東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年7月30日(木曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年7月30日(木曜日)

「夏」です。

「夏」の「7月」

になりました。

まばゆいほど。

ことばでは。

いいつくせないほどに。

まぶしくて。

ありがたくやさしい。

「夏」「7月」の。

するどく。

つよい陽射しです。

しあわせいろの。

とても。

とてもあかるい陽射しです。

「7月」の。

「朝」の陽射しの「あかるさ」は。

なにものにも。

たとえようこそありません。

「しずかなひざし」です。

けれども「朝陽」の光は。

とても「するどい」。

夏朝陽(なつあさひ)

緑木枝間に

われを見る

まばゆくも

夏朝陽(なつあさひ)鋭く輝く

眼(まなこ)なりけり

なつあさひ

みどりきえたまに

われをみる

まばゆくも

なつあさひするどくかかやく

まなこなりけり

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

「夏」になりました。

今年も夏がきました。

「夏」がきて。

今は「7月」。

「夏」がふうせんのように。

ふくらみ。

ひろがってゆく季節です。

「7月」です。

「盛夏」まぢかし。

ひなまつりはおわり。

野には。

たんぽぽが葉草となり。

夏草の花が咲き。

野草は葉草となり。

よもぎや。

すぎながいっぱいになりました。

みどり葉のつつじが。

さえほこっています。

「夏」になり「川の水音」は。

あたかも。

「ゆたかな清流」の。

「みずのながれのおと」に。

きこえるようになりました。

「夏」の小川。

「どんどん」ながれる。

なつのおがわ。

高さも低さこそ見えないのに。

あゆみたゆまず。

ながれる水の流れ。

とても感銘致します。

春分の日もすぎれば。
「さくら」咲きはじめ
「さくら」がおわり。
「4月」が終われば。
「5月」になり。
「5月」もおわれば。
6月に。「夏」になり。
6月も終われば。
7月 たなばた。
7月 もおわれば。
せみのなく8月。
8月の夏はすぎれば。
9月の秋になり秋の虫が鳴く。
そして9月がおわり。
中秋10月なり紅葉の季節。
そして10月がおわり。
「11月」になり。
晩秋「11月」もおわり12月の「冬」。
「12月」になればまた「年」があけ。
また「初春」がくる。

そして来年も「春」の「3月」がきて。
そして「4月」「5月」がおわり。
「6月」がすぎて。
「7月」になる。

「なつ」の「7月」です。

「陽」はすでに

日々とてもたかくなりつつあります。

「夏」がきて。

「ま夏」に向かう「ひざし」の。

「光」の日々です。

「夏」の「7月」です。

「夏」の「7月」の。

「夏至」までは。

陽は日々たかくなっています。

夜になっても明るい。

とてもよくわかります。

けれども「夏至」はもうすぎました。

朝陽ののぼるのが早くなりました。

夕陽がおりるのは遅くなりました。

朝の「夏」の陽射しは

窓越しにも「まばゆい」

くらいです。

夕暮れの「夏」の陽射しは

「はしりおえた」

「陸上競技の選手」のようです。

つかれて。けれども充実して。

くれてゆきます。

空明るい夜になります。

まことに。

冬来たりなば春遠からじ。

ふゆきたりなば

はるとおからじ

(出 典は。

 イギリスの詩人シェリー*の

『西風に寄せる歌』の一節。

英 語の原文: 

If winter comes,

can spring be far behind? )

「英国:United Kingdom UK」のロマン派の
詩人は。「御自分」のテーマの「鳥」を
紋章のようにもっています。
英国ロマン派の詩人は、
それぞれ愛好し、崇拝する鳥を持っていました。

ジョン・キーツは、
「夜鶯」(ほととぎす)の神秘的な声に魅惑され。
夜の闇に響くその歌声を主題に詩を書いています。

ワーズワースにとって、詩の霊感をもたらし、
彼に生きることの喜びを教えてくれる鳥は、
「郭公」(かっこう)でした。

パーシー・シェリーは「雲雀」(ひばり)の声に魅惑され。
ひばりを崇拝する鳥として。
主題とした詩を書いています。

「春」から「夏」への

移り変わりは

二階から。

「かけあし」の足音のとんときこえぬ。

「空き家」のごとき「うつろい」でした。

二階から。

「かけあし」の足音のきこえぬ。

「かげろう」

の「たたずまい」のようでした。

「9月」の初秋がおわり。
「名月中秋10月もおわり」ました。
「11月」。

「11月」もおわりました。
「12月」もおわりました。
「新年」「初春」の「1月」もおわり。
今は
「2月」「晩冬」もおわりました。

「春」から「夏」への移り変わりは

「かげろう」のようにうつろいました。

「夏」はひそやかにと。

こっそりと。ゆっくりと。

ひそかに。あるいて来ます。

そしてゆっくりと。

「秋」になるまで

あるいて去って行くようです。

だから。

「夏」をまつのであれば。

「夏」がひそやかに。

しのびあしで。

歩いてくるのをまたなければ。

なりません。

「秋」がくるのをまつのであれば。

「夏」がゆっくりと。

しのびあしで。

歩いていくのをまたねば。

なりません。

「かぜのおとに」おどろかされるまで。

またねばなりません。

もう「夏」なのですね。

「夏」はゆっくりとあるいてやってくる。

「夏」がひそやかにかくれてやってくる。

さきのことすぎるかもしれないが「来年」。

このように「時」のうつろいを

心はせれば。

考えると「おそろしいもの」です。

考えなければ。
「なおおおそろしい」
ものであるものかもしれない。

「考えずにいるつけ」がまわって
くるからかもしれません。

「来年」のことを考えれば「鬼」が笑う。
「来年」のことを考えずにすむのであれば「鬼」は
笑わないのでしょう。
「鬼」とはなんだろう。

今日の深夜早朝03:15amには。

久方ぶりに。

大きな「夏」の「星空」がみえました。

早朝くらいうちは。

空に月。

「お月様」が「雲のじゅうたん」に。

天高くにねそべって。

かさををさしている。

ようです。

「夏」の「夜空」の。

「おぼろ月夜」です。

「赤い月」でした。

04:00amころ日があければ。
まだまだくらい朝日を背に。
西のコバルトの空高く明るい。
とても高い成層圏近くの高い高度に。

西のコバルトの空高に。
「刷毛」でひいたように「絹雲(けんうん)」が
何本も何本も。
描かれて。
たなびいていました。

実に見事な筆捌(ふでさばき)です。
ためらいのない「朝焼け」
「夏」の「朝焼け色」の線描です。

「夏」の朝。

「陽射し」ののぼるころは。

「西」の空

のほうが明るいのです。

朝が明けて午前になれば。

まばゆいほどの。

「夏」のひざしが。

陽がのぼる。

東から。

窓のカーテンと。

木々の合間をぬって。

「さあ 外においで!」

とさそうがごとく。

大きな声で。

よびかけてくるようです。

ハーメルンの笛吹き男のようです。

高い成層圏近くの高い高度に。
「刷毛でひいたように」「絹雲(けんうん)」
の端には渦巻きのような「ぬけあな」があり
「さらなる遠方の青空」が透けてみえます。

さながらにして。
東山魁夷画伯の描かれた大きな壁画。
大きな屏風絵の世界。

東山魁夷画伯の描かれた大きな絵画を
彷彿とさせますです。

東山魁夷画伯。
「よくえがかけた画伯です」。

この「あおぞら」をみていると。

陽のひかりをみていると。

とても

信じられないくらいに。

元気がわいてくることに。

気が付きました。

「太陽」の「陽射し」。

「陽」の「めぐみ」は。

なんと。

ありがたいことだろう。

なんと尊いことだろう。

そら一杯の青空の

天井(てんじょう)と。

「太陽のひかりのひざし」は。

「生きとし生けるもの」にとって。

なによりもの。

まことの。

「めぐみ」なのであり。

それを戴けるのは。

「よろこび」おほきことです。

「太陽のひかりのひざし」は

「いのちへのめぐみ」。

「いのちのよろこび」。

ありとあらゆる「生命」「いのち」をはぐくみ。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をたたえる。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をなぐさめる。

「生きとし生けるもの」の「いのち」に。
さらなる。
「はるかかなた」までの。
「いきるちから」をさずけるものです。
「太陽」。
ありがたいものです。

はやいものです。
ときのたつのは。
はやいものです。

そしてふと考えれば

去年も
「12か月」が
終わりました。

中秋から晩秋にうつろい。
「寒月」の「12月」がおわり。
新年の「1月」がおわり。
「晩冬」の「2月」がおわり。
「初春」の「3月」「4月」がおわり。

いまは
「夏」「7月」です。

「夏の花」の花の花びら。

ひろって。
手のひらにかかげれば。
「夏の花」の花のかおりは。
プラチナ色の香りが
致します。

今は。
「夏の花」が。
蕾をふくらませています。
「夏の花」の。

はながは鐘袖(ベル・スリーブ)のように。
ふくらんでいます。

「夏」の花の「はなびら」が。

闇夜のあいだに。

朝の早朝まだ。

「花」にもきがつかぬうちに

また地に舞い下りています。

「夏の花」

には。

ひとのよの。

「人のいのち」の。

「こたえ」があるような

気が致します。

ふと野の花は。

一般的には。

香らない花が。

多いことに気づきました。

伊藤左千夫の「野菊の墓」の「野菊」は。
矢車菊 (やぐるまぎく)
はとても綺麗なむらさきの「のぎく」です。
けれども「のぎく」は香りません。
(Corn lower, Bachelor's-button)です。

因みに
最高級の(今はもうとれない)
インド・カシミール地方で産出されたの
サフアイアの色は

「矢車菊色:やぐるまそう色」といわれます。

「カシミール・ヴァイオレット」。

麦畑やとうもろこし畑の中に 咲いていたことから。
「コーン・フラワー」=「野菊」(Corn lower)
です。

別名 「矢車草(やぐるまそう)」
といわれることがあります。

実は「矢車菊 (やぐるまぎく)」と
「矢車草(やぐるまそう)」まったく違う植物です。
矢車菊 (やぐるまぎく)が「野菊」。
「矢車草(やぐるまそう)」は「高山植物」。

「野菊」は春から夏にかけて咲くむらさきの花です。

古代エジプトのツタンカーメン王の墓 からも
発見された由緒正しき「野菊」。
色は紫。むらさきです。

ツタンカーメン王の。

まだ幼な子王妃が。

「亡きツタンカーメンンに野菊の花束ささげるけなげな姿」
が鮮烈に眼に浮かびます。

この「花」が。

「野菊」です。

「野菊の墓」の「野菊」。

けれども。

「野菊」は

香らない。

毎朝暗い早朝と。

うす暗くなる午後6時ころには。

「季節風」が

ふいている。

「季節風」がかわりばんこに。

あちこちで

「ろうろう」「こうこう」とないています。

「夏かぜ」の
「季節風」の
の「コーラス」を聞いていると。

ふと。

「この「夏」におびえるひと」の気配が
脳裏をはしりました。
はてだれだろう。

うら若き乙女。
貧しさに。
苦労に苦労をかさねて。
苦しんで苦しんだ苦しんだあげくに。
24歳にして世を去った
「樋口一葉」。

樋口一葉の
夏ではあるけれども。
「うらわかき」「「冬」と「春」の短歌」がきこえるようです。

散たまるふもとの落葉わけて思ふ
埋もれぬべきは雪の山里

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ
うもれぬへきはゆきのやまさと

庭の面につもる紅葉の色見れば
散りての後もにしきなりけり

にわのおもにつもるもみしのいろみれば
ちりてのあともにしきなりけり

世の中の秋にあはじとおくれけん
一もと野ぎく思ひあがりて

よのなかにあきにあはしとおくれけん
ひともとのきくおもひあがりて

折々に散るものどけし春雨の
はれたる軒の山桜ばな

おりおりにちるものどけしはるさめの
はれたるのきのやまさくらばな

わが園のものとおもへば初わかな
はつかなれども嬉しかりけり

わがそののものとおもへばはつわかな
はつかなれどもうれしかりけり

立ち渡る霞をみれば足引きの
山にも野にも春は来にけむ

たちわたるかすみをみれはあしひきの
やまにものにもはるはきにけむ

わたつ海の波のいづこに立ち初て
果なくつゝむ春の霞ぞ

わたつみのなみのいづこにたちそめて
はてなくつつむはるのかすみぞ

さざ波やしがの都のいにしへの
おもかげうすく立つ霞かな

ささなみやしかのみやこのいにしえの
おもかけうすくたつかすみかな

鶯のけさおとづるゝ声聞て
はじめて春の心地こそすれ

うくいすのけさおとつるるこへききて
はしめてはるのここちこそすれ

うれしくもわがものにして聞てけり
このあかつきの鶯の声

うれしきもわかものにしてきこへけり
このあかつきのうくいすのこへ

のどかなるけさの雨にやはるの野の
みどりも色まさるらむ

のとかなるけさのあめにや
はるののの
みとりのいろもまさるらむ

おくれたる友の為にとしをりして
谷間の蕨折り残しけり

おくれたるとものためにとしをりして
たのまのわらひおりのこしけり

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ

うもれぬへきはゆきのやまさと

にわのおもにつもるもみしのいろみれば

ちりてのあともにしきなりけり

よのなかにあきにあはしとおくれけん

ひともとのきくおもひあがりて

-------------------------------

おりおりにちるものどけしはるさめの

はれたるのきのやまさくらばな

わがそののものとおもへばはつわかな

はつかなれともうれしかりけり

たちわたるかすみをみれはあしひきの

やまにものにもはるはきにけむ

わたつみのなみのいづこにたちそめて

はてなくつつむはるのかすみぞ

ささなみやしかのみやこのいにしえの

おもかけうすくたつかすみかな

うくいすのけさおとつるるこへききて

はしめてはるのここちこそすれ

うれしきもわかものにしてきこへけり

このあかつきのうくいすのこへ

のとかなるけさのあめにや

はるののの

みとりのいろもまさるらむ

おくれたるとものためにとしをりして

たのまのわらひおりのこしけり

「24歳」の「とても貧しい乙女」の。

「夏」によろこび。

「夏」にもおびえおののく。

隠したくはない「乙女のほこり」

けれども。

隠さざるを得ぬ「乙女のほこり」

かなしさの。おもかげと。

光さす。輝きと。

お若い「御婦人」の「知」「智」が。

ほこりたかくも。

そしてはかなくも。

「ひしひし」とよみとれます。

「夏至」はもうすぐすぎました。

これからは日は。
陽は次第にみじかくなる。
日が短くなる。
朝は明けるのは遅くなり。
夕に暗くなるのは早くなる。

しだいに陽がみじかくなる。
なぜか。
不思議なやさしさ。
やすらぎと。
心やすらかなる
安堵感をかんじます。

心やすらかなる
安堵感をかんじます。

けれども。
「安堵」と「落胆」は。
常に表裏一体。
両羽(もろば)の剣。

「ぬかよろこび」の「ぬか」のような
ものです。

「ながくなる陽」も両羽(もろば)の剣を
持っています。

そして。
季節には「大気の音色(ねいろ)」もあるようです。

朝空は
陽ははるかに天高く。
空色はミルク色です。
クリームのかかった雲空です。

東京都世田谷区山本クリニックの庭園には

「えどむらさき」という「つつじ」
が「何本」もはえています。
野生種に近いものです。
大きな真紅紫の花を咲かせます。

「つつじ」ですから
盆栽の「皐月:さつき」のような
繊細さはみえません。

この「6月」になり。
森山を分け入ると。

木々の根元に隠れ咲く。
だいだい色の花の花のごとくに紅葉したまま
しもがれする
「やまはぜの葉木」が「大好き」です。

「やまうるしの紅葉」もかわいらしく。
「大好き」です。

身の丈以上ほどにもなって群生する。
野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
が。
病院の林の一角に野生のまま
おいしげっています。

野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
のパープルの真珠が群れたように実る
「実りの木の実」の風にそよぐ音色には。
おどろかされます。

あけびつたもうれしい。
あけびの「実」がみつかればなおなおうれしい。

またたびをみつけました。
根元にねこにかじられきずがある。

里山の冬の時期から。
そして初春の里山の季節
になりました。

四季の歩みの春夏秋冬のうつろいは
メトロノームの「あゆみ」を
感じさせます。

この「あゆみ」の「質量」は
とてもとても高いです。
質量があれば。あたかも。
重力のように。
四季のリズムにひきよせられていく。
そのような感じがします。

四季の歩みの春夏秋冬は。
フアジーでいてなお着々。
確実な「リズム」を感じます。

ここに。
「メロディ:旋律」とハーモニー:和声」
がくわわれば「音楽の三要素」。
音楽と同じです。

草花や草木につつまれた自然は。
「音楽」と同じように
ひびきとして聴こえます。

自然は
「しぜん」の
「ヴィルトオーゾ」と
「ヴィルトゥオーサ(virtuosa)」
*です。

この「自然のフイルハーモニウム」の。
指揮者は。
太陽なのか大地なのか人なのか。

或は音色をかもし出す自然はオーケストラ
であるのか。
ソリストなのだろうか。

私の尊敬する「合衆国USA」の
女性で小説家(「ノーベル賞受賞者」)
「パール・サイデンストリッカー・バック
(Pearl Sydenstricker Buck)
中国名、賽珍珠(サィ・チンシュ)」
パールバックの「大地」に
その「こたえ」が示唆されています。

古代より芸術家が
自然を音楽や絵画や彫刻
で表現しようとした気持ちが良く判ります。

*ヴィルトゥオーソ(virtuoso)は、
「博識、達人」を意味するイタリア語の男性名詞である。
複数形の場合はヴィルトゥオーシ(virtuosi)
、女性形はヴィルトゥオーサ(virtuosa)となる。
ラテン語のvirtus(「男らしさ」「美徳」「至高」の意)を語源とし、元来は「有徳の」「誉められるべき」
を意味する形容詞の男性形であった。

実際の楽曲ではこの三要素は。
密接に音楽的に結びつきひとつの楽曲をなします。

但し音楽の「リズム・メロディ・ハーモニー」は
一つだけを明確に取り出せる「成分」というわけ
ではありません。

また「音楽であるため」に。
三要素が絶対必要ということ
でもないでしょう。

邦楽などではリズム・ハーモニーは
存在しないか希薄である事が多いです。
「音楽」として「欠陥」があるわけ
ではありません。

「リズム・メロディ・ハーモニー」
が西洋音楽の常識ではありえないほど
高度な進化を遂げた音楽も存在致します。

邦楽もその一つです。

大和の国 やまとのくにの自然は。
「大和の国の音楽」と同じように思えます。
聴こえます。

「音楽」は「音」「おと」です。
そして「しらべ」=メロディとハーモニーです。
人類が「この音楽」を「楽譜」として
「寸分たがわず」「譜面」という名の「紙」に
「かくことを完成させた」ということは
大変なことです。

人間は。
人類は。
わずか「400年」で。

「音楽の旋律」に対する「楽譜」を。
「あらたな言語」を
完全に「完成」させたことになります。

まさにミューズの神の「神業かみわざ」です。

木々のめぶきの
冬なおも。
ますます力強い息吹を感じます。

「真夏」をすぎ「冬」になると。
再び「若葉」がみられることに。
きづきました。
「ため息」がでるほど木々の「冬若葉」の
「つどい」は「つよく」「うつくしい」。
雪の上のみどり。

木々のてっぺんは萌黄色から
「ふかみどり」
になりました。
そして「しっかりと樹木として
「冬を迎えた葉束」になりました。
これからは
「深まる冬」がすぎさり「春」。
「開花」の炎が。
樹木の上方で。
「雪の到来」を.
くすぶりてまちわびてています。
たえしのぶ冬の樹木です。

「若葉」の「新緑」から「深緑」です。

高い木々の穂先は萌黄から若草色に。
うねるなみのように。
木々の新緑は常緑となり冬のおとずれを
伝えていました。

桜は葉桜から「葉木」
道路沿いの「けやき」の木々も
萌黄から若葉。
そして青葉。
どうもうともいえる青葉。
そして見え隠れする「紅葉葉」。
紅葉葉の10枚20枚がひとつひとつ
の樹木にみえるようになりました。
「黄色調」です。
そして今「樹木」は「葉のいろ」をかえ
「宙」に舞おうとしています。

明らかなる。
「冬から春」とはことなる。
「夏から秋」。
「秋から冬」
そして「冬」の「木枯らし」。

木々の四季の。
大気の「色」のうつろい
に気づきます。

今は里山(さとやま)をさまよい。
今は里山(さとやま)をあるきたい。
今は里山(さとやま)の季節。
今は昔々里山(さとやま)であそび。
今は昔々て里山(さとやま)でおぼえ。
今は昔々里山(さとやま)でまなんだ。
今は昔々のその日々の思い出は。
今は黄金(こがね)か。あるいは。
今は銀か。いぶし銀か。
今はもしかしたらプラチナか。
今は思い出色は鉛のように。
今は重さは鉛のようになり。
今は心の奥深くに埋もれて感じられます。

「幸せ色」=「しあわせいろ」

ならばよいです。

けれども
早朝は非常にあたたかくなりました。

夏やま中さまよいて
夏やま中をわけいらば
夏やま中大樹の根元に隠れたり
夏やま中あけぼの色のちひさき炎(ほのほ)
夏やま中みつけたりやまの秋の華。
夏やま中やまの秋葉木のかくれんぼ
夏やま中大樹の根元に隠れたり
夏山はぜの葉木。
夏やま中やまうるしの葉木。
夏やま中あきやまはぜとふるやまうるし。
夏こす「はだか木」。
夏こす元気な木。たくましき木。

夏山萩(やまはぎ)の
夏花をかくして燃えたたむ
夏に実りの祭りなり
夏山はぜの葉炎
夏天高く燃ゆ

なつやまはぎの
なつはなをかくしてもえたたむ
なつにみのりのまつりなり
なつやまはせのほのほ
なつてんたかくもゆ

ひろくなりけり空(そら)たかし
さとやまに木々のみどり木
こもれびうけて燃えるがごとし
みどりの炎(ほのほ)
ほのほうちけさむかすみはあおし
ほのほにかすみにただよひて
うるわしくかがやきたり
あたたかくかおりたり
あざやかなりけり 
やまさとのやまみどり
やまさとのふかみどり

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
は「英国:United Kingdom UK」の
「風景画家」
天才画家ですが「緑」が大嫌い
で「黄色」が「大好き」。
「木」をかくのを非常にいやがったそうです。

多分ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
が「修行時代」に「お金にために
「どこの国も同じですが」
「名所絵」をかかされたときの
「反動」ではないかと
今の私は考えます。

「大きな夏みつけた」

から

「夏がすぎてて真秋間近い」

「小さな秋みつけた・。」

そして

「小さな冬みつけた」

そして

「大きな冬みつけた」。

そして

「小さい春」がみつかって。

しだいにおおきな。

「春」になりました。

「夏」がちかづく「八十八夜」

今は「夏」。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

+++++++++++++++++++++

平成21年01月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年2月11日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年3月20日(金曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年7月20日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年8月14日(金曜日)と15日(土曜日)
の「二日間」
は病院の医療コンピューターの更新のため。

診療ができないので二日間「休診日」になります。

平成21年8月13日(木曜日)まで平常どおり。
平成21年8月18日(日曜日)から平常どおり。

++++++++++++++++++++++

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらず
インフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。

「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。

フィレンツェ大聖堂ドーム天井画
「最後の審判」
で非常に有名な天才画家。

1511年 - ジョルジョ・ヴァザーリ、画家・建築家(+ 1574年)
の生誕日です。

++++++++++++++++++++++

ジョルジョ・ヴァザーリ:Giorgio Vasari,
1511年7月30日 - 1574年6月27日)は。

イタリアのマニエリスム期の画家、建築家です。

「芸術家の列伝」の作者でも知られています。

++++++++++++++++++++++

ジョルジョ・ヴァザーリ:Giorgio Vasariは。

イタリアのアレッツォ生まれ。
1529年、ローマを訪れラファエロらの作品に学びました。

のちにメディチ家のトスカーナ大公
コジモ1世(1519年-1574年)お抱えの芸術家となりました。

美術館になっている
ウフィッツィ宮殿は有名な作品のひとつです。

++++++++++++++++++++++

ジョルジョ・ヴァザーリ:Giorgio Vasariは。

ミケランジェロを中心に
ルネサンス期の芸術家の評伝を書きました。

これは美術史の基本資料になっています。

『画家・彫刻家・建築家列伝』は1550年に出版され、
チマブーエからミケランジェロまで
芸術家133人の作品と生涯を記しています
(1568年の第二版では30人を追加)。

++++++++++++++++++++++

ジョルジョ・ヴァザーリ:Giorgio Vasariは。
1550年に出版の『画家・彫刻家・建築家列伝』の中で。

この中で「再生」 (rinascita)
という用語を用いています。

ヴァザーリが中世とは異なる
ルネサンスの時代を強く意識していたことが示されています。

また、1563年には美術アカデミー、
アカデミア・デッレ・アルティ・デル・ディゼーニョを創立致しました。

++++++++++++++++++++++

ジョルジョ・ヴァザーリ:Giorgio Vasariは。

1572年からフィレンツェ大聖堂ドーム天井に
『最後の審判』のフレスコ画を描きはじめたのですが。

1574年逝去。

(天井画は1579年に完成致しました)。

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絵画

ゲッセマネの祈り(1570頃)
国立西洋美術館蔵
『画家・彫刻家・建築家列伝』
第二版表紙ゲッセマネの祈り(国立西洋美術館蔵)
市庁舎(ヴェッキオ宮殿)壁画「シエナ攻防戦」等
レオナルド・ダ・ヴィンチの未完成の壁画「アンギアーリの戦い」と、ミケランジェロの未完成の壁画「カッシーナの戦い」の上に描いたとされている。
ストゥディオーロ(ヴェッキオ宮殿内の小書斎)壁画
フィレンツェ大聖堂ドーム天井画「最後の審判」

建築
ウフィッツィ宮殿(1560-)
ヴァザーリの回廊(ウフィッツィ美術館とピッティ宮殿を結ぶ回廊)

伝記
「画家・彫刻家・建築家列伝」Le vite de' piu eccelenti pittori, scultori e architettori 邦訳は白水社で全3冊
ロラン・ル・モレ 『ジョルジョ・ヴァザーリ−メディチ家の演出者』平川祐弘・恵子共訳 白水社

++++++++++++++++++++++

「続きを読む」=>*

++「続きを読むです1」++++++++++++++++++

ジョルジョ・ヴァザーリ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%AA

ジョルジョ・ヴァザーリ:Giorgio Vasari, 1511年7月30日 - 1574年6月27日)は、イタリアのマニエリスム期の画家、建築家。芸術家の列伝でも知られる。

イタリアのアレッツォ生まれ。1529年、ローマを訪れ、ラファエロらの作品に学ぶ。のちにメディチ家のトスカーナ大公コジモ1世(1519年-1574年)お抱えの芸術家となった。美術館になっているウフィッツィ宮殿は有名。

ミケランジェロを中心にルネサンス期の芸術家の評伝を書き、これは美術史の基本資料になっている。『画家・彫刻家・建築家列伝』は1550年に出版され、チマブーエからミケランジェロまで芸術家133人の作品と生涯を記している(1568年の第二版では30人を追加)。この中で「再生」 (rinascita) という用語を用いており、ヴァザーリが中世とは異なるルネサンスの時代を強く意識していたことが示されている。また、1563年には美術アカデミー、アカデミア・デッレ・アルティ・デル・ディゼーニョを創立する。1572年からフィレンツェ大聖堂ドーム天井に『最後の審判』のフレスコ画を描くが、1574年逝去(天井画は1579年に完成)。

絵画

ゲッセマネの祈り(1570頃)
国立西洋美術館蔵
『画家・彫刻家・建築家列伝』第二版表紙ゲッセマネの祈り(国立西洋美術館蔵)
市庁舎(ヴェッキオ宮殿)壁画「シエナ攻防戦」等
レオナルド・ダ・ヴィンチの未完成の壁画「アンギアーリの戦い」と、ミケランジェロの未完成の壁画「カッシーナの戦い」の上に描いたとされている。
ストゥディオーロ(ヴェッキオ宮殿内の小書斎)壁画
フィレンツェ大聖堂ドーム天井画「最後の審判」

建築
ウフィッツィ宮殿(1560-)
ヴァザーリの回廊(ウフィッツィ美術館とピッティ宮殿を結ぶ回廊)

伝記
「画家・彫刻家・建築家列伝」Le vite de' piu eccelenti pittori, scultori e architettori 邦訳は白水社で全3冊
ロラン・ル・モレ 『ジョルジョ・ヴァザーリ−メディチ家の演出者』平川祐弘・恵子共訳 白水社

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++

7月30日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/7%E6%9C%8830%E6%97%A5

できごと
1419年 - 一回目のプラハの窓外放出事件起こる。
1609年 - タイコンデロガ(現在のニューヨーク州)でサミュエル・ド・シャンプランがイロコイ連邦の2人の族長を射殺。その後のフランス・イロコイ関係を方向づける。
1629年 - イタリア・ナポリで地震。1万人が死亡。
1733年 - 最初のフリーメイソンのロッジが現在のアメリカでオープン。
1756年 - バルトロメオ・ラストレッリがロシア皇帝エリザヴェータに新築のエカテリーナ宮殿を贈る。
1825年 - ライン諸島のマルデン島が発見される。
1912年 - 元号を明治から大正に改元。
1930年 - モンテビデオでの決勝で、ウルグアイ代表が最初のサッカー・ワールドカップ優勝を決める。
1932年 - 第10回夏季オリンピック・ロサンゼルスオリンピック大会開催。8月14日まで。
1945年 - 日本の伊号第五八潜水艦がアメリカの巡洋艦インディアナポリス(原爆輸送の帰路)を撃沈。乗員883人が死亡。
1953年 - 力道山が日本プロレスの設立を発表するセレモニーを開催。
1954年 - エルヴィス・プレスリーが初めて公の場でパフォーマンス。
1966年 - ウェンブリーで、開催国イングランドがドイツを破りサッカー・ワールドカップ優勝。
1969年 - ヴェトナム戦争中、アメリカのリチャード・ニクソン大統領が南ヴェトナムを突然訪問。グエン・バン・チュー大統領と会談。
1971年 - 岩手県雫石町上空で全日空機と自衛隊機が空中衝突。162人が死亡(全日空機雫石衝突事故)。
1971年 - アポロ15号が月面着陸。初めて月面車が使われる。
1974年 - アメリカのリチャード・ニクソン大統領が、最高裁判所で命じられていたホワイトハウスの録音テープを公表。(ウォーターゲート事件)
1976年 - 日本共産党が自由と民主主義の宣言を採択
1978年 - 沖縄県で自動車の対面交通が右側通行から日本本土と同じ左側通行に変更された。730(ナナ・サン・マル)と呼ばれる。
1980年 - バヌアツがイギリス・フランス両国より独立。
1987年 - 赤道ギニアでテオドロ・オビアン・ンゲマが赤道ギニア民主党結成。
1988年 - 北陸自動車道が全線開通(計画路線延伸前の新潟黒埼IC〜米原JCT間)
1990年 - 最初のサターン車が出荷。
1991年 - ルチアーノ・パヴァロッティがロンドンのハイド・パークでフリーコンサートを開催。15万人を動員。
1992年 - TWA843便大破事故
1995年 - 八王子スーパー強盗殺人事件
1997年 - イェルサレムで14人が死亡する同時自爆テロ。
1997年 - オーストラリア・スレドボで地滑り発生。18人死亡。
1998年 - 小渕恵三内閣発足。
2002年 - 上場企業会計改革および投資家保護法(サーベンス・オクスリー法)が成立。
2003年 - 最後の「旧式」フォルクスワーゲン・ビートルがメキシコで出荷される。
2004年 - 参議院議員・扇千景が女性初の参議院議長に就任。
2004年 - ベルギーのガス爆発で16人が死亡。
2006年 - 42年間続いたBBCの音楽番組「トップ・オブ・ザ・ポップス」が最終回を迎える。
2006年 - レバノン侵攻: イスラエルによってカナ空爆が行われる。
2008年 - アメリカ航空宇宙局(NASA)は、無人探査機「カッシーニ」での観測の結果、土星の衛星タイタンに地球以外で初の、液体が存在することが確認されたと発表。

誕生日
1511年 - ジョルジョ・ヴァザーリ、画家・建築家(+ 1574年)
1579年(天正7年7月7日)- 徳川秀忠、江戸幕府第2代征夷大将軍(+ 1632年)
1698年(元禄11年6月23日)- 立花貞俶、第5代柳河藩主(+ 1744年)
1786年 - ゲオルク・アンドレアス・ガプラー、哲学者(+ 1853年)
1818年 - エミリー・ブロンテ、小説家(+ 1848年)
1857年 - ソースティン・ヴェブレン、社会学者・経済学者(+ 1929年)
1863年 - ヘンリー・フォード、フォード社設立者(+ 1947年)
1868年 - アルフレッド・ヴェーバー、社会学者・経済学者(+ 1958年)
1876年 - 三島霜川、作家(+ 1934年)
1876年 - 中村天風、ヨーガ行者(+ 1968年)
1884年 - 東條英機、陸軍軍人・政治家(+ 1948年)
1890年 - ケーシー・ステンゲル、メジャーリーガー(+ 1975年)
1898年 - ヘンリー・ムーア、彫刻家(+ 1986年)
1899年 - 木内信胤、経済評論家(+ 1993年)
1899年 - ジェラルド・ムーア、ピアニスト(+ 1987年)
1913年 - 新美南吉、児童文学作家 (+ 1943年)
1914年 - キラニン卿、 IOC第6代会長(+ 1999年)
1914年 - 立原道造、詩人(+ 1939年)
1928年 - 荒井注、タレント(+ 2000年)
1934年 - バド・セリグ、MLBコミッショナー
1934年 - ウーヴェ・ヨーンゾン、小説家(+ 1984年)
1934年 - 西村公佑、競輪選手
1936年 - バディ・ガイ、ギタリスト・歌手
1940年 - 斎藤晴彦、俳優
1941年 - ポール・アンカ、歌手・作曲家
1945年 - デイヴィッド・サンボーン、ミュージシャン
1947年 - アーノルド・シュワルツェネッガー、俳優・カリフォルニア州知事
1947年 - 西岸良平、漫画家
1947年 - 外山義明、プロ野球選手(+ 1991年)
1948年 - ジャン・レノ、俳優
1949年 - 甲賀真理子、ファッションデザイナー
1953年 - 平沢隆好、プロ野球選手
1956年 - 松本奈代子、棋士
1957年 - 堀内賢雄、声優
1958年 - ケイト・ブッシュ、ミュージシャン
1958年 - デイリー・トンプソン、陸上選手
1958年 - 日垣隆、ジャーナリスト・ノンフィクションライター
1960年 - 石田登星、俳優
1961年 - ローレンス・フィッシュバーン、俳優
1962年 - 両国梶之助、大相撲力士・境川親方
1963年 - リサ・クドロー、女優
1964年 - ユルゲン・クリンスマン、サッカー選手・監督
1966年 - 阿部義晴、ミュージシャン・音楽プロデューサー
1966年 - 柴田善臣、騎手
1966年 - 野咲たみこ、アイドル
1966年 - 熊沢秀浩、プロ野球選手
1967年 - 服部裕昭、プロ野球選手
1968年 - 清原久美子、アナウンサー
1968年 - ショーン・ムーア、ミュージシャン
1968年 - 七月鏡一、漫画原作者
1968年 - 馬越嘉彦、アニメーター、キャラクターデザイナー
1970年 - クリストファー・ノーラン、映画監督
1970年 - 古今亭今輔 (6代目)、落語家
1971年 - 中井伸之、プロ野球選手
1973年 - 渡邉晴智、競輪選手
1974年 - 坂田精二郎、野球選手
1974年 - 谷村逸郎、野球選手
1974年 - 大竹奈美、サッカー選手・解説者
1974年 - 大竹由美、サッカー選手
1974年 - ヒラリー・スワンク、俳優
1977年 - 永山尚太、歌手
1978年 - 金谷剛、プロ野球選手
1979年 - 小林千恵、アナウンサー
1983年 - 藤本つかさ、女優
1983年 - 深澤季生、野球選手
1984年 - 大橋雅俊、野球選手
1985年 - 徳満真紀子(サンフラワー)、ローカルアイドル
1985年 - 片岡信和、俳優
1985年 - ルカ・ラノッテ、フィギュアスケート選手
1986年 - 安藤絵里菜、タレント
1986年 - 千葉直人、騎手
1986年 - 丸木唯、プロ野球選手
1986年 - 植野堀まこと、タレント
1987年 - 矢澤利枝香、タレント・声優
1987年 - 大田原隆太、プロ野球選手
1988年 - 山田大樹、プロ野球選手
1993年 - 黒崎美穂、ジュニアアイドル
1993年 - 宮崎美穂、AKB48
1994年 - 山田みなみ、ファッションモデル
1996年 - 小瀧望 、 関西ジャニーズjr.

忌日
579年 - ベネディクトゥス1世、第62代ローマ教皇
1062年(康平5年6月22日)- 藤原茂子、後三条天皇の皇太子時代の妃
1569年(永禄12年6月17日)- 黄梅院、北条氏政の正室(* 1543年)
1683年 - マリー・テレーズ・ドートリッシュ、フランス王ルイ14世王妃(* 1638年)
1718年 - ウィリアム・ペン、ペンシルベニア州創立者(* 1644年)
1771年 - トマス・グレイ、詩人(* 1716年)
1811年 - ミゲル・イダルゴ、メキシコ独立革命の指導者(* 1753年)
1826年(文政9年6月26日)- 松平乗保、江戸幕府老中・岩村藩主(* 1748年)
1833年(天保4年6月14日)- 津軽寧親、第9代弘前藩主(* 1765年)
1852年(嘉永5年6月14日)- 帆足万里、儒学者(* 1778年)
1898年 - オットー・フォン・ビスマルク、ドイツ宰相(* 1815年)
1898年 - ジョン・ケアード、哲学者(* 1820年)
1898年 - 東京亭猫八、物真似師(* 1843年)
1900年 - アルフレート、第3代ザクセン=コーブルク=ゴータ公(* 1844年)
1912年 - 明治天皇、日本の第122代天皇(* 1852年)
1913年 - 伊藤左千夫、歌人(* 1864年)
1927年 - 村井弦斎、ジャーナリスト(* 1864年)
1930年 - ジョアン・ガンペール、FCバルセロナの創設者・サッカー選手(* 1877年)
1941年 - フーゴ・ベッカー、チェリスト(* 1864年)
1947年 - 幸田露伴、作家(* 1867年)
1958年 - 俵国一、冶金学者(* 1872年)
1965年 - 谷崎潤一郎、作家 (* 1886年)
1967年 - リーガル万吉、漫才師(* 1894年)
1968年 - ヨン・レイフス、作曲家(* 1899年)
1970年 - ジョージ・セル、指揮者(* 1897年)
1976年 - ルドルフ・カール・ブルトマン、聖書学者(* 1884年)
1976年 - 衣笠十四三、映画監督(* 1900年)
1984年 - 今日出海、小説家(* 1903年)
1996年 - クローデット・コルベール、女優(* 1903年)
1996年 - 長谷有洋、声優(* 1965年)
1997年 - バオ・ダイ、ベトナム阮朝最後の皇帝(* 1913年)
2000年 - 寺田瀧雄、作曲家(* 1931年)
2002年 - 岡田正泰、ヤクルトスワローズの私設応援団「ツバメ軍団」団長(* 1931年)
2003年 - 石本雅男、法学者(* 1902年)
2003年 - サム・フィリップス、音楽プロデューサー(* 1923年)
2005年 - 初村滝一郎、政治家(* 1913年)
2005年 - ジョン・ガラン、スーダン副大統領・スーダン人民解放軍最高司令官(* 1945年)
2006年 - 森三平太、俳優(* 1927年)
2007年 - ミケランジェロ・アントニオーニ、映画監督(* 1912年)
2007年 - 渡辺護、音楽学者・クラシック音楽評論家(* 1915年)
2007年 - イングマール・ベルイマン、映画監督 (* 1918年)
2007年 - 小田実、作家・市民運動家(* 1932年)

記念日・年中行事
プロレス記念日(日本)
1953年7月30日に力道山が日本プロレスリング協会を結成したことに由来。

独立記念日(バヌアツ)
1980年7月30日に独立。

システム管理者の日(7月最終金曜日、2004年)

東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年7月31日(金曜日)

「ここをおして」をクリックされてください。

「ここをおして」をクリックされてください。は
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci

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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年7月31日(金曜日)

「夏」=「7月」

になりました。

「あおい夏」です。

今は「夏」の。

「夏」の「7月」です。

ふかまる「夏」です。

★★★

今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3.500円

2回法=7.000円

です。

「夏」「7月」です。

昨年。
「秋」になり「9月」がおわり。
「10月」もおわり。
秋の最後の
「11月」「晩秋月」もおわり。
そして「12月」になり「冬」になった。
「12月」もほとんどが過ぎたかな
とおもったら。
12月31日になり。

あっというまに。
「年があらたまりました」。
「春」をすぎて。

そして今「7月」です。

「春」の「3月」「4月」「5月」を

乗り越えて。

「夏」「7月」です。

あまりにも
月日と。
時間と。そして年月のたつ。

その速さに。
恐怖さえをも感じます。

大気は「夏」。

「夏かぜ」は。

夏の「季節風」。

天には「夏」の。

「夏の花」の「はな」。

地には「夏」の。

「夏の花」の「はなびら」。

「夏の花々」の

「夏」。

「夏」のこの時期には。
樹木の「落ち葉」はおちきり。

「落ち葉」は「ぴたり」ととまります。
落葉ぎりぎりまで。

「夏」をすぎての
「みのり」にそなえて。
しっかりと。

強い「夏」の
太陽の陽射しをえるためであるのしょう。

「夏」には。

「夏の花」の花びらが

「夏の花」の「花」が。

花も見ぬうちに。

暗い夜中のあいだに。

「季節風」に。

弓射られて。

朝暗いうちにも。

地に落下しています。

樹木は

「夏」の

「夏木」としてのたたずまいから。

まさしく。

あかるい「夏」の。

主人公としての。

たたずまいに。

なりました。

「夏の花」に。

夏の「季節風」。

「夏」の気配は。

はっきりと。

「まち」の葉木にも感じられます。

この。

「季節風」は。

これから。

「どのようなの風」に。

変化していくのでしょうか。

「7月」の。

「夏の花」の

若花のつぼみが。

「夏の花」の

若花のはなびらが。

たわわにみえます。

「夏の花」のつぼみは。

いつでも咲きそうな。

つぼみばかりです。

白いどんぐりのような。

つぼみです。

昨年の「晩秋」
「金木犀:きんもくせい」の残り香は
とおくから。
「とぼとぼ」と歩いてくるように。
ほのかに漂い。
また「とぼとぼ」と歩き去っていった
ようにいなくなりました。

「夏」の。
「夏の花」の花びらは。

少しずつ遠慮がちにしずかにしずかに蕾膨らみ
少しずつ遠慮がちにしずかにしずかに花咲き
少しずつ遠慮がちにしずかにしずかに花びらが舞う。

「夏」の「あけぼの」の。

空の色が。

まさしくも

「夏」の「空色」

になってきました。

ミルクのはいった

コバルトのような

空色です。

「夏至」がおわりました。

次第に陽ののぼるのは。

すこしづつおそくなり。

陽がくれるのは。

すこしづつはやくなりました。

今は「夏」。

「7月」です。

けれども

「夏至」はもうすぎました。

「春」の。

「3月」「4月」「5月」が去りゆき。

今はみのりの「夏」「7月」です。

あさの04:30AMころは。
くらくあおく
しだいに
そらがラピズラズリから
トルコ石にうつろうように。
そらがしらんできます。

「夏」の季節の気配からは。

まぢかいけれども。
さらに「なにかが深まりゆく」。
そして「夏」の訪れから。

さらにさらに。
深い「夏」に向かい。
そしてさらに。
深い「夏」の向こう側に。
さらなる「秋」の気配の。
あることが。
よくわかります。

川端康成の。

「雪国」の。

トンネルの中から。

「向こう側」は「雪国」。

そして

「雪国」をすぎれば。

そこは「春の国」。

そして。

今は「夏の国」です。

「夏」から先にもトンネル

はあるのでしょうか。

夏池面(いけも)の水面(みずも)
夏おさなき小さなわかみどり
夏なもしらぬ
夏小さな緑の浮き草
夏若草うきつあつまりて
夏つらなり水面(みずも)
夏水面(みずも)をおおいたり
夏水面(みずおも)にて
夏風にきそいてさまよえり
夏ちひさきわらべのごとし
夏池面の水面(みずおも)の。
夏小さきちひさなわかみどり

夏いざいまこそは

夏よき季節にあらむ

夏水面(みずも)なるそら

夏ふと空をみる

夏早朝(はやあさ)に
夏けふもはだのさむけれど
夏ぬくもりのあさ
夏陽のありがたき
夏われあゆむがごと
夏陽はあたかくなりけり
夏葉木は強き木にかわりたり
夏みちをあかるくてらさむ
夏がいだく木
夏はぐくむ木
夏みどり木あおし
夏実りの木紅し(あかし)
夏来(きた)るらむ

道端の冬野草の花もかわいらしい。
春夏秋冬の
前奏曲の旋律が聞こえます。

夏地にも木にも

夏みどり葉ひらき

夏みどり木ときわ木

夏ひろがりて

夏いふことのなし

夏いふことがなし

夏いふことはなし

夏ゆたかなりけり

今年の早朝は異常な寒さです。

気象予報で
「明日は暖かくなる」と聞いても
朝は寒いです。
「毎朝寒い」。
寒いと首都高の自動車も
「寒そうな運転の車」が多いです。

それでも「「夏」はきぬ」。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

++++++++++++++++++++++

平成21年1月12日日(月曜日)は。
元来「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年2月11日(水曜日)は。
元来「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年3月20日(金曜日)は。
元来「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年7月20日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年8月14日(金曜日)と15日(土曜日)
の「二日間」
は病院の医療コンピューターの更新のため。

診療ができないので二日間「休診日」になります。

平成21年8月13日(木曜日)まで平常どおり。
平成21年8月18日(日曜日)から平常どおり。

++++++++++++++++++++++

★★★

今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3.500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

入学式。桜の花。
インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。
再び
「寒さ」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬・春は「厳・春」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の冬場や春はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

草木の周りは。
少しずつ「春夏秋冬」の「四季」を
あゆんでいます。

梅咲き・スミレ咲き。桜咲き。
木々の萌黄から。
眼に青葉。山ほととぎす。そして夏・秋・また冬
がやってくる。

「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬は「厳冬」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の春・冬場はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

感謝・感謝です。

「今日は何の日」は。

「少年よ、大志をいだけ 」
彼の言葉、‘Boys Be Ambitious’(少年よ、大志をいだけ)
で有名な教師。

けれども
全文は
'Boys, be ambitious like this old man'。

このまま訳すと、
「この老人のように、
あなたたち若い人も野心的であれ」

「お前ら若いくせにもう少し元気だせ!」
ということになります。

「なぞの多い言葉」です。

出身地のニューイングランド地方で
よく使われた別れの挨拶「be ambitious!」
(「元気でな!」)

‘Boys Be Ambitious’(少年よ、大志をいだけ)
で有名な。
1826年 - ウイリアム・S・クラーク、教育者(+ 1886年)
の生誕日です。

++++++++++++++++++++++

ウィリアム・スミス・クラーク
:William Smith Clark、クラーク博士
1826年7月31日 - 1886年3月9日) は。

札幌農学校 (現北海道大学) 初代教頭です。
いわゆるお雇い外国人のひとりである。

専門の植物学だけでなく。
自然科学一般を英語で教えました。

この他、学生達に聖書を配りました。
キリスト教についても講じました。

のちに学生たちは
「イエスを信じる者の誓約」
に次々と署名し、
キリスト教の信仰に入る決心をした
といわれています。

++++++++++++++++++++++

ウィリアム・スミス・クラーク
:William Smith Clarkの略歴
米マサチューセッツ州アッシュフィールド生まれです。

アマースト大学卒業。
ドイツのゲッティンゲン大学留学後。

アマースト大学教授。

(当時、アマースト大学に在学していた
後の同志社英学校創設者である新島襄が
最初の日本人学生でありました)

南北戦争には
北軍少佐として従軍致しました。

米マサチューセッツ農科大学第3代学長に就任。
(初代、第2代学長は開学前に辞任しているため、
クラークが実質的な初代学長になります)

++++++++++++++++++++++

ウィリアム・スミス・クラーク
:William Smith Clark
の。
専攻は園芸学、植物学、鉱物学でした。

任期中には新島襄の紹介により。
日本政府の熱烈な要請を受けて、
1876年 (明治9年)
7月に札幌農学校教頭に赴任致しました。

マサチューセッツ農科大学の
休暇を利用して訪日という形をとりました。

クラークの立場は教頭で、
名目上は別に校長がいました。

クラークの職名は英語では
Presidentと表記することが
開拓使によって許可されました。

殆ど実質的には
クラークが校内の全てを取り仕切っていました。

++++++++++++++++++++++

ウィリアム・スミス・クラーク
:William Smith Clark
は。

8ヶ月の札幌滞在の後、
翌年の1877年5月に離日致しました。

帰国後は学長を辞め、
新規大学の開学を企画するが失敗致しました。

その後、知人と共に鉱山会社を設立するが、
会社は破産。
心臓病でこの世を去りました。

++++++++++++++++++++++

少年よ、大志をいだけ
彼の言葉、‘Boys Be Ambitious’
(少年よ、大志をいだけ) は。
よく知られています。

これは、札幌農学校1期生との別れの際に、
北海道札幌郡月寒村島松 (現在の北広島市島松) で
クラークが発したものとされています。

しかし、この文言は、クラークの離日後
しばらくは記録したものがありません。

後世の創作によるものだと考えられた時代がありました。

++++++++++++++++++++++

少年よ、大志をいだけ
彼の言葉、
‘Boys Be Ambitious’(少年よ、大志をいだけ) は。

1期生の大島正健
(後の甲府中学校 (現・甲府第一高等学校) の学校長)
による離別を描いた漢詩に。
「青年奮起立功名」とあることから、
これを逆翻訳したものとも言われました。

しかし、
大島が札幌農学校創立15周年記念式典で行った
講演内容を、安東幾三郎が記録。

安東が当時札幌にいた他の1期生に確認の上、
この英文をクラークの言葉として、
1894年ごろに同窓会誌『恵林』13号に
発表していたことが判明
致しました。

++++++++++++++++++++++

ウィリアム・スミス・クラーク
:William Smith Clark
の。
少年よ、大志をいだけ
彼の言葉、
‘Boys Be Ambitious’(少年よ、大志をいだけ) は。

安東によれば、
全文は
'Boys, be ambitious like this old man'です。

このまま訳すと、
「この老人のように、あなたたち若い人も野心的であれ」
というような意味になります。

安東の発表の後、
大島自身が内村鑑三編集の雑誌Japan Christian Intelligencer, Vol.1,No.2
でのクラークについての記述で、
全く同じ文章を使ったことも判明致しました。

++++++++++++++++++++++

ただし、前段の'Boys, be ambitious'は、
クラークの創作ではありません。

当時、出身地のニューイングランド地方で
よく使われた別れの挨拶
(「元気でな!」)だったという説もあります。

'Boys, be ambitious in Christ ! ' (または in God !)
と言ったという説があるが、
これについて言及した1期生はおらず、
キリスト教徒による創作とされています。

++++++++++++++++++++++

一方、彼は札幌農学校の校則について。

開拓使長官の黒田清隆に
「この学校に規則はいらない
Be Gentlemanで十分である」
と進言したと言われています。

それまで士族の子弟が雁字搦めの
徳目に縛られていたのと比べると、
「紳士であれ」
だけとはいかにも簡潔なことでありました。

しかし、何をして良いのか、
何をしてはいけないのかは
自分で判断しなければならないため、
自由でありながら厳しいものとなっています。

ただし、開校日にクラーク自身が学生に提示した学則は、
これよりはるかに多いのです。

これは、クラークの前任者である
ホーレス・ケプロンの素案を
そのまま使ったためとも言われています。

++++++++++++++++++++++

クラークとカレー
クラークは学生にカレー以外のメニューの時の米飯を禁じ
、パン食を推進したと言われます。

カレーを日本に広めたのは
クラークであるという説もあります。

しかし、『カレーなる物語』
(吉田よし子、1992年) によれば、
北海道大学には、当時のカレーに関する記録は
1877年9月 (クラーク離日後) のカレー粉3ダースの
納入記録しか残っておらず、
クラークの命令もあったのかどうかは不明とされています。

ただし、1881年の寮食は、
パンと肉、ライスカレーが隔日で提供されていたことは
確認されています。

++++++++++++++++++++++

クラークとカレーを結びつける文献として古いものは、
『恵迪寮史』 (1933年) があります。

これによると、札幌農学校ではパン食が推進され、
開学当時からカレー時以外の
米食が禁じられていたと言うことです。

北海道立文書館発行
『赤れんが』81号 (1984年) によれば、
開拓使東京事務所では、
クラーク訪日前の1872年から
お雇い外国人向けに
ライスカレーやコーヒーが提供されていました。

また、札幌農学校の前身である開拓使仮学校は、
東京に設置されています。

そもそも、北海道でパン食を推進したのは、
クラークの前任者とされる
開拓使顧問ホーレス・ケプロンであるとされ。

札幌農学校とカレーとの関係は、
クラーク以前の時代に遡る可能性もあるのです。

++++++++++++++++++++++

ライスカレーという語は
クラークが作ったという説もありますが。

クラーク訪日前の開拓使の公文書
『明治五年 開拓使公文録 八』 (1872年) で、
「タイスカレイ」 (ライスカレーの意味)
という語が使われています。

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ウィリアム・スミス・クラーク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BBS%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%AF

ウィリアム・スミス・クラーク:William Smith Clark、クラーク博士、1826年7月31日 - 1886年3月9日) は札幌農学校 (現北海道大学) 初代教頭。いわゆるお雇い外国人のひとりである。 専門の植物学だけでなく、自然科学一般を英語で教えた。この他、学生達に聖書を配り、キリスト教についても講じた。のちに学生たちは「イエスを信じる者の誓約」に次々と署名し、キリスト教の信仰に入る決心をした。

目次
1 略歴
2 少年よ、大志をいだけ
3 クラークとカレー
4 クラーク博士像
5 外部リンク

略歴
米マサチューセッツ州アッシュフィールド生まれ。アマースト大学卒業。ドイツのゲッティンゲン大学留学後、アマースト大学教授。 (当時、アマースト大学に在学していた後の同志社英学校創設者である新島襄が最初の日本人学生であった) 南北戦争には北軍少佐として従軍。米マサチューセッツ農科大学第3代学長に就任。 (初代、第2代学長は開学前に辞任しているため、クラークが実質的な初代学長である)

専攻は園芸学、植物学、鉱物学。任期中には新島襄の紹介により、日本政府の熱烈な要請を受けて、1876年 (明治9年) 7月に札幌農学校教頭に赴任する。マサチューセッツ農科大学の休暇を利用して訪日という形をとった。クラークの立場は教頭で、名目上は別に校長がいたが、クラークの職名は英語ではPresidentと表記することが開拓使によって許可され、殆ど実質的にはクラークが校内の全てを取り仕切っていた。

8ヶ月の札幌滞在の後、翌年の1877年5月に離日した。 帰国後は学長を辞め、新規大学の開学を企画するが失敗。その後、知人と共に鉱山会社を設立するが、会社は破産。心臓病でこの世を去った。

少年よ、大志をいだけ
彼の言葉、‘Boys Be Ambitious’(少年よ、大志をいだけ) は、よく知られている。これは、札幌農学校1期生との別れの際に、北海道札幌郡月寒村島松 (現在の北広島市島松) でクラークが発したものとされている。しかし、この文言は、クラークの離日後しばらくは記録したものがなく、後世の創作によるものだと考えられた時代があった。1期生の大島正健 (後の甲府中学校 (現・甲府第一高等学校) の学校長) による離別を描いた漢詩に、「青年奮起立功名」とあることから、これを逆翻訳したものとも言われた。

しかし、大島が札幌農学校創立15周年記念式典で行った講演内容を、安東幾三郎が記録。安東が当時札幌にいた他の1期生に確認の上、この英文をクラークの言葉として、1894年ごろに同窓会誌『恵林』13号に発表していたことが判明した。安東によれば、全文は'Boys, be ambitious like this old man'である。このまま訳すと、「この老人のように、あなたたち若い人も野心的であれ」というような意味になる。安東の発表の後、大島自身が内村鑑三編集の雑誌Japan Christian Intelligencer, Vol.1,No.2でのクラークについての記述で、全く同じ文章を使ったことも判明した。

ただし、前段の'Boys, be ambitious'は、クラークの創作ではなく、当時、出身地のニューイングランド地方でよく使われた別れの挨拶(「元気でな!」)だったという説もある。

'Boys, be ambitious in Christ ! ' (または in God !) と言ったという説があるが、これについて言及した1期生はおらず、キリスト教徒による創作とされる。

一方、彼は札幌農学校の校則について、開拓使長官の黒田清隆に「この学校に規則はいらない Be Gentlemanで十分である」と進言したと言われている。それまで士族の子弟が雁字搦めの徳目に縛られていたのと比べると、「紳士であれ」だけとはいかにも簡潔なことであった。しかし、何をして良いのか、何をしてはいけないのかは自分で判断しなければならないため、自由でありながら厳しいものとなっている。 ただし、開校日にクラーク自身が学生に提示した学則は、これよりはるかに多い。これは、クラークの前任者であるホーレス・ケプロンの素案をそのまま使ったためとも言われている。

クラークとカレー
クラークは学生にカレー以外のメニューの時の米飯を禁じ、パン食を推進したと言われ、カレーを日本に広めたのはクラークであるという説もある。しかし、『カレーなる物語』 (吉田よし子、1992年) によれば、北海道大学には、当時のカレーに関する記録は1877年9月 (クラーク離日後) のカレー粉3ダースの納入記録しか残っておらず、クラークの命令もあったのかどうかは不明とされる。ただし、1881年の寮食は、パンと肉、ライスカレーが隔日で提供されていたことは確認されている。クラークとカレーを結びつける文献として古いものは、『恵迪寮史』 (1933年) があり、これによると、札幌農学校ではパン食が推進され、開学当時からカレー時以外の米食が禁じられていたと言う。

北海道立文書館発行『赤れんが』81号 (1984年) によれば、開拓使東京事務所では、クラーク訪日前の1872年からお雇い外国人向けにライスカレーやコーヒーが提供されていた。また、札幌農学校の前身である開拓使仮学校は、東京に設置されている。そもそも、北海道でパン食を推進したのは、クラークの前任者とされる開拓使顧問ホーレス・ケプロンであるとされ、札幌農学校とカレーとの関係は、クラーク以前の時代に遡る可能性もある。

ライスカレーという語はクラークが作ったという説もあるが、クラーク訪日前の開拓使の公文書『明治五年 開拓使公文録 八』 (1872年) で、「タイスカレイ」 (ライスカレーの意味) という語が使われている。

クラーク博士像

羊ヶ丘展望台のクラーク像
北海道大学のクラーク像北海道大学構内に胸像、羊ヶ丘展望台に全身像がある。一般には羊ヶ丘展望台のものが有名である。

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++

7月31日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/7%E6%9C%8831%E6%97%A5

できごと
781年(天応元年7月6日) - 富士山噴火の最古の記録
1009年 - ピエトロ・ボッカペコーラがローマ教皇セルギウス4世に即位。
1110年(天永元年7月13日)- 天仁から天永に改元。
1703年 - イギリスの作家ダニエル・デフォーが政治的な扇動を目的としたパンフレットを作成した廉でさらし台に上げられる。
1893年 - ダブリンでゲール語連盟が設立される。
1905年 - 日露戦争: 日本軍が樺太全島を占領下に置く。
1919年 - ドイツ議会がヴァイマル憲法を採択。
1932年 - ドイツ議会の選挙が行なわれその結果国家社会主義ドイツ労働者党が230議席を獲得、第一党となる。
1936年 - ベルリンで開かれていたIOC総会で1940年の夏季オリンピックの東京開催が決定(日中戦争の影響で日本は1938年に開催権を返上)
1937年 - 三井造船創業。
1948年 - ニューヨークでアイドルワイルド空港(現ジョン・F・ケネディ国際空港)が国際空港として開港。
1954年 - イタリアのアルディト・デシオ隊がK2初登頂を果たす。
1970年 - イギリス海軍が兵士へのラム酒支給を打ち切る。
1970年 - 山手線に冷房車が初登場
1973年 - バーモント州バーリントン発ボストン行きのデルタ航空723便DC-9型機がボストン・ローガン国際空港への着陸に失敗、乗員乗客89名全員が死亡。
1973年 - NHKが本部機能を渋谷の放送センターに移転。
1981年 - 日本国内各地で部分日食。
1982年 - 豊橋鉄道東田本線・井原〜運動公園前が延長開業。日本国内の路面電車の路線延長は1968年の長崎電気軌道以来。
1985年 - 大日本帝国海軍戦艦大和が東シナ海で発見される。
1986年 - 大井競馬場が日本の公営競技場として初のナイター競走(愛称:トゥインクルレース)を開始。
1991年 - ジョージ・H・W・ブッシュ米国大統領とミハイル・ゴルバチョフソ連大統領、第一次戦略兵器削減条約(START I)に調印。冷戦の実質的終結。
1992年 - バンコク発カトマンズ行きのタイ国際航空311便エアバスA310型機がカトマンズ近郊の山中に墜落、乗員乗客113名全員が死亡。
1992年 - 南京発アモイ行きの中国通用航空7522便Yak-42型機が離陸直後に墜落、乗員乗客126名中109名が死亡。
1999年 - GLAYが「MAKUHARI MESSE 10TH ANNIVERSARY GLAY EXPO’99 SURVIVAL」を開催。幕張メッセに20万人を動員、国内史上最大、有料ライブの観客動員数としては世界記録。
2006年 - レバノン侵攻: イスラエルが48時間の空爆停止を了承。
2006年 - キューバのフィデル・カストロ国家評議会議長が腸からの出血、手術のため権限が一時的に弟のラウル国家評議会第一副議長に委譲される。
2007年 - 兵庫県豊岡市で野生のコウノトリが日本で46年ぶりに巣立ちをする。
2008年 - 自衛隊機が中国北京首都国際空港へ初着陸。政府専用機以外で中国国内に着陸したのは初めて。

誕生日
1800年 - フリードリヒ・ヴェーラー、化学者(+ 1882年)
1826年 - ウイリアム・S・クラーク、教育者(+ 1886年)
1875年 - 柳田國男、民俗学者(+ 1962年)
1901年 - ジャン・デュビュッフェ、画家(+ 1985年)
1912年 - ミルトン・フリードマン、経済学者(+ 2006年)
1912年 - ビル・ブラウン、クリケット選手
1917年 - 三木睦子、三木武夫元首相夫人
1921年 - ピーター・ベネンソン、アムネスティ・インターナショナル創立者(+ 2005年)
1921年 - 藤原弘達、政治学者・評論家(+ 1999年)
1932年 - 堂本暁子、千葉県知事
1932年 - ジョン・サール、哲学者
1934年 - 福田昌久、元プロ野球選手(+ 1988年)
1935年 - 中原早苗、女優
1941年 - 新治伸治、元プロ野球選手(+ 2004年)
1942年 - 石立鉄男、俳優(+ 2007年)
1944年 - ロバート・マートン、経済学者
1944年 - 若尾義昭、俳優
1947年 - 和泉雅子、女優
1950年 - 中村美律子、演歌歌手
1951年 - 大竹憲治、元プロ野球選手
1953年 - 古谷徹、声優
1953年 - 岡崎友紀、女優
1956年 - 松原仁、衆議院議員
1957年 - 杉村繁、元プロ野球選手
1957年 - 木下智裕、元プロ野球選手
1957年 - 牧野誠三、元讀賣テレビ放送アナウンサー
1959年 - 平田勝男、元プロ野球選手
1959年 - 奥田智子、九州朝日放送アナウンサー
1961年 - 服部真澄、小説家
1962年 - ウェズリー・スナイプス、俳優
1962年 - 利重剛、俳優・映画監督
1962年 - 黛まどか、俳人
1965年 - J・K・ローリング、作家
1967年 - 岩田光央、声優
1967年 - 中山秀征、タレント
1967年 - 本田美奈子.、歌手(+ 2005年)
1968年 - 島田律子、タレント・エッセイスト
1975年 - ゲーブ・キャプラー、プロ野球選手
1976年 - 小室りりか、AV女優・ストリッパー
1979年 - J.J.ファーマニアック、プロ野球選手
1979年 - 赤松寛子、グラビアアイドル、タレント
1980年 - 愛内里菜、歌手
1981年 - 糸井嘉男、プロ野球選手
1981年 - アダム・バス、プロ野球選手
1982年 - 中島裕之、プロ野球選手
1982年 - 田中隼磨、サッカー選手
1983年 - 水島愛、レースクイーン
1984年 - 栗原恵、バレーボール選手
1984年 - 岡村麻純、女優
1987年 - 高瀬友規奈、女優
1988年 - 遠藤舞、女性タレント(アイドリング!!!3号)
1988年 - 崔暁、元プロ野球選手
1989年 - ビクトリア・アザレンカ、テニス選手
1990年 - 赤川克紀、プロ野球選手
1990年 - 木本幸広、プロ野球選手
1991年 - 鉢嶺七奈、タレント
1992年 - 小鷹こるり、タレント
1993年 - 鈴木きらら、SKE48
1994年 - 新芽歩、歌手
1995年 - 八木アリサ、ファッションモデル
生年不詳 - Nao、ミュージシャン(アリス九號.)
生年不詳 - ZERO、ミュージシャン(D'espairsRay)
生年不詳 - 矢口アサミ、声優

忌日
1556年 - イグナチオ・デ・ロヨラ、イエズス会創立者(* 1491年)
1784年 - ドゥニ・ディドロ、哲学者・作家(*1713年)
1875年 - アンドリュー・ジョンソン、アメリカ合衆国第17代大統領(* 1808年)
1886年 - フランツ・リスト、作曲家・ピアニスト(* 1811年)
1944年 - アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ、作家(* 1900年)
1952年 - ワルデマル・ボンゼルス、児童文学作家(* 1880年)
1966年 - バド・パウエル、ピアニスト・作曲家(* 1924年)
1973年 - 東富士欽壹、大相撲第40代横綱(* 1921年)
1975年 - 加東大介、俳優(* 1911年)
1983年 - エバ・パブリック、フィギュアスケート選手(* 1927年)
1986年 - 杉原千畝、外交官(* 1900年)
1993年 - ボードゥアン1世、ベルギー第5代国王(* 1930年)
1997年 - 料治直矢、ニュースキャスター(* 1935年)
1997年 - 浅野賢澄、実業家(* 1916年)
2001年 - ポール・アンダースン、SF作家(* 1926年)
2004年 - 朱里エイコ、歌手(* 1948年)
2006年 - 吉村昭、小説家(* 1927年)
2006年 - 高橋明、プロ野球選手(* 1942年)
2006年 - 鶴見和子、社会学者(* 1918年)
2007年 - R・D・ウィングフィールド、放送作家(* 1928年)

記念日・年中行事

土用の丑の日 - 2009年

パラグライダー記念日

クールジャパンの日