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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年10月8日(木曜日)

「秋」です。

「秋」の「10月」

になりました。

まばゆいほど。

ことばでは。

いいつくせないほどに。

まぶしくて。

ありがたいやさしい。

「秋」「10月」の。

透明感のするどい。

つよい陽射しです。

しあわせいろの。

あかるい陽射し。

やさしいあかるい陽射し。

「10月」の。

「朝」の陽射しの「あかるさ」は。

なにものにも。

たとえようもありません。

けぶる山焼きのように。

何かが「かおる」。

しずかなひざしです。

あさひ。

「朝陽」の光は。

とても・やさしい。

秋朝陽(あきあさひ)

緑木枝間に

われを見る

まばゆくも

優しく輝く

眼(まなこ)なりけり

あきあさひ

みどりきえたまに

われをみる

まばゆくも

やさしくかかやく

まなこなりけり

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

「秋」になりました。

今年も秋がきました。

「秋」がきて。

今は「10月」。

「秋」がふうせんのように。

みのりそしてふくらみ。

ひろがってゆく季節です。

「10月」です。

なつまつりはおわり。

野には。

たんぽぽは葉草となり。

夏草の花は咲きおわり。

野草が葉草となり。

よもぎや。

すぎながいっぱいになりました。

みどり葉のつつじが。

さえほこっています。

「秋」になり「川の水音」は。

あたかも。

「ゆたかな清流」の。

「みずのながれのおと」の如く。

きこえるようになりました。

「秋」の小川。

「どんどん」ながれる。

あきのおがわ。

高さも低さこそ見えないのに。

あゆみたゆまず。

ながれる水の流れ。

ありがたきこと。

感謝いたします。

春分の日もすぎれば。
「さくら」咲きはじめ
「さくら」がおわり。
「4月」が終われば。
「5月」になり。
「5月」もおわれば。
6月に。「夏」になり。
6月も終われば。
7月 たなばた。
7月 もおわれば。
せみのなく8月。
8月の夏はすぎれば。
9月の秋になり秋の虫が鳴く。
そして9月がおわり。
中秋10月なり紅葉の季節。
そして10月がおわり。
「11月」になり。
晩秋「11月」もおわり12月の「冬」。
「12月」になればまた「年」があけ。
また「初春」がくる。

そして来年も「春」の「3月」がきて。
そして「4月」「5月」がおわり。
「6月」「7月」「8月」がすぎて。
「9月」「10月」になる。

「あき」の「10月」です。

「陽」はすでに

日々にみじかくなりつつあります。

「秋」がきて。

「秋」に向かう「ひざし」の。

やさしい「光」の日々です。

「秋」の「10月」です。

「秋」の「10月」の。

陽は日々ひくくなっています。

夜にゆらぐ明るい家々の灯火(ともしび)。

とてもやさしい。

しあわせのひかり。

しあわせの秋です。

朝陽ののぼるのがおそくなりました。

夕陽がおりるのははやくなりました。

朝の「秋」の陽射しは

窓越しにも「まばゆい」

くらいです。

夕暮れの「秋」の陽射しは

「はしりおえた」

「陸上競技の選手」のようです。

つかれて。けれども充実して。

くれてゆきます。

空の明るい秋の夜になりました。

まことに。

冬来たりなば春遠からじ。

ふゆきたりなば

はるとおからじ

(出 典は。

 イギリスの詩人シェリー*の

『西風に寄せる歌』の一節。

英 語の原文: 

If winter comes,

can spring be far behind? )

「英国:United Kingdom UK」のロマン派の
詩人は。「御自分」のテーマの「鳥」を
紋章のようにもっています。
英国ロマン派の詩人は、
それぞれ愛好し、崇拝する鳥を持っていました。

ジョン・キーツは、
「夜鶯」(ほととぎす)の神秘的な声に魅惑され。
夜の闇に響くその歌声を主題に詩を書いています。

ワーズワースにとって、詩の霊感をもたらし、
彼に生きることの喜びを教えてくれる鳥は、
「郭公」(かっこう)でした。

パーシー・シェリーは「雲雀」(ひばり)の声に魅惑され。
ひばりを崇拝する鳥として。
主題とした詩を書いています。

「夏」から「秋」への

移り変わりは

二階から。

「かけあし」の足音の。

とんときこえぬ。

「空き家」のような。

「うつろいかた」でした。

二階から。

「かけあし」の足音がきこえない。

まるで「かげろう」

の「たたずまい」のように。

季節がうつろいました。

「9月」の初秋がおわり。
「名月中秋10月もおわり」ました。
「11月」。

「11月」もおわりました。
「12月」もおわりました。
「新年」「初春」の「1月」もおわり。
「2月」「晩冬」もおわりました。
「春」「夏」がおわりました。

「夏」から「秋」への移り変わりは

「かげろう」のようにうつろいでいきます。

「秋」はひそやかにと。

こっそりと。ゆっくりと。

しのびあしで。あるいて来ます。

そしてゆっくりと。

「冬」にむかってまで

あるいて去って行くようです。

だから。

「秋」をまつのであれば。

「秋」がひそやかに。

しのびあしで。

歩いてくるのをまたなければ。

なりません。

「秋」がくるのをまつのであれば。

すぎさる「夏」がゆっくりと。

しのびあしで。

歩いていくのをまたねば。

なりません。

「かぜのおとに*」おどろかされるまで。

またねばなりません。

秋きぬと目にはさやかに見えねども 

風の音にぞおどろかれぬる

(藤原敏行・古今集169)

いまは「秋」ですね。

「秋」はゆっくりとあるいてやってくる。

「秋」がひそやかにかくれてやってくる。

さきのことすぎるかもしれないが「来年」。

このように「時」のうつろいを

心はせれば。

考えると「おそろしいもの」です。

考えなければ。
「なおおおそろしい」
ものであるものかもしれない。

「考えずにいるつけ」がまわって
くるからかもしれません。

「来年」のことを考えれば。

「鬼」が笑う。

「来年」のことを考えずに。

すむのであれば。

「鬼」は

笑わないのでしょう。

「鬼」とはなんだろう。

「日本以外の国」には。

「鬼」という「怪物?」は。

存在しないのでしょう。

今日の深夜早朝03:15amには。

久方ぶりに。

大きな「秋」の「星空」がみえました。

早朝くらいうちは。

空に月。

「お月様」が「雲のじゅうたん」に。

天高くにねそべって。

かさををさしている。

ようです。

「秋」の「夜空」の。

「おぼろ月夜」です。

「オレンジいろの月」でした。

06:00amころ日があければ。
まだまだくらい朝日を背に。
西のコバルトの空高く明るい。
とても高い成層圏近くの高い高度に。

西のコバルトの空高に。
「刷毛」でひいたように「絹雲(けんうん)」が
何本も何本も。
描かれて。
たなびいていました。

実に見事な筆捌(ふでさばき)です。
ためらいのない「朝焼け」
「秋」の「朝焼け色」の線描です。

「秋」の朝。

「陽射し」ののぼるころは。

「西」の空

のほうが明るいのです。

朝が明けて午前になれば。

まばゆいほどの。

「秋」のひざしが。

陽がのぼる。

東から。

窓のカーテンと。

木々の合間をぬって。

「さあ 外においで!」

とさそうがごとく。

大きな声で。

よびかけてくるようです。

ハーメルンの笛吹き男のようです。

高い成層圏近くの高い高度に。
「刷毛でひいたように」「絹雲(けんうん)」
の端には渦巻きのような「ぬけあな」があり
「さらなる遠方の青空」が透けてみえます。

さながらにして。
東山魁夷画伯の描かれた大きな壁画。
大きな屏風絵の世界。

東山魁夷画伯の描かれた大きな絵画を
彷彿とさせますです。

東山魁夷画伯。
「よくえがかけた画伯です」。

この「あおぞら」をみていると。

陽のひかりをみていると。

とても

信じられないくらいに。

元気がわいてくることに。

気が付きました。

「太陽」の「陽射し」。

「陽」の「めぐみ」は。

なんと。

ありがたいことだろう。

なんと尊いことだろう。

そら一杯の青空の

天井(てんじょう)と。

「太陽のひかりのひざし」は。

「生きとし生けるもの」にとって。

なによりもの。

まことの。

「めぐみ」です。

それを戴けるのは。

「よろこび」おおきこと。

「太陽のひかりのひざし」は

「いのちへのめぐみ」。

「いのちのよろこび」。

ありとあらゆる「生命」「いのち」をはぐくみ。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をたたえる。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をなぐさめる。

「生きとし生けるもの」の「いのち」に。
さらなる。
「はるかかなた」までの。
「いきるちから」をさずけるものです。
「太陽」。

ありがたいものです。

はやいものです。
ときのたつのは。
はやいものです。

そしてふと考えれば

去年も
「12か月」が
終わりました。

中秋から晩秋にうつろい。
「寒月」の「12月」がおわり。
新年の「1月」がおわり。
「晩冬」の「2月」がおわり。
「初春」の「3月」「4月」がおわり。
「夏」「8月」がおわり。
「秋」「9月」はおわり。
今は「10月」。

「秋の花」の花の花びら。

ひろって。
手のひらにかかげれば。
「秋の花」の花のかおりは。
プラチナ色の香りが
致します。

今は。
「秋の花」が。
蕾をふくらませています。
「秋の花」の。

はながは鐘袖(ベル・スリーブ)のように。
ふくらんでいます。

「秋」の花の「はなびら」が。

闇夜のあいだに。

朝の早朝まだ。

「花」にもきがつかぬうちに

また地に舞い下りています。

「秋の花」

には。

ひとのよの。

「人のいのち」の。

「こたえ」があるような

気が致します。

ふと野の花は。

一般的には。

香らない花が。

多いことに気づきました。

伊藤左千夫の「野菊の墓」の「野菊」は。
矢車菊 (やぐるまぎく)
はとても綺麗なむらさきの「のぎく」です。
けれども「のぎく」は香りません。
(Corn lower, Bachelor's-button)です。

因みに
最高級の(今はもうとれない)
インド・カシミール地方で産出されたの
サフアイアの色は

「矢車菊色:やぐるまそう色」といわれます。

「カシミール・ヴァイオレット」。

麦畑やとうもろこし畑の中に 咲いていたことから。
「コーン・フラワー」=「野菊」(Corn lower)
です。

別名 「矢車草(やぐるまそう)」
といわれることがあります。

実は「矢車菊 (やぐるまぎく)」と
「矢車草(やぐるまそう)」まったく違う植物です。
矢車菊 (やぐるまぎく)が「野菊」。
「矢車草(やぐるまそう)」は「高山植物」。

「野菊」は春から夏にかけて咲くむらさきの花です。

古代エジプトのツタンカーメン王の墓 からも
発見された由緒正しき「野菊」。
色は紫。むらさきです。

ツタンカーメン王の。

まだ幼な子王妃が。

「亡きツタンカーメンンに野菊の花束ささげるけなげな姿」
が鮮烈に眼に浮かびます。

この「花」が。

「野菊」です。

「野菊の墓」の「野菊」。

けれども。

「野菊」は

香らない。

毎朝暗い早朝と。

うす暗くなる午後6時ころには。

「季節風」が

ふいている。

「季節風」がかわりばんこに。

あちこちで

「ろうろう」「こうこう」とないています。

「秋かぜ」の
「季節風」の
の「コーラス」を聞いていると。

ふと。

「この「秋」におびえるひと」の気配が
脳裏をはしりました。
はてだれだろう。

うら若き乙女。
貧しさに。
苦労に苦労をかさねて。
苦しんで苦しんだ苦しんだあげくに。
24歳にして世を去った
「樋口一葉」。

樋口一葉の
「秋」ではあるけれども。
「うらわかき」「「冬」と「春」の短歌」がきこえるようです。

散たまるふもとの落葉わけて思ふ
埋もれぬべきは雪の山里

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ
うもれぬへきはゆきのやまさと

庭の面につもる紅葉の色見れば
散りての後もにしきなりけり

にわのおもにつもるもみしのいろみれば
ちりてのあともにしきなりけり

世の中の秋にあはじとおくれけん
一もと野ぎく思ひあがりて

よのなかにあきにあはしとおくれけん
ひともとのきくおもひあがりて

折々に散るものどけし春雨の
はれたる軒の山桜ばな

おりおりにちるものどけしはるさめの
はれたるのきのやまさくらばな

わが園のものとおもへば初わかな
はつかなれども嬉しかりけり

わがそののものとおもへばはつわかな
はつかなれどもうれしかりけり

立ち渡る霞をみれば足引きの
山にも野にも春は来にけむ

たちわたるかすみをみれはあしひきの
やまにものにもはるはきにけむ

わたつ海の波のいづこに立ち初て
果なくつゝむ春の霞ぞ

わたつみのなみのいづこにたちそめて
はてなくつつむはるのかすみぞ

さざ波やしがの都のいにしへの
おもかげうすく立つ霞かな

ささなみやしかのみやこのいにしえの
おもかけうすくたつかすみかな

鶯のけさおとづるゝ声聞て
はじめて春の心地こそすれ

うくいすのけさおとつるるこへききて
はしめてはるのここちこそすれ

うれしくもわがものにして聞てけり
このあかつきの鶯の声

うれしきもわかものにしてきこへけり
このあかつきのうくいすのこへ

のどかなるけさの雨にやはるの野の
みどりも色まさるらむ

のとかなるけさのあめにや
はるののの
みとりのいろもまさるらむ

おくれたる友の為にとしをりして
谷間の蕨折り残しけり

おくれたるとものためにとしをりして
たのまのわらひおりのこしけり

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ

うもれぬへきはゆきのやまさと

にわのおもにつもるもみしのいろみれば

ちりてのあともにしきなりけり

よのなかにあきにあはしとおくれけん

ひともとのきくおもひあがりて

-------------------------------

おりおりにちるものどけしはるさめの

はれたるのきのやまさくらばな

わがそののものとおもへばはつわかな

はつかなれともうれしかりけり

たちわたるかすみをみれはあしひきの

やまにものにもはるはきにけむ

わたつみのなみのいづこにたちそめて

はてなくつつむはるのかすみぞ

ささなみやしかのみやこのいにしえの

おもかけうすくたつかすみかな

うくいすのけさおとつるるこへききて

はしめてはるのここちこそすれ

うれしきもわかものにしてきこへけり

このあかつきのうくいすのこへ

のとかなるけさのあめにや

はるののの

みとりのいろもまさるらむ

おくれたるとものためにとしをりして

たのまのわらひおりのこしけり

「24歳」の「とても貧しい乙女」の。

「夏」によろこび。

「夏」にもおびえおののく。

隠したくはない「乙女のほこり」

けれども。

隠さざるを得ぬ「乙女のほこり」

かなしさの。おもかげと。

光さす。輝きと。

お若い「御婦人」の「知」「智」が。

ほこりたかくも。

そしてはかなくも。

「ひしひし」とよみとれます。

「秋」の女神(めがみ)の。

「竜田姫(たつたひめ)」の

「秋」になりました。

これからは日は。
陽は次第にみじかくなる。
日が短くなる。
朝は明けるのは遅くなり。
夕に暗くなるのは早くなる。

しだいに陽がみじかくなる。
なぜか。
不思議なやさしさ。
やすらぎと。
心やすらかなる
安堵感をかんじます。

心やすらかなる
安堵感をかんじます。

けれども。
「安堵」と「落胆」は。
常に表裏一体。
両羽(もろば)の剣。

「ぬかよろこび」の「ぬか」のような
ものです。

「ながくなる陽」も両羽(もろば)の剣を
持っています。

そして。
季節には「大気の音色(ねいろ)」もあるようです。

朝空は
陽ははるかに天高く。
空色はミルク色です。
クリームのかかった雲空です。

東京都世田谷区山本クリニックの庭園には

「えどむらさき」という「つつじ」
が「何本」もはえています。
野生種に近いものです。
大きな真紅紫の花を咲かせます。

「つつじ」ですから
盆栽の「皐月:さつき」のような
繊細さはみえません。

この「9月」になり。
森山を分け入ると。

木々の根元に隠れ咲く。
だいだい色の花の花のごとくに紅葉したまま
しもがれする
「やまはぜの葉木」が「大好き」です。

「やまうるしの紅葉」もかわいらしく。
「大好き」です。

身の丈以上ほどにもなって群生する。
野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
が。
病院の林の一角に野生のまま
おいしげっています。

野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
のパープルの真珠が群れたように実る
「実りの木の実」の風にそよぐ音色には。
おどろかされます。

あけびつたもうれしい。
あけびの「実」がみつかればなおなおうれしい。

またたびをみつけました。
根元にねこにかじられきずがある。

里山の冬の時期から。
そして初春の里山の季節
になりました。

四季の歩みの春夏秋冬のうつろいは
メトロノームの「あゆみ」を
感じさせます。

この「あゆみ」の「質量」は
とてもとても高いです。
質量があれば。あたかも。
重力のように。
四季のリズムにひきよせられていく。
そのような感じがします。

四季の歩みの春夏秋冬は。
フアジーでいてなお着々。
確実な「リズム」を感じます。

ここに。
「メロディ:旋律」とハーモニー:和声」
がくわわれば「音楽の三要素」。
音楽と同じです。

草花や草木につつまれた自然は。
「音楽」と同じように
ひびきとして聴こえます。

自然は
「しぜん」の
「ヴィルトオーゾ」と
「ヴィルトゥオーサ(virtuosa)」
*です。

この「自然のフイルハーモニウム」の。
指揮者は。
太陽なのか大地なのか人なのか。

或は音色をかもし出す自然はオーケストラ
であるのか。
ソリストなのだろうか。

私の尊敬する「合衆国USA」の
女性で小説家(「ノーベル賞受賞者」)
「パール・サイデンストリッカー・バック
(Pearl Sydenstricker Buck)
中国名、賽珍珠(サィ・チンシュ)」
パールバックの「大地」に
その「こたえ」が示唆されています。

古代より芸術家が
自然を音楽や絵画や彫刻
で表現しようとした気持ちが良く判ります。

*ヴィルトゥオーソ(virtuoso)は、
「博識、達人」を意味するイタリア語の男性名詞である。
複数形の場合はヴィルトゥオーシ(virtuosi)
、女性形はヴィルトゥオーサ(virtuosa)となる。
ラテン語のvirtus(「男らしさ」「美徳」「至高」の意)を語源とし、元来は「有徳の」「誉められるべき」
を意味する形容詞の男性形であった。

実際の楽曲ではこの三要素は。
密接に音楽的に結びつきひとつの楽曲をなします。

但し音楽の「リズム・メロディ・ハーモニー」は
一つだけを明確に取り出せる「成分」というわけ
ではありません。

また「音楽であるため」に。
三要素が絶対必要ということ
でもないでしょう。

邦楽などではリズム・ハーモニーは
存在しないか希薄である事が多いです。
「音楽」として「欠陥」があるわけ
ではありません。

「リズム・メロディ・ハーモニー」
が西洋音楽の常識ではありえないほど
高度な進化を遂げた音楽も存在致します。

邦楽もその一つです。

大和の国 やまとのくにの自然は。
「大和の国の音楽」と同じように思えます。
聴こえます。

「音楽」は「音」「おと」です。
そして「しらべ」=メロディとハーモニーです。
人類が「この音楽」を「楽譜」として
「寸分たがわず」「譜面」という名の「紙」に
「かくことを完成させた」ということは
大変なことです。

人間は。
人類は。
わずか「400年」で。

「音楽の旋律」に対する「楽譜」を。
「あらたな言語」を
完全に「完成」させたことになります。

まさにミューズの神の「神業かみわざ」です。

木々のめぶきの
冬なおも。
ますます力強い息吹を感じます。

「真夏」をすぎ「冬」になると。
再び「若葉」がみられることに。
きづきました。
「ため息」がでるほど木々の「冬若葉」の
「つどい」は「つよく」「うつくしい」。
雪の上のみどり。

木々のてっぺんは萌黄色から
「ふかみどり」
になりました。
そして「しっかりと樹木として
「冬を迎えた葉束」になりました。
これからは
「深まる冬」がすぎさり「春」。
「開花」の炎が。
樹木の上方で。
「雪の到来」を.
くすぶりてまちわびてています。
たえしのぶ冬の樹木です。

高い木々の穂先は萌黄から若草色に。
うねるなみのように。
木々の新緑は常緑となり冬のおとずれを
伝えていました。

桜は葉桜から「葉木」
道路沿いの「けやき」の木々も
萌黄から若葉。
そして青葉。
どうもうともいえる青葉。
そして見え隠れする「紅葉葉」。
紅葉葉の10枚20枚がひとつひとつ
の樹木にみえるようになりました。
「黄色調」です。
そして今「樹木」は「葉のいろ」をかえ
「宙」に舞おうとしています。

明らかなる。
「冬から春」とはことなる。
「夏から秋」。
「秋から冬」
そして「冬」の「木枯らし」。

木々の四季の。
大気の「色」のうつろい
に気づきます。

今は里山(さとやま)をさまよい。
今は里山(さとやま)をあるきたい。
今は里山(さとやま)の季節。
今は昔々里山(さとやま)であそび。
今は昔々て里山(さとやま)でおぼえ。
今は昔々里山(さとやま)でまなんだ。
今は昔々のその日々の思い出は。
今は黄金(こがね)か。あるいは。
今は銀か。いぶし銀か。
今はもしかしたらプラチナか。
今は思い出色は鉛のように。
今は重さは鉛のようになり。
今は心の奥深くに埋もれて感じられます。

「幸せ色」=「しあわせいろ」

ならばよいです。

けれども
早朝は非常にあたたかくなりました。

やま中さまよいて
やま中をわけいらば
やま中大樹の根元に隠れたり
やま中あけぼの色のちひさき炎(ほのほ)
やま中みつけたりやまの秋の華。
やま中やまの秋葉木のかくれんぼ
やま中大樹の根元に隠れたり
山はぜの葉木。
やま中やまうるしの葉木。
やま中あきやまはぜとふるやまうるし。
「はだか木」。
元気な木。たくましき木。

山萩(やまはぎ)の
花をかくして燃えたたむ
あきに実りの祭りなり
あき山はぜの葉炎
あき天高く燃ゆ

やまはぎの
はなをかくしてもえたたむ
きせつにみのりのまつりなり
きせつやまはせのほのほ
きせつてんたかくもゆ

ひろくなりけり空(そら)たかし
さとやまに木々のみどり木
こもれびうけて燃えるがごとし
みどりの炎(ほのほ)
ほのほうちけさむかすみはあおし
ほのほにかすみにただよひて
うるわしくかがやきたり
あたたかくかおりたり
あざやかなりけり 
やまさとのやまみどり
やまさとのふかみどり

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
は「英国:United Kingdom UK」の
「風景画家」
天才画家ですが「緑」が大嫌い
で「黄色」が「大好き」。
「木」をかくのを非常にいやがったそうです。

多分ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
が「修行時代」に「お金にために
「どこの国も同じですが」
「名所絵」をかかされたときの
「反動」ではないかと
今の私は考えます。

「大きな夏みつけた」

から

「夏がすぎてて真秋間近い」

「小さな秋みつけた・。」

そして

「小さな冬みつけた」

そして

「大きな冬みつけた」。

そして

「小さい春」がみつかって。

しだいにおおきな。

「春」になりました。

「夏」がちかづく「八十八夜」

今はふたたび「秋」。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成21年01月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年2月11日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年3月20日(金曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年7月20日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年8月14日(金曜日)と15日(土曜日)
の「二日間」
は病院の医療コンピューターの更新のため。

診療ができないので二日間「休診日」になります。

平成21年8月13日(木曜日)まで平常どおり。
平成21年8月18日(日曜日)から平常どおり。
はおわりました。
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平成21年9月21・22・23日
(月曜日)(火曜日)(水曜日)
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年10月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
++++++++++++++++++++++

平成21年11月 3日(火曜日)
平成21年11月23日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
++++++++++++++++++++++

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらず
インフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。

「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。
1979年、陽子崩壊の検出を主目的に。
岐阜県神岡鉱山跡に「カミオカンデ」の建設を
開始。
1983年、「カミオカンデ」が完成し観測を開始。

宇宙ニュートリノの検出に対する
パイオニア的貢献をされた。

2002年 -
小柴昌俊東京大学名誉教授に。
ノーベル物理学賞が贈られることが決定した日です。

++++++++++++++++++++++

小柴 昌俊:こしば まさとし、1926年9月19日 - )は。
、日本の物理学者です。

2002年
「天体物理学とくに宇宙ニュートリノの検出
に対するパイオニア的貢献」
によりノーベル物理学賞を受賞致しました。

素粒子物理学・宇宙線物理学の分野で。
多大な業績を上げられています。

日本学士院会員。
息子は
香川大学工学部教授で材料物理工学者の小柴俊です。

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小柴 昌俊:こしば まさとし、1926年9月19日 - )
は。

愛知県豊橋市出身。
東京大学理学部物理学科卒業です。

米国ロチェスター大学大学院博士課程修了。
ロチェスター大学にて18か月でPh.D.を取得致しました。

同大学における最短期間での博士号取得者です。
この最短記録は現在でも破られていません。

++++++++++++++++++++++

小柴 昌俊:こしば まさとし、1926年9月19日 - )
は。
学位は東京大学理学博士、
ロチェスター大学Ph.D.。
称号は東京大学特別栄誉教授・東京大学名誉教授、
明治大学名誉博士、
東京都名誉都民、
杉並区名誉区民。
勲等は勲一等旭日大綬章、

文化勲章受章。

++++++++++++++++++++++

現在は。
小柴 昌俊:こしば まさとし、1926年9月19日 - )
は。
平成基礎科学財団 (HFforBS) 理事長、
21世紀臨調特別顧問。

自らを
「変人学者」
「東大物理学科をビリで卒業した落ちこぼれ」と。
称されています。

現場主義の研究者としての立場を貫いています。

また後進の教育・指導にも手腕を発揮され。

「私の研究を受け継いだ者の中から、
ノーベル賞を受賞する研究を成し遂げる者が
あと2人は出るであろう」
と発言されました。

注目を浴びています。

++++++++++++++++++++++

小柴 昌俊:こしば まさとし、1926年9月19日 - )
経歴
1926年9月19日、愛知県豊橋市に生まれました。
父は陸軍歩兵大佐小柴俊男。

1939年、神奈川県立横須賀中学校
(現・神奈川県立横須賀高等学校)
1年生のときに小児麻痺に罹患致しました。

1944年3月、同中学校卒業。

1944年4月、東京明治工業専門学校
(現・明治大学理工学部)に入学(1945年1月に退学)。

1945年4月、
旧制第一高等学校(現・東京大学教養学部)入学。

1948年4月、東京大学理学部物理学科に入学。

1951年3月、同大学同学部卒業。

1951年4月、東京大学大学院に入学。
研究テーマは原子核乾板による素粒子実験学。

1953年9月、朝永振一郎の推薦により
米国ロチェスター大学大学院に留学。

1955年6月、ロチェスター大学大学院修了 (Ph.D.) 。
シカゴ大学研究員。

1959年、一時帰国し、慶子夫人と結婚。
媒酌は朝永振一郎夫妻。後に1男1女を設ける。

1962年、帰国。東京大学原子核研究所助教授。

1963年、東京大学理学部物理学科助教授。

1967年、東京大学理学博士

1970年3月、東京大学教授。

1974年、東京大学理学部内に
高エネルギー物理学実験施設
(現、東京大学素粒子物理国際研究センター)を設立、
施設長・センター長を務めました。

++++++++++++++++++++++

1979年、陽子崩壊の検出を主目的に。
岐阜県神岡鉱山跡に「カミオカンデ」の建設を
開始致しました。

1983年、「カミオカンデ」が完成し観測を開始。

1987年2月23日、
午前7時35分35秒(世界標準時)から
大マゼラン星雲内で起きた
超新星SN1987Aからのニュートリノを
「カミオカンデ」が検出。

++++++++++++++++++++++

1987年4月1日、東京大学を定年退官。
1987年5月、東京大学名誉教授。
1987年8月、東海大学理学部教授。
2003年、平成基礎科学財団を設立し、理事長に就任。
その他役職
財団法人高エネルギー加速器科学研究奨励会評議員
財団法人日本宇宙少年団顧問
社団法人国際経済政策調査会理事
財団法人高松宮妃癌研究基金評議員
財団法人関信越音楽協会理事

++++++++++++++++++++++

受賞歴
1985年、ドイツ電子シンクロトロン研究所(DESY)に
おける国際共同研究の業績によりドイツ連邦共和国から
「ドイツ大功労十字章」を受賞。

1987年、『超新星爆発に伴うニュートリノの検出』により、
戸塚洋二(東京大学理学部)、
須田英博(東京大学宇宙線研究所)と共に
仁科記念賞受賞。

また、同業績に対し、
「神岡観測グループ(代表者小柴昌俊)」に
朝日賞が授与される。

1997年、フンボルト賞、文化勲章受章。

2000年、レイモンド・デイヴィスと共に
ウォルフ賞(物理学)を受章。

2002年、
「天体物理学とくに宇宙ニュートリノの検出に対する
パイオニア的貢献」
によりノーベル物理学賞を受賞。
ニュートリノ天文学という新しい学問分野を開拓
致しました。

2002年、
杉並区名誉区民称号受領、
明治大学名誉博士の名誉学位受領。

2003年、
勲一等旭日大綬章受章。東京都名誉都民称号受領。

2005年、
東京大学から特別栄誉教授の終身称号を授与される。

小柴賞
財団法人高エネルギー加速器科学研究会では、
小柴の業績を記念してその「奨励賞」に。
2003年度から「小柴賞」を設けました。

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小柴昌俊
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9F%B4%E6%98%8C%E4%BF%8A

小柴 昌俊
(こしば まさとし)
誕生 1926年9月19日(83歳)
日本 愛知県豊橋市
研究分野 素粒子物理学
宇宙線物理学
天体物理学
研究機関 東京大学
東海大学
母校 東京大学
主な業績 ニュートリノ天文学の開拓
超新星からのニュートリノの検出
主な受賞歴 仁科記念賞(1987年)
文化勲章(1997年)
ノーベル物理学賞(2002年)
表・話・編・歴
ノーベル賞受賞者
受賞年:2002年
受賞部門:ノーベル物理学賞
受賞理由:天体物理学とくに宇宙ニュートリノの検出に対するパイオニア的貢献

小柴 昌俊:こしば まさとし、1926年9月19日 - )は、日本の物理学者。2002年「天体物理学とくに宇宙ニュートリノの検出に対するパイオニア的貢献」によりノーベル物理学賞を受賞。素粒子物理学・宇宙線物理学の分野で多大な業績を上げた。日本学士院会員。息子は香川大学工学部教授で材料物理工学者の小柴俊。

人物
愛知県豊橋市出身。東京大学理学部物理学科卒業。米国ロチェスター大学大学院博士課程修了。ロチェスター大学にて18か月でPh.D.を取得。同大学における最短期間での博士号取得者。この最短記録は現在でも破られていない。

学位は東京大学理学博士、ロチェスター大学Ph.D.。称号は東京大学特別栄誉教授・東京大学名誉教授、明治大学名誉博士、東京都名誉都民、杉並区名誉区民。勲等は勲一等旭日大綬章、文化勲章受章。

現在は、平成基礎科学財団 (HFforBS) 理事長、21世紀臨調特別顧問。

自らを「変人学者」「東大物理学科をビリで卒業した落ちこぼれ」と称し、現場主義の研究者としての立場を貫いている。また後進の教育・指導にも手腕を発揮し、「私の研究を受け継いだ者の中から、ノーベル賞を受賞する研究を成し遂げる者があと2人は出るであろう」と発言、注目を浴びている。

経歴
1926年9月19日、愛知県豊橋市に生まれる。父は陸軍歩兵大佐小柴俊男。
1939年、神奈川県立横須賀中学校(現・神奈川県立横須賀高等学校)1年生のときに小児麻痺に罹患する。
1944年3月、同中学校卒業。
1944年4月、東京明治工業専門学校(現・明治大学理工学部)に入学(1945年1月に退学)。
1945年4月、旧制第一高等学校(現・東京大学教養学部)入学。
1948年4月、東京大学理学部物理学科に入学。
1951年3月、同大学同学部卒業。
1951年4月、東京大学大学院に入学。研究テーマは原子核乾板による素粒子実験学。
1953年9月、朝永振一郎の推薦により米国ロチェスター大学大学院に留学。
1955年6月、ロチェスター大学大学院修了 (Ph.D.) 。シカゴ大学研究員。
1959年、一時帰国し、慶子夫人と結婚。媒酌は朝永振一郎夫妻。後に1男1女を設ける。
1962年、帰国。東京大学原子核研究所助教授。
1963年、東京大学理学部物理学科助教授。
1967年、東京大学理学博士
1970年3月、東京大学教授。
1974年、東京大学理学部内に高エネルギー物理学実験施設(現、東京大学素粒子物理国際研究センター)を設立、施設長・センター長を務める。
1979年、陽子崩壊の検出を主目的に、岐阜県神岡鉱山跡に「カミオカンデ」の建設を開始。
1983年、「カミオカンデ」が完成し、観測を開始。
1987年2月23日、午前7時35分35秒(世界標準時)から大マゼラン星雲内で起きた超新星SN1987Aからのニュートリノを「カミオカンデ」が検出。
1987年4月1日、東京大学を定年退官。
1987年5月、東京大学名誉教授。
1987年8月、東海大学理学部教授。
2003年、平成基礎科学財団を設立し、理事長に就任。
その他役職
財団法人高エネルギー加速器科学研究奨励会評議員
財団法人日本宇宙少年団顧問
社団法人国際経済政策調査会理事
財団法人高松宮妃癌研究基金評議員
財団法人関信越音楽協会理事

受賞歴
1985年、ドイツ電子シンクロトロン研究所(DESY)における国際共同研究の業績によりドイツ連邦共和国から「ドイツ大功労十字章」を受賞。
1987年、『超新星爆発に伴うニュートリノの検出』により、戸塚洋二(東京大学理学部)、須田英博(東京大学宇宙線研究所)と共に仁科記念賞受賞。また、同業績に対し、「神岡観測グループ(代表者小柴昌俊)」に朝日賞が授与される。
1997年、フンボルト賞、文化勲章受章。
2000年、レイモンド・デイヴィスと共にウォルフ賞(物理学)を受章。
2002年、「天体物理学とくに宇宙ニュートリノの検出に対するパイオニア的貢献」によりノーベル物理学賞を受賞。ニュートリノ天文学という新しい学問分野を開拓した。
2002年、杉並区名誉区民称号受領、明治大学名誉博士の名誉学位受領。
2003年、勲一等旭日大綬章受章。東京都名誉都民称号受領。
2005年、東京大学から特別栄誉教授の終身称号を授与される。
小柴賞
財団法人高エネルギー加速器科学研究会では、小柴の業績を記念してその「奨励賞」に2003年度から「小柴賞」を設けた。

その他
東京大学本郷キャンパスの理学部1号館には小柴昌俊のノーベル賞受賞を記念して「小柴ホール」が設置された。
研究室の学生たちからは、『親分』と呼ばれる[1]。
私生活では由美かおるのファンとして知られる[2]。
ゲームソフトのファイナルファンタジーを好んでプレイしている事をテレビ番組[2]で告白し、「世界最年長のゲーマー」と言われている[要出典]。
大学院生時代に、当時、神奈川県横須賀市にあった栄光学園にて物理の臨時講師を担当した。「この世に摩擦がなければどうなるのか」との質問を生徒に出題。摩擦がないと鉛筆の先が滑って答案は書けない、それ故に正答は「白紙答案」。解答を記入すると不正解になる難問を出題した[3]。
2002年のノーベル賞受賞は田中耕一と同時期であり、マスコミの注目度では「サラリーマンのノーベル賞受賞」のほうが遥かに上であった。そのため田中耕一を妬んでいるといった、悪意ある中傷がなされた事がある。実際、マスコミの取材に対して不機嫌そうな態度を取る事があったとされるが、それはあまりにレベルが低いインタビューに立腹したからというのが真相であると言われる[4]。上述の通り「変人」を自称する小柴にとって自身のノーベル賞は望外の幸運であり、後進の指導に熱心な事から後継者のノーベル賞受賞こそが望みであったと言われる[要出典]。
趣味はクラシック音楽。モーツァルト愛好家でも知られる。[5]
物理学者の戸塚洋二は愛弟子の一人である。
著書
『ニュートリノ天文学の誕生』(講談社ブルーバックス 1989年)
『ニュートリノ天体物理学入門』(講談社ブルーバックス 2002年)[上記書の改訂版]

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10月8日
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http://ja.wikipedia.org/wiki/10%E6%9C%888%E6%97%A5

できごと
451年 - カルケドン公会議がはじまる。
1203年(建仁3年9月2日)- 源頼家の外戚として権力を誇った比企能員が滅ぼされる。(比企能員の変)
1455年(康正元年8月27日)- 日野富子が足利義政の正室になる。
1716年(享保元年8月23日)- 江戸幕府の役職として御庭番が新設。
1813年(嘉慶18年9月15日)- 林清率いる天理教徒が北京の紫禁城を攻撃。
1856年(咸豊6年9月10日)- アロー戦争の嚆矢となるアロー号事件が起きる。
1862年 - 南北戦争: ペリービルの戦いが行われる。
1862年 - オットー・フォン・ビスマルクがプロイセン王国首相となる。
1866年(慶応2年8月30日)- 廷臣二十二卿列参事件が起こる。
1868年(明治元年8月23日)- 会津戦争: 母成峠の戦いに勝利した官軍が若松城下に到達。
1871年 - シカゴ大火。シカゴ中心部を焼失し、死者250人を出す惨事となる。
1879年 - 太平洋戦争 (南米): アンガモスの海戦が行われる。
1895年 - 乙未事変により閔妃が暗殺される。
1923年 - ベルリン・テンペルホーフ国際空港が開港。
1931年 - 満州事変: 関東軍が錦州を爆撃。
1932年 - インド空軍が発足。
1937年 - 寿屋(サントリー)が「サントリーウイスキー12年」(サントリー角瓶)を発売。
1954年 - 内郷丸遭難事件が起こる。
1956年 - ニューヨーク・ヤンキースの投手ドン・ラーセンがワールドシリーズ初の完全試合。
1959年 - 1959年イギリス総選挙の投票が行われる。
1967年 - 佐藤栄作首相の東南アジア歴訪に反対する新左翼各派が羽田空港で機動隊と衝突、1名の死者を出す。(第一次羽田事件)
1974年 - 佐藤栄作元首相にノーベル平和賞が贈られることが決定する。
1982年 - 国道24号奈良バイパスが全通。
1990年 - 国勢調査員殺人事件が発覚。
1994年 - プロ野球史上初の最終戦同率首位優勝決定戦中日対巨人。(10.8決戦)
1994年 - ウェスティンホテル東京が東京都渋谷区の恵比寿ガーデンプレイスに開業。
1995年 - オウム真理教教団幹部の上祐史浩が逮捕される。
1997年 - 金正日が朝鮮労働党総書記に就任。
1998年 - プロ野球セ・リーグ・横浜ベイスターズが38年ぶりにリーグ優勝。
1998年 - オスロ空港が開港。
1998年 - アメリカ議会でデジタルミレニアム著作権法が成立。
1999年 - 検察が1974年以来の冤罪「甲山事件」の第二次上訴を断念。無罪確定。
2000年 - リトアニアで議会選挙が実施。社会民主連立政党が勝利をおさめる。
2001年 - リナーテ空港事故が起こる。
2002年 - 小柴昌俊東京大学名誉教授にノーベル物理学賞が贈られることが決定する。
2005年 - パキスタン地震。パキスタン北部を中心にM7.6。
2008年 - 下村脩理学博士がノーベル化学賞を受賞。(前日のノーベル物理学賞に続き2日連続の日本人の受賞)

誕生日
1850年 - アンリ・ルシャトリエ、化学者(+ 1936年)
1890年 - カール・ハラー、政治家(+ 1926年)
1914年 - 岩崎勝太郎、実業家(+ 1991年)
1919年 - 宮澤喜一、第78代内閣総理大臣(+ 2007年)
1924年 - 土屋雅敬、元プロ野球選手
1930年 - 武満徹、作曲家(+ 1996年)
1930年 - 坂本休、元大分県日田郡中津江村長
1934年 - 藤尾茂、元プロ野球選手
1936年 - 土居甫、振付師(+2007年)
1936年 - 中馬弘毅、衆議院議員
1939年 - 北原謙二、歌手(+ 2005年)
1939年 - アラダー・ペゲ、ミュージシャン(+ 2006年)
1941年 - 三田佳子、女優
1944年 - 佐藤友美、女優
1947年 - 寺泉憲、俳優
1947年 - 龍反町、元プロボクサー
1948年 - クロード・ジャド、女優(+ 2006年)
1948年 - ジョニー・ラモーン、ギタリスト(ラモーンズ)(+ 2004年)
1948年 - バーニー・ウイリアムス、元プロ野球選手
1949年 - シガニー・ウィーバー、女優
1950年 - 宮本隆治、フリーアナウンサー、元NHKアナウンサー
1952年 - 宮澤隆、TBSアナウンサー
1955年 - 黒坂幸夫、元プロ野球選手
1955年 - 大竹伸朗、現代美術家
1957年 - 宮下あきら、漫画家
1959年 - 二村忠美、元プロ野球選手
1961年 - 岩切英司、元プロ野球選手
1962年 - 軽部真一、フジテレビアナウンサー
1963年 - 光宗信吉、作曲家
1964年 - 辻本茂雄、吉本新喜劇座長
1965年 - デニス・アーウィン、サッカー選手
1966年 - 升田尚宏、TBSアナウンサー
1966年 - 湯舟敏郎、元プロ野球選手・野球解説者
1966年 - 吉井和哉、ミュージシャン
1967年 - 安東弘樹、TBSアナウンサー
1967年 - 田口浩正、俳優
1968年 - ズボニミール・ボバン、元サッカー選手
1968年 - 鈴木一真、俳優
1970年 - 野村哲也、イラストレーター、
1970年 - マット・デイモン、映画俳優
1970年 - デーブ・ドスター、元プロ野球選手
1971年 - 小久保裕紀、プロ野球選手
1972年 - 上原潤之助、三味線演奏家・音楽プロデューサー
1972年 - 中ノ瀬幸泰、元プロ野球選手
1974年 - 室伏広治、ハンマー投選手
1974年 - 田波涼子、ファッションモデル
1975年 - 山本麻祐子、フジテレビアナウンサー
1976年 - 鮎川陽子、ファッションモデル・デザイナー
1976年 - toi8、漫画家、イラストレーター、アニメーター
1977年 - はっとりみつる、漫画家
1977年 - DJ SHUHO、DJ
1978年 - 中山エミリ、女優・タレント
1978年 - 村西辰彦、元プロ野球選手
1979年 - 小日向しえ、女優
1979年 - 森谷昭仁、プロ野球選手
1979年 - 山田将司、ミュージシャン(THE BACK HORN)
1979年 - 八幡えつこ、タレント
1979年 - クリスタナ・ローケン、モデル、女優。「ターミネーター3」のT-X役。
1980年 - 新妻聖子、ミュージカル女優
1980年 - 安原政俊、元プロ野球選手
1980年 - 川添將大、元プロ野球選手
1981年 - 矢作美樹、女優
1981年 - 載寧龍二、俳優
1982年 - 灘ジュン、AV女優・ストリッパー
1984年 - 春日萌花、女子プロレスラー
1985年 - ウエンツ瑛士、俳優、タレント、ミュージシャン
1986年 - 猪塚健太、俳優
1987年 - 平野綾、声優
1987年 - 中村優一、俳優
1988年 - 玉置慎也、サッカー選手
1989年 - アルマン・トラオレ、サッカー選手
1989年 - 三井麻由、グラビアアイドル、タレント
1990年 - 中田ちさと、AKB48
生年不詳 - 松原雅子、声優

忌日
1203年(建仁3年9月2日)- 比企能員、鎌倉幕府の御家人
1203年(建仁3年9月2日)- 源一幡、鎌倉幕府第2代征夷大将軍源頼家の嫡男(* 1198年)
1317年(文保元年9月3日)- 伏見天皇、第92代天皇(* 1265年)
1469年 - フィリッポ・リッピ、画家(* 1406年)
1594年(文禄3年8月24日) - 石川五右衛門、盗賊(* 1558年)
1647年 - ロンゴモンタヌス、天文学者(* 1562年)
1656年 - ヨハン・ゲオルク1世、ザクセン選帝侯(* 1585年)
1735年(雍正13年8月23日)- 雍正帝、清第5代皇帝(* 1678年)
1754年 - ヘンリー・フィールディング、小説家(* 1707年)
1772年 - ジャン=ジョゼフ・ド・モンドンヴィル、作曲家(* 1711年)
1782年(天明2年9月2日)- 牧庵鞭牛、僧・宮古街道開削者(* 1710年)
1793年 - ジョン・ハンコック、大陸会議議長(* 1737年)
1803年 - ヴィットーリオ・アルフィエーリ、劇作家(* 1749年)
1834年 - フランソワ=アドリアン・ボイエルデュー、作曲家(* 1775年)
1858年(安政5年9月2日)- 梁川星巌、漢詩人(* 1789年)
1865年 - ハインリヒ・ヴィルヘルム・エルンスト、ヴァイオリニスト・作曲家(* 1814年)
1869年 - フランクリン・ピアース、第14代アメリカ合衆国大統領(* 1804年)
1895年 - 閔妃、李氏朝鮮第26代王・高宗の妃(* 1851年)   
1904年 - クレメンス・ヴィンクラー、化学者(* 1838年)
1936年 - 下田歌子、女子教育家(* 1854年)
1944年 - ウェンデル・L・ウィルキー、政治家、アメリカ合衆国大統領候補者(* 1891年)
1945年 - フェーリクス・ザルテン、小説家(* 1869年)
1953年 - キャスリーン・フェリア、コントラルト歌手(* 1912年)
1954年 - 松本烝治、法学者・商工大臣(* 1877年)
1958年 - 由谷義治、政治家(* 1888年)
1959年 - 春風亭柳枝 (8代目)、落語家(* 1905年)
1966年 - セレスティン・フレネ、教育者(* 1896年)
1967年 - クレメント・アトリー、イギリス首相(* 1883年)
1967年 - 山崎博昭、新左翼活動家(* 1948年)
1978年 - シェルイ・ティボール、作曲家・ヴァイオリニスト・ヴィオリスト(* 1901年)
1982年 - フィリップ・ノエル=ベーカー、イギリス貴族院議員・陸上競技選手(* 1889年)
1992年 - ヴィリー・ブラント、ドイツ首相(* 1913年)
1995年 - 小川健太郎、元プロ野球選手(* 1934年)
2004年 - ジャック・デリダ、思想家(* 1930年)
2004年 - イリナ・デミック、女優(* 1936年)
2007年 - 旭五郎、東京ボーイズリーダー(* 1944年)
2007年 - ジョンヘンリー、競走馬(* 1975年)

記念日・年中行事

寒露(日本・中国・韓国など、2002年・2004年・2005年)
二十四節気の1つ。太陽の黄経が195度の時で、霜が冷気によって凍りそうになるころ。

コンビニATMの日(日本)
1999年10月8日、イーネットが全国で初めての
共同コンビニATMを設置した。
これを記念し、コンビニATMのさらなる発展を目指し、
2006年に株式会社イーネットが制定。

入れ歯の日(日本)
「い(1)れ(0)ば(8)」の語呂合わせ。
1992年に全国保険団体連合会が制定。

骨と関節の日(日本)
「ホネ」の「ホ」を漢数字の
「十」と「八」に分解したもの。1999年に日本整形外科学会が制定[1]。

FXの日(日本)
2008年にひまわり証券が制定。
1998年に国内で初めて個人投資家向けにFXの提供を開始した。