープニング・エンディング
初代(城達也時代)
オープニング
「ミスター・ロンリー」(フランク・プゥルセル・グランド・オーケストラ)
エンディング
「ジェット・ストリーム(ロワールの星)」(カラベリ・グランド・オーケストラ)
「夜間飛行」(レイモン・ルフェーブル・グランド・オーケストラ)※「夜間飛行」は、ショップマニフィカの5枚組CD「My Dear(マイ・ディア)イージーリスニング・コレクション」に収録されている。
「夢幻飛行」(アンドレ・バウアー&ジェットストリーム・オーケストラ)
「THE ALLUVIAL PLAINS」(COLIN CHIN)
二代目(小野田英一時代)
オープニング
「ジェットストリーム?アイ・ウイッシュ」(中村由利子)
「Here, there And Everywhere」(The Beatles)
エンディング
「ジェットストリーム?アイ・ウイッシュ」(中村由利子)
「トワイライト・ウィンズ」(中村由利子)
三代目(森田真奈美時代)
オープニング「ミスター・ロンリー」
エンディング「ミスター・ロンリー」
※オープニング・エンディングは共通で、ピアノやギターの音色でアレンジされたものであった。

四代目・五代目(伊武雅刀・大沢たかお時代)
オープニング
「ミスター・ロンリー(オープニングバージョン)」(溝口肇)
エンディング
「ミスター・ロンリー(エンディングバージョン)」(溝口肇)

年表
1967年7月3日 - FM東海にて、番組スタート。パーソナリティは城達也。スクリプトは伊藤酒造雄。放送時間は月曜日から土曜日の深夜0時から1時(後に土曜深夜廃止 → 0時55分終了となる)。
1970年4月27日 - ここからエフエム東京で放送。スクリプトを堀内茂男に交代。
1970年9月10日- 放送1,000回。
1980年3月10日 - レイモン・ルフェーブルによるエンディングテーマ「夜間飛行 NIGHT FLIGHT」を製作。
1985年1月18日 - 放送4,000回記念としてアンドレ・バウアーによる「夢幻飛行 Midnight cruise」を製作。
1991年4月 - 金曜日の特別番組「Midnight Odyssey」(スタートスクリプト:原田宗典)放送開始。
1995年1月2日 - パーソナリティに小野田英一が着任。スクリプトは清水哲男に。
1995年2月25日 - 城達也逝去。当日のエンディングで訃報を伝えた。
2000年4月 - ミレニアム・バージョン「ラヴサウンズ・オン・ジェットストリーム」スタート。パーソナリティに森田真奈美が着任。
2002年10月2日 - 番組名が「ジェットストリーム」に戻る。パーソナリティに伊武雅刀が着任。スクリプトに堀内茂男が復帰。
2004年11月25日 - 番組放送10,000回を達成。当日のTOKYO FM(JFN系各局)では、終日関連企画を放送。お昼の全国放送「ディア・フレンズ」では、堀内茂男がゲストに登場。午後の10時からは記念特番を全国放送した。
2006年3月21日 - 「FM Festival 05/06 Vodafone LOCK ON ROCK Special Program Final Act?音楽でつながる、夢の“鼓動”」の3時間特番のため休止。
2006年6月12日 - 2006 FIFA(TM)ワールドカップドイツ大会(日本×オーストラリア戦)の中継のため休止。
2006年11月6日 - 11月3日に逝去したポール・モーリアの追悼特番を放送した。
2007年1月25日 - テレビ朝日系『報道ステーション』にて特集「シリーズ 団塊の世代に贈る(5)『ジェットストリーム』と深夜放送の時代」が放送される。[4]
2007年7月3日 - 放送開始40周年を迎える。前時間番組『SCHOOL OF LOCK!』を短縮、前日午後11時から特別番組「JET STREAM 40th Anniversary Around the oneworld」を全国放送。オープニングは城達也の過去のナレーション。12時の時報直後は『ムーン・リバー』が流れる。
2007年11月5日-11月10日 - 同局別番組とのコラボレーション企画「『JET STREAM』×『サントリーサタデー・ウエイティング・バーAVANTI』」を放送。
2008年6月27日 - レイモン・ルフェーブルが逝去。この日の番組では氏の訃報には触れなかったが、最初の3曲に氏の楽団の曲を流した。また訃報については、7月17日、18日の「サウンド・グラフィティ」のコーナーで触れる。かつては10周年記念コンサートも行われたほど番組と氏のつながりは深い。この日の同コーナーでは、1980年3月10日に当時の郵便貯金ホールで行われた「レイモン・ルフェーブル・グランド・オーケストラ・オン・ジェットストリーム」の演奏の模様を一部放送した。
2009年4月 - パーソナリティーに大沢たかおが着任。

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7月3日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/7%E6%9C%883%E6%97%A5

できごと
324年 - アドリアノープルの戦いでコンスタンティヌス1世がリキニウスを打ち破りビザンチウムへ追い込む。
1848年 - デンマーク領西インド諸島(現アメリカ領ヴァージン諸島)総督ペーター・ヴァン・ショルテンが奴隷解放宣言。
1866年 - 普墺戦争: ケーニヒグレーツの戦いでプロイセン軍がオーストリア軍に大勝をおさめる。
1890年 - アイダホ州がアメリカ合衆国に加入。43番目の州となる。
1898年 - 米西戦争: サンティアゴ・デ・クーバの戦い、アメリカ海軍がスペイン艦隊を撃破しキューバ近海の制海権を獲得する。
1908年 - 青年トルコ人革命がはじまる。
1912年 - 大阪に初代通天閣が完成。(通天閣の日)
1938年 - フォルクスワーゲン・タイプ1が発表。
1947年 - GHQが財閥解体の一環として三井物産・三菱商事の解体を要求。
1950年 - 朝鮮戦争: 緒戦の敗北の責任をとって蔡秉徳韓国軍参謀総長が解任、丁一権が後任となる。
1962年 - プラハで開催されていた第15回世界体操競技選手権で日本の男子団体が初優勝を飾る。
1967年 - FM東海(TOKYO FMの前身)でFM最長番組JETSTREAMが放送開始。 
1970年 - マンチェスターからバルセロナに向かって飛行中のダン・エア・サービスのDH106 コメットがバルセロナ近郊に墜落、乗員乗客112名全員が死亡。
1971年 - ばんだい号墜落事故、北海道横津岳に東亜国内航空(現・日本航空インターナショナル)のYS-11ばんだい号が墜落。
1976年 - イスラエル軍がウガンダのエンデベ空港を奇襲、ハイジャックされたエールフランス機の乗客を救出。
1985年 - 映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』がアメリカで劇場公開。
1988年 - イラン航空655便撃墜事件、アメリカ海軍のミサイル巡洋艦『ヴィンセンス』がホルムズ海峡でイラン航空のエアバスA300B2型機を撃墜、乗員乗客290名が死亡。
2003年 - 名古屋鉄道バス(現:名鉄バス)の岡崎営業所の無免許運転隠蔽事件発生。
2004年 - タイ王国初の地下鉄、バンコク・メトロが開通。
2005年 - 競馬のアメリカンオークスで、日本のシーザリオがレースレコードタイムで優勝。日本調教馬が初の米国G1レース制覇
2006年 - サッカー日本代表として活躍した中田英寿選手が自身の公式サイトにて現役引退を発表した。
2007年 - 滝川高校いじめ自殺事件が起こった。

誕生日
1423年 - ルイ11世、フランス王(+ 1483年)
1442年(嘉吉2年5月25日) - 後土御門天皇、第103代天皇(+ 1500年)
1846年(弘化3年閏5月10日)- 和宮親子内親王、孝明天皇の妹・徳川家茂の正室(+ 1877年)
1854年 - レオシュ・ヤナーチェク、作曲家(+ 1928年)
1880年 - カール・シューリヒト、指揮者(+ 1967年)
1883年 - フランツ・カフカ、小説家(+ 1924年)
1887年 - 中村彝、洋画家(+ 1924年)
1917年 - 中山正嘉、プロ野球選手(+ 1994年)
1924年 - S・R・ナザン、シンガポール大統領
1930年 - カルロス・クライバー、指揮者(+ 2004年)
1930年 - 深作欣二、映画監督(+ 2003年)
1934年 - 初代引田天功、奇術師(+ 1979年)
1935年 - 皆川睦雄、プロ野球選手(+ 2005年)
1935年 - 中川隆、プロ野球選手
1936年 - つのだじろう、漫画家
1936年 - 戸田奈津子、映画字幕翻訳者
1939年 - 寺本勇、プロ野球選手・審判
1939年 - 迫田穆成、高校野球指導者
1940年 - 矢野清、プロ野球選手
1943年 - 池乃めだか、お笑いタレント
1944年 - 浜中裕徳、官僚
1947年 - リエコ・イングリッシュ、プレイメイト
1950年 - ロザンナ・ザンボン、タレント
1954年 - 鈴木孝政、プロ野球選手・野球解説者
1955年 - 夏石番矢、俳人、世界俳句協会創立者
1955年 - 澤芳樹、心臓血管外科医(大阪大学医学部附属病院未来医療センター長)
1955年 - マット・キーオ、プロ野球選手
1957年 - ローラ・ブラニガン、歌手(+ 2004年)
1960年 - ジャック・ドウティー、プロ野球選手
1961年 - 石川浩司、ミュージシャン
1962年 - トム・クルーズ、俳優
1963年 - 水沢めぐみ、漫画家
1964年 - 桜井敏治、声優
1964年 - 筒井巧、俳優、声優
1964年 - 吉田たかよし、タレント
1964年 - 大久保学、プロ野球選手
1964年 - 芦田多恵、ファッションデザイナー
1965年 - 橋本真也、プロレスラー(+ 2005年)
1966年 - モイゼス・アルー、メジャーリーガー
1969年 - 林家彦いち、落語家
1969年 - 大久保秀昭、プロ野球選手
1970年 - 岡村隆史、お笑いタレント
1970年 - 志倉千代丸、作曲家
1970年 - 永島由子、声優
1970年 - ショウニー・スミス、女優
1971年 - 押尾健一、プロ野球選手
1971年 - シェーン・デニス、プロ野球選手
1973年 - パトリック・ウィルソン、俳優
1976年 - つのだりょうこ、タレント
1976年 - ヴァンダレイ・シウバ、総合格闘家
1977年 - 勝杏里、声優
1978年 - 野口みずき、マラソン選手
1978年 - 大倉智之、歌手INSPiメンバー
1978年 - 柳沼愛子、アナウンサー
1979年 - 魁将龍邦昭、大相撲力士  
1979年 - 片山さゆり、歌手、女優
1979年 - 大沼幸二、プロ野球選手
1980年 - 中嶋譲、サッカー選手
1980年 - 西野亮廣、お笑いタレント
1980年 - ローランド・スクーマン、水泳選手、南アフリカ共和国
1981年 - 小林陽広、アナウンサー
1981年 - 多田葵、声優
1981年 - 武田裕光、俳優
1982年 - 硲陽平(イシバシハザマ)、お笑いタレント
1982年 - 藤田一也、プロ野球選手
1982年 - 山下浩宜、プロ野球選手
1983年 - エディンソン・ボルケス、メジャーリーガー
1983年 - 森靖隆、ファッションモデル
1984年 - 松本哲也、プロ野球選手
1984年 - 花村怜美、声優
1984年 - 吉岡蓮、グラビアアイドル
1985年 - 大蔵淳子、女優
1985年 - 小林賢司、プロ野球選手
1986年 - 稀勢の里寛、大相撲力士 
1987年 - 原幹恵、タレント
1987年 - セバスチャン・ベッテル、F1ドライバー
1988年 - チェ・ミョンホ、サッカー選手
1990年 - 伊藤涼太、ゴルファー 
1991年 - 板野友美、アイドル
1991年 - アナスタシア・パブリュチェンコワ、テニス選手
1992年 - 須藤茉麻、アイドル
生年不詳 - 朝倉栄介、声優

忌日
1090年 - エクベルト2世、マイセン辺境伯(* 1059年頃)
1275年(建治元年6月9日)- 九条忠家、鎌倉時代の公卿(* 1229年)
1486年(文明18年6月2日)- 雪江宗深、臨済宗の僧(* 1408年)
1614年(慶長19年5月26日)- 松浦鎮信 (法印)、初代平戸藩主(* 1549年)
1642年 - マリー・ド・メディシス、フランス王アンリ4世の妃(* 1573年)
1704年(宝永元年6月2日)- 上杉綱憲、第4代米沢藩主(* 1663年)
1731年(享保16年5月29日)- 亀井茲親、第3代津和野藩主(* 1669年)
1753年(宝暦3年6月3日)- 閑院宮直仁親王、江戸時代の皇族(* 1704年)
1778年 - アンナ・マリア・モーツァルト、作曲家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの母(* 1720年)
1795年 - アントニョ・デ・ウリョーア、探検家・天文学者(* 1716年)
1837年(天保8年6月1日)- 生田万、国学者(* 1801年)
1856年(安政3年6月2日)- 戸田忠明、第5代宇都宮藩主(* 1839年)
1865年(慶応元年閏5月11日) - 武市瑞山、土佐勤王党盟主(* 1829年)
1887年 - クレー・アリソン、西部開拓時代の無法者(* 1840年)
1904年 - テーオドール・ヘルツル、シオニズム運動指導者(* 1860年)
1907年 - ハインリヒ・クロイツ、天文学者(* 1854年)
1908年 - ジョーエル・チャンドラー・ハリス、ジャーナリスト(* 1848年)
1910年 - 徳川昭武、第11代水戸藩主(* 1853年)
1914年 - ヘンリー・デニソン、外交官・お雇い外国人(* 1846年)
1916年 - ヘティ・グリーン、実業家・投資家(* 1834年)
1918年 - メフメト5世、第35代オスマン帝国スルタン(* 1844年)
1934年 - ハインリヒ・ツー・メクレンブルク、オランダ女王ヴィルヘルミナの王配(* 1876年)
1935年 - アンドレ・シトロエン、実業家・シトロエン社創業者(* 1878年)
1936年 - 相沢三郎、日本陸軍の中佐(* 1889年)
1939年 - 喜田貞吉、歴史学者(* 1871年)
1957年 - ドルフ・ルケ、メジャーリーガー(* 1890年)
1969年 - ブライアン・ジョーンズ、ミュージシャン(* 1942年)
1971年 - ジム・モリソン、ロック・ミュージシャン(* 1943年)
1973年 - カレル・アンチェル、指揮者(* 1908年)
1975年 - 前田陳爾、囲碁棋士(* 1907年)
1979年 - ルイ・デュレ、作曲家(* 1888年)
1984年 - 平井道子、女優・声優(* 1935年)
1993年 - 加藤楸邨、俳人(* 1905年)
1993年 - ドン・ドライスデール、メジャーリーグのプロ野球選手(* 1936年)
1994年 - ペティ・サロン、プロボクサー(* 1906年)
1994年 - ルー・ホード、テニス選手(* 1934年)
1995年 - 橘右近、落語家(* 1903年)
1995年 - パンチョ・ゴンザレス、テニス選手(* 1928年)
1996年 - 倉成正、政治家(* 1918年)
1998年 - ジョージ・ロイド、作曲家(* 1913年)
2000年 - カツラギエース、競走馬(* 1980年)
2002年 - ミシェル・アンリ、思想家(* 1922年)
2003年 - ユーリ・シチェコチヒン、ジャーナリスト(* 1950年)
2006年 - 戸崎誠喜、実業家(* 1910年)
2006年 - 池田修一、将棋棋士(* 1945年)
2007年 - ブーツ・ランドルフ、サクソフォーン奏者(* 1927年)

記念日・年中行事
独立記念日(ベラルーシ)