東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年7月20ヒ(月曜日)祝祭日

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年7月20日(月曜日)祝祭日

平成21年の。

「夏」になりました。

「春」の「3月」「4月」「5月」はおわりました。

「夏」「7月」になりました。

ふかまった「夏」。

季節には「ながさ」があります。

その年によって。

「ながさ」はちがうようです。

ことしの「夏」のながさは

どうだろう。

「7月」になりました。

もう「7月」です。

今朝せみの鳴き声をききました。

今年の「冬」・から「春」は予期せぬ

インフルエンザ*の

大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。

薬事法の「能書」にあるとおり

「正規の」

「2回法によるインフルエンザワクチン」の

予防接種を行います。

御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

「新年」「初春」になり。
「1月」がおわり。
「2月」。
「2月」がおわりました。

「春」の「3月」「4月」「5月」もおわりました。
「夏」の「7月」になったとたん。

また。
きゅうにさむくなりました
とてもとてもさむくなりました。

今は「7月」。

あおい「夏」の「7月」です。

もう「夏至」は。

すぎました。

「昨年」
夏がおわり。
「9月」「初秋」も終わりました。

そして
「10月」がおわり。
「10月」中秋もおわり「11月」。
「中秋」から「晩秋」へとうつろいゆき。
「11月」がおわりました。
昨年の「冬」「12月」が過ぎれば。

いまは。
「1月」「2月」「3月」「4月」「5月」がおわり。
「7月」の「夏」をむかえています。

そろそろ とぼとぼと。

「「夏」の旅道」に沿って。

あゆみゆく「夏」。

「たしかなる」

「「夏」のあゆみ」

そして。

季節のかおり。

あきらかなる「夏」の。

かおりから。

「7月」の。

「夏」はじめの気配は。

手応えも。

しっかりと。

感じられます。

「夏」「7月」。

始まる「夏」「7月」の「かおり」。

この

「夏」の

「夏のかおりへの変化(へんげ)」は。

毎年ちがいます。

「夏」のあいだの。

かおりの変化(へんげ)」は。

「毎年」新しい。

「うれしい新品のかおり」

がします。

大気の織り成す(たいきのおりなす)。

「夏」の季節の風から。

「夏」から。

「新たなる新品のかおり」の。

「夏」を恵まれることは。

とても幸せなことなのではないか。

と考えます。

けれども。

さむいです。

「夏」「7月」です。

暗い早朝に。

季節風が吹く。

「7月」の「夏」の。
「「夏」かぜ」の。

「ねいろ」「音色」にかわりました。

「夏」の「夏かぜ」の鳴き声の音色は。

「夏」の「せみ」とおなじ。

「いわにしみいる」ねいろ

のようです。

「ふうせん」のような。

夏かぜにとばされる。

夏の江戸風鈴(えどふうりん)を。

おもわせる音色です。

「季節風」に。

とばされるように。

「夏かぜ」の

声楽4声

(ソプラノ・アルト・テノール・バス)が。

混声の合唱で聞こえます。

「ろうろう」。

「季節風」は。

「夏かぜ」にかわりました。

まだ真暗い早朝の朝もやから。
「早い「夏」のおとずれ」の「大気」が。

かすみのような「香り」で。
しのびよる気配は。
ろうそくの灯(ともしび)
のようにゆらぎながら。

「夏」の。
何かを。行く先をさがしながら。
何かをさがしながら。
照らすかのようにさまよい。
近寄りしのびよることが
わかります。

ゆきさきは。
もっとふかい。

「季節風」の「夏」。

「夏」。

「夏」です。

「7月」の。

「夏」です。

はやいものです。

はやいものです。

「夏」の「7月」は。
「さらに」。
「大気」と「自然の気配」に。
「特有の独特の気配と香り」が混じります。
感じられるようです。
不思議な感しが致します。

木々は

「夏」をのりきる準備をすませて。

これからの。

「夏」の。

「「夏」へのあらたな実り」に向けての。

息吹が力強く感じられます。

街路樹はしっかりと。
「初夏」の枝木の穂先もたわわにつよく。
「夏」に向けての。
萌黄色から若葉の芽吹きをそなえて。

「夏」の「木」に
かわりました。

そしていま。
「夏」にも若葉を抱いた木々は。
さらに「夏」の芽栄え(めばえ)にも。

うつろいてかわろうと
しています。

「昨年」はあっというまに
「7月」が終わりました。
「8月」です。
「8月」=せみのしぐれなく夏です
「8月」が終わりました。
「9月」が終わりました。
「10月」=「実りの秋」です。
「11月」収穫の晩秋です。
「12月」木枯らしの冬です。

「12月」がおわり。
「1月」「2月」がおわり。
「初春」の「3月」です。
そして「3月」がおわり。
そして「4月」「5月」がおわり。
いまは「7月」です。

木々がへったため。
夏にはせみの声も少なくなりました。
けれども「一昨年」より
「昨年」はは鳴き声は多かった
ようにおもえます。

こおろぎの声も「一昨年」より
「昨年」は多かったように
おもえました。

「せみ」も「こおろぎ」も今年は
どうだろう。

今は。

「夏」の「7月」

「季節風」の「こえ」。

「ろうろう」。

みかんの木に「「夏」かぜ」

がとまっているようです。

「鳥」(とり)の様です。

「季節風」の声はいつもかわります。

みかんの木は。

とても沢山の実をつけています。

黄金にプラチナのみかんのようです。

「夏」の気配に加えて。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックの。

庭の。

山椒(さんしょう)の木の芽は。

「なつ」の若葉にすくすくとそだち。

若枝も天高くすこやかにのび。

ますますに。ますますに。

「夏の陽」をあびて。

「夏」の山椒(さんしょう)の葉の。

みどりがとても。

とても奇麗です。

山椒のことを

「きのめ」=木の芽とは。

なるほどと

かんがえる。

夏さんしょう木
夏萌黄(もえぎ)鮮やかに芽葉(めは)
夏みどり葉わか葉いずる花のごと
夏(なつ)こすわか枝は幹ならむ
夏なりてたゆまずとまらず
夏あゆみそだちて
夏幹は天たかくそだちたり
夏いざいまこそは
夏空(そら)にもえたたむ
夏金色(こがね)の炎
夏さんしょう木

けれども
早朝は本当にはだ寒いのです。

「小さな夏みつけた」から

しだいに「大きな「夏」みつけた」

「大きな「夏」みつけた」から。

そして「大きな大きな「夏」」みつけた。

大きな大きな。

「夏」がきた。

「なつ」「夏」です。

ちょっと「安心する気」が致します。
「夏」がきました。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成21年1月12日(月曜日)
は。
「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ限られた
時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年2月11日(水曜日)
「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。
限られた
時間帯で診療を行います。

はおわりました。

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平成21年3月20日(金曜日)
「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。
限られた
時間帯で診療を行います。

はおわりました。

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平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

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平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

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平成21年7月20日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

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私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
季節の変わり目に「反復性上気道感染」に
なられるかたが多いです。

「世情は不安定」であり何かひとつ
生活しづらい日々を感じられる
かたも多いものです。。

人間は「倒れるまではたっています」。
人間は「冬・春」の旅に(度に)齢を重ねる。

昔の「数え年」は「たいした物」だと思います。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝。

「今日は何の日」は。

ベートーヴェンの。
オリジナルのメトロノーム記号の意義(=60など)を
現代に甦らせた。
最初の英語論文の一つを執筆した音楽家。

1896年 - ルドルフ・コーリッシュ、
ヴァイオリニスト(+ 1978年)
の生誕日です。

++++++++++++++++++++++

ルドルフ・コーリッシュ:Rudolf Kolisch,
1896年7月20日 - 1978年8月1日)は。
オーストリア出身のヴァイオリニストです。
「ウィーン弦楽四重奏団 "Wiener Streichquartett"」
の。

弦楽四重奏団のリーダーです。

教育者や音楽学者としても重要なかたです。

++++++++++++++++++++++

ルドルフ・コーリッシュ:Rudolf Kolischは。
低部オーストリアのクラム(Klamm)出身だが
ウィーンで育ちました。

同名の父親は著名な内科医で、
ウィーン大学の講師でした。

第一次世界大戦後に、ウィーン大学に通うかたわら
ウィーン音楽院にも在籍致しました。

ヴァイオリンをシェフチークに、
作曲をシュレーカーに、
指揮法をシャルクに師事致しました。

当初は指揮者の道を歩むつもりであったのです。

++++++++++++++++++++++

ルドルフ・コーリッシュ:Rudolf Kolischは。

1919年より作曲をシェーンベルクに師事したことから。
間もなくウィーン私的演奏協会
("Verein fur musikalische Privatauffuhrungen in Wien")
の活動に参加させられました。

これがきっかけとなって。
シェーンベルク作品の上演を目的として
「ウィーン弦楽四重奏団 "Wiener Streichquartett"」
を旗揚げ致しました。
多くのリハーサルでシェーンベルク自身の監修を受けました。

一方で同団体は。
シェーンベルクの指導方針に従って。

古典的なレパートリーの演奏にも取り組みました。
1927年までにコーリッシュ四重奏団に改称。

シェーンベルクのほかにも、
ベルクやアントン・ヴェーベルン、バルトークからも
新作を提供されるようになりました。

++++++++++++++++++++++

ルドルフ・コーリッシュ:Rudolf Kolischは。

第二次世界大戦の勃発までにニューヨークに上陸致しました。

当初はコーリッシュ四重奏団の維持に
努めようとするも失敗致しました。

ニュー・スクール大学の教員として。

講座「演奏(音楽の意味の実現)」を担当致しました。

またオットー・クレンペラーと共同で、
学内アンサンブル(室内オーケストラ)を設立致しました。

その最初の演奏会で、
バルトークの
《弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽》
や。
ストラヴィンスキーの《兵士の物語》、
シェーンベルクの《室内交響曲第1番》の。

米国初演を実現させました。

++++++++++++++++++++++

ルドルフ・コーリッシュ:Rudolf Kolischは。
この間に別の室内アンサンブルを準備して、
作曲者自身の指揮による《月に憑かれたピエロ》の
録音に参加。

さらに論文
『ベートーヴェンの音楽における速度と特性
"Tempo and Character in Beethoven's Music" 』
を執筆し、
米国音楽学会ニューヨーク支部に提出致しました。

同論文は。
後に学術雑誌
『ミュージカル・クォータリー "Musical Quarterly"』
誌に掲載されました。

++++++++++++++++++++++

ルドルフ・コーリッシュ:Rudolf Kolischの。

ちなみにこの論文は、
ベートーヴェンのオリジナルのメトロノーム記号の意義を
現代に甦らせた、最初の英語論文の一つでありました。

1944年にウィスコンシン大学に招かれてマディスンに行き、
正教授に迎えられると同時に、
プロ・アルテ弦楽四重奏団のリーダーに就任致しました。

同団体は、
おそらく米国で最初の
大学常駐アンサンブルだったらしいです。

++++++++++++++++++++++

ルドルフ・コーリッシュ:Rudolf Kolischは。

1950年代には再びソリストとして
ヨーロッパで演奏旅行を行いました。

ダルムシュタット夏季現代音楽講習会
(Internationale Ferienkurse fur Neue Musik in Darmstadt)
の講師陣を。

旧友エドゥアルト・シュトイアーマンや
テオドール・アドルノらとともに引き受けました。

1956年に1年間ダルムシュタットに暮らしたのを除けば、
1966年に定年退職を迎えるまでマディスンに過ごしました。

その後はガンサー・シュラーに招かれて
ボストンのニューイングランド音楽院の
室内楽科の主任教授を担当し、
亡くなるまでその地位にありました。

++++++++++++++++++++++

ルドルフ・コーリッシュ:Rudolf Kolischは。

1974年の夏から1977年まで、
ウィーン郊外のメートリンクにて例年開催の
「シェーンベルク講習会」
でも室内楽演奏の教鞭を執りました。

コーリッシュは、
1930年代にピアニストの
ヨセファ・ロサンスカ(Josefa Rosanska, 1904年 - 1986年)

結婚するが、やがて離婚致しました。

1940年代初頭にヴィオラ奏者の
ローナ・フリードマン(Lorna Freedman, 1917年 - 2006年)
と再婚致しました。

コーリッシュの書類は、ハーヴァード大学
ヒュートン図書館の原稿部門に保管されています。

++++++++++++++++++++++

「続きを読む」=>*

++「続きを読むです1」++++++++++++++++++

ルドルフ・コーリッシュ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5

ルドルフ・コーリッシュ:Rudolf Kolisch, 1896年7月20日 - 1978年8月1日)はオーストリア出身のヴァイオリニストで、弦楽四重奏団のリーダー。教育者や音楽学者としても重要である。

低部オーストリアのクラム(Klamm)出身だがウィーンで育つ。同名の父親は著名な内科医で、ウィーン大学の講師だった。第一次世界大戦後に、ウィーン大学に通うかたわらウィーン音楽院にも在籍し、ヴァイオリンをシェフチークに、作曲をシュレーカーに、指揮法をシャルクに師事。当初は指揮者の道を歩むつもりであった。

1919年より作曲をシェーンベルクに師事したことから、間もなくウィーン私的演奏協会("Verein fur musikalische Privatauffuhrungen in Wien")の活動に参加させられる。これがきっかけとなって、シェーンベルク作品の上演を目的として「ウィーン弦楽四重奏団 "Wiener Streichquartett"」を旗揚げし、多くのリハーサルでシェーンベルク自身の監修を受けた。一方で同団体は、シェーンベルクの指導方針に従い、古典的なレパートリーの演奏にも取り組んだ。1927年までにコーリッシュ四重奏団に改称。シェーンベルクのほかにも、ベルクやアントン・ヴェーベルン、バルトークからも新作を提供されるようになる。

第二次世界大戦の勃発までにニューヨークに上陸したコーリッシュは、当初はコーリッシュ四重奏団の維持に努めようとするも失敗し、ニュー・スクール大学の教員として、講座「演奏(音楽の意味の実現)」を担当する。またオットー・クレンペラーと共同で、学内アンサンブル(室内オーケストラ)を設立し、その最初の演奏会で、バルトークの《弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽》やストラヴィンスキーの《兵士の物語》、シェーンベルクの《室内交響曲第1番》の米国初演を実現させる。この間に別の室内アンサンブルを準備して、作曲者自身の指揮による《月に憑かれたピエロ》の録音に参加、さらに論文『ベートーヴェンの音楽における速度と性格 "Tempo and Character in Beethoven's Music" 』を執筆し、米国音楽学会ニューヨーク支部に提出。同論文は、後に学術雑誌『ミュージカル・クォータリー "Musical Quarterly"』誌に掲載された。ちなみにこの論文は、ベートーヴェンのオリジナルのメトロノーム記号の意義を現代に甦らせた、最初の英語論文の一つであった。

1944年にウィスコンシン大学に招かれてマディスンに行き、正教授に迎えられると同時に、プロ・アルテ弦楽四重奏団のリーダーに就任する。同団体は、おそらく米国で最初の大学常駐アンサンブルだったらしい。1950年代には再びソリストとしてヨーロッパで演奏旅行を行い、ダルムシュタット夏季現代音楽講習会(Internationale Ferienkurse fur Neue Musik in Darmstadt)の講師陣を、旧友エドゥアルト・シュトイアーマンやテオドール・アドルノらとともに引き受ける。1956年に1年間ダルムシュタットに暮らしたのを除けば、1966年に定年退職を迎えるまでマディスンに過ごした。その後はガンサー・シュラーに招かれてボストンのニューイングランド音楽院の室内楽科の主任教授を担当し、亡くなるまでその地位にあった。1974年の夏から1977年まで、ウィーン郊外のメートリンクにて例年開催の「シェーンベルク講習会」でも室内楽演奏の教鞭を執った。

コーリッシュは、1930年代にピアニストのヨセファ・ロサンスカ(Josefa Rosanska, 1904年 - 1986年)と結婚するが、やがて離婚し、1940年代初頭にヴィオラ奏者のローナ・フリードマン(Lorna Freedman, 1917年 - 2006年)と再婚した。

コーリッシュの書類は、ハーヴァード大学ヒュートン図書館の原稿部門に保管されている。

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5" より作成

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++

7月20日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/7%E6%9C%8820%E6%97%A5

できごと
514年 - ホルミスダス、ローマ教皇に即位。
1810年 - コロンビアがスペインからの独立を宣言。
1906年 - 日本初の専用線電話サービスが日本銀行と横浜正金銀行本店間で開始。
1933年 - ナチス・ドイツのフランツ・フォン・パーペン副首相とローマ教皇庁のパチェッリ枢機卿(後のローマ教皇ピウス12世)との間でコンコルダート締結。
1944年 - 第二次世界大戦: シュタウフェンベルクドイツ軍大佐を首謀者とするヒトラー暗殺未遂事件起こる。
1945年 - 午前8時13分、アメリカ軍が長岡市左近町の畑に模擬原子爆弾を投下。4人死亡、5人負傷。
1959年 - 関東一円に60台の街頭カラーテレビが設置される。
1969年 - アポロ計画のアポロ11号が、人類史上初めて月に到達。
1971年 - マクドナルド日本1号店が東京銀座の三越内に開店。
1971年 - 国産初の超音速航空機であるT-2が初飛行を行った。
1974年 - 国鉄湖西線山科駅〜近江塩津駅間が開業。
1974年 - 東京都品川区東八潮に船の科学館が開館。
1975年 - 沖縄国際海洋博覧会開催。翌1976年1月18日まで。
1988年 - 北陸自動車道の新潟県-富山県県境区間が開通し全通。
1990年 - 大阪府大阪市港区天保山に水族館「海遊館」が開館。
2001年 - 宮崎駿の映画『千と千尋の神隠し』 が劇場公開。
2003年 - 熊本県水俣市宝川内地区にて土砂災害が発生。土石流により死者15名、負傷者6名。
2004年 - 記録的猛暑。東京都心で39.5℃、千葉県市原市で40.2℃を観測。

誕生日
1304年 - ペトラルカ、詩人(+ 1374年)
1744年 - ジョシュア・クレイトン、医師・政治家(+ 1798年)
1819年(文政2年5月29日) - 徳川斉温、第11代尾張藩主(+ 1839年)
1822年 - グレゴール・ヨハン・メンデル、遺伝学者・修道士(+ 1884年)
1861年(文久元年6月13日)- 白瀬矗、南極探険家(+ 1946年)
1873年 - アルベルト・サントス・デュモン、航空研究家(+ 1932年)
1874年 - グリエルモ・マルコーニ、科学者(+ 1937年)
1896年 - アダチ龍光、奇術師(+ 1982年)
1896年 - ルドルフ・コーリッシュ、ヴァイオリニスト(+ 1978年)
1914年 - 杉浦清、プロ野球選手(+ 1987年)
1915年 - 景浦將、プロ野球選手(+ 1945年)
1924年 - 松登晟郎、大相撲力士(+ 1986年)
1925年 - フランツ・ファノン、思想家・精神科医・革命家(+ 1961年)
1926年 - 黒尾重明、プロ野球選手(+ 1974年)
1927年 - ミヒャエル・ギーレン、指揮者・作曲家
1931年 - 山中恒、児童文学作家
1932年 - 松山昇、プロ野球選手
1935年 - 西尾幹二、評論家・ドイツ文学者
1937年 - 滝沢孝、山口組若頭補佐
1937年 - 緒形拳、俳優(+ 2008年)
1938年 - 尾崎洋二、天文学者
1940年 - 三原新二郎、高校野球指導者
1943年 - 北浜流一郎、株式アドバイザー・作家
1944年 - 田中章、プロ野球選手
1946年 - 井上修、プロ野球選手
1947年 - 津島勝、映画監督
1947年 - カルロス・サンタナ、ギタリスト
1949年 - 間寛平、俳優・タレント
1952年 - 松坂慶子、女優
1952年 - 高浦美佐緒、プロ野球選手
1952年 - 倉持明、プロ野球選手
1953年 - 森口益光、プロ野球選手
1955年 - 八波一起、司会者
1957年 - かおりくみこ、歌手
1958年 - 北島健二、ミュージシャン、ギタリスト(FENCE OF DEFENSE、PEARL)
1958年 - 君波隆祥、プロ野球選手
1962年 - 中川勝彦、俳優、歌手、タレント中川翔子の父(+ 1994年)
1962年 - 山崎賢一、プロ野球選手
1962年 - 玄岡正充、プロ野球選手
1963年 - 森山良二、プロ野球選手
1964年 - 渡瀬ミク、AV女優、裏本モデル
1965年 - 日詰正文、聴覚士、作家
1968年 - 長谷高成泰、野球選手
1969年 - 川島堅、プロ野球選手
1971年 - 佐々木明義、プロ野球選手
1971年 - 江井康胤、野球選手
1973年 - 小川範子、女優・歌手
1974年 - ベンジー・モリーナ、メジャーリーガー
1976年 - はなわ、タレント
1977年 - 三都主アレサンドロ、サッカー選手
1978年 - 佳村さちか、歌手、女優、モデル
1979年 - ミクローシュ・フェヘル、サッカー選手(+ 2004年)
1980年 - 東俊介、ミュージシャン(SPLAY)
1980年 - 堤内健、プロ野球選手
1980年 - ジゼル・ブンチェン、スーパーモデル
1980年 - 加藤和恵、漫画家
1980年 - 丹野祐樹、プロ野球選手
1980年 - 三咲舞花、レースクイーン、タレント
1981年 - 由田慎太郎、プロ野球選手
1983年 - 深澤しほ、女優
1984年 - 佐野泰臣、俳優
1984年 - 富松崇彰、バレーボール選手(Vリーグ・東レ・アローズ所属)
1984年 - 山口まゆ、AV女優
1984年 - 鈴木涼子、タレント
1985年 - 折井あゆみ、アイドル
1986年 - ホルヘ・パドロン、野球選手
1988年 - 美咲萌、グラビアアイドル
1989年 - 二階堂大空、声優
1990年 - 川原真琴、ファッションモデル、女優

忌日
1031年 - ロベール2世、フランス王(* 972年)
1156年(保元元年7月2日)- 鳥羽天皇、第74代天皇(* 1103年)
1454年 - フアン2世、カスティーリャ王(* 1405年)
1496年(明応5年6月10日) - 大友政親、戦国大名(* 1444年)
1524年 - クロード・ド・フランス、フランス王フランソワ1世の王妃(* 1499年)
1597年 - ウィレム・バレンツ、航海士・探検家(* 1550年頃)
1616年(元和2年6月7日)- 本多正信、江戸幕府老中・玉縄藩主(* 1538年)
1650年(慶安3年6月22日)- 岩佐又兵衛、絵師(* 1578年)
1716年(享保元年6月2日)- 尾形光琳、日本画家(* 1658年)
1752年 - ヨハン・クリストフ・ペープシュ、作曲家(* 1667年)
1823年(文政6年6月13日)- 石塚龍麿、国学者(* 1764年)
1866年 - ベルンハルト・リーマン、数学者(* 1826年)
1883年 - 岩倉具視、政治家・明治維新の元勲(* 1825年)
1892年 - 松井つね、新選組局長近藤勇の正妻(* 1837年)
1903年 - レオ13世、ローマ教皇(* 1810年)
1908年 - デメトリウス・ビケラス、国際オリンピック委員会初代会長(* 1835年)
1913年 - 林董、第21代外務大臣・逓信大臣(* 1850年)
1923年 - 細川潤次郎、法学者・司法大輔・教育家(* 1834年)
1926年 - フェリックス・ジェルジンスキー、ソビエト連邦の秘密警察創始者(* 1877年)
1927年 - フェルディナンド1世、ルーマニア王(* 1865年)
1937年 - グリエルモ・マルコーニ、科学者(* 1874年)
1944年 - ヴェルナー・フォン・ヘフテン、ドイツ陸軍少尉(* 1908年)
1945年 - ポール・ヴァレリー、詩人・批評家(* 1871年)
1951年 - ヴィルヘルム、ドイツ皇太子(* 1882年)
1959年 - ウィリアム・リーヒ、アメリカ海軍元帥(* 1875年)
1962年 - 暁テル子、歌手(* 1921年)
1968年 - ヨーゼフ・カイルベルト、指揮者(* 1908年)
1973年 - ブルース・リー、武道家・截拳道創始者・映画俳優(* 1940年)
1973年 - ロバート・スミッソン、現代美術家(* 1938年)
1977年 - 藪田貞治郎、化学者(* 1888年)
1983年 - 富松信彦、プロ野球選手(* 1917年)
1987年 - 有島一郎、俳優(* 1916年)
1990年 - セルゲイ・パラジャーノフ、映画監督(* 1924年)
1993年 - ビンス・フォスター、弁護士(* 1945年)
1993年 - 津田恒実、プロ野球選手(* 1960年)
1998年 - 秋野豊、政治学者(* 1950年)
2005年 - ジェームズ・ドゥーアン、俳優(* 1920年)
2005年 - カヨ・マタノ・ハッタ、映画監督(* 1958年)
2007年 - カイ・シーグバーン、物理学者(* 1918年)

記念日・年中行事

海の記念日(日本)
1876年7月20日に明治天皇が東北地方の巡幸を終えて、
軍艦ではなく灯台巡視の汽船によって航海して横浜港に帰港したことに由来し、
1941年に制定。

その後1996年に「海の日」と名前を変えて国民の祝日になった。

祝日法の改正により、2003年から「海の日」は7月の第3月曜日となっている。

修学旅行の日
1899年、日本で初めての修学旅行が行われ、
山梨女子師範学校の生徒達が京都府、奈良県、伊勢への修学旅行へと出発した事に因む。