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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年10月5日(月曜日)

平成21年の。

10月「秋」。

もう「秋」です。

「春」の

「3月」「4月」「5月」はおわり。

「夏」「8月」もおわりました。

ふかまりつつあゆむ。

「四季」おりおりの「季節」。

いまは「秋」。

季節には。

「ながさ」があるようです。

その年によっても。

「ながさ」はちがう。

ことしの「秋」のながさは

どうだろう。

「10月」になりました。

もう「秋」の「10月」です。

朝早くの遠くに。

たくさんのたくさんの。

「秋」の虫達の鳴き声が。

聞こえます。

暗い早朝に。

車の途絶えた幹線道路を。

横断して。

鳴き声が聞こえてきます。

今年の「冬」・から「春」は予期せぬ

インフルエンザ*の

大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。

薬事法の「能書」にあるとおり

「正規の」

「2回法によるインフルエンザワクチン」の

予防接種を行います。

御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

「新年」「初春」になり。
「1月」がおわり。
「2月」。
「2月」がおわりました。

「春」の「3月」「4月」「5月」もおわりました。
「夏」の「6・7・8月」と「秋」「9月」
もおわりました。

「10月」になったとたん。

空は青白くなりました。

今は「10月」。

みのり「秋」の「10月」です。

「冬至」にむかう。

「秋」の「10月」。

「昨年」
夏がおわり。
「9月」「初秋」も終わりました。

そして
「10月」がおわり。
「10月」中秋もおわり「11月」。
「中秋」から「晩秋」へとうつろいゆき。
「11月」がおわりました。
昨年の「冬」「12月」が過ぎれば。

いまは。
「1月」「2月」「3月」「4月」「5月」がおわり。
「8月」の「夏」はおわりました。
「9月」の秋は終わりました。
「10月」の秋を迎えています。

そろそろ とぼとぼと。

「四季の細道」に沿って。

あゆみゆく「季節」。

「したたかなる」

「季節のあゆみ」

そして。

季節のかおり。

あきらかな「秋」の。

かおりから。

「10月」の。

「秋」ふかまる「かおり」は。

その手応えも。

しっかりと。

感じられます。

「秋」「10月」。

ふかまる「秋」「10月」の「かおり」。

この「秋」の

「秋のかおりへの変化(へんげ)」は。

毎年ちがいます。

「秋」のあいだの。

かおりの変化(へんげ)」は。

「毎年」新しい。

「うれしい新品のかおり」

がします。

大気の織り成す(たいきのおりなす)。

「秋」の季節の風から。

「秋」から。

「新たなる新品のかおり」の。

「秋」を恵まれることは。

とても幸せなこと。

けれども。

さむいです。

「秋」「10月」。

暗い早朝に。

季節風が吹く。

「10月」の「秋」の。
「「秋」かぜ」の。

「ねいろ」「音色」にかわりました。

「秋」の「秋かぜ」の鳴き声の音色は。

「秋」の「虫たち」とおなじ。

「土にしみいる」ねいろ

のようです。

「ふうせん」のような。

秋かぜにとばされる。

「しゃぼんだま」を。

おもわせる音色です。

「季節風」に。

とばされるように。

「秋かぜ」の

声楽4声

(ソプラノ・アルト・テノール・バス)が。

混声の合唱で聞こえます。

「ろうろう」。

いま「季節風」は。

「秋かぜ」にかわりました。

まだ真暗い早朝の朝もやから。
「早い「秋」のおとずれ」の「大気」が。

かすみのような「香り」で。
しのびよる気配は。
ろうそくの灯(ともしび)
のようにゆらぎながら。

「秋」の。
何かを。行く先をさがしながら。
何かをさがしながら。
照らすかのようにさまよい。
近寄りしのびよることが
わかります。

ゆきさきは。
もっとふかい。

「季節風」の「秋」。

「秋」。

「秋」です。

「10月」の。

「秋」です。

はやいものです。

はやいものです。

「秋」の「10月」は。
「さらに」。
「大気」と「自然の気配」に。
「特有の独特の気配と香り」が混じります。

「りす」の「鳴き声」か。
「さんしょううお」のかおりか。
不思議な感しが致します。

木々は

「秋」をのりきる準備をすませて。

これからの。

「秋」の。

「「秋」へのあらたな実り」に向けての。

息吹が力強く感じられます。

街路樹はしっかりと。
「秋」の枝木の穂先もたわわにつよく。
「ふかまる秋」に向けての。
萌黄色から若葉の芽吹きをそなえて。

「秋」の「木」に
かわりました。

そしていま。
「秋」にも若葉を抱いた木々は。
さらに「夏」の芽栄え(めばえ)にも。

うつろいてかわろうと
しています。

「昨年」はあっというまに
「7月」が終わりました。
「8月」です。
「8月」=せみのしぐれなく夏です
「8月」が終わりました。
「9月」が終わりました。
「10月」=「実りの秋」です。
「11月」収穫の晩秋です。
「12月」木枯らしの冬です。

「12月」がおわり。
「1月」「2月」がおわり。
「初春」の「3月」です。
そして「3月」がおわり。
そして「4月」「5月」「6月」・「夏」がおわり。
いまは「10月」です。

木々がへったため。
夏にはせみの声も少なくなりました。
けれども「一昨年」より
「昨年」はは鳴き声は多かった
ようにおもえます。

こおろぎの声は「今年」は
とてもかずおおく聞こえる。
「昨年」も多かったように
おもえました。

「わたりどり」は。
どうだろう。

今は。

「秋」の「10月」

「季節風」の「こえ」。

「ろうろう」。

みかんの木に「「秋」かぜ」

がとまっているようです。

「鳥」(とり)の様です。

「季節風」の声はいつもかわります。

みかんの木は。

とても沢山の実をつけています。

黄金にプラチナのみかんのようです。

「秋」の気配に加えて。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックの。

庭の。

山椒(さんしょう)の木の芽は。

「あき」の若葉にすくすくとそだち。

若枝も天高くすこやかにのび。

ますますに。ますますに。

「秋の陽」をあびて。

「秋」の山椒(さんしょう)の葉の。

みどりがとても。

とても奇麗です。

山椒のことを

「きのめ」=木の芽とは。

なるほどと

かんがえる。

さんしょう木
萌黄(もえぎ)鮮やかに芽葉(めは)
みどり葉わか葉いずる花のごと
四季こすわか枝は幹ならむ
四季なりてたゆまずとまらず
夏あゆみそだちて
幹は天たかくそだちたり
いざいまこそは
空(そら)にもえたたむ
金色(こがね)の炎
さんしょう木

けれども
早朝は本当にはだ寒いのです。

「小さな秋みつけた」から

しだいに「大きな「秋」みつけた」

「大きな「秋」みつけた」から。

そして「大きな大きな「秋」」みつけた。

大きな大きな。

「秋」がきた。

「あき」「秋」です。

ちょっと「安心する気」が致します。
「秋」がきました。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

-------------------------------

平成21年1月12日(月曜日)
は。
「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ限られた
時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年2月11日(水曜日)
「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。
限られた
時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年3月20日(金曜日)
「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。
限られた
時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年7月20日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

------------------------------

平成21年8月14日(金曜日)と15日(土曜日)
の「二日間」
は病院の医療コンピューターの更新のため。

診療ができないので二日間「休診日」になります。

平成21年8月13日(木曜日)まで平常どおり。
>
平成21年8月18日(日曜日)から平常どおり。

はおわりました。

------------------------------

平成21年9月21・22・23日
(月曜日)(火曜日)(水曜日)
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

------------------------------

平成21年10月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
------------------------------

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
季節の変わり目に「反復性上気道感染」に
なられるかたが多いです。

「世情は不安定」であり何かひとつ
生活しづらい日々を感じられる
かたも多いものです。。

人間は「倒れるまではたっています」。
人間は「冬・春」の旅に(度に)齢を重ねる。

昔の「数え年」は「たいした物」だと思います。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝。

「今日は何の日」は。

フランスの哲学者・思想家。

英語に堪能であったため。
イギリスで刊行され成功した
チェインバースの百科事典のフランス語版を依頼され。
18世紀を代表する出版物『百科全書』の
編纂・刊行を行った哲学者。

あわせて百科全書のもつ「危険性」
がゆえの攻撃と戦った哲学者。

『百科全書』はフランス革命(1789-1794年)を
思想的に準備したともいわれる哲学者。

1713年 - ドニ・ディドロ、哲学者(+ 1784年)
の生誕日です。

++++++++++++++++++++++

ディドロドゥニ・ディドロ
:Denis Diderot,
1713年10月5日 - 1784年7月31日)は、
フランスの啓蒙思想家・作家です。

++++++++++++++++++++++

ディドロドゥニ・ディドロ:Denis Diderotは。
思想的には、初期の理神論から唯物論、無神論に進んでいます。
『盲人に関する手紙(盲人書簡)』(1749年刊)
の唯物論的な主張のため投獄されたこともあります。

++++++++++++++++++++++

ディドロドゥニ・ディドロ:Denis Diderot
は。

英語に堪能で、ル・ブルトン書店から

イギリスで刊行され成功した
チェインバースの百科事典のフランス語版を依頼されたことが、
18世紀を代表する出版物『百科全書』の
編纂・刊行につながりました。

事業としての『百科全書』が狙っていた
主要な対象は新興のブルジョワ階級であったということです。

その中心は当時の先端の技術や科学思想を紹介した項目ですが。

それらにまじえながら、社会・宗教・哲学等の批判を行ったため。
『百科全書』を刊行すること自体が。
宗教界や特権階級から危険視されました。

++++++++++++++++++++++

ディドロは、
たびたびの出版弾圧、執筆者の離散を跳ね返し。

『百科全書』(1751年-1772年)の完結
という大事業を成し遂げました。

(『百科全書』はフランス革命(1789-1794年)を
思想的に準備したともいわれます)。

++++++++++++++++++++++

ディドロドゥニ・ディドロ:Denis Diderotは
ロシアの女帝エカチェリーナ2世と個人的に交流到します。

1765年、娘の結婚資金を確保するため、
ディドロは蔵書をエカチェリーナ2世に売り渡しました。

その契約は、ディドロの生存中はそれら蔵書を手元において
自由に利用できるという条件付きでありました。

実際にはエカチェリーナからの資金援助という性格をちます。

ディドロドゥニ・ディドロ:Denis Diderotは。
そうした援助にむくいるため、
『百科全書』完結後の1773年、ロシアを訪問到します。

++++++++++++++++++++++

ディドロドゥニ・ディドロ:Denis Diderotは

パリ第7大学にその名が残っています。

++++++++++++++++++++++

ディドロドゥニ・ディドロ:Denis Diderotの著作
『百科全書』に寄稿した項目や『盲人書簡』(前出)のほかに、

『修道女』(1760年執筆)
『ラモーの甥』(1761年執筆開始)
『ダランベールの夢』(1769年執筆)
『ブーガンヴィル航海記補遺』(1772年執筆)
『運命論者ジャックとその主人』(ロシア滞在中に執筆)
『哲学者セネカの生涯とその著作』(1778年刊)
などがあります。

没後に刊行された著作も多く、
また小説の大半は実験的なもので、
明確なストーリーをもちません。

++++++++++++++++++++++

グリムの『文藝通信』に断続的に掲載された
サロンの批評(「サロン評」)によって
近代的美術批評の祖ともされます。

その批評論は
『絵画論』(Essai sur la peinture, 1766年刊)に結実致しました。

没後の1798年に初の全集が刊行されました(全15巻)。

邦訳の
『著作集』は法政大学出版局で3巻刊行されました。(1976−89年)

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ドゥニ・ディドロ
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%8B%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%89%E3%83%AD

ディドロドゥニ・ディドロ:Denis Diderot, 1713年10月5日 - 1784年7月31日)は、フランスの啓蒙思想家・作家。

目次
1 略歴
2 美学
2.1 項目「美」
2.2 美術批評
3 著作
4 脚注
5 参考文献

略歴
思想的には、初期の理神論から唯物論、無神論に進んでいる。『盲人に関する手紙(盲人書簡)』(1749年刊)の唯物論的な主張のため投獄されたこともある。

英語に堪能で、ル・ブルトン書店からイギリスで刊行され成功したチェインバースの百科事典のフランス語版を依頼されたことが、18世紀を代表する出版物『百科全書』の編纂・刊行につながった。事業としての『百科全書』が狙っていた主要な対象は新興のブルジョワ階級であり、その中心は当時の先端の技術や科学思想を紹介した項目だが、それらにまじえながら、社会・宗教・哲学等の批判を行ったため、『百科全書』を刊行すること自体が宗教界や特権階級から危険視された。ディドロは、たびたびの出版弾圧、執筆者の離散を跳ね返し、『百科全書』(1751年-1772年)の完結という大事業を成し遂げた(『百科全書』はフランス革命(1789-1794年)を思想的に準備したともいわれる)。

ロシアの女帝エカチェリーナ2世と個人的に交流した。1765年、娘の結婚資金を確保するため、ディドロは蔵書をエカチェリーナ2世に売り渡したが、その契約は、ディドロの生存中はそれら蔵書を手元において自由に利用できるという条件付きであり、実際にはエカチェリーナからの資金援助という性格をもつ。そうした援助にむくいるため、『百科全書』完結後の1773年、ロシアを訪問した。

パリ第7大学にその名が残る。

美学

項目「美」
ディドロは1752年に刊行された百科全書第二巻のなかに収録された項目「美」を執筆した。そこでの彼のテーマは美の根拠についてである。

彼はこの根拠を求めるために、美を定義するのに必要な性質は何かを探る。彼はまず、秩序、関係、釣り合い、配列、対称、適合、不適合がどのような美の中にも見つけることができるとする。それはそれらの概念が存在、数、横、高さ、およびその他異議をさしはさむ余地のない諸観念と同じ起源から生じるからである[1]。

しかし、より一般的に、美しいと名づけるすべての存在に共通な性質のうち、美という言葉を記号にしうるものは何だろうかと、疑問を投げかける。それは、美がそれによって始まり、増大し、無限に変化し、減少し、消滅する性質だという。そして、これらの結果を引き起こしうるのは、関係の観念をおいてほかにないという[2]。ここで彼は美の流動性や多様性を示唆している。例えば、美しい人の体重が5キロ増え、その人の顔に脂肪が溜まり、若干ふくれっ面になると、その人の顔は怒りを想起させ、既に美しい人ではなくなるかもしれない、という流動的な側面が美にはある。

また、彼は美の多様性についての証拠として、雷雨、暴風雨、天地創造以前の混沌の絵を挙げて、ある種の存在は秩序や対称の明白な外観とすら無縁だと述べている。したがって、これらの存在のすべてが一致するただひとつの共通な性質は、関係の観念であるという[3]。美の多様性においては、上で示した「美しい人」がたとえふくれっ面になったとしても、それは怒りではなく健康を想起させ、その人はさらに美しくなるかもしれないということがいえる。

美しいという語をつくりださせたのは、関係の知覚であり、その関係と人物の精神との多様性に応じて、きれい、美しい、魅惑的な、偉大な、崇高な、神聖な、その他、肉体と精神とにかかわる無数の語がつくられた。これらが美のニュアンスである[4]。

さらに、関係の観念であるところの美が往々にして感情の問題にされてしまうことに触れて、こう述べている。「確定しにくいけれども認めやすく、そしてその知覚に快感がともなうために、美は理性よりもむしろ感情の問題だと憶測されたのである。ごく小さな子供の頃から、ある原理がわれわれに知られていて、その原理が習慣的に、外部の事物に対して、気軽に、すみやかに適用されるような場合には、いつも必ず、われわれは感情によって判断を下していると思うだろう」[5]。

美に対する意見の相違のことごとくは、自然の所産と芸術作品における、知覚された関係の多様性の結果として生じる[6]。それならば一体、自然のうちで、その美しさに関して人々が完全に意見の一致をみるのはなんであろうか[7]。この問いに対して彼はこう答えている。「同一対象のなかにまったく同じ関係を知覚し、それと同じ程度に美しいと判断する人は、恐らくこの地上に二人といないだろう。だが、いかなる種類の関係も感じたことのない人が一人でもいるとすれば、彼は完全なばか者だろう」[8]。

美術批評
ディドロの美術論はディドロの『絵画論』とその他美術に関する著作を加えた『絵画について』(佐々木健一訳、岩波書店、2005年)に詳しい。

ディドロの時代は近代的な芸術概念の確立期に重なっていた。近代的な芸術概念とは、文学と造形美術(絵画、彫刻、建築)と音楽をひとまとまりのものとしてくくる考えのことである。近代的な芸術概念の核心は、絵画や彫刻を「頭の仕事」として格上げすることにあった。

ディドロと美術との関係が顕著に表れるのは、サロン展の批評を書き始めたころである。1759年を皮きりに、1781年まで9年分(59、61、63、65、67、69、71、75、81年)を書いている。サロン評が公表されたのは『文藝通信』というミニコミ誌だった。これを刊行していたのは、グリム(1723年−1807年)というパリ在住のドイツ人で、パリに定住して4年目の1753年から、或る人物のやっていたこの事業を引き継いだ。

ディドロの主要な著作のうち、サロン評と『絵画論』、更に『ダランベールの夢』と『ブガンヴィル航海記補遺』などが『文藝通信』に公表された。しかし、読者は極めて限られていて、最大でも15人ほどだった。ディドロは『絵画論』の刊行を『1765年のサロン』の末尾で予告して、1766年の『文藝通信』でそれは公表された。

『絵画論』は哲学的な絵画論であることを以て特徴としていた。彼は詩などを論じるために使われた修辞学的概念を切り捨て、絵画を純粋に絵画として論じた。

『絵画論』の最終章で彼はもう一度、項目「美」の主題だった美の根拠について論じている。彼は問う。「だが、もしも趣味が気まぐれなものであり、美については永遠の、不変の規則など存在しないのであれば、これらすべての原理にいかなる意味があるのか」[9]。彼は美を真や善と結びつけることによって、この問題を解決しようとする。彼はいう。「真、善、美は密接に結びあっている。最初の二つの質に何か稀で目覚ましい状況を加えてみたまえ。真は美となろう、善は美となるだろう」[10]。彼によれば趣味とは、「経験を重ねることによって、真や善がそれを美しくする状況ぐるみで容易に捉えられるようになり、それにすぐにそして強く感銘を受けるようになる、そのようにして身についた能力」[11]だった。

彼は絵画を美しくするためには、その対象である自然の構造もしくは秘密につうじることが不可欠であると考えた。そこで、彼の絵画論の課題は、自ずから自然法則をよく知るという課題と重なりあった[12]。この美と自然法則の照応は『絵画論』最終章の主題に直結している。そこで美は真と善に基礎づけられるが、ここで言う「自然法則」は真であるとともに善(特に有用性)の基盤となるものである。そして、この問題意識が、ディドロの美学的思索の展開においてひとつの中心的な主題をなしていたことに注意しておきたい、と佐々木健一は述べている[13]。

著作
『百科全書』に寄稿した項目や『盲人書簡』(前出)のほかに、

『修道女』(1760年執筆)
『ラモーの甥』(1761年執筆開始)
『ダランベールの夢』(1769年執筆)
『ブーガンヴィル航海記補遺』(1772年執筆)
『運命論者ジャックとその主人』(ロシア滞在中に執筆)
『哲学者セネカの生涯とその著作』(1778年刊)
などがある。没後に刊行された著作も多く、また小説の大半は実験的なもので、明確なストーリーをもたない。

グリムの『文藝通信』に断続的に掲載されたサロンの批評(「サロン評」)によって近代的美術批評の祖ともされる。その批評論は『絵画論』(Essai sur la peinture, 1766年刊)に結実した。

没後の1798年に初の全集が刊行された(全15巻)。

邦訳の『著作集』は法政大学出版局で3巻刊行された。(1976−89年)

脚注
^ ディドロ、ダランベール編 『百科全書 序論および代表項目』 桑原武夫訳編、岩波書店、1971年、336頁。項目「美」を中川久定が訳編。
^ 同上書、337頁。
^ 同上書、348頁。
^ 同上書、349頁。
^ 同上書、339頁。
^ 同上書、351頁。
^ 同上書、359頁。
^ 同上書、361頁。
^ ディドロ 『絵画について』 佐々木健一訳、岩波書店、2005年、134頁。
^ 同上書、134頁。
^ 同上書、137頁。
^ 同上書、239頁。
^ 同上書、222頁。

参考文献
ディドロ 『運命論者ジャックとその主人』 王寺賢太・田口卓臣訳、白水社、2006年、ISBN 4-560-02758-7。
ディドロ、ダランベール編 『百科全書 序論および代表項目』 桑原武夫訳編、岩波文庫、1971年。
ディドロ 『絵画について』 佐々木健一訳、岩波文庫、2005年。
中川久定 『啓蒙の世紀の光のもとで ディドロとその周辺』 岩波書店、1994年。  
新村出 『広辞苑』 岩波書店、1998年、第五版 2008年、第六版、ISBN 978-4000801126。 
「特集 没後200年 ディドロ - 近代のディレンマ」1984年10月号『思想』No.724、岩波書店。
J.プルースト・中川久定・鷲見洋一・市川慎一・木崎喜代治・津田内匠・海老沢敏
鈴木峯子・小宮彰・大津真作・青山昌文・J.シュイエ・平岡昇、ディドロ関係文献目録
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%8B%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%89%E3%83%AD」より作成

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10月5日
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できごと
1582年 - グレゴリオ暦への移行のため、イタリア、ポーランド、ポルトガル、スペインで10月5日が存在しなかった。
1665年 - キール大学創立。
1789年 - ヴェルサイユ行進。
1793年 - キリスト教がフランスの国教としての地位を失う。
1864年 - コルカタ、サイクロンで破壊される。死者6万人。
1864年 - 第一インターナショナル結成。
1894年 - 日本初の月刊時刻表出版。
1895年 - ロンドンの北で最初の個人タイムトライアル自転車レース(50マイル)開催。
1908年 - オーストリア・ハンガリー帝国がボスニア・ヘルツェゴビナを併合。
1910年 - ポルトガル、王制を廃止。
1915年 - ブルガリアが第一次世界大戦に同盟国側として参戦。
1921年 - 国際ペンクラブ発足。
1921年 - 米メジャーリーグ、ワールドシリーズ、はじめてのラジオ中継。
1926年 - NHK交響楽団の前身、新交響楽団が結成される。
1930年 - イギリスの飛行船R101がインドに向けて飛行中パリ近郊で山腹に衝突。
1945年 - 東久邇宮内閣総辞職。
1947年 - ハリー・S・トルーマン米大統領が初のホワイトハウスからのテレビ演説。
1947年 - コミンフォルム結成。
1953年 - アール・ウォーレンが第14代アメリカ合衆国連邦最高裁判所長官に指名。
1958年 - フランス第五共和政成立。
1962年 - ビートルズのシングル『ラブ・ミー・ドゥ/P.S.アイ・ラヴ・ユー』がリリースされる。
1964年 - 名神ハイウェイバス、国鉄と日本急行バスにより開業。日本初の高速バス。
1969年 - イギリス・BBCのコメディ番組『空飛ぶモンティ・パイソン』がスタート。
1969年 - テレビアニメ『サザエさん』(フジテレビ系)放送開始。
1973年 - ミュンヘンで欧州特許付与に関する条約が締結。
1979年 - 特撮テレビ番組『仮面ライダー(新)』(MBS・TBS系)放送開始。
1980年 - 山口百恵の引退コンサートが日本武道館で行なわれる。
1981年 - ラウル・ワレンバーグにアメリカ名誉市民の称号が贈られる。
1983年 - レフ・ヴァウェンサのノーベル平和賞受賞が決定。
1987年 - テレビ朝日系「ニュースステーション」に対抗してTBSが元NHKアナウンサーの森本毅郎を起用し『ニュース22プライムタイム』がスタート(わずか1年で打ち切り)。
1988年 - チリのアウグスト・ピノチェト大統領が国民信任投票で敗北。
1989年 - ダライ・ラマ14世のノーベル平和賞受賞が決定。
1989年 - 京阪鴨東線(三条〜出町柳間2.3km)が開業。
1991年 - リーナス・トーバルズがLinuxカーネルを初公開。
1991年 - TBS系で半年毎に『オールスター感謝祭』放送開始。
1992年 - TBS系『筑紫哲也 NEWS23』で名物コーナー「多事争論」放送開始。
1993年 - 大阪市交通局南港ポートタウン線(ニュートラム)の住之江公園駅構内で車両暴走事故。乗客215人が負傷。
1999年 - ミニロト全国発売後最初の抽選が行われた。
1999年 - SPEEDが解散を発表。
2000年 - ロト6第1回抽選が行われた。
2003年 - アフマド・カディロフがチェチェン共和国の大統領に選ばれる。

誕生日
1713年 - ドニ・ディドロ、哲学者(+ 1784年)
1751年(寛延4年8月16日) - 徳川治保、常陸国水戸藩の第6代藩主(+ 1805年)
1799年(寛政11年9月7日)- 箕作阮甫、蘭学者(+ 1863年)
1812年 - チェスター・A・アーサー、第20代・21代アメリカ合衆国大統領(+ 1886年)
1836年(天保7年8月25日) - 榎本武揚、政治家(+ 1908年)
1840年 - ヨーハン2世、リヒテンシュタイン公(+ 1929年)
1886年 - 徳川義親、尾張徳川家第19代当主(+ 1976年)
1900年 - 平澤興、医学者・京都大学第16代総長(+ 1989年)
1902年 - 浦辺粂子、女優(+ 1989年)
1903年 - 藤井松太郎、第7代日本国有鉄道総裁(+ 1988年)
1903年 - 北畠八穂、詩人・児童文学作家(+ 1982年)
1908年 - ディック・ミネ、歌手(+ 1991年)
1909年 - 増本勇、元調教師
1918年 - 竹山逸郎、歌手(+ 1984年)
1919年 - ドナルド・プレザンス、俳優(+ 1995年)
1920年 - 藤村隆男、元プロ野球選手(+ 1993年)
1923年 - 矢野徹、作家、翻訳家(+ 2004年)
1924年 - ホセ・ドノソ、作家、ジャーナリスト(+ 1996年)
1928年 - アルベルト・スギ、画家
1935年 - 堀内庄、元プロ野球選手
1935年 - 柿本実、元プロ野球選手
1936年 - 八田正、元プロ野球選手
1946年 - 西岡徳馬、俳優
1947年 - 米田建三、政治家
1949年 - やしきたかじん、歌手・タレント
1949年 - 後藤謙次、キャスター
1950年 - 辺見マリ、歌手
1951年 - ボブ・ゲルドフ、ミュージシャン(ブームタウン・ラッツ)・政治活動家
1953年 - コジロー、漫画家
1954年 - 原大輔、歌手
1955年 - 立野政治、元プロ野球選手
1956年 - 郭源治、元プロ野球選手
1956年 - 山口祐一郎、ミュージカル俳優
1959年 - 渡邉美樹、ワタミ代表取締役社長
1959年 - ロデリック・アレン、元プロ野球選手
1960年 - カレカ、サッカー選手
1960年 - 黒木瞳、元宝塚歌劇団月組主演娘役の女優
1961年 - 内田利雄、騎手
1961年 - 森本栄浩、毎日放送アナウンサー
1961年 - クラウディア・クリストフィクス=ビンダー、フィギュアスケート選手
1962年 - マイケル・アンドレッティ、レーシングドライバー
1963年 - 琴ヶ梅剛史、元力士、元大鳴戸親方
1963年 - ローラ・デービス、プロゴルファー
1964年 - 橋本聖子、元スピードスケート選手、参議院議員、日本スケート連盟会長
1964年 - 藤原啓治、声優
1967年 - 森下由実子、歌手・元ソフトクリーム
1970年 - 宮崎吐夢、俳優
1970年 - 浅井理恵、元AV女優・元ストリッパー
1972年 - 酒井雄二(ゴスペラーズ)、ミュージシャン
1972年 - グラント・ヒル、バスケットボール選手
1972年 - アーロン・ガイエル、プロ野球選手
1973年 - 永池恭男、元プロ野球選手
1973年 - ルイス・ロペス、元プロ野球選手
1973年 - 陳文賓、元プロ野球選手
1975年 - ケイト・ウィンスレット、女優
1974年 - 西島大介、漫画家・イラストレーター
1975年 - Megumi、歌手・Paix2のメンバー
1976年 - 刃田綴色、ドラマー
1977年 - 木村一喜、プロ野球選手
1977年 - コンスタンティン・ジリャノフ、サッカー選手
1978年 - 山木陽介、記者
1980年 - 田臥勇太、バスケットボール選手
1981年 - 筒井和也、プロ野球選手
1981年 - うさみ恭香、元AV女優・元ストリッパー
1981年 - 中東直己、プロ野球選手
1981年 - 浦川大輔、野球選手
1981年 - ユリア・ラウトワ、フィギュアスケート選手
1982年 - 北野井子、元歌手・元タレント(ビートたけし(北野武)の長女)
1982年 - 米花剛史、ジャニーズJr.、Musical Academyのメンバー
1982年 - 吉田沙保里、レスリング選手
1982年 - ナタリー・ウランディス、フィギュアスケート選手
1982年 - 木村陽彦、野球選手
1983年 - ニッキー・ヒルトン、ファッションモデル
1983年 - 福徳秀介、芸人
1983年 - 川島慶三、プロ野球選手
1985年 - 三島輝史、プロ野球選手
1986年 - 越岡裕貴、ジャニーズJr.、M.A.D.のメンバー
1987年 - 浜中文一、関西ジャニーズJr
1987年 - かほり、歌手、294のメンバー
1988年 - 糸谷哲郎 将棋棋士
1988年 - 齋藤博樹、元騎手
1988年 - 一ノ瀬優希、プロゴルファー
1989年 - 梅井大輝、サッカー選手
1990年 - 栗原菊乃、タレント(堺正章の長女)
1990年 - 橘美緒、モデル
1991年 - 亀澤杏奈、女性ファッションモデル、グラビアアイドル
生年不明 - 中村尚儁、漫画家
生年不明 - 斗羅、ドラマー(陰陽座)
忌日 [編集]
578年 - ユスティヌス2世、東ローマ皇帝(* 520年)
610年 - フォカス、東ローマ皇帝(* 547年?)
785年(延暦4年8月28日)- 大伴家持、奈良時代の廷臣・歌人(* 718年頃)
877年 - シャルル2世(禿頭王)、西フランク王(* 823年)
1056年 - ハインリヒ3世、ドイツ王、神聖ローマ皇帝(* 1017年)
1111年 - ロベール2世、フランドル伯(* 1065年頃)
1237年(嘉禎3年9月15日)- 正親町三条公氏、鎌倉時代の公卿(* 1182年)
1285年 - フィリップ3世、フランス王(* 1245年)
1565年 - ルドヴィコ・フェラーリ、数学者(* 1522年)
1638年(寛永15年8月28日)- 荒木又右衛門、剣客(* 1599年)
1650年(慶安3年9月10日)- 松平忠直、第2代越前藩主(* 1597年)
1714年(正徳4年8月27日) - 貝原益軒、儒学者(* 1630年)
1763年 - アウグスト3世、ポーランド王(* 1696年)
1805年 - チャールズ・コーンウォリス、イギリス軍の将軍・インド総督(* 1738年)
1813年 - テカムセ、アメリカ先住民ショーニー族の首長(* 1768年?)
1816年(文化13年閏8月14日)- 塩原太助、江戸時代の豪商(* 1743年)
1837年 - オルタンス・ド・ボアルネ、ホラント王ルイ・ボナパルトの妃(* 1783年)
1853年 - マーロン・ディカーソン、アメリカ合衆国海軍長官(* 1770年)
1864年(元治元年9月5日)- 清岡道之助、尊王攘夷の活動家(* 1833年)
1866年 - レオポルト・フォン・ヘニング、哲学者(* 1791年)
1871年(明治4年8月21日)- 九条尚忠、江戸時代の公卿(* 1798年)
1880年 - ウィリアム・ラッセル、天文学者(* 1799年)
1899年 - ジェイムズ・ハーラン、第8代アメリカ合衆国内務長官(* 1820年)
1912年 - ルイス・ボス、天文学者(* 1846年)
1912年 - 穂積八束、法学者(* 1860年)
1918年 - ローラン・ギャロス、フランス軍のエース・パイロット(* 1888年)
1934年 - ジャン・ヴィゴ、映画監督(* 1905年)
1938年 - 高村智恵子、洋画家、高村光太郎の妻(* 1886年)
1940年 - シルベストレ・レブエルタス、作曲家・指揮者・ヴァイオリニスト(* 1899年)
1944年 - 頭山満、国家主義運動家(* 1855年)
1948年 - ゲオルク・クーレンカンプ、ヴァイオリニスト(+ 1898年)
1951年 - 小平浪平、実業家・日立製作所創業者(* 1874年)
1960年 - アルフレッド・L・クローバー、文化人類学者(* 1876年)
1972年 - ソロモン・レフシェッツ、数学者(* 1884年)
1974年 - ザルマン・シャザール、作家・イスラエル大統領(* 1889年)
1976年 - ラルス・オンサーガー、物理学者(* 1903年)
1976年 - 武田泰淳、小説家(* 1912年)
1980年 - 三遊亭小圓遊、落語家(*1937年)
1981年 - グロリア・グレアム、女優(* 1923年)
1982年 - 小畑勇二郎、秋田県知事(* 1906年)
1985年 - カール・メンガー、数学者(* 1902年)
1986年 - ジェームズ・H・ウィルキンソン、数学者(* 1919年)
1989年 - 佐伯勇、実業家(* 1903年)
1990年 - 岡義武、政治学者(* 1902年)
1994年 - 中条静夫、俳優(* 1926年)
1994年 - ニニ・ロッソ、ジャズトランペット奏者(* 1927年)
1995年 - アレック・ダグラス=ヒューム、イギリス首相(* 1903年)
1996年 - シーモア・クレイ、スーパーコンピュータ設計者(* 1925年)
1996年 - 野口明、元プロ野球選手(* 1917年)
2000年 - 永倉万治、作家(* 1948年)
2001年 - マイケル・マンスフィールド、日本駐箚アメリカ合衆国大使(* 1903年)
2001年 - 瀬長亀次郎、沖縄人民党書記長・那覇市長・日本共産党副委員長(* 1907年)
2001年 - セーケイ・ゾルターン、ヴァイオリニスト・作曲家(* 1903年)
2002年 - 三鬼陽之助、経済評論家(* 1907年)
2004年 - モーリス・ウィルキンス、生物物理学者(* 1916年)
2007年 - 村松定孝、国文学者(* 1918年)
2007年 - 星川薫、元調教師(* 1930年)
2008年 - 土屋義彦、政治家・元埼玉県知事(* 1926年)
2008年 - 緒形拳、俳優(* 1937年)
2008年 - 福田和禾子、作曲家(* 1941年)

記念日・年中行事

時刻表記念日(日本)
1894年10月5日に、日本で初めての本格的な時刻表
『汽車汽船旅行案内』が庚寅新誌社から出版されたことに由来。

これは福沢諭吉の勧めにより手塚猛昌が発行したもので、
列車の発車時刻や運賃のほか、沿線の案内や紀行文なども掲載されていた。

The most populous birthday of the year statistically in U.S.(アメリカ)
アメリカで、一年でもっとも多くの人が誕生日を迎える日。
統計によれば毎年平均12,576人の人がこの日に生まれる。
そして、毎年およそ968,000人のアメリカ人が誕生日を迎えるという。

関連リンク:Anybirthday.com

レモンの日
1938年に詩人の高村光太郎の妻・智恵子が亡くなり、
死の直前にレモンをかじっていた事に由来する。