東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年7月26日(日曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年7月26日(日曜日)

平成21年の「7月」に。

なりました。

平成21年の。

「春」の「3月」「4月」「5月」が。

おわり。

「夏」の「7月」になりました。

とてもとても。

とても。

早朝の「強い陽射し」が。

続いています。

青い「夏」の「7月」です。

「夏」がきた。

「なつ」がきた。

どこに来た。

「山」にきて。

「里」にきて。

「野」にきて。

「夏」は。

「まち」にもやってきました。

今年の「冬」・から「春」は予期せぬ

インフルエンザ*の

大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。

薬事法の「能書」にあるとおり

「正規の」

「2回法によるインフルエンザワクチン」の

予防接種をおすすめいたします。

常時いつでも接種可能です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

昨年の。
冬間近くの。
さらなる前に。

「晩秋」>のころ。

「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」の。
花の蕾が淡い黄金色にかがやいて。
が見えてから「10日間」で。
花は去りました。
黄金色のじゅうたんが毛氈(もうせん)ように。
地面「金色」に広がりました。

「昨年」の。
「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」に続いて。
「銀木犀:きんもくせい」もプラチナ色の
花が咲き始めました。

「昨年」の。
「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」のあとを追って。
「銀木犀:きんもくせい」の花は去り。
地面に「プラチナ」が一面に広がっていました。

「夏」の「7月」

今は私の「大好き」な。

「夏の草花」の

の「蕾(つぼみ)」と。

「わかば」と。

「夏」の樹木の。

「花」のふくらむ季節。

そして「木々の若葉」の季節。

「夏の花」と「みどりの若葉」

「みどり」「若草いろ」の。

季節になりました。

私の「大好き」な萌え出づる「わかば」。

「夏」の若葉の。

美しい季節になりました。

そしていろいろな。

「夏」の木々の花ひらき咲く季節。

夏花(はな)と夏若葉(わかば)と。

あおい夏若草(わかくさ)の。

ワルツの季節になりました。

発花 発若葉

山本クリニックの庭園は。

大昔は。

雑木林であったのです。

「野生」の。

「やまぶき」や。

「やぶつばき」や。

「季節の花さく木々」が。

とても沢山。

群生してはえています。

日々の毎日にどんどんと。

みるみるうちに。

「夏の花」が。

つぼみや「花」を大きくしています。

けれども「夏の花」は。

蕾が大きくなったそのよるには。

花咲き。

暗い朝にちっていることが。

すくなくありません。

なつ花は

ぬばたまの

暗き闇夜に

なつ嵐の

風に弓射られて

花ぞ舞い散る

なつはなは

ぬばたまの

くらきやみよに

なつかせの

かせにいられて

はなそまいちる

「夏の花」は。
早朝には「白鷺の羽」
のように地面に
舞い降ちています。

昨年の。
「晩秋」
「木犀:もくせい」の花の
「芳香」は蕾のみえるまえから
あります。
花が去ったあとは
「あっというまに芳香が消えます」。

「晩秋」の
「木犀:もくせい」たちのかおりがさり。

「夏」になり。

「7月」。

あおばとともに。

つぼみを日々。

大きくしている。

「夏の花」。

「みかん」と「からたち」

青い実のふくらむ季節。

「夏」の「7月」。

そして。

「夏の花」や。

「あおいみかんのみ」

をみまもるのは。

「みかんの木」の。

まだなったままの。

昨年の

「まるいみかん」の

「丸い群れ」。

「円いみかん」は。

「丸くたわわに実り」。

まるで。

「ぶどうのふさ」のようです。

昨年の果実です。

まだ樹木にみのりつづけ。

おちません。

一方今年の「果実」の。

あおいちいさな実も。

はなのあとに実りはじめました。

兄弟同士(姉妹同士)

お互いに。

「はなことば」で話しをしているに

ちがいありません。

私は山茶花(さざんか)よりは。

「やぶつばき」がずっとすきです。

山本クリニックの庭園には。

いずれも。

野生の「やぶつばき」と

野生の「山茶花(さざんか)」ばかりです。

野生の「すみれ」も珍しい品種がはえています。

堂々たる。

「夏かぜ」と「夏吹雪:なつふぶき」

が吹いています。

「夏」になりました。

「夏」がはじまりました。

「あかるくて」

とてもよいです。

「夏」がふかまり。

「もっと深い「夏」」の。

トンネルをこえれば。

そこは「里山の「夏」」です。

「夏吹雪:なつふぶき」は

遠くの蒸気機関車の鳴き声のように

聞こえます。

また次に「夏から先」への。

「トンネル」があることも

わかります。

夏樹の妖精の吹くフルート

のよう。

そして。

「夏吹雪:なつふぶき」をなだめるように。

「樹木の穂先」が舞います。

「樹木の穂先」のほうが「役者」は上。

「夏吹雪」は突如(とつじょ)天から舞い降り

るように。

吹きます。

「夏」の陽射しはまばゆいサマーライト。

ひかりのかがやく「夏」になりました。

星のかがやく「夏」になりました。

きょうは。
とてもとても寒い。

「夏吹雪:なつふぶき」の声は

「夏かぜ」のふく音は。

「夏」の女神たちの。

笛ふく。

なつかぜのワルツ。

わかばのワルツ。

なつは。

いまは。

モデラート・マ・ノン・トロッポ。

フオルテです。

最近は
朝くらい早朝には「星がみえます」。
「明けの明星」の金星が南の空に高くみえます。

病院の明かりが灯り暗闇のなか。
朝はやく。

「明けの明星」の金星に「おはよう」を
毎日こえで「御挨拶」を伝えます。
「明けの明星」の金星から「おはよう」と
返事がかえってくる声をききながら。
病院の明かりをともします。
まだ真っ暗なのですが。

夏場の早朝のくらい時には。
明星はみえずらかった。
季節が「冬から「春」へとあゆみ」。
今は「夏」。

いよいよ。
大気が「澄んできた」ということでしょう。

夏霧雨(なつきりさめ)の。

夏霞(なつかすみ)の大気。

「夏吹雪:なつふぶき」の「音」。

「ろうろう」「こうこう」

「夏かぜ」の鳴き声

「ろうろう」「こうこう」

「夏吹雪:なつふぶき」の。

鳴き声とともに。

「夏一番」の「夏のしらべ」が。

あわせきこえます。

「どれみふあ」「そらしど」

朝暗いうちの「なつかぜ」の合唱は。

「夏」の「ふうりん」のようです。

あれ沢山の「ふうりん」かな。

「夏」の「ふうりん」の音色です。

「ろうろう」。

さやかにやさくも「あたたかい音」です

「こうこう」

わびわびと。

「蜜蜂をよんでいる音」です。

「蜜蜂」のはぜる元気な「音」から

「夏」のおとずれが。

わかります。

「あおば」のおとずれが。

わかります。

「ススキの穂先」は
そぞろに「夏」の今年の芽栄え。

そして「夏」の旅愁すら
をも感じさせます。

ススキの茎の「穂先」には。

「「夏」ふくろう」が。

何匹も集ってつどい。

何匹ものふくろうが。

皆で何かを真剣に。

考えているように。

みえます。

夏くれば

緑葉いずる

夏すすき

葉いづるときは

秋ちかからむ

「ススキの葉先」は。

「しあわせと幸福を手招き」

している

何本もの「手」のように。

みえます。

エドヴァルド・ムンク:Edvard Munch

の「夏」の絵画のようです。

私も「日々を旅ゆく人間」です。

奥の細道の序文に松尾芭蕉が。

「月日は百代の過客(ひゃくたいのかかく)
にして行かふ年も又旅人也。」

「つきはひゃくたいのかかくにして
いきかふとしもまたたひひとなり」

とかたり。詠みました。

私は

「日々の月日」に。

道連れをさせていただき。

「時」を旅をする

「旅人(たびびと)」

のひとりです。

「日々月日の旅のつれあい」は。

私には。

「きょう」と。「あす」しか。

ありません。

「きょう」と。「あす」しか。

私にはありません。

「きのう」はありません。

朝くらいとき。
陽の出の直後は。
いつも一瞬は晴れています。
いまだ かすかにも。
のこる「夏」の気配
であるけれども。

あきらかに。
そしてしっかりと。
しのびよるもっともっと奥の。
深く深まる「夏のおとづれ」からの大気。

もっと。
「あつい「夏」」の気配が。
「確かに」。
そして明らかに。
そして輪郭もはっきりと。

感じられるようになりました。

「7月」。

もう「夏」です。

そして「緑の青葉」の「7月」

をむかえました。

はやいものです。
速いものです。
早いものです。

街路樹もそうそうたる
羽振りの木々から
「はじまりゆく「夏」の樹木」にうつろうように
変化しています。

「夏」。
「樹木の若葉の芽生え」があることに
気がつきました。

春の芽吹くときには。
街路樹のポプラも
幹や枝葉の穂先が。
ろうそくのともしびのように。
「炎の様」になっています。
あたかも
ゴッホの描いた「夜の糸杉」のように。
夏の早朝にみえます。

夏になり。
この「穂先」が一気に「ポプラの葉」へと
扇・おおぎのごとく開きました。

フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「夜の糸杉」から。
フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「ひまわり」
のように。
一斉に開きます。
8月にはいってからのことです。

10月そして11月。

今は「晩冬」の「2月」がおわり。

「春」の「3月」「4月」「5月」がおわり。
「夏」の「7月」。

今現在は落ち着いた「夏」の葉木。
「夏」の木々の「葉」
へと。
そしてふかまる「夏」の木々の「幹:みき」へと。

ふかまる「みのりの夏」にむけて。
「あつく」うつろいています。

ポプラも。つばきもくすのきも。
レースのハンカチをふるように
「「夏」のわかば」の「めばえ」がみえます。
窓越しにもみえます。

今は「「夏」のわかば」の「めばえ」は
とても大きくなりました。
「夏」の「めばえ」のひろがりです。

「冬がくると」。
空と木枯らしのかなでる「蛍の光」や
「冬のコンチエルト」にあわせるように。

ポプラの葉や芽葉は。
ハンカチのようにふわふわと。
ふわふわと。
「穂先から葉葉」は「舞い振りまがら」
ハンカチは木を去っていきました。

樹木のハンカチは。
大地を訪れて飛翔し。
大地にまいおり大地にもどります。
そして大地となります。

そして。
ポプラの葉や芽葉が。
ハンカチのようにふわふわと。
ふわふわと。
「穂先から葉葉」は「舞い振りまがら」
木を去っていく光景は。
あたかも。

「夜の魔法」「夜のガスパール」

のようです。

そして。

「花の去った枝」には。
「「夏」の若芽のめばえ」
が。
「夏葉」がみえます。

木々の「葉」が「枝や幹」を
「保護する役割をしている」
ことに気づきました。

桜の花の時期とうってかわり
桜の木の公園
の桜の木々は。
夏になりとても獰猛な気配を放つ。

初めて気がつきました。

「晩冬」の「2月」がおわり
「春」になり「3月」「4月「5月」がおわり。
「夏」の「7月」になりました。

「さくら」は春の濃い緑の樹肌になり。
やさしさとおだやかさ
が感じられます。

そしていつしか
幹先に若葉色の葉をもまじえています。
しだいにしだいに。
紅黄色の花が消え若葉にかわりつついくことに
きがつきます。

さくらから。
さくらはのきぬずれのおとが。
きこえるころ
です。

桜の樹木も「丸くなりました」。
桜の樹木も毎年毎年と毎日毎日。
「旅(たび)をしている」のでしょう。

朝陽をあびる落葉樹は
「すべてがあざやかな黄金色」に
かがやきます。
朝陽をしっかりと。
「いうにいわれぬ美しい絵のごとく」
陽射しを受け止めています。

「「夏」の朝陽」は真東に大変鋭いことに
気づきました。
眩しいです。

今はまぶしい「夏」の「あさひ」です。

するどいけれども。

「あたたかいろ」がかんじられます。

春は別として。
桜の木は木の下で。
夏は心安らかに。
「休める木ではないなあ」
と思います。
昨年は
秋になり
桜の樹木も安堵の葉色
になりました。
ちょっとばかりびっくり致しました。

枝や幹からは秋の陽の木漏れ日がみえます。

夏桜の木は獰猛なほど葉をおいしげらせ
ていました。
夏には
桜の木の下で木陰で。心安らかにやすもうという
気はおきません。

いまは「春」から「夏」になりました。
そよかぜに揺れる残り葉は
招き誘われるような気すら致します。

「夏」になり幹にはもう「花は散る」。
ちったあと枝の根元には。
「夏のわかば芽栄え(めばえ)」
若葉がみえます。

けれども
やはり夏桜の木は

シューベルトの歌曲の旋律にある「菩提樹」
ではないのです。

冬の桜木(さくらぎ)。

冬になり

人生に果てて(はてて)

なれるが如く桜樹木はかわりました。

良い木になってきました。

素敵(すてき)です。

冬の桜木(さくらぎ)。

「春」の桜木(さくらぎ)。

「夏」の桜木(さくらぎ)。

木々でも。
いちょうや。松や。杉などの針葉樹
は。またソテツなどは。
「古い時代の木」です。

「チャールズ・ダーウィンの進化論」からは
「針葉樹」から。
「常緑樹」「広葉樹」「落葉樹」にと。
「進化」しているはずです。

「原始的」な樹木ほど。
「硬い幹」です。
例外はありません。

硬ければ。
幹は硬ければ動物に
「かじられる」ことはないでしょう。

いにしえの古代の時代にも。

恐竜をはじめめとする
「大型」の草食動物にも。

かたければかじられることは
なかったでしょう。

街並みを彩る街路樹には「落葉植物」が多いです。

ふと。考える。

街路樹が「松や杉」のように。
「冬も葉を持つ針葉の常緑樹」では。

冬はうっそうとして道端では
やさしい暖かな陽射しをかくしてしまう。

夏場は枝ぶり葉っぱぶりからつよすぎる日の光は
さえぎれません。
そして
「秋」の「夕焼け陽」には。
「金色のちいさき鳥の形して」
秋の夕焼けの陽射しに舞うこともできません。

常緑樹の針葉樹では。
は四季のリズムをつたえる

北大路魯山人のかたる

ことば。

「ざっくり感(ざっくりかん)」

が。

ありません。

木々の夏の萌黄が早朝暗い中でも
うかびあがります。
私はくすのきが「大好き」な「木」の
ひとつです。
ポプラも好きです。
イチョウもすきです。
モミジもすきです。
カエデもすきです。
松や杉もすきです。
月桂樹やシナモンもすきです。
オリーブもすきです。
オレンジの木もすきです。
「そてつ」の木もすきです。
ツバキもすきです。
ソテツもすきです。
南天もすきです。
木や植物がすきです。

木々の穂先は毛氈(もうせん)
のようにあざやかな夏の萌黄色です。
まるで大きな深い山の森のうねりのようです。
今年は木々のわかばの秋のめばえが非常に鮮か
です。
木々は「春樹」の役目をおわりました。
「夏木」とかわろうとしています。
「夏木」とかわりました。

街角の雑草も花は咲きはじめ。
「夏の花」の姿となりそして「夏」を迎える。
「ほとけの座」や「はこべ」が
「かたばみ」や「いたどり」が
ますます姿を大きくして。

そして「すすき」もくわわりました。

冬草から春草へ。
そして気がはやく。
夏草へのたたずまいをしている草もある。
そしてもうすっかり夏草へと黄金色に転した
街角には雑草もあります。
こがねいろ。

雑草も。
同じく花をさかせ自ら種をとばし
夏葉がみえる。
そして秋を迎える。
冬が来て。木枯らしに吹かれ。
雪をかむり。そして。
春がくる。
そしてまた夏。

そして今は。

「夏」。

ツツジは潅木。

ツツジの花の葉の優しさには

あらためてびっくりしました。

黄緑・草色のビロードです。

のぞきこむと若葉はまだ沢山ある。

何故か得をしたように思えました。

そして雨にうたれて

そのまま地に落ちた

ツツジの若葉は

幾何学的に裏側を下にむけて

逆さじょうごのように

落下していることに

気がつきました。

まるで。

「若草色」のきのこが。

沢山はえているようです。

木から落ちても。
まだ「若葉」です。ふと。
ヴェルディの「椿姫」「La Traviata」
の「つばき」を思い出しました。

1852年パリに滞在したヴェルディは
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)
の戯曲版『椿姫』の上演を見て感激し
ました。
そのころ新作の作曲依頼を受けていた
ヴェネツィアのフェニーチェ劇場のために。
翌1853年初めに比較的短時間で作曲された
『椿姫 』(La Dame aux camelias、1848年出版)
は。
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)が
実際の体験を基にして書いた長編小説。
主人公のモデルはかつて作者が交際をしていた
マリー・デュプレシという高級娼婦。
恋人アルマンのイニシャルである
『AD』は
小デュマのイニシャルと同じです。

この作品は人々に愛されて幾度も舞台、映画化され
続けてきました。

朝暗いうちは。

とても。

はださむいです。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックには。
孟宗竹のたけやぶ
があります。
竹はせがたかいから。

クリニック館内からはすこし離れた所にある。
はなれていても。
とおくからもみえます。

山本クリニックには。
検見川の落合遺跡の遺跡発掘の際に
みつかった「古代のハスの種子」から。

2000年ぶりに発芽したことで有名な。
「古代蓮(ハス)」があります*。
【大賀ハス:おおがはす】です。
「有名な古代ハス」です。
とても勇壮なハスで。
花のいろはとてもあまりにも美しく。
たとえ様もありません。

ハスの花がさき。
「「蓮(ハス)」の実」になりました。
「はすの実」も「はす」の葉も。
2mくらい水面から高いところに
あります。

睡蓮(すいれん)があります。
睡蓮(すいれん)は「葉」が水に浮び。
はのきれこみは羊の足のようです。
睡蓮(すいれん)を「ひつじぐさ」とは
なるほどと考える。
睡蓮(すいれん)の茎の長さには
おどろかされます。

「姫睡蓮(ひめすいれん)」でさえも。
池はばが長ければ四方八方に「水の中の枝」。

「モネ」の描いた睡蓮(すいれん)の
「水の中の枝」は「どれほど長いのだろう」。

睡蓮(すいれん)も「太古の時代」に
陸の動物に「かじられないように」
水中に「逃げ込んだ」のでしょう。

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大賀ハス(オオガハス、おおがはす)とは。
1951年(昭和26年)、千葉県千葉市検見川
(現・千葉市花見川区朝日ケ丘町)にある
東京大学検見川厚生農場
(現・東京大学検見川総合運動場)の
落合遺跡で発掘された
今から2000年以上前の古代のハスの実から
発芽・開花したハス(古代ハス)のことです。

戦時中に東京都は燃料不足を補うために
花見川下流の湿地帯に豊富な草炭が埋蔵されていた
「草炭」を採掘していました。

採掘は戦後も継続して行われていました。
1947年(昭和22年)7月28日に作業員が採掘現場でたまたま
1隻の丸木舟と6本の櫂を掘り出しました。

その調査によりもう2隻の丸木舟と
ハスの果托などが発掘されました。

「縄文時代の船だまり」であったと
推測され落合遺跡と呼ばれました。

植物学者でハスの権威者でもある大賀一郎博士
(当時・関東学院大学非常勤講師)が
発掘品の中にハスの果托があることを知り。
1951年(昭和26年)3月ボランティアの協力
を得てこの遺跡の発掘調査を行いました。

翌日で打ち切りという
30日の夕刻になって花園中学校の女子生徒により
地下約6mの泥炭層からハスの実1粒が発掘され予定を延長し
4月6日に2粒、計3粒のハスの実が発掘されました。

大賀博士は5月上旬から発掘された
3粒のハスの実の発芽育成を試みるも2粒は失敗に終わりました。
だが1951年3月30日に出土した1粒が育成に成功致しました。

翌年の1952年(昭和27年)7月18日にピンク色の大輪を咲かせました。
このニュースは国内外に報道されて多いな「驚愕」を与えました。
同年11月17日付米国ライフ誌に「世界最古の花・生命の復活」
として掲載され博士の姓を採って「大賀ハス」と命名されました。

シカゴ大学のリピー博士らによって放射性炭素年代測定が行われました。
ハスの実は今から2000年前の弥生時代以前のものであると推定された。

この古代ハスは、
1954年(昭和29年)6月8日に「検見川の大賀蓮」として
千葉県の天然記念物に指定されました。
また1993年(平成5年)4月29日には千葉市の花として制定され、
現在日本各地は元より世界各国へ根分けされ、
友好親善と平和のシンボルとしてその一端を担っています。

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ふと「パンの神」を思い出しました。
(「牧神パン(Pan)」=「Pan」=「パン」=
「飯(はん)」=「全般の般」=「パンアメリカンのパン」=

「パン」「pan」は「すべて」という意味の
古代ギリシャ語そして「サンスクリット」も同じ。

古典ギリシア語 Παν、Pan「パンの神」は。
幼少時からゼウスから他の神々全て*に好かれたので
(古代ギリシャ語でTheophilusテオフイルス/ラテン語では
amadeus アマデウス**)
「パン」と名づけられました。

「頭は人間で胴体は山羊」です。

「テュホン:テューホーン:Τυφών: Typhon」
ギリシア神話に登場する魔神***。
に追いかけられ
あわてて身を守るため川に飛び込み「頭は人間で胴体は人魚」
に変身したために。

「パニック」=「panic:パン的」
という言葉が生まれました。

星座に「山羊座」という星座があります。

山羊座は不思議ですが
「あわてて身を守るため川に飛び込み
「頭は人間で胴体は人魚」」
に変身した「パンの神」を示しています。
山羊ではありません。

むしろ正確には人魚です。

だから。
「山羊座」という「意味」はわかります。
けれども「命名」の観点から。
「山羊座」というのはかなり「妙」な気が致します。
「人魚座」というのが正しい。

 


名称「パンの神」の由来は「ギリシャ神話」でも
非常に多くの「言い伝え」がいくつがあります。
その「言い伝えの数」に正比例して「混乱」があります。

**
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの
「アマデウス」とは「パンの神」のことです。
(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの
ヴォルフガングは「おおかみが行く」という意味です。
よって
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは

「狼のように歩み神に愛されたモーツアルト」
ということになります)

***
「テュホン:テューホーン:Τυφών: Typhon」は
「台風:たいふう」と日本語では名前を変えています。

****
タイフーン級原子力潜水艦は
旧ソ連・ロシアの941型(プロジェクト941)
戦略ミサイル搭載原子力潜水艦のことです。
タイフーンはそれに付けられたNATOコードネームですが
この名称は日本の「台風」とは「直接関係」はありません。

日曜の

朝晴れて

はじめて気づく

にわの小ささ

にちようの

あさはれて

はじめてきづく

にわのちいささ

朝晴れて

にわの小さき

気づかぬときは

病(やまい)なりけり

日曜の朝

あさはれて

にわのちいさき

きづかぬときは

やまひなりけり

にちようのあさ

葉のつきて。

物心もつく

桜かな

はのつきて

ものこころもつく

さくらかな

休診日ですが。
早朝に朝まだ暗いうちから
首都高を走って病院に到着致します。

空はきらきらのラピス・ラズリの
紺碧のジュースから
ミルク色のはいった
トルコ石の「プリン」に変わるように変化
していきます。

遠くにぽかぽか浮ぶ「雲々」は
トルコ石の「プリン」の上の「クリーム」の
ようです。
にわのあじさいは「アイスクリーム」
のようです。

夏きらきらラピス・ラズリの空(そら)
夏紺碧のカクテルいろの空(そら)
夏ミルクをそそそいだ空(そら)
夏トルコいしのプリンの空(そら)
夏はるかにとほくたかい空(そら)
夏ほかほか浮ぶ雲々(くもぐも)そら
夏プリンの上のクリームのような空(そら)
夏睡蓮(すいれん)の水面に空(そら)
夏睡蓮(すいれん)のうえに空(そら)
夏空(そら)の向こうにまた空(そら)
夏空(そら)そのまたむこうにももっと大きな空(そら)

春のうららのこもれびに

緑木いらかをかぜはやみ

青風ひるむやうつろひの

四季のつきひははやいくとせ

夏のうららのこもれびに

緑木いらかのつねなりて

赤き空(そら)にて炎えたたむ

四季のつきひははやいくとせ

秋のうららのこもれびに

緑木いらかにかぜさやか

秋風かたれるやすらきの

四季のつきひははやいくとせ

冬のうららのこもれびに

緑木いらかにかぜつよし

冬風弓(ゆみ)射る木枯らしの

四季のつきひははやいくとせ

日々のうららのこもれびに

祈想い(おもい)のいらかにかぜつよし

生きる力に祈りはせ

四季のつきひははやいくとせ

やまひのとまやのこもれびに

祈願りの(いのり)のいらかにかぜさみし

やみいるこころに力(ちから)はせ

四季のつきひははやいくとせ

いづるわかばのこもれびに

ひかりのいらかにかぜやさし

おもふこころに瞑想(おもひ)のせ

四季のつきひははやいくとせ

やさしくかたるるこもれびに

あさひのいらかにかぜさむし

ゆれるからだに意思(こころ)つみ

四季のつきひははやいくとせ

かわるるつきひのこもれびに

かたりのいらかにあめさみし

うたれしからだに決意(さだめ)おい

四季のつきひははやいくとせ

ゆめみしあさひのこもれびに

くもまのいらかにつきうすし

いさりてあゆめる未来(のそみ)みし

四季のつきひははやいくとせ

陽(ひ)いでてあふるるこもれびに

もののふいらかにかぜあおし

ひかりてかかやく希望(ねかひ)もて

四季のつきひははやいくとせ

夏椎木(しいのき)は枝高し
夏そらに吼える若葉の穂束
夏そらに吼える蒼き獅子のごとし
夏天にも地にもみどりはさける
夏のあさふかまりて
夏陽の光ゆたかなりけり
夏いふことのなし
夏いふことがなし
夏いふことはなし
夏いふこともなし
夏ゆたかなるかな夏

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成21年1月12日(月曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

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平成21年2月11日(水曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の御予約の。
患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
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平成21年3月20日(金曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の御予約の。
患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

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平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

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平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

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平成21年7月20日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

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★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。
インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がきます。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著であろうと推察されます。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」
であることを懸念しています。
そして気候の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表される。
ウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。
「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。

夜想曲(ノクターン)という
「範疇(カテゴリー)」
の楽曲構成を初めて自ら創作したことで
有名なピアニスト・作曲家。

その形式にとらわれない単一楽章のピアノ作品、
夜想曲(ノクターン)は。

ショパンに大きな影響を与え、
また後のメンデルスゾーン、シューマン、リスト、グリーグら、
ロマン派作曲家の作品の先駆けとなった
ピアニスト・作曲家。

「英国(UK)」の音楽家・ピアニスト
の。

1782年 -
ジョン・フィールド、作曲家(+ 1837年)
の生誕日です。

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ジョン・フィールド:John Field,
1782年7月26日 - 1837年1月23日)は。

19世紀の初めに活動した
アイルランドの作曲家、ピアノ奏者です。

特に最初に「夜想曲」(Nocturne)
を書いた作曲家として知られています。

++++++++++++++++++++++

ジョン・フィールド:John Field。

ダブリンに生まれたフィールドは。

バイオリン奏者の父にピアノの手解きを。
ま、教会のオルガン奏者であった祖父から
音楽の基礎を学びました。

9歳の時に
彼はピアノ奏者として世間への初登場を果たしたとされ
ています。

1792年から
トマソ・ジョルダーニ(Tommaso Giordani、1730 - 1806)
の指導を受けました。

1793年、11歳のフィールドは、
家族と共にロンドンに移住、
作曲家でピアノの製造も手掛けていた
ムツィオ・クレメンティのもとで
学びました。

++++++++++++++++++++++

ジョン・フィールド:John Fieldは。

17歳の頃には彼の最初のピアノ協奏曲の初演が
行われていたといわれています。

1801年に彼の最初のピアノソナタ集が出版されました。
この頃から作曲家としての活動が盛んになりました。

1802年7月に、彼はクレメンティと共にヨーロッパを回り
、パリやウィーンなど各地で名声を博しました。

その後、クレメンティに連れられて
ロシアのサンクトペテルブルクへ移りました。

彼は1803年6月にクレメンティが去った後も、
この地ロシアのサンクトペテルブルクに留まりました。

演奏家として、
また、ピアノの指導者としての
活動を続けました。

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ジョン・フィールド:John Fieldは。

1804年に最初の交響曲を初演致しました。

その後もロシア各地の貴族社会から熱烈に歓迎されました。

一時は「フィールドを知らないことは、罪悪である」
とまで評されていたとされています。

1810年、
28歳のフィールドはモスクワでの教え子の1人であった
アデライデと結婚し、
1819年に アドリアン・フィールドを授かりました。

1815年にはフランス女性との間に
男児 レオン・シャルパンティエ をもうけています。

レオンは後にピアノ奏者となり、
父と共に演奏旅行をしています。

++++++++++++++++++++++

ジョン・フィールド:John Fieldは。

フィールドにとっては
この頃が人生の絶頂期でありました。

この頃の教え子の1人に後に作曲家として知られる
ミハイル・グリンカがいました。

フィールドは、
サンクトペテルブルグとモ
スクワとを行き来する生活を続けていました。

1821年、43歳の時にモスクワへ移り住みました。

この後の10年間はアルコールに溺れ身体を壊し、
また、直腸癌も患い手術も行いました。

1831年に癌の治療も兼ねてロンドンを訪れ、
1832年から翌年にかけてはパリで過ごしました。

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ジョン・フィールド:John Fieldは。

その後、ベルギー、スイス、イタリアへと演奏旅行を続けるが、
体調不良から往時の面影は失せ生活も窮乏致しました。

ロシアの貴族 レイマノフ家 の助力でモ
スクワに戻り1837年に亡くなりました。

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ジョン・フィールド:John Fieldの。

彼の書いた、
それまでの形式にとらわれない単一楽章のピアノ作品、
夜想曲(ノクターン)は。

ショパンに大きな影響を与えました。

また、後のメンデルスゾーン、シューマン、リスト、グリーグら、
ロマン派作曲家の作品の先駆けとなりました。

また1808年、26歳の時にモスクワで出版した
ピアノ連弾曲イ短調は、ロシアの民謡を取り入れたものであり、
当時としては珍しいものであったのです。

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++「続きを読むです1」++++++++++++++++++

ジョン・フィールド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89

ジョン・フィールド:John Field, 1782年7月26日 - 1837年1月23日)は、19世紀の初めに活動したアイルランドの作曲家、ピアノ奏者であり、特に最初に「夜想曲」(Nocturne)を書いた作曲家として知られる。

目次
1 生涯
2 作品
2.1 夜想曲
2.2 ピアノソナタ
2.3 その他のピアノ独奏曲
2.4 ピアノ協奏曲
3 外部リンク

生涯
ダブリンに生まれたフィールドは、バイオリン奏者の父にピアノの手解きを、また、教会のオルガン奏者であった祖父から音楽の基礎を学んだ。9歳の時に彼はピアノ奏者として世間への初登場を果たしたとされ、 1792年から トマソ・ジョルダーニ(Tommaso Giordani、1730 - 1806)の指導を受けた。

1793年、11歳のフィールドは、家族と共にロンドンに移住、作曲家でピアノの製造も手掛けていた ムツィオ・クレメンティのもとで学んだ。17歳の頃には、彼の最初のピアノ協奏曲の初演が行われていたといわれており、1801年に彼の最初のピアノソナタ集が出版され、この頃から作曲家としての活動が盛んになった。

1802年7月に、彼はクレメンティと共にヨーロッパを回り、パリやウィーンなど各地で名声を博した。その後、クレメンティに連れられてロシアのサンクトペテルブルクへ移り、彼は1803年6月にクレメンティが去った後も、この地に留まり演奏家として、また、ピアノの指導者としての活動を続けた。1804年に最初の交響曲を初演し、その後もロシア各地の貴族社会から熱烈に歓迎され、一時は「フィールドを知らないことは、罪悪である」とまで評されていたとされる。

1810年、28歳のフィールドはモスクワでの教え子の1人であったアデライデと結婚し、1819年に アドリアン・フィールド を授かる。1815年にはフランス女性との間に男児 レオン・シャルパンティエ をもうけており、レオンは後にピアノ奏者となり、父と共に演奏旅行をしている。フィールドにとって、この頃が人生の絶頂期であり、この頃の教え子の1人に後に作曲家として知られる ミハイル・グリンカがいた。

フィールドは、サンクトペテルブルグとモスクワとを行き来する生活を続けていたが、1821年、43歳の時にモスクワへ移り住んだ。この後の10年間はアルコールに溺れ身体を壊し、また、直腸癌も患い手術も行った。1831年に癌の治療も兼ねてロンドンを訪れ、1832年から翌年にかけてはパリで過ごした。その後、ベルギー、スイス、イタリアへと演奏旅行を続けるが、体調不良から往時の面影は失せ生活も窮乏、ロシアの貴族 レイマノフ家 の助力でモスクワに戻り1837年に亡くなった。

彼の書いた、それまでの形式にとらわれない単一楽章のピアノ作品、夜想曲(ノクターン)は、ショパンに大きな影響を与え、また、後のメンデルスゾーン、シューマン、リスト、グリーグら、ロマン派作曲家の作品の先駆けとなった。また1808年、26歳の時にモスクワで出版したピアノ連弾曲イ短調は、ロシアの民謡を取り入れたものであり、当時としては珍しいものであった。

作品

夜想曲
第1番 変ホ長調 (1812年)
第2番 ハ短調 (1812年)
第3番 変イ長調 (1812年)
第4番 イ長調 (1817年)
第5番 変ロ長調 (1817年)
第6番 ヘ長調 (1817年)
第7番 ハ長調 (1821年)
第8番 イ長調 (1821年)
第9番 ホ長調 (1816年)
第10番 ホ短調
第11番 変ホ長調 (1833年)
第12番 ト長調 (1834年)
第13番 ニ短調 (1834年)
第14番 ハ長調 (1835年)
第15番 ハ長調 (1834年)
第16番 ヘ長調
第17番 ホ長調 (1832年)
第18番 変ロ長調 「真昼」
注: これらの番号は出版社により異なっており、一意なものでは無い。第8番と第9番は最初、「ロマンス」の題で発表されたが、後に作曲者自身によって改題された。また、「真昼」は、本来は夜想曲ではなかったが出版社によって「夜想曲」と題されたとされる。フィールドの作曲した夜想曲の正確な数は、はっきりしていない。

ピアノソナタ
第1番 変ホ長調 Op.1-1(1801年)
第2番 イ長調 Op.1-2(1801年)
第3番 ハ短調 Op.1-3(1801年)
第4番 ロ長調 (1813年)

その他のピアノ独奏曲
ロマンス ハ短調
パストラール イ長調 (1816年)
パルトラール ホ長調

ピアノ協奏曲
第1番 変ホ長調 (1799年)
第2番 変イ長調 (1816年)
第3番 変ホ長調 (1816年)
第4番 変ホ長調 (1814年)
第5番 ハ長調 「嵐の中の火事」(1817年)
第6番 ハ長調 (1819年)
第7番 ハ短調 (1822年)

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++

7月26日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/7%E6%9C%8826%E6%97%A5

できごと
811年 - 東ローマ帝国(ビザンツ帝国)皇帝ニケフォロス1世が殺害され、息子のスタウラキオスは重傷を負う。
1788年 - ニューヨーク州がアメリカ合衆国に加入。11番目の州となる。
1847年 - リベリアが独立。
1866年 - プロイセン王国とオーストリア帝国がニコルスブルク仮条約を締結。
1882年 - リヒャルト・ワーグナーのオペラ「パルジファル」の初演がバイロイト祝祭劇場で行われる。
1887年 - ルドヴィコ・ザメンホフが作ったエスペラントの最初の学習書Unua Libroが出版される。
1908年 - FBI設立。
1945年 - イギリス・アメリカ・中国がポツダム宣言を発表。
1946年 - 日本プロ野球の大阪タイガース対パシフィック戦が試合時間55分で最短記録。
1947年 - ハリー・S・トルーマン米大統領が国家安全保障法に署名、これによりアメリカ国家安全保障会議・アメリカ国防総省・アメリカ中央情報局が設置。
1950年 - 朝鮮戦争: 老斤里事件が起こる。
1953年 - フィデル・カストロ率いる小隊がモンカダ兵営を襲撃、キューバ革命の端緒となる。
1956年 - エジプトのナセル大統領、スエズ運河の国有化を宣言。
1963年 - 最初の地球同期通信衛星であるシンコム2号打ち上げ。
1963年 - OECD、日本の加盟を承認。
1965年 - モルディブがイギリスより独立。
1981年 - 福岡市地下鉄空港線の室見駅〜天神駅間が開業。
1986年 - 映画「天空の城ラピュタ」が全国公開。
1996年 - アトランタオリンピックにて野村忠宏が金メダル。
1999年 - 国会改革法が成立。
1999年 - Bluetooth仕様書バージョン1.0発表。
2003年 - イラク特措法成立。
2003年 - 宮城県北部地震発生。
2005年 - スペースシャトルディスカバリーが打ち上げ。

誕生日
1778年(安永7年7月3日)- 貫名菘翁、儒学者・書家・文人画家(+ 1863年)
1782年 - ジョン・フィールド、作曲家(+ 1837年)
1791年 - フランツ・クサーヴァー・モーツァルト、作曲家(+ 1844年)
1815年 - ローベルト・レーマク、生理学者(+ 1865年)
1856年 - ジョージ・バーナード・ショー、劇作家(+ 1950年)
1873年 - 野口遵、実業家・日窒コンツェルン創業者(+ 1944年)
1875年 - ユング、心理学者(+ 1961年)
1881年 - 小山内薫、作家(+ 1928年)
1885年 - アンドレ・モーロワ、小説家(+ 1967年)
1891年 - 宇野浩二、作家(+ 1961年)
1893年 - ジョージ・グロス、画家(+1959年)
1908年 - サルバドール・アジェンデ、チリ共和国27代大統領(+ 1973年)
1928年 - スタンリー・キューブリック、映画監督(+ 1999年)
1928年 - 牧野茂、プロ野球選手・コーチ(+ 1984年)
1930年 - グレン・ミケンズ、プロ野球選手
1933年 - 吉田義男、プロ野球選手
1934年 - 森山周一郎、俳優
1935年 - ルー・ジャクソン、プロ野球選手(+ 1969年)
1938年 - 三平晴樹、プロ野球選手
1939年 - ジョン・ハワード、第25代オーストラリア首相
1943年 - ミック・ジャガー、ミュージシャン
1943年 - ピーター・ハイアムズ、映画監督
1947年 - 松岡弘、プロ野球選手
1947年 - 尾瀬あきら、漫画家
1949年 - ロジャー・テイラー、ミュージシャン
1950年 - 鈴木直志、アナウンサー
1950年 - 萩原健一、俳優
1950年 - 林忠行、国際政治学者
1950年 - 宮本好宣、プロ野球選手
1956年 - ドロシー・ハミル、フィギュアケート選手
1957年 - ユン・ピョウ、アクション俳優
1958年 - 牧原俊幸、アナウンサー
1959年 - 山沖之彦、プロ野球選手
1959年 - ケヴィン・スペイシー、俳優
1962年 - 伊丹英子( ソウル・フラワー・ユニオン)、ミュージシャン
1962年 - ガリナ・チスチャコワ、陸上選手走幅跳世界記録保護者
1963年 - 古川慎一、プロ野球選手
1966年 - 村上亜希子、アナウンサー
1967年 - サンドラ・ブロック、俳優
1968年 - 小島奈津子、アナウンサー
1970年 - 内田博幸、騎手
1971年 - 桜庭一樹、作家
1973年 - くまだまさし、お笑い芸人
1973年 - ケイト・ベッキンセイル、俳優
1976年 - 三輪敬司、プロ野球選手
1977年 - 吉田兄弟、兄:吉田良一郎、津軽三味線アーティスト
1979年 - 佐野優子、バレーボール選手
1979年 - ミヤ、ミュージシャン(ムック)
1980年 - デイヴ・バクシュ、ミュージシャン(Sum 41元メンバー)
1980年 - 升望、声優
1981年 - かわはらなつみ、漫画家
1983年 - 板垣龍佑、仙台放送アナウンサー
1984年 - 丘みどり、演歌歌手
1984年 - 山内拓磨(メルヘン倶楽部)、お笑い芸人
1985年 - 加藤夏希、タレント
1985年 - 中土居宏宜、歌手、Leadのリーダー。
1988年 - 原田百合果、ファッションモデル
1988年 - 大竹秀義、野球選手
1988年 - 鄭凱文、野球選手
1988年 - 秋元才加、タレント
1990年 - 日美野梓、アイドル
1994年 - 都倉秀城、関西ジャニーズJr.
1994年 - 木内梨生奈、タレント
1998年 - さくらまや、演歌歌手
1999年 - 遠藤由実、俳優
生年不明 - アルコ、漫画家
生年不明 - 瀬尾公治、漫画家

忌日
811年 - ニケフォロス1世、東ローマ皇帝(* 760年?)
1380年(天授6年/康暦2年6月24日)- 光明天皇、北朝第2代天皇(* 1322年)
1471年 - パウルス2世、第211代ローマ教皇(* 1417年)
1566年(永禄9年7月10日)- 近衛稙家、公卿(* 1503年)
1597年(慶長2年6月12日)- 小早川隆景、戦国武将(* 1533年)
1611年(慶長16年6月17日)- 堀尾吉晴、松江藩主(* 1544年)
1616年(元和2年6月13日)- 池田利隆、姫路藩主(* 1584年)
1630年 - カルロ・エマヌエーレ1世、サヴォイア公(* 1562年)
1735年(享保20年6月7日)- 蜂須賀宗員、第6代徳島藩主(* 1709年)
1802年(享和2年6月27日)- 松本幸四郎 (4代目)、歌舞伎役者(* 1737年)
1806年 - カロリーネ・フォン・ギュンダーローデ、詩人(* 1780年)
1863年 - サミュエル・ヒューストン、テキサス共和国大統領(* 1793年)
1867年 - オソン1世、ギリシャ王(* 1815年)
1872年 - アレクサンダー・ウィリアムズ・ランドール、ウィスコンシン州知事・第25代アメリカ合衆国郵政長官(* 1819年)
1872年(明治5年6月21日)- 山内容堂、第15代土佐藩主(* 1827年)
1889年 - 木村安兵衛、実業家・木村屋總本店創業者(* 1817年)
1925年 - ゴットロープ・フレーゲ、数学者・論理学者・思想家(* 1848年)
1926年 - ロバート・トッド・リンカーン、アメリカ合衆国陸軍長官(* 1843年)
1929年 - 山崎直方、地理学者(* 1870年)
1934年 - ウィンザー・マッケイ、漫画家・アニメーター(* 1871年)
1939年 - ジョエル・E・スピンガーン、文芸評論家・教育者(* 1875年)
1941年 - アンリ・ルベーグ、数学者(* 1875年)
1941年 - ベンジャミン・ウォーフ、言語学者(* 1897年)
1944年 - レザー・シャー、イラン・パフラヴィー朝初代国王(* 1878年)
1944年 - 伊藤健太郎、プロ野球選手(* 1916年)
1947年 - 増田淳、橋梁設計者(* 1883年)
1952年 - エバ・ペロン、アルゼンチンのファン・ペロン大統領夫人(* 1919年)
1969年 - 平良辰雄、沖縄群島知事・沖縄社会大衆党初代委員長(* 1892年)
1971年 - ダイアン・アーバス、写真家(* 1923年)
1977年 - オスカー・モルゲンシュテルン、経済学者(* 1902年)
1986年 - W・アヴェレル・ハリマン、ニューヨーク州知事・外交官(* 1891年)
1992年 - 大山康晴、将棋の棋士(* 1923年)
1992年 - メリー・ウェルズ、アメリカの歌手(* 1943年)
1993年 - マシュー・リッジウェイ、アメリカ陸軍の将軍・GHQ第2代総司令官(* 1895年)
1994年 - 吉行淳之介、小説家(* 1924年)
1995年 - ジョージ・ロムニー、ミシガン州知事(* 1907年)
1996年 - 伊勢川真澄、プロ野球選手(* 1921年)
1997年 - 小平邦彦、数学者(* 1915年)
2000年 - 川端民生、ベーシスト(* 1947年)
2003年 - ハロルド・C・ショーンバーグ、音楽評論家(* 1915年)
2004年 - 山口光秀、大蔵事務次官・東京証券取引所理事長(* 1927年)
2004年 - 中島らも、小説家(* 1952年)
2005年 - 岡八朗、喜劇俳優(* 1938年)

記念日・年中行事

幽霊の日(日本)
文政8年(1825年)7月26日に
鶴屋南北作の東海道四谷怪談が江戸・中村座で初演されたことに由来。

現在でも四谷怪談が演じられると怪我人が出るとの言い伝えがあり、
関係者は必ず四谷町の御岩稲荷にお参りしている。

ポツダム宣言記念日(日本)
1945年7月26日に、日本に降伏を迫る「ポツダム宣言」が発表されたことに由来。
当初日本はこれを黙殺したが同年8月14日に受け入れて終戦した。

モンカダ兵営襲撃記念日
(Anniversary of the Moncada Barracks Attack Day:キューバ)
1953年7月26日にキューバ解放運動の端緒としてカストロ指揮下の学生らが
モンカダ兵営を襲撃したことに由来。

独立記念日(リベリア・モルジブ)
リベリアは1847年にアメリカから、
モルジブは1965年にイギリスから、それぞれ独立を獲得。

エスペラント(日本における記念日の名称は不明)
1887年7月26日に、ポーランドのルドヴィコ・ザメンホフ医師が
エスペラントの学習書Unua Libroを刊行したことに由来。


これと関連して、コンピュータ・ウイルスの『Esperanto』は毎年この日に発病するようにプログラムされている。

プルーンの日