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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年10月27日(火曜日)

「春」の「3月「4月」「5月」

がおわり。

そして「夏」「6月」「7月」「8月」

「秋」の「9月」がおわり。

「秋」の「10月」になりました。

「秋」です。

「みどりいろの夏」から。

「こがねの秋」になりました。

早朝に。

すっかり車のとだえた。

コンクリートの幹線道路を。

よこぎって。

向こう側から。

沢山の「秋」の虫のこえが。

きこえます。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

「昨年」
「9月」がおわわりました。
「10月」も終わりました。
「11月」もおわり。
「12月」で「冬」になりました。
「12月」がおわり。
「昨年」はおわりました。

「冬」も「年」を越しました。
「1月」がおわり。
「晩冬」の「2月」もおわりました。
「3月」「春」です。

「春」の。
「3月」「4月」「5月」はおわり。

「8月」はおわりました。
「秋」です。

「10月」はしずかに。
しずかに。しずかに。

能の舞(のうのまい)の。

「おきなのあゆみ」のように。

そそとした「秋舞台」の上を。

さらにふかまりつつゆく

「秋」から「深い秋」の景色の舞台の上を。

あゆみつつあります。

能の舞(のうのまい)の。

「おきなのあゆみ」は

「秋」の「10月」から。

さらにおくふかい「四季の季節」

「ふかい黄金の「季節」」へと。

むかっています。

暗い朝の早朝に。
南の天に「明けの明星」が
輝いています。
闇夜の天高いかがやく惑星。

「明けの明星」金星に。
毎日「おはよう」のあいさつを
します。

「秋」の「10月」の。

早朝に。

はるか暗い早朝に。
「りす」のかすかな。
ひとりぼっちの。
鳴き声がきこえたような気が致しました。

けれどもそれは。

「季節風」の声。

毎朝の暗いうち「季節風」の「音色」は。
毎日違います。

「ろうろう」「こうこう」

耳をすませば。
「季節風」の鳴き声は。

「独唱」から次第に「合唱」に
なってゆきます。

そしてオーケストラの楽器の配列のように。
一風一かぜ(ひとかぜ)の
「季節風」の鳴いている場所も。
わかるように。なってきました。

「季節風」も

「秋」。

みのりの「秋」の季節。

 にむけての。

ころもがえやひっこしをしている
ことがわかります。

「あきかぜ」に

「衣替え」して。そして。

また深い「秋」への。

「衣替え」を。

するのでしょう。

「季節風」は。

「鳥」のように。

木々の上から電線のうえにやどるようです。

「季節風」は

「街路樹」にとまって。

「秋」を過ごすのでしょう。

「秋」です。

秋の「季節風」がうたう季節

になりました。

「10月」になりました。

日々ゆっくりと

日は短くなります。

陽はひくくなります。

夜は長くなります。

空はたかくなります。

天上の太陽空たかく。

いまは「秋」。

そして。

「秋」から。

「深い秋:ふかあき」に。

向かいます。

あさは曇っていて。
さらに昼間でも「さむい」ことがある。
私がおきるまっくらな早朝は。
とてもとても。
とても寒いです。

雪国うまれの私は秋さむいのがつらい
です。

宮沢賢治

「さむさのなつはおろおろあるき」

は秋にもいえる。

早朝「そら」をみあげれば。
晴れているはず。日差しもあるはず。

けれども空には
「雲がいっぱい」で「空はくもりそら」
です。
ふしぎな「秋」のひざしです。

ふとかんがえれば・・。

そして「秋」には。

「秋」の「強い日差し」から。

「芽」をまもり。

「秋」の太陽から。さらなる恵みを。

「実る木の芽」にあたえる。

「空」こそは。

「ソフトフイルター」の役目を。

「秋」の「おぼろくもりそら」が。

しているようです。

自然とは。

とてもよくできたものです。

変幻自在であり

そして規則も正しい。

なおかつにして。

自由が自在。

春夏秋冬。

大気に漂う霞がごとし。

深い山の奥に住むという

仙人の心境(ここち)が。

よくわかる。

「秋」の街路樹もそうそうたる。
ふかまる冬の羽振りを。
まとう木々に姿になってきました。

街路樹は「落葉樹」がよいです。

街路樹が「松や杉」のような。
「常緑樹」では
冬はうっそうとして
陽の光をえられない。

夏場は枝ぶり葉っぱから陽の光を
さえぎれない。

晩秋も「針葉樹の落葉」では
木枯らしもつりがあわない。
とどのつまり
四季のリズムはつくれません。

ヴイバルデイの
「四季」の「夏」にある
木陰で休む羊飼いの旋律
も。
フランツ・シューベルトの
「菩提樹」の歌曲
も「うまれません」。

落葉の針葉樹で
強いからといって私の「好き」な。
「からまつ」をうえられても
街路樹には叶(かな)わないでしょう。

私の「大好き」な。
北原白秋の「からまつの詩」。

「からまつ」は

街路樹にはそぐはないかもしれません。

播磨の俳人滝野瓢水の句

「手に取るな

やはり野におけ蓮華草」

のように。

「秋」ではあっても。

やはり野におけ蓮華草。

やはり野におけから松木。

「からまつ」も蓮華草と同じくに。

清楚な華やかさとはかなさを

もっています。

やはり野におけ。

蓮華草とからまつ。

「秋」の「からまつ」です。

そしていま。
「秋」をあゆみゆく
「からまつ」の時期になりました。

-------------------------------
北原白秋
 
「水墨集」より

  
 落葉松
-------------------------------

      一
 
 からまつの林を過ぎて、
 
 からまつをしみじみと見き。
 
 からまつはさびしかりけり。
 
 たびゆくはさびしかりけり。

      二
                 
 からまつの林を出でて、
 
 からまつの林に入りぬ。
 
 からまつの林に入りて、
 
 また細く道はつづけり。

      三
 
 からまつの林の奥も
 
 わが通る道はありけり。
  きりさめ
 霧雨のかかる道なり。
 やまかぜ
 山風のかよふ道なり。

      四
 
 からまつの林の道は、
 
 われのみか、ひともかよひぬ。
 
 ほそぼそと通ふ道なり。
 
 さびさびといそぐ道なり。

      五
 
 からまつの林を過ぎて、
 
 ゆゑしらず歩みひそめつ。
 
 からまつはさびしかりけり、
 
 からまつとささやきにけり。

      六

 からまつの林を出でて、
  あさま ね
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。
 
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。
 
 からまつのまたそのうへに。

      七
 
 からまつの林の雨は
 
 さびしけどいよよしづけし。
 
 かんこ鳥鳴けるのみなる。
 
 からまつの濡るるのみなる。

      八
 
 世の中よ、あはれなりけり。
 
 常なれどうれしかりけり。
 
 山川に山がはの音、
 
 からまつにからまつのかぜ。

-------------------------------

木々の青葉の房が
早朝くらい中でも
うかびあがります。
とりわけ私は
くすのき科が。
「大好き」な「木」の
ひとつです。
ポプラも好きです。
イチョウもすきです。
けやきもすきです。
カエデもすきです。
もみじもすきです。
松もすきです。
杉もすきです。
からまつも好きです。

「秋」「10月」になり。
裸木の。
木々の穂先は小さいけれども毛氈(もうせん)
のようにあざやかな萌黄色と緑です。

まるで。
大きな里山の森の冬のうねりのようです。
今年は木々のわかばの冬のめばえがとてもとても
鮮烈です。
「秋」の芽はえも「鮮烈」なことと見守ります、
「季節風」が。
若芽のうえを吹き抜けていきます。

街角の雑草も
秋草に変貌して。

「季節風」になり。

道端のくさばなは。
「遠慮がち」にながら堂々と一本の茎。

雑草も。
秋草へと変貌しつつながらえています。
あたたかかう
ふかまる「秋」をまつ。
「秋」の野の雑草:ざつそうです。

朝暗いうちは。
とてもはださむいです。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックには。
ふとい孟宗竹のたけやぶ
があります。
竹はせがたかいから。

クリニック館内からはすこし離れた所にある。
はなれていても。
とおくからもみえます。

秋風しらしむ秋竹の

笹葉は蒼くふるえたり

みどり葉笹葉にかぜはやみ

秋陽をうつすやうつろひの

竹の葉秋かぜはやいくとせ

地にも空にも
みどり葉ひらき
みどり木冬空
天高くひろがりけり
ゆたかなりけり
いふことのなし
いふことがなし
いふことはなし
ゆたかなりけりはる

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

平成21年1月12日(月曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ限られた時間帯で。
診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年2月11日(水曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ限られた時間帯で。
診療を行います

はおわりました。
-------------------------------

平成21年3月20日(金曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ限られた時間帯で。
診療を行います
はおわりました。

-------------------------------

平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

-------------------------------

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
------------------------------

平成21年7月20日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
------------------------------

平成21年8月14日(金曜日)と15日(土曜日)
の「二日間」
は病院の医療コンピューターの更新のため。

診療ができないので二日間「休診日」になります。

平成21年8月13日(木曜日)まで平常どおり。
平成21年8月18日(日曜日)から平常どおり。

はおわりました。

------------------------------

平成21年9月21・22・23日
(月曜日)(火曜日)(水曜日)
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
------------------------------

平成21年10月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

------------------------------

平成21年11月 3日(火曜日)
平成21年11月23日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
------------------------------

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。
インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がきます。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著であろうと推察されます。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」
であることを懸念しています。
そして気候の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表される。
ウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

-------------------------------
麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です。

-------------------------------

「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
季節の変わり目に「反復性上気道感染」に
なられるかたが多いです。

「世情は不安定」であり何かひとつ
生活しづらい日々を感じられる
かたも多いものです。。

人間は「倒れるまではたっています」。
人間は「冬・春」の旅に(度に)齢を重ねる。

昔の「数え年」は「たいした物」だと思います。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝。

「今日は何の日」は。

トマス・モアとの親交や
マルティン・ルターとの論争でも知られて
いる人文主義者。

1466年 -
デジデリウス・エラスムス、人文主義者(+ 1536年)
の生誕日です。

++++++++++++++++++++++

デジデリウス・エラスムス
:Desiderius Erasmus,
1467年?10月27日 - 1536年7月12日)は。
ネーデルラント出身の。
司祭、人文主義者、神学者です。

出身地から
「ロッテルダムのエラスムス」とも呼ばれます。

ちなみに今現在の。
ロッテルダム大学はエラスムスの名を冠としています。

「カトリック教会を批判した人文主義者」
というステレオタイプで表現されることが
多いエラスムス。

けれども。
実際にはローマ教皇庁を含めて
カトリック教会内に友人が多かったのです。
終生カトリック教会に対して忠実でありました。

++++++++++++++++++++++

デジデリウス・エラスムス
:Desiderius Erasmus
の。

その著作からはキリスト者の一致と
平和を生涯のテーマとした姿を見ることができます。

トマス・モアとの親交や
マルティン・ルターとの論争でも知られています。

かつてのオランダの
100ギルダー紙幣にその肖像がありました。

++++++++++++++++++++++

デジデリウス・エラスムス
:Desiderius Erasmus
は。

エラスムスは
司祭であった父ロドゲル・ゲラルドと。
医師の娘で未亡人だった
母マルガレーテとの間の。

私生児として
ロッテルダム近郊のハウダで生まれました。

エラスムスにはピーテルという名の兄がいました。

1483年に両親がペストによって相次いで亡くなると。

兄弟は親族によってスヘルトーヘンボスの学校に送られ、
寄宿舎に入れられました。

++++++++++++++++++++++

デジデリウス・エラスムス
:Desiderius Erasmus
の。
寄宿舎は。
共同生活兄弟団の経営するものであったために。

若きエラスムスは
「デヴォツィオ・モデルナ」(新しき信心)
の精神の影響を受けました。

1487年、再び親族の意思に従って
デルフトに近いステインにあった
聖アウグスチノ修道会の修道院に入りました。

++++++++++++++++++++++

デジデリウス・エラスムス:Desiderius Erasmus
は。

このころからエラスムスはラテン語の古典に親しみ、
イタリアに行きたいという望みをもつようになりました。

古典の素晴らしさを強調する
著作『反蛮族論』はこの時代に書き始められました。

このころエラスムスは
キケロ、クィンテリアヌスといったローマ古典の大家や
アウグスティヌスやヒエロニムスのような教父たちの
著作の研究に励んでいました。

また、文体については
ロレンツォ・ヴァラやルドルフ・アグリコーラ
から影響を受けていました。

++++++++++++++++++++++

デジデリウス・エラスムス
:Desiderius Erasmus
の。
修道会入会は自分の意志に沿ったものでありませんでした。

行動の制約も多かったためエラスムスは修道会を離れ、
1492年に司祭叙階を受けるとカンブレイの司教秘書
となりました。

1495年に神学博士号を取得するためパリ大学へ入学致しました。

このころ「デジデリウス」という名を用いるようになり、
『格言集』の執筆を始めました。

『格言集』はギリシア・ローマの古典などから格言を集めながら、
それらがキリスト教の知恵と一体的なものであることを
示そうとしたものでありました。

++++++++++++++++++++++

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おわり・おわり・おわり・おわり・おわり・おわり・

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デジデリウス・エラスムス
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

デジデリウス・エラスムス:Desiderius Erasmus, 1467年?10月27日 - 1536年7月12日)は、ネーデルラント出身の司祭、人文主義者、神学者。出身地から「ロッテルダムのエラスムス」とも呼ばれる。ロッテルダム大学はエラスムスの名を冠としている。

「カトリック教会を批判した人文主義者」というステレオタイプで表現されることが多いエラスムスだが、実際にはローマ教皇庁を含めてカトリック教会内に友人が多く、終生カトリック教会に対して忠実であった。その著作からはキリスト者の一致と平和を生涯のテーマとした姿を見ることができる。トマス・モアとの親交やマルティン・ルターとの論争でも知られる。

かつてのオランダの100ギルダー紙幣にその肖像を見ることが出来る。

目次
1 生涯と思想
1.1 生い立ち
1.2 人文主義者としての名声
1.3 ルターとエラスムス
1.4 晩年とその評価
2 日本とのかかわり
3 著作
4 関連書籍
5 関連項目
6 外部リンク

生涯と思想

生い立ち
エラスムスは司祭であった父ロドゲル・ゲラルドと、医師の娘で未亡人だった母マルガレーテとの間の私生児としてロッテルダム近郊のハウダで生まれた。エラスムスにはピーテルという名の兄がいた。1483年に両親がペストによって相次いで亡くなると、兄弟は親族によってスヘルトーヘンボスの学校に送られ、寄宿舎に入れられた。寄宿舎は共同生活兄弟団の経営するものであったため、若きエラスムスは「デヴォツィオ・モデルナ」(新しき信心)の精神の影響を受けた。

1487年、再び親族の意思に従ってデルフトに近いステインにあった聖アウグスチノ修道会の修道院に入った。このころからエラスムスはラテン語の古典に親しみ、イタリアに行きたいという望みをもつようになった。古典の素晴らしさを強調する著作『反蛮族論』はこの時代に書き始められた。このころエラスムスはキケロ、クィンテリアヌスといったローマ古典の大家やアウグスティヌスやヒエロニムスのような教父たちの著作の研究に励んでいた。また、文体についてはロレンツォ・ヴァラやルドルフ・アグリコーラから影響を受けていた。

修道会入会は自分の意志に沿ったものでなく、行動の制約も多かったためエラスムスは修道会を離れ、1492年に司祭叙階を受けるとカンブレイの司教秘書となった。1495年に神学博士号を取得するためパリ大学へ入学した。このころ「デジデリウス」という名を用いるようになり、『格言集』の執筆を始めた。『格言集』はギリシア・ローマの古典などから格言を集めながら、それらがキリスト教の知恵と一体的なものであることを示そうとしたものであった。

人文主義者としての名声
学資を得るため、勉学のかたわら外国人学生の家庭教師を始めた。これが縁となって1499年にイングランドへ赴く機会を得、同地の上流社会に多くの知己を得た。その中には師とあおぐことになる人文主義者ジョン・コレット、終生の友となった政治家トマス・モア、ヘンリー王子(後のヘンリー8世)などがいた。ジョン・コレットは当時オックスフォード大学で教鞭をとっており、エラスムスは彼の聖書研究の方法論(当時の主流であったスコラ学的アプローチでなく、サン・ヴィクトル学派の流れを汲んでいた)に影響されている。ジョン・コレットはエラスムスのギリシア語の知識が不十分であるとし、さらに研鑽を続けるようすすめた。この頃からエラスムスの関心がギリシア・ローマの古典から、聖書と教父などのキリスト教的著作へと移っていく。1500年『格言集』(Adogiorum Collectanea) の初版が、1504年には『キリスト教兵士提要』(エンキリディオン、Enchiridion militis Christiani) があいついで出版され、エラスムスは学者としての名声を高めていった。

1506年には念願のイタリア行きを果たし、トリノ大学に学んで神学の博士号を取得した。その後ケンブリッジ大学で教壇に立ち、イングランドの学会での名誉あるポストにつくよう何度か申し出がなされたが、自由な立場で研究を続けたかったエラスムスはそれを断った。モアとの交友の中でアイデアを得て書かれたのが『痴愚神礼讃』であった。これは古典をモチーフにしながら、エラスムスの風刺とユーモアの精神が遺憾なく発揮された作品となった。

1514年バーゼルの書店店主ヨハン・フローベンと知り合う。フローベンとエラスムスは意気投合し、以後のエラスムスの著作はフローベンの書店から出版されることになる。1516年に出版された『校訂版 新約聖書』(Novum Instrumentum) と9巻からなる『ヒエロニムス全集』は学識者の間で高く評価され、当時のエラスムスの評価を決定付けることになった。

『校訂版 新約聖書』の出版ではギリシア語テキストの出版の重要性および革新性が強調されることが多い。すなわち、「人文主義者エラスムスの手によって、西欧で初めて学術的に校訂されたギリシア語新約聖書が世に出た」というような言い方である。このような表現は、古典研究者であったエラスムスが当時のカトリック教会言語、学術言語であるラテン語を軽視し、新約聖書のオリジナル言語であるギリシア語を重視してその出版に力を注いだというような印象を与える。

だが、実際のエラスムスはこの聖書の出版においては、むしろ優れたラテン語新約聖書を世に出そうとしてラテン語版の校訂に力点を置いていたのである。その証拠にエラスムスの出版したギリシア語新約聖書のテキストは決して優れたテキストとはいいがたいものであった。エラスムスが手にいれたギリシア語新約聖書は大部分がフィレンツェ公会議(バーゼル公会議)に参加した東ローマ帝国の聖職者によって西欧にもたらされたものであり、テキストとしてはせいぜい12世紀にさかのぼるのがやっとのものであった(ヴルガータと呼ばれた当時のラテン語定本は古代のギリシア語版から翻訳されており、その痕跡を随所に残していた)。さらにエラスムスはギリシア語版の『ヨハネの黙示録』を入手できなかったため、ヴルガータのラテン語を見て自分でギリシア語に翻訳した。つまり彼にとって『校訂版 新約聖書』に添付したギリシア語テキストの重要性はその程度のものだったのである。これに反して彼はラテン語テキストの校訂および新約聖書の注釈書の執筆には相当に力を入れている。

皮肉なことにエラスムスが力を注いだ新約聖書のラテン語新訳はヴルガータにとって変わるほどには普及しなかった。その一方でギリシア語テキストの方はジャン・カルヴァンの同志であった神学者テオドール・ド・ベーズの校訂を経たあとで、300年にわたってギリシア語聖書の定本として用いられることになった。

このころのエラスムスが学者として高い評価を受けていたことは、1516年にブルゴーニュ公シャルル(後のカール5世)の名誉参議官に任命されていることからもうかがえる。また、当時のスペインの摂政ヒメネス・デ・シスネロスは自ら進めていた多言語対訳聖書の校訂のアドバイザーとしてエラスムスを招聘している。若き貴公子シャルルのためにエラスムスは『キリスト教君主教育』(Institutio pricipis Christiani) を著している。以後もアントウェルペン、バーゼル、ルーヴァンなどをまわりながら研究・執筆活動を続けた。

ルターとエラスムス
1517年に若き聖アウグスチノ修道会員マルティン・ルターが発表した『95ヶ条の論題』は本人の予想も超えるほどの大きな反響を呼び起こした。ルターが自分を尊敬し、自分の著作に影響されていたことを知ったエラスムスは当初、ルターとその「聖書中心主義」思想に対して好意的な態度をとっていた。このころ、ルターはエラスムスからの励ましを受けて感激している。エラスムスはルターが不当に断罪されることがないよう手を尽くしながらも、ルターに対して党派を作ったり、教会の分裂を引き起こさないよう自重を求めた。

しかし、ルター自身の活発な活動により、事態は過激化・複雑化し、当時のドイツ情勢とからんで政治問題化していった。このような状態はエラスムスの想定を超えたものであり、徐々にルターとエラスムスの思想の違いが明らかになっていった。エラスムスはあくまでキリスト者の一致が最優先事項と考えており、教会の分裂を望んでいなかったのである。結果的にエラスムスはルターに反対する立場の人たちとルターを支持する立場の人たちの両方から疎まれるという難しい立場に立つことになった。

ヘンリー8世のアイデアとトマス・モアの書簡に触発され、エラスムスはカトリック教会内で古代から議論が続けられてきた自由意志の問題についての著作『自由意志論』(De lebero Arbitrio, 1524年)を執筆した。自由意志の問題はルター思想の骨子であったため、ルターはこれを看過できず、対抗する形で『奴隷意志論』(De servo Arbitrio) を発表。エラスムスはさらにそれに対する『反論』(Hyperaspistes, 1526年)を著しているが、結局これを最後にエラスムスは泥沼化したルター問題から手を引いた。

のちに、ルターはドイツ語への聖書翻訳を行う際にエラスムスのテクストゥス・レセプトゥスを用いている。

晩年とその評価
キリスト者の一致と平和を重んじたエラスムスにはキリスト教徒が分裂していくことは容認できなかった。しかし、プロテスタント運動の進展の中で反ルターと目されたエラスムスへの批判も高まり、エラスムスは1521年にルーヴァンを去り、バーゼルへ移った。のちにバーゼルで宗教改革が進展するとそれに耐えられずフライブルクへ移った。1535年になって再びバーゼルに戻ったが、翌年1536年7月12日に同地で死去した。死去に先立ってエラスムスは自らの遺産を市にゆだね、その利子を貧しい人々のために用いることを願った。

『痴愚神礼賛』はエラスムスの意図を離れて、反カトリック教会的書物として各国で利用されたため、のちにカトリック教会の禁書目録に加えられることになった。

「キリストの哲学」(Philosophia Christi)という言葉にあらわされるエラスムスの思想は、知識重視と衒学趣味に走っていた当時の神学に警鐘を鳴らし、聖書を本来の姿に近づけ、聖書を学んでキリストを知ることを最大の目標とするものであった。ここにはエラスムスが受けた「デヴォツィオ・モデルナ」の教育の影響を見て取ることができる。低地諸国で栄え、共同生活兄弟団などの活動に結実していたこの思想運動は信心書の傑作『キリストにならう』(トマス・ア・ケンピス著)によってよくあらわされているが、まさに「キリストにならう」ことをエラスムスも目指していたのである。また、当時の聖職者と信徒の間の格差が広がりすぎていた現実についても、エラスムスは聖職者と信徒が共に聖書に親しむことで解決できると考えていた。

日本とのかかわり
1600年、今の大分県に漂着したオランダ船リーフデ号の旧名はエラスムス号であった。同船は、徳川家康の外交顧問として有名なウィリアム・アダムス(三浦按針)やヤン・ヨーステン(耶揚子。現在の東京都中央区八重洲の地名は彼にちなむ)が乗っていたことで有名である。同船の船尾には、エラスムスの木像が付けられていた。細かな経緯は不明だが、船の旧名と関係していることは類推できる。なおこの像は、貨狄(かてき)像(「貨狄観音」とも)の名で栃木県佐野市の龍江院という寺にまつられていたが、現在では東京都台東区上野公園の国立博物館に一般展示されている。

著作
この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
格言集(Adogiorum Collectanea, 1500年)
キリスト教兵士提要(エンキリディオン、Enchiridion militis Christiani, 1504年)
痴愚神礼讃
校訂版 新約聖書(Novum Instrumentum)
ヒエロニムス全集
キリスト教君主教育(Institutio pricipis Christiani)
自由意志論(De lebero Arbitrio, 1524年)
反論(Hyperaspistes, 1526年): ルター『奴隷意志論』への反論
など

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10月27日
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できごと
1806年 - ナポレオン戦争: ベルリンがフランスの占領下に置かれる。
1810年 - アメリカ合衆国が西フロリダの併合を宣言。
1870年 - 普仏戦争: バセーヌ元帥率いるメス要塞守備のフランス軍がプロイセンに降伏。
1876年 - 秋月の乱勃発。
1901年 - クロード・ドビュッシーの管弦楽作品『夜想曲』が初演。
1904年 - ニューヨーク市地下鉄の初の路線が開業。
1924年 - ソビエト連邦の構成共和国としてウズベク・ソビエト社会主義共和国成立。
1930年 - 霧社事件。
1949年 - パリ発ニューヨーク行きの旅客機が、アゾレス諸島付近で墜落、ヴァイオリニストジネット・ヌヴーとプロボクサーマルセル・セルダンが犠牲者名簿に名を連ねた。
1971年 - コンゴ民主共和国が国号をザイール共和国に改称。
1977年 - 神社本庁爆破事件。
1979年 - セントビンセントおよびグレナディーン諸島がイギリスから独立。
1981年 - ウィスキー・オン・ザ・ロック、ソ連海軍のウィスキー級潜水艦U-137がスウェーデンの領海内で座礁、両国間の外交問題に発展する。
1991年 - トルクメニスタンがソビエト連邦から独立。
1995年 - ラトビアが欧州連合への加盟を申請。
1998年 - ゲアハルト・シュレーダーがドイツ首相に就任。
2002年 - ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァがブラジル大統領に選出。
2002年 - 芝山鉄道東成田-芝山千代田間開業と京成電鉄乗り入れ。
2004年 - ボストン・レッドソックスが1918年以来86年ぶりにワールドシリーズ優勝を決める。
2005年 - 2005年パリ郊外暴動事件勃発。
2007年 - ボストン・レッドソックスの松坂大輔がワールドシリーズ第3戦に登板。3回表に2死満塁からタイムリーヒットを放つなど攻守にわたる活躍を見せ、チームの勝利に貢献。
2008年 - 世界金融危機により、日経平均株価がバブル経済崩壊後の最安値を更新

誕生日
1466年 - デジデリウス・エラスムス、人文主義者(+ 1536年)
1558年(永禄元年9月16日) - 教如、真宗大谷派の祖(+ 1614年)
1728年 - ジェームズ・クック、探検家(+ 1779年)
1770年(明和7年9月4日)- 小笠原忠固、第6代小倉藩主(+ 1843年)
1782年 - ニコロ・パガニーニ、作曲家(+ 1840年)
1858年 - セオドア・ルーズベルト、第26代アメリカ合衆国大統領(+ 1919年)
1883年 - 呉建、内科学者・画家(+ 1940年)
1907年 - ヘルムート・ヴァルヒャ、オルガン奏者(+ 1991年)
1910年 - 渡辺はま子、歌手(+ 1999年)
1920年 - 大屋政子、タレント・実業家(+ 1999年)
1921年 - 永井秀明、俳優(+ 2002年)
1922年 - ラルフ・カイナー、元メジャーリーガー
1923年 - ロイ・リキテンスタイン、画家(+ 1997年)
1925年 - 仲谷義明、政治家、元愛知県知事(+ 1988年)
1933年 - 半村良、小説家(+ 2002年)
1940年 - 二階堂有希子、声優
1941年 - 猿若清三郎、俳優
1945年 - マイク・ラム、元プロ野球選手
1949年 - 堀内孝雄、ミュージシャン
1958年 - 立花義家、元プロ野球選手
1958年 - サイモン・ル・ボン、ミュージシャン(デュラン・デュラン)
1960年 - 山村紅葉、女優
1962年 - 谷川真理、陸上競技・マラソン
1962年 - 渡辺いっけい、俳優
1963年 - 金丸淳一、声優
1964年 - 前田耕司、元プロ野球選手
1966年 - 高嶋政伸、俳優
1966年 - 田中実 (俳優)
1970年 - 望月衛介、ピアニスト・作曲家
1971年 - 音羽山親方、元大関貴ノ浪
1972年 - 高木和弘 ヴァイオリニスト
1973年 - 青木道子、ファッションモデル
1973年 - セーム・シュルト、格闘家
1973年 - ジェーソン・ジョンソン、プロ野球選手
1974年 - 手塚ちはる、声優
1974年 - たいがー:りー、お笑いタレント
1974年 - 坂元忍、元プロ野球選手
1974年 - 佐竹学、元プロ野球選手
1975年 - MAKIDAI(EXILE)
1975年 - 有賀美穂、元AV女優
1976年 - 陳致遠、野球選手
1977年 - 植松真実、ファッションモデル
1978年 - 小西真奈美、女優
1978年 - 鈴木大輔、ミュージシャン(GIRL NEXT DOOR)
1978年 - ヴァネッサ・メイ、ヴァイオリニスト
1980年 - 大菅小百合、スピードスケート・自転車競技選手
1981年 - 浜野蘭、ストリッパー
1982年 - 塚本高史、俳優
1984年 - 易建聯、バスケットボール選手
1984年 - 香子、女優
1986年 - 矢野沙織、ジャズミュージシャン、アルトサクソフォーン奏者(yanosaori.com)
1987年 - 青山テルマ、歌手
1987年 - ブリタニー・ヴァイス、フィギュアスケート選手
1988年 - 日高舞、新体操選手
1989年 - 竹嶋祐貴、野球選手
1992年 - 山下もえ、SKE48

忌日
777年(宝亀8年9月18日)- 藤原良継、奈良時代の貴族(* 716年)
939年 - アゼルスタン、イングランド王(* 895年)
1140年(保延6年9月15日)- 覚猷、天台宗の僧(* 1053年)
1271年 - ユーグ4世、ブルゴーニュ公(* 1213年)
1430年 - ヴィタウタス、リトアニア大公(* 1352年)
1439年 - アルブレヒト2世、神聖ローマ皇帝(* 1397年)
1449年 - ウルグ・ベク、第4代ティムール朝君主(* 1393年)
1505年 - イヴァン3世、モスクワ大公(* 1440年)
1545年(天文14年9月22日)- 宗牧、連歌師
1553年 - ミシェル・セルヴェ、人文主義者・神学者(* 1511年)
1570年(元亀元年9月28日)- 朝倉景恒、戦国武将
1675年 - ジル・ド・ロベルヴァル、数学者(* 1602年)
1705年(宝永2年9月10日)- 一条冬経、江戸時代の公卿(* 1652年)
1784年 - ヨハン・ゴットリープ・グラウン、作曲家(* 1703年)
1800年(寛政12年9月10日)- 伊藤若冲、絵師(* 1716年)
1816年(文化13年9月7日)- 山東京伝、絵師・戯作者(* 1761年)
1846年(弘化3年9月8日)- 佐竹義厚、第10代久保田藩主(* 1812年)
1847年 - アレキサンドレ・ドシャペル、非公式のチェスの世界チャンピオン(* 1780年)
1867年 - ジョン・ロッテスリー、天文学者(* 1798年)
1868年 - アレクサンドル・ヴァレフスキ、元フランス外相・国務大臣・立法院議長(* 1810年)
1902年 - 加納鷲雄、元新選組隊士・御陵衛士(* 1839年)
1902年(光緒28年9月26日) - 劉坤一、清朝の官僚・政治家(*1830年)
1906年 - 海江田信義、貴族院議員・枢密院顧問官(* 1832年)
1916年 - 岩本栄之助、株式仲買人(* 1877年)
1933年 - ユリウス・クレンゲル、チェリスト・作曲家(* 1859年)
1941年 - アーネスト・E・ジャスト、生物学者(* 1883年)
1943年 - 中野正剛、衆議院議員・ジャーナリスト(* 1886年)
1949年 - マルセル・セルダン、プロボクサー(* 1916年)
1949年 - ジネット・ヌヴー、ヴァイオリニスト(* 1919年)
1950年 - 任弼時、中華人民共和国の政治家(* 1904年)
1954年 - フランコ・アルファーノ、作曲家(* 1875年)
1958年 - ヨーゼフ・クラウスナー、宗教学者(* 1874年)
1962年 - エンリコ・マッテイ、実業家・政治家(* 1906年)
1967年 - クルト・シュナイダー、医学者(* 1887年)
1968年 - リーゼ・マイトナー、物理学者(* 1878年)
1973年 - 今和次郎、民俗学者(* 1888年)
1975年 - 角川源義、俳人・角川書店創業者(* 1917年)
1976年 - デリック・クック、音楽学者(* 1919年)
1977年 - 前田青邨、日本画家(* 1885年)
1977年 - ジェームズ・M・ケイン、小説家(* 1892年)
1977年 - 秋田實、漫才作家(* 1905年)
1980年 - ジョン・ヴァン・ヴレック、物理学者(* 1899年)
1980年 - 小川正太郎、元野球選手(* 1910年)
1981年 - 広瀬秀雄、天文学者(* 1909年)
1982年 - アバ・ラーナー、経済学者(* 1903年)
1986年 - 小佐野賢治、実業家(* 1917年)
1988年 - クルト・ヘルツシュタルク、機械式計算機開発者(* 1902年)
1990年 - ジャック・ドゥミ、映画監督(* 1931年)
1991年 - アンジェイ・パヌフニク、作曲家・指揮者(* 1914年)
1999年 - シャルロット・ペリアン、建築家・家具デザイナー(* 1903年)
1999年 - ロバート・ミルズ、物理学者(* 1929年)
1999年 - ワズゲン・サルグシャン、アルメニア首相(* 1959年)
2000年 - ヴァルター・ベリー、バリトン歌手(* 1929年)
2006年 - ジョー・ニークロ、メジャーリーグのプロ野球選手(* 1944年)
2007年 - ジョージワシントン、競走馬(* 2003年)
2008年 - フランク永井、歌手(* 1932年)

記念日・年中行事
テディベアズ・デー
熊のぬいぐるみテディベアの名前の由来となったセオドア・ルーズベルト米大統領の誕生日であることに由来。
イギリスで始められた記念日で、日本では日本テディベア協会が1997年から実施している。
世界中で「心の支えを必要とする人たちにテディベアを贈る運動」が行われている。
読書の日
読書週間(10月27日〜11月9日)の1日目。
文字・活字文化の日
2005年7月29日公布・施行の「文字・活字文化振興法」によって制定された。文字・活字文化への理解や関心を国民の間に広めることを目的とする。