東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年8月1日(土曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年8月01日(土曜日)

「夏」。

「8月」です。

「夏」の。

「8月」になりました。

「夏」がきた。

「夏」がきた。

どこにきた。

「山」にきて「里」にきて。

「野」にもきた。

-------------------------------
今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

「晩冬」の「2月」がおわり。
「春」になりました。

「3月」「4月」「5月」がおわり。
「8月」になりました。
「夏」です。

昨年。
「6月」=「夏の始まり」です。
「6月」がおわり「7月」です。
「7月」もおわりました。
最後の夏月「8月」。
夏の「8月」もおわりました。

「9月」の「秋」になり。
「9月」がおわりました。
「10月」もおわりました。
「11月」です。
「秋」「11月」が終わりました。

「12月」です。
「冬」になりました。

昨年の「12月」が終わりました。

「新年」の「初春」になりました。
「1月」がすぎ。

「初春」の「2月」がすぎ。

「3月」「4月」「5月」がおわり。

いま「8月」です。

野の「夏」

里の「夏」。

「まち」の「夏」。

そして。

わたくしの「夏」。

みなの「夏」

「野」の「夏」に。

「里山」の「夏」に。

そして。

街(まち)の「夏」に。

「みどり」の「夏」に。

なりました。

「ちいさな夏」をこえて。

「大きな夏」を。

むかえようとしています。

いまは。

「里山」の「夏」

「野」の「夏」

「まち」の「夏」

「ふゆ」を「むかえよう」。
「新年」そして「初春」。
「くるとしつき」は
「無我のうちにむかえよう」。
「冬」がすぎたら。
そうしたら「春」をむかえよう。
「春」がすぎたら「夏」をむかえよう。

自在に「かんがえることなくながれてゆく」。

「自然」の「ときの流れ」は。
真(まこと)の幸せの「しらべ」。

「1月」は去り「2月」。
「2月」は去り「3月」。
「3月」は去り「4月」。
「4月」は去り「5月」。
「5月」は去り「6月」。
そして「7月」が去り「8月」。

「ひたひた」と。

さらに深まりゆき。

とおりすぎていく「夏」。

「さくさく」とひびく。

日々の過ぎ去る足音は。

「とほとほ」と。

朝早くまだ暗い街中に

聞こえるようにとおざかり。

さってゆき。

そしてまた「新たな季節」が。

かわりにやってくる。

白く柔らかな春霞の衣をまとう若々しい

「春」の「さほ姫」*

は「冬将軍」をいなして。

「春」を導いて。

そしていま。

「佐保姫(さほひめ)」ははるかかなたに去り。

「夏」の「8月」になりました。

「佐保姫(さほひめ)」は春の神です。

五行説では春は東の方角にあたります。
平城京の東に佐保山があるために。
春の神は佐保姫と呼ぶようになりました。

白く柔らかな春霞の衣をまとう若々しい女性です。

竜田山の神で秋の竜田姫と対を成すことになります。

「夏」がきて。

去り行く。

日本の「春」の女神(めがみ)

「佐保姫(さほひめ)」。

「どなた」がみつけた「姫君」か。

うるわしき女神と感嘆致します。

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
(Johann Wolfgang von Goethe)
の「魔王:Erlkonig」*は。
「おそい冬の夜」の「嵐のなかを馬駆ける」
「父親」と「子」の情景を描写したものです。

かならずしも「冬の夜」を情景と考えなくても
「魔王」の詩*の
その「魔王」の「おそろしさ」は通じます。


魔王(Erlkonig)が。
どのようなものであるかは様々な議論があります。
その名前は字義的には「ハンノキの王」を意味する。

ゲーテは「ハンノキの王」Erlkonigから。
樹木の精霊の王として。
魔王を設定し想像力を膨らませたものです。

この詩はゲーテによって
1782年の歌劇『漁師の娘』
(Die Fischerin) の一部として作詞されました。

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『魔王』はデンマークで生まれた

「比較的新しい伝承」であると考えられます。

それをヨハン・ゴットフリート・ヘルダーが
ドイツ語に翻訳した『ハンノキの王の娘』
(Erlkonigs Tochter)が
ゲーテの詩の元になっています。

これはヘルダーが1778年に出版し
た『歌の中の人々の声』
(Stimmen der Volker in Liedern)という
民謡を集めた本に収録されています。

魔王(Erlkonig)が。
どのようなものであるかは様々な議論があります。
その名前は字義的には「ハンノキの王」を意味する。
英訳としては。
「妖精の王」(Elf King)がよく用いられます。
それに当たるドイツ語は。
「Elfenkonig」になってしまいます。

よく聞かれる説としては「Erlkonig」は
デンマーク語で妖精の王を意味する
「ellerkonge」または「elverkonge」からの
誤訳だとするものがあります。

しかし。
ゲーテはむしろその「ハンノキの王」から。
樹木の精霊の王として。
魔王を設定し想像力を膨らませたものです。

ドイツおよびデンマークの伝承では
魔王は死の前兆として登場します。
その意味では
「アイルランドのバンシー」
に似ています。

魔王は死に瀕した人物の前に現れます。
魔王の姿かたちや表情がこれから
その人物に訪れる死の内容を表します。

苦しい表情であれば苦しい死であるし
穏やかな表情であれば穏やかな死であるという。
別の解釈としては
妖精の王に触れられた者は必ず死に至るという
伝承が元になったという説もあります。

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今は「8月」の「夏」

早いです。

速いものです。

速いのか早いのか。

はやいのか。

けさ暗いうちに。

地をはうような。

「季節風」の

嵐(あらし)がふきました。

「夏の花」と「季節風」は。

相性が。

よくないようです。

もしかしたら逆に。

相性は。

よいのかもしれません。

どちらかです。

暗い朝に。

「夏の花」の花びらが。

夜の間に「季節風」の。

弓風に射られて。

白鷺の羽が舞いおりているようです。

「夏」の。

「季節風」の音は。

宙を舞う前の。

「むささび」の声のような。

「おたけび」。

けれども。

しだいに。

「季節風」は。

歌声のようにかわりました。

そして「8月」の「夏」。

「季節風」のバラード

が聞こえます。

「季節風」。

「「夏」いちばん」。

今日の朝暗いうちに。
秋の暗闇の地面のうえから。

「早朝に「季節風」の音」
が聞こえました。

不思議な「「夏」の「夏かぜ」の音」。
「鳴き声」のようです。

いつしか。
「季節風」と。
「「夏かぜ」の音」だけになりました。

「夏かぜ」と
「季節風」は。
早朝暗いうちにふくものである
ことがわかります。

「絵」にかきたい「音」なのです。

面白いが「おそろしい」情景であるような気も致します。
しいてこわい光景をおもいうかべるのであれば

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
(Johann Wolfgang von Goethe)
の「夏」の「魔王」のようになるのでしょう。

「夏」の声。
「こうこう」と鳴く。
「季節風」
の風音がくわわっていきます。

その「季節風」の音の。
背景に流れる「通奏低音:Generalbass;ゲネラル・バス」*
「はるのはるかぜ」のこえは。
暗闇の「はるの足音」のように聞こえる。
あかるい「夏」の日に。
「陽射しの降るまち」では。
「足音だけが遠ざかっていく」「足音」

「とぼとぼ」
にしだいに重複してきました。
「夏」のあさの「あしおと」と。
「さむさ」のさるあしおとの。
そして「夏」のあしおとの。
「フーガ」と「カノン」。
「季節風」はトッカータ。
「なついちばん」は「フーガ」と「カノン」。

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通奏低音(つうそうていおん)とは
バロック音楽において行われる演奏形態の一つです。
低音部の旋律とともに即興的な和音を付け加えて演奏する形態です。
イタリア語のバッソ・コンティヌオ(Basso continuo)

の訳語です。
伴奏楽器が間断なく演奏し続けるということからこの名があります。
略してコンティヌオと呼ぶことも多いです。
ドイツ語のゲネラルバスも使われることがあります。

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常緑の木々の深冬葉のいろ。
緑がますますあざやかに。
深まる秋におちついて。
考えるが如く
「ロダンの彫塑」の色合いです。

常緑の木々の葉は。
深緑(ふかみどり)になりました。
そして「夏」をむかえて。
「夏緑」のいろあいに
うつろいできました。
もう「緑をうつろいて」
さすがにつかれた黄赤色の葉もみえます。
枯れ葉も樹木のにぎわいです。木々の防熱衣としては
なくてはならないものです。
「夏」をむかえます。

「夏」の夜明(よあけ)の空から。
「夏」の陽がのぼり。
「夏」の日の「空色」になってきました。

けれども。
朝暗いうちはミルクのはいった
コバルトのような
カフエ・オレ・コバルトの空色です。
そして雲は天高く「夏」の雲です。

あさの04:30AMころに。

東の空
さやかににあかるく
まだくらくあおく
しだいに
雲多い空はラピズラズリからトルコ石
のようににうつろうように。
しらんできます。

その上空にさらに。
明らかなる大きな質量のある。
「深まる「夏」の気配」を感じます。

夏野路はた見たりビロードのしだ
夏わらべのごときビロードのしだ
夏わらびのごとく輝けりビロードのしだ
夏山奥にひそむビロードのしだ
夏しのぶの羊歯(しだ)ビロードのしだ
夏めずらしき羊歯ビロードのしだ
夏ときわの緑のほのほビロードのしだ
夏山奥のしだのビロードのしだ
夏「まち」にもいきるビロードのしだ
夏けなげなりもあはれなりビロードのしだ
夏生い立ちしらずビロードのしだ
夏されどそのちからこそとほとしビロードのしだ

「夏」きたれり。

「夏」いざいまこそは

「夏」よき季節にあらむ

「夏」ふと空をみる

今時にもかかわらず放射冷却で
朝はとても寒いが。
「ぬくもり」はある。

確実に日は長くなりました。
葉木(はき)の樹木は「木」にかわり。
秋の木から「冬の木」にうつろいさらに
「「春」の木」から。
「「夏」の木」にうつろう時期
です。

外路樹の若葉は
緑濃くオリーブの葉のごとし
つみとりたくなる
ほどにきれいです。
けれどもひそやかに木々の葉にも
深い「春」からさらに「夏」。
の気配がうつろいて。
うつります。

そして春の「佐保姫(さほひめ)」
は微笑みをうかべてよそのくにへ
たびだちました。

夏まちなみ蒼く(あおく)
夏いろどりて
夏木々の榛葉のかがやけり
夏暑さの夏秋をうつろひて
夏ふかまるみどりの夏木なり
夏しずまるみどりの夏木なり
夏みのりの夏こそありがたし
春みのりの夏こそこひしかり
春虫なきてささやけり
春木々は榛葉にかがやけり

道端の野草もかわいらしい。

化粧をして。

春夏秋冬の。

前奏曲の旋律が聞こえます。

早朝は異常な寒さです。

気象予報で
「明日は暖かくなる」と聞いても
朝は気温がさがり大気は不安定です。
「寒い」。
寒いと首都高の自動車も暗い中
「辛そうな運転の車」が多いです。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

平成21年1月12日(月曜日)
は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました

-------------------------------

平成21年2月11日(水曜日)
は祝日です。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年3月20日(金曜日)
は祝日です。
「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
-------------------------------
平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
-------------------------------

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

-------------------------------

平成21年7月20日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
------------------------------

平成21年8月14日(金曜日)と15日(土曜日)
の「二日間」
は病院の医療コンピューターの更新のため。

診療ができないので二日間「休診日」になります。

平成21年8月13日(木曜日)まで平常どおり。
平成21年8月18日(日曜日)から平常どおり。

------------------------------

★★★

今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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入学式。桜の花。
インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。
再び
「寒さ」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬・春は「厳・春」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の冬場や春はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

草木の周りは。
少しずつ「春夏秋冬」の「四季」を
あゆんでいます。
梅咲き・スミレ咲き。桜咲き。
木々の萌黄から。
眼の青葉。山ほととぎす。そして夏・秋・また冬
がやってくる。

「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬は「厳冬」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の春・冬場はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝

「今日は何の日」は。

モードの天才でありかつ帝王
1936年 -
イヴ・サン=ローラン、
ファッションデザイナー(+ 2008年)
の生誕日です。

++++++++++++++++++++++

イヴ・サン=ローラン
:Yves Saint-Laurent、
1936年8月1日 - 2008年6月1日)は。

フランス領アルジェリア出身の
ファッションデザイナーです。

または、彼の名を冠したファッションブランド。
フランスが誇る世界的ブランドとなっています。

ココ・シャネル、
クリスチャン・ディオール
、ポール・ポワレらとともに。

20世紀のファッション業界をリード致しました。

2002年の引退まで、
トップデザイナーとして40年にわたり活躍し、
「モードの帝王」と呼ばれました。

++++++++++++++++++++++

イヴ・サン=ローラン
:Yves Saint-Laurentと生い立ち

イヴはフランスの植民地のオラン(アルジェリア)で。
保険会社で働く中産階級の両親の家庭に。

1936年8月1日11時15分に生まれました。

家族はイヴが子供の頃にパリに引越しました。
イヴ・サン=ローラン:Yves Saint-Laurentは。

1953年17歳の時に
パリのChambre Syndicale de la Haute Couture
ファッションデザイン学校に入学。

IWS主催のデザインコンクールのドレス部門に
カクテルドレスを発表し最優秀賞を受賞。

そのカクテルドレスの縫製は
ユーベル・ド・ジバンシーでした。

またその時の毛皮部門の受賞者は
シャネルのデザイナーである
カール・ラガーフェルドでした。

++++++++++++++++++++++

ディオールとの出会い

この時の審査員であった
VOGUEのディレクターミッシェル・デブリュノフは
無名の若い少年のポートフォリオを初めて見た時に。

新作として発表している
友人のクリスチャン・ディオールと同じ
A-ラインの線を描くイヴに驚きました。

すぐにディオールに紹介致しました。

そして、独創的かつ想像力に富んだ
彼のデザインは。

ディオールに
非常に強い感銘を与えることになりました。

++++++++++++++++++++++

1957年10月、
ディオールは自身のスタッフに。

「ここにある30のデザインは。

イヴの仕事に基づく
私の最新のデザインであります。

彼は特別な才能です。
私は彼に認められたい」と言いました。

次のコレクションでイヴを連れ出すと
言い出したということです。

++++++++++++++++++++++

彼のスタッフはイヴがまだ若かったので、
もう「少し待たなければならない」と進言致しました。

だが、
それが同年のディオールの死によって
現実のものとなりました。

イヴは21歳でディオールブランドを
財政的な破滅から救うために主任デザイナーとなり、
大きな力で仕事を始めました。

++++++++++++++++++++++

「ブランコ線」
1958年の、イヴのディオールにおける
最初のコレクションに
ブランコ線(Trapze Line)と
呼ばれるデザインを発表致しました。

狭いところからそれは、
穏やかに肩を燃え上がらせたより広くより短い
ちょうどひざをカバーしている裾の線。

秋のパリ・コレクションにはこのラインを採り入れた
デザインの服を発表致しました。

++++++++++++++++++++++

そして、
新聞にはその日一番大きな見出しに
「イヴ・サンローランはフランスを救った。
大きなディオールの伝統は続きます」
と書かれました。

若いデザイナーのイヴがショーの最後に
バルコニーに現れた時、
群集から大きな歓声が上がりました。

イヴはディオールの為に
6つにデザインを発表致しました。

顧客は既に彼のデザインを崇拝していました。

当時彼の多くの作品を買う顧客の中には
62歳のイギリスのウィンザー公爵夫人の名前もありました。

++++++++++++++++++++++

イヴ・サン=ローラン:Yves Saint-Laurentは。

しかし1960年に、アルジェリア独立戦争で戦っていた
フランス軍に徴兵されました。

20日後に戦友の影響でストレスを持った
イヴはフランスの精神病院の施設に収容されました。

そして、神経衰弱のために彼は
電気ショック療法を含む精神医学的な治療を受けました。

++++++++++++++++++++++

イヴ・サン=ローラン:Yves Saint-Laurent

独立
1962年に、
神経衰弱の完治とともにディオールを去りました。

芸術後援者である
ピエール・ベルジェ(Pierre Berge)
の出資により自身のレーベル、
「イブ・サンローラン(YSL)」
を設立、活動を開始致しました。

++++++++++++++++++++++

イヴ・サンローランのブティック
(アメリカ・ビバリーヒルズ店)1966年に、
「イヴ・サンローラン」のプレタポルテ(既製服)ラインである
「イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ」のブティックをパリに開設
致しました。

イヴの最初のコレクションの
ミューズとして
フランス公爵の娘、
ルル・ド・ラ・ファレーズ(Loulou de la Falaise)
がモデルとして出演。
その他にもアングロ-・アイリッシュのモデル、
ベティ・カトルー(Betty Catroux)や
ブラジル系でアメリカ外交官の父と
フランスの装飾家の母を持つタリタ・ポル(Talitha Pol)、
フランスの代表的な
女優カトリーヌ・ドヌーブもランウェーに立ちました。

++++++++++++++++++++++

同年、カトリーヌ・ドヌーブの出演映画『昼顔』
の衣装もデザイン。

彼女は現在でもサンローランの香水や化粧品の
イメージ広告モデルになっています。

1970年代後半から1980年代初期まで
ブランドの紹介役を務めたのは
イギリス・ロンドン社交界の名士であり資産家であった
ダイアン・キャサリー・ヴァンデッリ
(Diane Casserley Vandelli)であり、
ヨーロッパのジェット族(余暇を持て余す有閑階級)
と上流階級に絶大な人気を得ました。

++++++++++++++++++++++

イヴ・サン=ローラン:Yves Saint-Laurent
は。
1989年に、ファッションブランドとして
初のパリ証券取引所に株の公開を致しました。

1993年にパリで「デ・ドール賞」を受賞
(デ・ドールとはフランス語で「金の指ぬき」を意味する)。

2001年には、
フランスのジャック・シラク大統領より
レジオンドヌール勲章(Legion d'Honneur)三等勲章を授与されました。

しかし同年には、
自ら展開するプレタポルテ
「イヴ・サンローラン・リヴ・ゴーシュ」
がグッチ・グループによって買収されることになりました。

++++++++++++++++++++++

「続きを読む」=>*

++「続きを読むです1」++++++++++++++++++

イヴ・サン=ローラン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3

イヴ・サン=ローラン:Yves Saint-Laurent、1936年8月1日 - 2008年6月1日)はフランス領アルジェリア出身のファッションデザイナーである。または、彼の名を冠したファッションブランド。フランスが誇る世界的ブランドとなっている。

ココ・シャネル、クリスチャン・ディオール、ポール・ポワレらとともに20世紀のファッション業界をリードした。2002年の引退まで、トップデザイナーとして40年にわたり活躍し、「モードの帝王」と呼ばれた[1][2]。

目次
1 プロフィール
1.1 生い立ち
1.2 ディオールとの出会い
1.3 「ブランコ線」
1.4 独立
1.5 引退
1.6 死去
2 略歴(ブランド・会社組織)
3 主なブランド名
4 評価
4.1 有色人種のモデルの起用
5 脚注・出典
6 外部リンク

プロフィール

生い立ち
イヴはフランスの植民地のオラン(アルジェリア)で、保険会社で働く中産階級の両親の家庭に1936年8月1日11時15分に生まれた。

家族はイヴが子供の頃にパリに引越し1953年17歳の時にパリのChambre Syndicale de la Haute Couture ファッションデザイン学校に入学。IWS主催のデザインコンクールのドレス部門においてカクテルドレスを発表し最優秀賞を受賞。 そのカクテルドレスの縫製はユーベル・ド・ジバンシーで、またその時の毛皮部門の受賞者はシャネルのデザイナーであるカール・ラガーフェルドであった。

ディオールとの出会い
この時の審査員であったVOGUEのディレクターミッシェル・デブリュノフは無名の若い少年のポートフォリオを初めて見た時、新作として発表している友人のクリスチャン・ディオールと同じA-ラインの線を描くイヴに驚き、すぐにディオールに紹介した。そして、独創的かつ想像力に富んだ彼のデザインはディオールに非常に強い感銘を与えることになる。

1957年10月、ディオールは自身のスタッフに「ここにある30のデザインはイヴの仕事に基づく私の最新のデザインであります。彼は特別な才能です。私は彼に認められたい」と言い、次のコレクションでイヴを連れ出すと言い出したという。彼のスタッフはイヴがまだ若かったので、もう「少し待たなければならない」と言った。

だが、それが同年のディオールの死によって現実のものとなる。イヴは21歳でディオールブランドを財政的な破滅から救うために主任デザイナーとなり、大きな力で仕事を始める。

「ブランコ線」 [
1958年の、イヴのディオールにおける最初のコレクションにブランコ線(Trapze Line)と呼ばれるデザインを発表した。狭いところからそれは、穏やかに肩を燃え上がらせたより広くより短いちょうどひざをカバーしている裾の線。秋のパリ・コレクションにはこのラインを採り入れたデザインの服を発表した。

そして、新聞はその日一番大きな見出しに「イヴ・サンローランはフランスを救った。大きなディオールの伝統は続きます」と書いた。若いデザイナーのイヴがショーの最後にバルコニーに現れた時、群集から大きな歓声が上がった。イヴはディオールの為に6つにデザインを発表した。顧客は既に彼のデザインを崇拝していた。当時彼の多くの作品を買う顧客の中には62歳のイギリスのウィンザー公爵夫人の名前もあった。

しかし1960年に、アルジェリア独立戦争で戦っていたフランス軍に徴兵され、20日後に戦友の影響でストレスを持ったイヴはフランスの精神病院の施設に収容される。そして、神経衰弱のために彼は電気ショック療法を含む精神医学的な治療を受ける。

独立
1962年に、神経衰弱の完治とともにディオールを去り、芸術後援者であるピエール・ベルジェ(Pierre Berge)の出資により自身のレーベル、「イブ・サンローラン(YSL)」を設立、活動を開始する。

イヴ・サンローランのブティック(アメリカ・ビバリーヒルズ店)1966年に、「イヴ・サンローラン」のプレタポルテ(既製服)ラインである「イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ」のブティックをパリに開設。イヴの最初のコレクションのミューズとしてフランス公爵の娘、ルル・ド・ラ・ファレーズ(Loulou de la Falaise)がモデルとして出演。その他にもアングロ-・アイリッシュのモデル、ベティ・カトルー(Betty Catroux)やブラジル系でアメリカ外交官の父とフランスの装飾家の母を持つタリタ・ポル(Talitha Pol)、フランスの代表的な女優カトリーヌ・ドヌーブもランウェーに立った。

同年、カトリーヌ・ドヌーブの出演映画『昼顔』の衣装もデザイン。彼女は現在でもサンローランの香水や化粧品のイメージ広告モデルになっている。

1970年代後半から1980年代初期までブランドの紹介役を務めたのはイギリス・ロンドン社交界の名士であり資産家であったダイアン・キャサリー・ヴァンデッリ(Diane Casserley Vandelli)であり、ヨーロッパのジェット族(余暇を持て余す有閑階級)と上流階級に絶大な人気を得た。

1989年に、ファッションブランドとして初のパリ証券取引所に株の公開をする。1993年にパリで「デ・ドール賞」を受賞(デ・ドールとはフランス語で「金の指ぬき」を意味する)。

2001年には、フランスのジャック・シラク大統領よりレジオンドヌール勲章(Legion d'Honneur)三等勲章を授与される。しかし同年には、自ら展開するプレタポルテ「イヴ・サンローラン・リヴ・ゴーシュ」がグッチ・グループによって買収される。

引退
翌2002年の1月22日に、パリでのオートクチュールコレクションを最後に引退。その後はマラケシュ(モロッコ)の家で殆どの時間を過ごしている。

同年10月31日にパリのアヴェニューマルソーのアトリエが閉店。「イヴ・サンローランのオートクチュールメゾンは、彼以上の才能を持つデザイナー後継者を将来にも見つけることは不可能とし歴史に幕を閉じた」とも言われた。しかし2004年3月10日に、デザイナーがトム・フォードになって初めてのプレタポルテ「リヴ・ゴーシュ」のパリ・コレクションが発表された。

2007年、イヴは彼のF「utureSex/LoveShow」の為のジャスティン・バレーク旅行衣服をデザインした。同年12月6日、ニコラ・サルコジ大統領からレジオン・ドヌールオフィシエ級を授勲。

死去
2008年6月1日に、ガンのため逝去。71歳没。6月5日にパリで告別式が行われ、
ドヌーブやサルコジ大統領夫妻ら800人が参列し、
フランスだけでなく世界中のマスコミで大きく取り上げられた。

略歴(ブランド・会社組織)
1962年:オートクチュールメゾン「イヴ・サンローラン」ができる。
1966年:「イヴ・サンローラン」のプレタポルテラインである「イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ」のブティックをパリに開設。
1993年:サノフィ・ボーテ社に買収される。
1997年:男性服のディレクターにエディ・スリマンが就任。
1998年:ジーンズのブランド・サンローランを発表。デザイナーはエディ・スリマン。
1999年:ピノー・プランタン・ルドゥート(PPR)社がサノフィ社を買収。PPR社は、イヴ・サンローラン・リヴ・ゴーシュ及び香水部門をGUCCI社に売却。ただし、イヴ本人とオートクチュール部門はPPR傘下として残る。
2000年:リヴ・ゴーシュの婦人服デザイナーであったイスラエル人アルベール・エルバス(Alber Elbaz)が辞任。続いて、男性服のディレクターであったエディ・スリマンが辞任。
2001年:2001年S/Sよりリヴ・ゴーシュのデザイナーにトム・フォードが就任。
2002年:イヴ引退。これによりオートクチュール部門は閉鎖。リヴ・ゴーシュのみの展開となっている。
2004年:フォード辞任。
2005年:ステファノ・ピラーティがクリエイティブ・ディレクターに就任。

主なブランド名
Yves Saint Laurent rive gauche

評価

有色人種のモデルの起用
生前、親交の深かったナオミ・キャンベルは「彼はファッションの王様だった」と語っている。また、イブが亡くなった際に「私が彼に『イヴ、私は仏版ヴォーグ誌の表紙になれないわ。黒人の女の子を起用しないみたいなの』って言ったら、彼は『僕にまかせておいて』って答えてくれたの」というエピソードを明かしている。実際に後日、ナオミは黒人モデルとして仏版ヴォーグ誌の表紙を飾っている。

ことのことから、「彼はプレタポルテを生みだし、初めてランウェイに有色人種を起用した。私のキャリアにおいて、極めて重要な人物よ。初期の仕事のひとつを与えてくれた人でもあるの」と感謝の言葉を述べている[3]。

ナオミ以外にも初期の黒人スーパーモデル、ムーニアはフランスのラジオ局のインタビューに対し「彼のおかげで、肌の色に対する誇りをもつことができた」とコメント。アフリカ出身のダイヤ・グェイェもイブの協力によって国際的なキャリアをスタートすることのできたモデルの1人であり、「彼は天才だった。世界全体にとって大きな損失よ。兄というよりも、父のようだったわ」と死を悼んだ[3]。

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8月1日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/8%E6%9C%881%E6%97%A5

できごと
527年 - ユスティニアヌス1世がビザンチン帝国皇帝に即位。
607年(推古天皇15年7月3日)- 小野妹子を使者として第2回遣隋使が派遣される。
1291年 - ウーリ・シュヴィーツ・ウンターヴァルデンの3州が盟約者同盟結成を宣言、スイス建国の日とされる。
1774年 - ジョゼフ・プリーストリーが酸素を発見。
1798年 - ナイルの海戦
1834年 - イギリスで奴隷制が廃止される。
1876年 - コロラド州がアメリカ合衆国に加盟。
1894年 - 日清戦争: 日清両国が相互に宣戦布告。
1898年 - 豊田佐吉、動力織機の特許を取得。
1912年 - 鈴木文治ら、労働者の相互扶助を目的として友愛会を結成。
1914年 - 第一次世界大戦: ドイツ帝国がロシア帝国に宣戦布告。
1921年 - 新逢坂山トンネルが完成。
1924年 - 阪神甲子園球場が竣工。
1927年 - 中国共産党が江西省南昌で武装蜂起、3日まで占拠し続ける(南昌起義)。
1935年 - 中国共産党が、内戦を停止し中華ソビエト共和国と共同で抗日民族統一戦線を結成するという内容の「八・一宣言(抗日救国のために全国同胞に告ぐる書)」を発表。
1936年 - 第11回夏季オリンピック、ベルリンオリンピック大会開催。8月16日まで。聖火リレーはこの大会で初めて行われた。
1943年 - 日本統治下にあった朝鮮に徴兵制がしかれる。
1944年 - ワルシャワ蜂起勃発。
1945年 - 午後10時30分、アメリカ軍が長岡市に焼夷弾16万個を投下する無差別爆撃を決行(長岡空襲)。死者1476人、焼失家屋11,986戸。
1946年 - 日本労働組合総同盟結成。
1951年 - 日本放送協会(NHK)の支援を受けるようになった日本交響楽団が名称をNHK交響楽団に改称。
1954年 - 津田沼町が習志野町に名称変更、同日千葉市の一部(旧幕張町北部)を編入合併、同日市制施行により習志野市成立。
1955年 - 墨田区厩橋近辺の花火問屋で爆発事故。住民18人が犠牲となり、83人が負傷。
1959年 - 日産自動車よりダットサン・ブルーバードが発売。
1960年 - ベナンがフランスから独立。
1966年 - プリンス自動車工業が日産自動車に吸収合併。
1966年 - テキサスタワー乱射事件
1967年 - 新7円切手(金魚)発行。
1970年 - イギリスで英連邦諸国省と植民地省が統合、英連邦省が発足。
1972年 - 郷ひろみがシングル『男の子女の子』で歌手デビュー。
1976年 - 英女王エリザベス2世を国家元首としていたトリニダード・トバゴが共和制に移行、エリス・クラークが初代大統領に就任。
1979年 - 国鉄山口線で、SLの動態保存運転開始。
1980年 - 野村克也(西武ライオンズ)が前人未到の3000試合出場達成。
1993年 - 鹿児島県霧島市、姶良郡で記録的豪雨(8.1豪雨)。死者23人。
2000年 - 新500円硬貨発行。
2002年 - 中日ドラゴンズの川上憲伸が巨人戦でノーヒットノーランを達成。
2002年 - 茨城県で平成14年全国高等学校総合体育大会『2002年茨城総体』の総合開会式が笠松運動公園で行われる。
2003年 - 広島平和記念公園で折り鶴放火事件が起こる。
2004年 - SuicaとICOCAの共通使用開始。
2004年 - PiTaPaの出改札サービスが京阪電気鉄道・阪急電鉄・能勢電鉄の主要路線で本格的に開始される。
2004年 - 阪神タイガースの金本知憲が701試合連続フルイニング出場の日本新記録を達成。
2005年 - サウジアラビアでアブドゥッラー国王が即位。
2007年 - アメリカ・ミネソタ州のミネアポリスでミシシッピ川に架かる高速道路の橋が崩落、多数の死傷者が出る(ミネアポリス高速道路崩落事故)。

誕生日
紀元前10年 - クラウディウス、第4代ローマ皇帝(+54年)
845年(承和12年6月25日) - 菅原道真、平安時代の学者、政治家(+903年)
1313年(正和2年7月9日)- 光厳天皇、南北朝時代の北朝初代天皇(+ 1364年)
1377年(天授3年6月27日)- 後小松天皇、第100代天皇(+ 1433年)
1761年(宝暦11年7月1日)- 酒井抱一、画家(+ 1829年)
1770年 - ウィリアム・クラーク、探検家(+ 1838年)
1779年 - フランシス・スコット・キー、アメリカ国歌の作詞者として有名な弁護士・詩人(+ 1843年)
1807年 - ロバート・マクレランド、第4代アメリカ合衆国内務長官(+ 1880年)
1819年 - ハーマン・メルヴィル、小説家(+ 1891年)
1860年(万延元年6月15日) - 根津嘉一郎 (初代)、実業家・東武鉄道オーナー(+ 1940年)
1881年 - 会津八一、歌人・美術史家(+ 1956年)
1889年 - 室生犀星、詩人(+ 1962年)
1819年 - ハーマン・メルヴィル、小説家(+ 1891年)
1892年 - 成田きん、きんさんぎんさんの姉(+ 2000年)
1892年 - 蟹江ぎん、きんさんぎんさんの妹(+ 2001年)
1907年 - 大澤壽人、作曲家(+ 1953年)
1907年 - 宮本常一、民俗学者(+ 1981年)
1915年 - 小平忠、政治家(+ 2000年)
1921年 - 大森荘蔵、哲学者(+ 1997年)
1923年 - 中田喜直、作曲家(+ 2000年)
1924年 - 村沢牧、政治家(+ 1999年)
1927年 - 三塚博、政治家(+ 2004年)
1927年 - 小沢潔、政治家
1929年 - E・H・エリック、タレント(+ 2000年)
1931年 - 若原一郎、歌手(+ 1990年)
1932年 - 田畑彦右衛門、社会評論家
1933年 - 金田正一、元プロ野球選手・監督・評論家
1933年 - アントニオ・ネグリ、政治哲学者
1935年 - 田中信夫、声優
1935年 - 宮崎逸人、元プロ野球選手
1936年 - イヴ・サン=ローラン、ファッションデザイナー(+ 2008年)
1936年 - 三ツ矢歌子、女優(+ 2004年)
1937年 - 泉信也、政治家
1937年 - 鎌田敏夫、脚本家 
1938年 - ジャッキー吉川、ミュージシャン
1941年 - 堀勝之祐、声優
1941年 - ジョルディ・サヴァール、ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者・指揮者
1942年 - 小野武彦、俳優
1942年 - ジェリー・ガルシア、ミュージシャン(『グレイトフル・デッド』)(+ 1995年)
1943年 - 田村正和、俳優
1945年 - 小川亨、元プロ野球選手
1945年 - 東田正義、元プロ野球選手
1946年 - 桑原秀範、高校野球指導者
1947年 - あだち勉、漫画家(+ 2004年)
1947年 - 高屋敷英夫、脚本家
1947年 - トニー・ミューサー、元プロ野球選手
1948年 - 吉川潮、演芸評論家、小説家
1949年 - つのだ☆ひろ、ミュージシャン
1953年 - ロバート・クレイ、ミュージシャン
1954年 - トレバー・バービック、プロボクサー
1954年 - 森田順平、俳優・声優
1955年 - 頼近美津子、元NHKアナウンサー・司会者
1955年 - 古屋英夫、元プロ野球選手
1956年 - 竹本由紀夫、元プロ野球選手
1957年 - うえやなぎまさひこ、ニッポン放送アナウンサー
1959年 - ジョー・エリオット、ミュージシャン(『デフ・レパード』)
1960年 - 津田恒実、元プロ野球選手(+ 1993年)
1962年 - 門馬良、演歌歌手
1962年 - スコット・アンダーソン、元プロ野球選手
1963年 - 津村潔、元プロ野球選手
1964年 - 永野彰子、元南海放送アナウンサー
1968年 - 長谷川滋利、元プロ野球選手
1968年 - 成田昭次、シンガーソングライター(元男闘呼組)
1968年 - ジル・トレナリー、フィギュアスケート選手
1969年 - ケビン・ジャービス、元プロ野球選手
1970年 - 小野次郎、騎手
1971年 - トラビス・ドリスキル、元プロ野球選手
1972年 - 森洋子、元C.C.ガールズ
1972年 - フレッディ・ガルシア、元プロ野球選手
1973年 - MCU、歌手(KICK THE CAN CREW)
1974年 - 阿部敏之、サッカー選手
1974年 - 山崎さやか、漫画家
1975年 - 米倉涼子、女優
1975年 - 青沼ちあさ、AV女優
1976年 - ヌワンコ・カヌ、ナイジェリアのサッカー選手
1976年 - 山本剛史、俳優
1977年 - 尾上菊之助 (5代目)、歌舞伎俳優
1978年 - 荒金久雄、プロ野球選手
1979年 - 北村うるか、元AV女優
1980年 - 小暮卓史、レーシングドライバー
1980年 - 小椋真介、プロ野球選手
1980年 - 猿渡ゆか、女優・リポーター
1980年 - 平松隆円、化粧研究者
1980年 - ダリア・ティモシェンコ、フィギュアスケート選手
1980年 - 中野滋樹、野球選手
1981年 - 川島佐助 、お笑い芸人(ガリバートンネル)
1982年 - 西崎聡、プロ野球選手
1982年 - 鈴木達也 (サッカー選手)
1982年 - 冨永愛、ファッションモデル
1982年 - トリスタン・カズンズ、フィギュアスケート選手
1984年 - 坂本雅幸、太鼓奏者
1984年 - 渡辺大、俳優
1985年 - 入山法子、ファッションモデル
1987年 - 柊瑠美、女優
1988年 - タチアナ・ココレワ、フィギュアスケート選手
1989年 - 黒川智花、女優
1992年 - 新海里奈、SKE48
生年不明 - 片倉三起也、作曲家、ALI PROJECTの作曲・編曲担当
生年不明 - MELL、I've歌手

忌日
527年 - ユスティヌス1世、東ローマ皇帝(* 435年)
1137年 - ルイ6世、フランス国王(* 1081年)
1156年(保元元年7月14日)- 藤原頼長、平安時代の公卿(* 1120年)
1203年(建仁3年6月23日)- 阿野全成、平安時代・鎌倉時代の僧(* 1153年)
1227年(安貞元年6月18日)- 島津忠久、鎌倉幕府御家人(* 1179年)
1402年 - エドムンド・オブ・ラングリー、初代ヨーク公(* 1341年)
1457年 - ロレンツォ・ヴァッラ、人文主義者(* 1407年)
1464年 - コジモ・デ・メディチ、銀行家(* 1389年)
1507年(永正4年6月23日)- 細川政元、室町幕府管領(* 1466年)
1526年(大永6年6月23日)- 今川氏親、駿河国の戦国大名(* 1473年)
1589年 - ジャック・クレマン、ドミニコ会修道士(* 1567年)
1610年(慶長15年6月13日)- 伊奈忠次、関東郡代・武蔵小室藩主(* 1550年)
1653年(承応2年閏6月8日)- 加藤忠広、熊本藩主(* 1601年)
1714年 - アン、イギリス女王(* 1665年)
1720年(享保5年6月27日)- 久世重之、江戸幕府老中・関宿藩主(* 1659年)
1769年 - ジャン・シャップ・ドートロシュ、天文学者(* 1722年)
1794年(寛政6年7月6日)- 閑院宮典仁親王、江戸時代の皇族(* 1733年)
1863年(文久3年6月17日) - 箕作阮甫、蘭学者(* 1799年)
1883年 - 徳川慶勝、第14代尾張藩主(* 1824年)
1894年 - ジョセフ・ホルト (政治家)、アメリカ合衆国郵政長官・陸軍長官(* 1807年)
1903年 - カラミティ・ジェーン、西部開拓時代のガンマン(* 1856年)
1914年 - ガブリエル・デュポン、作曲家(* 1878年)
1919年 - オスカー・ハマースタイン、実業家(* 1847年)
1926年 - イズレイル・ザングウィル、作家(* 1864年)
1938年 - 新城新蔵、天文学者(* 1873年)
1944年 - マニュエル・ケソン、フィリピン独立準備政府大統領(* 1878年)
1952年 - 田辺七六、政治家、実業家(* 1879年)
1965年 - 信時潔、作曲家(* 1887年)
1967年 - リヒャルト・クーン、生化学者(* 1900年)
1970年 - オットー・ワールブルク、医学者(* 1883年)
1971年 - 徳川夢声、講談師(* 1894年)
1973年 - ジャン・フランチェスコ・マリピエロ、作曲家(* 1882年)
1973年 - ヴァルター・ウルブリヒト、ドイツ民主共和国(東ドイツ)の指導者(* 1893年)
1975年 - 岡崎令治、分子生物学者(* 1930年)
1977年 - 熊谷守一、画家(* 1880年)
1977年 - ゲーリー・パワーズ、アメリカ空軍大尉・偵察機パイロット(* 1929年)
1978年 - ルドルフ・コーリッシュ、ヴァイオリニスト(* 1896年)
1985年 - ヘレーネ・エンゲルマン、フィギュアスケート選手(* 1898年)
1987年 - ポーラ・ネグリ、女優(* 1897年)
1988年 - 吉本伊信、内観療法創始者(* 1916年)
1989年 - ジョン・オグドン、ピアニスト(* 1937年)
1990年 - グレアム・ヤング、連続殺人犯(* 1947年)
1996年 - タデウシュ・ライヒスタイン、化学者(* 1897年)
1996年 - モハメッド・ファッラ・アイディード、ソマリア大統領(* 1934年)
1997年 - スヴャトスラフ・リヒテル、ピアニスト(* 1915年)
1997年 - 永山則夫、作家(* 1949年)
2002年 - 日高澄子、女優(* 1923年)
2003年 - マリー・トランティニャン、女優(* 1962年)
2004年 - フィリップ・アベルソン、物理学者(* 1913年)
2005年 - ファハド・ビン=アブドゥルアズィーズ、第5代サウジアラビア王(* 1922年)
2005年 - 永岡洋治、衆議院議員(* 1950年)
2007年 - 阿久悠、作家、作詞家(* 1937年)

記念日・年中行事

連邦記念日(スイス)
1291年8月1日に、
ウリ・ウンテルワルデン・シュヴィッツの3州が
ハプスブルク家に反抗してスイス誓約同盟を結成したことに由来。

中国人民解放軍建軍節(中国)
1927年の南昌起義を記念する日で、
解放軍関係者のみ休み。
1933年の制定当時は中国工農紅軍紀念日と称した。

原住民族正名紀念日(台湾)
1994年に台湾政府が「山胞」という
呼び方を「原住民族」と改め、地位向上に考慮したことの記念日。

花火の日(日本)
1967年制定。第二次世界大戦後、花火が解禁された1948年8月1日と、
東京の花火問屋で大規模な爆発事故があった1955年8月1日と、
世界一とも言われる花火大会、
教祖祭PL花火芸術の開催日(毎年8月1日)を記念して制定された。

水の日(日本)
1977年制定。一年で最も水の利用が多くなるこの時期に、
国民ひとりひとりが水の有限性、水の貴重さを理解し、
併せてダム等の水資源開発の必要性を啓蒙するために制定されている。

洗濯機の日(日本)
水の日から、水と関連のある物として。

観光の日(日本)
八朔(日本)

弘前ねぷた(日本、〜7日)

麻雀の日(日本)
8(パ)1(イ)=牌、の語呂合わせから。

盛岡さんさ踊り(日本、〜3日)