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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年9月10日(木曜日)

「今日は何の日」は。

1930年代の初めには。
全ドイツでは信じられないことだが。
ヴェルディのオペラ上演本数はワーグナーの
それを一時的に凌駕するに至りました。

これをドイツ語圏における
「ヴェルディ・ルネサンス」と呼称致します。

この「ヴェルディ・ルネサンス」の立役者
であるオーストリアの小説家。

1890年 - フランツ・ヴェルフェル、小説家(+ 1945年)
の生誕日です。

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フランツ・ヴェルフェル
:Franz Werfel,
1890年9月10日 - 1945年8月26日)は。

オーストリアの小説家、劇作家、詩人です。

グスタフ・マーラーの未亡人アルマの最後の結婚相手
としても知られています。

1920年代にはジュゼッペ・ヴェルディの
多くのオペラをドイツ語に翻訳致しました。

ドイツ語圏におけるヴェルディ・ブーム。
いわゆる「ヴェルディ・ルネサンス」に貢献致しました。

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フランツ・ヴェルフェル:Franz Werfelの生涯

1890年に、当時オーストリア・ハンガリー帝国に
属していたプラハに生まれました。

彼はユダヤ人でありました。

20世紀初頭には同時代の他のユダヤ人知識人の。

たとえばフランツ・カフカ、
マックス・ブロート、
マルティン・ブーバーなどと親交を深めました。

ヴェルフェルは第一次世界大戦には
オーストリア・ハンガリー帝国軍の一員として従軍
致しました。

ロシア戦線および報道部隊に勤務しましたが。

そのあからさまな平和主義の主張によって
反逆罪容疑で逮捕されたこともありました。

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フランツ・ヴェルフェル:Franz Werfelは。

1929年に建築家ヴァルター・グロピウスと
離別したばかりのアルマ・マーラーと結婚致しました。

この頃。
既にヴェルフェルは小説家として名を成していたが、
彼を真に有名にしたのは1933年の小説
『ムサ・ダの40日間(Die vierzig Tage des Musa Dagh )』
でした。

これはトルコ人によって1915年に発生したとされる、
アルメニア人虐殺問題を綴ったものです。

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フランツ・ヴェルフェル:Franz Werfelは。

ユダヤ人であるヴェルフェルは。
1938年のオーストリア合邦(アンシュルス)を受けて、
アルマとともに故国を脱出致しました。

初め2人はフランスに亡命致しました。

ヴェルフェルはルルドを訪れました。

そこでの体験と同地に祭られている
聖人ベルナデット・スビルーの印象は。
後に小説
『ベルナデットの歌(The Song of Bernadette )』(1941年)
となりました。

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フランツ・ヴェルフェル:Franz Werfel
は。
翌年の独仏開戦とともにフランスも危険となり。

マルセイユ在住のアメリカ人ジャーナリストの
ヴァリアン・フライの支援の下に。

アメリカ合衆国に再亡命致しました。

アメリカでは南カリフォルニアに在住、
同地で彼の最後の劇作
『ヤコボウスキと大佐(Jacobowsky und der Oberst )』
が著されています。

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ヴェルディ・ルネサンス
ヴェルフェルは若い頃よりオペラに親しみました。

特に、この頃のドイツ語圏住民には珍しく
ジュゼッペ・ヴェルディが一番のお気に入りでした。

彼は1924年に
『ヴェルディ:オペラ小説 (Verdi: Roman der Oper )』
なる小説を著しました。

これは「イタリアに押し寄せる
ワーグナー・ブームに一人立ち向かうヴェルディ」
といった趣の小説でした。
ヴェルディの書簡などから想を得て
かなり自由な創作を加えたフィクションです。
++++++++++++++++++++++

フランツ・ヴェルフェル:Franz Werfelの
1924年に
『ヴェルディ:オペラ小説 (Verdi: Roman der Oper )』
なる小説は。
この小説は5年間で少なくとも6万部印刷されました。

それは類書中稀にみるベスト・セラーでした。

2年後の1926年にはヴェルディの書簡選集も
パウル・シュテファンとの共篇で出版されました。

ドイツ語圏でのヴェルディ理解・受容を
深化させようと努力致しました。

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ヴェルフェルのヴェルディ紹介はこれに留まりませんでした。

彼はドイツ語圏でのヴェルディ・オペラ上演が。
人口に膾炙した中期の有名作『リゴレット』、
『イル・トロヴァトーレ』、『ラ・トラヴィアータ』
の3作にばかり集中しているのを遺憾と致しました。

1925年の『運命の力』ドイツ語翻訳を皮切りに。
『シモン・ボッカネグラ』、
『ドン・カルロ』の翻訳を行いました。

ヴェルフェルに共鳴した指揮者の
ゲオルク・ゲーラーも
『ルイザ・ミラー』、『マクベス』の翻訳を行いました。
これらはドイツ、オーストリア、チェコスロヴァキアの
各劇場で相次いで上演され、好評を博しました。

1930年代の初めには全ドイツにおける
ヴェルディのオペラ上演本数はワーグナーの
それを一時的に凌駕するに至りました。
これをドイツ語圏における
「ヴェルディ・ルネサンス」と称することがあります。
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ヴェルフェルのドイツ語版は単なる翻訳に留まらず。
『運命の力』で有名な序曲を第1幕の後に演奏することを
提案するなど、自由な解釈を伴うものでした。

1930年代より指揮者フリッツ・ブッシュ、
演出家カール・エーベルトをはじめとして。

「ヴェルディ・ルネサンス」を支えた多くの芸術家が
イギリス、アメリカに亡命し、
やがてヴェルフェルもその
後を追うようにアメリカに渡ると、
この「ヴェルフェル版」の新解釈は英語圏でも
影響力を持つに至りました

(例えば1950年代-70年代の
ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場での
『運命の力』公演はヴェルフェル版の影響を受け、
序曲の演奏箇所や場面順序が大きく移動していました)。

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フランツ・ヴェルフェル:Franz Werfelの。

オペラ化された作品
ヴェルフェル自らの戯曲の
いくつかもオペラ化されています。

エルンスト・クルシェネク
『根城 (Die Zwingburg )』(初演1924年、於ベルリン)
ダリウス・ミヨー『マクシミリアン (Maximilien )』(1932年、パリ)
ロドヴィーコ・ロッカ『イヴノール山 (Monte Ivnor )』(1939年、ローマ)
: 『ムサ・ダの40日間』を原作とする

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ヴェルフェルは1945年にロサンゼルスで亡くなりました。

フランツ・ヴェルフェル:Franz Werfelの
遺骸は当初ローゼンデール墓地に葬られました。
けれども
戦後ウィーンの中央墓所(Zentralfriedhof)に。

改葬されています。

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「続きを読む」=>*

++「続きを読むです1」++++++++++++++++++

フランツ・ヴェルフェル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%84%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB

フランツ・ヴェルフェル:Franz Werfel, 1890年9月10日 - 1945年8月26日)は、オーストリアの小説家、劇作家、詩人である。グスタフ・マーラーの未亡人アルマの最後の結婚相手としても知られる。1920年代にはジュゼッペ・ヴェルディの多くのオペラをドイツ語に翻訳し、ドイツ語圏におけるヴェルディ・ブーム、いわゆる「ヴェルディ・ルネサンス」に貢献した。

生涯
1890年に、当時オーストリア・ハンガリー帝国に属していたプラハに生まれる。彼はユダヤ人であり、20世紀初頭には同時代の他のユダヤ人知識人、たとえばフランツ・カフカ、マックス・ブロート、マルティン・ブーバーなどと親交を深めた。ヴェルフェルは第一次世界大戦にはオーストリア・ハンガリー帝国軍の一員として従軍、ロシア戦線および報道部隊に勤務したが、そのあからさまな平和主義の主張によって反逆罪容疑で逮捕されたこともあった。

1929年に、建築家ヴァルター・グロピウスと離別したばかりのアルマ・マーラーと結婚した。この頃既にヴェルフェルは小説家として名を成していたが、彼を真に有名にしたのは1933年の小説『ムサ・ダの40日間(Die vierzig Tage des Musa Dagh )』であった。これはトルコ人によって1915年に発生したとされる、アルメニア人虐殺問題を扱ったものである。

ユダヤ人であるヴェルフェルは、1938年のオーストリア合邦(アンシュルス)を受けて、アルマとともに故国を脱出する。初め2人はフランスに亡命した。ヴェルフェルはルルドを訪れ、そこでの体験と同地に祭られている聖人ベルナデット・スビルーの印象は後に小説『ベルナデットの歌(The Song of Bernadette )』(1941年)となった。翌年の独仏開戦とともにフランスも危険となり、マルセイユ在住のアメリカ人ジャーナリスト、ヴァリアン・フライの支援の下、アメリカ合衆国に再亡命した。アメリカでは南カリフォルニアに在住、同地で彼の最後の劇作『ヤコボウスキと大佐(Jacobowsky und der Oberst )』が著されている。

ヴェルフェルは1945年にロサンゼルスで亡くなった。彼の遺骸は当初ローゼンデール墓地に葬られたが、戦後ウィーンの中央墓所(Zentralfriedhof)に改葬されている。

ヴェルディ・ルネサンス
ヴェルフェルは若い頃よりオペラに親しみ、特に、この頃のドイツ語圏住民には珍しくジュゼッペ・ヴェルディが一番のお気に入りであった。彼は1924年に『ヴェルディ:オペラ小説 (Verdi: Roman der Oper )』なる小説を著した。これは「イタリアに押し寄せるワーグナー・ブームに一人立ち向かうヴェルディ」といった趣の小説で、ヴェルディの書簡などから想を得てかなり自由な創作を加えたフィクションである。この小説は5年間で少なくとも6万部印刷され、それは類書中稀にみるベスト・セラーであった。2年後の1926年にはヴェルディの書簡選集もパウル・シュテファンとの共篇で出版、ドイツ語圏でのヴェルディ理解・受容を深化させようと努力した。

ヴェルフェルのヴェルディ紹介はこれに留まらなかった。彼はドイツ語圏でのヴェルディ・オペラ上演が人口に膾炙した中期の有名作『リゴレット』、『イル・トロヴァトーレ』、『ラ・トラヴィアータ』の3作にばかり集中しているのを遺憾とし、1925年の『運命の力』ドイツ語翻訳を皮切りに、『シモン・ボッカネグラ』、『ドン・カルロ』の翻訳を行った。ヴェルフェルに共鳴した指揮者のゲオルク・ゲーラーも『ルイザ・ミラー』、『マクベス』の翻訳を行い、これらはドイツ、オーストリア、チェコスロヴァキアの各劇場で相次いで上演され、好評を博した。1930年代の初めには全ドイツにおけるヴェルディのオペラ上演本数はワーグナーのそれを一時的に凌駕するに至った。これをドイツ語圏における「ヴェルディ・ルネサンス」と称することがある。

ヴェルフェルのドイツ語版は単なる翻訳に留まらず、『運命の力』で有名な序曲を第1幕の後に演奏することを提案するなど、自由な解釈を伴うものだった。1930年代より指揮者フリッツ・ブッシュ、演出家カール・エーベルトをはじめとして、「ヴェルディ・ルネサンス」を支えた多くの芸術家がイギリス、アメリカに亡命し、やがてヴェルフェルもその後を追うようにアメリカに渡ると、この「ヴェルフェル版」の新解釈は英語圏でも一定の影響力を持つに至った(例えば1950年代-70年代のニューヨーク・メトロポリタン歌劇場での『運命の力』公演はヴェルフェル版の影響を受け、序曲の演奏箇所や場面順序が大きく移動していた)。

オペラ化された作品 [
ヴェルフェル自らの戯曲のいくつかもオペラ化されている。

エルンスト・クルシェネク『根城 (Die Zwingburg )』(初演1924年、於ベルリン)
ダリウス・ミヨー『マクシミリアン (Maximilien )』(1932年、パリ)
ロドヴィーコ・ロッカ『イヴノール山 (Monte Ivnor )』(1939年、ローマ): 『ムサ・ダの40日間』を原作とする
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%84%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB" より作成

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9月10日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/9%E6%9C%8810%E6%97%A5

できごと
422年 - ケレスティヌス1世がローマ教皇に即位。
1622年(元和8年8月5日)- 長崎でカトリック教徒55名が処刑。(元和の大殉教)
1813年 - 米英戦争: エリー湖の湖上戦が行われる。
1858年 - ジョージ・サールが小惑星「パンドラ」を発見。
1885年 - 英吉利法律学校が東京神田で開校
1905年 - 中川小十郎が私立清和普通学校を京都に開学。
1912年 - インドネシア、サレカット=イスラムの成立。
1912年 - 日本初となる映画会社、日本活動写真が設立。
1917年 - 中華民国で孫文が広東軍政府を樹立する。
1919年 - オーストリアと連合国がサン=ジェルマン条約を締結。
1921年 - 日本サッカー協会の前身である大日本蹴球協会が創立。
1939年 - 第二次世界大戦: カナダがナチス・ドイツに宣戦布告。
1943年 - 鳥取地震発生。
1945年 - 「言論及ビ新聞ノ自由ニ関スル覚書」(SCAPIN-16)発令。連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が検閲を始める。
1947年 - ドイツの作家集団「47年グループ」が初会合を行う。
1951年 - 映画「羅生門」がヴェネツィア国際映画祭で日本映画初の金獅子賞を獲得。
1955年 - 日本がGATTに加盟。
1956年 - 富山県魚津市で魚津大火が発生。
1959年 - 炭鉱失業者救済のための「黒い羽根募金運動」が開始。
1960年 - 東京・大阪でカラーテレビの本放送開始。
1961年 - イタリアグランプリでウォルフガング・フォン・トリップス(フェラーリ)がジム・クラーク(ロータス)と接触事故、死者14名の大惨事となる。
1969年 - 正寿ちゃん誘拐殺人事件。
1974年 - ポルトガルがギニアビサウの独立を承認。
1993年 - テレビドラマ「Xファイル」の放送がはじまる。
1996年 - 国際連合で包括的核実験禁止条約が採択。
2001年 - 千葉県で日本初の牛海綿状脳症(BSE、狂牛病)の疑い有りと農林水産省が発表。11日後の21日厚生労働省が確認、翌22日農林水産省が公表。
2002年 - スイスが国際連合に加盟。
2003年 - アンナ・リンドスウェーデン外務大臣がストックホルムのデパートで暗殺される

誕生日
1690年(元禄3年8月8日)- 前田吉徳、第6代加賀藩主(+ 1745年)
1755年 - ハンス・アクセル・フォン・フェルセン、スウェーデン貴族(+ 1810年)
1882年 - 今井清、陸軍中将、(+1938年)
1887年 - ジョヴァンニ・グロンキ、第3代イタリア共和国大統領(+ 1978年)
1889年 - 吉阪俊蔵、内務官僚(+ 1958年)
1890年 - フランツ・ヴェルフェル、小説家(+ 1945年)
1890年 - エルザ・スキャパレッリ、ファッションデザイナー(+ 1973年)
1891年 - ヤーコプ・ブルクハルト、歴史学者(+ 1974年)
1893年 - マリア・デ・イエス、2008年11月26日 - 2009年1月2日の長寿世界一(+ 2009年)
1897年 - ジョルジュ・バタイユ、作家・思想家(+ 1962年)
1910年 - 平井康三郎、作曲家(+ 2002年)
1917年 - 木村政彦、柔道家・プロレスラー(+ 1993年)
1919年 - 堀越克明、教育者
1929年 - 矢代秋雄、作曲家(+ 1976年)
1932年 - 山田康雄、声優(+ 1995年)
1934年 - ロジャー・マリス、メジャーリーガー(+ 1985年)
1934年 - 樋口陽一、法学者
1938年 - カール・ラガーフェルド、ファッションデザイナー
1939年 - 村松克己、俳優(+ 2001年)
1941年 - 横井軍平、任天堂のゲームデザイナー(+ 1997年)
1941年 - スティーヴン・ジェイ・グールド、生物学者(+ 2002年)
1943年 - 松岡佑子、翻訳家
1945年 - ホセ・フェリシアーノ、歌手、ギタリスト
1947年 - 内田順三、プロ野球選手、コーチ
1947年 - 石床幹雄、プロ野球選手(+ 2004年)
1948年 - 内舘牧子、脚本家・小説家・横綱審議委員会委員
1949年 - 欧陽菲菲、歌手
1950年 - ジョー・ペリー、ミュージシャン(エアロスミス)
1952年 - 小林光一、囲碁のプロ棋士
1956年 - 増本宏、プロ野球選手
1957年 - 綾戸智恵、歌手
1958年 - 高沢秀昭、プロ野球選手
1958年 - クリス・コロンバス、映画監督
1960年 - コリン・ファース、俳優
1961年 - 栄村忠広、プロ野球選手
1961年 - 和泉実、高校野球指導者
1962年 - 山下訓史、陸上競技選手
1963年 - ランディ・ジョンソン、メジャーリーガー
1963年 - 雨蘭咲木子、声優
1966年 - 斉藤由貴、女優・歌手
1966年 - 後藤敏博、バスケットボール選手・指導者
1968年 - ガイ・リッチー、映画監督
1969年 - 小原愼司、漫画家
1971年 - 進藤晶子、アナウンサー
1971年 - 櫻井智、声優
1974年 - ミルコ・クロコップ、格闘家
1975年 - 山田暢久、サッカー選手
1976年 - 加納孝政、歌手(RAG FAIR)
1976年 - 永谷喬夫、ギタリスト(surface)
1976年 - 信原拓人、元プロ野球選手
1976年 - 井上由美子、演歌歌手
1977年 - 武田夏葉子、フィギュアスケート選手、タレント
1977年 - ダニス・バエス、メジャーリーガー
1979年 - 時天空、大相撲力士
1979年 - 鈴木くるみ、AV女優
1979年 - 青木智史、元プロ野球選手
1980年 - 西堀裕美、NHKアナウンサー
1980年 - ティモシー・ゲーブル、フィギュアスケート選手
1982年 - 服部泰卓、プロ野球選手
1983年 - ジョーイ・ボット、メジャーリーガー
1983年 - HIROAKI(GOLLBETTY)、ミュージシャン
1983年 - Mocky(All Japan Goith)、ミュージシャン
1984年 - 若林翔子、女優・タレント・モデル
1984年 - 真堂圭、声優
1985年 - 松田翔太、俳優
1985年 - 上木彩矢、歌手
1985年 - 白井珠希、女優
1985年 - 久米勇紀、プロ野球選手
1986年 - 内博貴、タレント
1986年 - 松林菜々見、レースクイーン
1987年 - 阿井莉沙、歌手、dream
1987年 - 谷村奈南、歌手
1988年 - ココ・ロシャ、スーパーモデル

忌日
846年(承和13年8月12日)- 藤原吉野、平安時代の公卿(* 786年)
954年 - ルイ4世、西フランク王(* 920年)
1145年(久安元年8月22日)- 藤原璋子、鳥羽天皇の中宮(* 1101年)
1167年 - マティルダ、神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世の妃(* 1102年)
1308年(徳治3年8月25日)- 後二条天皇、日本の第94代天皇(* 1285年)
1382年 - ラヨシュ1世、ハンガリー王(* 1326年)
1418年(応永25年8月10日)- 斯波義重、室町時代の守護大名(* 1371年)
1419年 - ジャン1世、ブルゴーニュ公(* 1371年)
1482年 - フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ、コンドッティエーレの隊長・ウルビーノ君主(* 1422年)
1547年 - ピエール・ルイージ・ファルネーゼ、パルマ公(* 1503年)
1573年(天正元年8月14日)- 斎藤龍興、美濃国の戦国大名(* 1548年)
1607年 - ルッツァスコ・ルッツァスキ、作曲家(* 1545年頃)
1651年(慶安4年7月26日)- 由井正雪、軍学者・慶安の変首謀者(* 1605年)
1669年 - ヘンリエッタ・マリア、イングランド王チャールズ1世の妃(* 1609年)
1749年 - エミリー・デュ・シャトレ、数学者・物理学者(* 1706年)
1797年 - メアリ・ウルストンクラフト、思想家(* 1759年)
1867年 - ジーモン・ゼヒター、音楽理論家・教育者・作曲家(* 1788年)
1870年(明治3年8月15日)- 横倉甚五郎、新選組隊士(* 1834年)
1871年(明治4年7月26日)- 松平慶倫、津山藩主(* 1827年)
1889年 - シャルル3世、モナコ大公(* 1818年)
1892年 - 志田林三郎、物理学者・電気工学者(* 1855年)
1898年 - エリーザベト皇后、オーストリア・ハンガリー帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の皇后(* 1837年)
1916年 - フリードリヒ・ゲルンスハイム、作曲家(* 1839年)
1918年 - カール・ペータース、探検家・ドイツ東アフリカ会社創設者(* 1856年)
1926年 - 目賀田種太郎、日本の枢密院顧問官・専修学校(専修大学)共同創設者(* 1853年)
1931年 - サルヴァトーレ・マランツァーノ、コーサ・ノストラ幹部(* 1868年)
1933年 - 古賀春江、画家(* 1895年)
1935年 - ヒューイ・ロング、ルイジアナ州知事・アメリカ合衆国上院議員(* 1893年)
1940年 - 山屋他人、日本海軍の大将(* 1866年)
1941年 - 桐生悠々、ジャーナリスト(* 1873年)
1945年 - ヴァイノ・ライティオ、作曲家(* 1891年)
1947年 - 安達二十三、日本陸軍の中将(* 1890年)
1948年 - フェルディナンド1世、ブルガリア王(* 1861年)
1956年 - ロバート・トランプラー、天文学者(* 1886年)
1961年 - ウォルフガング・フォン・トリップス、F1レーサー(* 1928年)
1971年 - ピア・アンジェリ、女優(* 1932年)
1975年 - ジョージ・パジェット・トムソン、物理学者(* 1892年)
1975年 - ハンス・スワロフスキー、指揮者・教育者(* 1899年)
1976年 - ダルトン・トランボ、脚本家・映画監督(* 1905年)
1979年 - アゴスティニョ・ネト、アンゴラ大統領(* 1922年)
1983年 - フェリックス・ブロッホ、物理学者(* 1905年)
1984年 - ジョルジュ・ド・ボールガール、映画プロデューサー(* 1920年)
1985年 - エルンスト・エピック、天文学者(* 1893年)
1985年 - ジョック・ステイン、サッカー選手・指導者(* 1922年)
1986年 - 島耕二、俳優・映画監督(* 1901年)
1988年 - 五味芳夫、元プロ野球選手(* 1917年)
1991年 - ジャック・クロフォード、テニス選手(* 1908年)
1993年 - ハナ肇、ミュージシャン、俳優(* 1930年)
1994年 - マックス・モーロック、テニス選手・指導者(* 1925年)
1995年 - 鈴木章治、ジャズクラリネット奏者(* 1932年)
1996年 - フランキー堺、俳優(* 1929年)
1997年 - フリッツ・フォン・エリック、プロレスラー(* 1929年)
1999年 - アルフレード・クラウス、テノール歌手(* 1927年)
2001年 - 橘家文蔵、落語家(* 1939年)
2002年 - 帖佐美行、彫金家(* 1915年)
2003年 - 広田順、元プロ野球選手(* 1925年)
2004年 - 倉田道夫、物理学者(* 1925年)
2005年 - クラレンス"ゲイトマウス"ブラウン、ギタリスト・歌手(* 1924年)
2006年 - タウファアハウ・ツポウ4世、トンガ王(* 1918年)
2006年 - 犬丸りん、漫画家(* 1958年)
2007年 - ジェーン・ワイマン、女優(* 1917年)
2007年 - 長船騏郎、全日本アマチュア野球連盟会長(* 1924年)
2007年 - アニータ・ロディック、実業家・ザ・ボディショップ創業者(* 1942年)
2008年 - ヴァーノン・ハンドリー、指揮者(* 1930年)

記念日・年中行事
下水道の日(2001年までは全国下水道促進デー)(日本)

下水道の整備の促進について人々の理解と協力を呼びかけようと、
1961年に建設省(現国土交通省)が制定。

この時期が立春から数えて220日目にあたる二百二十日で台風による
水害が発生しやすい時期であるために、
下水道をアピールするのに最適であるとしてこの時期が選ばれた。

屋外広告の日(日本)
1973年9月10日に、屋外広告法が国会を通過したことを記念して、
全日本屋外広告業団体連合会が1973年に制定し、1974年から実施。

℃-uteの日(日本)
℃-ute(キュート)の語呂合わせで、2006年にアップフロントグループが制定。

牛タンの日
牛タン業界活性化を願い、仙台牛たん振興会が2006年から制定した記念日。
牛(9)タン(10)の語呂合わせ。この日は加盟店などの牛タン定食が安くなる。

世界自殺防止の日
世界保健機関と国際自殺防止協会が2003年に
スウェーデンのストックホルムで開催された世界自殺防止会議で、
会議初日の9月10日を「第1回世界自殺防止の日」として制定した。
自殺に対する注意・関心を喚起し、自殺防止のための行動を促進するのが目的。

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