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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年8月16日(日曜日)

平成21年の「8月」に。

なりました。

平成21年の。

「春」の「3月」「4月」「5月」が。

おわり。

「夏」の「8月」になりました。

とてもとても。

とても。

早朝の「強い陽射し」が。

続いています。

あつい「夏」の「8月」です。

「夏」がきた。

「なつ」がきた。

どこに来た。

「山」にきて。

「里」にきて。

「野」にきて。

「夏」は。

「まち」にもやってきました。

今年の「冬」・から「春」は予期せぬ

インフルエンザ*の

大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。

薬事法の「能書」にあるとおり

「正規の」

「2回法によるインフルエンザワクチン」の

予防接種をおすすめいたします。

常時いつでも接種可能です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

昨年の。
冬間近くの。
さらなる前に。

「晩秋」>のころ。

「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」の。
花の蕾が淡い黄金色にかがやいて。
が見えてから「10日間」で。
花は去りました。
黄金色のじゅうたんが毛氈(もうせん)ように。
地面「金色」に広がりました。

「昨年」の。
「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」に続いて。
「銀木犀:きんもくせい」もプラチナ色の
花が咲き始めました。

「昨年」の。
「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」のあとを追って。
「銀木犀:きんもくせい」の花は去り。
地面に「プラチナ」が一面に広がっていました。

「夏」の「8月」

今は私の「大好き」な。

「夏の草花」の

の「蕾(つぼみ)」と。

「わかば」と。

「夏」の樹木の。

「花」のふくらむ季節。

そして「木々の若葉」の季節。

「夏の花」と「みどりの若葉」

「みどり」「若草いろ」の。

季節になりました。

私の「大好き」な萌え出づる「わかば」。

「夏」の若葉の。

美しい季節になりました。

そしていろいろな。

「夏」の木々の花ひらき咲く季節。

夏花(はな)と夏若葉(わかば)と。

あおい夏若草(わかくさ)の。

ワルツの季節になりました。

発花 発若葉

山本クリニックの庭園は。

大昔は。

雑木林であったのです。

「野生」の。

「やまぶき」や。

「やぶつばき」や。

「季節の花さく木々」が。

とても沢山。

群生してはえています。

日々の毎日にどんどんと。

みるみるうちに。

「夏の花」が。

つぼみや「花」を大きくしています。

けれども「夏の花」は。

蕾が大きくなったそのよるには。

花咲き。

暗い朝にちっていることが。

すくなくありません。

なつ花は

ぬばたまの

暗き闇夜に

なつ嵐の

風に弓射られて

花ぞ舞い散る

なつはなは

ぬばたまの

くらきやみよに

なつかせの

かせにいられて

はなそまいちる

「夏の花」は。
早朝には「白鷺の羽」
のように地面に
舞い降ちています。

昨年の。
「晩秋」
「木犀:もくせい」の花の
「芳香」は蕾のみえるまえから
あります。
花が去ったあとは
「あっというまに芳香が消えます」。

「晩秋」の
「木犀:もくせい」たちのかおりがさり。

「夏」になり。

「8月」。

あおばとともに。

つぼみを日々。

大きくしている。

「夏の花」。

「みかん」と「からたち」

青い実のふくらむ季節。

「夏」の「8月」。

そして。

「夏の花」や。

「あおいみかんのみ」

をみまもるのは。

「みかんの木」の。

まだなったままの。

昨年の

「まるいみかん」の

「丸い群れ」。

「円いみかん」は。

「丸くたわわに実り」。

まるで。

「ぶどうのふさ」のようです。

昨年の果実です。

まだ樹木にみのりつづけ。

おちません。

一方今年の「果実」の。

あおいちいさな実も。

はなのあとに実りはじめました。

兄弟同士(姉妹同士)

お互いに。

「はなことば」で話しをしているに

ちがいありません。

私は山茶花(さざんか)よりは。

「やぶつばき」がずっとすきです。

山本クリニックの庭園には。

いずれも。

野生の「やぶつばき」と

野生の「山茶花(さざんか)」ばかりです。

野生の「すみれ」も珍しい品種がはえています。

堂々たる。

「夏かぜ」と「夏吹雪:なつふぶき」

が吹いています。

「夏」になりました。

「夏」がはじまりました。

「あかるくて」

とてもよいです。

「夏」がふかまり。

「もっと深い「夏」」の。

トンネルをこえれば。

そこは「里山の「夏」」です。

「夏吹雪:なつふぶき」は

遠くの蒸気機関車の鳴き声のように

聞こえます。

また次に「夏から先」への。

「トンネル」があることも

わかります。

夏樹の妖精の吹くフルート

のよう。

そして。

「夏吹雪:なつふぶき」をなだめるように。

「樹木の穂先」が舞います。

「樹木の穂先」のほうが「役者」は上。

「夏吹雪」は突如(とつじょ)天から舞い降り

るように。

吹きます。

「夏」の陽射しはまばゆいサマーライト。

ひかりのかがやく「夏」になりました。

星のかがやく「夏」になりました。

きょうは。
とてもとても寒い。

「夏吹雪:なつふぶき」の声は

「夏かぜ」のふく音は。

「夏」の女神たちの。

笛ふく。

なつかぜのワルツ。

わかばのワルツ。

なつは。

いまは。

モデラート・マ・ノン・トロッポ。

フオルテです。

最近は
朝くらい早朝には「星がみえます」。
「明けの明星」の金星が南の空に高くみえます。

病院の明かりが灯り暗闇のなか。
朝はやく。

「明けの明星」の金星に「おはよう」を
毎日こえで「御挨拶」を伝えます。
「明けの明星」の金星から「おはよう」と
返事がかえってくる声をききながら。
病院の明かりをともします。
まだ真っ暗なのですが。

夏場の早朝のくらい時には。
明星はみえずらかった。
季節が「冬から「春」へとあゆみ」。
今は「夏」。

いよいよ。
大気が「澄んできた」ということでしょう。

夏霧雨(なつきりさめ)の。

夏霞(なつかすみ)の大気。

「夏吹雪:なつふぶき」の「音」。

「ろうろう」「こうこう」

「夏かぜ」の鳴き声

「ろうろう」「こうこう」

「夏吹雪:なつふぶき」の。

鳴き声とともに。

「夏一番」の「夏のしらべ」が。

あわせきこえます。

「どれみふあ」「そらしど」

朝暗いうちの「なつかぜ」の合唱は。

「夏」の「ふうりん」のようです。

あれ沢山の「ふうりん」かな。

「夏」の「ふうりん」の音色です。

「ろうろう」。

さやかにやさしくも「あたたかい音」です

「こうこう」

わびわびと。

「蜜蜂をよんでいる音」です。

「蜜蜂」のはぜる元気な「音」から

「夏」のおとずれが。

わかります。

「あおば」のおとずれが。

わかります。

「ススキの穂先」は
そぞろに「夏」の今年の芽栄え。

そして「夏」の旅愁すら
をも感じさせます。

ススキの茎の「穂先」には。

「「夏」ふくろう」が。

何匹も集ってつどい。

何匹ものふくろうが。

皆で何かを真剣に。

考えているように。

みえます。

夏くれば

緑葉いずる

夏すすき

葉いづるときは

秋ちかからむ

「ススキの葉先」は。

「しあわせと幸福を手招き」

している

何本もの「手」のように。

みえます。

エドヴァルド・ムンク:Edvard Munch

の「夏」の絵画のようです。

私も「日々を旅ゆく人間」です。

奥の細道の序文に松尾芭蕉が。

「月日は百代の過客(ひゃくたいのかかく)
にして行かふ年も又旅人也。」

「つきはひゃくたいのかかくにして
いきかふとしもまたたひひとなり」

とかたり。詠みました。

私は

「日々の月日」に。

道連れをさせていただき。

「時」を旅をする

「旅人(たびびと)」

のひとりです。

「日々月日の旅のつれあい」は。

私には。

「きょう」と。「あす」しか。

ありません。

「きょう」と。「あす」しか。

私にはありません。

「きのう」はありません。

朝くらいとき。
陽の出の直後は。
いつも一瞬は晴れています。
いまだ かすかにも。
のこる「夏」の気配
であるけれども。

あきらかに。
そしてしっかりと。
しのびよるもっともっと奥の。
深く深まる「夏のおとづれ」からの大気。

もっと。
「あつい「夏」」の気配が。
「確かに」。
そして明らかに。
そして輪郭もはっきりと。

感じられるようになりました。

「8月」。

もう「夏」です。

そして「緑の青葉」の「8月」

をむかえました。

はやいものです。
速いものです。
早いものです。

街路樹もそうそうたる
羽振りの木々から
「はじまりゆく「夏」の樹木」にうつろうように
変化しています。

「夏」。
「樹木の若葉の芽生え」があることに
気がつきました。

春の芽吹くときには。
街路樹のポプラも
幹や枝葉の穂先が。
ろうそくのともしびのように。
「炎の様」になっています。
あたかも
ゴッホの描いた「夜の糸杉」のように。
夏の早朝にみえます。

夏になり。
この「穂先」が一気に「ポプラの葉」へと
扇・おおぎのごとく開きました。

フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「夜の糸杉」から。
フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「ひまわり」
のように。
一斉に開きます。
8月にはいってからのことです。

10月そして11月。

今は「晩冬」の「2月」がおわり。

「春」の「3月」「4月」「5月」がおわり。
「夏」の「8月」。

今現在は落ち着いた「夏」の葉木。
「夏」の木々の「葉」
へと。
そしてふかまる「夏」の木々の「幹:みき」へと。

ふかまる「みのりの夏」にむけて。
「あつく」うつろいています。

ポプラも。つばきもくすのきも。
レースのハンカチをふるように
「「夏」のわかば」の「めばえ」がみえます。
窓越しにもみえます。

今は「「夏」のわかば」の「めばえ」は
とても大きくなりました。
「夏」の「めばえ」のひろがりです。

「冬がくると」。
空と木枯らしのかなでる「蛍の光」や
「冬のコンチエルト」にあわせるように。

ポプラの葉や芽葉は。
ハンカチのようにふわふわと。
ふわふわと。
「穂先から葉葉」は「舞い振りまがら」
ハンカチは木を去っていきました。

樹木のハンカチは。
大地を訪れて飛翔し。
大地にまいおり大地にもどります。
そして大地となります。

そして。
ポプラの葉や芽葉が。
ハンカチのようにふわふわと。
ふわふわと。
「穂先から葉葉」は「舞い振りまがら」
木を去っていく光景は。
あたかも。

「夜の魔法」「夜のガスパール」

のようです。

そして。

「花の去った枝」には。
「「夏」の若芽のめばえ」
が。
「夏葉」がみえます。

木々の「葉」が「枝や幹」を
「保護する役割をしている」
ことに気づきました。

桜の花の時期とうってかわり
桜の木の公園
の桜の木々は。
夏になりとても獰猛な気配を放つ。

初めて気がつきました。

「晩冬」の「2月」がおわり
「春」になり「3月」「4月「5月」がおわり。
「夏」の「8月」になりました。

「さくら」は春の濃い緑の樹肌になり。
やさしさとおだやかさ
が感じられます。

そしていつしか
幹先に若葉色の葉をもまじえています。
しだいにしだいに。
紅黄色の花が消え若葉にかわりつついくことに
きがつきます。

さくらから。
さくらはのきぬずれのおとが。
きこえるころ
です。

桜の樹木も「丸くなりました」。
桜の樹木も毎年毎年と毎日毎日。
「旅(たび)をしている」のでしょう。

朝陽をあびる落葉樹は
「すべてがあざやかな黄金色」に
かがやきます。
朝陽をしっかりと。
「いうにいわれぬ美しい絵のごとく」
陽射しを受け止めています。

「「夏」の朝陽」は真東に大変鋭いことに
気づきました。
眩しいです。

今はまぶしい「夏」の「あさひ」です。

するどいけれども。

「あたたかいろ」がかんじられます。

春は別として。
桜の木は木の下で。
夏は心安らかに。
「休める木ではないなあ」
と思います。
昨年は
秋になり
桜の樹木も安堵の葉色
になりました。
ちょっとばかりびっくり致しました。

枝や幹からは秋の陽の木漏れ日がみえます。

夏桜の木は獰猛なほど葉をおいしげらせ
ていました。
夏には
桜の木の下で木陰で。心安らかにやすもうという
気はおきません。

いまは「春」から「夏」になりました。
そよかぜに揺れる残り葉は
招き誘われるような気すら致します。

「夏」になり幹にはもう「花は散る」。
ちったあと枝の根元には。
「夏のわかば芽栄え(めばえ)」
若葉がみえます。

けれども
やはり夏桜の木は

シューベルトの歌曲の旋律にある「菩提樹」
ではないのです。

冬の桜木(さくらぎ)。

冬になり

人生に果てて(はてて)

なれるが如く桜樹木はかわりました。

良い木になってきました。

素敵(すてき)です。

冬の桜木(さくらぎ)。

「春」の桜木(さくらぎ)。

「夏」の桜木(さくらぎ)。

木々でも。
いちょうや。松や。杉などの針葉樹
は。またソテツなどは。
「古い時代の木」です。

「チャールズ・ダーウィンの進化論」からは
「針葉樹」から。
「常緑樹」「広葉樹」「落葉樹」にと。
「進化」しているはずです。

「原始的」な樹木ほど。
「硬い幹」です。
例外はありません。

硬ければ。
幹は硬ければ動物に
「かじられる」ことはないでしょう。

いにしえの古代の時代にも。

恐竜をはじめめとする
「大型」の草食動物にも。

かたければかじられることは
なかったでしょう。

街並みを彩る街路樹には「落葉植物」が多いです。

ふと。考える。

街路樹が「松や杉」のように。
「冬も葉を持つ針葉の常緑樹」では。

冬はうっそうとして道端では
やさしい暖かな陽射しをかくしてしまう。

夏場は枝ぶり葉っぱぶりからつよすぎる日の光は
さえぎれません。
そして
「秋」の「夕焼け陽」には。
「金色のちいさき鳥の形して」
秋の夕焼けの陽射しに舞うこともできません。

常緑樹の針葉樹では。
は四季のリズムをつたえる

北大路魯山人のかたる

ことば。

「ざっくり感(ざっくりかん)」

が。

ありません。

木々の夏の萌黄が早朝暗い中でも
うかびあがります。
私はくすのきが「大好き」な「木」の
ひとつです。
ポプラも好きです。
イチョウもすきです。
モミジもすきです。
カエデもすきです。
松や杉もすきです。
月桂樹やシナモンもすきです。
オリーブもすきです。
オレンジの木もすきです。
「そてつ」の木もすきです。
ツバキもすきです。
ソテツもすきです。
南天もすきです。
木や植物がすきです。

木々の穂先は毛氈(もうせん)
のようにあざやかな夏の萌黄色です。
まるで大きな深い山の森のうねりのようです。
今年は木々のわかばの秋のめばえが非常に鮮か
です。
木々は「春樹」の役目をおわりました。
「夏木」とかわろうとしています。
「夏木」とかわりました。

街角の雑草も花は咲きはじめ。
「夏の花」の姿となりそして「夏」を迎える。
「ほとけの座」や「はこべ」が
「かたばみ」や「いたどり」が
ますます姿を大きくして。

そして「すすき」もくわわりました。

冬草から春草へ。
そして気がはやく。
夏草へのたたずまいをしている草もある。
そしてもうすっかり夏草へと黄金色に転した
街角には雑草もあります。
こがねいろ。

雑草も。
同じく花をさかせ自ら種をとばし
夏葉がみえる。
そして秋を迎える。
冬が来て。木枯らしに吹かれ。
雪をかむり。そして。
春がくる。
そしてまた夏。

そして今は。

「夏」。

ツツジは潅木。

ツツジの花の葉の優しさには

あらためてびっくりしました。

黄緑・草色のビロードです。

のぞきこむと若葉はまだ沢山ある。

何故か得をしたように思えました。

そして雨にうたれて

そのまま地に落ちた

ツツジの若葉は

幾何学的に裏側を下にむけて

逆さじょうごのように

落下していることに

気がつきました。

まるで。

「若草色」のきのこが。

沢山はえているようです。

木から落ちても。
まだ「若葉」です。ふと。
ヴェルディの「椿姫」「La Traviata」
の「つばき」を思い出しました。

1852年パリに滞在したヴェルディは
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)
の戯曲版『椿姫』の上演を見て感激し
ました。
そのころ新作の作曲依頼を受けていた
ヴェネツィアのフェニーチェ劇場のために。
翌1853年初めに比較的短時間で作曲された
『椿姫 』(La Dame aux camelias、1848年出版)
は。
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)が
実際の体験を基にして書いた長編小説。
主人公のモデルはかつて作者が交際をしていた
マリー・デュプレシという高級娼婦。
恋人アルマンのイニシャルである
『AD』は
小デュマのイニシャルと同じです。

この作品は人々に愛されて幾度も舞台、映画化され
続けてきました。

朝暗いうちは。

とても。

はださむいです。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックには。
孟宗竹のたけやぶ
があります。
竹はせがたかいから。

クリニック館内からはすこし離れた所にある。
はなれていても。
とおくからもみえます。

山本クリニックには。
検見川の落合遺跡の遺跡発掘の際に
みつかった「古代のハスの種子」から。

2000年ぶりに発芽したことで有名な。
「古代蓮(ハス)」があります*。
【大賀ハス:おおがはす】です。
「有名な古代ハス」です。
とても勇壮なハスで。
花のいろはとてもあまりにも美しく。
たとえ様もありません。

ハスの花がさき。
「「蓮(ハス)」の実」になりました。
「はすの実」も「はす」の葉も。
2mくらい水面から高いところに
あります。

睡蓮(すいれん)があります。
睡蓮(すいれん)は「葉」が水に浮び。
はのきれこみは羊の足のようです。
睡蓮(すいれん)を「ひつじぐさ」とは
なるほどと考える。
睡蓮(すいれん)の茎の長さには
おどろかされます。

「姫睡蓮(ひめすいれん)」でさえも。
池はばが長ければ四方八方に「水の中の枝」。

「モネ」の描いた睡蓮(すいれん)の
「水の中の枝」は「どれほど長いのだろう」。

睡蓮(すいれん)も「太古の時代」に
陸の動物に「かじられないように」
水中に「逃げ込んだ」のでしょう。

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大賀ハス(オオガハス、おおがはす)とは。
1951年(昭和26年)、千葉県千葉市検見川
(現・千葉市花見川区朝日ケ丘町)にある
東京大学検見川厚生農場
(現・東京大学検見川総合運動場)の
落合遺跡で発掘された
今から2000年以上前の古代のハスの実から
発芽・開花したハス(古代ハス)のことです。

戦時中に東京都は燃料不足を補うために
花見川下流の湿地帯に豊富な草炭が埋蔵されていた
「草炭」を採掘していました。

採掘は戦後も継続して行われていました。
1947年(昭和22年)7月28日に作業員が採掘現場でたまたま
1隻の丸木舟と6本の櫂を掘り出しました。

その調査によりもう2隻の丸木舟と
ハスの果托などが発掘されました。

「縄文時代の船だまり」であったと
推測され落合遺跡と呼ばれました。

植物学者でハスの権威者でもある大賀一郎博士
(当時・関東学院大学非常勤講師)が
発掘品の中にハスの果托があることを知り。
1951年(昭和26年)3月ボランティアの協力
を得てこの遺跡の発掘調査を行いました。

翌日で打ち切りという
30日の夕刻になって花園中学校の女子生徒により
地下約6mの泥炭層からハスの実1粒が発掘され予定を延長し
4月6日に2粒、計3粒のハスの実が発掘されました。

大賀博士は5月上旬から発掘された
3粒のハスの実の発芽育成を試みるも2粒は失敗に終わりました。
だが1951年3月30日に出土した1粒が育成に成功致しました。

翌年の1952年(昭和27年)7月18日にピンク色の大輪を咲かせました。
このニュースは国内外に報道されて多いな「驚愕」を与えました。
同年11月17日付米国ライフ誌に「世界最古の花・生命の復活」
として掲載され博士の姓を採って「大賀ハス」と命名されました。

シカゴ大学のリピー博士らによって放射性炭素年代測定が行われました。
ハスの実は今から2000年前の弥生時代以前のものであると推定された。

この古代ハスは、
1954年(昭和29年)6月8日に「検見川の大賀蓮」として
千葉県の天然記念物に指定されました。
また1993年(平成5年)4月29日には千葉市の花として制定され、
現在日本各地は元より世界各国へ根分けされ、
友好親善と平和のシンボルとしてその一端を担っています。

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ふと「パンの神」を思い出しました。
(「牧神パン(Pan)」=「Pan」=「パン」=
「飯(はん)」=「全般の般」=「パンアメリカンのパン」=

「パン」「pan」は「すべて」という意味の
古代ギリシャ語そして「サンスクリット」も同じ。

古典ギリシア語 Παν、Pan「パンの神」は。
幼少時からゼウスから他の神々全て*に好かれたので
(古代ギリシャ語でTheophilusテオフイルス/ラテン語では
amadeus アマデウス**)
「パン」と名づけられました。

「頭は人間で胴体は山羊」です。

「テュホン:テューホーン:Τυφών: Typhon」
ギリシア神話に登場する魔神***。
に追いかけられ
あわてて身を守るため川に飛び込み「頭は人間で胴体は人魚」
に変身したために。

「パニック」=「panic:パン的」
という言葉が生まれました。

星座に「山羊座」という星座があります。

山羊座は不思議ですが
「あわてて身を守るため川に飛び込み
「頭は人間で胴体は人魚」」
に変身した「パンの神」を示しています。
山羊ではありません。

むしろ正確には人魚です。

だから。
「山羊座」という「意味」はわかります。
けれども「命名」の観点から。
「山羊座」というのはかなり「妙」な気が致します。
「人魚座」というのが正しい。

 


名称「パンの神」の由来は「ギリシャ神話」でも
非常に多くの「言い伝え」がいくつがあります。
その「言い伝えの数」に正比例して「混乱」があります。

**
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの
「アマデウス」とは「パンの神」のことです。
(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの
ヴォルフガングは「おおかみが行く」という意味です。
よって
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは

「狼のように歩み神に愛されたモーツアルト」
ということになります)

***
「テュホン:テューホーン:Τυφών: Typhon」は
「台風:たいふう」と日本語では名前を変えています。

****
タイフーン級原子力潜水艦は
旧ソ連・ロシアの941型(プロジェクト941)
戦略ミサイル搭載原子力潜水艦のことです。
タイフーンはそれに付けられたNATOコードネームですが
この名称は日本の「台風」とは「直接関係」はありません。

日曜の

朝晴れて

はじめて気づく

にわの小ささ

にちようの

あさはれて

はじめてきづく

にわのちいささ

朝晴れて

にわの小さき

気づかぬときは

病(やまい)なりけり

日曜の朝

あさはれて

にわのちいさき

きづかぬときは

やまひなりけり

にちようのあさ

葉のつきて。

物心もつく

桜かな

はのつきて

ものこころもつく

さくらかな

休診日ですが。
早朝に朝まだ暗いうちから
首都高を走って病院に到着致します。

空はきらきらのラピス・ラズリの
紺碧のジュースから
ミルク色のはいった
トルコ石の「プリン」に変わるように変化
していきます。

遠くにぽかぽか浮ぶ「雲々」は
トルコ石の「プリン」の上の「クリーム」の
ようです。
にわのあじさいは「アイスクリーム」
のようです。

夏きらきらラピス・ラズリの空(そら)
夏紺碧のカクテルいろの空(そら)
夏ミルクをそそそいだ空(そら)
夏トルコいしのプリンの空(そら)
夏はるかにとほくたかい空(そら)
夏ほかほか浮ぶ雲々(くもぐも)そら
夏プリンの上のクリームのような空(そら)
夏睡蓮(すいれん)の水面に空(そら)
夏睡蓮(すいれん)のうえに空(そら)
夏空(そら)の向こうにまた空(そら)
夏空(そら)そのまたむこうにももっと大きな空(そら)

春のうららのこもれびに

緑木いらかをかぜはやみ

青風ひるむやうつろひの

四季のつきひははやいくとせ

夏のうららのこもれびに

緑木いらかのつねなりて

赤き空(そら)にて炎えたたむ

四季のつきひははやいくとせ

秋のうららのこもれびに

緑木いらかにかぜさやか

秋風かたれるやすらきの

四季のつきひははやいくとせ

冬のうららのこもれびに

緑木いらかにかぜつよし

冬風弓(ゆみ)射る木枯らしの

四季のつきひははやいくとせ

日々のうららのこもれびに

祈想い(おもい)のいらかにかぜつよし

生きる力に祈りはせ

四季のつきひははやいくとせ

やまひのとまやのこもれびに

祈願りの(いのり)のいらかにかぜさみし

やみいるこころに力(ちから)はせ

四季のつきひははやいくとせ

いづるわかばのこもれびに

ひかりのいらかにかぜやさし

おもふこころに瞑想(おもひ)のせ

四季のつきひははやいくとせ

やさしくかたるるこもれびに

あさひのいらかにかぜさむし

ゆれるからだに意思(こころ)つみ

四季のつきひははやいくとせ

かわるるつきひのこもれびに

かたりのいらかにあめさみし

うたれしからだに決意(さだめ)おい

四季のつきひははやいくとせ

ゆめみしあさひのこもれびに

くもまのいらかにつきうすし

いさりてあゆめる未来(のそみ)みし

四季のつきひははやいくとせ

陽(ひ)いでてあふるるこもれびに

もののふいらかにかぜあおし

ひかりてかかやく希望(ねかひ)もて

四季のつきひははやいくとせ

夏椎木(しいのき)は枝高し
夏そらに吼える若葉の穂束
夏そらに吼える蒼き獅子のごとし
夏天にも地にもみどりはさける
夏のあさふかまりて
夏陽の光ゆたかなりけり
夏いふことのなし
夏いふことがなし
夏いふことはなし
夏いふこともなし
夏ゆたかなるかな夏

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成21年1月12日(月曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

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平成21年2月11日(水曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の御予約の。
患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
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平成21年3月20日(金曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の御予約の。
患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

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平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

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平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

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平成21年7月20日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

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平成21年8月14日(金曜日)と15日(土曜日)
の「二日間」
は病院の医療コンピューターの更新のため。

診療ができないので二日間「休診日」になります。

平成21年8月13日(木曜日)まで平常どおり。

はおわりました。

平成21年8月18日(日曜日)から平常どおり。

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平成21年9月21・22・23日
(月曜日)(火曜日)(水曜日)
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
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★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。
インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がきます。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著であろうと推察されます。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」
であることを懸念しています。
そして気候の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表される。
ウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。
「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。

彼の心理学は要素主義と呼ばれ。
さまざまな感覚(心的要素の働き)が統覚によって
統合されるとした心理学者。

ライプツィヒ大学の哲学教授を務めていた
1879年に。
公認された世界初の心理学実験室を開設
致しました。

心理学史の多くではこの時をもって。
" 新しい学問分野として心理学が成立 "
したとされています。

1832年 - ヴィルヘルム・ヴント、
生理学者、心理学者(+ 1920年)
の生誕日です。

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ヴィルヘルム・ヴントヴィルヘルム・ヴント
:Wilhelm Max Wundt,
1832年8月16日 - 1920年8月31日)は。

ドイツの生理学者、哲学者、心理学者。
実験心理学の父と称されます。
哲学者のマックス・ヴントは息子です。

1832年南ドイツのバーデン地方、
マンハイムのネッカラウに牧師の子として
生まれました。

++++++++++++++++++++++

ヴィルヘルム・ヴントヴィルヘルム・ヴント
:Wilhelm Max Wundt
は。

12歳の時、チュービンゲン大学に入学。
高校時代までは勉強が嫌いでした。

ハイデルベルク大学医学部に入学してからは
猛勉強を致しました。

1857年に同大学を卒業。1858年から5年間、
ヘルムホルツの助手をつとめました。

1862年から私講師として
「自然科学から見た心理学」
「生理学的心理学」
といったタイトルの講義を担当致しました。

++++++++++++++++++++++

ヴィルヘルム・ヴントヴィルヘルム・ヴント
:Wilhelm Max Wundt
は。

1873年
『生理学的心理学綱要』の前半を出版致しました。

翌1874年、スイスのチューリッヒ大学の
哲学の正教授となりました。

さらに翌1875年ライプツィヒ大学の哲学教授として
招かれました。

その地に腰をすえました。

それまでの
哲学的な心理学とは異なる
実証的な心理学を構想致しました。

++++++++++++++++++++++

ヴィルヘルム・ヴントヴィルヘルム・ヴント
:Wilhelm Max Wundt
は。
実験心理学最初の書である
「感覚知覚説貢献」(1858-1862)を著しました。

ライプツィヒ大学の哲学教授を務めていた
1879年には。
公認された世界初の心理学実験室を開設した、
とされています。

心理学史の多くではこの時をもって。
" 新しい学問分野として心理学が成立 "
したとされています。

++++++++++++++++++++++

ヴィルヘルム・ヴントヴィルヘルム・ヴント
:Wilhelm Max Wundt
の。

その実験室にはヨーロッパ、アメリカ、日本から
多くの研究者が集まることになりました。

1881年には『哲学研究』という名の冊子
を発刊致しました。
これは後に『心理学研究』と改称され継続されました。

本書は。
ヴントの心理学研究室での成果を中心とした
諸論文が掲載されています。

心理学の発展に多大に寄与することになりました。

++++++++++++++++++++++

ヴィルヘルム・ヴントヴィルヘルム・ヴント
:Wilhelm Max Wundt
は。

ヴントは実験室のある
ライプツィヒ以外の地に移住することはなく、
その地にて88歳で死去致しました。

生涯に書いた著作の
ページ数の総計は5万ページ以上だと言われています。

++++++++++++++++++++++

ヴントの学説
ヴントは。
心理学は経験科学であると致しました。
形而上学を攻撃致しました。

心理学は直接経験の学であると論じています。

心理学と物的科学の差別は。
経験を眺める見地にあるのであって。
扱う「経験」の定義そのものが違うのではないとしました。

そこでヴントは、心理学の研究法は
自己観察(内観)にあるとしました。

しかし彼は二元論者であり。

精神と肉体は別物、並行して存在する物としました
(精神物理的並行)。

また、心理学の目標は、
心を簡単に分析して、
「それらの質から成り立っている各種の形式」を
決定することであると述べました。

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ヴィルヘルム・ヴントヴィルヘルム・ヴント
:Wilhelm Max Wundt
の学説は。

自分の精神の内面を観察する内観という方法を用いて
意識を観察・分析して。

意識の要素と構成法則を明らかにしようと致しました。

ゆえに、ヴントの心理学は要素主義と呼ばれます。

さまざまな感覚(心的要素の働き)が統覚によって統合されると
致しました。

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ヴントの残した足跡からの実験的方法は
今日まで発展を続けています。

けれども後の学派、
ゲシュタルト心理学や行動主義心理学から
反発を受けることになりました。

また、ヴントは
ハイマン・シュタインタールや
モーリツ・ラーツァルスと共に
「民族心理学 」を創始したとも評価されています。

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アメリカの心理学への影響
アメリカ心理学の祖
はウィリアム・ジェームズ(1842−1910)です。

ヴントがライプチヒに移った1875年には
すでに生理学心理学の講義を始めていました。

ジェームズは実験家ではなかったが。
ドイツの実験的手法をアメリカに移入するとともに。
心の機能的意味を強調することによって、
アメリカ的色彩を生みだしました。

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アメリカの学生は。
多くがヴントの下で学び、
帰米して、各地方に実験場を開設致しました。

それで表面上はドイツ的であったのですが。

内容はヴントより
むしろフランシス・ゴールトンに近いものであった
ようです。

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++「続きを読むです1」++++++++++++++++++

ヴィルヘルム・ヴント
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%83%B3%E3%83%88

ヴィルヘルム・ヴントヴィルヘルム・ヴント:Wilhelm Max Wundt, 1832年8月16日 - 1920年8月31日)は、ドイツの生理学者、哲学者、心理学者。 実験心理学の父と称される。哲学者のマックス・ヴントは息子である。

1832年南ドイツのバーデン地方、マンハイムのネッカラウに牧師の子として生まれる。12歳の時、チュービンゲン大学に入学。高校時代までは勉強が嫌いであったが、ハイデルベルク大学医学部に入学してからは猛勉強をする。1857年に同大学を卒業。1858年から5年間、ヘルムホルツの助手をつとめる。1862年から私講師として「自然科学から見た心理学」「生理学的心理学」といったタイトルの講義を担当する。1873年『生理学的心理学綱要』の前半を出版する。翌1874年、スイスのチューリッヒ大学の哲学の正教授となる。さらに翌1875年ライプツィヒ大学の哲学教授として招かれ、その地に腰をすえる。

それまでの哲学的な心理学とは異なる実証的な心理学を構想し、実験心理学最初の書である「感覚知覚説貢献」(1858-1862)を著し、ライプツィヒ大学の哲学教授を務めていた1879年には、公認された世界初の心理学実験室を開設した、とされており、心理学史の多くではこの時をもって、" 新しい学問分野として心理学が成立 " したとされている。[1][2] その実験室にはヨーロッパ、アメリカ、日本から多くの研究者が集まることになった。1881年には『哲学研究』という名の冊子を発刊し、これは後に『心理学研究』と改称され継続。ヴントの心理学研究室での成果を中心とした諸論文を掲載し、心理学の発展に寄与した。

ヴントは実験室のあるライプツィヒ以外の地に移住することはなく、その地にて88歳で死去した。生涯に書いた著作のページ数の総計は5万ページ以上だと言われている。

目次
1 ヴントの学説
2 アメリカの心理学への影響
3 東北大学のヴント文庫
4 脚注
5 関連事項

ヴントの学説
ヴントは、心理学は経験科学であるとし、形而上学を攻撃した。心理学は直接経験の学であると論じている。心理学と物的科学の差別は経験を眺める見地にあるのであって、扱う「経験」の定義そのものが違うのではないとした。そこでヴントは、心理学の研究法は自己観察(内観)にあるとした。しかし、彼は二元論者であり、精神と肉体は別物、並行して存在する物とした(精神物理的並行)。また、心理学の目標は、心を簡単に分析して、それらの質から成り立っている各種の形式を決定することであると述べた。つまり、自分の精神の内面を観察する内観という方法を用いて意識を観察・分析し、意識の要素と構成法則を明らかにしようとしたのだ。ゆえに、ヴントの心理学は要素主義と呼ばれる。さまざまな感覚(心的要素の働き)が統覚によって統合されるとした。

ヴントの残した足跡からの実験的方法は今日まで発展を続けているが、後の学派、ゲシュタルト心理学や行動主義心理学から反発を受けることになる。

また、ヴントはハイマン・シュタインタールやモーリツ・ラーツァルスと共に「民族心理学 [3]」を創始したとも評価されている。

反応の4類型

アメリカの心理学への影響
アメリカ心理学の祖はウィリアム・ジェームズ(1842−1910)で、ヴントがライプチヒに移った1875年にはすでに生理学心理学の講義を始めていた、。ジェームズは実験家ではなかったが、ドイツの実験的手法をアメリカに移入するとともに、心の機能的意味を強調することによって、アメリカ的色彩を生んだのである。

アメリカの学生は多くがヴントの下で学び、帰米して、各地方に実験場を開設した。それで表面上はドイツ的であったが、内容はヴントよりむしろフランシス・ゴールトンに近いものであった。

東北大学のヴント文庫
東北大学教授千葉胤成は、ドイツ留学中に丁度売りに出されていたヴントの蔵書を購入し、日本に持ち帰った。この蔵書は東北大学図書館に「ヴント文庫」として所蔵されている。

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++

8月16日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/8%E6%9C%8816%E6%97%A5

できごと
1780年 - アメリカ独立戦争: キャムデンの戦い
1858年 - ヴィクトリア英女王とブキャナン米大統領が大西洋横断海底ケーブルの完成を祝うメッセージを交換する。
1913年 - 東北帝国大学に3名の女性が入学、帝国大学初の女子学生となる。
1913年 - 日本海軍の巡洋戦艦「金剛」が竣工。
1918年 - 1918年米騒動: 第4回全国中等学校優勝野球大会の中止が決定。
1924年 - ドイツ賠償問題に関するドーズ案が成立する。
1944年 - ユンカース Ju 287が初飛行する。
1945年 - タイの歴史: タイが対米英宣戦布告の無効を宣言。
1946年 - 経済団体連合会(経団連)設立。
1949年 - 古橋広之進、ロサンゼルスの北米水上選手権大会で400m自由形などで世界新記録を出し優勝。
1954年 - スポーツ・イラストレイテッドが創刊される。
1960年 - キプロスがイギリスから独立。但しトルコは認めず。
1960年 - 東村山浄水場通水。
1965年 - ユナイテッド航空389便墜落事故。
1977年 - エルヴィス・プレスリーが自宅で死去。42歳没。
1979年 - 第61回全国高等学校野球選手権大会にて箕島−星稜延長18回の試合。
1980年 - 静岡駅前地下街爆発事故、静岡駅前地下街でガス爆発が起き、死者15名、重軽傷233名を出す惨事。
1986年 - アメリカ海軍の原子力潜水艦「ネバダ」が竣工。
1992年 - 松井秀喜5打席連続敬遠。
2005年 - 宮城県牡鹿半島沖を震源とするマグニチュード7.2の地震発生(「宮城県南部地震」)。
2005年 - ウエスト・カリビアン航空708便墜落事故。
2006年 - 北方領土貝殻島付近でロシア国境警備隊に銃撃を受け1人死亡、計4人が拿捕される事件が起こる。
2007年 - 岐阜県多治見市(14時20分)および埼玉県熊谷市(14時42分)にて観測史上日本最高気温40.9℃を観測。

誕生日
1789年 - エイモス・ケンドール、第11代アメリカ合衆国郵政長官(+ 1869年)
1815年 - ヨハネ・ボスコ、カトリック教会の聖人(+ 1888年)
1832年 - ヴィルヘルム・ヴント、生理学者、心理学者(+ 1920年)
1884年 - ヒューゴー・ガーンズバック、小説家、SF作家(+ 1967年)
1888年 - トーマス・エドワード・ロレンス、「アラビアのロレンス」の異名で知られるイギリスの軍人・考古学者(+ 1935年)
1912年 - 磯崎叡、第6代日本国有鉄道総裁(+ 1997年)
1913年 - メナヘム・ベギン、第6代イスラエル首相(+ 1992年)
1915年 - 佐々木常助、元プロ野球選手
1916年 - 松下繁二、元プロ野球選手
1920年 - チャールズ・ブコウスキー、アメリカの小説家(+ 1994年)
1921年 - 増田卓、元プロ野球選手
1928年 - 上野瞭、児童文学作家(+ 2002年)
1929年 - ビル・エヴァンス、ジャズピアニスト(+ 1980年)
1933年 - 菅原文太、俳優
1934年 - ダイアナ・ウィン・ジョーンズ、小説家
1944年 - 木下厚、政治家
1948年 - 川勝平太、政治家・歴史学者
1952年 - 石澤典夫、NHKアナウンサー
1952年 - 達川実、女子バレーボール監督
1953年 - スチュワート・バクスター、サッカーヘルシンボリIF監督
1953年 - 高木真一、元プロ野球選手
1954年 - 若生哲旺、東北放送アナウンサー
1956年 - 岡本圭右、元プロ野球選手
1957年 - 楠淳生、朝日放送アナウンサー
1957年 - 竹之内徹、元プロ野球選手
1958年 - マドンナ、歌手・女優
1960年 - フランツ・ウェルザー=メスト、指揮者
1960年 - 吉岡伸也、デザイナー・風水建築家
1961年 - 高乃麗、声優
1961年 - 日野善朗、元プロ野球選手
1963年 - ターザン後藤、プロレスラー
1964年 - 佐藤シンイチロウ、ミュージシャン(the pillows、the ピーズ)
1965年 - 藤田勇児、声優
1966年 - 山根康広、ミュージシャン
1967年 - 金山一彦、俳優
1968年 - 堀江利幸、放送作家
1968年 - 前田耕陽、俳優
1968年 - 殿村誠士、写真家
1969年 - 小高直子、中部日本放送アナウンサー
1970年 - 佐野貴英、元プロ野球選手
1971年 - 小木博明、お笑いタレント(おぎやはぎ)
1971年 - ルーロン・ガードナー、アマチュアレスリング選手
1972年 - 近野宏明、日本テレビ放送網ニュースキャスター・報道記者
1972年 - 西田ひかる、タレント
1972年 - 伊林厚志、元プロ野球選手
1973年 - 黒部亜希子、テレビ大阪アナウンサー
1973年 - 梅山修、サッカー選手
1974年 - 木村昌広、元プロ野球選手
1974年 - 森ほさち、女優
1976年 - 嘉数祐奈、タレント
1976年 - 根岸勇人、俳優
1977年 - 岩田夏樹、バイヤー
1978年 - 森ひろこ、タレント
1979年 - 大久保剛、ミュージシャン(音速ライン)
1979年 - 井上雅雄、MBS毎日放送アナウンサー
1980年 - ベン・コズロースキー、プロ野球選手
1981年 - ロケ・サンタ・クルス、サッカー選手
1982年 - 山崎勝己、プロ野球選手
1983年 - プム・ジェンセン、タイ国王ラーマ9世の孫(+ 2004年)
1983年 - 本田朋子、フジテレビアナウンサー
1983年 - 新井良太、プロ野球選手
1985年 - 大沢あかね、女優・タレント
1985年 - 松坂健太、プロ野球選手
1986年 - ダルビッシュ有、プロ野球選手
1987年 - 喜多村英梨、声優
1987年 - ジョジマール・ロドリゲス・ソウザ・ロベルト、サッカー選手
1987年 - 七瀬あずみ、タレント
1987年 - Sean、(SpecialThanks)、ミュージシャン
1988年 - 高部あい、タレント(美少女クラブ31)
1988年 - 木村勝太、サッカー選手
1988年 - 久野純弥、サッカー選手
1988年 - イスマイル・アイサティ、サッカー選手
1989年 - 永岡真実、タレント
1989年 - 伊藤沙菜、ローカルタレント、フットサル選手(サッポロチェルビーズ)
1990年 - 内山昂輝、俳優・声優
1991年 - イヴァナ・リンチ、女優
1993年 - 鬼頭桃菜、SKE48
1994年 - 高田里穂、ファッションモデル、タレント、女優

忌日
1225年(嘉禄元年7月11日)- 北条政子、源頼朝の妻(* 1157年)
1291年 - フリードリヒ・トゥタ、マイセン辺境伯の摂政(* 1269年)
1327年 - ロクス、カトリック教会の聖人(* 1295年)
1358年 - アルブレヒト2世、オーストリア公(* 1298年)
1419年 - ヴェンツェル、神聖ローマ皇帝(* 1361年)
1443年(嘉吉3年7月21日) - 足利義勝、室町幕府7代征夷大将軍(* 1434年)
1445年 - マーガレット、フランス王太子ルイ(後のルイ11世)の妃(* 1424年)
1518年 - ロイゼ・コンペール、作曲家(* 1445年頃)
1532年 - ヨハン、ザクセン選帝侯(* 1468年)
1654年(承応3年7月4日)- 伏見宮貞清親王、江戸時代の皇族(* 1596年)
1659年(万治元年6月28日)- 井伊直孝、第2代彦根藩主(* 1590年)
1675年(延宝3年6月25日)- 八条宮長仁親王、江戸時代の皇族(* 1655年)
1705年 - ヤコブ・ベルヌーイ、数学者(* 1654年)
1732年(享保17年6月26日)- 細川宣紀、第4代熊本藩主(* 1676年)
1757年(宝暦7年7月2日)- 徳川宗直、第6代紀州藩主(* 1682年)
1806年(文化3年7月3日)- 志筑忠雄、蘭学者・通詞(* 1760年)
1861年(文久元年7月11日)- 岩瀬忠震、江戸幕府外国奉行・作事奉行(* 1818年)
1870年(明治3年7月20日)- 小松清廉(帯刀)、薩摩藩家老(* 1835年)
1875年 - チャールズ・フィニー、長老派教会の牧師・第二次大覚醒の指導者(* 1792年)
1886年 - シュリ・ラーマクリシュナ、宗教家(* 1836年)
1893年 - ジャン=マルタン・シャルコー、医学者(* 1825年)
1899年 - ローベルト・ブンゼン、化学者(* 1811年)
1900年 - エッサ・デ・ケイロス、小説家(* 1845年)
1916年 - ウンベルト・ボッチョーニ、画家・彫刻家(* 1882年)
1920年 - ノーマン・ロッキャー、天文学者(* 1836年)
1921年 - ペータル1世、セルビア王(* 1844年)
1928年 - 佐伯祐三、画家(* 1898年)
1929年 - 津田梅子、教育者・女子英学塾(現津田塾大学)創設者(* 1864年)
1938年 - ロバート・ジョンソン、ブルースギタリスト(* 1911年)
1941年 - 長與又郎、医学者(* 1878年)
1945年 - 大西瀧治郎、日本海軍の中将・軍令部次長(* 1891年)
1945年 - 丸山定夫、俳優(* 1901年)
1946年 - 伏見宮博恭王、日本の皇族(* 1875年)
1948年 - ベーブ・ルース、メジャーリーグのプロ野球選手(* 1895年)
1949年 - マーガレット・ミッチェル、小説家(* 1900年)
1951年 - ルイ・ジューヴェ、俳優、(* 1888年)
1955年 - 丸山幹治、ジャーナリスト(* 1880年)
1955年 - 吉田初三郎、鳥瞰図絵師(* 1884年)
1956年 - ベラ・ルゴシ、俳優(* 1882年)
1957年 - アーヴィング・ラングミュア、化学者(* 1881年)
1959年 - ワンダ・ランドフスカ、チェンバロ奏者(* 1879年)
1959年 - ウィリアム・ハルゼー、アメリカ海軍の元帥(* 1882年)
1968年 - 熊谷一弥、テニス選手(* 1890年)
1972年 - ジョン・バーンズ・チャンス、作曲家(* 1932年)
1973年 - セルマン・ワックスマン、生化学者(* 1888年)
1975年 - カルロス・ラウール・ビラヌェバ、建築家(* 1900年)
1975年 - ウラジミール・クーツ、陸上競技選手(* 1927年)
1977年 - エルヴィス・プレスリー、歌手(* 1935年)
1987年 - 山階武彦、日本の元皇族(* 1898年)
1989年 - 岩上二郎、茨城県知事・自民党参議院議員(* 1913年)
1990年 - パット・オコーナー、プロレスラー(* 1927年)
1992年 - 桂文我 (3代目)、落語家(* 1933年)
1996年 - 沢村貞子、俳優(* 1908年)
1997年 - ヌスラト・ファテー・アリー・ハーン、カッワーリー歌手(* 1948年)
2002年 - アブ・ニダル、パレスチナ解放機構幹部(* 1937年)
2003年 - イディ・アミン、ウガンダの元大統領(* 1925年頃)
2003年 - 常倉十紀二、ラジオパーソナリティ・放送作家(* 1948年)
2005年 - ブラザー・ロジェ、修道士・テゼ共同体創始者(* 1915年)
2005年 - ジョー・ランフト、アニメーター(* 1960年)
2006年 - アルフレド・ストロエスネル、パラグアイの元大統領(* 1912年)
2006年 - 黒柳朝、随筆家(* 1910年)
2006年 - アレキサンダー・ジョージ、政治学者(* 1920年)
2006年 - ベガ (競走馬)、競走馬(* 1990年)
2007年 - マックス・ローチ、ジャズドラマー(* 1924年)
2008年 - 福岡正信、自然農法研究者(* 1913年)

記念日・年中行事
五山送り火
京都市如意ケ岳(大文字山)他、五つの山で行われるかがり火。

しゃんしゃん祭り
鳥取市で中心街の主要道路を利用して、地元の各団体が鈴の付いた傘を使い、
きなんせ節など鳥取の唄に合わせて踊る。
元は県無形民俗文化財の「因幡の傘踊り」。

備中たかはし松山踊り
岡山県高梁市で行われ、五穀豊穣と町家の繁栄を願って踊る。
(8月14日から)

木頭おどり
徳島県那賀郡那賀町で行われる盆踊り

女子大生の日
1913年(大正2年)、
東北帝國大学(現:東北大学)が女子受験生3人の合格を発表。
日本に初めて女子大生が誕生した日。
そのうちの1人は日本初の女性理学博士となった黒田チカ。