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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年8月23日(日曜日)

平成21年の「8月」に。

なりました。

平成21年の。

「春」の「3月」「4月」「5月」が。

おわり。

「夏」の「8月」になりました。

とてもとても。

とても。

早朝の「強い陽射し」が。

続いています。

あつい「夏」の「8月」です。

「夏」がきた。

「なつ」がきた。

どこに来た。

「山」にきて。

「里」にきて。

「野」にきて。

「夏」は。

「まち」にもやってきました。

今年の「冬」・から「春」は予期せぬ

インフルエンザ*の

大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。

薬事法の「能書」にあるとおり

「正規の」

「2回法によるインフルエンザワクチン」の

予防接種をおすすめいたします。

常時いつでも接種可能です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

昨年の。
冬間近くの。
さらなる前に。

「晩秋」>のころ。

「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」の。
花の蕾が淡い黄金色にかがやいて。
が見えてから「10日間」で。
花は去りました。
黄金色のじゅうたんが毛氈(もうせん)ように。
地面「金色」に広がりました。

「昨年」の。
「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」に続いて。
「銀木犀:きんもくせい」もプラチナ色の
花が咲き始めました。

「昨年」の。
「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」のあとを追って。
「銀木犀:きんもくせい」の花は去り。
地面に「プラチナ」が一面に広がっていました。

「夏」の「8月」

今は私の「大好き」な。

「夏の草花」の

の「蕾(つぼみ)」と。

「わかば」と。

「夏」の樹木の。

「花」のふくらむ季節。

そして「木々の若葉」の季節。

「夏の花」と「みどりの若葉」

「みどり」「若草いろ」の。

季節になりました。

私の「大好き」な萌え出づる「わかば」。

「夏」の若葉の。

美しい季節になりました。

そしていろいろな。

「夏」の木々の花ひらき咲く季節。

夏花(はな)と夏若葉(わかば)と。

あおい夏若草(わかくさ)の。

ワルツの季節になりました。

発花 発若葉

山本クリニックの庭園は。

大昔は。

雑木林であったのです。

「野生」の。

「やまぶき」や。

「やぶつばき」や。

「季節の花さく木々」が。

とても沢山。

群生してはえています。

日々の毎日にどんどんと。

みるみるうちに。

「夏の花」が。

つぼみや「花」を大きくしています。

けれども「夏の花」は。

蕾が大きくなったそのよるには。

花咲き。

暗い朝にちっていることが。

すくなくありません。

なつ花は

ぬばたまの

暗き闇夜に

なつ嵐の

風に弓射られて

花ぞ舞い散る

なつはなは

ぬばたまの

くらきやみよに

なつかせの

かせにいられて

はなそまいちる

「夏の花」は。
早朝には「白鷺の羽」
のように地面に
舞い降ちています。

昨年の。
「晩秋」
「木犀:もくせい」の花の
「芳香」は蕾のみえるまえから
あります。
花が去ったあとは
「あっというまに芳香が消えます」。

「晩秋」の
「木犀:もくせい」たちのかおりがさり。

「夏」になり。

「8月」。

あおばとともに。

つぼみを日々。

大きくしている。

「夏の花」。

「みかん」と「からたち」

青い実のふくらむ季節。

「夏」の「8月」。

そして。

「夏の花」や。

「あおいみかんのみ」

をみまもるのは。

「みかんの木」の。

まだなったままの。

昨年の

「まるいみかん」の

「丸い群れ」。

「円いみかん」は。

「丸くたわわに実り」。

まるで。

「ぶどうのふさ」のようです。

昨年の果実です。

まだ樹木にみのりつづけ。

おちません。

一方今年の「果実」の。

あおいちいさな実も。

はなのあとに実りはじめました。

兄弟同士(姉妹同士)

お互いに。

「はなことば」で話しをしているに

ちがいありません。

私は山茶花(さざんか)よりは。

「やぶつばき」がずっとすきです。

山本クリニックの庭園には。

いずれも。

野生の「やぶつばき」と

野生の「山茶花(さざんか)」ばかりです。

野生の「すみれ」も珍しい品種がはえています。

堂々たる。

「夏かぜ」と「夏吹雪:なつふぶき」

が吹いています。

「夏」になりました。

「夏」がはじまりました。

「あかるくて」

とてもよいです。

「夏」がふかまり。

「もっと深い「夏」」の。

トンネルをこえれば。

そこは「里山の「夏」」です。

「夏吹雪:なつふぶき」は

遠くの蒸気機関車の鳴き声のように

聞こえます。

また次に「夏から先」への。

「トンネル」があることも

わかります。

夏樹の妖精の吹くフルート

のよう。

そして。

「夏吹雪:なつふぶき」をなだめるように。

「樹木の穂先」が舞います。

「樹木の穂先」のほうが「役者」は上。

「夏吹雪」は突如(とつじょ)天から舞い降り

るように。

吹きます。

「夏」の陽射しはまばゆいサマーライト。

ひかりのかがやく「夏」になりました。

星のかがやく「夏」になりました。

きょうは。
とてもとても寒い。

「夏吹雪:なつふぶき」の声は

「夏かぜ」のふく音は。

「夏」の女神たちの。

笛ふく。

なつかぜのワルツ。

わかばのワルツ。

なつは。

いまは。

モデラート・マ・ノン・トロッポ。

フオルテです。

最近は
朝くらい早朝には「星がみえます」。
「明けの明星」の金星が南の空に高くみえます。

病院の明かりが灯り暗闇のなか。
朝はやく。

「明けの明星」の金星に「おはよう」を
毎日こえで「御挨拶」を伝えます。
「明けの明星」の金星から「おはよう」と
返事がかえってくる声をききながら。
病院の明かりをともします。
まだ真っ暗なのですが。

夏場の早朝のくらい時には。
明星はみえずらかった。
季節が「冬から「春」へとあゆみ」。
今は「夏」。

いよいよ。
大気が「澄んできた」ということでしょう。

夏霧雨(なつきりさめ)の。

夏霞(なつかすみ)の大気。

「夏吹雪:なつふぶき」の「音」。

「ろうろう」「こうこう」

「夏かぜ」の鳴き声

「ろうろう」「こうこう」

「夏吹雪:なつふぶき」の。

鳴き声とともに。

「夏一番」の「夏のしらべ」が。

あわせきこえます。

「どれみふあ」「そらしど」

朝暗いうちの「なつかぜ」の合唱は。

「夏」の「ふうりん」のようです。

あれ沢山の「ふうりん」かな。

「夏」の「ふうりん」の音色です。

「ろうろう」。

さやかにやさしくも「あたたかい音」です

「こうこう」

わびわびと。

「蜜蜂をよんでいる音」です。

「蜜蜂」のはぜる元気な「音」から

「夏」のおとずれが。

わかります。

「あおば」のおとずれが。

わかります。

「ススキの穂先」は
そぞろに「夏」の今年の芽栄え。

そして「夏」の旅愁すら
をも感じさせます。

ススキの茎の「穂先」には。

「「夏」ふくろう」が。

何匹も集ってつどい。

何匹ものふくろうが。

皆で何かを真剣に。

考えているように。

みえます。

夏くれば

緑葉いずる

夏すすき

葉いづるときは

秋ちかからむ

「ススキの葉先」は。

「しあわせと幸福を手招き」

している

何本もの「手」のように。

みえます。

エドヴァルド・ムンク:Edvard Munch

の「夏」の絵画のようです。

私も「日々を旅ゆく人間」です。

奥の細道の序文に松尾芭蕉が。

「月日は百代の過客(ひゃくたいのかかく)
にして行かふ年も又旅人也。」

「つきはひゃくたいのかかくにして
いきかふとしもまたたひひとなり」

とかたり。詠みました。

私は

「日々の月日」に。

道連れをさせていただき。

「時」を旅をする

「旅人(たびびと)」

のひとりです。

「日々月日の旅のつれあい」は。

私には。

「きょう」と。「あす」しか。

ありません。

「きょう」と。「あす」しか。

私にはありません。

「きのう」はありません。

朝くらいとき。
陽の出の直後は。
いつも一瞬は晴れています。
いまだ かすかにも。
のこる「夏」の気配
であるけれども。

あきらかに。
そしてしっかりと。
しのびよる。
もっともっと奥の。
深く深まる「夏のおとづれ」からの大気。

もっと。
「あつい「夏」」の気配が。
「確かに」。
そして明らかに。
そして輪郭もはっきりと。

感じられるようになりました。

「8月」。

もう「夏」です。

そして「緑の青葉」の「8月」

をむかえました。

はやいものです。
速いものです。
早いものです。

街路樹もそうそうたる
羽振りの木々から
「はじまりゆく「夏」の樹木」にうつろうように
変化しています。

「夏」。
「樹木の若葉の芽生え」があることに
気がつきました。

春の芽吹くときには。
街路樹のポプラも
幹や枝葉の穂先が。
ろうそくのともしびのように。
「炎の様」になっています。
あたかも
ゴッホの描いた「夜の糸杉」のように。
夏の早朝にみえます。

夏になり。
この「穂先」が一気に「ポプラの葉」へと
扇・おおぎのごとく開きました。

フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「夜の糸杉」から。
フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「ひまわり」
のように。
一斉に開きます。
8月にはいってからのことです。

10月そして11月。

今は「晩冬」の「2月」がおわり。

「春」の「3月」「4月」「5月」がおわり。
「夏」の「8月」。

今現在は落ち着いた「夏」の葉木。
「夏」の木々の「葉」
へと。
そしてふかまる「夏」の木々の「幹:みき」へと。

ふかまる「みのりの夏」にむけて。
「あつく」うつろいています。

ポプラも。つばきもくすのきも。
レースのハンカチをふるように
「「夏」のわかば」の「めばえ」がみえます。
窓越しにもみえます。

今は「「夏」のわかば」の「めばえ」は
とても大きくなりました。
「夏」の「めばえ」のひろがりです。

「冬がくると」。
空と木枯らしのかなでる「蛍の光」や
「冬のコンチエルト」にあわせるように。

ポプラの葉や芽葉は。
ハンカチのようにふわふわと。
ふわふわと。
「穂先から葉葉」は「舞い振りまがら」
ハンカチは木を去っていきました。

樹木のハンカチは。
大地を訪れて飛翔し。
大地にまいおり大地にもどります。
そして大地となります。

そして。
ポプラの葉や芽葉が。
ハンカチのようにふわふわと。
ふわふわと。
「穂先から葉葉」は「舞い振りまがら」
木を去っていく光景は。
あたかも。

「夜の魔法」「夜のガスパール」

のようです。

そして。

「花の去った枝」には。
「「夏」の若芽のめばえ」
が。
「夏葉」がみえます。

木々の「葉」が「枝や幹」を
「保護する役割をしている」
ことに気づきました。

桜の花の時期とうってかわり
桜の木の公園
の桜の木々は。
夏になりとても獰猛な気配を放つ。

初めて気がつきました。

「晩冬」の「2月」がおわり
「春」になり「3月」「4月「5月」がおわり。
「夏」の「8月」になりました。

「さくら」は春の濃い緑の樹肌になり。
やさしさとおだやかさ
が感じられます。

そしていつしか
幹先に若葉色の葉をもまじえています。
しだいにしだいに。
紅黄色の花が消え若葉にかわりつついくことに
きがつきます。

さくらから。
さくらはのきぬずれのおとが。
きこえるころ
です。

桜の樹木も「丸くなりました」。
桜の樹木も毎年毎年と毎日毎日。
「旅(たび)をしている」のでしょう。

朝陽をあびる落葉樹は
「すべてがあざやかな黄金色」に
かがやきます。
朝陽をしっかりと。
「いうにいわれぬ美しい絵のごとく」
陽射しを受け止めています。

「「夏」の朝陽」は真東に大変鋭いことに
気づきました。
眩しいです。

今はまぶしい「夏」の「あさひ」です。

するどいけれども。

「あたたかいろ」がかんじられます。

春は別として。
桜の木は木の下で。
夏は心安らかに。
「休める木ではないなあ」
と思います。
昨年は
秋になり
桜の樹木も安堵の葉色
になりました。
ちょっとばかりびっくり致しました。

枝や幹からは秋の陽の木漏れ日がみえます。

夏桜の木は獰猛なほど葉をおいしげらせ
ていました。
夏には
桜の木の下で木陰で。心安らかにやすもうという
気はおきません。

いまは「春」から「夏」になりました。
そよかぜに揺れる残り葉は
招き誘われるような気すら致します。

「夏」になり幹にはもう「花は散る」。
ちったあと枝の根元には。
「夏のわかば芽栄え(めばえ)」
若葉がみえます。

けれども
やはり夏桜の木は

シューベルトの歌曲の旋律にある「菩提樹」
ではないのです。

冬の桜木(さくらぎ)。

冬になり

人生に果てて(はてて)

なれるが如く桜樹木はかわりました。

良い木になってきました。

素敵(すてき)です。

冬の桜木(さくらぎ)。

「春」の桜木(さくらぎ)。

「夏」の桜木(さくらぎ)。

木々でも。
いちょうや。松や。杉などの針葉樹
は。またソテツなどは。
「古い時代の木」です。

「チャールズ・ダーウィンの進化論」からは
「針葉樹」から。
「常緑樹」「広葉樹」「落葉樹」にと。
「進化」しているはずです。

「原始的」な樹木ほど。
「硬い幹」です。
例外はありません。

硬ければ。
幹は硬ければ動物に
「かじられる」ことはないでしょう。

いにしえの古代の時代にも。

恐竜をはじめめとする
「大型」の草食動物にも。

かたければかじられることは
なかったでしょう。

街並みを彩る街路樹には「落葉植物」が多いです。

ふと。考える。

街路樹が「松や杉」のように。
「冬も葉を持つ針葉の常緑樹」では。

冬はうっそうとして道端では
やさしい暖かな陽射しをかくしてしまう。

夏場は枝ぶり葉っぱぶりからつよすぎる日の光は
さえぎれません。
そして
「秋」の「夕焼け陽」には。
「金色のちいさき鳥の形して」
秋の夕焼けの陽射しに舞うこともできません。

常緑樹の針葉樹では。
は四季のリズムをつたえる

北大路魯山人のかたる

ことば。

「ざっくり感(ざっくりかん)」

が。

ありません。

木々の夏の萌黄が早朝暗い中でも
うかびあがります。
私はくすのきが「大好き」な「木」の
ひとつです。
ポプラも好きです。
イチョウもすきです。
モミジもすきです。
カエデもすきです。
松や杉もすきです。
月桂樹やシナモンもすきです。
オリーブもすきです。
オレンジの木もすきです。
「そてつ」の木もすきです。
ツバキもすきです。
ソテツもすきです。
南天もすきです。
木や植物がすきです。

木々の穂先は毛氈(もうせん)
のようにあざやかな夏の萌黄色です。
まるで大きな深い山の森のうねりのようです。
今年は木々のわかばの秋のめばえが非常に鮮か
です。
木々は「春樹」の役目をおわりました。
「夏木」とかわろうとしています。
「夏木」とかわりました。

街角の雑草も花は咲きはじめ。
「夏の花」の姿となりそして「夏」を迎える。
「ほとけの座」や「はこべ」が
「かたばみ」や「いたどり」が
ますます姿を大きくして。

そして「すすき」もくわわりました。

冬草から春草へ。
そして気がはやく。
夏草へのたたずまいをしている草もある。
そしてもうすっかり夏草へと黄金色に転した
街角には雑草もあります。
こがねいろ。

雑草も。
同じく花をさかせ自ら種をとばし
夏葉がみえる。
そして秋を迎える。
冬が来て。木枯らしに吹かれ。
雪をかむり。そして。
春がくる。
そしてまた夏。

そして今は。

「夏」。

ツツジは潅木。

ツツジの花の葉の優しさには

あらためてびっくりしました。

黄緑・草色のビロードです。

のぞきこむと若葉はまだ沢山ある。

何故か得をしたように思えました。

そして雨にうたれて

そのまま地に落ちた

ツツジの若葉は

幾何学的に裏側を下にむけて

逆さじょうごのように

落下していることに

気がつきました。

まるで。

「若草色」のきのこが。

沢山はえているようです。

木から落ちても。
まだ「若葉」です。ふと。
ヴェルディの「椿姫」「La Traviata」
の「つばき」を思い出しました。

1852年パリに滞在したヴェルディは
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)
の戯曲版『椿姫』の上演を見て感激し
ました。
そのころ新作の作曲依頼を受けていた
ヴェネツィアのフェニーチェ劇場のために。
翌1853年初めに比較的短時間で作曲された
『椿姫 』(La Dame aux camelias、1848年出版)
は。
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)が
実際の体験を基にして書いた長編小説。
主人公のモデルはかつて作者が交際をしていた
マリー・デュプレシという高級娼婦。
恋人アルマンのイニシャルである
『AD』は
小デュマのイニシャルと同じです。

この作品は人々に愛されて幾度も舞台、映画化され
続けてきました。

朝暗いうちは。

とても。

はださむいです。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックには。
孟宗竹のたけやぶ
があります。
竹はせがたかいから。

クリニック館内からはすこし離れた所にある。
はなれていても。
とおくからもみえます。

山本クリニックには。
検見川の落合遺跡の遺跡発掘の際に
みつかった「古代のハスの種子」から。

2000年ぶりに発芽したことで有名な。
「古代蓮(ハス)」があります*。
【大賀ハス:おおがはす】です。
「有名な古代ハス」です。
とても勇壮なハスで。
花のいろはとてもあまりにも美しく。
たとえ様もありません。

ハスの花がさき。
「「蓮(ハス)」の実」になりました。
「はすの実」も「はす」の葉も。
2mくらい水面から高いところに
あります。

睡蓮(すいれん)があります。
睡蓮(すいれん)は「葉」が水に浮び。
はのきれこみは羊の足のようです。
睡蓮(すいれん)を「ひつじぐさ」とは
なるほどと考える。
睡蓮(すいれん)の茎の長さには
おどろかされます。

「姫睡蓮(ひめすいれん)」でさえも。
池はばが長ければ四方八方に「水の中の枝」。

「モネ」の描いた睡蓮(すいれん)の
「水の中の枝」は「どれほど長いのだろう」。

睡蓮(すいれん)も「太古の時代」に
陸の動物に「かじられないように」
水中に「逃げ込んだ」のでしょう。

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大賀ハス(オオガハス、おおがはす)とは。
1951年(昭和26年)、千葉県千葉市検見川
(現・千葉市花見川区朝日ケ丘町)にある
東京大学検見川厚生農場
(現・東京大学検見川総合運動場)の
落合遺跡で発掘された
今から2000年以上前の古代のハスの実から
発芽・開花したハス(古代ハス)のことです。

戦時中に東京都は燃料不足を補うために
花見川下流の湿地帯に豊富な草炭が埋蔵されていた
「草炭」を採掘していました。

採掘は戦後も継続して行われていました。
1947年(昭和22年)7月28日に作業員が採掘現場でたまたま
1隻の丸木舟と6本の櫂を掘り出しました。

その調査によりもう2隻の丸木舟と
ハスの果托などが発掘されました。

「縄文時代の船だまり」であったと
推測され落合遺跡と呼ばれました。

植物学者でハスの権威者でもある大賀一郎博士
(当時・関東学院大学非常勤講師)が
発掘品の中にハスの果托があることを知り。
1951年(昭和26年)3月ボランティアの協力
を得てこの遺跡の発掘調査を行いました。

翌日で打ち切りという
30日の夕刻になって花園中学校の女子生徒により
地下約6mの泥炭層からハスの実1粒が発掘され予定を延長し
4月6日に2粒、計3粒のハスの実が発掘されました。

大賀博士は5月上旬から発掘された
3粒のハスの実の発芽育成を試みるも2粒は失敗に終わりました。
だが1951年3月30日に出土した1粒が育成に成功致しました。

翌年の1952年(昭和27年)7月18日にピンク色の大輪を咲かせました。
このニュースは国内外に報道されて多いな「驚愕」を与えました。
同年11月17日付米国ライフ誌に「世界最古の花・生命の復活」
として掲載され博士の姓を採って「大賀ハス」と命名されました。

シカゴ大学のリピー博士らによって放射性炭素年代測定が行われました。
ハスの実は今から2000年前の弥生時代以前のものであると推定された。

この古代ハスは、
1954年(昭和29年)6月8日に「検見川の大賀蓮」として
千葉県の天然記念物に指定されました。
また1993年(平成5年)4月29日には千葉市の花として制定され、
現在日本各地は元より世界各国へ根分けされ、
友好親善と平和のシンボルとしてその一端を担っています。

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ふと「パンの神」を思い出しました。
(「牧神パン(Pan)」=「Pan」=「パン」=
「飯(はん)」=「全般の般」=「パンアメリカンのパン」=

「パン」「pan」は「すべて」という意味の
古代ギリシャ語そして「サンスクリット」も同じ。

古典ギリシア語 Παν、Pan「パンの神」は。
幼少時からゼウスから他の神々全て*に好かれたので
(古代ギリシャ語でTheophilusテオフイルス/ラテン語では
amadeus アマデウス**)
「パン」と名づけられました。

「頭は人間で胴体は山羊」です。

「テュホン:テューホーン:Τυφών: Typhon」
ギリシア神話に登場する魔神***。
に追いかけられ
あわてて身を守るため川に飛び込み「頭は人間で胴体は人魚」
に変身したために。

「パニック」=「panic:パン的」
という言葉が生まれました。

星座に「山羊座」という星座があります。

山羊座は不思議ですが
「あわてて身を守るため川に飛び込み
「頭は人間で胴体は人魚」」
に変身した「パンの神」を示しています。
山羊ではありません。

むしろ正確には人魚です。

だから。
「山羊座」という「意味」はわかります。
けれども「命名」の観点から。
「山羊座」というのはかなり「妙」な気が致します。
「人魚座」というのが正しい。

 


名称「パンの神」の由来は「ギリシャ神話」でも
非常に多くの「言い伝え」がいくつがあります。
その「言い伝えの数」に正比例して「混乱」があります。

**
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの
「アマデウス」とは「パンの神」のことです。
(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの
ヴォルフガングは「おおかみが行く」という意味です。
よって
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは

「狼のように歩み神に愛されたモーツアルト」
ということになります)

***
「テュホン:テューホーン:Τυφών: Typhon」は
「台風:たいふう」と日本語では名前を変えています。

****
タイフーン級原子力潜水艦は
旧ソ連・ロシアの941型(プロジェクト941)
戦略ミサイル搭載原子力潜水艦のことです。
タイフーンはそれに付けられたNATOコードネームですが
この名称は日本の「台風」とは「直接関係」はありません。

日曜の

朝晴れて

はじめて気づく

にわの小ささ

にちようの

あさはれて

はじめてきづく

にわのちいささ

朝晴れて

にわの小さき

気づかぬときは

病(やまい)なりけり

日曜の朝

あさはれて

にわのちいさき

きづかぬときは

やまひなりけり

にちようのあさ

葉のつきて。

物心もつく

桜かな

はのつきて

ものこころもつく

さくらかな

休診日ですが。
早朝に朝まだ暗いうちから
首都高を走って病院に到着致します。

空はきらきらのラピス・ラズリの
紺碧のジュースから
ミルク色のはいった
トルコ石の「プリン」に変わるように変化
していきます。

遠くにぽかぽか浮ぶ「雲々」は
トルコ石の「プリン」の上の「クリーム」の
ようです。
にわのあじさいは「アイスクリーム」
のようです。

夏きらきらラピス・ラズリの空(そら)
夏紺碧のカクテルいろの空(そら)
夏ミルクをそそそいだ空(そら)
夏トルコいしのプリンの空(そら)
夏はるかにとほくたかい空(そら)
夏ほかほか浮ぶ雲々(くもぐも)そら
夏プリンの上のクリームのような空(そら)
夏睡蓮(すいれん)の水面に空(そら)
夏睡蓮(すいれん)のうえに空(そら)
夏空(そら)の向こうにまた空(そら)
夏空(そら)そのまたむこうにももっと大きな空(そら)

春のうららのこもれびに

緑木いらかをかぜはやみ

青風ひるむやうつろひの

四季のつきひははやいくとせ

夏のうららのこもれびに

緑木いらかのつねなりて

赤き空(そら)にて炎えたたむ

四季のつきひははやいくとせ

秋のうららのこもれびに

緑木いらかにかぜさやか

秋風かたれるやすらきの

四季のつきひははやいくとせ

冬のうららのこもれびに

緑木いらかにかぜつよし

冬風弓(ゆみ)射る木枯らしの

四季のつきひははやいくとせ

日々のうららのこもれびに

祈想い(おもい)のいらかにかぜつよし

生きる力に祈りはせ

四季のつきひははやいくとせ

やまひのとまやのこもれびに

祈願りの(いのり)のいらかにかぜさみし

やみいるこころに力(ちから)はせ

四季のつきひははやいくとせ

いづるわかばのこもれびに

ひかりのいらかにかぜやさし

おもふこころに瞑想(おもひ)のせ

四季のつきひははやいくとせ

やさしくかたるるこもれびに

あさひのいらかにかぜさむし

ゆれるからだに意思(こころ)つみ

四季のつきひははやいくとせ

かわるるつきひのこもれびに

かたりのいらかにあめさみし

うたれしからだに決意(さだめ)おい

四季のつきひははやいくとせ

ゆめみしあさひのこもれびに

くもまのいらかにつきうすし

いさりてあゆめる未来(のそみ)みし

四季のつきひははやいくとせ

陽(ひ)いでてあふるるこもれびに

もののふいらかにかぜあおし

ひかりてかかやく希望(ねかひ)もて

四季のつきひははやいくとせ

夏椎木(しいのき)は枝高し
夏そらに吼える若葉の穂束
夏そらに吼える蒼き獅子のごとし
夏天にも地にもみどりはさける
夏のあさふかまりて
夏陽の光ゆたかなりけり
夏いふことのなし
夏いふことがなし
夏いふことはなし
夏いふこともなし
夏ゆたかなるかな夏

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成21年1月12日(月曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

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平成21年2月11日(水曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の御予約の。
患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
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平成21年3月20日(金曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の御予約の。
患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

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平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

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平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

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平成21年7月20日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

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平成21年8月14日(金曜日)と15日(土曜日)
の「二日間」
は病院の医療コンピューターの更新のため。

診療ができないので二日間「休診日」になります。

平成21年8月13日(木曜日)まで平常どおり。

はおわりました。

平成21年8月18日(日曜日)から平常どおり。

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平成21年9月21・22・23日
(月曜日)(火曜日)(水曜日)
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
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★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。
インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がきます。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著であろうと推察されます。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」
であることを懸念しています。
そして気候の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表される。
ウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。
「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。
1785年、
国王ルイ16世より太平洋探検を命じられた
海軍准将である軍人である探検家。

この航海への同行を申し込んできた者の中に。
16歳のコルシカ人ナポレオン・ボナパルト(不合格)がいた
軍人・探検家。

ナポレオン・ボナパルトは
パリの軍学校出身で予備のリストに掲載されていたが
結局は採用されませんでした。
(当時、ナポレオンは自身が数学と大砲に通じていることから
陸軍より海軍に興味を抱いていた。)

1741年 -
ラ・ペルーズ伯ジャン=フランソワ・ド・ガロー、
探検家(+ 1788年?)の生誕日です。

++++++++++++++++++++++

ラ・ペルーズラ・ペルーズ伯ジャン=フランソワ・ド・ガロー
:Jean Francois de Galaup, comte de La Perouse,
1741年8月23日 - 1788年?)は。

フランスの海軍士官及び探検家です。

太平洋における遠征航海の指揮をとり、
最後はオセアニアで消息を絶ちました。

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ラ・ペルーズラ・ペルーズ伯ジャン=フランソワ・ド・ガロー
:Jean Francois de Galaup, comte de La Perouse
は。
フランス南部のアルビ近郊で生まれました。
ラ・ペルーズというのは一族の所有地にちなんだ姓です。

イエズス会のコレージュで学び。
15歳でブレストの海軍学校へ入りました。

七年戦争に従軍し北アメリカでイングランドと戦いました。
戦争初期にフランス領の海岸で交戦し
負傷投獄された経験があります。

西インド諸島でイングランドの
フリゲート艦エアリアルを打ち負かして、
准将の位となりました。

1782年8月、
彼はハドソン湾岸の2つのイングランドの砦を攻略したが、
生存者たちに食料と弾薬を与えて解放しました。

1783年故郷の家族は彼にルイーズ・エレオノール・ブロドーという。
中流の若いクレオール女性と結婚させました。
彼はルイーズとは。
フランス島(現在のモーリシャス島)で出会っていました。

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ラ・ペルーズラ・ペルーズ伯ジャン=フランソワ・ド・ガロー
:Jean Francois de Galaup, comte de La Perouse

1785年、国王ルイ16世よりラ・ペルーズは
太平洋探検を命じられました。

彼が率いるのは、それぞれ500トンのフリゲート、
ブッソール号とアストロラブ号でした。

ハドソン湾への奇襲作戦でラ・ペールズの部下だった
ド・ラングルがアストロラブ号の艦長に任じられました。

この航海への同行を申し込んできた者の中に、
16歳のコルシカ人ナポレオン・ボナパルトがいました。
彼はパリの軍学校出身で予備のリストに
掲載されていたが結局は採用されませんでした。

ナポレオンは自身が数学と大砲に通じていることから
陸軍より海軍に興味を抱いていました。

++++++++++++++++++++++

ラ・ペルーズは、
イングランドの優れた航海者ジェームズ・クックがしたように、
太平洋の島を巡ろうとしていました。

114名の乗員のうち10人が科学者でした。
天文学者であり数学者のダジェレ、
地理学者のラマノン、
植物学者のラ・マルティニエール、
医師、3人の自然科学者、
そして3人の絵描きドゥシェ・デ・ヴァンシーと、プレヴォスらでした。

++++++++++++++++++++++

アラスカ
1785年8月1日、ブレストを出航。
ホーン岬を回り、スペイン領チリを調査致しました。
そして
イースター島(1786年4月)、
ハワイ諸島
(彼はマウイ島に上陸した最初のヨーロッパ人です。)
の後アラスカへ航海致しました。

1786年6月にセント・イライアス山近くに上陸し周囲を探検致しました。

1786年7月13日。
2隻のロングボートと積み荷、及び21名の乗員が
ポール・デ・フランセ湾(ラ・ペルーズの命名。現在のリチュヤ湾)
の激しい海流に飲まれ遭難致しました。

北カリフォルニア沿岸を航海し。
9月7日に爆発したシャスタ山の記録を残しました。
モンテレーへ1786年9月14日に到着。

彼はスペインによるカリフォルニア植民地事情を調査し。
フランチェスコ会のインディアンに対する扱いを
批判的に記しました。
彼は100日かけて太平洋を横断致しました。

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ラ・ペルーズラ・ペルーズ伯ジャン=フランソワ・ド・ガロー
:Jean Francois de Galaup, comte de La Perouse
は。

途中で再びハワイの近海を通過し、
北西ハワイ諸島中のネッカー島とフレンチフリゲート瀬を発見。

アジアで最初に到達したのはマカオでした。
そこで彼はアラスカで手に入れた毛皮を売り、
売上金を乗員との間で分配致しました。

1787年4月9日、マニラに立ち寄って補給を行った後。
アジア大陸北西岸を目指しました。

彼は済州島を見ました
(過去ヨーロッパ人が訪れていたのは
1635年にオランダ船が難破した際のみであった)。

彼は朝鮮半島沿岸を訪れ、
その後
奥蝦夷(現在の樺太、サハリン)に渡りました。

++++++++++++++++++++++

日本とロシア
奥蝦夷の住民が。
奥蝦夷、蝦夷(現在の北海道)とタタール沿岸(アジア大陸本土)
の地図を書いて見せました。

ラ・ペルーズは、樺太とアジア大陸の間の海峡
(間宮海峡。タタール海峡とも呼ばれる)を
調査するため海峡の手前まで北上したが。

海峡の水深がきわめて浅いことを島民から聞き
その通過を断念。

進路を南へ変えて宗谷海峡
(樺太と北海道の間の海峡。
彼に因んで後にラ・ペルーズ海峡と名付けられた)
を航海し。
そこでアイヌ民族と出会いました。
千島列島を探検致しました。

最終的にはカムチャツカ半島の
ペトロパヴロフスクへ1787年9月7日に到着致しました。
ここで彼らは休息をとり、
ロシア人とカムチャツカ半島人らの歓待を楽しみました。

++++++++++++++++++++++

彼は、パリからの手紙を受け取り。

イギリスが植民しているニュー・サウス・ウェールズの
調査を命じられました。

探検隊には
駐クロンシュタットのフランス副領事
ジャン・バルテルミ・ド・レセップス
(スエズ運河開発者フェルディナン・ド・レセップスの叔父)
が通訳として探検に加わっていましたが。

彼はこの地で下船し。
一年がかりで
シベリアとロシアを横断して
探検の記録をフランスへ持ち帰りました。

++++++++++++++++++++++

南太平洋
ラ・ペルーズが次に立ち寄ったのは、
現在のサモア諸島だった(1787年12月6日)。

一行がサモアを離れる直前。
給水に向かって浅瀬で動けなくなったボートをサモア人が襲撃し、
アストロラブ号の艦長ド・ラングルと
科学者のラマノンを含む12名が殺され20名が負傷致しました。

ラ・ペルーズは上陸隊の生き残りから
悲報を聞いたが島民への報復攻撃を自制致しました。
トンガへ。
そしてオーストラリアへ向けて探検を続けました。

1788年1月26日、ボタニー湾に到着。

そこには新植民地建設を目的としたイギリス艦隊が、
数日前に到着していました。

指揮官のアーサー・フィリップ提督は。
より適した入植地へ乗艦と共に北上した後でした。

イギリス船員の話で入植先が
ポート・ジャクソン(現在のシドニーの港)であることを
ラ・ペルーズは知りました。

イギリス人たちは礼儀正しく一行を迎えたが。
フランス探検隊に援助をする余裕はなかったのです。

++++++++++++++++++++++

ラ・ペルーズは、自分の記録と手紙を
イギリス艦シリウスへ託しヨーロッパへ送り、
上陸して食料と新鮮な水を手に入れました。
ニューカレドニア島、サンタクルーズ諸島、ソロモン諸島、ルイジアード諸島、
そしてオーストラリア西岸と南岸を目指して出航致しました。

彼は1789年6月にはフランスへ帰国することができるだろうと
期待を書き綴りました。

ラ・ペルーズを含む一行全員がその後の消息を絶ちました。

幸運なことに、出発する前、
ラ・ペルーズは価値ある探検の記録の詳細をパリへ送っており。

死後出版されました。

++++++++++++++++++++++

ダントルカストーによる捜索
1791年9月25日、
海軍少将ジョゼフ・アントワーヌ・ブルーニ・ダントルカストーは、
ラ・ペルーズ探検隊捜索のためブレストを出発しました。

彼の航海は、ラ・ペルーズが
かつて提案していたオーストラリア北西の島々を巡る
科学的・地理的発見の道のりとなりました。

1793年5月、彼はサンタクルーズの島々に属するヴァニコロ島へたどり着きました。
ダントルカストーはのろしとも思える煙を島の何ヵ所かで見たが、
島の周囲を囲む危険な暗礁のせいで調査することはできませんでした。

ダントルカストーは2ヶ月後に病死致しました。
折悪しく勃発したフランス革命戦争の余波もあって
捜索は断念を余儀なくされました。

++++++++++++++++++++++

1826年に、
アイルランド人艦長ピーター・ディロンが
悲劇の十分な証拠の一部を見つけました。

サンタクルーズ諸島の一つティコピア島で、
彼はラ・ペルーズ探検隊の物と思われる
数本の剣を入手したのです。

彼は売人に尋ね、それらが
ヴァニコロ島近くの壊れた2隻の大きな船から
持ち出された物と知りました。

ディロンはベンガルで何とか船を手に入れ、
ヴァニコロ島へ出航致しました。

彼は珊瑚礁の狭間の海中にある
船の残骸、大砲の弾、錨など多くの証拠を見つけました。

1828年にフランス人探検家ジュール・デュモン・デュルヴィル
がしたように、
彼はこれら遺品をヨーロッパへ持ち帰りました。

探検隊の唯一残った一人、
ド・レセップスは当時存命であり、
彼はディロンが持ち帰った品々を
アストロラブ号の備品と確認致しました。

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ヴァニコロ島の住民から聞いたディロンの情報から。

大災害で壊滅したラ・ペルーズ探検隊の状況がわかり。

1964年のブッソール号の難破調査と発見に
より事実と確認されました。

アストロラブ号もブッソール号も
暗礁で難破しました。

ブッソール号が最初でした。
アストロラブ号は積み荷を降ろしてばらばらになりました。

ブッソール号の生き残りたちは、
島の先住民らに虐殺されました。

先住民によると、船員の生き残りたちが
アストロラブ号の残骸から2本マストの船を造り、
9ヶ月後に西へ向けて出発したが
その後彼らに何が起こったか誰も知らないという。

そしてまた、主人と思われる男と彼の従者の2人が島に残り、
ディロンがやってくる前の1823年まで残っていたとのことでした。

ラ・ペルーズの探険にちなみ、
ラ・ペルーズ海峡、フレンチフリゲート瀬のラ・ペルーズ尖礁、
ラ・ペルーズタウン(オーストラリア・シドニー近郊の町)、
ラ・ペルーズ山(ニュージーランド南島)、
ラ・ペルーズ湾(マウイ島)などにその名がつけられています。

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ラ・ペルーズ伯ジャン=フランソワ・ド・ガロー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA%E4%BC%AF%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%AF%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%AD%E3%83%BC

ラ・ペルーズラ・ペルーズ伯ジャン=フランソワ・ド・ガロー :Jean Francois de Galaup, comte de La Perouse,
1741年8月23日 - 1788年?)は、フランスの海軍士官及び探検家。太平洋における遠征航海の指揮をとり、最後はオセアニアで消息を絶った。

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++

8月23日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/8%E6%9C%8823%E6%97%A5

できごと
1878年 - 東京・竹橋で近衛兵が反乱(竹橋事件)
1898年 - 常磐線田端-岩沼間全通
1914年 - 第一次世界大戦で大日本帝国がドイツ帝国に宣戦布告。
1929年 - 新潟市の萬代橋(鉄筋コンクリート造)が竣工。
1939年 - 独ソ不可侵条約締結
1948年 - 花火大会開催中に萬代橋で欄干落下事故、死者11人(万代橋事件)
1950年 - 警察予備隊(自衛隊の前身)が発足
1957年 - 防衛庁がロッキード社製の大型対潜哨戒機P2Vの国産化を決定。
1970年 - 札幌市の電話市外局番を0122→011へ変更。
1973年 - ニクソン米大統領が国務長官にヘンリー・キッシンジャー大統領補佐官を指名したと発表。
1975年 - 中央自動車道恵那山トンネルを含む飯田IC〜中津川IC間が開通。
1988年 - アメリカで「スーパー301条」などを含む包括貿易法が成立
1995年 - 第18回ユニバーシアード福岡大会が162か国・地域の参加で開幕。
2003年 - 三重県長島町(現:桑名市)のナガシマスパーランドのジェットコースター「スチールドラゴン2000」が脱輪事故。

誕生日
1741年 - ラ・ペルーズ伯ジャン=フランソワ・ド・ガロー、探検家(+ 1788年?)
1754年 - ルイ16世、フランス国王(+ 1793年)
1769年 - ジョルジュ・キュヴィエ、博物学者(+ 1832年)
1847年(弘化4年7月13日) - 森有礼、政治家(+ 1889年)
1852年 - アーノルド・トインビー、経済学者(+ 1883年)
1899年 - 木川田一隆、実業家(+ 1974年)
1900年 - 三好達治、詩人(+ 1964年)
1900年 - エルンスト・クルシェネク、作曲家(+ 1991年)
1904年 - テルマ・ファーネス、ファーネス子爵夫人(+ 1970年)
1904年 - ウィリアム・プリムローズ、ヴィオラ奏者(+ 1982年)
1905年 - コンスタント・ランバート、作曲家・指揮者(+ 1951年)
1910年 - ジュゼッペ・メアッツァ、サッカー選手(+ 1979年)
1911年 - 澤柳大五郎、美術史家(+ 1995年)
1912年 - ジーン・ケリー、俳優(+ 1996年)
1912年 - 宮柊二、歌人(+ 1986年)
1917年 - 伊藤桂一、作家
1919年 - 大野晋、国語学者(+ 2008年)
1920年 - 別当薫、プロ野球選手(阪神・毎日)・プロ野球監督(毎日・大毎・近鉄・大洋・広島)(+ 1999年)
1920年 - 鮎川信夫、詩人・文芸評論家(+ 1986年)
1921年 - ケネス・アロー、経済学者
1922年 - 高山泰夫、プロ野球選手
1923年 - エドガー・F・コッド、情報工学者(+ 2003年)
1924年 - エフライム・キション、作家(+ 2005年)
1924年 - ロバート・ソロー、経済学者
1926年 - クリフォード・ギアツ、文化人類学者(+ 2006年)
1927年 - ディック・ブルーナ、絵本作家
1931年 - ハミルトン・スミス、生物学者
1933年 - 池田文雄、プロデューサー(+ 2003年)
1933年 - 三浦方義、プロ野球選手
1936年 - ヘンリー・リー・ルーカス、シリアルキラー(+ 2001年)
1941年 - 井上ひろし、歌手(+ 1985年)
1945年 - 泉沢彰、プロ野球選手
1946年 - キース・ムーン、ドラマー(ザ・フー)(+ 1978年)
1948年 - 宇田東植、プロ野球選手
1949年 - 一城みゆ希、声優
1949年 - リック・スプリングフィールド、歌手・俳優
1952年 - ジェリー・ホワイト、プロ野球選手
1956年 - 岡江久美子、女優
1956年 - 益岡徹、俳優
1956年 - 山田隆夫、落語家・アーティスト・声優・お笑い・俳優
1958年 - フリオ・フランコ、メジャーリーガー
1958年 - 佐藤しのぶ、ソプラノ歌手
1959年 - 見沢知廉、作家・新右翼活動家(+ 2005年)
1959年 - ピーター・オペガード、フィギュアスケート選手
1959年 - 谷福美、プロゴルファー
1961年 - 高橋ひとみ、女優
1962年 - 巻島直樹、声優
1962年 - 渡真利克則、プロ野球選手・審判
1964年 - ジェフ・マント、プロ野球選手
1966年 - 藤井恵、料理研究家
1967年 - 林玉緒、声優
1968年 - 大至伸行、元大相撲力士・歌手
1969年 - 五十嵐英樹、プロ野球選手
1969年 - 小桜セレナ、グラビアアイドル・女優・タレント
1969年 - 山咲トオル、漫画家
1969年 - 千田輝彦、元騎手
1970年 - リバー・フェニックス、俳優(+ 1993年)
1971年 - デメトリオ・アルベルティーニ、サッカー選手
1974年 - 脇田潤、ゲームクリエイター
1974年 - 雷句誠、漫画家
1974年 - 酒井はな、バレリーナ
1975年 - 伊達昌司、プロ野球選手
1975年 - 鶴岡幸治、映画監督、俳優
1976年 - 小野仁、プロ野球選手
1976年 - 紫城るい、女優・元宝塚歌劇団娘役
1977年 - 佐田真由美、モデル
1977年 - ニコール・ボベック、フィギュアスケート選手
1978年 - コービー・ブライアント、プロバスケットボール選手
1980年 - 栗田雄介、プロ野球選手
1981年 - 与座重理久、俳優
1981年 - AKIRA、ミュージシャン(EXILE)
1981年 - 関連太郎、野球選手
1982年 - ジュニア、ファッションモデル
1982年 - ナタリー・コグリン、競泳選手
1983年 - 高口隆行、プロ野球選手
1984年 - SASSY、ミュージシャン(HIGH and MIGHTY COLOR)
1985年 - 石川真琴、グラビアアイドル
1985年 - 中河内雅貴、俳優
1986年 - 崎本大海、俳優
1987年 - 川崎希、歌手
1987年 - マーキー、ミュージシャン(元HIGH and MIGHTY COLOR)
1989年 - TeddyLoid、音楽プロデューサー、作曲家、リミキサー。
1996年 - 松田昂大、子役
生年非公表 - 宮崎羽衣、声優

忌日
93年 - グナエウス・ユリウス・アグリコラ、軍人(* 40年)
634年 - アブー=バクル、初代正統カリフ(*573年)
1176年(安元2年7月17日)- 六条天皇、日本の第79代天皇(* 1164年)
1305年 - ウィリアム・ウォレス、スコットランドの愛国主義者(* 1272年頃)
1387年 - オーロフ3世、デンマーク・ノルウェー王(* 1370年)
1628年 - ジョージ・ヴィリアーズ、バッキンガム公(* 1592年)
1661年(寛文元年7月29日) - 徳川頼房、徳川家康11男、初代水戸藩主(* 1603年)
1806年 - シャルル・ド・クーロン、物理学者(* 1736年)
1819年 - オリバー・ハザード・ペリー、アメリカ海軍の軍人(* 1785年)
1831年 - アウグスト・フォン・グナイゼナウ、プロイセン陸軍元帥(* 1760年)
1878年 - アドルフ・フレドリク・リンドブラード、作曲家(* 1801年)
1892年 - デオドロ・ダ・フォンセカ、初代ブラジル大統領(* 1827年)
1898年 - フェリシアン・ロップス、画家(* 1833年)
1900年 - 黒田清隆、日本の第2代内閣総理大臣(* 1840年)
1926年 - ルドルフ・バレンチノ、俳優(* 1895年)
1927年 - バルトロメオ・バンゼッティ、サッコ・バンゼッティ事件の容疑者(* 1888年)
1927年 - ニコラ・サッコ、サッコ・バンゼッティ事件の容疑者(* 1891年)
1933年 - アドルフ・ロース、建築家(* 1870年)
1934年 - ヴィクトル・カプラン、カプラン水車開発者として知られる技術者(* 1876年)
1934年 - 野村芳亭、映画監督・脚本家・映画プロデューサー(* 1880年)
1937年 - アルベール・ルーセル、作曲家(* 1869年)
1944年 - アブデュルメジト2世、オスマン家最後のカリフ(* 1868年)
1945年 - ステファニー(en:Princess Stephanie of Belgium)、オーストリア皇太子妃(* 1864年)
1960年 - オスカー・ハマースタイン2世、ミュージカル作家(* 1895年)
1962年 - アーヴィング・ファイン、作曲家(* 1914年)
1967年 - ネイト・カートメル、陸上競技選手(* 1883年)
1968年 - 木山捷平、作家(* 1904年)
1975年 - 大岡虎雄、プロ野球選手(* 1912年)
1977年 - ナウム・ガボ、美術家・彫刻家(* 1890年)
1979年 - 中井悦雄、プロ野球選手(* 1943年)
1980年 - ゲルハルト・ハナッピ、サッカー選手(* 1929年)
1982年 - スタンフォード・ムーア、生化学者(* 1913年)
1987年 - ディディエ・ピローニ、F1ドライバー(* 1952年)
1989年 - ロナルド・D・レイン、精神医学者(* 1927年)
1990年 - デヴィッド・ローズ、イージーリスニングのミュージシャン(* 1910年)
1995年 - 玉屋庄兵衛(八代目)、からくり人形師(* 1950年)
1997年 - ジョン・ケンドリュー、化学者(* 1917年)
2001年 - キャスリーン・フリーマン、女優・声優(* 1919年)
2002年 - 武上四郎、プロ野球監督・プロ野球選手(* 1941年)
2003年 - ボビー・ボンズ、メジャーリーガー(* 1946年)
2005年 - ブロック・ピーターズ、俳優(* 1927年)
2006年 - 関敬六、コメディアン、俳優(* 1928年)
2006年 - メイナード・ファーガソン、ジャズトランペット奏者(* 1928年)
2007年 - 松形祐堯、第10‐15代宮崎県知事(* 1918年)
2007年 - 西村寿行、小説家(* 1930年)
2008年 - トーマス・ハックル・ウェーラー、ウイルス学者(* 1915年)

記念日・年中行事
処暑(日本、2002年・2003年・2004年・2005年)
二十四節気の1つ。太陽の黄経が150度の時で、暑さが収まり秋に近づく頃(地方によってはまだ残暑が厳しいこともある)
ウクレレの日(ハワイ)
白虎隊の日