東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年7月19日(日曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年7月19日(日曜日)

平成21年の「7月」に。

なりました。

平成21年の。

「春」の「3月」「4月」「5月」が。

おわり。

「夏」の「7月」になりました。

とてもとても。

とても。

早朝の「強い陽射し」が。

続いています。

青い「夏」の「7月」です。

「夏」がきた。

「なつ」がきた。

どこに来た。

「山」にきて。

「里」にきて。

「野」にきて。

「夏」は。

「まち」にもやってきました。

今年の「冬」・から「春」は予期せぬ

インフルエンザ*の

大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。

薬事法の「能書」にあるとおり

「正規の」

「2回法によるインフルエンザワクチン」の

予防接種をおすすめいたします。

常時いつでも接種可能です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

昨年の。
冬間近くの。
さらなる前に。

「晩秋」>のころ。

「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」の。
花の蕾が淡い黄金色にかがやいて。
が見えてから「10日間」で。
花は去りました。
黄金色のじゅうたんが毛氈(もうせん)ように。
地面「金色」に広がりました。

「昨年」の。
「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」に続いて。
「銀木犀:きんもくせい」もプラチナ色の
花が咲き始めました。

「昨年」の。
「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」のあとを追って。
「銀木犀:きんもくせい」の花は去り。
地面に「プラチナ」が一面に広がっていました。

「夏」の「7月」

今は私の「大好き」な。

「夏の草花」の

の「蕾(つぼみ)」と。

「わかば」と。

「夏」の樹木の。

「花」のふくらむ季節。

そして「木々の若葉」の季節。

「夏の花」と「みどりの若葉」

「みどり」「若草いろ」の。

季節になりました。

私の「大好き」な萌え出づる「わかば」。

「夏」の若葉の。

美しい季節になりました。

そしていろいろな。

「夏」の木々の花ひらき咲く季節。

夏花(はな)と夏若葉(わかば)と。

あおい夏若草(わかくさ)の。

ワルツの季節になりました。

発花 発若葉

山本クリニックの庭園は。

大昔は。

雑木林であったのです。

「野生」の。

「やまぶき」や。

「やぶつばき」や。

「季節の花さく木々」が。

とても沢山。

群生してはえています。

日々の毎日にどんどんと。

みるみるうちに。

「夏の花」が。

つぼみや「花」を大きくしています。

けれども「夏の花」は。

蕾が大きくなったそのよるには。

花咲き。

暗い朝にちっていることが。

すくなくありません。

なつ花は

ぬばたまの

暗き闇夜に

なつ嵐の

風に弓射られて

花ぞ舞い散る

なつはなは

ぬばたまの

くらきやみよに

なつかせの

かせにいられて

はなそまいちる

「夏の花」は。
早朝には「白鷺の羽」
のように地面に
舞い降ちています。

昨年の。
「晩秋」
「木犀:もくせい」の花の
「芳香」は蕾のみえるまえから
あります。
花が去ったあとは
「あっというまに芳香が消えます」。

「晩秋」の
「木犀:もくせい」たちのかおりがさり。

「夏」になり。

「7月」。

あおばとともに。

つぼみを日々。

大きくしている。

「夏の花」。

「みかん」と「からたち」

青い実のふくらむ季節。

「夏」の「7月」。

そして。

「夏の花」や。

「あおいみかんのみ」

をみまもるのは。

「みかんの木」の。

まだなったままの。

昨年の

「まるいみかん」の

「丸い群れ」。

「円いみかん」は。

「丸くたわわに実り」。

まるで。

「ぶどうのふさ」のようです。

昨年の果実です。

まだ樹木にみのりつづけ。

おちません。

一方今年の「果実」の。

あおいちいさな実も。

はなのあとに実りはじめました。

兄弟同士(姉妹同士)

お互いに。

「はなことば」で話しをしているに

ちがいありません。

私は山茶花(さざんか)よりは。
「やぶつばき」がずっとすきです。

山本クリニックの庭園には。
いずれも。
野生の「やぶつばき」と
野生の「山茶花(さざんか)」ばかりです。
野生の「すみれ」も珍しい品種がはえています。

堂々たる。

「夏かぜ」と「夏吹雪:なつふぶき」

が吹いています。

「夏」になりました。

「夏」がはじまりました。

「あかるくて」

とてもよいです。

「夏」がふかまり。

「もっと深い「夏」」の。

トンネルをこえれば。

そこは「里山の「夏」」です。

「夏吹雪:なつふぶき」は

遠くの蒸気機関車の鳴き声のように

聞こえます。

また次に「夏から先」への。

「トンネル」があることも

わかります。

夏樹の妖精の吹くフルート

のよう。

そして。

「夏吹雪:なつふぶき」をなだめるように。

「樹木の穂先」が舞います。

「樹木の穂先」のほうが「役者」は上。

「夏吹雪」は突如(とつじょ)天から舞い降り

るように。

吹きます。

「夏」の陽射しはまばゆいサマーライト。

ひかりのかがやく「夏」になりました。

星のかがやく「夏」になりました。

きょうは。
とてもとても寒い。

「夏吹雪:なつふぶき」の声は

「夏かぜ」のふく音は。

「夏」の女神たちの。

笛ふく。

なつかぜのワルツ。

わかばのワルツ。

なつは。

いまは。

モデラート・マ・ノン・トロッポ。

フオルテです。

最近は
朝くらい早朝には「星がみえます」。
「明けの明星」の金星が南の空に高くみえます。

病院の明かりが灯り暗闇のなか。
朝はやく。

「明けの明星」の金星に「おはよう」を
毎日こえで「御挨拶」を伝えます。
「明けの明星」の金星から「おはよう」と
返事がかえってくる声をききながら。
病院の明かりをともします。
まだ真っ暗なのですが。

夏場の早朝のくらい時には。
明星はみえずらかった。
季節が「冬から「春」へとあゆみ」。
いよいよ。
大気が「澄んできた」ということでしょう。

夏霧雨(なつきりさめ)の。

夏霞(なつかすみ)の大気。

「夏吹雪:なつふぶき」の「音」。

「ろうろう」「こうこう」

「夏かぜ」の鳴き声

「ろうろう」「こうこう」

「夏吹雪:なつふぶき」の。

鳴き声とともに。

「夏一番」の「夏のしらべ」が。

あわせきこえます。

「どれみふあ」「そらしど」

朝暗いうちの「なつかぜ」の合唱は。

「夏」の「ふうりん」のようです。

あれ沢山の「ふうりん」かな。

「夏」の「ふうりん」の音色です。

「ろうろう」。

さやかにやさくも「あたたかい音」です

「こうこう」

わびわびと。

「蜜蜂をよんでいる音」です。

「蜜蜂」のはぜる元気な「音」から

「夏」のおとずれが。

わかります。

「あおば」のおとずれが。

わかります。

「ススキの穂先」は
そぞろに「夏」の今年の芽栄え。

そして「夏」の旅愁すら
をも感じさせます。

ススキの茎の「穂先」には。

「「夏」ふくろう」が。

何匹も集ってつどい。

何匹ものふくろうが。

皆で何かを真剣に。

考えているように。

みえます。

夏くれば

緑葉いずる

夏すすき

葉いづるときは

秋ちかからむ

「ススキの葉先」は。

「しあわせと幸福を手招き」

している

何本もの「手」のように。

みえます。

エドヴァルド・ムンク:Edvard Munch

の「夏」の絵画のようです。

私も「日々を旅ゆく人間」です。

奥の細道の序文に松尾芭蕉が。

「月日は百代の過客(ひゃくたいのかかく)
にして行かふ年も又旅人也。」

「つきはひゃくたいのかかくにして
いきかふとしもまたたひひとなり」

とかたり。詠みました。

私は

「日々の月日」に。

道連れをさせていただき。

「時」を旅をする

「旅人(たびびと)」

のひとりです。

「日々月日の旅のつれあい」は。

私には。

「きょう」と。「あす」しか。

ありません。

「きょう」と。「あす」しか。

私にはありません。

「きのう」はありません。

朝くらいとき。
陽の出の直後は。
いつも一瞬は晴れています。
いまだ かすかにも。
のこる「夏」の気配
であるけれども。

あきらかに。
そしてしっかりと。
しのびよるもっともっと奥の。
深く深まる「夏のおとづれ」からの大気。

もっと。
「あつい「夏」」の気配が。
「確かに」。
そして明らかに。
そして輪郭もはっきりと。

感じられるようになりました。

「7月」。

もう「夏」です。

そして「緑の青葉」の「7月」

をむかえました。

はやいものです。
速いものです。
早いものです。

街路樹もそうそうたる
羽振りの木々から
「はじまりゆく「夏」の樹木」にうつろうように
変化しています。

「夏」。
「樹木の若葉の芽生え」があることに
気がつきました。

春の芽吹くときには。
街路樹のポプラも
幹や枝葉の穂先が。
ろうそくのともしびのように。
「炎の様」になっています。
あたかも
ゴッホの描いた「夜の糸杉」のように。
夏の早朝にみえます。

夏になり。
この「穂先」が一気に「ポプラの葉」へと
扇・おおぎのごとく開きました。

フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「夜の糸杉」から。
フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「ひまわり」
のように。
一斉に開きます。
8月にはいってからのことです。

10月そして11月。

今は「晩冬」の「2月」がおわり。

「春」の「3月」「4月」「5月」がおわり。
「夏」の「7月」。

今現在は落ち着いた「夏」の葉木。
「夏」の木々の「葉」
へと。
そしてふかまる「夏」の木々の「幹:みき」へと。

ふかまる「みのりの夏」にむけて。
「あつく」うつろいています。

ポプラも。つばきもくすのきも。
レースのハンカチをふるように
「「夏」のわかば」の「めばえ」がみえます。
窓越しにもみえます。

今は「「夏」のわかば」の「めばえ」は
とても大きくなりました。
「夏」の「めばえ」のひろがりです。

「冬がくると」。
空と木枯らしのかなでる「蛍の光」や
「冬のコンチエルト」にあわせるように。

ポプラの葉や芽葉は。
ハンカチのようにふわふわと。
ふわふわと。
「穂先から葉葉」は「舞い振りまがら」
ハンカチは木を去っていきました。

樹木のハンカチは。
大地を訪れて飛翔し。
大地にまいおり大地にもどります。
そして大地となります。

そして。
ポプラの葉や芽葉が。
ハンカチのようにふわふわと。
ふわふわと。
「穂先から葉葉」は「舞い振りまがら」
木を去っていく光景は。
あたかも。

「夜の魔法」「夜のガスパール」

のようです。

そして。

「花の去った枝」には。
「「夏」の若芽のめばえ」
が。
「夏葉」がみえます。

木々の「葉」が「枝や幹」を
「保護する役割をしている」
ことに気づきました。

桜の花の時期とうってかわり
桜の木の公園
の桜の木々は。
夏になりとても獰猛な気配を放つ。

初めて気がつきました。

「晩冬」の「2月」がおわり
「春」になり「3月」「4月「5月」がおわり。
「夏」の「7月」になりました。

「さくら」は春の濃い緑の樹肌になり。
やさしさとおだやかさ
が感じられます。

そしていつしか
幹先に若葉色の葉をもまじえています。
しだいにしだいに。
紅黄色の花が消え若葉にかわりつついくことに
きがつきます。

さくらから。
さくらはのきぬずれのおとが。
きこえるころ
です。

桜の樹木も「丸くなりました」。
桜の樹木も毎年毎年と毎日毎日。
「旅(たび)をしている」のでしょう。

朝陽をあびる落葉樹は
「すべてがあざやかな黄金色」に
かがやきます。
朝陽をしっかりと。
「いうにいわれぬ美しい絵のごとく」
陽射しを受け止めています。

「「夏」の朝陽」は真東に大変鋭いことに
気づきました。
眩しいです。

今はまぶしい「夏」の「あさひ」です。

するどいけれども。

「あたたかいろ」がかんじられます。

春は別として。
桜の木は木の下で。
夏は心安らかに。
「休める木ではないなあ」
と思います。
昨年は
秋になり
桜の樹木も安堵の葉色
になりました。
ちょっとばかりびっくり致しました。

枝や幹からは秋の陽の木漏れ日がみえます。

夏桜の木は獰猛なほど葉をおいしげらせ
ていました。
夏には
桜の木の下で木陰で。心安らかにやすもうという
気はおきません。

いまは「春」から「夏」になりました。
そよかぜに揺れる残り葉は
招き誘われるような気すら致します。

「夏」になり幹にはもう「花は散る」。
ちったあと枝の根元には。
「夏のわかば芽栄え(めばえ)」
若葉がみえます。

けれども
やはり夏桜の木は

シューベルトの歌曲の旋律にある「菩提樹」
ではないのです。

冬の桜木(さくらぎ)。

冬になり

人生に果てて(はてて)

なれるが如く桜樹木はかわりました。

良い木になってきました。

素敵(すてき)です。

冬の桜木(さくらぎ)。

「春」の桜木(さくらぎ)。

「夏」の桜木(さくらぎ)。

木々でも。
いちょうや。松や。杉などの針葉樹
は。またソテツなどは。
「古い時代の木」です。

「チャールズ・ダーウィンの進化論」からは
「針葉樹」から。
「常緑樹」「広葉樹」「落葉樹」にと。
「進化」しているはずです。

「原始的」な樹木ほど。
「硬い幹」です。
例外はありません。

硬ければ。
幹は硬ければ動物に
「かじられる」ことはないでしょう。

いにしえの古代の時代にも。

恐竜をはじめめとする
「大型」の草食動物にも。

かたければかじられることは
なかったでしょう。

街並みを彩る街路樹には「落葉植物」が多いです。

ふと。考える。

街路樹が「松や杉」のように。
「冬も葉を持つ針葉の常緑樹」では。

冬はうっそうとして道端では
やさしい暖かな陽射しをかくしてしまう。

夏場は枝ぶり葉っぱぶりからつよすぎる日の光は
さえぎれません。
そして
「秋」の「夕焼け陽」には。
「金色のちいさき鳥の形して」
秋の夕焼けの陽射しに舞うこともできません。

常緑樹の針葉樹では。
は四季のリズムをつたえる

北大路魯山人のかたる

ことば。

「ざっくり感(ざっくりかん)」

が。

ありません。

木々の夏の萌黄が早朝暗い中でも
うかびあがります。
私はくすのきが「大好き」な「木」の
ひとつです。
ポプラも好きです。
イチョウもすきです。
モミジもすきです。
カエデもすきです。
松や杉もすきです。
月桂樹やシナモンもすきです。
オリーブもすきです。
オレンジの木もすきです。
「そてつ」の木もすきです。
ツバキもすきです。
ソテツもすきです。
南天もすきです。
木や植物がすきです。

木々の穂先は毛氈(もうせん)
のようにあざやかな夏の萌黄色です。
まるで大きな深い山の森のうねりのようです。
今年は木々のわかばの秋のめばえが非常に鮮か
です。
木々は「春樹」の役目をおわりました。
「夏木」とかわろうとしています。
「夏木」とかわりました。

街角の雑草も花は咲きはじめ。
「夏の花」の姿となりそして「夏」を迎える。
「ほとけの座」や「はこべ」が
「かたばみ」や「いたどり」が
ますます姿を大きくして。

そして「すすき」もくわわりました。

冬草から春草へ。
そして気がはやく。
夏草へのたたずまいをしている草もある。
そしてもうすっかり夏草へと黄金色に転した
街角には雑草もあります。
こがねいろ。

雑草も。
同じく花をさかせ自ら種をとばし
夏葉がみえる。
そして秋を迎える。
冬が来て。木枯らしに吹かれ。
雪をかむり。そして。
春がくる。
そしてまた夏。

そして今は。

「夏」。

ツツジは潅木。

ツツジの花の葉の優しさには

あらためてびっくりしました。

黄緑・草色のビロードです。

のぞきこむと若葉はまだ沢山ある。

何故か得をしたように思えました。

そして雨にうたれて

そのまま地に落ちた

ツツジの若葉は

幾何学的に裏側を下にむけて

逆さじょうごのように

落下していることに

気がつきました。

まるで。

「若草色」のきのこが。

沢山はえているようです。

木から落ちても。
まだ「若葉」です。ふと。
ヴェルディの「椿姫」「La Traviata」
の「つばき」を思い出しました。

1852年パリに滞在したヴェルディは
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)
の戯曲版『椿姫』の上演を見て感激し
ました。
そのころ新作の作曲依頼を受けていた
ヴェネツィアのフェニーチェ劇場のために。
翌1853年初めに比較的短時間で作曲された
『椿姫 』(La Dame aux camelias、1848年出版)
は。
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)が
実際の体験を基にして書いた長編小説。
主人公のモデルはかつて作者が交際をしていた
マリー・デュプレシという高級娼婦。
恋人アルマンのイニシャルである
『AD』は
小デュマのイニシャルと同じです。

この作品は人々に愛されて幾度も舞台、映画化され
続けてきました。

朝暗いうちは。

とても。

はださむいです。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックには。
孟宗竹のたけやぶ
があります。
竹はせがたかいから。

クリニック館内からはすこし離れた所にある。
はなれていても。
とおくからもみえます。

山本クリニックには。
検見川の落合遺跡の遺跡発掘の際に
みつかった「古代のハスの種子」から。

2000年ぶりに発芽したことで有名な。
「古代蓮(ハス)」があります*。
【大賀ハス:おおがはす】です。
「有名な古代ハス」です。
とても勇壮なハスで。
花のいろはとてもあまりにも美しく。
たとえ様もありません。

ハスの花がさき。
「「蓮(ハス)」の実」になりました。
「はすの実」も「はす」の葉も。
2mくらい水面から高いところに
あります。

睡蓮(すいれん)があります。
睡蓮(すいれん)は「葉」が水に浮び。
はのきれこみは羊の足のようです。
睡蓮(すいれん)を「ひつじぐさ」とは
なるほどと考える。
睡蓮(すいれん)の茎の長さには
おどろかされます。

「姫睡蓮(ひめすいれん)」でさえも。
池はばが長ければ四方八方に「水の中の枝」。

「モネ」の描いた睡蓮(すいれん)の
「水の中の枝」は「どれほど長いのだろう」。

睡蓮(すいれん)も「太古の時代」に
陸の動物に「かじられないように」
水中に「逃げ込んだ」のでしょう。

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大賀ハス(オオガハス、おおがはす)とは。
1951年(昭和26年)、千葉県千葉市検見川
(現・千葉市花見川区朝日ケ丘町)にある
東京大学検見川厚生農場
(現・東京大学検見川総合運動場)の
落合遺跡で発掘された
今から2000年以上前の古代のハスの実から
発芽・開花したハス(古代ハス)のことです。

戦時中に東京都は燃料不足を補うために
花見川下流の湿地帯に豊富な草炭が埋蔵されていた
「草炭」を採掘していました。

採掘は戦後も継続して行われていました。
1947年(昭和22年)7月28日に作業員が採掘現場でたまたま
1隻の丸木舟と6本の櫂を掘り出しました。

その調査によりもう2隻の丸木舟と
ハスの果托などが発掘されました。

「縄文時代の船だまり」であったと
推測され落合遺跡と呼ばれました。

植物学者でハスの権威者でもある大賀一郎博士
(当時・関東学院大学非常勤講師)が
発掘品の中にハスの果托があることを知り。
1951年(昭和26年)3月ボランティアの協力
を得てこの遺跡の発掘調査を行いました。

翌日で打ち切りという
30日の夕刻になって花園中学校の女子生徒により
地下約6mの泥炭層からハスの実1粒が発掘され予定を延長し
4月6日に2粒、計3粒のハスの実が発掘されました。

大賀博士は5月上旬から発掘された
3粒のハスの実の発芽育成を試みるも2粒は失敗に終わりました。
だが1951年3月30日に出土した1粒が育成に成功致しました。

翌年の1952年(昭和27年)7月18日にピンク色の大輪を咲かせました。
このニュースは国内外に報道されて多いな「驚愕」を与えました。
同年11月17日付米国ライフ誌に「世界最古の花・生命の復活」
として掲載され博士の姓を採って「大賀ハス」と命名されました。

シカゴ大学のリピー博士らによって放射性炭素年代測定が行われました。
ハスの実は今から2000年前の弥生時代以前のものであると推定された。

この古代ハスは、
1954年(昭和29年)6月8日に「検見川の大賀蓮」として
千葉県の天然記念物に指定されました。
また1993年(平成5年)4月29日には千葉市の花として制定され、
現在日本各地は元より世界各国へ根分けされ、
友好親善と平和のシンボルとしてその一端を担っています。

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ふと「パンの神」を思い出しました。
(「牧神パン(Pan)」=「Pan」=「パン」=
「飯(はん)」=「全般の般」=「パンアメリカンのパン」=

「パン」「pan」は「すべて」という意味の
古代ギリシャ語そして「サンスクリット」も同じ。

古典ギリシア語 Παν、Pan「パンの神」は。
幼少時からゼウスから他の神々全て*に好かれたので
(古代ギリシャ語でTheophilusテオフイルス/ラテン語では
amadeus アマデウス**)
「パン」と名づけられました。

「頭は人間で胴体は山羊」です。

「テュホン:テューホーン:Τυφών: Typhon」
ギリシア神話に登場する魔神***。
に追いかけられ
あわてて身を守るため川に飛び込み「頭は人間で胴体は人魚」
に変身したために。

「パニック」=「panic:パン的」
という言葉が生まれました。

星座に「山羊座」という星座があります。

山羊座は不思議ですが
「あわてて身を守るため川に飛び込み
「頭は人間で胴体は人魚」」
に変身した「パンの神」を示しています。
山羊ではありません。

むしろ正確には人魚です。

だから。
「山羊座」という「意味」はわかります。
けれども「命名」の観点から。
「山羊座」というのはかなり「妙」な気が致します。
「人魚座」というのが正しい。

 


名称「パンの神」の由来は「ギリシャ神話」でも
非常に多くの「言い伝え」がいくつがあります。
その「言い伝えの数」に正比例して「混乱」があります。

**
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの
「アマデウス」とは「パンの神」のことです。
(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの
ヴォルフガングは「おおかみが行く」という意味です。
よって
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは

「狼のように歩み神に愛されたモーツアルト」
ということになります)

***
「テュホン:テューホーン:Τυφών: Typhon」は
「台風:たいふう」と日本語では名前を変えています。

****
タイフーン級原子力潜水艦は
旧ソ連・ロシアの941型(プロジェクト941)
戦略ミサイル搭載原子力潜水艦のことです。
タイフーンはそれに付けられたNATOコードネームですが
この名称は日本の「台風」とは「直接関係」はありません。

日曜の

朝晴れて

はじめて気づく

にわの小ささ

にちようの

あさはれて

はじめてきづく

にわのちいささ

朝晴れて

にわの小さき

気づかぬときは

病(やまい)なりけり

日曜の朝

あさはれて

にわのちいさき

きづかぬときは

やまひなりけり

にちようのあさ

葉のつきて。

物心もつく

桜かな

はのつきて

ものこころもつく

さくらかな

休診日ですが。
早朝に朝まだ暗いうちから
首都高を走って病院に到着致します。

空はきらきらのラピス・ラズリの
紺碧のジュースから
ミルク色のはいった
トルコ石の「プリン」に変わるように変化
していきます。

遠くにぽかぽか浮ぶ「雲々」は
トルコ石の「プリン」の上の「クリーム」の
ようです。
にわのあじさいは「アイスクリーム」
のようです。

夏きらきらラピス・ラズリの空(そら)
夏紺碧のカクテルいろの空(そら)
夏ミルクをそそそいだ空(そら)
夏トルコいしのプリンの空(そら)
夏はるかにとほくたかい空(そら)
夏ほかほか浮ぶ雲々(くもぐも)そら
夏プリンの上のクリームのような空(そら)
夏睡蓮(すいれん)の水面に空(そら)
夏睡蓮(すいれん)のうえに空(そら)
夏空(そら)の向こうにまた空(そら)
夏空(そら)そのまたむこうにももっと大きな空(そら)

春のうららのこもれびに

緑木いらかをかぜはやみ

青風ひるむやうつろひの

四季のつきひははやいくとせ

夏のうららのこもれびに

緑木いらかのつねなりて

赤き空(そら)にて炎えたたむ

四季のつきひははやいくとせ

秋のうららのこもれびに

緑木いらかにかぜさやか

秋風かたれるやすらきの

四季のつきひははやいくとせ

冬のうららのこもれびに

緑木いらかにかぜつよし

冬風弓(ゆみ)射る木枯らしの

四季のつきひははやいくとせ

日々のうららのこもれびに

祈想い(おもい)のいらかにかぜつよし

生きる力に祈りはせ

四季のつきひははやいくとせ

やまひのとまやのこもれびに

祈願りの(いのり)のいらかにかぜさみし

やみいるこころに力(ちから)はせ

四季のつきひははやいくとせ

いづるわかばのこもれびに

ひかりのいらかにかぜやさし

おもふこころに瞑想(おもひ)のせ

四季のつきひははやいくとせ

やさしくかたるるこもれびに

あさひのいらかにかぜさむし

ゆれるからだに意思(こころ)つみ

四季のつきひははやいくとせ

かわるるつきひのこもれびに

かたりのいらかにあめさみし

うたれしからだに決意(さだめ)おい

四季のつきひははやいくとせ

ゆめみしあさひのこもれびに

くもまのいらかにつきうすし

いさりてあゆめる未来(のそみ)みし

四季のつきひははやいくとせ

陽(ひ)いでてあふるるこもれびに

もののふいらかにかぜあおし

ひかりてかかやく希望(ねかひ)もて

四季のつきひははやいくとせ

夏椎木(しいのき)は枝高し
夏そらに吼える若葉の穂束
夏そらに吼える蒼き獅子のごとし
夏天にも地にもみどりはさける
夏のあさふかまりて
夏陽の光ゆたかなりけり
夏いふことのなし
夏いふことがなし
夏いふことはなし
夏いふこともなし
夏ゆたかなるかな夏

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成21年1月12日(月曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

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平成21年2月11日(水曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の御予約の。
患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
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平成21年3月20日(金曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の御予約の。
患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

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平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

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平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

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平成21年7月20日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

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★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。
インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がきます。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著であろうと推察されます。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」
であることを懸念しています。
そして気候の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表される。
ウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。
「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。

飛散したファンブレードの破片が機体を貫通。

3系統の油圧操縦系統の全てを破断して。
エンジン出力の制御以外の操縦
(方向舵や昇降舵の操舵など)が全くできない状態に陥った
機体 マクドネルダグラス・DC-10のUA232便が。

日本航空123便墜落事故と同じように。
エンジン出力の制御以外の操縦
(方向舵や昇降舵の操舵など)が全くできない状態
であったが
飛行場までたどり着き着陸を慣行が「可能」であった事例。

本件事故調査に携わった国家運輸安全委員会 (NTSB) から。

クルーの行動を「期待以上」と賞賛するとともに。

油圧操舵不能状態の機体を無事着陸させる訓練を運航乗務員に
施すことは事実上不可能であると表明致した航空機事故。

1989年 - ユナイテッド航空232便不時着事故。
の日です。

++++++++++++++++++++++

ユナイテッド航空 232便 概要
日付 1989年7月19日
原因 油圧系統の故障で不時着
場所 アメリカ・スーゲートウェイ空港
死者 111
負傷者 172
航空機
機体 マクドネルダグラス・DC-10
航空会社 ユナイテッド航空
機体記号 N1819U
乗客数 285
乗員数 11
生存者 185

++++++++++++++++++++++

ユナイテッド航空232便 緊急着陸事故
(ユナイテッドこうくう232びん
きんきゅうちゃくりくじこ)とは。

1989年7月19日に、ユナイテッド航空の定期232便が
油圧操縦不能のまま。

アイオワ州スーシティのスーゲートウェイ空港に
緊急着陸し、大破した事故です。

乗員乗客296人中111人が死亡されました。

++++++++++++++++++++++

なお、上記、ユナイテッド航空の定期232便は、
「UA232」「UAL232」とも表記致します。
識別信号は「ユナイテッド232ヘビー」

。ヘビーは重量25000ポンド以上の航空機に対して、
その機の識別信号の末尾に付される。
事故機は、ダグラス製DC-10-10型、機体記号N1819Uで、
1973年の製造でした。

++++++++++++++++++++++

ユナイテッド航空232便 緊急着陸事故の。

UA232便の飛行予定は
コロラド州デンバーのステープルトン国際空港発、
イリノイ州シカゴのオヘア国際空港経由で
ペンシルベニア州フィラデルフィア国際空港へ向かう行路でした。

中部夏時間の14時9分に離陸した当該機は
アイオワ州上空11,000m(37,000フィート)付近を
巡航飛行していた15時16分、
機体尾部の第2エンジンのチタン合金製ファンブレードが、
内在していた製造時の微少な金属構造欠陥から、
疲労破壊を起して3つの部分に破断し飛散致しました。

飛散したファンブレードの破片は機体を貫通し、
3系統の油圧操縦系統の全てを破断したため、
UA232便はエンジン出力の制御以外の操縦
(方向舵や昇降舵の操舵など)が全くできない状態に陥りました。

なお、事故の発端となったファンブレードの構造欠陥は、
製造元のゼネラルエレクトリックや
ユナイテッド航空整備部門の探傷検査で見落とされ、
事故の発生を防ぐ事ができませんでした。

++++++++++++++++++++++

ユナイテッド航空232便 緊急着陸事故

運航乗員の対応
機長のアルフレッド・C・ヘインズを始めとする3名の運航乗務員と、
非番で便乗しておりヘインズに支援を要請されました。

機長(兼任DC-10教官)デニス・E・フィッチは、目視点検により
機体は油圧系統・3系統全てが切断され全滅してしまった
(=操舵不能になった)ことを知りました。

この緊急事態にも、
フィッチが日本航空123便墜落事故の教訓から。
油圧系統が全滅した場合の
操縦方法を研究しシミュレータにより訓練していたこと。

そして
ヘインズ達232便運航乗務員は
極めて豊富な経験を有していたことが幸い
致しました。

また、日本航空123便の垂直尾翼脱落のような、
機体形状へのダメージが無かったことも幸いでした。

(日本航空123便は、油圧喪失による操縦不能に加え、
尾翼喪失によって
航空機として安定した飛行をする為の機体形状も失われていた)。

++++++++++++++++++++++

彼らは
残る1番(左翼)および3番(右翼)エンジンの推力操作だけで。
機体の姿勢を立て直しました。

そして、アイオワ州スーシティの
スーゲートウェイ空港(IATA: SUX/ICAO: KSUX)までたどり着き。

冷静沈着に不時着を試みました。

ユナイテッド航空232便 緊急着陸事故の。
後に彼らの行動は。

クルーリソースマネージメント
(CRM; en:Crew (or Cockpit) Resource Management)
の成功例として全世界に知られることになりました。

++++++++++++++++++++++

ユナイテッド航空232便 緊急着陸事故の結果

運航乗務員達の卓越した技能と努力により
不可能と考えられた不時着は敢行されました。

管制官や運航乗務員は、当初は使用中の滑走路31
(滑走路延長2,744m)に着陸させようとしました。

滑走路31へ向かうには左旋回を行って空港東側を南下し、
さらに右旋回を行わなければならなかったのです。

航空機は、事故で飛行特性が変化し
て(エンジンの推力を操作しなければ)右旋回する傾向にあり、
左旋回が困難な状況であったので。

フィッチは前方にある
閉鎖されていた滑走路22(滑走路延長2,012m)
に正対し着陸することを決断し要求致しました。

管制官は閉鎖されていた滑走路に待機していた
消防隊、救急隊などを
移動させた上で232便に着陸を許可致しました。

++++++++++++++++++++++

ユナイテッド航空232便 緊急着陸事故

232便は接地寸前まで
かなり良い精度で滑走路に正対することができたが。

地上30m付近から機体のバランスが崩れ機首が下がり、
また舵面が効かないため通常の着陸時より
120km/h以上も速い速度で滑走路に進入致しました。

右主翼翼端から滑走路に接触して発火。
機体は文字通り火の車のように
回転しながら分解しつつ大破炎上致しました。

地上の消防救急隊 (CFR) の懸命な救出活動により、
乗員乗客296名中185名が生還致しました。

また、空港は数日前に火災訓練が行なわれており、
その経験も多分に生かされていました。

++++++++++++++++++++++

ユナイテッド航空232便 緊急着陸事故

本件事故は、
1992年アメリカでテレビ映画
『Crash Landing: The Rescue of Flight 232
(邦題:レスキューズ/緊急着陸UA232)』
に描かれることなりました。

また「ナショナルジオグラフィックチャンネル」
でも本件事故が紹介されました。

++++++++++++++++++++++

本件事故を調査した国家運輸安全委員会 (NTSB) は。

クルーの行動を「期待以上」と賞賛致しました。

油圧操舵不能状態の機体を無事着陸させる訓練を運航乗務員に
施すことは事実上不可能であると表明致しました。

アメリカ航空宇宙局 (NASA) は本件事故および
日航123便事故の発生に鑑み、
対応策として、舵面を使用出来ない場合にコンピュータによる
エンジンコントロールで航空機を操縦し、
着陸させる方法を開発しています。

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ユナイテッド航空232便不時着事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%86%E3%83%83%E3%83%89%E8%88%AA%E7%A9%BA232%E4%BE%BF%E4%B8%8D%E6%99%82%E7%9D%80%E4%BA%8B%E6%95%85

ユナイテッド航空 232便 概要
日付 1989年7月19日
原因 油圧系統の故障で不時着
場所 アメリカ・スーゲートウェイ空港
死者 111
負傷者 172
航空機
機体 マクドネルダグラス・DC-10
航空会社 ユナイテッド航空
機体記号 N1819U
乗客数 285
乗員数 11
生存者 185

ユナイテッド航空232便 緊急着陸事故(ユナイテッドこうくう232びん きんきゅうちゃくりくじこ)とは、1989年7月19日に、ユナイテッド航空の定期232便が油圧操縦不能のままアイオワ州スーシティのスーゲートウェイ空港に緊急着陸し、大破した事故である。乗員乗客296人中111人が死亡した。

なお、上記、ユナイテッド航空の定期232便は、「UA232」「UAL232」とも表記する。識別信号は「ユナイテッド232ヘビー」。ヘビーは重量25000ポンド以上の航空機に対して、その機の識別信号の末尾に付される。事故機は、ダグラス製DC-10-10型、機体記号N1819Uで、1973年の製造だった。

目次
1 事故の概要
2 運航乗員の対応
3 結果
4 運航乗務員の略歴
5 関連項目
6 外部リンク

事故の概要

UA232便の油圧系統の破損状況の図。UA232便の飛行予定はコロラド州デンバーのステープルトン国際空港発、イリノイ州シカゴのオヘア国際空港経由でペンシルベニア州フィラデルフィア国際空港へ向かう行路であった。

中部夏時間の14時9分に離陸した当該機はアイオワ州上空11,000m(37,000フィート)付近を巡航飛行していた15時16分、機体尾部の第2エンジンのチタン合金製ファンブレードが、内在していた製造時の微少な金属構造欠陥から、疲労破壊を起して3つの部分に破断し飛散した。

飛散したファンブレードの破片は機体を貫通し、3系統の油圧操縦系統の全てを破断したため、UA232便はエンジン出力の制御以外の操縦(方向舵や昇降舵の操舵など)が全くできない状態に陥った。

なお、事故の発端となったファンブレードの構造欠陥は、製造元のゼネラルエレクトリックやユナイテッド航空整備部門の探傷検査で見落とされ、事故の発生を防ぐ事ができなかった。

運航乗員の対応
機長のアルフレッド・C・ヘインズを始めとする3名の運航乗務員と、
非番で便乗しておりヘインズに支援を要請された
機長(兼任DC-10教官)デニス・E・フィッチは、目視点検により
機体は油圧系統・3系統全てが切断され全滅してしまった(=操舵不能になった)ことを知る。

この緊急事態にも、
フィッチが日本航空123便墜落事故の教訓から油圧系統が全滅した場合の
操縦方法を研究しシミュレータにより訓練していたことと、
ヘインズ達232便運航乗務員は極めて豊富な経験を有していたことが幸いした。
また、日本航空123便の垂直尾翼脱落のような、
機体形状へのダメージが無かったことも幸いであった
(日本航空123便は、油圧喪失による操縦不能に加え、
尾翼喪失によって航空機として安定した飛行をする為の機体形状も失われていた)。

彼らは残る1番(左翼)および3番(右翼)エンジンの推力操作だけで、
機体の姿勢を立て直した。
そして、アイオワ州スーシティの
スーゲートウェイ空港(IATA: SUX/ICAO: KSUX)までたどり着き、
冷静沈着に不時着を試みた。

後に彼らの行動は
クルーリソースマネージメント (CRM; en:Crew (or Cockpit) Resource Management)
の成功例として全世界に知られることになった。

結果
運航乗務員達の卓越した技能と努力により不可能と考えられた不時着は敢行された。管制官や運航乗務員は、当初は使用中の滑走路31(滑走路延長2,744m)に着陸させようとした。しかし、滑走路31へ向かうには左旋回を行って空港東側を南下し、さらに右旋回を行わなければならなかった。航空機は、事故で飛行特性が変化して(エンジンの推力を操作しなければ)右旋回する傾向にあり、左旋回が困難な状況であったため、フィッチは前方にある閉鎖されていた滑走路22(滑走路延長2,012m)に正対し着陸することを決断し、要求した。管制官は閉鎖されていた滑走路に待機していた消防隊、救急隊などを移動させた上で232便に着陸を許可した。

232便は接地寸前までかなり良い精度で滑走路に正対することができたが、地上30m付近から機体のバランスが崩れ機首が下がり、また舵面が効かないため通常の着陸時より120km/h以上も速い速度で滑走路に進入し、右主翼翼端から滑走路に接触して発火。機体は文字通り火の車のように回転しながら分解しつつ大破炎上した。しかし、地上の消防救急隊 (CFR) の懸命な救出活動により、乗員乗客296名中185名が生還した。また、空港は数日前に火災訓練が行なわれており、その経験も多分に生かされていた。

本件事故は、1992年アメリカでテレビ映画『Crash Landing: The Rescue of Flight 232(邦題:レスキューズ/緊急着陸UA232)』に描かれることなった。また、「ナショナルジオグラフィックチャンネル」でも本件事故が紹介された。

また、本件事故を調査した国家運輸安全委員会 (NTSB) はクルーの行動を「期待以上」と賞賛するとともに、油圧操舵不能状態の機体を無事着陸させる訓練を運航乗務員に施すことは事実上不可能であると表明した。

アメリカ航空宇宙局 (NASA) は本件事故および日航123便事故の発生に鑑み、対応策として、舵面を使用出来ない場合にコンピュータによるエンジンコントロールで航空機を操縦し、着陸させる方法を開発している。

運航乗務員の略歴
事故当時の運航乗務員の略歴は次のとおり。

機長:アルフレッド・C・ヘインズ (Alfred C. Haynes) 当時57歳。
ユナイテッド航空に1956年2月入社。総飛行時間29,967時間、そのうちDC-10での飛行時間は7,190時間で、DC-10と727の操縦資格を持つ。
ファーストオフィサー:ウィリアム・R・レコーズ (William R. Records) 当時48歳。
1969年8月にナショナル航空入社。その後パンアメリカン航空を経てユナイテッド航空勤務。総飛行時間はおよそ20,000時間でDC-10のファーストオフィサー(≒副操縦士)として665時間を有する。全日本空輸 (ANA) の機長で「事故のモンタージュ」の編者である前根明(ペンネームは岡野正治)によれば、この総飛行時間から考えれば「パンアメリカン航空で機長として飛んでいたのでは?」という。
セカンドオフィサー:ダドリー・J・ドヴォラーク (Dudley J. Dvorak) 当時51歳。
ユナイテッド航空に1986年5月入社。セカンドオフィサー(≒航空機関士)としての総飛行時間はおよそ15,000時間。そのうち727での飛行時間は1,903時間、DC-10での飛行時間は33時間。
機長(DC-10教官兼任):デニス・E・フィッチ (Dennis E. Fitch) 当時46歳。
空軍州兵として約1,500時間程飛行した後、ユナイテッド航空に1968年2月入社。ユナイテッド航空におけるDC-10の飛行時間は総計2,987時間、内訳はセカンドオフィサーとして1,943時間、ファーストオフィサーとして965時間、機長として79時間。当時デンバーのユナイテッド航空訓練センターで教官(訓練チェッカー)として勤務していた。事故機には非番で便乗しており、事故発生後は不時着の瞬間まで彼が事故機のスラストレバー(エンジン推力制御レバー。自動車のアクセルペダルに相当)を握った。彼は日本航空123便事故の教訓から油圧が抜けて操舵不能になった場合の操縦法を研究していた。

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++

7月19日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/7%E6%9C%8819%E6%97%A5

できごと
711年 - タリク・イブン・ジヤード率いるムスリム軍が西ゴート王国のロドリゴ王を破る。
1870年 - 普仏戦争勃発。
1896年 - 新潟県で大水害(横田切れ)。
1937年 - ミュンヘンでナチス・ドイツの宣伝省の手により退廃芸術展が開催される。
1947年 - ビルマの独立運動家アウン・サン、政敵に暗殺される。
1952年 - 第15回夏季オリンピック、ヘルシンキオリンピック大会開催。8月3日まで。
1964年 - 石ノ森章太郎のサイボーグ009、週刊少年キングにて連載開始。
1969年 - アメリカ合衆国の宇宙船アポロ11号のクルー、ニール・アームストロングらが月面に人類としての第一歩を印した。
1975年 - 沖縄国際海洋博覧会開会。
1980年 - 第22回夏季オリンピック、モスクワオリンピック大会開催。日本、アメリカなどは不参加。
1985年 - レオポンのジョニーが死亡。
1989年 - ユナイテッド航空232便不時着事故。
1992年 - プロ野球オールスターゲーム第2戦(千葉マリン)で、全セの古田敦也(ヤクルト)が球宴史上初のサイクルヒットを達成。
1996年 - 第26回夏季オリンピック、アトランタオリンピック大会開催。8月4日まで。
2000年 - 新日本銀行券 弐千円札発行。
2003年 - 踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!公開 観客動員数は、実写映画日本一。
2006年 - 極楽とんぼの山本圭一(旧芸名・山本圭壱)が少女に暴行を加えるなどして、吉本興業が契約を解除。

誕生日
1767年 - ギデオン・グレンジャー、第7代アメリカ合衆国郵政長官(+ 1822年)
1794年(寛政6年6月23日) - 水野忠邦、江戸幕府の老中(+ 1851年)
1814年 - サミュエル・コルト、コルト・ファイヤーアームズ創設者(+ 1862年)
1834年 - エドガー・ドガ、画家(+ 1917年)
1863年 - ヘルマン・バール、小説家・劇作家・評論家(+ 1934年)
1911年 - 平桝敏男、プロ野球選手(+ 1971年)
1921年 - 保井浩一、プロ野球選手(+ 2001年)
1922年 - 金山次郎、プロ野球選手(+ 1984年)
1923年 - 三波春夫、演歌歌手(+ 2001年)
1931年 - 水野晴郎、映画評論家(+ 2008年)
1932年 - 田の中勇、声優
1935年 - 児玉泰、プロ野球選手
1936年 - 橋本敬包、プロ野球選手
1940年 - 正仁親王妃華子、皇族
1945年 - すがはらやすのり、歌手
1946年 - 力也(安岡力也)、俳優
1947年 - 天木直人、作家・外交官
1947年 - 宮塚利雄、山梨学院大学教授
1947年 - ブライアン・メイ、ミュージシャン
1951年 - 古今亭八朝、落語家
1953年 - 中川昭一、政治家
1955年 - 黒沢清、映画監督
1956年 - 東原力哉、ドラマー
1956年 - 佐田の海鴻嗣、大相撲力士
1960年 - 滝沢直己、ファッションデザイナー
1961年 - 阿部記之、アニメ監督・音響監督
1963年 - マーク・キャリオン、プロ野球選手
1964年 - 近藤真彦、歌手、レーシングドライバー
1964年 - 村石雅行、ドラマー
1965年 - 加藤伸一、プロ野球選手
1968年 - 杉本彩、タレント
1970年 - 宮藤官九郎、脚本家・俳優
1970年 - 小久保知之進、アナウンサー
1971年 - ビタリ・クリチコ、プロボクサー
1971年 - 相馬直樹、サッカー選手
1972年 - 藤木直人、俳優・ミュージシャン
1972年 - 大貝恭史、プロ野球選手
1973年 - 高橋 優子、調教師
1973年 - 林恵子、アナウンサー・松中信彦夫人
1974年 - 菊池麻衣子、女優
1975年 - KAMIJO、ミュージシャン
1975年 - 芦澤孝臣、声優
1976年 - 家城啓之、お笑い芸人
1977年 - 西口有香、声優・舞台女優
1977年 - 木塚敦志、プロ野球選手
1979年 - 浅井良、プロ野球選手
1980年 - 小嶺麗奈、女優
1980年 - 松原真琴、小説家
1980年 - レイチェル・マイナー、アメリカの女優
1980年 - 岩部彰、お笑い芸人
1980年 - 高橋敏郎、プロ野球選手
1982年 - 角野雅俊、野球選手
1984年 - ディアナ・モカヌ、競泳選手
1985年 - 水田芙美子、タレント
1985年 - 成嶋早穂、アナウンサー
1985年 - とみぃ、ユーフォニアムプレイヤー
1986年 - 内田仁菜、ファッションモデル
1987年 - 銀仁朗、プロ野球選手
1987年 - 高林祐介、陸上競技選手
1988年 - 坂本羽蘭、グラビアアイドル
1989年 - ミゲル・アンヘル・マルティネス、サッカー選手
1990年 - 日高亮、プロ野球選手
1990年 - 高田志織、アイドル
1991年 - 菅聡美、ファッションモデル
1995年 - 石田大樹、俳優・タレント

忌日
1027年(万寿4年6月13日)- 源俊賢、平安時代の公卿(* 959年)
1185年(元暦2年6月19日)- 平宗盛、平氏の武将(* 1147年)
1185年(元暦2年6月19日)- 平清宗、平氏の武将(* 1170年)
1275年(建治元年6月25日)- 北条時広、鎌倉時代の武将(* 1222年)
1319年(元応元年7月2日)- 六条有房、鎌倉時代の公卿・歌人(* 1251年)
1415年 - フィリパ・デ・ランカストル、ポルトガル王ジョアン1世の妃(* 1357年)
1543年 - メアリー・ブーリン、イングランド王ヘンリー8世の愛人(* 1499年頃)
1614年(慶長19年6月13日)- 秋月種長、日向国の戦国大名・高鍋藩主(* 1567年)
1683年(天和3年5月25日)- 土井利房、江戸幕府老中(* 1631年)
1702年 - フレデリク4世、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン公(* 1671年)
1711年(正徳元年6月4日)- 伊達綱宗、仙台藩主(* 1640年)
1730年 - ジャン=バティスト・ルイエ、作曲家(* 1680年)
1796年(寛政18年6月15日)- 沢田東江、書家・儒学者(* 1732年)
1810年 - ルイーゼ・フォン・メクレンブルク=シュトレーリッツ、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の妃(* 1776年)
1814年 - マシュー・フリンダース、探検家(* 1774年)
1824年 - アグスティン・デ・イトゥルビデ、メキシコ独立革命の指導者・メキシコ皇帝(* 1783年)
1838年 - ピエール・ルイ・デュロン、化学者・物理学者(* 1785年)
1843年 - アウグスト・フォン・プロイセン、プロイセンの王族(* 1779年)
1864年(元治元年6月16日)- 平岡円四郎、一橋徳川家家老(* 1822年)
1868年(慶応4年5月30日)- 沖田総司、新選組一番隊組長(* 1842年頃)
1873年 - フェルディナンド・ダヴィッド、ヴァイオリニスト(* 1810年)
1888年 - 山岡鉄舟、政治家(* 1836年)
1898年 - ムクワワ、ドイツ領東アフリカヘヘ族の指導者(* 1855年)
1909年 - 荒井郁之助、日本の中央気象台長(* 1836年)
1916年 - 津軽承昭、弘前藩主(* 1840年)
1935年 - 杉山茂丸、明治から昭和初期のフィクサー(* 1864年)
1936年 - 志田順、地球物理学者(* 1876年)
1943年 - ジュゼッペ・テラーニ、建築家(* 1904年)
1943年 - エカテリーナ・ブダノワ、ソ連空軍のエース・パイロット(* 1916年)
1944年 - 新井茂雄、競泳選手(* 1916年)
1945年 - ハインリヒ・ヴェルフリン、美術史家(* 1864年)
1947年 - 呂運亨、朝鮮の独立運動家(* 1886年)
1947年 - アウン・サン、ミャンマーの独立運動家(* 1915年)
1954年 - ジャン・ロジェ=デュカス、作曲家(* 1873年)
1954年 - 山崎延吉、農政家(* 1873年)
1954年 - ハンネス・マイヤー、建築家(* 1889年)
1961年 - ポール・メリル、天文学者(* 1887年)
1963年 - 山之口貘、詩人(* 1903年)
1965年 - 李承晩、初代大韓民国大統領(* 1875年)
1965年 - 梅崎春生、小説家(* 1915年)
1968年 - 子母沢寛、小説家(* 1892年)
1974年 - ステファノ・マガディーノ、マフィアのボス(* 1891年)
1977年 - 大木惇夫、詩人・作詞家(* 1895年)
1980年 - ハンス・モーゲンソウ、政治学者(* 1904年)
1980年 - ニハト・エリム、トルコ首相(* 1912年)
1984年 - マルコ・タイチェヴィチ、作曲家(* 1900年)
1986年 - 3世茂山千作、狂言師(* 1896年)
1987年 - 文野朋子、女優(* 1923年)
1989年 - 伊藤真乗、真如苑開祖(* 1906年)
1992年 - アレン・ニューウェル、人工知能学者(* 1927年)
1993年 - シモン・ゴールドベルク、ヴァイオリニスト(* 1909年)
1994年 - ルドルフ・フィルクスニー、ピアニスト(* 1912年)
1999年 - 井狩彌治郎、実業家(* 1905年)
2003年 - 大林芳郎、実業家(* 1918年)
2004年 - 鈴木善幸、日本の第70代内閣総理大臣(* 1911年)
2004年 - 栗栖弘臣、日本の統合幕僚会議議長(* 1920年)
2005年 - 西尾徳、声優(* 1939年)
2006年 - ジャック・ウォーデン、俳優(* 1920年)
2006年 - 田口周、プロ野球監督(* 1932年)
2007年 - 河合隼雄、心理学者(* 1928年)

記念日・年中行事

女性大臣の日(日本)
1960年7月19日に、中山マサが
第一次池田勇人内閣の厚生大臣として入閣し、
日本初の女性大臣となったことに由来。

海の日 - 2004年

土用の丑の日 - 2009年