東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成21年8月6日(木曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年08月06日(木曜日)

「夏」です。

「夏」の「8月」

になりました。

まばゆいほど。

ことばでは。

いいつくせないほどに。

まぶしくて。

ありがたくやさしい。

「夏」「8月」の。

するどく。

つよい陽射しです。

しあわせいろの。

とても。

とてもあかるい陽射しです。

「8月」の。

「朝」の陽射しの「あかるさ」は。

なにものにも。

たとえようこそありません。

「しずかな花火のようなひざし」です。

あさひ。「朝陽」の光は。

とても「するどい」。

夏朝陽(なつあさひ)

緑木枝間に

われを見る

まばゆくも

夏朝陽(なつあさひ)鋭く輝く

眼(まなこ)なりけり

なつあさひ

みどりきえたまに

われをみる

まばゆくも

なつあさひするどくかかやく

まなこなりけり

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

「夏」になりました。

今年も夏がきました。

「夏」がきて。

今は「8月」。

「夏」がふうせんのように。

ふくらみ。

ひろがってゆく季節です。

「8月」です。

「盛夏」。

ひなまつりはおわり。

野には。

たんぽぽが葉草となり。

夏草の花が咲き。

野草は葉草となり。

よもぎや。

すぎながいっぱいになりました。

みどり葉のつつじが。

さえほこっています。

「夏」になり「川の水音」は。

あたかも。

「ゆたかな清流」の。

「みずのながれのおと」に。

きこえるようになりました。

「夏」の小川。

「どんどん」ながれる。

なつのおがわ。

高さも低さこそ見えないのに。

あゆみたゆまず。

ながれる水の流れ。

とても感銘致します。

春分の日もすぎれば。
「さくら」咲きはじめ
「さくら」がおわり。
「4月」が終われば。
「5月」になり。
「5月」もおわれば。
6月に。「夏」になり。
6月も終われば。
7月 たなばた。
7月 もおわれば。
せみのなく8月。
8月の夏はすぎれば。
9月の秋になり秋の虫が鳴く。
そして9月がおわり。
中秋10月なり紅葉の季節。
そして10月がおわり。
「11月」になり。
晩秋「11月」もおわり12月の「冬」。
「12月」になればまた「年」があけ。
また「初春」がくる。

そして来年も「春」の「3月」がきて。
そして「4月」「5月」がおわり。
「6月」「7月」がすぎて。
「8月」になる。

「なつ」の「8月」です。

「陽」はすでに

日々とてもたかくなりつつあります。

「夏」がきて。

「ま夏」に向かう「ひざし」の。

「光」の日々です。

「夏至」はもうすぎました。

「夏」の「8月」です。

「夏」の「8月」の。

陽は日々ひくくくなっています。

夜になっても明るい。

とてもよくわかります。

けれども「夏至」はもうすぎました。

朝陽ののぼるのが早くなりました。

夕陽がおりるのは遅くなりました。

朝の「夏」の陽射しは

窓越しにも「まばゆい」

くらいです。

夕暮れの「夏」の陽射しは

「はしりおえた」

「陸上競技の選手」のようです。

つかれて。けれども充実して。

くれてゆきます。

空明るい夜になります。

まことに。

冬来たりなば春遠からじ。

ふゆきたりなば

はるとおからじ

(出 典は。

 イギリスの詩人シェリー*の

『西風に寄せる歌』の一節。

英 語の原文: 

If winter comes,

can spring be far behind? )

「英国:United Kingdom UK」のロマン派の
詩人は。「御自分」のテーマの「鳥」を
紋章のようにもっています。
英国ロマン派の詩人は、
それぞれ愛好し、崇拝する鳥を持っていました。

ジョン・キーツは、
「夜鶯」(ほととぎす)の神秘的な声に魅惑され。
夜の闇に響くその歌声を主題に詩を書いています。

ワーズワースにとって、詩の霊感をもたらし、
彼に生きることの喜びを教えてくれる鳥は、
「郭公」(かっこう)でした。

パーシー・シェリーは「雲雀」(ひばり)の声に魅惑され。
ひばりを崇拝する鳥として。
主題とした詩を書いています。

「春」から「夏」への

移り変わりは

二階から。

「かけあし」の足音のとんときこえぬ。

「空き家」のごとき「うつろい」でした。

二階から。

「かけあし」の足音のきこえぬ。

「かげろう」

の「たたずまい」のようでした。

「9月」の初秋がおわり。
「名月中秋10月もおわり」ました。
「11月」。

「11月」もおわりました。
「12月」もおわりました。
「新年」「初春」の「1月」もおわり。
今は
「2月」「晩冬」もおわりました。

「春」から「夏」への移り変わりは

「かげろう」のようにうつろいました。

「夏」はひそやかにと。

こっそりと。ゆっくりと。

ひそかに。あるいて来ます。

そしてゆっくりと。

「秋」になるまで

あるいて去って行くようです。

だから。

「夏」をまつのであれば。

「夏」がひそやかに。

しのびあしで。

歩いてくるのをまたなければ。

なりません。

「秋」がくるのをまつのであれば。

「夏」がゆっくりと。

しのびあしで。

歩いていくのをまたねば。

なりません。

「かぜのおとに*」おどろかされるまで。

またねばなりません。

秋きぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる
(藤原敏行・古今集169)

もう「夏」なのですね。

「夏」はゆっくりとあるいてやってくる。

「夏」がひそやかにかくれてやってくる。

さきのことすぎるかもしれないが「来年」。

このように「時」のうつろいを

心はせれば。

考えると「おそろしいもの」です。

考えなければ。
「なおおおそろしい」
ものであるものかもしれない。

「考えずにいるつけ」がまわって
くるからかもしれません。

「来年」のことを考えれば「鬼」が笑う。
「来年」のことを考えずにすむのであれば「鬼」は
笑わないのでしょう。
「鬼」とはなんだろう。

今日の深夜早朝03:15amには。

久方ぶりに。

大きな「夏」の「星空」がみえました。

早朝くらいうちは。

空に月。

「お月様」が「雲のじゅうたん」に。

天高くにねそべって。

かさををさしている。

ようです。

「夏」の「夜空」の。

「おぼろ月夜」です。

「赤い月」でした。

04:00amころ日があければ。
まだまだくらい朝日を背に。
西のコバルトの空高く明るい。
とても高い成層圏近くの高い高度に。

西のコバルトの空高に。
「刷毛」でひいたように「絹雲(けんうん)」が
何本も何本も。
描かれて。
たなびいていました。

実に見事な筆捌(ふでさばき)です。
ためらいのない「朝焼け」
「夏」の「朝焼け色」の線描です。

「夏」の朝。

「陽射し」ののぼるころは。

「西」の空

のほうが明るいのです。

朝が明けて午前になれば。

まばゆいほどの。

「夏」のひざしが。

陽がのぼる。

東から。

窓のカーテンと。

木々の合間をぬって。

「さあ 外においで!」

とさそうがごとく。

大きな声で。

よびかけてくるようです。

ハーメルンの笛吹き男のようです。

高い成層圏近くの高い高度に。
「刷毛でひいたように」「絹雲(けんうん)」
の端には渦巻きのような「ぬけあな」があり
「さらなる遠方の青空」が透けてみえます。

さながらにして。
東山魁夷画伯の描かれた大きな壁画。
大きな屏風絵の世界。

東山魁夷画伯の描かれた大きな絵画を
彷彿とさせますです。

東山魁夷画伯。
「よくえがかけた画伯です」。

この「あおぞら」をみていると。

陽のひかりをみていると。

とても

信じられないくらいに。

元気がわいてくることに。

気が付きました。

「太陽」の「陽射し」。

「陽」の「めぐみ」は。

なんと。

ありがたいことだろう。

なんと尊いことだろう。

そら一杯の青空の

天井(てんじょう)と。

「太陽のひかりのひざし」は。

「生きとし生けるもの」にとって。

なによりもの。

まことの。

「めぐみ」なのであり。

それを戴けるのは。

「よろこび」おほきことです。

「太陽のひかりのひざし」は

「いのちへのめぐみ」。

「いのちのよろこび」。

ありとあらゆる「生命」「いのち」をはぐくみ。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をたたえる。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をなぐさめる。

「生きとし生けるもの」の「いのち」に。
さらなる。
「はるかかなた」までの。
「いきるちから」をさずけるものです。
「太陽」。
ありがたいものです。

はやいものです。
ときのたつのは。
はやいものです。

そしてふと考えれば

去年も
「12か月」が
終わりました。

中秋から晩秋にうつろい。
「寒月」の「12月」がおわり。
新年の「1月」がおわり。
「晩冬」の「2月」がおわり。
「初春」の「3月」「4月」がおわり。

いまは
「夏」「8月」です。

「夏の花」の花の花びら。

ひろって。
手のひらにかかげれば。
「夏の花」の花のかおりは。
プラチナ色の香りが
致します。

今は。
「夏の花」が。
蕾をふくらませています。
「夏の花」の。

はながは鐘袖(ベル・スリーブ)のように。
ふくらんでいます。

「夏」の花の「はなびら」が。

闇夜のあいだに。

朝の早朝まだ。

「花」にもきがつかぬうちに

また地に舞い下りています。

「夏の花」

には。

ひとのよの。

「人のいのち」の。

「こたえ」があるような

気が致します。

ふと野の花は。

一般的には。

香らない花が。

多いことに気づきました。

伊藤左千夫の「野菊の墓」の「野菊」は。
矢車菊 (やぐるまぎく)
はとても綺麗なむらさきの「のぎく」です。
けれども「のぎく」は香りません。
(Corn lower, Bachelor's-button)です。

因みに
最高級の(今はもうとれない)
インド・カシミール地方で産出されたの
サフアイアの色は

「矢車菊色:やぐるまそう色」といわれます。

「カシミール・ヴァイオレット」。

麦畑やとうもろこし畑の中に 咲いていたことから。
「コーン・フラワー」=「野菊」(Corn lower)
です。

別名 「矢車草(やぐるまそう)」
といわれることがあります。

実は「矢車菊 (やぐるまぎく)」と
「矢車草(やぐるまそう)」まったく違う植物です。
矢車菊 (やぐるまぎく)が「野菊」。
「矢車草(やぐるまそう)」は「高山植物」。

「野菊」は春から夏にかけて咲くむらさきの花です。

古代エジプトのツタンカーメン王の墓 からも
発見された由緒正しき「野菊」。
色は紫。むらさきです。

ツタンカーメン王の。

まだ幼な子王妃が。

「亡きツタンカーメンンに野菊の花束ささげるけなげな姿」
が鮮烈に眼に浮かびます。

この「花」が。

「野菊」です。

「野菊の墓」の「野菊」。

けれども。

「野菊」は

香らない。

毎朝暗い早朝と。

うす暗くなる午後6時ころには。

「季節風」が

ふいている。

「季節風」がかわりばんこに。

あちこちで

「ろうろう」「こうこう」とないています。

「夏かぜ」の
「季節風」の
の「コーラス」を聞いていると。

ふと。

「この「夏」におびえるひと」の気配が
脳裏をはしりました。
はてだれだろう。

うら若き乙女。
貧しさに。
苦労に苦労をかさねて。
苦しんで苦しんだ苦しんだあげくに。
24歳にして世を去った
「樋口一葉」。

樋口一葉の
夏ではあるけれども。
「うらわかき」「「冬」と「春」の短歌」がきこえるようです。

散たまるふもとの落葉わけて思ふ
埋もれぬべきは雪の山里

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ
うもれぬへきはゆきのやまさと

庭の面につもる紅葉の色見れば
散りての後もにしきなりけり

にわのおもにつもるもみしのいろみれば
ちりてのあともにしきなりけり

世の中の秋にあはじとおくれけん
一もと野ぎく思ひあがりて

よのなかにあきにあはしとおくれけん
ひともとのきくおもひあがりて

折々に散るものどけし春雨の
はれたる軒の山桜ばな

おりおりにちるものどけしはるさめの
はれたるのきのやまさくらばな

わが園のものとおもへば初わかな
はつかなれども嬉しかりけり

わがそののものとおもへばはつわかな
はつかなれどもうれしかりけり

立ち渡る霞をみれば足引きの
山にも野にも春は来にけむ

たちわたるかすみをみれはあしひきの
やまにものにもはるはきにけむ

わたつ海の波のいづこに立ち初て
果なくつゝむ春の霞ぞ

わたつみのなみのいづこにたちそめて
はてなくつつむはるのかすみぞ

さざ波やしがの都のいにしへの
おもかげうすく立つ霞かな

ささなみやしかのみやこのいにしえの
おもかけうすくたつかすみかな

鶯のけさおとづるゝ声聞て
はじめて春の心地こそすれ

うくいすのけさおとつるるこへききて
はしめてはるのここちこそすれ

うれしくもわがものにして聞てけり
このあかつきの鶯の声

うれしきもわかものにしてきこへけり
このあかつきのうくいすのこへ

のどかなるけさの雨にやはるの野の
みどりも色まさるらむ

のとかなるけさのあめにや
はるののの
みとりのいろもまさるらむ

おくれたる友の為にとしをりして
谷間の蕨折り残しけり

おくれたるとものためにとしをりして
たのまのわらひおりのこしけり

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ

うもれぬへきはゆきのやまさと

にわのおもにつもるもみしのいろみれば

ちりてのあともにしきなりけり

よのなかにあきにあはしとおくれけん

ひともとのきくおもひあがりて

-------------------------------

おりおりにちるものどけしはるさめの

はれたるのきのやまさくらばな

わがそののものとおもへばはつわかな

はつかなれともうれしかりけり

たちわたるかすみをみれはあしひきの

やまにものにもはるはきにけむ

わたつみのなみのいづこにたちそめて

はてなくつつむはるのかすみぞ

ささなみやしかのみやこのいにしえの

おもかけうすくたつかすみかな

うくいすのけさおとつるるこへききて

はしめてはるのここちこそすれ

うれしきもわかものにしてきこへけり

このあかつきのうくいすのこへ

のとかなるけさのあめにや

はるののの

みとりのいろもまさるらむ

おくれたるとものためにとしをりして

たのまのわらひおりのこしけり

「24歳」の「とても貧しい乙女」の。

「夏」によろこび。

「夏」にもおびえおののく。

隠したくはない「乙女のほこり」

けれども。

隠さざるを得ぬ「乙女のほこり」

かなしさの。おもかげと。

光さす。輝きと。

お若い「御婦人」の「知」「智」が。

ほこりたかくも。

そしてはかなくも。

「ひしひし」とよみとれます。

「夏至」はもうすぐすぎました。

これからは日は。
陽は次第にみじかくなる。
日が短くなる。
朝は明けるのは遅くなり。
夕に暗くなるのは早くなる。

しだいに陽がみじかくなる。
なぜか。
不思議なやさしさ。
やすらぎと。
心やすらかなる
安堵感をかんじます。

心やすらかなる
安堵感をかんじます。

けれども。
「安堵」と「落胆」は。
常に表裏一体。
両羽(もろば)の剣。

「ぬかよろこび」の「ぬか」のような
ものです。

「ながくなる陽」も両羽(もろば)の剣を
持っています。

そして。
季節には「大気の音色(ねいろ)」もあるようです。

朝空は
陽ははるかに天高く。
空色はミルク色です。
クリームのかかった雲空です。

東京都世田谷区山本クリニックの庭園には

「えどむらさき」という「つつじ」
が「何本」もはえています。
野生種に近いものです。
大きな真紅紫の花を咲かせます。

「つつじ」ですから
盆栽の「皐月:さつき」のような
繊細さはみえません。

この「8月」になり。
森山を分け入ると。

木々の根元に隠れ咲く。
だいだい色の花の花のごとくに紅葉したまま
しもがれする
「やまはぜの葉木」が「大好き」です。

「やまうるしの紅葉」もかわいらしく。
「大好き」です。

身の丈以上ほどにもなって群生する。
野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
が。
病院の林の一角に野生のまま
おいしげっています。

野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
のパープルの真珠が群れたように実る
「実りの木の実」の風にそよぐ音色には。
おどろかされます。

あけびつたもうれしい。
あけびの「実」がみつかればなおなおうれしい。

またたびをみつけました。
根元にねこにかじられきずがある。

里山の冬の時期から。
そして初春の里山の季節
になりました。

四季の歩みの春夏秋冬のうつろいは
メトロノームの「あゆみ」を
感じさせます。

この「あゆみ」の「質量」は
とてもとても高いです。
質量があれば。あたかも。
重力のように。
四季のリズムにひきよせられていく。
そのような感じがします。

四季の歩みの春夏秋冬は。
フアジーでいてなお着々。
確実な「リズム」を感じます。

ここに。
「メロディ:旋律」とハーモニー:和声」
がくわわれば「音楽の三要素」。
音楽と同じです。

草花や草木につつまれた自然は。
「音楽」と同じように
ひびきとして聴こえます。

自然は
「しぜん」の
「ヴィルトオーゾ」と
「ヴィルトゥオーサ(virtuosa)」
*です。

この「自然のフイルハーモニウム」の。
指揮者は。
太陽なのか大地なのか人なのか。

或は音色をかもし出す自然はオーケストラ
であるのか。
ソリストなのだろうか。

私の尊敬する「合衆国USA」の
女性で小説家(「ノーベル賞受賞者」)
「パール・サイデンストリッカー・バック
(Pearl Sydenstricker Buck)
中国名、賽珍珠(サィ・チンシュ)」
パールバックの「大地」に
その「こたえ」が示唆されています。

古代より芸術家が
自然を音楽や絵画や彫刻
で表現しようとした気持ちが良く判ります。

*ヴィルトゥオーソ(virtuoso)は、
「博識、達人」を意味するイタリア語の男性名詞である。
複数形の場合はヴィルトゥオーシ(virtuosi)
、女性形はヴィルトゥオーサ(virtuosa)となる。
ラテン語のvirtus(「男らしさ」「美徳」「至高」の意)を語源とし、元来は「有徳の」「誉められるべき」
を意味する形容詞の男性形であった。

実際の楽曲ではこの三要素は。
密接に音楽的に結びつきひとつの楽曲をなします。

但し音楽の「リズム・メロディ・ハーモニー」は
一つだけを明確に取り出せる「成分」というわけ
ではありません。

また「音楽であるため」に。
三要素が絶対必要ということ
でもないでしょう。

邦楽などではリズム・ハーモニーは
存在しないか希薄である事が多いです。
「音楽」として「欠陥」があるわけ
ではありません。

「リズム・メロディ・ハーモニー」
が西洋音楽の常識ではありえないほど
高度な進化を遂げた音楽も存在致します。

邦楽もその一つです。

大和の国 やまとのくにの自然は。
「大和の国の音楽」と同じように思えます。
聴こえます。

「音楽」は「音」「おと」です。
そして「しらべ」=メロディとハーモニーです。
人類が「この音楽」を「楽譜」として
「寸分たがわず」「譜面」という名の「紙」に
「かくことを完成させた」ということは
大変なことです。

人間は。
人類は。
わずか「400年」で。

「音楽の旋律」に対する「楽譜」を。
「あらたな言語」を
完全に「完成」させたことになります。

まさにミューズの神の「神業かみわざ」です。

木々のめぶきの
冬なおも。
ますます力強い息吹を感じます。

「真夏」をすぎ「冬」になると。
再び「若葉」がみられることに。
きづきました。
「ため息」がでるほど木々の「冬若葉」の
「つどい」は「つよく」「うつくしい」。
雪の上のみどり。

木々のてっぺんは萌黄色から
「ふかみどり」
になりました。
そして「しっかりと樹木として
「冬を迎えた葉束」になりました。
これからは
「深まる冬」がすぎさり「春」。
「開花」の炎が。
樹木の上方で。
「雪の到来」を.
くすぶりてまちわびてています。
たえしのぶ冬の樹木です。

「若葉」の「新緑」から「深緑」です。

高い木々の穂先は萌黄から若草色に。
うねるなみのように。
木々の新緑は常緑となり冬のおとずれを
伝えていました。

桜は葉桜から「葉木」
道路沿いの「けやき」の木々も
萌黄から若葉。
そして青葉。
どうもうともいえる青葉。
そして見え隠れする「紅葉葉」。
紅葉葉の10枚20枚がひとつひとつ
の樹木にみえるようになりました。
「黄色調」です。
そして今「樹木」は「葉のいろ」をかえ
「宙」に舞おうとしています。

明らかなる。
「冬から春」とはことなる。
「夏から秋」。
「秋から冬」
そして「冬」の「木枯らし」。

木々の四季の。
大気の「色」のうつろい
に気づきます。

今は里山(さとやま)をさまよい。
今は里山(さとやま)をあるきたい。
今は里山(さとやま)の季節。
今は昔々里山(さとやま)であそび。
今は昔々て里山(さとやま)でおぼえ。
今は昔々里山(さとやま)でまなんだ。
今は昔々のその日々の思い出は。
今は黄金(こがね)か。あるいは。
今は銀か。いぶし銀か。
今はもしかしたらプラチナか。
今は思い出色は鉛のように。
今は重さは鉛のようになり。
今は心の奥深くに埋もれて感じられます。

「幸せ色」=「しあわせいろ」

ならばよいです。

けれども
早朝は非常にあたたかくなりました。

夏やま中さまよいて
夏やま中をわけいらば
夏やま中大樹の根元に隠れたり
夏やま中あけぼの色のちひさき炎(ほのほ)
夏やま中みつけたりやまの秋の華。
夏やま中やまの秋葉木のかくれんぼ
夏やま中大樹の根元に隠れたり
夏山はぜの葉木。
夏やま中やまうるしの葉木。
夏やま中あきやまはぜとふるやまうるし。
夏こす「はだか木」。
夏こす元気な木。たくましき木。

夏山萩(やまはぎ)の
夏花をかくして燃えたたむ
夏に実りの祭りなり
夏山はぜの葉炎
夏天高く燃ゆ

なつやまはぎの
なつはなをかくしてもえたたむ
なつにみのりのまつりなり
なつやまはせのほのほ
なつてんたかくもゆ

ひろくなりけり空(そら)たかし
さとやまに木々のみどり木
こもれびうけて燃えるがごとし
みどりの炎(ほのほ)
ほのほうちけさむかすみはあおし
ほのほにかすみにただよひて
うるわしくかがやきたり
あたたかくかおりたり
あざやかなりけり 
やまさとのやまみどり
やまさとのふかみどり

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
は「英国:United Kingdom UK」の
「風景画家」
天才画家ですが「緑」が大嫌い
で「黄色」が「大好き」。
「木」をかくのを非常にいやがったそうです。

多分ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
が「修行時代」に「お金にために
「どこの国も同じですが」
「名所絵」をかかされたときの
「反動」ではないかと
今の私は考えます。

「大きな夏みつけた」

から

「夏がすぎてて真秋間近い」

「小さな秋みつけた・。」

そして

「小さな冬みつけた」

そして

「大きな冬みつけた」。

そして

「小さい春」がみつかって。

しだいにおおきな。

「春」になりました。

「夏」がちかづく「八十八夜」

今は「夏」。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成21年01月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年2月11日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年3月20日(金曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年7月20日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年8月14日(金曜日)と15日(土曜日)
の「二日間」
は病院の医療コンピューターの更新のため。

診療ができないので二日間「休診日」になります。

平成21年8月13日(木曜日)まで平常どおり。
平成21年8月18日(日曜日)から平常どおり。

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★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらず
インフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。

「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。

逆転の発想から「欧米」で「大型」なら「小型」
で「勝負」ではどうかと。

い糸川英夫博士の。
今現在の「自動車産業」の「国際的小型車化」
の先駆ともなった発想の誇り高き産物。

1955年 - 東京大学生産技術研究所(通称生研:せいけん)
が。

秋田ロケット実験場において。
ペンシルロケットの飛翔実験に成功
した日です*。

(*ロケット燃料としては
朝鮮戦争時バスーカ用に生産された
全長123mm、直径9.5mm、内径2mm、1本5,000円の
ダブルベース火薬を用いました)

++++++++++++++++++++++

ペンシルロケットは
将来のロケット旅客機開発の実現を睨んだ
ロケット推進の研究を目的として。

東京大学生産技術研究所AVSA班が開発した
一連の小型ロケットシリーズです。

開発名は「タイニー・ランス」でした。

++++++++++++++++++++++

「ペンシルロケット」は。
戦後日本初の実験用ロケットですた。

1954年に。
年間予算560万円で開発が開始されました。

予算の制約から
超小型の火薬式ロケットを実験装置として使用致しました。

鉛筆のようであるところからこの愛称が生まれました。

これについて実験を主導した
糸川英夫は。

米ソの大型の実験機を縮小して実用化するという発想から。

小さな物を巨大化して実用にするという
「逆転の発想」を用いたものである。

と後に説明しています。

++++++++++++++++++++++

国際地球観測年(IGY)において。

高層大気観測を行うという方針が
1955年に決定されたため
AVSA班の方針もロケット旅客機から
観測ロケットへ変更されました。

合計150機あまりが発射されました。

ロケットとしては非常に小さく。

また、
能力も実用に耐えうるような代物ではなかったものの。

単体でロケットシステムとして成立しており。
ノーズコーンや尾翼の材質、形状、重心の変化等による
空力特性の変化による分散の影響などが調べられました。

++++++++++++++++++++++
「ペンシルロケット」は
後のカッパロケットやラムダロケットの開発時における
フラッター現象の解析においては、
これらのデータが有効に活用されたということです。

国分寺実験
1955年3月に工学博士の糸川英夫が、
東京都の国分寺でペンシルロケットの水平発射実験を行いました。
この実験は全長230mmのペンシル標準型を使用して行われ、
長さ1.5mの水平発射台から発射されたロケットが
スクリーンを貫きながら飛翔するというものでした。
最初の実験は3月11日に行われ、
3月23日までに29機のペンシルロケットが発射されました。

尾翼の取り付け角度や弾頭の重量などに
バリエーションがあり、さまざまなロケット側の
条件で基礎的なデータが収集されました。

千葉実験
1955年6月には当時千葉県千葉市にあった
東京大学生産技術研究所に場所を移し、
50mの船舶用実験水槽を改造したピットにおいて、
引き続きロケットを水平発射する実験が行われました。

この実験では全長300mmに大型化したペンシル300型や、
二段式ペンシル,無尾翼ペンシルなどが使われました。

実験中、発射台に装着される途中だった
二段式ペンシルが配線ミスの為に誤って発射されるという
事故が起きたが、大事には至りませんでした。

しかし、以後2段式ペンシルの第2段着火に
同型の時限装置が用いられる事はありませんでした。

道川実験
1955年8月からは秋田県の
道川海岸でロケットを斜め上方に打ち上げる実験を行いました。

8月6日午後2時18分に行われた最初の打ち上げは、
発射台の欠陥によってロケットが
発射直後に砂浜に落下し失敗に終わりました。

発射台はただちに改良され、
午後3時32分の二度目の実験で打ち上げに成功致しました。

使用されたのはペンシル300型で
燃料に含まれていた四塩化チタンにより
煙をひきながら16.8秒間ほど飛行した後。
700m離れた海面に落下致しました。
到達高度は600mでした。

ペンシルロケットの斜め打ち上げ実験は8日で終了し、
計画はより大型のベビーロケットに受け継がれました。

総飛翔数は6機でした。

++++++++++++++++++++++

「ペンシルロケット」

構成・諸元
日本油脂の固体推進剤製造設備の関係から、
即座に供給可能な推進薬の例として。
朝鮮戦争時バスーカ用に生産された
全長123mm、直径9.5mm、内径2mm、1本5,000円の
ダブルベース火薬が提示されました。

このサイズに合わせて機体の設計が行われました。

推進薬としては前述のダブルベース火薬をベースに。
過塩素酸カリウムを減量しグラファイトを増量するなど。

組成を変更し
安全性を高めたものを村田勉が新たに開発致しました。

推進剤の点火薬としては黒色火薬が用いられました。

機体の材料には太平洋戦争中航空機用として
製造され富士精密の材料倉庫に眠っていた
ジュラルミン チ-201 を使用し、
熱環境が厳しい先端部には真鍮やステンレスを用いています。

機体の設計は垣見恒男、
ノーズコーンや尾翼の設計は玉木章夫が行いました。

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「ペンシルロケット」

ペンシル
全長:230mm
重量:0.202kg
外径:18mm

ペンシル300
全長:300mm
重量:0.251kg
外径:18mm

二段式ペンシル
全長:460mm
重量:0.367kg
外径:18mm
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「続きを読む」=>*

++「続きを読むです1」++++++++++++++++++

ペンシルロケット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%83%AD%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88

ペンシルロケットは将来のロケット旅客機開発の実現を睨んだ
ロケット推進の研究を目的として東京大学生産技術研究所AVSA班が開発した
一連の小型ロケットシリーズ。開発名は「タイニー・ランス」。

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++

8月6日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/8%E6%9C%886%E6%97%A5

できごと
1585年(天正13年7月11日)- 羽柴秀吉が近衛前久の猶子として関白の位に就く。
1623年 - ウルバヌス8世がローマ教皇に選出される。
1791年 - ベルリンのブランデンブルク門が竣工。
1806年 - 皇帝フランツ2世の退位によって神聖ローマ帝国が解体。
1825年 - ボリビアがスペインから独立。
1869年(明治2年6月29日)- 戊辰戦争の官軍側戦死者を祀る神社として東京招魂社(現靖国神社)が創建。
1890年 - ニューヨーク州のドーバー刑務所で電気椅子による初の死刑が執行される。
1896年 - フランスがマダガスカルの植民地化を宣言。
1914年 - 第一次世界大戦: オーストリア・ハンガリー帝国がロシア帝国に宣戦布告。
1914年 - 第一次世界大戦: セルビアがドイツ帝国に宣戦布告。
1916年 - 第六次イゾンツォの戦いが起こる。
1923年 - 事実上の国内最高気温である42.5℃を徳島県鳴門市で観測。
1926年 - 社団法人日本放送協会の設立総会が開かれる。
1932年 - 第1回ヴェネチア国際映画祭が開催される。
1940年 - エストニアがソビエト連邦に加盟。
1945年 - 広島市への原子爆弾投下
1945年 - 都城大空襲、都城駅全焼。
1948年 - 女子パウロ会が日本での活動をはじめる。
1949年 - 弘前大学教授夫人殺人事件。
1955年 - 第1回原水爆禁止世界大会が広島で開催される。
1955年 - 東京大学生産技術研究所が秋田ロケット実験場においてペンシルロケットの飛翔実験に成功。
1962年 - ジャマイカがイギリスから独立。
1971年 - 英自治領セントクリストファー・ネイビスがアンギラの統治権をイギリスに返還。
1983年 - 静止通信衛星『さくら2号b』がN-IIロケット4号機で種子島宇宙センターから打ち上げられる。
1990年 - 湾岸戦争: 国際連合安全保障理事会がイラクのクウェート侵攻への経済制裁として、イラクに対し国連加盟国が全面禁輸を行うという内容の国連決議661号を採択。
1990年 - 陸上自衛隊が90式戦車を制式化。
1991年 - ティム・バーナーズ=リーによって世界初のWorld Wide Webサイトが開設。
1993年 - 鹿児島市を中心とした地域で集中豪雨の被害(平成5年8月豪雨)。
1996年 - アメリカ航空宇宙局が南極で採取された火星由来の隕石の破片『アラン・ヒルズ84001』から微小な生命活動が行われた可能性を示す物質が検出されたと発表。
1997年 - ソウル発グアム行きの大韓航空機がグアム国際空港への着陸進入中に墜落、乗員乗客254名中228名が死亡。
1997年 - マイクロソフトが1億5000万ドル相当のアップルコンピュータ株を購入し、両社は業務提携およびライセンス交換に合意する。
2000年 - 東急が運転系統の再編により、目蒲線が目黒線と東急多摩川線に分離し、二子玉川園駅を「二子玉川駅」に、多摩川園駅を「多摩川駅」にそれぞれ駅名を改称した。同時に東横線の急行停車駅に多摩川駅が追加された。そして、田園都市線(二子玉川駅〜中央林間駅)と新玉川線(渋谷駅〜二子玉川駅)は、これらの区間を「田園都市線」に路線名を統一した。
2002年 - ラファイエットにアメリカ名誉市民権授与。
2002年 - AKS素数判定法がインド工科大学の教授と学生3名の連名の論文で発表。
2003年 - 上海協力機構加盟五カ国(中国・ロシア・ウズベキスタン・キルギスタン・タジキスタン)がテロ対策を目的とした合同軍事演習を実施。(8月12日まで)

誕生日
1638年 - ニコラ・ド・マルブランシュ、哲学者(+ 1715年)
1809年 - アルフレッド・テニスン、詩人(+ 1892年)
1837年(天保8年7月6日) - 津田仙、農学者、キリスト教学者(+ 1908年)
1850年(嘉永3年6月29日) - 田尻稲次郎、専修大学創立者、東京市長(+ 1923年)
1868年 - ポール・クローデル、詩人・劇作家・外交官(+ 1955年)
1875年 - 松田重次郎、マツダの創業者(+ 1952年)
1881年 - アレクサンダー・フレミング、細菌学者(+ 1955年)
1888年 - 長與善郎、作家(+ 1961年)
1894年 - 井上武士、作曲家(+ 1974年)
1902年 - ダッチ・シュルツ、ギャング(+ 1935年)
1909年 - 原ひさ子、女優(+ 2005年)
1916年 - 松尾文人、俳優
1917年 - 野口明、元プロ野球選手、監督(+ 1996年)
1925年 - 笑福亭松之助、落語家、俳優
1928年 - アンディー・ウォーホル、画家(+ 1987年)
1930年 - 荒川博、元プロ野球選手
1931年 - 種田弘、元プロ野球選手
1931年 - 山下健、元プロ野球選手
1934年 - ピアズ・アンソニイ、小説家、SF作家、ファンタジー作家
1939年 - 進藤榮一、国際政治学者
1941年 - 柄谷行人、文芸評論家、哲学者
1942年 - 山本公士、元プロ野球選手
1943年 - ジョン・ポステル、コンピュータ科学者
1946年 - 市川團十郎_(12代目)、歌舞伎役者
1946年 - 堺正章、歌手・タレント
1946年 - 三遊亭好楽、落語家
1946年 - 五十嵐武士、政治学者
1947年 - 高橋克彦、推理作家
1947年 - 山崎洋子、小説家
1949年 - マイク・ラインバック、元プロ野球選手(+ 1988年)
1954年 - 新谷嘉孝、元プロ野球選手
1955年 - ロン・デービス、元野球選手
1957年 - ボブ・ホーナー、元プロ野球選手
1958年 - 辰巳琢郎、俳優
1959年 - 米村明、元プロ野球選手
1960年 - 森脇浩司、元プロ野球選手
1962年 - ミシェール・ヨー、女優
1965年 - 梶浦由記、作曲家、See-Sawのメンバー
1965年 - 古田敦也、元プロ野球選手
1965年 - 津野浩、元プロ野球選手
1965年 - 野村裕二、元プロ野球選手
1967年 - 藤咲淳一、アニメーション監督
1968年 - 山下和輝、元プロ野球選手
1968年 - ダリル・スコット、元プロ野球選手
1968年 - 山尾伸一、元プロ野球選手
1969年 - 坪井直樹、テレビ朝日アナウンサー
1970年 - 秋田豊、元サッカー選手
1970年 - 山響親方、元幕内厳雄
1970年 - M・ナイト・シャマラン、映画監督
1971年 - 丸岡いずみ、日本テレビニュースキャスター
1971年 - ほっしゃん。、お笑い芸人
1972年 - 新里紹也、元プロ野球選手
1974年 - 椎名純平、シンガーソングライター
1975年 - さかなクン、サカナ専門タレント、イラストレーター
1975年 - ビクター・ザンブラーノ、野球選手
1977年 - 尾関高文、お笑いタレント、THE GEESE
1977年 - 山口弘佑、元プロ野球選手
1978年 - 彭政閔、野球選手
1979年 - 奥菜恵、歌手・女優
1980年 - 久保康友、プロ野球選手
1981年 - 浦井健治、俳優
1981年 - 村西哲幸、元プロ野球選手
1981年 - 村田千鶴、お笑い芸人
1984年 - 片山文男、元プロ野球選手
1986年 - 井藤祐一、テニス選手
1990年 - 麻生夏子、女優
1990年 - 二階堂高嗣、ジャニーズJr.
1992年 - 伊藤沙耶、ファッションモデル
1992年 - 溝口真央、ファッションモデル、タレント
1995年 - 中村瑠璃奈、ファッションモデル
1996年 - 石田佳蓮、女性ファッションモデル

忌日
258年 - シクストゥス2世、第24代ローマ教皇
1162年 - ラモン・ベレンゲー4世、バルセロナ伯(* 1113年頃)
1195年 - ハインリヒ3世、ザクセン公(* 1129年)
1221年 - ドミニコ、ドミニコ会創設者・カトリック教会の聖人(* 1170年)
1272年 - イシュトヴァーン5世、ハンガリー王(* 1239年?)
1328年 - ガレアッツォ1世・ヴィスコンティ、ミラノの僭主(* 1277年)
1414年 - ラディズラーオ1世、ナポリ王(* 1376年)
1458年 - カリストゥス3世、第209代ローマ教皇(* 1378年)
1520年 - クニグンデ・フォン・エスターライヒ、バイエルン大公アルブレヒト4世の妃(* 1465年)
1637年 - ベン・ジョンソン、詩人・劇作家(* 1572年)
1657年 - ボフダン・フメリニツキー、ウクライナ・コサックのヘーチマン(* 1595年)
1660年 - ディエゴ・ベラスケス、画家(* 1599年)
1688年 - ゲオルク・ザムエル・デルフェル、天文学者(* 1643年)
1706年 - ジャン=バティスト・デュアメル、フランス科学アカデミー事務局長(* 1624年)
1742年 - ザムゾン・ヴェルトハイマー、宮廷ユダヤ人(* 1658年)
1746年 - クリスチャン6世、デンマーク王(* 1699年)
1761年(宝暦11年7月6日) - 野呂元丈、蘭学者(* 1694年)
1767年 - ヨハン・クリストフ・フォン・バルテンシュタイン、カール6世の官房長(* 1689年)
1854年(安政元年7月13日) - 椿椿山、文人画家(* 1801年)
1857年(安政4年6月17日) - 阿部正弘、幕末の老中、福山藩主(* 1819年)
1875年 - ガブリエル・ガルシア・モレノ、エクアドル大統領(* 1821年)
1879年 - ヨハン・フォン・ラモント、天文学者(* 1805年)
1890年 - ウィリアム・ケムラー、はじめて電気椅子で処刑された人物(* 1860年)
1904年 - エドゥアルト・ハンスリック、クラシック音楽評論家(* 1825年)
1916年 - フランツ・エッケルト、作曲家(* 1852年)
1923年 - 寺尾寿、天文学者(* 1855年)
1931年 - ビックス・バイダーベック、ジャズコルネット奏者(* 1903年)
1942年 - アンナ、5歳まで物置に監禁されていた少女(* 1932年)
1945年 - ハイラム・ジョンソン、カリフォルニア州知事(* 1866年)
1945年 - 粟屋仙吉、広島市長(* 1893年)
1946年 - トニー・ラゼリ、メジャーリーグベースボール選手(* 1903年)
1958年 - モーリス・ジェルモー、テニス選手(* 1882年)
1959年 - プレストン・スタージェス、映画監督・脚本家(* 1898年)
1964年 - セドリック・ハードウィック、俳優(* 1893年)
1965年 - 岸本水府、川柳作家・コピーライター(* 1892年)
1966年 - コードウェイナー・スミス、小説家、SF作家(* 1913年)
1969年 - テオドール・アドルノ、哲学者・社会学者(* 1903年)
1969年 - 久野久、地球科学者(* 1910年)
1973年 - フルヘンシオ・バティスタ、キューバの政治家・軍人(* 1901年)
1976年 - グレゴール・ピアティゴルスキー、チェロ奏者(* 1903年)
1977年 - アレクサンダー・バスタマンテ、ジャマイカ首相(* 1884年)
1978年 - パウルス6世、第262代ローマ教皇(* 1897年)
1979年 - フェオドル・リュネン、生化学者(* 1911年)
1980年 - マリノ・マリーニ、画家・彫刻家・版画家(* 1901年)
1983年 - クラウス・ノミ、歌手(* 1944年)
1988年 - アンリ・フルネ、レジスタンス運動活動家(* 1905年)
1990年 - ゴードン・バンシャフト、建築家(* 1909年)
1991年 - マックス・ロスタル、ヴァイオリニスト(* 1905年)
1994年 - ドメニコ・モドゥーニョ、シンガーソングライター(* 1928年)
1998年 - アンドレ・ヴェイユ、数学者(* 1906年)
2000年 - ジョアン・トリンブル、作曲家(* 1915年)
2002年 - エドガー・ダイクストラ、構造化プログラミングを提唱(* 1930年)
2004年 - リック・ジェームス、ファンクミュージシャン(* 1948年)
2005年 - イブライム・フェレール、歌手(* 1927年)
2005年 - ロビン・クック、イギリス外相(* 1946年)
2006年 - 鈴置洋孝、声優、俳優(*1950年)
2007年 - 松村禎三、作曲家(* 1929年)
2007年 - 綾部恒雄、文化人類学者(* 1930年)
2008年 - 水原英子、女優(* 1944年)
2008年 - 持永哲志、政治活動家(* 1960年)

記念日・年中行事

広島原爆忌/広島平和記念日/原爆死没者慰霊式(日本)

1945年8月6日午前8時15分に、
米軍のB-29爆撃機「エノラ・ゲイ」により、
原子爆弾「リトルボーイ」が広島に投下された。
これにより、一瞬のうちに14万人が死亡し、市街は壊滅。

この歴史的悲劇から目をそむけないために、
犠牲者の霊を慰め、世界平和を祈るために、
この日広島市では原爆慰霊祭が行われる。

独立記念日(ボリビア)
1825年8月6日にボリビアがスペインから独立したことに由来。

仙台七夕(8日まで)
キリスト教:主イエスの変容の記念。