「ここをおして」をクリックされてください。

東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci

(申し訳ございません。今現在整備中ですがこの「画面」
を正しくみるためには
「ブラウザ」の「表示」=>「文字の「大きさ」」を「最小」
に設定されてご覧下さい。)

東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年11月12日(木曜日)

「秋」です。

「秋」の「11月」

になりました。

まばゆいほど。

ことばでは。

いいつくせないほどに。

まぶしくて。

ありがたいやさしい。

「秋」「11月」の。

透明感のするどい。

朝のつよい陽射しです。

しあわせいろの。

あかるい朝の陽射し。

やさしいあかるい朝の陽射し。

「11月」の。

「朝」の陽射しの「あかるさ」は。

なにものにも。

たとえようもありません。

けぶる山焼きのように。

何かが「かおる」。

しずかなひざしです。

あさひ。

「朝陽」の光は。

とてもやさしい。

秋朝陽(あきあさひ)

緑木枝間に

われを見る

まばゆくも

優しく輝く

眼(まなこ)なりけり

あきあさひ

みどりきえたまに

われをみる

まばゆくも

やさしくかかやく

まなこなりけり

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

「秋」になりました。

今年も秋がきました。

「秋」がきて。

今は「11月」。

「秋」がふうせんのように。

みのりそしてふくらみ。

ひろがってゆく季節です。

「11月」です。

なつまつりはおわり。

野には。

たんぽぽは葉草となり。

夏草の花は咲きおわり。

野草が葉草となり。

よもぎや。

すぎながいっぱいになりました。

みどり葉のつつじが。

さえほこっています。

「秋」になり「川の水音」は。

あたかも。

「ゆたかな清流」の。

「みずのながれのおと」の如く。

きこえるようになりました。

「秋」の小川。

「どんどん」ながれる。

あきのおがわ。

高さも低さこそ見えないのに。

あゆみたゆまず。

ながれる水の流れ。

ありがたきことと。

感謝いたします。

春分の日もすぎれば。
「さくら」咲きはじめ
「さくら」がおわり。
「4月」が終われば。
「5月」になり。
「5月」もおわれば。
6月に。「夏」になり。
6月も終われば。
7月 たなばた。
7月 もおわれば。
せみのなく8月。
8月の夏はすぎれば。
9月の秋になり秋の虫が鳴く。
そして9月がおわり。
中秋10月なり紅葉の季節。
そして10月がおわり。
「11月」になり。
晩秋「11月」もおわり12月の「冬」。
「12月」になればまた「年」があけ。
また「初春」がくる。

そして来年も「春」の「3月」がきて。
そして「4月」「5月」がおわり。
「6月」「7月」「8月」がすぎて。
「9月」「10月」になる。

「あき」の「11月」です。

「陽」はすでに

日々にみじかくなりつつあります。

「秋」がきて。

「先の秋」に向かう「ひざし」の。

やさしい「光」の日々毎日です。

「秋」の「11月」です。

「秋」の「11月」の。

陽は日々ひくくなっています。

夜にゆらぐ明るい家々の灯火(ともしび)。

とてもやさしい。

しあわせのひかり。

しあわせの秋です。

朝陽ののぼるのがおそくなりました。

夕陽がおりるのははやくなりました。

朝の「秋」の陽射しは

窓越しにも「まばゆい」

くらいです。

夕暮れの「秋」の陽射しは

「はしりおえた」

「陸上競技の選手」のようです。

つかれて。けれども充実して。

くれてゆきます。

空の明るい秋の夜になりました。

まことに。

冬来たりなば春遠からじ。

ふゆきたりなば

はるとおからじ

(出 典は。

 イギリスの詩人シェリー*の

『西風に寄せる歌』の一節。

英 語の原文: 

If winter comes,

can spring be far behind? )

「英国:United Kingdom UK」のロマン派の
詩人は。「御自分」のテーマの「鳥」を
紋章のようにもっています。
英国ロマン派の詩人は、
それぞれ愛好し、崇拝する鳥を持っていました。

ジョン・キーツは、
「夜鶯」(ほととぎす)の神秘的な声に魅惑され。
夜の闇に響くその歌声を主題に詩を書いています。

ワーズワースにとって、詩の霊感をもたらし、
彼に生きることの喜びを教えてくれる鳥は、
「郭公」(かっこう)でした。

パーシー・シェリーは「雲雀」(ひばり)の声に魅惑され。
ひばりを崇拝する鳥として。
主題とした詩を書いています。

「夏」から「秋」への

移り変わりは

二階から。

「かけあし」の足音の。

とんときこえぬ。

「空き家」のような。

「うつろいかた」でした。

二階から。

「かけあし」の足音がきこえない。

まるで「かげろう」

の「たたずまい」のように。

季節がうつろいました。

「9月」の初秋がおわり。
「名月中秋10月もおわり」ました。
「11月」。

「11月」もおわりました。
「12月」もおわりました。
「新年」「初春」の「1月」もおわり。
「2月」「晩冬」もおわりました。
「春」「夏」がおわりました。

「夏」から「秋」への移り変わりは

「かげろう」のようにうつろいでいきます。

「秋」はひそやかにと。

こっそりと。ゆっくりと。

しのびあしで。あるいて来ます。

そしてゆっくりと。

「冬」にむかってまで

あるいて去って行くようです。

だから。

「秋」をまつのであれば。

「秋」がひそやかに。

しのびあしで。

歩いてくるのをまたなければ。

なりません。

「秋」がくるのをまつのであれば。

すぎさる「夏」がゆっくりと。

しのびあしで。

歩いていくのをまたねば。

なりません。

「かぜのおとに*」おどろかされるまで。

またねばなりません。

秋きぬと目にはさやかに見えねども 

風の音にぞおどろかれぬる

(藤原敏行・古今集169)

いまは「秋」ですね。

「秋」はゆっくりとあるいてやってくる。

「秋」がひそやかにかくれてやってくる。

さきのことすぎるかもしれないが「来年」。

このように「時」のうつろいを

心はせれば。

考えると「おそろしいもの」です。

考えなければ。
「なおおおそろしい」
ものであるものかもしれない。

「考えずにいるつけ」がまわって
くるからかもしれません。

「来年」のことを考えれば。

「鬼」が笑う。

「来年」のことを考えずに。

すむのであれば。

「鬼」は

笑わないのでしょうか。

「鬼」とはなんだろう。

「日本以外の国」には。

「鬼」という「怪物?」は。

存在しないのでしょう。

今日の深夜早朝03:15amには。

久方ぶりに。

大きな「秋」の「星空」がみえました。

早朝くらいうちは。

空に月。

「お月様」が「雲のじゅうたん」に。

天高くにねそべって。

かさををさしている。

ようです。

「秋」の「夜空」の。

「おぼろ月夜」です。

「オレンジいろの月」でした。

06:00amころ日があければ。
まだまだくらい朝日を背に。
西のコバルトの空高く明るい。
とても高い成層圏近くの高い高度に。

西のコバルトの空高に。
「刷毛」でひいたように「絹雲(けんうん)」が
何本も何本も。
描かれて。
たなびいていました。

実に見事な筆捌(ふでさばき)です。
ためらいのない「朝焼け」
「秋」の「朝焼け色」の線描です。

「秋」の朝。

「陽射し」ののぼるころは。

「西」の空

のほうが明るいのです。

朝が明けて午前になれば。

まばゆいほどの。

「秋」のひざしが。

陽がのぼる。

東から。

窓のカーテンと。

木々の合間をぬって。

「さあ 外においで!」

とさそうがごとく。

大きな声で。

よびかけてくるようです。

ハーメルンの笛吹き男のようです。

高い成層圏近くの高い高度に。
「刷毛でひいたように」「絹雲(けんうん)」
の端には渦巻きのような「ぬけあな」があり
「さらなる遠方の青空」が透けてみえます。

さながらにして。
東山魁夷画伯の描かれた大きな壁画。
大きな屏風絵の世界。

東山魁夷画伯の描かれた大きな絵画を
彷彿とさせますです。

東山魁夷画伯。
「よくえがかけた画伯です」。

この「あおぞら」をみていると。

陽のひかりをみていると。

とても

信じられないくらいに。

元気がわいてくることに。

気が付きました。

「太陽」の「陽射し」。

「陽」の「めぐみ」は。

なんと。

ありがたいことだろう。

なんと尊いことだろう。

そら一杯の青空の

天井(てんじょう)と。

「太陽のひかりのひざし」は。

「生きとし生けるもの」にとって。

なによりもの。

まことの。

「めぐみ」です。

それを戴けるのは。

「よろこび」おおきこと。

「太陽のひかりのひざし」は

「いのちへのめぐみ」。

「いのちのよろこび」。

ありとあらゆる「生命」「いのち」をはぐくみ。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をたたえる。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をなぐさめる。

「生きとし生けるもの」の「いのち」に。
さらなる。
「はるかかなた」までの。
「いきるちから」をさずけるものです。
「太陽」。

ありがたいものです。

はやいものです。
ときのたつのは。
はやいものです。

そしてふと考えれば

去年も
「12か月」が
終わりました。

中秋から晩秋にうつろい。
「寒月」の「12月」がおわり。
新年の「1月」がおわり。
「晩冬」の「2月」がおわり。
「初春」の「3月」「4月」がおわり。
「夏」「8月」がおわり。
「秋」「9月」はおわり。
今は「10月」。

「秋の花」の花の花びら。

ひろって。
手のひらにかかげれば。
「秋の花」の花のかおりは。
プラチナ色の香りが
致します。

今は。
「秋の花」が。
蕾をふくらませています。
「秋の花」の。

はながは鐘袖(ベル・スリーブ)のように。
ふくらんでいます。

「秋」の花の「はなびら」が。

闇夜のあいだに。

朝の早朝まだ。

「花」にもきがつかぬうちに

また地に舞い下りています。

「秋の花」

には。

ひとのよの。

「人のいのち」の。

「こたえ」があるような

気が致します。

ふと野の花は。

一般的には。

香らない花が。

多いことに気づきました。

伊藤左千夫の「野菊の墓」の「野菊」は。
矢車菊 (やぐるまぎく)
はとても綺麗なむらさきの「のぎく」です。
けれども「のぎく」は香りません。
(Corn lower, Bachelor's-button)です。

因みに
最高級の(今はもうとれない)
インド・カシミール地方で産出されたの
サフアイアの色は

「矢車菊色:やぐるまそう色」といわれます。

「カシミール・ヴァイオレット」。

麦畑やとうもろこし畑の中に 咲いていたことから。
「コーン・フラワー」=「野菊」(Corn lower)
です。

別名 「矢車草(やぐるまそう)」
といわれることがあります。

実は「矢車菊 (やぐるまぎく)」と
「矢車草(やぐるまそう)」まったく違う植物です。
矢車菊 (やぐるまぎく)が「野菊」。
「矢車草(やぐるまそう)」は「高山植物」。

「野菊」は春から夏にかけて咲くむらさきの花です。

古代エジプトのツタンカーメン王の墓 からも
発見された由緒正しき「野菊」。
色は紫。むらさきです。

ツタンカーメン王の。

まだ幼な子王妃が。

「亡きツタンカーメンンに野菊の花束ささげるけなげな姿」
が鮮烈に眼に浮かびます。

この「花」が。

「野菊」です。

「野菊の墓」の「野菊」。

けれども。

「野菊」は

香らない。

毎朝暗い早朝と。

うす暗くなる午後6時ころには。

「季節風」が

ふいている。

「季節風」がかわりばんこに。

あちこちで

「ろうろう」「こうこう」とないています。

「秋かぜ」の
「季節風」の
「コーラス」を聞いていると。

ふと。

「この「秋」におびえるひと」の気配が
脳裏をはしりました。
はてだれだろう。

うら若き乙女。
貧しさに。
苦労に苦労をかさねて。
苦しんで苦しんだ苦しんだあげくに。
24歳にして世を去った
「樋口一葉」。

樋口一葉の
「秋」ではあるけれども。
「うらわかき」
「「冬」と「春」の短歌」がきこえるようです。

散たまるふもとの落葉わけて思ふ
埋もれぬべきは雪の山里

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ
うもれぬへきはゆきのやまさと

庭の面につもる紅葉の色見れば
散りての後もにしきなりけり

にわのおもにつもるもみしのいろみれば
ちりてのあともにしきなりけり

世の中の秋にあはじとおくれけん
一もと野ぎく思ひあがりて

よのなかにあきにあはしとおくれけん
ひともとのきくおもひあがりて

折々に散るものどけし春雨の
はれたる軒の山桜ばな

おりおりにちるものどけしはるさめの
はれたるのきのやまさくらばな

わが園のものとおもへば初わかな
はつかなれども嬉しかりけり

わがそののものとおもへばはつわかな
はつかなれどもうれしかりけり

立ち渡る霞をみれば足引きの
山にも野にも春は来にけむ

たちわたるかすみをみれはあしひきの
やまにものにもはるはきにけむ

わたつ海の波のいづこに立ち初て
果なくつゝむ春の霞ぞ

わたつみのなみのいづこにたちそめて
はてなくつつむはるのかすみぞ

さざ波やしがの都のいにしへの
おもかげうすく立つ霞かな

ささなみやしかのみやこのいにしえの
おもかけうすくたつかすみかな

鶯のけさおとづるゝ声聞て
はじめて春の心地こそすれ

うくいすのけさおとつるるこへききて
はしめてはるのここちこそすれ

うれしくもわがものにして聞てけり
このあかつきの鶯の声

うれしきもわかものにしてきこへけり
このあかつきのうくいすのこへ

のどかなるけさの雨にやはるの野の
みどりも色まさるらむ

のとかなるけさのあめにや
はるののの
みとりのいろもまさるらむ

おくれたる友の為にとしをりして
谷間の蕨折り残しけり

おくれたるとものためにとしをりして
たのまのわらひおりのこしけり

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ

うもれぬへきはゆきのやまさと

にわのおもにつもるもみしのいろみれば

ちりてのあともにしきなりけり

よのなかにあきにあはしとおくれけん

ひともとのきくおもひあがりて

-------------------------------

おりおりにちるものどけしはるさめの

はれたるのきのやまさくらばな

わがそののものとおもへばはつわかな

はつかなれともうれしかりけり

たちわたるかすみをみれはあしひきの

やまにものにもはるはきにけむ

わたつみのなみのいづこにたちそめて

はてなくつつむはるのかすみぞ

ささなみやしかのみやこのいにしえの

おもかけうすくたつかすみかな

うくいすのけさおとつるるこへききて

はしめてはるのここちこそすれ

うれしきもわかものにしてきこへけり

このあかつきのうくいすのこへ

のとかなるけさのあめにや

はるののの

みとりのいろもまさるらむ

おくれたるとものためにとしをりして

たのまのわらひおりのこしけり

「24歳」の「とても貧しい乙女」の。

「夏」によろこび。

「夏」にもおびえおののく。

隠したくはない「乙女のほこり」

けれども。

隠さざるを得ぬ「乙女のほこり」

かなしさの。おもかげと。

光さす。輝きと。

お若い「御婦人」の「知」「智」が。

ほこりたかくも。

そしてはかなくも。

「ひしひし」とよみとれます。

「秋」の女神(めがみ)の。

「竜田姫(たつたひめ)」の

「秋」になりました。

これからは日は。
陽は次第にみじかくなる。
日が短くなる。
朝は明けるのは遅くなり。
夕に暗くなるのは早くなる。

しだいに陽がみじかくなる。
なぜか。
不思議なやさしさ。
やすらぎと。
心やすらかなる
安堵感をかんじます。

心やすらかなる
安堵感をかんじます。

けれども。
「安堵」と「落胆」は。
常に表裏一体。
両羽(もろば)の剣。

「ぬかよろこび」の「ぬか」のような
ものです。

「ながくなる陽」も両羽(もろば)の剣を
持っています。

そして。
季節には「大気の音色(ねいろ)」もあるようです。

朝空は
陽ははるかに天高く。
空色はミルク色です。
クリームのかかった雲空です。

東京都世田谷区山本クリニックの庭園には

「えどむらさき」という「つつじ」
が「何本」もはえています。
野生種に近いものです。
大きな真紅紫の花を咲かせます。

「つつじ」ですから
盆栽の「皐月:さつき」のような
繊細さはみえません。

この「11月」になり。
森山を分け入ると。

木々の根元に隠れ咲く。
だいだい色の花の花のごとくに紅葉したまま
しもがれする
「やまはぜの葉木」が「大好き」です。

「やまうるしの紅葉」もかわいらしく。
「大好き」です。

身の丈以上ほどにもなって群生する。
野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
が。
病院の林の一角に野生のまま
おいしげっています。

野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
のパープルの真珠が群れたように実る
「実りの木の実」の風にそよぐ音色には。
おどろかされます。

あけびつたもうれしい。
あけびの「実」がみつかればなおなおうれしい。

またたびをみつけました。
根元にねこにかじられきずがある。

里山の冬の時期から。
そして初春の里山の季節
になりました。

四季の歩みの春夏秋冬のうつろいは
メトロノームの「あゆみ」を
感じさせます。

この「あゆみ」の「質量」は
とてもとても高いです。
質量があれば。あたかも。
重力のように。
四季のリズムにひきよせられていく。
そのような感じがします。

四季の歩みの春夏秋冬は。
フアジーでいてなお着々。
確実な「リズム」を感じます。

ここに。
「メロディ:旋律」とハーモニー:和声」
がくわわれば「音楽の三要素」。
音楽と同じです。

草花や草木につつまれた自然は。
「音楽」と同じように
ひびきとして聴こえます。

自然は
「しぜん」の
「ヴィルトオーゾ」と
「ヴィルトゥオーサ(virtuosa)」
*です。

この「自然のフイルハーモニウム」の。
指揮者は。
太陽なのか大地なのか人なのか。

或は音色をかもし出す自然はオーケストラ
であるのか。
ソリストなのだろうか。

私の尊敬する「合衆国USA」の
女性で小説家(「ノーベル賞受賞者」)
「パール・サイデンストリッカー・バック
(Pearl Sydenstricker Buck)
中国名、賽珍珠(サィ・チンシュ)」
パールバックの「大地」に
その「こたえ」が示唆されています。

古代より芸術家が
自然を音楽や絵画や彫刻
で表現しようとした気持ちが良く判ります。

*ヴィルトゥオーソ(virtuoso)は、
「博識、達人」を意味するイタリア語の男性名詞である。
複数形の場合はヴィルトゥオーシ(virtuosi)
、女性形はヴィルトゥオーサ(virtuosa)となる。
ラテン語のvirtus(「男らしさ」「美徳」「至高」の意)を語源とし、元来は「有徳の」「誉められるべき」
を意味する形容詞の男性形であった。

実際の楽曲ではこの三要素は。
密接に音楽的に結びつきひとつの楽曲をなします。

但し音楽の「リズム・メロディ・ハーモニー」は
一つだけを明確に取り出せる「成分」というわけ
ではありません。

また「音楽であるため」に。
三要素が絶対必要ということ
でもないでしょう。

邦楽などではリズム・ハーモニーは
存在しないか希薄である事が多いです。
「音楽」として「欠陥」があるわけ
ではありません。

「リズム・メロディ・ハーモニー」
が西洋音楽の常識ではありえないほど
高度な進化を遂げた音楽も存在致します。

邦楽もその一つです。

大和の国 やまとのくにの自然は。
「大和の国の音楽」と同じように思えます。
聴こえます。

「音楽」は「音」「おと」です。
そして「しらべ」=メロディとハーモニーです。
人類が「この音楽」を「楽譜」として
「寸分たがわず」「譜面」という名の「紙」に
「かくことを完成させた」ということは
大変なことです。

人間は。
人類は。
わずか「400年」で。

「音楽の旋律」に対する「楽譜」を。
「あらたな言語」を
完全に「完成」させたことになります。

まさにミューズの神の「神業かみわざ」です。

木々のめぶきの
冬なおも。
ますます力強い息吹を感じます。

「真夏」をすぎ「冬」になると。
再び「若葉」がみられることに。
きづきました。
「ため息」がでるほど木々の「冬若葉」の
「つどい」は「つよく」「うつくしい」。
雪の上のみどり。

木々のてっぺんは萌黄色から
「ふかみどり」
になりました。
そして「しっかりと樹木として
「冬を迎えた葉束」になりました。
これからは
「深まる冬」がすぎさり「春」。
「開花」の炎が。
樹木の上方で。
「雪の到来」を.
くすぶりてまちわびてています。
たえしのぶ冬の樹木です。

高い木々の穂先は萌黄から若草色に。
うねるなみのように。
木々の新緑は常緑となり冬のおとずれを
伝えていました。

桜は葉桜から「葉木」
道路沿いの「けやき」の木々も
萌黄から若葉。
そして青葉。
どうもうともいえる青葉。
そして見え隠れする「紅葉葉」。
紅葉葉の10枚20枚がひとつひとつ
の樹木にみえるようになりました。
「黄色調」です。
そして今「樹木」は「葉のいろ」をかえ
「宙」に舞おうとしています。

明らかなる。
「冬から春」とはことなる。
「夏から秋」。
「秋から冬」
そして「冬」の「木枯らし」。

木々の四季の。
大気の「色」のうつろい
に気づきます。

今は里山(さとやま)をさまよい。
今は里山(さとやま)をあるきたい。
今は里山(さとやま)の季節。
今は昔々里山(さとやま)であそび。
今は昔々て里山(さとやま)でおぼえ。
今は昔々里山(さとやま)でまなんだ。
今は昔々のその日々の思い出は。
今は黄金(こがね)か。あるいは。
今は銀か。いぶし銀か。
今はもしかしたらプラチナか。
今は思い出色は鉛のように。
今は重さは鉛のようになり。
今は心の奥深くに埋もれて感じられます。

「幸せ色」=「しあわせいろ」

ならばよいです。

けれども
早朝は非常にあたたかくなりました。

やま中さまよいて
やま中をわけいらば
やま中大樹の根元に隠れたり
やま中あけぼの色のちひさき炎(ほのほ)
やま中みつけたりやまの秋の華。
やま中やまの秋葉木のかくれんぼ
やま中大樹の根元に隠れたり
山はぜの葉木。
やま中やまうるしの葉木。
やま中あきやまはぜとふるやまうるし。
「はだか木」。
元気な木。たくましき木。

山萩(やまはぎ)の
花をかくして燃えたたむ
あきに実りの祭りなり
あき山はぜの葉炎
あき天高く燃ゆ

やまはぎの
はなをかくしてもえたたむ
きせつにみのりのまつりなり
きせつやまはせのほのほ
きせつてんたかくもゆ

ひろくなりけり空(そら)たかし
さとやまに木々のみどり木
こもれびうけて燃えるがごとし
みどりの炎(ほのほ)
ほのほうちけさむかすみはあおし
ほのほにかすみにただよひて
うるわしくかがやきたり
あたたかくかおりたり
あざやかなりけり 
やまさとのやまみどり
やまさとのふかみどり

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
は「英国:United Kingdom UK」の
「風景画家」
天才画家ですが「緑」が大嫌い
で「黄色」が「大好き」。
「木」をかくのを非常にいやがったそうです。

多分ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
が「修行時代」に「お金にために
「どこの国も同じですが」
「名所絵」をかかされたときの
「反動」ではないかと
今の私は考えます。

「大きな夏みつけた」

から

「夏がすぎてて真秋間近い」

「小さな秋みつけた・。」

そして

「小さな冬みつけた」

そして

「大きな冬みつけた」。

そして

「小さい春」がみつかって。

しだいにおおきな。

「春」になりました。

「夏」がちかづく「八十八夜」

今はふたたび「秋」。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

+++++++++++++++++++++

平成21年01月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年2月11日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年3月20日(金曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年7月20日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年8月14日(金曜日)と15日(土曜日)
の「二日間」
は病院の医療コンピューターの更新のため。

診療ができないので二日間「休診日」になります。

平成21年8月13日(木曜日)まで平常どおり。
平成21年8月18日(日曜日)から平常どおり。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年9月21・22・23日
(月曜日)(火曜日)(水曜日)
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年10月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年11月 3日(火曜日)
平成21年11月23日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
++++++++++++++++++++++

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらず
インフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。

「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。

映画監督アルフレッド・ヒッチコックの
お気に入り女優であり。

ハリウッドのスターから。
モナコ公国レーニエ大公妃に華麗に転身
されたアメリカ合衆国の女優。

1929年 - グレース・ケリー、俳優・モナコ大公妃(+ 1982年)
の生誕日です。

++++++++++++++++++++++

グレース・パトリシア・ケリー
:Grace Patricia Kelly、1929年11月12日-1982年9月14日)は。
アメリカ合衆国の女優です。

ハリウッドのスターからモナコ公国レーニエ大公妃に華麗に転身
致しました。

同時代の女優マリリン・モンローの明るさとセクシーさを
前面に出した美貌とは対照的に。

気品を湛えた美貌は「クールビューティー(cool beauty)」
と賛美されました。

++++++++++++++++++++++

グレース・パトリシア・ケリー
:Grace Patricia Kellyは。

1929年、ペンシルベニア州フィラデルフィアの。
アイルランド系カトリックの裕福な家に生まれました。

父は建築業で成功した億万長者で
オリンピックのボート競技金メダル選手です。

母はドイツ系で元モデルでもあり大学講師でした。

少女時代はおとなしく、
赤い頬を人前に姿を現すのが苦手な女の子でした。

3人姉妹の中でも真ん中のグレースが
一番不器用であったということです。

その一方、ダンスやピアノを学び、
やがて演技に興味を示すようになりました。

父は一代で事業に成功したとはいえ貧困層出身であり、
グレースは出生としては最下層の女性だったといえます。

++++++++++++++++++++++

グレース・パトリシア・ケリー
:Grace Patricia Kelly。

俳優活動

1956年ハイスクール卒業後、
家族の反対を押し切り女優を志しました。

ニューヨークでモデルのアルバイトをしながら演技を学び、
1949年に舞台『父』でブロードウェイデビュー致しました。

グレース自身は舞台女優を目指していました。
その後、舞台の出演中にハリウッドから誘いがかかり、
1951年、22歳で映画に出演しデビュー(『Fourteen Hours』)。

この作品を見たスタンリー・クレイマー監督が
『真昼の決闘』で
ゲイリー・クーパーの相手役に抜擢致しました。

映画監督アルフレッド・ヒッチコックの
お気に入り女優でした。
『ダイヤルMを廻せ!』『裏窓』『泥棒成金』
などの作品でヒロインをつとめています。

++++++++++++++++++++++

グレース・パトリシア・ケリー
:Grace Patricia Kelly
は。

1954年に『モガンボ』でアカデミー助演女優賞に
ノミネートされました。

1955年には俳優ビング・クロスビーの妻役で
シリアスな演技を見せた『喝采』でアカデミー主演女優賞を受賞
致しました。

++++++++++++++++++++++

結婚・王妃として

バラ「プランセス・ド・モナコ」(1982年)メイヤン作があります。
彼女に献呈されることになっていたバラ(発表前に他界)。
ピンクと白の2色モナコの国旗をイメージしています。

カンヌ国際映画祭で知り合ったモナコ大公レーニエ3世
(在位1949年 - 2005年)と1956年結婚されました。

公妃となったため女優業を引退、
同年のミュージカル映画『上流社会』が最後の作品となりました。

なお、1966年の麻薬撲滅キャンペーン映画
『悪のシンフォニー』にはグレース妃として特別出演しています。

++++++++++++++++++++++

グレース・パトリシア・ケリー
:Grace Patricia Kelly
は。

モナコ公妃として長女カロリーヌ、
長男アルベール、
次女ステファニーの一男二女をもうけました。

1957年に長女の妊娠をマスコミに悟られないよう
エルメス社のバッグ「サック・ア・クロワ」で
カメラから腹部を隠しました。

この事でバッグが有名になり、
商品は「ケリーバッグ」と改名されました。

++++++++++++++++++++++

グレース・パトリシア・ケリー:Grace Patricia Kelly
の。

死後もファッションセンス、
シンデレラ・ストーリーは多くの女性の憧れの的で、
今も彼女を崇拝する女性は多いです。

1981年(昭和56年)、
来日して神戸ポートアイランド博覧会(ポートピア'81)
や京都を訪れて、有馬温泉の老舗旅館に宿泊されました。

++++++++++++++++++++++

グレース・ケリーの墓碑

52歳の時モナコの高速道路をドライブ中。
脳梗塞を起こして交通事故となり、
意識が回復せずに翌日急死致しました。

実際は次女ステファニー公女が運転していたとも
言われているが真相は不明です。

モンテ・カルロのサン・ニコル大聖堂に埋葬されています。

++++++++++++++++++++++

ポール・ギャリコの小説
『トンデモネズミ大活躍』に献辞があります。

これはグレース・パトリシア・ケリー:Grace Patricia Kelly
が。

初めて作った陶製のネズミの置物を
題材にした作品の執筆をギャリコに依頼しており、
それを受けてのものものでした。

++++++++++++++++++++++

「続きを読む」=>*

++「続きを読むです1」++++++++++++++++++
グレース・ケリー
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%AA%E3%83%BC

表示
グレース・パトリシア・ケリー:Grace Patricia Kelly、1929年11月12日-1982年9月14日)は、アメリカ合衆国の女優。ハリウッドのスターからモナコ公国レーニエ大公妃に華麗に転身した。同時代の女優マリリン・モンローの明るさとセクシーさを前面に出した美貌とは対照的に気品を湛えた美貌は「クールビューティー(cool beauty)」と賛美された。

目次
1 生涯
1.1 生い立ち
1.2 俳優活動
1.3 結婚・王妃として
2 出演作品
3 外部リンク

生涯

生い立ち
1929年、ペンシルベニア州フィラデルフィアのアイルランド系カトリックの裕福な家に生まれた。父は建築業で成功した億万長者でオリンピックのボート競技金メダル選手、母はドイツ系で元モデルであり大学講師だった。少女時代はおとなしく、赤い頬の人前に姿を現すのが苦手な子供で、3人姉妹の中でも真ん中のグレースが一番不器用であったという。その一方、ダンスやピアノを学び、やがて演技に興味を示すようになる。父は一代で事業に成功したとはいえ貧困層出身であり、グレースは出自としては最下層の女性だった。

俳優活動

アカデミー授賞式 1956年ハイスクール卒業後、家族の反対を押し切り女優を志す。ニューヨークでモデルのアルバイトをしながら演技を学び、1949年に舞台『父』でブロードウェイデビューした。グレース自身は舞台女優を目指していたが、その後、舞台の出演中にハリウッドから誘いがかかり、1951年、22歳で映画に出演しデビュー(『Fourteen Hours』)。この作品を見たスタンリー・クレイマー監督が『真昼の決闘』でゲイリー・クーパーの相手役に抜擢した。映画監督アルフレッド・ヒッチコックのお気に入り女優で『ダイヤルMを廻せ!』『裏窓』『泥棒成金』などの作品でヒロインをつとめている。

1954年に『モガンボ』でアカデミー助演女優賞にノミネートされ、1955年には俳優ビング・クロスビーの妻役でシリアスな演技を見せた『喝采』でアカデミー主演女優賞を受賞。

結婚・王妃として

バラ「プランセス・ド・モナコ」(1982年)メイヤン作。彼女に献呈されることになっていたバラ(発表前に他界)。ピンクと白の2色モナコの国旗をイメージしている。カンヌ国際映画祭で知り合ったモナコ大公レーニエ3世(在位1949年 - 2005年)と1956年結婚。公妃となったため女優業を引退、同年のミュージカル映画『上流社会』が最後の作品となった。なお、1966年の麻薬撲滅キャンペーン映画『悪のシンフォニー』にはグレース妃として特別出演している。

モナコ公妃として長女カロリーヌ、長男アルベール、次女ステファニーの一男二女をもうけた。1957年に長女の妊娠をマスコミに悟られないようエルメス社のバッグ「サック・ア・クロワ」でカメラから腹部を隠した。この事でバッグが有名になり、商品は「ケリーバッグ」と改名された。死後もファッションセンス、シンデレラ・ストーリーは多くの女性の憧れの的で、今も彼女を崇拝する女性は多い。

1981年(昭和56年)、来日して神戸ポートアイランド博覧会(ポートピア'81)や京都を訪れて、有馬温泉の老舗旅館に宿泊した。

グレース・ケリーの墓碑52歳の時モナコの高速道路をドライブ中、脳梗塞を起こして交通事故となり、意識が回復せずに翌日急死した。実際は次女ステファニー公女が運転していたとも言われているが真相は不明である。モンテ・カルロのサン・ニコル大聖堂に埋葬されている。

ポール・ギャリコの小説『トンデモネズミ大活躍』に献辞があるが、これは初めて作った陶製のネズミの置物を題材にした作品の執筆をギャリコに依頼しており、それを受けたもの。

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++

11月12日
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/11%E6%9C%8812%E6%97%A5

できごと
1920年 - イタリア王国とセルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国(ユーゴスラビア)の間でラパッロ条約が締結。
1933年 - 現中国新疆ウイグル自治区、南西部のカシュガルで(第一次)東トルキスタン・イスラーム共和国独立宣言。
1937年 - 俳優の林長次郎(長谷川一夫)が東宝京都撮影所で顔を切りつけられる。
1944年 - 新疆ウイグル自治区、北部のイリで(第二次)東トルキスタン共和国独立宣言。
1945年 - 二又トンネル爆発事故、アメリカ軍の杜撰な火薬処理により爆発事故が発生。死者147人、負傷者149人の大惨事。
1945年 - 逓信院(当時)貯金課の職員とアメリカ軍の電子計算機オペレーターが、アーニー・パイル劇場で計算勝負。そろばんを使った逓信院職員が勝利。
1948年 - 極東国際軍事裁判で25人の戦犯に対し、東條英機ら7人の絞首刑を含む有罪判決。
1951年 - 京大天皇事件
1980年 - アメリカの無人惑星探査機ヴォイジャー1号が土星に最接近。
1982年 - ユーリ・アンドロポフがソビエト連邦共産党書記長に就任。
1986年 - 福岡市地下鉄箱崎線延長部(箱崎九大前駅?貝塚駅間)が開業し、全通する。
1990年 - 今上天皇の即位の礼が行われた。
1996年 - ニューデリー空中衝突事故起こる。
2001年 - アメリカン航空587便墜落事故。
2001年 - 花咲風力発電所完成。
2006年 - 日本で最後の灯台守が勤務していた女島灯台がこの日から自動化され日本から灯台守が消えた。
2008年 - ガンバ大阪がAFCチャンピオンズリーグ初優勝。

誕生日
1755年 - ゲルハルト・フォン・シャルンホルスト、プロイセン参謀総長(+ 1813年)
1817年 - バハーウッラー、バハーイー教の祖(+ 1892年)
1833年 - アレクサンドル・ボロディン、作曲家(+ 1887年)
1840年 - オーギュスト・ロダン、彫刻家(+ 1917年)
1842年(天保13年10月10日) - 大山巌、日本陸軍の元帥(+ 1916年)
1866年 - 孫文、革命家(+ 1925年)
1904年 - 安西正夫、実業家(+ 1972年)
1908年 - アーモン・ゲート、ナチス・ドイツクラクフ・プワシュフ強制収容所の所長(+ 1946年)
1915年 - ロラン・バルト、思想家(+ 1980年)
1923年 - 片山博、元プロ野球選手
1927年 - 谷山豊、数学者(+ 1958年)
1929年 - グレース・ケリー、俳優・モナコ大公妃(+ 1982年)
1929年 - ミヒャエル・エンデ、作家(+ 1995年)
1930年 - 俵孝太郎、キャスター
1934年 - チャールズ・マンソン、カルト・グループのリーダー
1937年 - 花井幸子、ファッションデザイナー
1943年 - イアン・ブラック、調教師
1945年 - ニール・ヤング、ミュージシャン
1945年 - 谷木恭平、元プロ野球選手
1947年 - 太田治子、小説家
1948年 - 銀河万丈、声優
1950年 - 田中秀幸、声優
1950年 - 由美かおる、女優
1952年 - 福井保夫、元プロ野球選手
1953年 - 大塚栄三郎、元騎手、調教助手
1954年 - 津森千里、ファッションデザイナー
1956年 - 山川恵津子、作曲家、編曲家
1956年 - 平忠彦、元オートバイ・ロードレースライダー
1958年 - 岩崎宏美、歌手
1959年 - 佐橋俊彦、作曲家
1961年 - 長嶋清幸、元プロ野球選手
1961年 - ナディア・コマネチ、体操選手
1961年 - 石川寛美、女優・声優
1962年 - 金子正彦、川崎競馬騎手
1962年 - 麻木久仁子、タレント、キャスター
1963年 - 三代目魚武濱田成夫、詩人
1963年 - 寺島進、俳優
1964年 - アーサー・ウィリアムス、プロボクサー
1964年 - 河野景子、元フジテレビアナウンサー、貴乃花光司夫人
1967年 - 高木琢也、元サッカー選手、元Jリーグ・横浜FC監督
1967年 - マイケル・モーラー、プロボクサー
1967年 - 高橋有紀子、バレーボール選手
1968年 - 久川綾、声優
1968年 - サミー・ソーサ、大リーグ野球選手
1970年 - トーニャ・ハーディング、フィギュアスケート選手・プロボクサー
1971年 - 一式まさと、漫画家
1973年 - ラダ・ミッチェル、女優
1974年 - 藤井みほな、漫画家
1974年 - 西浦克拓、元プロ野球選手
1975年 - 鑑田幸代、ファッションデザイナー
1975年 - ダリオ・シミッチ、サッカー選手
1976年 - リンゼイ・グーリン、元プロ野球選手
1977年 - ダリーン・カーティス、プレイメイト
1977年 - 泉健太郎(セカイイチ)、ミュージシャン
1978年 - ダニー・ミランダ、野球選手
1979年 - ルーカス・グローバー、ゴルファー
1980年 - 小泉恵未、アナウンサー
1980年 - 松島竜太、元サッカー選手
1981年 - アルセニー・マルコフ、フィギュアスケート選手
1982年 - 中尾敏浩、プロ野球選手
1982年 - 高橋浩司、元プロ野球選手
1982年 - アン・ハサウェイ、女優
1983年 - 甲藤啓介、プロ野球選手
1984年 - ベンジャミン・オコルスキー、フィギュアスケート選手
1984年 - さぁさ、シンガーソングライター
1985年 - 黛弘人、騎手
1988年 - 愛葉悠、AV女優
1988年 - リーダー、オレスカバンド
1988年 - 斎藤直人、フィギュアスケート選手
1989年 - 清武弘嗣、サッカー選手
1990年 - 浅村栄斗、プロ野球選手
1991年 - タモト清嵐、俳優
1992年 - 高崎俊吾、ジャニーズJr.

忌日
1094年 - ダンカン2世、スコットランド王(* 1060年?)
1671年 - トーマス・フェアファクス、軍人(*1612年)
1712年(正徳2年10月14日) - 徳川家宣、江戸幕府第6代将軍(* 1662年)
1869年 - エイモス・ケンドール、第11代アメリカ合衆国郵政長官(* 1789年)
1915年 - 津田米次郎、羽二重織機の開発者(* 1862年)
1916年 - パーシヴァル・ローウェル、天文学者(* 1855年)
1939年 - ノーマン・ベチューン、医師(* 1890年)
1969年 - 劉少奇、第2代中華人民共和国国家主席(* 1898年)
1974年 - 菊池正士、物理学者(* 1902年)
1986年 - 円地文子、小説家(* 1905年)
1986年 - 島尾敏雄、小説家(* 1917年)
1988年 - 草野心平、詩人(* 1903年)
1999年 - 蓬茨霊運、天文学者(* 1935年)
2002年 - ラウル・ディアニュ、サッカー選手(* 1910年)
2007年 - アイラ・レヴィン、推理作家(* 1929年)
2007年 - 上田政雄、京都大名誉教授、島田事件、狭山事件などで法医学鑑定(* 1922年)

記念日・年中行事

洋服記念日(日本)
明治5年十一月十二日に「礼服ニハ洋服ヲ採用ス」
という太政官布告が出され、
それまでの公家風・武家風の和服礼装が廃止されたことに由来。

全日本洋服協同組合連合会が1972年に制定
それ以外に、2月9日も服の日である。
全国服飾学校協会・日本ファッション教育振興協会等が1988年に制定している。

皮膚の日
日本臨床皮膚科医会が1995年に制定。
イイヒフ(1112)の語呂合わせに由来している。