東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年7月12日(日曜日)
「ここをおして」をクリックされてください。

「ここをおして」をクリックされてください。は
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci

(申し訳ございません。今現在整備中ですがこの「画面」
を正しくみるためには
「ブラウザ」の「表示」=>「文字の「大きさ」」を「最小」
に設定されてご覧下さい。)

東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年7月12日(日曜日)

平成21年の「7月」に。

なりました。

平成21年の。

「春」の「3月」「4月」「5月」が。

おわり。

「夏」の「7月」になりました。

とてもとても。

とても。

早朝の「強い陽射し」が。

続いています。

青い「夏」の「7月」です。

「夏」がきた。

「なつ」がきた。

どこに来た。

「山」にきて。

「里」にきて。

「野」にきて。

「夏」は。

「まち」にもやってきました。

今年の「冬」・から「春」は予期せぬ

インフルエンザ*の

大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。

薬事法の「能書」にあるとおり

「正規の」

「2回法によるインフルエンザワクチン」の

予防接種をおすすめいたします。

常時いつでも接種可能です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

昨年の。
冬間近くの。
さらなる前に。

「晩秋」>のころ。

「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」の。
花の蕾が淡い黄金色にかがやいて。
が見えてから「10日間」で。
花は去りました。
黄金色のじゅうたんが毛氈(もうせん)ように。
地面「金色」に広がりました。

「昨年」の。
「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」に続いて。
「銀木犀:きんもくせい」もプラチナ色の
花が咲き始めました。

「昨年」の。
「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」のあとを追って。
「銀木犀:きんもくせい」の花は去り。
地面に「プラチナ」が一面に広がっていました。

「夏」の「7月」

今は私の「大好き」な。

「夏の草花」の

の「蕾(つぼみ)」と。

「わかば」と。

「夏」の樹木の。

「花」のふくらむ季節。

そして「木々の若葉」の季節。

「夏の花」と「みどりの若葉」

「みどり」「若草いろ」の。

季節になりました。

私の「大好き」な萌え出づる「わかば」。

「夏」の若葉の。

美しい季節になりました。

そしていろいろな。

「夏」の木々の花ひらき咲く季節。

夏花(はな)と夏若葉(わかば)と。

あおい夏若草(わかくさ)の。

ワルツの季節になりました。

発花 発若葉

山本クリニックの庭園は。

大昔は。

雑木林であったのです。

「野生」の。

「やまぶき」や。

「やぶつばき」や。

「季節の花さく木々」が。

とても沢山。

群生してはえています。

日々の毎日にどんどんと。

みるみるうちに。

「夏の花」が。

つぼみや「花」を大きくしています。

けれども「夏の花」は。

蕾が大きくなったそのよるには。

花咲き。

暗い朝にちっていることが。

すくなくありません。

なつ花は

ぬばたまの

暗き闇夜に

なつ嵐の

風に弓射られて

花ぞ舞い散る

なつはなは

ぬばたまの

くらきやみよに

なつかせの

かせにいられて

はなそまいちる

「夏の花」は。
早朝には「白鷺の羽」
のように地面に
舞い降ちています。

昨年の。
「晩秋」
「木犀:もくせい」の花の
「芳香」は蕾のみえるまえから
あります。
花が去ったあとは
「あっというまに芳香が消えます」。

「晩秋」の
「木犀:もくせい」たちのかおりがさり。

「夏」になり。

「7月」。

あおばとともに。

つぼみを日々。

大きくしている。

「夏の花」。

「みかん」と「からたち」

青い実のふくらむ季節。

「夏」の「7月」。

そして。

「夏の花」や。

「あおいみかんのみ」

をみまもるのは。

「みかんの木」の。

まだなったままの。

昨年の

「まるいみかん」の

「丸い群れ」。

「円いみかん」は。

「丸くたわわに実り」。

まるで。

「ぶどうのふさ」のようです。

昨年の果実です。

まだ樹木にみのりつづけ。

おちません。

一方今年の「果実」の。

あおいちいさな実も。

はなのあとに実りはじめました。

兄弟同士(姉妹同士)

お互いに。

「はなことば」で話しをしているに

ちがいありません。

私は山茶花(さざんか)よりは。
「やぶつばき」がずっとすきです。

山本クリニックの庭園には。
いずれも。
野生の「やぶつばき」と
野生の「山茶花(さざんか)」ばかりです。
野生の「すみれ」も珍しい品種がはえています。

堂々たる。

「夏かぜ」と「夏吹雪:なつふぶき」

が吹いています。

「夏」になりました。

「夏」がはじまりました。

「あかるくて」

とてもよいです。

「夏」がふかまり。

「もっと深い「夏」」の。

トンネルをこえれば。

そこは「里山の「夏」」です。

「夏吹雪:なつふぶき」は

遠くの蒸気機関車の鳴き声のように

聞こえます。

また次に「夏から先」への。

「トンネル」があることも

わかります。

夏樹の妖精の吹くフルート

のよう。

そして。

「夏吹雪:なつふぶき」をなだめるように。

「樹木の穂先」が舞います。

「樹木の穂先」のほうが「役者」は上。

「夏吹雪」は突如(とつじょ)天から舞い降り

るように。

吹きます。

「夏」の陽射しはまばゆいサマーライト。

ひかりのかがやく「夏」になりました。

星のかがやく「夏」になりました。

きょうは。
とてもとても寒い。

「夏吹雪:なつふぶき」の声は

「夏かぜ」のふく音は。

「夏」の女神たちの。

笛ふく。

なつかぜのワルツ。

わかばのワルツ。

なつは。

いまは。

モデラート・マ・ノン・トロッポ。

フオルテです。

最近は
朝くらい早朝には「星がみえます」。
「明けの明星」の金星が南の空に高くみえます。

病院の明かりが灯り暗闇のなか。
朝はやく。

「明けの明星」の金星に「おはよう」を
毎日こえで「御挨拶」を伝えます。
「明けの明星」の金星から「おはよう」と
返事がかえってくる声をききながら。
病院の明かりをともします。
まだ真っ暗なのですが。

夏場の早朝のくらい時には。
明星はみえずらかった。
季節が「冬から「春」へとあゆみ」。
いよいよ。
大気が「澄んできた」ということでしょう。

夏霧雨(なつきりさめ)の。

夏霞(なつかすみ)の大気。

「夏吹雪:なつふぶき」の「音」。

「ろうろう」「こうこう」

「夏かぜ」の鳴き声

「ろうろう」「こうこう」

「夏吹雪:なつふぶき」の。

鳴き声とともに。

「夏一番」の「夏のしらべ」が。

あわせきこえます。

「どれみふあ」「そらしど」

朝暗いうちの「なつかぜ」の合唱は。

「夏」の「ふうりん」のようです。

あれ沢山の「ふうりん」かな。

「夏」の「ふうりん」の音色です。

「ろうろう」。

さやかにやさくも「あたたかい音」です

「こうこう」

わびわびと。

「蜜蜂をよんでいる音」です。

「蜜蜂」のはぜる元気な「音」から

「夏」のおとずれが。

わかります。

「あおば」のおとずれが。

わかります。

「ススキの穂先」は
そぞろに「夏」の今年の芽栄え。

そして「夏」の旅愁すら
をも感じさせます。

ススキの茎の「穂先」には。

「「夏」ふくろう」が。

何匹も集ってつどい。

何匹ものふくろうが。

皆で何かを真剣に。

考えているように。

みえます。

夏くれば

緑葉いずる

夏すすき

葉いづるときは

秋ちかからむ

「ススキの葉先」は。

「しあわせと幸福を手招き」

している

何本もの「手」のように。

みえます。

エドヴァルド・ムンク:Edvard Munch

の「夏」の絵画のようです。

私も「日々を旅ゆく人間」です。

奥の細道の序文に松尾芭蕉が。

「月日は百代の過客(ひゃくたいのかかく)
にして行かふ年も又旅人也。」

「つきはひゃくたいのかかくにして
いきかふとしもまたたひひとなり」

とかたり。詠みました。

私は

「日々の月日」に。

道連れをさせていただき。

「時」を旅をする

「旅人(たびびと)」

のひとりです。

「日々月日の旅のつれあい」は。

私には。

「きょう」と。「あす」しか。

ありません。

「きょう」と。「あす」しか。

私にはありません。

「きのう」はありません。

朝くらいとき。
陽の出の直後は。
いつも一瞬は晴れています。
いまだ かすかにも。
のこる「夏」の気配
であるけれども。

あきらかに。
そしてしっかりと。
しのびよるもっともっと奥の。
深く深まる「夏のおとづれ」からの大気。

もっと。
「あつい「夏」」の気配が。
「確かに」。
そして明らかに。
そして輪郭もはっきりと。

感じられるようになりました。

「7月」。

もう「夏」です。

そして「緑の青葉」の「7月」

をむかえました。

はやいものです。
速いものです。
早いものです。

街路樹もそうそうたる
羽振りの木々から
「はじまりゆく「夏」の樹木」にうつろうように
変化しています。

「夏」。
「樹木の若葉の芽生え」があることに
気がつきました。

春の芽吹くときには。
街路樹のポプラも
幹や枝葉の穂先が。
ろうそくのともしびのように。
「炎の様」になっています。
あたかも
ゴッホの描いた「夜の糸杉」のように。
夏の早朝にみえます。

夏になり。
この「穂先」が一気に「ポプラの葉」へと
扇・おおぎのごとく開きました。

フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「夜の糸杉」から。
フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「ひまわり」
のように。
一斉に開きます。
8月にはいってからのことです。

10月そして11月。

今は「晩冬」の「2月」がおわり。

「春」の「3月」「4月」「5月」がおわり。
「夏」の「7月」。

今現在は落ち着いた「夏」の葉木。
「夏」の木々の「葉」
へと。
そしてふかまる「夏」の木々の「幹:みき」へと。

ふかまる「みのりの夏」にむけて。
「あつく」うつろいています。

ポプラも。つばきもくすのきも。
レースのハンカチをふるように
「「夏」のわかば」の「めばえ」がみえます。
窓越しにもみえます。

今は「「夏」のわかば」の「めばえ」は
とても大きくなりました。
「夏」の「めばえ」のひろがりです。

「冬がくると」。
空と木枯らしのかなでる「蛍の光」や
「冬のコンチエルト」にあわせるように。

ポプラの葉や芽葉は。
ハンカチのようにふわふわと。
ふわふわと。
「穂先から葉葉」は「舞い振りまがら」
ハンカチは木を去っていきました。

樹木のハンカチは。
大地を訪れて飛翔し。
大地にまいおり大地にもどります。
そして大地となります。

そして。
ポプラの葉や芽葉が。
ハンカチのようにふわふわと。
ふわふわと。
「穂先から葉葉」は「舞い振りまがら」
木を去っていく光景は。
あたかも。

「夜の魔法」「夜のガスパール」

のようです。

そして。

「花の去った枝」には。
「「夏」の若芽のめばえ」
が。
「夏葉」がみえます。

木々の「葉」が「枝や幹」を
「保護する役割をしている」
ことに気づきました。

桜の花の時期とうってかわり
桜の木の公園
の桜の木々は。
夏になりとても獰猛な気配を放つ。

初めて気がつきました。

「晩冬」の「2月」がおわり
「春」になり「3月」「4月「5月」がおわり。
「夏」の「7月」になりました。

「さくら」は春の濃い緑の樹肌になり。
やさしさとおだやかさ
が感じられます。

そしていつしか
幹先に若葉色の葉をもまじえています。
しだいにしだいに。
紅黄色の花が消え若葉にかわりつついくことに
きがつきます。

さくらから。
さくらはのきぬずれのおとが。
きこえるころ
です。

桜の樹木も「丸くなりました」。
桜の樹木も毎年毎年と毎日毎日。
「旅(たび)をしている」のでしょう。

朝陽をあびる落葉樹は
「すべてがあざやかな黄金色」に
かがやきます。
朝陽をしっかりと。
「いうにいわれぬ美しい絵のごとく」
陽射しを受け止めています。

「「夏」の朝陽」は真東に大変鋭いことに
気づきました。
眩しいです。

今はまぶしい「夏」の「あさひ」です。

するどいけれども。

「あたたかいろ」がかんじられます。

春は別として。
桜の木は木の下で。
夏は心安らかに。
「休める木ではないなあ」
と思います。
昨年は
秋になり
桜の樹木も安堵の葉色
になりました。
ちょっとばかりびっくり致しました。

枝や幹からは秋の陽の木漏れ日がみえます。

夏桜の木は獰猛なほど葉をおいしげらせ
ていました。
夏には
桜の木の下で木陰で。心安らかにやすもうという
気はおきません。

いまは「春」から「夏」になりました。
そよかぜに揺れる残り葉は
招き誘われるような気すら致します。

「夏」になり幹にはもう「花は散る」。
ちったあと枝の根元には。
「夏のわかば芽栄え(めばえ)」
若葉がみえます。

けれども
やはり夏桜の木は

シューベルトの歌曲の旋律にある「菩提樹」
ではないのです。

冬の桜木(さくらぎ)。

冬になり

人生に果てて(はてて)

なれるが如く桜樹木はかわりました。

良い木になってきました。

素敵(すてき)です。

冬の桜木(さくらぎ)。

「春」の桜木(さくらぎ)。

「夏」の桜木(さくらぎ)。

木々でも。
いちょうや。松や。杉などの針葉樹
は。またソテツなどは。
「古い時代の木」です。

「チャールズ・ダーウィンの進化論」からは
「針葉樹」から。
「常緑樹」「広葉樹」「落葉樹」にと。
「進化」しているはずです。

「原始的」な樹木ほど。
「硬い幹」です。
例外はありません。

硬ければ。
幹は硬ければ動物に
「かじられる」ことはないでしょう。

いにしえの古代の時代にも。

恐竜をはじめめとする
「大型」の草食動物にも。

かたければかじられることは
なかったでしょう。

街並みを彩る街路樹には「落葉植物」が多いです。

ふと。考える。

街路樹が「松や杉」のように。
「冬も葉を持つ針葉の常緑樹」では。

冬はうっそうとして道端では
やさしい暖かな陽射しをかくしてしまう。

夏場は枝ぶり葉っぱぶりからつよすぎる日の光は
さえぎれません。
そして
「秋」の「夕焼け陽」には。
「金色のちいさき鳥の形して」
秋の夕焼けの陽射しに舞うこともできません。

常緑樹の針葉樹では。
は四季のリズムをつたえる

北大路魯山人のかたる

ことば。

「ざっくり感(ざっくりかん)」

が。

ありません。

木々の夏の萌黄が早朝暗い中でも
うかびあがります。
私はくすのきが「大好き」な「木」の
ひとつです。
ポプラも好きです。
イチョウもすきです。
モミジもすきです。
カエデもすきです。
松や杉もすきです。
月桂樹やシナモンもすきです。
オリーブもすきです。
オレンジの木もすきです。
「そてつ」の木もすきです。
ツバキもすきです。
ソテツもすきです。
南天もすきです。
木や植物がすきです。

木々の穂先は毛氈(もうせん)
のようにあざやかな夏の萌黄色です。
まるで大きな深い山の森のうねりのようです。
今年は木々のわかばの秋のめばえが非常に鮮か
です。
木々は「春樹」の役目をおわりました。
「夏木」とかわろうとしています。
「夏木」とかわりました。

街角の雑草も花は咲きはじめ。
「夏の花」の姿となりそして「夏」を迎える。
「ほとけの座」や「はこべ」が
「かたばみ」や「いたどり」が
ますます姿を大きくして。

そして「すすき」もくわわりました。

冬草から春草へ。
そして気がはやく。
夏草へのたたずまいをしている草もある。
そしてもうすっかり夏草へと黄金色に転した
街角には雑草もあります。
こがねいろ。

雑草も。
同じく花をさかせ自ら種をとばし
夏葉がみえる。
そして秋を迎える。
冬が来て。木枯らしに吹かれ。
雪をかむり。そして。
春がくる。
そしてまた夏。

そして今は。

「夏」。

ツツジは潅木。

ツツジの花の葉の優しさには

あらためてびっくりしました。

黄緑・草色のビロードです。

のぞきこむと若葉はまだ沢山ある。

何故か得をしたように思えました。

そして雨にうたれて

そのまま地に落ちた

ツツジの若葉は

幾何学的に裏側を下にむけて

逆さじょうごのように

落下していることに

気がつきました。

まるで。

「若草色」のきのこが。

沢山はえているようです。

木から落ちても。
まだ「若葉」です。ふと。
ヴェルディの「椿姫」「La Traviata」
の「つばき」を思い出しました。

1852年パリに滞在したヴェルディは
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)
の戯曲版『椿姫』の上演を見て感激し
ました。
そのころ新作の作曲依頼を受けていた
ヴェネツィアのフェニーチェ劇場のために。
翌1853年初めに比較的短時間で作曲された
『椿姫 』(La Dame aux camelias、1848年出版)
は。
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)が
実際の体験を基にして書いた長編小説。
主人公のモデルはかつて作者が交際をしていた
マリー・デュプレシという高級娼婦。
恋人アルマンのイニシャルである
『AD』は
小デュマのイニシャルと同じです。

この作品は人々に愛されて幾度も舞台、映画化され
続けてきました。

朝暗いうちは。

とても。

はださむいです。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックには。
孟宗竹のたけやぶ
があります。
竹はせがたかいから。

クリニック館内からはすこし離れた所にある。
はなれていても。
とおくからもみえます。

山本クリニックには。
検見川の落合遺跡の遺跡発掘の際に
みつかった「古代のハスの種子」から。

2000年ぶりに発芽したことで有名な。
「古代蓮(ハス)」があります*。
【大賀ハス:おおがはす】です。
「有名な古代ハス」です。
とても勇壮なハスで。
花のいろはとてもあまりにも美しく。
たとえ様もありません。

ハスの花がさき。
「「蓮(ハス)」の実」になりました。
「はすの実」も「はす」の葉も。
2mくらい水面から高いところに
あります。

睡蓮(すいれん)があります。
睡蓮(すいれん)は「葉」が水に浮び。
はのきれこみは羊の足のようです。
睡蓮(すいれん)を「ひつじぐさ」とは
なるほどと考える。
睡蓮(すいれん)の茎の長さには
おどろかされます。

「姫睡蓮(ひめすいれん)」でさえも。
池はばが長ければ四方八方に「水の中の枝」。

「モネ」の描いた睡蓮(すいれん)の
「水の中の枝」は「どれほど長いのだろう」。

睡蓮(すいれん)も「太古の時代」に
陸の動物に「かじられないように」
水中に「逃げ込んだ」のでしょう。

-------------------------------

大賀ハス(オオガハス、おおがはす)とは。
1951年(昭和26年)、千葉県千葉市検見川
(現・千葉市花見川区朝日ケ丘町)にある
東京大学検見川厚生農場
(現・東京大学検見川総合運動場)の
落合遺跡で発掘された
今から2000年以上前の古代のハスの実から
発芽・開花したハス(古代ハス)のことです。

戦時中に東京都は燃料不足を補うために
花見川下流の湿地帯に豊富な草炭が埋蔵されていた
「草炭」を採掘していました。

採掘は戦後も継続して行われていました。
1947年(昭和22年)7月28日に作業員が採掘現場でたまたま
1隻の丸木舟と6本の櫂を掘り出しました。

その調査によりもう2隻の丸木舟と
ハスの果托などが発掘されました。

「縄文時代の船だまり」であったと
推測され落合遺跡と呼ばれました。

植物学者でハスの権威者でもある大賀一郎博士
(当時・関東学院大学非常勤講師)が
発掘品の中にハスの果托があることを知り。
1951年(昭和26年)3月ボランティアの協力
を得てこの遺跡の発掘調査を行いました。

翌日で打ち切りという
30日の夕刻になって花園中学校の女子生徒により
地下約6mの泥炭層からハスの実1粒が発掘され予定を延長し
4月6日に2粒、計3粒のハスの実が発掘されました。

大賀博士は5月上旬から発掘された
3粒のハスの実の発芽育成を試みるも2粒は失敗に終わりました。
だが1951年3月30日に出土した1粒が育成に成功致しました。

翌年の1952年(昭和27年)7月18日にピンク色の大輪を咲かせました。
このニュースは国内外に報道されて多いな「驚愕」を与えました。
同年11月17日付米国ライフ誌に「世界最古の花・生命の復活」
として掲載され博士の姓を採って「大賀ハス」と命名されました。

シカゴ大学のリピー博士らによって放射性炭素年代測定が行われました。
ハスの実は今から2000年前の弥生時代以前のものであると推定された。

この古代ハスは、
1954年(昭和29年)6月8日に「検見川の大賀蓮」として
千葉県の天然記念物に指定されました。
また1993年(平成5年)4月29日には千葉市の花として制定され、
現在日本各地は元より世界各国へ根分けされ、
友好親善と平和のシンボルとしてその一端を担っています。

-------------------------------

ふと「パンの神」を思い出しました。
(「牧神パン(Pan)」=「Pan」=「パン」=
「飯(はん)」=「全般の般」=「パンアメリカンのパン」=

「パン」「pan」は「すべて」という意味の
古代ギリシャ語そして「サンスクリット」も同じ。

古典ギリシア語 Παν、Pan「パンの神」は。
幼少時からゼウスから他の神々全て*に好かれたので
(古代ギリシャ語でTheophilusテオフイルス/ラテン語では
amadeus アマデウス**)
「パン」と名づけられました。

「頭は人間で胴体は山羊」です。

「テュホン:テューホーン:Τυφών: Typhon」
ギリシア神話に登場する魔神***。
に追いかけられ
あわてて身を守るため川に飛び込み「頭は人間で胴体は人魚」
に変身したために。

「パニック」=「panic:パン的」
という言葉が生まれました。

星座に「山羊座」という星座があります。

山羊座は不思議ですが
「あわてて身を守るため川に飛び込み
「頭は人間で胴体は人魚」」
に変身した「パンの神」を示しています。
山羊ではありません。

むしろ正確には人魚です。

だから。
「山羊座」という「意味」はわかります。
けれども「命名」の観点から。
「山羊座」というのはかなり「妙」な気が致します。
「人魚座」というのが正しい。

 


名称「パンの神」の由来は「ギリシャ神話」でも
非常に多くの「言い伝え」がいくつがあります。
その「言い伝えの数」に正比例して「混乱」があります。

**
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの
「アマデウス」とは「パンの神」のことです。
(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの
ヴォルフガングは「おおかみが行く」という意味です。
よって
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは

「狼のように歩み神に愛されたモーツアルト」
ということになります)

***
「テュホン:テューホーン:Τυφών: Typhon」は
「台風:たいふう」と日本語では名前を変えています。

****
タイフーン級原子力潜水艦は
旧ソ連・ロシアの941型(プロジェクト941)
戦略ミサイル搭載原子力潜水艦のことです。
タイフーンはそれに付けられたNATOコードネームですが
この名称は日本の「台風」とは「直接関係」はありません。

日曜の

朝晴れて

はじめて気づく

にわの小ささ

にちようの

あさはれて

はじめてきづく

にわのちいささ

朝晴れて

にわの小さき

気づかぬときは

病(やまい)なりけり

日曜の朝

あさはれて

にわのちいさき

きづかぬときは

やまひなりけり

にちようのあさ

葉のつきて。

物心もつく

桜かな

はのつきて

ものこころもつく

さくらかな

休診日ですが。
早朝に朝まだ暗いうちから
首都高を走って病院に到着致します。

空はきらきらのラピス・ラズリの
紺碧のジュースから
ミルク色のはいった
トルコ石の「プリン」に変わるように変化
していきます。

遠くにぽかぽか浮ぶ「雲々」は
トルコ石の「プリン」の上の「クリーム」の
ようです。
にわのあじさいは「アイスクリーム」
のようです。

夏きらきらラピス・ラズリの空(そら)
夏紺碧のカクテルいろの空(そら)
夏ミルクをそそそいだ空(そら)
夏トルコいしのプリンの空(そら)
夏はるかにとほくたかい空(そら)
夏ほかほか浮ぶ雲々(くもぐも)そら
夏プリンの上のクリームのような空(そら)
夏睡蓮(すいれん)の水面に空(そら)
夏睡蓮(すいれん)のうえに空(そら)
夏空(そら)の向こうにまた空(そら)
夏空(そら)そのまたむこうにももっと大きな空(そら)

春のうららのこもれびに

緑木いらかをかぜはやみ

青風ひるむやうつろひの

四季のつきひははやいくとせ

夏のうららのこもれびに

緑木いらかのつねなりて

赤き空(そら)にて炎えたたむ

四季のつきひははやいくとせ

秋のうららのこもれびに

緑木いらかにかぜさやか

秋風かたれるやすらきの

四季のつきひははやいくとせ

冬のうららのこもれびに

緑木いらかにかぜつよし

冬風弓(ゆみ)射る木枯らしの

四季のつきひははやいくとせ

日々のうららのこもれびに

祈想い(おもい)のいらかにかぜつよし

生きる力に祈りはせ

四季のつきひははやいくとせ

やまひのとまやのこもれびに

祈願りの(いのり)のいらかにかぜさみし

やみいるこころに力(ちから)はせ

四季のつきひははやいくとせ

いづるわかばのこもれびに

ひかりのいらかにかぜやさし

おもふこころに瞑想(おもひ)のせ

四季のつきひははやいくとせ

やさしくかたるるこもれびに

あさひのいらかにかぜさむし

ゆれるからだに意思(こころ)つみ

四季のつきひははやいくとせ

かわるるつきひのこもれびに

かたりのいらかにあめさみし

うたれしからだに決意(さだめ)おい

四季のつきひははやいくとせ

ゆめみしあさひのこもれびに

くもまのいらかにつきうすし

いさりてあゆめる未来(のそみ)みし

四季のつきひははやいくとせ

陽(ひ)いでてあふるるこもれびに

もののふいらかにかぜあおし

ひかりてかかやく希望(ねかひ)もて

四季のつきひははやいくとせ

夏椎木(しいのき)は枝高し
夏そらに吼える若葉の穂束
夏そらに吼える蒼き獅子のごとし
夏天にも地にもみどりはさける
夏のあさふかまりて
夏陽の光ゆたかなりけり
夏いふことのなし
夏いふことがなし
夏いふことはなし
夏いふこともなし
夏ゆたかなるかな夏

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

-------------------------------

平成21年1月12日(月曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

-------------------------------

平成21年2月11日(水曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の御予約の。
患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
-------------------------------

平成21年3月20日(金曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の御予約の。
患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

-------------------------------

平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

------------------------------

平成21年7月20日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

-------------------------------

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。
インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がきます。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著であろうと推察されます。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」
であることを懸念しています。
そして気候の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表される。
ウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。
「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。

歴史にのこる。
「コマーシャル」の
「名フレーズ」「名コピー」とされる。

「あなたはシャッターを押しさえすれば、
後は我々がやります」
("You press the button, we do the rest")」
の。

宣伝文句でも有名な
「コダック」の創業者。
ロールフィルムの発明者。

1854年 - ジョージ・イーストマン、
発明家・コダック創業者(+ 1932年)
の生誕日です。

++++++++++++++++++++++

ジョージ・イーストマン:George Eastman、
1854年7月12日 - 1932年3月14日)は。

イーストマン・コダック社の創業者で、
ロールフィルムの発明者です。

++++++++++++++++++++++

ジョージ・イーストマン:George Eastman、
は。

ニューヨーク州ウォーターヴィルに生まれました。
1854年に、父親がロチェスター商業学校を設立し、
ジョージも1865年にロチェスターに移りました。

2年後、父親が死んで、彼は高校をやめ、
家族のために働きました。

1874年に写真に興味をもちました。
当時の写真はガラス板に感光乳剤を塗って、
乾く前に撮影する方法でした。

3年の実験の後に乾式の写真板(乾板)を開発
致しました。

イギリスとアメリカでの特許を取得し、
1880年に写真の事業を始めました。

++++++++++++++++++++++

ジョージ・イーストマン:George Eastman、
は。

1884年に写真の基材をガラスからさらに。
乳剤を塗った紙に換える特許を取得致しました。
これがロールフイルム第一号でした。

ロールフィルムは連続撮影のスピードを
著しく速く致しました。

ロールフィルムの使用は写真機の主流となると共に。

ル・プランス、
レオン・ボウリー、
トーマス・エジソン、
リュミエール兄弟、
ジョルジュ・メリエスらによる。

映画の発明のための基礎技術となりました。

++++++++++++++++++++++

ジョージ・イーストマン:George Eastman、
は。

1888年にロールフィルム・カメラの特許を取得致しました。

「あなたはシャッターを押しさえすれば
、後は我々がやります」
("You press the button, we do the rest")」の
宣伝文句のもと。

顧客はカメラを送り返して、
10ドルを払えば、フィルムを現像し100枚の写真と
新しいフィルムを装填するシステムで市場を開拓致しました。

この宣伝文句はきわめて社会の関心を引きました。

ギルバート&サリヴァンのオペレッタ
『ユートピア国株式会社』でも使われやほどです。

また本邦でも
「富士フイルム」が
昔の扇千景氏のコマーシャルで
「私にもうつせます」のフレーズで
「8mmカメラ」の「日本生まれのシングル8」
のコマーシャル
にも「反映」されています。

++++++++++++++++++++++

ちなみに
「富士フイルム」の
「8mmカメラ」の「日本生まれのシングル8」
は当初は「誰でも写せる」「安易な8mmカメラ」
の「安くて安直」が
コンセプトであったのですが。

ひょうたんからこまのように。

この「日本生まれのシングル8」は
実は「プロ使用にもたえる」大変な「8mmカメラ」
であることが判りました。

「コダックのスーパー8」をも脅かす名機
となりました。
1965年の発売以来。

ドイツのフィルムメーカーで今現在になり
シングル8用・白黒フィルムの生産を開始しました。
感度ASA200。
現在でもフジカシングル8フィルムは発売中です。
ただし「シングル8」は発売されてはおりません。

++++++++++++++++++++++

ジョージ・イーストマン:George Eastman、
は。

1888年9月4日、
イーストマンはコダックの商標を取得致しました。
世界最初のロールフィルムカメラ
「No.1コダック」を発売致しました。

1896年までに100台のコダックのカメラが売れました。
1900年にはブローニーシリーズを1ドルで発売し、
写真とカメラを一気に普及させました。

1925年には会社の経営から退きました。
その後は慈善活動にはげみました。

100万ドル以上の寄付を
ロチェスター大学やマサチューセッツ工科大学に
致しました。

++++++++++++++++++++++

ジョージ・イーストマン:George Eastman、
は。
晩年の2年間は脊椎管狭窄症に苦しみました。
1932年3月14日に自邸でピストル自殺した。
遺書には。
「友よ、私の仕事は終わった。なぜ待つのか?

("To my Friends, My work is done. Why wait?")」
と書かれていました。生涯独身でありました。
++++++++++++++++++++++

彼の遺体は現在、
ロチェスターの。
コダック・パーク(Kodak Park)に埋葬されています。

ジョージ・イーストマンの家は。

国の史跡、
および歴史的ランドマークに指定されています。
内部は写真博物館になっています。

++++++++++++++++++++++

「続きを読む」=>*

++「続きを読むです1」++++++++++++++++++

ジョージ・イーストマン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%B3

ジョージ・イーストマン:George Eastman、1854年7月12日 - 1932年3月14日)はイーストマン・コダック社の創業者で、ロールフィルムの発明者。

ニューヨーク州ウォーターヴィルに生まれた。1854年に、父親がロチェスター商業学校を設立し、ジョージも1865年にロチェスターに移った。2年後、父親が死んで、彼は高校をやめ、家族のために働いた。1874年に写真に興味をもったが、当時の写真はガラス板に感光乳剤を塗って、乾く前に撮影する方法であった。3年の実験の後に乾式の写真板(乾板)を開発し、イギリスとアメリカでの特許を取得し、1880年に写真の事業を始めた。1884年に写真の基材をガラスから乳剤を塗った紙に換える特許を取得した。ロールフィルムは連続撮影のスピードを著しく速くした。ロールフィルムの使用は写真機の主流となると共に、ル・プランス、レオン・ボウリー、トーマス・エジソン、リュミエール兄弟、ジョルジュ・メリエスらによる映画の発明のための基礎技術となった。

ジョージ・イーストマンの家。国の史跡、および歴史的ランドマークに指定されている。内部は写真博物館になっている。1888年にロールフィルム・カメラの特許を取得した。「あなたはシャッターを押しさえすれば、後は我々がやります("You press the button, we do the rest")」の宣伝文句のもと、顧客はカメラを送り返して、10ドルを払えば、フィルムを現像し100枚の写真と新しいフィルムを装填するシステムで市場を開拓した(この宣伝文句は社会の関心を引き、ギルバート&サリヴァンのオペレッタ『ユートピア国株式会社』で使われた)。

1888年9月4日、イーストマンはコダックの商標を取得し、世界最初のロールフィルムカメラ「No.1コダック」を発売した。1896年までに100台のコダックのカメラが売れた。1900年にはブローニーシリーズを1ドルで発売し、写真とカメラを一気に普及させた。1925年には会社の経営から退き、その後は慈善活動にはげんだ。100万ドル以上の寄付をロチェスター大学やマサチューセッツ工科大学にした。

晩年の2年間は脊椎管狭窄症に苦しみ、1932年3月14日に自邸でピストル自殺した。遺書には「友よ、私の仕事は終わった。なぜ待つのか?("To my Friends, My work is done. Why wait?")」と書かれていた。生涯独身であった。 彼の遺体は現在、ロチェスターのコダック・パーク(Kodak Park)に埋葬されている。

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++

7月12日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/7%E6%9C%8812%E6%97%A5

できごと
1543年 - イングランド王ヘンリー8世が6番目で最後の妻キャサリン・パーとハンプトン・コート・パレスで結婚。
1635年(寛永13年5月28日)- 江戸幕府による第3次鎖国令、日本人の海外渡航および海外滞在者の帰国が禁止された。
1690年 - ウィリアマイト戦争: ボイン川の戦い
1806年 - 神聖ローマ帝国に属していたドイツの諸侯が帝国を離脱、ライン同盟を結成する。
1862年 - アメリカ合衆国で名誉勲章が制定される。
1902年 - アーサー・バルフォアがイギリス首相に就任。
1912年 - 新潟県・長野県を流れる姫川が氾濫。下流の糸魚川市では、小学校や国道橋のほか多数の人家が流される被害。
1918年 - 日本海軍の戦艦『河内』が徳山湾で爆発事故により沈没。
1920年 - ロシアがリトアニアの独立を承認。
1925年 - 社団法人東京放送局(現:NHK放送センター)がラジオ本放送を開始。
1941年 - 第二次世界大戦: 英ソ相互援助協定が締結される。
1943年 - 太平洋戦争: コロンバンガラ島沖海戦が行われる。
1943年 - 独ソ戦: プロホロフカの戦いが行われる。
1967年 - 米ニュージャージー州ニューアークで白人警官による黒人タクシー運転手への暴行事件をきっかけにした黒人暴動が起こり、23名の死者と1500名以上にのぼる逮捕者を出す。
1967年 - アンギラが英自治領セントクリストファー・ネイビスからの独立を宣言。
1972年 - ハイセイコーが大井競馬場でデビュー。
1975年 - サントメ・プリンシペがポルトガルから独立。
1979年 - キリバスが独立。
1984年 - 宇都宮市の清原工業団地で「'84とちぎ博」開催
1993年 - 北海道南西沖地震。マグニチュード7.8、死者202人。
1997年 - 映画「もののけ姫」封切り。
1997年 - 大阪府堺市の多くの小学校でO-157による集団食中毒発生。
1998年 - 1998 FIFAワールドカップの決勝戦がサンドニ・フランス・スタジアムで行なわれ地元フランスがブラジルを3-0で降し初優勝を果たす。
1998年 - 第18回参議院議員通常選挙。
2000年 - そごうグループ22社が民事再生法の適用を申請し事実上の経営破綻。多摩そごうが特別清算開始を申請。
2002年 - 使用済自動車の再資源化等に関する法律が制定される。
2003年 - 米原子力空母「ロナルド・レーガン」が就役。存命中の元米大統領の名が空母に命名されるのは史上初。
2005年 - 本田技研工業がスポーツカー・NSXの15年にわたる生産及び販売を同年末で終了することを発表。
2005年 - モナコ大公アルベール2世の即位式が行なわれる。
2006年 - イスラエル軍によるレバノン侵攻。
2006年 - ポーランドの石油資源探索会社が、バルト海に沈んでいたドイツ海軍の航空母艦、グラーフ・ツェッペリンを発見。

誕生日
1394年(応永元年6月14日) - 足利義教、室町幕府第6代将軍(+ 1441年)
1596年 - ミハイル・ロマノフ、モスクワ大公・ロマノフ朝創始者(+ 1645年)
1675年 - エヴァリスト・ダッラーバコ、作曲家(+ 1742年)
1730年 - ジョサイア・ウェッジウッド、陶芸家(+ 1795年)
1817年 - ヘンリー・デイヴィッド・ソロー、作家・思想家(+ 1862年)
1824年 - ウジェーヌ・ブーダン、画家(+ 1898年)
1849年 - ウイリアム・オスラー、医学者(+ 1919年)
1854年 - ジョージ・イーストマン、発明家・コダック創業者(+ 1932年)
1863年 - パウル・ドルーデ、物理学者(+ 1906年)
1868年 - シュテファン・ゲオルゲ、詩人(+ 1933年)
1870年 - ルイ2世、モナコ大公(+ 1949年)
1871年 - 出口王仁三郎、初代大本教主(+ 1948年)
1880年 - トッド・ブラウニング、映画監督、俳優(+ 1962年)
1884年 - アメデオ・モディリアーニ、画家(+ 1920年)
1892年 - ブルーノ・シュルツ、小説家・画家(+ 1942年)
1895年 - オスカー・ハマースタイン2世、ミュージカルの脚本家・作詞家(+ 1960年)
1895年 - キルステン・フラグスタート、ソプラノ歌手(+ 1962年)
1895年 - バックミンスター・フラー、建築家(+ 1983年)
1901年 - 川勝傳、実業家・南海ホークスオーナー(+ 1988年)
1904年 - パブロ・ネルーダ、詩人(+ 1973年)
1913年 - ウィリス・ラム、物理学者(+ 2008年)
1917年 - アンドリュー・ワイエス、画家
1917年 - 富松信彦、プロ野球選手(+ 1983年)
1922年 - 永原慶二、歴史学者(+ 2004年)
1927年 - 京唄子、漫才師
1927年 - ジェリー伊藤、俳優・歌手(+ 2007年)
1928年 - イライアス・コーリー、化学者
1931年 - 木内幸男、常総学院高等学校野球部監督
1932年 - オーティス・デービス、陸上競技選手
1934年 - ヴァン・クライバーン、ピアニスト
1937年 - リオネル・ジョスパン、フランス首相
1938年 - 井上哲夫、政治家
1939年 - 中村玉緒、女優
1939年 - 石岡瑛子、アートディレクター・デザイナー
1942年 - 木原義隆、プロ野球選手
1944年 - 東条文博、プロ野球選手
1947年 - 荒俣宏、小説家・翻訳家 注:戸籍上の誕生日は7月17日。
1947年 - 近藤光史、アナウンサー
1948年 - 上野千鶴子、社会学者
1948年 - 戸谷公次、声優(+ 2006年)
1948年 - 上田卓三、プロ野球選手
1952年 - 小宮和枝、声優
1953年 - 真弓明信、プロ野球選手
1954年 - 古川享、実業家
1957年 - 北別府学、プロ野球選手
1957年 - 森永卓郎、経済アナリスト、UFJ総合研究所・研究員
1959年 - 片平なぎさ、女優
1963年 - 藤敏也、俳優
1964年 - 青野厚司、アニメーター
1965年 - 馬野雅行、毎日放送アナウンサー
1966年 - 渡辺美里、歌手
1966年 - TAIJI、ミュージシャン、ベーシスト
1966年 - 井上真二、プロ野球選手
1968年 - むぎわらしんたろう、漫画家
1969年 - 土井よしお、お笑い芸人・俳優(ワンダラーズ)
1969年 - 竹下潤、プロ野球選手
1970年 - イ・ビョンホン、俳優
1971年 - クリスティー・ヤマグチ、フィギュアスケート選手
1971年 - ドミトリー・カザルリガ、フィギュアスケート選手
1971年 - 長尾香里、NHK報道局国際部記者
1972年 - 江藤直美、バレーボール選手
1973年 - 五剣山博之、大相撲力士
1975年 - 白坂勝史、プロ野球選手
1975年 - クリスティアン・ヴィエリ、サッカー選手
1976年 - 梅澤尚史、実業家
1977年 - 大場豊千、プロ野球選手
1977年 - 江連裕子、フリーアナウンサー
1978年 - 石井義人、プロ野球選手
1978年 - 山本隆弘、バレーボール選手
1979年 - 小林麻耶、TBSアナウンサー
1980年 - 亘健太郎、フルーツポンチ、(お笑い芸人)
1981年 - 鈴木みらい、シンガーソングライター
1982年 - 成田志織、モデル、女優     
1982年 - アントニオ・カッサーノ、サッカー選手
1983年 - 河村めぐみ、モデル
1984年 - 高橋裕紀、レーサー
1984年 - 南條愛乃、声優
1984年 - 藤本 聖、ソーセージ、(お笑い芸人)
1985年 - 橋爪ヨウコ、タレント・お笑い芸人
1986年 - 早美あい、女優、グラビアアイドル
1988年 - 山本郁弥、サッカー選手
1989年 - 義家ゆりか、タレント・モデル
1991年 - 種田ちえり、グラビアアイドル
1992年 - 石橋杏奈、第31回ホリプロタレントスカウトキャラバン・グランプリ
1994年 - yuuna、ロリータアイドル・子役
生年不詳 - 枝折努、声優

忌日
1101年(康和3年6月15日)- 寛意、僧(* 1062年)
1206年(建永元年6月5日)- 俊乗坊重源、僧(* 1121年)
1426年(応永33年6月8日)- 千葉満胤、武将(* 1359年)
1429年 - ジャン・ジェルソン、神学者(* 1363年)
1441年(嘉吉元年6月24日) - 足利義教、室町幕府第6代将軍(* 1394年)
1536年 - エラスムス、人文主義者(* 1466年)
1657年(明暦3年6月2日)- 松永尺五、儒学者(* 1592年)
1682年 - ジャン・ピカール、天文学者(* 1620年)
1699年(元禄12年6月16日)- 河村瑞賢、商人(* 1617年)
1702年(元禄15年6月18日)- 南部重信、第3代盛岡藩主(* 1616年)
1712年 - リチャード・クロムウェル、イギリスの第2代護国卿(* 1626年)
1736年(元文元年6月4日)- 井伊直惟、第8代彦根藩主(* 1700年)
1742年 - エヴァリスト・ダッラーバコ、作曲家(* 1675年)
1751年(宝暦元年6月20日)- 徳川吉宗、江戸幕府第八代征夷大将軍 (* 1684年)
1773年 - ヨハン・ヨアヒム・クヴァンツ、作曲家・フルート奏者(* 1697年)
1791年(寛政3年6月12日)- 毛利治親、第9代長州藩主(* 1754年)
1804年 - アレクザンダー・ハミルトン、弁護士・ジャーナリスト・政治家(* 1755年)
1814年 - ウィリアム・ハウ、イギリス軍の将軍(* 1729年)
1820年(文政3年6月3日)- 南部利敬、第10代盛岡藩主(* 1782年)
1874年 - 伊達慶邦、第13代仙台藩主(* 1825年)
1905年 - 西久保豊一郎、日本陸軍の少佐(* 1870年)
1908年 - 松平定敬、桑名藩主・京都所司代(* 1847年)
1921年 - ハリー・ホーカー、飛行家・ホーカー創業者(* 1889年)
1922年 - ジョン・モーズビー、探検家・イギリス海軍の軍人(* 1830年)
1926年 - ガートルード・ベル、イギリスの女性情報員・考古学者・紀行作家・登山家(* 1868年)
1932年 - 栃内曽次郎、第12・13代連合艦隊司令長官(* 1866年)
1935年 - アルフレッド・ドレフュス、ドレフュス事件で知られる軍人(* 1859年)
1936年 - 村中孝次、日本陸軍の大尉(* 1903年)
1936年 - 安藤輝三、日本陸軍の大尉(* 1905年)
1936年 - 磯部浅一、日本陸軍の一等主計(* 1905年)
1936年 - 栗原安秀、日本陸軍の中尉(* 1908年)
1944年 - 中河美芳、プロ野球選手(* 1920年)
1949年 - ダグラス・ハイド、アイルランド大統領・ゲール語連盟設立者(* 1860年)
1953年 - ジョゼフ・ジョンゲン、作曲家(* 1873年)
1959年 - 中村時蔵 (3代目)、歌舞伎役者(* 1895年)
1966年 - 鈴木大拙、仏教学者(* 1870年)
1968年 - アントニオ・ピエトランジェリ、映画監督(* 1919年)
1971年 - 山下清、画家(* 1922年)
1973年 - アレクサンドル・モソロフ、作曲家(* 1900年)
1973年 - ロン・チェイニー・ジュニア、俳優(* 1906年)
1979年 - ミニー・リパートン、ソウルミュージック歌手(* 1947年)
1988年 - ジョシュア・ローガン、映画監督(* 1908年)
1988年 - 中村光夫、文芸評論家(* 1911年)
1989年 - 寺田政明、画家(* 1912年)
1992年 - アロイス・フレイシュマン、作曲家・音楽学者(* 1910年)
1994年 - ジェームズ・ジョル、歴史学者(* 1918年)
1996年 - 安川加壽子、ピアニスト(* 1922年)
1999年 - 岩橋英遠、日本画家(* 1903年)
1999年 - 牛島秀彦、ノンフィクション作家・評論家(* 1935年)
2001年 - ジェームズ・バーナード、作曲家(* 1925年)
2003年 - 芦原義重、実業家(* 1901年)
2004年 - 島原輝夫、プロ野球選手(* 1927年)
2005年 - ピエロ・カプッチルリ、バリトン歌手(* 1929年)
2006年 - ヒューバート・ランポ、小説家(* 1920年)
2006年 - 薗田憲一、ミュージシャン(薗田憲一とデキシーキングス)(* 1929年)
2007年 - 柴田武、言語学者(* 1918年)
2007年 - 小木新造、歴史学者(* 1924年)
2007年 - 黒木靖夫、工業デザイナー・ウォークマン開発者(* 1932年)

記念日・年中行事
ローリング・ストーンズ記念日

日本標準時制定記念日(日本)
東経135度を日本標準時とし、
1888年1月1日よりこれを実施するという内容の勅令第51号
「本初子午線経度計算方及標準時ノ件」に記された日付
(公布は別の日)。