「ここをおして」をクリックされてください。

「ここをおして」をクリックされてください。は
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci

(申し訳ございません。今現在整備中ですがこの「画面」
を正しくみるためには
「ブラウザ」の「表示」=>「文字の「大きさ」」を「最小」
に設定されてご覧下さい。)

東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年9月26日(土曜日)

「秋」。

「9月」です。

「秋」の。

「9月」になりました。

「秋」がきた。

「秋」がきた。

どこにきた。

「山」にきて「里」にきて。

「野」に。

「まち」に。

「秋」がきた。

-------------------------------
今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

昨年
「晩冬」の「2月」がおわり。
「春」になりました。

「3月」「4月」「5月」がおわり。
「8月」になりました。
「夏」です。
「6月」=「夏の始まり」です。
「6月」がおわり「7月」です。
「7月」もおわりました。
最後の夏月「8月」。
夏の「8月」もおわりました。

「9月」の「秋」になり。
「9月」がおわりました。
「10月」もおわりました。
「11月」です。
「秋」「11月」が終わりました。

「12月」です。
「冬」になりました。

昨年の「12月」が終わりました。

「新年」の「初春」になりました。
「1月」がすぎ。

「初春」の「2月」がすぎ。

「3月」「4月」「5月」そして「夏の8月」がおわり。

いま「9月」です。

光陰矢のごとし。

野の「秋」

里の「秋」。

「まち」の「秋」。

そして。

みなの「秋」

「野」の「秋」に。

「里山」の「秋」に。

そして。

街(まち)の「秋」。

「みのり」の「秋」に。

なりました。

「ちいさな秋」をこえて。

もっと「大きな秋」を。

むかえようとしています。

いまは。

「里山」の「秋」

「野」の「秋」

「まち」の「秋」

「ふゆ」を「むかえよう」。
「新年」そして「初春」。
「くるとしつき」は
「無我のうちにむかえよう」。
「冬」がすぎたら。
そうしたら「春」をむかえよう。
「春」がすぎたら「夏」をむかえよう。
「夏」がすぎたら「秋」をむかえよう。
自在に「かんがえることなくながれてゆく」。

「自然」の「ときの流れ」は。
真(まこと)の幸せの「しらべ」。

「1月」は去り「2月」。
「2月」は去り「3月」。
「3月」は去り「4月」。
「4月」は去り「5月」。
「5月」は去り「6月」。
そして「7月」「8月」が去り「9月」。

「ひたひた」と。

さらに深まりゆき。

とおりすぎていく「秋」。

「さくさく」とひびく。

日々の過ぎ去る足音は。

「とほとほ」と。

朝早くまだ暗い街中に

聞こえるようにとおざかり。

さってゆく。

そしてまた「新たな季節」が。

かわりにやってくる。

白く柔らかな秋霞の衣をまとう初々しい

「秋」の「竜田姫(たつたひめ)」*

は「夏」をいなして。

「秋」を導きました。

そしていま。

「春」の「佐保姫(さほひめ)」は。

はるかかなたに去り。

「竜田姫(たつたひめ)」の。

「秋」の「9月」になりました。

「秋」の姫君の。

「秋の姫」「竜田姫:たつたひめ」*が。

やさしくみつめています。

「佐保姫(さほひめ)」は春の神です。

五行説では春は東の方角にあたります。
平城京の東に佐保山があるために。
春の神は佐保姫と呼ぶようになりました。

白く柔らかな春霞の衣をまとう若々しい女性です。

竜田山の神で秋の竜田姫と対を成すことになります。

「秋」がきて。

おとづれる

日本の「秋」の女神(めがみ)

「竜田姫(たつたひめ)」。

日本の「秋」の女神(めがみ)

「竜田姫(たつたひめ)」

「どなた」がみつけた「姫君」か。

うるわしき女神と感嘆致します。

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
(Johann Wolfgang von Goethe)
の「魔王:Erlkonig」*は。
「おそい冬の夜」の「嵐のなかを馬駆ける」
「父親」と「子」の情景を描写したものです。

かならずしも「冬の夜」を情景と考えなくても
「魔王」の詩*の
その「魔王」の「おそろしさ」は通じます。


魔王(Erlkonig)が。
どのようなものであるかは様々な議論があります。
その名前は字義的には「ハンノキの王」を意味する。

ゲーテは「ハンノキの王」Erlkonigから。
樹木の精霊の王として。
魔王を設定し想像力を膨らませたものです。

この詩はゲーテによって
1782年の歌劇『漁師の娘』
(Die Fischerin) の一部として作詞されました。

-------------------------------

『魔王』はデンマークで生まれた

「比較的新しい伝承」であると考えられます。

それをヨハン・ゴットフリート・ヘルダーが
ドイツ語に翻訳した『ハンノキの王の娘』
(Erlkonigs Tochter)が
ゲーテの詩の元になっています。

これはヘルダーが1778年に出版し
た『歌の中の人々の声』
(Stimmen der Volker in Liedern)という
民謡を集めた本に収録されています。

魔王(Erlkonig)が。
どのようなものであるかは様々な議論があります。
その名前は字義的には「ハンノキの王」を意味する。
英訳としては。
「妖精の王」(Elf King)がよく用いられます。
それに当たるドイツ語は。
「Elfenkonig」になってしまいます。

よく聞かれる説としては「Erlkonig」は
デンマーク語で妖精の王を意味する
「ellerkonge」または「elverkonge」からの
誤訳だとするものがあります。

しかし。
ゲーテはむしろその「ハンノキの王」から。
樹木の精霊の王として。
魔王を設定し想像力を膨らませたものです。

ドイツおよびデンマークの伝承では
魔王は死の前兆として登場します。
その意味では
「アイルランドのバンシー」
に似ています。

魔王は死に瀕した人物の前に現れます。
魔王の姿かたちや表情がこれから
その人物に訪れる死の内容を表します。

苦しい表情であれば苦しい死であるし
穏やかな表情であれば穏やかな死であるという。
別の解釈としては
妖精の王に触れられた者は必ず死に至るという
伝承が元になったという説もあります。

-------------------------------

今は「9月」の「秋」

早いです。

速いものです。

速いのか早いのか。

はやいのか。

けさ暗いうちに。

地をはうような。

「季節風」の

嵐(あらし)がふきました。

「秋の花」と「季節風」は。

相性が。

よいようです。

もしかしたら逆に。

「秋」の女神(めがみ)の。

「竜田姫(たつたひめ)」と。

「あきのみのり」とは。

相性が。

よいのかもしれません。

暗い朝に。

「秋の花」の花びらが。

夜の間に「季節風」の。

弓風に射られて。

白鷺の羽が舞いおりているようです。

「秋」の。

「季節風」の音は。

宙を舞う前の。

「むささび」の声のような。

「おたけび」。

けれども。

しだいに。

「季節風」は。

「やまりす」の。

歌声のようにかわりました。

「りす」のかわいい鳴き声は。

「ことり」と区別がつきません。

そして「9月」の「秋」。

「季節風」のバラード

「竜田姫(たつたひめ)」のワルツ

が聞こえます。

「季節風」。

「「秋」いちばん」。

今日の朝暗いうちに。
秋の暗闇の地面のうえから。

「早朝に「季節風」の音」
が聞こえました。

不思議な「秋」の「秋かぜ」の音」。
「鳴き声」のようです。

いつしか。
「季節風」と。
「「秋かぜ」の音」だけになりました。

「秋かぜ」と
「季節風」は。
早朝暗いうちにふくものである
ことがわかります。

「絵」にかきたい「音」なのです。

面白いが「おそろしい」情景であるような気も致します。
しいてこわい光景をおもいうかべるのであれば

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
(Johann Wolfgang von Goethe)
の「夏」の「魔王」のようになるのでしょう。

「秋」の声。
「こうこう」と鳴く。
「季節風」
の風音がくわわっていきます。

その「季節風」の音の。
背景に流れる「通奏低音:Generalbass;ゲネラル・バス」*
「はるのはるかぜ」のこえは。
暗闇の「はるの足音」のように聞こえる。
あかるい「夏」の日に。
「陽射しの降るまち」では。
「足音だけが遠ざかっていく」「足音」

「とぼとぼ」
にしだいに重複してきました。
「秋」のあさの「あしおと」と。
「さむさ」のさるあしおとの。
そして「夏」のあしおとの。
「フーガ」と「カノン」。
「季節風」はトッカータ。
「なついちばん」は「フーガ」と「カノン」。

-------------------------------

通奏低音(つうそうていおん)とは
バロック音楽において行われる演奏形態の一つです。
低音部の旋律とともに即興的な和音を付け加えて演奏する形態です。
イタリア語のバッソ・コンティヌオ(Basso continuo)

の訳語です。
伴奏楽器が間断なく演奏し続けるということからこの名があります。
略してコンティヌオと呼ぶことも多いです。
ドイツ語のゲネラルバスも使われることがあります。

-------------------------------

常緑の木々の深冬葉のいろ。
緑がますますあざやかに。
深まる秋におちついて。
考えるが如く
「ロダンの彫塑」の色合いです。

常緑の木々の葉は。
深緑(ふかみどり)になりました。
そして「秋」をむかえて。
「秋緑」のいろあいに
うつろいできました。
もう「緑をうつろいて」
さすがにつかれた黄赤色の葉もみえます。
枯れ葉も樹木のにぎわいです。木々の防熱衣としては
なくてはならないものです。
「秋」をむかえます。

「秋」の夜明(よあけ)の空から。
「秋」の陽がのぼり。
「秋」の日の「空色」になってきました。

けれども。
朝暗いうちはミルクのはいった
コバルトのような
カフエ・オレ・コバルトの空色です。
そして雲は天高く「秋」の雲です。

あさの05:30AMころに。

東の空
さやかににあかるく
まだくらくあおく
しだいに
雲多い空はラピズラズリからトルコ石
のようににうつろうように。
しらんできます。

その上空にさらに。
明らかなる大きな質量のある。
「深まる「秋」の気配」を感じます。

野路はた見たりビロードのしだ
わらべのごときビロードのしだ
わらびのごとく輝けりビロードのしだ
山奥にひそむビロードのしだ
しのぶの羊歯(しだ)ビロードのしだ
めずらしき羊歯ビロードのしだ
ときわの緑のほのほビロードのしだ
山奥のしだのビロードのしだ
「まち」にもいきるビロードのしだ
けなげなりもあはれなりビロードのしだ
生い立ちしらずビロードのしだ
されどそのちからこそとほとしビロードのしだ

「秋」きたれり。

「秋」いざいまこそは

「秋」よき季節にあらむ

「秋」ふと空をみる

おとたかき

換気扇より

なかれいる

ひともとのむしの声こそ

さわやかなりし

今時にもかかわらず放射冷却で
朝はとても寒いが。
「ぬくもり」はある。

確実に日は長くなりました。
葉木(はき)の樹木は「木」にかわり。
秋の木から「冬の木」にうつろいさらに
「「夏」の木」から。
「「秋」の木」にうつろう時期
です。

外路樹の若葉は
緑濃くオリーブの葉のごとし
つみとりたくなる
ほどにきれいです。
けれどもひそやかに木々の葉にも
深い「夏」からさらに「秋」。
の気配がうつろいて。
うつります。

そして春の「佐保姫(さほひめ)」
は微笑みをうかべてよそのくにへ
たびだちました。
かわりに秋の「竜田姫(たつたひめ)」
のほほえみがみえます。

まちなみ蒼く(あおく)
いろどりて
木々の榛葉のかがやけり
暑さの夏秋をうつろひて
ふかまるみどりのむろ木なり
しずまるみどりのもえ木なり
みのりの秋こそありがたし
みのりの秋こそこひしかり
秋虫なきてささやけり
春木々は榛葉にかがやけり

道端の野草もかわいらしい。

化粧をして。

春夏秋冬の。

前奏曲の旋律が聞こえます。

早朝は異常な寒さです。

気象予報で
「明日は暖かくなる」と聞いても
朝は気温がさがり大気は不安定です。
「寒い」。
寒いと首都高の自動車も暗い中
「辛そうな運転の車」が多いです。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

平成21年1月12日(月曜日)
は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました

-------------------------------

平成21年2月11日(水曜日)
は祝日です。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年3月20日(金曜日)
は祝日です。
「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
-------------------------------
平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
-------------------------------

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

-------------------------------

平成21年7月20日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
------------------------------

平成21年8月14日(金曜日)と15日(土曜日)
の「二日間」
は病院の医療コンピューターの更新のため。

診療ができないので二日間「休診日」になります。

平成21年8月13日(木曜日)まで平常どおり。
平成21年8月18日(日曜日)から平常どおり。

はおわりました。

------------------------------

平成21年9月21・22・23日
(月曜日)(火曜日)(水曜日)
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
------------------------------

平成21年10月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
------------------------------

★★★

今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

入学式。桜の花。
インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。
再び
「寒さ」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬・春は「厳・春」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の冬場や春はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

草木の周りは。
少しずつ「春夏秋冬」の「四季」を
あゆんでいます。
梅咲き・スミレ咲き。桜咲き。
木々の萌黄から。
眼の青葉。山ほととぎす。そして夏・秋・また冬
がやってくる。

「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬は「厳冬」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の春・冬場はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝

「今日は何の日」は。
私が「大好き」な画家のひとり。
作品はドラクロワなどにも影響を与えて。
ロマン派絵画の先駆者と見なされるが。
画業半ばの32歳で早世したフランスの画家。

「メデューズ号の筏(いかだ)」で有名
な。

1791年 - テオドール・ジェリコー、画家(+ 1824年)
の生誕日です。

++++++++++++++++++++++

テオドール・ジェリコー
:Theodore Gericault,
1791年9月26日-1824年1月26日)は。

19世紀前半に活動したフランスの画家です。
同時代に起きた生々しい事件を題材とした
『メデューズ号の筏(いかだ)』が代表作です。

彼の作品はドラクロワなどにも影響を与え、
ロマン派絵画の先駆者と見なされます。
画業半ばの32歳で早世しています。

++++++++++++++++++++++

テオドール・ジェリコー:Theodore Gericaultの。
ジェリコーの作風は、
古典主義を基本にしたものだが。

生来神話画、宗教画を好みませんでした。

現実社会の描写に深い関心を示しました。

生と死が隣り合わせの極限状態における人間の姿を描いた
『メデューズ号の筏』をはじめとする彼の作品は。

人間存在の本質に迫り、
徹底した写実を追求致しました。

++++++++++++++++++++++

テオドール・ジェリコー:Theodore Gericault
の。

こうした彼の仕事は、
ドラクロワらのロマン主義、
クールベらの写実主義など、
19世紀ヨーロッパの主要な絵画運動の
先駆的存在と位置付けられます。

馬などを題材にして、
激しい動きの一瞬を描きとめた作品には。

印象派などの近代絵画を先取りした部分
も見られます。

++++++++++++++++++++++

ジェリコーは1791年、
北仏ルーアンの裕福な家庭に生まれました。
1796年頃に家族とともにパリに移住致しました。

資産家で弁護士でもあったジェリコーの父親は。

息子が画家以外の安定した仕事に就くことを望みました。
ジェリコーは絵画への情熱を捨てきれませんでした。

1808年、
カルル・ヴェルネという画家に弟子入り致しました。

++++++++++++++++++++++

テオドール・ジェリコー:Theodore Gericaultは。

画家としてのジェリコーは、
古代の神話や聖書の物語よりも身の回りの
現実を描くことに関心を示しました。

特に馬に対する関心は並々ならぬものがあり。

生涯にわたって馬を題材にした作品を多く残しています
(現存している素描やスケッチから。
馬が走るときの脚の動きを正確に知っていたことが伺えます)。

師のヴェルネは、馬や騎馬人物像の画家として
当時の第一人者と言われた人物でした。

ジェリコーは師の描く馬は単なるきれいごとであり、
動物としての躍動感に欠けていると感じていました。

++++++++++++++++++++++

ヴェルネのもとを去ったジェリコーは、
1810年から1811年にかけて
ピエール・ナルシス・ゲランという画家に師事致しました。

ゲランはナポレオンの肖像画で有名な
新古典主義の巨匠ダヴィッドの流れを汲む大家でした。

ジェリコーはこの師にも満足せず、
ルーヴル美術館に通って。

ティツィアーノ、ルーベンスら過去の巨匠たちの作品を
師とするようになりました。

++++++++++++++++++++++

テオドール・ジェリコー:Theodore Gericault
は。
1812年、21歳のジェリコーは
『突撃する突撃する近衛猟騎兵士官』を
サロン(官展)に出品し金賞を得ました。

この作品は激しい動きを見せる馬に乗った士官が
振り向きざまに号令をかける一瞬を描いたものです。

馬が主要なモチーフとなっています。

続いて1814年、
『戦場から去る負傷した胸甲騎兵士官』
を出品致しました。

ジェリコーが正式に出品した作品は
この2点と『メデューズ号の筏』の。

計3点だけであるのです。

++++++++++++++++++++++

当時のフランスは、
ナポレオンが退けられて。
ルイ18世が即位して王政復古が行われるなど波乱の時代でした。

ジェリコーはこの時期に。
自ら近衛騎兵に志願したこともありましたが。

ナポレオンが復活してルイ18世が亡命するに及び、
再び画業に戻りました。

++++++++++++++++++++++

ジェリコーは1816年から1817年にはイタリアに滞在し
過去の巨匠の作品に学ぶが、
中でもミケランジェロのダイナミックな
人物表現に影響を受けました。

ジェリコーの馬に対する執心は続いており、
ローマにおいてもカーニバルの
裸馬の競走を題材にした作品を描いています。

++++++++++++++++++++++

テオドール・ジェリコー:Theodore Gericaultは。

フランスへ帰国後。
1819年のサロンに
問題作『メデューズ号の筏』を出品致しました。

賛否両論を巻き起こしまし。

++++++++++++++++++++++

テオドール・ジェリコー:Theodore Gericault
は。
1820年から1822年にはイギリスに滞在し、
1821年には代表作の1つ
『エプソムの競馬』を描いています。

駆ける馬の一瞬の姿を画面に描きとめたこの作品は、
印象派のドガを先取りするものと評されています。

++++++++++++++++++++++

テオドール・ジェリコー:Theodore Gericault
は。
フランスへ帰国後、1822年から1823年にかけて
精神障害者をモデルとした人物画連作を描いています。

しかし、
1823年には落馬や馬車の事故などが
もとで持病の脊椎結核が悪化し、
1824年1月、33年に満たない生涯を閉じました。

死の間際に発した言葉は。

「まだ、何もしていない」
であったと言うことです。

++++++++++++++++++++++

テオドール・ジェリコー:Theodore Gericaultの
メデューズ号の筏

メデューズ号の筏ジェリコーの代表作品で
押しも押されぬものです。

この作品はサロンに発表するわずか3年前に
実際に起きた事件を題材にした絵画です。

1816年、フランスの新植民地となった
アフリカ西海岸のセネガルをめざしていた
フリゲート艦メデューズ号がモロッコ沖で座礁するという
事件が起きました。

離礁することが出来なかったため、
乗客は備え付けの救命ボートで避難しようとしたが、
乗れる人数が限られており
乗客全員を乗せることは不可能でした。

そのため、破損したメデューズ号の用材を
ロープでつなぎ合わせて臨時の筏を造り、
救命ボートに乗りきれなかった149名を乗り移らせました。

最初は救命ボートが筏を牽引していたが、
漂流初日に悪天候に見舞われ、
救命ボート自体の航行も危うくなると。

ボートの乗組員が筏をつないでいたロープを切断してしまいました。

牽引船と保存食を失った筏はあてもなく
荒海をさまようこととなりましたた。

筏は12日間漂流したあげく、
他の船によって発見されたが、
149名のうち生存者はわずか15名にすぎなかったのです。

++++++++++++++++++++++

メデューズ号の筏 事件は。

当時のフランス政府はこの事件を当初ひた隠しました。

やがて人々の知るところとなり、
12日間の漂流期間中、筏の上では殺人や。
食人を含む様々な非人間的行為が行われたことが
明るみに出ました。

ジェリコーはこの事件に大きな衝撃を受けました。

絵画化を決心致しました。
完成した絵画は12日間漂流した筏が
ようやく停泊中の戦艦
(白い布を振る人物の右腕の下にかすかに描かれている)
を遠くに見つけ助けを求めて手を振りつつも、
戦艦が遠ざかりつつあることに気づき
絶望する場面を選択して描き出したものです。

この後戦艦は筏に気づき救援に向かったが、
希望と落胆、生と死が隣り合わせの極限状況に
置かれた人間のドラマを描こうとしたジェリコーは。

実際に筏に乗っていた生存者の話を聞いただけでなく。
病院へ行って瀕死の病人の肌をスケッチしたり、
刑場で処刑された犯罪者の首をスケッチするなどして、
リアリティを追求致しました。

++++++++++++++++++++++

この作品は場面選択とそのあまりの凄惨な表現のためか
政治的批判を暗喩していると思われ
当時のサロンで賛否両論を巻き起こしました。

しかし、それは芸術論ではなくもっぱら
政治的立場からの議論であったと言われています。

この作品はルーヴル美術館が買い取りに意欲を示したが、
実際には作品の封印を意図した「マイナス」の申し出であった
のです。

ルーヴル美術館は購入のあと、
ジェリコーに買取料を支払わず、
作品も展示することなく、倉庫の奥深くに隠しました。

この行為に失望したジェリコーは、翌1820年、
作品をルーヴル美術館から取り返してイギリスに渡り、
同地で展示を行いました。

この事件と政治的かかわりのないイギリスにおいては、
作品はおおむね好評をもって迎えられました。

++++++++++++++++++++++

ジェリコー自身の弁によると
「この作品はワインボトルのラベルと大差ない作品だ」
「単なるイーゼル画だ」と嘆いていたといわれます。

それはこの作品の評価、
ひいては人災がフランスから認められなかったことに
対する自嘲的発言でありました。

++++++++++++++++++++++

ウジェーヌ・ドラクロワ
後輩画家のドラクロワはこの作品で漂流者の1人
(筏の帆の真下でうつぶせになっている男)
のモデルを務めています。

ドラクロワ自身によるこの部分の模写が残されています。

またジェリコーの早世に大きく嘆き悲しんだドラクロワは
この絵画に込められたジェリコーの創作意欲に
大きく自身を奮い立たせ、代表作の一つである
「キオス島の虐殺」を完成させました。
++++++++++++++++++++++

代表作

突撃する近衛猟騎兵士官(1812年)ルーヴル美術館
戦場から去る負傷した胸甲騎兵士官(1814年)ルーヴル美術館
メデューズ号の筏(1819年)ルーヴル美術館
エプソムの競馬(1821年)ルーヴル美術館

++++++++++++++++++++++

「続きを読む」=>*

++「続きを読むです1」++++++++++++++++++

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
テオドール・ジェリコー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%AA%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%82%B3%E3%83%BC

テオドール・ジェリコー:Theodore Gericault, 1791年9月26日-1824年1月26日)は19世紀前半に活動したフランスの画家。同時代に起きた生々しい事件を題材とした『メデューズ号の筏(いかだ)』が代表作である。彼の作品はドラクロワなどにも影響を与え、ロマン派絵画の先駆者と見なされるが、画業半ばの32歳で早世している。

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++

9月26日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/9%E6%9C%8826%E6%97%A5

できごと
1907年 - ニュージーランドとニューファンドランド島がイギリスの自治領となる。
1935年 - 第四艦隊事件が起こる。
1944年 - マーケット・ガーデン作戦が失敗に終わる。
1954年 - 洞爺丸事故。
1954年 - 北海道岩内町で大火。死者33名。
1958年 - 狩野川台風、静岡県に最接近。狩野川が氾濫。
1959年 - 伊勢湾台風(台風15号)が潮岬に上陸。東海地方などを襲い、死者・行方不明者5000人以上という甚大な被害を及ぼす。
1960年 - ジョン・F・ケネディとリチャード・ニクソンの間でアメリカ大統領選史上初のテレビ討論。
1962年 - イエメン王国でクーデターが発生。北イエメンが建国を宣言。
1983年 - アメリカスカップでカップ保持者の「リバティー」が敗れ、アメリカの連覇が132年で途切れる。
1991年 - バイオスフィア2の最初のミッション開始。
2000年 - 都営地下鉄三田線三田駅〜白金高輪駅〜目黒駅間ならびに営団地下鉄南北線溜池山王駅〜目黒駅も開業した。またこの日より東急目黒線との3者相互乗り入れを開始。
2001年 - 大阪近鉄バファローズが北川博敏の代打逆転サヨナラ満塁本塁打で優勝決定(プロ野球史上初)。
2002年 - 名古屋鉄道踏切衝突脱線事故。
2003年 - 巨人、原辰徳監督が辞任。
2003年 - 2003年十勝沖地震発生。
2003年 - 自由党が野党第一党の民主党へ合流(民由合併)。
2003年 - 宝塚ファミリーランド跡地に宝塚ガーデンフィールズが開園。
2006年 - 第3次小泉内閣総辞職、安倍晋三が第90代、57人目の日本国首相に就任。
2007年 - 前日に安倍改造内閣総辞職、福田康夫内閣が発足。
2008年 - 埼玉西武ライオンズがパシフィックリーグ優勝。

誕生日
1791年 - テオドール・ジェリコー、画家(+ 1824年)
1828年(文政11年8月18日)- 小林虎三郎、越後長岡藩大参事(+ 1877年)
1830年(天保元年8月10日) - 大久保利通、明治維新の元勲(+ 1878年)
1849年(ロシア暦1849年9月14日) - イワン・パブロフ、生理学者(+ 1936年)
1877年 - アルフレッド・コルトー、ピアニスト(+ 1962年)
1888年 - T・S・エリオット、詩人(+ 1965年)
1889年 - ハイデガー、哲学者(+ 1976年)
1891年 - シャルル・ミュンシュ、指揮者(+ 1968年)
1893年 - 斎藤佐次郎、金の星社創業(+ 1983年)
1897年 - パウロ6世、ローマ教皇(+ 1978年)
1898年 - ジョージ・ガーシュウィン、作曲家(+ 1937年)
1911年 - 尾高尚忠、作曲家(+ 1951年)
1911年 - 永田亮一、政治家(+ 1997年)
1920年 - 梶岡忠義、元プロ野球選手(+ 2003年)
1928年 - 鈴木義司、漫画家(+ 2004年)
1928年 - 古橋廣之進、水泳選手、国際水泳連盟副会長(+ 2009年)
1930年 - フリッツ・ヴンダーリヒ、テノール歌手(+ 1966年)
1932年 - マンモハン・シン、インド首相
1932年 - 長浜忠夫、アニメ監督(+ 1980年)
1934年 - 牧伸二、漫談
1934年 - 山本哲也、元プロ野球選手
1939年 - 樋口正蔵、元プロ野球選手
1940年 - アントン・ウィッキー、タレント
1941年 - サルヴァトーレ・アッカルド、ヴァイオリニスト
1942年 - 作間功、声優
1947年 - ジェイムズ・スウェアリンジェン、作曲家
1948年 - オリビア・ニュートン=ジョン、歌手
1948年 - 柳沢きみお、漫画家
1950年 - たちはらるい、シンガーソングライター
1950年 - 菊容子、女優(+ 1975年)
1950年 - 風間深志、ライダー、冒険家
1952年 - 伊藤之雄、政治学者・歴史学者
1953年 - フランシスコ・アスカルゴルタ、サッカー選手
1954年 - 黒岩祐治、ニュースキャスター
1954年 - 工藤重典、フルート奏者
1955年 - 石井昭男、元プロ野球選手
1955年 - 佐々木ベジ、実業家
1956年 - リンダ・ハミルトン、女優
1957年 - 木根尚登、ミュージシャン(TM NETWORK)・小説家
1957年 - 天童よしみ、歌手
1957年 - ディド・ハーフナー、元サッカー選手
1960年 - ウーベ・バイン、元サッカー選手
1961年 - 杉作J太郎、漫画家・フリーライター
1961年 - 光石研、俳優
1963年 - あおい洋一郎、声優
1964年 - 関清和、元プロ野球選手
1967年 - ブライアン・トラックスラー、元プロ野球選手(+ 2004年)
1967年 - 横田睦美、元おニャン子クラブ
1968年 - 富川春美、元おニャン子クラブ
1968年 - かせきさいだぁ≡、ミュージシャン
1970年 - 池谷幸雄、体操競技選手・タレント
1970年 - 長嶋正興、レーサー
1972年 - 西口文也、プロ野球選手(埼玉西武ライオンズ)
1973年 - 佐野瑞樹、俳優
1975年 - 福ノ灘貴史、元大相撲力士
1976年 - ミヒャエル・バラック、サッカー選手
1976年 - 永田睦子、元バスケットボール選手
1977年 - 佐藤藍子、女優・タレント
1977年 - 稲田奈緒、女優
1977年 - アーロン・マイエット、元プロ野球選手
1978年 - 沢木まゆみ、元AV女優
1978年 - 宮下栄治、声優
1979年 - KING、ミュージシャン(SHAKALABBITS)
1979年 - 丸藤正道、プロレスラー
1979年 - リカルド・パルマ、野球選手
1981年 - セリーナ・ウィリアムズ、テニス選手
1981年 - 華名、プロレスラー
1981年 - 恒松あゆみ、声優
1982年 - 麻生真友子、女優・タレント
1982年 - 徳田いずみ、ファッションモデル
1983年 - 石井翔子、声優
1983年 - 柿本大地、プロレスラー
1984年 - 門脇聡子、お笑い芸人(ジェシカ)
1984年 - ウィルフィン・オビスポ、プロ野球選手(読売ジャイアンツ)
1984年 - 松岡慎弥、野球選手
1985年 - 秋山莉奈、女優・グラビアアイドル
1985年 - 伴杏里、女優
1985年 - 内海亮子、バスケットボール選手
1985年 - 小林はるか、フリーアナウンサー
1985年 - 大下孝太、声優
1986年 - 小松剛、プロ野球選手
1986年 - 船曳文士、騎手
1986年 - リカルド・クアレスマ、サッカー選手
1987年 - 長崎莉奈、女優・グラビアアイドル
1987年 - ブレイク・シン、騎手
1988年 - たえさん、ミュージシャン(オレスカバンド)
1988年 - 黒木マリナ、アイドル
1988年 - 鹿谷弥生、グラビアアイドル
1988年 - キーラ・コルピ、フィギアスケート選手
1989年 - 真琴、女子プロレスラー

忌日
1241年(仁治2年8月20日)- 藤原定家、鎌倉時代の公卿・歌人(* 1162年)
1290年 - マーガレット、スコットランド女王(* 1283年)
1351年(正平6年/観応2年9月6日)- 常盤井宮恒明親王、南北朝時代の皇族(* 1303年)
1431年(永享3年8月20日)- 吉山明兆、画家・臨済宗の僧(* 1352年)
1455年(康正元年8月15日)- 千葉胤直、室町時代の武将(* 1419年)
1573年(天正元年9月1日) - 浅井長政、戦国時代の大名(* 1545年)
1620年(泰昌元年9月1日)- 泰昌帝、第15代明皇帝(* 1582年)
1626年(寛永3年8月6日)- 脇坂安治、戦国武将・大洲藩主(* 1554年)
1746年(延享3年8月12日)- 上杉宗房、米沢藩主(* 1718年)
1820年 - ダニエル・ブーン、探検家(* 1734年)
1842年 - リチャード・ウェルズリー、イギリス外相(* 1760年)
1867年 - ジェイムズ・ファーガソン、天文学者(* 1797年)
1868年 - アウグスト・フェルディナント・メビウス、数学者、天文学者(* 1790年)
1877年 - ヘルマン・グラスマン、数学者(* 1802年)
1902年 - リーバイ・ストラウス、リーバイス創設者(* 1829年)
1904年 - 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)、小説家(* 1850年)
1910年 - トルバルド・ティエレ、天文学者・数学者(* 1838年)
1914年 - アウグスト・マッケ、画家(* 1887年)
1917年 - エドワード・マイナー・ギャローデット、教育者(* 1837年)
1937年 - ベッシー・スミス、ブルース歌手(* 1894年)
1940年 - ヴァルター・ベンヤミン、文芸評論家・文化史家(* 1892年)
1940年 - ミハイル・コーシュキン、戦車技術者(* 1898年)
1943年 - 木村栄、天文学者(* 1870年)
1945年 - 松井簡治、言語学者(* 1863年)
1945年 - リヒャルト・ベーア=ホフマン、小説家・詩人・劇作家(* 1866年)
1945年 - バルトーク・ベーラ、作曲家(* 1881年)
1945年 - 三木清、思想家(* 1897年)
1946年 - 洪思翊、日本陸軍の中将(* 1889年)
1947年 - ヒュー・ロフティング、児童文学作家(* 1886年)
1950年 - ピエール・ロワ、画家(* 1880年)
1952年 - ジョージ・サンタヤーナ、哲学者(* 1863年)
1954年 - エレン・ルーズベルト、テニス選手(* 1868年)
1956年 - リュシアン・フェーヴル、歴史学者(* 1878年)
1959年 - ソロモン・バンダラナイケ、セイロン首相(* 1899年)
1962年 - 小森七郎、日本放送協会会長(* 1873年)
1965年 - ジェイムス・フィッツモーリス、飛行機パイロット(* 1898年)
1970年 - 豊道春海、書家(* 1878年)
1973年 - アンナ・マニャーニ、女優(* 1908年)
1975年 - 奥村勝蔵、日本の外交官(* 1903年)
1975年 - 笹村草家人、彫刻家(* 1908年)
1976年 - レオポルト・ルジチカ、化学者(* 1887年)
1977年 - アーニー・ロンバルディ、メジャーリーグベースボール選手(* 1908年)
1978年 - マンネ・シーグバーン、物理学者(* 1886年)
1979年 - ジョン・クロムウェル、俳優・映画監督(* 1887年)
1982年 - 南沢十七、推理小説・SF作家(* 1905年)
1984年 - 只野直三郎、日本人民党の衆議院議員(* 1900年)
1986年 - 亀井光、福岡県知事(* 1909年)
1986年 - 寺田登、競泳選手(* 1917年)
1987年 - エセル・キャサーウッド、陸上競技選手(* 1908年)
1988年 - 池田遙邨、画家(* 1895年)
1990年 - アルベルト・モラヴィア、小説家(* 1907年)
1991年 - ビリー・ヴォーン、イージーリスニングのバンドマスター(* 1919年)
1996年 - パヴェル・スドプラトフ、ソビエト連邦の諜報員(* 1907年)
1996年 - ジェフリー・ウィルキンソン、化学者(* 1921年)
1996年 - 陳毓祥、政治運動家(* 1950年)
1997年 - 呉新亨、元プロ野球選手(* 1924年)
2000年 - バーデン・パウエル、ブラジル音楽ギタリスト(* 1937年)
2003年 - ロバート・パーマー、ロック・ブルー・アイド・ソウル歌手(* 1949年)
2003年 - ショーン・レイン、ロックギタリスト(* 1963年)
2005年 - 林厳雄、物理学者(* 1922年)
2006年 - バイロン・ネルソン、プロゴルファー(* 1912年)
2006年 - アイヴァ・郁子・戸栗・ダキノ、東京ローズ元アナウンサー(* 1916年)
2006年 - 市川昭介、作曲家(* 1933年)
2006年 - 高田真理、フォーク歌手(青い三角定規)(* 1947年)
2007年 - 広瀬伸一、アナウンサー(* 1957年)
2007年 - 末田健、映像ディレクター(* 1974年?)
2008年 - 岩本義行、プロ野球選手・監督(* 1912年)
2008年 - ポール・ニューマン、俳優(* 1918年)

記念日・年中行事

ワープロ記念日
1978年9月26日に、
東芝が世界初の日本語ワードプロセッサを発売したことに由来。

秋の社日(2004年(秋分に最も近い戊の日))

その他
台風の特異日