東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年7月24日(金曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年7月24日(金曜日)

「夏」=「7月」

になりました。

「あおい夏」です。

今は「夏」の。

「夏」の「7月」です。

ふかまる「夏」です。

★★★

今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3.500円

2回法=7.000円

です。

「夏」「7月」です。

昨年。
「秋」になり「9月」がおわり。
「10月」もおわり。
秋の最後の
「11月」「晩秋月」もおわり。
そして「12月」になり「冬」になった。
「12月」もほとんどが過ぎたかな
とおもったら。
12月31日になり。

あっというまに。
「年があらたまりました」。
「春」をすぎて。

そして今「7月」です。

「春」の「3月」「4月」「5月」を

乗り越えて。

「夏」「7月」です。

あまりにも
月日と。
時間と。そして年月のたつ。

その速さに。
恐怖さえをも感じます。

大気は「夏」。

「夏かぜ」は。

夏の「季節風」。

天には「夏」の。

「夏の花」の「はな」。

地には「夏」の。

「夏の花」の「はなびら」。

「夏の花々」の

「夏」。

「夏」のこの時期には。
樹木の「落ち葉」はおちきり。

「落ち葉」は「ぴたり」ととまります。
落葉ぎりぎりまで。

「夏」をすぎての
「みのり」にそなえて。
しっかりと。

強い「夏」の
太陽の陽射しをえるためであるのしょう。

「夏」には。

「夏の花」の花びらが

「夏の花」の「花」が。

花も見ぬうちに。

暗い夜中のあいだに。

「季節風」に。

弓射られて。

朝暗いうちにも。

地に落下しています。

樹木は

「夏」の

「夏木」としてのたたずまいから。

まさしく。

あかるい「夏」の。

主人公としての。

たたずまいに。

なりました。

「夏の花」に。

夏の「季節風」。

「夏」の気配は。

はっきりと。

「まち」の葉木にも感じられます。

この。

「季節風」は。

これから。

「どのようなの風」に。

変化していくのでしょうか。

「7月」の。

「夏の花」の

若花のつぼみが。

「夏の花」の

若花のはなびらが。

たわわにみえます。

「夏の花」のつぼみは。

いつでも咲きそうな。

つぼみばかりです。

白いどんぐりのような。

つぼみです。

昨年の「晩秋」
「金木犀:きんもくせい」の残り香は
とおくから。
「とぼとぼ」と歩いてくるように。
ほのかに漂い。
また「とぼとぼ」と歩き去っていった
ようにいなくなりました。

「夏」の。
「夏の花」の花びらは。

少しずつ遠慮がちにしずかにしずかに蕾膨らみ
少しずつ遠慮がちにしずかにしずかに花咲き
少しずつ遠慮がちにしずかにしずかに花びらが舞う。

「夏」の「あけぼの」の。

空の色が。

まさしくも

「夏」の「空色」

になってきました。

ミルクのはいった

コバルトのような

空色です。

「夏至」がおわりました。

次第に陽ののぼるのは。

すこしづつおそくなり。

陽がくれるのは。

すこしづつはやくなりました。

今は「夏」。

「7月」です。

けれども

「夏至」はもうすぎました。

「春」の。

「3月」「4月」「5月」が去りゆき。

今はみのりの「夏」「7月」です。

あさの04:30AMころは。
くらくあおく
しだいに
そらがラピズラズリから
トルコ石にうつろうように。
そらがしらんできます。

「夏」の季節の気配からは。

まぢかいけれども。
さらに「なにかが深まりゆく」。
そして「夏」の訪れから。

さらにさらに。
深い「夏」に向かい。
そしてさらに。
深い「夏」の向こう側に。
さらなる「秋」の気配の。
あることが。
よくわかります。

川端康成の。

「雪国」の。

トンネルの中から。

「向こう側」は「雪国」。

そして

「雪国」をすぎれば。

そこは「春の国」。

そして。

今は「夏の国」です。

「夏」から先にもトンネル

はあるのでしょうか。

夏池面(いけも)の水面(みずも)
夏おさなき小さなわかみどり
夏なもしらぬ
夏小さな緑の浮き草
夏若草うきつあつまりて
夏つらなり水面(みずも)
夏水面(みずも)をおおいたり
夏水面(みずおも)にて
夏風にきそいてさまよえり
夏ちひさきわらべのごとし
夏池面の水面(みずおも)の。
夏小さきちひさなわかみどり

夏いざいまこそは

夏よき季節にあらむ

夏水面(みずも)なるそら

夏ふと空をみる

夏早朝(はやあさ)に
夏けふもはだのさむけれど
夏ぬくもりのあさ
夏陽のありがたき
夏われあゆむがごと
夏陽はあたかくなりけり
夏葉木は強き木にかわりたり
夏みちをあかるくてらさむ
夏がいだく木
夏はぐくむ木
夏みどり木あおし
夏実りの木紅し(あかし)
夏来(きた)るらむ

道端の冬野草の花もかわいらしい。
春夏秋冬の
前奏曲の旋律が聞こえます。

夏地にも木にも

夏みどり葉ひらき

夏みどり木ときわ木

夏ひろがりて

夏いふことのなし

夏いふことがなし

夏いふことはなし

夏ゆたかなりけり

今年の早朝は異常な寒さです。

気象予報で
「明日は暖かくなる」と聞いても
朝は寒いです。
「毎朝寒い」。
寒いと首都高の自動車も
「寒そうな運転の車」が多いです。

それでも「「夏」はきぬ」。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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++++++++++++++++++++++

平成21年1月12日日(月曜日)は。
元来「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年2月11日(水曜日)は。
元来「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年3月20日(金曜日)は。
元来「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年7月20日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

★★★

今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3.500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

入学式。桜の花。
インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。
再び
「寒さ」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬・春は「厳・春」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の冬場や春はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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草木の周りは。
少しずつ「春夏秋冬」の「四季」を
あゆんでいます。

梅咲き・スミレ咲き。桜咲き。
木々の萌黄から。
眼に青葉。山ほととぎす。そして夏・秋・また冬
がやってくる。

「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬は「厳冬」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の春・冬場はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

感謝・感謝です。

「今日は何の日」は。
『アラビアのロレンス』
(原題: Lawrence and the Arabs, 1934年)
の作家として有名な。

1895年 - ロバート・グレーヴス、詩人・小説家(+ 1985年)
の生誕日です。

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ロバート・グレーヴ
:Robert von Ranke Graves,
1895年7月24日 -1985年12月7日)は。

イギリスの詩人、小説家、評論家です。
グレーヴズ、グレイヴズ表記もあります。

父アルフレッドはダブリン生まれの詩人で、
その父は数学者であると同時に。
オガム文字の権威でもありました。

名前のフォン・ランケはドイツで牧師をしていた
母方の姓であり、
叔父に歴史家のレオポルト・フォン・ランケがいます。

++++++++++++++++++++++

ロバート・グレーヴス
:Robert von Ranke Gravesの経歴

ロンドン南西の郊外、ウィンブルドン生まれ。
ロンドンのチャーターハウス・スクール
(en:Charterhouse School)に入学。
このころからサークルに入って詩作を始めました。

1914年、チャーターハウス・スクール卒業。
オックスフォード大学のセント・ジョンズ・カレッジ
(en:St John's College, Oxford)への入学が決まっていたが。

イギリスがドイツに宣戦布告した
その2日後に従軍志願してフランスに出征致しました。

グレーヴスの自叙伝『さらば古きものよ』によれば、
大学に入るのを先延ばししたかったのとでした。

ドイツがベルギーの中立を犯したことに憤ったのが動機だとも
いわれています。

1915年、戦場で
ジーグフリード・サスーン(en:Siegfried Sassoon)
と親交を結びました。

1916年7月20日、砲弾の破片を受けて重傷を負う。
イギリスの留守宅には戦友から
「名誉ある戦死」と報告されたが一命を取り留め、
帰国して静養致しました。

++++++++++++++++++++++

ロバート・グレーヴス
:Robert von Ranke Graves
は。

1917年1月、自ら望んで戦場復帰。
しかしまた倒れて本国へ送還されました。

後方勤務となりました。
この年の夏から冬にかけて、
ナンシー・ニコルソン(en:Nancy Nicholson)との恋愛が発展
致しました。

1918年1月、ナンシー・ニコルソンと結婚。
このとき22歳。
++++++++++++++++++++++

ロバート・グレーヴス
:Robert von Ranke Graves
は。

同年11月、
第一次世界大戦が終わると、サスーンとともに
反戦詩人として活動を始めました。
この二人にロバート・ニコルズを加えて。

「新しい三銃士」と呼ばれます。

++++++++++++++++++++++

ロバート・グレーヴス
:Robert von Ranke Graves
は。

1919年10月、オックスフォード大学に入学、
1926年に卒業するまでの7年間に12冊の詩集、
5冊の詩論を発表。
また、
在学中にエドマンド・ブランデン、
T・E・ロレンスと知り合いました。

1926年、アーノルド・ベネットやロレンスの推薦を得て
エジプト王立大学の英文学教授となりカイロに赴任
致しました。

1927年、エジプト王立大学を辞任して帰国。このころには
妻ナンシーとの関係が悪化していました。

++++++++++++++++++++++

ロバート・グレーヴス
:Robert von Ranke Graves
は。

1929年5月、ナンシー・ニコルソンと離婚。

二度とイギリスに戻らない覚悟で
地中海西部のマヨルカ島に移住致しました。

この地でアメリカの
女流詩人ローラ・ライディングと親交を結び、
共同で出版業を経営したり、共著を発表する。

1936年、スペイン内戦の影響により、
イギリス人のマヨルカ島退去を命じられ、
3年間、ヨーロッパとアメリカを放浪致しました。

++++++++++++++++++++++

ロバート・グレーヴス
:Robert von Ranke Graves
は。

1939年、第二次世界大戦が勃発すると、
イギリスに帰国して歩兵部隊に志願。

しかし、軍当局からは後方勤務を命じられました。
戦後、再びマヨルカ島に戻り、永住。

グレーヴスの詩が認められ始めたのは、
このころからです。

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ロバート・グレーヴス
:Robert von Ranke Graves
は。

1954年、王立人類学協会の特別会員に選ばれ、
1955年まで2年間、ケンブリッジ大学で詩を講義
致しました。

1961年2月、
オックスフォード大学の詩学教授となりました
(1966年まで)。

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主な著書

詩集
Over the Brazier (1916年) グレーヴス最初の詩集。
Collected Poems (1938年)

『この私、クラウディウス』
(原題: I, Claudius 1934年) 
多田智満子・赤井敏夫訳、みすず書房。
ローマ皇帝クラウディウスによる自伝のスタイルをとった小説。
続編に『神、クラウディウスとその妻メッサリーナ』
(Claudius the God and His Wife Messalina) がある。

自叙伝・評伝
『さらば古きものよ』(原題: Goodbye to All That, 1929年) 
工藤政司訳、岩波書店。自叙伝。

『アラビアのロレンス』
(原題: Lawrence and the Arabs, 1934年) 
小野忍訳、平凡社ライブラリー。
親交のあったトーマス・エドワード・ロレンスの評伝。

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ロバート・グレーヴス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%B9

ロバート・グレーヴス:Robert von Ranke Graves, 1895年7月24日 -1985年12月7日)はイギリスの詩人、小説家、評論家。グレーヴズ、グレイヴズ表記もある。

父アルフレッドはダブリン生まれの詩人で、その父は数学者であると同時にオガム文字の権威でもあった。名前のフォン・ランケはドイツで牧師をしていた母方の姓であり、叔父に歴史家のレオポルト・フォン・ランケがいる。

目次
1 経歴
2 主な著書
2.1 詩集
2.2 小説
2.3 自叙伝・評伝
2.4 神話研究
3 参考書籍

経歴
ロンドン南西の郊外、ウィンブルドン生まれ。ロンドンのチャーターハウス・スクール(en:Charterhouse School)に入学。このころからサークルに入って詩作を始めた。
1914年、チャーターハウス・スクール卒業。オックスフォード大学のセント・ジョンズ・カレッジ(en:St John's College, Oxford)への入学が決まっていたが、イギリスがドイツに宣戦布告したその2日後に従軍志願してフランスに出征する。グレーヴスの自叙伝『さらば古きものよ』によれば、大学に入るのを先延ばししたかったのと、ドイツがベルギーの中立を犯したことに憤ったのが動機だという。
1915年、戦場でジーグフリード・サスーン(en:Siegfried Sassoon)と親交を結ぶ。
1916年7月20日、砲弾の破片を受けて重傷を負う。イギリスの留守宅には戦友から「名誉ある戦死」と報告されたが一命を取り留め、帰国して静養する。
1917年1月、自ら望んで戦場復帰。しかしまた倒れて本国へ送還され、後方勤務となる。この年の夏から冬にかけて、ナンシー・ニコルソン(en:Nancy Nicholson)との恋愛が発展する。
1918年1月、ナンシー・ニコルソンと結婚。このとき22歳。同年11月、第一次世界大戦が終わると、サスーンとともに反戦詩人として活動を始め、この二人にロバート・ニコルズを加えて「新しい三銃士」と呼ばれる。
1919年10月、オックスフォード大学に入学、1926年に卒業するまでの7年間に12冊の詩集、5冊の詩論を発表。また、在学中にエドマンド・ブランデン、T・E・ロレンスと知り合う。
1926年、アーノルド・ベネットやロレンスの推薦を得てエジプト王立大学の英文学教授となり、カイロに赴任。
1927年、エジプト王立大学を辞任して帰国。このころには妻ナンシーとの関係が悪化していた。
1929年5月、ナンシー・ニコルソンと離婚。二度とイギリスに戻らない覚悟で地中海西部のマヨルカ島に移住する。この地でアメリカの女流詩人ローラ・ライディングと親交を結び、共同で出版業を経営したり、共著を発表する。
1936年、スペイン内戦の影響により、イギリス人のマヨルカ島退去を命じられ、3年間、ヨーロッパとアメリカを放浪する。
1939年、第二次世界大戦が勃発すると、イギリスに帰国して歩兵部隊に志願。しかし、軍当局からは後方勤務を命じられる。戦後、再びマヨルカ島に戻り、永住。グレーヴスの詩が認められ始めたのは、このころからである。
1954年、王立人類学協会の特別会員に選ばれ、1955年まで2年間、ケンブリッジ大学で詩を講義する。
1961年2月、オックスフォード大学の詩学教授となる(1966年まで)。

主な著書

詩集
Over the Brazier (1916年) グレーヴス最初の詩集。
Collected Poems (1938年)

小説
『この私、クラウディウス』(原題: I, Claudius 1934年) 多田智満子・赤井敏夫訳、みすず書房。ローマ皇帝クラウディウスによる自伝のスタイルをとった小説。続編に『神、クラウディウスとその妻メッサリーナ』(Claudius the God and His Wife Messalina) がある。

自叙伝・評伝
『さらば古きものよ』(原題: Goodbye to All That, 1929年) 工藤政司訳、岩波書店。自叙伝。
『アラビアのロレンス』(原題: Lawrence and the Arabs, 1934年) 小野忍訳、平凡社ライブラリー。親交のあったトーマス・エドワード・ロレンスの評伝。

神話研究
『ギリシア神話』(原題: The Greek myths, 1955年) 高杉一郎訳、紀伊國屋書店。この分野での代表作。
『抄訳・ギリシア神話』(原題: Greek gods and heroes, 1960年) 椋田直子訳、PHP研究所。子供向けの内容。

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7月24日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/7%E6%9C%8824%E6%97%A5

できごと
930年(延長8年6月26日)- 清涼殿落雷事件が起こる。
1216年 - チェンチオ・サヴェッリがローマ教皇ホノリウス3世(en:Pope Honorius III)となる。
1847年 - ブリガム・ヤング率いる末日聖徒イエス・キリスト教会の信徒がソルトレイクシティに到着、教会の本拠を置く。
1864年 - 南北戦争: 第二次カーンズタウンの戦いが行われる。
1866年 - レコンストラクション: テネシー州がアメリカ連合国諸州ではじめてアメリカ合衆国に復帰した。
1907年 - 第三次日韓協約が締結される。
1908年 - ロンドンオリンピック (1908年): 男子マラソンでドランド・ピエトリが係員の助けを借りて最初にゴールに辿り付いたが、失格となり2着のジョニー・ヘイズが金メダルとなる。
1911年 - ハイラム・ビンガムがマチュ・ピチュ遺跡を発見する。
1923年 - ローザンヌ条約が締結される。
1924年 - パリで国際チェス連盟が発足する。
1927年 - 小説家芥川龍之介が服毒自殺する。遺著として『或阿呆の一生』などが見つかった。
1929年 - 日本が不戦条約を批准する。
1936年 - 三河鉄道(現在の名鉄蒲郡線)が開業。
1938年 - ドイツ・オーストリアの登山隊がアイガー北壁初登頂に成功する。
1943年 - 第二次世界大戦: ハンブルク空襲(ゴモラ作戦)がはじまる。
1950年 - パンパー8がケープカナベラル空軍基地から打ち上げられた初のロケットになる。
1969年 - アポロ11号が地球に帰還。
1972年 - 四日市ぜんそく訴訟で津地方裁判所が原告勝訴の判決を下す。
1974年 - 当時大関の北の湖が史上最年少(21歳2か月)で第55代横綱昇進。
1974年 - ウォーターゲート事件: アメリカ最高裁がニクソン大統領と首席補佐官が事件対策を話しあう様子がおさめられた録音テープの引渡しを大統領側に命じる判決を出す。
1983年 - 音楽ファンの間で伝説とされる大滝詠一、RATS&STAR、サザンオールスターズによる『ALL NIGHT NIPPON SUPER FES. '83』が開催される。
1989年 - 北海道旭岳にて倒木で作られたSOSの文字が発見される(SOS遭難事件)。
2001年 - 元ブルガリア王シメオン・サクスコブルクゴツキがブルガリア首相に就任する。
2005年 - ランス・アームストロングがツール・ド・フランス7連覇を達成する。
2008年 - 岩手県沿岸北部地震が発生。青森県八戸市などで最大震度6弱を観測。

誕生日
1190年 - 耶律楚材、モンゴル帝国の重臣(+ 1244年)
1759年 - ヴィットーリオ・エマヌエーレ1世、サルデーニャ王(+ 1824年)
1783年 - シモン・ボリバル、政治家(+ 1830年)
1802年 - アレクサンドル・デュマ(父)、小説家(+ 1870年)
1813年 - アドルフ、ルクセンブルク大公(+ 1905年)
1820年(文政3年6月15日)浜口梧陵、実業家・社会事業家(+ 1885年)
1857年(安政4年6月4日) - 後藤新平、政治家(+ 1929年)
1860年 - アルフォンス・ミュシャ、グラフィックデザイナー(+ 1939年)
1864年 - フランク・ヴェーデキント、劇作家(+ 1918年)
1878年 - ロード・ダンセイニ、作家(+ 1957年)
1886年 - 谷崎潤一郎、小説家(+ 1965年)
1895年 - ロバート・グレーヴス、詩人・小説家(+ 1985年)
1900年 - ゼルダ・フィッツジェラルド、作家(+ 1948年)
1901年 - 中村草田男、俳人(+ 1983年)
1904年 - 平塚武二、児童文学者(+ 1971年)
1918年 - ルッジェーロ・リッチ、ヴァイオリニスト
1922年 - 石丸進一、プロ野球選手(+ 1945年)
1922年 - 藤井道夫、プロ野球選手(+ 2007年)
1929年 - 小黒八七郎、医師・内科学者(+ 1997年)
1930年 - 雨森雅司、声優・俳優(+ 1984年)
1932年 - 長沢工、天文学者
1936年 - 石井一二、政治家
1936年 - マイク・ソロムコ、プロ野球選手
1940年 - 一枝修平、プロ野球選手
1945年 - 高田繁、プロ野球選手・監督
1946年 - 河野裕子、歌人
1947年 - 木森敏之、作曲家(+ 1988年)
1948年 - 青池保子、漫画家
1949年 - 蕨和雄、実業家及び千葉県佐倉市長
1951年 - 松島英雄、プロ野球選手
1952年 - ガス・ヴァン・サント、映画監督
1955年 - 梅津秀行、声優
1956年 - 松沼雅之、プロ野球選手
1957年 - 島貫省一、プロ野球選手
1957年 - 伊戸のりお、作曲家
1957年 - 大原徹也、プロ野球選手
1959年 - 原恵一、アニメーション監督
1960年 - 中丸三千繪、オペラ歌手
1962年 - 久保田利伸、歌手
1963年 - 河合奈保子、歌手、女優
1963年 - カール・マローン、バスケットボール選手
1964年 - よしもとばなな、小説家
1964年 - バリー・ボンズ、メジャーリーガー
1966年 - 植草克秀、歌手、俳優
1966年 - マーティン・キーオン、サッカー選手
1967年 - 福原直英、アナウンサー
1968年 - クリスティン・チェノウェス、歌手・女優
1968年 - 内藤尚行、プロ野球選手
1969年 - ジェニファー・ロペス、歌手、女優
1970年 - 梶山義彦、野球選手
1971年 - 坂本昌行、タレント
1972年 - 魁皇博之、力士
1972年 - 横尾要、プロゴルファー
1973年 - 中村紀洋、プロ野球選手
1973年 - フェリックス・ペルドモ、プロ野球選手
1974年 - you、ミュージシャン
1974年 - 岡里明美、バスケットボール選手
1975年 - 福山正和、プロスノーボーダー、ファッションモデル
1976年 - 小関竜也、プロ野球選手
1976年 - 須藤理彩、女優
1976年 - 蒋澎龍、卓球選手
1978年 - 相沢紗世、ファッションモデル
1979年 - ホセ・バルベルデ、メジャーリーガー
1979年 - 野中淳、お笑いタレント(WAGE)
1979年 - リーカ・レトネン、バレーボール選手
1980年 - 合田悟、ミュージシャン(ランクヘッド)
1980年 - 森勇介、サッカー選手
1980年 - 北村宏司、騎手
1981年 - 野村宏之、プロ野球選手
1982年 - 嵯峨百合子、ミス日本
1982年 - アンナ・パキン、女優
1982年 - 浅倉一男、歌手、俳優
1983年 - 水川あさみ、女優
1983年 - 相原勝幸、プロ野球選手
1983年 - 門田幸子、声優
1984年 - hiroko(mihimaru GT)、ミュージシャン
1985年 - 金森敬之、プロ野球選手
1986年 - 舞衣子、ミュージシャン
1986年 - 塩澤英真、俳優
1988年 - 伊藤翔、サッカー選手
1988年 - 澤田陵輔、名古屋ジャニーズJr.

忌日
1115年 - マティルデ・ディ・カノッサ、トスカーナ女伯(* 1046年頃)
1129年(大治4年7月7日)- 白河天皇、日本の第72代天皇(* 1053年)
1568年 - カルロス(ドン・カルロ)、アストゥリアス公(* 1545年)
1589年(天正17年6月12日) - 上井覚兼、戦国時代の島津氏家臣(* 1545年)
1618年(元和4年6月3日)- 鍋島直茂、戦国武将(* 1538年)
1739年 - ベネデット・マルチェッロ、作曲家(* 1686年)
1748年(延享5年6月29日)- 牧野忠敬、第6代越後長岡藩主(* 1729年)
1755年(宝暦5年6月16日)- 島津重年、第7代薩摩藩主(* 1729年)
1770年(明和7年閏6月2日)- 藤堂高悠、第8代津藩主(* 1751年)
1826年(文政9年6月8日)- 阿部正精、江戸幕府老中・第5代備後福山藩主(* 1775年)
1838年 - フレデリック・キュヴィエ、動物学者(* 1773年)
1852年(嘉永5年6月8日)- 真田幸貫、江戸幕府老中・第8代松代藩主(* 1791年)
1856年(安政3年6月23日)- 喜多村信節、国学者(* 1783年)
1862年 - マーティン・ヴァン・ビューレン、第8代アメリカ合衆国大統領(* 1782年)
1910年 - アルヒープ・クインジ、画家(* 1842年)
1924年 - ジェームズ・セス、哲学者(* 1860年)
1927年 - 芥川龍之介、小説家(* 1892年)
1932年 - 日高壮之丞、日本海軍の大将(* 1848年)
1934年 - ハンス・ハーン、数学者(* 1879年)
1936年 - ゲオルク・ミヒャエリス、ドイツ国首相(* 1857年)
1952年 - リカルト・ヨハンソン、フィギュアスケート選手(* 1882年)
1957年 - サシャ・ギトリ、劇作家・映画監督(* 1885年)
1968年 - 山口保治、作曲家(* 1901年)
1969年 - ヴィトルド・ゴンブローヴィッチ、小説家・劇作家(* 1904年)
1969年 - ケン・オバーリン、プロボクサー(* 1910年)
1971年 - アラン・ロースソーン、作曲家(* 1905年)
1974年 - ジェームズ・チャドウィック、物理学者(* 1891年)
1979年 - 天津敏、俳優(* 1921年)
1980年 - ピーター・セラーズ、コメディアン・喜劇俳優(* 1925年)
1985年 - たこ八郎、プロボクサー・コメディアン(* 1940年)
1986年 - フリッツ・アルベルト・リップマン、生化学者(* 1899年)
1986年 - 鶴田義行、水泳選手(* 1903年)
1989年 - 宇多川勝太郎、大相撲力士(* 1939年)
1991年 - アイザック・バシェヴィス・シンガー、小説家(* 1902年)
1992年 - アルレッティ、女優・歌手(* 1898年)
1994年 - 橋本宇太郎、囲碁棋士(* 1907年)
1995年 - ジョージ・ロジャー、写真家(* 1908年)
1997年 - ソウ・マウン、ミャンマーの指導者(* 1928年)
2000年 - オスカー・シュムスキー、ヴァイオリニスト(* 1917年)
2001年 - 円谷浩、俳優(* 1964年)
2002年 - 黒田了一、大阪府知事・法学者(* 1911年)
2003年 - ジョン・シュレシンジャー、映画監督(* 1926年)
2003年 - 岩田暁美、スポーツ記者(* 1961年)
2006年 - ハインリヒ・ホルライザー、指揮者(* 1913年)
2006年 - 堀井数男、プロ野球選手(* 1923年)
2007年 - アルバート・エリス、臨床心理学者(* 1913年)
2008年 - ノーマン・デロ=ジョイオ、作曲家(* 1913年)
2008年 - ランディ・パウシュ、計算機科学者・教育者(* 1960年)

記念日・年中行事
河童忌(日本)
芥川龍之介の命日。

Simon Bolivar Day(エクアドル、ベネズエラ)
南米の独立運動を指導したシモン・ボリバルの誕生日であることから。

土用の丑の日 - 2008年

劇画の日
1964年(昭和39年)、
青林堂が劇画雑誌『ガロ』を創刊した。
白土三平の『カムイ伝』を始め、水木しげる、つげ義春等が登場し、
大人向けの劇画ブームの拠点になった。