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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年10月14日(水曜日)

「3月」「4月」と「5月」の。

「春」はおわり。

「夏」「6月」そして「7月」「8月」

「9月」がおわり。

今は。

「10月」の「秋」になりました。

「みのりの秋」。

早朝にとてもたくさんの。

秋の虫のなきごえがきこえました。

秋の虫の声は大きくて。

遠くまでとどきます。

地や道路のうえをあるきまわる

ちからつよい鳴き声です。

「秋」の。

「10月」

になりました。

「秋」です。

「秋」は。

だまって訪れて。

だまって秋道中をあゆむもの

であることが

あらためて。

みにしみて。

感じられます。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。

まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

「秋」です。

今は。「10月」。

あたらしい「秋」です。

「10月」の「秋」になりました。

「昨年」の晩秋には。
晩秋の花木。
「金木犀:きんもくせい」花を咲かせました。
日々ますます花をさかせていました。
「実りの花」。

「金木犀:きんもくせい」は「秋」に「2度」咲きました。
「銀木犀:きんもくせい」も咲きました。
「金木犀:きんもくせい」の花は黄金色です。
「銀木犀:きんもくせい」の花は「プラチナ色」です。

かおりも全く違います。
「金木犀:きんもくせい」より。
「銀木犀:きんもくせい」は10日遅れで咲きました。

「昨年」の晩秋には。

「銀木犀:きんもくせい」も

「銀木犀:きんもくせい」も

昨年のはるかかなたに。

「花」はおわりました。

そして。

「木犀:もくせい」は。

今「10月」の「秋」を迎え。

さらなる深き。

「秋のさかり」の先にむけて。

もっともっと。

ゆたかな「みのり」をまつ。

準備をしています。

「木犀:もくせい」は常緑樹です。

「秋」になると。

「葉色」と「葉のあつさ」はかわります。

「「季節風」に耐える葉の厚さ」。

になります。

秋のみのりの花まで。

すこやかに育つ「葉」です。

「秋」の「10月」の。

「秋の樹木花」の花がみえます。

「秋の草花」の花もみえます。

「秋」の花木の。

「秋の花」が。

地面の上で。

「花びら」で存在を誇示しても。

木々の「花」は天上。

あおがねば。

「花」こそみえません。

けれども。

「「秋」の花」。

その「いのちの芳香」は。

とくとくと。

遠くまで。

ただよっているかのごとくです。

「10月」の「秋」です。

コロポックルのように。

地にひそむ。

「秋の草花」は元気です。

元気な「10月の秋」です。

「「秋」の花」の木は

花が落ちて。

「木や枝の下」に。

「フェルマータ"fermata"」*

が。

楽譜のように記譜されているような。

「「秋」の樹木」の「花」。

「落花生」のような。

「秋の花」です。

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C・

イタリア語におけるフェルマータ"fermata"とは。
英語"stop"に相当する名詞です。
(例えばイタリアのバス停の
標識には"Fermata"の表示があります)。

音楽美学の世界では。

絵画には限られた面積があるのと同じように。
音楽には。
「限られた時間」—つまり「初め」と「終わり」—があることが
宿命とされています。
古い時代の楽譜のときはその終止線の上下や終結音の
上下に現在のフェルマータのマークの基となったデザインが
配されました。

そこで音楽の終わりを意味致しました。

時間の流れを止めることはできません。
けれども曲の終わりでは。
音楽を止めることによってその時空に終わりが
発生することとなります。
「停止」という意味の"fermata"の概念はそのように
発生したと解されます。

付与された音符や休符で音楽の時間の流れを
停止させる意味を持ちます。

「♪」
に付与されれば
「♪」
その音のまま「停止」=「ずっと鳴り続ける」
「休止符」
に付与されれば
「休止符」
その旋律は「停止」=「ずっと鳴らない」
ことになります。
楽譜の節目の
縦線に付与される場合には。
一記譜上に存在しない挿入された休符が空白時間として
求められます。

ただし
前の音から伸ばされたタイ(スラー)が。
縦線の上を横切っている場合と
そこにピアノにおけるペダルなどの
保続効果の指示が見られる場合は。
空白時間として処理されず音を保続させる時間を
別途挿入することとなります。

フェルマータ"fermata"。

そのマークは「一日の終わりである日没」
に由来したデザインとも言われています。
-------------------------------

「秋」です。

のんびりと朝があけます。

とりわけ朝暗いうちは。

のんびりと朝はあけます。

はだにさむい朝です。

今朝早朝は。

暗いうち晴れて。

霧雨の合間に。

久方ぶりにたくさんのたくさんの。

星をみました。

そして天井の空高く。

ひさしぶりに「月」の

かがやきをみました。

地上の変化(へんげ)が天高くたちのぼり
月や星に結晶して。
芳香をはなつがごとく光をはなつように
見えます。

空気が澄み。
大気がすんでいるからでしょう。

「天高く」

(てんたかく)とは。

なるほどと考えます。

しっとりとした「10月」の。
「季節風」の。
「秋吹雪:あきふぶき」の合唱も。
なかなかすてきです。

ブラスでもない。木管でもない。弦でもない。
グラスハープの。
スラーをかけた。
オーケストラを聴いているようです。

「10月」になり
「秋吹雪:あきふぶき」のかぜおとは。
「アリア」として。
次第に出番が多くなりました。

中でも
「極めて大きな声でうたっている」
「あき吹雪:あきふぶき」が
「1-2」はいるのが不思議です。

「秋の花」の木の上か。
電線にとまったり。
またさらに
上空で「秋吹雪:あきふぶき」は。
歌っているようです。

うっすらと「まど」の隙間から。

「季節風」は。

焚き火のけむりのように。

はいりこもうとします。

「10月の秋かぜ」には。

「かおり」があります。

そぞろ そぞろに。
静かながらに。

「10月」の朝焼けと。
夕焼けどきに。

ひそやかながらもあきらかに。
「季節風」の。

気配にあと押しされて。

「確かな「10月の秋」」のかおりが。
大気にかげろううや蜃気楼のように
ただよいはじめています。

昼間はすずしい
陽射しを感じることが
多くなりました。

「10月」。

「秋」です。

そして。

「あたたかい元気な「秋」」です。

10月の「秋」の気配は。
あっというまに。
「秋」の「霞(かすみ)」に「霊気(れいき)」
のように。
おぼろに変化して。

次第に「ふかい「秋」」の気配にうつろいていく。
「井戸のつるべ」があがるようです。

「もっと深い「秋」」が。

ピアニッシモ。
ppで。
しのびよってきています。

朝日と東の朝焼け青空に。
「朝焼け」の。

空にはそらいろとピンクのレースのような

あやにしきの
「くれゆくなつのいろ」
「むかえくるなつのいろ」が感じられます。

陽射し(ひさし)やさしき。
空にも地にも天高くはれ。
大気のひそみかくれ。
そらにみちてあふれれば。
吐息(ためいき)となり。
吐息が霧雨か霞になり。
おりてくるような感じです。
のふかまりゆく気配
になりました。

街路樹はしっかりと
冬ながらも枝木の穂先もたわわにつよく
「晩冬」の萌黄色の若芽もち。
「初春」のあおい「木」にかわりました。
「新年」のあおい「木」は。

「実りの「春」」のおとづれを。
そしてさらなる「春の深まり」を超えて。

そして厳しい年月をがんばって。
「あたたかい「春」」を迎え。

今は。

「秋」をむかえています。

「本物の「秋」」。

「ふかい秋」

季節をのりこえ。

「あたらしい秋」になりました。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックの
庭の。

山椒(さんしょう)の木の芽が
にも若葉はそだち。
若葉は冬の若枝となり。
若枝は天高くすこやかにのび。
空気のふかまりにますますすこやかに。
山椒(さんしょう)の木のみどり葉。
空に燃えるが如くの炎葉です

さんしょうを
木の芽(このめ)といふは
なるほどと
かんがえる

深まりたり
空たかく
あやにしき
みどり木
さんしょう木
陽をあびてかがやけり
いざいまこそは
金色(かがね)にかわり
赤き空に燃えたたむ

さんしょう木
もえぎの炎(ほのほ)は芽葉(めは)
わかば葉はいずるは花ならむ
「季節風」こす枝は幹ならむ
いざいまこそは
空(そら)たかくもえたたむ
金色(こがねいろ)なる
さんしょう木
「季節風」深まれり

山本クリニックの庭には水槽が
「2つ」あります。
めだかが泳いでいます。

草を浮かべる水面(おも)に
めだかのむれのひかりたり
むれておよげるひめだかの
みずのなかなるちいさないのち
みずのなかなるおおほきないのち
みのりてあまたにとほときいのちこそ
いざみずもにうつしはぐくまむ

けれども
早朝は本当にはだ寒いのです。

小さなあきみつけたから
しだいに大きなあきみつけた。

大きなあきつけたから
さらに大きな大きなあきみつけた

「小さい「あき」みつけた」は。

「こころしずまる気」

がいたします。

「秋」になりました。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

平成21年1月12日(水曜日)は
「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年2月11日(水曜日)

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。
限られた診療スタッフで。
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
-------------------------------

平成21年3月20日(金曜日)

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
限られた診療スタッフで。
御予約の患者さんのみ。
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

-------------------------------

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年7月20日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

------------------------------

平成21年8月14日(金曜日)と15日(土曜日)
の「二日間」
は病院の医療コンピューターの更新のため。

診療ができないので二日間「休診日」になります。

平成21年8月13日(木曜日)まで平常どおり。
平成21年8月18日(日曜日)から平常どおり。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年9月21・22・23日
(月曜日)(火曜日)(水曜日)
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
------------------------------

平成21年10月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
------------------------------

平成21年11月 3日(火曜日)
平成21年11月23日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
------------------------------

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
季節の変わり目に「反復性上気道感染」に
なられるかたが多いです。

「世情は不安定」であり何かひとつ
生活しづらい日々を感じられる
かたも多いものです。。

人間は「倒れるまではたっています」。
人間は「冬・春」の旅に(度に)齢を重ねる。

昔の「数え年」は「たいした物」だと思います。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝。

「今日は何の日」は。
私の大好きなニュージランドの
「御婦人」の小説家。

才能あるチェリストでもありました。
けれども。
「文学」の道にすすまれた小説家。

1888年 -
キャサリン・マンスフィールド、小説家(+ 1923年)
の生誕日です。

++++++++++++++++++++++

キャサリン・マンスフィールド
:Katherine Mansfield,
本名:Kathleen Mansfield Beauchamp,
1888年10月14日 - 1923年1月9日)は。

ニュージーランド出身の作家です。

「意識の流れ」
を重視した作家のひとりとされます。

ニュージーランド生まれとしては最も有名な作家です。

主にイギリスで作品を発表致しました。

病のため短い作家生命に終わりました。

中流階級の家庭に起きるささいな事件とそれにまつわる
人間心理の機微を描いて高く評価されています。

その描写には作家本人の
孤独、疾病、嫉妬が反映されていると共に。

アントン・チェーホフの影響が強いです。

++++++++++++++++++++++

キャサリン・マンスフィールドは。

ニュージーランド、ウェリントンの
中流家庭に生まれました。

父親は銀行家、母親も良い家柄の出でした。

幼年期を送った現ウェリントン郊外のカオリ(Karori) は
田舎でした。

後にその頃のことを
「いつも何かを書いていたと思います。
戯言めいたことですよ。

でも、戯言でもなんでも書いている方が、
ずっと、ずっとよかった。
そうしなければ何もなかったから」
と語っています。

9歳の時に初めて自分の文を出版しています。

++++++++++++++++++++++

キャサリン・マンスフィールド:Katherine Mansfield
は。
1903年にロンドンの Queen's College に入学
致しました。

1906年にニュージーランドの郷里の家に帰り
音楽を志しました
(彼女は才能あるチェリストでもあった)。
けれども。
プロへの道は父親の反対により諦めることとなりました。

田舎の偏狭な生活に倦んだ彼女は。
友人のとりなしによって
二年後にロンドンに戻ることができました。

それ以降二度と故国の土を踏むことはなかったのです。

++++++++++++++++++++++

キャサリン・マンスフィールド:Katherine Mansfield
は。

父親からの経済的援助を受けながら彼女は短編をものし
ました。

ロンドンの文化サークルに属するようになりました。

そこで同時代の作家
例えば
D・H・ローレンス、ヴァージニア・ウルフに出会いました。

彼女の作品は若干の出版社から興味をもたれました。

1911年に最初の短編集 In a German Pension を出版、
その際 Katherine Mansfield を筆名と致しました。

++++++++++++++++++++++

キャサリン・マンスフィールド:Katherine Mansfieldは。

この作品が売れなかったことに落胆したマンスフィールドは。

間借り人の一人であった
社会主義者・文芸批評家
ジョン・ミドルトン・マリー (John Middleton Murry) と
同棲するようになりました。

最初の出版の後、
1918年の第二短編集 Prelude までの間、
鬱状態に沈んだマンスフィールドは作品を書き続けたものの
殆ど出版しなかったのです。

1917年には結核を発病し。
更に健康状態を害していきました。

++++++++++++++++++++++

キャサリン・マンスフィールド:Katherine Mansfield
は。

欧州の温泉保養地を転々としながらの

闘病生活中に書き始めた作品は。
マンスフィールドの名を高からしめることとなりました。

++++++++++++++++++++++

キャサリン・マンスフィールド:Katherine Mansfield
の珠玉の作品群

1920年に出版された短編集 Bliss に収載された、
パリの観察と簡単な娯楽だけの儚い生を送る
虚弱な女性を描いた甘辛い物語の Miss Brill によって。

マンスフィールドはモダニズム時代における
極めて優れた作家と見なされることとなりました。

表題作の Bliss は夫の不貞に直面した
同じような性格の女性を描き、
やはり評論家の絶賛を浴びました。

続く短編集 The Garden Party (1922年)も
同様の高い評価を得ました。

++++++++++++++++++++++

晩年のマンスフィールドはフォンテーヌブローの
「人の調和的発展研究所」
(神秘主義者グルジェフが設立した)で。
ひとりぼっちで執筆活動を続けました。

題材はきまって自分のルーツ、
自分の幼い時代のことでした。

更に詩集を1冊、短編集を1冊出版した後に。

1923年、34歳の誕生日の後程程なく喀血を起こし
帰らぬ人となりました。

++++++++++++++++++++++

キャサリン・マンスフィールド:Katherine Mansfield
の。
彼女の遺体は
フランス、アヴォンのフォンテーヌブロー地区に
埋葬されています。

最期の言葉は
「私は雨が好き。この顔で雨を感じたい。」
("I love the rain.
I want the feeling of it on my face.")
でした。

++++++++++++++++++++++

短い一生の間にマンスフィールドは
多くの愛を失っています。

1906年に帰郷した際、恋愛関係をもちました。
その後も音楽家の
ガーネット・トローウェル (Garnett Trowell)
と恋に落ち子供を宿すが、流産してしまいました。

1909年にはジョージ・ブラウン (George Brown)
と結婚したものの、
結婚生活は数日間で破局に至りました。

マンスフィールドはオペラのエキストラとして
各地を巡りました。

1910年、ロンドンに帰ってきた時には性病に感染しており。
この病は以後彼女の身体を苛みました。

++++++++++++++++++++++

キャサリン・マンスフィールド:Katherine Mansfield
が。
ジョージ・ブラウンと離婚し同棲していたマリーと
結婚したのは1918年。
新しい夫が浮気に走った1921年には浮気自体よりも。

夫宛のラブレターに噛み付いています。

「私が主人と一緒の間は、
貴女はこんな恋文を寄越すことが
できなくなるのではありませんこと。
そんなの、
この世ですることではありませんわね。」

("I am afraid you must stop writing these love letters
to my husband while he and
I live together. It is one of the things
which is not done in our world."

(Princess Bibescoへの手紙より, 1921)。

++++++++++++++++++++++

また第一次世界大戦がマンスフィールドから
弟を奪ったのは1915年のことでした。
ただ一人の弟の死はマンスフィールドに大きな影響を与え、
以後の作風にも変化が見られました。

弟の死を夢で見た後マンスフィールドは、
次のような奇怪な詩の一節を書いています。

By the remembered stream my brother stands

Waiting for me with berries in his hand ...

'There are my body, Sister, take and eat.'

思い出の流れの淵に私の弟は立っている

ベリーを手にして私のことを待っている…

「私の身体です、姉さん、取って食べてください。」

++++++++++++++++++++++

キャサリン・マンスフィールド:Katherine Mansfield
おくれて来た栄光

ヴァージニア・ウルフは早くから
マンスフィールド作品を認めていました。

「私に嫉妬心を抱かせる唯一の作品」
とさえ言っていました。

死の報に接し、
ウルフは 。
When I began to write, it seemed to me
there was no point of writing. Katherine wont read it.
(原稿用紙に向かったが、どうも無駄な気がしてしまう。
キャサリンがこれを読むことはないのだ。)と嘆いた
そうです。

++++++++++++++++++++++

キャサリン・マンスフィールド:Katherine Mansfield
は。
晩年に多くの名作を残したために、
マンスフィールドの散文と詩の多くは生前には出版されなかった
のです。

妻の死を看取った夫、
ジョン・ミドルトン・マリーがそれらを
編集し、出版致しました。

彼の努力の結果、
二冊の短編集 (Something Childish,1924, The Aloe, 1930) と
三冊の未公開書簡集が出版され、
9年後に未完作品を集めた巻が出版されました。

++++++++++++++++++++++

キャサリン・マンスフィールドは
当時最高級の短編作家の一人として広く認識されています。

Miss Brill 、Prelude 、The Fly といった
諸作は多くの名作短編集の中に採用され、
歴史を超えた傑作と評価されています。

また、マンスフィールドは時代に先んじて
ロシアの劇作家アントン・チェーホフを尊敬し、
チェーホフが用いたテーマや技法を
自らの作品に用いています。

惜しくも夭折した閨秀作家として、
マンスフィールドは語られ続けていくことでしょう。

++++++++++++++++++++++

「続きを読む」=>*

++「続きを読むです1」++++++++++++++++++

キャサリン・マンスフィールド
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%82%B5%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89

キャサリン・マンスフィールド:Katherine Mansfield, 本名:Kathleen Mansfield Beauchamp, 1888年10月14日 - 1923年1月9日)はニュージーランド出身の作家である。「意識の流れ」を重視した作家のひとりとされる。

ニュージーランド生まれとしては最も有名な作家で、主にイギリスで作品を発表した。病のため短い作家生命に終わったが、中流階級の家庭に起きるささいな事件とそれにまつわる人間心理の機微を描いて高く評価されている。その描写には作家本人の孤独、疾病、嫉妬が反映されていると共に、アントン・チェーホフの影響が強い。

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++

10月14日
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/10%E6%9C%8814%E6%97%A5

できごと
1066年 - ヘースティングスの戦い。
1806年 - イエナ・アウエルシュタットの戦い。
1854年(嘉永7年8月23日)- 日英和親条約が締結される。
1872年(明治5年9月12日) - 日本の鉄道開業(新橋(汐留現廃止)〜横浜(現桜木町)間)。
1873年 - 五節句を廃止し祝祭日を制定。
1896年 - 台湾総督に陸軍中将乃木希典が就任。
1900年 - フロイトの『夢判断』が出版される。
1905年 - 登山家・小島烏水らが日本初の山岳会を結成。現在の日本山岳会。
1914年 - 日本海軍がドイツ領南洋諸島の占領を完了。
1921年 - 鉄道開業50年を記念して東京駅北口に鉄道博物館が開館(東京神田にあった交通博物館の前身)。
1922年 - 監獄を「刑務所」に改称。
1923年 - トルコ革命で首都をアンカラに移すことが決定。
1926年 - A・A・ミルン作の童話『クマのプーさん』が発売。
1933年 - ドイツが国際連盟・ジュネーブ軍縮会議から脱退。
1938年 - 近衛文麿内閣が国際連盟との協力関係終了を閣議決定。
1943年 - 日本占領下のフィリピンで第二共和国発足。
1943年 - ナチス・ドイツのソビボル強制収容所で大脱走事件発生。
1947年 - チャック・イェーガーが操縦するベルX-1が水平飛行で音速を突破。
1947年 - GHQの「皇族の財産上における特権の剥奪」指令により11宮家51名が皇籍を離脱する。
1950年 - トルーマン・アメリカ大統領がウェーク島でマッカーサー元帥と会談。
1951年 - ルース台風が上陸。本州各地に大被害。死者行方不明943人。
1952年 - 日本父母と先生全国協議会(現在の日本PTA全国協議会)が結成大会。
1953年 - 日本共産党書記長・徳田球一が北京で客死。2年後に公表。
1958年 - 東京タワー竣工。
1963年 - 元首相の吉田茂が政界引退を表明。
1964年 - マーティン・ルーサー・キングのノーベル平和賞受賞が決定。
1964年 - ニキータ・フルシチョフ失脚。
1966年 - 相次ぐ不祥事に対して社会・民社・公明・共産4党の院内共闘が成立する。
1968年 - メキシコオリンピックの陸上男子100m決勝でジム・ハインズが9.9秒を記録。人類初の9秒台。
1974年 - 巨人軍長嶋茂雄、引退試合。「わが巨人軍は永久に不滅です」と述べる。
1977年 - 奈良筆が伝統工芸品に指定される。
1981年 - 『うる星やつら』アニメ化。
1982年 - ソウルで統一協会が1万人参加の「集団結婚式」を開催。日本から3千組が参加。
1982年 - 大阪にコンサート専用のザ・シンフォニーホールが開館。
1983年 - 東北大学附属病院で日本初の体外受精児(試験管ベビー)が誕生。
1987年 - 鳥取県のJR西日本若桜線(郡家〜若桜19.2km)が第三セクター・若桜鉄道に転換。
1989年 - 病気療養中の田中角榮元首相が次期衆議院選に出馬しないことを発表、政界を引退。
1989年 - 「オレたちひょうきん族」放送終了。
1991年 - 橋本龍太郎蔵相が証券・金融不祥事と富士銀行不正融資事件への元秘書の関与等で辞任する。
1992年 - 金丸信衆議院議員が東京佐川急便からの5億円違法献金疑惑で議員を辞職、政界を引退。
1994年 - 札幌市営地下鉄東豊線豊水すすきの駅〜福住駅間が開業。
1994年 - ノーベル文学賞を受賞した作家の大江健三郎が文化勲章受章を辞退する。
1998年 - 「祝日法」改正法案(ハッピーマンデー法案)が参議院で可決・成立。成人の日・体育の日が1月・10月の第2月曜日に。
1998年 - 改正議院証言法が参議院で可決・成立する(証人喚問の写真撮影やテレビ中継を条件付きで解禁)。
1999年 - 住友銀行とさくら銀行が全面提携
2000年 - 首都圏共通ストアードフェアシステム・パスネット運用開始。
2005年 - 郵政民営化法案が参議院にて可決し、法案が成立する。
2007年 - 東京神田の交通博物館が、大宮に移転。鉄道博物館がオープン。
2008年 - 日経平均株価の終値は前週末に比べて1171円14銭高。上昇率は14.15%に達し、終値で過去最大を記録。
2008年 - 札幌銀行と北洋銀行が合併。旧札幌銀行の支店名等は全て北洋銀行となった。

誕生日
1585年 - ハインリヒ・シュッツ、作曲家(+ 1672年)
1633年 - ジェームズ2世、イングランド王(+ 1701年)
1712年 - ジョージ・グレンヴィル、第8代英国首相(+ 1770年)
1784年 - フェルナンド7世、スペイン王(+ 1833年)
1840年 - フリードリッヒ・コールラウシュ、物理学者(+ 1910年)
1841年 - ドミートリイ・ピーサレフ、文藝評論家(+ 1868年)
1864年 - 大林芳五郎、実業家(+ 1916年)
1867年 - 正岡子規、俳人(+ 1902年)
1871年 - アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキー、作曲家(+ 1942年)
1873年 - レイ・ユーリー、陸上競技選手(+ 1937年)
1873年 - ジュール・リメ、FIFA第3代会長(+ 1956年)
1882年 - エイモン・デ・ヴァレラ、初代アイルランド首相・第3代大統領(+ 1975年)
1888年 - キャサリン・マンスフィールド、小説家(+ 1923年)
1890年 - ドワイト・D・アイゼンハワー、第34代アメリカ合衆国大統領(+ 1969年)
1893年 - リリアン・ギッシュ、俳優(+ 1993年)
1911年 - レ・ドク・ト、政治家(+ 1990年)
1917年 - トニー谷、コメディアン(+ 1987年)
1918年 - 塚本博睦、元プロ野球選手
1921年 - 月丘夢路、俳優
1923年 - 茂山千之丞、狂言師
1926年 - 田丸仁、元プロ野球監督(+ 1993年)
1927年 - ロジャー・ムーア、俳優
1927年 - トーマス・ルックマン、社会学者
1930年 - モブツ・セセ・セコ、ザイール2代大統領(+ 1997年)
1933年 - 稲嶺惠一、元沖縄県知事
1933年 - 棟方巴里爾(棟方志功の子)、俳優(+ 1998年)
1934年 - 志太勤、経営者(シダックス創業者)
1937年 - 松岡英孝、高校野球指導者
1938年 - 柿原彬人、経営者(テクモ創業者)
1939年 - 奥田務、経営者(大丸社長)
1939年 - ラルフ・ローレン、ファッションデザイナー
1940年 - クリフ・リチャード、ミュージシャン
1941年 - 白石冬美、声優
1942年 - 原田直之、民謡歌手
1943年 - 実川幸夫、政治家
1944年 - 峰崎直樹、政治家
1945年 - 桑原豊、政治家
1946年 - 松浪健四郎、政治家
1947年 - 松田哲夫、編集者
1948年 - 服部まゆみ、作家・銅版画家(+ 2007年)
1949年 - 佐藤陽子、ヴァイオリニスト
1950年 - 中村歌六(五代目)、歌舞伎役者
1950年 - チャーリー・コーセイ、歌手
1953年 - 渡辺香津美、ジャズギタリスト
1953年 - 黄川田徹、政治家
1955年 - 奥慶一、作曲家
1956年 - アレック・ジョン・サッチ、ミュージシャン(Bon Jovi)
1957年 - 中谷元、政治家
1958年 - J.B.おるが、ミュージシャン
1959年 - 柴田よしき、作家
1960年 - 石原隆、テレビ・プロデューサー
1960年 - ウィリアム・ベイス、元プロ野球選手
1961年 - 熊谷真菜、作家・フードマーケティングデザイナー
1962年 - 柿辰丸、俳優
1964年 - 旭道山和泰、元関取・元衆議院議員
1964年 - 有賀啓雄、作曲家
1964年 - クリス・トーマス・キング、米国のミュージシャン、俳優
1965年 - 鈴木重子、歌手
1965年 - 小林良平、俳優
1965年 - 畠山智行、俳優
1965年 - 会田誠、現代美術家
1966年 - 入船陽介、ミュージシャン
1968年 - 吉村祥子、レスリング
1970年 - 永作博美、女優
1970年 - 加藤貴子、女優
1970年 - 芳賀絵巳子、女優
1970年 - トニー・ミッチェル、元プロ野球選手
1971年 - 杉浦未幸、タレント(元おニャン子クラブ)
1971年 - 知野公昭、元プロ野球選手
1972年 - 高木浩之、元プロ野球選手
1973年 - 堺雅人、俳優
1973年 - スティーブン・ブラッドバリー、ショートトラックスピードスケート選手
1974年 - ナタリー・メインズ 、ミュージシャン
1975年 - フロイド・ランディス、自転車レーサー
1975年 - 石川多映子、ソフトボール選手
1975年 - 海原やすよ、漫才師
1975年 - 里中茶美、歌手
1976年 - 岩沢厚治、ミュージシャン(ゆず)
1976年 - 不動裕理、ゴルファー
1976年 - 剱持たまき、女優
1976年 - アンドレアス・ビドヘルツル、ノルディックスキージャンプ
1977年 - 内田潤、サッカー選手(アルビレックス新潟)
1977年 - 海本幸治郎、サッカー選手
1977年 - 安直樹、車いすバスケットボール選手
1978年 - しまおまほ、漫画家・イラストレーター、作家・島尾敏雄の孫
1978年 - アッシャー、歌手
1978年 - 木下理樹、ミュージシャン(ART-SCHOOL)
1978年 - 武田久、プロ野球選手(北海道日本ハムファイターズ)
1978年 - 江口真紀、バスケットボール選手
1979年 - 岡峰光舟、ミュージシャン(THE BACK HORN)
1979年 - 田村千秋、タレント
1979年 - 水木ゆうな、女優
1979年 - 牧野ステテコ、お笑い芸人
1980年 - 林丈統、サッカー選手
1980年 - 石井あみ、タレント
1980年 - 坂口真弓(少年少女)、お笑い芸人
1982年 - 東加奈子、ファッションモデル
1982年 - ASOBU、ファッションモデル
1983年 - 新田千尋、舞台女優
1983年 - 林丹、バドミントン選手
1984年 - 伊藤政氏、ジャニーズ
1984年 - 石井沙羅、タレント
1984年 - かすみ果穂、AV女優
1984年 - 全炳斗、野球選手
1985年 - 前田美順、バドミントン選手
1985年 - 慶松あや、タレント
1986年 - 土方みなみ、タレント
1986年 - 福愛美、タレント
1986年 - 岡田光、俳優・ファッションモデル
1987年 - 荒川雄太、プロ野球選手(福岡ソフトバンクホークス)
1987年 - 滝裕可里、タレント
1988年 - ジャレッド・エラリオ、野球選手
1989年 - 川又堅碁、サッカー選手
1993年 - 伴美幸、ファッションモデル・女優
1994年 - 清野菜名、ファッションモデル
1996年 - 野村飛鳥、子役
1996年 - 野村純花、子役

忌日
764年(天平宝字8年9月11日)- 藤原訓儒麻呂、奈良時代の廷臣
1066年 - ハロルド2世、イングランド王(* 1022年)
1092年 - ニザームルムルク、セルジューク朝のアタベク・宰相(* 1017年)
1189年(文治5年9月3日) - 藤原泰衡、奥州藤原氏第4代当主(* 1155年)
1256年(康元元年9月25日) - 藤原頼嗣、鎌倉幕府第5代将軍、最後の摂家将軍(* 1239年)
1318年 - エドワード・ブルース、アイルランド王(* 1275年頃)
1441年(嘉吉元年9月29日)- 赤松教康、室町時代の武将(* 1423年)
1568年 - ジャック・アルカデルト、作曲家(* 1504年?)
1592年(文禄元年9月9日)- 豊臣秀勝、安土桃山時代の武将(* 1579年)
1602年(慶長7年8月29日)- 松浦久信、平戸藩主(* 1571年)
1610年(慶長15年8月28日) - 尼子義久、出雲国の戦国大名(* 1540年)
1620年(泰昌元年9月19日)- 尚寧王、琉球王(* 1564年)
1637年 - ガブリエッロ・キアブレーラ、詩人(* 1552年)
1639年(寛永16年9月18日)- 松花堂昭乗、僧侶(* 1582年)
1669年 - アントニオ・チェスティ、作曲家(* 1623年)
1704年(宝永元年9月16日) - 島津綱貴、島津氏第20代当主、薩摩藩の第3代藩主(* 1650年)
1706年(宝永3年9月8日)- 酒井忠囿、小浜藩主(* 1671年)
1771年 - フランティシェク・クサヴェル・ブリクシ、作曲家(* 1732年)
1803年 - エルコレ3世・デステ、モデナ・レッジョ公(* 1727年)
1831年 - ジャン=ルイ・ポン、天文学者(* 1761年)
1836年(天保7年9月5日) - 最上徳内、江戸時代中後期の探検家(* 1754年)
1848年(嘉永元年9月18日)- 山内豊惇、第14代土佐藩主(* 1824年)
1872年 - アルブレヒト、プロイセンの王族・上級大将(* 1809年)
1886年 - 本因坊秀甫、囲碁棋士(* 1838年)
1925年 - ユージン・サンドウ、ボディビルの先駆者(* 1867年)
1944年 - エルヴィン・ロンメル、ドイツ陸軍の元帥(* 1891年)
1945年 - 本居長世、童謡作曲家(* 1885年)
1946年 - ミスワカナ、漫才師(* 1910年)
1953年 - 徳田球一、政治家、日本共産党書記長(* 1894年)
1955年 - 安藤正純、日本の文部大臣(* 1876年)
1957年 - 水谷日昇、僧侶(* 1879年)
1958年 - 安藤広太郎、農学者(* 1871年)
1958年 - ダグラス・モーソン、南極探検家(* 1882年)
1959年 - エロール・フリン、俳優(* 1909年)
1961年 - ポール・ラマディエ、フランス首相(* 1888年)
1967年 - 今松治郎、日本の総理府総務長官(* 1898年)
1967年 - マルセル・エイメ、小説家・劇作家(* 1902年)
1969年 - 羽黒山政司、大相撲第36代横綱(* 1914年)
1969年 - 増岡登作、実業家・増岡組の創業者(* 1891年)
1977年 - ビング・クロスビー、歌手・俳優(* 1903年)
1983年 - 依田郁子、陸上競技選手(* 1938年)
1984年 - マーティン・ライル、天文学者(* 1918年)
1985年 - エミール・ギレリス、ピアニスト(* 1916年)
1986年 - 荻須高徳、画家(* 1901年)
1990年 - レナード・バーンスタイン、作曲家・指揮者(* 1918年)
1992年 - 玉川良一、俳優・コメディアン(* 1924年)
1993年 - 石田博英、日本の内閣官房長官・労働大臣・運輸大臣(* 1914年)
1994年 - ジョコンダ・デ・ヴィート、ヴァイオリニスト(* 1907年)
1995年 - イーディス・パージター、作家(* 1913年)
1999年 - ジュリウス・ニエレレ、タンザニア大統領(* 1922年)
2001年 - 張学良、奉天軍閥の指導者(* 1901年)
2002年 - 日野啓三、作家(* 1929年)
2003年 - モクタル・ウルド・ダッダ、モーリタニア大統領(* 1924年)
2003年 - 横山まさみち、漫画家(* 1930年)
2006年 - 小倉みね子、女優(* 1914年)
2006年 - 弓削達、歴史学者(* 1924年)
2008年 - バリントン・J・ベイリー、SF作家(* 1937年)

記念日
生神女庇護祭(正教会)

鉄道の日(日本)
明治5年9月12日 (旧暦)(1872年)に、
新橋駅(後の汐留貨物駅・現在廃止)〜横浜駅(現在の根岸線桜木町駅)間に
日本で初めての鉄道が正式開業したことに由来。
歩くと1日かかった新橋〜横浜間を53分で走った。
「やえもん」の愛称で知られる1号機関車は現在、さいたま市の鉄道博物館にある。

1922年に日本国有鉄道が「鉄道記念日」として制定。
「鉄道記念日」のままでは国鉄色が強いということで、
1994年に運輸省(現在の国土交通省)の提案により
「鉄道の日」と改称し、JR以外の民間鉄道も巻き込んだ記念日となった。

クマのプーさん原作デビューの日
世界中で愛されている「クマのプーさん」の原作が発売された日
(1926年10月14日)を記念日として制定したのは
「ウォルト・ディズニー・カンパニー株式会社」。
プーさんとゆかいな仲間達が楽しく暮らす100エーカーの森にちなみ、
環境・森林保護を考える日としている。

プラレールの日(日本)
1997年に制定され、トミー(現タカラトミー)より
「特別限定復刻版ちんちんでんしゃ」が発売された。
毎年10月14日にはこれを記念して限定復刻版が発売される。

PTA結成の日(日本)
1952年、PTAの全国組織、日本父母と先生全国協議会
(現在の日本PTA全国協議会)が結成されたことに由来する。
PTAはアメリカで生まれた組織で、教師と両親が協力して
子どもたちの健全な育成を図ることを目的としている。

世界標準の日
国際標準化機構 (ISO) と国際電気標準会議 (IEC) が制定。
世界標準を策定した人たちに感謝し、労をねぎらう日。

年中行事 [
毎年10月(神無月)は祭り月とも呼ばれ、
特に月の祭礼日である14、15日付近には日本各地で様々な祭りが催されている。

人形供養祭(日本)
毎年10月14日に日本各地のの寺、神社で人形を供養する行事が行われている。
子供たちをはじめ、市民に愛され親しまれた人形が壊れたり、
不要になったものを持参して供養をすることで人形に感謝の心を捧げることを目的としている。

どぶろく祭り(日本)
岐阜県白川村の白川八幡宮では毎年10月14日から翌15日にかけて、
どぶろく祭りを実施している。
かつて白川郷は、平家の落人のかくれやと言われ、
古くから外との交渉の少ない土地柄であったため、
村人の心をいやすものは酒以外にはなく、
粟・稗の雑穀類で地酒をつくっていた。
一年に一度のこの祭りでは、参拝客にどぶろくを振舞っている。

灘のけんか祭り(日本)
兵庫県姫路市白浜町の松原八幡神社で毎年、
定例の祭礼日である10月14日、15日に行われている。
古めかしい神輿をぶつけ合う特殊な神事によって、
天下の奇祭だとか、全国の数ある「けんか祭り」の中でも
最大規模の祭りであるといわれ、すでに戦前から播磨を代表する祭りとして知られていた。

西条祭り(日本)
愛媛県西条市で毎年10月14日より石岡神社、伊曽乃神社、飯積神社の三社で行われている祭礼。

三社で奉納する屋台の総数はあわせて120台以上にのぼり、
全国でも最大規模の祭礼と言われている。運営は行政に頼らず氏子中心で行われる。

他地方の祭り好きの例に漏れず 
この地方でも祭りはお盆・正月よりも大切な行事とされ、
これを象徴する顕著な例として 
毎年発行される西条祭りのカレンダーでは 祭りのある10月から暦が始まっている。