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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年9月24日(木曜日)

「秋」です。

「秋」の「9月」

になりました。

まばゆいほど。

ことばでは。

いいつくせないほどに。

まぶしくて。

ありがたいやさしい。

「秋」「9月」の。

するどく透明感のある。

つよい陽射しです。

しあわせいろの。

あかるい陽射し。

やさしいあかるい陽射し。

「9月」の。

「朝」の陽射しの「あかるさ」は。

なにものにも。

たとえようがありません。

しずかにけぶる山焼きのような。

ひざしです。

あさひ。

「朝陽」の光は。

とてもやさしい。

秋朝陽(あきあさひ)

緑木枝間に

われを見る

まばゆくも

秋朝陽(あきあさひ)優しく輝く

眼(まなこ)なりけり

あきあさひ

みどりきえたまに

われをみる

まばゆくも

あきあさひやさしくかかやく

まなこなりけり

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

「秋」になりました。

今年も秋がきました。

「秋」がきて。

今は「9月」。

「秋」がふうせんのように。

みのりてふくらみ。

ひろがってゆく季節です。

「9月」です。

なつまつりはおわり。

野には。

たんぽぽは葉草となり。

夏草の花は咲きおわり。

野草が葉草となり。

よもぎや。

すぎながいっぱいになりました。

みどり葉のつつじが。

さえほこっています。

「秋」になり「川の水音」は。

あたかも。

「ゆたかな清流」の。

「みずのながれのおと」の如く。

きこえるようになりました。

「秋」の小川。

「どんどん」ながれる。

あきのおがわ。

高さも低さこそ見えないのに。

あゆみたゆまず。

ながれる水の流れ。

ありがたきことと。

感謝いたします。

春分の日もすぎれば。
「さくら」咲きはじめ
「さくら」がおわり。
「4月」が終われば。
「5月」になり。
「5月」もおわれば。
6月に。「夏」になり。
6月も終われば。
7月 たなばた。
7月 もおわれば。
せみのなく8月。
8月の夏はすぎれば。
9月の秋になり秋の虫が鳴く。
そして9月がおわり。
中秋10月なり紅葉の季節。
そして10月がおわり。
「11月」になり。
晩秋「11月」もおわり12月の「冬」。
「12月」になればまた「年」があけ。
また「初春」がくる。

そして来年も「春」の「3月」がきて。
そして「4月」「5月」がおわり。
「6月」「7月」「8月」がすぎて。
「9月」になる。

「あき」の「9月」です。

「陽」はすでに

日々にみじかくなりつつあります。

「秋」がきて。

「秋」に向かう「ひざし」の。

やさしい「光」の日々です。

「夏至」はもうすぎました。

「秋」の「9月」です。

「秋」の「9月」の。

陽は日々ひくくなっています。

夜にゆらぐ明るい家々の灯火(ともしび)。

とてもよいしあわせのひかり。

秋です。

朝陽ののぼるのがおそくなりました。

夕陽がおりるのははやくなりました。

朝の「秋」の陽射しは

窓越しにも「まばゆい」

くらいです。

夕暮れの「秋」の陽射しは

「はしりおえた」

「陸上競技の選手」のようです。

つかれて。けれども充実して。

くれてゆきます。

空の明るい秋の夜になりました。

まことに。

冬来たりなば春遠からじ。

ふゆきたりなば

はるとおからじ

(出 典は。

 イギリスの詩人シェリー*の

『西風に寄せる歌』の一節。

英 語の原文: 

If winter comes,

can spring be far behind? )

「英国:United Kingdom UK」のロマン派の
詩人は。「御自分」のテーマの「鳥」を
紋章のようにもっています。
英国ロマン派の詩人は、
それぞれ愛好し、崇拝する鳥を持っていました。

ジョン・キーツは、
「夜鶯」(ほととぎす)の神秘的な声に魅惑され。
夜の闇に響くその歌声を主題に詩を書いています。

ワーズワースにとって、詩の霊感をもたらし、
彼に生きることの喜びを教えてくれる鳥は、
「郭公」(かっこう)でした。

パーシー・シェリーは「雲雀」(ひばり)の声に魅惑され。
ひばりを崇拝する鳥として。
主題とした詩を書いています。

「夏」から「秋」への

移り変わりは

二階から。

「かけあし」の足音の。

とんときこえぬ。

「空き家」のような。

「うつろいかた」でした。

二階から。

「かけあし」の足音がきこえない。

まるで「かげろう」

の「たたずまい」のように。

季節がうつろいました。

「9月」の初秋がおわり。
「名月中秋10月もおわり」ました。
「11月」。

「11月」もおわりました。
「12月」もおわりました。
「新年」「初春」の「1月」もおわり。
「2月」「晩冬」もおわりました。
「春」「夏」がおわりました。

「夏」から「秋」への移り変わりは

「かげろう」のようにうつろいでいきます。

「秋」はひそやかにと。

こっそりと。ゆっくりと。

しのびあしで。あるいて来ます。

そしてゆっくりと。

「冬」にむかってまで

あるいて去って行くようです。

だから。

「秋」をまつのであれば。

「秋」がひそやかに。

しのびあしで。

歩いてくるのをまたなければ。

なりません。

「秋」がくるのをまつのであれば。

すぎさる「夏」がゆっくりと。

しのびあしで。

歩いていくのをまたねば。

なりません。

「かぜのおとに*」おどろかされるまで。

またねばなりません。

秋きぬと目にはさやかに見えねども 

風の音にぞおどろかれぬる

(藤原敏行・古今集169)

もう「秋」ですね。

「秋」はゆっくりとあるいてやってくる。

「秋」がひそやかにかくれてやってくる。

さきのことすぎるかもしれないが「来年」。

このように「時」のうつろいを

心はせれば。

考えると「おそろしいもの」です。

考えなければ。
「なおおおそろしい」
ものであるものかもしれない。

「考えずにいるつけ」がまわって
くるからかもしれません。

「来年」のことを考えれば。

「鬼」が笑う。

「来年」のことを考えずに。

すむのであれば。

「鬼」は

笑わないのでしょう。

「鬼」とはなんだろう。

「日本以外の国」には。

「鬼」という「怪物?」は。

存在しないのであろう。

今日の深夜早朝03:15amには。

久方ぶりに。

大きな「秋」の「星空」がみえました。

早朝くらいうちは。

空に月。

「お月様」が「雲のじゅうたん」に。

天高くにねそべって。

かさををさしている。

ようです。

「秋」の「夜空」の。

「おぼろ月夜」です。

「オレンジいろの月」でした。

06:00amころ日があければ。
まだまだくらい朝日を背に。
西のコバルトの空高く明るい。
とても高い成層圏近くの高い高度に。

西のコバルトの空高に。
「刷毛」でひいたように「絹雲(けんうん)」が
何本も何本も。
描かれて。
たなびいていました。

実に見事な筆捌(ふでさばき)です。
ためらいのない「朝焼け」
「秋」の「朝焼け色」の線描です。

「秋」の朝。

「陽射し」ののぼるころは。

「西」の空

のほうが明るいのです。

朝が明けて午前になれば。

まばゆいほどの。

「秋」のひざしが。

陽がのぼる。

東から。

窓のカーテンと。

木々の合間をぬって。

「さあ 外においで!」

とさそうがごとく。

大きな声で。

よびかけてくるようです。

ハーメルンの笛吹き男のようです。

高い成層圏近くの高い高度に。
「刷毛でひいたように」「絹雲(けんうん)」
の端には渦巻きのような「ぬけあな」があり
「さらなる遠方の青空」が透けてみえます。

さながらにして。
東山魁夷画伯の描かれた大きな壁画。
大きな屏風絵の世界。

東山魁夷画伯の描かれた大きな絵画を
彷彿とさせますです。

東山魁夷画伯。
「よくえがかけた画伯です」。

この「あおぞら」をみていると。

陽のひかりをみていると。

とても

信じられないくらいに。

元気がわいてくることに。

気が付きました。

「太陽」の「陽射し」。

「陽」の「めぐみ」は。

なんと。

ありがたいことだろう。

なんと尊いことだろう。

そら一杯の青空の

天井(てんじょう)と。

「太陽のひかりのひざし」は。

「生きとし生けるもの」にとって。

なによりもの。

まことの。

「めぐみ」です。

それを戴けるのは。

「よろこび」おおきこと。

「太陽のひかりのひざし」は

「いのちへのめぐみ」。

「いのちのよろこび」。

ありとあらゆる「生命」「いのち」をはぐくみ。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をたたえる。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をなぐさめる。

「生きとし生けるもの」の「いのち」に。
さらなる。
「はるかかなた」までの。
「いきるちから」をさずけるものです。
「太陽」。

ありがたいものです。

はやいものです。
ときのたつのは。
はやいものです。

そしてふと考えれば

去年も
「12か月」が
終わりました。

中秋から晩秋にうつろい。
「寒月」の「12月」がおわり。
新年の「1月」がおわり。
「晩冬」の「2月」がおわり。
「初春」の「3月」「4月」がおわり。
「夏」「8月」がおわり。

今は「9月」。

「秋の花」の花の花びら。

ひろって。
手のひらにかかげれば。
「秋の花」の花のかおりは。
プラチナ色の香りが
致します。

今は。
「秋の花」が。
蕾をふくらませています。
「秋の花」の。

はながは鐘袖(ベル・スリーブ)のように。
ふくらんでいます。

「秋」の花の「はなびら」が。

闇夜のあいだに。

朝の早朝まだ。

「花」にもきがつかぬうちに

また地に舞い下りています。

「秋の花」

には。

ひとのよの。

「人のいのち」の。

「こたえ」があるような

気が致します。

ふと野の花は。

一般的には。

香らない花が。

多いことに気づきました。

伊藤左千夫の「野菊の墓」の「野菊」は。
矢車菊 (やぐるまぎく)
はとても綺麗なむらさきの「のぎく」です。
けれども「のぎく」は香りません。
(Corn lower, Bachelor's-button)です。

因みに
最高級の(今はもうとれない)
インド・カシミール地方で産出されたの
サフアイアの色は

「矢車菊色:やぐるまそう色」といわれます。

「カシミール・ヴァイオレット」。

麦畑やとうもろこし畑の中に 咲いていたことから。
「コーン・フラワー」=「野菊」(Corn lower)
です。

別名 「矢車草(やぐるまそう)」
といわれることがあります。

実は「矢車菊 (やぐるまぎく)」と
「矢車草(やぐるまそう)」まったく違う植物です。
矢車菊 (やぐるまぎく)が「野菊」。
「矢車草(やぐるまそう)」は「高山植物」。

「野菊」は春から夏にかけて咲くむらさきの花です。

古代エジプトのツタンカーメン王の墓 からも
発見された由緒正しき「野菊」。
色は紫。むらさきです。

ツタンカーメン王の。

まだ幼な子王妃が。

「亡きツタンカーメンンに野菊の花束ささげるけなげな姿」
が鮮烈に眼に浮かびます。

この「花」が。

「野菊」です。

「野菊の墓」の「野菊」。

けれども。

「野菊」は

香らない。

毎朝暗い早朝と。

うす暗くなる午後6時ころには。

「季節風」が

ふいている。

「季節風」がかわりばんこに。

あちこちで

「ろうろう」「こうこう」とないています。

「秋かぜ」の
「季節風」の
の「コーラス」を聞いていると。

ふと。

「この「秋」におびえるひと」の気配が
脳裏をはしりました。
はてだれだろう。

うら若き乙女。
貧しさに。
苦労に苦労をかさねて。
苦しんで苦しんだ苦しんだあげくに。
24歳にして世を去った
「樋口一葉」。

樋口一葉の
「秋」ではあるけれども。
「うらわかき」「「冬」と「春」の短歌」がきこえるようです。

散たまるふもとの落葉わけて思ふ
埋もれぬべきは雪の山里

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ
うもれぬへきはゆきのやまさと

庭の面につもる紅葉の色見れば
散りての後もにしきなりけり

にわのおもにつもるもみしのいろみれば
ちりてのあともにしきなりけり

世の中の秋にあはじとおくれけん
一もと野ぎく思ひあがりて

よのなかにあきにあはしとおくれけん
ひともとのきくおもひあがりて

折々に散るものどけし春雨の
はれたる軒の山桜ばな

おりおりにちるものどけしはるさめの
はれたるのきのやまさくらばな

わが園のものとおもへば初わかな
はつかなれども嬉しかりけり

わがそののものとおもへばはつわかな
はつかなれどもうれしかりけり

立ち渡る霞をみれば足引きの
山にも野にも春は来にけむ

たちわたるかすみをみれはあしひきの
やまにものにもはるはきにけむ

わたつ海の波のいづこに立ち初て
果なくつゝむ春の霞ぞ

わたつみのなみのいづこにたちそめて
はてなくつつむはるのかすみぞ

さざ波やしがの都のいにしへの
おもかげうすく立つ霞かな

ささなみやしかのみやこのいにしえの
おもかけうすくたつかすみかな

鶯のけさおとづるゝ声聞て
はじめて春の心地こそすれ

うくいすのけさおとつるるこへききて
はしめてはるのここちこそすれ

うれしくもわがものにして聞てけり
このあかつきの鶯の声

うれしきもわかものにしてきこへけり
このあかつきのうくいすのこへ

のどかなるけさの雨にやはるの野の
みどりも色まさるらむ

のとかなるけさのあめにや
はるののの
みとりのいろもまさるらむ

おくれたる友の為にとしをりして
谷間の蕨折り残しけり

おくれたるとものためにとしをりして
たのまのわらひおりのこしけり

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ

うもれぬへきはゆきのやまさと

にわのおもにつもるもみしのいろみれば

ちりてのあともにしきなりけり

よのなかにあきにあはしとおくれけん

ひともとのきくおもひあがりて

-------------------------------

おりおりにちるものどけしはるさめの

はれたるのきのやまさくらばな

わがそののものとおもへばはつわかな

はつかなれともうれしかりけり

たちわたるかすみをみれはあしひきの

やまにものにもはるはきにけむ

わたつみのなみのいづこにたちそめて

はてなくつつむはるのかすみぞ

ささなみやしかのみやこのいにしえの

おもかけうすくたつかすみかな

うくいすのけさおとつるるこへききて

はしめてはるのここちこそすれ

うれしきもわかものにしてきこへけり

このあかつきのうくいすのこへ

のとかなるけさのあめにや

はるののの

みとりのいろもまさるらむ

おくれたるとものためにとしをりして

たのまのわらひおりのこしけり

「24歳」の「とても貧しい乙女」の。

「夏」によろこび。

「夏」にもおびえおののく。

隠したくはない「乙女のほこり」

けれども。

隠さざるを得ぬ「乙女のほこり」

かなしさの。おもかげと。

光さす。輝きと。

お若い「御婦人」の「知」「智」が。

ほこりたかくも。

そしてはかなくも。

「ひしひし」とよみとれます。

「秋」の女神(めがみ)の。

「竜田姫(たつたひめ)」の

「秋」になりました。

これからは日は。
陽は次第にみじかくなる。
日が短くなる。
朝は明けるのは遅くなり。
夕に暗くなるのは早くなる。

しだいに陽がみじかくなる。
なぜか。
不思議なやさしさ。
やすらぎと。
心やすらかなる
安堵感をかんじます。

心やすらかなる
安堵感をかんじます。

けれども。
「安堵」と「落胆」は。
常に表裏一体。
両羽(もろば)の剣。

「ぬかよろこび」の「ぬか」のような
ものです。

「ながくなる陽」も両羽(もろば)の剣を
持っています。

そして。
季節には「大気の音色(ねいろ)」もあるようです。

朝空は
陽ははるかに天高く。
空色はミルク色です。
クリームのかかった雲空です。

東京都世田谷区山本クリニックの庭園には

「えどむらさき」という「つつじ」
が「何本」もはえています。
野生種に近いものです。
大きな真紅紫の花を咲かせます。

「つつじ」ですから
盆栽の「皐月:さつき」のような
繊細さはみえません。

この「9月」になり。
森山を分け入ると。

木々の根元に隠れ咲く。
だいだい色の花の花のごとくに紅葉したまま
しもがれする
「やまはぜの葉木」が「大好き」です。

「やまうるしの紅葉」もかわいらしく。
「大好き」です。

身の丈以上ほどにもなって群生する。
野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
が。
病院の林の一角に野生のまま
おいしげっています。

野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
のパープルの真珠が群れたように実る
「実りの木の実」の風にそよぐ音色には。
おどろかされます。

あけびつたもうれしい。
あけびの「実」がみつかればなおなおうれしい。

またたびをみつけました。
根元にねこにかじられきずがある。

里山の冬の時期から。
そして初春の里山の季節
になりました。

四季の歩みの春夏秋冬のうつろいは
メトロノームの「あゆみ」を
感じさせます。

この「あゆみ」の「質量」は
とてもとても高いです。
質量があれば。あたかも。
重力のように。
四季のリズムにひきよせられていく。
そのような感じがします。

四季の歩みの春夏秋冬は。
フアジーでいてなお着々。
確実な「リズム」を感じます。

ここに。
「メロディ:旋律」とハーモニー:和声」
がくわわれば「音楽の三要素」。
音楽と同じです。

草花や草木につつまれた自然は。
「音楽」と同じように
ひびきとして聴こえます。

自然は
「しぜん」の
「ヴィルトオーゾ」と
「ヴィルトゥオーサ(virtuosa)」
*です。

この「自然のフイルハーモニウム」の。
指揮者は。
太陽なのか大地なのか人なのか。

或は音色をかもし出す自然はオーケストラ
であるのか。
ソリストなのだろうか。

私の尊敬する「合衆国USA」の
女性で小説家(「ノーベル賞受賞者」)
「パール・サイデンストリッカー・バック
(Pearl Sydenstricker Buck)
中国名、賽珍珠(サィ・チンシュ)」
パールバックの「大地」に
その「こたえ」が示唆されています。

古代より芸術家が
自然を音楽や絵画や彫刻
で表現しようとした気持ちが良く判ります。

*ヴィルトゥオーソ(virtuoso)は、
「博識、達人」を意味するイタリア語の男性名詞である。
複数形の場合はヴィルトゥオーシ(virtuosi)
、女性形はヴィルトゥオーサ(virtuosa)となる。
ラテン語のvirtus(「男らしさ」「美徳」「至高」の意)を語源とし、元来は「有徳の」「誉められるべき」
を意味する形容詞の男性形であった。

実際の楽曲ではこの三要素は。
密接に音楽的に結びつきひとつの楽曲をなします。

但し音楽の「リズム・メロディ・ハーモニー」は
一つだけを明確に取り出せる「成分」というわけ
ではありません。

また「音楽であるため」に。
三要素が絶対必要ということ
でもないでしょう。

邦楽などではリズム・ハーモニーは
存在しないか希薄である事が多いです。
「音楽」として「欠陥」があるわけ
ではありません。

「リズム・メロディ・ハーモニー」
が西洋音楽の常識ではありえないほど
高度な進化を遂げた音楽も存在致します。

邦楽もその一つです。

大和の国 やまとのくにの自然は。
「大和の国の音楽」と同じように思えます。
聴こえます。

「音楽」は「音」「おと」です。
そして「しらべ」=メロディとハーモニーです。
人類が「この音楽」を「楽譜」として
「寸分たがわず」「譜面」という名の「紙」に
「かくことを完成させた」ということは
大変なことです。

人間は。
人類は。
わずか「400年」で。

「音楽の旋律」に対する「楽譜」を。
「あらたな言語」を
完全に「完成」させたことになります。

まさにミューズの神の「神業かみわざ」です。

木々のめぶきの
冬なおも。
ますます力強い息吹を感じます。

「真夏」をすぎ「冬」になると。
再び「若葉」がみられることに。
きづきました。
「ため息」がでるほど木々の「冬若葉」の
「つどい」は「つよく」「うつくしい」。
雪の上のみどり。

木々のてっぺんは萌黄色から
「ふかみどり」
になりました。
そして「しっかりと樹木として
「冬を迎えた葉束」になりました。
これからは
「深まる冬」がすぎさり「春」。
「開花」の炎が。
樹木の上方で。
「雪の到来」を.
くすぶりてまちわびてています。
たえしのぶ冬の樹木です。

高い木々の穂先は萌黄から若草色に。
うねるなみのように。
木々の新緑は常緑となり冬のおとずれを
伝えていました。

桜は葉桜から「葉木」
道路沿いの「けやき」の木々も
萌黄から若葉。
そして青葉。
どうもうともいえる青葉。
そして見え隠れする「紅葉葉」。
紅葉葉の10枚20枚がひとつひとつ
の樹木にみえるようになりました。
「黄色調」です。
そして今「樹木」は「葉のいろ」をかえ
「宙」に舞おうとしています。

明らかなる。
「冬から春」とはことなる。
「夏から秋」。
「秋から冬」
そして「冬」の「木枯らし」。

木々の四季の。
大気の「色」のうつろい
に気づきます。

今は里山(さとやま)をさまよい。
今は里山(さとやま)をあるきたい。
今は里山(さとやま)の季節。
今は昔々里山(さとやま)であそび。
今は昔々て里山(さとやま)でおぼえ。
今は昔々里山(さとやま)でまなんだ。
今は昔々のその日々の思い出は。
今は黄金(こがね)か。あるいは。
今は銀か。いぶし銀か。
今はもしかしたらプラチナか。
今は思い出色は鉛のように。
今は重さは鉛のようになり。
今は心の奥深くに埋もれて感じられます。

「幸せ色」=「しあわせいろ」

ならばよいです。

けれども
早朝は非常にあたたかくなりました。

やま中さまよいて
やま中をわけいらば
やま中大樹の根元に隠れたり
やま中あけぼの色のちひさき炎(ほのほ)
やま中みつけたりやまの秋の華。
やま中やまの秋葉木のかくれんぼ
やま中大樹の根元に隠れたり
山はぜの葉木。
やま中やまうるしの葉木。
やま中あきやまはぜとふるやまうるし。
「はだか木」。
元気な木。たくましき木。

山萩(やまはぎ)の
花をかくして燃えたたむ
あきに実りの祭りなり
あき山はぜの葉炎
あき天高く燃ゆ

やまはぎの
はなをかくしてもえたたむ
きせつにみのりのまつりなり
きせつやまはせのほのほ
きせつてんたかくもゆ

ひろくなりけり空(そら)たかし
さとやまに木々のみどり木
こもれびうけて燃えるがごとし
みどりの炎(ほのほ)
ほのほうちけさむかすみはあおし
ほのほにかすみにただよひて
うるわしくかがやきたり
あたたかくかおりたり
あざやかなりけり 
やまさとのやまみどり
やまさとのふかみどり

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
は「英国:United Kingdom UK」の
「風景画家」
天才画家ですが「緑」が大嫌い
で「黄色」が「大好き」。
「木」をかくのを非常にいやがったそうです。

多分ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
が「修行時代」に「お金にために
「どこの国も同じですが」
「名所絵」をかかされたときの
「反動」ではないかと
今の私は考えます。

「大きな夏みつけた」

から

「夏がすぎてて真秋間近い」

「小さな秋みつけた・。」

そして

「小さな冬みつけた」

そして

「大きな冬みつけた」。

そして

「小さい春」がみつかって。

しだいにおおきな。

「春」になりました。

「夏」がちかづく「八十八夜」

今はふたたび「秋」。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成21年01月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年2月11日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年3月20日(金曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年7月20日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年8月14日(金曜日)と15日(土曜日)
の「二日間」
は病院の医療コンピューターの更新のため。

診療ができないので二日間「休診日」になります。

平成21年8月13日(木曜日)まで平常どおり。
平成21年8月18日(日曜日)から平常どおり。
はおわりました。
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平成21年9月21・22・23日
(月曜日)(火曜日)(水曜日)
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年10月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
++++++++++++++++++++++

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらず
インフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。

「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。

フレミンングの発見した抗生物質ペニシリン
は「当時はきわめて貴重なもの」であり。

感染症から命を救うこの「奇跡の抗生物質」は
「ごくわずか」しか作れなかった。

このペニシリンの「大量生産」の「テクニック」を
発見開発し。
その結果として。
数多くの患者さんの「命をすくううことになった」
病理学者。

これにより
「ノーベル生理学・医学賞」受賞
にいたったが。

授賞式の「席上の公演」で。
「われわれがペニシリンの大量生産」を行ったのは
「人々をたすけるためではない」。
純粋に科学的興味からである」
と「奥深い発現をしたこと。で有名な
オーストラリアの病理学者。

この時代から「画期的な抗生物質のような薬物」
は自然の摂理に
反すると考えていた病理学者。
(彼の予想は的中し。薬剤耐性の獲得により
抗生物質の単純ペニシリンは
今現在は効く細菌はいません)

またオーストラリア国内で
「歴史上もっとも偉大なオーストラリア人」
にえらばれた病理学者。

1898年 - ハワード・フローリー、病理学者(+ 1968年)
の生誕日です。

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ハワード・フローリー
:Howard Walter Florey、
1898年9月24日 - 1968年2月21日)は。

ペニシリンの抽出により
エルンスト・ボリス・チェーン、
アレクサンダー・フレミングとともに
1945年度のノーベル生理学・医学賞を。

受賞した生理学者です。

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ハワード・フローリー:Howard Walter Florey
は。
南オーストラリアのアデレードで5人兄弟の末っ子として
生まれました。

セントピーターズ・カレッジでは優秀な成績でした。
アデレード大学へ進学し、1917年から21年まで学びましだ。

この大学で、彼は後の妻で共同研究者になる
エセル・リードと出会いました。

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ハワード・フローリー:Howard Walter Florey
は。

奨学生としてオックスフォード大学の
マグダレン・カレッジで研究を行いました。

ここで学士号、修士号を取得致しました。

そして1926年にケンブリッジ大学の
ゴンヴィル・アンド・キーズ・カレッジの
フェローとなり、1年後に博士号を取得致しました。

++++++++++++++++++++++

ハワード・フローリー:Howard Walter Florey
は。
アメリカでの研究生活が終わると。

彼は1931年にシェフィールド大学の
生理学の教授になりました。
1935年に再びオックスフォードに戻りました。

リンカーン・カレッジの研究長となりました。

1938年、エルンスト・ボリス・チェーン、
ノーマン・ヒートリーとともに。

アレクサンダー・フレミングの論文を読み。
「アオカビ」の「一種」である
「Penicillium chrysogenum:ペニシリウム・クリソゲーヌム」
の「抗菌活性の実態」について研究致しました。

++++++++++++++++++++++

ハワード・フローリー:Howard Walter Florey
の。
彼らの研究チームはカビ由来の生成物質を
大規模に探索致しました。

このなかから抗菌活性のある成分を抽出致しました。

そして1945年第二次世界大戦中に
ペニシリンの工業生産に成功致しました。

しかしフローリーはこの発見は
「科学的なメリットしかない」と考えていました。
++++++++++++++++++++++

ハワード・フローリー:Howard Walter Florey
の「考え」は。

「人々はしばしば、我々は人類の苦しみを救うために
ペニシリンを研究したと考えているが、
我々の心には人々の苦しみを救うという
気持ちはなかった。

あくまでも科学的な興味からであり、
医学的に見て満足いく結果が得られた。
しかしこれは我々が研究を始めた動機ではない。 」

記載されています。

++++++++++++++++++++++

ハワード・フローリー:Howard Walter Florey
は。
彼はまた、
公衆衛生の向上による人口増加に関心を持っておりました。
避妊の忠実な信者でありました。

1962年、彼はオックスフォード大学の
クイーンズ・カレッジの総長となりました。

総長在任中に彼の功績を讃え
てフローリー・ビルと呼ばれる宿泊棟が作られました。

この建物はイギリスの建築家である
ジェームズ・スターリングによって設計されました。

++++++++++++++++++++++

ハワード・フローリー:Howard Walter Florey
は。

フローリーは1944年にナイトに叙せられました。
1965年にはオックスフォードシャー州の
一代貴族に任じられました。

これはナイトに叙せられた
「Penicillium chrysogenum:ペニシリウム・クリソゲーヌム」
の発見者のフレミングよりも
大きな名誉となりました。

++++++++++++++++++++++

ハワード・フローリー:Howard Walter Florey
は。
フローリーは1959年に王立協会の会長に選ばれました。

妻のエセル死後は。

長年の共同研究者であり助手であった
マーガレット・ジェニングスと1967年に再婚致しました。

1965年から68年までオーストラリア国立大学の総長を務め
ました。

そして1968年に心臓発作で死去致しました。

++++++++++++++++++++++

フローリーはオーストラリアの
科学、医学界において最大の科学者だと目されています。

オーストラリアで最長在任期間の首相である
ロバート・メンジーズは次のように語っています。

「世界の幸福という面で考えると、
フローリーはオーストラリア史上最も偉大な人物である」

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フローリーの肖像は、
長年50オーストラリアドル紙幣に使われていました。

またキャンベラ郊外には彼の名前にちなんだ街があります。

さらにメルボルン大学の
ハワード・フローリー研究所や
アデレード大学医学部の
最も大きな講堂も彼の名前を取っています。

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2004年、テレビの特別番組で。

最も偉大なオーストラリア人に
選ばれました。

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「続きを読む」=>*

++「続きを読むです1」++++++++++++++++++

ハワード・フローリー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC

ノーベル賞受賞者
受賞年:1945年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:ペニシリンの発見、
および種々の伝染病に対するその治療効果の発見

ハワード・フローリー:Howard Walter Florey、1898年9月24日 - 1968年2月21日)はペニシリンの抽出によりエルンスト・ボリス・チェーン、アレクサンダー・フレミングとともに1945年度のノーベル生理学・医学賞を受賞した生理学者である。南オーストラリアのアデレードで5人兄弟の末っ子として生まれた。セントピーターズ・カレッジでは優秀な成績でアデレード大学へ進学し、1917年から21年まで学んだ。この大学で、彼は後の妻で共同研究者になるエセル・リードと出会った。

奨学生としてオックスフォード大学のマグダレン・カレッジで研究を行い、ここで学士号、修士号を取得した。そして1926年にケンブリッジ大学のゴンヴィル・アンド・キーズ・カレッジのフェローとなり、1年後に博士号を取得した。アメリカでの研究生活が終わると、彼は1931年にシェフィールド大学の生理学の教授になった。1935年に再びオックスフォードに戻り、リンカーン・カレッジの研究長となった。1938年、エルンスト・ボリス・チェーン、ノーマン・ヒートリーとともにアレクサンダー・フレミングの論文を読み、Penicillium chrysogenumの抗菌活性について議論した。彼らの研究チームはカビ由来の生成物質を大規模に探索し、抗菌活性のある成分を抽出した。そして1945年第二次世界大戦中にペニシリンの工業生産に成功した。しかしフローリーはこの発見は科学的なメリットしかないと考えていた。

人々はしばしば、我々は人類の苦しみを救うためにペニシリンを研究したと考えているが、我々の心には人々の苦しみを救うという気持ちはなかった。あくまでも科学的な興味からであり、医学的に見て満足いく結果が得られた。しかしこれは我々が研究を始めた動機ではない。
彼はまた、公衆衛生の向上による人口増加に関心を持っており、避妊の忠実な信者であった。1962年、彼はオックスフォード大学のクイーンズ・カレッジの総長となり、総長在任中に彼の功績を讃えてフローリー・ビルと呼ばれる宿泊棟が作られた。この建物はイギリスの建築家であるジェームズ・スターリングによって設計された。

フローリーは1944年にナイトに叙せられ、1965年にはオックスフォードシャー州の一代貴族に任じられた。これはナイトに叙せられた発見者のフレミングよりも大きな名誉となった。

フローリーは1959年に王立協会の会長に選ばれた。妻のエセル死後は、長年の共同研究者であり助手であったマーガレット・ジェニングスと1967年に再婚した。1965年から68年までオーストラリア国立大学の総長を務め、1968年に心臓発作で死去した。

フローリーはオーストラリアの科学、医学界において最大の科学者だと目されている。オーストラリアで最長在任期間の首相であるロバート・メンジーズは次のように語っている。「世界の幸福という面で考えると、フローリーはオーストラリア史上最も偉大な人物である」

フローリーの肖像は、長年50オーストラリアドル紙幣に使われていた。またキャンベラ郊外には彼の名前にちなんだ街がある。さらにメルボルン大学のハワード・フローリー研究所やアデレード大学医学部の最も大きな講堂も彼の名前を取っている。

2004年、テレビの特別番組で最も偉大なオーストラリア人に選ばれた。

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++

9月24日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/9%E6%9C%8824%E6%97%A5

できごと
1730年(享保15年8月13日) - 堂島米会所(大坂)の設置が江戸幕府より公式に認可される。
1789年 - ワシントン・アメリカ大統領、13人を保安官に任命、連邦保安官誕生。
1872年 - メートル法制定委員会がメートル原器を制定。
1877年 - 西南戦争終結、西郷隆盛らが自刃。
1920年 - 東京帝国大学が女子聴講生の入学を許可。
1938年 - ドン・バッジがテニスの四大大会を制覇。初のグランドスラム。
1948年 - 本田技研工業が設立。
1949年 - インド首相のジャワハルラール・ネルーから贈られたゾウ・インディラが上野動物園に到着。
1960年 - アメリカが建造した世界初の原子力航空母艦「エンタープライズ」が進水。
1960年 - 国際開発協会(IDA、第二世界銀行)設立。
1965年 - 国鉄が、コンピュータによる指定券発売窓口「みどりの窓口」を開設。
1966年 - 天草五橋開通。
1970年 - ソ連の無人月探査機ルナ16号のカプセルが月の土を乗せて地球に帰還。無人機で月の土を回収した最初の例。
1973年 - 小澤征爾がボストン交響楽団の常任指揮者に就任して初コンサート。
1973年 - ギニアビサウがポルトガルからの独立を宣言。
1996年 - 一切の核実験を禁止する「包括的核実験禁止条約」に65か国が署名。
1998年 - 横浜ベイシェラトンホテル&タワーズが横浜市西区に開業。
1999年 - 台風18号が熊本県に上陸し、日本海を北上。高潮被害で死傷者が多数出る。
2000年 - シドニーオリンピック陸上女子マラソンで高橋尚子が金メダル。
2000年 - イラクのサッダーム・フセイン大統領が石油の決済通貨を米ドルからユーロに変更することを表明。
2000年 - 有楽町のそごう東京店がこの日の営業を最後に閉店となる。
2000年 - 巨人が東京ドームの中日戦にサヨナラ勝ちし、4年ぶりセ・リーグ優勝。
2006年 - 北陸本線の長浜駅〜敦賀駅間、及び湖西線の永原駅〜近江塩津駅間が、交流電化から直流電化に転換される。
2007年 - ジャニーズ事務所のHey! Say! JUMPがコンサートでの結成発表。
2007年 - Folding@homeでPS3が単独で当時のスーパーコンピュータと同等の値である1PFLOPSに到達。
2008年 - 自由民主党の麻生太郎総裁が第92代内閣総理大臣に選出され、麻生内閣が発足。

誕生日
1501年 - ジェロラモ・カルダーノ、数学者(+ 1576年)
1583年 - アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタイン、軍人(+ 1634年)
1709年 - ジョン・クレランド、小説家(+ 1789年)
1755年 - ジョン・マーシャル、第4代アメリカ合衆国国務長官(+ 1835年)
1878年 - 千葉亀雄、評論家・ジャーナリスト(+ 1935年)
1884年 - イスメト・イノニュ、トルコ共和国第2代大統領(+ 1973年)
1884年 - ジョニー・ハイケンス、作曲家(+ 1945年)
1885年 - 嶋田繁太郎、軍人(+ 1976年)
1893年 - 池田豊、元プロ野球審判(+ 1952年)
1896年 - スコット・フィッツジェラルド、小説家(+ 1940年)
1898年 - ハワード・フローリー、病理学者(+ 1968年)
1901年 - 服部之総、歴史学者(+ 1956年)
1902年 - ルーホッラー・ホメイニー、イラン革命指導者(+ 1989年)
1906年 - 宇都宮徳馬、政治家(+ 2000年)
1911年 - コンスタンティン・チェルネンコ、ソビエト連邦最高会議議長(+ 1985年)
1911年 - 巌金四郎、俳優(+ 1994年)
1913年 - 田邊圀男、政治家(+ 2005年)
1913年 - 高田誠、画家(+ 1992年)
1921年 - 村上弘、政治家(+ 2007年)
1923年 - 加藤進、元プロ野球選手
1925年 - 辻邦生、小説家(+ 1999年)
1927年 - 長新太、絵本作家(+ 2005年)
1927年 - 加山又造、画家(+ 2004年)
1929年 - 大平透、声優
1931年 - マイケル・クレスニック、元プロ野球選手
1934年 - 筒井康隆、小説家
1934年 - ジョン・ブラナー、SF作家(+ 1995年)
1934年 - 木村保、元プロ野球選手(+ 2005年)
1936年 - 根来広光、元プロ野球選手
1943年 - 平井正則、天文学者
1945年 - 三好幸雄、元プロ野球選手
1946年 - 田淵幸一、元プロ野球選手・監督・野球解説者
1947年 - 山岸凉子、漫画家
1951年 - 神田康秋、テレビ新広島アナウンサー
1954年 - 仲根正広、元プロ野球選手(+ 1995年)
1955年 - のむらしんぼ、漫画家
1956年 - 剛州、俳優・お笑いタレント
1957年 - 鈴木啓正、プロボクシング・トレーナー
1958年 - 奥山治郎、実業家
1959年 - 稲葉なおと、紀行作家、一級建築士、写真家
1960年 - 川原泉、漫画家
1962年 - 石巻ゆうすけ、関西テレビアナウンサー
1962年 - KAN、シンガーソングライター
1963年 - 古川利行、元プロ野球選手
1964年 - ラファエル・パルメイロ、元メジャーリーガー
1966年 - 定詰雅彦、元プロ野球選手
1967年 - 麻見順子、声優
1967年 - 甲斐谷忍、漫画家
1968年 - 羽田美智子、女優
1969年 - 田原健一、ミュージシャン(Mr.Children)
1969年 - 有働克也、元プロ野球選手
1970年 - 高岡寿成、マラソン選手
1970年 - 一青妙、女優、歯科医師
1971年 - ケビン・ミラー、メジャーリーガー
1974年 - 大久保伸隆(Sunny-G)、ミュージシャン(元Something ELse)
1976年 - 斎藤恭央(桜塚やっくん)、お笑いタレント・声優
1976年 - ステファニー・マクマホン、WWE副社長
1978年 - 曽山一寿、漫画家
1979年 - 高野貴裕、TBSアナウンサー
1979年 - 細川聖可、声優
1980年 - ポール・スロウィンスキー、キックボクサー
1981年 - タニザワトモフミ、シンガーソングライター
1981年 - 大迫一平、俳優
1982年 - ポール・ハム、体操競技選手
1983年 - 野中信吾、プロ野球選手
1984年 - 二宮歩美、アイドル
1984年 - アンナ・ザドロズニュク、フィギュアスケート選手
1985年 - 城所龍磨、プロ野球選手
1985年 - 梶山陽平、サッカー選手
1985年 - 森下加奈、女優
1985年 - 黛英里佳、モデル
1985年 - 山口沙紀、グラビアアイドル
1986年 - リア・ディゾン、グラビアアイドル
1990年 - 齋藤圭祐、プロ野球選手
1990年 - 高橋由真、ファッションモデル
1991年 - 早乙女太一、俳優
1991年- 山外涼月、テニス選手
1995年 - 徳永えりか、子役
生年不明 - BAN、ミュージシャン(少女-ロリヰタ-23区)

忌日
366年 - リベリウス(en:Pope Liberius)、第36代ローマ教皇
911年 - ルートヴィヒ4世、東フランク王国国王(* 893年)
1143年 - インノケンティウス2世(en:Pope Innocent II)、第163代ローマ教皇
1541年 - パラケルスス、錬金術師・医者・自然哲学者(* 1493年/1494年)
1732年(享保17年8月6日)- 霊元天皇、第112代天皇(* 1654年)
1834年 - ペドロ1世、初代ブラジル皇帝(* 1798年)
1877年 - 西郷隆盛、明治維新の元勲(* 1828年)
1877年 - 桂久武、薩摩藩家老・政治家(* 1834年)
1877年 - 村田新八、薩摩藩士・政治家(* 1836年)
1877年 - 桐野利秋、薩摩藩士・軍人(* 1838年)
1877年 - 池上四郎、薩摩藩士・軍人(* 1842年)
1877年 - 別府晋介、薩摩藩士・軍人(* 1847年)
1923年 - エストラーダ・カブレラ、グアテマラ大統領(* 1857年)
1951年 - 小泉又次郎、政治家(* 1865年)
1975年 - 三隅研次、映画監督(* 1921年)
1992年 - 寺田ヒロオ、漫画家(* 1931年)
2000年 - ガブリエル・バンサン、絵本作家(* 1928年)
2002年 - 鮎川哲也、推理作家(* 1919年)
2003年 - 芦原義信、建築家(* 1918年)
2004年 - フランソワーズ・サガン、作家(* 1935年)
2006年 - 丹波哲郎、俳優(* 1922年)
2006年 - 吉田玉男、人形浄瑠璃文楽人形遣い・人間国宝(* 1919年)
2007年 - ヴォルフガング・パノフスキー、物理学者(* 1919年)
2007年 - 逢坂浩司、アニメーター、キャラクターデザイナー(* 1963年)

記念日・年中行事
清掃の日(日本、1971年 - )
廃棄物の処理及び清掃に関する法律が施行されたことに由来。

畳の日(日本)
全国畳産業振興会により制定。1年に2回あり、もう1回は4月29日。

南洲忌
西郷隆盛の命日。