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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年8月11日(火曜日)

「春」の「3月「4月」「5月」がおわり。

「8月」になりました。

「夏」です。

「あおいふかい夏」になりました。

早朝に。

いわにしみいるように。

せみのこえがきこえます。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

「昨年」
「9月」がおわわりました。
「10月」も終わりました。
「11月」もおわり。
「12月」で「冬」になりました。
「12月」がおわり。
「昨年」はおわりました。

「冬」も「年」を越しました。
「1月」がおわり。
「晩冬」の「2月」もおわりました。
「3月」「春」です。

「春」の。
「3月」「4月」「5月」はおわり。

「8月」になりました。
「夏」です。

「8月」はしずかに。
しずかに。しずかに。

能の舞(のうのまい)の。

「おきなのあゆみ」のように。

そそとした「夏舞台」の上を。

さらにふかまりつつゆく

「夏」から「深い夏」の景色の舞台の上を。

あゆみつつあります。

能の舞(のうのまい)の。

「おきなのあゆみ」は

「夏」の「8月」から。

さらにおくふかい「夏の季節」

「ふかい青い夏」へと。

むかっています。

暗い朝の早朝に。
南の天に「明けの明星」が
輝いています。
闇夜の天高いかがやく惑星。

「明けの明星」金星に。
毎日「おはよう」のあいさつを
します。

「夏」の「8月」の。

早朝に。

はるか暗い早朝に「こおろぎ」の
かすかな。ひとりぼっちの。
鳴き声がきこえたような気が致しました。

けれどもそれは。

「季節風」の声。

毎朝の暗いうち「季節風」の「音色」は。
毎日違います。

「ろうろう」「こうこう」

耳をすませば。
「季節風」の鳴き声は。

「独唱」から次第に「合唱」に
なってゆきます。

そしてオーケストラの楽器の配列のように。
一風一かぜ(ひとかぜ)の
「季節風」の鳴いている場所も。
わかるように。なってきました。

「季節風」も

「夏」。
あつい「夏」の季節。

 にむけての。

ころもがえやひっこしをしている
ことがわかります。

「なつかぜ」に

「衣替え」して。そして。

また深い「夏」への。

「衣替え」を。

するのでしょう。

「季節風」は。

「鳥」のように。

木々の上から電線のうえにやどるようです。

「季節風」は

「街路樹」にとまって。

「夏」を過ごすのでしょう。

「夏」です。

夏の「季節風」がうたう季節

になりました。

「8月」も「夏至」がおわりました。

これから日々ゆっくりと

日は短くなります。

陽はひくくなります。

夜は長くなりはじめます。

夜空はたかくなります。

これからは天上の太陽は。

いまは「夏」。

そして。

「夏」から。

「真夏:まなつ」に向かいます。

あさは曇っていて。
さらに昼間でも「さむい」ことがある。
私がおきるまっくらな早朝は。
とてもとても。
とても寒いです。

雪国うまれの私は夏さむいのがつらい
です。

宮沢賢治

「さむさのなつはおろおろあるき」

早朝「そら」をみあげれば。
晴れているはず。日差しもあるはず。

けれども空には
「雲がいっぱい」で「空はくもりそら」
です。
ふしぎな「夏」のひざしです。

ふとかんがえれば・・。

そして「夏」には。

「夏」の「強い日差し」から。

「若芽」をまもり。

「真夏」の太陽から。さらなる恵みを。

「実る木の芽」にあたえる。

「空」こそは。

「ソフトフイルター」の役目を。

深い「夏」の「おぼろくもりそら」が。

しているようです。

自然とは。

とてもよくできたものです。

変幻自在であり

そして規則も正しい。

なおかつにして。

自由が自在。

春夏秋冬。

大気に漂う霞がごとし。

深い山の奥に住むという

仙人の心境(ここち)が。

よくわかる。

「夏」の街路樹もそうそうたる。
ふかまる冬の羽振りを。
まとう木々に姿になってきました。

街路樹は「落葉樹」がよいです。

街路樹が「松や杉」のような。
「常緑樹」では
冬はうっそうとして
陽の光をえられない。

夏場は枝ぶり葉っぱから陽の光を
さえぎれない。

晩秋も「針葉樹の落葉」では
木枯らしもつりがあわない。
とどのつまり
四季のリズムはつくれません。

ヴイバルデイの
「四季」の「夏」にある
木陰で休む羊飼いの旋律
も。
フランツ・シューベルトの
「菩提樹」の歌曲
も「うまれません」。

落葉の針葉樹で
強いからといって私の「好き」な。
「からまつ」をうえられても
街路樹には叶(かな)わないでしょう。

私の「大好き」な。
北原白秋の「からまつの詩」。

「からまつ」は

街路樹にはそぐはないかもしれません。

播磨の俳人滝野瓢水の句

「手に取るな

やはり野におけ蓮華草」

のように。

「夏」ではあっても。

やはり野におけ蓮華草。

やはり野におけから松木。

「からまつ」も蓮華草と同じくに。

清楚な華やかさとはかなさを

もっています。

やはり野におけ。

蓮華草とからまつ。

「夏」の「からまつ」です。

そしていま。
「夏」をあゆみゆく
「からまつ」の時期になりました。

-------------------------------
北原白秋
 
「水墨集」より

  
 落葉松
-------------------------------

      一
 
 からまつの林を過ぎて、
 
 からまつをしみじみと見き。
 
 からまつはさびしかりけり。
 
 たびゆくはさびしかりけり。

      二
                 
 からまつの林を出でて、
 
 からまつの林に入りぬ。
 
 からまつの林に入りて、
 
 また細く道はつづけり。

      三
 
 からまつの林の奥も
 
 わが通る道はありけり。
  きりさめ
 霧雨のかかる道なり。
 やまかぜ
 山風のかよふ道なり。

      四
 
 からまつの林の道は、
 
 われのみか、ひともかよひぬ。
 
 ほそぼそと通ふ道なり。
 
 さびさびといそぐ道なり。

      五
 
 からまつの林を過ぎて、
 
 ゆゑしらず歩みひそめつ。
 
 からまつはさびしかりけり、
 
 からまつとささやきにけり。

      六

 からまつの林を出でて、
  あさま ね
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。
 
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。
 
 からまつのまたそのうへに。

      七
 
 からまつの林の雨は
 
 さびしけどいよよしづけし。
 
 かんこ鳥鳴けるのみなる。
 
 からまつの濡るるのみなる。

      八
 
 世の中よ、あはれなりけり。
 
 常なれどうれしかりけり。
 
 山川に山がはの音、
 
 からまつにからまつのかぜ。

-------------------------------

木々の青葉の房が
早朝くらい中でも
うかびあがります。
とりわけ私は
くすのき科が。
「大好き」な「木」の
ひとつです。
ポプラも好きです。
イチョウもすきです。
けやきもすきです。
カエデもすきです。
もみじもすきです。
松もすきです。
杉もすきです。
からまつも好きです。

いまは
「夏」「8月」です。

「夏」「8月」になり。
裸木の。
木々の穂先は小さいけれども毛氈(もうせん)
のようにあざやかな萌黄色と緑です。

まるで。
大きな里山の森の冬のうねりのようです。
今年は木々のわかばの冬のめばえがとてもとても
鮮烈です。
「夏」の芽はえも「鮮烈」なことと見守ります、
「季節風」が。
若芽のうえを吹き抜けていきます。

街角の雑草も
夏草に変貌して。

「季節風」になり。

道端のくさばなは。
「遠慮がち」にながら堂々と一本の茎。

雑草も。
夏草へと変貌しつつながらえています。
あたたかかう
ふかまる「夏」をまつ。
「夏」の野原の雑草です。

朝暗いうちは。
とてもはださむいです。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックには。
ふとい孟宗竹のたけやぶ
があります。
竹はせがたかいから。

クリニック館内からはすこし離れた所にある。
はなれていても。
とおくからもみえます。

夏風てらせる夏竹の

笹葉は蒼くふるえたり

みどり葉笹葉にかぜはやみ

夏陽をうつすやうつろひの

竹の葉夏かぜはやいくとせ

夏地にも空にも
夏みどり葉ひらき
夏みどり木冬空
夏天高くひろがりけり
夏ゆたかなりけり
夏いふことのなし
夏いふことがなし
夏いふことはなし
夏ゆたかなりけりはる

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

平成21年1月12日(月曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ限られた時間帯で。
診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年2月11日(水曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ限られた時間帯で。
診療を行います

はおわりました。
-------------------------------

平成21年3月20日(金曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ限られた時間帯で。
診療を行います
はおわりました。

-------------------------------

平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

-------------------------------

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
------------------------------

平成21年7月20日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
------------------------------

平成21年8月14日(金曜日)と15日(土曜日)
の「二日間」
は病院の医療コンピューターの更新のため。

診療ができないので二日間「休診日」になります。

平成21年8月13日(木曜日)まで平常どおり。
平成21年8月18日(日曜日)から平常どおり。

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私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。
インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がきます。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著であろうと推察されます。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」
であることを懸念しています。
そして気候の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表される。
ウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

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麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です。

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「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
季節の変わり目に「反復性上気道感染」に
なられるかたが多いです。

「世情は不安定」であり何かひとつ
生活しづらい日々を感じられる
かたも多いものです。。

人間は「倒れるまではたっています」。
人間は「冬・春」の旅に(度に)齢を重ねる。

昔の「数え年」は「たいした物」だと思います。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝。

「今日は何の日」は。

15歳でヘンリク・ヴィエニャフスキ
国際ヴァイオリン・コンクールに出場。
180名もの競争相手を破って優勝し。
かつ
未来の巨匠ダヴィッド・オイストラフを2位に下した
大天才。

30歳で飛行機事故で夭折した
フランスの大天才ヴアイオリニスト。

1919年 - ジネット・ヌヴー、ヴァイオリニスト(+ 1949年)
の生誕日です。

++++++++++++++++++++++

ジネット・ヌヴー:Ginette Neveu,
1919年8月11日 パリ -
1949年10月27日 大西洋沖アゾレス諸島)は
フランス人ヴァイオリニストです。

++++++++++++++++++++++

ジネット・ヌヴー:Ginette Neveuは。

音楽家の一族に生まれました。

大叔父に
作曲家のシャルル=マリー・ヴィドールがおり、
弟ジャン=ポールはピアニストです。

母親の手ほどきにより幼少期より楽才を発揮致しました。

7歳でコンセール・コロンヌ管弦楽団と共演して
ブルッフの協奏曲でパリ・デビューを果たしました。

++++++++++++++++++++++

ジネット・ヌヴー:Ginette Neveuは。
パリ音楽院に学んだ後。

ジョルジェ・エネスク、ナディア・ブーランジェ
のもとでも研鑚を積みさらにベルリンに留学して
カール・フレッシュに師事致しました。

しかしフレッシュは、
「ヌヴーはすでに完成された芸術家であり。

自分は助言以外にすることはなかった」
と述懐しています。

++++++++++++++++++++++

ジネット・ヌヴー:Ginette Neveuは。

15歳でヘンリク・ヴィエニャフスキ
国際ヴァイオリン・コンクールに出場、
180名もの競争相手を破って優勝した。

未来の巨匠ダヴィッド・オイストラフを2位に下して、
世界的な名声を獲得致しました。

それから間もなく演奏旅行の契約を結び、
2年以上の間に。
ドイツ、ポーランド、ソ連、アメリカ、カナダを
訪れました。

++++++++++++++++++++++

ヌヴーの国際的なキャリアは、
第二次世界大戦により中断致しました。
けれども。
ついに1945年にロンドン・デビューを
かなえることができました。

弟ジャン=ポールを伴奏者にしたがえて。

戦後のヨーロッパを精力的に駆け抜け、
プラハの春音楽祭にも出演致しました。

さらに
南米や豪州でも楽旅を実現、アメリカ再公演も行ないました。

++++++++++++++++++++++

ジネット・ヌヴー:Ginette Neveuは。

1949年10月20日のリサイタルが最後の演奏会となりました。

1週間後の10月27日、
弟ジャン=ポールとともにエール・フランス機に搭乗し。
アメリカ演奏旅行に向けて旅立ちました。

このエール・フランス機には、
エディット・ピアフの愛人としても知られる
フランス人プロボクサー、
マルセル・セルダンも同乗していました。

だがこれは死への旅路にほかならなかったのです。

機体がポルトガル沖合いで事故を起こしました。
サン=ミゲル島の空港に2度着地を試みるも失敗致しました。

山中に墜落してしまいました。

48人の乗客のうち、
生存者は一人もいないという悲惨な事故でした。

++++++++++++++++++++++

ヌヴーのなきがらは、
発見された時にストラディヴァリウスを
両腕に抱え込むようにしていた
と言い伝えられている。

++++++++++++++++++++++

没後の出来事・評価
1952年3月1日、パリにジネット・ヌヴー協会が設立され、
パリ音楽院内にて記念碑の除幕式がとり行われました。

出席者にはシャルル・ミュンシュと
ジャック・ティボーがいました。

かつてティボーは、ヌヴーの訃報に
「自分も最期はかくありたいもの」
と述べたことがありました。
その通り飛行機事故により亡くなりました。

ヌヴー協会は幾多の変転を重ねた後。
1960年代に解散されています。

++++++++++++++++++++++

ジネット・ヌヴーは。

夭折により短いキャリアを終えたにもかかわらず。
今なお世界的な大ヴァイオリニストのひとりとして
語り継がれています。

遺された音源は、
モノラル録音ながらも生前の演奏風景を鮮明に伝えており
濃密でたくましい情感、雄渾多感な表現、
非の打ち所のない音色のつやが特徴的です。

ヌヴーはフランス人ながらもとりわけ
ブラームスを得意としており。
死の前年にハンス・シュミット=イッセルシュテットと
共演した協奏曲のライヴ録音は、
深い精神力を感じさせる解釈と
鬼気迫る表現の激しさによって、他の追随を許しません。

++++++++++++++++++++++

「続きを読む」=>*

++「続きを読むです1」++++++++++++++++++

ジネット・ヌヴー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%8C%E3%83%B4%E3%83%BC

ジネット・ヌヴー:Ginette Neveu, 1919年8月11日 パリ - 1949年10月27日 大西洋沖アゾレス諸島)はフランス人ヴァイオリニスト。

生涯
音楽家の一族に生まれ、大叔父に作曲家のシャルル=マリー・ヴィドールがおり、弟ジャン=ポールはピアニスト。母親の手ほどきにより幼少期より楽才を発揮、7歳でコンセール・コロンヌ管弦楽団と共演してブルッフの協奏曲でパリ・デビューを果たす。パリ音楽院に学んだ後、ジョルジェ・エネスク、ナディア・ブーランジェのもとでも研鑚を積み、さらにベルリンに留学してカール・フレッシュに師事。しかしフレッシュは、「ヌヴーはすでに完成された芸術家であり、自分は助言以外にすることはなかった」と述懐している。

15歳でヘンリク・ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクールに出場、180名もの競争相手を破って優勝し、未来の巨匠ダヴィッド・オイストラフを2位に下して、世界的な名声を獲得した。それから間もなく演奏旅行の契約を結び、2年以上の間にドイツ、ポーランド、ソ連、アメリカ、カナダを訪れた。

ヌヴーの国際的なキャリアは、第二次世界大戦により中断するが、ついに1945年にロンドン・デビューをかなえることができた。弟ジャン=ポールを伴奏者にしたがえて、戦後のヨーロッパを精力的に駆け抜け、プラハの春音楽祭にも出演。さらに南米や豪州でも楽旅を実現、アメリカ再公演も行なった。

1949年10月20日のリサイタルが、最後の演奏会となった。1週間後の10月27日、弟ジャン=ポールとともにエール・フランス機に搭乗し、アメリカ演奏旅行に向けて旅立った。このエール・フランス機には、エディット・ピアフの愛人としても知られるフランス人プロボクサー、マルセル・セルダンも同乗していた。だがこれは死への旅路にほかならなかった。機体がポルトガル沖合いで事故を起こし、サン=ミゲル島の空港に2度着地を試みるも失敗、山中に墜落してしまう。48人の乗客のうち、生存者は一人もいないという悲惨な事故だった。ヌヴーのなきがらは、発見された時にストラディヴァリウスを両腕に抱え込むようにしていたと言い伝えられている。

没後の出来事・評価
1952年3月1日、パリにジネット・ヌヴー協会が設立され、パリ音楽院内にて記念碑の除幕式がとり行われた。出席者にはシャルル・ミュンシュとジャック・ティボーがいた。かつてティボーは、ヌヴーの訃報に「自分も最期はかくありたいもの」と述べたことがあり、その通り飛行機事故により亡くなった。ヌヴー協会は幾多の変転を重ねた後、1960年代に解散されている。

ジネット・ヌヴーは、夭折により短いキャリアを終えたにもかかわらず、今なお世界的な大ヴァイオリニストのひとりとして語り継がれている。遺された音源は、モノラル録音ながらも生前の演奏風景を鮮明に伝えており、濃密でたくましい情感、雄渾多感な表現、非の打ち所のない音色のつやが特徴的である。ヌヴーはフランス人ながらもとりわけブラームスを得意としており、死の前年にハンス・シュミット=イッセルシュテットと共演した協奏曲のライヴ録音は、深い精神力を感じさせる解釈と鬼気迫る表現の激しさによって、他の追随を許さない。

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%8C%E3%83%B4%E3%83%BC" より作成

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++

8月11日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/8%E6%9C%8811%E6%97%A5

できごと
1492年 - アレクサンデル6世がローマ教皇に選出。
1584年 - 天正遣欧少年使節がリスボンに到着。
1711年 - イギリスのアスコット競馬場で初のレースが行なわれる。
1914年 - 第一次世界大戦: フランスがオーストリア・ハンガリー帝国に宣戦布告。
1919年 - ドイツでヴァイマル憲法が制定される。
1920年 - ラトビアとロシアのボリシェヴィキ政権が平和条約を締結。
1933年 - ソビエト連邦でT-35重戦車が制式化。
1936年 - ベルリンオリンピックの女子200メートル平泳ぎで前畑秀子が優勝。
1938年 - 張鼓峰事件: モスクワで停戦合意が成立する。
1952年 - ヨルダンでタラール1世が軍部により廃されフセイン1世が即位。
1960年 - チャドが独立を宣言。
1965年 - ロサンゼルスでワッツ暴動起こる。
1966年 - インドネシア・マレーシア両国が国交樹立。
1984年 - ロナルド・レーガン米大統領が演説前のマイクテストで『我々は5分後にソ連への爆撃を開始する』とジョーク発言、波紋を呼ぶ。
1987年 - アラン・グリーンスパンが連邦準備制度議長に就任。
1989年 - 潜水調査船「しんかい6500」が宮城県沖での試験潜航で6527メートルの海底に到達し、世界記録を樹立。
1999年 - ヨーロッパやアジアで皆既日食が観測される。
2006年 - イスラエルのレバノン侵攻の停戦を求める国連安保理決議1701が全会一致で承認される。
2008年 - 北京オリンピックで、北島康介(日本)が男子平泳ぎ100メートル58秒91の世界記録で優勝する。

誕生日
1833年 - インガーソル、無神論者・演説者(+ 1899年)
1833年(天保4年6月26日) - 木戸孝允、政治家(+ 1877年)
1837年 - マリー・フランソワ・サディ・カルノー、フランス第三共和政第4代大統領(+ 1894年)
1892年 - 吉川英治、小説家(+ 1962年)
1897年 - イーニッド・ブライトン、児童文学作家(+ 1968年)
1909年 - 古関裕而、作曲家(+ 1989年)
1919年 - ジネット・ヌヴー、ヴァイオリニスト(+ 1949年)
1929年 - 近藤鉄雄、政治家
1932年 - 小林亜星、作曲家
1936年 - 古谷三敏、漫画家
1942年 - 中尾彬、俳優・タレント
1943年 - 神田武幸、アニメーション監督(+ 1996年)
1944年 - イアン・マクダーミド、俳優、演出家
1944年 - 柴田猛、プロ野球選手・コーチ
1947年 - 寺島実郎、経済学者
1947年 - 木村夏江、女優
1950年 - スティーブ・ウォズニアック、パーソナルコンピュータの開拓者
1950年 - 奥江英幸、プロ野球選手
1951年 - 田中和実、声優(+ 2007年)
1952年 - 小山ルミ、歌手
1953年 - ハルク・ホーガン、プロレスラー
1957年 - 孫正義、実業家
1957年 - イネス・ド・ラ・フレサンジュ、スーパーモデル、ファッションデザイナー
1959年 - 村上世彰、投資家
1960年 - 上北ふたご、漫画家
1961年 - 手塚眞、映像作家
1962年 - ジョン・クリアリー、米国のピアノ奏者
1963年 - 吉田戦車、漫画家
1963年 - 槙原寛己、プロ野球選手・野球解説者
1963年 - 井田國彦、俳優
1963年 - 友道康夫、調教師
1963年 - 若井基安、プロ野球選手
1965年 - 三上真司、ゲームクリエイター
1965年 - 山本昌、プロ野球選手
1965年 - 山口昌人、ミュージシャン
1966年 - 上岡良一、プロ野球選手
1967年 - 松村邦洋、タレント
1967年 - 前島正義、ヴォーカル
1968年 - 黒沢健一、ミュージシャン
1971年 - アンドレアス・スボリッチ、騎手
1972年 - 喜多嶋舞、女優
1972年 - 廣瀬陽子、政治学者
1972年 - 小林綾子、女優
1972年 - 厚沢和幸、プロ野球選手・コーチ
1972年 - ヴィアチェスラフ・ザゴロドニュク、フィギュアスケート選手
1973年 - 荒井修光、プロ野球選手
1974年 - 山本浩司、俳優
1974年 - 坂本竜一、プロ野球選手
1974年 - マリー=フランス・デュブレイユ、フィギュアスケート選手
1975年 - 福田充徳、お笑いタレント
1975年 - 谷山紀章、声優、歌手
1975年 - 永井智浩、プロ野球選手
1976年 - 加藤竜人、プロ野球選手
1977年 - 佐藤宏志、プロ野球選手
1979年 - 西川晃啓、お笑いタレント
1981年 - 森山周、プロ野球選手
1982年 - 美景、ファッションモデル・女優
1983年 - 松尾翠、フジテレビアナウンサー
1985年 - 趙博、野球選手
1986年 - 福原香織、声優
1988年 - 河原亜依、歌手
1989年 - 中島ファランパリス、サッカー選手
1990年 - 小熊凌祐、プロ野球選手
1990年 - 宮本武文、プロ野球選手
1992年 - 鈴木友菜、ファッションモデル
1994年 - 山上佳之介(山上兄弟)、マジシャン
生年不明 - SHODAI(GOLLBETTY)、ミュージシャン

忌日
紀元前480年 - レオニダス、スパルタ王
1212年 - ベアトリクス・フォン・ホーエンシュタウフェン、神聖ローマ皇帝オットー4世の皇后(* 1198年)
1253年 - アッシジのキアラ、キリスト教の聖人(* 1194年)
1259年(蒙哥9年7月27日)- モンケ、モンゴルのハーン(* 1209年)
1456年 - フニャディ・ヤーノシュ、ハンガリーの摂政(* 1387年?)
1464年 - ニコラウス・クザーヌス、哲学者・数学者(* 1401年)
1494年 - ハンス・メムリンク、画家(* 1430年頃)
1563年 - バルトロメー・デ・エスコベド、作曲家(* 1500年頃)
1564年(永禄7年7月5日)- 長尾政景、戦国武将(* 1526年?)
1578年 - ペドロ・ヌネシュ、数学者(* 1502年)
1643年(寛永20年6月27日)- 東郷重位、薩摩藩士・示現流剣術流祖(* 1561年)
1705年(宝永2年6月22日)- 桂昌院、江戸幕府第3代将軍徳川家光の側室(* 1627年)
1772年(安永元年7月13日)- 酒井忠恭、江戸幕府老中・姫路藩主(* 1710年)
1798年 - ジョシュア・クレイトン、医師・政治家(* 1744年)
1833年(天保4年6月26日) - 池田斉政、第6代岡山藩主(* 1773年)
1846年(弘化3年6月20日) - 欣子内親王、光格天皇中宮(* 1779年)
1854年 - マセドニオ・メローニ、物理学者(* 1798年)
1900年 - 初代三遊亭圓朝、落語家(* 1839年)
1919年 - アンドリュー・カーネギー、実業家(* 1835年)
1927年 - 左右田喜一郎、経済学者(* 1881年)
1945年 - 松平頼孝、鳥類学者(* 1876年)
1949年 - マーガレット・ミッチェル、文学者。風と共に去りぬ作者。(*1900年)
1953年 - タツィオ・ヌヴォラーリ、レーサー(* 1892年)
1955年 - ロバート・ウィリアム・ウッド、物理学者(* 1868年)
1956年 - ジャクソン・ポロック、画家(* 1912年)
1959年 - デイヴィッド・ピンスキ、劇作家・小説家(* 1872年)
1961年 - ヨハンナ・ゼンフター、作曲家(* 1879年)
1963年 - 武藤嘉門、岐阜県知事(* 1870年)
1965年 - エセル・トムソン・ラーコム、テニス選手(* 1879年)
1966年 - 大下宇陀児、推理作家(* 1896年)
1971年 - ロイヤル・レイモンド・ライフ、光学顕微鏡「ユニバーサルマイクロスコープ」の開発を主張した人物(* 1888年)
1971年 - 笠置山勝一、大相撲力士(* 1911年)
1972年 - ウィリアム・ウェブ、極東国際軍事裁判裁判長(* 1887年)
1972年 - マックス・タイラー、ウイルス学者(* 1899年)
1973年 - カール・ツィーグラー、化学者(* 1898年)
1974年 - 北白川房子、明治天皇第7皇女(* 1890年)
1974年 - ヤン・チヒョルト、タイポグラファー(* 1902年)
1975年 - アンソニー・マコーリフ、アメリカ陸軍の准将(* 1898年)
1980年 - 片岡松之亟 (初代)、歌舞伎役者(* 1910年)
1983年 - 山本薩夫、映画監督(* 1910年)
1985年 - 荒川豊蔵、陶芸家(* 1894年)
1988年 - アン・ラムジー、女優(* 1929年)
1991年 - ヘルムート・ヴァルヒャ、オルガン奏者(* 1907年)
1991年 - 河野基比古、映画評論家(* 1932年)
1994年 - 柴田武雄、日本海軍の大佐(* 1904年)
1994年 - ピーター・カッシング、俳優(* 1913年)
1995年 - アロンゾ・チャーチ、数学者・論理学者(* 1903年)
1995年 - 城戸禮、小説家(* 1909年)
1996年 - ラファエル・クーベリック、指揮者、作曲家(* 1914年)
1998年 - 中村健也、自動車技術者(* 1913年)
1999年 - トミー・リッジリー、R&B歌手(* 1925年)
2003年 - アルマン・ボレル、数学者(* 1923年)
2005年 - 山本政弘、政治家(* 1918年)
2008年 - フレート・ジノヴァツ、オーストリア首相(* 1929年)
2008年 - 荒勢永英、大相撲力士・タレント(* 1949年)

記念日・年中行事
ガンバレの日/スポーツ中継の日(日本)

1936年8月11日に、ベルリンオリンピックの女子200m平泳ぎ決勝で、
ラジオの実況をしていた日本放送協会の河西三省アナウンサーが
前畑秀子選手に「前畑ガンバレ」と20回以上連呼し、
日本中をわかせたことに由来。

前畑選手は優勝し、日本人女性として初めての金メダルを獲得した。

三国花火(福井県坂井市三国町)
例年8月11日に行われている北陸最大級の花火大会。