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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年9月6日(日曜日)

平成21年の「秋」9月

になりました。

平成21年の。

「春」の「3月」「4月」「5月」が。

おわり。

「夏」の「8月」がおわり。

いまは「秋」の「9月」です。

とてもとても。

とても「明るい朝」。

早朝の「あかるい陽射し」が。

日々続いています。

ひんやりとした「秋」の風。

「秋」の「9月」です。

「秋」がきた。

「あき」がきた。

どこに来た。

「山」にきて。

「里」にきて。

「野」にきて。

「秋」は。

「まち」にやってきた。

今年の「冬」・から「春」は予期せぬ

インフルエンザ*の

大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。

薬事法の「能書」にあるとおり

「正規の」

「2回法によるインフルエンザワクチン」の

予防接種をおすすめいたします。

常時いつでも接種可能です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

昨年の。
冬間近くの。
さらなる前に。

「晩秋」>のころ。

「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」の。
花の蕾が淡い黄金色にかがやいて。
が見えてから「10日間」で。
花は去りました。
黄金色のじゅうたんが毛氈(もうせん)ように。
地面「金色」に広がりました。

「昨年」の。
「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」に続いて。
「銀木犀:きんもくせい」もプラチナ色の
花が咲き始めました。

「昨年」の。
「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」のあとを追って。
「銀木犀:きんもくせい」の花は去り。
地面に「プラチナ」が一面に広がっていました。

「秋」の「9月」

今は私の「大好き」な。

「秋の草花」の

の「蕾(つぼみ)」と。

「わかば」と。

「秋」の樹木の。

「葉っぱや生花」のふくらむ季節。

そして「木々の紅葉」の季節。

「秋の花」と「もえる秋」

「みどりとこがね色」「秋草いろ」の。

季節になりました。

私の「大好き」な萌え出づる「秋わかば」。

「秋」の若葉の。

美しい季節になりました。

そしていろいろな。

「秋」の木々の花ひらき咲く季節。

秋花(はな)と秋若葉(わかば)と。

こがねの秋若草(わかくさ)の。

ワルツの季節になりました。

山本クリニックの庭園は。

大昔は。

雑木林であったのです。

「野生」の。

「やまぶき」や。

「やぶつばき」や。

「季節の花さく木々」が。

とても沢山。

群生してはえています。

日々の毎日にどんどんと。

みるみるうちに。

「秋の花」が。

つぼみや「花」を大きくしています。

けれども「秋の花」は。

蕾が大きくなったそのよるには。

花咲き。

暗い朝にちっていることが。

すくなくありません。

あき花は

ぬばたまの

暗き闇夜に

あき嵐の

風に弓射られて

花ぞ舞い散る

あきはなは

ぬばたまの

くらきやみよに

あきかせの

かせにいられて

はなそまいちる

「秋の花」は。
早朝には「白鷺の羽」
のように地面に
舞い降ちています。

昨年の。
「晩秋」
「木犀:もくせい」の花の
「芳香」は蕾のみえるまえから
あります。

花が去ったあとは
「あっというまに芳香が消えます」。

「晩秋」の
「木犀:もくせい」たちのかおりがさり。

「秋」になり。

「9月」。

あきばとともに。

つぼみを日々。

大きくしている。

「秋の花」。

「みかん」と「からたち」

こがねい実のふくらむ季節。

「秋」の「9月」。

そして。

「秋の花」や。

「みのるみかんのみ」

をみまもるのは。

「みかんの木」の。

「まるいみかん」の

「丸い群れ」。

「円いみかん」は。

「丸くたわわに実り」。

まるで。

「ぶどうのふさ」のようです。

「秋」の果実です。

樹木にみのりつづけ。

おちません。

秋の「竜田姫(たつたひめ)」にさそわれて

実りはじめた「みかんの実」。

兄弟同士(姉妹同士)

お互いに。

「はなことば」で話しをしているに

ちがいありません。

私は山茶花(さざんか)よりは。

「やぶつばき」がずっとすきです。

山本クリニックの庭園には。

いずれも。

野生の「やぶつばき」と

野生の「山茶花(さざんか)」ばかりです。

野生の「すみれ」も珍しい品種がはえています。

堂々たる。

「秋かぜ」と「秋吹雪:あきふぶき」

が吹いています。

「秋」になりました。

「秋」がはじまりました。

「あかるくて」

とてもよい「秋」の風です。

「秋」がふかまり。

「もっと深い「秋」」の。

トンネルをこえれば。

そこは「里山の「「秋」」」です。

「秋吹雪:あきふぶき」は

遠くの蒸気機関車の鳴き声のように

聞こえます。

また次に「秋から先」への。

「トンネル」をこえることも

わかります。

秋樹の妖精の吹くフルート

のよう。

そして。

「秋吹雪:あきふぶき」をなだめるように。

「樹木の穂先」が舞います。

「樹木の穂先」のほうが「役者」は上。

「秋吹雪」は突如(とつじょ)天から舞い降り

るように。

吹きます。

「秋」の陽射しはまばゆいこがねのにしき。

ひかりのかがやく「秋」になりました。

星のかがやく「秋」になりました。

風のうたう「秋」になりました。

きょうは。
とてもとても寒い。

「秋吹雪:あきふぶき」の声は

「秋かぜ」のふく音色は。

「秋」の「竜田姫(たつたひめ)」

ひきいる女神たちの。

笛ふく。

あきかぜのワルツ。

いのりのワルツ。

あきは。

いまは。

モデラート・マ・ノン・トロッポ。

フオルテです。

最近は
朝くらい早朝には「星がみえます」。
「明けの明星」の金星が南の空に高くみえます。

病院の明かりが灯り暗闇のなか。
朝はやく。

「明けの明星」の金星に「おはよう」を
毎日こえで「御挨拶」を伝えます。
「明けの明星」の金星から「おはよう」と
返事がかえってくる声をききながら。
病院の明かりをともします。
まだ真っ暗なのですが。

夏場の早朝のくらい時には。
明星はみえずらかった。
季節が「冬から「春」「夏」へとあゆみ」。
今は「秋」。

いよいよ。
大気が「澄んできた」ということでしょう。

霧雨(きりさめ)の。

霞(かすみ)の大気。

「秋吹雪:あきふぶき」の「音」。

「ろうろう」「こうこう」

「秋かぜ」の鳴き声

「ろうろう」「こうこう」

「秋吹雪:あきふぶき」の。

鳴き声とともに。

「秋一番」の「あきのしらべ」が。

あわせきこえます。

「どれみふあ」「そらしど」

朝暗いうちの「あきかぜ」の合唱は。

「秋」の「ふうりん」のようです。

あれ沢山の「ふうりん」かな。

「秋」の「ふうりん」の音色です。

「ろうろう」。

さやかにやさしくも「あたたかい音」です

「こうこう」

わびわびと。

「蜜蜂をよんでいる音」です。

「蜜蜂」のはぜる元気な「音」から

「秋」のおとずれが。

わかります。

秋の女神(めがみ)「竜田姫(たつたひめ)」

のおとずれが。

わかります。

「ススキの穂先」は
そぞろに「秋」の今年の芽栄え。

そして「秋」の旅愁。

昔の懐かしさをも感じさせます。

「ふけゆく秋の夜」
「夜のすすき」はどのようにして
「夜」をこすのだろうか。

「よるのすすき」がみたいです。

ススキの茎の「穂先」には。

「秋ふくろう」が。

何匹も集ってつどい。

何匹ものふくろうが。

皆で何かを真剣に。

考えているように。

みえます。

あきくれば

こがね葉いずる

秋すすき

葉のいづる

そのときときこそは

秋ちかからむ

「ススキの葉先」は。

「しあわせと幸福を手招き」

している

何本もの「手」のように。

みえます。

エドヴァルド・ムンク:Edvard Munch

の「秋」の絵画のようです。

私も「日々を旅ゆく人間」です。

奥の細道の序文に松尾芭蕉が。

「月日は百代の過客(ひゃくたいのかかく)
にして行かふ年も又旅人也。」

「つきはひゃくたいのかかくにして
いきかふとしもまたたひひとなり」

とかたり。詠みました。

私は

「日々の月日」に。

道連れをさせていただき。

「時」を旅をする

「旅人(たびびと)」

のひとり。

「日々月日の旅のつれあい」は。

私には。

「きょう」と。「あす」しか。

ありません。

「きょう」と。「あす」しか。

私にはありません。

「きのう」はないのです。

朝くらいとき。
陽の出の直後は。
いつも一瞬は晴れています。
いまだ かすかにも。
のこる「秋」の気配
であるけれども。

あきらかに。
そしてしっかりと。
しのびよる。
もっともっと奥の。
深く深まる「秋のおとづれ」からの大気。

もっと。
「あかるい「秋」」の気配が。
「確かに」。
そして明らかに。
そして輪郭もはっきりと。

感じられるようになりました。

「9月」。

もう「秋」です。

「秋の青葉の城」の「9月」

をむかえました。

はやいものです。
速いものです。
早いものです。

街路樹もそうそうたる
羽振りの木々から
「はじまりゆく「秋」の樹木」にうつろうように
変化しています。

「秋」。
「樹木の若葉の芽生え」があることに
気がつきました。

春の芽吹くときには。
街路樹のポプラも
幹や枝葉の穂先が。
ろうそくのともしびのように。
「炎の様」になっています。
あたかも
ゴッホの描いた「夜の糸杉」のように。
秋の早朝にみえます。

秋になり。
この「穂先」が一気に「ポプラの葉」へと
扇・おおぎのごとく開きました。

フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「夜の糸杉」から。
フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「ひまわり」
のように。
一斉に開きます。
9月にはいってからのことです。

10月そして11月。

今は「晩冬」の「2月」がおわり。

「春」の「3月」「4月」「5月」がおわり。
「夏」の「8月」がすぎ。
「秋」の「9月」。

今現在は落ち着いた「あき」の葉木。
「秋」の木々の「葉」
へと。
そしてふかまる「秋」の木々の「幹:みき」へと。

ふかまる「みのりの秋」にむけて。
「あつく」うつろいています。

ポプラも。つばきもくすのきも。
レースのハンカチをふるように
「「秋」のわかば」の「めばえ」がみえます。
窓越しにもみえます。

今は「「秋」のわかば」の「めばえ」は
とても大きくなりました。
「秋」の「めばえ」のひろがりです。

「冬がくると」。
空と木枯らしのかなでる「蛍の光」や
「冬のコンチエルト」にあわせるように。

ポプラの葉や芽葉は。
ハンカチのようにふわふわと。
ふわふわと。
「穂先から葉葉」は「舞い振りまがら」
ハンカチは木を去っていきました。

樹木のハンカチは。
大地を訪れて飛翔し。
大地にまいおり大地にもどります。
そして大地となります。

そして。
ポプラの葉や芽葉が。
ハンカチのようにふわふわと。
ふわふわと。
「穂先から葉葉」は「舞い振りまがら」
木を去っていく光景は。
あたかも。

「夜の魔法」「夜のガスパール」

のようです。

そして。

「花の去った枝」には。
「「秋」の若芽のめばえ」
が。
「秋葉」がみえます。

木々の「葉」が「枝や幹」を
「保護する役割をしている」
ことに気づきました。

桜の花の時期とうってかわり
桜の木の公園
の桜の木々は。
夏になりとても獰猛な気配を放つ。

初めて気がつきました。
いまは「秋」です。

「晩冬」の「2月」がおわり
「春」になり「3月」「4月「5月」がおわり。
「夏」の「8月」はすぎさり。
「秋」の「9月」。

「さくら」は春の濃い緑の樹肌になり。
やさしさとおだやかさ
が感じられます。

そしていつしか
幹先に若葉色の葉をもまじえています。
しだいにしだいに。
紅黄色に葉っぱが消え
若葉にかわりつついくことに
きがつきます。

さくらから。
さくらはのきぬずれのおとが。
きこえるころ
です。

桜の樹木も「丸くなりました」。
桜の樹木も毎年毎年と毎日毎日。
「旅(たび)をしている」のでしょう。

朝陽をあびる落葉樹は
「すべてがあざやかな黄金色」に
かがやきます。
朝陽をしっかりと。
「いうにいわれぬ美しい絵のごとく」
陽射しを受け止めています。

「「秋」の朝陽」は真東に大変鋭いことに
気づきました。
眩しいです。

今はまぶしい「秋」の「あさひ」です。

するどいけれども。

「あたたかいろ」がかんじられます。

春は別として。
桜の木は木の下で。
夏は心安らかに。
「休める木ではないなあ」
と思います。
昨年は
秋になり
桜の樹木も安堵の葉色
になりました。
ちょっとばかりびっくり致しました。

枝や幹からは秋の陽の木漏れ日がみえます。

夏桜の木は獰猛なほど葉をおいしげらせ
ていました。
夏には
桜の木の下で木陰で。心安らかにやすもうという
気はおきません。

いまは「春」から「秋」になりました。
そよかぜに揺れる残り葉は
招き誘われるような気すら致します。

「秋」になり幹にはもう「花は散る」。
ちったあと枝の根元には。
「秋のわかば芽栄え(めばえ)」
若葉がみえます。

けれども
やはり桜の木は

シューベルトの歌曲の旋律にある「菩提樹」
ではないのです。

冬の桜木(さくらぎ)。

冬になり

人生に果てて(はてて)

なれるが如く桜樹木はかわりました。

良い木になってきました。

素敵(すてき)です。

冬の桜木(さくらぎ)。

「春」の桜木(さくらぎ)。

「夏」の桜木(さくらぎ)。

木々でも。
いちょうや。松や。杉などの針葉樹
は。またソテツなどは。
「古い時代の木」です。

「チャールズ・ダーウィンの進化論」からは
「針葉樹」から。
「常緑樹」「広葉樹」「落葉樹」にと。
「進化」しているはずです。

「原始的」な樹木ほど。
「硬い幹」です。
例外はありません。

硬ければ。
幹は硬ければ動物に
「かじられる」ことはないでしょう。

いにしえの古代の時代にも。

恐竜をはじめめとする
「大型」の草食動物にも。

かたければかじられることは
なかったでしょう。

街並みを彩る街路樹には「落葉植物」が多いです。

ふと。考える。

街路樹が「松や杉」のように。
「冬も葉を持つ針葉の常緑樹」では。

冬はうっそうとして道端では
やさしい暖かな陽射しをかくしてしまう。

夏場は枝ぶり葉っぱぶりからつよすぎる日の光は
さえぎれません。
そして
「秋」の「夕焼け陽」には。
「金色のちいさき鳥の形して」
秋の夕焼けの陽射しに舞うこともできません。

常緑樹の針葉樹では。
は四季のリズムをつたえる

北大路魯山人のかたる

ことば。

「ざっくり感(ざっくりかん)」

が。

ありません。

木々の秋の萌黄が早朝暗い中でも
うかびあがります。
私はくすのきが「大好き」な「木」の
ひとつです。
ポプラも好きです。
イチョウもすきです。
モミジもすきです。
カエデもすきです。
松や杉もすきです。
月桂樹やシナモンもすきです。
オリーブもすきです。
オレンジの木もすきです。
「そてつ」の木もすきです。
ツバキもすきです。
ソテツもすきです。
南天もすきです。
木や植物がすきです。

木々の穂先は毛氈(もうせん)
のようにあざやかな夏の萌黄色です。
まるで大きな深い山の森のうねりのようです。
今年は木々のわかばの秋のめばえが非常に鮮か
です。
木々は「春樹」の役目をおわりました。
「秋木」とかわろうとしています。
「あき木」とかわりました。

街角の雑草も花は咲きはじめ。
「秋の花」の姿となりそして「秋」を迎える。
「ほとけの座」や「はこべ」が
「かたばみ」や「いたどり」が
ますます姿を大きくして。

そして「すすき」もくわわりました。

冬草から春草へ。
そして気がはやく。
夏草へのたたずまいをしている草もある。
そしてもうすっかり夏草へと黄金色に転した
街角には雑草もあります。
こがねいろ。

雑草も。
同じく花をさかせ自ら種をとばし
秋葉がみえる。
そして秋を迎える。
冬が来て。木枯らしに吹かれ。
雪をかむり。そして。
春がくる。
そしてまた夏。
そして秋。

そして今は。

「秋」。

ツツジは潅木。

ツツジの花の葉の優しさには

あらためてびっくりしました。

黄緑・草色のビロードです。

のぞきこむと若葉はまだ沢山ある。

何故か得をしたように思えました。

そして雨にうたれて

そのまま地に落ちた

ツツジの若葉は

幾何学的に裏側を下にむけて

逆さじょうごのように

落下していることに

気がつきました。

まるで。

「若草色」のきのこが。

沢山はえているようです。

木から落ちても。
まだ「若葉」です。ふと。
ヴェルディの「椿姫」「La Traviata」
の「つばき」を思い出しました。

1852年パリに滞在したヴェルディは
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)
の戯曲版『椿姫』の上演を見て感激し
ました。
そのころ新作の作曲依頼を受けていた
ヴェネツィアのフェニーチェ劇場のために。
翌1853年初めに比較的短時間で作曲された
『椿姫 』(La Dame aux camelias、1848年出版)
は。
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)が
実際の体験を基にして書いた長編小説。
主人公のモデルはかつて作者が交際をしていた
マリー・デュプレシという高級娼婦。
恋人アルマンのイニシャルである
『AD』は
小デュマのイニシャルと同じです。

この作品は人々に愛されて幾度も舞台、映画化され
続けてきました。

朝暗いうちは。

とても。

はださむいです。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックには。
孟宗竹のたけやぶ
があります。
竹はせがたかいから。

クリニック館内からはすこし離れた所にある。
はなれていても。
とおくからもみえます。

山本クリニックには。
検見川の落合遺跡の遺跡発掘の際に
みつかった「古代のハスの種子」から。

2000年ぶりに発芽したことで有名な。
「古代蓮(ハス)」があります*。
【大賀ハス:おおがはす】です。
「有名な古代ハス」です。
とても勇壮なハスで。
花のいろはとてもあまりにも美しく。
たとえ様もありません。

ハスの花がさき。
「「蓮(ハス)」の実」になりました。
「はすの実」も「はす」の葉も。
2mくらい水面から高いところに
あります。

睡蓮(すいれん)があります。
睡蓮(すいれん)は「葉」が水に浮び。
はのきれこみは羊の足のようです。
睡蓮(すいれん)を「ひつじぐさ」とは
なるほどと考える。
睡蓮(すいれん)の茎の長さには
おどろかされます。

「姫睡蓮(ひめすいれん)」でさえも。
池はばが長ければ四方八方に「水の中の枝」。

「モネ」の描いた睡蓮(すいれん)の
「水の中の枝」は「どれほど長いのだろう」。

睡蓮(すいれん)も「太古の時代」に
陸の動物に「かじられないように」
水中に「逃げ込んだ」のでしょう。

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大賀ハス(オオガハス、おおがはす)とは。
1951年(昭和26年)、千葉県千葉市検見川
(現・千葉市花見川区朝日ケ丘町)にある
東京大学検見川厚生農場
(現・東京大学検見川総合運動場)の
落合遺跡で発掘された
今から2000年以上前の古代のハスの実から
発芽・開花したハス(古代ハス)のことです。

戦時中に東京都は燃料不足を補うために
花見川下流の湿地帯に豊富な草炭が埋蔵されていた
「草炭」を採掘していました。

採掘は戦後も継続して行われていました。
1947年(昭和22年)7月28日に作業員が採掘現場でたまたま
1隻の丸木舟と6本の櫂を掘り出しました。

その調査によりもう2隻の丸木舟と
ハスの果托などが発掘されました。

「縄文時代の船だまり」であったと
推測され落合遺跡と呼ばれました。

植物学者でハスの権威者でもある大賀一郎博士
(当時・関東学院大学非常勤講師)が
発掘品の中にハスの果托があることを知り。
1951年(昭和26年)3月ボランティアの協力
を得てこの遺跡の発掘調査を行いました。

翌日で打ち切りという
30日の夕刻になって花園中学校の女子生徒により
地下約6mの泥炭層からハスの実1粒が発掘され予定を延長し
4月6日に2粒、計3粒のハスの実が発掘されました。

大賀博士は5月上旬から発掘された
3粒のハスの実の発芽育成を試みるも2粒は失敗に終わりました。
だが1951年3月30日に出土した1粒が育成に成功致しました。

翌年の1952年(昭和27年)7月18日にピンク色の大輪を咲かせました。
このニュースは国内外に報道されて多いな「驚愕」を与えました。
同年11月17日付米国ライフ誌に「世界最古の花・生命の復活」
として掲載され博士の姓を採って「大賀ハス」と命名されました。

シカゴ大学のリピー博士らによって放射性炭素年代測定が行われました。
ハスの実は今から2000年前の弥生時代以前のものであると推定された。

この古代ハスは、
1954年(昭和29年)6月8日に「検見川の大賀蓮」として
千葉県の天然記念物に指定されました。
また1993年(平成5年)4月29日には千葉市の花として制定され、
現在日本各地は元より世界各国へ根分けされ、
友好親善と平和のシンボルとしてその一端を担っています。

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ふと「パンの神」を思い出しました。
(「牧神パン(Pan)」=「Pan」=「パン」=
「飯(はん)」=「全般の般」=「パンアメリカンのパン」=

「パン」「pan」は「すべて」という意味の
古代ギリシャ語そして「サンスクリット」も同じ。

古典ギリシア語 Παν、Pan「パンの神」は。
幼少時からゼウスから他の神々全て*に好かれたので
(古代ギリシャ語でTheophilusテオフイルス/ラテン語では
amadeus アマデウス**)
「パン」と名づけられました。

「頭は人間で胴体は山羊」です。

「テュホン:テューホーン:Τυφών: Typhon」
ギリシア神話に登場する魔神***。
に追いかけられ
あわてて身を守るため川に飛び込み「頭は人間で胴体は人魚」
に変身したために。

「パニック」=「panic:パン的」
という言葉が生まれました。

星座に「山羊座」という星座があります。

山羊座は不思議ですが
「あわてて身を守るため川に飛び込み
「頭は人間で胴体は人魚」」
に変身した「パンの神」を示しています。
山羊ではありません。

むしろ正確には人魚です。

だから。
「山羊座」という「意味」はわかります。
けれども「命名」の観点から。
「山羊座」というのはかなり「妙」な気が致します。
「人魚座」というのが正しい。

 


名称「パンの神」の由来は「ギリシャ神話」でも
非常に多くの「言い伝え」がいくつがあります。
その「言い伝えの数」に正比例して「混乱」があります。

**
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの
「アマデウス」とは「パンの神」のことです。
(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの
ヴォルフガングは「おおかみが行く」という意味です。
よって
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは

「狼のように歩み神に愛されたモーツアルト」
ということになります)

***
「テュホン:テューホーン:Τυφών: Typhon」は
「台風:たいふう」と日本語では名前を変えています。

****
タイフーン級原子力潜水艦は
旧ソ連・ロシアの941型(プロジェクト941)
戦略ミサイル搭載原子力潜水艦のことです。
タイフーンはそれに付けられたNATOコードネームですが
この名称は日本の「台風」とは「直接関係」はありません。

日曜の

朝晴れて

はじめて気づく

にわの小ささ

にちようの

あさはれて

はじめてきづく

にわのちいささ

朝晴れて

にわの小さき

気づかぬときは

病(やまい)なりけり

日曜の朝

あさはれて

にわのちいさき

きづかぬときは

やまひなりけり

にちようのあさ

葉のつきて。

物心もつく

桜かな

はのつきて

ものこころもつく

さくらかな

休診日ですが。
早朝に朝まだ暗いうちから
首都高を走って病院に到着致します。

空はきらきらのラピス・ラズリの
紺碧のジュースから
ミルク色のはいった
トルコ石の「プリン」に変わるように変化
していきます。

遠くにぽかぽか浮ぶ「雲々」は
トルコ石の「プリン」の上の「クリーム」の
ようです。
にわのあじさいは「アイスクリーム」
のようです。

きらきらラピス・ラズリの空(そら)
紺碧のカクテルいろの空(そら)
ミルクをそそそいだ空(そら)
トルコいしのプリンの空(そら)
はるかにとほくたかい空(そら)
ほかほか浮ぶ雲々(くもぐも)そら
プリンの上のクリームのような空(そら)
睡蓮(すいれん)の水面に空(そら)
睡蓮(すいれん)のうえに空(そら)
空(そら)の向こうにまた空(そら)
空(そら)そのまたむこうにももっと大きな空(そら)

春のうららのこもれびに

緑木いらかをかぜはやみ

青風ひるむやうつろひの

四季のつきひははやいくとせ

夏のうららのこもれびに

緑木いらかのつねなりて

赤き空(そら)にて炎えたたむ

四季のつきひははやいくとせ

秋のうららのこもれびに

緑木いらかにかぜさやか

秋風かたれるやすらきの

四季のつきひははやいくとせ

冬のうららのこもれびに

緑木いらかにかぜつよし

冬風弓(ゆみ)射る木枯らしの

四季のつきひははやいくとせ

日々のうららのこもれびに

祈想い(おもい)のいらかにかぜつよし

生きる力に祈りはせ

四季のつきひははやいくとせ

やまひのとまやのこもれびに

祈願りの(いのり)のいらかにかぜさみし

やみいるこころに力(ちから)はせ

四季のつきひははやいくとせ

いづるわかばのこもれびに

ひかりのいらかにかぜやさし

おもふこころに瞑想(おもひ)のせ

四季のつきひははやいくとせ

やさしくかたるるこもれびに

あさひのいらかにかぜさむし

ゆれるからだに意思(こころ)つみ

四季のつきひははやいくとせ

かわるるつきひのこもれびに

かたりのいらかにあめさみし

うたれしからだに決意(さだめ)おい

四季のつきひははやいくとせ

ゆめみしあさひのこもれびに

くもまのいらかにつきうすし

いさりてあゆめる未来(のそみ)みし

四季のつきひははやいくとせ

陽(ひ)いでてあふるるこもれびに

もののふいらかにかぜあおし

ひかりてかかやく希望(ねかひ)もて

四季のつきひははやいくとせ

椎木(しいのき)は枝高し
そらに吼える若葉の穂束
そらに吼える蒼き獅子のごとし
天にも地にもみどりはさける
のあさふかまりて
陽の光ゆたかなりけり
いふことのなし
いふことがなし
いふことはなし
夏いふこともなし
夏ゆたかなるかな夏

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成21年1月12日(月曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

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平成21年2月11日(水曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の御予約の。
患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
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平成21年3月20日(金曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の御予約の。
患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

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平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

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平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

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平成21年7月20日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

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平成21年8月14日(金曜日)と15日(土曜日)
の「二日間」
は病院の医療コンピューターの更新のため。

診療ができないので二日間「休診日」になります。

平成21年8月13日(木曜日)まで平常どおり。

はおわりました。

平成21年8月18日(日曜日)から平常どおり。

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平成21年9月21・22・23日
(月曜日)(火曜日)(水曜日)
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
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★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。
インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がきます。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著であろうと推察されます。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」
であることを懸念しています。
そして気候の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表される。
ウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。
「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。
ロシア(旧ソビエト連合CCCP:SSSR)
の空軍中尉が日本に戦闘機「MIG]でとんできて
厳重な警戒網もむなしく(世界中で有名になった)。
日本にとっては幸か不幸か「無事」着陸し。
戦闘機「MIG]を「おみやげ」に。
亡命された日です。

1976年 - ベレンコ中尉亡命事件が起きた日です。

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ベレンコ中尉亡命事件に際してミグ25の本土侵入

1976年(昭和51年)9月6日。
ソ連防空軍所属のMiG-25戦闘機数機が。

ソ連極東のウラジオストク近くにある
チェグエフカ空軍基地から訓練目的で離陸到しました。

そのうちのヴィクトル・ベレンコ空軍中尉が操縦する
1機が演習空域に向かう途中で突如コースを外れました。

これを日本のレーダーが捉えました。

領空侵犯の恐れがあるとして。
急遽航空自衛隊千歳基地の
F-4EJがスクランブル発進致しました。

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現在の函館空港航空自衛隊は。

地上のレーダーと空中のF-4EJの双方で。
日本へ向かってくるMiG-25を捜索したが。

レーダーサイトのレーダーはMiG-25が
低空飛行に移ると。
探知することができなくなりました。

またF-4EJのレーダーは
上空から低空目標を探す能力(ルックダウン能力)が低く。

MiG-25は自衛隊から発見されないまま
北海道の函館空港に接近致しました。
市街上空を3度旋回した後滑走路に強行着陸致しました。

++++++++++++++++++++++

このとき着地点を誤って
滑走路の中程寄りに接地したために。

ドラッグシュートを使用したにもかかわらずオーバーランし。
前輪をパンクさせて滑走路先の草地にある
ILSローカライザーの手前で停止致しました。

燃料の残りはほぼ限界に近いほどに減っていたという
ことです。

着陸時の一部始終は空港敷地内で
工事をしていた現場監督が撮影していました。

監督は撮影しながら機体に近づいたが、
現れたパイロットが銃を取り出して
空に向けて発砲したため危険を感じて
フィルムを差し出しました。

のちにベレンコ中尉は、
抵抗の意思がないことを示すためだったと証言しています。

++++++++++++++++++++++

その後函館空港周辺は、
北海道警察によって完全封鎖されました。

当時は縦割り行政が今よりもひどく。

自衛隊の立場は低かったため。

警察によって封鎖された現場には、
陸上自衛隊員すら管轄権を盾に締め出されました。

軍事に関わる事項にもかかわらず
一切の情報収集・警護に関する立案ができませんでした。

当時の陸上自衛隊函館駐屯地司令は、
『目の前で起きた軍事的な事案から締め出され、
道南の防衛を担任する自分がテレビからの情報しか得られなかった』
とその苦悩を、
後に公表された手記で明かしています。

++++++++++++++++++++++

ベレンコ中尉亡命事件としての
「取調べ」で。

その後の取り調べでべレンコ中尉はアメリカへの亡命を希望し、
「当初千歳空港を目指したが、
千歳空港の周辺は曇っていたため断念し函館空港に着陸した」
と語りました。

++++++++++++++++++++++

自衛隊の非常態勢

米ソ冷戦はデタントの時代で。
緊張は緩和されていたとはいえ、
予断を許していたわけではありません。

また、ソ連軍(特殊部隊など)が
「機体を取り返しに来る」や
「機密保全のため破壊しにくる」との噂が広まり、

函館に駐屯する北部方面隊第11師団隷下の
第28普通科連隊は作戦準備にかかりました。

++++++++++++++++++++++

ベレンコ中尉亡命事件により。

実際に、函館駐屯地で開催予定だった
駐屯地祭りの展示用として用意されていた61式戦車、
35mm2連装高射機関砲 L-90が基地内に搬入されました。

ソ連軍来襲時には戦車を先頭にして。
完全武装の自衛隊員200人が函館空港に突入する。
防衛戦闘を行う準備がされていました。

++++++++++++++++++++++

海上自衛隊は大湊地方隊を主力に3隻を日本海側、
2隻を太平洋側に配置して警戒にあたりました。

函館基地隊の掃海艇は函館港一帯の警戒。

余市防備隊の魚雷艇は函館空港付近の警備に当たりました。

同時に大湊航空隊のヘリコプターは
常時津軽海峡上空で警戒飛行にあたり、

上空にはF-4EJが24時間哨戒飛行を実施致しました。

++++++++++++++++++++++

この際、海自の竜飛警備所内に、
陸自東北方面隊の対戦車隊が集結致しました。

64式対戦車誘導弾と106ミリ対戦車無反動砲を用意して。
ソ連艦艇が強行侵入した場合の
迎撃担当として待機していました。

ソビエト連邦からは
機体の即時返還要求がありました。

日本(とアメリカ)は、
9月24日に、慣例上認められているとされる
「機体検査」のためにMiG-25を分解し、

アメリカ空軍のC-5Aギャラクシー大型輸送機に
搭載して百里基地(茨城県)に移送致しました。

移送の際、航空自衛隊の戦闘機が
函館から百里まで護衛に当たっています。
機体検査の後、11月15日に機体はソ連に返還されました。

なおその後、ベレンコ中尉は希望通りアメリカに亡命
致しました。

++++++++++++++++++++++

事件終結後。

日本政府は対処に当たった陸上自衛隊に対し
同事件に関する記録を一切破棄するよう指示致しました。

これに対し当時の陸上幕僚長三好秀男は。

自らの辞意をもって抗議致しました。

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亡命理由
ベレンコの亡命理由については色々挙げられている。
ベレンコが元々CIAのエージェントであったとも言われるが証拠
はありません。

本当の理由は
「待遇の悪さとそれに伴う
妻との不和による衝動的なものであった」と
言うのが有力です。

++++++++++++++++++++++

事件の影響
この事件はパイロットの亡命要求であったことが幸いでした。

仮に攻撃目的の軍用機だった場合であれば。
同様に
自衛隊の防空網を突破されてしまう危険が露呈致しました。

このため、日本のレーダー網の脆弱性が批判されました。

日本の防衛能力は、
必要最低限にすら達していないという声が世界中に
あがりました。

この事件を契機に
日本における防衛論議の流れに変化が生じました。

従来は予算が認められなかった
早期警戒機E-2Cの購入もなされました。

++++++++++++++++++++++

一方のソビエト側は、レーダーサイトが
敵、味方機を識別するЯСС(Я - свой:ヤースボイ)
暗号を変更せざるを得ませんでした。

また当事件の調査のためチュグエフカ空軍基地を
訪れたソビエトの委員会は。

現地の生活条件の劣悪さに驚愕致しました。
直ちに5階建ての官舎、学校、幼稚園
などを建設することが決定されました。

この事件は、ソビエト軍の
パイロットの待遇改善の契機ともなりました。

++++++++++++++++++++++

ベレンコ中尉亡命事件。

この事件によって「ソビエト」側は。

低高度侵入の有効性と、
ルックダウン能力の低い戦闘機の問題点が浮き彫りに
されてしまったため。

当のMiG-25自身を時代遅れにしてしまうという結果を招きました。

後にソ連は、
大幅に改良したMiG-31戦闘機を開発する事になりました。

アメリカは、
これまで超高速戦闘機として恐れてきた MiG-25 が、
実際にはそれほどの脅威と呼ぶに値しない。

特にそれまで耐熱用のチタニウム合金製と考えられていた機体が、
実はステンレス鋼板にすぎなかったこと。

真空管などを多用した電子機器が
当時の水準としては著しく時代遅れであったことに驚愕
致しました。

対ソ連軍事戦略にも大きな影響を及ぼしました。

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亡命後のべレンコ
べレンコは希望通りアメリカに亡命し、
名前や居住地を変えながら
1983年9月の大韓航空機撃墜事件ではアメリカ側の暗号解読に
協力証言した他、
それ以外にも様々な形でアメリカ軍およびCIAなどに
協力を行ったと言われています。

冷戦崩壊後の1997年(平成9年)8月に、
ベレンコは沈黙を破ってイリノイ州南部クインシーで
北海道新聞のインタビューに応じ、

アメリカではソ連空軍情報を国防総省などに提供し、
本名を隠し沖縄や厚木のアメリカ軍基地や台湾、韓国を訪れ、
ロシアにも入国したと話しています。

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++「続きを読むです1」++++++++++++++++++

ベレンコ中尉亡命事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B3%E4%B8%AD%E5%B0%89%E4%BA%A1%E5%91%BD%E4%BA%8B%E4%BB%B6

ベレンコ中尉亡命事件(ベレンコちゅういぼうめいじけん)は、1976年(昭和51)9月6日、冷戦のさなかにソビエト連邦のソビエト連邦軍現役将校が、MiG-25(ミグ25)迎撃戦闘機で日本の函館に着陸し、亡命を求めた事件である。ミグ25事件とも呼ばれる。

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++

9月6日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: メニュー, 検索
http://ja.wikipedia.org/wiki/9%E6%9C%886%E6%97%A5

できごと
1522年 - フェルディナンド・マゼラン一行が初の世界一周を達成。
1901年 - マッキンリー大統領暗殺事件、ウィリアム・マッキンリー米大統領が狙撃される。これがもとで9月14日に死亡。
1973年 - 広島市内で被爆した身元不明の兵士の遺骨が、旧山口陸軍病院跡付近で発見された。これをきっかけに「山口のヒロシマデー」が設けられる。
1976年 - ベレンコ中尉亡命事件が起こる。
1979年 - 阿蘇山中岳が噴火。3人が死亡。
1991年 - バルト三国がソ連から独立。
1993年 - 元フジテレビアナウンサーの逸見政孝が異例の癌告白会見を行う。
1997年 - ダイアナ妃の葬儀がウェストミンスター寺院で行われる。
2002年 - 歌手の宇多田ヒカルが電撃結婚。
2003年 - 北野武監督『座頭市』が日本で劇場公開。
2004年 - ラジオ局・ニッポン放送が東京都港区台場のフジテレビ本社ビルから嘗ての千代田区有楽町に移転。
2008年 - 三笠フーズによる事故米流通事件が明らかになる。

誕生日
1644年 - フアン・カバニーリェス、オルガニスト、作曲家(+ 1712年)
1757年 - ラファイエット、アメリカ独立戦争に参加した軍人(+ 1834年)
1766年 - ジョン・ドルトン、化学者・物理学者(+ 1844年)
1884年 - 西村伊作、教育者(+ 1963年)
1888年 - ジョセフ・P・ケネディ、イギリス駐箚アメリカ合衆国大使(+ 1969年)
1890年 - 綾部健太郎、政治家・第53代衆議院議長(+ 1972年)
1910年 - 黒柳朝、教育者、エッセイスト(+ 2006年)
1912年 - ジャック・ファット、ファッションデザイナー(+ 1954年)
1913年 - 石本茂、政治家、看護師(+ 2007年)
1923年 - 大石慎三郎、日本史学者(+ 2004年)
1926年 - 星新一、作家(+ 1997年)
1928年 - 槇文彦、建築家
1928年 - エフゲニー・スヴェトラーノフ、指揮者(+ 2002年)
1930年 - 西村京太郎、推理作家
1930年 - 小林昭二、俳優(+ 1996年)
1930年 - ダニエーレ・バリオーニ、テノール歌手
1932年 - 岩城宏之、指揮者(+ 2006年)
1940年 - 田中俊幸、元プロ野球選手(+ 2008年)
1942年 - 石山建一、元野球選手
1943年 - 三遊亭円遊(5代目)、落語家
1945年 - 永井豪、漫画家
1946年 - 大島理森、政治家
1949年 - 柏原寛司、脚本家
1950年 - 市毛良枝、女優
1951年 - 西野義和、元朝日放送アナウンサー
1954年 - カーリー・フィオリーナ、実業家
1957年 - 日下秀昭、俳優
1957年 - 加藤知子、ヴァイオリニスト
1958年 - 鈴木雅之、演出家、映画監督
1959年 - 吉俣良、作曲家、編曲家
1960年 - 大江千里、シンガーソングライター・ミュージシャン
1961年 - 黒岩彰、元スピードスケート選手
1961年 - 永澤俊矢、俳優
1961年 - ポール・ワークター=サヴォイ、ミュージシャン・a-haのギタリスト
1961年 - 竹田団吾、衣装デザイナー
1962年 - 小熊英二、社会学者・慶應義塾大学助教授
1962年 - パンツェッタ・ジローラモ、タレント、エッセイスト
1963年 - イワン・ハシェック、元サッカー選手
1963年 - ROLLY(元ローリー寺西)、歌手、舞台俳優
1964年 - ワタナベシンイチ、アニメーション監督、演出家
1965年 - 堀池巧、元サッカー選手
1969年 - 伊藤理佐、漫画家
1969年 - 小村徳男、サッカー選手(横浜FC)
1969年 - メッセンジャーあいはら、お笑い芸人・メッセンジャー (お笑い)
1969年 - 東川公則、騎手
1969年 - 稲田容子、ライフル射撃選手
1971年 - 宮内美澄、元プロテニスプレイヤー
1974年 - ティム・ヘンマン、テニス選手
1975年 - 谷亮子、柔道選手
1975年 - デレク・リー、メジャーリーガー
1976年 - マイケル中村、プロ野球選手
1976年 - 塩屋大輔、元プロ野球選手
1977年 - 氷川きよし、歌手
1977年 - 南辻史人、俳優
1978年 - 澤穂希、女子サッカー選手
1978年 - 宮崎充登プロ野球選手・広島東洋カープ
1978年 - まんぼう、マジシャン
1979年 - KAZYA、ミュージシャン(175R)
1979年 - 原信生、元サッカー選手
1979年 - 片山伸次、大相撲力士
1979年 - 田中充、プロ野球選手
1980年 - 日向悠二、キャラクターデザイナー
1981年 - 阿部勇樹、サッカー選手
1981年 - マーク・ティーエン、メジャーリーガー
1982年 - YUI(品田ゆい)、タレント
1982年 - 赤松真人、プロ野球選手
1982年 - 後藤伸也、プロ野球選手
1983年 - 阪本麻美、グラビアアイドル
1984年 - クリスティアン・ラウフバウアー、フィギュアスケート選手
1985年 - 水野晃樹、サッカー選手
1985年 - 坂克彦、プロ野球選手
1987年 - みなかみ菜緒、声優
1988年 - 藤田玲、俳優
1990年 - 塚本舞、グラビアアイドル
1991年 - 山内久留実、アイドル・美少女クラブ31
1991年 - 市川知宏、俳優
1995年 - 藤田ライアン、子役
2006年 - 悠仁親王、皇族
生年不明 - 詩月カオリ、歌手
生年不明 - 若月さな、イラストレーター
生年不明 - Des-ROW(右寺修)、作曲家
生年不明 - 梨丘いるま、シンガーソングライター

忌日
893年(寛平5年7月19日)- 在原行平、歌人・公卿(* 818年)
952年(天暦2年8月15日)- 朱雀天皇、日本の第61代天皇(* 923年)
972年 - ヨハネス13世、第133代ローマ教皇
1335年(建武2年8月19日)- 諏訪頼重、南北朝時代の武将
1335年(建武2年8月19日)- 諏訪時継、南北朝時代の武将
1357年(正平12年/延文2年閏7月22日)- 西園寺寧子、後伏見天皇の女御(* 1292年)
1511年(永正8年8月14日)- 足利義澄、室町幕府第11代将軍(* 1481年)
1566年 - スレイマン1世、第10代オスマン帝国スルターン(* 1494年)
1631年(寛永8年8月10日)- 本多忠政、姫路藩主(* 1575年)
1683年 - ジャン=バティスト・コルベール、重商主義者・フランス財務総監(* 1619年)
1685年(貞享2年8月8日)- 青山忠雄、浜松藩主(* 1651年)
1729年(享保14年8月14日)- 松平基知、白河藩主(* 1679年)
1775年(安永4年8月12日)- 宗義蕃、第9代対馬府中藩主(* 1717年)
1831年 - ウィリアム・ジョーンズ、第4代アメリカ合衆国海軍長官(* 1760年)
1860年 - ゲオルク、メクレンブルク=シュトレーリッツ大公(* 1779年)
1869年 - ジョン・アーロン・ローリンズ、第29代アメリカ合衆国陸軍長官(* 1831年)
1902年 - フレデリック・エイベル、イギリスの化学者(* 1827年)
1907年 - シュリ・プリュドム、詩人(* 1839年)
1911年 - 下瀬雅允、発明家・日本海軍の軍属(* 1859年)
1920年 - 嵐璃寛 (5代目)、歌舞伎役者(* 1871年)
1923年 - 木下淑夫、鉄道院の官僚(* 1874年)
1931年 - 橋川正、歴史学者(* 1894年)
1937年 - ヘンリー・ハドリー、作曲家(* 1871年)
1939年 - オットー・ブレンデル、天文学者(* 1862年)
1939年 - 浜田国松、第30代衆議院議長(* 1868年)
1940年 - 麻生久、労働運動家・衆議院議員(* 1891年)
1945年 - ジョン・S・マケイン、アメリカ海軍の大将(* 1884年)
1949年 - 楊虎城、中華民国の軍人(* 1893年)
1950年 - オラフ・ステープルドン、小説家・哲学者(* 1886年)
1957年 - 山田わか、社会運動家(* 1879年)
1962年 - 柏尾誠一郎、テニス選手(* 1892年)
1962年 - ハンス・アイスラー、作曲家 (* 1898年)
1963年 - 宮島清次郎、実業家(* 1879年)
1966年 - マーガレット・サンガー、産児制限運動家(* 1879年)
1969年 - アルツール・フリーデンライヒ、サッカー選手(* 1892年)
1978年 - マックス・デキュジス、テニス選手(* 1882年)
1994年 - ニッキー・ホプキンス、ミュージシャン(* 1944年)
1998年 - 黒澤明、映画監督(* 1910年)
2005年 - 河合斌人、実業家(* 1918年)
2005年 - 宮下信明、元プロ野球選手(* 1924年)
2007年 - ルチアーノ・パヴァロッティ、テノール歌手(* 1935年)
2007年 - イ・エジョン、女優(* 1987年)
2008年 - アニタ・ペイジ、女優(* 1910年)
2008年 - 寺内大吉、小説家・増上寺法主(* 1921年)

記念日・年中行事
黒の日(日本)
9月6日の「96」が「くろ」と読めることから。
1989年に創立40周年を迎えた京都墨染工業協同組合が制定し、翌年から実施。
伝統染色の黒染めをPRし、黒紋服や黒留袖の普及を図る日。
鹿児島・黒豚の日(日本)
クレームの日(日本)
9月6日の「96」が「クレーム」と読めることから。
黒酢の日(日本)
9月6日の「96」が「クロ」と読めることから。
生クリームの日(日本)
9月6日の「96」が「クリーム」と読めることから。
妹の日(日本)
兄弟姉妹型研究の第一人者であった故畑田国男が提唱し、畑田が代表を務めていた「妹の日」実行委員会が制定。
妹の可憐さを象徴する星座であるおとめ座の中間の日の前日であることに由来。
毎年「日本妹大賞」が発表・授賞され、これまでに有森裕子、岩崎恭子、きんさんぎんさんの妹である蟹江ぎんなどが受賞している。
聖ニコラウスにまつわる三姉妹伝説と関係している。それに関連して6月6日は「兄の日」、12月6日は「姉の日」である。
クロスワードパズルの日(日本、アメリカ)
9月6日の「96」が「クロ」と読めることから。
苦労の日(日本)
9月6日の「96」が「くろ」と読めることから。
高田文夫が1991年9月6日に制定。
時計の日(日本)
9月6日の「96」が「クロック」と読めることから。なお時の記念日とは無関係。
キョロちゃんの日/森永チョコボールの日(日本)
「キョロちゃん」で親しまれている菓子「チョコボール」の発売元である森永製菓株式会社が制定。
発売開始が1965年の9月であったことと、「キョロちゃん」の語呂合わせから9月6日に定めた。
ホシヅルの日(日本)
SF作家、星新一を偲ぶ日。

誕生花・誕生石
誕生花     ・ナスタチューム(キンレンカ)     ・クルマユリ

誕生石

    ・サーペンティン